アリス・マーガトロイド 様
学生課入試部総長 八雲 藍
合 格 通 知 書
あなたは、当学園の来年度新入生の入学試験に合格されたことを通知いたします。
あなたの当学園への入学をここに許可させていただきます。
つきましては、同封の書類(入学式の日程、入学の手引、入寮のご案内)をご確認いただき、入学の支度の方をお願い申し上げます。
また、ご提出いただく書類を、所定の期日までに送付されなかった場合には、入学の許可が取り消しとなりますので、ご注意ください。
当学園は、あなたがこの場所で一人の魔法使いとして、大きく成長し活躍されることを期待しております。
そんなことが書かれた合格通知書を、もう一度しっかりと眺めて、アリスは大きく深呼吸をする。
地元の駅のプラットホーム。右肩に人形を乗せて、左で大きなトランクケースの持ち手をぎゅっと握って。華奢な身体を包むのは、仕立て上がったばかりの真新しい制服。
目の前の列車に乗ってしまえば、これから一年はこの故郷に帰ってくることはできない。
お気に入りの公園の展望台へも、通い慣れた図書館にも、おいしいケーキのカフェーにも行くことが出来なくなる。
大好きなぬいぐるみ達に囲まれた子供部屋のベッドとも、ダイニングのアリス専用の可愛らしい椅子ともお別れ。
なにより、いつでもそばにいてくれた優しい母や、騒がしくも楽しい姉たちとも会えなくなる。
それは今までのアリスの人生からは考えられないこと。
自ら、進学先として遠くの学校を選んだとはいえ、いざ出発を目の前にすると、足が竦む。このまますべてなかったことにして、家に帰ってしまいたくなる。
「行くって決めたんだから」
口の中で呟いた言葉は、他の乗客たちの騒がしい声にかき消されてしまう。
けれど、アリスの決意が消えることはない。
そう、決めたのだから。
異郷の地で自分の力を試すこと。さらなる高みを目指すこと。
このままここにいたのでは、成し遂げられない目標を果たすために。
震える身体は武者震い。そう自分に言い聞かせて、アリスは前を見据える。
「さよなら」
一度小さく囁いて、キャスター付きのトランクケースを持ち直す。当座のところ必要なものがすべて詰められているそれは、ずしりと重い。
その重みにくじけそうになりながらも、一歩一歩と歩みを進め、列車へと乗り込んだ。
出発を告げるベルの音、ゆっくりと走り出した列車。
窓の外に流れていく故郷の景色を眺めていると、気が早すぎるホームシックにかかりそうになる。
目に焼き付けておきたいという気持ちをこらえて、もう一度合格通知に目を落とす。
そうして、アリスはこれから始まる生活に思いを馳せた。
「すごい人……」
アリスは、あたりをぐるりと見回して嘆息した。同じような年頃の少女たちがこんなにも集まっているのは初めて見たのだから、仕方がない。
今日は入学式。学園中の生徒が一堂に会しても、まだ余裕があるという広い講堂に入学してきたばかりの生徒たちが集められている。
どこか神殿などの施設を思わせる凝った彫刻のなされた白く太い柱。音響上の都合なのか、どこまでも高い天井には、美しい絵が描かれている。
アリス達生徒が腰を降ろしているのは、どこか教会を思わせる二人掛けの木の椅子。
式典の開始を控えて、少しずつ混み合ってくるけれど、まだ、アリスの隣に腰を降ろしす者はいない。
広い空間に満ちているのは、期待と不安の入り混じったざわめき。誰も彼もが知らない顔で。感じるよそよそしさと親近感。
これから五年間、この中に混じって、魔法を学ぶことになるのだ。どこの誰かも分からないこの少女たちのうちの誰かとは友達になるだろうし、知り合いになるかもしれない。運が良ければ、親友と呼べるような間柄になる少女がいる可能性がある。
けれど、今はまだ分からない。ただ知らない人ばかり。
迷子になってしまった子供のような心細さを覆い隠して、アリスは注意深く周囲の少女たちの様子をうかがう。だけれど、決して卑屈には見えないように。
ここに集う皆が魔法を学ぼうという意思を持ってここにやってきた。当然、アリスもその中の一人だ。寄宿制の女子魔法学校の中では規模が小さい方ではあるけれど、名門と呼ばれるこの学園。皆がそれなりに難関と言われる試験をクリアしてきているだけあって、こうして眺めているだけでも、実力を感じさせる何かがあった。
アリスとて、自分の力には自信がある。純粋に自分の力を試したいと、さらなる高みを目指している。はっきりと明確な目標がある。だからこそ、こうしてはるか遠い故郷からたった一人やって来たのだ。誰ひとりとして知る人のいないこの学園に。
まわりの雰囲気に飲まれないよう、なめられてしまわないよう、背筋をぴんと伸ばして、ただ前を見据える。弱気になってしまいそうな自分を奮い立たせる。
『おや、緊張していますか?』
『むしろテンション鰻登りですよ! 私の奇跡の力で、ふふっ。文も協力してくださいね』
『記事になることならいくらでも』
前の方では、最初から知り合いだったのか、仲がよさそうに話している少女達も多く見受けられる。また、それぞれに積極的に話しかけあって、少々ぎこちなく、それでも、楽しげに話しているような人々もいる。
『はじめましてー! あなたの名前なんて言うの?』
『ひゅいっ?』
『ああ、そっか、名前を聞く時は名乗るのが先だよね』
『……』
『私はリリカっていうんだ』
中には、一人で不安げにあたりをきょろきょろ見回している少女もいれば、テンションが上がってしまったのかぴょんぴょん飛び跳ねている少女もいる。
もちろん、アリスのように緊張の面持ちで、静かに座っている、という子も少なくはない。
新入生全員がお揃いの真新しい制服に身を包んでいる。まだ着慣れていないだけあって、制服に着られているような印象の少女が多かった。
まだどこかよそよそしい感じのする黒いブレザー。ひざ下丈の臙脂色をしたタータンチェックのプリーツスカートに丸襟の白いブラウス、胸元にはネクタイを結ぶ。足元は茶色のコインローファーと紺色のハイソックスをはいている。
また、アリスは着用していないものの、ブレザーの下に指定のベストかカーディガンを着ることも許されている。
こうして、みんなで同じような格好をしているのは、なんとも言えず不思議な心地だった。少し窮屈、だけど少し大人になったような高揚感。
「はあ……」
お揃いの服を着ているのにもかかわらず、誰もが強烈な個性を放っていて、この大勢の中で埋もれてしまうことはない。
その中でも、アリスの目を引いたのは、三日月の髪飾りをつけた紫色の長い髪の少女だった。まるでその周囲だけ別の空間であるかのように、周囲のざわつきを無視して、何事もなかったかのように、ひたすら本を読み続けている。
どんな行動をとっていても、誰もがどこか落ちつかない様子であるのにも関わらず、彼女だけは、欠片も動揺した様子もなく、ページをめくる。
どこか憂いを秘めた瞳が印象的で、ついついアリスはその少女を見つめてしまう。
「あっ」
しばらくすると、その視線に気がついたのか、長い髪を揺らして本から顔をあげる。ゆっくりとアリスの方を向いたために、一瞬だけ、目が合う。
しまった、とアリスはすぐに視線を反らす。知らない人を凝視するなんてみっともない真似をしているとは思われたくない。
あたかも、目があったことに気がつかないようなふりをして、明後日の方向を眺める。
やがて彼女は何事もなかったかのように、再び視線を本へと落とす。
横目でそれを確認して、ほっと一安心。安堵のため息をつく。
それと同時に、少しばかり心細さを感じて、無意識のうちに膝の上に置いた上海人形を抱く手の力が強くなる。念には念を、と開始予定時刻よりもずいぶん早く来たせいで、手持無沙汰で仕方がない。
別に一番後ろの席でもいいから、もっと時間ぎりぎりに来ればよかったと後悔するも後の祭り。腕時計に目をやると、入学式が始まるまではあと三十分。
「はあ」
今日何度目になるか分からないため息をついて、アリスは再び前を向く。
過ぎたことを後悔しても仕方がない。今はただ耐えるのみ。
そんな風に思っていた時のことだった。
「あのさ、ここ、空いてるか?」
不意に真横から声をかけられて、アリスは内心でものすごく驚愕した。けれど、鉄の自制心でそれを表に出さないように押しとどめて、極めてクールで落ち着いた自分を装って、その声の主を見やる。
くるくるとした柔らかそうな金髪の巻き毛。左側をひと房だけ三つ編みにして、白いリボンで結んでいる。東洋系の可愛らしい顔立ちに勝気そうな笑みを浮かべ、アリスを見つめている。
体格にはそんなに恵まれていないのか、身長はアリスより小さく見えるし、仕立てたばかりであるはずの制服が大きく見える。肩に担いだ古びた箒などは、彼女の身長を越してしまっている。
「いやー、もうどこもいっぱいだし、友達とははぐれるしでさ。隣、空いてるなら」
頼むっ、と、顔の前に手を立てて、その少女はアリスに言う。外見によく似合った少女らしい声。だけれど、砂糖菓子のような外見に不釣り合いな男の子のような言葉遣い。
アリスとしては、まったく席を独占するつもりなどないし、椅子が人数分しか用意されていないことも分かっている。無意味な質問だ、と思いつつ、緊張を悟られないように、意識的にすまして、それを承諾する。
「別にいいけど」
「やたっ、さんきゅ」
アリスの言いようは思っていたよりもずっと冷たく無愛想になってしまって、少しだけ焦る。舐められたくないとはいえ、人付き合いを拒絶するつもりは全くない。
けれど、そんなアリスの懸念とは裏腹に、ぱっと嬉しそうに笑みを浮かべたその少女はすぐさま、いかにも子供っぽい動作で椅子に腰かける。
そうして、人懐っこい笑顔で小さな手を差し出すのだ。
「私は霧雨魔理沙。よろしくな」
「……アリス・マーガトロイド。よろしく」
差し出されたその手を取らない道理はなく。アリスはそっと少女――魔理沙と握手を交わした。どちらかと言えば冷え症の自らの指先とは違う、子供体温の温かい手に、なぜだかとてもほっとして。
小さく微笑んだアリスと、魔理沙は雑談に興じるのだった。
「それにしてもすごいよなー、ここ!」
「そう?」
「受験の時から思ってはいたんだけどさ」
五年制の魔法学校。世界中から魔法を学ぼうと少女たちが集まる学園だ。その門戸は他の学校よりも広く開かれており、人間のみならず、獣人や妖怪などといった種族の壁を越えて入学を認めている。
学部は大きく二つに分かれており、純粋に魔法らしい魔法を学ぶ学部と、どちらかと言えば神道的なシャーマンのような術を学ぶ学部があり、アリスは前者に入学することになる。
普通の魔法を扱う学部はネクタイ、巫術を扱う学部はリボンをそれぞれ身につけているので、すぐにどちらの学生かは分かる仕様になっている。魔理沙もネクタイをしめていることから、すぐに同じ学部だろうと分かった。
歴史があるだけあって、少々古く見えるところはあるが、施設はまるでどこぞのお屋敷かと見まがうほど立派なものだ。今集まっているこの講堂は、歴史的にも芸術的にも各所から評価が高く、わざわざ予約をとって見学に来る者も後をたたない。
「それでさ!」
「ああ、ほら、そんなにはしゃいでどうするのよ」
興奮した様子で話し続ける魔理沙に、アリスは苦笑する。嫌な感じはしないのだけれど。
もちろん、学校の設備や生徒たちを見て、はしゃいでいるという部分もあるのだが、魔理沙が真に瞳を輝かせている理由は、さまざまな場所に使われている数々の魔法だった。
この短い間だ、詳しいことは分からないが、魔法に満ちた家庭に育ったアリスとは違い、あまり魔法が身近にある生活を送ってきたというわけではないらしい。アリスにとっては珍しくもない、あちらこちらに浮いた七色に輝く炎の照明や、ふわふわとあちこちを飛んでいる妖精が珍しくてしかたがないようだった。
「だって、かっこいいじゃんか」
「はいはい」
とりあえずのところ。先ほどまでの肩肘をはった緊張はどこへやら、気付けば、アリスの表情は和らいで、まるで昔からの友達といるようなそんな気分だった。どれほど長いかと思われた三十分も今ではもう残り少ない。
それは横に座った快活に笑う少女のおかげに他ならない。
アリスはそっと感謝と共に、いい友達になれるかもしれない、と思ったのだった。
「一緒の部屋だぜ、アリス」
「あんたと一緒じゃ騒がしそうね」
「なんだと、失礼な」
入学式を終えた後、配布された資料のうちの一枚を眺めていた魔理沙は、にかっと笑って親指を立てた。こんな偶然もあるものか、と思いつつ、眺めてみれば、確かに三十三号室の欄に、霧雨魔理沙、とアリス・マーガトロイドという名前が並んでいる。
この学園は、魔法学校という特殊性から人里離れた僻地に位置している。当然、普通の少女に通うことのできるような環境ではないため、全寮制をとっている。
上級生になると一人部屋を与えられるのだが、下級生は三人ないし四人部屋ということになっている。
生活を共にすることになるのだから、ルームメイトが誰になるか、どんな人物なのか、ということは生徒たちにとって重大な問題となる。アリスとてそのあたりに不安があったのだが、魔理沙と一緒ということならば少しは安心できるような気がした。
もっとも、その魔理沙とさえ、まだせいぜい二時間弱の付き合いなのだけれど。他に知る人などいないし。
「私たちの部屋は三人部屋みたいね」
「パチュリー・ノーレッジ、ねえ。おもしろい奴だといいな」
そんなことを言いながら、他の大勢の生徒たちと共に寮へと向かう。講堂を出て、少し離れたところにある寄宿舎だ。
今日のところはもう授業だの説明会だのはなく、夕食までの時間を部屋の片づけや親睦を深める時間に使うように指示されている。あらかじめ送ってあった荷物はすでに部屋に運ばれている、ということで、こうして皆、直接持ち込んだ荷物だけを手に、寮への道を急いでいる。
やはり年頃の少女が集まれば、かましいのは必然で。あちこちから、誰誰と一緒だ、だの、違う部屋で残念だの、悲喜こもごもの声が上がっている。そのやかましさに、安堵と緊張と、その両方をあおられて、変な気分になる。
寮の玄関ホールで、寮母だという三つ編みにした長い銀髪と赤と紺の服が特徴的な少女とその隣に寄り添うように立っている黒髪の少女に会釈して、食堂の脇をすり抜けて。
螺旋階段をぐるぐる昇って、アリスと魔理沙は三階を目指す。
木製の床は、生徒たちが歩くたびにかつんかつんと音をよく響かせている。
「三十三号室、ここかしら?」
先ほどの資料と部屋の前に素っ気なくかけられた木の札を見比べて、確認するようにアリスは首を傾げる。慎重派のアリスはついついこういう時三回は確認しなければ気が済まない。
「そうみたいだな、おじゃましまーす」
けれど、魔理沙は見た目通りというべきか、一度ちらっと札を見て、すぐに部屋のノブを捻った。入学式のときにアリスに話しかけてきたことからも分かるように、かなり思い立ったらすぐ実行タイプなのだろうな、とアリスは思う。物事には万全を期してから取り組みたいアリスとは正反対。
「お邪魔しますはおかしくない?」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ? ただいまってのも変だろ?」
「そうねぇ」
「はじめまして! とか?」
「それもなんか変じゃない?」
そんなくだらないことを言いあいながら、部屋へと入っていく。
部屋の照明がついていることから、すでにもう一人の同居人が到着していることに気がついたアリスは、ときとき、と胸の鼓動が早まるのを感じる。そして、いつの間にか握りしめていた手の汗。緊張しているのかもしれない
四角い部屋の四隅には四つのベッドが並べられており、それぞれのベッドのそばにタンスや本棚、勉強机が備え付けられている。あまり広いとは言い難いが、全体的に木製の家具の並んだ温かみのある室内は、過ごしやすそうに見える。
部屋に入って正面に位置する大きな窓には、今は両端でくくられているが、小さな花の柄のカーテンがかかっている。それはベッドカバーや壁紙、家具ともデザインを揃えているらしく、全体的にセンスの良い落ちついた印象を受けた。
どれもこれも使い込まれてはいるものの、清潔さが感じられて、感じがいい。アリスは、ひと目でこの部屋が気に入ってしまった。
好ましさに、ほう、と嘆息。これから、ここで暮らすのだから、過ごしやすいに越したことはない。
「あ」
扉に近い二つのうち、向かって右側のベッドの上に腰かけているのは、紫色の長い髪をした華奢な少女。アリスと魔理沙よりも先にこの部屋に着いていたらしい彼女は、『解呪』と題されたやけに分厚い濃紫の表紙の本を読みふけっている。
顔見知りでも知り合いでもないけれど、先の入学式で、アリスが目を奪われたあの少女だった。思わず声をあげてしまったアリスに、本から目をあげる。
「あら」
やはり、あの時に目があったのは気付かれていたのか、アリスの顔を見て、彼女も声をあげる。不機嫌そうな半眼で座ったまま、アリスのことを見上げている。
邪魔しないで、と言わんばかりのその視線に気圧されそうになるのをこらえ、何でもないような顔を作る。
微妙な空気が漂う中、状況を分かっているはずもない魔理沙が気楽な声と共に首を傾げる。
「あれ、お前ら知り合いなのか?」
「知り合いというか……ええと」
魔理沙に聞かれたことに対して、説明のしようがないアリスは口ごもってしまう。
どう説明しろというのだ、あの微妙な接触とも呼べないような微妙な関係を。
困っているところを見た彼女――パチュリーは、やれやれというようにふん、と鼻を鳴らすと、ややかすれ気味の細い声で、助け舟をだす。
「入学式でちょっと目があっただけよ。名前も知らないし」
「ふーん」
「で、あなた達が私のルームメイトということでいいのかしら?」
ぱたん、と本を閉じたパチュリーは、座ったまま、二人を軽く見上げながら、小さく首を傾げる。表情こそ、無愛想で読み取りづらいものの、言葉そのものはそうそう冷たいものではない。
「霧雨魔理沙だ、よろしくな、パチュリー」
「ええ、よろしく」
あの時、入学式のとき、アリスにしたようにずいっと手を差し伸べる魔理沙。パチュリーはやけに白い手を伸ばして、その手をそっと握った。無表情だったその顔にうっすらと口元に笑みを浮かべて。
そうして、なんとなく、おいてけぼりを食ったような気分のアリスにも視線を向ける。
「じゃあ、あなたがアリスね」
「ええ」
「そう、これからよろしく」
そうして、なぜか少し偉そうにも見える笑みを浮かべるパチュリー。そうして、握手を求めるように細い手を差し伸べてくる。その笑顔や仕草はあの入学式で誰のことも気にせず本を読んでいた姿に重なった。
とにかく、マイペース。そして表情が薄い。多分、そういう人なのだろう、と結論付けて、アリスは微笑みと共にそれに応える。
「こちらこそよろしく、パチュリー」
触れあった手と手があっさりと離れると、パチュリーはもの言いたげに、じっとアリスを見上げていた。妙な目力のようなものを感じて、アリスは内心たじろぎつつも、それを見つめ返す。
「入学式では随分心細そうだったのに、今はそうでもないのね」
「なっ」
その言葉にアリスは思わず声をあげる。なんとなく、顔が熱くなってくるのが分かった。少なくとも自分ではポーカーフェイスを装えていたと思っていただけに、図星をつかれてうろたえてしまう。
それを見て、パチュリーは唇の端をあげて、人の悪い笑みを浮かべる。明らかに面白がっている、からかっている表情。
「お人形を抱いて、借りてきた子猫みたいで、可愛かったのに」
「パ、パチュリー?」
「事実でしょう? 興味ないわ、って顔しながら、頼りなげで」
「事実じゃない……こともないけど!」
「そんなに私のことが気になったのかしら」
「ち、違うわよ」
「なんか楽しそうだな、私も混ぜてくれよ」
「ああ、魔理沙。実はアリスが……」
「ちょっ、止めてー」
そうして、なんやかんやありつつ、自己紹介を済ませた三人は、適当におしゃべりをしながら、部屋の片づけをはじめる。おしゃべりとはいっても話しているのは主に魔理沙で、アリスやパチュリーがそれに一言二言で答えるといったようなものだったのだけれど。
何せ初対面だ、普通ならばもう少しぎこちなくなるはずなのだが。なぜだか、三人ですごすことがごく自然に、当たり前のように感じられて不思議になる。
どちらかといえば人見知りをするタイプのアリスは、自分がこんなにも初対面の相手と過ごしているのにも関わらず、うち解けた気分でいるのか不思議でたまらない。
魔理沙の大言壮語に近いような物言いも、パチュリーの少し意地悪な毒舌も。なぜかそれが心地よい。懐かしい。
まるで、ずっと昔から、そうしていたような。
不思議な感慨に浸りながら、一つ一つ下着や本を片づけていく。下着や制服の替え、私服などはあらかじめ持ってきてよい枚数が決まっているので、そう量があるわけでもない。
本や何かも明日からの授業で配られる予定になっているため、本棚にしまうものも少なくて済む。人形の手入れに使うソーイングセットや布地は、もともと箱に入っているため、わざわざ引き出しにしまう必要もなく、机の上に。こまこまとした小物を引き出しにしまって。
最後に上海人形や蓬莱人形、他にもいくつかの人形をベッドサイドに並べれば、アリスの片付けは大方終わる。掃除好きな方であるため、片付けは苦にならず。手際もてきぱきしていたせいか、魔理沙やパチュリーよりも早くすんだ。
アリスのベッドはパチュリーの隣、魔理沙の向かい。窓際の右側のベッドだった。
ベッドの上に腰かけ、人形の髪や服を手入れしながら、何とはなしに二人の様子を眺める。
パチュリーは不器用なのか、それとも片付けに慣れていないのか、やたらともたもたした手つきで荷物を片づけている。うまく入らないのか、しまっては出し、しまっては出し。しまいには、立ちあがった拍子にトランクケースをひっくり返してしまい、もう収集がつかなくなっている。
「あらら、大丈夫?」
「……ふん」
その場に立ちつくして、散らばった荷物を睨みつけているパチュリーに声をかける。素直に見ていられなかったためだ。
立ちあがってみれば、その身長は魔理沙と同じくらい。細く華奢な身体つきと合わせて、とても小さく見える。その上、明らかにむーっとした表情をしているために、とても子供っぽく見える。入学式やこの部屋でアリスを圧倒した大人っぽさが嘘のようなありさまだった。
「ま、得手不得手ってあるしね。そんなこともあるわよ」
「う」
「手伝いましょうか?」
「……」
とても悔しそうな顔をして、だけれど、助かったといわんばかりに。パチュリーはこくりと頷いた。思わずその頭を撫でたくなるのをこらえて、けれど、なんだかおかしくて小さく笑いながら、アリスは床に落ちたままのものを拾っていく。
「……って、なんでこんなに本ばっかり」
「本のそばにある者こそ私だもの」
「確かにこれじゃ、入りきらなくても仕方ないわよね」
本が好きだということは何となくわかっていたが、一体どこにしまっていたのか分からないほどの本に呆れと共にため息をつく。確かに本や何かに関しては持ち込みの量に制限はないとはいえ、これはないのではないだろうか。
とはいえ、掃除好きなアリスにとってはここまでくれば、逆にやりがいを感じるというものだ。長袖のブラウスの袖を二の腕まで丁寧にまくりあげて、アリスは作業へと挑んだ。
「って、魔理沙! そんな入れ方したら皺になるでしょ?」
「え? 平気平気。アイロンかけるから大丈夫だぜ?」
「そういう問題じゃないっ、で、パチュリーなんで本読んでるの?」
「アリスがやってくれるのでしょう?」
「手伝うだけ! 自分でやりなさいよ」
ぐしゃぐしゃと引き出しに力任せにブラウスをしまう魔理沙をたしなめ、再び本を読みはじめるパチュリーにツッコミをいれ。
これはこれで楽しくはあるのだけれど、二人のフリーダムっぷりに、なんとなく明日からの日々を不安に思うアリスだった。
「疲れた……」
ようやく片付けを終えたアリス達三人は、寄宿舎の一階に位置する食堂へと向かう。
あれから、随分と苦労して荷物を片付けたのだが、肉体的疲労よりも精神的疲労の方が強く、アリスは大きくため息をつく。
集団生活であまり気にしすぎるのもよくないと分かっているけれど、これはひどい。
まず、魔理沙は大雑把過ぎる。
どんなものもとりあえず引き出しに突っ込んでいけばいいというスタンスだ。それだけならいいのだが、片付けの間は邪魔だから、とベッドの上に置いてあったネクタイまで片付けてしまい、しかも、それがどこにあるか分からない。
一度出して探しだして、それからもう一度しまい直すという二度手間になってしまった。
パチュリーはパチュリーで、隙あらば本を読みはじめるから厄介だ。
大掃除をしようとして、うっかり本を読みふけってしまうなんて言うのはよくあることだが。それを抜きにしても、片付けというものに才能がないらしく、まったくもって戦力外に近かった。
そんな二人に協力することになったアリスはとても苦労をした。
時間内に終わらせることができたのが奇跡のようだ。
「霊夢!」
食堂へ着くなり、短くそう声をあげた魔理沙が駆け出す。入学式の比ではなく、学年、学部を問わず少女たちの集まる人ごみの中、アリスとパチュリーは急いでそれを追いかける。別に一緒にいなければならない道理はないのだが、一応、そうしなければいけないような気がした。
「魔理沙?」
その視線の先にいたのは、長い黒髪を赤いリボンでポニーテールにした少女だった。まわりには蛙と蛇をあしらった髪飾りをつけた緑髪の少女と、肩より少し上のところで短く髪を切りそろえた少女が、アリス達と同じような表情をして立っている。
三人とも胸元についているリボンから、アリス達とは違う学部の生徒であることが分かる。
「まったく、はぐれんなよなー」
「あら、勝手にはしゃいでふらふらどっか行っちゃったのはあんたじゃないの」
「そ、それは……」
「ま、どっちにしても学部違うしね」
魔理沙が霊夢と呼ばれた少女の肩を叩く。アリスと同じぐらいの身長の霊夢は、鬱陶しそうに笑いながら、魔理沙を小突いている。いかにも親しげな様子で、随分と仲がいいのだろう、と推測させられる。
そういえば、最初に語りかけて来た時も、友達とはぐれたと言っていたことに思い至る。それがこの霊夢なのか、と少し感慨深い気持ちでそれを見守る。
「私がいないからって寂しくて泣いたりしないでよ?」
「誰がだよ?」
「あんたに決まってるじゃない」
「泣くわけないだろ! ちょっと、アリスも言ってやってくれよ」
しれっとした笑顔を浮かべた霊夢に、顔を赤くした魔理沙が食ってかかる。
それを何とはなしに少し微笑ましい気持ちで眺めていたアリスは、突然名前を引き合いに出されて、目を白黒させる。
くるりと振り返った拍子にパチュリーもろとも腕を取られて、霊夢の前に突き出された。なぜか腰に手を当てて、自慢げに小さな胸を張る魔理沙は笑う。
「ちょ、ちょっと魔理沙?」
「なんなのよ」
「私のルームメイトのアリスとパチュリーだ。お前に負けず劣らずおもしろい」
二人が戸惑っているのを知ってか知らずか、かなり乱暴な紹介をする。それを受けて霊夢は、ふうん、とアリスやパチュリーをまっすぐな瞳で視線を投げかけてくる。
黒目がちの神秘的な瞳は、何を考えているという様子でもなさそうなのにもかかわらず、不思議な力を感じさせ、アリスは身動きをとることができない。
けれど何を言うわけでもなくいつまでも眺められているのは居心地が悪い。
「あ、あの?」
少しばかりの気合いと共に、アリスがためらいがちに声をかけたその時だった。
「あら、そんなところに立っていてはいけませんよ」
「おしゃべりは席に着いてからにした方が良いかと。迷惑になりますからね」
不意に六人に話しかける二人の上級生がいた。一人は紫色から金色へと流れるグラデーションの美しい髪をした、おっとりとした笑顔の少女と、金髪に虎のような黒いメッシュの入ったショートヘアの少女だ。どこか神々しさというか、見るものを圧倒する清らかさというか、そんな雰囲気をまとった二人組。
二人揃って大人びた顔立ちは、入学したてのアリス達よりもずっと落ちついて見えた。
「ご、ごめんなさい!」
確かに言われてみて気がついたのだが、六人が立ち止まっているせいで、人の流れに竿をさしているような形になってしまっている。人ごみの中で、こんな風に立ち止まっていては迷惑になることは少し考えれば分かるはずだったのに、と頬が熱くなるアリス。
「分かればいいんですよ、ね、星?」
「聖の言う通りです」
そんな恥じらうアリスや、申し訳なさそうな顔をする下級生たちに、柔らかい笑みを浮かべて、頷いて見せる。それではね、と小さく手を振って歩いていく長髪の少女。そして、それに付き従うようにもう一人の少女がついていく。
この人の多い中なのにも関わらず、優雅に。まるで静かな湖畔の小路を歩いているかのように、涼やかに。
あっという間に、その背中は見えなくなってしまった。
言うならば、姫君とそれにつき従う従者のような、そんな二人組だった、とアリスは思う。
「あやや、とりあえず、自己紹介は席に着いてからということでいかがです?」
六人揃って、何を言うでもなく顔を見合わせあって。しばらくして口を開いたのは、霊夢と共にいた黒髪の少女だった。やれやれ、というように肩を竦めた彼女に同意の意を示して、アリス達は食堂の奥へと足を進めた。
「あれは私の見たところによると、聖白蓮様と、寅丸星様ですね」
ひょいひょいと分厚く切られたハムを口へと運びながら、黒髪の少女、射命丸文は言う。
六人で一緒に座れる席を確保して、それぞれに名前など自己紹介を済ませて、夕食をとっている最中。文は、先ほどあった二人組について、熱弁を奮う。
魔法学校に来たのにも関わらず、ジャーナリスト志望であるという彼女は、すでに学園の噂話や何かにも明るいらしい。
その幼馴染だという東風谷早苗は、きらきらと瞳を輝かせて、ぱちんっと手を叩くようにして胸元で合わせる。
「流石は女子校、あれですよね、要するに憧れのお姉様!」
「ふむ、そういうことになりますかね」
「お姉様って、何それ」
少々お行儀悪くパンにかぶりついていた霊夢がそんな二人に呆れたような視線を向ける。魔理沙もいまいちぴんと来ないのか、首をかしげている。
アリスも実感としてぴんときたわけではないのだが、小さな頃に読んでいた本や姉たちの影響でなんとなくは分かる。こういった女子校には皆が憧れる上級生がいたりするものだ。
実際、文の話によれば、先ほどの聖白蓮は、成績優秀、品行方正、眉目秀麗と三拍子揃った優等生で、投票で選ばれる寮長をしているのだという。そして、その親友でいつも傍にいる寅丸星とセットで、皆に慕われている、と。中には熱狂的なファンも存在するのだという。
あの人ごみの中、二人が優雅に歩いていたのも、それが原因なのかもしれない。いい意味で、皆が彼女たちに道を譲っていたのだから。
「それであの先生はですね」
「へえ」
アリスがそんなことを考えている間にも、文の話は続く。それは、学園内の噂話であったり、本当にゴシップレベルのうろんな情報も少なくないのだけれど、語り口がうまいのか、ついつい聞き入ってしまう。
同室だという霊夢は食べるのに夢中、早苗はもう聞きなれているのかはいはい、と聞き流すようにしているが、魔理沙は瞳を輝かせて話を聞いている。
そんな話には興味がない、と言いたげに黙ってスープをすすっているのはパチュリー。
文の話を聞きながら、アリスはそれとなく食堂内を見回す。入学式の時よりも、リラックスした雰囲気は眺めていてとても楽しい。
向こうのテーブルでは金髪、銀髪、茶髪をした顔立ちのよく似た三人の少女が、ここからでも分かるほどに騒がしく過ごしている。時折、姉さん、という呼び声が聞こえることから、なんとなく姉妹なのだろうということが分かる。
入口付近では黒い羽根の生えた少女が、赤毛三つ編みに猫耳の少女に手を引かれて歩いている。その後ろに続くのはエルフのような耳をした少女と、可愛らしい顔立ちをした短いポニーテール。
教師達もいる。入学式で高圧的な挨拶をした学部長のレミリア・スカーレット。もう一人の学部長である西行寺幽々子。他にも、長い角を二本生やした鬼が一升瓶を呷っていたり、蛙のような帽子をかぶった少女がけろけろと笑っていたりする。その多くが、アリス達生徒とほとんど変わらない少女の姿をしているのは、流石魔法学校というべきか。
どんなに眺めていても、飽きない。
パチュリーや魔理沙はもちろんのこと、霊夢、早苗、そして文。今日一日でこんなにも知り合いが増えた。
きっと明日からはもっと騒がしい毎日が始まるであろうことに思いを馳せて。アリスは誰にも知られることなく、そっと微笑んだ。
「ちょっと魔理沙、肘もう少し伸ばして」
「これ以上は無理だって」
「はあ……」
真夜中の図書館。貸出受付の狭い狭い机の下。
マホガニー製の重厚な机の下、常夜灯の光もともらない真っ暗な空間にアリス、魔理沙、パチュリーの三人は潜っていた。ひと肌と緊張のせいで暑さを感じ、随分こうしているせいで空気が悪い。
本来ならば、人一人でも狭いと感じるようなスペースだ。少女であるとはいえ三人で入るには狭すぎる。身を寄せ合うようにして、というよりも最早絡みあってしまっているような状態になっている。
「ああ、もうどうしてこんなことに……」
頭の上に置かれた魔理沙の腕や、膝の間に蹲るパチュリーを眺めながら、アリスはため息をついた。あたりを徘徊する妖精たちに見つからないように。
無理な体勢に痺れつつある左足に辟易しながら、アリスは思い返す。
なぜこんなことになってしまったのか、と。
入学式から三カ月。
日々新しいことに追われて、せわしなく過ごしてきた新入生たちもようやく学校になじみ、落ち着いてきた。教科ごとに違う教室に行く際にも道に迷うことがなくなり、友人関係もそれなりに確立されてきたそんな頃だ。
親元を初めて離れて落ち込んでいた者も、今となっては快活に笑っている。
悩みの中心はホームシックではなく、日に日に難しくなる授業についていくことに変わる。
もちろん、それらはアリスも例外ではない。
厳しい規律の集団生活にも慣れてきたし、授業も楽しい。充実した毎日を過ごせていると胸を張って言える。
知り合いや友人もずいぶんと増えた。
クラスメイトのプリズムリバー三姉妹の末っ子や、ちょっと臆病な発明家のにとり。同じ委員会に所属していることから仲良くなった二年生の十六夜咲夜とその友人である兎耳の鈴仙や半人半霊の妖夢とは話すことが増えた。
それに学部は違えど、霊夢たちとも順調に親しくなった。お互いの学部の情報交換をしながら、一緒に食事をすることも多い。
生徒だけではなく、学園で働いている職員の顔もようやく覚えられてきた。
大図書館の館長をしていて、訪ねていくと紅茶をふるまってくれる阿求や、庭の手入れを生業にしているという妹紅。あちこちを警備して飛び回っている妖精たちもいる。
そして、この寄宿舎で暮らす生徒たちの世話を一手に取り仕切っている八意永琳。
規則に関しては厳格で、違反者を厳しく罰する。しかし、基本的には優しく、生徒たちの困りごとに親身になって応えてくれるいい人だ、とアリスは思っている。来て早々にホームシックにかかり、眠れなかった時、胡蝶夢丸を処方してもらった時は本当に助かった。
誰もかれもが個性が強く、一度会ったら忘れることができないほど。
そんな彼女らに囲まれた日々が楽しくないはずがない。
そして、この三か月で最も親しくなったのは、当然と言えるかもしれないが、ルームメイトたる魔理沙とパチュリーだ。
出会った時から一筋縄ではいかないだろう、と思ってはいたのだが、実際につきあってみるとそれどころではない問題児のコンビだった。
入学して一週間で門限破りをしたのを皮切りに、寄宿舎の厳しい規律を、まるで「規則は破るためにあるんだ」と言わんばかりに違反する魔理沙。毎日、好奇心の赴くままに、あっちへふらふら、こっちできょろきょろ。教授への悪戯も平気で行う。
けれど、そんな自由奔放な振る舞いはどこか人を惹きつけ、学園の中でもかなり名前の知られたトリックスターとなっている。果てはあの聖白蓮にまで気に入られている、というから驚きだ。
決して、ものすごく性格がいいというわけではないのだが、どこか垢ぬけているというか、憎めないところがあり、話していて楽しい。
そして、パチュリー。パチュリーもまた規則破りの常習犯だが、魔理沙とはまた違うマイペースさからの規則破りだ。
とにかく本、本、本。本がなければ生きていけないとばかりにいつでも本を読んでいる。朝も昼も夜も、食事中でさえも本を読んでいる。授業中に講義をまるで無視して本を読んでいるなんてことも珍しくない。そして、なんの前触れもなく本で読んだ実験をして、部屋の床を焦がしたり、ミステリーサークルを作ってみたり。普通に問題児である。
注意しても注意してもどこ吹く風。それどころか、理屈っぽい物言いで言いこめられてしまう教師が多く、最近ではわりとそういうものなのだと放置されがちだ。
そうして、そんな魔理沙の突拍子もない思いつきと、見た目こそまともっぽいのにそれにノリノリでついていくパチュリーに振り回され、時にたしなめるのがアリスだった。
なんとなくクラスの中でも二人のストッパー役としてのポジションが確立されている感があるのも否めない。そんなわけでなし崩し的に、三人セットで問題児扱いされることが増えてきたようにも思う。
だって、とアリスは思う。
確かに二人はいろんな意味で厄介なのだけれど、一緒にいると楽しいのだ。
いけないことだと思っても、「アリスも行こうぜ!」と手を差し伸べられれば、ついついついていってしまう。楽しそうという好奇心と、危なっかしい二人に対する心配と、その二つが入り混じったようなそんな感じで。
そして、今日の一件もその例に漏れない。
「面白そうな話があるんだ」
夕食を食べ終わって、入浴も終えた後。これより先の時間は緊急を要する事態か許可がある時以外は寄宿舎の外に出てはいけないことになっている。また、寄宿舎の中であっても、寮母である永琳に用がある時など、必要な時以外は部屋の中にいなければならない。他の生徒の部屋に入るなどもってのほかだ。
まあ、その規則を破って、こっそり誰かの部屋に集まってティーパーティーをする生徒も少なくないのだけれど。いつ見つかるかというスリルとみんなで秘密を共有しているという感覚が楽しい人気の遊び。
魔理沙はしばしば招かれたり、呼ばれてもいないのによその部屋に遊びに行くことが多く、大抵の場合、どこに行っているのか、夜はアリス達が眠る頃になるまで部屋に帰ってこない。
それなのにもかかわらず、今日はどこにも行こうとしない。
珍しいこともあるものだ、と思っていたら。いたずらっぽい、それでいて深刻そうな表情で、アリスとパチュリーに語ったのだ。
放課後、白蓮の妹分の一人である村紗水蜜から聞いたという話。
「うちの学部に寅丸星っているだろ? そいつがさ、こないだうっかり宿題をやるのに必要な資料を図書館に忘れてきたらしいんだよ」
そう言えば、と、入学式の日に寅丸星にたしなめられたことを思いだす。学園で生徒たちのカリスマ的な存在である白蓮とのつながりで噂を聞くことも少なくない。
アリスはあまり興味を持っていないが、その手のことが好きな子たちからすれば、ショートヘアと凛とした顔立ち、親切な性格や何かから、王子様のような扱いを受けている。
そして、そんな彼女の短所は度を超えたうっかり屋である、ということだ。しばしば、友人であるナズーリンに頼っている姿も見ることができる。そんなところも、可愛らしいと評判だったりするのだけれど。
「で、許可をとって、夜中……確か、十時過ぎぐらいだったかな。取りに行ったんだって」
「それで」
「その資料って言うのが、禁書の棚にしかないものでさ。ほら、あいつだし、なかなか資料が見つけられなくて、おろおろしてたらしいんだけど」
その時、どこからともなく聞こえたのだという。
しく、しく、と誰かがすすり泣いているような声が。時々しゃくりあげるような声が。
どちらかと言えば小さな女の子のような高く甘い声が悲痛に泣いている。
しかし、はっきりとした音ではなく、頭の内部に入り込んで揺さぶられるようなそんな音。怖くなった星はすぐさま図書館を走って出てきたのだという。
そして、帰ってくるなり、ルームメイトのナズーリンに泣きついたらしい。そして、そのナズーリンと仲の良い雲居一輪の使い魔の雲山を経由して、水蜜がその話を聞いた。
誰もが星のうっかり癖を知っていたため、夢か、あるいは警備をしている妖精が転んだか何かしたんじゃないかと考えて、笑い飛ばした。そうして、魔理沙も怪談というよりは笑い話として聞いたのだが。
「というわけでだ、今夜図書館に確かめに行こうぜ」
長い話を終えて、にかりと笑った魔理沙はベッドの上で胡坐をかいてそう言った。いたずらっぽいその表情は断られることなどまるで考えていないかのように、楽しげである。
机に座って、今日出されたばかりの宿題をこなしていたアリスは椅子ごしに振り返って、呆れの混じった嫌な顔をする。
「嫌よ」
「なんでだよ、気になるじゃんか」
「その手の怪談ってわりとどこの学校にもあるポピュラーなやつじゃない。眉つばよ、眉つば」
「それにしたってその原因が知りたいって思うだろ」
どうせ風か、妖精か、そのあたりに決まっている、とアリスは首を横に振る。ただでさえこんなに宿題が多いのだ、ぎりぎりまで放置しておくのが嫌いなアリスは出された日には済ませておきたいと思う。
「はあ……、第一、夜は外出禁止でしょ」
「そんなの気にしないぜ?」
「私は気にするの。っていうか、気にしなさいよ」
絶対行かないわ、という表情のアリスに、ちえ、とつまらなさそうに伸びをして、今度はパチュリーに話しかける。
すでに寝間着姿でベッドに入っていたパチュリーは、我関せずといった様子で本を読み続けていた。とはいえ、そう言う時も意外とちゃんと聞き耳を立てていることをそろそろアリスも魔理沙も学んでいる。
「なあ、パチュリーは行くだろ? 行くよな?」
「行かないわよね。パチュリー?」
ゆっくりとした動作でページをめくるパチュリーは、顔を上げないまま答える。
「行ってもいいわよ」
「ちょ、ちょっとパチュリー?」
ぱたん、と分厚い本の表紙を閉じて、パチュリーは魔理沙とアリスの方へと視線を向ける。まあ、なんとなく予想はしていたとはいえ、僅かな希望を絶たれ、思わず声をあげたアリスに、少しだけ口元をあげたささやかな笑みでもって、答える。
「ちょうど借りていた本が読み終わって退屈してたところだったのよ」
「おお、話が分かるじゃないか、パチュリー」
いえーい、と親指を立てる魔理沙に、パチュリーは寝間着を脱ぎはじめることで答える。
寄宿舎の規則で、自分の部屋にいる時以外は必ず制服を着用しなければいけないと決まっているのだ。流石に伝統があるだけあって、そういう細々としたルールは多い。
とはいえ、外出禁止のところを出かける時点でそのあたりを気にする必要もないような気がするが。
「前から禁書の棚の本も読んでみたかったのよ」
「私たちはまだあの区画入れないしな」
和気あいあいと、どう考えても不穏な会話をしている二人に向かって、アリスは言う。
自分に言い聞かせるように、少し張った声で言う。
「私は絶対、行かないわよ!」
「ああ、もう。ただでさえ最近先生たちの視線があれなのに。先輩たちに「あなたも大変ね」とか言われてるのに」
「だったら、ついてこなければよかったじゃないか」
「というか後の祭りよね」
回想を終えて、相変わらず机の下に隠れているアリスはぶつぶつと呟く。そんなアリスに、あっけらかんとした様子で魔理沙は言う。パチュリーはさらりと毒を吐く。
二人揃って今のこの状態もなにか楽しいと感じているらしく、その声は僅かに弾んでいる。その気持ちを理解しがたい、というわけでもないあたり、アリスもアリスなのだけれど。
「あんた達だけにしてたら、何やらかすか分からないじゃない」
「そうかしら?」
「素直に一緒に来たかったって言えばいいのに」
「別に一緒に来たかったわけじゃ……ないとは言わないけど」
「ま、とりあえず収穫はあったんだからいいじゃないか」
収穫ねえ、と魔理沙のポケットからはみ出しているメモ帳を眺めたアリスは困ったようにため息をつく。
確かにわくわくしている。おもしろいことが起こりそうだとも思う。けれどこれが本当にいいことかどうかは分からず。アリスは禁書の棚での出来事を思い返した。
パチュリーが着替え終えるのを待って、三人は部屋を出発した。螺旋階段を降りて一階へ、巡回している永琳に見つからないように食堂の隣をすり抜けて。玄関ホールを駆け抜けて寄宿舎を出た。
僅かに坂道になっている緑地の小道を十分ほど歩いていったところにある大図書館へ三人は無事に侵入した。
「へへ、来たぜ!」
「静かにしなさいよ。って、パチュリーもそこで本を読まないでよ」
真夜中の図書館は昼間とは違う顔を見せる。月明かりとわずかな光に照らされた暗い空間の中では、いつもは宝箱のように思える本棚が、やけに威圧的な恐ろしいもののように感じられた。
その雰囲気に思わずアリスは飲まれてしまいそうになる。けれど本当にこっそり忍び込んでいる自覚があるのかきょろきょろとあちこちを見回している魔理沙と、寸暇を惜しむように本を読みはじめるパチュリーはひたすらにマイペースで、怖がっている暇などないのだけれど。
この学園ではあちこちで妖精たちが警備員として働いている。
少々頭が弱いのが難点ではあるのだけれど、本人たちはかくれんぼのような遊びの一環だと思っているためか、侵入者に敏感に反応して、あっという間に捕まえるのだ。有能だ。小さな身体の妖精たちにとって学園の施設は絶好の遊び場。中でも光の三妖精と呼ばれる妖精たちは、これまで誰も見逃したことがないというほどの実績を持っている。
流石に光の三妖精は学園の中でも最も重要な場所に配置されているため、図書館にはいない。しかし、図書館を徘徊する妖精は、妖精の中でも特に強い力を持つ氷精チルノをリーダーとしているため、決して油断はできない。
侵入者がなくとも図書館の中を徘徊して遊びまわっているため、彼らに見つかるわけにはいかないのである。
そのためにも静かにしなければならない。足音を立てないために、アリスとパチュリーは浮かび上がる魔法を使う。教員相手なら、魔法を使うとその反応で見つかってしまうのだが、妖精相手は流石にそのスキルは持っていない。むしろごく普通の足音などの物音に気を使った方がいい。すっかり摩耗した赤い絨毯の上を革靴で歩くとこつこつと音がしてしまうから、要注意だ。
ここまでで何度も魔理沙につきあって侵入しているうちにそれを覚えてしまった自分が悲しい。
「魔理沙も飛べばいいのに」
「出来ないの、分かってて言ってるだろ、パチュリー」
「ええ」
今に見てろよ、と抜き足差し足で歩いている魔理沙がパチュリーを睨みつける。
元々、魔法を使う環境に育ったアリスやパチュリーと違い、魔理沙はこの学園に来てから魔法を学び始めた。見た目や行動に似合わず、努力家であるため、ひどい遅れをとることは少ないが、こうしてさりげないことでも『できない』ことが少なくない。
箒に乗って飛ぶことはできる。というよりもむしろクラスの中で右に出るものがいないほどうまい。だが、箒なしで飛ぶことはできないのである。
そうして、書架と書架の影に隠れるように、魔理沙のペースに合わせてゆっくりとやってきた禁書の棚。どんなに見上げても一番上が見えないような高い本棚だ。
何度か妖精に見つかりそうになりながらも、なんとか逃げ切ることができた。ここまでくればもう安心。妖精も危険な魔力に満ちたこの区域には近寄ろうとしない。
「さて、探すか。例の本とやらを」
ぐいっと伸びをした魔理沙は獰猛な笑みを浮かべる。そんな無鉄砲な様子を見て不意にアリスはにわかに心配になる。
こうしてやってきてしまったとはいえ、ここは下級生が立ち入り禁止となっている区域なのだ。なぜ、禁止されているのか。危険だからに決まっている。
少なくとも、遊び半分で手を出しては、やけどでは済まないかもしれない。
「あんまりうかつに触らないほうが……」
それに気のせいだろうか。本に込められた魔力の影響なのか、アリスはこの場所に来てから背筋が粟立つような感覚にとらわれたきりだ。
昔、子供のころ魔導書を誤って解呪してしまいひどい目にあった苦い記憶を思い出さないように蓋をして。今はただ、不快な感覚に自らの腕で身体を抱く。
「大丈夫よ、手の届く範囲には大したものはないから」
「え?」
「うかつに下級生が危険なものに触れないための配慮かしらね」
そんなアリスをちらりと一瞥したパチュリーはそう囁いて、ふわりと高いところまで浮かび上がる。どういう事情があるのか知らないが、パチュリーはごく普通の一年生とは思えないほどに魔法に精通している。こと本に関しては、上級生をも上回るのではないだろうか。
そんなパチュリーがそう言うのだから、とアリスは少しだけ安心する。
「でも油断はしないで」
「分かったわ」
「流石に私だってそれぐらい分かってるぜ」
そうして、三人で頷きあって、それぞれに物色を始める。例の泣き声とやらが聞こえるのを待つ。しかし、待てど暮らせどそんな泣き声は聞こえてこない。
「ほら、やっぱり気のせいだったのよ」
「むー、絶対なんかあると思ったんだがな」
「怪談なんてそんなもんよ。ほら、帰りましょ」
「ちぇ、はずれか」
別に怖かったというわけではないけれど、アリスはほっと胸を撫で下ろす。この変な感覚のする禁書の近くから離れることができそうだ、ということが大きいだろうか。
それとは反対に不満そうなのが魔理沙だ。つまらなさそうに唇を尖らせている。
しかし、引き際は心得ているのか、アリスに促されるままに踵を返す。再び妖精たちに見つからないように帰るのは骨が折れるな、と思いつつ。
「あら、そうでもないみたいよ」
「え?」
「どういうことだよ」
「ほら」
今まさに戻ろうとしたその時。少しだけ楽しそうな笑みを浮かべたパチュリーが言う。
不意打ちの言葉にアリスと魔理沙が、後を飛んでいたパチュリーに振り返ったその時。
「!」
――ぞくり、と。
アリスは先ほどまでとは比べ物にならないぐらい、背筋に寒気を感じた。長袖に隠れた腕には鳥肌が、暑いわけでもないのに脂汗が滲む。
同じように感じているのか、魔理沙も不安げに、けれど少し期待で興奮した瞳で、きょろきょろとあたりを見回している。パチュリーは二人よりは冷静に、借りていくと決めた本を胸に抱いたまま、気配を窺う。
そうして、聞こえてくるのはすすり泣きの声。頭の中に響いてくるようなかなりの不快感を伴う泣き声だ。
もし、あらかじめ聞かされていなければ、妖精に捕まることなど気にせずに、逃げだしたくなるような泣き声だ。
悲痛な響きのその声は、幼く。小さな女の子が怯えているようなそんな声だった。
「っしゃあ、どこだ」
「そっちの方みたいね」
泣き声の発生源を探して、三人は注意深く意識を集中させる。ここまで来たのだ、恐怖がないわけではないが好奇心はそれに勝る。危険だと分かっていても手を出してしまうのは魔法使いの性か。
「ここだわ」
思っていたよりも、はっきりしていた泣き声の在り処はすぐに見つけることができた。
禁書の棚の手前から三番目、下から二段目の段。鮮やかな臙脂色の表紙をした本から泣き声は聞こえてきた。
魔力が漏れ出ているのか、その本だけはうっすらと光を放っている。
「これか……?」
「待って、駄目」
その光に見入られたかのように、魔理沙はゆっくりとその本を取りだそうと手を差し伸べる。そんな魔理沙の手をパチュリーが珍しく機敏な動きで掴む。
「なんで?」
「見て分かりなさいよ、これは危ない」
「……そうかもしれないけどさ」
「対処するにももう少しいろいろ調べてからにしないと」
少なくとも、今何の支度もせずに手を出したらどうなるか分からない。
今日のところは書の名前を控える程度にしておくべき、というパチュリーの主張は渋々ながら、受け入れられた。
意外にも用意の良い魔理沙がその本のタイトルや装丁をメモしていく。
相変わらず、すすり泣きの声は響き続けているのだけれど、少しその謎を解き明かす手掛かりを得ることができた。それだけで、気持ちはずいぶんと軽くなる。
「それにしても一体なんで泣いているのかしら」
「禁書の中にはそういうもので擬態して、手にとった者を呪い殺すようなものもあるわね」
「さらっと怖いこと言わないで」
「ま、学校の図書館に置いてある本にそこまで凶暴なものがあるとも思えないけど」
魔理沙がメモを終えるのを待っている間、アリスとパチュリーは手持無沙汰に雑談をする。流石のパチュリーもこの泣き声の中で本を読むことはしないらしい。
何とはなしに、アリスは耳をすます。この泣き声の中に何かヒントが隠されていないかと考える。
悲しげなすすり泣きは、その声だけではなく。よく聞いてみれば、しゃくりあげる音や鼻をぐずぐずとすする音も聞こえる。
それに気がつくと、妙にそれが子供っぽく、俗っぽく思えてくるから不思議だ。恐怖がやや薄らぐ。
「あ、あれ?」
そうして気がつく。その泣き声が訴える言葉。涙交じりで不明瞭。
ほとんど何を言っているのか分からないぐらいだけれど、一旦気がつくともうそうとしか聞こえない。
「アリス?」
「どうかしたかしら?」
アリスの異変に気がついたパチュリーが、メモを取り終えた魔理沙が、揃ってアリスの方を向く。そんな二人にアリスは、自分でも信じられないような気持ちで、呆然と呟く。
「この本、助けてって言ってる――」
そうして、魔理沙もパチュリーも確かにそう言っていると判断した。けれど、だからと言って、取るべき手段がないのは変わらない。
予定通り、禁書の棚を出て、寄宿舎へ帰る道のりの途中。気が緩んだのか、運が悪かったのか、妖精たちに気付かれてしまった。捕まらないように、逃げて逃げて。ようやくこの机の下に逃げ込んだのが十分前のことだ。
「で、どうするよ」
幸いにしてまだ姿を見られたというわけではない。なんとか誤魔化して逃げ切ることもできるかもしれないが、この寿司詰め状態では、浮かぶ考えも浮かばない。
「パチュリー、あなた精霊魔法の使い手だったわよね? 何か」
「何をしても図書館の中じゃ目立つもの。逃げられても騒ぎになるだけよ」
膝の間に蹲っているパチュリーの顔をアリスは見ることができないが、相変わらずしれっとした表情をしているに違いない。
まあ、確かに言っていることはもっともである。
「魔理沙……はダメよね」
「まあ、流石にここで花火をぶちかますのもどうかと思うぜ」
「そうよねえ……」
魔理沙のキノコを使った魔法は火力こそ強いものの、まだ汎用性は低い。パチュリーのそれと同じように騒ぎになってしまうだろうし、第一、こんな魔法を使うのは魔理沙だけだ。翌日になればばれてしまう。
いつもはあまりそういうことを気にしない魔理沙も、アリスの説得により、これから、あの本について調べようという時に、下手に目立つのは得策でないと納得している。
「アリスはなにかないか?」
「……」
あるには、ある。
この学校に来てから学んだ魔法では、無理かもしれない。けれど、アリスが昔から使い慣れている人形を操る魔法ならば。
しかし、この学園の中にいる時は、それを使わない。そうアリスは決めている。
だから、仲の良い魔理沙とパチュリーにもそれを言ったことはない。
「え、ええと」
アリスの実家は人形遣いの一族。この学園よりもはるか西の地方では、知らぬ者などいないというほどの名門である。当然、アリスも子供のころから人形遣いとして、修行を重ねてきた。
元々才能があったのか、この年にして、人形遣いとしてはある一つの極みへと達している。そこで、新たな目標として掲げたのが、自律人形の作成だ。
そんなに大した野望があるわけではない。ただ、作ってみたかった、それだけなのだけれど。
だが、『操る』ことと『作り出す』ことは大きく異なっている。実家では、それに必要なだけの資料も技術もなかった。
そのための魔法技術を身につけるためにわざわざこの学校にやってきたのである。
「アリス?」
故郷を遠く離れた見知らぬ土地。頼りになるのは自分だけ。
表向きは何でもないようなふりをしていたけれど、本当はとても怖かった。
そんな時。本気を出さないこと、億の手を隠しておくことで、折れてしまいそうな心を支えた。自尊心を守り、余裕を持つためのアドバンテージ。
だから、アリスは人形遣いとしての自分を秘している。
もしもの時のため、というか使わないとしても、自分とほとんど一体の存在である上海人形や蓬莱人形を置き去りにしてしまうなんてできずに連れてきたけれど、使う気はない。手持ちのカードをすべて明かしておくなんて、危険なことをしないだけの分別はある。
けれど、今がそのもしもの時なのではないか。しかし、こんなところでとっておきを見せて手の内を晒してしまっていいものか。
人形の術を見せてしまえば、本気を見せてしまえば、もう後がないのだから。
そうなってしまえば、まるで丸裸にされたような心細い気持ちになる。それは怖い。
ああ、でも。
黙りこんでしまったアリスを見て、返事は否だと判断したのか、魔理沙がやれやれというように首を横に振る。パチュリーもふん、と鼻を鳴らす。
「やっぱないよな」
「しかたない。別の手段を考えましょう」
「それしかないか」
そんな二人に、罪悪感と、これでよかったんだ、という気持ちの両方で胸が痛む。
幸いにして、この机の下は暗いから、表情を見られなくて済む。
「さーあ、出てきなさい? ぜーったい逃がさないわよ!」
幼く甲高い声が図書館に響き渡る。三人を探す妖精の声。
やや舌ったらずなその声の主は、三人がここに隠れているのに気がついていないのか、子供っぽく声を張り上げる。何せ、妖精だ、それも自然なことなのだけれど。
「あたいは最強なのよ、あっというまに見つけちゃうんだから!」
最強、のワードから、三人はここにいるのがチルノであることを悟る。
おバカなことで定評のある彼女だが、妖精というくくりの中で見れば、必ずしもそうであるとは言えない。ある意味他の妖精が来たときよりも厄介であるといえるかもしれない。
「ちょっと、どうするのよ」
「ちくしょう、妖精如きにこんなにビビらされるなんて」
「そんなこと悔しがってるような場合でもないでしょうに」
そんな風な益体もない言いあいをしながら、息を潜める。今気づかれずにチルノがどこかに行ってしまえば、逃げられる。幸いにして、この机の後ろは大きな窓になっている。行儀は悪いけれど、忍び込んでおいて今更そんなことを言っても仕方がない。
どうにかチルノの気をそらすことができないか。
そんなことを強く心に思い描いたその時だった。
がしゃん。
あたり一面に響き渡るガラスの割れる音。真夜中のこの緊迫した状況ではやけに響いて聞こえる。その音源はアリス達がいる方から反対の場所にある窓。
「そこにいたのね!」
チルノは嬉しそうな声をあげると一目散にそちらへと飛んでいく。
何が起こったのか分からない三人は少しだけ面くらい、しかし、それでもこのチャンスを逃すわけにはいかない。
「逃げよう!」
窓を開けて、アリスとパチュリーは魔法で飛び、魔理沙は全力で走り。
どうにかこうにか、誰にも見つかることなく部屋に戻ることができたのだった。
「あー、楽しかった」
部屋に帰ってくるなり、魔理沙は楽しそうに笑ってベッドにダイブする。靴を履いたまま、制服を着たままだ。普段ならば、アリスはそれをたしなめるのだけれど、すっかり緊張で疲れ切ってしまったせいか、口を開く気にもなれず、自らのベッドに座り込む。
ちゃっかりと本を借りてきていたパチュリーは、すぐに本の表紙を開く。
「楽しかったじゃないわよ、もー」
「やー、楽しかっただろ?」
「楽しかったかもしれないけど、それ以上に疲れたわ」
深いため息をつくアリスに、魔理沙は声をあげて笑う。寝転がったまま、ブレザーを脱ぎ、ネクタイを外し、ブラウスのボタンを外していく。
それを呆れ混じりのまなざしで眺めながら、アリスもさっさと寝間着に着替えることにする。こういう時は眠ってしまうのが一番だ。
「明日からは忙しくなるな」
「そうね」
魔理沙のしみじみとした一言に、パチュリーがそっけなく答える。
確かにやらなければならないことはたくさんある。
魔導書の正体を調べること、その処遇をどうするのか考えること。言葉にしてしまえばそれだけのことなのだけれど、実際にやるとなればそうはいかない。
たくさんの書物を調べなければならないだろうし、また、場合によってはあちこちへの聞きこみも必要になる。
本来ならば、ああいうイレギュラーを起こしている本については教師か司書か、誰かに報告しなければならない。けれど、三人ともそんな気はさらさらないのである。自分達の力で解き明かそうと考えている。
もっとも、報告するには今日の規則破りについて話さなければならないので、不可能なのだけれど。
「それにしてもラッキーだったな」
「そういえば、あれはなんだったのかしらね」
狙いすましたようなタイミングで割れた図書館の窓。まるで三人を逃がそうとするかのような。偶然で済ませるには少し気になる。
考えたところで答えは出ないのだけれど。
「それじゃ、寝ましょうか」
「そうだなー」
「おやすみなさい」
やがて、言葉少なに寝支度を済ませた三人は、部屋の照明を消して、それぞれベッドへと入る。
けれど、アリスは身体の疲れとは裏腹に、なかなか寝付くことができなかった。
浅い眠りの中で、ただ、たすけて、と啜り泣く声がいつまでもいつまでも耳の奥に響き続けていた。
「事件の匂いがしますね」
そう言って、文はメモをとっていた手を休めて、にや、と獲物を見つけた猛禽類を思わせる笑顔で、微笑んだ。
寄宿舎の談話室のなかでも一番奥の席。飾られている観葉植物に区切られて他の席からは何をしているのか見えないことに特徴がある席に霊夢、文、早苗、そしてアリスと魔理沙の五人が集まっている。
あの図書館での一件から、一週間。ここのところずっと何かに心を奪われているアリスと魔理沙、パチュリーに不信を感じた文に事件の香りを嗅ぎつけられ、夕食時にそれを問い詰められたのである。
けれど、図書館に忍び込んだ、などという話を人前でするのは憚られ、内緒話をするのならばこの席、と言われるここに移動してきた。
そうして始まった内緒話。秘密の告白。
興奮して勢いよく語る魔理沙と、時折その説明の中で不足している点をアリスが冷静に補足して。そうして、話し終えたあと、文は開口一番、そう言ったのだった。
「いいなあ、ロマンですねぇ。図書館に響く助けを求める声、その謎に立ち向かう一年生、まるでファンタジー小説みたい。いいなあ」
「あんたね……、魔法学校来ておいてファンタジー小説みたいっておかしいでしょ」
胸元で手を組んで、夢でも見ているかのように、うっとりした様子の早苗に、霊夢は興味無さげにクッキーを齧りながら突っ込みを入れる。
三者三様のその反応に苦笑して、人差し指で頬をかいているアリスは、困ったように口を開く。
「ま、今のところ、あんまり収穫はないんだけどね」
一昨年赴任してきたばかりだという館長の阿求にそれとなく聞いてみたのだが、彼女は名目上館長という役割を担っているけれど、本当の仕事は学園の歴史を記録することなのである。魔力を持たない彼女は当然の如く、禁書の区画に立ち入ることはできない。
「やや、それじゃあ、誰が図書館の管理を?」
「司書をやってる小悪魔たちね」
学部長であるレミリアの私的な従僕である力の弱い小悪魔たちは、図書館に長いこと住みついており、この学園の誰よりも図書館に精通している。いたずらな性格の彼女たちは、レミリアを除けば、歴代の館長の言うことしか聞かない。そのため、仕事以外の案件で彼女たちに話を聞こうとしても、嘘をつかれるか悪戯をされるかのどちらかだ。
今回の一件でも、それは変わらず。聞きに行った魔理沙は頭の上にチョークをたっぷりしみこませた黒板消しを頭に乗せられて、ひどい目にあった。
「なんとか蔵書目録は借りることができたんだけどさ」
「かなりアバウトな編集で、年代もアルファベットも全部ごちゃまぜになっちゃってるのよ」
魔理沙がチョークで真っ白になった話を聞いて、笑う早苗や霊夢をむっとして睨みながら、魔理沙は口を尖らせる。その言葉をついで語るアリスは心底疲れたというように大きく息を吐き出した。
きっと何かしらの法則でまとめられているのね、とパチュリーはそういうが、それを知らない三人からしてみれば、ただのランダムな並びにしか見えない。何億という本のタイトルの中からたったひとつを探し出すのは骨が折れる。
ちなみにそのパチュリーはここのところ、すっかり夢中になってしまい、まるで取りつかれたかのように寝食も削って、調べ物に励んでいる。今日も、食事も会話もそこそこに、さっさと部屋に戻っていってしまった。
なぜか、彼女らしいと思ってしまうのだけれど、身体を壊さないか、アリスは少し心配になる。
「私たちもそっちの学部ならお手伝いできるんですけどねー」
「非常に遺憾ですが、専門外です」
暗澹たる雰囲気を漂わせている二人に、苦笑した早苗と、自ら調査に乗り出したそうな文が悔しげに言う。
魔法という意味では全く同じようなことにも見えるが、二つの学部の間の壁は厚い。
そもそも術式が全く違うため、完全に学ぶ内容は分断されている。自分の所属している学部の施設以外に入ることは固く禁じられているし、この寮以外では顔を合わせることもない。
そして、図書館は魔理沙達の学部の施設であり、勉強に扱っている文字そのものが異なっているため、流石の文も早苗も図書館に行く勇気はないし、目録をチェックする手伝いもできない。
「私はいい加減諦めてもいいと思うんだけどね」
「諦めるなよ、アリス!」
「そうですよ、もったいない。是非、その謎を解き明かして私に独占取材をさせて下さいよ」
弱気というか、消極的な発言に魔理沙はむきになって、文は私情交じりの真顔で反論する。そこまで本気で反応されるとは思っていなかったアリスとしては、驚くしかない。
もちろん、そう簡単に諦めるつもりはない。けれど、あの時、図書館で感じた嫌な気配を思うと、これ以上足を踏み入れていいものか、不安になるのである。
自分たちの手に余るのではないか。何か悪いことが起きるのではないか。
漠然とした不安は止まらない。
「まー、別にそんなに心配することないんじゃない?」
そんなアリスの心を見透かしたように、先ほどまでずっと黙っていた霊夢が呟いた。細い棒状のお菓子をぽりっ、と食べて、すべてを見透かしてしまいそうなあの神秘的な瞳で、アリスの顔を覗き込んでいる。
「え?」
「なんかこう悪いことは起きないと思うわよ。勘だけど」
「勘?」
当たり前のことを言うように霊夢は言う。他の二人とは違う興味のなさげな、そっけない言い方だけれど、妙な説得力があって、アリスは身じろぎをする。
「出た出た、霊夢の勘が」
「なぜか、当たるのよね。羨ましい」
そんな霊夢の言葉を聞いて、魔理沙と早苗が苦笑する。
昔から、霊夢が勘という発言は実現するのだ。それを知らないアリスがきょとんとしていると、魔理沙は楽しそうに言葉を続ける。
「この学校の受験の時もそうだったんだぜ」
この学園にやってくる多くの生徒とは異なり、商家の娘だった魔理沙はこれまでほとんど魔法と縁のない生活を送ってきた。当然、受験勉強に関しても、頼れる人はおらず、唯一幼馴染の霊夢も学部が違うため、頼りにはできなかった。
流石に独学で学ぶのに限界を感じていた魔理沙は試験があまりうまくいかず、落ち込んでいたのだという。
そんな魔理沙に霊夢がかけた言葉が、「多分、あんた受かってるわよ。勘だけど」。今と同じようにそっけない言い方で。
「他にもいろいろな逸話があるんだぜ」
「なんで、あんたが威張るのよ」
胸を張って自信満々に語る魔理沙の頭を霊夢は半眼ではたく。
魔理沙がなにするんだよ、と食ってかかれば、ひらりと笑いながらそれから逃げる。幼馴染らしく仲の良い姿にアリスも、文も早苗も笑ってしまう。
不安が消えたわけではないけれど、確かに霊夢の言葉にはなにがしかの力を感じた。
友人たちがふざけあう姿を見ながら、アリスは弱気な自分を断ち切るように、そっと笑みを浮かべたのだった。
「魔理沙、どこに行ったかと思ったじゃない」
夜。文たちに話してから三日ほど経った後のことだ。
門限を過ぎても戻ってこない魔理沙を探していたアリスは寄宿舎の裏手に広がる広場で、ようやくその姿を見つけることができた。
ここのところは図書館の本の件で毎日、部屋に詰めっぱなしだったため、門限破りの常習犯である魔理沙も、ティーパーティーに出かけることも、好奇心に駆られて出かけて行ってしまうことはなかった。
だが、難航する調べ物に、少し気分を変えようと、今日はそれを休むことに決めた。気持ちを切り替えることで、新たな発想が生まれることもままある。というのも、根を詰めすぎたパチュリーがひどい顔色をしていたからなのだけれど。
そうして、休みにしたとたんに、魔理沙が帰ってこないのだ。まさか、また禁書の区画に向かったのではないか、とにわかに心配になったアリスは永琳の目に触れないように気をつけながら、外に出てきたのである。
思ったよりも近くにいた魔理沙に内心安堵しながら、アリスは駆け寄る。
「魔理沙?」
アリスの呼びかけにも答えない魔理沙は、その場でただ、立ったまま。
よくよく見てみれば、その足元がほのかに青白く光り放っている。
ろうそくに照らされた雪のようなささやかな光の玉がふわり、ふわり、と増えていく。
随分と集中している様子で瞳を閉じている魔理沙は、普段のやんちゃさを感じさせず、天使かなにかのような神々しさすら感じさせる。
夜の暗闇の中で、その光景はひどく幻想的に見えて、アリスは言葉を失ってしまう。
「くそー、また失敗か」
けれど、そんな光景もほんの一瞬。すぐに光は消えていき、瞳をひらいた魔理沙は悔しげな声で悪態をつく。
そんな魔理沙にアリスは遠慮がちに声をかける。
「魔理沙」
「って、アリス? どうしてこんなところに」
突然名前を呼ばれ、身体をびくん、と竦ませた魔理沙は振り返り、気まずそうな表情で髪を掻き毟る。僅かに頬を紅潮させて、まるでいたずらを見とがめられた子供を思わせる。
アリスよりも頭半分低い身長な上、顔を俯かせているせいもあるだろうが、いつもは輝くようにパワーあふれる存在感の魔理沙が、やけに小さく見えた。
「なかなか帰ってこないから……」
こんなに驚かれると思っていなかったアリスも、どうしていいか分からずに困ってしまう。もしかしたら、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。
そういえば、魔理沙が門限を破って遅くに帰って来た時、そのうちの半分はどこどこの噂話を確かめに行って来たとか、誰誰のところでティーパーティーに参加してきた、とか理由を面白おかしく語っていたのだが。残りの半分に関しては、言葉を濁すだけで答えてくれはしなかった。
その時はどうせまた、ろくでもないことに首を突っ込んでいるんだろう、と思っていたのだが。
「見たか?」
「……ええ」
ぼそり、と聞こえるか聞こえないかといった微かな音量、いつもよりも低い声で一言魔理沙は問いかけてくる。アリスはそれに頷くことで肯定の意を示す。
先ほど、魔理沙が使おうとしていた魔法。それはアリスやパチュリーもよく使うものであったので、見ただけで何の魔法か分かってしまった。
それは空を飛ぶ魔法。宙に浮かぶ魔法。
まだ箒がなければ飛ぶことができない魔理沙には使えない魔法であったはずだ。
どちらかと言えば察しの良いアリスはここまでの情報で、魔理沙が今、いや、いつもここで何をしていたかについてしまう。
「あーあ、ばれちゃったなら仕方ないよな」
赤い顔をしたまま、ぐいっと伸びをした魔理沙は、気恥ずかしさを振り払うように一度首を大きく横に振る。そして、アリスの方をまっすぐ見つめて、いたずらっぽく微笑んだ。
芝生になっている地面にぺたんと座り込むと、横のスペースをぺしぺしと叩いて、アリスにも座るように促してくる。
ああ、制服が汚れてしまう、と思いながらも、急に出てきたせいでハンカチも持っていない。一瞬、悩んだものの、諦めて。アリスは魔理沙の隣に腰を降ろす。
訪れるのはしばしの沈黙。お互いに何も言わずにただ、膝を抱える。
そうして、不意に魔理沙が呟く。
「……この間さ」
「え?」
「図書館に行った時、チルノ達に見つかっただろ? あれは多分、私の足音のせいだと思うんだ」
「そんなこと……」
「あの時、私が飛べてたら、見つからないでさっさと逃げられたかもしれない。それに、あんなにたくさん面白そうな本があったのに、飛べない私じゃ、手が届かないようになってる」
どこか悔しそうな、拗ねたような。それでいて吹っ切ったような色を帯びた声で、魔理沙は語る。アリスの方は見ないで、星も見えない曇った夜空を見上げながら。
そんな魔理沙の横顔を横目に、アリスはただ耳を傾ける。
「できないせいで、やれることが少なくなるなんてつまんないじゃないか。悔しいじゃないか。おもしろそうなことがあるのに、それに手が届かないなんて」
「……」
「同じ学年だって言っても、アリスやパチュリー程の力はない。まだ、私にはできないことばっかりだ」
はは、とらしくもなく自嘲するような笑みを浮かべた魔理沙は、しかし、すぐに瞳を凶暴に輝かせて、挑戦的な表情で笑うのだ。
「でも私は全部できるようになってみせる」
「え?」
「そのためにも、とりあえず、まず飛べるようになろうと思ってさ」
「魔理沙……」
「せっかくだから突然飛べるようになって、驚かそうとこっそり練習してたのに」
そういって、冗談めかして唇を尖らせる。これでいいだろ? と視線で訴えてくる魔理沙にアリスは思わず微笑んだ。やけにポジティブで、素直なようで素直ではない言い方がいかにも魔理沙らしいせいだ。
「私はもっと魔法を使えるようになりたい。ゆくゆくは大魔法使いと呼ばれてみせるぜ」
「ええ」
「その為に努力を惜しむつもりはない」
普段の勉強に対する姿勢から、魔理沙が努力家であることは何となく察している。
こんなに規則を破ったり、好き勝手しているくせに、授業は誰よりも真面目にノートをとっている。復習なんか、信じられないほど丁寧にやっているのだ。
あまり、魔法使いとしての才能にあふれているというわけでもないのに、成績の要件の厳しい奨学生でいられるのは、その努力あってこそだ。
それはきっと。
これまでもこうして、夜、一人で部屋を抜け出して、練習や勉強をしていたからなのだろう。
「そうしないと、ここまで来た意味がないからな」
そう言って魔理沙はにっ、と笑う。
詳しいことはアリスもよく知っているわけではないが、魔理沙の実家は魔理沙が魔法使いになることを反対していたらしい。その反対を押し切って、というより、そこから家出をして、ほとんど強引にこの学園に入学してきたのだという。
本当の本当に最初のところを除けば、すべて独学の我流で、入学することができるまでの力を身につけた。それゆえに、まだまだ追い付けないところもあるのだけれど。
それでも、決して諦めない。魔理沙の魔法使いになることに対する熱意。
見ていて眩しいほどに。あまり近づきすぎると火傷をしてしまいそうな気さえする。
ほう、と何を言えばいいのか分からないまま、曇った夜空を見つめ続けるアリスに、魔理沙は微かに顔を赤くして語りかける。
「あのさ、アリス」
「何?」
「このことは、誰にも言わないでくれよ」
頼む、と顔の前で魔理沙は手を合わせる。こんなの、ばれたらかっこ悪いじゃんか、といいかっこしいの魔理沙らしいことを言う。
少し楽しくなったアリスは、肩を竦めていたずらに笑う。
「さあ、どうしようかしらね」
「なっ、ちょっ待て、アリス! 頼むからさ!」
「ふふー」
もちろん言うつもりはない。ここで見たことは忘れるつもりでさえいる。
けれど今は、こうしてむきになって言い募る魔理沙とふざけあっていたかった。
「あら、こんな時間にどうしたの? 生徒はもう出歩いてはいけない時間でしょう?」
まだしばらく練習してから戻る、という魔理沙を残して、薄暗い廊下を歩いて部屋へと帰る途中、不意に大人びたような、それでいて幼いような不思議な声がアリスに話しかけてくる。
振り返ったアリスが見たのは、背中を覆うほど長い黒髪に白磁の肌をした少女。闇夜に輝く満月のように、薄暗い廊下でもひっそりと存在感のある美しいその少女のことをアリスは知っている。
「輝夜」
「ふふ、大丈夫よ。永琳には言わないでおいてあげる」
しー、というように人差し指を口元に立てて、輝夜は艶やかに微笑む。
年齢も職業も何もかも知られていない彼女は、寮母である永琳と共に暮らしているのだという。明らかに職員ではないし、何をしているふうでもないのに、ごく自然にこの学園に存在している。神出鬼没で、いつどこから現れるかさえ定かでなく、現れたら現れたでよく分からないことを言って去っていく。
誰もがその存在を知っているのに、誰もが彼女の正体を知らない。
その美貌や独特のペースに誰もがかき乱されてしまう。そんなところから、得体が知れなくて気味が悪い、というのが大方の評価だった。
「でも、あんまりおいたしちゃだめよ?」
「そ、そんなこと」
「あの時も危なかったものね。私が窓を割らなかったらどうなっていたことやら」
まさに白魚のような、と表現するにふさわしい輝夜のきれいな指先がそっとアリスの頬に触れる。そのアリスは緊張で身体が強張っていくのを感じた。
あの時。図書館でチルノから逃げる時。ガラスを割ったのは輝夜だった?
なぜ彼女がそんなことを。気づかれていたのか。
どうして、なんで。
耳元で囁かれた言葉を理解すると同時に頭の中を情報が駆け巡り、アリスは混乱してしまう。口を動かすことも出来ず、瞳を見開いて、輝夜を凝視する。
そんな有様を見て、服の袖で口元を隠しながら、くすくす、と心から楽しそうに笑う。
「そんなに驚かないで、アリス。お友達でしょう?」
「え、ええ」
「ふふ、そうね。“あなた”とはまだそんなに親しくないものね」
「輝夜……?」
「幻視力の強いあなたなら、少しだけ気付いてもいるんじゃないかと思ったけど……。なかなかうまくいかないものだわ」
そう呟いた輝夜の表情が一度陰りを帯びて、アリスは戸惑う。声にも切なげな色が混ざっている。いつも浮世離れして楽しそうな彼女らしくない姿を、アリスはなぜか知っているような気がした。
「あなた達三人がこんなに、何か一つのことに夢中になってしまうのは、やっぱり本当の魔法使いだからなのかしら」
「え?」
「それにしても、どこにいてもあなた達は仲が良いのね」
「ちょっと、何を言ってるの?」
そんな寂しげな様子もつかの間のこと。いつものようにわけの分からない言葉を囁く輝夜はアリスをからかうような色を瞳に宿している。
やっとのことで、アリスがかすれた声で聞いた一言に、くすっ、と笑って、踵を返した。
「前の世界での話よ、アリス」
「ちょっと、それってどういう……」
「ああ、もうすぐ永琳がこの階の巡回をする時間よ。急いで部屋に戻った方がいいわ」
「輝夜!」
アリスの追及に応えることなく、現れた時と同じように輝夜は音もなく歩き去っていく。
そんなことはないはずなのだけれど、まるで闇に溶けてしまったかのように、その後ろ姿は見えなくなる。
「なんなの……?」
一人、廊下にとり残されたアリスは、訝しみながら。しかし、永琳が来るという言葉は信憑性が高い。そう判断して、自室へと向かう足を早める。
やはり、輝夜のことが苦手だ、と思いながら、どうにか三十三号室の扉の前まで辿りつく。かすかにノックをして、返事を待つ。こんな時でも、育ちの良いアリスは行儀作法を忘れることはない。夜とはいえ、未だ十時を少し回ったところだ、ただでさえ宵っ張りのパチュリーだ。普通に起きているだろう、と思っていたのだけれど。
「パチュリー?」
いつまで待っても返事がない。こんこん、といつもより少し強めにドアを叩いてみても、一言も返事は帰ってこない。
もう寝てしまったのか、と、ちょっとした不安を押し殺して、アリスはゆっくりとドアを開く。
「パチュリーっ!」
ドアを開けた先には、ベッドに縋りつくようにして床に座り込み、苦しげな呼吸を繰り返しているパチュリーの姿があったのだった。
「はあ……」
ベッドでただひたすら眠っているパチュリーの寝顔を眺めながら、アリスはため息をついた。それは何事もなくてよかったという安堵と、連れていかれてしまった魔理沙に対する心配の入り混じった、一言で言うならば疲れたなあ、というため息。
倒れているパチュリーに焦ったアリスは、ドアを開けたまま、どうしていいか途方に暮れていた。そんなとき、ちょうど見回りをしていた永琳が通りかかり、助けを求めたのだった。
医療に携わった経験があるという永琳の対応は迅速で、すぐに問題は解決した。アリス一人ではどうにもならなかっただろうから、とてもありがたかったのだが。しかし、それと同時に魔理沙が出かけてしまっているということもばれてしまった。
パチュリーの処置を終えた永琳は、戻ってきた魔理沙を連れて、説教部屋へと行ってしまったのだった。もともと常習犯の魔理沙をどうにかして捕まえようとしていただけあって、その瞳にはサディスティックな光が宿っていたような気がする。
誰が悪いわけでもない。ただの偶然。
魔理沙については、自業自得な部分も多分にあるから仕方がないのだけれど。
心配は心配なのである。
「あんまり心配させないでよ」
眼前に青い顔をして横たわっているパチュリーのことも、心配だった。
喘息持ちで、貧血体質。それに加えて、不摂生な生活態度、と不健康なのは十分に承知していたのだけれど、こんなふうに倒れてしまうのは初めて見た。
永琳曰く、疲れが溜まっているだけだから、心配はいらない。ということで、少しはほっとしたのだが。
「本当に驚いたんだから」
すっかり温くなってしまった額のタオルを再びたらいで冷やしてから乗せ直す。聞いていないのは分かっているが、ついつい言わずにはいられない。
いつも騒がしい魔理沙や本を読みながらも皮肉を言うパチュリーと。そんな生活が足り前のようになってしまったのか、こんなにも静かな部屋が落ち着かなくて仕方がない。
「いい加減にしてよ、意地っぱり」
魔法の研究のような分野では、いつでもマイペースにふるまうパチュリーは、人の目どころか、自分のことすら気にしない。ブレーキの壊れた暴走機関車のように燃料切れか、壁にぶち当たるまで、まるで止まることなくどこまでも突き進んでいってしまう。もっとも、その方向が間違っていることも少なくないのだが。
本人はそれでいいのかもしれないが、周りでそれを眺めているアリスとしては、心配でしかたがない。いつか、壊れてしまうのではないか、と思う。
今回だって、そうだ。
ただでさえ、作業速度の速さもあるのだろうが、一人で、アリスや魔理沙の何倍も作業をこなしてしまっていたのだ、パチュリーは。
そして、今日も。せっかく、休みにしようと決めたのに、結局アリスがいなくなってしまった後もずっと調べ物を続けていたらしい。倒れているその手には目録が、床には何枚もの資料が散らばっていた。
魔法使いとして、その姿勢は間違っていないのだろうけれど。
「……もう」
それでも。こんな風にどこにもブレーキをかけることなく、一つの目標に進んでいくことができる姿勢はアリスにはないもので、それが少し眩しい。
それが悪いことだとは思っていないけれど、アリスは何か一つのことに全力で打ち込むことができない。どこかに余力を残しておくし、駄目だと思えばその時点でいったん退くようにしている。
それは、本気を出すことで、あとがなくなってしまうのが怖いから。
幸いにして、何事にも器用なアリスは、これまでそれですべてうまくいっていた。それでいいと思っている。
けれど。本当にそれでいいのか。
方向性の違いはあれど、本気を出すことを厭わない魔理沙やパチュリーを見ていると、そんな疑問が首をもたげてくる。
どうしていいのか分からなくなって。不安。おそれ。
最近、少しだけ気持ちの揺らいだアリスは、そんなことをたまに考えてしまう。
はあ、とため息まじりにアリスが呟くと、不意に、かすれた弱々しい声が上がる。
「ちょっと、黙って聞いてれば、ひどいじゃない……」
「パチュリー、起きたの?」
「少し前からね」
だるそうに、けれどしっかりした表情でパチュリーがアリスを見上げていた。起き上がる気は全くないのか、ふう、と大きくため息をついて、天井を見上げている。
そうして、少しばかり決まりが悪そうにふい、とアリスの方から目をそらす。
「世話、かけたわね」
「本当にね。もう、あんまり無茶しないでよ」
「まだいけると思ったんだけど」
「というか、残りの体力を計算に入れてちょうだい、頼むから」
「そうね、アリスが泣いちゃうものね」
「泣いてないわよ」
もともと細い声をさらに細くして囁くパチュリーに、安堵したアリスは呆れ混じりに微笑みかける。具合が悪そうではあるけれど、いつものとおりのちょっと意地悪な物言いをされて、アリスは顔が熱くなるのを感じた。
確かに泣いてはいない、少し驚いて涙目になりかけてしまったけれど。だって、仕方がないではないか。あんな光景をみたら、誰だって動揺する。多分。
そんなアリスの様子を見て、パチュリーは意地悪に笑っている。それもいつも通りなのだが、安心した半面、少し心配したことを後悔したくなった。
「未熟者ね」
「なんでそういうこというかな」
パチュリーが笑いを含んだ声で囁き、細い指先を伸ばしてアリスの頬を撫ぜる。熱を持ったその手を捕まえて、アリスは呆れと安堵を交えて微笑む。
そうすれば、お互いになんだかおかしくなってきて、しばらくくすくす、と笑い続けた。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかないので。
まるで世間話かなにかのように、少しだけ声をひそめて、状況を報告することにする。
「……それで、いきなり悪い知らせを伝えるのもあれなんだけど。伝えないわけにはいかないから」
「魔理沙が連れていかれたこと?」
「覚えてるの?」
「一応。ぼんやりとだけどね」
それならば、話は早いとばかりに、アリスは頷いて概略を説明する。それを聞いてふむふむ、と頷いていたパチュリーは、困ったことになったとばかりに顔をしかめる。
「厄介ね。せっかくこっちが何とかなりそうだって言うのに」
「え?」
「多分、魔理沙はしばらく……一週間ぐらいかしら。外出禁止になるでしょう?」
「そうね、今までの人たちの話を聞いてると、大体そんなものじゃないかしら」
門限破りの罰則は基本的には厳重注意で済むのだが、常習化している生徒にはペナルティとして外出禁止が申しつけられる。部屋に結界を張って、その生徒が部屋を出られないようにする罰。緊急の用件以外では、部屋を出ることが決して叶わなくなってしまう。当然、授業にも参加することができないため、さまざまな点で厄介な罰だ。
「一週間ももつかしら、あの魔導書」
「……って、パチュリー、それって!」
やれやれ、というようにため息をついたパチュリーに、アリスは声をあげる。
その反応に満足した様子のパチュリーは、額のタオルを手にとって、ゆっくりと身体を起こす。途中で、しんどそうに顔を歪めたものの、アリスが慌てて、それを支え、クッションを背中に差し入れて、ひと心地つくことができた。
そうして、ふ、と自信ありげに笑ったパチュリーはアリスに告げる。
「分かったわよ、あの本の正体が」
「あの、アリス?」
教室の一番後ろから二番目の列、左端の席。三人掛けの席の真ん中に座って、ぼんやりとしているアリスの肩が叩かれる。遠慮がちな言葉と共にそこに立っていたのは、クラスメイトの河城にとりだった。
魔理沙と仲の良いにとりとは、アリスもそのつながりで友達となった。アリスは自律人形、にとりは機械と種類は違うものの、何かを作り出すことを目標としている、という点で共通点を持つ二人はそれなりに仲が良い方に分類されるだろう。
同い年にしてはやや幼い顔を、困ったように変化させて、遠慮勝ちににとりは問う。
「魔理沙と、パチュリー、休みみたいだけど、何かあったの?」
えーと、とぽりぽりと頬をかいているにとりはちらり、とアリスの両隣の席を見やる。当然そこは空席。一応、席は自由ということになっているのだけれど、入学して三カ月も経てば、暗黙の了解で座る席が決まってくる。
アリス、魔理沙、パチュリーは専門分野がそれぞれ異なっているため、実技では同じ授業を受けるということは少ないのだけれど、理論や歴史などを学ぶ座学ではいつも一緒に授業を受けている。
「魔理沙は外出禁止、パチュリーは体調不良でね。おかげで三人分ノートを取らなきゃいけなくって大変よ」
「ありゃ、ついに魔理沙、捕まっちゃったんだ」
大げさに冗談めかして肩を竦めてみせるアリスに、にとりは意外そうな顔で答える。
まるで信じられない、というように、まんまるな目をさらに丸くしたその表情は、にとりの童顔をより幼く見せている。
そういえば、朝食時にいつも通り霊夢たちと食事をした時も、早苗や文が同じように驚いたのをアリスはよく覚えている。霊夢はにやにやしていたのだけれど。
「なんとなく、だけどさ。魔理沙は捕まらないような気がしてたんだけどな」
「すばしっこいし、逃げ脚も早いものね」
「ま、それもあるけど。なんていうか、魔理沙じゃん」
捕まってしまった経緯を知っているアリスが苦笑気味に、しかし、呆れ混じりに同意する。それを受けて、机の上に肘をついたにとりが一度大きく頷く。その言葉はまるでちっとも具体的ではないのに、なんとなく理解できてしまう。
魔理沙にはどんなことがあっても、たとえどんなに窮地に陥ろうともひらりと紙一重で交わして、勝気に笑っているような、そんなイメージがある。そういうパワーがある。だからこそ、見ていてハラハラするし、それでも、楽しいのである。
「で、アリスは二人がいないから寂しいんだ?」
「別に、そういうんじゃないわよ」
「うそだあ。さっきからため息ばっかりついてるよ?」
にや、とからかうような笑みを浮かべたにとりの指摘に、アリスはふい、とそっぽを向く。その仕草は、いかにも照れかくしかなにかのように見え、にとりの笑いがいっそう深まる。
けれど、アリスのため息の理由はそこにはない。
「違うってば。確かに考えてたのは、二人のことだけど」
「へ? じゃあ、一体何なのさ」
「……、魔理沙とパチュリーを二人にさせたら、何やらかすかわかったもんじゃないんだもの」
そう言って、アリスはもう一度深いため息をつく。それを見て、けらけらと楽しそうに笑う。
この友人は魔理沙の破天荒ぶりも、パチュリーの猪突猛進ぶりもよく心得ているから。ついでに、アリスの苦労ぶりもよく分かっているのだろうけれど。
「でも、流石に魔理沙も部屋から出れないし、パチュリーも具合良くないんだよね? 大丈夫じゃない?」
「だといいけど」
すっかり参った様子のアリスに、苦笑を交えた気遣わしげな表情になるにとり。
そのフォローはありがたいが、肘をついて、昨夜から今朝までの経緯を思い出して、とても楽観視はできない、と思う。
何せ、今、二人は部屋で脱走の手段について、語りあっているのだろうから。
「あの本は元々、悪魔や妖怪を封じるために作られたもの、と言えば分かってもらえるかしら?」
昨夜、あの後一時間ぐらい経って、魔理沙が戻ってきた後、パチュリーによるあの本についての講釈が行われた。
さしもの魔理沙もこっぴどく叱られたとあって、随分落ち込んで帰って来たのだが、あの本の正体が分かったと伝えると、すぐに元気を取り戻し、ほんのり赤くなっていた瞳を輝かせ始めた。パチュリーの体調を慮れば、翌日にするべきだとは思われたのだが、この一週間の苦労と異常事態における興奮、そして、何より二人の好奇心が、パチュリーのやる気がそれを拒んだ。
「ああ、召喚とかにもよく使われるあれね」
「つまり、あれだよな。お札を貼った石とか、箱とかそういうの。昔、霊夢んとこでよく見たぜ」
アリスはベッドサイドに運んできた椅子に腰かけて、魔理沙はパチュリーのベッドの下の方に腰を降ろして。それぞれにパチュリーの言葉から推測される物を思い浮かべる。
あながち当たらずとも遠からず、といったところだろうか。パチュリーは満足げに頷いて、肯定の意を示すと、時折本に目を落としながら、再び静かな声で語りはじめる。
「その中でも特に、トラップとして作られた物で、悪魔が触れると、自動的に取り込まれてしまうみたいね。扱いには注意が必要とここまで、目録に書かれていたわ」
「そんなに危険な本というわけでもないのね」
「そうね。魔導書としては、初心者向けと言っていいんじゃないかしら。魔法使いが触れる分には、何も起こらないはずだし」
その手のマジックアイテムは実にオーソドックスなものだ。召喚術師はもちろんのこと、使い魔を使役している魔法使いなら、形は本に限らず、指輪だのつぼだの、個人差があるが、似たようなものを必ず所持している。
「だったら、何であの本はあんな愉快なことになってるんだ?」
「それは……」
「あ、もしかして、司書の小悪魔が触っちゃったとか?」
魔理沙の疑問に答えるより先、アリスが手を叩く。あの図書館を管理しているのは、主に司書である小悪魔たちだ。その小悪魔のうちの一人ないし数人が、本の整理の最中にうっかり触れてしまったということも十分にあり得る。
その言葉にパチュリーは頷き、魔理沙も納得したような顔をする。
「あれだけ数いるしな。一人二人いなくなっても分からない、か」
「阿求が、ううん、稗田家のほうでもあれの人数は把握しきれないって」
「全員似たような外見だしな」
「ええ。あれを把握しているのはレミィぐらいのものじゃないかしら。だからこそ、あれも何十年も長いこと放置されてしまったんでしょうけど」
「レミィ?」
聞きなれぬ名前が出てきたことに怪訝そうな顔をする魔理沙とアリスを、無視するようにしてパチュリーは早口で言葉を続ける。僅かな動揺が気になるものの、とりあえず、二人は黙ってその言葉に耳を傾ける。
「泣き声はおそらくその小悪魔のもの。声が漏れ出てしまっていたり、光を放っていたりしたのは、長き時を経て封印の力が弱まってしまったため、と考えるのが自然でしょうね」
「ちょっと待って、パチュリー。封印のための魔導書がそんなに簡単に弱まったりするかしら」
「言ったでしょう? トラップみたいなものだって。生け捕りにしたり、急場しのぎをしたい時に使う簡単なものなの。強度も耐久力もないから、あまり長く封印しておくのには向かない」
「なるほどな。それであんな学校の怪談めいたことになってるわけだ」
「そういうことになるわね」
魔理沙の言葉に頷いて、パチュリーは一度言葉を切る。ベッドサイドに置かれているガラス製のグラスを手に取り、水を飲んだ。
小休止。魔理沙はベッドの上であぐらを組み直し、アリスはちらりと掛け時計を見る。もう、あと三十分もしないうちに日付が変わる時間だ。
一応、最初の目的であったところの、本の正体を確かめるという目的は果たすことができた。けれど、それだけでは正直なところ、すっきりした気持ちにはならない。
それは、なぜなのだろうか。
「それで」
ふう、と息をついたパチュリーは、再び言葉を紡いでいく。
「あの本は少し特別でね。封印が解けそうになると自動的に封印した悪魔もろとも消滅するようにできているのよ」
「要するに、あれか。自爆装置ってやつか」
「そう。私の見立てだと、あと一週間もたたないうちにあの本はあの場所から消えてなくなるんじゃないかしら」
「なっ?」
こともなげにそう言うパチュリーに、声をあげるのは魔理沙。
アリスはただ、黙ってその言葉の意味を考える。あの本が消滅してしまうというのならば。
「それじゃあ、中の小悪魔は……」
「当然、本もろとも、でしょうね。残念だけど」
「おいおい、穏やかじゃないな」
アリスはその言葉に、眉を顰める。縁もゆかりもない小悪魔のことではあるけれど、僅かではあるが、こうしてあの本に関わり知ってしまった手前、消滅してしまうというのは寝覚めが悪い。
同じような感情を抱いたのか、ふと目があった魔理沙も、うげ、と顔をしかめていた。
「ていうか、パチュリー、何でお前そんなことまで分かるんだよ」
根をつめて調べていたとはいえ、それだけで分かることとも思えないぜ、と、魔理沙は訝しむ。確かに、とアリスもそれに同意する。
明らかにあの目録から分かること以上の情報量で。二人からうろんな視線を受けたパチュリーはやましいことがあるわけでもあるまいに、うろたえる。
「それは」
「パチェの実家は大図書館だもの、当然よ」
しかし。それに答えたのはパチュリーの声ではなく。どこか深みを感じさせる幼い少女の声だった。
「レミィ!」
「が、学部長?」
「咲夜?」
実に威厳を感じさせる佇まいで、アリス達がいるのとは逆側のベッドサイドに座っていたのは、学部長であるレミリア・スカーレットだった。そうして、その横につき従っているのは、先輩で、アリスの友人でもある十六夜咲夜。
まるで部屋に入ってきた気配を感じさせなかった彼女たちに、驚きを隠せない。
三人の驚愕した様子をみて、いたずらが成功した子供のように、レミリアは楽しげに微笑む。
「あのヴワル魔法図書館なら、そんな本いくらもあるものね」
「ちょっと、それよりレミィ。なんでここにいるのよ」
「ひどいわ、パチェ。親友が倒れたら、お見舞いに来るのは当たり前じゃない」
「こんな夜中に?」
「夜に生きる種族にとっては、普通でしょ」
ふふ、と笑ってみせるレミリアに、嫌そうに、けれど満更でもなさそうに、じと目を向けるパチュリー。その遠慮のない口調は親しい友人に対するものであり、まったくもって学部を取り仕切る学部長に対するそれではない。
そんな光景をアリスと魔理沙は、ただただ呆気に取られてしまう。完全に予想外の出来事に置いてきぼりを食らっている。
レミリアの傍に立って、それを微笑ましげに見つめている咲夜の服の袖を引いて、小声でアリスは問いかける。
「ちょっと、咲夜。これどういうことなのよ?」
「どういうも何も。見ての通りとしか言いようがないのだけれど」
「分からないわよ、そんなの」
「もう、仕方ないわね」
そう言って、苦笑した咲夜は、すっかり盛り上がっているレミリアとパチュリーの邪魔にならないように声をひそめて、言葉を紡いでいく。
そうそう難しい話というわけでもない。咲夜が語った内容は要するにこういうことだ。
パチュリーの実家は、魔法使い界でも最高峰のヴワル魔法図書館であり、生まれたばかりの頃から、魔導書に囲まれて育ったということ。一年生にあるまじき本に対する造詣の深さはそのあたりから来ているらしい。
そして、その魔法図書館に出資しているのが、スカーレット家。その縁を通じて、年齢の壁を越えて、パチュリーとレミリアはお互い愛称で呼びあうような親友同士である。
流石に学園の中にいる時は、学部長と一般生徒の枠を守って付き合っているけれど、なにかと様子を窺っていたレミリアは、パチュリーが倒れたと聞いて駆けつけた、とそういうことなのだという。
ついでに付け加えるならば、この学園の図書館で働いている小悪魔達はヴワルからの出張扱いなのだそうだ。
「ヴワルですって……?」
「アリス、次の休暇はパチュリーのお宅訪問で決まりだな」
魔法使いにとって半ば伝説となっている大図書館だ。盗難や余計なトラブルに巻き込まれないために、多くの結界やトラップの仕掛けられた図書館は一流と呼ばれる魔法使いでさえそう簡単には辿りつけない。その例外が、図書館から招待された場合なのだ。
そのチャンスをみすみす見逃してたまるものか、とアリスと魔理沙は意気込む。それを見ている咲夜は呆れたようにため息をついた。
「あなた達ね……」
「そういえば、咲夜」
「アリス?」
「咲夜はなんでここに? あなたもレミリアの親友か何かなの?」
ふと思いついた疑問をアリスは口にする。
それを聞いた咲夜は一瞬遠い目をして、しかし、すぐに澄ました顔で答える。
「私はお嬢様に個人的にお仕えさせていただいているのよ」
「なんだそれ」
「ふふ」
授業中以外だけのパートタイマーだけどね、と咲夜は人差し指を立てて、お茶目に微笑む。その仕草はそれとなくそれ以上の言及を拒んでいるものであったけれど。
少なくとも迷いのない瞳は、どこか誇らしげで。心からの忠誠でもってレミリアに仕えていることが分かる、そんな様子だった。
そうして、夜も更けて、日付も変わった頃。
「あなた達にお願いがあるわ」
例の本の小悪魔を、救いだして欲しい。
レミリアは、幼い外見に似合わない威厳のある佇まいでそう三人に告げた。
だが、アリスとパチュリーはその申出に戸惑う。豪快なように見えて、狡いところのある魔理沙も、値踏みをするかの様に、瞳を閉じて何事か考えている。
何か言いたげな二人の視線に応えるように、レミリアはひらりと手を振る。
「一応、この私の従僕が消滅してしまうというのに、見て見ぬふりはできないからね」
勉強机の椅子に足を組んで座って、僅かに部下を思う優しさを瞳に宿らせる。しかし、それをいつもの疑り深い印象を与えるじと目で、パチュリーは言う。
「レミィが自分で行けばいいじゃない」
「まさか。私も悪魔だよ。封印されちゃったらどうするのさ」
「じゃあ、咲夜は?」
「咲夜がいなかったら、誰が私の世話をするのよ。代わりにパチェがやってくれるならそれでもいいけど」
「誰がよ」
そんな二人を眺めながら、不自然だ、とアリスは思う。
どうして、一緒に居合わせたとは言え、まだまだ未熟な一年生である三人にまかせようというのか。それこそ、しかるべき教師なり上級生に依頼すればいい。
いくらレミリアとパチュリーが親友であって、仮にパチュリーがそれを何とかする術を持っていたとしても、あえて三人に頼む理由が分からない。
「どうして、私たちなの? あなた達が無理でも、誰かしら先生に頼めばいいじゃない」
そんな疑問をレミリアに投げかける。パチュリーにつられて、ついつい敬語ではなくなってしまっているのはご愛敬。
レミリアもそのあたりを深く気にする方ではないので、問題ないだろう。
「ま、私としてはそうしてもいいんだけど。ねえ、それでいいのかしら、あなた達は。ねえ、魔理沙」
そうして、レミリアは可愛らしく微笑んだ。そうして、意味ありげな視線を魔理沙へと送る。
それでアリスは気がついた。いつもならば率先して喋り出す魔理沙が、今はやけに静かだ。パチュリーがいつもよりも多弁なのにかすんでしまっているが、これは不可解だ。
少し下唇を突き出すようにして、なにか考え込んでいた魔理沙は、レミリアの視線を受けて、不敵に笑う。
「いいわけないだろ。あれは私たちの獲物だ」
「獲物って、ちょっと魔理沙、あんたねえ」
「だって、アリス。ここまで来たら、あとは誰かに任せるなんてつまんないじゃないか」
「そうかもしれないけど……」
アリスだって、そういう気持ちがないわけではない。いや、十分にある。
たとえば、この後のことを誰かに任せたとして、その後どうなったのかを知ることができる保証はない。むしろ、校則違反の案件であるから、誰にも聞けない可能性の方が高い。
それではあまりにも尻切れトンボで。中途半端で。
何より、最初に“たすけて”に気付いたのはアリスだから。
最後まで見届けたい。その思いは、強い。
「そうね、私もそう思うわ」
アリスの思っていることを見透かしたように、アリスの方へと視線を向けるパチュリー。肩を竦めて、口の端を少し上げる。少し気取ったような、皮肉っぽい笑みはいかにも彼女らしい。
そうして、三人で視線を交わして、アイコンタクト。もう気持ちは決まっている。
言葉よりも雄弁に答えを語るレミリアは、満足げに頷く。
「それじゃあ、任せていいわね?」
「もちろんだぜ」
どん、と、胸を叩いて、魔理沙は答える。アリスとパチュリーも頷くことで同意を示す。
それを見たレミリアは喉を鳴らして、心から愉快そうに笑った。吸血鬼特有の鋭い瞳を細めて、楽しみでしかたがない、というように。やはり、その動作は大人っぽくて、子供っぽい。
「ていうか、レミィ。おもしろがっているだけでしょう?」
「い、いいや、そんなことはないさ。私は真剣に生徒の意思を尊重しただけであって」
「目が泳いでいますわ、お嬢様」
「う。だ、だって、最近パチェも咲夜も授業授業って、退屈なのよ、暇なのよ」
パチュリーと咲夜の冷静な指摘に、レミリアは頬を膨らませる。その可愛らしさや先ほどまでのギャップに、アリスや魔理沙もおかしくなって笑ってしまう。
実に和やかな雰囲気で。すべてがうまくいくような気がしていたのだけれど。
むしろ、そこから先が問題だったのである。
本の現在の状況からして、今日明日中には図書館に行かなければならない。けれど、一年生は禁書の区画に入ることはできないため、昼間に取りに行くことはできない。したがって、このあいだのように、夜中に侵入することになるだろう。
しかし、魔理沙は現状外出禁止。魔法のせいで部屋から出ることすら叶わない。アリスとパチュリーで行けばいい、という話なのかもしれないが、それでは魔理沙が納得しない。
三人でなければ意味がない。
レミリアの依頼ではあるけれど、きっかけから経緯まですべてひっくるめて、これはあくまで非公式なものであるため、その区画への進入許可は出せない。また、魔理沙の外出禁止について、権限を持っているのは永琳であって、学部長であるレミリアは口出しをすることができないのである。
というわけで、なんとかして魔理沙が部屋を出る方法を見つけなければならない。
そうして、今日は休むようにと永琳に言いつけられたパチュリーと、外出禁止の魔理沙が今頃、会議をしているだろう、とそういうわけだ。
目的を達成する手段の美しさを気にするアリスと違って、二人は目的のためなら手段を選ばないところがある。
部屋を抜け出すためにどんな無茶をやらかそうとしているか。それを思うと気が重くてしかたがない。なんせ、それを諌めなければならないのはアリスなのだから。
「あ、それなら、いいものがあるよ」
流石にまずかろうとレミリアや咲夜のくだりを誤魔化しつつ、簡単に状況を説明する。要するに、魔理沙が外出禁止をぶっちぎって図書館に行きたがっていると。
それを聞いたにとりは人差し指を頬に添え、宙をみるように考え事をする。そうして、すぐににっこり笑って、アリスにそう告げた。
「いいもの?」
「うん。前から魔理沙に頼まれてたものなんだけど、つい昨日試作品が完成したんだ」
ちょうどよかったよ。今日渡そうと思ってたんだ。
そんな風に素朴に笑ったにとりは、ちょっと待ってて、と自らの机の方へと走っていく。そうして、愛用の鞄をごちゃごちゃといじりはじめる。
どんな技術を使っているのか、見た目には小さな小さなリュックサックでしかないのに、その中から、小柄なにとりの上半身ほどもある三角形の大きな包みと、もう一つ四角い袋を取り出す。固そうには見えない、柔らかそうな包みだ。
「それは?」
「魔理沙の私服だよ。私が改造した、ね」
にとりはそれを抱えて、アリスの傍に戻ってくる。そして、隣の椅子に腰かけて、いつもよりも早口で語る。
興奮した様子は、何か面白そうなものを見つけた時の魔理沙や、本についての説明を求めた時のパチュリーに似ていて、結局のところ同じ学者肌の人間ということで。アリスも、人形のことについて、話を振られたなら、きっとこんな風に嬉々として語るんだろうな、とも思う。
「まあ、分かりやすく言うと、結界を無効化する効果を持ってるんだ」
「無効化?」
「そうなんだよ! 魔法に対して科学的なアプローチをすることで……」
「にとり」
瞳を輝かせて、すぐにその理論の話へと飛んでしまいそうになるにとりに声をかけながら、話を聞いていく。普段ならば、ゆっくりと聞きたいところだけれど、今回はそういう余裕はない。
にとりの話によると。
好奇心の赴くままに行動する魔理沙は、あちこちで結界が張ってあるせいで侵入できないのを不満に思っていたのだという。そこで、にとりと手を組んだのである。
魔理沙は好きなことができるし、にとりは発明品の出来栄えを試すことができる。WINWINの取り引きだ。
そうして、魔理沙の服を改造して作りだしたのが、この作品。
科学に明るくないアリスにはよく分からなかったのだが、これを身につけることで、透明人間のように、結界の目をごまかして、通り抜けることができるらしい。
つまりそれは、これがあれば外出禁止の魔理沙であっても、部屋を出ることができるということで。
「でも、本当に永琳の張った結界を無効化なんて、できるの?」
にとりの腕を疑っているわけじゃない、と前置きをしてから、アリスは難しい顔で見た目には普通の服に見えるくたびれた三角帽子や、黒白のエプロンドレスを眺める。
これまで、ほとんどの生徒が出ることが叶わなかったというのに。入学してから、一年も経っていないにとりや魔理沙がそれを切り抜けることが、本当にできるものなのだろうか。
そんな言葉に、苦笑いするにとりは、しかし、それでも自信を失った様子はない。
「まあ、まだテストしてないから、どの程度効力があるかは分かんないんだけどね」
「そうなの?」
「試作だっていったじゃん。でも、ここの施設はかなり科学には隙だらけだから、大丈夫なんじゃないかな」
どうしたものかと頭を抱えたい気持ちのアリスに、唇を尖らせる。にとりとしても、完成していない品を渡すのには抵抗がないのではない。
けれど。逆に考えれば、実験をする絶好のチャンスでもあり。
まるで魔理沙のように不敵な色合いを瞳に宿らせて、なんでもないことのように笑って、にとりは言う。
「ま、ぶっつけ本番って言うのも悪くないんじゃないかな」
「じゃあ、そろそろ行くとするか」
魔理沙は確認するように、アリスとパチュリーの顔を覗き込む。楽しくてたまらない、やってみせるという表情で、まるで否定をされることなど想定していないように。
それに頷いて応えるパチュリーは、いつも通りの冷静な表情。けれど、少しは興奮しているのか、僅かに白い頬を紅潮させていた。
アリスは、眉をひそめて、表情は気が進まないようにも見える。だが、まっすぐ魔理沙を見つめる瞳は決意に満ちている。
「見つからないといいけど」
「大丈夫だって、なあ?」
「さあね」
アリスが午後の授業を終えて、部屋へ戻ってくると、魔理沙とパチュリーは細に渡る計画をあーでもない、こーでもない、と熱く議論を交わしている最中だった。その時点では、永琳をぶっとばす、だの、輝夜を人質にするとかいう、わけのわからない暴力的な案ばかりで手詰まりだったのだけれど。
アリスが預かってきたにとりの発明品のおかげで、外出禁止の件は一気に解決した。さっそく試してみれば、問題なく魔理沙は部屋をでることができた。そうして、その後はアリスも加わって、侵入経路やらなにやらについて、詳細を詰めていった。
そうしているうちに、あっという間に夜。出発の時間が訪れた。さまざまなデータに基づいて、もっとも問題がないと思われる時間帯。
「というか……」
「なんだよ」
ふと横目で魔理沙の格好を見たアリスは呆れ混じりに言葉を濁す。もの言いたげな半眼に、魔理沙は少しばかりむっとした調子で、言葉を返す。
「魔理沙の私服って、なんというか」
「魔法使いっぽくていいじゃないか。なんだよ、文句あるのかよ」
「別に文句はないけど」
にとりによって改造を施された魔理沙の私服は金髪の巻き毛が良く映える黒白のエプロンドレスに、大きなリボンに彩られたとんがり帽子。パニエで膨らませたスカートの下にはドロワーズという、いかにも一般的にイメージされる魔法使いらしいものだった。
実際のところ、魔法使いが黒を着るというのは単なる人間の想像にすぎず、実際にはむしろ派手な色合いを好む者の方が多いのだけれど。
アリスと同じように魔理沙の服装に目をやったパチュリーはふむ、と頷いて。
「古典的ね」
「だろ? やっぱ魔法使いって言ったら黒じゃなきゃな」
「別に褒めているわけでないわ」
「なんだとー」
胸を張る魔理沙に、皮肉っぽく肩を竦めてみせたパチュリーもまた、普段の制服ではなく、見慣れない寝間着のような私服を身にまとっている。そして、アリスも。
別に二人には制服を着ない理由はないのだけれど、「私だけ私服じゃつまんないだろ」という魔理沙の駄々から、私服へと着替えていた。
特別なことをする時は、特別な服装を。確かに、儀式をする時や何かには、気分をその場に見合ったものにするために着替えることはよくある。その意味では、制服ではなく、私服を身にまとうことも大切かもしれない、とパチュリーが乗ってしまい、アリスもそれに流されるしかなかった。
「でも、こうして見ると、なんか新鮮だな」
「そうかしら?」
「そういえば、私服を着るのはここに来てから初めてだものね」
魔理沙の感心したような言葉に、お互いにそれぞれの格好を眺める。
アリスはお気に入りのブルーのフランス製のワンピースに白いケープ。帯やリボン、そしてヘッドドレスは鮮やかな赤。細かなところまでレースやリボンで装飾がなされていて、けれど、それが嫌味ではなく、絶妙な上品さを感じさせる。
もともと人形のような容姿をしているだけあって、一見派手でひらひらとした着こなすのが、難しそうな服装が、よく似合っている。
「てか、それ部屋着じゃないのか?」
「外には出ないから、それでいいのよ」
「よくないわよ、パチュリー」
そんな指摘をされたパチュリーは、淡い紫色をした長い薄手のワンピースの上から、薄桃色のガウン、そして同色のケープを羽織っている。アリスや魔理沙のそれと同じように、レースやリボンにまみれたそれだけれど、ウエストに絞りがないせいか、柔らかそうな生地のせいか、どうにも寝間着のように見えてしまう。
不思議なデザインの帽子がどこかナイトキャップを思わせるのも、原因の一つだろう。
お互いに、年頃の少女らしく、お互いの服装にあーだのこーだの言いあって。
作戦決行前の高揚感も手伝ってか、妙に楽しいおしゃべりに興じて、ふと思ったこと。何とはなしに、アリスは呟いた。
「なんか、変な感じ……」
「変な感じ?」
「こっちのほうが制服よりしっくりくるような気がして」
確かに私服を着ているところを見たのは、初めてのはずだ。一般的な視点から見て、三人が三人とも、制服とは方向性の異なる個性的な服装をしている。少なくとも、アリスにとっては魔理沙の魔女服もパチュリーの部屋着も、似合っているとは思うけれど、見慣れないものでしかない。
それなのに、なぜか、しっくりくる。懐かしく感じてしまう。
まるで、制服が不自然であって。ようやく、あるべき姿に戻ったかのような。そんな錯覚に陥る。こうした既視感を覚えることは初めてではないのだが。
難しい顔をしているアリスに、二人も心当たりがあるのか、それぞれ何事かを志向している。そのせいで、ふつり、と訪れる沈黙。
別にそれが悪いというわけではないが、どことなく気味が悪い。
けれど、それもそんなに長くは続かない。考えても仕方がない、と言いだしっぺのアリスは、妙なムードを振り切るように苦笑して、口を開いた。
「ま、それも気になるけど、今はあの本について考えなくちゃ。そろそろ出発の時間よね?」
「あ、ああ、そっか。そうだよな」
「……」
アリスの言葉に我に返った魔理沙は、少々名残惜しそうな顔をしながらも、頷く。お楽しみはこれからなのだ。よそ事なんて考えている暇はない。
一度考え込むと止まらないタイプのパチュリーは、未だに何事か考えている様子だったけれど、出発の言葉を耳にすると、やがて諦めたようにため息をついて顔をあげた。
「それじゃあ、行きましょうか」
ちょうど永琳が上の階を巡回している時間を見計らって、部屋を出る。
懸念されたにとりの発明品も、驚くほどの効果があり、あっさり魔理沙は部屋の外に出ることに成功した。
そうして、物音をたてないように注意しながら、螺旋階段を駆け降りて、あっという間に寄宿舎の外へ。丸い月に照らされながら、坂道を急ぐ。
図書館の重厚な正面扉ではなく、鍵の壊れた裏口からこっそりと忍び込む。自習室に繋がるこの扉がいつまでも修理されないのは、その方が出やすいから、とチルノたちが放置しているためだ。いたずらな妖精たちはこういう風な抜け道や何かを好むのだが、生徒たちもそれを利用してしまうという難点がある。
「ここまでは結構簡単に来れたな」
忍び込んですぐにある自習室で、魔理沙は一度大きく息をつく。明かりのついていない室内でも、その瞳が興奮でらんらんと輝いているのが分かる。この暗いのにも関わらず、マイペースに手にした本を開いているパチュリー。
そんな二人を眺めながら、アリスは上海人形を抱く手に力を込める。
「そういえばアリス。どうして、人形なんて持ってきたの?」
「ちょっと、保険……というか」
「人形がないと心細くてしかたがないと、そういうことね」
「そうは言ってないでしょ」
何とはなしに顔をあげたパチュリーが訝しげにアリスに問いかける。それに対して、アリスは言葉を濁すことしかできない。
人形遣いであるということは、基本的に伏せている。そのため、普段、人形は部屋に飾ったままにしてあるのだ。特に必要もなく、毎日人形を抱いて歩いていたら、ただの痛い子だ。今のパチュリーのように怪訝そうな顔を向けられてしまう。
だが、今回は。場合によっては、この奥の手を使うつもりでいた。
人形を使う魔法はアリスのとっておきだ。こうして手の内を明かしてしまうのは本意ではない。少なくとも、使うとすればもっと、命の危険が迫っているだとか、そういう時まで隠しておきたいと思っていた。
本気を出さない、というアリスの信条。
けれど、今回の一件でアリスは、二人の本気に触れた。
魔理沙が真夜中に一人訓練を重ねていたこと。パチュリーが倒れるまで調べ物を続けていたこと。それがいいことかは分からない。
むしろ、周りをみればいいのに、とか、もっと考えればいいのにとさえ思う。
それでも、なぜか、少しだけ、少しだけ羨ましくて。焦ってしまって。
決して得策ではない、と理性は告げているのに、そういうのも悪くないかもしれないなんて。この二人相手ならば、怖くないかもしれないなんて。
そんな風に心が揺れ動いた。
いろいろなことを考えて、まだ使うことを本当に決めたわけではない。
積極的に明かすことはしない。使わなくて済むのならばそれでいい。
けれど、もしもの時は。
「アリス、早く行こうぜ」
「置いていくわよ」
図らずも物思いにふけってしまっていたアリスはすでにドアの傍にいる二人の呼び声に、慌てて顔をあげる。そうして、一度、優しく上海人形の頭を撫ぜ、小さく、魔理沙達には到底聞こえないほど小さな声で囁く。
「頼りにしてるわ、上海」
『シャンハーイ』
まだ魔力を通していないのにも関わらず、どこからかそんな返事が聞こえたような気がして。ほのかな安心感と共に、ぎゅ、ともう一度強く抱きしめて。
そうして、アリスは二人の後を追いかけた。
図書館では、前回忍び込んだときよりも多くの妖精が、あちこちを飛び回っていた。侵入者を見つけようとする気合いはこの間の比ではない。
それはきっと、前回魔理沙達が捕まりそうになったことや、輝夜によってガラスが割られたことが大いに関係しているようだ。
「レミィの悪ふざけのような気もするけどね」
「ああ……」
書架と書架の陰に隠れて、ため息をついたパチュリーに、アリスは同意する。
確かにあの学部長ならば、よりこの侵入劇を盛り上げるためにそういう指示を下していても不思議ではない。そもそも、三人にこの役目を託したのでさえ、退屈しのぎというニュアンスが強いのだから。
「少なくとも、警備を減らしてくれるようなやつじゃないのは確かだな」
ちらり、ちらり、と書架から顔を出して、妖精たちの様子を窺っていた魔理沙も肩を竦める。先ほどここに隠れてから、もう随分経つのに、なかなか禁書の区画に近づくことができないのは、妖精たちがあちこちを飛んで回っているからだ。
「じゃあ、大ちゃんはここのあたりをお願いね! あたいはあっちのほうをさがしに行くから」
「うん、まかせて」
「この間はちょっと遅れをとったけど、今回はぜーったい逃がさないんだから!」
「がんばろうね、チルノちゃん!」
静かな図書館に、妖精二人の幼い声が響く。一人はチルノ。大ちゃんと呼ばれたもう一人の妖精は、若葉色の髪を黄色いリボンでサイドポニーにした妖精だった。確か、アリスの記憶によれば、大妖精と呼ばれているチルノの親友だったように思う。
チルノが、この間、窓ガラスの割れたあたりまで飛んでいくのを見守って、大妖精はきょろきょろとあたりを見回す。三人のことを見つけ出そうとしている。
どこか不安そうな様子は、見るからに隙だらけで、チルノが残るよりもずっと突破しやすそうではある。だが、飛んでいる位置が、ちょうど禁書閲覧受付のコーナーの前であるため、厄介で仕方がない。
うろちょろうろちょろしているチルノと違って、一か所に立ち止まっているのもまた、面倒くさい。
「あいつ、どこか行かないかな」
むう、と僅かに頬を膨らませた魔理沙が腕を組んで考える。
どうにかどいてほしいのだけれど、妖精らしくなく真面目そうな顔立ちは、チルノに任された任務を果たそうとする使命感に満ちている。こちらからアプローチしない限りはどいてくれそうもない。
「こんな時は囮、かしらね」
できることなら避けたかった手段を、淡々とした声音でパチュリーが呟く。
一応、こんな時のことも考えて、作戦は練ってきているのだ。どうしても見つかってしまいそうになった時、アリスか魔理沙が囮となって、残りの二人があの本を取りに行くという。最悪、封印解除の技術を持つパチュリーが禁書の区画に辿りつければいいのだから。
けれど、それはもれなくアリスか魔理沙が捕まるリスクが格段に高くなるわけで。
できることなら、避けたい手段であることに間違いない。
「それしかないか、やっぱ」
「何か気をそらせればいいのだけど」
「もう面倒だから、特攻でよくないか? こうずあーっと」
「いいわけないでしょう」
こんな風にこそこそすることよりも、派手に正面突破することを好む魔理沙が、親指を立てる。それに冷たい視線を投げかけるパチュリーは、本に傷がついたらどうするのよ、なんてどこかずれたことをぼやく。
緊迫感がない、というか、真剣さはあるものの、どこかふざけたような二人の会話を耳にしながら、アリスは覚悟を決める。
上海人形を使って、大妖精の意識を反らす。
使うのは基礎の基礎程度の技術。人形遣いとしての本気は見せない。まだまだ隠し玉は残しておくけれど、ほんの少しだけ手の内を明かす。
それだけのことだ。だが、アリスにとっては大きな決意で。
緊張で乾いた唇を舐めて、できる限り何でもないことのように。いつものように少し気取った仕草で肩を竦めたアリスは言う。
「囮なんて必要ないわよ」
「え?」
きょとんとする魔理沙と、訝しげなパチュリーの視線を受けて、やや苦笑。
見られていると少しやりにくいな、と思いつつも、アリスは瞳を閉じて魔法に集中する。
久しぶりに発動する魔法だけれど、不安はない。まるでブランクを感じずに、ひとつひとつの手順をこなしていけば、あっという間に魔法は完成して。
ふわり、と腕の中から浮かび上がった上海人形は、スカートの裾をつまんで礼儀正しくお辞儀をする。心などないのは分かっているけれど、心なしか久しぶりに会えて嬉しいと言われているようで、アリスの表情は綻ぶ。
「わ、動いた」
「ふむ」
そのまま、魔理沙とパチュリーの方へ、飛ばせて、くるくると回らせてみせる。あからさまに驚いている二人を見て、アリスは、くすりと笑ってしまう。
せっかくのとっておきだ。驚いてもらわなければ、手の内を明かした甲斐がない。
秘密を明かした高揚感か、人形を遣うことへ喜びか、珍しくテンションの上がったアリスは、自信を持って笑う。
「これなら、なんとかなると思わない?」
再び上海を自らの方へ引き寄せて、肩の上のあたりに浮かせて問いかける。
魔理沙とパチュリーの視線でさえ、こうして奪うことができるのだ。より幼い少女の心を持つ大妖精相手ならば、ほぼ確実に視線をそらすことに成功するはずだ。
ついでに言うなら、優しい性格の大妖精ならば、可愛らしい上海に攻撃を仕掛けるようなことはしないだろう。
「こんなのできるんなら、もっと早くやってくれよ!」
「魔法使いはそうそう持ち駒を晒すもんじゃないわ」
「なんだよそれ」
口では文句を言いながらも、ふわふわと浮かぶ上海に興味津々の魔理沙は、おそるおそる手を伸ばす。その反応が楽しいアリスは上海の小さな手で魔理沙の指先と握手する。
いつものやんちゃさはどこへやら、楽しげに上海とじゃれる姿はいかにも女の子らしい。
「ああ、こっち方面だったのね」
「まあね」
「確か出身は西の方だったわよね。ということは……」
そんな魔理沙をよそに、パチュリーはアリスの指先を注視する。指先からつながる魔力の糸に気付いたあたりは流石というべきか。
人形遣いの技術と出身地を照合させようと考え込むパチュリーは放っておけば、そのあたりに資料を探しに行ってしまいそうな勢いがあって、慌てる。この状態でそうされてしまうと非常に困る。
「とにかく。今から、大妖精の意識を反らすから。二人ともすぐに出れるようにしておいて」
「ん」
二人が渋々ながらも頷いたのを確認すると、アリスは上海の移動に意識を集中する。
書架と書架の間を忍者のように素早く移動して、アリス達から離れた場所へ。
見た目は普通の人形とまったく変わらない上海は、妖精たちよりもずっと小さい。
アリス達が通れないような狭い隙間も、小さな影も。時には本棚の中に隠れるようにして、大妖精に近づいていくことができる。
物音さえ立てないで、ひらりひらりと踊るように。けれど確実に
古い本棚のとげや釘にスカートを引っ掛けないように、月明かりで影を作ってしまわないように気をつけながら、慎重に進んでいく。
思っていたよりも、緻密さを要求される作業にアリスの額には汗が浮かぶ。
一応半自律の上海は放っておいても進んで行ってくれるのだけれど。暗がりの中、見つからないように、と指示をしなければならないというのは、なかなかに骨が折れる。
「しかし、すごいな。私もやってみたい」
「中に爆弾でも仕込むつもり?」
「だー、確かに私は花火みたいな魔法ばっかりだけど、流石に人形の中に爆薬仕込んだりはしないぜ」
「あら、意外ね」
「お前は私をどんな目で見てるんだ」
そんなアリスの苦労を知ってか知らずか、まあ、知っていたところでどうしようもないのだろうが、魔理沙とパチュリーが、しょうもない雑談をしている。
二人は冗談のように言っているけれど、実は人形遣いの中では人形に爆弾を仕込むのはわりとよくあることだったりする。それを言おうか言うまいか迷っているうちに、上海が、大妖精のすぐそばまで接近する。
「お」
「そろそろね」
二人の声を聞いて、静かに頷いたアリスは、糸を通じて、上海が大妖精の前に出るように操る。
いかにも緊張した様子で、胸の前で手を組みあわせて、視線を彷徨わせている大妖精。その目の前にふわりと、上海は姿を現した。
そうして、可愛らしくにっこりと微笑んで、先ほどアリスに対してしたように、礼儀正しくお辞儀をする。
「え? あ、あなた、だあれ?」
「シャンハーイ」
侵入者ということで、一瞬身を固くした大妖精は、しかし、目の前に現れた愛くるしい人形に戸惑ったような声をあげる。僅かに上ずったその声は、小さく他の誰かには気付かれないほど。
大妖精の問いかけに、上海は両手で数えられるほどしかない語彙の中から最も適した言葉を放つ。
「しゃんはーいちゃん?」
「シャンハーイ」
おずおずとした声で呟く大妖精に、胸を張ってくるくる回ることで上海は答える。アリスが操っているという部分ももちろんあるのだけれど、やけにオーバーな動作は想定の範囲外。
戸惑いながらも、アリスは上海を的確に動かしていく。
ダンスでも踊らせるかのように、軽やかに大妖精のまわりを飛び回らせる。
そうして、こっちへおいで、というように、大妖精の子供のような指を両手で掴んで、軽くぐいぐいと引っ張る。
「え? そっちに行くの?」
「シャンハーイ」
「で、でも。チルノちゃんに頼まれたから、私、ここにいなくちゃ」
「シャンハーイ?」
あくまで頼みごとを優先させようとする大妖精の言葉に、ぱっと手を放す。困ったように、ごめんね、と謝る大妖精の頭の方へ浮かび上がる。
その動きを見た魔理沙が、首をかしげてアリスに話しかける。
「どうするつもりだ、アリス?」
「本当はこういうのはやりたくなかったんだけどね」
なんていうか、スカートめくりでもするみたいで、とため息をついたアリスは、わずかな指の動きで、器用に上海を操っていく。
上海が掴んだのは、大妖精の髪を束ねていた菜の花色のリボン。きれいに結ばれているそれの端を引っ張って、しゅるりとほどいてしまう。
「あっ、ちょっと、しゃんはーいちゃんっ」
「シャンハーイ」
それを捕まえようとして手を伸ばしてくる大妖精から巧みに逃れて、リボンを持ったまま上海は、禁書の区画とは正反対の方向へ飛んでいく。
とても困った、少し泣きそうにも見える様子の大妖精は、おろおろと視線を彷徨わせて。
アリスは、その背中を押すように、おどけた仕草で上海を回らせる。その拍子に鮮やかなリボンが揺れるのを見ると、大妖精は、涙目ながらも、きっとした表情になる。
「リボン、返して!」
「シャンハーイ」
「もってかないでー」
ひゅん、と飛んでいく上海を、羽根を懸命に羽ばたかせて追いかけていく大妖精。
「ええっと、チャンス、だよな」
その背中を見送ったアリス、魔理沙、そしてパチュリーの三人は何とも言えない表情で顔を見合わせる。なんだかとても罪悪感を覚える。
「多分……、一応上海には出口近くまで飛んで、適当に撒くように指示しておいたから大丈夫だと思うけど」
「すごいな、そんなこともできるのか」
捕まらなければいいけど、と小さくため息。
「なんだか、あの子の気持ちがよく分かる気がするわ」
「わ、私だけが悪いんじゃないわよ? 連帯責任でしょ、連帯責任!」
どことなく恨みがましいじと目でアリスを見上げるパチュリー。もってかないでー、という言葉に対して、妙な既視感を覚えるのはなぜなのだろう。
こほん、と咳ばらいをして、アリスは視線をそらす。何のためにあんなことをしたのか。それを無駄にしないために、アリスは飛ぶ。
「とにかく、行きましょう」
「これね」
禁書の棚の奥。この間とまるで変わらない位置にあの本は納まっていた。この間よりも頭に響いてくる泣き声は弱々しいのにもかかわらず、本から漏れ出る光はこの間よりも強い。どこか青白く、脈動するように揺れる光は見るからに、危険。
「少し下がっていて」
その本を無造作に手にとったパチュリーは淡々とした声音で呟く。それに、アリスと魔理沙は素直に従う。
もっと近くで見ていたい気持ちがないわけではないけれど、今この場で、禁書を扱うだけの技術を持っているのはパチュリーだけだ。従うほかない。
「ふう」
一度、呼吸を整えるように大きく息をついたパチュリーは、その本を宙へ浮かべる。
そうして、それとは別に持参していた濃紫の表紙の分厚い本のページをめくっていく。パチュリーが実家から持ち込んだというその本の中に、封印を解く為の呪文が乗っているのだという。
「……」
かすれた声。やたらと早口で、アリスと魔理沙にさえ聞こえないほど小さな声でパチュリーは呪文を詠唱する。幸い、懸念された喘息の発作も起きることなく、スムーズに。
浮かぶ本、広がる魔法陣。寝間着のように見えた私服がこの場で、こうして見ると、いかにも実力のある魔法使いのローブのように見えた。
言葉を重ねていくにつれて、少しずつ少しずつ、光が強くなり、それに連動するように、泣き声もまた大きくなっていく。
「大丈夫か、アリス」
「え、ええ」
耳を手で塞いでも、頭の中に直接響いてくる泣き声は響き続けるばかり。
それはやがて、頭痛へと変化し、そのうちに吐き気さえも催してしまう。その場に座り込んでしまうアリスの背を、魔理沙がさする。同じように聞こえているはずなのに、魔理沙にはずいぶん余裕があるように見えて、アリスは少し悔しくなる。
当然、詠唱しているパチュリーは、何の影響を受けた様子もない。本を中心に広がる魔法陣の淡い光に照らされて、無心に呪文を紡いでいく。
「……!」
やがて、何らかの強い言葉と共に詠唱が終わる。アリスや魔理沙には理解できない言語だったため、何と言っていたのかは分からない。
けれど、それに関して何か言うより早く、あの本が信じられないほどの強い光を放った。
まるで直視できないほどの、太陽の光のような眩しい光。アリスも、魔理沙も、そしてパチュリーも見ていられずに、腕なり帽子なりで顔を覆う。
それと同時にあのすすり泣きの声は聞こえなくなっていたのだけれど、それに気がつくほどの余裕はない。
「びっくりしたー」
「目がちかちかするわ……」
光はやがて、弱まって消えた。時間としてほんの十秒にも満たないような短い時間。
だが、流石に強い光にやられた目はなかなか元の暗がりに慣れてはくれず、ほとんど何も見えない。しばらくまばたきや何かを繰り返しながら、こんなんじゃ、誰かしら教師に気付かれても無理はないな、なんてことをぼんやりとアリスは考える。
魔理沙やパチュリーも同じような状態なのか、しばしの沈黙が訪れる、はずだったのだが。
「パ、パチュリー様っ? それに、アリスさんと魔理沙さんも!」
三人の耳に届いた少女の声。アリス達と同じ年頃の、ものすごく驚いている声。
聞いたことのない声であるのは確かなはずなのに、名乗ってもいない名前を呼ばれて戸惑う。
よく見えない目を凝らして、その声の主を眺めれば。
鮮やかな緋色の髪に蝙蝠の羽根のような耳。悪魔らしい大きな翼を持った少女。
へたり込んでいるパチュリーに手を差し伸べようとしている。長い尻尾をふりふり、やれやれと呆れたように大きなため息をついている。
「もう、また何か無茶な実験をなさったんですか? そういう時はせめてこの小悪魔に一声かけてくださらないと困りますってば……って、あれ?」
ぽんぽんとやけになれなれしい調子で言葉を重ねていた少女――小悪魔は、やがて、三人の戸惑いの視線に気がついたのか、きょとんとして首を傾げる。
じいっと、パチュリー、魔理沙、アリスの顔を順繰りに眺めて、しまった、というように口元に手をあてる。
「もしかして、私間違えちゃいました?」
何をだ。そう問いかけたいのは山々だけれど、うまく言葉にならなくて、アリスは沈黙を続けてしまう。彼女に背中に手を添えて支えられているパチュリーは、何事か考えているのか、じっと彼女を見つめたまま。
そうして、最初に口を開いたのは魔理沙だった。
「なんで私たちのことを知ってるんだよ?」
「ええっと、えっと。それは……あっあれですよ、あれ!」
「あれ?」
「私! あの本に封印されてた司書の小悪魔なんですよ、ちょっと長いこと封印されすぎてたせいで、記憶が混乱しているというか、えーとなんて言うか。えへへ」
疑わしげな魔理沙の視線に、冷や汗をかいて慌てている小悪魔。
ようやく回復してきた視力で眺めれば、確かに少々デザインが異なってはいるものの、身にまとっているのは司書服。ここに常駐している小悪魔たちよりも、大人びた姿かたちをしているものの羽根や髪の色などの特徴は概ね一致している。
司書だというのは、本当のことのようだ。
「お名前は……ほら。本の中から聞こえていたというか」
「胡散臭いわね……」
パチュリーも胡乱げに小悪魔を見つめる。その視線にたじろぐ小悪魔はしかし、視線そのものは外さない。焦っているわりには、どこかひょうきんさを感じさせる動作が、妙に脱力させる。
「っていうか、そんな紛らわしい格好してるから、いけないんじゃないですかー」
「意味が分からないんだけど」
「あっ、そうだ、お礼がまだでしたね」
そう言って、小悪魔は嬉しそうに微笑んで、アリスの右手を両手で包み込むようにして、握る。悪魔らしくなく、人肌の温度のぬくい手のひらに、アリスは戸惑う。
「ずっと、ずっと心細かったんです。真っ暗な本の中に閉じ込められて、誰も助けに来てくれなくて。怖くて、寂しくて」
「小悪魔……」
「だから、助けてって。助けてって言ってるのに気付いてくれて、本当に嬉しい。その上、こんな風にまた外に出ることができた」
「……」
「だから、ありがとうございます、アリスさん」
先ほどまでの妙な混乱ぶりはどこへやら。ただ真摯な、透きとおった瞳でアリスを見つめる小悪魔は、心から嬉しいというように目を細める。
その表情は柔らかく、本当に安堵しているということが伝わってきた。よくよく見てみれば、真っ赤になった瞼や鼻の頭は今の今まで泣いていたひとのそれ。
不審な点はあれど、疑いようもなく、この小悪魔はあの本に封じられていたのだろうと思う。少なくとも、助けを求める声と、この感謝の気持ちだけは信じてもいいのではないか。
「パチュリー様と魔理沙さんも、ありがとうございます」
「別に」
「ま、いいけどさ」
パチュリーと魔理沙にも深々と頭を下げる。怪しむ気持ちが消えたわけではないけれど、ここまでまっすぐにお礼を言われてしまうとどうにも反応に困ってしまう。
どんなに怪しかろうと、封印を解いて、レミリアにさえ報告すれば、それでいいだろう。
三人はそれぞれに顔を見合わせあって、目下のところ、解決したことを視線で確認し合う。少しばかり煮え切らない思いがないではないけれど、とりあえず、小悪魔の笑顔と、やりきった達成感と。やってよかったな、なんて。
まだどこか興奮しているのか、しみじみと振り返ることはできなくて。
ただ身体に残るのは、どこか心地よい疲労感。
「じゃ、とりあえず帰るか」
「そうね。もうすぐ永琳の巡回の時間だし」
「もう疲れたわ」
「ああっ、ちょっと! 置いてかないでくださいようっ」
はあ、やれやれ、とそれぞれに伸びをしたり、肩をたたいたりしながら禁書の区画の出口へと向かう。そして、封印が解けたばかりの小悪魔も、行くあてがないのか、その後を追う。
そこで、円満解決、となればよかったのだが。
図書館を出た途端、目の前に立ちはだかっていた青い妖精。そうして、その腕にすがりつくように抱きついている緑色の妖精。
氷精チルノと大妖精だ。大妖精は手にしっかりとあのリボンを握っている。
「あんたたちっ、今日という今日は許さないわよ」
チルノが、きんきんした舌ったらずな声を荒げた。子供らしい幼い顔立ちを怒りに染めて、胸を張っている。
それを見た魔理沙は露骨に厄介だな、という表情になる。パチュリーもアリスもうんざりして、ためいきをついた。もう、更にここからチルノ達と隠れ鬼をするのは勘弁といったテンションなのだが。
事情をよく知らない小悪魔だけが、きょとんとしている。
「大ちゃんを泣かす奴はあたいが許さないんだからっ。あのへんな人形には逃げられちゃったけど、要するにあんたたちを倒せばいいのよね?」
怒りの理由に心当たりはある。とても申し訳ないという気持ちはあるのだけれど、アリス達にだって、都合があった。場合によっては、この小悪魔が消滅していた可能性だって十分にあるのだから。
今度、お詫びの品でももってこよう、と思いつつ、ここのところは見逃してくれないかな、なんて。
「な、小悪魔」
「はい?」
ぽりぽりと頭をかいた魔理沙が、やがて小悪魔の耳元に顔を寄せて、話しかける。
この小悪魔は身長が高く、アリスと同じぐらいの背の高さがあるために、少しだけ背伸びをして、ぼそぼそと囁く。
あまりに小声だったので、何を言っているのかは、アリスには分からない。
けれど、その魔理沙のいたずらっ子めいた笑みから、何か策を思いついたのだろうと悟る。ちょっとした機転で状況をひっくり返す。こんな表情をしている時の魔理沙には、何かを成し遂げてくれそうな、そんな頼もしさを感じさせる力がある。
「行けるか?」
「多分、大丈夫だと思います」
魔理沙の確認するような声に、小悪魔はぴこぴこと不思議そうに耳元の羽を揺らしなしながらも、しっかりと頷く。そうして、ぱっと身をひるがえして、書架の奥に飛んでいく。
「ああっ、逃げる気っ?」
「おおっと、チルノ。お前の相手はこの私だ」
すぐさま小悪魔の後を追おうと、透明な三対の羽根を広げるチルノの前に、魔理沙が立ちふさがった。何かを企んでいるような、余裕をかましたにやにや笑いで、大袈裟に腕を広げる。
「むっ」
「あいつのことを追いかけたら、私たちは逃げるぜ? それでもいいのか?」
「いいわけないじゃない」
妖精らしく低い身長のチルノは、顔をぐいっと上に向けて魔理沙を睨みつける。腰に手を当てて、むっとした表情を隠そうともしない。
いかにも子供っぽいその動作は、見ている分には、背伸びをするおませな女の子のようで可愛らしいのだが。どうにも今の状況では、困ったなあという感情ばかり。
どうしたものか、と考えながら、アリスは何とはなしに目があったパチュリーと肩を竦めあう。
とりあえず、ここのところは魔理沙に任せるのが得策だろう、と判断して、ただことの成り行きを見守る。何をしようとしているのかは分からないにしても、状況が動いた時にすぐ動けるように、心の準備だけはしておくために。
「あたいは天才だもの。あんた達なんかすぐにつかまえられるわ」
「ああ、そうだな。お前の賢さには脱帽するぜ」
胸を張るチルノに、わざとらしささえ感じさせるほどの大仰な動作で肩を落としてみせる魔理沙。普通ならば、どう見てもなにか企んでいるに違いないと気付くのだろうけれど、そこはチルノも、どんなに力は強くても、結局は妖精。そういうところは幼い子供と変わらない。
あっさりと魔理沙の言葉に、気をよくして、少しばかり照れたようにそっぽを向く。
「ふふん、あんたもなかなか分かってるじゃない」
「あったりまえだろ? なあ、それよりさ、チルノ」
「なによ?」
「私にはどうしてもわからない問題があって、今、すごく困ってるんだ」
ちらちら、と小悪魔が去っていった方を視線で確認しながら、魔理沙は腕を組んで首を傾げてみせる。やたらと演技くさく、困ったなあ、と大きくため息をついてみせる。
そうして、それをじいっと眺めているチルノに向かって、ぱんっ、と手を合わせる。
「頼む、天才のチルノの知恵を貸してくれよ」
「そ、そこまで言うのなら、仕方ないわね。教えてあげる!」
「チ、チルノちゃん……」
「おおそうか、チルノ! 助かるぜ! ありがとう」
まんざらでもなさそうに、少し偉そうに胸を張るチルノに、そう言って顔をあげた魔理沙はにこりと微笑む。流石におかしいと感じているらしい大妖精が、そのチルノの服の裾を引っ張る。
けれど、チルノがそれに反応するより前に、魔理沙は畳みかける。
「パンはパンでも、食べられないパンってなんだか知ってるか?」
誰でも即答できるような簡単ななぞなぞ。けれど、それはチルノの動きを止める最強の呪文になり得る。なんだかんだで、真面目なチルノは、こういうふうになぞなぞを出されると、答えられるまで考えはじめてしまうから。
「パンが食べられない……?」
「チルノちゃん!」
「大ちゃんも一緒に考えて! これはゼンジンミトウの難問よ」
「ええっ、で、でも」
魔理沙達のことなど、すっかり忘れ去ったようにチルノは考え込む。おろおろ困った顔の大妖精が声をかけても、聞く耳を持たずに、顔を真っ赤にして考えている。
「つまり……これはどういうことなの? 魔理沙」
「小悪魔を待つ間の時間稼ぎってな。こないだ阿求に会っただろ? その時に聞いたんだ。チルノはなぞなぞを考えはじめると他には何も考えられなくなるって」
「ああ、そういえばそんなことを言ってたわね」
「思った以上に馬鹿で助かったぜ」
「ていうか小悪魔って? ねえ、一体何をしようとしてるのかぐらい……」
状況が飲みこめず、訝しむパチュリーに魔理沙はにやりと不敵に笑う。けれど、それだけでは魔理沙の意図するところが分からずに、アリスが反駁しようとしたその時。
「お待たせしました!」
ばっさばっさと大きく羽ばたく翼の音。ずいぶんと急いでいたのか、息を切らせて真っ赤な顔をした小悪魔が飛んでくる。
その手に、大きな掃除用の箒を抱えて。
「おー、これだこれ! ありがとな、小悪魔!」
「よかった、これで大丈夫ですよね」
「完璧だぜ」
ぐいっと親指を上に向けて立てた魔理沙は、すぐさまそれに跨って、パチュリーの手を掴んでぎゅっと引き寄せる。そうして、アリスの方へ顔を向けて、身ぶり手ぶりで箒に腰かけるように指示をする。
「ちょっと、魔理沙?」
「これはつまり……」
「つまり、そういうことだ」
突然の乱暴な動作に抗議の声をあげるパチュリー。そして、箒と魔理沙との組み合わせから、おおよそのところを理解したアリスは、やれやれと呆れたため息をつく。
アリスとパチュリーが箒に腰かけたのを、確認すると、それはもう楽しそうに笑って。
「ま、本当なら愛用のあの箒が良かったんだけど、流石にそういうわけにもいかないからな」
「魔理沙?」
「まだ、箒なしじゃ飛べないけど。箒を使って飛ぶんだったら、この学園で最速なのは私だぜ!」
未だ考え込んでいるチルノとおろおろしている大妖精をよそに。
いつもより、二人も余計に乗せた魔理沙の箒は、少しだけふらつきつつも、すぐにふわりと軽やかに浮かび上がる。
「私たちだって、普通に飛べるんだけどね」
「というか、ちゃんと説明しなさいよ、もう」
魔理沙の背中側に横座りをしたアリスがすました声で囁けば、魔理沙の腕と腕の間に窮屈そうに納まったパチュリーが、不満そうに言葉を返す。
口ではお互いそんなことを言いながらも、こんなのも悪くない、なんて楽しんでいるのもまた事実。
「いいじゃんか、私が一番早いんだから!」
二人の言いように頬を膨らませる魔理沙は、どこか笑いを含んだ声でそう言うと、一気に箒に魔力をこめていく。
「チっ、チルノちゃん! 大変!」
「えっ、あっ、どこ行くのよあんた達!」
流石にその気配を察したらしい大妖精とチルノが、三人に目をやった頃にはもう遅い。
すでにぐんぐんと高度を上げた魔理沙の箒は、まるでブースターでもついているかのようにどんどん加速していく。
「答えはフライパン、だぜ」
そんな捨て台詞を一つ残して、箒に乗った三人はあっという間に、遠くまで飛んでいく。
小悪魔も悪魔らしく大きな翼をはためかせて、僅かに遅れを取りながらも、しっかりとついてきて。
超高速の箒の上では、正直会話もままならない。ただ振り落とされないように必死に箒にし編みついているだけ。障害物も多いため、何かにぶつからないかひやひやして仕方がない。
けれど、本棚の間をすり抜けて、大きな出窓から図書館を出てしまったならば。
星々の輝く夜空で、痛いほどの風を感じながらの夜間飛行。
どこかわくわくする夜の匂いが、胸をくすぐる。
もうここまで来たら、大丈夫だろう、なんて、少しだけ減速。
頬に当たる風が、柔らかくなって、気持ちがいい。
なんとなく、このまま帰るには、気持ちが熱くなりすぎている。お互いに言葉をかけあったわけではないけれど、なんとなく雰囲気を感じ取りあって、頷きあう。
まっすぐに寄宿舎に帰らずに、魔理沙の箒は、ただ上空を目指して飛んでいく。
そうして、寄宿舎から見えないほどの高さまで上がったところで、ただ浮かぶ。
誰も何も言葉を発しない。
すべてを終えた達成感。たった今の逃走劇による高揚感。
それぞれがそれぞれに本気を出した開放感。
もう、それぞれ、言葉にならなくて。
「ふふっ」
最初にふきだしたのは誰だっただろうか。それも分からなくなるぐらい、ほとんど同時。
くすくすと。けらけらと。
どうしようもなく笑いがこみあげてきて。おかしくて楽しくてしかたなくて。
わけのわからない気持ちのまま、三人は揃って声をあげて笑う。
それを見て、虚を突かれた表情をしていた小悪魔も、やがてふふっ、と悪魔らしからぬ優しげな笑みを浮かべて、三人を見守る。
大きな満月に照らされて。夜空の真ん中。
それからしばらく、三人の魔法使いたちの笑い声は響き続けた。
「まったく、ひどい目にあったわ」
ベッドにぐったりと身を投げ出したアリスは、恨めしげに呟く。少々お行儀が悪いのは分かっているけれど、さんざんお説教されて帰って来たのだから、仕方がない。
それに答える魔理沙は、自分のベッドの上で、制服のスカートがめくれるのも気にせずに、胡坐をかく。
「いいじゃん、外出禁止にもならなくて、厳重注意ですんだんだからさ」
「そういう問題じゃないわよ」
私の優等生のイメージが、と呻いて、アリスは先ほどまでの出来事を思い出す。
図書館侵入から一週間。あの夜はなんとか、永琳に見つかることなく、部屋に戻ることができた。完全に疲れ果てていた三人は部屋に戻ってくるなり、着替えも片付けもする余裕なく、さっさとベッドにもぐりこんで眠った。幸いにして、アリス達の部屋には空きベッドがある。行くあてのなかった小悪魔も、とりあえずはそこで身体を休めることができたし。
そうして、翌日。忘れかけていたけれど、未だに外出禁止中である魔理沙と、風邪がぶり返してダウンしたパチュリーを置いて、アリスは授業へ。
流石にその日は、らしくもなく居眠りをしてしまったりしたのだけれど、なんとなく事情を知るにとりや咲夜に助けられて、なんとか乗り切ることができた。正直、魔理沙とパチュリーが妬ましかったのは秘密。
そうしているうちに、小悪魔はレミリアに引き取られていったらしく、アリスが授業から帰って来た時には既に、すでに部屋から姿を消していた。
パチュリー曰く、小悪魔は再び大図書館で司書として働きはじめたのだという。会おうと思えばいつでも会えるとのこと。今度、差し入れのお菓子でも持っていこうと、ひそかにアリスは画策している。
そして、真夜中のパーティーという名目で、こっそりと霊夢たちが事の顛末を聞きに訪れたのが、昨日の夜。霊夢はチルノに捕まりそうになった下りで大笑いをし、早苗は夜間飛行のロマンに瞳を輝かせた。
それから、すべて記事にしようとする文を、そんなことしたら規則違反がばれてしまう、と必死に止めて。
体は疲れていたけれど、この冒険譚を話すのは楽しかった。
どうにも怪しまれているのか、いつもより多く様子を見に来る永琳に見つかりそうになって、何度も肝が冷える思いだった。
そうしているうちに魔理沙の外出禁止も解け、三人に当たり前の日常が帰って来た、とそう思っていたのだけれど。
「まさかチルノが私たちの顔を覚えてるなんてなー」
「意外と侮れないものね」
同じように思いを馳せていたのか、魔理沙が呟けば、相変わらず本に目を落としたきりのパチュリーもそれに同意する。
そう。チルノだ。それから大妖精も。
今日の授業、課外活動の一環として、クラス全員で図書館へ行った時。もうすっかり、気にせずに本を選んでいた三人を見つけたチルノが声をあげた。「あの時はよくもやってくれたわね!」とかそういうようなことを。
たまたまその現場に、教師が同席していたのがまずかった。
あっという間にチルノの証言を含めて、三人が一週間前、真夜中の図書館に忍び込んだ、という事実が明らかになってしまい。
そうして、今、永琳にこってり絞られてきたと、そういうわけだった。
「あーあ」
ひとつため息を吐き出して、アリスはベッドから身体を起こす。それに連動するように、ふよふよと浮かんでいる上海人形が、裁縫箱をアリスの手元に運んでくる。
あれ以来、アリスは部屋の中にいる時は、上海や蓬莱を魔力で使役するようになった。本気を出す出さないはともかくとして、もう明かしてしまった手札を再び伏せる意味はない。
まあ、そんなのはただの屁理屈で。
「ありがと、上海」
「シャンハーイ」
そっと小さな頭を撫でれば、上海はにこっと笑みを浮かべる。それがアリスには大切でたまらない。
なんだかんだ言ったところで、アリスは人形遣い。
一度、こうして動かしてしまえば、離れたくなくなってしまう。もしかしたら、上海達にもさびしい思いをさせていたのか、なんてことも考えて。
つまりは、一緒にいたかった。それだけのことだ。
「また人形でも作ってるのか?」
「ううん、そうじゃなくって」
ごそごそと針仕事を始めたアリスに、ふと興味を引かれたように魔理沙が問いかける。
そんな言葉に肩を竦めることで答える。
今、アリスが作っているのは、レースで縁取りをした菜の花色のリボン。あの時、はからずもいじめてしまった大妖精へのお詫びの品だ。
許されるかと言えば、どうなのかよく分からないけれど。
「アリスもまめよね」
「いいでしょ、別に」
「あら、悪いとは言ってないわ」
どこか皮肉っぽい声音でパチュリー。照れたように言い返すアリスに、くすりと笑う。
それは嘲笑するようなものではなくて、どこか微笑ましげなニュアンスを含んだもので、アリスは顔が熱くなるのを感じる。困ってしまう。
そんな有様に目を向けた魔理沙とパチュリーは顔を見合せて、楽しそうに笑う。けれど、珍しく、それ以上、からかいの言葉を続けることはない。
そうして、不意に魔理沙が口を開く。
「それにしても、本当に楽しかったよなぁ」
やけにしみじみとした言葉が、ぽかりと浮いて。
それをきっかけに、もう一度、今回の一部始終が頭に思い浮かぶ。
やきもきしたり、ひやひやしたり。怒ったり、心配したり。
その時、その時はもう何もかも気が気でなかったのだけれど、終わってみれば、それらすべてが楽しかったという、ただそれだけ。
ひやひやした気持ちは、本当はわくわくした気持ちで。たまに本気を出すのも爽快感。
そして、今回の件で、アリスは今まで以上にこの自由すぎるルームメイト達を知ることができたように思う。同じように。アリスのことも知られてしまったのだろうけれど。
それが嫌ではない。少しだけ近づいた距離が心地よい。
たまにはこんなのも悪くないかな、なんて。
そんな風に思って、自然と、頬が綻ぶのを感じる。
気がつけば、二人もどこか似たような表情で、やはり思うところは一緒なのかもしれない。
「そうだ、そうだ。今日、白蓮のところにいったんだけどさ」
不意に、魔理沙が瞳を輝かせる。わくわくきらきらしたその表情は、いかにも、新しいおもちゃを見つけた子供のような顔。
それでいて、何かを企んでいるような、どこか悪戯めいていて。
「面白そうな話があるんだ」
その言葉に、アリスはどこか嫌な予感を覚えて、パチュリーの方へと視線を向ける。本から顔をあげたパチュリーは小さく肩を竦める。もうここまできたら、覚悟を決めなさいよ、とでもいうように。
「旧校舎の東棟の奥に、今は物置としてしか使ってない塔があるの、知ってるだろ? そこにさ」
「ちょっとまって、魔理沙。それ以上言わないで」
「ええっ、何でだよ!」
「なんでって、あんたね。少しは大人しく……」
「諦めなさい、アリス。魔理沙にそれを言っても無駄だわ」
「パチュリーまで!」
「で、その東棟の塔にこないだ、うっかり星が迷い込んだらしいんだけど」
魔理沙が大げさな身ぶり手ぶりで噂話を語る。本を読みながら、聞いているのか聞いていないのか分からないパチュリーが時たまそれに頷いて。
ああ、また厄介事に巻き込まれる、とげんなりするアリス。けれど、不思議と悪い気はしない。
それどころか、むしろ楽しみだ、とさえ感じてしまうのは、魔理沙に毒されてしまったせいだろうか。分からない。
ただ一つ言えることは、明日からの日々もまた騒がしく、楽しいものになるだろう、ということ。それだけで十分だった。
学生課入試部総長 八雲 藍
合 格 通 知 書
あなたは、当学園の来年度新入生の入学試験に合格されたことを通知いたします。
あなたの当学園への入学をここに許可させていただきます。
つきましては、同封の書類(入学式の日程、入学の手引、入寮のご案内)をご確認いただき、入学の支度の方をお願い申し上げます。
また、ご提出いただく書類を、所定の期日までに送付されなかった場合には、入学の許可が取り消しとなりますので、ご注意ください。
当学園は、あなたがこの場所で一人の魔法使いとして、大きく成長し活躍されることを期待しております。
そんなことが書かれた合格通知書を、もう一度しっかりと眺めて、アリスは大きく深呼吸をする。
地元の駅のプラットホーム。右肩に人形を乗せて、左で大きなトランクケースの持ち手をぎゅっと握って。華奢な身体を包むのは、仕立て上がったばかりの真新しい制服。
目の前の列車に乗ってしまえば、これから一年はこの故郷に帰ってくることはできない。
お気に入りの公園の展望台へも、通い慣れた図書館にも、おいしいケーキのカフェーにも行くことが出来なくなる。
大好きなぬいぐるみ達に囲まれた子供部屋のベッドとも、ダイニングのアリス専用の可愛らしい椅子ともお別れ。
なにより、いつでもそばにいてくれた優しい母や、騒がしくも楽しい姉たちとも会えなくなる。
それは今までのアリスの人生からは考えられないこと。
自ら、進学先として遠くの学校を選んだとはいえ、いざ出発を目の前にすると、足が竦む。このまますべてなかったことにして、家に帰ってしまいたくなる。
「行くって決めたんだから」
口の中で呟いた言葉は、他の乗客たちの騒がしい声にかき消されてしまう。
けれど、アリスの決意が消えることはない。
そう、決めたのだから。
異郷の地で自分の力を試すこと。さらなる高みを目指すこと。
このままここにいたのでは、成し遂げられない目標を果たすために。
震える身体は武者震い。そう自分に言い聞かせて、アリスは前を見据える。
「さよなら」
一度小さく囁いて、キャスター付きのトランクケースを持ち直す。当座のところ必要なものがすべて詰められているそれは、ずしりと重い。
その重みにくじけそうになりながらも、一歩一歩と歩みを進め、列車へと乗り込んだ。
出発を告げるベルの音、ゆっくりと走り出した列車。
窓の外に流れていく故郷の景色を眺めていると、気が早すぎるホームシックにかかりそうになる。
目に焼き付けておきたいという気持ちをこらえて、もう一度合格通知に目を落とす。
そうして、アリスはこれから始まる生活に思いを馳せた。
「すごい人……」
アリスは、あたりをぐるりと見回して嘆息した。同じような年頃の少女たちがこんなにも集まっているのは初めて見たのだから、仕方がない。
今日は入学式。学園中の生徒が一堂に会しても、まだ余裕があるという広い講堂に入学してきたばかりの生徒たちが集められている。
どこか神殿などの施設を思わせる凝った彫刻のなされた白く太い柱。音響上の都合なのか、どこまでも高い天井には、美しい絵が描かれている。
アリス達生徒が腰を降ろしているのは、どこか教会を思わせる二人掛けの木の椅子。
式典の開始を控えて、少しずつ混み合ってくるけれど、まだ、アリスの隣に腰を降ろしす者はいない。
広い空間に満ちているのは、期待と不安の入り混じったざわめき。誰も彼もが知らない顔で。感じるよそよそしさと親近感。
これから五年間、この中に混じって、魔法を学ぶことになるのだ。どこの誰かも分からないこの少女たちのうちの誰かとは友達になるだろうし、知り合いになるかもしれない。運が良ければ、親友と呼べるような間柄になる少女がいる可能性がある。
けれど、今はまだ分からない。ただ知らない人ばかり。
迷子になってしまった子供のような心細さを覆い隠して、アリスは注意深く周囲の少女たちの様子をうかがう。だけれど、決して卑屈には見えないように。
ここに集う皆が魔法を学ぼうという意思を持ってここにやってきた。当然、アリスもその中の一人だ。寄宿制の女子魔法学校の中では規模が小さい方ではあるけれど、名門と呼ばれるこの学園。皆がそれなりに難関と言われる試験をクリアしてきているだけあって、こうして眺めているだけでも、実力を感じさせる何かがあった。
アリスとて、自分の力には自信がある。純粋に自分の力を試したいと、さらなる高みを目指している。はっきりと明確な目標がある。だからこそ、こうしてはるか遠い故郷からたった一人やって来たのだ。誰ひとりとして知る人のいないこの学園に。
まわりの雰囲気に飲まれないよう、なめられてしまわないよう、背筋をぴんと伸ばして、ただ前を見据える。弱気になってしまいそうな自分を奮い立たせる。
『おや、緊張していますか?』
『むしろテンション鰻登りですよ! 私の奇跡の力で、ふふっ。文も協力してくださいね』
『記事になることならいくらでも』
前の方では、最初から知り合いだったのか、仲がよさそうに話している少女達も多く見受けられる。また、それぞれに積極的に話しかけあって、少々ぎこちなく、それでも、楽しげに話しているような人々もいる。
『はじめましてー! あなたの名前なんて言うの?』
『ひゅいっ?』
『ああ、そっか、名前を聞く時は名乗るのが先だよね』
『……』
『私はリリカっていうんだ』
中には、一人で不安げにあたりをきょろきょろ見回している少女もいれば、テンションが上がってしまったのかぴょんぴょん飛び跳ねている少女もいる。
もちろん、アリスのように緊張の面持ちで、静かに座っている、という子も少なくはない。
新入生全員がお揃いの真新しい制服に身を包んでいる。まだ着慣れていないだけあって、制服に着られているような印象の少女が多かった。
まだどこかよそよそしい感じのする黒いブレザー。ひざ下丈の臙脂色をしたタータンチェックのプリーツスカートに丸襟の白いブラウス、胸元にはネクタイを結ぶ。足元は茶色のコインローファーと紺色のハイソックスをはいている。
また、アリスは着用していないものの、ブレザーの下に指定のベストかカーディガンを着ることも許されている。
こうして、みんなで同じような格好をしているのは、なんとも言えず不思議な心地だった。少し窮屈、だけど少し大人になったような高揚感。
「はあ……」
お揃いの服を着ているのにもかかわらず、誰もが強烈な個性を放っていて、この大勢の中で埋もれてしまうことはない。
その中でも、アリスの目を引いたのは、三日月の髪飾りをつけた紫色の長い髪の少女だった。まるでその周囲だけ別の空間であるかのように、周囲のざわつきを無視して、何事もなかったかのように、ひたすら本を読み続けている。
どんな行動をとっていても、誰もがどこか落ちつかない様子であるのにも関わらず、彼女だけは、欠片も動揺した様子もなく、ページをめくる。
どこか憂いを秘めた瞳が印象的で、ついついアリスはその少女を見つめてしまう。
「あっ」
しばらくすると、その視線に気がついたのか、長い髪を揺らして本から顔をあげる。ゆっくりとアリスの方を向いたために、一瞬だけ、目が合う。
しまった、とアリスはすぐに視線を反らす。知らない人を凝視するなんてみっともない真似をしているとは思われたくない。
あたかも、目があったことに気がつかないようなふりをして、明後日の方向を眺める。
やがて彼女は何事もなかったかのように、再び視線を本へと落とす。
横目でそれを確認して、ほっと一安心。安堵のため息をつく。
それと同時に、少しばかり心細さを感じて、無意識のうちに膝の上に置いた上海人形を抱く手の力が強くなる。念には念を、と開始予定時刻よりもずいぶん早く来たせいで、手持無沙汰で仕方がない。
別に一番後ろの席でもいいから、もっと時間ぎりぎりに来ればよかったと後悔するも後の祭り。腕時計に目をやると、入学式が始まるまではあと三十分。
「はあ」
今日何度目になるか分からないため息をついて、アリスは再び前を向く。
過ぎたことを後悔しても仕方がない。今はただ耐えるのみ。
そんな風に思っていた時のことだった。
「あのさ、ここ、空いてるか?」
不意に真横から声をかけられて、アリスは内心でものすごく驚愕した。けれど、鉄の自制心でそれを表に出さないように押しとどめて、極めてクールで落ち着いた自分を装って、その声の主を見やる。
くるくるとした柔らかそうな金髪の巻き毛。左側をひと房だけ三つ編みにして、白いリボンで結んでいる。東洋系の可愛らしい顔立ちに勝気そうな笑みを浮かべ、アリスを見つめている。
体格にはそんなに恵まれていないのか、身長はアリスより小さく見えるし、仕立てたばかりであるはずの制服が大きく見える。肩に担いだ古びた箒などは、彼女の身長を越してしまっている。
「いやー、もうどこもいっぱいだし、友達とははぐれるしでさ。隣、空いてるなら」
頼むっ、と、顔の前に手を立てて、その少女はアリスに言う。外見によく似合った少女らしい声。だけれど、砂糖菓子のような外見に不釣り合いな男の子のような言葉遣い。
アリスとしては、まったく席を独占するつもりなどないし、椅子が人数分しか用意されていないことも分かっている。無意味な質問だ、と思いつつ、緊張を悟られないように、意識的にすまして、それを承諾する。
「別にいいけど」
「やたっ、さんきゅ」
アリスの言いようは思っていたよりもずっと冷たく無愛想になってしまって、少しだけ焦る。舐められたくないとはいえ、人付き合いを拒絶するつもりは全くない。
けれど、そんなアリスの懸念とは裏腹に、ぱっと嬉しそうに笑みを浮かべたその少女はすぐさま、いかにも子供っぽい動作で椅子に腰かける。
そうして、人懐っこい笑顔で小さな手を差し出すのだ。
「私は霧雨魔理沙。よろしくな」
「……アリス・マーガトロイド。よろしく」
差し出されたその手を取らない道理はなく。アリスはそっと少女――魔理沙と握手を交わした。どちらかと言えば冷え症の自らの指先とは違う、子供体温の温かい手に、なぜだかとてもほっとして。
小さく微笑んだアリスと、魔理沙は雑談に興じるのだった。
「それにしてもすごいよなー、ここ!」
「そう?」
「受験の時から思ってはいたんだけどさ」
五年制の魔法学校。世界中から魔法を学ぼうと少女たちが集まる学園だ。その門戸は他の学校よりも広く開かれており、人間のみならず、獣人や妖怪などといった種族の壁を越えて入学を認めている。
学部は大きく二つに分かれており、純粋に魔法らしい魔法を学ぶ学部と、どちらかと言えば神道的なシャーマンのような術を学ぶ学部があり、アリスは前者に入学することになる。
普通の魔法を扱う学部はネクタイ、巫術を扱う学部はリボンをそれぞれ身につけているので、すぐにどちらの学生かは分かる仕様になっている。魔理沙もネクタイをしめていることから、すぐに同じ学部だろうと分かった。
歴史があるだけあって、少々古く見えるところはあるが、施設はまるでどこぞのお屋敷かと見まがうほど立派なものだ。今集まっているこの講堂は、歴史的にも芸術的にも各所から評価が高く、わざわざ予約をとって見学に来る者も後をたたない。
「それでさ!」
「ああ、ほら、そんなにはしゃいでどうするのよ」
興奮した様子で話し続ける魔理沙に、アリスは苦笑する。嫌な感じはしないのだけれど。
もちろん、学校の設備や生徒たちを見て、はしゃいでいるという部分もあるのだが、魔理沙が真に瞳を輝かせている理由は、さまざまな場所に使われている数々の魔法だった。
この短い間だ、詳しいことは分からないが、魔法に満ちた家庭に育ったアリスとは違い、あまり魔法が身近にある生活を送ってきたというわけではないらしい。アリスにとっては珍しくもない、あちらこちらに浮いた七色に輝く炎の照明や、ふわふわとあちこちを飛んでいる妖精が珍しくてしかたがないようだった。
「だって、かっこいいじゃんか」
「はいはい」
とりあえずのところ。先ほどまでの肩肘をはった緊張はどこへやら、気付けば、アリスの表情は和らいで、まるで昔からの友達といるようなそんな気分だった。どれほど長いかと思われた三十分も今ではもう残り少ない。
それは横に座った快活に笑う少女のおかげに他ならない。
アリスはそっと感謝と共に、いい友達になれるかもしれない、と思ったのだった。
「一緒の部屋だぜ、アリス」
「あんたと一緒じゃ騒がしそうね」
「なんだと、失礼な」
入学式を終えた後、配布された資料のうちの一枚を眺めていた魔理沙は、にかっと笑って親指を立てた。こんな偶然もあるものか、と思いつつ、眺めてみれば、確かに三十三号室の欄に、霧雨魔理沙、とアリス・マーガトロイドという名前が並んでいる。
この学園は、魔法学校という特殊性から人里離れた僻地に位置している。当然、普通の少女に通うことのできるような環境ではないため、全寮制をとっている。
上級生になると一人部屋を与えられるのだが、下級生は三人ないし四人部屋ということになっている。
生活を共にすることになるのだから、ルームメイトが誰になるか、どんな人物なのか、ということは生徒たちにとって重大な問題となる。アリスとてそのあたりに不安があったのだが、魔理沙と一緒ということならば少しは安心できるような気がした。
もっとも、その魔理沙とさえ、まだせいぜい二時間弱の付き合いなのだけれど。他に知る人などいないし。
「私たちの部屋は三人部屋みたいね」
「パチュリー・ノーレッジ、ねえ。おもしろい奴だといいな」
そんなことを言いながら、他の大勢の生徒たちと共に寮へと向かう。講堂を出て、少し離れたところにある寄宿舎だ。
今日のところはもう授業だの説明会だのはなく、夕食までの時間を部屋の片づけや親睦を深める時間に使うように指示されている。あらかじめ送ってあった荷物はすでに部屋に運ばれている、ということで、こうして皆、直接持ち込んだ荷物だけを手に、寮への道を急いでいる。
やはり年頃の少女が集まれば、かましいのは必然で。あちこちから、誰誰と一緒だ、だの、違う部屋で残念だの、悲喜こもごもの声が上がっている。そのやかましさに、安堵と緊張と、その両方をあおられて、変な気分になる。
寮の玄関ホールで、寮母だという三つ編みにした長い銀髪と赤と紺の服が特徴的な少女とその隣に寄り添うように立っている黒髪の少女に会釈して、食堂の脇をすり抜けて。
螺旋階段をぐるぐる昇って、アリスと魔理沙は三階を目指す。
木製の床は、生徒たちが歩くたびにかつんかつんと音をよく響かせている。
「三十三号室、ここかしら?」
先ほどの資料と部屋の前に素っ気なくかけられた木の札を見比べて、確認するようにアリスは首を傾げる。慎重派のアリスはついついこういう時三回は確認しなければ気が済まない。
「そうみたいだな、おじゃましまーす」
けれど、魔理沙は見た目通りというべきか、一度ちらっと札を見て、すぐに部屋のノブを捻った。入学式のときにアリスに話しかけてきたことからも分かるように、かなり思い立ったらすぐ実行タイプなのだろうな、とアリスは思う。物事には万全を期してから取り組みたいアリスとは正反対。
「お邪魔しますはおかしくない?」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ? ただいまってのも変だろ?」
「そうねぇ」
「はじめまして! とか?」
「それもなんか変じゃない?」
そんなくだらないことを言いあいながら、部屋へと入っていく。
部屋の照明がついていることから、すでにもう一人の同居人が到着していることに気がついたアリスは、ときとき、と胸の鼓動が早まるのを感じる。そして、いつの間にか握りしめていた手の汗。緊張しているのかもしれない
四角い部屋の四隅には四つのベッドが並べられており、それぞれのベッドのそばにタンスや本棚、勉強机が備え付けられている。あまり広いとは言い難いが、全体的に木製の家具の並んだ温かみのある室内は、過ごしやすそうに見える。
部屋に入って正面に位置する大きな窓には、今は両端でくくられているが、小さな花の柄のカーテンがかかっている。それはベッドカバーや壁紙、家具ともデザインを揃えているらしく、全体的にセンスの良い落ちついた印象を受けた。
どれもこれも使い込まれてはいるものの、清潔さが感じられて、感じがいい。アリスは、ひと目でこの部屋が気に入ってしまった。
好ましさに、ほう、と嘆息。これから、ここで暮らすのだから、過ごしやすいに越したことはない。
「あ」
扉に近い二つのうち、向かって右側のベッドの上に腰かけているのは、紫色の長い髪をした華奢な少女。アリスと魔理沙よりも先にこの部屋に着いていたらしい彼女は、『解呪』と題されたやけに分厚い濃紫の表紙の本を読みふけっている。
顔見知りでも知り合いでもないけれど、先の入学式で、アリスが目を奪われたあの少女だった。思わず声をあげてしまったアリスに、本から目をあげる。
「あら」
やはり、あの時に目があったのは気付かれていたのか、アリスの顔を見て、彼女も声をあげる。不機嫌そうな半眼で座ったまま、アリスのことを見上げている。
邪魔しないで、と言わんばかりのその視線に気圧されそうになるのをこらえ、何でもないような顔を作る。
微妙な空気が漂う中、状況を分かっているはずもない魔理沙が気楽な声と共に首を傾げる。
「あれ、お前ら知り合いなのか?」
「知り合いというか……ええと」
魔理沙に聞かれたことに対して、説明のしようがないアリスは口ごもってしまう。
どう説明しろというのだ、あの微妙な接触とも呼べないような微妙な関係を。
困っているところを見た彼女――パチュリーは、やれやれというようにふん、と鼻を鳴らすと、ややかすれ気味の細い声で、助け舟をだす。
「入学式でちょっと目があっただけよ。名前も知らないし」
「ふーん」
「で、あなた達が私のルームメイトということでいいのかしら?」
ぱたん、と本を閉じたパチュリーは、座ったまま、二人を軽く見上げながら、小さく首を傾げる。表情こそ、無愛想で読み取りづらいものの、言葉そのものはそうそう冷たいものではない。
「霧雨魔理沙だ、よろしくな、パチュリー」
「ええ、よろしく」
あの時、入学式のとき、アリスにしたようにずいっと手を差し伸べる魔理沙。パチュリーはやけに白い手を伸ばして、その手をそっと握った。無表情だったその顔にうっすらと口元に笑みを浮かべて。
そうして、なんとなく、おいてけぼりを食ったような気分のアリスにも視線を向ける。
「じゃあ、あなたがアリスね」
「ええ」
「そう、これからよろしく」
そうして、なぜか少し偉そうにも見える笑みを浮かべるパチュリー。そうして、握手を求めるように細い手を差し伸べてくる。その笑顔や仕草はあの入学式で誰のことも気にせず本を読んでいた姿に重なった。
とにかく、マイペース。そして表情が薄い。多分、そういう人なのだろう、と結論付けて、アリスは微笑みと共にそれに応える。
「こちらこそよろしく、パチュリー」
触れあった手と手があっさりと離れると、パチュリーはもの言いたげに、じっとアリスを見上げていた。妙な目力のようなものを感じて、アリスは内心たじろぎつつも、それを見つめ返す。
「入学式では随分心細そうだったのに、今はそうでもないのね」
「なっ」
その言葉にアリスは思わず声をあげる。なんとなく、顔が熱くなってくるのが分かった。少なくとも自分ではポーカーフェイスを装えていたと思っていただけに、図星をつかれてうろたえてしまう。
それを見て、パチュリーは唇の端をあげて、人の悪い笑みを浮かべる。明らかに面白がっている、からかっている表情。
「お人形を抱いて、借りてきた子猫みたいで、可愛かったのに」
「パ、パチュリー?」
「事実でしょう? 興味ないわ、って顔しながら、頼りなげで」
「事実じゃない……こともないけど!」
「そんなに私のことが気になったのかしら」
「ち、違うわよ」
「なんか楽しそうだな、私も混ぜてくれよ」
「ああ、魔理沙。実はアリスが……」
「ちょっ、止めてー」
そうして、なんやかんやありつつ、自己紹介を済ませた三人は、適当におしゃべりをしながら、部屋の片づけをはじめる。おしゃべりとはいっても話しているのは主に魔理沙で、アリスやパチュリーがそれに一言二言で答えるといったようなものだったのだけれど。
何せ初対面だ、普通ならばもう少しぎこちなくなるはずなのだが。なぜだか、三人ですごすことがごく自然に、当たり前のように感じられて不思議になる。
どちらかといえば人見知りをするタイプのアリスは、自分がこんなにも初対面の相手と過ごしているのにも関わらず、うち解けた気分でいるのか不思議でたまらない。
魔理沙の大言壮語に近いような物言いも、パチュリーの少し意地悪な毒舌も。なぜかそれが心地よい。懐かしい。
まるで、ずっと昔から、そうしていたような。
不思議な感慨に浸りながら、一つ一つ下着や本を片づけていく。下着や制服の替え、私服などはあらかじめ持ってきてよい枚数が決まっているので、そう量があるわけでもない。
本や何かも明日からの授業で配られる予定になっているため、本棚にしまうものも少なくて済む。人形の手入れに使うソーイングセットや布地は、もともと箱に入っているため、わざわざ引き出しにしまう必要もなく、机の上に。こまこまとした小物を引き出しにしまって。
最後に上海人形や蓬莱人形、他にもいくつかの人形をベッドサイドに並べれば、アリスの片付けは大方終わる。掃除好きな方であるため、片付けは苦にならず。手際もてきぱきしていたせいか、魔理沙やパチュリーよりも早くすんだ。
アリスのベッドはパチュリーの隣、魔理沙の向かい。窓際の右側のベッドだった。
ベッドの上に腰かけ、人形の髪や服を手入れしながら、何とはなしに二人の様子を眺める。
パチュリーは不器用なのか、それとも片付けに慣れていないのか、やたらともたもたした手つきで荷物を片づけている。うまく入らないのか、しまっては出し、しまっては出し。しまいには、立ちあがった拍子にトランクケースをひっくり返してしまい、もう収集がつかなくなっている。
「あらら、大丈夫?」
「……ふん」
その場に立ちつくして、散らばった荷物を睨みつけているパチュリーに声をかける。素直に見ていられなかったためだ。
立ちあがってみれば、その身長は魔理沙と同じくらい。細く華奢な身体つきと合わせて、とても小さく見える。その上、明らかにむーっとした表情をしているために、とても子供っぽく見える。入学式やこの部屋でアリスを圧倒した大人っぽさが嘘のようなありさまだった。
「ま、得手不得手ってあるしね。そんなこともあるわよ」
「う」
「手伝いましょうか?」
「……」
とても悔しそうな顔をして、だけれど、助かったといわんばかりに。パチュリーはこくりと頷いた。思わずその頭を撫でたくなるのをこらえて、けれど、なんだかおかしくて小さく笑いながら、アリスは床に落ちたままのものを拾っていく。
「……って、なんでこんなに本ばっかり」
「本のそばにある者こそ私だもの」
「確かにこれじゃ、入りきらなくても仕方ないわよね」
本が好きだということは何となくわかっていたが、一体どこにしまっていたのか分からないほどの本に呆れと共にため息をつく。確かに本や何かに関しては持ち込みの量に制限はないとはいえ、これはないのではないだろうか。
とはいえ、掃除好きなアリスにとってはここまでくれば、逆にやりがいを感じるというものだ。長袖のブラウスの袖を二の腕まで丁寧にまくりあげて、アリスは作業へと挑んだ。
「って、魔理沙! そんな入れ方したら皺になるでしょ?」
「え? 平気平気。アイロンかけるから大丈夫だぜ?」
「そういう問題じゃないっ、で、パチュリーなんで本読んでるの?」
「アリスがやってくれるのでしょう?」
「手伝うだけ! 自分でやりなさいよ」
ぐしゃぐしゃと引き出しに力任せにブラウスをしまう魔理沙をたしなめ、再び本を読みはじめるパチュリーにツッコミをいれ。
これはこれで楽しくはあるのだけれど、二人のフリーダムっぷりに、なんとなく明日からの日々を不安に思うアリスだった。
「疲れた……」
ようやく片付けを終えたアリス達三人は、寄宿舎の一階に位置する食堂へと向かう。
あれから、随分と苦労して荷物を片付けたのだが、肉体的疲労よりも精神的疲労の方が強く、アリスは大きくため息をつく。
集団生活であまり気にしすぎるのもよくないと分かっているけれど、これはひどい。
まず、魔理沙は大雑把過ぎる。
どんなものもとりあえず引き出しに突っ込んでいけばいいというスタンスだ。それだけならいいのだが、片付けの間は邪魔だから、とベッドの上に置いてあったネクタイまで片付けてしまい、しかも、それがどこにあるか分からない。
一度出して探しだして、それからもう一度しまい直すという二度手間になってしまった。
パチュリーはパチュリーで、隙あらば本を読みはじめるから厄介だ。
大掃除をしようとして、うっかり本を読みふけってしまうなんて言うのはよくあることだが。それを抜きにしても、片付けというものに才能がないらしく、まったくもって戦力外に近かった。
そんな二人に協力することになったアリスはとても苦労をした。
時間内に終わらせることができたのが奇跡のようだ。
「霊夢!」
食堂へ着くなり、短くそう声をあげた魔理沙が駆け出す。入学式の比ではなく、学年、学部を問わず少女たちの集まる人ごみの中、アリスとパチュリーは急いでそれを追いかける。別に一緒にいなければならない道理はないのだが、一応、そうしなければいけないような気がした。
「魔理沙?」
その視線の先にいたのは、長い黒髪を赤いリボンでポニーテールにした少女だった。まわりには蛙と蛇をあしらった髪飾りをつけた緑髪の少女と、肩より少し上のところで短く髪を切りそろえた少女が、アリス達と同じような表情をして立っている。
三人とも胸元についているリボンから、アリス達とは違う学部の生徒であることが分かる。
「まったく、はぐれんなよなー」
「あら、勝手にはしゃいでふらふらどっか行っちゃったのはあんたじゃないの」
「そ、それは……」
「ま、どっちにしても学部違うしね」
魔理沙が霊夢と呼ばれた少女の肩を叩く。アリスと同じぐらいの身長の霊夢は、鬱陶しそうに笑いながら、魔理沙を小突いている。いかにも親しげな様子で、随分と仲がいいのだろう、と推測させられる。
そういえば、最初に語りかけて来た時も、友達とはぐれたと言っていたことに思い至る。それがこの霊夢なのか、と少し感慨深い気持ちでそれを見守る。
「私がいないからって寂しくて泣いたりしないでよ?」
「誰がだよ?」
「あんたに決まってるじゃない」
「泣くわけないだろ! ちょっと、アリスも言ってやってくれよ」
しれっとした笑顔を浮かべた霊夢に、顔を赤くした魔理沙が食ってかかる。
それを何とはなしに少し微笑ましい気持ちで眺めていたアリスは、突然名前を引き合いに出されて、目を白黒させる。
くるりと振り返った拍子にパチュリーもろとも腕を取られて、霊夢の前に突き出された。なぜか腰に手を当てて、自慢げに小さな胸を張る魔理沙は笑う。
「ちょ、ちょっと魔理沙?」
「なんなのよ」
「私のルームメイトのアリスとパチュリーだ。お前に負けず劣らずおもしろい」
二人が戸惑っているのを知ってか知らずか、かなり乱暴な紹介をする。それを受けて霊夢は、ふうん、とアリスやパチュリーをまっすぐな瞳で視線を投げかけてくる。
黒目がちの神秘的な瞳は、何を考えているという様子でもなさそうなのにもかかわらず、不思議な力を感じさせ、アリスは身動きをとることができない。
けれど何を言うわけでもなくいつまでも眺められているのは居心地が悪い。
「あ、あの?」
少しばかりの気合いと共に、アリスがためらいがちに声をかけたその時だった。
「あら、そんなところに立っていてはいけませんよ」
「おしゃべりは席に着いてからにした方が良いかと。迷惑になりますからね」
不意に六人に話しかける二人の上級生がいた。一人は紫色から金色へと流れるグラデーションの美しい髪をした、おっとりとした笑顔の少女と、金髪に虎のような黒いメッシュの入ったショートヘアの少女だ。どこか神々しさというか、見るものを圧倒する清らかさというか、そんな雰囲気をまとった二人組。
二人揃って大人びた顔立ちは、入学したてのアリス達よりもずっと落ちついて見えた。
「ご、ごめんなさい!」
確かに言われてみて気がついたのだが、六人が立ち止まっているせいで、人の流れに竿をさしているような形になってしまっている。人ごみの中で、こんな風に立ち止まっていては迷惑になることは少し考えれば分かるはずだったのに、と頬が熱くなるアリス。
「分かればいいんですよ、ね、星?」
「聖の言う通りです」
そんな恥じらうアリスや、申し訳なさそうな顔をする下級生たちに、柔らかい笑みを浮かべて、頷いて見せる。それではね、と小さく手を振って歩いていく長髪の少女。そして、それに付き従うようにもう一人の少女がついていく。
この人の多い中なのにも関わらず、優雅に。まるで静かな湖畔の小路を歩いているかのように、涼やかに。
あっという間に、その背中は見えなくなってしまった。
言うならば、姫君とそれにつき従う従者のような、そんな二人組だった、とアリスは思う。
「あやや、とりあえず、自己紹介は席に着いてからということでいかがです?」
六人揃って、何を言うでもなく顔を見合わせあって。しばらくして口を開いたのは、霊夢と共にいた黒髪の少女だった。やれやれ、というように肩を竦めた彼女に同意の意を示して、アリス達は食堂の奥へと足を進めた。
「あれは私の見たところによると、聖白蓮様と、寅丸星様ですね」
ひょいひょいと分厚く切られたハムを口へと運びながら、黒髪の少女、射命丸文は言う。
六人で一緒に座れる席を確保して、それぞれに名前など自己紹介を済ませて、夕食をとっている最中。文は、先ほどあった二人組について、熱弁を奮う。
魔法学校に来たのにも関わらず、ジャーナリスト志望であるという彼女は、すでに学園の噂話や何かにも明るいらしい。
その幼馴染だという東風谷早苗は、きらきらと瞳を輝かせて、ぱちんっと手を叩くようにして胸元で合わせる。
「流石は女子校、あれですよね、要するに憧れのお姉様!」
「ふむ、そういうことになりますかね」
「お姉様って、何それ」
少々お行儀悪くパンにかぶりついていた霊夢がそんな二人に呆れたような視線を向ける。魔理沙もいまいちぴんと来ないのか、首をかしげている。
アリスも実感としてぴんときたわけではないのだが、小さな頃に読んでいた本や姉たちの影響でなんとなくは分かる。こういった女子校には皆が憧れる上級生がいたりするものだ。
実際、文の話によれば、先ほどの聖白蓮は、成績優秀、品行方正、眉目秀麗と三拍子揃った優等生で、投票で選ばれる寮長をしているのだという。そして、その親友でいつも傍にいる寅丸星とセットで、皆に慕われている、と。中には熱狂的なファンも存在するのだという。
あの人ごみの中、二人が優雅に歩いていたのも、それが原因なのかもしれない。いい意味で、皆が彼女たちに道を譲っていたのだから。
「それであの先生はですね」
「へえ」
アリスがそんなことを考えている間にも、文の話は続く。それは、学園内の噂話であったり、本当にゴシップレベルのうろんな情報も少なくないのだけれど、語り口がうまいのか、ついつい聞き入ってしまう。
同室だという霊夢は食べるのに夢中、早苗はもう聞きなれているのかはいはい、と聞き流すようにしているが、魔理沙は瞳を輝かせて話を聞いている。
そんな話には興味がない、と言いたげに黙ってスープをすすっているのはパチュリー。
文の話を聞きながら、アリスはそれとなく食堂内を見回す。入学式の時よりも、リラックスした雰囲気は眺めていてとても楽しい。
向こうのテーブルでは金髪、銀髪、茶髪をした顔立ちのよく似た三人の少女が、ここからでも分かるほどに騒がしく過ごしている。時折、姉さん、という呼び声が聞こえることから、なんとなく姉妹なのだろうということが分かる。
入口付近では黒い羽根の生えた少女が、赤毛三つ編みに猫耳の少女に手を引かれて歩いている。その後ろに続くのはエルフのような耳をした少女と、可愛らしい顔立ちをした短いポニーテール。
教師達もいる。入学式で高圧的な挨拶をした学部長のレミリア・スカーレット。もう一人の学部長である西行寺幽々子。他にも、長い角を二本生やした鬼が一升瓶を呷っていたり、蛙のような帽子をかぶった少女がけろけろと笑っていたりする。その多くが、アリス達生徒とほとんど変わらない少女の姿をしているのは、流石魔法学校というべきか。
どんなに眺めていても、飽きない。
パチュリーや魔理沙はもちろんのこと、霊夢、早苗、そして文。今日一日でこんなにも知り合いが増えた。
きっと明日からはもっと騒がしい毎日が始まるであろうことに思いを馳せて。アリスは誰にも知られることなく、そっと微笑んだ。
「ちょっと魔理沙、肘もう少し伸ばして」
「これ以上は無理だって」
「はあ……」
真夜中の図書館。貸出受付の狭い狭い机の下。
マホガニー製の重厚な机の下、常夜灯の光もともらない真っ暗な空間にアリス、魔理沙、パチュリーの三人は潜っていた。ひと肌と緊張のせいで暑さを感じ、随分こうしているせいで空気が悪い。
本来ならば、人一人でも狭いと感じるようなスペースだ。少女であるとはいえ三人で入るには狭すぎる。身を寄せ合うようにして、というよりも最早絡みあってしまっているような状態になっている。
「ああ、もうどうしてこんなことに……」
頭の上に置かれた魔理沙の腕や、膝の間に蹲るパチュリーを眺めながら、アリスはため息をついた。あたりを徘徊する妖精たちに見つからないように。
無理な体勢に痺れつつある左足に辟易しながら、アリスは思い返す。
なぜこんなことになってしまったのか、と。
入学式から三カ月。
日々新しいことに追われて、せわしなく過ごしてきた新入生たちもようやく学校になじみ、落ち着いてきた。教科ごとに違う教室に行く際にも道に迷うことがなくなり、友人関係もそれなりに確立されてきたそんな頃だ。
親元を初めて離れて落ち込んでいた者も、今となっては快活に笑っている。
悩みの中心はホームシックではなく、日に日に難しくなる授業についていくことに変わる。
もちろん、それらはアリスも例外ではない。
厳しい規律の集団生活にも慣れてきたし、授業も楽しい。充実した毎日を過ごせていると胸を張って言える。
知り合いや友人もずいぶんと増えた。
クラスメイトのプリズムリバー三姉妹の末っ子や、ちょっと臆病な発明家のにとり。同じ委員会に所属していることから仲良くなった二年生の十六夜咲夜とその友人である兎耳の鈴仙や半人半霊の妖夢とは話すことが増えた。
それに学部は違えど、霊夢たちとも順調に親しくなった。お互いの学部の情報交換をしながら、一緒に食事をすることも多い。
生徒だけではなく、学園で働いている職員の顔もようやく覚えられてきた。
大図書館の館長をしていて、訪ねていくと紅茶をふるまってくれる阿求や、庭の手入れを生業にしているという妹紅。あちこちを警備して飛び回っている妖精たちもいる。
そして、この寄宿舎で暮らす生徒たちの世話を一手に取り仕切っている八意永琳。
規則に関しては厳格で、違反者を厳しく罰する。しかし、基本的には優しく、生徒たちの困りごとに親身になって応えてくれるいい人だ、とアリスは思っている。来て早々にホームシックにかかり、眠れなかった時、胡蝶夢丸を処方してもらった時は本当に助かった。
誰もかれもが個性が強く、一度会ったら忘れることができないほど。
そんな彼女らに囲まれた日々が楽しくないはずがない。
そして、この三か月で最も親しくなったのは、当然と言えるかもしれないが、ルームメイトたる魔理沙とパチュリーだ。
出会った時から一筋縄ではいかないだろう、と思ってはいたのだが、実際につきあってみるとそれどころではない問題児のコンビだった。
入学して一週間で門限破りをしたのを皮切りに、寄宿舎の厳しい規律を、まるで「規則は破るためにあるんだ」と言わんばかりに違反する魔理沙。毎日、好奇心の赴くままに、あっちへふらふら、こっちできょろきょろ。教授への悪戯も平気で行う。
けれど、そんな自由奔放な振る舞いはどこか人を惹きつけ、学園の中でもかなり名前の知られたトリックスターとなっている。果てはあの聖白蓮にまで気に入られている、というから驚きだ。
決して、ものすごく性格がいいというわけではないのだが、どこか垢ぬけているというか、憎めないところがあり、話していて楽しい。
そして、パチュリー。パチュリーもまた規則破りの常習犯だが、魔理沙とはまた違うマイペースさからの規則破りだ。
とにかく本、本、本。本がなければ生きていけないとばかりにいつでも本を読んでいる。朝も昼も夜も、食事中でさえも本を読んでいる。授業中に講義をまるで無視して本を読んでいるなんてことも珍しくない。そして、なんの前触れもなく本で読んだ実験をして、部屋の床を焦がしたり、ミステリーサークルを作ってみたり。普通に問題児である。
注意しても注意してもどこ吹く風。それどころか、理屈っぽい物言いで言いこめられてしまう教師が多く、最近ではわりとそういうものなのだと放置されがちだ。
そうして、そんな魔理沙の突拍子もない思いつきと、見た目こそまともっぽいのにそれにノリノリでついていくパチュリーに振り回され、時にたしなめるのがアリスだった。
なんとなくクラスの中でも二人のストッパー役としてのポジションが確立されている感があるのも否めない。そんなわけでなし崩し的に、三人セットで問題児扱いされることが増えてきたようにも思う。
だって、とアリスは思う。
確かに二人はいろんな意味で厄介なのだけれど、一緒にいると楽しいのだ。
いけないことだと思っても、「アリスも行こうぜ!」と手を差し伸べられれば、ついついついていってしまう。楽しそうという好奇心と、危なっかしい二人に対する心配と、その二つが入り混じったようなそんな感じで。
そして、今日の一件もその例に漏れない。
「面白そうな話があるんだ」
夕食を食べ終わって、入浴も終えた後。これより先の時間は緊急を要する事態か許可がある時以外は寄宿舎の外に出てはいけないことになっている。また、寄宿舎の中であっても、寮母である永琳に用がある時など、必要な時以外は部屋の中にいなければならない。他の生徒の部屋に入るなどもってのほかだ。
まあ、その規則を破って、こっそり誰かの部屋に集まってティーパーティーをする生徒も少なくないのだけれど。いつ見つかるかというスリルとみんなで秘密を共有しているという感覚が楽しい人気の遊び。
魔理沙はしばしば招かれたり、呼ばれてもいないのによその部屋に遊びに行くことが多く、大抵の場合、どこに行っているのか、夜はアリス達が眠る頃になるまで部屋に帰ってこない。
それなのにもかかわらず、今日はどこにも行こうとしない。
珍しいこともあるものだ、と思っていたら。いたずらっぽい、それでいて深刻そうな表情で、アリスとパチュリーに語ったのだ。
放課後、白蓮の妹分の一人である村紗水蜜から聞いたという話。
「うちの学部に寅丸星っているだろ? そいつがさ、こないだうっかり宿題をやるのに必要な資料を図書館に忘れてきたらしいんだよ」
そう言えば、と、入学式の日に寅丸星にたしなめられたことを思いだす。学園で生徒たちのカリスマ的な存在である白蓮とのつながりで噂を聞くことも少なくない。
アリスはあまり興味を持っていないが、その手のことが好きな子たちからすれば、ショートヘアと凛とした顔立ち、親切な性格や何かから、王子様のような扱いを受けている。
そして、そんな彼女の短所は度を超えたうっかり屋である、ということだ。しばしば、友人であるナズーリンに頼っている姿も見ることができる。そんなところも、可愛らしいと評判だったりするのだけれど。
「で、許可をとって、夜中……確か、十時過ぎぐらいだったかな。取りに行ったんだって」
「それで」
「その資料って言うのが、禁書の棚にしかないものでさ。ほら、あいつだし、なかなか資料が見つけられなくて、おろおろしてたらしいんだけど」
その時、どこからともなく聞こえたのだという。
しく、しく、と誰かがすすり泣いているような声が。時々しゃくりあげるような声が。
どちらかと言えば小さな女の子のような高く甘い声が悲痛に泣いている。
しかし、はっきりとした音ではなく、頭の内部に入り込んで揺さぶられるようなそんな音。怖くなった星はすぐさま図書館を走って出てきたのだという。
そして、帰ってくるなり、ルームメイトのナズーリンに泣きついたらしい。そして、そのナズーリンと仲の良い雲居一輪の使い魔の雲山を経由して、水蜜がその話を聞いた。
誰もが星のうっかり癖を知っていたため、夢か、あるいは警備をしている妖精が転んだか何かしたんじゃないかと考えて、笑い飛ばした。そうして、魔理沙も怪談というよりは笑い話として聞いたのだが。
「というわけでだ、今夜図書館に確かめに行こうぜ」
長い話を終えて、にかりと笑った魔理沙はベッドの上で胡坐をかいてそう言った。いたずらっぽいその表情は断られることなどまるで考えていないかのように、楽しげである。
机に座って、今日出されたばかりの宿題をこなしていたアリスは椅子ごしに振り返って、呆れの混じった嫌な顔をする。
「嫌よ」
「なんでだよ、気になるじゃんか」
「その手の怪談ってわりとどこの学校にもあるポピュラーなやつじゃない。眉つばよ、眉つば」
「それにしたってその原因が知りたいって思うだろ」
どうせ風か、妖精か、そのあたりに決まっている、とアリスは首を横に振る。ただでさえこんなに宿題が多いのだ、ぎりぎりまで放置しておくのが嫌いなアリスは出された日には済ませておきたいと思う。
「はあ……、第一、夜は外出禁止でしょ」
「そんなの気にしないぜ?」
「私は気にするの。っていうか、気にしなさいよ」
絶対行かないわ、という表情のアリスに、ちえ、とつまらなさそうに伸びをして、今度はパチュリーに話しかける。
すでに寝間着姿でベッドに入っていたパチュリーは、我関せずといった様子で本を読み続けていた。とはいえ、そう言う時も意外とちゃんと聞き耳を立てていることをそろそろアリスも魔理沙も学んでいる。
「なあ、パチュリーは行くだろ? 行くよな?」
「行かないわよね。パチュリー?」
ゆっくりとした動作でページをめくるパチュリーは、顔を上げないまま答える。
「行ってもいいわよ」
「ちょ、ちょっとパチュリー?」
ぱたん、と分厚い本の表紙を閉じて、パチュリーは魔理沙とアリスの方へと視線を向ける。まあ、なんとなく予想はしていたとはいえ、僅かな希望を絶たれ、思わず声をあげたアリスに、少しだけ口元をあげたささやかな笑みでもって、答える。
「ちょうど借りていた本が読み終わって退屈してたところだったのよ」
「おお、話が分かるじゃないか、パチュリー」
いえーい、と親指を立てる魔理沙に、パチュリーは寝間着を脱ぎはじめることで答える。
寄宿舎の規則で、自分の部屋にいる時以外は必ず制服を着用しなければいけないと決まっているのだ。流石に伝統があるだけあって、そういう細々としたルールは多い。
とはいえ、外出禁止のところを出かける時点でそのあたりを気にする必要もないような気がするが。
「前から禁書の棚の本も読んでみたかったのよ」
「私たちはまだあの区画入れないしな」
和気あいあいと、どう考えても不穏な会話をしている二人に向かって、アリスは言う。
自分に言い聞かせるように、少し張った声で言う。
「私は絶対、行かないわよ!」
「ああ、もう。ただでさえ最近先生たちの視線があれなのに。先輩たちに「あなたも大変ね」とか言われてるのに」
「だったら、ついてこなければよかったじゃないか」
「というか後の祭りよね」
回想を終えて、相変わらず机の下に隠れているアリスはぶつぶつと呟く。そんなアリスに、あっけらかんとした様子で魔理沙は言う。パチュリーはさらりと毒を吐く。
二人揃って今のこの状態もなにか楽しいと感じているらしく、その声は僅かに弾んでいる。その気持ちを理解しがたい、というわけでもないあたり、アリスもアリスなのだけれど。
「あんた達だけにしてたら、何やらかすか分からないじゃない」
「そうかしら?」
「素直に一緒に来たかったって言えばいいのに」
「別に一緒に来たかったわけじゃ……ないとは言わないけど」
「ま、とりあえず収穫はあったんだからいいじゃないか」
収穫ねえ、と魔理沙のポケットからはみ出しているメモ帳を眺めたアリスは困ったようにため息をつく。
確かにわくわくしている。おもしろいことが起こりそうだとも思う。けれどこれが本当にいいことかどうかは分からず。アリスは禁書の棚での出来事を思い返した。
パチュリーが着替え終えるのを待って、三人は部屋を出発した。螺旋階段を降りて一階へ、巡回している永琳に見つからないように食堂の隣をすり抜けて。玄関ホールを駆け抜けて寄宿舎を出た。
僅かに坂道になっている緑地の小道を十分ほど歩いていったところにある大図書館へ三人は無事に侵入した。
「へへ、来たぜ!」
「静かにしなさいよ。って、パチュリーもそこで本を読まないでよ」
真夜中の図書館は昼間とは違う顔を見せる。月明かりとわずかな光に照らされた暗い空間の中では、いつもは宝箱のように思える本棚が、やけに威圧的な恐ろしいもののように感じられた。
その雰囲気に思わずアリスは飲まれてしまいそうになる。けれど本当にこっそり忍び込んでいる自覚があるのかきょろきょろとあちこちを見回している魔理沙と、寸暇を惜しむように本を読みはじめるパチュリーはひたすらにマイペースで、怖がっている暇などないのだけれど。
この学園ではあちこちで妖精たちが警備員として働いている。
少々頭が弱いのが難点ではあるのだけれど、本人たちはかくれんぼのような遊びの一環だと思っているためか、侵入者に敏感に反応して、あっという間に捕まえるのだ。有能だ。小さな身体の妖精たちにとって学園の施設は絶好の遊び場。中でも光の三妖精と呼ばれる妖精たちは、これまで誰も見逃したことがないというほどの実績を持っている。
流石に光の三妖精は学園の中でも最も重要な場所に配置されているため、図書館にはいない。しかし、図書館を徘徊する妖精は、妖精の中でも特に強い力を持つ氷精チルノをリーダーとしているため、決して油断はできない。
侵入者がなくとも図書館の中を徘徊して遊びまわっているため、彼らに見つかるわけにはいかないのである。
そのためにも静かにしなければならない。足音を立てないために、アリスとパチュリーは浮かび上がる魔法を使う。教員相手なら、魔法を使うとその反応で見つかってしまうのだが、妖精相手は流石にそのスキルは持っていない。むしろごく普通の足音などの物音に気を使った方がいい。すっかり摩耗した赤い絨毯の上を革靴で歩くとこつこつと音がしてしまうから、要注意だ。
ここまでで何度も魔理沙につきあって侵入しているうちにそれを覚えてしまった自分が悲しい。
「魔理沙も飛べばいいのに」
「出来ないの、分かってて言ってるだろ、パチュリー」
「ええ」
今に見てろよ、と抜き足差し足で歩いている魔理沙がパチュリーを睨みつける。
元々、魔法を使う環境に育ったアリスやパチュリーと違い、魔理沙はこの学園に来てから魔法を学び始めた。見た目や行動に似合わず、努力家であるため、ひどい遅れをとることは少ないが、こうしてさりげないことでも『できない』ことが少なくない。
箒に乗って飛ぶことはできる。というよりもむしろクラスの中で右に出るものがいないほどうまい。だが、箒なしで飛ぶことはできないのである。
そうして、書架と書架の影に隠れるように、魔理沙のペースに合わせてゆっくりとやってきた禁書の棚。どんなに見上げても一番上が見えないような高い本棚だ。
何度か妖精に見つかりそうになりながらも、なんとか逃げ切ることができた。ここまでくればもう安心。妖精も危険な魔力に満ちたこの区域には近寄ろうとしない。
「さて、探すか。例の本とやらを」
ぐいっと伸びをした魔理沙は獰猛な笑みを浮かべる。そんな無鉄砲な様子を見て不意にアリスはにわかに心配になる。
こうしてやってきてしまったとはいえ、ここは下級生が立ち入り禁止となっている区域なのだ。なぜ、禁止されているのか。危険だからに決まっている。
少なくとも、遊び半分で手を出しては、やけどでは済まないかもしれない。
「あんまりうかつに触らないほうが……」
それに気のせいだろうか。本に込められた魔力の影響なのか、アリスはこの場所に来てから背筋が粟立つような感覚にとらわれたきりだ。
昔、子供のころ魔導書を誤って解呪してしまいひどい目にあった苦い記憶を思い出さないように蓋をして。今はただ、不快な感覚に自らの腕で身体を抱く。
「大丈夫よ、手の届く範囲には大したものはないから」
「え?」
「うかつに下級生が危険なものに触れないための配慮かしらね」
そんなアリスをちらりと一瞥したパチュリーはそう囁いて、ふわりと高いところまで浮かび上がる。どういう事情があるのか知らないが、パチュリーはごく普通の一年生とは思えないほどに魔法に精通している。こと本に関しては、上級生をも上回るのではないだろうか。
そんなパチュリーがそう言うのだから、とアリスは少しだけ安心する。
「でも油断はしないで」
「分かったわ」
「流石に私だってそれぐらい分かってるぜ」
そうして、三人で頷きあって、それぞれに物色を始める。例の泣き声とやらが聞こえるのを待つ。しかし、待てど暮らせどそんな泣き声は聞こえてこない。
「ほら、やっぱり気のせいだったのよ」
「むー、絶対なんかあると思ったんだがな」
「怪談なんてそんなもんよ。ほら、帰りましょ」
「ちぇ、はずれか」
別に怖かったというわけではないけれど、アリスはほっと胸を撫で下ろす。この変な感覚のする禁書の近くから離れることができそうだ、ということが大きいだろうか。
それとは反対に不満そうなのが魔理沙だ。つまらなさそうに唇を尖らせている。
しかし、引き際は心得ているのか、アリスに促されるままに踵を返す。再び妖精たちに見つからないように帰るのは骨が折れるな、と思いつつ。
「あら、そうでもないみたいよ」
「え?」
「どういうことだよ」
「ほら」
今まさに戻ろうとしたその時。少しだけ楽しそうな笑みを浮かべたパチュリーが言う。
不意打ちの言葉にアリスと魔理沙が、後を飛んでいたパチュリーに振り返ったその時。
「!」
――ぞくり、と。
アリスは先ほどまでとは比べ物にならないぐらい、背筋に寒気を感じた。長袖に隠れた腕には鳥肌が、暑いわけでもないのに脂汗が滲む。
同じように感じているのか、魔理沙も不安げに、けれど少し期待で興奮した瞳で、きょろきょろとあたりを見回している。パチュリーは二人よりは冷静に、借りていくと決めた本を胸に抱いたまま、気配を窺う。
そうして、聞こえてくるのはすすり泣きの声。頭の中に響いてくるようなかなりの不快感を伴う泣き声だ。
もし、あらかじめ聞かされていなければ、妖精に捕まることなど気にせずに、逃げだしたくなるような泣き声だ。
悲痛な響きのその声は、幼く。小さな女の子が怯えているようなそんな声だった。
「っしゃあ、どこだ」
「そっちの方みたいね」
泣き声の発生源を探して、三人は注意深く意識を集中させる。ここまで来たのだ、恐怖がないわけではないが好奇心はそれに勝る。危険だと分かっていても手を出してしまうのは魔法使いの性か。
「ここだわ」
思っていたよりも、はっきりしていた泣き声の在り処はすぐに見つけることができた。
禁書の棚の手前から三番目、下から二段目の段。鮮やかな臙脂色の表紙をした本から泣き声は聞こえてきた。
魔力が漏れ出ているのか、その本だけはうっすらと光を放っている。
「これか……?」
「待って、駄目」
その光に見入られたかのように、魔理沙はゆっくりとその本を取りだそうと手を差し伸べる。そんな魔理沙の手をパチュリーが珍しく機敏な動きで掴む。
「なんで?」
「見て分かりなさいよ、これは危ない」
「……そうかもしれないけどさ」
「対処するにももう少しいろいろ調べてからにしないと」
少なくとも、今何の支度もせずに手を出したらどうなるか分からない。
今日のところは書の名前を控える程度にしておくべき、というパチュリーの主張は渋々ながら、受け入れられた。
意外にも用意の良い魔理沙がその本のタイトルや装丁をメモしていく。
相変わらず、すすり泣きの声は響き続けているのだけれど、少しその謎を解き明かす手掛かりを得ることができた。それだけで、気持ちはずいぶんと軽くなる。
「それにしても一体なんで泣いているのかしら」
「禁書の中にはそういうもので擬態して、手にとった者を呪い殺すようなものもあるわね」
「さらっと怖いこと言わないで」
「ま、学校の図書館に置いてある本にそこまで凶暴なものがあるとも思えないけど」
魔理沙がメモを終えるのを待っている間、アリスとパチュリーは手持無沙汰に雑談をする。流石のパチュリーもこの泣き声の中で本を読むことはしないらしい。
何とはなしに、アリスは耳をすます。この泣き声の中に何かヒントが隠されていないかと考える。
悲しげなすすり泣きは、その声だけではなく。よく聞いてみれば、しゃくりあげる音や鼻をぐずぐずとすする音も聞こえる。
それに気がつくと、妙にそれが子供っぽく、俗っぽく思えてくるから不思議だ。恐怖がやや薄らぐ。
「あ、あれ?」
そうして気がつく。その泣き声が訴える言葉。涙交じりで不明瞭。
ほとんど何を言っているのか分からないぐらいだけれど、一旦気がつくともうそうとしか聞こえない。
「アリス?」
「どうかしたかしら?」
アリスの異変に気がついたパチュリーが、メモを取り終えた魔理沙が、揃ってアリスの方を向く。そんな二人にアリスは、自分でも信じられないような気持ちで、呆然と呟く。
「この本、助けてって言ってる――」
そうして、魔理沙もパチュリーも確かにそう言っていると判断した。けれど、だからと言って、取るべき手段がないのは変わらない。
予定通り、禁書の棚を出て、寄宿舎へ帰る道のりの途中。気が緩んだのか、運が悪かったのか、妖精たちに気付かれてしまった。捕まらないように、逃げて逃げて。ようやくこの机の下に逃げ込んだのが十分前のことだ。
「で、どうするよ」
幸いにしてまだ姿を見られたというわけではない。なんとか誤魔化して逃げ切ることもできるかもしれないが、この寿司詰め状態では、浮かぶ考えも浮かばない。
「パチュリー、あなた精霊魔法の使い手だったわよね? 何か」
「何をしても図書館の中じゃ目立つもの。逃げられても騒ぎになるだけよ」
膝の間に蹲っているパチュリーの顔をアリスは見ることができないが、相変わらずしれっとした表情をしているに違いない。
まあ、確かに言っていることはもっともである。
「魔理沙……はダメよね」
「まあ、流石にここで花火をぶちかますのもどうかと思うぜ」
「そうよねえ……」
魔理沙のキノコを使った魔法は火力こそ強いものの、まだ汎用性は低い。パチュリーのそれと同じように騒ぎになってしまうだろうし、第一、こんな魔法を使うのは魔理沙だけだ。翌日になればばれてしまう。
いつもはあまりそういうことを気にしない魔理沙も、アリスの説得により、これから、あの本について調べようという時に、下手に目立つのは得策でないと納得している。
「アリスはなにかないか?」
「……」
あるには、ある。
この学校に来てから学んだ魔法では、無理かもしれない。けれど、アリスが昔から使い慣れている人形を操る魔法ならば。
しかし、この学園の中にいる時は、それを使わない。そうアリスは決めている。
だから、仲の良い魔理沙とパチュリーにもそれを言ったことはない。
「え、ええと」
アリスの実家は人形遣いの一族。この学園よりもはるか西の地方では、知らぬ者などいないというほどの名門である。当然、アリスも子供のころから人形遣いとして、修行を重ねてきた。
元々才能があったのか、この年にして、人形遣いとしてはある一つの極みへと達している。そこで、新たな目標として掲げたのが、自律人形の作成だ。
そんなに大した野望があるわけではない。ただ、作ってみたかった、それだけなのだけれど。
だが、『操る』ことと『作り出す』ことは大きく異なっている。実家では、それに必要なだけの資料も技術もなかった。
そのための魔法技術を身につけるためにわざわざこの学校にやってきたのである。
「アリス?」
故郷を遠く離れた見知らぬ土地。頼りになるのは自分だけ。
表向きは何でもないようなふりをしていたけれど、本当はとても怖かった。
そんな時。本気を出さないこと、億の手を隠しておくことで、折れてしまいそうな心を支えた。自尊心を守り、余裕を持つためのアドバンテージ。
だから、アリスは人形遣いとしての自分を秘している。
もしもの時のため、というか使わないとしても、自分とほとんど一体の存在である上海人形や蓬莱人形を置き去りにしてしまうなんてできずに連れてきたけれど、使う気はない。手持ちのカードをすべて明かしておくなんて、危険なことをしないだけの分別はある。
けれど、今がそのもしもの時なのではないか。しかし、こんなところでとっておきを見せて手の内を晒してしまっていいものか。
人形の術を見せてしまえば、本気を見せてしまえば、もう後がないのだから。
そうなってしまえば、まるで丸裸にされたような心細い気持ちになる。それは怖い。
ああ、でも。
黙りこんでしまったアリスを見て、返事は否だと判断したのか、魔理沙がやれやれというように首を横に振る。パチュリーもふん、と鼻を鳴らす。
「やっぱないよな」
「しかたない。別の手段を考えましょう」
「それしかないか」
そんな二人に、罪悪感と、これでよかったんだ、という気持ちの両方で胸が痛む。
幸いにして、この机の下は暗いから、表情を見られなくて済む。
「さーあ、出てきなさい? ぜーったい逃がさないわよ!」
幼く甲高い声が図書館に響き渡る。三人を探す妖精の声。
やや舌ったらずなその声の主は、三人がここに隠れているのに気がついていないのか、子供っぽく声を張り上げる。何せ、妖精だ、それも自然なことなのだけれど。
「あたいは最強なのよ、あっというまに見つけちゃうんだから!」
最強、のワードから、三人はここにいるのがチルノであることを悟る。
おバカなことで定評のある彼女だが、妖精というくくりの中で見れば、必ずしもそうであるとは言えない。ある意味他の妖精が来たときよりも厄介であるといえるかもしれない。
「ちょっと、どうするのよ」
「ちくしょう、妖精如きにこんなにビビらされるなんて」
「そんなこと悔しがってるような場合でもないでしょうに」
そんな風な益体もない言いあいをしながら、息を潜める。今気づかれずにチルノがどこかに行ってしまえば、逃げられる。幸いにして、この机の後ろは大きな窓になっている。行儀は悪いけれど、忍び込んでおいて今更そんなことを言っても仕方がない。
どうにかチルノの気をそらすことができないか。
そんなことを強く心に思い描いたその時だった。
がしゃん。
あたり一面に響き渡るガラスの割れる音。真夜中のこの緊迫した状況ではやけに響いて聞こえる。その音源はアリス達がいる方から反対の場所にある窓。
「そこにいたのね!」
チルノは嬉しそうな声をあげると一目散にそちらへと飛んでいく。
何が起こったのか分からない三人は少しだけ面くらい、しかし、それでもこのチャンスを逃すわけにはいかない。
「逃げよう!」
窓を開けて、アリスとパチュリーは魔法で飛び、魔理沙は全力で走り。
どうにかこうにか、誰にも見つかることなく部屋に戻ることができたのだった。
「あー、楽しかった」
部屋に帰ってくるなり、魔理沙は楽しそうに笑ってベッドにダイブする。靴を履いたまま、制服を着たままだ。普段ならば、アリスはそれをたしなめるのだけれど、すっかり緊張で疲れ切ってしまったせいか、口を開く気にもなれず、自らのベッドに座り込む。
ちゃっかりと本を借りてきていたパチュリーは、すぐに本の表紙を開く。
「楽しかったじゃないわよ、もー」
「やー、楽しかっただろ?」
「楽しかったかもしれないけど、それ以上に疲れたわ」
深いため息をつくアリスに、魔理沙は声をあげて笑う。寝転がったまま、ブレザーを脱ぎ、ネクタイを外し、ブラウスのボタンを外していく。
それを呆れ混じりのまなざしで眺めながら、アリスもさっさと寝間着に着替えることにする。こういう時は眠ってしまうのが一番だ。
「明日からは忙しくなるな」
「そうね」
魔理沙のしみじみとした一言に、パチュリーがそっけなく答える。
確かにやらなければならないことはたくさんある。
魔導書の正体を調べること、その処遇をどうするのか考えること。言葉にしてしまえばそれだけのことなのだけれど、実際にやるとなればそうはいかない。
たくさんの書物を調べなければならないだろうし、また、場合によってはあちこちへの聞きこみも必要になる。
本来ならば、ああいうイレギュラーを起こしている本については教師か司書か、誰かに報告しなければならない。けれど、三人ともそんな気はさらさらないのである。自分達の力で解き明かそうと考えている。
もっとも、報告するには今日の規則破りについて話さなければならないので、不可能なのだけれど。
「それにしてもラッキーだったな」
「そういえば、あれはなんだったのかしらね」
狙いすましたようなタイミングで割れた図書館の窓。まるで三人を逃がそうとするかのような。偶然で済ませるには少し気になる。
考えたところで答えは出ないのだけれど。
「それじゃ、寝ましょうか」
「そうだなー」
「おやすみなさい」
やがて、言葉少なに寝支度を済ませた三人は、部屋の照明を消して、それぞれベッドへと入る。
けれど、アリスは身体の疲れとは裏腹に、なかなか寝付くことができなかった。
浅い眠りの中で、ただ、たすけて、と啜り泣く声がいつまでもいつまでも耳の奥に響き続けていた。
「事件の匂いがしますね」
そう言って、文はメモをとっていた手を休めて、にや、と獲物を見つけた猛禽類を思わせる笑顔で、微笑んだ。
寄宿舎の談話室のなかでも一番奥の席。飾られている観葉植物に区切られて他の席からは何をしているのか見えないことに特徴がある席に霊夢、文、早苗、そしてアリスと魔理沙の五人が集まっている。
あの図書館での一件から、一週間。ここのところずっと何かに心を奪われているアリスと魔理沙、パチュリーに不信を感じた文に事件の香りを嗅ぎつけられ、夕食時にそれを問い詰められたのである。
けれど、図書館に忍び込んだ、などという話を人前でするのは憚られ、内緒話をするのならばこの席、と言われるここに移動してきた。
そうして始まった内緒話。秘密の告白。
興奮して勢いよく語る魔理沙と、時折その説明の中で不足している点をアリスが冷静に補足して。そうして、話し終えたあと、文は開口一番、そう言ったのだった。
「いいなあ、ロマンですねぇ。図書館に響く助けを求める声、その謎に立ち向かう一年生、まるでファンタジー小説みたい。いいなあ」
「あんたね……、魔法学校来ておいてファンタジー小説みたいっておかしいでしょ」
胸元で手を組んで、夢でも見ているかのように、うっとりした様子の早苗に、霊夢は興味無さげにクッキーを齧りながら突っ込みを入れる。
三者三様のその反応に苦笑して、人差し指で頬をかいているアリスは、困ったように口を開く。
「ま、今のところ、あんまり収穫はないんだけどね」
一昨年赴任してきたばかりだという館長の阿求にそれとなく聞いてみたのだが、彼女は名目上館長という役割を担っているけれど、本当の仕事は学園の歴史を記録することなのである。魔力を持たない彼女は当然の如く、禁書の区画に立ち入ることはできない。
「やや、それじゃあ、誰が図書館の管理を?」
「司書をやってる小悪魔たちね」
学部長であるレミリアの私的な従僕である力の弱い小悪魔たちは、図書館に長いこと住みついており、この学園の誰よりも図書館に精通している。いたずらな性格の彼女たちは、レミリアを除けば、歴代の館長の言うことしか聞かない。そのため、仕事以外の案件で彼女たちに話を聞こうとしても、嘘をつかれるか悪戯をされるかのどちらかだ。
今回の一件でも、それは変わらず。聞きに行った魔理沙は頭の上にチョークをたっぷりしみこませた黒板消しを頭に乗せられて、ひどい目にあった。
「なんとか蔵書目録は借りることができたんだけどさ」
「かなりアバウトな編集で、年代もアルファベットも全部ごちゃまぜになっちゃってるのよ」
魔理沙がチョークで真っ白になった話を聞いて、笑う早苗や霊夢をむっとして睨みながら、魔理沙は口を尖らせる。その言葉をついで語るアリスは心底疲れたというように大きく息を吐き出した。
きっと何かしらの法則でまとめられているのね、とパチュリーはそういうが、それを知らない三人からしてみれば、ただのランダムな並びにしか見えない。何億という本のタイトルの中からたったひとつを探し出すのは骨が折れる。
ちなみにそのパチュリーはここのところ、すっかり夢中になってしまい、まるで取りつかれたかのように寝食も削って、調べ物に励んでいる。今日も、食事も会話もそこそこに、さっさと部屋に戻っていってしまった。
なぜか、彼女らしいと思ってしまうのだけれど、身体を壊さないか、アリスは少し心配になる。
「私たちもそっちの学部ならお手伝いできるんですけどねー」
「非常に遺憾ですが、専門外です」
暗澹たる雰囲気を漂わせている二人に、苦笑した早苗と、自ら調査に乗り出したそうな文が悔しげに言う。
魔法という意味では全く同じようなことにも見えるが、二つの学部の間の壁は厚い。
そもそも術式が全く違うため、完全に学ぶ内容は分断されている。自分の所属している学部の施設以外に入ることは固く禁じられているし、この寮以外では顔を合わせることもない。
そして、図書館は魔理沙達の学部の施設であり、勉強に扱っている文字そのものが異なっているため、流石の文も早苗も図書館に行く勇気はないし、目録をチェックする手伝いもできない。
「私はいい加減諦めてもいいと思うんだけどね」
「諦めるなよ、アリス!」
「そうですよ、もったいない。是非、その謎を解き明かして私に独占取材をさせて下さいよ」
弱気というか、消極的な発言に魔理沙はむきになって、文は私情交じりの真顔で反論する。そこまで本気で反応されるとは思っていなかったアリスとしては、驚くしかない。
もちろん、そう簡単に諦めるつもりはない。けれど、あの時、図書館で感じた嫌な気配を思うと、これ以上足を踏み入れていいものか、不安になるのである。
自分たちの手に余るのではないか。何か悪いことが起きるのではないか。
漠然とした不安は止まらない。
「まー、別にそんなに心配することないんじゃない?」
そんなアリスの心を見透かしたように、先ほどまでずっと黙っていた霊夢が呟いた。細い棒状のお菓子をぽりっ、と食べて、すべてを見透かしてしまいそうなあの神秘的な瞳で、アリスの顔を覗き込んでいる。
「え?」
「なんかこう悪いことは起きないと思うわよ。勘だけど」
「勘?」
当たり前のことを言うように霊夢は言う。他の二人とは違う興味のなさげな、そっけない言い方だけれど、妙な説得力があって、アリスは身じろぎをする。
「出た出た、霊夢の勘が」
「なぜか、当たるのよね。羨ましい」
そんな霊夢の言葉を聞いて、魔理沙と早苗が苦笑する。
昔から、霊夢が勘という発言は実現するのだ。それを知らないアリスがきょとんとしていると、魔理沙は楽しそうに言葉を続ける。
「この学校の受験の時もそうだったんだぜ」
この学園にやってくる多くの生徒とは異なり、商家の娘だった魔理沙はこれまでほとんど魔法と縁のない生活を送ってきた。当然、受験勉強に関しても、頼れる人はおらず、唯一幼馴染の霊夢も学部が違うため、頼りにはできなかった。
流石に独学で学ぶのに限界を感じていた魔理沙は試験があまりうまくいかず、落ち込んでいたのだという。
そんな魔理沙に霊夢がかけた言葉が、「多分、あんた受かってるわよ。勘だけど」。今と同じようにそっけない言い方で。
「他にもいろいろな逸話があるんだぜ」
「なんで、あんたが威張るのよ」
胸を張って自信満々に語る魔理沙の頭を霊夢は半眼ではたく。
魔理沙がなにするんだよ、と食ってかかれば、ひらりと笑いながらそれから逃げる。幼馴染らしく仲の良い姿にアリスも、文も早苗も笑ってしまう。
不安が消えたわけではないけれど、確かに霊夢の言葉にはなにがしかの力を感じた。
友人たちがふざけあう姿を見ながら、アリスは弱気な自分を断ち切るように、そっと笑みを浮かべたのだった。
「魔理沙、どこに行ったかと思ったじゃない」
夜。文たちに話してから三日ほど経った後のことだ。
門限を過ぎても戻ってこない魔理沙を探していたアリスは寄宿舎の裏手に広がる広場で、ようやくその姿を見つけることができた。
ここのところは図書館の本の件で毎日、部屋に詰めっぱなしだったため、門限破りの常習犯である魔理沙も、ティーパーティーに出かけることも、好奇心に駆られて出かけて行ってしまうことはなかった。
だが、難航する調べ物に、少し気分を変えようと、今日はそれを休むことに決めた。気持ちを切り替えることで、新たな発想が生まれることもままある。というのも、根を詰めすぎたパチュリーがひどい顔色をしていたからなのだけれど。
そうして、休みにしたとたんに、魔理沙が帰ってこないのだ。まさか、また禁書の区画に向かったのではないか、とにわかに心配になったアリスは永琳の目に触れないように気をつけながら、外に出てきたのである。
思ったよりも近くにいた魔理沙に内心安堵しながら、アリスは駆け寄る。
「魔理沙?」
アリスの呼びかけにも答えない魔理沙は、その場でただ、立ったまま。
よくよく見てみれば、その足元がほのかに青白く光り放っている。
ろうそくに照らされた雪のようなささやかな光の玉がふわり、ふわり、と増えていく。
随分と集中している様子で瞳を閉じている魔理沙は、普段のやんちゃさを感じさせず、天使かなにかのような神々しさすら感じさせる。
夜の暗闇の中で、その光景はひどく幻想的に見えて、アリスは言葉を失ってしまう。
「くそー、また失敗か」
けれど、そんな光景もほんの一瞬。すぐに光は消えていき、瞳をひらいた魔理沙は悔しげな声で悪態をつく。
そんな魔理沙にアリスは遠慮がちに声をかける。
「魔理沙」
「って、アリス? どうしてこんなところに」
突然名前を呼ばれ、身体をびくん、と竦ませた魔理沙は振り返り、気まずそうな表情で髪を掻き毟る。僅かに頬を紅潮させて、まるでいたずらを見とがめられた子供を思わせる。
アリスよりも頭半分低い身長な上、顔を俯かせているせいもあるだろうが、いつもは輝くようにパワーあふれる存在感の魔理沙が、やけに小さく見えた。
「なかなか帰ってこないから……」
こんなに驚かれると思っていなかったアリスも、どうしていいか分からずに困ってしまう。もしかしたら、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。
そういえば、魔理沙が門限を破って遅くに帰って来た時、そのうちの半分はどこどこの噂話を確かめに行って来たとか、誰誰のところでティーパーティーに参加してきた、とか理由を面白おかしく語っていたのだが。残りの半分に関しては、言葉を濁すだけで答えてくれはしなかった。
その時はどうせまた、ろくでもないことに首を突っ込んでいるんだろう、と思っていたのだが。
「見たか?」
「……ええ」
ぼそり、と聞こえるか聞こえないかといった微かな音量、いつもよりも低い声で一言魔理沙は問いかけてくる。アリスはそれに頷くことで肯定の意を示す。
先ほど、魔理沙が使おうとしていた魔法。それはアリスやパチュリーもよく使うものであったので、見ただけで何の魔法か分かってしまった。
それは空を飛ぶ魔法。宙に浮かぶ魔法。
まだ箒がなければ飛ぶことができない魔理沙には使えない魔法であったはずだ。
どちらかと言えば察しの良いアリスはここまでの情報で、魔理沙が今、いや、いつもここで何をしていたかについてしまう。
「あーあ、ばれちゃったなら仕方ないよな」
赤い顔をしたまま、ぐいっと伸びをした魔理沙は、気恥ずかしさを振り払うように一度首を大きく横に振る。そして、アリスの方をまっすぐ見つめて、いたずらっぽく微笑んだ。
芝生になっている地面にぺたんと座り込むと、横のスペースをぺしぺしと叩いて、アリスにも座るように促してくる。
ああ、制服が汚れてしまう、と思いながらも、急に出てきたせいでハンカチも持っていない。一瞬、悩んだものの、諦めて。アリスは魔理沙の隣に腰を降ろす。
訪れるのはしばしの沈黙。お互いに何も言わずにただ、膝を抱える。
そうして、不意に魔理沙が呟く。
「……この間さ」
「え?」
「図書館に行った時、チルノ達に見つかっただろ? あれは多分、私の足音のせいだと思うんだ」
「そんなこと……」
「あの時、私が飛べてたら、見つからないでさっさと逃げられたかもしれない。それに、あんなにたくさん面白そうな本があったのに、飛べない私じゃ、手が届かないようになってる」
どこか悔しそうな、拗ねたような。それでいて吹っ切ったような色を帯びた声で、魔理沙は語る。アリスの方は見ないで、星も見えない曇った夜空を見上げながら。
そんな魔理沙の横顔を横目に、アリスはただ耳を傾ける。
「できないせいで、やれることが少なくなるなんてつまんないじゃないか。悔しいじゃないか。おもしろそうなことがあるのに、それに手が届かないなんて」
「……」
「同じ学年だって言っても、アリスやパチュリー程の力はない。まだ、私にはできないことばっかりだ」
はは、とらしくもなく自嘲するような笑みを浮かべた魔理沙は、しかし、すぐに瞳を凶暴に輝かせて、挑戦的な表情で笑うのだ。
「でも私は全部できるようになってみせる」
「え?」
「そのためにも、とりあえず、まず飛べるようになろうと思ってさ」
「魔理沙……」
「せっかくだから突然飛べるようになって、驚かそうとこっそり練習してたのに」
そういって、冗談めかして唇を尖らせる。これでいいだろ? と視線で訴えてくる魔理沙にアリスは思わず微笑んだ。やけにポジティブで、素直なようで素直ではない言い方がいかにも魔理沙らしいせいだ。
「私はもっと魔法を使えるようになりたい。ゆくゆくは大魔法使いと呼ばれてみせるぜ」
「ええ」
「その為に努力を惜しむつもりはない」
普段の勉強に対する姿勢から、魔理沙が努力家であることは何となく察している。
こんなに規則を破ったり、好き勝手しているくせに、授業は誰よりも真面目にノートをとっている。復習なんか、信じられないほど丁寧にやっているのだ。
あまり、魔法使いとしての才能にあふれているというわけでもないのに、成績の要件の厳しい奨学生でいられるのは、その努力あってこそだ。
それはきっと。
これまでもこうして、夜、一人で部屋を抜け出して、練習や勉強をしていたからなのだろう。
「そうしないと、ここまで来た意味がないからな」
そう言って魔理沙はにっ、と笑う。
詳しいことはアリスもよく知っているわけではないが、魔理沙の実家は魔理沙が魔法使いになることを反対していたらしい。その反対を押し切って、というより、そこから家出をして、ほとんど強引にこの学園に入学してきたのだという。
本当の本当に最初のところを除けば、すべて独学の我流で、入学することができるまでの力を身につけた。それゆえに、まだまだ追い付けないところもあるのだけれど。
それでも、決して諦めない。魔理沙の魔法使いになることに対する熱意。
見ていて眩しいほどに。あまり近づきすぎると火傷をしてしまいそうな気さえする。
ほう、と何を言えばいいのか分からないまま、曇った夜空を見つめ続けるアリスに、魔理沙は微かに顔を赤くして語りかける。
「あのさ、アリス」
「何?」
「このことは、誰にも言わないでくれよ」
頼む、と顔の前で魔理沙は手を合わせる。こんなの、ばれたらかっこ悪いじゃんか、といいかっこしいの魔理沙らしいことを言う。
少し楽しくなったアリスは、肩を竦めていたずらに笑う。
「さあ、どうしようかしらね」
「なっ、ちょっ待て、アリス! 頼むからさ!」
「ふふー」
もちろん言うつもりはない。ここで見たことは忘れるつもりでさえいる。
けれど今は、こうしてむきになって言い募る魔理沙とふざけあっていたかった。
「あら、こんな時間にどうしたの? 生徒はもう出歩いてはいけない時間でしょう?」
まだしばらく練習してから戻る、という魔理沙を残して、薄暗い廊下を歩いて部屋へと帰る途中、不意に大人びたような、それでいて幼いような不思議な声がアリスに話しかけてくる。
振り返ったアリスが見たのは、背中を覆うほど長い黒髪に白磁の肌をした少女。闇夜に輝く満月のように、薄暗い廊下でもひっそりと存在感のある美しいその少女のことをアリスは知っている。
「輝夜」
「ふふ、大丈夫よ。永琳には言わないでおいてあげる」
しー、というように人差し指を口元に立てて、輝夜は艶やかに微笑む。
年齢も職業も何もかも知られていない彼女は、寮母である永琳と共に暮らしているのだという。明らかに職員ではないし、何をしているふうでもないのに、ごく自然にこの学園に存在している。神出鬼没で、いつどこから現れるかさえ定かでなく、現れたら現れたでよく分からないことを言って去っていく。
誰もがその存在を知っているのに、誰もが彼女の正体を知らない。
その美貌や独特のペースに誰もがかき乱されてしまう。そんなところから、得体が知れなくて気味が悪い、というのが大方の評価だった。
「でも、あんまりおいたしちゃだめよ?」
「そ、そんなこと」
「あの時も危なかったものね。私が窓を割らなかったらどうなっていたことやら」
まさに白魚のような、と表現するにふさわしい輝夜のきれいな指先がそっとアリスの頬に触れる。そのアリスは緊張で身体が強張っていくのを感じた。
あの時。図書館でチルノから逃げる時。ガラスを割ったのは輝夜だった?
なぜ彼女がそんなことを。気づかれていたのか。
どうして、なんで。
耳元で囁かれた言葉を理解すると同時に頭の中を情報が駆け巡り、アリスは混乱してしまう。口を動かすことも出来ず、瞳を見開いて、輝夜を凝視する。
そんな有様を見て、服の袖で口元を隠しながら、くすくす、と心から楽しそうに笑う。
「そんなに驚かないで、アリス。お友達でしょう?」
「え、ええ」
「ふふ、そうね。“あなた”とはまだそんなに親しくないものね」
「輝夜……?」
「幻視力の強いあなたなら、少しだけ気付いてもいるんじゃないかと思ったけど……。なかなかうまくいかないものだわ」
そう呟いた輝夜の表情が一度陰りを帯びて、アリスは戸惑う。声にも切なげな色が混ざっている。いつも浮世離れして楽しそうな彼女らしくない姿を、アリスはなぜか知っているような気がした。
「あなた達三人がこんなに、何か一つのことに夢中になってしまうのは、やっぱり本当の魔法使いだからなのかしら」
「え?」
「それにしても、どこにいてもあなた達は仲が良いのね」
「ちょっと、何を言ってるの?」
そんな寂しげな様子もつかの間のこと。いつものようにわけの分からない言葉を囁く輝夜はアリスをからかうような色を瞳に宿している。
やっとのことで、アリスがかすれた声で聞いた一言に、くすっ、と笑って、踵を返した。
「前の世界での話よ、アリス」
「ちょっと、それってどういう……」
「ああ、もうすぐ永琳がこの階の巡回をする時間よ。急いで部屋に戻った方がいいわ」
「輝夜!」
アリスの追及に応えることなく、現れた時と同じように輝夜は音もなく歩き去っていく。
そんなことはないはずなのだけれど、まるで闇に溶けてしまったかのように、その後ろ姿は見えなくなる。
「なんなの……?」
一人、廊下にとり残されたアリスは、訝しみながら。しかし、永琳が来るという言葉は信憑性が高い。そう判断して、自室へと向かう足を早める。
やはり、輝夜のことが苦手だ、と思いながら、どうにか三十三号室の扉の前まで辿りつく。かすかにノックをして、返事を待つ。こんな時でも、育ちの良いアリスは行儀作法を忘れることはない。夜とはいえ、未だ十時を少し回ったところだ、ただでさえ宵っ張りのパチュリーだ。普通に起きているだろう、と思っていたのだけれど。
「パチュリー?」
いつまで待っても返事がない。こんこん、といつもより少し強めにドアを叩いてみても、一言も返事は帰ってこない。
もう寝てしまったのか、と、ちょっとした不安を押し殺して、アリスはゆっくりとドアを開く。
「パチュリーっ!」
ドアを開けた先には、ベッドに縋りつくようにして床に座り込み、苦しげな呼吸を繰り返しているパチュリーの姿があったのだった。
「はあ……」
ベッドでただひたすら眠っているパチュリーの寝顔を眺めながら、アリスはため息をついた。それは何事もなくてよかったという安堵と、連れていかれてしまった魔理沙に対する心配の入り混じった、一言で言うならば疲れたなあ、というため息。
倒れているパチュリーに焦ったアリスは、ドアを開けたまま、どうしていいか途方に暮れていた。そんなとき、ちょうど見回りをしていた永琳が通りかかり、助けを求めたのだった。
医療に携わった経験があるという永琳の対応は迅速で、すぐに問題は解決した。アリス一人ではどうにもならなかっただろうから、とてもありがたかったのだが。しかし、それと同時に魔理沙が出かけてしまっているということもばれてしまった。
パチュリーの処置を終えた永琳は、戻ってきた魔理沙を連れて、説教部屋へと行ってしまったのだった。もともと常習犯の魔理沙をどうにかして捕まえようとしていただけあって、その瞳にはサディスティックな光が宿っていたような気がする。
誰が悪いわけでもない。ただの偶然。
魔理沙については、自業自得な部分も多分にあるから仕方がないのだけれど。
心配は心配なのである。
「あんまり心配させないでよ」
眼前に青い顔をして横たわっているパチュリーのことも、心配だった。
喘息持ちで、貧血体質。それに加えて、不摂生な生活態度、と不健康なのは十分に承知していたのだけれど、こんなふうに倒れてしまうのは初めて見た。
永琳曰く、疲れが溜まっているだけだから、心配はいらない。ということで、少しはほっとしたのだが。
「本当に驚いたんだから」
すっかり温くなってしまった額のタオルを再びたらいで冷やしてから乗せ直す。聞いていないのは分かっているが、ついつい言わずにはいられない。
いつも騒がしい魔理沙や本を読みながらも皮肉を言うパチュリーと。そんな生活が足り前のようになってしまったのか、こんなにも静かな部屋が落ち着かなくて仕方がない。
「いい加減にしてよ、意地っぱり」
魔法の研究のような分野では、いつでもマイペースにふるまうパチュリーは、人の目どころか、自分のことすら気にしない。ブレーキの壊れた暴走機関車のように燃料切れか、壁にぶち当たるまで、まるで止まることなくどこまでも突き進んでいってしまう。もっとも、その方向が間違っていることも少なくないのだが。
本人はそれでいいのかもしれないが、周りでそれを眺めているアリスとしては、心配でしかたがない。いつか、壊れてしまうのではないか、と思う。
今回だって、そうだ。
ただでさえ、作業速度の速さもあるのだろうが、一人で、アリスや魔理沙の何倍も作業をこなしてしまっていたのだ、パチュリーは。
そして、今日も。せっかく、休みにしようと決めたのに、結局アリスがいなくなってしまった後もずっと調べ物を続けていたらしい。倒れているその手には目録が、床には何枚もの資料が散らばっていた。
魔法使いとして、その姿勢は間違っていないのだろうけれど。
「……もう」
それでも。こんな風にどこにもブレーキをかけることなく、一つの目標に進んでいくことができる姿勢はアリスにはないもので、それが少し眩しい。
それが悪いことだとは思っていないけれど、アリスは何か一つのことに全力で打ち込むことができない。どこかに余力を残しておくし、駄目だと思えばその時点でいったん退くようにしている。
それは、本気を出すことで、あとがなくなってしまうのが怖いから。
幸いにして、何事にも器用なアリスは、これまでそれですべてうまくいっていた。それでいいと思っている。
けれど。本当にそれでいいのか。
方向性の違いはあれど、本気を出すことを厭わない魔理沙やパチュリーを見ていると、そんな疑問が首をもたげてくる。
どうしていいのか分からなくなって。不安。おそれ。
最近、少しだけ気持ちの揺らいだアリスは、そんなことをたまに考えてしまう。
はあ、とため息まじりにアリスが呟くと、不意に、かすれた弱々しい声が上がる。
「ちょっと、黙って聞いてれば、ひどいじゃない……」
「パチュリー、起きたの?」
「少し前からね」
だるそうに、けれどしっかりした表情でパチュリーがアリスを見上げていた。起き上がる気は全くないのか、ふう、と大きくため息をついて、天井を見上げている。
そうして、少しばかり決まりが悪そうにふい、とアリスの方から目をそらす。
「世話、かけたわね」
「本当にね。もう、あんまり無茶しないでよ」
「まだいけると思ったんだけど」
「というか、残りの体力を計算に入れてちょうだい、頼むから」
「そうね、アリスが泣いちゃうものね」
「泣いてないわよ」
もともと細い声をさらに細くして囁くパチュリーに、安堵したアリスは呆れ混じりに微笑みかける。具合が悪そうではあるけれど、いつものとおりのちょっと意地悪な物言いをされて、アリスは顔が熱くなるのを感じた。
確かに泣いてはいない、少し驚いて涙目になりかけてしまったけれど。だって、仕方がないではないか。あんな光景をみたら、誰だって動揺する。多分。
そんなアリスの様子を見て、パチュリーは意地悪に笑っている。それもいつも通りなのだが、安心した半面、少し心配したことを後悔したくなった。
「未熟者ね」
「なんでそういうこというかな」
パチュリーが笑いを含んだ声で囁き、細い指先を伸ばしてアリスの頬を撫ぜる。熱を持ったその手を捕まえて、アリスは呆れと安堵を交えて微笑む。
そうすれば、お互いになんだかおかしくなってきて、しばらくくすくす、と笑い続けた。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかないので。
まるで世間話かなにかのように、少しだけ声をひそめて、状況を報告することにする。
「……それで、いきなり悪い知らせを伝えるのもあれなんだけど。伝えないわけにはいかないから」
「魔理沙が連れていかれたこと?」
「覚えてるの?」
「一応。ぼんやりとだけどね」
それならば、話は早いとばかりに、アリスは頷いて概略を説明する。それを聞いてふむふむ、と頷いていたパチュリーは、困ったことになったとばかりに顔をしかめる。
「厄介ね。せっかくこっちが何とかなりそうだって言うのに」
「え?」
「多分、魔理沙はしばらく……一週間ぐらいかしら。外出禁止になるでしょう?」
「そうね、今までの人たちの話を聞いてると、大体そんなものじゃないかしら」
門限破りの罰則は基本的には厳重注意で済むのだが、常習化している生徒にはペナルティとして外出禁止が申しつけられる。部屋に結界を張って、その生徒が部屋を出られないようにする罰。緊急の用件以外では、部屋を出ることが決して叶わなくなってしまう。当然、授業にも参加することができないため、さまざまな点で厄介な罰だ。
「一週間ももつかしら、あの魔導書」
「……って、パチュリー、それって!」
やれやれ、というようにため息をついたパチュリーに、アリスは声をあげる。
その反応に満足した様子のパチュリーは、額のタオルを手にとって、ゆっくりと身体を起こす。途中で、しんどそうに顔を歪めたものの、アリスが慌てて、それを支え、クッションを背中に差し入れて、ひと心地つくことができた。
そうして、ふ、と自信ありげに笑ったパチュリーはアリスに告げる。
「分かったわよ、あの本の正体が」
「あの、アリス?」
教室の一番後ろから二番目の列、左端の席。三人掛けの席の真ん中に座って、ぼんやりとしているアリスの肩が叩かれる。遠慮がちな言葉と共にそこに立っていたのは、クラスメイトの河城にとりだった。
魔理沙と仲の良いにとりとは、アリスもそのつながりで友達となった。アリスは自律人形、にとりは機械と種類は違うものの、何かを作り出すことを目標としている、という点で共通点を持つ二人はそれなりに仲が良い方に分類されるだろう。
同い年にしてはやや幼い顔を、困ったように変化させて、遠慮勝ちににとりは問う。
「魔理沙と、パチュリー、休みみたいだけど、何かあったの?」
えーと、とぽりぽりと頬をかいているにとりはちらり、とアリスの両隣の席を見やる。当然そこは空席。一応、席は自由ということになっているのだけれど、入学して三カ月も経てば、暗黙の了解で座る席が決まってくる。
アリス、魔理沙、パチュリーは専門分野がそれぞれ異なっているため、実技では同じ授業を受けるということは少ないのだけれど、理論や歴史などを学ぶ座学ではいつも一緒に授業を受けている。
「魔理沙は外出禁止、パチュリーは体調不良でね。おかげで三人分ノートを取らなきゃいけなくって大変よ」
「ありゃ、ついに魔理沙、捕まっちゃったんだ」
大げさに冗談めかして肩を竦めてみせるアリスに、にとりは意外そうな顔で答える。
まるで信じられない、というように、まんまるな目をさらに丸くしたその表情は、にとりの童顔をより幼く見せている。
そういえば、朝食時にいつも通り霊夢たちと食事をした時も、早苗や文が同じように驚いたのをアリスはよく覚えている。霊夢はにやにやしていたのだけれど。
「なんとなく、だけどさ。魔理沙は捕まらないような気がしてたんだけどな」
「すばしっこいし、逃げ脚も早いものね」
「ま、それもあるけど。なんていうか、魔理沙じゃん」
捕まってしまった経緯を知っているアリスが苦笑気味に、しかし、呆れ混じりに同意する。それを受けて、机の上に肘をついたにとりが一度大きく頷く。その言葉はまるでちっとも具体的ではないのに、なんとなく理解できてしまう。
魔理沙にはどんなことがあっても、たとえどんなに窮地に陥ろうともひらりと紙一重で交わして、勝気に笑っているような、そんなイメージがある。そういうパワーがある。だからこそ、見ていてハラハラするし、それでも、楽しいのである。
「で、アリスは二人がいないから寂しいんだ?」
「別に、そういうんじゃないわよ」
「うそだあ。さっきからため息ばっかりついてるよ?」
にや、とからかうような笑みを浮かべたにとりの指摘に、アリスはふい、とそっぽを向く。その仕草は、いかにも照れかくしかなにかのように見え、にとりの笑いがいっそう深まる。
けれど、アリスのため息の理由はそこにはない。
「違うってば。確かに考えてたのは、二人のことだけど」
「へ? じゃあ、一体何なのさ」
「……、魔理沙とパチュリーを二人にさせたら、何やらかすかわかったもんじゃないんだもの」
そう言って、アリスはもう一度深いため息をつく。それを見て、けらけらと楽しそうに笑う。
この友人は魔理沙の破天荒ぶりも、パチュリーの猪突猛進ぶりもよく心得ているから。ついでに、アリスの苦労ぶりもよく分かっているのだろうけれど。
「でも、流石に魔理沙も部屋から出れないし、パチュリーも具合良くないんだよね? 大丈夫じゃない?」
「だといいけど」
すっかり参った様子のアリスに、苦笑を交えた気遣わしげな表情になるにとり。
そのフォローはありがたいが、肘をついて、昨夜から今朝までの経緯を思い出して、とても楽観視はできない、と思う。
何せ、今、二人は部屋で脱走の手段について、語りあっているのだろうから。
「あの本は元々、悪魔や妖怪を封じるために作られたもの、と言えば分かってもらえるかしら?」
昨夜、あの後一時間ぐらい経って、魔理沙が戻ってきた後、パチュリーによるあの本についての講釈が行われた。
さしもの魔理沙もこっぴどく叱られたとあって、随分落ち込んで帰って来たのだが、あの本の正体が分かったと伝えると、すぐに元気を取り戻し、ほんのり赤くなっていた瞳を輝かせ始めた。パチュリーの体調を慮れば、翌日にするべきだとは思われたのだが、この一週間の苦労と異常事態における興奮、そして、何より二人の好奇心が、パチュリーのやる気がそれを拒んだ。
「ああ、召喚とかにもよく使われるあれね」
「つまり、あれだよな。お札を貼った石とか、箱とかそういうの。昔、霊夢んとこでよく見たぜ」
アリスはベッドサイドに運んできた椅子に腰かけて、魔理沙はパチュリーのベッドの下の方に腰を降ろして。それぞれにパチュリーの言葉から推測される物を思い浮かべる。
あながち当たらずとも遠からず、といったところだろうか。パチュリーは満足げに頷いて、肯定の意を示すと、時折本に目を落としながら、再び静かな声で語りはじめる。
「その中でも特に、トラップとして作られた物で、悪魔が触れると、自動的に取り込まれてしまうみたいね。扱いには注意が必要とここまで、目録に書かれていたわ」
「そんなに危険な本というわけでもないのね」
「そうね。魔導書としては、初心者向けと言っていいんじゃないかしら。魔法使いが触れる分には、何も起こらないはずだし」
その手のマジックアイテムは実にオーソドックスなものだ。召喚術師はもちろんのこと、使い魔を使役している魔法使いなら、形は本に限らず、指輪だのつぼだの、個人差があるが、似たようなものを必ず所持している。
「だったら、何であの本はあんな愉快なことになってるんだ?」
「それは……」
「あ、もしかして、司書の小悪魔が触っちゃったとか?」
魔理沙の疑問に答えるより先、アリスが手を叩く。あの図書館を管理しているのは、主に司書である小悪魔たちだ。その小悪魔のうちの一人ないし数人が、本の整理の最中にうっかり触れてしまったということも十分にあり得る。
その言葉にパチュリーは頷き、魔理沙も納得したような顔をする。
「あれだけ数いるしな。一人二人いなくなっても分からない、か」
「阿求が、ううん、稗田家のほうでもあれの人数は把握しきれないって」
「全員似たような外見だしな」
「ええ。あれを把握しているのはレミィぐらいのものじゃないかしら。だからこそ、あれも何十年も長いこと放置されてしまったんでしょうけど」
「レミィ?」
聞きなれぬ名前が出てきたことに怪訝そうな顔をする魔理沙とアリスを、無視するようにしてパチュリーは早口で言葉を続ける。僅かな動揺が気になるものの、とりあえず、二人は黙ってその言葉に耳を傾ける。
「泣き声はおそらくその小悪魔のもの。声が漏れ出てしまっていたり、光を放っていたりしたのは、長き時を経て封印の力が弱まってしまったため、と考えるのが自然でしょうね」
「ちょっと待って、パチュリー。封印のための魔導書がそんなに簡単に弱まったりするかしら」
「言ったでしょう? トラップみたいなものだって。生け捕りにしたり、急場しのぎをしたい時に使う簡単なものなの。強度も耐久力もないから、あまり長く封印しておくのには向かない」
「なるほどな。それであんな学校の怪談めいたことになってるわけだ」
「そういうことになるわね」
魔理沙の言葉に頷いて、パチュリーは一度言葉を切る。ベッドサイドに置かれているガラス製のグラスを手に取り、水を飲んだ。
小休止。魔理沙はベッドの上であぐらを組み直し、アリスはちらりと掛け時計を見る。もう、あと三十分もしないうちに日付が変わる時間だ。
一応、最初の目的であったところの、本の正体を確かめるという目的は果たすことができた。けれど、それだけでは正直なところ、すっきりした気持ちにはならない。
それは、なぜなのだろうか。
「それで」
ふう、と息をついたパチュリーは、再び言葉を紡いでいく。
「あの本は少し特別でね。封印が解けそうになると自動的に封印した悪魔もろとも消滅するようにできているのよ」
「要するに、あれか。自爆装置ってやつか」
「そう。私の見立てだと、あと一週間もたたないうちにあの本はあの場所から消えてなくなるんじゃないかしら」
「なっ?」
こともなげにそう言うパチュリーに、声をあげるのは魔理沙。
アリスはただ、黙ってその言葉の意味を考える。あの本が消滅してしまうというのならば。
「それじゃあ、中の小悪魔は……」
「当然、本もろとも、でしょうね。残念だけど」
「おいおい、穏やかじゃないな」
アリスはその言葉に、眉を顰める。縁もゆかりもない小悪魔のことではあるけれど、僅かではあるが、こうしてあの本に関わり知ってしまった手前、消滅してしまうというのは寝覚めが悪い。
同じような感情を抱いたのか、ふと目があった魔理沙も、うげ、と顔をしかめていた。
「ていうか、パチュリー、何でお前そんなことまで分かるんだよ」
根をつめて調べていたとはいえ、それだけで分かることとも思えないぜ、と、魔理沙は訝しむ。確かに、とアリスもそれに同意する。
明らかにあの目録から分かること以上の情報量で。二人からうろんな視線を受けたパチュリーはやましいことがあるわけでもあるまいに、うろたえる。
「それは」
「パチェの実家は大図書館だもの、当然よ」
しかし。それに答えたのはパチュリーの声ではなく。どこか深みを感じさせる幼い少女の声だった。
「レミィ!」
「が、学部長?」
「咲夜?」
実に威厳を感じさせる佇まいで、アリス達がいるのとは逆側のベッドサイドに座っていたのは、学部長であるレミリア・スカーレットだった。そうして、その横につき従っているのは、先輩で、アリスの友人でもある十六夜咲夜。
まるで部屋に入ってきた気配を感じさせなかった彼女たちに、驚きを隠せない。
三人の驚愕した様子をみて、いたずらが成功した子供のように、レミリアは楽しげに微笑む。
「あのヴワル魔法図書館なら、そんな本いくらもあるものね」
「ちょっと、それよりレミィ。なんでここにいるのよ」
「ひどいわ、パチェ。親友が倒れたら、お見舞いに来るのは当たり前じゃない」
「こんな夜中に?」
「夜に生きる種族にとっては、普通でしょ」
ふふ、と笑ってみせるレミリアに、嫌そうに、けれど満更でもなさそうに、じと目を向けるパチュリー。その遠慮のない口調は親しい友人に対するものであり、まったくもって学部を取り仕切る学部長に対するそれではない。
そんな光景をアリスと魔理沙は、ただただ呆気に取られてしまう。完全に予想外の出来事に置いてきぼりを食らっている。
レミリアの傍に立って、それを微笑ましげに見つめている咲夜の服の袖を引いて、小声でアリスは問いかける。
「ちょっと、咲夜。これどういうことなのよ?」
「どういうも何も。見ての通りとしか言いようがないのだけれど」
「分からないわよ、そんなの」
「もう、仕方ないわね」
そう言って、苦笑した咲夜は、すっかり盛り上がっているレミリアとパチュリーの邪魔にならないように声をひそめて、言葉を紡いでいく。
そうそう難しい話というわけでもない。咲夜が語った内容は要するにこういうことだ。
パチュリーの実家は、魔法使い界でも最高峰のヴワル魔法図書館であり、生まれたばかりの頃から、魔導書に囲まれて育ったということ。一年生にあるまじき本に対する造詣の深さはそのあたりから来ているらしい。
そして、その魔法図書館に出資しているのが、スカーレット家。その縁を通じて、年齢の壁を越えて、パチュリーとレミリアはお互い愛称で呼びあうような親友同士である。
流石に学園の中にいる時は、学部長と一般生徒の枠を守って付き合っているけれど、なにかと様子を窺っていたレミリアは、パチュリーが倒れたと聞いて駆けつけた、とそういうことなのだという。
ついでに付け加えるならば、この学園の図書館で働いている小悪魔達はヴワルからの出張扱いなのだそうだ。
「ヴワルですって……?」
「アリス、次の休暇はパチュリーのお宅訪問で決まりだな」
魔法使いにとって半ば伝説となっている大図書館だ。盗難や余計なトラブルに巻き込まれないために、多くの結界やトラップの仕掛けられた図書館は一流と呼ばれる魔法使いでさえそう簡単には辿りつけない。その例外が、図書館から招待された場合なのだ。
そのチャンスをみすみす見逃してたまるものか、とアリスと魔理沙は意気込む。それを見ている咲夜は呆れたようにため息をついた。
「あなた達ね……」
「そういえば、咲夜」
「アリス?」
「咲夜はなんでここに? あなたもレミリアの親友か何かなの?」
ふと思いついた疑問をアリスは口にする。
それを聞いた咲夜は一瞬遠い目をして、しかし、すぐに澄ました顔で答える。
「私はお嬢様に個人的にお仕えさせていただいているのよ」
「なんだそれ」
「ふふ」
授業中以外だけのパートタイマーだけどね、と咲夜は人差し指を立てて、お茶目に微笑む。その仕草はそれとなくそれ以上の言及を拒んでいるものであったけれど。
少なくとも迷いのない瞳は、どこか誇らしげで。心からの忠誠でもってレミリアに仕えていることが分かる、そんな様子だった。
そうして、夜も更けて、日付も変わった頃。
「あなた達にお願いがあるわ」
例の本の小悪魔を、救いだして欲しい。
レミリアは、幼い外見に似合わない威厳のある佇まいでそう三人に告げた。
だが、アリスとパチュリーはその申出に戸惑う。豪快なように見えて、狡いところのある魔理沙も、値踏みをするかの様に、瞳を閉じて何事か考えている。
何か言いたげな二人の視線に応えるように、レミリアはひらりと手を振る。
「一応、この私の従僕が消滅してしまうというのに、見て見ぬふりはできないからね」
勉強机の椅子に足を組んで座って、僅かに部下を思う優しさを瞳に宿らせる。しかし、それをいつもの疑り深い印象を与えるじと目で、パチュリーは言う。
「レミィが自分で行けばいいじゃない」
「まさか。私も悪魔だよ。封印されちゃったらどうするのさ」
「じゃあ、咲夜は?」
「咲夜がいなかったら、誰が私の世話をするのよ。代わりにパチェがやってくれるならそれでもいいけど」
「誰がよ」
そんな二人を眺めながら、不自然だ、とアリスは思う。
どうして、一緒に居合わせたとは言え、まだまだ未熟な一年生である三人にまかせようというのか。それこそ、しかるべき教師なり上級生に依頼すればいい。
いくらレミリアとパチュリーが親友であって、仮にパチュリーがそれを何とかする術を持っていたとしても、あえて三人に頼む理由が分からない。
「どうして、私たちなの? あなた達が無理でも、誰かしら先生に頼めばいいじゃない」
そんな疑問をレミリアに投げかける。パチュリーにつられて、ついつい敬語ではなくなってしまっているのはご愛敬。
レミリアもそのあたりを深く気にする方ではないので、問題ないだろう。
「ま、私としてはそうしてもいいんだけど。ねえ、それでいいのかしら、あなた達は。ねえ、魔理沙」
そうして、レミリアは可愛らしく微笑んだ。そうして、意味ありげな視線を魔理沙へと送る。
それでアリスは気がついた。いつもならば率先して喋り出す魔理沙が、今はやけに静かだ。パチュリーがいつもよりも多弁なのにかすんでしまっているが、これは不可解だ。
少し下唇を突き出すようにして、なにか考え込んでいた魔理沙は、レミリアの視線を受けて、不敵に笑う。
「いいわけないだろ。あれは私たちの獲物だ」
「獲物って、ちょっと魔理沙、あんたねえ」
「だって、アリス。ここまで来たら、あとは誰かに任せるなんてつまんないじゃないか」
「そうかもしれないけど……」
アリスだって、そういう気持ちがないわけではない。いや、十分にある。
たとえば、この後のことを誰かに任せたとして、その後どうなったのかを知ることができる保証はない。むしろ、校則違反の案件であるから、誰にも聞けない可能性の方が高い。
それではあまりにも尻切れトンボで。中途半端で。
何より、最初に“たすけて”に気付いたのはアリスだから。
最後まで見届けたい。その思いは、強い。
「そうね、私もそう思うわ」
アリスの思っていることを見透かしたように、アリスの方へと視線を向けるパチュリー。肩を竦めて、口の端を少し上げる。少し気取ったような、皮肉っぽい笑みはいかにも彼女らしい。
そうして、三人で視線を交わして、アイコンタクト。もう気持ちは決まっている。
言葉よりも雄弁に答えを語るレミリアは、満足げに頷く。
「それじゃあ、任せていいわね?」
「もちろんだぜ」
どん、と、胸を叩いて、魔理沙は答える。アリスとパチュリーも頷くことで同意を示す。
それを見たレミリアは喉を鳴らして、心から愉快そうに笑った。吸血鬼特有の鋭い瞳を細めて、楽しみでしかたがない、というように。やはり、その動作は大人っぽくて、子供っぽい。
「ていうか、レミィ。おもしろがっているだけでしょう?」
「い、いいや、そんなことはないさ。私は真剣に生徒の意思を尊重しただけであって」
「目が泳いでいますわ、お嬢様」
「う。だ、だって、最近パチェも咲夜も授業授業って、退屈なのよ、暇なのよ」
パチュリーと咲夜の冷静な指摘に、レミリアは頬を膨らませる。その可愛らしさや先ほどまでのギャップに、アリスや魔理沙もおかしくなって笑ってしまう。
実に和やかな雰囲気で。すべてがうまくいくような気がしていたのだけれど。
むしろ、そこから先が問題だったのである。
本の現在の状況からして、今日明日中には図書館に行かなければならない。けれど、一年生は禁書の区画に入ることはできないため、昼間に取りに行くことはできない。したがって、このあいだのように、夜中に侵入することになるだろう。
しかし、魔理沙は現状外出禁止。魔法のせいで部屋から出ることすら叶わない。アリスとパチュリーで行けばいい、という話なのかもしれないが、それでは魔理沙が納得しない。
三人でなければ意味がない。
レミリアの依頼ではあるけれど、きっかけから経緯まですべてひっくるめて、これはあくまで非公式なものであるため、その区画への進入許可は出せない。また、魔理沙の外出禁止について、権限を持っているのは永琳であって、学部長であるレミリアは口出しをすることができないのである。
というわけで、なんとかして魔理沙が部屋を出る方法を見つけなければならない。
そうして、今日は休むようにと永琳に言いつけられたパチュリーと、外出禁止の魔理沙が今頃、会議をしているだろう、とそういうわけだ。
目的を達成する手段の美しさを気にするアリスと違って、二人は目的のためなら手段を選ばないところがある。
部屋を抜け出すためにどんな無茶をやらかそうとしているか。それを思うと気が重くてしかたがない。なんせ、それを諌めなければならないのはアリスなのだから。
「あ、それなら、いいものがあるよ」
流石にまずかろうとレミリアや咲夜のくだりを誤魔化しつつ、簡単に状況を説明する。要するに、魔理沙が外出禁止をぶっちぎって図書館に行きたがっていると。
それを聞いたにとりは人差し指を頬に添え、宙をみるように考え事をする。そうして、すぐににっこり笑って、アリスにそう告げた。
「いいもの?」
「うん。前から魔理沙に頼まれてたものなんだけど、つい昨日試作品が完成したんだ」
ちょうどよかったよ。今日渡そうと思ってたんだ。
そんな風に素朴に笑ったにとりは、ちょっと待ってて、と自らの机の方へと走っていく。そうして、愛用の鞄をごちゃごちゃといじりはじめる。
どんな技術を使っているのか、見た目には小さな小さなリュックサックでしかないのに、その中から、小柄なにとりの上半身ほどもある三角形の大きな包みと、もう一つ四角い袋を取り出す。固そうには見えない、柔らかそうな包みだ。
「それは?」
「魔理沙の私服だよ。私が改造した、ね」
にとりはそれを抱えて、アリスの傍に戻ってくる。そして、隣の椅子に腰かけて、いつもよりも早口で語る。
興奮した様子は、何か面白そうなものを見つけた時の魔理沙や、本についての説明を求めた時のパチュリーに似ていて、結局のところ同じ学者肌の人間ということで。アリスも、人形のことについて、話を振られたなら、きっとこんな風に嬉々として語るんだろうな、とも思う。
「まあ、分かりやすく言うと、結界を無効化する効果を持ってるんだ」
「無効化?」
「そうなんだよ! 魔法に対して科学的なアプローチをすることで……」
「にとり」
瞳を輝かせて、すぐにその理論の話へと飛んでしまいそうになるにとりに声をかけながら、話を聞いていく。普段ならば、ゆっくりと聞きたいところだけれど、今回はそういう余裕はない。
にとりの話によると。
好奇心の赴くままに行動する魔理沙は、あちこちで結界が張ってあるせいで侵入できないのを不満に思っていたのだという。そこで、にとりと手を組んだのである。
魔理沙は好きなことができるし、にとりは発明品の出来栄えを試すことができる。WINWINの取り引きだ。
そうして、魔理沙の服を改造して作りだしたのが、この作品。
科学に明るくないアリスにはよく分からなかったのだが、これを身につけることで、透明人間のように、結界の目をごまかして、通り抜けることができるらしい。
つまりそれは、これがあれば外出禁止の魔理沙であっても、部屋を出ることができるということで。
「でも、本当に永琳の張った結界を無効化なんて、できるの?」
にとりの腕を疑っているわけじゃない、と前置きをしてから、アリスは難しい顔で見た目には普通の服に見えるくたびれた三角帽子や、黒白のエプロンドレスを眺める。
これまで、ほとんどの生徒が出ることが叶わなかったというのに。入学してから、一年も経っていないにとりや魔理沙がそれを切り抜けることが、本当にできるものなのだろうか。
そんな言葉に、苦笑いするにとりは、しかし、それでも自信を失った様子はない。
「まあ、まだテストしてないから、どの程度効力があるかは分かんないんだけどね」
「そうなの?」
「試作だっていったじゃん。でも、ここの施設はかなり科学には隙だらけだから、大丈夫なんじゃないかな」
どうしたものかと頭を抱えたい気持ちのアリスに、唇を尖らせる。にとりとしても、完成していない品を渡すのには抵抗がないのではない。
けれど。逆に考えれば、実験をする絶好のチャンスでもあり。
まるで魔理沙のように不敵な色合いを瞳に宿らせて、なんでもないことのように笑って、にとりは言う。
「ま、ぶっつけ本番って言うのも悪くないんじゃないかな」
「じゃあ、そろそろ行くとするか」
魔理沙は確認するように、アリスとパチュリーの顔を覗き込む。楽しくてたまらない、やってみせるという表情で、まるで否定をされることなど想定していないように。
それに頷いて応えるパチュリーは、いつも通りの冷静な表情。けれど、少しは興奮しているのか、僅かに白い頬を紅潮させていた。
アリスは、眉をひそめて、表情は気が進まないようにも見える。だが、まっすぐ魔理沙を見つめる瞳は決意に満ちている。
「見つからないといいけど」
「大丈夫だって、なあ?」
「さあね」
アリスが午後の授業を終えて、部屋へ戻ってくると、魔理沙とパチュリーは細に渡る計画をあーでもない、こーでもない、と熱く議論を交わしている最中だった。その時点では、永琳をぶっとばす、だの、輝夜を人質にするとかいう、わけのわからない暴力的な案ばかりで手詰まりだったのだけれど。
アリスが預かってきたにとりの発明品のおかげで、外出禁止の件は一気に解決した。さっそく試してみれば、問題なく魔理沙は部屋をでることができた。そうして、その後はアリスも加わって、侵入経路やらなにやらについて、詳細を詰めていった。
そうしているうちに、あっという間に夜。出発の時間が訪れた。さまざまなデータに基づいて、もっとも問題がないと思われる時間帯。
「というか……」
「なんだよ」
ふと横目で魔理沙の格好を見たアリスは呆れ混じりに言葉を濁す。もの言いたげな半眼に、魔理沙は少しばかりむっとした調子で、言葉を返す。
「魔理沙の私服って、なんというか」
「魔法使いっぽくていいじゃないか。なんだよ、文句あるのかよ」
「別に文句はないけど」
にとりによって改造を施された魔理沙の私服は金髪の巻き毛が良く映える黒白のエプロンドレスに、大きなリボンに彩られたとんがり帽子。パニエで膨らませたスカートの下にはドロワーズという、いかにも一般的にイメージされる魔法使いらしいものだった。
実際のところ、魔法使いが黒を着るというのは単なる人間の想像にすぎず、実際にはむしろ派手な色合いを好む者の方が多いのだけれど。
アリスと同じように魔理沙の服装に目をやったパチュリーはふむ、と頷いて。
「古典的ね」
「だろ? やっぱ魔法使いって言ったら黒じゃなきゃな」
「別に褒めているわけでないわ」
「なんだとー」
胸を張る魔理沙に、皮肉っぽく肩を竦めてみせたパチュリーもまた、普段の制服ではなく、見慣れない寝間着のような私服を身にまとっている。そして、アリスも。
別に二人には制服を着ない理由はないのだけれど、「私だけ私服じゃつまんないだろ」という魔理沙の駄々から、私服へと着替えていた。
特別なことをする時は、特別な服装を。確かに、儀式をする時や何かには、気分をその場に見合ったものにするために着替えることはよくある。その意味では、制服ではなく、私服を身にまとうことも大切かもしれない、とパチュリーが乗ってしまい、アリスもそれに流されるしかなかった。
「でも、こうして見ると、なんか新鮮だな」
「そうかしら?」
「そういえば、私服を着るのはここに来てから初めてだものね」
魔理沙の感心したような言葉に、お互いにそれぞれの格好を眺める。
アリスはお気に入りのブルーのフランス製のワンピースに白いケープ。帯やリボン、そしてヘッドドレスは鮮やかな赤。細かなところまでレースやリボンで装飾がなされていて、けれど、それが嫌味ではなく、絶妙な上品さを感じさせる。
もともと人形のような容姿をしているだけあって、一見派手でひらひらとした着こなすのが、難しそうな服装が、よく似合っている。
「てか、それ部屋着じゃないのか?」
「外には出ないから、それでいいのよ」
「よくないわよ、パチュリー」
そんな指摘をされたパチュリーは、淡い紫色をした長い薄手のワンピースの上から、薄桃色のガウン、そして同色のケープを羽織っている。アリスや魔理沙のそれと同じように、レースやリボンにまみれたそれだけれど、ウエストに絞りがないせいか、柔らかそうな生地のせいか、どうにも寝間着のように見えてしまう。
不思議なデザインの帽子がどこかナイトキャップを思わせるのも、原因の一つだろう。
お互いに、年頃の少女らしく、お互いの服装にあーだのこーだの言いあって。
作戦決行前の高揚感も手伝ってか、妙に楽しいおしゃべりに興じて、ふと思ったこと。何とはなしに、アリスは呟いた。
「なんか、変な感じ……」
「変な感じ?」
「こっちのほうが制服よりしっくりくるような気がして」
確かに私服を着ているところを見たのは、初めてのはずだ。一般的な視点から見て、三人が三人とも、制服とは方向性の異なる個性的な服装をしている。少なくとも、アリスにとっては魔理沙の魔女服もパチュリーの部屋着も、似合っているとは思うけれど、見慣れないものでしかない。
それなのに、なぜか、しっくりくる。懐かしく感じてしまう。
まるで、制服が不自然であって。ようやく、あるべき姿に戻ったかのような。そんな錯覚に陥る。こうした既視感を覚えることは初めてではないのだが。
難しい顔をしているアリスに、二人も心当たりがあるのか、それぞれ何事かを志向している。そのせいで、ふつり、と訪れる沈黙。
別にそれが悪いというわけではないが、どことなく気味が悪い。
けれど、それもそんなに長くは続かない。考えても仕方がない、と言いだしっぺのアリスは、妙なムードを振り切るように苦笑して、口を開いた。
「ま、それも気になるけど、今はあの本について考えなくちゃ。そろそろ出発の時間よね?」
「あ、ああ、そっか。そうだよな」
「……」
アリスの言葉に我に返った魔理沙は、少々名残惜しそうな顔をしながらも、頷く。お楽しみはこれからなのだ。よそ事なんて考えている暇はない。
一度考え込むと止まらないタイプのパチュリーは、未だに何事か考えている様子だったけれど、出発の言葉を耳にすると、やがて諦めたようにため息をついて顔をあげた。
「それじゃあ、行きましょうか」
ちょうど永琳が上の階を巡回している時間を見計らって、部屋を出る。
懸念されたにとりの発明品も、驚くほどの効果があり、あっさり魔理沙は部屋の外に出ることに成功した。
そうして、物音をたてないように注意しながら、螺旋階段を駆け降りて、あっという間に寄宿舎の外へ。丸い月に照らされながら、坂道を急ぐ。
図書館の重厚な正面扉ではなく、鍵の壊れた裏口からこっそりと忍び込む。自習室に繋がるこの扉がいつまでも修理されないのは、その方が出やすいから、とチルノたちが放置しているためだ。いたずらな妖精たちはこういう風な抜け道や何かを好むのだが、生徒たちもそれを利用してしまうという難点がある。
「ここまでは結構簡単に来れたな」
忍び込んですぐにある自習室で、魔理沙は一度大きく息をつく。明かりのついていない室内でも、その瞳が興奮でらんらんと輝いているのが分かる。この暗いのにも関わらず、マイペースに手にした本を開いているパチュリー。
そんな二人を眺めながら、アリスは上海人形を抱く手に力を込める。
「そういえばアリス。どうして、人形なんて持ってきたの?」
「ちょっと、保険……というか」
「人形がないと心細くてしかたがないと、そういうことね」
「そうは言ってないでしょ」
何とはなしに顔をあげたパチュリーが訝しげにアリスに問いかける。それに対して、アリスは言葉を濁すことしかできない。
人形遣いであるということは、基本的に伏せている。そのため、普段、人形は部屋に飾ったままにしてあるのだ。特に必要もなく、毎日人形を抱いて歩いていたら、ただの痛い子だ。今のパチュリーのように怪訝そうな顔を向けられてしまう。
だが、今回は。場合によっては、この奥の手を使うつもりでいた。
人形を使う魔法はアリスのとっておきだ。こうして手の内を明かしてしまうのは本意ではない。少なくとも、使うとすればもっと、命の危険が迫っているだとか、そういう時まで隠しておきたいと思っていた。
本気を出さない、というアリスの信条。
けれど、今回の一件でアリスは、二人の本気に触れた。
魔理沙が真夜中に一人訓練を重ねていたこと。パチュリーが倒れるまで調べ物を続けていたこと。それがいいことかは分からない。
むしろ、周りをみればいいのに、とか、もっと考えればいいのにとさえ思う。
それでも、なぜか、少しだけ、少しだけ羨ましくて。焦ってしまって。
決して得策ではない、と理性は告げているのに、そういうのも悪くないかもしれないなんて。この二人相手ならば、怖くないかもしれないなんて。
そんな風に心が揺れ動いた。
いろいろなことを考えて、まだ使うことを本当に決めたわけではない。
積極的に明かすことはしない。使わなくて済むのならばそれでいい。
けれど、もしもの時は。
「アリス、早く行こうぜ」
「置いていくわよ」
図らずも物思いにふけってしまっていたアリスはすでにドアの傍にいる二人の呼び声に、慌てて顔をあげる。そうして、一度、優しく上海人形の頭を撫ぜ、小さく、魔理沙達には到底聞こえないほど小さな声で囁く。
「頼りにしてるわ、上海」
『シャンハーイ』
まだ魔力を通していないのにも関わらず、どこからかそんな返事が聞こえたような気がして。ほのかな安心感と共に、ぎゅ、ともう一度強く抱きしめて。
そうして、アリスは二人の後を追いかけた。
図書館では、前回忍び込んだときよりも多くの妖精が、あちこちを飛び回っていた。侵入者を見つけようとする気合いはこの間の比ではない。
それはきっと、前回魔理沙達が捕まりそうになったことや、輝夜によってガラスが割られたことが大いに関係しているようだ。
「レミィの悪ふざけのような気もするけどね」
「ああ……」
書架と書架の陰に隠れて、ため息をついたパチュリーに、アリスは同意する。
確かにあの学部長ならば、よりこの侵入劇を盛り上げるためにそういう指示を下していても不思議ではない。そもそも、三人にこの役目を託したのでさえ、退屈しのぎというニュアンスが強いのだから。
「少なくとも、警備を減らしてくれるようなやつじゃないのは確かだな」
ちらり、ちらり、と書架から顔を出して、妖精たちの様子を窺っていた魔理沙も肩を竦める。先ほどここに隠れてから、もう随分経つのに、なかなか禁書の区画に近づくことができないのは、妖精たちがあちこちを飛んで回っているからだ。
「じゃあ、大ちゃんはここのあたりをお願いね! あたいはあっちのほうをさがしに行くから」
「うん、まかせて」
「この間はちょっと遅れをとったけど、今回はぜーったい逃がさないんだから!」
「がんばろうね、チルノちゃん!」
静かな図書館に、妖精二人の幼い声が響く。一人はチルノ。大ちゃんと呼ばれたもう一人の妖精は、若葉色の髪を黄色いリボンでサイドポニーにした妖精だった。確か、アリスの記憶によれば、大妖精と呼ばれているチルノの親友だったように思う。
チルノが、この間、窓ガラスの割れたあたりまで飛んでいくのを見守って、大妖精はきょろきょろとあたりを見回す。三人のことを見つけ出そうとしている。
どこか不安そうな様子は、見るからに隙だらけで、チルノが残るよりもずっと突破しやすそうではある。だが、飛んでいる位置が、ちょうど禁書閲覧受付のコーナーの前であるため、厄介で仕方がない。
うろちょろうろちょろしているチルノと違って、一か所に立ち止まっているのもまた、面倒くさい。
「あいつ、どこか行かないかな」
むう、と僅かに頬を膨らませた魔理沙が腕を組んで考える。
どうにかどいてほしいのだけれど、妖精らしくなく真面目そうな顔立ちは、チルノに任された任務を果たそうとする使命感に満ちている。こちらからアプローチしない限りはどいてくれそうもない。
「こんな時は囮、かしらね」
できることなら避けたかった手段を、淡々とした声音でパチュリーが呟く。
一応、こんな時のことも考えて、作戦は練ってきているのだ。どうしても見つかってしまいそうになった時、アリスか魔理沙が囮となって、残りの二人があの本を取りに行くという。最悪、封印解除の技術を持つパチュリーが禁書の区画に辿りつければいいのだから。
けれど、それはもれなくアリスか魔理沙が捕まるリスクが格段に高くなるわけで。
できることなら、避けたい手段であることに間違いない。
「それしかないか、やっぱ」
「何か気をそらせればいいのだけど」
「もう面倒だから、特攻でよくないか? こうずあーっと」
「いいわけないでしょう」
こんな風にこそこそすることよりも、派手に正面突破することを好む魔理沙が、親指を立てる。それに冷たい視線を投げかけるパチュリーは、本に傷がついたらどうするのよ、なんてどこかずれたことをぼやく。
緊迫感がない、というか、真剣さはあるものの、どこかふざけたような二人の会話を耳にしながら、アリスは覚悟を決める。
上海人形を使って、大妖精の意識を反らす。
使うのは基礎の基礎程度の技術。人形遣いとしての本気は見せない。まだまだ隠し玉は残しておくけれど、ほんの少しだけ手の内を明かす。
それだけのことだ。だが、アリスにとっては大きな決意で。
緊張で乾いた唇を舐めて、できる限り何でもないことのように。いつものように少し気取った仕草で肩を竦めたアリスは言う。
「囮なんて必要ないわよ」
「え?」
きょとんとする魔理沙と、訝しげなパチュリーの視線を受けて、やや苦笑。
見られていると少しやりにくいな、と思いつつも、アリスは瞳を閉じて魔法に集中する。
久しぶりに発動する魔法だけれど、不安はない。まるでブランクを感じずに、ひとつひとつの手順をこなしていけば、あっという間に魔法は完成して。
ふわり、と腕の中から浮かび上がった上海人形は、スカートの裾をつまんで礼儀正しくお辞儀をする。心などないのは分かっているけれど、心なしか久しぶりに会えて嬉しいと言われているようで、アリスの表情は綻ぶ。
「わ、動いた」
「ふむ」
そのまま、魔理沙とパチュリーの方へ、飛ばせて、くるくると回らせてみせる。あからさまに驚いている二人を見て、アリスは、くすりと笑ってしまう。
せっかくのとっておきだ。驚いてもらわなければ、手の内を明かした甲斐がない。
秘密を明かした高揚感か、人形を遣うことへ喜びか、珍しくテンションの上がったアリスは、自信を持って笑う。
「これなら、なんとかなると思わない?」
再び上海を自らの方へ引き寄せて、肩の上のあたりに浮かせて問いかける。
魔理沙とパチュリーの視線でさえ、こうして奪うことができるのだ。より幼い少女の心を持つ大妖精相手ならば、ほぼ確実に視線をそらすことに成功するはずだ。
ついでに言うなら、優しい性格の大妖精ならば、可愛らしい上海に攻撃を仕掛けるようなことはしないだろう。
「こんなのできるんなら、もっと早くやってくれよ!」
「魔法使いはそうそう持ち駒を晒すもんじゃないわ」
「なんだよそれ」
口では文句を言いながらも、ふわふわと浮かぶ上海に興味津々の魔理沙は、おそるおそる手を伸ばす。その反応が楽しいアリスは上海の小さな手で魔理沙の指先と握手する。
いつものやんちゃさはどこへやら、楽しげに上海とじゃれる姿はいかにも女の子らしい。
「ああ、こっち方面だったのね」
「まあね」
「確か出身は西の方だったわよね。ということは……」
そんな魔理沙をよそに、パチュリーはアリスの指先を注視する。指先からつながる魔力の糸に気付いたあたりは流石というべきか。
人形遣いの技術と出身地を照合させようと考え込むパチュリーは放っておけば、そのあたりに資料を探しに行ってしまいそうな勢いがあって、慌てる。この状態でそうされてしまうと非常に困る。
「とにかく。今から、大妖精の意識を反らすから。二人ともすぐに出れるようにしておいて」
「ん」
二人が渋々ながらも頷いたのを確認すると、アリスは上海の移動に意識を集中する。
書架と書架の間を忍者のように素早く移動して、アリス達から離れた場所へ。
見た目は普通の人形とまったく変わらない上海は、妖精たちよりもずっと小さい。
アリス達が通れないような狭い隙間も、小さな影も。時には本棚の中に隠れるようにして、大妖精に近づいていくことができる。
物音さえ立てないで、ひらりひらりと踊るように。けれど確実に
古い本棚のとげや釘にスカートを引っ掛けないように、月明かりで影を作ってしまわないように気をつけながら、慎重に進んでいく。
思っていたよりも、緻密さを要求される作業にアリスの額には汗が浮かぶ。
一応半自律の上海は放っておいても進んで行ってくれるのだけれど。暗がりの中、見つからないように、と指示をしなければならないというのは、なかなかに骨が折れる。
「しかし、すごいな。私もやってみたい」
「中に爆弾でも仕込むつもり?」
「だー、確かに私は花火みたいな魔法ばっかりだけど、流石に人形の中に爆薬仕込んだりはしないぜ」
「あら、意外ね」
「お前は私をどんな目で見てるんだ」
そんなアリスの苦労を知ってか知らずか、まあ、知っていたところでどうしようもないのだろうが、魔理沙とパチュリーが、しょうもない雑談をしている。
二人は冗談のように言っているけれど、実は人形遣いの中では人形に爆弾を仕込むのはわりとよくあることだったりする。それを言おうか言うまいか迷っているうちに、上海が、大妖精のすぐそばまで接近する。
「お」
「そろそろね」
二人の声を聞いて、静かに頷いたアリスは、糸を通じて、上海が大妖精の前に出るように操る。
いかにも緊張した様子で、胸の前で手を組みあわせて、視線を彷徨わせている大妖精。その目の前にふわりと、上海は姿を現した。
そうして、可愛らしくにっこりと微笑んで、先ほどアリスに対してしたように、礼儀正しくお辞儀をする。
「え? あ、あなた、だあれ?」
「シャンハーイ」
侵入者ということで、一瞬身を固くした大妖精は、しかし、目の前に現れた愛くるしい人形に戸惑ったような声をあげる。僅かに上ずったその声は、小さく他の誰かには気付かれないほど。
大妖精の問いかけに、上海は両手で数えられるほどしかない語彙の中から最も適した言葉を放つ。
「しゃんはーいちゃん?」
「シャンハーイ」
おずおずとした声で呟く大妖精に、胸を張ってくるくる回ることで上海は答える。アリスが操っているという部分ももちろんあるのだけれど、やけにオーバーな動作は想定の範囲外。
戸惑いながらも、アリスは上海を的確に動かしていく。
ダンスでも踊らせるかのように、軽やかに大妖精のまわりを飛び回らせる。
そうして、こっちへおいで、というように、大妖精の子供のような指を両手で掴んで、軽くぐいぐいと引っ張る。
「え? そっちに行くの?」
「シャンハーイ」
「で、でも。チルノちゃんに頼まれたから、私、ここにいなくちゃ」
「シャンハーイ?」
あくまで頼みごとを優先させようとする大妖精の言葉に、ぱっと手を放す。困ったように、ごめんね、と謝る大妖精の頭の方へ浮かび上がる。
その動きを見た魔理沙が、首をかしげてアリスに話しかける。
「どうするつもりだ、アリス?」
「本当はこういうのはやりたくなかったんだけどね」
なんていうか、スカートめくりでもするみたいで、とため息をついたアリスは、わずかな指の動きで、器用に上海を操っていく。
上海が掴んだのは、大妖精の髪を束ねていた菜の花色のリボン。きれいに結ばれているそれの端を引っ張って、しゅるりとほどいてしまう。
「あっ、ちょっと、しゃんはーいちゃんっ」
「シャンハーイ」
それを捕まえようとして手を伸ばしてくる大妖精から巧みに逃れて、リボンを持ったまま上海は、禁書の区画とは正反対の方向へ飛んでいく。
とても困った、少し泣きそうにも見える様子の大妖精は、おろおろと視線を彷徨わせて。
アリスは、その背中を押すように、おどけた仕草で上海を回らせる。その拍子に鮮やかなリボンが揺れるのを見ると、大妖精は、涙目ながらも、きっとした表情になる。
「リボン、返して!」
「シャンハーイ」
「もってかないでー」
ひゅん、と飛んでいく上海を、羽根を懸命に羽ばたかせて追いかけていく大妖精。
「ええっと、チャンス、だよな」
その背中を見送ったアリス、魔理沙、そしてパチュリーの三人は何とも言えない表情で顔を見合わせる。なんだかとても罪悪感を覚える。
「多分……、一応上海には出口近くまで飛んで、適当に撒くように指示しておいたから大丈夫だと思うけど」
「すごいな、そんなこともできるのか」
捕まらなければいいけど、と小さくため息。
「なんだか、あの子の気持ちがよく分かる気がするわ」
「わ、私だけが悪いんじゃないわよ? 連帯責任でしょ、連帯責任!」
どことなく恨みがましいじと目でアリスを見上げるパチュリー。もってかないでー、という言葉に対して、妙な既視感を覚えるのはなぜなのだろう。
こほん、と咳ばらいをして、アリスは視線をそらす。何のためにあんなことをしたのか。それを無駄にしないために、アリスは飛ぶ。
「とにかく、行きましょう」
「これね」
禁書の棚の奥。この間とまるで変わらない位置にあの本は納まっていた。この間よりも頭に響いてくる泣き声は弱々しいのにもかかわらず、本から漏れ出る光はこの間よりも強い。どこか青白く、脈動するように揺れる光は見るからに、危険。
「少し下がっていて」
その本を無造作に手にとったパチュリーは淡々とした声音で呟く。それに、アリスと魔理沙は素直に従う。
もっと近くで見ていたい気持ちがないわけではないけれど、今この場で、禁書を扱うだけの技術を持っているのはパチュリーだけだ。従うほかない。
「ふう」
一度、呼吸を整えるように大きく息をついたパチュリーは、その本を宙へ浮かべる。
そうして、それとは別に持参していた濃紫の表紙の分厚い本のページをめくっていく。パチュリーが実家から持ち込んだというその本の中に、封印を解く為の呪文が乗っているのだという。
「……」
かすれた声。やたらと早口で、アリスと魔理沙にさえ聞こえないほど小さな声でパチュリーは呪文を詠唱する。幸い、懸念された喘息の発作も起きることなく、スムーズに。
浮かぶ本、広がる魔法陣。寝間着のように見えた私服がこの場で、こうして見ると、いかにも実力のある魔法使いのローブのように見えた。
言葉を重ねていくにつれて、少しずつ少しずつ、光が強くなり、それに連動するように、泣き声もまた大きくなっていく。
「大丈夫か、アリス」
「え、ええ」
耳を手で塞いでも、頭の中に直接響いてくる泣き声は響き続けるばかり。
それはやがて、頭痛へと変化し、そのうちに吐き気さえも催してしまう。その場に座り込んでしまうアリスの背を、魔理沙がさする。同じように聞こえているはずなのに、魔理沙にはずいぶん余裕があるように見えて、アリスは少し悔しくなる。
当然、詠唱しているパチュリーは、何の影響を受けた様子もない。本を中心に広がる魔法陣の淡い光に照らされて、無心に呪文を紡いでいく。
「……!」
やがて、何らかの強い言葉と共に詠唱が終わる。アリスや魔理沙には理解できない言語だったため、何と言っていたのかは分からない。
けれど、それに関して何か言うより早く、あの本が信じられないほどの強い光を放った。
まるで直視できないほどの、太陽の光のような眩しい光。アリスも、魔理沙も、そしてパチュリーも見ていられずに、腕なり帽子なりで顔を覆う。
それと同時にあのすすり泣きの声は聞こえなくなっていたのだけれど、それに気がつくほどの余裕はない。
「びっくりしたー」
「目がちかちかするわ……」
光はやがて、弱まって消えた。時間としてほんの十秒にも満たないような短い時間。
だが、流石に強い光にやられた目はなかなか元の暗がりに慣れてはくれず、ほとんど何も見えない。しばらくまばたきや何かを繰り返しながら、こんなんじゃ、誰かしら教師に気付かれても無理はないな、なんてことをぼんやりとアリスは考える。
魔理沙やパチュリーも同じような状態なのか、しばしの沈黙が訪れる、はずだったのだが。
「パ、パチュリー様っ? それに、アリスさんと魔理沙さんも!」
三人の耳に届いた少女の声。アリス達と同じ年頃の、ものすごく驚いている声。
聞いたことのない声であるのは確かなはずなのに、名乗ってもいない名前を呼ばれて戸惑う。
よく見えない目を凝らして、その声の主を眺めれば。
鮮やかな緋色の髪に蝙蝠の羽根のような耳。悪魔らしい大きな翼を持った少女。
へたり込んでいるパチュリーに手を差し伸べようとしている。長い尻尾をふりふり、やれやれと呆れたように大きなため息をついている。
「もう、また何か無茶な実験をなさったんですか? そういう時はせめてこの小悪魔に一声かけてくださらないと困りますってば……って、あれ?」
ぽんぽんとやけになれなれしい調子で言葉を重ねていた少女――小悪魔は、やがて、三人の戸惑いの視線に気がついたのか、きょとんとして首を傾げる。
じいっと、パチュリー、魔理沙、アリスの顔を順繰りに眺めて、しまった、というように口元に手をあてる。
「もしかして、私間違えちゃいました?」
何をだ。そう問いかけたいのは山々だけれど、うまく言葉にならなくて、アリスは沈黙を続けてしまう。彼女に背中に手を添えて支えられているパチュリーは、何事か考えているのか、じっと彼女を見つめたまま。
そうして、最初に口を開いたのは魔理沙だった。
「なんで私たちのことを知ってるんだよ?」
「ええっと、えっと。それは……あっあれですよ、あれ!」
「あれ?」
「私! あの本に封印されてた司書の小悪魔なんですよ、ちょっと長いこと封印されすぎてたせいで、記憶が混乱しているというか、えーとなんて言うか。えへへ」
疑わしげな魔理沙の視線に、冷や汗をかいて慌てている小悪魔。
ようやく回復してきた視力で眺めれば、確かに少々デザインが異なってはいるものの、身にまとっているのは司書服。ここに常駐している小悪魔たちよりも、大人びた姿かたちをしているものの羽根や髪の色などの特徴は概ね一致している。
司書だというのは、本当のことのようだ。
「お名前は……ほら。本の中から聞こえていたというか」
「胡散臭いわね……」
パチュリーも胡乱げに小悪魔を見つめる。その視線にたじろぐ小悪魔はしかし、視線そのものは外さない。焦っているわりには、どこかひょうきんさを感じさせる動作が、妙に脱力させる。
「っていうか、そんな紛らわしい格好してるから、いけないんじゃないですかー」
「意味が分からないんだけど」
「あっ、そうだ、お礼がまだでしたね」
そう言って、小悪魔は嬉しそうに微笑んで、アリスの右手を両手で包み込むようにして、握る。悪魔らしくなく、人肌の温度のぬくい手のひらに、アリスは戸惑う。
「ずっと、ずっと心細かったんです。真っ暗な本の中に閉じ込められて、誰も助けに来てくれなくて。怖くて、寂しくて」
「小悪魔……」
「だから、助けてって。助けてって言ってるのに気付いてくれて、本当に嬉しい。その上、こんな風にまた外に出ることができた」
「……」
「だから、ありがとうございます、アリスさん」
先ほどまでの妙な混乱ぶりはどこへやら。ただ真摯な、透きとおった瞳でアリスを見つめる小悪魔は、心から嬉しいというように目を細める。
その表情は柔らかく、本当に安堵しているということが伝わってきた。よくよく見てみれば、真っ赤になった瞼や鼻の頭は今の今まで泣いていたひとのそれ。
不審な点はあれど、疑いようもなく、この小悪魔はあの本に封じられていたのだろうと思う。少なくとも、助けを求める声と、この感謝の気持ちだけは信じてもいいのではないか。
「パチュリー様と魔理沙さんも、ありがとうございます」
「別に」
「ま、いいけどさ」
パチュリーと魔理沙にも深々と頭を下げる。怪しむ気持ちが消えたわけではないけれど、ここまでまっすぐにお礼を言われてしまうとどうにも反応に困ってしまう。
どんなに怪しかろうと、封印を解いて、レミリアにさえ報告すれば、それでいいだろう。
三人はそれぞれに顔を見合わせあって、目下のところ、解決したことを視線で確認し合う。少しばかり煮え切らない思いがないではないけれど、とりあえず、小悪魔の笑顔と、やりきった達成感と。やってよかったな、なんて。
まだどこか興奮しているのか、しみじみと振り返ることはできなくて。
ただ身体に残るのは、どこか心地よい疲労感。
「じゃ、とりあえず帰るか」
「そうね。もうすぐ永琳の巡回の時間だし」
「もう疲れたわ」
「ああっ、ちょっと! 置いてかないでくださいようっ」
はあ、やれやれ、とそれぞれに伸びをしたり、肩をたたいたりしながら禁書の区画の出口へと向かう。そして、封印が解けたばかりの小悪魔も、行くあてがないのか、その後を追う。
そこで、円満解決、となればよかったのだが。
図書館を出た途端、目の前に立ちはだかっていた青い妖精。そうして、その腕にすがりつくように抱きついている緑色の妖精。
氷精チルノと大妖精だ。大妖精は手にしっかりとあのリボンを握っている。
「あんたたちっ、今日という今日は許さないわよ」
チルノが、きんきんした舌ったらずな声を荒げた。子供らしい幼い顔立ちを怒りに染めて、胸を張っている。
それを見た魔理沙は露骨に厄介だな、という表情になる。パチュリーもアリスもうんざりして、ためいきをついた。もう、更にここからチルノ達と隠れ鬼をするのは勘弁といったテンションなのだが。
事情をよく知らない小悪魔だけが、きょとんとしている。
「大ちゃんを泣かす奴はあたいが許さないんだからっ。あのへんな人形には逃げられちゃったけど、要するにあんたたちを倒せばいいのよね?」
怒りの理由に心当たりはある。とても申し訳ないという気持ちはあるのだけれど、アリス達にだって、都合があった。場合によっては、この小悪魔が消滅していた可能性だって十分にあるのだから。
今度、お詫びの品でももってこよう、と思いつつ、ここのところは見逃してくれないかな、なんて。
「な、小悪魔」
「はい?」
ぽりぽりと頭をかいた魔理沙が、やがて小悪魔の耳元に顔を寄せて、話しかける。
この小悪魔は身長が高く、アリスと同じぐらいの背の高さがあるために、少しだけ背伸びをして、ぼそぼそと囁く。
あまりに小声だったので、何を言っているのかは、アリスには分からない。
けれど、その魔理沙のいたずらっ子めいた笑みから、何か策を思いついたのだろうと悟る。ちょっとした機転で状況をひっくり返す。こんな表情をしている時の魔理沙には、何かを成し遂げてくれそうな、そんな頼もしさを感じさせる力がある。
「行けるか?」
「多分、大丈夫だと思います」
魔理沙の確認するような声に、小悪魔はぴこぴこと不思議そうに耳元の羽を揺らしなしながらも、しっかりと頷く。そうして、ぱっと身をひるがえして、書架の奥に飛んでいく。
「ああっ、逃げる気っ?」
「おおっと、チルノ。お前の相手はこの私だ」
すぐさま小悪魔の後を追おうと、透明な三対の羽根を広げるチルノの前に、魔理沙が立ちふさがった。何かを企んでいるような、余裕をかましたにやにや笑いで、大袈裟に腕を広げる。
「むっ」
「あいつのことを追いかけたら、私たちは逃げるぜ? それでもいいのか?」
「いいわけないじゃない」
妖精らしく低い身長のチルノは、顔をぐいっと上に向けて魔理沙を睨みつける。腰に手を当てて、むっとした表情を隠そうともしない。
いかにも子供っぽいその動作は、見ている分には、背伸びをするおませな女の子のようで可愛らしいのだが。どうにも今の状況では、困ったなあという感情ばかり。
どうしたものか、と考えながら、アリスは何とはなしに目があったパチュリーと肩を竦めあう。
とりあえず、ここのところは魔理沙に任せるのが得策だろう、と判断して、ただことの成り行きを見守る。何をしようとしているのかは分からないにしても、状況が動いた時にすぐ動けるように、心の準備だけはしておくために。
「あたいは天才だもの。あんた達なんかすぐにつかまえられるわ」
「ああ、そうだな。お前の賢さには脱帽するぜ」
胸を張るチルノに、わざとらしささえ感じさせるほどの大仰な動作で肩を落としてみせる魔理沙。普通ならば、どう見てもなにか企んでいるに違いないと気付くのだろうけれど、そこはチルノも、どんなに力は強くても、結局は妖精。そういうところは幼い子供と変わらない。
あっさりと魔理沙の言葉に、気をよくして、少しばかり照れたようにそっぽを向く。
「ふふん、あんたもなかなか分かってるじゃない」
「あったりまえだろ? なあ、それよりさ、チルノ」
「なによ?」
「私にはどうしてもわからない問題があって、今、すごく困ってるんだ」
ちらちら、と小悪魔が去っていった方を視線で確認しながら、魔理沙は腕を組んで首を傾げてみせる。やたらと演技くさく、困ったなあ、と大きくため息をついてみせる。
そうして、それをじいっと眺めているチルノに向かって、ぱんっ、と手を合わせる。
「頼む、天才のチルノの知恵を貸してくれよ」
「そ、そこまで言うのなら、仕方ないわね。教えてあげる!」
「チ、チルノちゃん……」
「おおそうか、チルノ! 助かるぜ! ありがとう」
まんざらでもなさそうに、少し偉そうに胸を張るチルノに、そう言って顔をあげた魔理沙はにこりと微笑む。流石におかしいと感じているらしい大妖精が、そのチルノの服の裾を引っ張る。
けれど、チルノがそれに反応するより前に、魔理沙は畳みかける。
「パンはパンでも、食べられないパンってなんだか知ってるか?」
誰でも即答できるような簡単ななぞなぞ。けれど、それはチルノの動きを止める最強の呪文になり得る。なんだかんだで、真面目なチルノは、こういうふうになぞなぞを出されると、答えられるまで考えはじめてしまうから。
「パンが食べられない……?」
「チルノちゃん!」
「大ちゃんも一緒に考えて! これはゼンジンミトウの難問よ」
「ええっ、で、でも」
魔理沙達のことなど、すっかり忘れ去ったようにチルノは考え込む。おろおろ困った顔の大妖精が声をかけても、聞く耳を持たずに、顔を真っ赤にして考えている。
「つまり……これはどういうことなの? 魔理沙」
「小悪魔を待つ間の時間稼ぎってな。こないだ阿求に会っただろ? その時に聞いたんだ。チルノはなぞなぞを考えはじめると他には何も考えられなくなるって」
「ああ、そういえばそんなことを言ってたわね」
「思った以上に馬鹿で助かったぜ」
「ていうか小悪魔って? ねえ、一体何をしようとしてるのかぐらい……」
状況が飲みこめず、訝しむパチュリーに魔理沙はにやりと不敵に笑う。けれど、それだけでは魔理沙の意図するところが分からずに、アリスが反駁しようとしたその時。
「お待たせしました!」
ばっさばっさと大きく羽ばたく翼の音。ずいぶんと急いでいたのか、息を切らせて真っ赤な顔をした小悪魔が飛んでくる。
その手に、大きな掃除用の箒を抱えて。
「おー、これだこれ! ありがとな、小悪魔!」
「よかった、これで大丈夫ですよね」
「完璧だぜ」
ぐいっと親指を上に向けて立てた魔理沙は、すぐさまそれに跨って、パチュリーの手を掴んでぎゅっと引き寄せる。そうして、アリスの方へ顔を向けて、身ぶり手ぶりで箒に腰かけるように指示をする。
「ちょっと、魔理沙?」
「これはつまり……」
「つまり、そういうことだ」
突然の乱暴な動作に抗議の声をあげるパチュリー。そして、箒と魔理沙との組み合わせから、おおよそのところを理解したアリスは、やれやれと呆れたため息をつく。
アリスとパチュリーが箒に腰かけたのを、確認すると、それはもう楽しそうに笑って。
「ま、本当なら愛用のあの箒が良かったんだけど、流石にそういうわけにもいかないからな」
「魔理沙?」
「まだ、箒なしじゃ飛べないけど。箒を使って飛ぶんだったら、この学園で最速なのは私だぜ!」
未だ考え込んでいるチルノとおろおろしている大妖精をよそに。
いつもより、二人も余計に乗せた魔理沙の箒は、少しだけふらつきつつも、すぐにふわりと軽やかに浮かび上がる。
「私たちだって、普通に飛べるんだけどね」
「というか、ちゃんと説明しなさいよ、もう」
魔理沙の背中側に横座りをしたアリスがすました声で囁けば、魔理沙の腕と腕の間に窮屈そうに納まったパチュリーが、不満そうに言葉を返す。
口ではお互いそんなことを言いながらも、こんなのも悪くない、なんて楽しんでいるのもまた事実。
「いいじゃんか、私が一番早いんだから!」
二人の言いように頬を膨らませる魔理沙は、どこか笑いを含んだ声でそう言うと、一気に箒に魔力をこめていく。
「チっ、チルノちゃん! 大変!」
「えっ、あっ、どこ行くのよあんた達!」
流石にその気配を察したらしい大妖精とチルノが、三人に目をやった頃にはもう遅い。
すでにぐんぐんと高度を上げた魔理沙の箒は、まるでブースターでもついているかのようにどんどん加速していく。
「答えはフライパン、だぜ」
そんな捨て台詞を一つ残して、箒に乗った三人はあっという間に、遠くまで飛んでいく。
小悪魔も悪魔らしく大きな翼をはためかせて、僅かに遅れを取りながらも、しっかりとついてきて。
超高速の箒の上では、正直会話もままならない。ただ振り落とされないように必死に箒にし編みついているだけ。障害物も多いため、何かにぶつからないかひやひやして仕方がない。
けれど、本棚の間をすり抜けて、大きな出窓から図書館を出てしまったならば。
星々の輝く夜空で、痛いほどの風を感じながらの夜間飛行。
どこかわくわくする夜の匂いが、胸をくすぐる。
もうここまで来たら、大丈夫だろう、なんて、少しだけ減速。
頬に当たる風が、柔らかくなって、気持ちがいい。
なんとなく、このまま帰るには、気持ちが熱くなりすぎている。お互いに言葉をかけあったわけではないけれど、なんとなく雰囲気を感じ取りあって、頷きあう。
まっすぐに寄宿舎に帰らずに、魔理沙の箒は、ただ上空を目指して飛んでいく。
そうして、寄宿舎から見えないほどの高さまで上がったところで、ただ浮かぶ。
誰も何も言葉を発しない。
すべてを終えた達成感。たった今の逃走劇による高揚感。
それぞれがそれぞれに本気を出した開放感。
もう、それぞれ、言葉にならなくて。
「ふふっ」
最初にふきだしたのは誰だっただろうか。それも分からなくなるぐらい、ほとんど同時。
くすくすと。けらけらと。
どうしようもなく笑いがこみあげてきて。おかしくて楽しくてしかたなくて。
わけのわからない気持ちのまま、三人は揃って声をあげて笑う。
それを見て、虚を突かれた表情をしていた小悪魔も、やがてふふっ、と悪魔らしからぬ優しげな笑みを浮かべて、三人を見守る。
大きな満月に照らされて。夜空の真ん中。
それからしばらく、三人の魔法使いたちの笑い声は響き続けた。
「まったく、ひどい目にあったわ」
ベッドにぐったりと身を投げ出したアリスは、恨めしげに呟く。少々お行儀が悪いのは分かっているけれど、さんざんお説教されて帰って来たのだから、仕方がない。
それに答える魔理沙は、自分のベッドの上で、制服のスカートがめくれるのも気にせずに、胡坐をかく。
「いいじゃん、外出禁止にもならなくて、厳重注意ですんだんだからさ」
「そういう問題じゃないわよ」
私の優等生のイメージが、と呻いて、アリスは先ほどまでの出来事を思い出す。
図書館侵入から一週間。あの夜はなんとか、永琳に見つかることなく、部屋に戻ることができた。完全に疲れ果てていた三人は部屋に戻ってくるなり、着替えも片付けもする余裕なく、さっさとベッドにもぐりこんで眠った。幸いにして、アリス達の部屋には空きベッドがある。行くあてのなかった小悪魔も、とりあえずはそこで身体を休めることができたし。
そうして、翌日。忘れかけていたけれど、未だに外出禁止中である魔理沙と、風邪がぶり返してダウンしたパチュリーを置いて、アリスは授業へ。
流石にその日は、らしくもなく居眠りをしてしまったりしたのだけれど、なんとなく事情を知るにとりや咲夜に助けられて、なんとか乗り切ることができた。正直、魔理沙とパチュリーが妬ましかったのは秘密。
そうしているうちに、小悪魔はレミリアに引き取られていったらしく、アリスが授業から帰って来た時には既に、すでに部屋から姿を消していた。
パチュリー曰く、小悪魔は再び大図書館で司書として働きはじめたのだという。会おうと思えばいつでも会えるとのこと。今度、差し入れのお菓子でも持っていこうと、ひそかにアリスは画策している。
そして、真夜中のパーティーという名目で、こっそりと霊夢たちが事の顛末を聞きに訪れたのが、昨日の夜。霊夢はチルノに捕まりそうになった下りで大笑いをし、早苗は夜間飛行のロマンに瞳を輝かせた。
それから、すべて記事にしようとする文を、そんなことしたら規則違反がばれてしまう、と必死に止めて。
体は疲れていたけれど、この冒険譚を話すのは楽しかった。
どうにも怪しまれているのか、いつもより多く様子を見に来る永琳に見つかりそうになって、何度も肝が冷える思いだった。
そうしているうちに魔理沙の外出禁止も解け、三人に当たり前の日常が帰って来た、とそう思っていたのだけれど。
「まさかチルノが私たちの顔を覚えてるなんてなー」
「意外と侮れないものね」
同じように思いを馳せていたのか、魔理沙が呟けば、相変わらず本に目を落としたきりのパチュリーもそれに同意する。
そう。チルノだ。それから大妖精も。
今日の授業、課外活動の一環として、クラス全員で図書館へ行った時。もうすっかり、気にせずに本を選んでいた三人を見つけたチルノが声をあげた。「あの時はよくもやってくれたわね!」とかそういうようなことを。
たまたまその現場に、教師が同席していたのがまずかった。
あっという間にチルノの証言を含めて、三人が一週間前、真夜中の図書館に忍び込んだ、という事実が明らかになってしまい。
そうして、今、永琳にこってり絞られてきたと、そういうわけだった。
「あーあ」
ひとつため息を吐き出して、アリスはベッドから身体を起こす。それに連動するように、ふよふよと浮かんでいる上海人形が、裁縫箱をアリスの手元に運んでくる。
あれ以来、アリスは部屋の中にいる時は、上海や蓬莱を魔力で使役するようになった。本気を出す出さないはともかくとして、もう明かしてしまった手札を再び伏せる意味はない。
まあ、そんなのはただの屁理屈で。
「ありがと、上海」
「シャンハーイ」
そっと小さな頭を撫でれば、上海はにこっと笑みを浮かべる。それがアリスには大切でたまらない。
なんだかんだ言ったところで、アリスは人形遣い。
一度、こうして動かしてしまえば、離れたくなくなってしまう。もしかしたら、上海達にもさびしい思いをさせていたのか、なんてことも考えて。
つまりは、一緒にいたかった。それだけのことだ。
「また人形でも作ってるのか?」
「ううん、そうじゃなくって」
ごそごそと針仕事を始めたアリスに、ふと興味を引かれたように魔理沙が問いかける。
そんな言葉に肩を竦めることで答える。
今、アリスが作っているのは、レースで縁取りをした菜の花色のリボン。あの時、はからずもいじめてしまった大妖精へのお詫びの品だ。
許されるかと言えば、どうなのかよく分からないけれど。
「アリスもまめよね」
「いいでしょ、別に」
「あら、悪いとは言ってないわ」
どこか皮肉っぽい声音でパチュリー。照れたように言い返すアリスに、くすりと笑う。
それは嘲笑するようなものではなくて、どこか微笑ましげなニュアンスを含んだもので、アリスは顔が熱くなるのを感じる。困ってしまう。
そんな有様に目を向けた魔理沙とパチュリーは顔を見合せて、楽しそうに笑う。けれど、珍しく、それ以上、からかいの言葉を続けることはない。
そうして、不意に魔理沙が口を開く。
「それにしても、本当に楽しかったよなぁ」
やけにしみじみとした言葉が、ぽかりと浮いて。
それをきっかけに、もう一度、今回の一部始終が頭に思い浮かぶ。
やきもきしたり、ひやひやしたり。怒ったり、心配したり。
その時、その時はもう何もかも気が気でなかったのだけれど、終わってみれば、それらすべてが楽しかったという、ただそれだけ。
ひやひやした気持ちは、本当はわくわくした気持ちで。たまに本気を出すのも爽快感。
そして、今回の件で、アリスは今まで以上にこの自由すぎるルームメイト達を知ることができたように思う。同じように。アリスのことも知られてしまったのだろうけれど。
それが嫌ではない。少しだけ近づいた距離が心地よい。
たまにはこんなのも悪くないかな、なんて。
そんな風に思って、自然と、頬が綻ぶのを感じる。
気がつけば、二人もどこか似たような表情で、やはり思うところは一緒なのかもしれない。
「そうだ、そうだ。今日、白蓮のところにいったんだけどさ」
不意に、魔理沙が瞳を輝かせる。わくわくきらきらしたその表情は、いかにも、新しいおもちゃを見つけた子供のような顔。
それでいて、何かを企んでいるような、どこか悪戯めいていて。
「面白そうな話があるんだ」
その言葉に、アリスはどこか嫌な予感を覚えて、パチュリーの方へと視線を向ける。本から顔をあげたパチュリーは小さく肩を竦める。もうここまできたら、覚悟を決めなさいよ、とでもいうように。
「旧校舎の東棟の奥に、今は物置としてしか使ってない塔があるの、知ってるだろ? そこにさ」
「ちょっとまって、魔理沙。それ以上言わないで」
「ええっ、何でだよ!」
「なんでって、あんたね。少しは大人しく……」
「諦めなさい、アリス。魔理沙にそれを言っても無駄だわ」
「パチュリーまで!」
「で、その東棟の塔にこないだ、うっかり星が迷い込んだらしいんだけど」
魔理沙が大げさな身ぶり手ぶりで噂話を語る。本を読みながら、聞いているのか聞いていないのか分からないパチュリーが時たまそれに頷いて。
ああ、また厄介事に巻き込まれる、とげんなりするアリス。けれど、不思議と悪い気はしない。
それどころか、むしろ楽しみだ、とさえ感じてしまうのは、魔理沙に毒されてしまったせいだろうか。分からない。
ただ一つ言えることは、明日からの日々もまた騒がしく、楽しいものになるだろう、ということ。それだけで十分だった。
ハリポタを思い起こさせるような学園ものでした。
続編や他キャラのお話も見てみたいな
さぁ、次は誰が出てくるかなぁ
続編があるならぜひ見てみたいです
なんだかんだで学園モノって面白いですよね。
こういうのはたくさんのキャラが出たり、そのキャラがどういう役割・設定に当てはめられているかのチョイスが魅力だと思います。
逆に言えばそこに惹かれるものが感じられないと残念な作品になってしまうのですが、この作品ではそんな事はなくとてもワクワクしました。
あとがきを見るにこのままでは終わらなそうな……
大抵こういう場合魔理沙が主役っぽいけど、
いろいろと悩み多きアリスが意外にも主人公として違和感がなかったのが
新しい発見でした。
楽しいお話でした。これは続編を期待せざるを得ない。
主役の三人を含めた登場人物が本当に生き生きとしてて、凄く楽しんでる様子がすっと伝わってくる
小さな冒険譚の中から生まれる三人の絆がとても素敵。胸躍るのに、優しいお話でした。面白かったです
100点入れられないじゃないかー!!
学園ファンタジー大好物です。
面白くてどこかちょっと懐かしいものを読んだ気がする。
とても愉快で、それでいてどこか懐かしい王道を匂わせるような、そんな感じがしました。展開が読めてしまう部分がいくつかあっても、それでも面白い。これは凄いことだと思います。
読みやすく、テンポの良い文体は、長さを全く気にさせないで読ませてくれました。
そして続きがありそうだけど、これはこれで終わっているようにも思える。もし、続きがあるのならば、楽しみに待たせていただきます。
いやはや、久方振りに良い長編を読ませていただきました。とても楽しい時間を過ごせました。
良い作品を、ありがとうございました!
これほどの長編でありながら、キャラクターの造形、文章表現力、ともに申し分ないため淀みなく楽しめました。
東方という世界観に則ったもので無いと仮想してこのお話を読んでみると、書店に並んでいるファンタジー小説の導入部にも遜色ないように私は感じました。
Pekoさんの柔らかく可愛らしい文体は、このような世界観にぴったりですね!
今後が気になる部分も大いにありますので、勝手ながら続編を心待ちにさせていただきます。
ガチでシリーズ化して欲しいです!!
つづけ!
パラレルでもキャラ一人一人が丁寧に書かれていて、すごく「らしい」のが読んでて心地よかったです
どこかもの寂しげな姫が裏の主役?気になるけど語られないほうが良いのかなと思わせるような不思議な魅力が…
あそこまでまだ達観出来ていない頃の姫様がどうしても皆に逢いたくなって、ミュージアムの遺品から各人の人格を擬似的に再生させて・・・・・・とか。
読み応えばっちりでどっぷり嵌りました。
魔法学校の世界でもキャラクターが愛らしく生き生きしていて、素晴らしかったです。
役者は彼女だけではないようですが。
異なる世界においても個性を充分に発揮しているように描かれた、アリスを
始めとするキャラクター達が実に素晴らしかったです。
すごく面白かった。
三人が夜空の中で笑ってるシーンめっちゃ好きです!
良いものを読ませていただきました!
それでいて別の世界でありながらPekoさんの世界観で描かれていて、とても面白かったです。