ここは紅魔館───その敷地内に存在するヴワル大図書館。
図書館というだけに並ぶ本の数は異様なまでに多く、様々なものが見受けられる。
静けさの中、それでも数人がそこに集まっているのが分かった。
「真っ暗で何も見えないわよ。」
高圧的な態度で文句を言うのは小柄な少女。
可愛らしい服装とは対照的に、その瞳は見ただけで他者を恐怖へと導くかのように鋭く、血のような紅に染まっている。
そして何より人間と異なるのは、背中の羽根だった。
それもそのはず、この紅魔館の主は人間ではなく吸血鬼、そしてこの人こそ、その主なのである。
レミリア・スカーレット───それが小柄な少女の名前。
見た目の年齢に不相応な風格を持つ彼女は、つまらなそうに視線を左右へと動かす。
「あら、”レミィ”…もしかして怖いの?」
茶化すように別の少女が口を開く。
館の主を”レミィ”と愛称で呼ぶのは、紫の長髪、華奢な印象を与える少女───パチュリー・ノーレッジ。
彼女は紅魔館の主レミリアの友人で、レミリアが心を許せる数少ない人妖の内の一人だった。
だからこそ、レミリアの風格にも怖じることなくそんな冗談も言えたのだろう。
「怖い訳ないじゃないの。”パチェ”、貴女は吸血鬼が暗闇を怖がると思うの?」
「それもそうね、でもこういうのは気分が大事なのよ。」
互いの名前を愛称で呼び合う二人の少女は、お互いの問答に驚きもしなければ憤りや不安、感情的な部分を見せることもない。
いわば二人の会話は、言葉遊びの感覚で行われているのかもしれない。
「全員、準備はいいかしら?」
問いかけるのはパチュリー。
その場に集まっていた数人は、何かしらのYESの意思表示を示す。
暗い部屋の中で問いかけた主が全員の意思表示を確認出来たのかは不明だが、彼女はその先を促す。
「大丈夫みたいね。それじゃあ”こぁ”、灯りを点けて。」
「はーい。」
パチュリーの使い魔である小悪魔───”こぁ”は、主人の指示通りに目の前の数本の蝋燭に火を灯す。
暗闇の中で蠢く炎が、その場の数名を微かに照らし出す。
レミリア、パチュリー、小悪魔。
その他に2名、メイド服を違和感なく着こなし、先ほどからじっと自身の主を見つめる───十六夜咲夜。
そしてレミリアと容姿・顔立ちのそっくりな金髪の少女───フランドール・スカーレット。
「これから語る話は、メイド妖精達の間で噂される紅魔館の怪談のようなものよ。怪談と言っても異変ではないけどね。咲夜はもしかしたら知ってるのかしら?いえ、知っていたら既にこの話しも過去の話になっていそうね。」
咲夜は「そんな話しは知らない」と言うように、首を軽く横に振る。
その横では無邪気に目を輝かせ、今か今かとフランドールがパチュリーの言葉に耳を傾ける。
「彼女達の間で、この話はこう呼ばれるそうよ…『紅魔館の夜』と。」
そうして紫の髪を軽く靡かせ、少女は語り出す。
この館の異質な事件の一部を…。
─まず、紅魔館ではある不可思議な事件が起こっているの。
─それは時に誰かの私室であったり、時に誰も使っていない部屋であったり、様々なのだけどね。
─誰もいないはずの部屋の中から、物音が聞こえたり。
─気になったメイドが中を覗いても、実際には誰もいなかったり。
─ただ一つの共通点があるわ。
─その共通点とは…
─皆”ある物”を目撃している、ということ。
「…”ある物”…?」
「そう、”ある物”よ。」
─その”ある物”とは具体的には何とも言えないのだけど。
─ティーカップだったり、包丁だったり、衣服だったり…それが必ず半壊して落ちているの。
「それ、妖精メイド達の誰かが壊してしまって、その事実を隠しているだけではないんですか?」
咲夜が難しい顔をして、目の前で話しを語る少女に視線を向ける。
「あら?やっぱり知ってたの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、パチュリーが視線を合わせる。
それに苦笑して返すしかないメイド服の少女。
メイド長という立場の咲夜なら、少なくとも最初の一件の報告は受けているはずだというのは容易に想像出来た。
「そういう報告は聞きましたけど、3回目の報告くらいの時かしら…犯人を自分達で見つけなさいと言って…そういえばそのままになっていましたね。それ以降報告もないので、犯人を見つけたか、もう起きていないと思っていましたが。」
事実がいつまでも分からぬまま、事件だけが再び起こる。
そしてそれを解決出来ず、噂だけが広まる。
「続きは?続きはー?」
フランドールが興味津々に先を促す。
「ええ、続きね。今話すわ。」
─半壊した物はあっても、消えたものはないの。
─もし犯人がいるのなら、意図的に壊しているのかもしれないと、彼女(妖精メイド)達は言っていたわ。
─壊された物に統一性はなく、誰かの悪意を持った悪戯ではないか、という推測もあったわね。
─悪戯にしてはおかしなところもあるのだけどね。
─だから余計にこの事件は謎のまま。
─今日まで噂が続いているという訳よ。
そこで一旦語りを止め、目の前の二人に問いかける。
「レミィ、咲夜…思うところはあるかしら?」
「別に放っておけばいいと思うけど?実害がないのならね。」
「一度調べてみることにします。」
それぞれの返答は異なるものだった。
レミリアとしては自身に害が及ぶものでないなら興味のない話だ。
しかし咲夜としては今後主人、また主人の私物に害が及ばないとも考えられないので、取り急ぎ解決しようという意思を見せた。
とは言っても、これだけの情報で犯人を特定することは容易ではない。
ならば、と…咲夜は自らの主を含め、この場の人外達に意見を聞こうと考える。
「先ほどパチュリー様は『悪戯にしてはおかしなところがある』と仰っていましたが、それはどういう意味でしょう?」
既に先ほどの語りで気になった部分を問いかけに入る。
「ふふ、行動が早いのね。でもまだ私の話しは終わってないわよ。」
最後まで聞いてから質問をしろ、というのが答えのようだ。
それに納得したように咲夜は口を閉ざし、少しの間を置いて、パチュリーが再びこの事件を語り出す。
─数日前のことよ。ある妖精メイドが、その現場に出くわしたの。
─壊れた後の物を発見したのではなく、実際に壊れるところを見た、というのが正解ね。
─休憩室の部屋内にいると、突然微かな物音が聞こえ、”机の上のティーカップが勝手に床に落ちた”そうよ。
─その妖精メイドは怖くなって休憩室から飛び出したらしいのだけど…勿論彼女が割った訳ではないわ。
─割った本人なら、実際に見たなんて言わないものね。
─時間もばらばら、起こる場所もばらばら。そこに偶然居合わせたとしても、犯人の姿さえない。
─明確な敵意があるのなら、居合わせた妖精メイドに何らかの危害を与えるもの。
─事件が起こるのはいつも日中。
─紅魔館の主人が眠りについている間にだけ起こるこの事件を、『紅魔館の夜』と呼ぶの。
語りを終える少女。
そうして目の前の蝋燭の火を吹き消す。
蝋燭の火一つ分暗くなった部屋に、静寂が満ちる。
その静寂を破るのは場ににつかわしくない、拍手の音。
フランドールだった。パチュリーの創作話だと勘違いしたようで、「面白かったー」と言いながら。
「フラン様、ノンフィクションですよー。」
小悪魔がすかさず補足する。
それでようやく理解した吸血鬼の妹は、途端に視線を泳がせる。
「中々洒落てるじゃない。いいわね、昼なのに夜というセンスが常人では思いつかないわ。」
話の内容には興味がないように、だが愉しそうに笑みを浮かべるレミリア。
しかし他からの賛同はあまり得られないようだった。
そのセンスは、きっと常人では理解出来なかったんだろう。
咲夜が遅れてフォローしようとする。
「昼夜逆転の吸血鬼ならでは、ですね。」
…が、あまりフォローになっていなかった。
にも関わらず、館の主は満足そうに頷く。
そして次の瞬間には何事もなかったかのように、
「話はお終い?」
と、問うのだった。
「えぇ。それで咲夜、質問があったら聞くわよ?」
淡白な返事で返し、少しの間も置かず、自らも他者へと問いかける。
急に振られた咲夜は、何を質問するかと言う整理がまだのようで、しばらく一人であれでもない、これでもないと呟いていた。
それも少し経つと落ち着いたようで、意を決して、ある大胆な仮説を述べる。
「これは仮にですが、外部からの悪質な意思ではないとしても、”内部から”は可能性もあるということですよね?」
一瞬驚いたように目を見開くパチュリー。
「…ふふ、そうきたのね。」
だが驚いたのも束の間、愉しそうに、不敵に笑む。
彼女が否定しないということは、その可能性はあるのだろう。
それに満足し、咲夜は自分の仮説を更に進める。
「もし内部の犯行というのなら、まずその噂の元のメイド妖精達がグルだということが考えられます。」
淡々と言い切る。
「へぇ、部下を疑うの?………とは言わないわ。勿論否定要素もないのだから。」
メイド妖精達が全員グルなら噂自体が流れない。
全員でなく一部が関わっているなら否定出来ない、そういうことだろう。
「でもそれは貴女の想像の内の一つ。机上の空論ね、正解とは言えないわ。」
パチュリーは続ける。
咲夜にとって残酷な言葉を紡ぐ。
「貴女の言う内部から、というのなら、この中の誰か…勿論咲夜にも、レミィにだって”その可能性はある”ものね?」
本気でそう思っている訳ではない。
だが可能性の上では否定出来ない。
例え咲夜自身だろうと、咲夜が敬愛するレミリアであっても、候補からは外れない。
内部を疑うということはそういうこと。
しかし、そう切り返されることは予測済みと言った風に、
「いいえ、少なくともお嬢様はその対象からは外れます。」
と、咲夜は自信満々に告げる。
あまりにも彼女が堂々とそんなことを言うものだから、つい聞きたくなってしまう。
「どういうこと?」
その問いかけに、瀟洒なメイドは言う。
「お嬢様の行動は私が四六時中、ずっと視k…か、監視していますので。」
不適切な表現がありそうだったが気にしない。
気にせずにパチュリーは反論をする。
「貴女とレミィが協力関係ならばその証言は意味を成さない。」
「では、休憩室は窓側ですよね。日中限定で起こっているということならば、お嬢様には無理でしょう?」
「それでも咲夜と協力関係ならば、と言えなくもないけど。まぁその場合はレミィは指示だけし、実際に行動しているのは咲夜になるものね。」
自分が疑いの対象になるのは構わないが、主人がなりそうなら完全に否定する。
それほど彼女の忠誠が厚いものかと、パチュリーは少しレミリアを羨ましく思う。
当のレミリアは、「私がそんなつまらないことすると思う?」とでも言いたげに、憮然とした態度を崩さなかった。
「やめましょうよ、疑いあうのはよくないですよー?パチュリー様は外部からがないと言ってましたが、そういうこと可能な人外もいるじゃないですかー。」
小悪魔が空気を読まずに割って入る。
いや、彼女からすれば空気を読んだ行動なのかもしれないが。
「こぁ、例えば?」
「えーと、隙間の妖怪さんとかー。三月精と呼ばれてる悪戯妖精とかー。」
パチュリーとしては全く予想通りの答えに、すぐさま反論が飛ぶ。
「八雲紫は紅魔館の敷地内くらいなら、現れれば分かるわよ。三月精の悪戯なら物を壊すだけじゃなく、何かなくなっていたり食べ物も漁ると思うわ。仮に物を壊すだけに執着したとしても、妖精メイドにその現場を見られたなら危害は加える。妖精なんてそんなに頭のいいものでもないじゃない?」
そして呆れる。
自分の使い魔はそんなことも想像がつかないのかと。
しかし口にも表情にも出さないのは彼女なりの優しさだろう。
当の小悪魔はというと、すぐさま飛んできた否定要素に切り返す言葉も見つからず、困ったような表情を見せるだけだった。
「まぁ、この件は今後起こることのないように、私が必ず解決させますわ。」
咲夜はそう言いながら、席を立つ。
今からでも調べに行こうというのだろう。
「待ちなさい咲夜。」
それを呼び止めるレミリア。
主人が待てというなら待つしかなく、瀟洒なメイドは次の指示があるまでは再びその場を動くことはない。
「話のお礼に、特製の紅茶を一杯でも淹れてから行きなさい。」
「はい、かしこまりました。」
そう言って咲夜が軽く会釈をすると、次の瞬間にはいつの間にかレミリア、パチュリー、フラン、小悪魔の机の上に紅茶の入ったティーカップが置かれていた。
「急いても良いことはないわよ、咲夜?」
その頃には咲夜はレミリアの言いたいことを理解出来た…否、最初から理解は出来ていたのだ。
しかし、こんな事件が大きな噂になるまで放置してしまった自身の過失、それを少しでも早く拭い去りたかったのだ。
「わーい、咲夜の淹れた紅茶だー。」
「あら、いつもの紅茶と少し香りが違うわね。」
「面白い話を聞かせて貰ったんだもの、そのお礼よ。」
「咲夜さんが淹れると、なんだかそれだけでより美味しい気がしますよね。」
各々が紅茶を口に運び、言葉を洩らす。
咲夜はそれを見届けながら、今度は急いで立ち去ろうとはしない。
人ならざる者達の談笑を聞きながら、唯一の人である彼女は思う。
『今回のことなんて、この人達からすれば些細なことに過ぎないのね…。』
と。
そして、夜は更けていく。
吸血鬼の起きている時間こそが、正しくは夜なのだから。
例え咲夜が今動いたとしても、そこに事件は何の片鱗も見せることはなかっただろうから。
だから彼女は主に感謝する。
引き止めてくれた主に。
紅魔館の夜は、まだまだ終わらない。
図書館というだけに並ぶ本の数は異様なまでに多く、様々なものが見受けられる。
静けさの中、それでも数人がそこに集まっているのが分かった。
「真っ暗で何も見えないわよ。」
高圧的な態度で文句を言うのは小柄な少女。
可愛らしい服装とは対照的に、その瞳は見ただけで他者を恐怖へと導くかのように鋭く、血のような紅に染まっている。
そして何より人間と異なるのは、背中の羽根だった。
それもそのはず、この紅魔館の主は人間ではなく吸血鬼、そしてこの人こそ、その主なのである。
レミリア・スカーレット───それが小柄な少女の名前。
見た目の年齢に不相応な風格を持つ彼女は、つまらなそうに視線を左右へと動かす。
「あら、”レミィ”…もしかして怖いの?」
茶化すように別の少女が口を開く。
館の主を”レミィ”と愛称で呼ぶのは、紫の長髪、華奢な印象を与える少女───パチュリー・ノーレッジ。
彼女は紅魔館の主レミリアの友人で、レミリアが心を許せる数少ない人妖の内の一人だった。
だからこそ、レミリアの風格にも怖じることなくそんな冗談も言えたのだろう。
「怖い訳ないじゃないの。”パチェ”、貴女は吸血鬼が暗闇を怖がると思うの?」
「それもそうね、でもこういうのは気分が大事なのよ。」
互いの名前を愛称で呼び合う二人の少女は、お互いの問答に驚きもしなければ憤りや不安、感情的な部分を見せることもない。
いわば二人の会話は、言葉遊びの感覚で行われているのかもしれない。
「全員、準備はいいかしら?」
問いかけるのはパチュリー。
その場に集まっていた数人は、何かしらのYESの意思表示を示す。
暗い部屋の中で問いかけた主が全員の意思表示を確認出来たのかは不明だが、彼女はその先を促す。
「大丈夫みたいね。それじゃあ”こぁ”、灯りを点けて。」
「はーい。」
パチュリーの使い魔である小悪魔───”こぁ”は、主人の指示通りに目の前の数本の蝋燭に火を灯す。
暗闇の中で蠢く炎が、その場の数名を微かに照らし出す。
レミリア、パチュリー、小悪魔。
その他に2名、メイド服を違和感なく着こなし、先ほどからじっと自身の主を見つめる───十六夜咲夜。
そしてレミリアと容姿・顔立ちのそっくりな金髪の少女───フランドール・スカーレット。
「これから語る話は、メイド妖精達の間で噂される紅魔館の怪談のようなものよ。怪談と言っても異変ではないけどね。咲夜はもしかしたら知ってるのかしら?いえ、知っていたら既にこの話しも過去の話になっていそうね。」
咲夜は「そんな話しは知らない」と言うように、首を軽く横に振る。
その横では無邪気に目を輝かせ、今か今かとフランドールがパチュリーの言葉に耳を傾ける。
「彼女達の間で、この話はこう呼ばれるそうよ…『紅魔館の夜』と。」
そうして紫の髪を軽く靡かせ、少女は語り出す。
この館の異質な事件の一部を…。
─まず、紅魔館ではある不可思議な事件が起こっているの。
─それは時に誰かの私室であったり、時に誰も使っていない部屋であったり、様々なのだけどね。
─誰もいないはずの部屋の中から、物音が聞こえたり。
─気になったメイドが中を覗いても、実際には誰もいなかったり。
─ただ一つの共通点があるわ。
─その共通点とは…
─皆”ある物”を目撃している、ということ。
「…”ある物”…?」
「そう、”ある物”よ。」
─その”ある物”とは具体的には何とも言えないのだけど。
─ティーカップだったり、包丁だったり、衣服だったり…それが必ず半壊して落ちているの。
「それ、妖精メイド達の誰かが壊してしまって、その事実を隠しているだけではないんですか?」
咲夜が難しい顔をして、目の前で話しを語る少女に視線を向ける。
「あら?やっぱり知ってたの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、パチュリーが視線を合わせる。
それに苦笑して返すしかないメイド服の少女。
メイド長という立場の咲夜なら、少なくとも最初の一件の報告は受けているはずだというのは容易に想像出来た。
「そういう報告は聞きましたけど、3回目の報告くらいの時かしら…犯人を自分達で見つけなさいと言って…そういえばそのままになっていましたね。それ以降報告もないので、犯人を見つけたか、もう起きていないと思っていましたが。」
事実がいつまでも分からぬまま、事件だけが再び起こる。
そしてそれを解決出来ず、噂だけが広まる。
「続きは?続きはー?」
フランドールが興味津々に先を促す。
「ええ、続きね。今話すわ。」
─半壊した物はあっても、消えたものはないの。
─もし犯人がいるのなら、意図的に壊しているのかもしれないと、彼女(妖精メイド)達は言っていたわ。
─壊された物に統一性はなく、誰かの悪意を持った悪戯ではないか、という推測もあったわね。
─悪戯にしてはおかしなところもあるのだけどね。
─だから余計にこの事件は謎のまま。
─今日まで噂が続いているという訳よ。
そこで一旦語りを止め、目の前の二人に問いかける。
「レミィ、咲夜…思うところはあるかしら?」
「別に放っておけばいいと思うけど?実害がないのならね。」
「一度調べてみることにします。」
それぞれの返答は異なるものだった。
レミリアとしては自身に害が及ぶものでないなら興味のない話だ。
しかし咲夜としては今後主人、また主人の私物に害が及ばないとも考えられないので、取り急ぎ解決しようという意思を見せた。
とは言っても、これだけの情報で犯人を特定することは容易ではない。
ならば、と…咲夜は自らの主を含め、この場の人外達に意見を聞こうと考える。
「先ほどパチュリー様は『悪戯にしてはおかしなところがある』と仰っていましたが、それはどういう意味でしょう?」
既に先ほどの語りで気になった部分を問いかけに入る。
「ふふ、行動が早いのね。でもまだ私の話しは終わってないわよ。」
最後まで聞いてから質問をしろ、というのが答えのようだ。
それに納得したように咲夜は口を閉ざし、少しの間を置いて、パチュリーが再びこの事件を語り出す。
─数日前のことよ。ある妖精メイドが、その現場に出くわしたの。
─壊れた後の物を発見したのではなく、実際に壊れるところを見た、というのが正解ね。
─休憩室の部屋内にいると、突然微かな物音が聞こえ、”机の上のティーカップが勝手に床に落ちた”そうよ。
─その妖精メイドは怖くなって休憩室から飛び出したらしいのだけど…勿論彼女が割った訳ではないわ。
─割った本人なら、実際に見たなんて言わないものね。
─時間もばらばら、起こる場所もばらばら。そこに偶然居合わせたとしても、犯人の姿さえない。
─明確な敵意があるのなら、居合わせた妖精メイドに何らかの危害を与えるもの。
─事件が起こるのはいつも日中。
─紅魔館の主人が眠りについている間にだけ起こるこの事件を、『紅魔館の夜』と呼ぶの。
語りを終える少女。
そうして目の前の蝋燭の火を吹き消す。
蝋燭の火一つ分暗くなった部屋に、静寂が満ちる。
その静寂を破るのは場ににつかわしくない、拍手の音。
フランドールだった。パチュリーの創作話だと勘違いしたようで、「面白かったー」と言いながら。
「フラン様、ノンフィクションですよー。」
小悪魔がすかさず補足する。
それでようやく理解した吸血鬼の妹は、途端に視線を泳がせる。
「中々洒落てるじゃない。いいわね、昼なのに夜というセンスが常人では思いつかないわ。」
話の内容には興味がないように、だが愉しそうに笑みを浮かべるレミリア。
しかし他からの賛同はあまり得られないようだった。
そのセンスは、きっと常人では理解出来なかったんだろう。
咲夜が遅れてフォローしようとする。
「昼夜逆転の吸血鬼ならでは、ですね。」
…が、あまりフォローになっていなかった。
にも関わらず、館の主は満足そうに頷く。
そして次の瞬間には何事もなかったかのように、
「話はお終い?」
と、問うのだった。
「えぇ。それで咲夜、質問があったら聞くわよ?」
淡白な返事で返し、少しの間も置かず、自らも他者へと問いかける。
急に振られた咲夜は、何を質問するかと言う整理がまだのようで、しばらく一人であれでもない、これでもないと呟いていた。
それも少し経つと落ち着いたようで、意を決して、ある大胆な仮説を述べる。
「これは仮にですが、外部からの悪質な意思ではないとしても、”内部から”は可能性もあるということですよね?」
一瞬驚いたように目を見開くパチュリー。
「…ふふ、そうきたのね。」
だが驚いたのも束の間、愉しそうに、不敵に笑む。
彼女が否定しないということは、その可能性はあるのだろう。
それに満足し、咲夜は自分の仮説を更に進める。
「もし内部の犯行というのなら、まずその噂の元のメイド妖精達がグルだということが考えられます。」
淡々と言い切る。
「へぇ、部下を疑うの?………とは言わないわ。勿論否定要素もないのだから。」
メイド妖精達が全員グルなら噂自体が流れない。
全員でなく一部が関わっているなら否定出来ない、そういうことだろう。
「でもそれは貴女の想像の内の一つ。机上の空論ね、正解とは言えないわ。」
パチュリーは続ける。
咲夜にとって残酷な言葉を紡ぐ。
「貴女の言う内部から、というのなら、この中の誰か…勿論咲夜にも、レミィにだって”その可能性はある”ものね?」
本気でそう思っている訳ではない。
だが可能性の上では否定出来ない。
例え咲夜自身だろうと、咲夜が敬愛するレミリアであっても、候補からは外れない。
内部を疑うということはそういうこと。
しかし、そう切り返されることは予測済みと言った風に、
「いいえ、少なくともお嬢様はその対象からは外れます。」
と、咲夜は自信満々に告げる。
あまりにも彼女が堂々とそんなことを言うものだから、つい聞きたくなってしまう。
「どういうこと?」
その問いかけに、瀟洒なメイドは言う。
「お嬢様の行動は私が四六時中、ずっと視k…か、監視していますので。」
不適切な表現がありそうだったが気にしない。
気にせずにパチュリーは反論をする。
「貴女とレミィが協力関係ならばその証言は意味を成さない。」
「では、休憩室は窓側ですよね。日中限定で起こっているということならば、お嬢様には無理でしょう?」
「それでも咲夜と協力関係ならば、と言えなくもないけど。まぁその場合はレミィは指示だけし、実際に行動しているのは咲夜になるものね。」
自分が疑いの対象になるのは構わないが、主人がなりそうなら完全に否定する。
それほど彼女の忠誠が厚いものかと、パチュリーは少しレミリアを羨ましく思う。
当のレミリアは、「私がそんなつまらないことすると思う?」とでも言いたげに、憮然とした態度を崩さなかった。
「やめましょうよ、疑いあうのはよくないですよー?パチュリー様は外部からがないと言ってましたが、そういうこと可能な人外もいるじゃないですかー。」
小悪魔が空気を読まずに割って入る。
いや、彼女からすれば空気を読んだ行動なのかもしれないが。
「こぁ、例えば?」
「えーと、隙間の妖怪さんとかー。三月精と呼ばれてる悪戯妖精とかー。」
パチュリーとしては全く予想通りの答えに、すぐさま反論が飛ぶ。
「八雲紫は紅魔館の敷地内くらいなら、現れれば分かるわよ。三月精の悪戯なら物を壊すだけじゃなく、何かなくなっていたり食べ物も漁ると思うわ。仮に物を壊すだけに執着したとしても、妖精メイドにその現場を見られたなら危害は加える。妖精なんてそんなに頭のいいものでもないじゃない?」
そして呆れる。
自分の使い魔はそんなことも想像がつかないのかと。
しかし口にも表情にも出さないのは彼女なりの優しさだろう。
当の小悪魔はというと、すぐさま飛んできた否定要素に切り返す言葉も見つからず、困ったような表情を見せるだけだった。
「まぁ、この件は今後起こることのないように、私が必ず解決させますわ。」
咲夜はそう言いながら、席を立つ。
今からでも調べに行こうというのだろう。
「待ちなさい咲夜。」
それを呼び止めるレミリア。
主人が待てというなら待つしかなく、瀟洒なメイドは次の指示があるまでは再びその場を動くことはない。
「話のお礼に、特製の紅茶を一杯でも淹れてから行きなさい。」
「はい、かしこまりました。」
そう言って咲夜が軽く会釈をすると、次の瞬間にはいつの間にかレミリア、パチュリー、フラン、小悪魔の机の上に紅茶の入ったティーカップが置かれていた。
「急いても良いことはないわよ、咲夜?」
その頃には咲夜はレミリアの言いたいことを理解出来た…否、最初から理解は出来ていたのだ。
しかし、こんな事件が大きな噂になるまで放置してしまった自身の過失、それを少しでも早く拭い去りたかったのだ。
「わーい、咲夜の淹れた紅茶だー。」
「あら、いつもの紅茶と少し香りが違うわね。」
「面白い話を聞かせて貰ったんだもの、そのお礼よ。」
「咲夜さんが淹れると、なんだかそれだけでより美味しい気がしますよね。」
各々が紅茶を口に運び、言葉を洩らす。
咲夜はそれを見届けながら、今度は急いで立ち去ろうとはしない。
人ならざる者達の談笑を聞きながら、唯一の人である彼女は思う。
『今回のことなんて、この人達からすれば些細なことに過ぎないのね…。』
と。
そして、夜は更けていく。
吸血鬼の起きている時間こそが、正しくは夜なのだから。
例え咲夜が今動いたとしても、そこに事件は何の片鱗も見せることはなかっただろうから。
だから彼女は主に感謝する。
引き止めてくれた主に。
紅魔館の夜は、まだまだ終わらない。