「んー……」
ジリジリジリ、とやかましい音を立てる目覚まし時計に手を伸ばす。
ベッドサイド、しかし、起き上がらなければ手の届かない位置に置かれたちょっとレトロなデザインのそれを早苗は気に入っている。もっとも、気に入っているからと言って、こうして気持ちの良い眠りから叩き起こされるのは、好きではないのだけれど。
「ふわぁ……」
けたたましい音を止めて、目覚まし時計を抱きしめたまま、大あくび。
寝覚めそのものはすっきりとしているけれど、どうにも暑い。寝汗でべたべたした肌の気持ち悪さに閉口しながら、パジャマ代わりのタンクトップの胸元をぱたぱた。盛大に乱れた髪をばりばり。
「あつーい」
遮光性のない薄黄緑色のカーテンはもう眩しくて、じりじりとした太陽のまばゆさに目を細める。
眠っている間に、いつの間にか脱いでしまっていた短パンを履き直す。幻想郷に来てからは、朝食の支度が終わるまでは風祝の衣装は身につけていない。
かまどでの調理や、井戸から水をくみ出す作業では、どうにも煤だの泥だので汚れてしまうからだ。向こうでならばいざ知らず、洗濯機があるというわけはない。汚れものは最小限で済ませたいし、洗濯しすぎれば傷みが早くなってしまう。
「今日も頑張らないとね」
ぐいっと伸びをして、あくびをもうひとつだけ。
まだまだ眠たい目をこすりながら、ベッドを降りる。レトロな外見に反して、デジタル画面の目覚まし時計をちらりと眺め、時間を確認。
05:33 8/15
「あ」
時間ではなくて。示された日時が目の端に入る。
幻想郷では、外の世界にいた時のように日付を意識することは、神社関係の年間行事以外ほとんどない。学校の時間割があるわけでも、テレビ番組があるわけでもなく、曜日を意識することもないし、明日、あさって、しあさって以上の遠い予定を作ることもほとんどない。カレンダーはあるものの、普段の生活の中ではあまり意識しなくなった。
実際に肌を通して、四季を感じて。植物やまわりの変化で時を感じる生活だ。もっとも、元より朝が弱い早苗は目覚まし時計だけは手放せないのだけれど。
「しいちゃんの誕生日だ」
見慣れたその日付は。早苗にとって随分と馴染みの深い日付だった。
随分と小さい頃から一緒にいた幼馴染の誕生日。
毎年毎年お互いの誕生日を祝いあってきた大切な友達。
「もう、ああ、そっか」
一瞬にして、早苗の脳裏に思い出が甦る。笑っていたことも、泣いていたことも。
もうすっかり吹っ切れたはずなのに。
ほんの少しだけ。その日付を眺めて。
自分でも気がつかないうちに、早苗はなぜだか泣きそうな気持ちで微笑んでいた。
「早苗ー?」
夜。もう晩御飯も入浴も済ませて、あとは眠るだけのささやかな時間。
諏訪子は軽く首を傾げて、声をかける。
こんこん、こん、と早苗の部屋のドアをノックする。こんこん、こん、は諏訪子の合図。神奈子が訪ねてきたときには、こん、ここんとノックする。
こんな風にノックの仕方を変えるのは、幻想郷に来る前から。早苗の両親や仲の良かった幼馴染はそれぞれにこんっ、こんっ、だとか、こんこん、だとか。性格によりけりで叩き方が違うことを早苗が覚えたことからの暗黙のルールだった。
もっとも、諏訪子が早苗の部屋をノックするようになったのは、幻想郷に来てからのこと。はじめの頃にノックをせずに入って怒られたことも、その時ノックのリズムを二人で考えたことも今ではいい思い出だ。
少しばかり楽しい気持ちでリズミカルにこんこん、こんとノックをする。
「まだ起きてる?」
起きているのは分かっているけれど、一応、そんなふうに問いかける。
最近、河童の協力で室内の蛍光灯だけはつくようになった。暗い廊下にドアの下の隙間から光が漏れているから、起きているだろうとあたりをつける。
ついこの間まで現代っ子をやっていた早苗は、幻想郷の人間の中では比較的宵っ張りな方に分類されるから。
「諏訪子様?」
「うん、ちょっといい?」
「あっ、はいっ、ちょっと待ってくださいね!」
ややあって、早苗の声が返事をする。諏訪子が用件を伝えると、どたどた、と慌てたような足音と、ばたばた、と何かを片づけているような音がする。
部屋の前に立って、ドアが開くのを待ちながら、諏訪子は笑う。
プラスチックや金属っぽい音からして、片付けているのは、ロボットのおもちゃだろう、とあたりをつけた。早苗がそういうものを好きだということはとっくの昔から知っているし、そんなに慌てて片付けることもないだろうに、と思うのだけれど。
「すいません、お待たせしました!」
「平気だよー」
がちゃり、と音を立てて、ドアが開く。もう入浴も済ませたためか、風祝の衣装ではなくて、体育祭の時に作ったクラスTシャツにハーフパンツというくつろぎスタイル。長い髪もシュシュで大雑把に一つにくくっているだけの状態だ。
「申し訳ありません、こんな格好で」
「いいよいいよ、こんな時間に訪ねてきたのが悪いんだし」
「でも……」
「私だってぱじゃまだしねー」
申し訳なさそうにしゅんとする早苗に冗談めかして、くるりと回ってみせる。
諏訪子もまた、寝巻き姿だった。あの特徴的な帽子は被っておらず、また飾り紐も結んでいないため、きれいに切りそろえられた稲穂色の髪がさらさらと揺れる。
これまでは眠る時には、早苗のお下がりのキャラクターがプリントされたパジャマを着るのだけれど。夏になってからはどうにも暑く、今日も甚平を身にまとっている。
どうだ、と胸を張ってみせれば、くすくす、とおかしそうに早苗は笑う。
「ね、ね、早苗」
「諏訪子様?」
「よかったら、ちょっとおしゃべり、しよ?」
にこり、といたずらっぽく笑った諏訪子は、背伸びをして。誰かが聞いているというわけでもあるまいに、右手を早苗の耳元に添えて囁く。内緒話。
「おしゃべり、ですか?」
「うん。今日、神奈子出かけちゃってるから、暇なんだよねー」
「ああ……」
神奈子は、今日は幻想郷内の組織のトップ同士の飲み会に出かけている。各種勢力の頭同士でどんな話をしているのか、想像すると一見、恐ろしいものがあるのだけれど。
諏訪子も早苗も詳しく聞いたことはないけれど、いつも楽しそうに帰ってくる神奈子の様子を見る限り、そうそうおかしなことにはなっていないようだった。
「昼寝したせいか、どうも寝付けなくってさ。付き合ってくれる?」
「もちろんです。ちょうど私も眠れなくて困っていたところだったんです」
「へえ。あっついもんねー」
僅かに身体をかがめて、自然と身長差から見上げてくる諏訪子と視線を合わせて、にっこりと微笑む。それにつられるように、諏訪子も自然と笑みを浮かべて、早苗の手をとる。
「縁側に行こ、お酒とおつまみ、用意しておいたんだ」
「ふふっ、用意周到ですね」
じゃあ、ちょっと電気消したりしてきますね、とぱたぱたと部屋へ駆け込んでいった早苗の後姿を見ながら、諏訪子は表情を引き締める。
昼過ぎ、宴会に出かける前の神奈子の依頼を頭の中でもう一度反芻する。
「早苗の様子を探る?」
昼食を食べ終えて、早苗が洗い物をしている最中。
腕組みをして、うんうんと唸る神奈子の言葉に、諏訪子はすっとんきょうな声をあげた。
普段の山の神様としての威厳はどこへやら、おろおろ困った様子で眉尻を下げた神奈子。どちらかというと、いつもはうるさいぐらいに地声の大きい彼女らしくもないひそひそ声。
「このところ、なんだか元気がないだろう、早苗」
「まあねー」
少々お行儀悪くちゃぶだいに肘をついて、湯呑から緑茶を啜っていた諏訪子は気のない声でそれに同意した。
確かに、この一週間あたりの早苗は、妙に落ち込んでいるように見えた。
否、あからさまに落ち込んでいるのではなくて、いつも通りの明るさが妙に不自然に見える時があるのだ。そして、ふとした瞬間の笑顔が陰っていたりしているのだ。
「早苗も年頃だし、色々あるんじゃないの?」
くいっとお茶を飲み干して、諏訪子は肩を竦めてみせた。
早苗が立派な大人かというとそういうわけではないけれど。すでに風祝としての働きは申し分ないし、幻想郷の中でも霊夢やら魔理沙やら人間の友人、小傘や文など妖怪の友達もできた。最近では来たばかりの頃から成長したなあと思わされることもよくある。
「それは分かってるけどさ」
「神奈子の過保護ー」
「心配なんだから、仕方ないじゃないか」
うぬー、と頭を抱える神奈子はまさに子を思う母親のようで諏訪子は笑ってしまう。
神奈子が母親なら、自分は祖母か、父親か。あるいはノリスケさんのポジションか。
「あの子はあれで結構溜めこむところがあるから」
「ああ、うん」
「そのわりに予想もできないようなことしはじめたりするし」
「まあね」
諏訪子としては早苗のそういうところは見ていて楽しいし、次は何をやらかしてくれるのかと愉快なのだけれど。
豪快なように見えて、意外と真面目なところのある神奈子は見ていて、ひやひやすることがままあるらしい。というか、可愛くてしかたがなくて、その分心配で仕方ないのだろう、と思う。
諏訪子に早苗の様子を窺ってほしい。
早苗は神奈子に対しては、従者的ポジションとしての意識なのか、特に強くあろうとするところがあるから。どちらかというとフランクな関係の諏訪子にそれとなく探ってほしいというのである。
早苗に対する愛情だとか、心配なことの想像図だのそういうものを除いて、神奈子が諏訪子に頼んだのは概ねそんな風なことだった。
また、神奈子がいるのに諏訪子と早苗が二人で話すのもおかしかろう。ということで、作戦決行は今日となったのである。
まったく、世話が焼けるんだから。
そんな風に思いながらも、こうして、余計なおせっかいをするのも悪い気持ちではない。
むしろ、まるで本当の家族のようで心地が良い。
早苗から悩みを聞き出す、という気の重い作業であるにも関わらず、諏訪子は自然と笑みを浮かべているのだった。
しいちゃん。
早苗はこの一週間、何度思い返したか分からない名前を思い浮かべる。
小学校一年生の頃、同じクラスになって以来、さっちゃん、しいちゃんと呼び合って、仲良くしてきた友達だ。
趣味がものすごくあっていたというわけでも、性格が似ていたというわけでもない。けれど、なぜだか一緒にいるのが心地よい、波長の合う友達。
小学校も中学校も同じで、家も近所で。他の友達もひっくるめて、つるんでいることが多かった。
お互いに成長していくにつれて、部活だの趣味だの、それぞれに別の親しい友人ができたりもしたけれど、けれど、たったひとつ。
二人の間にはたったひとつ、特別があった。
それは、お互いの誕生日を、祝うこと。
小学一年生の夏休みのことだった。
東風谷の家の本家として、帰省してくる親戚を迎えたり、お盆の時期に観光にやってくる人達の対応に追われる両親を尻目に、早苗は公園へとひとり、遊びに来ていた。
友達のようにどこかに遊びに連れてってもらえるでもなく、年の近いいとこがいるわけでもない。だからと言って、家の手伝いをするには早苗はまだ幼すぎた。
「だれもいないや」
大抵、誰かしら友達のいる公園も、この時期ばかりは閑散としている。
友達と遊ぶことを期待していた早苗は、がっかりしてしまう。
いつもならば、きらきらと楽しそうに早苗を誘う遊具も、一人きりでは色あせて見える。
一番人気で、滅多に乗れないぶらんこに乗って、立ちこぎをしてみても、楽しくない。
「あーあ」
つまらない。結局、ぶらんこに腰かけているだけの状態で早苗はため息。
早苗にだけ見える神様、神奈子様に会いに行こうか、と考える。お客さんが来ているかもしれないけれど、お賽銭を投げてお祈りしている人たちに見えないようにすれば、大丈夫だから。
そうして、立ちあがりかけた時のことだった。
「あれ、さっちゃん?」
公園の入り口。麦わら帽子を被った子どもがひとり。そこにいたのは、同じクラスの友達だった。
誰もいないとあたりをつけていたのか、とても驚いたような表情で、早苗を見つめている。
「しいちゃん?」
「さっちゃん!」
お互いに、砂漠でオアシスを見つけたような表情で駆け寄りあう。
二人になった途端に、公園はいつものようなワンダーランドに変身する。二人でぶらんこに乗って、上級生のお姉さんたちのようにゆっくりと漕ぎながら、おしゃべりをした。
「さっちゃんちもそうなんだ!」
「うん。どこにもおでかけできなくって。しいちゃんは?」
「ああ、ほら、うちは旅館だからさあ」
早苗がひとりで遊んでいなければならなかったのと同じように。彼女も家の都合でどこにも出かけられない子供だった。少しばかり小学生でもできるお手伝いをしてから、こうして、公園に遊びにやってきたというわけだった。
頭では忙しいことを分かっていても、納得できるわけもなく。退屈だけではなくて、寂しい気持ちだって、ないわけではないわけで。
同じような状態の二人は、お互いの気持ちがよく分かる。
「せっかくのお誕生日なのにさ」
「そうなの?」
唇を尖らせて、つまらなさそうに呟く彼女。せっかくの誕生日も夏休みの真っ最中、それもお盆の時期では友達に祝ってもらえない。
両親はおめでとう、といって、プレゼントもくれたし、夜にはケーキを用意してくれるというのだけれど、ひとりきりではつまらない。
そんなようなことをごにょごにょと呟いた。ちょっとした愚痴。
それを聞いた早苗は。寂しそうな彼女の横顔に、なんとかしてあげなければいけないような気持ちになる。
(かなしいかおをしてる人がいたら、たすけてあげるのがあらひとがみのおやくめだって、かなこさまも言ってたもん)
小学一年生のちっちゃな脳みそをフル回転させて、早苗は考える。
「だったら、私がお祝いしてあげる!」
「さっちゃん?」
「来年も再来年もずーっと、しいちゃんのお誕生日は私が一緒にいるよ。それなら、さみしくないよね?」
きっと来年も再来年もお盆の時期はこうして、二人はここにいるのだろうから。
他の誰がいなくても早苗だけは彼女の誕生日を祝うことができる。
早苗だけでは足りないかもしれないけれど。それでも。
「お誕生日おめでとう、しいちゃん!」
真っ赤な顔をして力説する早苗に、彼女はあっけに取られたような表情になる。けれど、やがて、声を立てて笑った。瞳をきらきらと輝かせて、それはそれは嬉しそうに。
「うん!」
そうして。二人の間には、お互いの誕生日を祝うという約束事が出来たのだった。
早苗の誕生日は別に休みの最中というわけではなかったし、成長するにつれて、他の友達と一緒に祝うこともあった。家の手伝いでなかなか一緒にいられないこともあった。
けれど、お互いの誕生日にはかならず、「お誕生日おめでとう」を。
小学一年生のあの日から、ずっと欠かしたことはなかったのに。
「約束、したんですよ、私は」
縁側でお酒を飲みながら、頼りなげな声で呟き続ける早苗の頭は諏訪子の膝の上。
神奈子が出かけているということで気が緩んだのか、はたまた、それほど思いつめていたのか。下戸なのにもかかわらず、いつもよりも早いペースで杯をあけた早苗は真っ赤な顔をしている。
「うん」
そんな早苗の髪をそっと撫でながら、諏訪子は静かに頷く。
悩みをそれとなく聞き出すには口を軽くしてもらわなければ、と用意したお酒は絶大な効果を持っていた。流石にずっと側にいただけあって、神奈子の心配は当たっていたらしい。
少し酔いがまわった頃に、それとなく話題を振ってみれば、あっという間に早苗は思いを吐露し始めたのだった。
「ちゃんと、おめでとうって言ってあげなきゃいけないのに」
「ん」
「もう、お祝いしてあげられ……ない……」
当時、早苗には見えていなかったけれど、そばにいた諏訪子も彼女のことはよく知っている。ちょっと男勝りなところはあるけれど、さばさばして気持ちの良い性格のいい子だった。
そして、二人にとって、誕生日がどれほど特別なものだったのかも、知っている。
大好きなひとに言いたい言葉が届かないもどかしさも、知っている。
「私は、もうあちらでは死んじゃったようなもの、なんですよね」
「早苗」
「死んじゃうのって、怖いですねぇ。言いたい言葉も、言えないなんて」
ぼそり、ぼそり。泣きそうな、それでいて、ほんのり笑っているような、震える声で早苗は呟く。顔の上に腕を乗せているせいで、表情は分からない。
「こんなに私はここにいるのに。しいちゃんにとっては、私はもう、いないのとおんなじで」
ぐず、と鼻をすする音。
「おめでとう、って。たったそれだけでいいのに」
そこから先はもう言葉にならず。しばらくぐずぐずという音、ひっくという嗚咽。
膝に伝わる早苗の身体の震えと熱さに、諏訪子はすうと、瞳を閉じる。
「さーなえ」
「……」
「だいじょぶだよ。ちゃーんと、早苗の言いたいことは伝わってるから」
小さな子どもをあやすように、ぽん、ぽん、と緩やかなリズムで早苗の髪を撫でる。
あどけない、しかし、優しく染みいるような声で、諏訪子はゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
「しいちゃんの中には、今まで早苗と一緒にお祝いした誕生日がちゃんと残ってるからさ」
「でもっ」
「早苗にとっても、しいちゃんにとっても、楽しくって、嬉しくって、幸せで、大切な思い出でしょ?」
「……はい」
かつて諏訪子はミジャクジ様として、人々に恐れられてきた。もう、今は忘れられてしまったけれど。
けれど、どんなに人々が進化しても、何かを怖いと思った事実が消えるわけではない。
恐れがあったからこそ、今の進化がある。
忘れられてしまっても、諏訪子がそこにいた事実は世界中のそこかしこに残っている。
だから、いないのと同じなんてことはなくて。
「だから。早苗がそばにいたら、心からおめでとうって、言ってくれたはずだって、しいちゃんには分かるはずだよ」
「諏訪子様」
「確かに直接は言えないかもしれないけど。ここで、早苗がおめでとうって思えば、しいちゃんがそう信じてくれてることが、本当になるよ」
いつの間にか腕をのけていた早苗が、まつ毛に涙の粒を乗せたまま、まっすぐに諏訪子を見上げている。真っ赤になった瞳と鼻は子供っぽく、けれど、確かな明るさを感じているその表情はもう、絶望してはいない。
諏訪子は心から、力強い笑みを浮かべて、言うのだ。
「そうしたら、おめでとうが、届いたのと同じだって思わない?」
「あ」
「いないのと同じなんてこと、ないでしょ? いなくたってちゃんといるでしょ?」
ね、といたずらっぽくウィンクをしてみせる。軽く首を傾げて、にかりと笑う。
それを眺めていた早苗は、やがて、つられるようにして、泣き笑い。
「……っはい!」
「ね? でしょ?」
顔を見合せて、微笑みあう。早苗としては、酔っ払って愚痴って、泣いてしまって、気恥ずかしい気持ちもあるのだけれど。
なんだかほっとしてしまって。ただただ、へらり、と笑いだけがこみ上げてくる。
「だからさ、早苗」
「諏訪子様?」
「早苗も、しいちゃんのことを、向こうで一緒に過ごした時間を信じないとね」
「そうですね」
涙に濡れた瞳を指で拭って、早苗は力強く頷く。
その表情を眺めながら、もう大丈夫だ、と諏訪子は思う。任務完了、ほっとして笑っていると、早苗が慌てて身をよじらせる。
「すっ、すいません、諏訪子様」
「んー?」
「相談に乗ってもらった上に、その、膝枕、までしてもらってしまって」
「いーよいーよ。ずっとこうしたかったんだもん」
早苗の言葉に、諏訪子は楽しそうに笑う。
その言葉が本当であることはその表情からありありと分かる。くしゃくしゃと早苗の髪を撫でまわす手の優しさからも分かる。
「だから、今日は目一杯甘やかしちゃうよー」
「ええ?」
「問答無用っ」
「へ? きゃっ、ちょ、諏訪子様っ、くすぐったいですってばぁ!」
たとえ、声が届かなくても。思いが届かなくても。
信じて続けていれば、いつかは届くかもしれない、と諏訪子は思う。
少なくとも、諏訪子が早苗を見つめていたことは、大切に思っていたことは、こうして早苗に届いているのだから。
「あたまいたい……」
ジリジリジリと鳴り響くやかましい目覚まし時計の音に安らかな眠りの世界から、早苗はようやく帰ってきた。
ゆっくりと身体を起こせば、ずきり、と頭が痛む。こめかみを押さえて、ベッドの上でしばし耐える。
その症状の原因はたったひとつ。二日酔いだ。
結局あのあと帰ってきた神奈子も一緒に三人で酒盛りをして。すでに出来上がっていた早苗は、気の緩みもあってセーブすることなく、がんがん飲んだのである。
どうやってベッドに帰って来たかも覚えていないけれど。
迷惑をかけてしまったなあ、だとか、なにかおかしなことをやらかさなかっただろうかとか、考えながら、何よりもやらなければいけないことを思い出す。
「しいちゃん」
ベッドサイドに置かれた写真立てを見つめて、早苗は小さく笑みを浮かべる。
そこに映っているのは、早苗ともう一人。修学旅行で撮った懐かしい写真。
ふう、とひとつ息を吐く。
「ごめんね、言うのが一週間も遅くなっちゃったけど」
写真立てにそっと手を触れて、心からの気持ちをこめて。
囁くような声音で、優しい表情で。
「お誕生日おめでとう」
どうか、届きますように、と願いながら。
一週間遅れで、ようやく早苗はその言葉を告げたのだった。
出来ればあなたの早苗さんはこのままでいて欲しい。
ほら、常識に囚われないとは言ってたけど、捨て去るとは言ってないしw
『透明人間』を少し前に読ませて頂いていたので、忘れられても、いなくなるわけじゃないという、諏訪子の想いが身に沁みました。
早苗さんには、これからもずっと笑顔でいてほしいものですね。
あと、おそらくですが、
>正確によりけりで
の部分は、『性格によりけりで』の誤字ではないでしょうか?
それでは、素晴らしい作品を読ませて頂き、どうもありがとうございました。
昔は誕生日がすごく楽しみなイベントだったことを思い出させるお話でした。