部屋で黙々と本を呼んでいるだけでも、じっとりじとじと汗が滲んで鬱陶しい季節になってきた。
梅雨入り頃に、お姉様が暇だ暇だと喚きながらわたしの部屋に爆竹を仕掛け出したので、本気で説教したのを覚えている。「むしむししてやった。後悔はしているが反省はしていない」、と開き直ったお姉様は、翌日その言葉の通り大図書館にも爆竹を仕掛け、案の定パチュリーに怒られていた。咲夜が即席で流れるプールをお風呂場に作って、パチュリーがプリンセスウンディネでお姉様を流した。ざぱぱぁあ。見事な流れっぷりだった。
あれから一ヶ月程経ったのだろうか。外はそろそろ真夏なのかもしれない。わたしにそれを知る術は、あまり無い。
あんまり蒸し暑いので、読書さえ嫌になってベッドに転がっていた。昼寝も出来やしない。じわりと滲む汗が服と肌の間に張り付いて鬱陶しい。これだから夏は嫌いだ。とは言え、わたしに好きな季節なんて無いのだが。
「かき氷、作ろう」
その小さな手に大きくごついかき氷機を持って、お姉様がやってきた。
「いいね」
「でしょ、でしょ。かき氷作るよ!」
いつになくお姉様は上機嫌だった。かき氷機を置いていくとそそくさと部屋を出て、氷をわんさか積んだステンレスバットやシロップなど、色々と道具を持ってきてはいそいそと準備に励んだ。かき氷の作り方をよく知らないわたしは黙ってそれを見ていた。お姉様は多分、わたしに作って見せたいのだろう。作り方も昨日か今日あたりに咲夜から習ってきたばかりかもしれない。このひとはそういうひとだから。
「ちょっと溶けていてね、よく透き通った真っ透明な氷が良いのよ。かき氷は歯触りだって大切だからね。ざりざりした氷じゃ駄目だ。綿みたいにふわふわした氷でないと」
そんな即席の蘊蓄を黙って頷いて聞いていた。わたしは専ら本かパチュリーから知識を得るから、そういう雑学をお姉様に教える係。そして世間知らずな箱入り娘に日常生活の雑学を教えるのは、お姉様の係なのだ。
普通はアイスピックでやるそうだけど、そう言ってお姉様は爪でステンレスバットの氷を手頃なサイズに砕き始めた。砕くと言うよりはぶちのめしているようにしか見えない。
「えい、えい」
「砕き過ぎ。かき氷機要らないじゃん」
「氷はもうちょっと吸血鬼に優しくなるべきだぁね」
「そんな硬い氷食べれないよ」
それもそうね、と言いながら、お姉様は氷(ぼろぼろだ)をかき氷機にセットした。下にはちゃんと受け皿を置いて。ハンドル握って、鼻歌交じりにごりごりとやり始めた。
「フランドール、お皿持って。あんたは上手に氷を受け止める係」
「はいはい」
ごーりごり。
「咲夜がこれを随分重そうに回すからね、私に貸しなさいって言ったのよ。どれ私がけちょんけちょんにしてやろう、と思いっきりハンドル回したらぶっ飛んじゃってね。壊れちゃった」
「本気でやればそうなるだろねぇ」
「むきー! ってなったから、咲夜に、もっと重いハンドルのかき氷機を持ってきなさいよ! って言ったわ。そしたら、咲夜が笑ってしょうがないの」
「たはは、そりゃ笑います」
あまりにお姉様らしいエピソードだったので、思わず頬が緩んだ。
お姉様の周りはいつだって騒がしい。笑ってたり怒ってたり、とにかく終始いろんな表情が湧いては拡がっていく。ひとの中心に立つ才能でもあるんだろう。たくさんのひとを巻き込みながら、ハリケーンみたいに吹き飛ばして、なんにもなかったような顔して去っていく。わたしはそんなお姉様を、遠くからそっと見て笑っているのが好きだった。わたしはハリケーンの被害者にはならないのだ、いつだって。
「じゃじゃーん」
「上手に出来ました」
ふたり分のかき氷。お姉様の分の方が少し多めに見えるのは気の所為という事にしてあげよう。
「蜂蜜かけよう」
「えっ」
よく見ると、お姉様が持ってきたシロップにはまともなのが一つも無い。タバスコとかブラックペッパーとかが混じっていた。唯一まともそうなのは血液だったが、吸血鬼の感性では普通ではあるけど、一般的にはこちらもやっぱり健全なシロップではないだろう。ていうか何一つシロップじゃねぇ。
「紅茶とかある……」
「咲夜にわざわざ作らせたかき氷用よ。そのまま飲んだら超濃い。カルピスの原液並」
「わたしはあれ好きだけど」
「きがくるっとる」
「まぁね」
折角の氷をそのまま食べるのもアレなので、しょうがなく、奇妙奇天烈ラインナップの中からアプリコットジャムを取って氷にかけた。あぁ、でもこれは意外と美味しそうに見えるぞ? 宇治金時は氷に餡をトッピングするんだし、まぁジャムも悪くないかもしれない。
「蜂蜜うめぇ」
「いくらなんでもかけ過ぎだろそれは……、もうかき氷を食べてるんじゃなくて蜂蜜を食べてんじゃん……」
べっちゃべちゃにかかってた。
アプリコットジャムinかき氷。ねちゃ、ふわ。奇妙な食感だった。お姉様の言った通り、綿のようなふわふわの氷だった。割と美味しい。
「次は血液と行こうではないか」
「ぐろい」
「いちごシロップっぽく見えるよ。ほら」
「いちごシロップはこんな毒々しい紅色じゃないですしおすし」
「練乳をかければほらいちごみるく!」
「何か卑猥な物に見えてきた」
「やだふらんちゃんえっち」
「うわきもい殴るぞ」
「ぐすん」
わたしたちはゆっくり時間をかけて、山ほどある氷を食べ尽くしていった。咲夜が作った紅茶シロップが一番美味しかった。そこはやはり咲夜だからこそだろう。咲夜の紅茶はなんでも美味しい。アイスだろうがホットだろうが、ミルクティだろうがレモンティだろうがストレートティだろうが、ダージリンだろうがアッサムだろうがアールグレイだろうが、それぞれが別の味わいがあって、どれも甲乙つけ難く美味しい。どれも完璧で、そしてどこか優しい味がする。細部まで響き渡る心遣いが、味と香りを一層引き立てるのだろう。
「やっぱり咲夜の紅茶は美味しい」
「わたしも今そう考えてたとこ」
「ちゃんと氷に合うようになってる」
「そうだね」
お姉様は笑っている。本当に嬉しそうに笑っている。その笑顔は多分、かき氷が美味しいからだとか、その程度の表情などではないんだろう。本当に咲夜の事が、大切なんだろう。
「あまり、」
言葉は突いて出た。言うつもりは無かったのに。
「あまり深入りしない方が良いよ」
「何に? 咲夜に?」
「そう。情を移すなとは言わない。当たり前の事だから。でも、頼り過ぎるのは良くないと、思う」
じゃりじゃり、氷が舌を撫ぜる。砂粒を食べているようだった。言いたくはない事だけど、言わなければ何かを失う気がした。
「フランドールは優しいね」
スプーンを咥えながら、お姉様はやっぱり笑う。
「でもそれは、間違ってる」
綺麗な、全否定だった。砂粒がのどを滑って、腹の底へと沈んでいく。汗が肌に張り付いて気持ち悪い。
「あんまり何もかも心許しちゃうと、いなくなった時本当に辛くなるよ、って、そう言いたいんでしょう。そういうフランドールの消極的な優しさは、私好きよ。でもそれは、違うと思う。そんな保険みたいな接し方してたら、自分の気持ちが嘘になるよ」
わたしは何も言い返せなかった。視線も合わせられなかった。
「私は私の本当を全部あげたいと思ってる。誰にだって。咲夜にもパチェにも美鈴にも、紅魔館に住んでるみんなに、霊夢にも魔理沙にも、私に関わったすべての生き物に。そしてフランドール、おまえにも」
わたしだってそんな風になれたら。そんな風に愛せたら。自分でラインを引いた内側に、誰かを連れ込む事が出来たなら。
「だから私はおまえを愛するように咲夜を愛する。いなくなったらきっと悲しい。そして咲夜がいなくなるのは、きっと一番早い。とても早い。でも、その悲しさこそが、私が本当に心から愛した証拠になると思うから」
そうやって、いつも。お姉様は、わたしの出来ない事を全部やってしまうんだ。
わたしはハリケーンの被害者にならない。わたしはいつでも逃げているから。良いも悪いもひっくるめて吹き飛ばして、なんでもないような顔で全部まとめて笑って済ませてしまう。わたしはその渦に巻き込まれたら、きっとどうにも出来なくなってしまうだろう。
「わたしは、優しくないよ」
臆病なだけだ。壊すのを、壊れるのを、嫌がって逃げ回っているだけで。いつか無くなってしまうものにばかり眼を向けて、無くなるまでの時間を計って、自分の所為じゃないって言いながら逃げ回る臆病者。いつからわたしは、無くなってしまうものを怖がるようになった? 消えゆくものを避けるようになった? いつから。そんなのは、生まれてからだ。生まれ落ちた時からの病気なのだ、これは。
「いなくなったら、わたしもきっと凄く悲しいから。悲しい自分を見たくないだけ。わたしはわたしの事しか考えてないよ」
「そう。私も、私の事しか考えてない。いつだって私自身の味方だわ。それでその次に、紅魔館の味方」
お姉様はテーブルに空になったお皿を置いて、かき氷機の方へ歩いて行った。まだ氷は少し残っている。
「夏はじめじめして嫌ね。考え事もじめじめしちゃうわ。もっと食べましょう、足りなかったら氷くらい幾らでも持ってくれば良い」
「そうだね」
夏は嫌いだ。春も秋も冬も嫌いだ。時の流れを感じるから。とても残酷だと、思うから。
「しばらくかき氷は食べたくないわね」
「見たくもないよ……」
どれぐらい食べたのだろう。ガロン単位で食べたんじゃなかろうか。途中、氷にマヨネーズをかけられたりして大変だった。非常に口に残る味だったと言っておこう。わたしはお返しにタバスコたっぷりの氷をプレゼントしてやったが。
そろそろ夕方になる頃だ。一体何時間かき氷で遊んでいたのだか。
「よし、今度は花火しなきゃね」
「夏満喫し過ぎでしょ」
「そりゃあだって、ここは四季の変化があって楽しいじゃないの。一年中めいっぱい楽しめるわ、そうでしょ?」
「うん、まぁ……かもね」
外に出るのは億劫だからと引き籠ってばかりのわたしにはちょっと判らない。四季の変化と言われても、暑い寒いくらいしか気にしていない。少々勿体無いかもしれないな。
「かき氷に、花火。ふぅん、それで、その他はどうするの」
「うーん。のーりょーとか」
「納涼。意味判ってる?」
「わかんない」
「おいおい」
「後でパチェにでも聞いとく」
「それで咲夜に準備させるんでしょ」
「勿論」
「たはは」
「何よ」
「いんや。お姉様らしいと思って」
「何がよ」
「別にぃ」
翌日、わたしの部屋に一つの風鈴が据えられた。ここ地下なんで風は吹かないんですけど、と一応ツッコんでみたが、取り付けに来た咲夜は「それでは扇風機も置きますわ」と本気で返してきたので諦めた。そして昼寝して起きたら普通に扇風機が置かれていた。
ちんちち、ちりん。
風鈴の音を聴きながら(人工的な風で鳴っているとは言え)読書するのも悪くない。じわりと滲む汗が服と肌の間に張り付くのも、これはこれで夏の風物詩なのかもしれない。わたしは静かに読み終わった本を積みながら、少しだけ期待してお姉様を待っている。
「フランドール、花火上げるよ! 大玉もあるよ!」
「あぁ、……今行く」
今年くらいは、ちょっと夏を楽しんでみようかと。ハリケーンに、少し巻き込まれてみようかと。そういう時の流れ方も、多分、悪くはないだろう。
おわり
だが夜も湿気と寝不足で頭が回らないという罠。
スカーレット姉妹もいい感じにくらくらしてる。
夏だなぁ
やっぱり紅魔館は良いなぁ。
フランもいつかは自らハリケーンとなれる日が来ますように。
もうね、なんだろう。大好き。
もだえしぬ
スペカみたい。
夏を満喫しないとと思った。
親分肌の格好良いレミリア、繊細で優しいフランドールのキャラクターもとても魅力的です。
レミリアが、なんか色々と自由な感じだけど、正反対なフランにはちょうどいい感じで。
フランも、いつかは全ての季節の色に染まれるようになってくれればいいな。
フランちゃんもハリケーンとなって、めいいっぱい遊んでほしいね