「アイスクリーム?」
紅魔館大図書館。いつものように一人の魔女と二人の魔法使いが揃って研究だの、読書だのに励んでいる。
魔理沙は最近お気に入りのロッキングチェアに、アリスは図書館の中で一番センスのいいデザインの椅子に、パチュリーはいつもどおりの安楽椅子に、それぞれ腰を降ろしている。
先ほどまでは、テーブルの上いっぱいに、本だの羊皮紙だのインクだのが乱雑に散らばっていたが、今はアリスと小悪魔の手によってそれらは片付けられ、ティーカップとティーポットが代わりに陣取っている。その場にある本と言えば、パチュリーが読んでいるものだけだ。
「そう。久しぶりだけど、結構上手く出来たと思うわよ」
そう言って、アリスは自信ありげな笑みを浮かべる。
これから、おやつの時間。夏らしく今日のメニューはアイスクリームだ。涼しげなガラス製の器に専用の銀色スプーン。それから、丁寧に焼き上げた特製のコーンもある。
アイスクリームディッシャーを手にしたアリスは、冷えたままをキープできる魔法で細工をした箱を開いてみせた。そこから顔を出したのは、三種類のアイスクリーム。基本のバニラ味に、甘酸っぱいストロベリー味、そして、濃厚なチョコレート味。みんなアリスの手作りだ。
「わー! すごいな!」
魔理沙はそれを見るやいなや、身を乗り出して、瞳を輝かせる。もともと甘いお菓子は大好きであるが、アイスクリームは別格だ。
アイスクリームは幻想郷では希少な品だ。冷凍させ続ける技術がほとんどないため、人里ではほとんど手に入らない。たった一度だけ、紅魔館のパーティーで振る舞われたアイスクリームにすっかり魅了されてしまっている。
もともと、もっと小さかった頃、香霖堂で見つけた外の世界の絵本に出てきたアイスクリームや何かといった西洋のカラフルなお菓子には憧れがあった。
アイスクリーム。一度食べたら忘れることはできない。
「ま、これくらいたいしたことじゃないわよ」
素直に感嘆の声をあげられれば、アリスとしても悪い気はしない。いつも通りの澄まし顔の中に、幾分かの照れを含ませて、やや早口で言う。
そんなアリスの様子を眺めていたパチュリーは口の端をささやかにあげている。年少者を微笑ましく見守るようなその視線に、肩を竦めて、アリスは誤魔化すように言う。
「それに、パチュリーが手伝ってくれたおかげだしね」
「パチュリー?」
おおよそお菓子作りとは無縁の名前を聞いて、魔理沙は怪訝そうに首を傾げる。基本的に食に興味を示すことのないパチュリーだ。料理との縁遠さは並大抵のものではない。
「咲夜にも頼まれてたからね。ちょうどいい実験になったわ」
「これなら、咲夜も満足するんじゃないかしら。すごく良かったもの」
「当然よ」
アリスがアイスクリームの箱を掲げて見せれば、ふん、と鼻を鳴らしてパチュリーはそれに応える。きょとんとしている魔理沙は二人が何の話をしているのか、よく分からない。
「なあなあ、どういうことだよ?」
「このアイスクリームを冷やしてるのはパチュリーの魔法なのよ」
実家にいた頃、アリスにとって夏と言えば、アイスクリームの季節だった。
しかし、実家で一般的だった冷凍庫は幻想郷には存在しない。魔法で冷やす方法もないわけではなかったが、一定の範囲を一定の温度で保ち続ける、というその魔法は、一見すれば簡単そうにも思えるが、かなり高度な技術と魔力を要する。一応、アリスも精霊魔法をかじってはいるものの、専門外のそれをそこまで習熟させているわけではない。
そんなわけで、アリスクリームを作ることは半ば諦めていたのだけれど。
「今年は、夏を楽しもうって決めたから」
その分野の専門家であるパチュリーに相談したところ、思いのほかスムーズに話は進み。
二人で協力して、魔法を仕込む箱やら何やらを作り出した、というわけだ。当然今も箱の中はパチュリーの魔法で満ちている。
頬を人差し指で軽く掻きながら、本を読み続けるパチュリーの様子を窺いつつ、アリスが語ったのは、そんなような内容だった。
「なるほどなー。へー?」
腕組みをしてうんうんと頷いている魔理沙はどこか不満顔。
唇を僅かに尖らせていつにもまして子どもっぽい表情にアリスは目を丸くする。今の話に、気に障るようなことなんかなかったはずなのに。
戸惑うアリスとふくれっ面の魔理沙を順繰りに眺めたパチュリーは、くすりと笑ってそのまま本に顔を埋める。
「なによ?」
「だーってさ。それならさ、私のことも誘ってくれたってよかったじゃないか」
「は?」
「そりゃ、確かにパチュリーほど詳しいわけでもないし、お菓子作れるわけでもないけどさ」
「魔理沙」
「みんなで、夏を楽しもうって、言ったんだぜ、私は」
小さく呟くその声は拗ねたような可愛らしいもので。自分でも気付かないうちにアリスは微笑んでいた。
いつもやんちゃで強気で、生意気にアリスやパチュリーと議論を交わしている。そのくせ、時たまこんな風に、年相応の表情を見せる。
そんな時の魔理沙をアリスは妹のように思っている。口に出したら、怒るだろうから言わないけれど。
本で顔を隠すようにしているパチュリーも同じように思うところがあるのか、ふと目があった瞬間、その目が細められた。最近よくやるアイコンタクト。
「はいはい。次からはちゃんと声かけるわよ」
「絶対だからな」
「ええ」
「お子様ね、魔理沙は」
「お前にだけは子ども扱いされたくないんだが、パチュリー」
やいのやいのと言いあう二人を眺めながら、アリスはあらためてディッシャーを握る。
いくら魔法が効いているとはいえ、あまり長いこと蓋を開けっ放しにしておくものではない。
「二人とも、カップとコーン、どっちがいい?」
「もちろんコーンに決まってるだろ!」
「カップね」
アリスの問いかけに、じゃれあいのような言いあいをしていた魔理沙とパチュリーはすぐさま正反対の答えを返す。
別に同じにそろえなければいけない道理はないし、とアリスはさっそくカップとコーンにアイスを乗せていく。ちなみに、アリスもカップだ。コーンも嫌いではないけれど、どうもバランス感覚に気を取られて、味わいきれないような気がするからだ。
「おいおい、パチュリー。三段アイスクリームは少女の夢だろ?」
「お生憎様。私はもう百歳よ」
「普段おばあちゃん扱いしたら怒るくせに」
「? それは怒るわよ、あたりまえじゃない」
「お前なあ……。意味が分からないぜ」
「そもそも、コーンなんて落としたらどうするのよ。誰が掃除すると思ってるの?」
「お前じゃないことは確かだな」
「……小悪魔の魔力を供給してるのは私よ」
言葉だけ聞いていれば、喧嘩のようにも聞こえるけれど、両者とも表情はいつも通り。口の悪い魔理沙とひねくれ者のパチュリーである。これくらいは日常会話の範疇だ。
現に、二人ともそれなりに楽しそうにしているのが伝わってくるし。
そんなような会話をBGM代わりに、アリスはひとつひとつ丁寧に盛りつける。アイスクリームをきちんとすくって、きれいに盛るのにはなかなかコツがいるのだ。
特にコーンは、食べる側以上にバランスを考えなければならない。
崩れないように、落とさないように。そーっとそーっと慎重に。
「はい、できたわよ」
「わーい」
子供のように笑う魔理沙は両手でコーンを受け取る。いつの間にか、手にしていたスプーンがきらりときらめき、わくわくしている様子が伝わってくる。
相変わらず本を読んでいるパチュリーには、魔理沙やアリスよりもひとつ小さいサイズのディッシャーで掬ったアイスクリームの器を置く。魔女らしく普段ものを口にしないパチュリーはそんなに量は食べないから。
可愛らしいミントの葉をのせて、スプーンも添えておいた。
「ありがとう」
「ちゃんと冷えてるでしょう?」
「溶けていないものね」
そうして、無造作に掴んだスプーンで、パチュリーはアイスをつつく。それはまるで、というよりはそのものなのだけれど、実験結果を検分する真剣な表情だ。
しかし、結局のところは、三色アイスとスプーンだ。妙なギャップにアリスは笑ってしまう。
「早く食べようぜー」
なかなかアリスが席へ戻らないのにしびれを切らせた魔理沙が言う。別に揃って食べ始める必要などないというのに、この辺りは妙に律儀だ。
アリスが席につき、スプーンを手にしたのを見るやいなや。
「じゃあ、いただきます」
「……いただきます」
「召し上がれ」
ぺろり、と。一番上のバニラアイスを魔理沙は舐める。
まず感じたのは冷たさ。次いで心地よい甘さが広がり、さらりと舌の上で溶けていく。
バニラエッセンスの甘い香りと濃いミルクの甘い味。
予想通り、否、予想以上においしいアイスクリームに魔理沙の表情はとろけたものになっていく。
おいしい、と感想を言う余裕もなく。ひたすら夢中でぺろぺろかぷり、とアイスクリームを味わっている。
そんな顔をされては作り手冥利に尽きるというもの。口元を綻ばせたアリスは、今度はパチュリーのほうへと視線を向ける。
ぺたぺたとつついたりなんだりしていた、パチュリーは少し悩んで。とても小さな一口を口へと運ぶ。最初の一口はストロベリー。春頃に作った苺ジャムをふんだんに使ったアリス自慢アイスクリーム。
「……」
「パチュリー?」
ゆっくりと口へとアイスクリームを運んだパチュリーは、口にスプーンをくわえたまま、一度挙動を停止する。表情はいつもどおりのじと目と、無表情。
けれど、このタイミングでは何かあったのではないか、と勘繰りたくなってしまう。
「味はどうかしら」
「……アリス?」
「あ、あの、なんか駄目だったかしら? 凍らせる前だけど、一応家で味見もしたから大丈夫だと思うんだけど」
「そう……」
「パチュリー?」
「冷たくて、甘酸っぱいわ」
アリスの目をまっすぐ見据えて、パチュリーは厳かに呟く。しかし、それはもったいぶった割に普通の感想で、アリスは拍子抜けしてしまう。
しかし、考えてみれば、相手はパチュリー。いつだって味の感想を聞けば「甘い」「すっぱい」とかそういう感想しか残さない。甘いものを食べたいと言って、甘いと文句を付けるようなひねくれ者なのだ。
あれだけいつも本を読んでいるだけあって、パチュリーの語彙は豊富なはずなのだけれど、味に関しては最低限の表現しかしない。むしろ、二言の感想があった分、気にいったと解釈できる。
「アイスクリームだもの、ストロベリー味の」
「そうね」
「……ありがとう、パチュリーのおかげだわ」
「ん」
苦笑するアリスが、内緒話のようにひそやかに礼を述べる。一応、共同研究の形をとった以上、これは共同作品だ。お礼を言う必要などないのだけれど。
それでも言わずにはいられなかったのだ。
次の一口をチョコレートにするか、バニラにするか、決めかねていたパチュリーはゆっくりと、しかし、確かに一度頷いたのだった。
ひとしきり、二人の反応を眺めて。満足したアリスはようやく、自分の一口を口へと運んだ。子どもっぽいかもしれないけれど、一番大好きなチョコレートアイス。
よく姉が作ってくれたとっておきのチョコレートアイス。アリスが幻想郷に来ることになった時にきちんと聞いてきたレシピの通りに作ったそれは、記憶の中の味と変わらない。
とても大好きな夏の味。
「あ……」
ここは大図書館。アリスは魔法使い。
もうとっくに夏なんて感じられなくなっている、感じられるはずもないのだけれど。
一口食べたとたんに鼻の奥に夏の匂いを感じた。
半袖から伸びる腕に懐かしい暑さを思い出す。じんわりと汗をかいて、遊びから帰って来た時に。家族と食べたアイスクリーム。
それは、アリスにとってまさしく、夏だった。チョコレートアイスの匂いは夏の匂い。
「もう、夏なのね」
まったく同じではないけれど、大好きだったチョコレートアイスを食べて、同じような背格好の少女と一緒に過ごす。
ずいぶんと久しぶりに感じた夏は、懐かしくて、嬉しくて、切ない。
けれど、心の中はまるで日がさしたようにあたたかだった。
「って、ちょっと! 左下、垂れそうじゃない!」
「へ? わ、わわ」
アイスクリームは暑さに弱い。ふと魔理沙に目を向ければ、三段アイスの一番下に位置しているチョコレート味のアイスが溶けかけ、垂れてしまいそうになっている。
ぽたり、とそれが絨毯にシミを作るより前、アリスの指摘に素早く反応した魔理沙は間一髪でそれを舐めとることに成功した。一番上のと二番目のとが落ちないようにバランスに注意していたせいで、一番下のものへの意識が低下していたらしい。
「あっぶなかったぁ」
「よかったわね、間にあって」
揃ってほっと胸を撫で下ろす。顔を見合せて、微笑みあいながら。
しかし、その安息もつかの間のこと。ことの成り行きを見守っていたパチュリーが他人事のように、さらりと呟く。
「二段目の、そのあたりも危ないんじゃない?」
「へ? あっ」
「魔理沙! バニラが落ちそうよ」
「おうっ?」
「今度は一番下よ」
はじめての三段アイスは思いのほか曲者だったらしい。
アリスやパチュリーの助言に従って、出来得る限り素早く魔理沙はアイスを舐めとっていく。見ているアリスもパチュリーも自分のものはそっちのけで状況を見守っている。
「今度はそっちよ、魔理沙」
「あら、あのあたりも危ないわ」
「だああっ、いっぺんに言わないでくれよ!」
「あ、そう言ってる間にも、今度はそっちが危ないんじゃない?」
「アリスの言う通りね」
「ちょっ、どこが最優先なんだ?」
「一番下の左ね」
「二段目の右よ」
「どっちだ!」
アリスは笑いながら、アドバイスを送る。言葉の合間合間に、ストロベリーもバニラも楽しむ。こちらはガラスの器に入っているので、魔理沙のようになる心配はない。
同じように魔理沙を見守るパチュリーは、親しいものにはよく分かってしまう程度には機嫌良く、肘をついて、言葉をかけている。
くるくるアイスを回して、時には自分も回りながら。魔理沙は忙しくアイスクリームを舐めていく。ひいひい、言いながらもやけに楽しそうな表情を浮かべている。自然と口のまわりはややアイスクリームで汚れつつあるけれど、それを拭う暇もない。
いつも静かな図書館が少女たちの声で華やかに、賑やかに。
なんだかんだ、たまにはこういう騒がしいお茶会も悪くない。
「アイスクリームおいしいな!」
「私が作ったんだから当然でしょう? って、また!」
「うわー」
「ま、悪くはないわね」
結局は、いつだって、何をしてたって、楽しいのだ。
夏はまだ、始まったばかり。
やっぱり日頃の言動は大切だネ
アイスが食べたくなってきた…
魔理沙たちはすごく幸せな夏の過ごし方をしていてうらやましい。
そしてあなたの三魔女がいつもいつもとても可愛いのはすごい。
自分もアイス買ってこよう。
この人の三魔女系ほんと好きだ