よりによって夕食の支度をしている最中に夕食の希望を出すのは、厨房に立つ人間に非常に失礼なことなのです。
晩ご飯を作る師匠に「松茸が食べたい」と駄々をこねた時には、一度身長が縮んで最終的にたんこぶで元の数字より伸びてしまう程拳骨を頂きました。
その日のパエリアの味と共に、「台所に立つ人間はあらゆるものの上に立つ存在である」という教えは確かに私の胸に刻み込まれたものです。
そんな行為をいい歳した主に実行されては思わずガラも悪くなろうもん。
「あ゙ぁ?」
「ヒッ、いや、お魚が食べたいなぁなんて」
私の身体は勝手に我が主を睨み付けてしまいます。これはいけません、従者はあくまで瀟洒に、瀟洒に。紅いお屋敷のメイドさん達を見習わなければ。
怯む幽々子様がかわいいのはともかくとして、しかしそれとこれとは別問題。
「今私が何作ってるかわかります?」
「にくじゃが!」
「肉じゃがですね。そう、晩ご飯には肉じゃがが用意されているのです」
食べ物関係の我が儘は以前から目立ちましたが、そろそろ幽々子様にも我慢の心を覚えていただきたい。
師匠は幽々子様を甘やかしすぎていた節がありましたし、私が締め付けてあげないと、きっと彼女は堕落してしまいます。
「妖忌は私が一言言えばすぐに作り直してくれたのに」
あの爺ィ。
「出されたものをちゃんと食べないと妖怪キクラゲガシラに首をはねられますよ」
「それでね、どんな魚が食べたいかというと」
私の声を無視して喋り始める幽々子様。ここは第一種幽々子様取り扱い免許の所持者である私の腕の魅せ所です。
そこらの凡百な幽霊と違い、そう簡単にペースを取られる魂魄妖夢ではございません。
「妖夢妖夢、『竜宮の使い』って知ってる?」
ここで話に耳を傾けてはいけません。幽々子様の言葉には魔力が篭もっています。
気付いたときには既に遅し、筍を掘っていたり猪を狩っていたり……。あな恐ろしや。
「雲の上、天の高みを飛ぶと伝えられている幻の龍魚。それが竜宮の使いよ。天女とも呼ばれているわ」
馬耳東風とばかりに右の耳と左の耳を直結させ、ここで酒みりん砂糖醤油をまとめて入れて少し待機。
「貴女にはそれを釣り上げて、唐揚げを作って私に振る舞うの」
ジャガイモの柔らかさを確認しながらぐつぐつ煮込みます。
「楼観剣を溶かして特性の釣り竿を作って貰ったわ。一投でサヨリ十匹分の釣果を得るこの『ホデリロッド』で見事、私の期待に応えなさい」
頃合いを見て落とし蓋を……えっ。ちょっと聞こえなかった。えっ。
「あああ!? 肌身離さず背負っていた筈の楼観剣がふがし(長い)にっ!?」
「甘いわよー」
「てっ……やりやっ……あああああ白楼剣もゴーヤにてっめええええええ!!!」
「苦いわよー」
「……」
「やや。鳥も飛ばぬ玄雲海、こんな妙な所で釣りをしているなんて妙な人もいるものです」
「……」
「どうもこんにちはぁ。釣れますか?」
「……ボチボチですかね」
「はへぇ。雲『海』とは言いますけど、魚なんているんですねぇ。どんな妙なのが釣れるんです?」
「それはね」
抜き打ちの要領で一振り。
雲に垂らしていた釣り糸の針は彼女の喉元を掻っ切らんと飛んでいきますが、ほっぺたにヤの付く自由業よろしく掠り傷を付けるに留まります。
「うおっ痛っ危っ!? ななななななんなんですかよ!?」
「ここは竜宮の使い釣りの穴場……。ごく限られた人しか知らない秘密のスポット……」
嗚呼、お許し下さい永江嬢。貴女を釣って帰らないと、幽々子様に白楼剣をお洒落な靴べらに加工されてしまうのです。
貴女を釣って帰ることが出来れば、この楼観剣改めホデリロッドもきっと元の姿を取り戻すことが出来るのです。
些か腹が立つので金輪際ホデリロッドとは呼ばないことにしましょう。これは楼観剣です。
「リピートアフタミー? ジスイズローカンケン。Row-kangkeng.」
「え!? 何!? が、外国語わからないです! 私何かしました!?」
そう、私個人が貴女への恨みから起こした行動では決して、決してないのです。それだけは誤解無きよう。
それでは。
「今日は大物が釣れそうだなァ!」
「ひぃぃ!」
逃げる龍魚。追う修羅。
端から見たら私が悪者です。だが待ってほしい、そう判断するのは早計ではなかろうか。
凶悪犯に息子を人質に取られたスラッガーがド真ん中ストレートを泣く泣く三球三振したとして、皆様方は彼を責めることが出来るでしょうか。
私にとって、いえ、魂魄家にとって息子以上の存在である白楼剣をモノ質に取られ、泣く泣く永江嬢を釣る私を一体、誰が責めることが出来ましょうか!
「大きい魚影が見えるぞぉ! 船長ォこの辺りで止めてくれないかなァ!!」
「おまわりさぁん!!」
永江嬢との相性は飛行スピードにおいて絶対的に有利な私でも、雲に隠れながら時たま電流を垂れ流しつつ逃走するターゲットを釣り上げるのは困難であります。
肉食動物に追われる草食動物は、どのような不都合な状況にあろうとも自らの持つポテンシャルを100%発揮して逃走することが出来るのです。
その100%に、肉食動物は敬意を払わなくてはならない。野生の世界に手抜きなどという概念は存在しません。
「北海剣『二百由旬の一荷釣り』!」
片手に握った楼観剣をシャランラランラと振り回しゃ、七色スターがキュートに飛び散り魔法の力が発現します。
不思議パワーによって幾条にも枝分かれした糸、二百の針が狙う先は、あのフリフリした服。
命を懸けた死合いにそんな針を引っかけやすい衣装を着てくるなど愚の骨頂。生っちょろい弾幕ごっこなどとは訳が違うのです。
「ふぎゃっ!」
襟首のなんかほわほわしたところに一本の針が食らいつき、ゴギリと音を立て首を仰け反らせた永江嬢を更に二本、十本、百本、次々と糸が捉え、雁字搦めに縛り上げます。
「フィーッシュ!!」
「むぐぐ、しかしこんな糸程度は簡単に……」
「ふふん。妖怪の鍛えた楼観剣、を溶かして妖怪が鍛え直して作った鋼鉄糸、切れるものなどあんまりない!」
クソッ! 言ってて悲しくなってきた! い、いや、泣いてません。泣いてませんってば。
自由な右手をドリルに変え糸の切断を試みる永江嬢の無様な姿を見て、笑いこそすれどうして泣くことが……どうして……ちくしょう……。
「くッ……! こんな人畜無害な竜宮の使いを捕まえて、貴方の狙いはなんですか! 金ですか! それともこのボディを」
「貴方に唐揚げになって頂かないと困る事情があるのです。犬に噛まれたと思って諦めて」
「揚げられるの!? わあああおまわりさあああん!! 誰か!! 思ったより命が危ない!! おまわりさあああああん!!!」
「うるせー! 解体してやる!! お前もお前の同胞も全て解体してやる!!!」
元はと言えば竜宮の使いなんてものがいるからいけないのです。そう、竜宮の使いのせいで食卓からは笑顔が消え、世界中で人間が終わらない争いを繰り広げ、私の剣は釣り竿に打ち直されてしまったのです。しかし今日、暗黒の時代は終わり世界は救われ、私は英雄となりました! 闇に覆われた世界に光が訪れたのです! 災厄の魚を討伐した伝説的美少女剣士のレジェンド(重複)は今より幻想郷全土に語り継がれ、幽々子様も詫びの涙を流しながら楼観剣を返してくれるのです!! うううう!!! うううううう!!!! やってやったぞ!!! うううううう
バリバリ
鋼鉄製の糸から凄い電気ショック。
「いいのよ妖夢。リュウグウノツカイなんていつでも食べる機会はあるわぁ」
「うぐぐう……うぐぐう……」
別に主の要求を満たせなかったことを悔いているのではありません。体中が痛いだけです。
天女を釣り損ねて白玉楼敷地内へ撃墜された私を待っていたのは、心配顔の幽々子様と迷いを断てそうな靴べらでした。
「ぐぐう……天……天は……釣って……」
「貴方の気持ちは嬉しいけど、今日はもう休みなさい」
ここで気に食わないのはたった一つであります。
白楼剣を靴べらにされたから? 違います。楼観剣を元に戻してくれないから? これでもない。無茶振りに対する怒り? 否、否。
『ノックしてもしもーし! こちら魂魄さんのお宅ですかー? 表札が西行寺ってなってるけどー?』
「はーい? どちらさまぁ?」
「お邪魔しまー。衣玖を捕まえて連れてきたらご馳走してあげるっておかっぱ侍に招待されたんだけど、ここでいいの?」
「もがー! もごごー!」
「桃ばっかも飽きたからさぁ、衣玖を生け贄に捧げて美味しいものが食べられるなら願ったり叶ったり」
ちょっと落っこちたぐらいで失敗したと決め付けられた幽々子様からの信頼の無さに、自分で自分に腹が立つ訳で。
「……妖夢……、貴方、天人を釣ったのね……」
その日の夕食、肉じゃがの隣には初めて幽々子様が作ってくれたもう一品のおかずが並びました。
お、俺の嫁が……