「ねえ、パチュリー」
いつも通り静けさに満ちた薄暗い大図書館。
もはや定位置となったパチュリーの真向かいの椅子に腰を降ろしていた、アリスはふと顔をあげた。
同と言うこともないまったく普通の声音、どこか退屈そうな表情を装って。
焦る胸の内を落ち着かせるためにテーブルに置かれた自分専用のティーカップに紅茶を注ぐ。ミルクをさして、スプーンでかき混ぜながら、パチュリーを見つめている。
「なによ」
対するパチュリーは顔すら上げずに言葉だけでそれに答えた。
いつものように本に目を落として、ただページをめくり続けている。
今日読んでいる本はアリスが薦めた私小説で、魔道書ではない。ちょっとした恋愛を題材に扱った薄っぺらいペーパーバックだ。
いつも小難しい本ばかり読んで、ひねくれたことばかり言うパチュリーに対する皮肉をこめたチョイスだった。
それから、ちょっとしたメッセージをこめて。パチュリーに思いを伝えるならば、口で話すよりもこうして本に託した方がよく伝わるはずだ。
ストーリーは単純。偶然見知らぬ二人が出会い、恋をして、紆余曲折の果てに結ばれるというそれだけのものだ。頭を使わず読めるという意味では右に出る本はないのではないだろうか。
それなのにも関わらず、パチュリーはとても真剣な面持ちで字を追っている。ある意味、普段以上に集中しているようにも見える。
てっきり、くだらない、と三ページ目で突き返してくるかと思ったのに。
「その小説、面白い?」
「いいえ、まったく」
「は?」
「内容が稚拙だし、ちっとも論理的じゃない。知識の足しにもならないわね」
「ちょっと、そんな言い方はないんじゃない?」
にべもないパチュリーの返事にむっとしたアリスは反論する。
せっかく人がお気に入りの本を貸したというのに。
なにより、これは勝負であったのだ。アリスはこの小説に強い決意と溢れる思いをこめていた。
もっとも、人付き合いに関しては鈍いところのあるパチュリーがそれに気付かないことも想定済みだったのだが。
そもそも、それならなぜそんなにも真剣に本を読んでいたのか。
苛立ち交じりにそのような旨のことを告げる。
すると、パチュリーはゆっくりと顔をあげて、アリスを見つめる。
あいも変わらず、じと目。しかし、その口元は少しばかり楽しそうに笑みの形をしていた。注意深く見なければ分からないだろう。否、よほど親しい者でなければ分からないほどの微かな笑みだ。
いつもどこか冷たさを持つ瞳には悪戯っぽい色が宿っている。
「だって、この本を私に貸したということは、何か意味があるのでしょう?」
アリスの反応をうかがうようにそこでいったん言葉を切り、パチュリーはアリスを見つめている。
気付かれていた。
気付かれてしまった!
もちろん、気付いてもらえなければ意味がない。
しかし、あらためてそう言われると、なかなかどうして気恥ずかしくて、アリスは目をそらすことしかできない。
まさか、直接口で問いただされるなんて思ってもみなかったし。
「例えば、この本の四十九ページ目の一行目」
「ぱ、パチュリー」
「主人公とヒロインがはじめて図書館で出会ったシーンね。本を取ろうとしたら指先と指先が触れあって、お互い慌てて手を離して、見つめあう」
ベタよね、と呟くパチュリーにアリスは顔に朱が昇るのを感じる。指先にじわりと汗がにじむ。
「そういえば、貴女ともこんなことをしたことがあったわね」
「そ、そうね……」
「もっとも、彼らのように赤くなって手を引っ込めあうこともなければ、ヒロインがしたように譲ることもなかったけれど」
「あれは、パチュリーが悪いんでしょ」
「アリス、責任転嫁は感心しないわ」
「お前が言うな」
あの時。
アリスが読みたいと思っていた本をパチュリーに頼んで探すのを手伝ってもらっていた。そうして、たまたま見つけたのが同時だったのだ。
パチュリーはまるで気にしていなかったかのように語っているけれど、アリスは一度胸が高鳴るのを感じていたのを覚えている。あの頃は今ほど親しくもなかったため、白く華奢な手に触れることなどほとんどなかったのだから当然か。
しかし、パチュリーのその後の行動によって、その思い出は甘酸っぱいものではなく、しょうもないものになっている。
アリスのために探していてくれたというのに、パチュリーは興味が湧いたとかなんとか言ってその本から手を放そうとしなかったのだ。
人形のドレスのデザイン本なんて、普段は目もくれないくせに。どういう意図があったのかアリスは今でも分からない。あそこまでむきになるパチュリーも珍しい。
そうして、なぜかお互い手を触れ合わせたまま、長いこと口論をして、最終的にじゃんけんで勝敗を決めたのである。弾幕ごっこまで発展しなかったのは、奇跡だ。
「それから七十七ページ以降も、私たちの関係に似ているわ」
「……」
「アリスはこんな風に私のことを思っていてくれたのかしら? 私のうぬぼれ?」
「うぬぼれじゃ、ない、けど」
ああ、もう恥ずかしい。
アリスの頭の中はもうそればかりで、パチュリーの様子を気にしている余裕はない。
ただ、淡々とからかうように言うパチュリーに俯いたまま返事をするので精一杯。
だから、アリスは気づいていない。
それを問うているパチュリーの頬がほんのり赤く色づいていることも、僅かに声が上ずっていることも。
ヒロインが主人公と親しくなり、図書館や公園で逢引をするようになった。
何度も図書館で出会う二人は本について語り合うようになる。
そんな時、主人公は二人で食べるお弁当を、ヒロインは主人公が喜ぶような本についての知識を、それぞれ準備していた。
まるで、アリスとパチュリーのように。
他にも至る所で初めてのデートの描写だとか、普段の過ごしかただとかがよく似通っている。
初めて手をつないだ時のどきどきとした気持ちや、優しく笑いかけてくれた時に灯る温かさ。次の約束をすることが出来た時の舞いあがった気持ち。
喧嘩をした時の後悔も、相手が体調を崩した時の心配も。まわりの人々へのちょっとした嫉妬や、知識量の差によるコンプレックスまで。
主人公の心理描写の巧みなのも相まって、感情移入が止まらない。
まるで、アリスの気持ちをそのまま本にしたような内容である。
いっそ読んでいて気恥ずかしくなってくるぐらい、アリスの思いを的確に表現している小説だった。何度ベッドの上で寝そべって読みながら悶えたかも分からない。
パチュリーには読まれたくないと思っていた。
あまりに赤裸々すぎるから。
けれど、アリスがこれをパチュリーに見せることにしたのにはきちんとした理由がある。
「さしずめ、アリスが私に伝えたいのは百六十九ページのヒロインの言葉かしら」
一度言葉を切ったパチュリーはくいっとカップに注がれた紅茶を飲みほす。
そうして、指でとんとん、とテーブルを叩いた。おかわりの要求である。
普段ならば、自分でやりなさいよ、と言うところだけれど、今の審問をされているような状態ではそれすらも救いに思える。アリスは素直に紅茶を注ぐ。砂糖とミルクも傍に置いてやる。
正直、目の前でラブレターを読み上げられているようなものなのだから。
恥ずかしさといたたまれなさで胸が張り裂けそうだった。
「ね、ねえ、パチュリー」
「アリス?」
「そこから先は私に言わせてちょうだい」
ごくり、と息を飲みこんで、震える声でアリスは言う。
こうして読み上げられてしまうぐらいならば、直接自らの口で告げた方がはるかにマシだろう。
「パチュリー」
「……」
「そろそろ私たちの関係をはっきりさせましょう」
顔が熱いのも、身体が緊張で震えるのも、すべて自覚しながら、アリスはそう告げる。
まっすぐにパチュリーの紫色の瞳を見つめた。
アリスとパチュリーの今の関係はとても微妙なものだった。
図書館の主と利用者よりは深い。魔女同士、友人同士というにもさらに深い関わりがある。
しばしばアリスは泊りに来るし、パチュリーが泊まりにくることもある。
外を歩くときには指を組み合わせるようにして手をつなぐこともあれば、挨拶は基本的にキスで済ませている。
目と目で語りあうこともできるし、お互い沈黙してまるで別のことをしていても一緒にいるだけで安らいだ気持ちになることができる。
刺々しい言葉の応酬も慣れてしまえばエキサイティングで、お互いに遠慮なくきつい言葉をぶつけ合うことさえ、可能だ。
それはまるで、恋人同士のように。
けれど二人の間には未だ決定的な言葉はない。
共に過ごしてきた時間の中で、作り上げてきた大切な関係。
それだけで満足していたはずだったのだけれど。
確たる証拠が欲しくなった。一歩前へ進みたくなった。
アリスは欲張りなのだ、魔法使いであるから。
そしてなにより、女の子であるから。
大きな不安と、少しの期待を織り交ぜた気分でアリスはパチュリーの反応を待つ。
「パチュリー」
「……」
「パチュリー? パチュリーってば」
先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか、そのままの表情でフリーズ状態になってしまったパチュリーに、アリスは少し冷静さを取り戻す。
おーい、と声をかけて、パチュリーの顔の前で手をひらひらさせた。
「ふふ」
「大丈夫?」
「案の定というか、なんというか。くだらないわね」
「……っ」
ややあって、馬鹿にしたように鼻で笑うパチュリー。その声はいつもと同じ淡々としたもので、アリスはどん、と背中から突き飛ばされたような心地になる。
その言葉は明確な拒絶であったから。
「どうして」
「だって、そうでしょう。魔理沙や咲夜みたいな小娘ならいざ知らず。長き時を生きる魔法使いにはそんなもの必要がない」
「……」
「アリス、だからあなたは未熟だというのよ。こんな人間が作り出した定義に振り回されて」
「分かってるわよ、そんなこと」
想像以上に冷たいパチュリーの言葉に、アリスの気持ちは暗く淀んだ沼に沈んでいく。
ただ、恥ずかしさと、このせいで二人の関係が崩れてしまうことへの恐怖と。
その二つが頭の中を渦巻いて、どうしたらいいのか分からない。
早く、冗談よ、なんて笑ってはぐらかさなくちゃ。
そう思うけれど、口から出てくるのは弱々しい言葉とため息ばかり。
気まずい沈黙を破ったのは、パチュリーの笑い声だった。
「ふ、ふふっ、ふふふっ」
「な、なんで笑うのよ」
「だって、っくく」
「だから、笑うな!」
「アリス、あなたは、本当に……」
らしくもなく心の底から楽しそうに笑うパチュリーは目の端に涙すら浮かんでいる。
それを指で拭うと、パチュリーは身を乗り出して、アリスの両頬に手を添えた。
「そんな外形にこだわらなくったって、アリスがいて、私がいる。それだけで十分じゃない」
「え?」
「魔術とは違うもの。形式を尊重する必要はない。むしろ、これこそオリジナリティを重視すべきだと思うわ」
「ぱ、ぱちゅりー?」
「私たちの関係を“恋人”なんて人間の決めた安っぽい定義に収めてしまうのは嫌よ」
ねえ、といたずらっぽく微笑みかけてくるパチュリーに、アリスは戸惑ってしまう。
つまり、これは、どういうことだ。
なんだか、とても恥ずかしいことを言われているような。
「パチュリー」
「アリス?」
「ここまで来たら、はっきりと言うわ」
一度大きく息を吸って、じっとパチュリーの目を見つめるアリス。
先ほどまでの笑いをおさめたパチュリーもどこか真剣さを感じさせる表情になる。
すっかり乾いてしまった唇を軽く舐めて、ごくりと唾を飲みこんで。ぎゅっとお腹に力を入れてアリスは魔法の言葉を紡ぐ。
「あなたが好き。世界で一番好き」
「私はあなたが好きよ、パチュリー」
そこに込められた“好き”の意味は小説に描かれているのと同じ意味。
あれだけ真剣に読みこんでいたパチュリーならば、理解できないはずもない。
アリスは大きく息をつく。
口に出してしまえば、意外にもあっさりとしていた言葉は甘い。
けれど、言いきった充実感というか、マラソンを終えたばかりのランナーのようにすっきりとした気持ちだった。その分、落ち着きを取り戻すことが出来たように思う。
「う、うう……。反則でしょう、それは」
よく熟れた林檎のように真っ赤な頬をしたパチュリーは息も絶え絶えと言った様子で、声を絞り出す。
早口で意外にも話好きなパチュリーは、魔道書にある言葉をなぞるような説明は得意だけれど、気持ちをそのまま言葉で表現することはむしろ苦手としている。
今も言葉にならない様子で口をぱくぱくさせている。
むしろ、本を読んでなお、この状況を予測できなかったのか、対応できていないあたり、パチュリーも舞い上がっていたのかもしれない。
形勢逆転。
ほとんどランナーズハイのような状態のアリスはにんまりと笑う。
先ほどまでとこれまで、散々からかわれた鬱憤を晴らすように繰り返す。
「パチュリー、大好きよ」
「……そう」
「愛しているわ、誰よりも」
「意地悪」
「たまにはいいでしょう? 愛故よ」
「歪んだ愛はいらない」
「少しも歪んでなんかいないわよ」
「嘘」
「好きよ、大好き」
「……」
「だーいすき」
「馬鹿」
一度言ってしまえば、もう後は簡単で、アリスは何度も好き、だとか、愛してるとか、そういう言葉を繰り返す。そのたびにぴくりと揺れるパチュリーの身体とか、どんどん赤くなっていく頬だとかが愛おしい。
緊張が臨界点を突破した分、アリスの箍もわりと外れているようだった。
「ねえ、パチュリー」
「なによ」
「パチュリーからも、言葉を聞かせてくれない?」
こんなに恥ずかしい思いをさせられたのだから、当然聞かせてくれるのでしょう?
そんな思いをこめて、じっとパチュリーの瞳を見つめる。
テーブルに左肘をついて、右手を伸ばして紫色の長い髪に触れる。さらさらとした指通りのいい感触を楽しみながら、急かすように。
「…………」
「パチュリー?」
口元はごにょごにょとうごめいているけれど、まるでそれは音になっていない。
何度も息を吸い込んでは、ぎゅっと固く閉じた唇を開きかけるけれど、結局、口に出すことができないまま。
百年を生きた魔女と言うよりは、見た目通りの少女らしい表情にアリスの顔は自然と綻ぶ。
ゆったりとした時が流れる。
当初湯気を立てていた紅茶はもはやすっかり冷めきっている。
焦れたアリスがパチュリーの髪をひと房三つ編みにし始めた頃、ようやくパチュリーは動きを見せた。
「アリス」
「う、うん」
こっちへ来て、というジェスチャーに従って、アリスは席を立つ。
安楽椅子に腰かけたままのパチュリーの真横までくる。
「これでいい?」
「アリス」
「ぱ、パチュリー?」
白に近い薄桃の衣服に包まれた細い腕を伸ばして、視線の位置を合わせるべく、やや屈んでいたアリスの首にすがるように抱きついてきた。
予想外の大胆な挙動に、落ち着いていた胸が再び甘く高鳴った。
「あの……」
「アリス」
吐息がかかるほど耳元に口を寄せたパチュリーの囁き声。
「好き」
「とても、好き」
すこしかすれた声は今のようにほとんど抱き合った状態でなければ聞き取ることが難しいほどのささやかな音量。
けれど、それが尚のこと愛おしくて、恥ずかしくて。
それほど強い力で抱きしめられているというわけではないのに、もう離れることができないような気さえした。
自然と、下におろしたままだったアリスの両手もパチュリーの背中に回される。
「アリスが好き」
「パチュリーが好き」
顔を見合せて、ゆっくりと一度口づけて。
二人は夢のように甘い時間に身を委ねていった。
いつも通り静けさに満ちた薄暗い大図書館。
もはや定位置となったパチュリーの真向かいの椅子に腰を降ろしていた、アリスはふと顔をあげた。
同と言うこともないまったく普通の声音、どこか退屈そうな表情を装って。
焦る胸の内を落ち着かせるためにテーブルに置かれた自分専用のティーカップに紅茶を注ぐ。ミルクをさして、スプーンでかき混ぜながら、パチュリーを見つめている。
「なによ」
対するパチュリーは顔すら上げずに言葉だけでそれに答えた。
いつものように本に目を落として、ただページをめくり続けている。
今日読んでいる本はアリスが薦めた私小説で、魔道書ではない。ちょっとした恋愛を題材に扱った薄っぺらいペーパーバックだ。
いつも小難しい本ばかり読んで、ひねくれたことばかり言うパチュリーに対する皮肉をこめたチョイスだった。
それから、ちょっとしたメッセージをこめて。パチュリーに思いを伝えるならば、口で話すよりもこうして本に託した方がよく伝わるはずだ。
ストーリーは単純。偶然見知らぬ二人が出会い、恋をして、紆余曲折の果てに結ばれるというそれだけのものだ。頭を使わず読めるという意味では右に出る本はないのではないだろうか。
それなのにも関わらず、パチュリーはとても真剣な面持ちで字を追っている。ある意味、普段以上に集中しているようにも見える。
てっきり、くだらない、と三ページ目で突き返してくるかと思ったのに。
「その小説、面白い?」
「いいえ、まったく」
「は?」
「内容が稚拙だし、ちっとも論理的じゃない。知識の足しにもならないわね」
「ちょっと、そんな言い方はないんじゃない?」
にべもないパチュリーの返事にむっとしたアリスは反論する。
せっかく人がお気に入りの本を貸したというのに。
なにより、これは勝負であったのだ。アリスはこの小説に強い決意と溢れる思いをこめていた。
もっとも、人付き合いに関しては鈍いところのあるパチュリーがそれに気付かないことも想定済みだったのだが。
そもそも、それならなぜそんなにも真剣に本を読んでいたのか。
苛立ち交じりにそのような旨のことを告げる。
すると、パチュリーはゆっくりと顔をあげて、アリスを見つめる。
あいも変わらず、じと目。しかし、その口元は少しばかり楽しそうに笑みの形をしていた。注意深く見なければ分からないだろう。否、よほど親しい者でなければ分からないほどの微かな笑みだ。
いつもどこか冷たさを持つ瞳には悪戯っぽい色が宿っている。
「だって、この本を私に貸したということは、何か意味があるのでしょう?」
アリスの反応をうかがうようにそこでいったん言葉を切り、パチュリーはアリスを見つめている。
気付かれていた。
気付かれてしまった!
もちろん、気付いてもらえなければ意味がない。
しかし、あらためてそう言われると、なかなかどうして気恥ずかしくて、アリスは目をそらすことしかできない。
まさか、直接口で問いただされるなんて思ってもみなかったし。
「例えば、この本の四十九ページ目の一行目」
「ぱ、パチュリー」
「主人公とヒロインがはじめて図書館で出会ったシーンね。本を取ろうとしたら指先と指先が触れあって、お互い慌てて手を離して、見つめあう」
ベタよね、と呟くパチュリーにアリスは顔に朱が昇るのを感じる。指先にじわりと汗がにじむ。
「そういえば、貴女ともこんなことをしたことがあったわね」
「そ、そうね……」
「もっとも、彼らのように赤くなって手を引っ込めあうこともなければ、ヒロインがしたように譲ることもなかったけれど」
「あれは、パチュリーが悪いんでしょ」
「アリス、責任転嫁は感心しないわ」
「お前が言うな」
あの時。
アリスが読みたいと思っていた本をパチュリーに頼んで探すのを手伝ってもらっていた。そうして、たまたま見つけたのが同時だったのだ。
パチュリーはまるで気にしていなかったかのように語っているけれど、アリスは一度胸が高鳴るのを感じていたのを覚えている。あの頃は今ほど親しくもなかったため、白く華奢な手に触れることなどほとんどなかったのだから当然か。
しかし、パチュリーのその後の行動によって、その思い出は甘酸っぱいものではなく、しょうもないものになっている。
アリスのために探していてくれたというのに、パチュリーは興味が湧いたとかなんとか言ってその本から手を放そうとしなかったのだ。
人形のドレスのデザイン本なんて、普段は目もくれないくせに。どういう意図があったのかアリスは今でも分からない。あそこまでむきになるパチュリーも珍しい。
そうして、なぜかお互い手を触れ合わせたまま、長いこと口論をして、最終的にじゃんけんで勝敗を決めたのである。弾幕ごっこまで発展しなかったのは、奇跡だ。
「それから七十七ページ以降も、私たちの関係に似ているわ」
「……」
「アリスはこんな風に私のことを思っていてくれたのかしら? 私のうぬぼれ?」
「うぬぼれじゃ、ない、けど」
ああ、もう恥ずかしい。
アリスの頭の中はもうそればかりで、パチュリーの様子を気にしている余裕はない。
ただ、淡々とからかうように言うパチュリーに俯いたまま返事をするので精一杯。
だから、アリスは気づいていない。
それを問うているパチュリーの頬がほんのり赤く色づいていることも、僅かに声が上ずっていることも。
ヒロインが主人公と親しくなり、図書館や公園で逢引をするようになった。
何度も図書館で出会う二人は本について語り合うようになる。
そんな時、主人公は二人で食べるお弁当を、ヒロインは主人公が喜ぶような本についての知識を、それぞれ準備していた。
まるで、アリスとパチュリーのように。
他にも至る所で初めてのデートの描写だとか、普段の過ごしかただとかがよく似通っている。
初めて手をつないだ時のどきどきとした気持ちや、優しく笑いかけてくれた時に灯る温かさ。次の約束をすることが出来た時の舞いあがった気持ち。
喧嘩をした時の後悔も、相手が体調を崩した時の心配も。まわりの人々へのちょっとした嫉妬や、知識量の差によるコンプレックスまで。
主人公の心理描写の巧みなのも相まって、感情移入が止まらない。
まるで、アリスの気持ちをそのまま本にしたような内容である。
いっそ読んでいて気恥ずかしくなってくるぐらい、アリスの思いを的確に表現している小説だった。何度ベッドの上で寝そべって読みながら悶えたかも分からない。
パチュリーには読まれたくないと思っていた。
あまりに赤裸々すぎるから。
けれど、アリスがこれをパチュリーに見せることにしたのにはきちんとした理由がある。
「さしずめ、アリスが私に伝えたいのは百六十九ページのヒロインの言葉かしら」
一度言葉を切ったパチュリーはくいっとカップに注がれた紅茶を飲みほす。
そうして、指でとんとん、とテーブルを叩いた。おかわりの要求である。
普段ならば、自分でやりなさいよ、と言うところだけれど、今の審問をされているような状態ではそれすらも救いに思える。アリスは素直に紅茶を注ぐ。砂糖とミルクも傍に置いてやる。
正直、目の前でラブレターを読み上げられているようなものなのだから。
恥ずかしさといたたまれなさで胸が張り裂けそうだった。
「ね、ねえ、パチュリー」
「アリス?」
「そこから先は私に言わせてちょうだい」
ごくり、と息を飲みこんで、震える声でアリスは言う。
こうして読み上げられてしまうぐらいならば、直接自らの口で告げた方がはるかにマシだろう。
「パチュリー」
「……」
「そろそろ私たちの関係をはっきりさせましょう」
顔が熱いのも、身体が緊張で震えるのも、すべて自覚しながら、アリスはそう告げる。
まっすぐにパチュリーの紫色の瞳を見つめた。
アリスとパチュリーの今の関係はとても微妙なものだった。
図書館の主と利用者よりは深い。魔女同士、友人同士というにもさらに深い関わりがある。
しばしばアリスは泊りに来るし、パチュリーが泊まりにくることもある。
外を歩くときには指を組み合わせるようにして手をつなぐこともあれば、挨拶は基本的にキスで済ませている。
目と目で語りあうこともできるし、お互い沈黙してまるで別のことをしていても一緒にいるだけで安らいだ気持ちになることができる。
刺々しい言葉の応酬も慣れてしまえばエキサイティングで、お互いに遠慮なくきつい言葉をぶつけ合うことさえ、可能だ。
それはまるで、恋人同士のように。
けれど二人の間には未だ決定的な言葉はない。
共に過ごしてきた時間の中で、作り上げてきた大切な関係。
それだけで満足していたはずだったのだけれど。
確たる証拠が欲しくなった。一歩前へ進みたくなった。
アリスは欲張りなのだ、魔法使いであるから。
そしてなにより、女の子であるから。
大きな不安と、少しの期待を織り交ぜた気分でアリスはパチュリーの反応を待つ。
「パチュリー」
「……」
「パチュリー? パチュリーってば」
先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか、そのままの表情でフリーズ状態になってしまったパチュリーに、アリスは少し冷静さを取り戻す。
おーい、と声をかけて、パチュリーの顔の前で手をひらひらさせた。
「ふふ」
「大丈夫?」
「案の定というか、なんというか。くだらないわね」
「……っ」
ややあって、馬鹿にしたように鼻で笑うパチュリー。その声はいつもと同じ淡々としたもので、アリスはどん、と背中から突き飛ばされたような心地になる。
その言葉は明確な拒絶であったから。
「どうして」
「だって、そうでしょう。魔理沙や咲夜みたいな小娘ならいざ知らず。長き時を生きる魔法使いにはそんなもの必要がない」
「……」
「アリス、だからあなたは未熟だというのよ。こんな人間が作り出した定義に振り回されて」
「分かってるわよ、そんなこと」
想像以上に冷たいパチュリーの言葉に、アリスの気持ちは暗く淀んだ沼に沈んでいく。
ただ、恥ずかしさと、このせいで二人の関係が崩れてしまうことへの恐怖と。
その二つが頭の中を渦巻いて、どうしたらいいのか分からない。
早く、冗談よ、なんて笑ってはぐらかさなくちゃ。
そう思うけれど、口から出てくるのは弱々しい言葉とため息ばかり。
気まずい沈黙を破ったのは、パチュリーの笑い声だった。
「ふ、ふふっ、ふふふっ」
「な、なんで笑うのよ」
「だって、っくく」
「だから、笑うな!」
「アリス、あなたは、本当に……」
らしくもなく心の底から楽しそうに笑うパチュリーは目の端に涙すら浮かんでいる。
それを指で拭うと、パチュリーは身を乗り出して、アリスの両頬に手を添えた。
「そんな外形にこだわらなくったって、アリスがいて、私がいる。それだけで十分じゃない」
「え?」
「魔術とは違うもの。形式を尊重する必要はない。むしろ、これこそオリジナリティを重視すべきだと思うわ」
「ぱ、ぱちゅりー?」
「私たちの関係を“恋人”なんて人間の決めた安っぽい定義に収めてしまうのは嫌よ」
ねえ、といたずらっぽく微笑みかけてくるパチュリーに、アリスは戸惑ってしまう。
つまり、これは、どういうことだ。
なんだか、とても恥ずかしいことを言われているような。
「パチュリー」
「アリス?」
「ここまで来たら、はっきりと言うわ」
一度大きく息を吸って、じっとパチュリーの目を見つめるアリス。
先ほどまでの笑いをおさめたパチュリーもどこか真剣さを感じさせる表情になる。
すっかり乾いてしまった唇を軽く舐めて、ごくりと唾を飲みこんで。ぎゅっとお腹に力を入れてアリスは魔法の言葉を紡ぐ。
「あなたが好き。世界で一番好き」
「私はあなたが好きよ、パチュリー」
そこに込められた“好き”の意味は小説に描かれているのと同じ意味。
あれだけ真剣に読みこんでいたパチュリーならば、理解できないはずもない。
アリスは大きく息をつく。
口に出してしまえば、意外にもあっさりとしていた言葉は甘い。
けれど、言いきった充実感というか、マラソンを終えたばかりのランナーのようにすっきりとした気持ちだった。その分、落ち着きを取り戻すことが出来たように思う。
「う、うう……。反則でしょう、それは」
よく熟れた林檎のように真っ赤な頬をしたパチュリーは息も絶え絶えと言った様子で、声を絞り出す。
早口で意外にも話好きなパチュリーは、魔道書にある言葉をなぞるような説明は得意だけれど、気持ちをそのまま言葉で表現することはむしろ苦手としている。
今も言葉にならない様子で口をぱくぱくさせている。
むしろ、本を読んでなお、この状況を予測できなかったのか、対応できていないあたり、パチュリーも舞い上がっていたのかもしれない。
形勢逆転。
ほとんどランナーズハイのような状態のアリスはにんまりと笑う。
先ほどまでとこれまで、散々からかわれた鬱憤を晴らすように繰り返す。
「パチュリー、大好きよ」
「……そう」
「愛しているわ、誰よりも」
「意地悪」
「たまにはいいでしょう? 愛故よ」
「歪んだ愛はいらない」
「少しも歪んでなんかいないわよ」
「嘘」
「好きよ、大好き」
「……」
「だーいすき」
「馬鹿」
一度言ってしまえば、もう後は簡単で、アリスは何度も好き、だとか、愛してるとか、そういう言葉を繰り返す。そのたびにぴくりと揺れるパチュリーの身体とか、どんどん赤くなっていく頬だとかが愛おしい。
緊張が臨界点を突破した分、アリスの箍もわりと外れているようだった。
「ねえ、パチュリー」
「なによ」
「パチュリーからも、言葉を聞かせてくれない?」
こんなに恥ずかしい思いをさせられたのだから、当然聞かせてくれるのでしょう?
そんな思いをこめて、じっとパチュリーの瞳を見つめる。
テーブルに左肘をついて、右手を伸ばして紫色の長い髪に触れる。さらさらとした指通りのいい感触を楽しみながら、急かすように。
「…………」
「パチュリー?」
口元はごにょごにょとうごめいているけれど、まるでそれは音になっていない。
何度も息を吸い込んでは、ぎゅっと固く閉じた唇を開きかけるけれど、結局、口に出すことができないまま。
百年を生きた魔女と言うよりは、見た目通りの少女らしい表情にアリスの顔は自然と綻ぶ。
ゆったりとした時が流れる。
当初湯気を立てていた紅茶はもはやすっかり冷めきっている。
焦れたアリスがパチュリーの髪をひと房三つ編みにし始めた頃、ようやくパチュリーは動きを見せた。
「アリス」
「う、うん」
こっちへ来て、というジェスチャーに従って、アリスは席を立つ。
安楽椅子に腰かけたままのパチュリーの真横までくる。
「これでいい?」
「アリス」
「ぱ、パチュリー?」
白に近い薄桃の衣服に包まれた細い腕を伸ばして、視線の位置を合わせるべく、やや屈んでいたアリスの首にすがるように抱きついてきた。
予想外の大胆な挙動に、落ち着いていた胸が再び甘く高鳴った。
「あの……」
「アリス」
吐息がかかるほど耳元に口を寄せたパチュリーの囁き声。
「好き」
「とても、好き」
すこしかすれた声は今のようにほとんど抱き合った状態でなければ聞き取ることが難しいほどのささやかな音量。
けれど、それが尚のこと愛おしくて、恥ずかしくて。
それほど強い力で抱きしめられているというわけではないのに、もう離れることができないような気さえした。
自然と、下におろしたままだったアリスの両手もパチュリーの背中に回される。
「アリスが好き」
「パチュリーが好き」
顔を見合せて、ゆっくりと一度口づけて。
二人は夢のように甘い時間に身を委ねていった。
素晴らしいパチュアリだ、このまま挙式編、新婚編と…続かないすっよね~
それじゃ、独身の魔理沙はいただいていきますね。
姑小悪魔編もぜひ
もう、なんというかね orz ←こうなりましたよ
末永くお幸せに
結婚式は呼んでくださいね
なので続きを早急に
甘く煮詰めたジャムのような話ですね。
ごちそうさまです。