*この作品は作品集60「気づかれないように」の続編ですので、そちらを先に見ていただく事をお勧めします。
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陽の光が図書館を明るく照らしていた。風も吹いておらず、つまりとても過ごしやすい日中だった。
そんな物静かな図書館に軽やかな足音が響いた。小気味良い、タップダンスを踊っているかのように、かかとを鳴らす。
「こんにちは、パチュリー」
アリスは明るい声で私に挨拶をした。とても綺麗な声だった。
「こんにちは、アリス。元気にしていたかしら?」
「もちろんよ」
「頼まれていた本、そこの机に出してあるわ。勝手に、けれど丁寧に取っていってちょうだい」
「ええ、ありがとう」
アリスはそれだけを言って、机の上からすらりとした雪のように白い指で本を持ち上げた。
本来なら部外者に本は貸し出さない。けれど、アリスがどうしても貸して欲しいと弾幕勝負を仕掛けてきて、私はそれに負けてしまった。
まったく、ここ最近は弾幕勝負に負けっぱなしで気分が鉛のように重い。
「そう言えば、最近魔理沙が頻繁にここにきているみたいね」
「ええ、今度は何をたくらんでいるのかしら」
「さあ、ね」
アリスは何でもない、と言う風に返事をした。
確かに魔理沙はこの図書館に通い詰めていた。その理由は、はっきりとは分からなかった。けれど、私はなんとなく、特別な魔法を研究しているのではないかと思っていた。
魔理沙にその理由を尋ねても、いつもはぐらかされて終わる。そのため、最初は色々と詮索をしていたが、今となっては魔理沙が何をしようと知った事ではない。諦めたのだ。
「……ねえ、パチュリー」
「なに?」
「魔理沙の事、好きなの?」
突然、アリスは聞いた。少し驚いたけれどいつか聞かれることかもしれない、と思っていたため、私はそれほど動揺しなかった。
「どうしてそう思うの?」
「だって、あなた、魔理沙と一緒に居る時は目線がずうっと魔理沙の方を追っているんだもの」
「ええっ、本当?」
まさか、と思った。私は魔理沙の事を露骨に見ないよう、そして話し方や話し掛け方も不自然でないように注意してきたつもりだったのだ。
私が意をつかれたようにそう言うと、アリスはくすりと笑って答えた。
「あら、魔理沙の事を好きだったのは本当だったのね」
「え?」
「少しカマをかけてみたのよ。目線なんて、分かるわけ無いじゃない」
「ええ、ちょっと……」
「パチュリーも可愛い所があるのね」
アリスはおもちゃを取り上げられた子どもを見るような目つきで私を見た。私は思わず喉から出かかった言葉をぐうっと胸の中に押し込めて、冷静な自分を取り繕った。
「……あなたは本当に厄介よ」
「またまた」
「何よ?」
「うん、別に」
アリスは嬉しそうに唇の端を曲げて、笑っていた。
一体、なんなのだ。この魔女は。
「ちょっと、お茶でも飲みましょうよ。美味しい紅茶を私が持ってきてあげたから」
アリスは肩かけのバッグから小さな白い袋を取り出した。私はそれを手に取り、中を開ける。焦げた茶色の葉から香ばしい香りがした。
「……まったく、今日だけよ」
「ありがとう」
このまま、私の図書館に居座るつもりだろうか。だとしたら、いったいなぜ。
分からない。理解できない。
アリスが何を考えているのか、私にはさっぱり分からなかった。
それは魔理沙も同じ事だけれど。
不思議な香りの紅茶だった。風の無い日の湖面のように、心が落ち着いていく。
「不思議な香りの紅茶ね」
正直な感想だった。
「バニラの香り。甘くて、けれどしつこくない」
「バニラ? へえ……」
「あまり数はとれないけれど、良い香りでしょ?」
「ええ、とても」
アリスは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、本題に入るわ」
アリスは丸い木のテーブルに肘をついて、その柔らかい手を口元に寄せた。この仕草だけでアリス独特の魔法使いらしい優美さがにじみ出ていた。まるで見る者を惹きつけさせる赤い薔薇のようだった。
「今、自律人形作成のために、新しい魔法の研究をしている。そのためには、この幻想郷だけでは絶対に足りない材料、材料が必要だと分かったの」
「そうなの? ないならば作りだせばいいじゃない」
「違う違う。その材料が、この幻想郷には無いの。一かゼロで言えば、ゼロ。微塵も無いのよ」
アリスは優秀だ。多分、アリスが無いと言えば、本当に無いのだろう。
「それで、私は何を?」
「まあ、待って、話は最後まで。私の夢は完全な自律型の人形。けれど、そのためだけに外の世界へ行くのは本末転倒よ。片道切符で旅をするつもりは毛頭ない」
「私に行けってこと?」
アリスは呆れたように両手は肩まであげて、参ったわね、とでも言いたげな仕草をした。
「だから焦らない、早とちりをしない。それはあなたの数少ない欠点の一つよ」
「なら、早く結論を言いなさいよ。まどろっこしい事は嫌いなの」
「分かったわ、分かった。まあつまり、外へ行く奴がいるから、そいつにその材料をこちら側へ送ってもらおうと思ってね。その送る方法を考えてほしい」
アリスはその長いまつげを瞬かせて、私を見た。私はしばらく考えて、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……外に行きたい奴っていうのは、魔理沙ね」
「まあ」
「だから、ここ最近来ていたのね」
「そう、ね。だから頼みごとって言うのは、あなたに魔理沙からの荷物を受け取る方法を一緒に考えてほしかったの。協力してくれないかしら?」
アリスは笑っていた。まるで、最初から私が協力する事が当たり前のような顔をしていた。
その態度に少しだけ私の心に波風が立ったが、私には断れるはずもない事も確かだった。
魔理沙が、外へ行くのをやめさせる、絶好のチャンスでもあるのだから。
「……あなたも、性格が悪いわね」
「さあ、どうでしょうね」
まったく、くえない魔女だ、と私は思った。
「協力に感謝するわ。御礼として、その紅茶の葉、あげるわ」
「ありがとう」
アリスはそれだけ言って、またにこりと笑った。
私は目を伏せて、ゆっくりと目を閉じた。
アリスが帰った後、私はまた紅茶を煎れなおした。甘いバニラの香りが図書館を満たす。
私の心は落ち着かなかった。
魔理沙が外へ出るつもりだった事を、私は知らなかった。
けれど、アリスは知っていた。
悔しい、とも違う。けれど、私は魔理沙に対して、ある一種の不信感を持つ事になった。
どうして私に教えてくれなかったのだろうか。
私の存在は、魔理沙にとってそんなにちっぽけなものなのだろうか。
だとしても。
だとしても。
教えてほしかった。そんなに大事なことなら、まっすぐに私の瞳を見て教えてほしかった。出来ればこんな形で知ること無く、魔理沙の少しだけ鼻に詰まったような声で聞きたかった。
服についたシミのようなこの気持ちは、ひどく私の注意を引いた。
或いは、もう、どこまでも侵食されているのかもしれない、とも思う。
机の上の紅茶に口をつけて、とりあえず明日、魔理沙に何を話そうかと考えた。
まどろんだ頭で、ぼんやりと考えた。
けれど、何も浮かんでこない。何も、浮かんでこなかった。
魔理沙の姿さえも、浮かんでこなかった。
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陽の光が図書館を明るく照らしていた。風も吹いておらず、つまりとても過ごしやすい日中だった。
そんな物静かな図書館に軽やかな足音が響いた。小気味良い、タップダンスを踊っているかのように、かかとを鳴らす。
「こんにちは、パチュリー」
アリスは明るい声で私に挨拶をした。とても綺麗な声だった。
「こんにちは、アリス。元気にしていたかしら?」
「もちろんよ」
「頼まれていた本、そこの机に出してあるわ。勝手に、けれど丁寧に取っていってちょうだい」
「ええ、ありがとう」
アリスはそれだけを言って、机の上からすらりとした雪のように白い指で本を持ち上げた。
本来なら部外者に本は貸し出さない。けれど、アリスがどうしても貸して欲しいと弾幕勝負を仕掛けてきて、私はそれに負けてしまった。
まったく、ここ最近は弾幕勝負に負けっぱなしで気分が鉛のように重い。
「そう言えば、最近魔理沙が頻繁にここにきているみたいね」
「ええ、今度は何をたくらんでいるのかしら」
「さあ、ね」
アリスは何でもない、と言う風に返事をした。
確かに魔理沙はこの図書館に通い詰めていた。その理由は、はっきりとは分からなかった。けれど、私はなんとなく、特別な魔法を研究しているのではないかと思っていた。
魔理沙にその理由を尋ねても、いつもはぐらかされて終わる。そのため、最初は色々と詮索をしていたが、今となっては魔理沙が何をしようと知った事ではない。諦めたのだ。
「……ねえ、パチュリー」
「なに?」
「魔理沙の事、好きなの?」
突然、アリスは聞いた。少し驚いたけれどいつか聞かれることかもしれない、と思っていたため、私はそれほど動揺しなかった。
「どうしてそう思うの?」
「だって、あなた、魔理沙と一緒に居る時は目線がずうっと魔理沙の方を追っているんだもの」
「ええっ、本当?」
まさか、と思った。私は魔理沙の事を露骨に見ないよう、そして話し方や話し掛け方も不自然でないように注意してきたつもりだったのだ。
私が意をつかれたようにそう言うと、アリスはくすりと笑って答えた。
「あら、魔理沙の事を好きだったのは本当だったのね」
「え?」
「少しカマをかけてみたのよ。目線なんて、分かるわけ無いじゃない」
「ええ、ちょっと……」
「パチュリーも可愛い所があるのね」
アリスはおもちゃを取り上げられた子どもを見るような目つきで私を見た。私は思わず喉から出かかった言葉をぐうっと胸の中に押し込めて、冷静な自分を取り繕った。
「……あなたは本当に厄介よ」
「またまた」
「何よ?」
「うん、別に」
アリスは嬉しそうに唇の端を曲げて、笑っていた。
一体、なんなのだ。この魔女は。
「ちょっと、お茶でも飲みましょうよ。美味しい紅茶を私が持ってきてあげたから」
アリスは肩かけのバッグから小さな白い袋を取り出した。私はそれを手に取り、中を開ける。焦げた茶色の葉から香ばしい香りがした。
「……まったく、今日だけよ」
「ありがとう」
このまま、私の図書館に居座るつもりだろうか。だとしたら、いったいなぜ。
分からない。理解できない。
アリスが何を考えているのか、私にはさっぱり分からなかった。
それは魔理沙も同じ事だけれど。
不思議な香りの紅茶だった。風の無い日の湖面のように、心が落ち着いていく。
「不思議な香りの紅茶ね」
正直な感想だった。
「バニラの香り。甘くて、けれどしつこくない」
「バニラ? へえ……」
「あまり数はとれないけれど、良い香りでしょ?」
「ええ、とても」
アリスは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、本題に入るわ」
アリスは丸い木のテーブルに肘をついて、その柔らかい手を口元に寄せた。この仕草だけでアリス独特の魔法使いらしい優美さがにじみ出ていた。まるで見る者を惹きつけさせる赤い薔薇のようだった。
「今、自律人形作成のために、新しい魔法の研究をしている。そのためには、この幻想郷だけでは絶対に足りない材料、材料が必要だと分かったの」
「そうなの? ないならば作りだせばいいじゃない」
「違う違う。その材料が、この幻想郷には無いの。一かゼロで言えば、ゼロ。微塵も無いのよ」
アリスは優秀だ。多分、アリスが無いと言えば、本当に無いのだろう。
「それで、私は何を?」
「まあ、待って、話は最後まで。私の夢は完全な自律型の人形。けれど、そのためだけに外の世界へ行くのは本末転倒よ。片道切符で旅をするつもりは毛頭ない」
「私に行けってこと?」
アリスは呆れたように両手は肩まであげて、参ったわね、とでも言いたげな仕草をした。
「だから焦らない、早とちりをしない。それはあなたの数少ない欠点の一つよ」
「なら、早く結論を言いなさいよ。まどろっこしい事は嫌いなの」
「分かったわ、分かった。まあつまり、外へ行く奴がいるから、そいつにその材料をこちら側へ送ってもらおうと思ってね。その送る方法を考えてほしい」
アリスはその長いまつげを瞬かせて、私を見た。私はしばらく考えて、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……外に行きたい奴っていうのは、魔理沙ね」
「まあ」
「だから、ここ最近来ていたのね」
「そう、ね。だから頼みごとって言うのは、あなたに魔理沙からの荷物を受け取る方法を一緒に考えてほしかったの。協力してくれないかしら?」
アリスは笑っていた。まるで、最初から私が協力する事が当たり前のような顔をしていた。
その態度に少しだけ私の心に波風が立ったが、私には断れるはずもない事も確かだった。
魔理沙が、外へ行くのをやめさせる、絶好のチャンスでもあるのだから。
「……あなたも、性格が悪いわね」
「さあ、どうでしょうね」
まったく、くえない魔女だ、と私は思った。
「協力に感謝するわ。御礼として、その紅茶の葉、あげるわ」
「ありがとう」
アリスはそれだけ言って、またにこりと笑った。
私は目を伏せて、ゆっくりと目を閉じた。
アリスが帰った後、私はまた紅茶を煎れなおした。甘いバニラの香りが図書館を満たす。
私の心は落ち着かなかった。
魔理沙が外へ出るつもりだった事を、私は知らなかった。
けれど、アリスは知っていた。
悔しい、とも違う。けれど、私は魔理沙に対して、ある一種の不信感を持つ事になった。
どうして私に教えてくれなかったのだろうか。
私の存在は、魔理沙にとってそんなにちっぽけなものなのだろうか。
だとしても。
だとしても。
教えてほしかった。そんなに大事なことなら、まっすぐに私の瞳を見て教えてほしかった。出来ればこんな形で知ること無く、魔理沙の少しだけ鼻に詰まったような声で聞きたかった。
服についたシミのようなこの気持ちは、ひどく私の注意を引いた。
或いは、もう、どこまでも侵食されているのかもしれない、とも思う。
机の上の紅茶に口をつけて、とりあえず明日、魔理沙に何を話そうかと考えた。
まどろんだ頭で、ぼんやりと考えた。
けれど、何も浮かんでこない。何も、浮かんでこなかった。
魔理沙の姿さえも、浮かんでこなかった。
楽しみにしてます!
やはりいい雰囲気すなぁ