Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

少しだけ未来の話

2010/04/04 01:24:33
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「アリス、アリスってば」

 くい、と袖をひかれる感覚にアリスは我にかえる。
 思考の渦に囚われていた脳は一瞬それを認識できず、なにかがずれてしまったような、狂ってしまったような感覚を訴えた。
 やけに豪勢な調度品が妙に浮いて見える。紅色を基調とした室内はやたらと刺激が強く、目に痛かった。めまいを起こしそうになるのをぐっとこらえて焦点を合わせる。
 
 すぐ目の前では、パチュリーがとろんと眠たげな瞳に気遣うような色を浮かべていた。
 いつものゆったりとした普段着の装飾を可能な限り取り払ったような薄手のネグリジェに身を包み、肩にショールを引っかけた七曜の魔女は寝台の上。
 山のように積まれたクッションに体重を預けるようにして、上体を起こしている。不可思議な形状をした帽子も被っておらず、滑らかな濃紫の髪がすとんと流れている。左右ひと房ずつまとめたリボンだけが普段と変わらず身に着けている装飾具だった。

「あ、ごめん。ちょっと、ぼーっとしちゃって」
「そう?なんだか顔色が悪いみたいだけど」

 ベッドサイドに置かれた椅子に行儀よく座るアリスは明らかに精彩を欠いていた。

 外見上はいつもとなんら変わりがない。鮮やかな青いワンピースには余計な皺は一つもなく、シンプルな赤いヘッドドレスに彩られた柔らかな金髪はいつものように良く梳かされている。細に至るまで身だしなみに気を使う彼女らしく、ケープの前を止める赤いリボンも歪みひとつなく、定位置におさまっている。

 しかし、纏う雰囲気はどこか重く、魔力や気配にすら陰りを感じて、パチュリーはアリスを見つめる。
 パチュリーの指摘にゆるゆると頬に手を触れ、苦笑する姿にいつものキレはなかった。

「パチュリーにだけは言われたくないわ。鏡を見たら?」
「病人と比べてどうするのよ。私が言ってるのはそういうことじゃなくて」

 紙のように白い顔をしかめて、普段以上に小さくかすれた声で囁く。いつも早口で多くを語る彼女らしくもなく、慎重さを感じさせるゆっくりとした語り口に、アリスは胸がざわつくのを感じる。
 しかし、いかにも弱々しい有様とは裏腹に、ねめつけるようにアリスを見つめる猫のような瞳は強い。
 かすかにたじろいだアリスは、パチュリーの視線から逃れるように目を反らし、窓の方へ視線を彷徨わせる。
 瞳に映った空は、もう春になるというのにどんよりとした曇り空。白っぽい灰色の雲はいかにも重そうに見える。だが、雨の気配はなく、ただただそこに停滞し続けている。

「最近、少し研究が立て込んでてね。ちょっと寝不足なのよ」
「……」

 ちょっとした沈黙の後、誤魔化すように言うアリスを見たパチュリーはうろんげに目を細める。
 嘘ではない。最近寝付けないことが多いのは事実だ。その理由は研究ではないけれど。
 真実を語れと訴える視線に、その気がないことを示すために、わざとらしくあくびをしてみせる。
 この程度のフェイクにだまされるほど、百年を生きた魔女に可愛げはない。だが、はっきり意思表示をすれば、それ以上追及してこない程度には引き際を弁えているのをアリスは知っている。
 そう踏んだアリスはあくびで滲んだ目じりの涙をそっと拭って、意識的に微笑みかける。

「……なら、いいけど」
「うん。ごめんね、心配かけて」
「別に。でも、お互いさまでしょう」
「ま、ね」

 ここのところ、パチュリーはずっと体調が優れず、寝込みがちだ。小悪魔や永琳が言う分には、ここ数年はしゃぎ過ぎて疲れが出ただけで、少し休めばそのうち元に戻るという。普通の人間ならば、もっと短いスパンで繰り返されるそれを魔女らしく年単位でやっているだけだ、と。
 妖怪らしからぬ病弱さを誇るパチュリーならあり得ない話ではない。
 それでも、こうして力なくベッドに沈むパチュリーを見ていると、心配にはなる。

「そんなに忙しいなら、わざわざ私の所にこなくてもいいのよ?」
「図書館に来たついでよ、ついで」
「ついで、ね」
「黙って持って行って泥棒鼠扱いされたくないしね」

 パチュリーに会いたいから、心配だから。
 胸に浮かぶ素直な気持ちには耳を貸さずに、いつも通りの皮肉交じりで冗談めかした言葉を吐いた。もとよりついた嘘を見破ったパチュリーのちょっと意地悪な問いかけだ。本気で答えるほうが馬鹿げている。
 アリスのそんな態度が気に入ったらしく、パチュリーは愉快そうに、くっくっ、と魔女らしく喉の奥で笑う。

「水くさいわ、アリス。貴女と私の仲じゃないの」
「あら、そうだったかしら?」
「ええ、あんなことをしたり、こんなことをしたことを私はちゃんと覚えているわよ?」
「……そういう言い方すると、卑猥に聞こえるからやめて」
「もう、いつまで経っても初心ね、アリスは」
「少女だもの」
「今年で何歳になるんだったかしらね」
「パチュリーよりずっと若いのは確かよ」

 ふざけあった会話はいつも通り。ほんの少しスパイスを効かせた軽やかな言葉のキャッチボール。余裕めいたパチュリーに言い返していくうちに、アリスは少しだけ淀んでいた心のうちが軽くなるのを感じた。

 しかし、そんな楽しみもそう長くは続かない。言葉が二十往復するよりも前に、パチュリーは不意に口をつぐむ。そうして眉を寄せて、息苦しそうに胸を手で押さえる。呼吸の中に、かすかにひゅーひゅーという異音が混ざりはじめた。

「大丈夫?」
「少し、喋りすぎたみたいね……」
「小悪魔、呼んでくるわ」
「休めば平気よ、これくらいなら」

 どこかうつろさを感じさせる瞳で注意深く呼吸をしているパチュリーの様子に、アリスはそろそろ帰るべきだ、ということを悟る。本当ならば、そばで看病をしたい気もするのだが、プライドの高いパチュリーがそれを嫌うことはよく分かっていた。

「じゃあ、これ借りてくから」

 図書館から持ち出した本を抱えて、アリスは立ち上がる。帰りがけに一応誰かに声をかけていくべきだろうか、などと考えながら。
 しかし、そんなアリスの指先をパチュリーが軽くつまむようにして掴んだ。小さなその手はまるで氷のように冷たくて、ぞっとしてしまう。

「パチュリー?」

 引きとめられている、わけではなさそうだが。アリスをじっと見上げながら、どうにか呼吸を落ち着かせようとしているパチュリーに、違和感を感じた。
 そうして、何分か、あるいは何秒か経った後に、パチュリーはようやくかすれ声で言葉を紡ぎだした。

「魔理沙のことなら、気に病むだけ、無駄よ」





 人間魔法使い、霧雨魔理沙が人里に引っ越していってから、おおよそ三年もの月日が過ぎた。

 実家に戻ったというわけではないが、里の端の方でごく普通の人間の少女として生活している。
 あの頃よりも身長はずっと高くなり、三つ編みにしていた金髪も頭の上の方で結いあげている。もちろんあのとんがり帽子もかぶっていなければ、フリルとリボンにまみれた黒白のエプロンドレスももう着ていない。
 乱暴な振る舞いもしなければ、他人の家に泥棒に入って得意げに笑うこともしなくなった。
 ただ、年頃の娘らしく、明るく快活に、どこか大人びた振る舞いをする。男の子のような話し方こそ変わらないが、年相応の思慮深さを感じさせた。

 実際会話でもしてみれば、それが魔理沙だということは分かる。だが、もう遠くから眺めていてはそれが魔理沙だとは気付くことができないだろう。あの頃、纏っていた一番星のような輝きはすっかり弱まってしまっている。

 人である魔理沙とアリスをはじめとする妖怪たちは、違う世界を生きていた。

 恒例となった大図書館でのお茶会の最中、その決意を打ち明けた魔理沙の姿をアリスは今でもよく覚えている。
 まるで天気の話でもするかのようなさりげない調子で、唐突に告げられた言葉を忘れることができない。

「今度さ、私、引っ越すことにしたんだ」

 さくっとアリスお手製のクッキーを齧りながら、アリスの右向かいに座っていた魔理沙は言う。お、これうまいな、なんて呟いて、返事をしないパチュリーとアリスを不思議そうに見つめていた。
 いつものようにアリスと魔理沙の言葉に耳を傾けながら、本に目を落としていたパチュリーは顔をあげたし、アリスもまた持っていたティーカップを落としそうになってしまった
 
「どこに?」
「人里」

 アリスの疑問とパチュリーの視線にこともなげに魔理沙は答える。
 しかし、それは二人の疑問をより一層強めるもので、詳しく語れ、という無言の圧力を感じたのか、ぽりぽりと困ったように魔理沙は頬をかく。
 そうして、言葉を選ぶようにゆっくりと語り出した声は、かつてより少しだけ低くなった大人のものだった。

「あれだ、あれ。早苗風に言うと私、普通の女の子に戻ります、ってやつだ」

 流石に、居心地の悪さを感じたのか、やや唇を尖らせてばつが悪そうに魔理沙は言う。
 どんな表情をしていいか分からず、アリスは助けを求めるようにパチュリーを見る。けれど、パチュリーの少しだけ目を伏せた表情はいつもと変わった様子はなかった。
 途方にくれたアリスは、信じられないものを見るかの様に魔理沙を見つめていた。

「なんていうか、さ。いろいろ考えてたんだけどさ。このままじゃ駄目だと思うんだよ」

「私には、お前らみたいに捨虫の術を使う覚悟もないし、咲夜みたいに人間で居続ける覚悟もない。こんな中途半端なままでいつまでもいるわけにはいかないだろ?だから、漠然と過ごすんじゃなくてさ、色々経験を積まなくちゃいけないと、まあ、そんな風に思ったわけだ」

「だけど、経験って言ったって、魔法使いは今やってるし、本当の魔法使いって言うのはなっちゃったらもう戻れないしさ。だから、とりあえず、人間らしくやってみようかと思うんだ」

 その言葉の先に来るはずの結論に至るまでには葛藤があったのだろう。
 若干口ごもってはいるものの、出した結論に後悔はないようで、しっかりと二人を見つめて語る魔理沙の表情はどこかすっきりしていた。
 あまりに予想外なその言葉に呆気にとられてしまって、ただただ耳を傾けることしかできなかったのをアリスは覚えている。


「魔法使いは、やめる」


 その日を何日か過ぎたあと、本当に魔理沙はミニ八卦炉と箒を一緒にクローゼットの中にしまいこみ、魔法の森の家にしっかり鍵をかけ、人里へと引っ越していった。
 
 だからと言って、魔理沙が大きく変わってしまったというわけではない。
アリスが買い物や人形劇のために人里に出向いた際に、顔を合わせれば、お互いの近況や共通の知り合いの話など当たり前のように語りあった。ただ、そこの様子を話した際に魔理沙のする懐かしげな表情に、どうにも切なくなってしまう。

 アリスの方から訪ねることはあっても、魔理沙の方から魔法の森や図書館などを訪ねてくることは決してなかった。それゆえに魔理沙は人里を訪れる妖怪以外とは疎遠になっているように感じられる。現にパチュリーなどはあれ以来一度も顔を合わせていない。
 博麗神社にさえ、よっぽどのことがない限り赴いていないらしい。

 それはまるで普通の人間のようで。

 時折感じる隙間風のような寂しさは、アリスの中から決して消えることはなかった。時間が経てば経つほど、共通の話題は少なくなり、顔を合わせる機会そのものが減っていく。

 魔理沙は人間、アリスは妖怪。
 夜、一人で人形を作っている時など、次第に今まで意識することの少なかった差異について考えることが増えていった。

 だがその寂しさが仕方のないことだとも分かっている。

 魔理沙がいなくなったとしても、魔法の研究に終わりはないし、たとえ二人きりだとしても語るべきことは尽きない。魔理沙がいなくなっても、魔女たちの生活は変わらない。
 アリスは以前よりも図書館に足しげく通うようになり、むしろパチュリーとの中はより深いものになったように思う。
 少なくとも、パチュリーと魔法やなにやら語り合っている時は、ひとり分だけ空いた椅子があったとしても、寂しさを感じることも少なかった。
 また、パチュリーに限らず、他の妖怪たちとの交流も以前よりも増えていた。アリスと同じように、人間たちの成長に寂寥を感じている妖怪はそれこそたくさんいたのだから。
 
 しかし、アリスのそんなごまかしもそう長くは続かない。
 きっかけはパチュリーの体調不良だった。
 見舞うだけの限られた時間では、いつものように語ることもできなければ、実験をすることもできない。図書館を訪れても、寂しさは埋まらなくなってしまった。
 それだけではない。
 具合の悪そうなパチュリーを見ていると、心臓の奥深くからどろりとした不安が滲んでいくのを感じてしまう。捨虫の術を会得した魔女がそう簡単に命を落とすわけがないことも、そもそもそこまで悪いわけでもないことはよく分かっているはずなのに、怖くなった。

 広大な図書館で一人きり本を選んでいると、以前は心地よく感じていたはずの静寂に押しつぶされそうになる。まるで、世界にたった一人取り残されてしまったような。
 
 アリスは考える。
 人間として生きることを決めた魔理沙はやがて老い、死んでいく。
 魔理沙だけではない。霊夢も咲夜も、早苗も、あと60年もしないうちに手の届かないところへ行ってしまう。
 彼女らは人間で、どんなにアリスがそれを拒んだところで、いつかその時は訪れる。

 だが、それは人間に限った話ではない。
 妖怪の中にだって年若いアリスよりも先に死んでいく者は少なくないのではないだろうか。
 パチュリーだってアリスより何十年も長く生きている上に、身体が弱い。アリスより長生きするとは思えなかった。
 億年単位で、万年単位で、千年単位で生きている妖怪たちがいつまで生きているかなんて分からない。 だが、いつかは果てることは確かだ。妖怪なんて不安定な存在で、なんの前触れもなく消滅することだって十分にあり得るのだから。

 アリスが命を終える時、今回りにいる友人たちは一体何人残っているのだろう。

 それを思うとアリスは恐ろしくてたまらない。
 魔理沙の成長や変化、パチュリーの不調はアリスに、いつか訪れる死と孤独とを明確に意識させるきっかけとなった。
 人間と、妖怪と、誰かと付き合うことで、それがいつか失われてしまうことが悲しくて仕方がない。

 もうあの頃には戻れない。三人笑いあったあの日には戻れない。
 宴会もあの頃のようにはしゃぐことはできない。
 あんなに楽しかったのに。
 あんなに幸せだったのに。

 ああ、なんで魔法使いになんか、なってしまったのかしら。
 どうして幻想郷になんか、来てしまったのかしら。
 捨虫の術を使わなければ、魔界で家族と暮らし続けていれば、こんな思いをしなくてすんだのに。

 一度浮かんできたその考えは、悪夢のようにいつでも頭の中にこびりついて離れない。
 アリスはもう、どこにも行きたくなかった。誰とも会いたくなかった。
 幾夜も、幾夜も、眠ることもできないままに考え続ける。あんなに楽しかった研究も手につかない。

 これから、どうすればいいんだろう。





「あーあ、可哀想なアリス」

 くすくすくす、と笑う気配と共にパチュリーの目の前に幾多の蝙蝠が集まり、少女の姿を形作る。
 そうして現れたのは、薄桃のドレスを身にまとった銀髪の少女。紅魔館の主、レミリア・スカーレットだった。幼い容姿に不似合いな妖艶さを感じさせる楽しげな笑みを浮かべながら、パチュリーを見下ろしている。

「あんな言い方しないで、もっときちんと教えてあげればいいのに」
「あんまりたくさんヒントをあげすぎても、アリスのためにはならないもの」

 ベッドの上、横たわったまま、レミリアに答えるパチュリーはほんの苦さを含んだ笑みでそれに答えた。
 
「ずいぶん落ち込んでたわよ?あのままじゃ、もう立ち直れないかも」
「楽しそうね、レミィ」
「ええ。若輩者が悩んでいるのを、眺めて楽しむのは年長者の特権よ」
「そう」

 くすくす、とおかしくてたまらないという様子のレミリアを、不快そうに見つめるパチュリー。寝返りをうって、拗ねたように枕に顔を埋める。
 その幼げな反応を見たレミリアは一層楽しそうに笑う。

「パチェ、パーチェ。そんなことしてるとまた咳が出るよ?」
「レミィの馬鹿」
「ああ、悪かった、悪かった。パチェも大変だな」

 敵わないと言わんばかりに、パチュリーの髪を指で梳いてなだめようとする。その姿はやはり幼さとは正反対で、いっそシュールなほどの違和感があった。
 だが、それこそが、レミリアを永遠に紅い幼き月、夜の王たらしめている要素であり、不思議と見る者に威圧感を与えている。

「途中から人外になったものの宿命よね、こういうことで悩むのは」
「ああ」
「アリスはまだ人間としての習慣も捨てきれないほどの未熟者だし。誰もが一度は通る通過儀礼みたいなものよ」
「だから、手を貸さないの?」
「……手を貸したいけど、自分で乗り越えないと大成しないわ」

 もう一度寝返りをうって、レミリアを見つめるパチュリーは困ったように首を傾げる。

「先輩をやるっていうのも大変なものね、レミィ」
「やっと分かった?」
「あら?ずいぶん前から知っていたみたいな言い方ね」
「年長者っていうのは気苦労が尽きないものさ。うちだってそうだ」

 にやり、といたずらっぽく笑うレミリア。朗々と歌うように、オペラやミュージカルか何かのように演技がかった仕草は、かえって彼女らしい。

「愛しいフランはいつまで経っても子供で、最近は少しばかり大人になってきたけれどまだまだ目が離せない。たとえ、憎まれても私にはあの子を守る義務があるから、あの子が嫌がることでも進んでやらなくちゃいけないだろう」

「咲夜だってそうさ。最近はずいぶん落ち着いて大人になってきたから、下手な口出しはしないけれどね。あれでも年頃の娘だ、心配ごとは尽きないよ」

 心配だ、気苦労が絶えないと言う割には楽しそうに語る。それはまるで母親のようで、幼さには似つかわしくない。
 レミリアはそのまま、そっと小さな手のひらでパチュリーの頬を挟み込むようにして撫でる。吸血鬼らしい冷たさは、火照った頬に気持ちがよく、パチュリーは目を細めた。

「レミィは意外と心配性よね」
「まあね。それから、パチェ」
「?」
「私は身体が弱くて伏せってばかりで、まだまだ未熟なくせにお姉さんぶってる親友のことも心配で仕方ないんだけど?」

 肩をすくめて、すまし顔をしたレミリアは気取った言い方をしながら、ウインクをする。
 少しばかり照れくささを感じたパチュリーは顔を綻ばせながらも、あえてとぼけてみた。

「……誰のことかしら」
「パチェに決まってるじゃない。私の親友はあなたしかいないわ」
「私は未熟じゃないわ」
「なに、百年ちょっと、人間に毛が生えたくらいしか生きていないでしょ?私から見たらまだまだお子様よ」
「レミィにお子様扱いされるなんてね」
「これでも五百年生きてるんだから」

 偉いだろう、というように無い胸を張るレミリアは、どう見ても子どもそのもの。それを見たパチュリーは珍しく、声を立てて笑う。その姿もレミリアと同じように幼く、百年を生きた魔女とは思えない。
 それを見て、ふっと、大人びた笑みを浮かべたレミリアは、両手で固定したパチュリーの額にこつん、と自分の額をくっつける。

「あんまり無理して先輩ぶらないで、思ったこと言ったほうがいいよ」
「レミィ?」
「なんて。お節介かもしれないけど」
「……ううん。レミィの言う通りね」

 瞳を閉じたパチュリーは、安らいだ表情で静かに頷く。にやつくレミリアに感謝しながら、次にアリスが来た時にはきちんと話をしよう、と、パチュリーの見解を伝えて、パチュリーがどんなスタンスをとっているか、語ろう、と決意する。
 それを参考にするか否かは、アリス次第。この長い生の最初の山場を乗り越えられるかはアリス次第だ。
 それを手助けすることはできないし、してはいけない。しかし、あくまで先を歩く者として、お手本、あるいは参考例となることはできる。

「レミィ」
「パチェ?」
「ありがとう」
「いいわよ。それより、早く元気になってさ、また遊ぼうよ。いい加減退屈なのよ」
「善処するわ」

 お互いの顔を見つめあいながら、ふふ、と微笑みあう。
 パチュリーが疲れて眠りにつくその瞬間まで、二人きりの親友同士、そばを離れることなく笑いあった。





「本を借りに来たぜ」

 ガラスの割れる音、何かが爆発する音。
 図書館でいつものように安楽椅子に陣取り、分厚い魔道書の文字を辿っていたパチュリーは気だるげに顔をあげる。
 ちょうど三年ぶりに現れた侵入者は、かつてそうしていたように不敵に笑った。

 三つ編みにしていた金髪は何もいじらずおろしている状態で、白黒のワンピースはかつてのものよりずっとシンプルだった。伸びた身長は咲夜と同じくらいか。意外なスタイルの良さにパチュリーは内心嫉妬せざるを得ない。未だ、少女と呼ばれる年代ではあるものの、すっかり大人びた姿にかつてのあどけなさは見られない。
 しかし、少しよれた黒いとんがり帽子も、得意げに構えたミニ八卦炉も、左肩に担いだ古びた箒も。今の魔理沙はまぎれもなく、魔法使いだった。

「意外と長かったわね」

 ちょっとした仕草で、魔理沙に座るように促す。そうしてパチュリーは眼鏡を外して、しげしげと魔理沙を見つめた。
 今にも本に飛びついて行きそうな魔理沙は懐かしげに目を細めて、きょろきょろと本棚を眺めていたが、パチュリーの言葉にどこか照れくさそうに笑う。しかし、パチュリーから視線を反らすことはない。

「やれるとこまでやったからな」

 参った参ったというように苦笑いしながら、降参を示すようにひらひらと両手をあげる魔理沙。そんな魔理沙を見たパチュリーは唇の端をほんの一ミリにも満たないほどあげ、ふ、と鼻で笑う。
 その反応に不満げに唇を尖らせた魔理沙は、しかし、すぐにあっけらかんと笑いだした。やっぱりね、というように、呆れつつも楽しそうにパチュリーは無言で続きを求める。

「いやさ、もうほんとに辛かったんだ、魔法なしで生きるのは」
「そうね、魔法は便利だものね?」
「……分かってて言ってるだろ」

 少しばかり悪い笑顔のパチュリーに、魔理沙は、はあ、とため息をついた。
 しかし、語りたいことは山のようにあるのだ。一度、頭の中を整理するように新呼吸をすると、堰をきったように魔理沙は語り始める。

「そりゃ、魔法が使えないと不便だって言うのはあった。特に箒を使わないと知り合いにもろくに会いに行けやしないしさ」

「でも、それよりなにより、魔法と関わらずに生きるのは無理だった」

「魔道書を読みたかったし、何を見ても何をしてても魔法のことばっかし、考えてた。時々、アリスやなんかと会った時には、それこそ羨ましくて死にそうだった。どういう理論で、アリスが人形を動かしているのか知りたくて仕方がなかったしな。実際、妖怪連中に会った日はもう、一日中それしか考えられなかった」

「ほら、人里なんてほとんど本も出回ってないだろ?とにかく何からでもいいから知識が欲しくて、欲しくて仕方がなくてさ。もう、最近じゃ文の新聞まで一字一句間違えないで暗記するぐらい読み込んでたぐらいだ」

「私はもうどうしようもないぐらい魔法使いなんだよ」

 噛みしめるように語る魔理沙は愛おしげにミニ八卦炉を撫で、薄暗い図書館内にいるのにも関わらず眩しげに目を細めて、溢れんばかりの本を眺めた。
 黙ってその話を聞いていたパチュリーは、囁くようなかすれた声で、静かに答える。

「魔法使い、と言うのはそういう生き物よ。真理を探究すること、知識を得ること、新たな魔法を生み出すこと。ひたすら貪欲にそれを続けていくことが私たちの存在理由、原動力というべきかしら」

 うんうん、と神妙に頷く魔理沙は、この三年間でそれを嫌というほど実感した。
 そして、自分が骨の髄まで“魔法使い”だということを理解したのである。
 いかに自分が知識に対して貪欲か。日常生活の謎に対してでさえ、その原因を突き止めたくて仕方がなかった。ちょっとしたことでさえ、魔道理論に組み込めないか、無意識のうちに考えてしまう。
 しかし、魔法使いを辞めた、“人間”の魔理沙ではそれを追い求めることは叶わなかった。
 浴びるように本を読み、なりふり構わず研究に勤しむ。それがどんなに贅沢なことだったか、思い知らされた。
 魔理沙はもう耐えられないほど、知識に飢えていた。

「魔法に魅入られた者は、いえ、一度この世界に足を踏み入れたのなら、もう戻ることはできない。そういうことよ」

 淡々と語るパチュリーが、人里に帰ると宣言したときにもさして動揺していなかったことを、魔理沙は思い出した。
 最終的にこうなることを見透かされていたとすれば、何と悔しいことだろう。
 だが、それと同時に、こうして“魔法使い”に戻ったことをあっさりと受け入れられていることに素直に安堵も感じた。どんな表情をすればいいか分からない魔理沙は、とりあえず笑うことにした。

「だな。で、今日でちょうど3年目で区切りも良かったことだし、こうして魔法使いを再開しようと、そういうことだ」
「そう」
 
 魔理沙のその言葉に素っ気なく呟くパチュリーは再び本へと目を落とす。
 三年の月日が過ぎても相変わらずの態度に、なぜか嬉しくなった魔理沙は、大袈裟な身振りで両手を広げる。

「そんなわけでだな、今の私はハラペコなんだ。借りれるだけ、借りてくぜ?」
「好きにしたら?」

 あっさりとした物言いのパチュリーに、目を丸くする魔理沙。てっきり、常のごとく「持ってかないでー」とすがられ、弾幕ごっこのひとつやふたつすることになると思っていたのだが。
 魔理沙としては久しぶりに一戦交えるのを楽しみにしていたのだ。出鼻を挫かれ、つまらなさそうな顔をする。
 そんな魔理沙を見、パチュリーは苦笑する。

「勘違いしないでよ?別に持っていくのを許すつもりはないわ」
「だったら、一戦やろうぜ?」
「ここのところ喘息の調子が悪くてね。今は本を読みたいの」
 
 やれやれと言うように肩をすくめるパチュリーは、そのまま本に目を落とした。その言葉を聞いた魔理沙は少し考え、にわかに心配そうに眉をひそめる。

「そういえば、そうらしいな。もう、大丈夫なのか?」
「さあね。今日は機嫌がいいみたいだけど」
「お前なあ……」
「さっさと本選んできたら?そしたら、お茶ぐらい出させるわよ」
「おー」

 拍子抜けするほど、淡々とした反応に、調子を崩された魔理沙は、ちぇ、と呟いて手の中でミニ八卦炉を弄ぶ。もちろん、具合が悪くないのならそれに越したことはないのだが。
 そうして、本を選びに立ちあがろうとしたところで、魔理沙は不意に動きを止める。
不審げにそれを眺めるパチュリーの左隣の椅子を指差して、首を傾げた。

「そう言えば、アリスは?」
「今日は来てないわよ」
「なんだ。せっかく驚かせてやろうと思ったのに」
「残念だったわね。もう一週間以上、ここには来ていないわ」
「マジかよ」
「マジね」
「珍しいな、アリスが図書館に来ないなんて」
「そうなのよ」

 二人は何となに顔を見合せて、揃ってため息をつく。どうせなら、かつてのように3人揃っておしゃべりが出来たならよかったのに

 パチュリーは最後にアリスが見舞いに訪れた時のことを思い出す。そう言えば、あの時ずいぶん思い悩んでいる様子のアリスに息も絶え絶えで不親切なアドバイスをした。あの時は、こんなに早く魔理沙が戻ってくるとは思わなかったのだが。噂をすれば影、とはこのことだろうか。
 なんにせよ、アリスが悩んでいたことに思い至ったパチュリーはいつものじと目をいつも以上にじっとりさせて、魔理沙を睨む。

「ちょ、なんだよ」
「魔理沙のことで、かなり悩んでたのよ、アリス」
「へ?」
「貴女があんなに唐突に魔法使いを辞めるなんて言うから。あの後ずいぶん塞ぎこんでたわ」
「げ」
「ここ一年ぐらいは更にね。最後に会った時はかなり参ってた」

 さらりと、とるに足らないことのように言うパチュリーだが、その瞳には真摯な色が滲んでいる。僅かに魔理沙への非難を含んでいるのは、悩んでいるのを知っていたのにも関わらず、手助けをためらった自分への自責の念があるゆえ。
 魔理沙がそういうことを悩むのは、人間であるから、仕方がないことだ。それを責めるのはお門違いなのも十分分かってはいるのだが。

「うう。だ、だけどさぁ。最近さらに悩んでたってのは、私だけのせいじゃないぜ?」
「え?」

 ばりばりとうっとうしげに髪をかきあげた魔理沙は、パチュリーをじとっとにらみ返す。
 本当は言わない方がいいのかもしれないけどさ、と前置きをしてから、人里で最後にアリスと会ったときのことを思い出す。

「お前が寝込んでるのが、心配で夜も眠れないって言ってたからな、あいつ。かーなーり、不安そうだったしさ」
「嘘」
「嘘なんかつかないぜ、流石に今は。本当に何もしてあげられなくて、なんてせっかく会ったのにため息ばっかついてたし」

 信じられないことを聞いたというようにお互いに顔を見合せる、魔理沙とパチュリー。

 お互いの話から分かったのは、自分たちが思っていた以上にアリスを悩ませ、精神的に追い詰めていたのではないか、ということだった。
 そして、それはそのまま、アリスが図書館に訪れない理由につながってしまうように感じられた。

「なあ、パチュリー」
「言わないで、魔理沙」
「だが断る。アリスは今何をしていると思う?」
「最近は永遠亭とか、博麗神社とかにもよく顔を出していたみたいだけど」
「そりゃそうだ。だけど、落ち込んだアリスがよそに遊びに行ったりするだろうか?」
「どちらかと言えば、家の中で陰々滅滅カビが生えそうなぐらい悩んでいるタイプね」
「だな」

 うんうん、と頷き合う二人。しかし、どこか軽い口調とは裏腹に、その表情はやや、青ざめ、冷や汗をかいた強張ったもので。
 不意に訪れる、沈黙。
 お互いに頭の中を高速回転させて、取るべき手段を、最善の策を、考える。

 がたり、と。
 大きな音を立てて、二人は腰かけていた椅子から立ち上がる。

「あら、魔理沙。本を読みにきたんじゃなかった?」
「ちょっと急用ができたんだ。パチュリーこそ、その本読みかけじゃないか」

 髪の毛を抑えながら、帽子を深く被りなおした魔理沙は八卦炉をポケットにしまいこむ。
 パチュリーは近くに置いていた本を胸に抱いて、静かに瞳を閉じる。そうして口の中で呟くように唱えるのは風の精霊の詠唱魔法。
 刹那、かすかに光をまとったパチュリーの身体がふわりと宙へ浮かぶ。

「おいおい、身体に障るぜ、病弱魔女め」
「未熟な人間魔法使いには言われたくないわ」

 まくれ上がったスカートをさっと直しながら、箒に跨った魔理沙がからかうように笑えば、それに答えるようにパチュリーもまた挑戦的な笑みを浮かべる。

「確かに未熟で、くだらないことでぐだぐだ悩んだりするけどさ」
「できることなら病み上がりらしく大人しくしていたいわよ」

 強い意志をみなぎらせた瞳で、口の端をにやりとあげて。
 一度だけ顔を見合わせた二人は、揃って飛び立った。
 向かうべき場所はただ一つ。

「やるべきことぐらいは分かってるんだぜ?」
「まったく世話が焼けるったら」





 換えたばかりの青い畳から、井草のいい香りがする。
 庭からはさらさらと、笹が揺れる音、かぽん、と軽快で趣のあるしし落としの音が耳に心地よい。
 その庭にいくつも並ぶ盆栽は、ぱっと見は同じように見えるけれど、それぞれがそれぞれの味を持ち、違う世界を形作っている。
 埃ひとつ落ちていないほど徹底的に掃除のなされた純和風の和室、鈍い朱色の織物のカバーの掛けられた座布団に腰かけたアリスは、まるで別世界に来たような錯覚に陥る。

「はい、粗茶ですが」
「ありがと、輝夜」

 ぼんやりと風景を眺めていると、屋敷の主である蓬莱山輝夜がにっこりとほほ笑みながら、アリスにお茶を差し出していた。
 残念ながら、そちら方面の知識に乏しいアリスには分からないが、名のある職人によって作られたと思しき湯呑みはすべてを包み込むような深い藍色をしていて、白抜きで一輪花が咲いている。
 アリスの正面に座った輝夜は自らの紅色の湯呑みにもお茶を注ぎ、アリスが持参したクッキーを口へと運ぶ。

「美味しい」
「よかった」

 幸せそうに顔を綻ばせる輝夜に、作って来たかいがあった、と思う反面、考えないようにしていた誰かの笑顔が被ってしまう。それを振り払うように頭を振る。
 不審そうにそれを眺めていた輝夜は、すっかり癖となってしまった胸の前で両手を合わせる仕草をしながら首を傾げた。

「もう、アリスったら。どうしちゃったの?」
「……ちょっといろいろ。それよりずいぶん楽しそうね?」
「久しぶりにアリスに会えてすっごく嬉しいんですもの」

 アリスの悩みなど露知らず、無邪気に笑う輝夜を見ていると、なぜか安心する。

 今日、アリスが永遠亭を訪れたのは、胡蝶夢丸を永琳に処方してもらうためだった。
 最近はずいぶん塞ぎこんでいたため、一週間ぶりの外出に少しだけ緊張した。本当ならば、今日とて外に出ることはしたくなかったけれど、薬がなければ、眠れないどころか嫌な夢ばかり見てしまう。

 そこで、永遠亭を訪れることにしたのである。予定では永琳から薬を受け取った時点ですぐに帰ろうと思っていたのだが、永琳たっての願いでこうして輝夜とお茶を飲んでいくことになった。
 気が進まなかったけれど、こうして輝夜と話してみれば、それも悪くなかったような気がした。

「アリス、最近、悩んでるらしいじゃない」
「え?」

 だから、輝夜がそう尋ねてきたときに、アリスは間抜けな声を漏らしてしまった。

「永琳が配してたわよ?最近、胡蝶夢丸を使い過ぎていないかって」
「そんなこと……」
「だから、ねぇ、アリス。悩みがあるならどーんと打ち明けてちょうだい」

 両手を大きく広げて、首を傾げる輝夜はどこまで分かっているのか、いつも通りの能天気で、その割に上品さを失わない笑みを浮かべる。

「でも……」
「どーんと、どーんとよ、アリス。何があっても金閣寺の一枚天井みたいに受け止めてあげる」

 深刻さをかけらも感じさせない言いっぷりに、思わずアリスは笑ってしまう。
 しかし、輝夜は真剣に言っていたのか、その反応に先ほどまでの自信ありげな様子はどこへやら、おろおろと視線を彷徨わせる。左右に首を傾げては、長い黒髪が揺れる。

「アリス、何で笑うの?」
「だ、だって……」

 笑いの渦に飲み込まれたアリスが、落ち着くまでにはしばしの時間を要した。
 久しぶりに笑ったおかげか、ドロドロした気持ちは少しばかりどこかへ流れていって。
 笑いがおさまると、アリスは小さな声で、そっとここのところの悩みを輝夜に打ち明けたのだった。

「えーと……、つまり、アリスは将来一人ぼっちになるのが、怖いってことでいいのかしら」
「……うん。っていうか、どっちかっていうと、将来親しい人が、一人ずついなくなっていくのが怖いの」
 
 ぽつりぽつり、取りとめもなく、整合性もなく思いのたけを打ち明けられたアリスの話を頭の中で整理していたのか、語り終えた後、しばらく黙っていた輝夜は口を開く。
 心のなかにわだかまっていたものを一度語り終えたアリスは、ランナーズハイのような状態なのか、不思議とすっきりとした気持ちでそれに答える。

「まあ、その系統の悩みについては突き詰めれば蓬莱人の最大の課題よね」
「う。ごめん……」
「ああ、いいのよ。気にしないで」

 いつか必ず死を迎える、誰かを置き去りにするアリスとは異なり、蓬莱人は必然的に最後に取り残されることが確定している。それから逃れることは叶わない。
 考えてみれば、こんなことを輝夜に相談したのは、とても申し訳ないことだったのではないだろうか。輝夜を傷つけてしまったのではないだろうか。
 そう思うと、アリスはいたたまれない気持ちになる。

 そんなしょげかえったアリスの様子を、お茶をすすりながら一瞥した輝夜は、くすくすと笑い声を洩らす。

「別に気にしなくてもいいのに」
「でも……」
「まあ、その件に関しては、私も永琳もあの子もまだ結論を出せてはいないんだけどね」
「そう、よねえ」

 ふう、っと息を吐くアリスは、心のどこかで輝夜に答えをもらえることを期待していたことに気付く。

「だけど、これだけは言えると思うのよ」
「輝夜?」
「もしも、みんなみんなアリスより先にいなくなってしまったとしても、私たちはここにいるから。アリスは一人ぼっちにはならないわ」

 にっこりと笑って、慰めるようにアリスの髪を撫でる。

「それにね、アリスがそのあといなくなっても、私は一人にはならないの。永琳とあの子がいるから、だから誰も一人ぼっちにはならないのよ」
「うん……」

 上質なお香のようにふわりと優しい輝夜の声は、アリスの中に自然にしみいってくる。乾いた土が一滴の雫を吸収するように、かさついた胸の奥が潤っていく。

「それから、もう一つ。長い時を生きる上で一番大切なこと」
「一番、大切なこと?」
「私がそう思ってるだけなんだけどね。でも、的外れではないと思うわ」

 こほん、と一度咳ばらいをすると、輝夜はほのかに微笑みながら、優しい眼差しでアリスを見つめる。

「今を大切になさい、アリス。きっといつか一人にされてもそのことを思い出せれば、寂しくないから」

「今?」

「ええ。だってそうでしょう?いつか一人になるのが怖いからって、折角一緒にいられる今を無駄に消費するのはもったいないわ」

 胸の前で手を合わせて、大切な何かを心に思い浮かべているかのように瞳を閉じる。切なさや寂しさではなく、失われた何かを慈しんでいるような、そんな表情だった。

 まだ、アリスにはどうすれば、その域に至れるかは分からない。
 しかし、幸せそうに微笑む輝夜の姿を見ていると、悩んで凝り固まっていた心が少しずつ溶けていくのを感じた。

 ああ、なんだ。それでよかったのか。




「アリス!返事しろってば、アリス!」
「アリス、いるのなら……っげほ、げほっ」

 魔法の森。普通の魔法使いと七曜の魔女は、アリスの家の前で立ち尽くしていた。
 図書館から一直線にアリスの家に飛んできたはいいけれど、どんなに呼び鈴を押しても、名前を呼んでも、ノックをしても出てこない。
 強く扉を叩き、大声でアリスの名前を繰り返す魔理沙。同じように声を荒げたパチュリーは噎せこんでしまう。
 しかし、待てど暮らせど、何をしようとも、扉の向こうからは音沙汰もない。
 もとより悪い事態を想像してここまでやってきた二人を、それはさらに焦らせる。

「アリス!出て来いよ!」
「はあ、はっ、げほっ、アリス……!」

 崩れ落ちるパチュリーを支えながら、魔理沙はひたすらアリスを呼ぶ。
 それでも返事はない。

「アリス……」

 次第にかすれていく声で、魔理沙は感情が高ぶりすぎて、嗚咽が漏れるのを止めることができなかった。目の端にほんの少しだけ涙を滲ませて、それでも声を張り上げる。

「あーもーっ、アリスの馬鹿!」
「ちょ、っと、ま、魔理沙?」

 突然罵声を吐き始めた魔理沙をぎょっとしたように目を見開いて見上げるパチュリー。
落ち込んでいる相手に何を言うつもりなのか。


「せっかく、せっかく、私が戻ってきたのになんで、何で出てきてくれないんだよ!」

「そりゃ、心配かけたし、寂しい思いもさせたかもしれないけどさ……。でも、私は、私だって、ずっと寂しかったんだからな!」

「なあ、アリス。私はさあ、また三人で一緒にいたいんだよ。あの頃みたいに」

「もう戻れないのか?私はアリスとパチュリーと三人で過ごすのが最高に楽しかった、最高に嬉しかった」


「私はまた、二人のそばにいたい!」


 ぽろぽろと透明な雫を流しながら叫んだ魔理沙は、うう、と唸ると顔を覆って座り込んでしまう。もうほとんど大人だというのに肩を震わせて、涙を流し続ける魔理沙はまるで子供のようで、パチュリーはどうしたらいいか分からない。
 あの時、ちゃんと私が言っていれば。
 胸に迫りくる後悔はとめどなく、荒い呼吸を繰り返すことしかできない。

「魔理沙、泣かないで」

 不意に後ろからかけられた透きとおった声。
 少しだけ気取った感じのするその声の主を、魔理沙とパチュリーは知っている。
 揃って顔をあげ、勢いよく振り返れば、そこにいたのは。

 アリス・マーガトロイド。
 突然の事態に戸惑っているのか、困ったように人差し指で頬をかき、ひきつった微笑みを浮かべている。
 しかし、潤んだ瞳は赤く充血しているし、鼻の頭も赤く色づいている。

「ごめん、その、ちょっと出かけてて。帰ってきたら、二人が家の前にいたからびっくりして」

 目を伏せて、ごにょごにょと口の中だけで呟くアリスは、耳まで紅潮させている。
 喜びと恥ずかしさと、他にも何かいろいろなものがこみ上げて、どれ一つとして表現できないままに呟く。

「もっと早く声をかければ、よかったんだけど。魔理沙が、その……うん。なんていうか」
「アリス!」

 口ごもるアリスを見た魔理沙は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で鋭く一度アリスを呼ぶ。ぜーぜー、と苦しげに呼吸を繰り返すパチュリーもよろよろと、しかし、しっかりとした瞳でアリスを見つめている。

 アリスは乾いた唇を舐めて、ごくりと息を飲む。
 言いたいことはたくさんある。話したいこともたくさんある。
 だけど、今言うべきことは、ただ一つのみ。

「……私も、私もまた三人で一緒にいたい」

 一度裏返って変な声になってしまったけれど、口に出したその言葉は、アリスがずっと望んでいたことで。するりと滑り出した言葉が今までせき止めていたすべてがあふれ出した。

 感極まった様子の魔理沙はもはや何も言うことなく、そのままの勢いでアリスに抱きついた。ぎゅうぎゅうと押しつけられた身体はアリスよりも大きくて苦しかったけれど、それもまた心地よかった。肩越しに座り込んだままのパチュリーが小さく笑うのを見て、アリスも微笑み返す。

 ずっと求めていた瞬間。
 もうなにもいらない。



「で?」
「うん?」

 泣いたり笑ったり、思う存分に感情を爆発させた後、落ち着いた三人は、とりあえずアリスの家の中に移動した。
 そうして、ようやくひと心地ついた頃、パチュリーは問う。少しでも呼吸が楽になるようにと二人掛けのソファに寝そべるような状態で、向かいに座る魔理沙を見上げている。

「結局、あなたはこちら側に来るのかしら?」

 こちら側。すなわち、人ではなく妖怪として生きることを決めたのかということを問いかける。少なくとも、人として生きることはできないと悟ったはずなのだが。
 それは、ここ最近のアリスの悩みとも密接にかかわることで。ホットミルクの入ったマグカップを包み込むようにして持っていたアリスは身構える。

「ああ、それはさ」
「それは?」
「それは?」

「まだ、決めてない」

 とんがり帽子を脱いで、へらっと笑う魔理沙に拍子抜けてしまう。

「やー、だってさ。こう大人にならなきゃ分からないことだってあったしさ。人里で暮らしてみて発見したこともあった」
「発見?」
「どれだけ私が魔法を愛しているか、とか。お前らといるのがどんだけ楽しかったか、とかな」

 ちょっと照れくさそうに鼻の下をこする魔理沙はどこか遠い目をして、言葉を紡いでいく。パチュリーは瞳を閉じて、それに聞き入り、アリスも黙ってホットミルクをすする。

「子供のままじゃ分んないこともあるし、人間らしく成長して老いて、おばあちゃんになるのも悪くない。でも、魔法使いもやめたくない、ってかやめられないしな」

「だから、できるだけ人間のまま、魔法使いを貫きつつ、最終的には種族魔法使いになる方向性でいこうかと思うんだ。つーか、お前らはやたらと早いけど、普通捨虫の術を使えるようになるまでにおばあちゃんになっちゃうのが普通じゃないか」

「だから、私は普通の魔法使いらしく、一生かけて考えるさ」

 それは人間のいいところも、魔法使いのいいところも両方味わおうとする贅沢な結論。
 パチュリーは呆れたようにため息をつき、アリスもじと目で魔理沙を見つめる。

「本当に欲張りね」
「優柔不断でしょ、どっちかっていうと」

「貪欲なんだよ、魔法使いだからな」

 にい、と不敵に笑う魔理沙はかつてのように輝きを放っていて。
 顔を見合わせたアリスとパチュリーは肩の力を抜いて、笑顔になる。

「さて、と。今日、夕食食べてくでしょ?何がいい?」
「おお!アリスのごはん、久しぶりだ!」
「そうね、フロマージュが食べたいわ」
「パチュリー、それはデザートだから」
「食べたいの」
「はいはい。魔理沙は?」
「シチューがいい!」

 他愛もない、会話。
 取り立てて飾り立てることもない、普通の会話。
 三年の時を超えて、尚、変わらない。そのことが嬉しくて楽しくて。
 三人は心の底から湧き出てくるしあわせをそれぞれに噛みしめていた。
お読みいただきありがとうございます。ほんの僅かでも楽しんでいただければ幸いです。
やたらと長くてすいません。プチなのに。
本作は拙作「大人になること」と微妙に連動していたり、していなかったりします。


前作等へのコメントありがとうございます。
本当に感謝しています。

4月4日
誤字修正しました。
Peko
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
登場キャラ、とくに魔理沙のらしさが出ていて、読んでいてとても楽しめました。三魔女はよいものだ。
2.名前が無い程度の能力削除
アリスに感情移入しながら読んでいると、輝夜の穏やかな雰囲気がすごく心地よく感じますね。
描写力が秀逸だと思いました。
3.名前が無い程度の能力削除
三魔女はいいものだ
さて、お腹もいっぱいになったことだし点数を多めに……

なん…だと…
4.名前が無い程度の能力削除
メンタルが弱いアリス可愛いよ。ちゃんと行動できる魔理沙、パチュリーもいいしかっこいい輝夜も良かったです。
5.名前が無い程度の能力削除
凄くいい!
つ 100点
6.奇声を発する程度の能力削除
未来のことなんて分かりはしない!
だから、今をこの瞬間を大切に!!!!
物凄い良いお話でした!!つ100点
7.名前が無い程度の能力削除
いかにも魔理沙らしい葛藤と解決法だなあと
聖☆お姉さんみたいに、おばあちゃんになっても若返って魔砲使いになれるわけだし最善だよなあ

しかしこのアリス、メンタル弱すぎて魔法使いに向いていねえwww
8.名前が無い程度の能力削除
やっぱこの三人は親友なんだね。
三人のドロドロしたのより全然いい。面白かった。
でも点数がつけられないのか……くやしいゼ
9.名前が無い程度の能力削除
ラスト辺りで、100点にしようかな~
とか考えてたらプチでしたww
びば☆三魔女!!
10.名前が無い程度の能力削除
百点入れようと思ったらプチだった
輝夜の仕草がなぜか脳内再生されたw
11.名前が無い程度の能力削除
輝夜の、「私たちはここにいるから」のくだりが、妙に胸に響きました…。
うん、すごくよかったです!

喘息の調子が悪い、って表現に少し違和感があったような…いや、別におかしくないのか?
12.名前が無い程度の能力削除
3魔女はいいですね

ただし金閣寺、お前は帰れ
13.名前が無い程度の能力削除
実に面白かったです。
魔法使いとして三者三様ながら、互いを必要としているのがびんびんと伝わってもう。
14.名前が無い程度の能力削除
三魔女と輝夜、登場人物の誰もが素晴らしく、みんながキラキラしていました。
この件がきっかけでアリスと輝夜の仲が良くなり、永遠亭に足繁く通うようになったアリスにニ魔女がやきもきしたりしてw
15.名前が無い程度の能力削除
お泊り会の後書きはこの期間のことだったんですね!

…そうですよね?
16.名前が無い程度の能力削除
この魔理沙はきっとどんどん強くなる。頼れる先輩方もいるしね。
永い時を生きようと、この瞬間は今しかねえよな。
三年越しの三魔女の再会の物語、素晴らしいお話でした。
17.名前が無い程度の能力削除
すっかり話にはまりこんで、コメントを見てびっくり。そういえばプチだった
軽薄な女同士の恋愛もどきじゃない、熱い友情を感じた
アリスと輝夜のやりとりも良かったなぁ。3人の魔女たちだけでなく、登場キャラクターが皆魅力的だった。
18.名前が無い程度の能力削除
つ100
金閣寺
つ10
19.名前が無い程度の能力削除
あなたの三魔女は最高です。