河童から貰った、ラジオからの音楽に耳をすませ、私の朝は始まった。目を空けると、空からは眩しい太陽の光が、図書館の播き上がった埃をちらちらと照らしている。普段は目に出来ないが、こうして光を当てられることで、いかに自分たちの周りには数多の埃が漂っていて、呼吸をするたびに一万とも二万とも知れぬ有害物質を身体に取り込んでいる事が分かる。
だから、喘息がなかなか治らないのかもしれない。
「パチュリー様、おはようございます」
右側から司書の小悪魔の声が聞こえた。私に気を使っているのか、その声は丁寧でつつましやかな音量だった。
「ごめんなさい。昨日の晩に、本を読んだまま寝ていたみたいね」
私は年季の入ったロッキングチェアーにもたれたまま眠っていた。膝には読みかけの本がだらしなく開かれており、まるで私の膝を独占しているかのような格好になっている。小さな机の上には飲みかけの紅茶と、昨日の晩から流れ続けていたであろう、古いラジオが置かれている。
「はあい、おはよう。幻想郷天狗局がお届けする、朝のニュースだよ」
ラジオからは呑気な声で、呑気なニュースを流す天狗の声がする。私はラジオにそっと手をかけ、電源を落とす。
「熱い紅茶をお持ちいたしましょうか」
「お願いするわ」
小悪魔がにこりと笑って、飲みかけの紅茶を下げる。私は小さな溜め息を一つして、ロッキングチェアーから下りる。膝が少しだけ固くなって、動きにくかった。
「今日も来るのかしら……」
数少ない窓から差し込む朝日に目を凝らす。耳を澄ますと、雀の泣き声が聞こえた。どうやら今日は最高に過ごしやすい一日になりそうだった。
指を鳴らす。その瞬間に、窓が勢いよく開いた。近くに留まっていた鳥たちが驚いて空へと飛んでいった。
少しだけ冷たい空気が、図書館を覆う。水が土の中を進んでいくように、ゆっくりとしていた。
こんな日は、あいつがよく来る。
私の胸には、期待が渦巻いていた。そして、その期待に呆れている自分もいた。
馬鹿ね。私は。黒いカラスは、決して白くはなれない。
「……」
空を見上げる。それ以外にやるべき事は見つからなかった。
一時間後に、魔理沙がやってきた。
やっぱりきた、と私は心の中で思った。
別に特別な事でも何でもない。こんなよく晴れた日には、魔理沙はよく図書館へ来る。本を盗らない事と私の研究の邪魔をしない限り、魔理沙には何も言わない事にした。
「お邪魔します」
魔理沙は虹色のような笑顔をして、図書館に侵入する。挨拶をしてくれるだけ、まだましだろうか。
「今日は美鈴にばれなかったのね」
「おかげで静かに侵入できたぜ」
魔理沙は私の側に合ったラジオの電源を入れた。ラジオからはどこかの河童が作った商品の宣伝が流れた。
「今日も本を読ませてもらうよ」
「傷つけないように、ね」
とことこと小走りで魔理沙は本棚へと向かう。そのたびに、足元から埃が舞い上がった。
私はその後ろ姿を見て、溜め息を一つした。
なぜ、魔理沙を好きになったのだろうか。
それに気がついた時には、もう、時間が経ちすぎていた。
今さら、というべきか。
それはちょうど一か月前、椅子にもたれて寝ていた魔理沙を見かけた時だった。
夜。新月の夜。空は星の瞬きで埋め尽くされていた。静かな夜。風も無く、聞えるのは自分の足音と魔理沙の寝息だけ。
ロウソクの明かりの下で、魔理沙は子どものように、無防備で寝ていた。私が毛布をかけると、頭を反対側に向けた。
きっかけはそんな事だった。その時に、私は魔理沙が好きだと自覚した。
なぜ、そう思ったかは分からない。それまでは、魔理沙は図書館に現れる、自己中心的な魔法使いという印象でしかなかった。ただ嫌いではなかった。会えば普通に話もするし、どちらかと言うと、私との気もあった。
その感情は、たぶん長い時間をかけて積み上げられたもので、暗闇に一瞬光る流れ星のような感情ではなかった。
友人として好きだった。それ以上は無いと思っていた。
魔理沙が好きだと気がついても、ときめきや心臓の高鳴り、なんてものは微塵もなかった。
地面に咲く名も知らぬ花を見て、こんなところに美しい花があったのだ、と気がつくようなものだった。
後にも先にも、魔理沙を好きだと思った事はその時以外は無い。
ただ、膝に出来たかさぶたが痒くなるように、ふとした時にその気持ちがむくむくと膨れ上がり、私をぼうっと呆けさせてしまう。
「パチュリー、今日は何だか元気が無いな」
魔理沙が本棚越しに、声をかけて来た。
「昨日、椅子に座ったまま寝てたのよ。おかげで身体のあちこちが痛くてしょうがない」
「ああ、分かる分かる。机にうつぶせたまま寝たり、夏なんか、フローリングのひんやりとした床で寝た時は最高に目覚めが悪いんだ」
「そんな事をしているから、風邪とか引くんじゃない?」
「そうかも。こたつと一緒だよ。ここにはこたつが無いけどな」
そう言いながら、何冊かの本を抱えて魔理沙は私の目の前に座る。そして、楽しそうな様子で本を広げる。
金髪の、少しだけ癖のある髪が揺れる。
そのまま、二人して黙った。
私は興味がなさそうに、けれど、魔理沙の微かな変化を見ていた。
「紅茶をお持ちいたしました」
小悪魔が帰ってくる。小悪魔は魔理沙を見ると少し驚いた。
「あら、ではもう一杯紅茶を用意いたしますね」
「待って、小悪魔。魔理沙の紅茶は今持ってきたやつでいいわ。それより、私はコーヒーが飲みたくなったから、コーヒーをお願い」
「……はい」
小悪魔が一瞬、不思議そうな顔をした。それはそのはずだ。私は普段はコーヒーなど滅多に頼まない。
魔理沙も本から顔をあげて、尋ねる。
「コーヒーなんて珍しいな。本当に、何かあったのか?」
「別に。ただ、朝から頭がぼうっとして働かないのよ」
少しだけ、嘘をついた。確かに今朝は、頭が働かない。だからと言って、馴れないコーヒーを飲むほどではない。
ではなぜ。
なんでだろうか、と私は考えた。たぶん下らない理由に違いないだろうけど、と頭のどこかで声が聞こえた。
しんと静まり返った図書館に、本をめくる音が響く。紙の擦れる、小さな音。
小悪魔がコーヒーを運んでくる。
「どうぞ」
「ありがとう」
魔理沙は、もう顔も上げなかった。
魔理沙は、別に好きな人がいる、と思う。そんな事をほのめかしていたからだ。
本に目を落とす魔理沙の横顔を、私はじっと見つめる。
魔理沙。あなたのその視線の先には誰が居るのでしょうか。
その黒い瞳には、誰が真ん中に映っているのか。私は、あなたの背景でしかないの
しょうか。
服についた綿ぼこりのようなこの気持ちに名前など無い。
けれど魔理沙がつけているその香水は、私の甘い記憶を刺激した。
自分の気持ちに気が付いた、あの夜。
あなたは今と同じ香水をつけていた。
せめて、私のためであってほしい。そう望むのは、我儘だろう。知っている。
いつかこの気持ちも、雪が水になる様に溶けて流れてしまう。それまで、私は我慢しよう。いつかきっと、心の底から笑って魔理沙に好きだと言えるその日まで。
それが、友人である私の立場。
私が今の気持ちを伝えたところで、魔理沙は幸せにはなれないから。
今は魔理沙の好きなように。
私はただただ、外側から見ていればいい。
コーヒーの湯気に溶け込むように、そっと目を閉じてカップに口をつける。
「……苦い」
なんてね。嘘。
馴れないコーヒーの香りは、相容れない自分の気持ちを混ぜたように思えるほど、苦かった。
ミスチーなら泣き声の可能性もw
素敵な作品でした
これで、魔理沙が見ている先が霊夢なら完璧なんだが。
小→パ→魔→霊
一方通行の連鎖がマイジャスティス
これは魔理沙とくっつくより振られたパターンが見たいな