紅魔館の魔女、パチュリー・ノーレッジは、書斎の扉を開いたところで固まった。
何故か。
パチュリー待望の鼠対策が今、彼女の眼前にいるからだ。
『ある』ではなく、『いる』。
生ものであった。
‘ミャァ‘
有体に言うと猫だった。
白と黒の毛が半々のぶち猫。
加えて、鳴き声の高さ及び体格から、子猫だと判断できる。
‘ミャ……?‘
注がれる視線に気づいたのだろう。
子猫がひょいと頭を上げる。
たどたどしい動作。
同時、一匹とヒトリは声を上げた。
‘フギャァァァッ!‘
「小悪魔、小悪魔ぁぁぁぁ!」
それはもう、図書館にあるまじき声量だったと言う。
「あぁー……はい、ご両名ともとりあえず落ち着いて、落ち着いてくださいな。
えぇと、此方の方は当図書館の主、パチュリー様と申します。
で、パチュリー様、この方は、猫さんです」
大絶叫を聞きつけ片腕に数冊の本を抱えて文字通り飛んできた従者の小悪魔を、しかしパチュリーは睨みつけた。
「あやす様な言い方をするなんて失礼ね。
私は落ち着いている――その証拠に今の発言に関して二つ指摘してあげるわ。
一つ、猫に謙譲語って貴女、何考えているのよ。一つ、そんなこと、見ればわかる」
自身から遠ざかり小悪魔の脚にすがりつく子猫を視界の隅に入れつつ、パチュリーは続ける。
「いいえ、貴女が言う通り、少しは動揺しているかもしれない。
でも、当然でしょう。悪魔の館の地下、この図書館に猫がいるなんて誰が思って?
ともかく、指摘をもう一つ追加するわ――そも、貴女は猫に話しかけてどうするつもりなの?」
返答は、差し出される本とともに告げられた。
「わかりました、確かに仰るとおりですパチュリー様。では、此方を抱いてください」
「本の近くにいるのが私、あぁ安らぐ――って、わかっていないじゃない!」
「そんなむきゅむきゅされた状態で仰られても説得力がありません」
むきゅー!
遂に‘知識の魔女‘は理論的な言語によるやり取りを放棄した。あかんやん。
「順に説明いたしますので‘日符‘を取り出すのは勘弁してください」
言いつつも空いている片手で子猫を抱きあげ防御陣を展開する小悪魔に、パチュリーは動きを止める。
「スペルカードはともかく、よく‘日符‘って解ったわね」
「『月符の効きが悪い』と仰っていたじゃないですか」
「貴女の前で言ってったっけ……?」
首を捻るパチュリーに空咳が打たれた。
出所はもちろんのこと、小悪魔だ。
子猫を撫でながら、口を開く。
パチュリーの半眼はしっかりと受け止められていた。
「まず、猫さんに対する言葉遣い。
なんてことはなく、この方が来館者だからです。
お客様に謙るのはサービス業として当たり前ではないでしょうか」
ならば自分もそうするべきなのか。
浮かんだ意地の悪い質問をすぐに打ち消す。
この従者のこと、どうせ小賢しく言い逃れするのだから――そう、パチュリーは思った。
胸にはきっちり本が抱かれている。
一拍を置いてから、小悪魔が続けた。
「二つ目、『見ればわかる』は、まぁ確かに。
ですけれど、一概にそうとは言い切れないのです。
パチュリー様、先ほどお渡しした本のタイトルをご確認ください」
確認するまでもない。
自身、数度手に取ったことがあったからだ。
成果は上々――思いかけ、パチュリーは二三度首を小さく横に振った。
その題は、『賢い部下の育て方』。
「……あ」
顔を上げるパチュリーに、小悪魔が頷く。
「見るだけでなく感じればお解りになられたのです
何を?――猫さんに宿る僅かばかりの妖力を、ですね。
……普段のパチュリー様であれば見ただけでお解りになられたのでしょうが」
だから、落ち着けと繰り返した――微苦笑を浮かべる小悪魔の顔から、パチュリーはそう読みとった。
「もうお気づきになられたでしょう。
此方の猫さんは、‘化け猫‘橙さんのしもべをされているのです。
ですので、人語もある程度なら解されるという訳です。……ゆっくりと話せば、ですけどね」
同意を示すように、子猫が一つ、鳴いた。
パチュリーが書斎に籠っていたその間。
橙がしもべを連れ図書館にやってきていた。
探していたものは、件の題の通り、しもべを教育する類の本。
聞けば簡単な話だ。
額を押さえて溜息をつくパチュリー。
そもそも獣を館内に入れるなと思わないでもなかったが、前例があるだけに口には出さなかった。
鴉とか鼠とか。
「って、結局、橙は借りていかなかったの?」
‘ミャ? ニャーニャ‘
「おいこら」
眼前にいなければ本物の猫と錯覚するほどの鳴き声で応えた小悪魔に、パチュリーは半眼を向ける。
良いとは言えない文句は鼠の口調がうつった所為だ。
無論、今ここにはいない、白黒の。
「……と、今のはパチュリー様にお応えした訳ではありませんよ」
けれど、返された声は変わらず落ち着き払っていたものであった。
「じゃあなに、猫に返したとでも?」
「はいな。『しもべじゃないもん』とのことでしたので」
「貴女、何時から猫の言葉なんて……あぁ、うん、いい、言わなくていい」
そーいやそうだった、と再び額に手を当てるパチュリー。
「ウチの小悪魔、日本語英語は言うに及ばず、鴉とでも話せるのよね……」
誰に言っているのか。
「いえ、元々、悪魔と猫は相性がいいと言われていますし」
「そんなの魔女だって言われているわ」
「いやまぁ」
種族としての相性はともかく、確かに子猫は小悪魔にべったりだ。
時折あげられる鳴き声は構うことを催促しているのだろうか。
微笑を向け優しく撫でている己が従者に、パチュリーはそう推測した。
「――橙さんですけどね。お貸ししたのは其方の前段階と言いますか、ご自身の啓発書です」
手を止め、小悪魔が先ほどの問いに応える。
「『威厳を得るためには』とか、そんなの?」
「ええ……そんなうろんげな顔をしないでくださいよ」
「本を読むのはいいけど、そも格好の教材が傍にいるじゃない」
「ご主人様の見ていない所で頑張りたいんでしょう」
「主の心しもべ知らず、ね」
微苦笑を浮かべる小悪魔に、パチュリーは肩を竦めた。
‘ミャア‘と子猫が一つ鳴く。
解しようと試みたパチュリーだったが、頭を振り、すぐに止めた。
自身に猫の機微など解る訳がないし、その必要もない。
代わりに一連の出来事の締めくくりを尋ねる。
無論、小悪魔に向かってだ。
「それで――ソレはなんで此処に残っているの?」
「忘れてしまっていたようですね」
「駄目じゃない」
鳴く子猫。
同意の響きを得たとパチュリーは思った。
その割には小さいなりで精いっぱい睨んできている気もするが。
‘ナァォ? ミャァゥ‘
表情はそのままで小悪魔も数度鳴き、幾つかの会話と思しきものが続けられた。
「『駄目じゃない』とのことです」
「一丁前に口答えしてくるのね、ソレ」
「指示語はお止めくださいな。此方の猫さんのお名前は――」
首を横に振るパチュリー。
‘知識の魔女‘と言えど、無尽蔵に詰め込むものでもない。
館内の妖精ならいざ知らず、式の式のしもべ候補の名を覚え、何になろうか。
ともかく、と区切りをつけ、パチュリーは問う。
「ウチは託児所じゃないのよ。何時引き取りに来てくれるのかしら」
「さぁ……博麗神社に寄ってから帰ると、橙さんは」
「気付けばいいのだけれど……」
期待する発言はけれど、難しいだろうと言外に伝わる口ぶりだ。
パチュリーの後、合わせたように子猫も鳴いた。
小悪魔が曖昧な微苦笑を浮かべる。
訂正がないということは、今度こそ同意だったのだろう。
「まぁいいわ。そろそろ鼠が来る頃だから、手ひどく可愛がられないようにね」
「や、解っているなら対策を……あぁ、白黒の、ですか」
「アリスも来るのよ!」
お嬉しそうに――揶揄とも取れる呟きに、しかしパチュリーは言葉を返さなかった。
唐突に頭を下げられ、抱いていた本が抜き取られたからだ。
加えて、子猫が手渡される。
‘ミ? フギャ、フギャ!‘
抱いた矢先に不満げな鳴き声があげられた。
「か、可愛げのない……! じゃなくて、小悪魔!?」
子猫から視線を外し顔を上げたパチュリーの瞳に映るのは、小悪魔の背中。
「本を戻してこようかと。
それと、飲食物のご用意ですね。
ご両名とも、暫しお待ちくださいな」
言い終えるとほぼ同時、小悪魔の姿はパチュリーの視界から消えるのだった。
「単に廊下を曲がっただけなんだけど……妙に手際が良いわね」
残されたパチュリーが、ぽつりと呟く。
‘ナァン‘
胸元から聞こえる鳴き声は、同意と、他に憧憬の念を感じさせるものであった。
さて――首を捻るパチュリー――どうしよう。
子猫を下ろし書斎に戻る。
浮かんだ選択を頭で転がし、結局、却下した。
従者に逃げ出したと思われるのは癪だし、何より、抱き心地自体は悪くない。
子猫は至るところが柔らかく、もふもふしている――そう、抱き心地だけなら悪くない。
「ふむ……飼いならせば使い魔に」
‘フギ、フギャァァァァ!‘
「いたっ、冗談よ!?」
繰り出される前脚に、パチュリーは咄嗟に声を出した。
殴られれば痛い。
当然だ。
が。
痛くない。
むしろ気持ちいい。
なるほど、世に肉球マニアが蔓延るのも納得がいく――思うパチュリーであった。
因みに、一般的には成長した猫よりも子猫の方が爪は鋭かったりする。
単にこの子猫、いや、マヨヒガに巣くう猫が例外なのだ。
主に保護者の所為。
‘フギフギャフギュゥゥゥ!‘
ヒトリ和むパチュリーに、子猫が毛を逆立てての大抗議。
ぺちぺちと両前脚を叩きつけていた。
さも、幼子の駄々のよう。
「……と言うか、まんま童だったわね」
それはまぁあの橙よりも幼いのだから、それ相応な年齢であろう。
‘フギャァァァァァッッ!!‘
或いは、激昂する様から考えるに微妙なお年頃なのかもしれない。
ともあれ、子猫は完全に臍を曲げてしまったようだ。
猫パンチが効かないことを悟ったのだろう、つんとそっぽを向く。
‘もう、構ってらんないわ‘――白と黒の斑な背中が、そう語っていた。
パチュリーはため息をつく。
「此処は……」――一拍の後、言葉を変えて、再度言う――‘This place isn`t a day nursery.`
ぴん、と子猫の耳が立つ。
なにかしらの言葉が自身に向けられていたと解っているのだ。
しかし、内容までは解らない。仮に理解したならば、また暴れだしただろう。
直訳するとこうなる――「此処は託児所じゃないってのに」。
子猫の背に、パチュリーはそっと手を置いた。
途端、硬直する小さな肢体。
怯えているのだろうか。
そうなのかもしれない――思い、苦笑する。
従者は上手くあやしたのだ。
主人にできぬ道理があろうか。
勿論、そのコツも忘れてなどいなかった。
(一応、お客さんだそうだし、礼儀を欠いてはいけないわよね)
(それに、あの子のことも好いてくれているみたいだし)
(……うんまぁ、後者は割とどうでもいいけど)
――ゆっくりと、パチュリーは口を開いた。
「機嫌を治しなさい、猫」
‘フギャァァァァァッッ!!‘
伝わりはしたけれど、斯様な台詞で駄々っ子が言うことを聞く訳がない。
「そんな!? 私が読んだ本に、子供はこうあやしなさいって書いていたのに!」
それじゃ駄目なんだってばはとこ、もといパチュリー。
「じゃ、じゃあこれならどう!? 猫が寝転んだーぷぷっぃったぁぁぁ!?」
掴んでいた手の指を、ガチに噛まれるパチュリー。
「て、手間をかけさせてくれるじゃない……っ!」
涙目で指を抑えるパチュリー。
毛を逆立たせ、唸る子猫。
対峙するヒトリと一匹。
‘ンナァァァァァッ!!‘
今まで以上の大口を開き鳴く子猫に、パチュリーもすかさずスペルカードを取り出した。
しかし、パチュリーは、パチュリー・ノーレッジは‘知識の魔女‘。
はた、と身体の動きを止める。
代わりに、思考が回り始めた。
(落ち着きなさい、落ち着くのよ、パチュリー・ノーレッジ!
全てを圧倒的な力で片付けるのが貴女だというの!?
違うわ、貴女はどこぞの巫女とは違うはずよ!)
どちらかと言うと明後日の方向に。
(小悪魔はやっていたじゃない!
あの子にできて私にできない訳がない!
ヒントは何処かにないはず、じゃなくて、あるはずよ!)
いい感じに煮えてきた。
けれど、解決の糸口は確かにそこにある。
自身の至った考えに、パチュリーは目を見開いた。
むっきゅーん。
(そう、そうよ……!
あの子はどうあやしていた……?
ふふ、忘れる訳がない、この私が、忘れる訳がないわ……っ!)
この間、約七秒。
常人と然程変わらない時間だ。
割とてんぱっているのだから仕方がない。
「んぅ!」
強めに咳払いを打つ。
引きつくこめかみを意志の力でねじ伏せる。
そして、今日一番の笑顔を浮かべ、パチュリーは、言った。
否。
「みゃ、にゃぁにゃ」
鳴いた。
‘フニ?‘
だけれども、子猫の興味は既に他に移っていたようだ。
頭上に疑問符を張り付けて振り返ってきた。
つまり、聞いちゃいない。
「ちょっとこの猫ちゃんと聞いていにゃさ、噛んだぁぁぁ!?」
‘フギッ!? ンナァァァァァッ!!‘
「ふみゃぁぁぁっ!」
再び対峙するヒトリと一匹。もう二匹でいいかもしれない。
最早問答無用とスペルカードを掲げるパチュリー。
しかし、一欠けらの理性が囁いた。
子猫は何を見ていたのだろう。
「……にゃ?」
思った時には、貫かれていた。
「猫に、そんな物騒な物は必要ないわ」
身体ではなく、カードを。
貫いたのは――?
「ニャリス?」
「そうよミャチェェェェェ!」
どうかと思う速度で両腕を広げ突っ込んでくる、アリス・マーガトロイドだった。
パチュリーの瞳に映るのは、けれど人型ではない。
七つの色をしている何か。
光にも似ていた。
「あのな、挨拶もなしでいきなりそれかよ」
否。
光だった。
星のような輝きを放つ、暴力的な光。
そう、アリスとともにやってきた、霧雨魔理沙が放った弾幕だ。
「なぁ、パチュリー?」
「みゃりさ……」
一瞬後、光が消え、館内に静寂が訪れた。
直線状に並ぶ四名の少女たち。
子猫はパチュリーの足元だ。
真っ先に口を開いたのは、パチュリーより最も離れた場所にいる少女。
「えぇと、給湯室から戻ってくる時、お二方が丁度やってこられまして。
会話しつつだったのでパチュリー様もお気づきになられると思ったのですが。
どういう訳か修羅場中、声をかけるのもどうかと躊躇われ、現在に至ったのであります」
経緯の解説を恙無くこなす、小悪魔だった。
「ともかく、この場からお離れください」
状況を的確に掴んでいるのも、小悪魔だけだった。
「って、弾幕は!? 弾幕はどこに消えたの!?」
パチュリーは未だ事態を掴み切れていない。
「ふふ……今の私なら、あの程度の魔力を分解するなんてわけのないことよ」
ふしゅるふしゅるとあやしい吐息のアリスは、既に何かが振りきれている。
「だからってアリス、あっさりマスタースパークを消滅させないで!?」
「おいおい、そりゃ酷いぜ」
「ねぇ魔理沙!」
同意を得られたと喜ぶパチュリー。
だが、魔理沙の様子もおかしい。
ふしゅるふしゅる。
「お前に言ったんだぜ? ――あれは、通常弾幕だ」
誰がどう見ても、アリスと同じく、何かが振りきれているのだった。
「じゃあマスパを試されてみてはどう? 美味しく頂いてあげるから」
「ちっとばかしとち狂った罰に消し炭なんて、割が合わんぜ?」
「あらぁ、言うようになったじゃない、のら魔法使い」
「はっ、人見知り人形遣いにゃきつかったかなぁ?」
対峙する、ヒトリと一人。
「ふふ……」
「くく……」
互いに顔を伏せ、あげる。
浮かんでいるのは笑み。
哄笑。
「あはははははっっ!!」
同時に動く。
人形を展開するアリス。
魔理沙も八卦炉を取り出した。
「ひのふの……三十二、か。自滅するんじゃないぞ」
「お優しいこと。貴女こそ二つだけでいの?」
「腹にも仕込んでありますわ」
過去、幾度となく対戦していたフタリは、互いの手も知り尽くしている。
しかし、そのほとんどは所謂‘弾幕ごっこ‘と呼ばれるもの。
戦いの後、どちらが立っているかは予測不可能。
或いは、どちらも地に伏しているのかもしれない――
「悔いのないようにね」
「後腐れもな」
――いつしか、アリスと魔理沙の表情は、かけがえのない存在に向けるものへと変わっていたのだった。
「す、ストーップ! アリス、魔理沙、落ち着いて、ね、落ち着きましょう?」
そんな雌雄を決する勝負を館内でさせる訳にはいかないと、制止の声をかけるパチュリー。
放っておかれて寂しい気持ちもないではなかった。
だってなんだか置いて逝かれそう。
いやいや。
しかし、パチュリーは勘違いをしている。
証拠に二名は、即座に彼女へと視線を向けた。
元より方向的には対面している魔理沙のみならず、背を向けていたアリスも、だ。
同時に、口を開く。
「無理」
「即答!?」
「それと――」
加えて、すごくいい笑顔。
「ニャリスでしょう、ミャチュリー」
「ミャリサだぜ、ニャーレッジ」
それはもう、すごくすっごくいい笑顔。
困ったのはパチュリーだ。
どうやら自分の所為らしい。
自然と吐息が零れて落ちた。
「ふみゃぁん……」
その時、アリスは音を、魔理沙は光を、超えたのかもしれない。
べきょ、ぼととん。
そして落ちた。
「……え?」
パチュリーまであと少しの所で目を回すアリスと魔理沙。
何かに衝突したのだろう、こぶができている。
大きな大きなたんこぶだった。
目をぱちくりとさせる子猫を抱きあげ、パチュリーも首を捻る。
「あの速度で突っ込んできて、どうしてこぶだけで済むの……?」
「細かいことはいいんです」
「細かいかしら……」
応えたのは、やはりと言うか、小悪魔だった。
「……何時の間に、私の前に?」
「お二方がいちゃついている間に、ですかね」
「言われてみれば、暫く発言していなかったわね」
その程度で終わらせていい問いなのかと思うパチュリーであったが、他に聞くべきことは色々とある。
「防御陣でも展開したの?」
「私の背中は硬いんですよ」
「そうだったわね」
流された!? と小悪魔。
喚きつつ、彼女は動いていた。
まずアリスと魔理沙に手をかざし、続けて自身の背にもあてる。
「それ、何してるの?」
戻ってきた小悪魔は、一瞬目を見開いて、パチュリーの手を取った。
‘ミ? フミィ……フギャ!‘
「……いいわよ。急にマウントを取ったのは私だし」
「とは言え、牙を突き立てられるほどのことでは――よくお解りに」
叱られてしゅんとする子猫を撫でつつ、パチュリーは少し悩んだ。
驚く小悪魔にどう返そうか、判断がつかない。
なんとなくわかっただけだった。
「いいから応えなさい。この魔法はなんだと聞いているの」
そのまま伝えるのも癪だったので、無理やりに流した。
「バイ菌いなくなれーバイ菌いなくなれー」
「解毒? さっきのは治癒だったんでしょう」
「軟体生物に教わりました。此方に来る前です」
初耳だ。
「あ、元祖ではなく、可愛らしい方の」
「……そんなの聞いてない」
「ぷにぷになんですよ」
半眼を向けるも優しい頬笑みで返された。
温かな光が閉ざされる。
解毒と治癒が終わったのだろう。
掴まれていた手からも温もりが遠ざかった。
パチュリーはもう一度、首を捻る。
粗方のことは聞き終えた。
疑問は残すところ、あと一つ。
だから、見上げながら、呟く。
「平然としているのね」
「……はい?」
「貴女」
質問を掴みかねている小悪魔に、パチュリーは続けた。
「フタリがあぁなったのに、貴女は変わらないんだなって」
それだけが、妙に気になった。
「ふふ、ご自身の魅力に私が惑わされないと不満ですか?」
「どちらかと言えば割と純粋に興味ね」
「そんな!?」
どうと言うこともなくのたまうパチュリーに、小悪魔が嘆く。
けれど、それも一瞬だけだった。
すぐに微笑みへと戻る。
パチュリーの手の邪魔にならないよう、見上げてくる子猫を撫でる小悪魔。
「お二方の暴走の原因は、言うに及ばずパチュリー様でしょう。
もっと限定すれば、猫の言葉を繰る貴女様。
ふふ、可愛らしいものです」
空いているもう片方の手が、パチュリーの首筋に触れられている。
「私ほどにもなると、貴女様のお傍に猫さんがいるだけで、ときめくことができるのです。
貴女様のお言葉を全て、脳内補完で自然と猫語にできるのです。
貴女様に仕える私は、そういう女なのです」
そして、顎を数度、指で撫でた――。
「ミャチュリー・ニャーレッジ様」
「えーと、つまり、端からずっと賢者モード?」
「もういやですわパチュリー様ったら、ろ・こ・つ」
めきゃ。
パチュリーが小悪魔の指を掴んだ音だ。
全握力で掴んでいるというのに、表情は一向に変わらない。
「ですが、ふふ、お言葉の通り、アンネの乾く暇がございません」
小悪魔は素敵な微笑を浮かべたままだった。
恐らく、今の小悪魔に生半可なスペルは効かないだろう。
道具により強化した状態でさえ難しいと思われる。
魔法は意味がない。
だが、自身は非力――思うパチュリーの袖が引かれた。
子猫だ。
瞳に力がある。
抗う意思が宿っていた。
「……やる?」
‘ニャッ‘
「そう」
意志疎通は一瞬。
子猫は左前脚を。
パチュリーは右手を。
小悪魔の顔面に走らせ、叫んだ。
「ヒトをダシに使ってんじゃにゃぁぁぁい!!」
一点のみで交わる一対の斜線が、描かれた。
声すらあげず、のけ反り倒れる小悪魔。
――ピッチューン。
数分後、同じ場所で、パチュリーは胡坐を組んでいた。
右太腿にアリスの頭を乗せている。
左太腿には勿論、魔理沙だ。
「……しょうがないじゃない。私じゃ、動かせないんだから」
たかが三名、とは言え、非力な彼女には酷な作業であろう。
――腹部、つまり中央には、顔にバツ印が浮かんでいる小悪魔を寄りかからせていた。
‘ミャ?‘
バツ印を舐めていた子猫が顔を上げる。
首を捻る様に疑問符を見出すのは然程難しいことではない。
微苦笑を浮かべ、パチュリーは子猫の頭に手を置いた。
数度、撫でる。
「……貴女、名前は?」
問いに、子猫は何も返さない。
じっと見つめ続けるだけだ。
意味があるのだろうか。
ある――パチュリーはなんとなくそう思った。
「まったく……本当に、可愛げのない猫だこと。
私は、パチュリー・ノーレッジ。
パチュリーで構わないわ」
子猫が口を開く。
‘チ、チュ、……チェ?‘
たどたどしく音が鳴らされる。
けれど、それは鳴き声ではなく、声。
どういう訳か、その語のみはそう思えた――(あぁ、そうか)。
言葉を変え、パチュリーは続ける。
「しょうがないわね、式の式のしもべ候補。
特別に、愛称で呼ぶことを許してあげるわ。
だから、貴女も、私が言える言葉で教えなさいね」
自然に、表情は笑みへと変わっていた――。
「私の愛称はパチェ。でも、貴女が傍にいる時は」
――ミャチェ。
<了>
《一方その頃、博麗神社》
「――紫さん。何故、貴女が子猫さんを引き取りに来られたのでしょうか」
「橙は今、監督不行届きと藍に説教をされていますので」
「そう言うところはしっかりとされているんですね」
「二匹も置いてきちゃ、藍も怒らざるを得ない」
「此処以外にも、ですか。それは……」
「ところで、早苗、早苗さん」
「はい、なんでしょう、紫さん」
「まずはゆっくり深呼吸」
「ひっひっふーっひっひっふー」
「そして力を抜きましょう。抜いてください」
「不躾に申しますと、私、今、蛇神だって降ろせそうです」
「ご先祖様の血が目覚めてしまったとでも言うの!?」
「ゴッドインストォォォルっっ!!」
「早苗・バットガール!」
「イェァァァァァ!」
「ちょっと、こら、聞きなさい、聞けってば!
さっきのあれは、その、あんたらの聞き間違いよ!
そ、それともなに、この私が、猫の鳴き声を真似するとで――早苗の髪が金色に!?」
《こっちはこっちで大変でしたとさ、にゃんにゃん》
いろんな意味でw
罪深いぞさにゃえさん。ぶっきらぼうに殴ってやる。