前話>>1
時給百円。
天子は霧雨魔法店の店員として雇われた。
夜は白々と明けて、樹樹の底に薄闇が落ちている。
「ふ、あ……あっ」
魔法の森である。
天子は店の外をのそりと歩き、背いっぱいに伸びをした。
「くは。ねむい」
冷えた空気を入れて吐き、くったりとする。
目と鼻先を指でこすった。
(ご飯、作らなきゃ)
すぐに霧雨邸内へ戻るつもりが、
「あれ……?」
裏手の方に気になるものが見えて、ふらりと誘われた。
井戸がある。
木蓋が被せてあり、使われているふうではない。
蓋を外すと、そっ……と冷気があふれた。
(活きてる)
別段、意味は感じなかった。霧雨邸では、蛇口をひねれば水は出て使える。
だが変なことに、
「うまそう」
そそられていた。
天子は辺りを捜し廻り、納屋へ行ってがらくたを漁った。
「桶、桶」
がらがらと盗品がなだれ落ちた。
青いバケツを発掘すると、石を詰めて、井戸の底へと投げ落とす。
くくりつけた縄が、じゃらっと指を這った。
ざぶん。
汲み上げた水で顔を洗うと、
「うひゃあっ」
冷たい。
思えば天界に井戸はなかった。
さて。
天人の力を失い、人となってから三日目が始まる。
天子の作った朝飯は、米の焦げたものと味噌汁となる。
魔理沙が笑って言った。
「炭だぜ、これは」
「おこげ、よ」
黒い。
それを噛むと砂のようで、全身びくりと硬直した。
味噌汁は煮えて、風味などは死んでいる。具は硬い。
(ああ……弱火の加減が悪かったのかな)
かぶの漬物だけが旨かった。
「ごちそうさま」
平然と食べ終えた魔理沙が、当然の如く言った。
「お前の仕事だが」
「うん」
「まず朝飯、晩飯は毎日作れ」
天子は唖然として、茶碗の中の物体を見つめた。
はあっ。
と嘆息して首を横に振り、半眼にして魔理沙へ視線を送った。
「ねえ。あなたの作るお味噌汁が飲みたいわ」
仕事の話が続く。
「掃除、洗濯、店番……あとは、適当に生き延びれ」
「ひもじいよ。死にそう」
「食えよ。その、おこげを」
「だ、だってこれ食べられない……」
天子の意見は通らない。
魔理沙はにたりと笑うだけだった。
「ほれ。茶が入ったぜ」
「くっ……ちくしょう、たかが料理じゃない。食うわよ! 次はちゃんと作るわよ!」
差し出された湯呑みをぶん取った。
茶をぶっかけて、無理やり、黒い飯を喉に押し込んだ。
(今に見ろ、魔理沙。私の料理でなきゃ、生きられない体にしてやる。そしたら、泣いて懇願しても、出ていってやる)
ごちそうさま、と吐き捨てるように言った。
要は家事手伝いである。
「時給百円って、どうなの?」
「奴隷だね。しかも二十四時間労働だぜ。食う寝るはモチロン、風呂、生理、暇つぶし、何もかも仕事だから、集中して励むことさ」
何をしていても一日に二千四百円。
天子の値打ちはそれに決まった。
「例の、伊吹瓢の値段は?」
「百万円」
これは賭けごとをして萃香を騙し、天子が勝ち取った代物である。
魔法の森に落としてしまい魔理沙に拾われて、
(今は預けとこう)
そのままとなっている。
「私の帽子は?」
「千円」
「客が来たらどうすれば?」
「当店の常連は閑古鳥だぜ」
天子は思案した。
(伊吹のやつに、瓢箪を返したいけれど……)
さしあたって欲しいのは、料理や裁縫を練習する時間であった。
他の考えなどはまだ定まらない。
魔理沙は黒い服を着て支度をしている。
とんがり帽子を傾けて言った、
「私は出かける。客が来ることはないはずだが、もし来たら」
その時。
ジンジャラン、と呼び鈴が鳴り、低い声がした。
「おうい」
客が来た。
「……任せるぜ」
魔理沙はにたりと笑って逃げた。
魔理沙を掴まえようと、伸ばした手が空を切る。
椅子が浮く。
ずでん。
と転び、床板に顎を打った。
「おーい」
また呼ぶ声がする。
天子は慌てて立ち上がり、ずかずかと店の方へ歩いていった。
カウンターの向こうに壮年の男と若い女がいる。
用があるのは男の方らしく、女は窓際の椅子にくつろぎ、本を読みふけっている。
男が言った。
「山へ行くので、護衛を頼みたい」
妖怪退治の仕事になる。
「やま?」
と云えば、妖怪の山をさす。
妖怪の山は魔法の森に比べても妖物の類が多く棲む。天狗を中心とした独自の社会を築いていて、よそ者には厳しく、熟達の退治屋であっても好んで踏み込みはしない。
もし踏み込めば、必ず何者かとの騒動になる。
「護衛ねえ」
眼を伏せて、苦笑した。天子は人間となり力を失っている。
もっとも天子の仕事は店番であり、話を聞いて魔理沙に伝えることである。力の有無は気にしなくて良い。
ただ、魔理沙が分からない。
(あいつ、私が苦労するのを見て笑ってるだけなんじゃ……?)
などと思う。
いやな予感がした。
返事を決めて視線を上げると、
「かに?」
男が似て見えた。平たい赤ら顔に、ちぢれ毛が横へわしゃわしゃと生えている。
真剣な表情をしているだけに、
(こいつ、カニ面だ)
けへけへと咳込んでしまい、
「あ、いや。なに……があった、のかに?」
話を訊いて誤魔化した。
昨年のこと。
里では例年になく収穫が少なかった。凶作と云える。
夏場の異常気象の影響で、場所によって不作、豊作がはっきりと分かれたのである。豊作と云えど、植えた苗以上の収穫があるわけではない。
総じて凶と出た。
そして今年、不作が続けば飢饉となる。
夏が近付くにつれて、人々の不安は高じていった。
「今年限り。収穫前に、豊穣の神をお迎えしよう」
里の代表者を妖怪の山へやり、豊穣を司る神、秋穣子を招くことに決まった。
そういう次第である。
やる気もなく、天子は適当に相槌を打っていた。
ただ一点、
(異常気象……?)
妙に気になった。
話が終わると、首を傾げる。
「相手が神様なら、専門家がいるでしょ。博霊の巫女に頼んだら?」
「それが上手くいかなくて、こちらへ来たんだがね」
「あ、そ」
愛想もなしに返した。
だが内心、惹かれるものがある。
(あの巫女が失敗したのか)
興味があった。
「どう上手くいかなかったの?」
かに面の男は嘆息して言った。
「どうもこうも、穣子様を怒らせてね……」
「へへえ……と。それはつまり、こっちに来たのは、神様の怒りをなだめて欲しいってこと?」
「そこは、里の年寄りが行って頭を下げるさ。護衛だけ頼みたい。なんせ……あ、いや。まあ、くれぐれも護衛だけ、頼む」
かに面が口ごもった。
不審に思うと、
「……豊穣の神を退治しようとしないでくれ。お願いだから」
ぽつりと呟くので、天子は噴出した。
「いつ?」
「十日後。新月になる日、その昼間さ」
月の光は妖物に影響する。
妖怪の力などは満月の晩に昂ぶり、月のない時は心も穏やかにしている者が多い。仮にルナティックなどと聞いて悦ぶ退治屋がいれば変態である。
気になることもある。
「よし」
天子は引き受けた。
軽い打ち合わせが終わり、
「では頼んだ」
帰り支度となる。
最後になってようやく、思い出したように訊ねた。
「ところで異常気象って、どんなだったの?」
「一時期、天気がでたらめでな。腐る、枯れる、どうしようもなかった。心配してまめに畑に出ていた奴ほど、ひどい有り様になっちまったってよ。ふざけてやがる……噂じゃあ、天人様が余興でやりやがったと」
「ふうん」
床にぶつけた顎をさすり、天子は顔をしかめた。
かに面の男が店を出ると、無言でいた女も本を畳んで立ち上がり、
「天人。お前がやったことだよ」
言って去った。
(誰……?)
面識はない。
学士の好みそうな、奇妙な帽子が印象的だった。
夕刻。
けたたましく鴉が騒ぎ、魔理沙が飛んで帰った。
「なぜ鳴くの~。勝手なカラスだぜ」
鼻歌を鳴らしながら風呂場へ行く。
「カラスは勝手なもんでしょ」
天子は晩飯を作った。
「できたけど」
「うむ。いただきます」
また米は焦げている。
(水が少なかったかな……)
天子は嘆息した。
それでも朝よりは食えたもので、野菜を炒めただけの皿は失敗していない。
(次はうまくできそう)
ほのかに嬉しくなり、つい口元がゆるんでしまう。
「何だよ。気味が悪いぜ」
「べっつに。あ、いや、実はね」
今朝の一件を、ざっと説明した。
「……とまあ、そういうわけ。仕事を引き受けたわ」
「ほう。それで、金の方は?」
「聞いてない」
「ああそうかい」
魔理沙の声は弾んでいる。それから、考えごとであろう。腕を組んで沈黙した。
やがて。
「ふん。大体、察しはつくぜ」
にたりとして言った、語気が強い。
霊夢が穣子を怒らせる様子を、自分のことのように語り始めた。
(あの巫女が絡むと、こうなるのか)
あれこれと楽しそうに喋るのを、天子はじっと眺めていた。
その視線に気付いたらしい。
「どうかしたか?」
天子はくすくすと笑った。
「いや、かわいいと思って」
「あん?」
「あんたよ……まったく。察した程度のことを、よくもまあ見てきたように言うわね」
聞こえるよう呟いて、またくすりとした。
ぱっ、と赤くなり、魔理沙の口が早くなった。
「いや、霊、あいつから、話は聞いてたんだぜ。今日も。そのだから、神社に通って茶菓子うち喰らうこと十年で、語らせたら誰にも憚りないんだ、ぜ」
たまらなくなり、天子はふきだした。
魔理沙はとんがり帽子を深くして面を隠したが、首まで赤い。
ダン、と机が叩かれる。
「それより、だ!」
「ふむ」
「この仕事、頑張れよ」
とんがり帽子がそっぽを向いた。
「私は行かない。任せたぜ」
いやな予感は当たった。
霧雨魔法店では外に風呂がある。
壁の一面にぐるっと竹垣を巡らして囲いを造り、内に小さな浴場を増築したもので、屋根は巨大な雨傘を備え付けた程度の造りなため、湯舟にいながら風が触れてゆく。内装も粗雑であり、岩石で囲っただけの浴槽には湯が溜まる以上の意味はない。
しばらくは天子、
「はあ」
肩まで湯に浸かり言葉もない。
(ごく、らく……)
水音が、夜風に乗って抜けてゆく。
肉体から汗が噴いて流れるなど、天界では経験していない。
心配ごとを指折っていった。
「私ひとりで、護衛なんて出来るはずないじゃない」
まず一つ。
せめて危険な時は頼るつもりでいたかった。しかし口でどう争っても、魔理沙は付き添いもしないと云う。
(簡単な仕事だぜって、言うけど、さあ……)
しかし不安以上に、己の非力さを認めるのは、悔しかった。
「修行したくても、時間がないじゃない」
二つ。
せめて十日間は鍛錬だけに集中させてくれと訴えても、家事は毎日やれと云う。
今の天子では、一日の間に作れる暇など多くはない。
何もかも、急いで片付ける必要があった。
「人間達に、私が天変の原因だってバレたら……どうされるかな」
三つとなる。
それには魔理沙、何も言わなかった。
あるいは、
(里の連中みんなみーんなもう知ってて、私を罠に嵌めようとしてるんじゃ?)
などと勘ぐって、嘆息した。
髪が何本か抜けて、湯に浮いている。体は火照り、頭はじりじりとして思考が定まらない。
「しるか!」
指を握り、湯に叩きつけた。
やがて何ごとか呟いて、ざばっと湯を抜けた。
就寝時、
「魔理沙、覚えてなさいよ」
恨み言を吐いた。
「ああ。おやすみ」
魔理沙は机で読書にふけっている。
(……目、悪くなるよ)
昨日より灯りが薄く思えた。
ごろりと頭の向きを変えて、天子は眠りを摂ることに集中した。
(寝よう)
目覚めると、井戸端で冷水を浴び、内に気合いを秘めた。
そして十日が過ぎた。
この日。
天子は早くに目覚めた。
「早すぎた」
未明。
眠気はカッと失せてしまい、森の黒い底闇に目を凝らしていた。
何をする時でもない。
(ヒマだなあ)
ぶらりとした。
足元には影も立たず、いつであったか……無限に続くと思い、そして失った時も、このようなものであった。
けっ。
と石ころを蹴っ転がすと見えなくなった。
井戸の縁石に腰かけて、ぼうっとした。
僅かな時が、ゆったりと流れる。
森に影が落ちた。
鳥が目覚めたらしい。
葉の影にまで、生物の気配が充ちてゆく。
明らかに薄れゆく草木の闇を眺めていると、一瞬、
「むぐっ?」
とろりと眠りに落ちていた。
朝である。
(よし)
朝飯を炊いた。
まあ、まあである。
食事を終えると、
「開けてみな」
茶碗をのけて、魔理沙が小箱を置いた。
小箱を開けると、見たことのない火炉が入っていた。
(黒い八卦炉……?)
きょとんとすると、魔理沙が笑った。
「うふ、うふふ。やるよ。私のオリジナルだぜ」
「オリジナルねえ。どうせなら、バールのようなものがいいわ」
手に取って眺め回した。
裏側の半球面は黒く塗り固められている。平らな表面は、中央に黒白の丸いくぼみがあり、その周りに星型の模様が八方に配されている。
「名付けて、プチ八卦炉ミニだ」
「ひどく名前ひどいけど、撃てるの?」
「撃て」
天子はプチ八卦炉を掴み、
(くらえ!)
魔理沙に向けて突き出し、力を篭めた。
しん。
煙も出ない。
「魔力の根源は、平常以外の精神力だよ。まず狂え。次にこう……脱力して、狂った部分を重くする。重心を移すんだ」
「よし」
天子は目を閉じた。
およそ半月、人間となって生きた日々を目蓋の裏に思い描いていった。
黒い奴がにたりと笑う。
騙された。馬鹿にされた。殴られた。こき使われた……。
(リラックス……重く……?)
天子には分からない。
しかし、不思議と唇は笑った。
目を開いた。
「くたばれ、ちくしょう」
腕の先でプチ八卦炉が輝き、かつ、と閃光が疾る。
そこに魔理沙はいない。
「撃てば動くぜ」
横にいた。
にたりと笑い、ミニ八卦炉を握っている。それが太く光った。
(懐かしい……)
天子は腕に攻撃を受けて、打ち払い、食卓を跳んで接近した。
拳に力が入る。
八卦炉どころではない。
ぶん殴った。
しばらくは喧嘩を散らして、時間となる。
迎えに来たのは一人。
奇妙な帽子の女である。他の人間とは森を出てから合流するらしい。
「困ったな。霧雨魔理沙が来る予定だったのに……」
「店長なら居留守ですわ」
「まあ、どちらにしても人選ミスなんだ。お前でいいや。早いとこ行こう」
二人は空を飛んだ。
天子は魔法のほうきに跨り、ふらふらとしている。
「私は上白沢慧音。山にだって、私が行ければ良いんだけどね」
返事をするどころではない。
(飛べた)
人間となって天子、初飛行である。
足下の樹が、森が、小さく広くなってゆく。
ぐらり。
「ひいっ」
風の行くがままに煽られ、細いほうきに全力でしがみついた。
霧雨魔法店もアリスの家も見えはしない。
やっとの思いで軌道が安定すると、慧音の視線がじっと絡んでいたことに気付く。
(やな奴)
好い印象は持てない。
「なによ。空飛ぶ人間なんかが珍しい?」
「……新聞で読んだんだけど」
「テレビ欄? 芸能?」
「変な記事でね。とある天人が人間になったようなことが書いてあった」
「へえ」
「この様子じゃ、事実みたいだな」
「さーて、どーか、なー?」
「事実だよ。いや初めから、頭では判ってたんだ。半分妖怪の私は、そういう能力があるから……」
かつて慧音は人間であった。
その時から書物が好きで、事象と著者の思惑などを区別して理解し、客観性のある事実を読む力には秀でていた。
要は読解力にある。
「本来、誰もが持っている程度の力だ」
しかし慧音はある時、妖怪となる。
理由は、
「正しい歴史を自分の手で書き留めたいからさ」
とだけ知られている。
以後、力は変化した。
人々の持つあやふやな認識……通念を編纂する能力を得たのである。
慧音は噂、誤解、推測といった、不正確な認識を操るようになる。
歴史を食べる程度の能力。
歴史を創る程度の能力。
「正確な記録なんかに対しては、力が届かないけどね」
かつて慧音が覚えた歴史などは、噂話と変わらなかった。
慧音の話は長い。
「重要な点は、何が基準として存在すれば、その記録が事実としてみなせるかだ」
(つまらないなあ)
もはや天子は聞き流し、久しぶりとなる遊覧飛行を愉しんだ。
空の淡くなる左手に、眩しい朝陽がある。
目を細くして手のひらをかざした。
ほうきでゆらゆらと揺れながら、指の隙間から見え隠れする日輪を眺めていると、ぶんっ……と強い突風に吹き捲られ、死ぬほど慌ててしまう。
体勢を整え、スカートをぎゅっと抑えた。
(誰も見てないわよ)
ただ、一瞬きらりと何かが光ったように思えて、辺りをじろじろと睥睨した。
怪しいものは見えない。
ふと、慧音に訊ねた。
「新聞ってさ、天狗のだよね。里の人達は読んでるの?」
「読まないなー。読むに越したことはないが、まあ、大したことも書いてない。ん……ああ、お前が例の犯人だとは、私の他は知らないよ」
「そう。ありがと」
「天人が異常気象を起こしたと聞いてはいても、彼らは、どこまでが事実で因果関係かどうかを知ろうとはしないし、噂というものは……」
右手の方に目を凝らすと水田が広がっていてきらきらと光り、さらに遠く……白い霞の中には集落がある。
やがて下で魔法の森が切れて、ずっと前方に望んでいた妖怪の山が、近くなった。
「そこだ。降りるぞ」
里の人々と合流した。
妖怪の山はよそ者を受け入れない。
「私はいいのかな?」
慧音に訊ねた。
「良くは思われないだろう」
それでも人間の方が、妖怪よりは面倒が少ないらしい。
魔理沙の代理ということで天子の紹介をさらりと済ませると、
「では私はこれで失礼します」
慧音は里へ向けて飛び立った。
天子は、昔から魔法の森に棲んでいる人間ということになり、それならば、ということで改めて護衛の役を頼まれる。
「霧雨魔理沙の代わりとしてではなく、あんたに依頼しようじゃないか。なに、あの森で暮らすほどの人だ。わしらよりはずっと強い」
里の老人は満面を笑みにして、そう言った。
疑われた様子はない。
「なんだか、騙すようで悪いわね」
ぽつりと呟いた。
(さる、かに、さる……)
天子は指さして人数を確認した。
かに面の男の他に、干し柿のような面をした老人が二人いて、
(この私)
総勢四名。
「お代金は?」
「二十万。まず半額払おう」
「後で全額貰うわよ。失敗したら料金は取らないから」
「では無事、里へ帰ったら、だな」
「おほほほほ。時給二千時間分のお仕事になるわね」
出発となる。
天子はプチ八卦炉を取り出し、一行の後について、山へ向かって歩き出した。
不意に、
「頑張れよ」
びく、とした。魔理沙の声が聞こえたように思ったのである。
辺りを見回すが、いるはずもない。
(おっかしいなあ……)
飛び出してきた妖精を一匹、撃ち砕いた。
それから一刻。
日を選んで来たこともあり、妨げになるのは妖精ばかりである。
(この程度か)
天子は拍子抜けしていた。
そもそも山の麓は人間に敵意を抱くような妖怪が少ない。
出てくる妖精も、大体は先頭を進むかに面が退治してしまうため、隠れて仕掛けを打ってくるいたずら妖精の相手が主となった。
(修行する必要もなかったなあ)
この十日間、妖精よりは狂暴な相手と鍛錬を積んできた。
アリスの家を訪ねて喧嘩を売ると、嬉々として応じ、人形を繰り出してくる。
(ふんっ。突撃)
天子に出せるものは身体以外にない。
間合いも呼吸もない。
ただ突っ込み、耐えて、距離を詰めた。
「上海一体じゃ手に負えないわね」
そんな一言が嬉しかった。
やがて、二体、三体と人形が増えてゆく。
かつ。
と 弾光に胸をかすらせながら、一歩を踏み込んでいった。
「当たらなければどうってことないわね」
「当たりなさいよ」
「じゃあ、もっと本気出してよ。私、もともと強いんだから」
上機嫌に言って笑うと、
「ほう」
アリスが不気味に笑った。
ぬおん。
家の影から異常にデカい人形が出現する。
「ゴリさん、やっておしまい!」
巨大人形が浮きあがり、逃げる天子を圧し潰した。
ゴリアテ人形、この時まだ足が飾られていない。
目的地に着いた。
柵の囲いの中に小さな社が二つ並んでいる。
人間で云えば、秋静葉、秋穣子の姉妹が住む、家にあたる。
「くわ、あ……」
天子は少し離れたところで岩に腰掛け、あくびをした。
穣子はまだ現れないらしい。
リャン、リャン、リャン。
社の方から鈴の音がする。
「秋穣子か。さすが幻想郷、ミソッカスの神様がいるなあ」
ぼうっとして呟くと、
「人間にしては品がないわね」
背後で声がした。
振り向けば妖しい女がいて、ぎろりと睨んでいる。
(ぐえっ。芋くさい)
穣子である。
天子はそれと察しながら、すっとぼけた。
「どちら様?」
「あなた一体、何しに山へ来たのよ?」
「質問を質問で返すの?」
「その答えが質問の答えになる質問を返してあげたのよ。今この私に対して、だれ、でもないでしょう」
「私は山へ芝刈りに……。あなたが芝で、刈られるんだ」
このあたり、魔理沙のくせが少しうつっている。
穣子の口元が歪んだ。
「分かったわ……しばかれたいのね」
甘い香りがきつくなり、焦げている。
ところで、里の連中が駆けつけて来るのが見えた。
老人が事情を説明すると、穣子は快諾した。
先日すでに、話はついていたのである。
「ただし、一つだけ」
穣子は天子を指さして付け加えた。
「要はこいつの尻拭いをするんでしょ。本人が頭を下げなさい」
天子は岩に腰掛けている。
ひと呼吸、間を置いて言った。
「それは……何が?」
悪い予感がしていた。
「あなたが凶作の原因だと言ってるのよ、元天人」
返事はしなかった。
妙に音が遠くなり、浅い景色ばかりが、切り取ったように冴えて見えた。
(どう言えば、ごまかせる)
視線を里の連中へと向けた。
こちらを凝視していた目が、さっと逸れる。
どうしようもなかった。
風がぬるい。
(暑い。もう夏だっけ)
呼吸が乱れた。
「な、何よ。ちょっと謝れって言っただけじゃない」
穣子を見ると、戸惑っている。
何も知らずに同行していた、とは思わないらしい。
かに面の方から声がした。聞き流していると、怒声となり、次第に甲高くなる。
そちらを見て、たまらず、
(あ、は、は。茹だってやがる)
浅い笑いを浮かべた。
天子はプチ八卦炉をつかみ、岩から腰を上げた。
「あはっ!
そうよ、私の仕業。私が噂の天人様よ。
地を這う人妖どもが必死に生きるのが、見ていて楽しくてね。
私は何もかも……退屈で死にそうだからね、遊び半分にね、気質をあつめて、狂わせて、地震を、天気を、全部……ぶち壊してやったのよ」
言って、遠くを睨んだ。
昨年の異常気象――緋想の一件に、天子は満足していた。
人間、妖怪、鬼。様々な連中と喧嘩して、酒を酌み交わして、
(あの酒はうまかった)
忘れられぬ思い出だった。
天人の暮らし方は永く、美しい。
(きっと灰のように綺麗な生き方だけど、私は……)
不良にあらぬ天人として振る舞うと、天子の周りには美しい灰が落ちていった。その灰に埋もれて、静かに生きることが正しい姿だと、分かっていた。
そのように生きて、いつ味わえたか、
(伊吹、博霊、霧雨……八雲)
知り合えたか、とても、分かりはしない。
「あれを謝るくらいなら、死んだ方がマシだ」
細い声が、すっと響いた。
視界の下の方にいる人間達が激怒している。
かに面が泡を吹いて迫り、老人達も憮然とした面持ちでいる。
(もういい。いつものことだから)
喧嘩であれば、慣れている。
目蓋の上をぐっと腕でこすり、跳んでほうきに跨った。
ふうっと飛びあがる。
プチ八卦炉を下方に向けて、狙いを決めた。
「やめてよ、お願いだから!」
穣子が間に入り、止めようとしている。
下にいる人間には飛ぶほどの力もない。
天子は何もできなかった。
天子はただ一人、社の近くで残された。
里の者達は穣子が送るので、
「時間を別にして」
とのことだった。
岩に腰かけたまま、じりじりと時が過ぎる。
広大な暗雲がゆるやかに流れ、押し寄せてくる。
ぽつ。
と鼻先に雨が落ちた。
「あーあ。天人は良かったなあ。いつも微笑して、ひもじくない。桃を食べてお酒飲んで、歌って踊って、水に釣り糸を垂らして。
ああ……そんな暮らし」
雨音が強くなっている。
ぜえっ。
と息を吐き尽くすと、一転、岩を蹴って立ち上がった。
右拳を腰に添え、抜き放つ物もないまま振り抜き、濡れた視界を一閃した。
髪が揺れて、ばらっと重たく跳ねた。
「天界も地上も、あるべくしてあればいい。
天人も人間も妖怪も、ただふつうに生きればいい!
でも……」
腕がくたりと落ちた。
(私はそれができない)
かつて天子が緋想の剣を手にすると、幻想郷などを破壊する企てをして、失敗した。
今に至り、後悔はしていない。
「……私は不良天人だからね。うまくいかないのよ」
呟いて嘆息した。
どしゃぶりの中を飛ぶと思うと気が滅入った。
その背中をいきなり――バン、と叩かれた。
「つっ……魔理沙!」
ではない。
また奇妙な女が立っていた。
(だれ?)
紅葉を司る神、秋静葉である。
にたりと笑って無言でいる。
「何よ?」
くすり。
笑みを浮かべて、それだけで立ち去った。
この神、あまり喋らない。
霧雨魔法店。
夜となり、魔理沙が帰った。
「よう」
天子の目は充血して赤い。
「あ、忘れてた。ごはん作るね」
「うん。頼む」
(雑炊でいいや)
ふらり。
立ち眩みがして、足がもつれた。
レンゲの上に湯気が立つ。
ふうっと息を吐き、雑炊をすすった。
「ごめん魔理沙。仕事失敗したよ」
「そうか」
「神様は行いを見てるって言うけど、誰かの体験談だったりしてねー」
「神様は知らんが、マリサ様が見ていてよ」
「はい?」
「いやすまん。実は……」
魔理沙は言いかけて、はっとしたように口を閉ざした。
「えっ、何?」
覗き込むと、苦しげに目を伏せる。
がたん。
何も言わずに食事の席を立ち、部屋を出ていった。
天子が茫然としていると、
「悪い天人はいねがぁ!」
懐から大声がして、レンゲを取り落とした。
(まさか)
懐にはプチ八卦炉の他にはない。
それが今、ケタケタと笑い声を発している。
通信機……プチ八卦炉を通して会話は筒抜けであったらしい。
懐から出している間は、
「視界良好」
だったと言う。
「へえ……」
背筋がぞくりとして、震えた。
「見てたんだ。隠れてさ」
「大体な」
「は、私を、哂ってたんだ」
「かもな」
「こ……」
魔理沙の横面を叩いた。
視界がグラグラとして、喉に何かが絡んでいる。
「こ、の……」
言葉が詰まると、ちりちりと首筋が熱くなった。
悔しくて、そう感じると、熱が頭まで突き抜けそうだった。
顔をあげると、
「逃げるぜ」
魔理沙の表情は笑い、外へと跳んだ。
天子は追い、その身ひとつで空を飛んだ。
魔法の森の上空。
天子は月も星も出ない夜空を蹴っ飛んだ。
遠く、前方ばかりが妙に明るい。
光の中心で、ほうきに乗っている魔理沙が、すぐ近い距離に感じた。
ぼうっ。
と下から光の玉が出現し、魔理沙の周辺に次々と浮遊していく。
「聞こえるかい?」
プチ八卦炉から声がした。
「悪かったな。本当……私もあまり、うまくやれる方じゃないんだ」
「黙れ」
全力で飛んでも距離が縮まらない。
追えば、その分だけ遠くなる。
「すまん」
「黙れ。止まれ」
「なんせ私は弾幕しかやってない。人生、弾幕だぜよ。ま、その弾幕も最近はよく分からんがな。後から始めた連中が、当然のように私より強くてさ。なぜ勝てないんだろう……。悔しくって、勝ちたいから、色んな奴から借りっぱなしだ。返せない、振り払えないガラクタが、歳ごとに降り積もってくるんだ」
「……」
「力をなくして落っこちてきたお前になら、少しくらい、私にあるものを分けてやれると思った。最初から、それだけだよ」
「だ、だから何なのよ……!」
「いや、すまん。つまり、助けてやりたくても、私のようにやれ、としか言えないんだ。私が好きなのは、弾幕だから」
「……」
「だからもし、今もそうさ。弾幕がいい。弾幕でいいなら、気が狂うまで付き合うぜ」
「……」
「嫌ならいい」
弾幕狂である。
天子はプチ八卦炉へ、
「知らないわよ。あほう」
言って、苦笑した。
魔理沙にしても苦悩はあるらしいが、興味がない。和解する気もなかった。
ただ不思議なことに、もはや不快もなかった。
人の身体は火のようで、今はただ燃えていたい。
「魔理沙、本気でやりなさい」
天子はにたりと笑った。
不思議なほど、距離が近く見える。
虚空を駆った。
動けば撃つはずだった。
魔理沙はぴたりと静止して、魔力の塊の玉を周囲に遊ばせたまま、動かない。
プチ八卦炉の狙いを定めた。
かつ。
と光線が疾る。
撃つとほぼ同時、魔理沙が動いていた。光線はきれいにかすり抜けて、どこかの闇へ消えていった。
「お前には勝てるぜ」
光の玉が妖しい色へと変わった。
ごう、と魔法が放たれる。
夜空に星が満ちた。
天子は散々に叩きのめされて、森の底に落下した。
「あー、もう。負けよ、負け!」
「本気の私と勝負しようなんざ十日遅いぜ」
「十日前はもう人間だったけど」
「語呂だよ、語呂」
「ところで、何か飲むもの持ってない?」
渇いていた。
ひりひりとして、撃たれた体よりも今は喉が痛んだ。
「ある。行くぞ」
ほうきの後ろに乗せられて、魔法の森をかっ飛んだ。
(まさか……)
東へ行くと、丘になっている。
丘の頂上が、幻想郷の東端となる。
神社がある方向だった。
「ほれ。水。ついでに起こしてきたぜ」
「な、なんで」
「さあな。私は呑む方の水を持ってくる」
天子の背中を叩き、魔理沙は鴉のように飛び去った。
ぽつりと、
「なんて勝手な奴」
今さら、言った。
博麗神社。
「ふ、あ……にゃふ」
寝間着で現れた霊夢はのったりとあくびをした。
それから天子に気付いて、目をぱちくりとしている。
「珍しいわね。どうしたの?」
「別に。お水がほしい気分なだけよ、こんな夜だもん」
「ふうん」
「お酒がもうすぐ、来るから」
「うん?」
「それで、実は、代わりにあげられるような物が何も……なくしちゃって、何もないのだけれど」
「……」
「ここに、私がいてもいい?」
「……」
「だめ、かな?」
「馬鹿ね。いいわよ。呑みましょ」
「うん」
これだけのことが、妙に嬉しかった。
「どしたの?」
「別に。なんだか、うれしくて」
「変な奴」
「は……」
「なに?」
「半月くらい前、手紙出したの覚えてる?」
「あー、えー。あったような」
「あの時に私が望んだのは、ほんの、これだけだったのに」
それから少し時間が過ぎて、魔理沙が酒瓶を抱えて戻った。
三人で宴会をしていると、唐突に言ったのは魔理沙だった。
「背中に何かついてるぞ」
口ぶりがどこか白々しい。
天子は訝しみながら背中をまさぐった。
かさりと何か、指に触れる。
(葉っぱ……?)
紅い枯れ葉である。
裏返すと文字が書いてあった。
「お仕事依頼します。次の満月、穣子をさらって畑にでも埋めて下さい。秋静葉」
天子は首を傾げて、ぱちぱちと目瞬いた。
意味が分からない。
「霧雨魔法店のモットーは、神様はお客様だぜ」
魔理沙が言った。
「それは私の専門」
霊夢がのんびり応えた。
ものごとは簡素でありたい。
きっと、人の抱くわだかまりなどに、思うほどの意味はない。
(穣子をさらう、畑……?)
大事なことは、人里に豊穣の神を迎える点にある。形式がどうあれ、何者が為すのであれ、今はそれを果たせば良かった。
それから天子も、
「まさか?」
ようやく察して視線を上げた。
二人がにたりとしている。
「早い者勝ちだな」
「そうね」
また半月後、ゲームが始まる。
秋静葉の依頼を受けて、妖怪の山の神、秋穣子をさらいに行かねばならない。
異変のような兆候は存在せず、人によっては余談、エキストラ・ストーリーとして語られる程度であろう。
プレイヤーは博麗霊夢、霧雨魔理沙、比那名居天子。
難易度は……。
前方の敵は秋静葉。
淡黄に光る満月の下、避けた弾幕が紅葉となって山に散る。
「ど、けぇっ!」
天子が吠えた。
後方から霊夢、魔理沙が迫っている。
(私がやる。絶対)
敗けるわけにはいかない。
静葉が腕を横に構えて、ゆるりと振った。
さあっ。
と虚空に紅葉が生じ、天子を包むように落ちてくる。
「な、何か言いなさいよ!」
静葉は喋らない。
被弾した。
秋静葉は美しい弾幕が好きだった。天子と相対している理由もそれだけである。
宣言は小さい。
「葉符、狂いの落葉」
ヒイイ……と吹きすさんでゆく風が、冷やりとして硬い。
秋静葉、にこりと微笑んで腕を左右にひらき、その指先から赤、黄、褐色の葉、葉を生みつつ舞い乱れた。
山麓が燃えている。
「きれいね。気が狂うわ!」
天子はプチ八卦炉をきつく握り、狙いを自身に向けた。
高く張り叫ぶ。
「天人、比那那居天子」
緋色の弾を己に撃つ。
魔理沙に教わった、肉体強化の魔法であった。気質があふれて、ぼつ、と視界が緋に染まった。
血がざわりとする。
紅葉にふれると砕けて、後ろへ散った。
天子は弾丸のように飛んだ。
届く距離。
思いっきり腕を伸ばして胸倉を掴むと、静葉は残念そうに笑った。
「ごめん」
ふっと力を抜いて天子が回る。
脚を水の容れ物のように使い、咆哮と共に静葉へ叩き入れた。
ぱっ。
と手応えなく撃ち抜いた。
天子の体は勢いを外してくるくると虚空で回転し、その傍では一枚の楓が風に舞っていた。
(ん?)
額に、水滴がぽつんと落ちた。
空を見上げた。
夕焼けのような紅葉がみな水となり、ざあっと山へ降っていった。
間もなく風がそよりとして静かになる。
(あの二人は?)
後ろを振り返ると、異常に明るい。
星と符の弾幕が乱れ交い、満月の夜空を白くしている。
「あ、霊夢」
星弾の隙間に、ちらりと紅い者が見えて、また消えていった。
包まれた――と思うと、外から広大な結界が出現して辺りを押し包み、星の弾幕を消し去った。
プチ八卦炉を服にくるんで天子はぽつり、
「勝てよ、魔理沙」
聞こえぬよう言った。
かっ。
と極大の閃光が迸り、夜空に河をなして消えた。
天子はくるりと向き直り、先を急いだ。
「何よ何よ。騒がしいと思ったら、またあんたか」
「どちら様で?」
「ほんと、何しに来たの?」
「秋穣子を殺しに」
「神は滅びぬ。豊穣こそが人類の夢だからだ」
「私もそう願う」
「気が合うわね」
「いや、まあ、それはない」
「ちなみに死んだ人間は生き返らないわよ。龍や玉じゃないし」
「そんな大層な願いごとはない……」
「じゃ、私に勝てたら望みを訊いてあげるわ」
「私が負けたらコンテニューするわ」
戦闘が始まり、この日、天子は勝利した。
翌朝から熱が出て、しばらく寝込むことになる。
日は夏となり、過ぎてゆく。
天子は人間として平穏に生きていった。
時には、
「天界はどうしてるかな」
と口にすることもあったが、詳しく知る者はいない。
「ところで伊吹は?」
「見ないわね」
萃香は博麗神社にも姿を現さず、伊吹瓢は霧雨魔法店の机の中に置かれたままである。
捜しに出たい思いはあるが、毎日が忙しい。
「ちょっと、そこの何か。ヒマそうね」
朝から喧嘩を売られて、大樹の幹に魔法の糸で縛りつけられたまま、人形劇を見せつけられることもあった。
魔法の森にも慣れて、安全な木陰で昼寝をすることを覚えた。
晩の食事は当番を決めて作るようになった。
「お前の味付けはこってりし過ぎなんだよ」
「あんたが薄味過ぎるのよ」
会話などは他愛もない。
「ところで今日、巨大ロボが出現したぜ」
「はいはい。ゴリさんが完成したのね」
「いや本当に、嘘なんだぜ」
そうして夏が過ぎた。
この日、収穫祭となる。
天子は人里で熱気に揉まれていた。
「くすっ。これは何よ?」
「たいやき」
「鯛とはとても思えない、この、たいやきとやらは、おいしいの?」
屋台の親父は面倒臭そうにたいやきを千切ると、半分を無料でくれた。
(しっぽか。ケチんぼめ)
うまかった。
「こ、こんな鯛があるか、ちくしょう。三つ頂戴」
バイト代は使わず貯めていたが、二千四百円だけ懐にいれて、腹いっぱい遊ぶことに決めていた。
あれこれと買い食いをし、屋台に並んでいるときである。
「ねえ、お姉さぁん」
下から声をかけられた。
髪の長い少女である。
(誰?)
「あ、人違い。ごめん」
小声で呟き、少女は走り去った。
(なあんだ)
ふっと息を吐く。
それより屋台である。
「わたあめとやらを、ひとつ」
「はい、三百円ね」
「えっ?」
値札を確認した。
「百五十円って書いてあるけど」
「さっきの妹さんの分。お姉さんでしょ?」
「はあ?」
後ろを振り返ったが、すでに人ごみで見えない。
(ああ、そういうことか)
見事に食い逃げされたらしい。
屋台の男も、察しはついたのだろう。焦り気味に言った。
「え、と……買わないなら妹さんの代金だけでも払ってよ」
「馬鹿らしい。払うわけないでしょ。食い逃げされた間抜けはあなたなんだから、早くして頂戴」
言って百五十円を置くと、男の口がきつくなった。
口争いになり、周囲から視線が集まる。
「ああ、もういいわよ! 払うってば!」
苛立ち、金を余計に叩きつけてわたあめを買い、その場を去った。
目立ちたくはなかった。
人妖みな踊り、騒ぎ、熱気に浮かれる中、天子はひとり喧騒を離れて、時が経つのを待っていた。
銀杏の樹に背もたれて松明の火を眺めていたが、やがてずるずると腰が落ちた。
ちゃらり……。
人の気配がする。
足音が近くなり、ぬうっと影が折れて来た。
「今晩は。寒くない?」
「別に。久しぶりね、上白沢さん」
「慧音でいい。よっと」
隣に来て、どさりと腰を降ろした。
親しくなった覚えはない。
(何の用よ)
ちらりと横を覗き見ると、視線がぶつかり、慧音は戸惑うような顔をした。
「礼を言ってなかった」
「何の?」
「見ての通り、収穫が高かったよ。人々が期待したほどではないけどね」
「あ、そう」
あの満月の日、穣子に約束をしただけで、天子は疲れ果てて帰ってしまった。
里では天子が何をしたかは知られていない。
ただ豊穣を司る神を迎えたことで喜び、いくらか不安の和らいだ日々を、忙しく暮らしていたであろう。
「ありがとう、天子」
慧音が頭を下げた。
なぜか、妙に戸惑ってしまい、
「うん……」
と応えたきり言葉を継げなくなった。
収穫祭に来たのは、見届けたかったからである。
神輿が里を駆け廻り、豊穣の神は再び山へ帰っていく。
それを見納めたことで、
(やっと終わった)
幕が閉じるのを感じた。
人々が帰途に付き、幽かな熱気を残しながら散り散りになって減っていく。
その一方で、
「しかし今回の件、実に無駄が多かった。里にも社はあるのだから、最初にそこで秋穣子に話を通せば済んだろう。それを形式だなんだと、凶暴な巫女に頼むから……」
慧音の長話が始まっていた。
「また、豊作が良いとは限らない。吉凶の本質は同じものだ。本来、不作豊作は交互に来るのさ。皆も分かっているのに、いざ不安が目前に迫ると囚われてしまう。これを克服するにはまず、歴史を識り……」
天子は全て聞き流した。
すでに人はまばらで、風が冷たく吹き抜けている。
「先生」
ふと声がする。
慧音の教え子らしい。とっさにその頭をわし掴みにして、天子が声をかけた。
「おい貴様、私の時給を言ってみろ」
髪長な少女だった。
「やってくれたわね……さっきの、妹さん」
思わず唇がつりあがった。
改めて見れば、天子と似ていなくもない。
この少女、悪びれもしない。
「ふん。まぬけ面してボケっとつっ立ってたからよ」
事情を知って慧音がきつく叱ると、少女はしぶしぶと頭を下げた。
名を、地子といった。
(続く)
楽しみに待ってます!
あと、かに面ってもしかしてずわいがn
本当に不器用にも程がある。天子も、そして魔理沙も。もっと上手くやれるだろうに……。
里の人たちへの後ろめたさを感じつつも、色んな輩と出会えたあの異変を謝りたくない、ってのも特に。
でもだんだんと天子が不器用なりに頑張って仕事をこなして、態度が変わっていくところに成長を感じます。
努力って良いもんだ。
あと「かに面」って結構イケてると思いますよ、うん。
次も楽しみに待ってます
理想の天子です。