「キス、してもいい?」
頬を赤らめたアリスがおずおずと放った一言は和やかだった室内の空気を切り裂いた。
紅魔館の内部に用意されているパチュリーの自室。普段滅多に使われることのないその部屋に寝巻き姿の魔法使いの少女三人、魔理沙、アリス、パチュリーが集っている。
一人で寝るにはどう考えても大きすぎるベッドの上、正座して魔理沙とパチュリーを見つめるその瞳は真剣そのもの。もじもじとした様子とは裏腹に決意をみなぎらせている。
唐突なその言葉に、アリスの左隣に肘をついて寝そべっていた魔理沙の顎は思い切りベッドへとダイブした。また、ベッドサイドに腰掛けて長い髪を梳かしていたパチュリーも、櫛を床へと落としてしまう。
「だ、だめかしら、やっぱり」
いつもの澄ました表情からは考えられないほど頼りなげな表情でアリスは呟く。両手で抱きしめるように抱えている真っ白な羽毛枕のせいで、その姿はより幼い印象を与える。
ややあって、立ち直った魔理沙はよろよろと起き上がり、胡坐をかき、両手を足首のところで突っ張らせた。きりりとしたまなざしはまっすぐにアリスを見つめている。
「正気か?」
「ずいぶん唐突ね」
ゆったりとした動作で櫛を拾ったパチュリーも再び髪を梳かし始めることなく、ベッドの上に両足を崩した状態で座り、首を傾げる。
二人の言葉に、あー、だの、うー、だの唸りながらアリスは視線を避けるかのように顔を背ける。それでも、先ほどの発言を撤回するつもりはないらしく、小さな、しかしはっきりした声で繰り返した。
「魔理沙、パチュリー。貴女達にキスがしたいの」
そもそも、なぜアリス、魔理沙の二人がパチュリーの自室に集っているのか。そこには浅い理由がある。
一週間ほど前、いつものように図書館で、魔法使い三人は魔法の理論や研究について熱く議論を交わし合っていた。パチュリーの深い知識や、アリスの魔界仕込みの技術、そして魔理沙の未熟ながらも独創的な視点など、互いに得るものは多く、有意義な時間である。
話に集中していればあっという間に時間は過ぎていく。その日も話し足らないまま、二人が帰らなければいけない時間になった。
帰り支度をしながら、名残惜しげに魔理沙が呟いた一言がきっかけだった。
「一晩じゅうずっと話しててもきっと飽きないのに。物足りないぜ」
それはアリスも同じように感じていたことだった。
もっと話したい、もっと真理を追究していきたいという、魔法使いとしての思い。
単純に気の合う三人で過ごす居心地のよさに浸っていたいという気持ち。
きっとその二つの思いは三人が共通して抱いていたもので。
「だったら、泊まっていけば?」
だからこそ、あえて何でもないことのように言ったと分かる声音でパチュリーが本に目を落としたまま呟いた時、魔理沙とアリスが異様なほどに食いついたのは無理からぬことだった。
誰もが乗り気になり、あれよあれよと言う間に今日、アリスと魔理沙が泊まりにくる計画が決定された。しかし、その時点では図書館で夜通し語り合う会、だったはずなのだが。
二人の宿泊を間違った方向で理解した小悪魔が妙な根回しをしたせいで、魔法研究会がお泊り会に変貌してしまったのである。これまでほとんど紅魔館の住人以外との付き合いを持たなかったパチュリーの友達が泊まりにくることに皆が浮かれていた。
ベッドは仮眠ができれば十分、食事も最低限でいいと訴えるパチュリーの言葉をよそに、咲夜やレミリアの協力を経て、寝室の清掃や食事など“お泊り会”の準備が万全になされた。ちなみに、「咲夜とレミィは確信犯よ、面白がってた」とはパチュリーの弁である。
そうして、お泊りセットを抱えてやって来たアリスと魔理沙は盛大なもてなしを受けることになった。もちろんそれは悪いものではなく、パチュリーも含めてそれなり以上に楽しむことができた。
しかし、その状況で魔法について議論することなどできるはずもない。
「ハダカの付き合いって素晴らしいですよね」とにやにや笑う小悪魔の陰謀で三人揃って入浴をした後、いざ研究をと図書館へ向かおうとしたものの、咲夜や小悪魔に寝室に押し込まれてしまった。「パジャマパーティに本は必要ありませんよね」と主張する小悪魔にパチュリーは本まで没収されてしまった。脱衣所に置いてあった本を盗み出されたらしい。
そんな経緯で本日の趣旨は本来の意図とは逆ベクトルのお泊り会へと変貌したのだった。
もっとも、三人が本気でそれを阻止しようと思えば阻止できたのにも関わらず、取り立ててそれを拒まなかったのは、“お泊り会”のムードがひたすら好ましいものだったからであろう。結局のところ、三人は叡智を求める魔法使いであると同時に、少女であったから。
こうなった以上楽しもうぜ、という魔理沙の号令に従って、トランプゲームをしてみたり、何気ない雑談をしてみたり、お茶を飲みながらお菓子をつまんでみたり、三人はごく普通の少女のように、なんてことのない親友同士のように夜を過ごしていた。
そうしているうちにアリスは思い至ってしまった。かねてからの願いを叶える術に。
あのね、といつもより少しだけ舌ったらずな声で内緒話をするようにアリスは語る。
幼いころからの習慣。実家で暮らしていた頃、母や姉たち、そしてお気に入りのお人形たちに、毎晩必ずおやすみなさいのキスをしていた。怖い夢を見ないようにするおまじない。
その習慣に慣れ切っていたアリスは幻想郷に出てきて、一人暮らしをするようになってからもそれから抜け出すことができなかった。さすがに実家にいる家族とは不可能だったので、相手は大量の人形たち。
子どもっぽいのは承知しているが、やらないと寂しくて、落ち着かなくてよく眠れないのだ。
しかし、キスをする相手が人形だけとはいかにもさびしい。
いつからかアリスはこの幻想郷でも、誰かにおやすみなさいのキスをしたいと思うようになっていった。
そして、今日。そのチャンスが訪れたのである。
普段のプライドをかなぐり捨てて、恥ずかしいのは我慢して。しかし、アリスはパチュリーと魔理沙がそれを受け入れてくれることを確信していた。
「いや、なんで確信しちゃったんだよ」
次第にテンションが上がり、恍惚とした表情をしていたアリスに魔理沙がややこわばった表情で突っ込む。その頬は僅かに朱がさしている。
「だめ?」
小さく首を傾げて、魔理沙の方へ身を乗り出すアリス。アリスが乗り出してきた分だけきっちりのけ反った魔理沙はうろたえきって、上ずった声で言い返す。
「や、だって、おかしいだろ、友達なのに。き、きき、キス、とか」
きれいにデクレッシェンドしていく魔理沙の声はか細く、最後は口の中でもごもご言っているだけの状態になっている。パチュリーも何か言ってくれよ、とばかりにすがるようにパチュリーのネグリジェの袖を引っ張る。
魔理沙、アリスとは違い、いつもどおりの様子のパチュリーはゆっくりと口を開く。
「いいわよ、別に」
「えっ!ちょ、なに言ってんだよ、パチュリー!」
しれっとした様子で呟いたパチュリーの顔を穴が開きそうなほどに見つめる魔理沙。動揺した声はいつもよりも甲高い。
そんな動揺をよそに、嬉しそうに微笑むアリスははにかむ。
「いいの?本当に?」
「私とアリスの仲じゃない。キスぐらい何を今更、ねえ」
「ちょっと、待った!それは聞き捨てならないぜ、お前ら一体どんな」
「なんで、あえて誤解を招くような言い方するかなあ……」
少しだけ唇の端をあげたパチュリーは肩をすくめる。その余裕のある様子は流石百年を生きた魔女といったところか。
その言葉に動揺を隠せないのは外見通りの少女である魔理沙であり、それよりは年を重ねているアリスはその言い草に呆れを隠さない。
「ふふ、しなくていいの?」
「いや、するけど」
「するのかよ……」
私は見ない、何も見てない!と頑なに、自分がするわけでもあるまいに、真っ赤になって両手で顔を覆う魔理沙。もっとも、指の隙間から覗く瞳はしっかりと見開かれているのだが。
「じゃあ、ちょっと失礼して……」
「ええ……」
自然体でアリスに向き合うパチュリー。身長の差から自然、見上げる形になる。そのさらさらとした前髪を軽く掬うようにしてよけながら、少しずつアリスは顔を近づけていく。
「……ねえ、パチュリー」
「なに?」
「ちょっと目を閉じててくれる?ガン見されてるとやりづらいんだけど」
「あら、残念」
パチュリーがしぶしぶ、といった様子で、瞳を閉じる。そうして、一息ついたアリスはパチュリーにそっと口づけた。
「……口じゃないのね」
「口にしたら、舌入れるでしょ」
「当然」
ややあって、アリスの唇の感触が離れていったのと同時にパチュリーは小さく呟いた。口づけられた額のあたりをそっと慈しむように撫でながら。
だが、その口調は残念そうというよりは、いつも通りの皮肉っぽい言い方でアリスは笑ってしまう。
その反応が不本意だったのか、パチュリーは顔をしかめて反撃を目論む。
「じゃあ、私からも」
「ちょ、え、パチュリー?」
アリスが反応するよりも前に近づいてきたパチュリーはその勢いのまま、キスをする。
「……なんで首筋?」
「レミィがいつもそうだから」
「……ああ。マニアックね」
「満足してもらえたかしら?」
「とってもね。……っあはは」
「ふふっ」
普段よりもずっと近くにある顔を見合せて、笑いあう。
何がおかしいというわけではない。ただ胸の奥から込み上げてくるおかしさは止まらず、二人はひそやかな笑い声は響き続けている。
きっと、この感覚は今この瞬間の二人にしか分からない。
「おいおい、二人で楽しそうにしてるなよ」
ちぇ、とつまらなさそうに呟く魔理沙。まだ若干頬に赤みが残っているとは言え、大分落ち着いた様子に戻っている。
「と、いうわけでだな」
「私も混ぜろ!」
相変わらず笑い続ける二人に飛びつくようにして、乱入する。なんの心の準備もしていなかったアリスもパチュリーもその勢いに対応することが出来ず、抵抗することもできないまま、そろってベッドに倒れこむ。
「ちょっと、魔理沙、重いってば!」
「あんまり暴れないで、埃が舞うから」
ちょうど魔理沙の胴体に押しつぶされる格好になったアリスがじたばたと暴れ、肩を抱かれているパチュリーが静かに抗議の声を上げる。
「ああ、悪い悪い」
へへ、と笑う魔理沙は体勢を調節し、ちょうどアリスとパチュリーの間にすっぽりとはまる位置にうつ伏せに横になった。
「あら、キスなんていやなんじゃなかったの?」
「子どもは無理しなくていいのよ」
おかしそうに笑うアリスが、自らの髪を手櫛で直していたパチュリーが、口々に告げる。
明らかにからかいを含んだ言葉に頬を膨らませた。
「おでことか、そういうんなら、そう言えよ。き、キスとか言うからてっきり……」
「あら、魔理沙。いったい何を想像したの?」
「そうね、是非聞かせてほしいわ」
見る見るうちに染まっていく魔理沙の頬を人差し指でつつくアリス。いつも通りの淡々とした調子で呟くパチュリー。
翻弄される魔理沙にはもう返す言葉もなく、ただ俯くことしかできない。
流石にからかい過ぎたか、とアイコンタクトを取りあう二人。目と目で語るコミュニケーション。一度微笑んで頷き合う。
「魔理沙」
「動かないでよ」
ちう。
左にアリス、右にパチュリー。ふわりと接近して、同時に魔理沙の頬に唇を寄せた。
「……っ」
反射的に飛び起きた魔理沙は、嬉しそうな、それでいて恨めしそうな涙目で口をぱくぱくさせながら、二人を見つめる。
アリスとパチュリーは悪戯成功、と言わんばかりにこつんとこぶしをぶつけ合って、笑っている。
「……あーっ、もう、寝る!」
自分が混ざるといった手前、抗議することも出来ず、だからと言ってこのまま二人を直視しているのは恥ずかしすぎる。
焦った魔理沙はベッドサイドにつけられていた唯一の照明を消してしまう。そうして、一枚しかない毛布を頭から被って二人から距離を置いたところにしゃがみ込む。
薄明かりの消えた室内は途端、真っ暗闇。
「なんで消しちゃうのよ」
「うるさい!おやすみのキスなんだから、したら寝るもんだろ!」
「別にそんなに照れることないのに」
「照れてなんかない!」
呆れと笑いを含ませたアリスの声とむきになった魔理沙の声がボールのようにポンポン飛び交う。
暗闇の中だというのに、互いの表情まで分かってしまうようなやり取り。
「……っぷしゅ」
二人のやり取りを黙って聞いていたパチュリーが不意にくしゃみをする。
白熱した魔理沙とアリスの口論の最中に響いたその少しばかり間抜けな音はそれを止めるにはもってこいだった。
ぷっ
先に吹き出ししたのはどちらだったか。気がつけば、魔理沙とアリスは笑いだしていた。
決まりが悪いのはパチュリーで、不覚そうな様子を隠そうともしない声音で言い訳がましく呟く。
「う……。湯冷めしたのかしら。ていうか、魔理沙、一人で毛布使わないで。寒い」
少し早口なのは、いつも通りというよりは恥じらいか。身体を起こして、魔理沙の毛布を取り返そうと引っ張る。
「ああ、確かにちょっと寒いかも」
それを受けて、アリスも同意を示す。
少しばかりフィーバーしていたせいで気付かなかったけれど、自覚すれば確かに冷える。三人の中で一番小柄なパチュリーの身体が冷え切ってしまっても無理はない。
「小悪魔に毛布、もっと持ってこさせようかしら」
「そうね。それがいいかも」
「その必要はないぜ」
パチュリーが立ちあがろうとした瞬間、妙にかっこつけた言い方で魔理沙が笑う気配。
え?と問い返す暇もなく、二人に向かって毛布がふわりとかけられた。先ほどまで魔理沙がくるまっていたせいか、ほのかに温いそれにアリスはなぜかほっとする。
「ほら、三人でくっついてれば、あったかいだろ?」
パチュリーの隣に自らももぐりこみ、その腕を抱きしめる魔理沙。引っ張られて再び横になったパチュリーは戸惑った気配。
滅多に見られない動揺する“動かない大図書館”というものに、いたずら心を刺激されたアリスは魔理沙と同じようにその細い腕をとる。
「アリスまでっ」
半ば悲鳴のようなパチュリーの声。
しかし、なるほどこれはあたたかい。誰かとこんなにくっついて眠るなんて子どもの頃以来だ。アリスは、温まったのが身体だけではないことに気がついた。
「おいおい、あんまり暴れると身体に悪いぜ」
「だ、誰のせいで」
「でも、あったかいじゃん」
「……それは、そうだけど」
どこか納得のいかない様子のパチュリーの呟きを最後に不意に訪れる沈黙。
それは気まずいものではなく、心まで溶けてしまいそうな柔らかい静寂。
やがて、それを破ったのはまろみを帯びた魔理沙の声。
「楽しいな」
「ええ」
「そうかもね」
「ずっとさ、こうやっていられたらいいよな」
「きっとそうなるんじゃない」
「不本意だけど、そうなる気がしてならないわ」
くすくす、くすくす
心の底から楽しそうに、しあわせそうに少女たちは微笑む。
互いのぬくもり、やさしい気持ち。
三人の笑い声は夜が更けるまで、ずっとずっと、絶えることはなかった。
時間って残酷だな…
時は残酷で冷酷。それでも思い出してくれる誰かの居る魔理沙は幸せなのでしょうね。
時間って残酷だなぁ
うう、切ないです…
ずぅぇっッッったいに!見てないからなぁ!
ええぃ、魔理沙はきっと咲夜さんと良い感じになっているに違いない(咲マリ派
俺は見てないな(;ω;)
こんなオチだと信じ込まざるをえない。
レイマリ派の俺としては霊夢と幸せに過ごしていると信じざるを得ない。