「お姉様にはネコミミが生えており、肉球があり、鋭い爪が生えており、ふわふわの長い尻尾がある。よってお姉様は猫である。QED」
「誰に言ってるか知らないけど、8秒で分かる状況説明をどうもありがとう。フランドール」
某月某日、紅魔館大図書館。
頬杖を突き、木製の机でガリガリと爪を研ぎながら妹にお礼を述べるレミリア・スカーレットの声は不機嫌さを露にしたものであった。
ある朝目覚めると、レミリアは猫になっていた。
正確にはフランドールが述べるとおり、猫が猫たる特徴的な部分のみが中途半端に猫と化している。
「まったく、こんなナリじゃどこぞの半獣を馬鹿にすることも出来やしないね」
ぶちぶちと愚痴を吐き出し続けるレミリアに応対する者はいない。
ここは図書館、読書をする場所であり、知識への探求心を充足する場所であり、静謐こそが相応しい。
パチュリーもフランドールもその事を心得ているためレミリアの事は基本、無視する。
もっとも、レミリアとて嫌がらせで管を巻いている訳ではない。彼女が図書館にいるのはそれ相応の理由がある。
誰も相手をしてくれない為、レミリアの機嫌は更に悪くなり、かび臭い図書館には木製の机が削れる音だけが響き渡る。ガリガリ。
「レミィ、それ止めたら? 替えの机を用意するのは咲夜なのよ? ただでさえ多忙なメイド長の仕事を増やしちゃ可哀想よ?」
耳障りな騒音が響いているのが気に食わないという事もあり、パチュリーがレミリアを窘める。
「指が勝手に動くんだから仕方ない……っていうかパチェ、誰のせいでこんな事になったと思っているのかしら?」
「いや、多分お姉様が『ネコもいいねぇ』なんて言ってたからじゃない? ホラ、これあげるから静かにしててよ?」
レミリアの問いにぶっきらぼうに答えるのは問われたパチュリーではなく、彼女と並びソファに腰掛けるフランドールであった。
その視線はレミリアではなく、片手で支えた一冊の本へ注がれており、その内容を追っては右へ左へ行ったり来たりを繰り返している。
「そりゃ確かにそう言ったけどね……」
レミリアはフランドールが何処からともなく取り出し、投げ渡したゴム鞠を転がしつつも、こめかみには青筋を浮かべ、眉をヒクつかせている。つられて尻尾の先もピクピクしていたりする。
レミリアはここ数日、’猫’というものに興味津々であった。
理由は至って簡単。ここのところ博麗神社に遊びに行くと、決まって一匹の猫又――どこぞの隙間妖怪の式の式とは違い、全身過不足無く猫々しい黒と赤の混じった毛並みの綺麗な奴だ――がおり、その猫又はこれまた決まって霊夢の膝の上で昼寝していたりするのだ。
霊夢の方もまんざらではないらしく、気持ちよさげに寝ているそいつの喉をカリカリするなどして可愛がっていた。
故に、である。
レミリアはその事を友人の魔女にボヤいた。『ネコもいいよねぇ』と――
その結果――
「だから猫になれる薬を作ってあげたんじゃない?」
こともなげに言い放つ七曜の魔女。
彼女が実験的に――適当な材料を適当な分量で調合して作製した魔法薬。
それを昨晩の夕食に盛られたせいで今、レミリアは半猫と化している。
ちなみにそれをレミリアの夕食に盛った直接の犯人は完全で瀟洒な誰かさんな訳だが……
親友の横柄な態度を前にしてレミリアの堪忍袋の緒が切れた。
「私は自分が猫になりたいなんてひとっことも言ってない! それともなに? 百年も生きた魔女様の耳は歳相応に人の言葉を読み取れなかったりするのかしら!?」
エキサイトして暴言を吐き散らすレミリアをパチュリーはいつもどおりの不機嫌そうな目で見つめている。
「レミィったら失礼ね、私がそんな浅はかな間違いを犯す訳ないでしょ?」
「だったらこれはどういうつもりさ!!」
両手で机を叩くレミリアであったが、肉球のせいで彼女が期待するようなバンバンという音が机から発することはなく、どちらかと言うとみょんみょんといった感じの篭った音が生まれては静寂の図書館に溶け入るだけだった。
そんなレミリアの様子を見たパチュリーは笑って――彼女と親しい間柄である者だけが、かろうじて分かる程度に笑って言った。
「私が貴女を猫にしたかったの」
「開き直った!?」
「一応責任は取るつもりよ? だからこうして解呪の方法を探してあげてるじゃない」
レミリアが読書もせずに図書館に居座っているのも、パチュリーが黙々と本を読み漁っているのも全て、その為である。その筈である。
「でもまぁ、パチュリーの気持ちも分かるよ。お姉様って猫っぽいもんね♪」
「どこが!?」
カラカラと笑うフランドールにレミリアは非難の声を上げる。
尻尾の毛の逆立ち具合を見るに、そろそろグングニルが飛んでくる頃合と考えるのが妥当だ。
フランドールは爆発寸前なレミリアに一切臆する事無く、懐から取り出したソレを放り投げつつ言った。
「ドコでもイイじゃん、可愛いし。ホラ、ねこじゃらし」
「ぅぐ……」
無邪気な笑顔の妹にそう言われるとレミリアの方も悪い気はしないのか、素直に放り投げられたねこじゃらしを受け取り、片手で弄ぶ。
「そうですわね……どちらかというと猫っぽいというより猫にしたい要素が多いと――お二人はそう仰りたいんじゃないですか?」
「咲夜、唐突に現れて盗聴でもしてたかのように会話に混じってくるのは止めて頂戴。あと手に持った’それ’は一体どういうつもりかしら?」
前触れ無く主人の前に現れたメイド長の手には何処から調達したのか――恐らくは香霖堂か天狗に頼んだのだろう――『ぽらろいど』とかいう写真機が握られている。
「はい、私はパチュリー様とは違い魔法薬のことなど分かりません故――主人の身に起こった変事の経緯をつぶさに記録することが従者としての義務であると存じます」
その変事を引き起こした実行犯が自分であることなどおくびにも出さず、いけしゃあしゃあと言ってのける。
口を動かす間にもその身体は休むことなく移動し、前から後ろから、さまざまな角度でレミリアの写真を撮り続けている。
記録された数々の写真は撮影者の手によって他の、誰の目にも触れない場所に厳重に保管されることは想像に難くない。
その様子を見ていたパチュリーは相変わらずの不機嫌そうな目を咲夜に向ける。
「咲夜、ここでの撮影を許可した覚えは無いわよ?」
「申し訳ありませんパチュリー様、禁止された覚えもございません故」
一切悪びれる様子なく、主人の親友に対して切り返す従者からは不退転の意志が感じられる。
直後、咲夜がおもむろに懐に入れ、取り出した手には何故か、それが握られていた。
「はい、お嬢様。ねこじゃらしでございます」
「もう持ってるよ。お前の目には光の三妖精でも棲んでるのか」
フランドールに貰ったねこじゃらしを片手でわしゃわしゃとやりつつ、レミリアは苛立たしげな口調で言った。
「まぁそうね、犬か猫かといえば……確かに猫よね。常に気品と誇りを身に纏い、その立ち振る舞いは毅然悠然とし、優美にして典雅。知力、体力、時の運。どれ一つとっても超一級。凡百の妖怪どもじゃ百回逆立ちしてもひっくり返せない天性のカリスマ。正に妖怪界のF1。何より孤高にして至高。
血に呪われたその心は救われず、救いを必要とすらしない。その身体はしなやか且つ強靭で非の打ち所も無い。猫ね。猫だわ。犬のように群れる必要性なんか皆無だものね?」
相変わらず黙々と読書を続ける親友と妹に向かって 自分のカリスマ溢れる姿を嬉々として語るレミリアであるが、両手で猫じゃらしをふちゃふちゃといじくり回しながらではカリスマなんぞ夜雀の泪ほども感じられない。
両手は世話しなく動かしているものの、退屈そうなレミリアの眼前にメイド長が現れる。
「お嬢様、紅茶をお持ちいたしましたわ」
ふと、レミリアが時計に目をやれば時刻は三時を回っていた。紅い悪魔は気の利く従者にささやかな感謝を述べた。そんでもってすぐさま撤回したくなった。
「ああ、ありがと咲夜――って、何これ? すんごいぬるくて乳臭くておまけに変な植物が付いて来てるんだけど?」
レミリアは目の前に置かれたティーカップに舌打ちし、従者に対し訝しげな視線を向ける。
「今のお嬢様にはこちらの方がよろしいかと思いまして……人肌の温もりミルクティーのマタタビ添えでございます」
「冗談じゃないわ! こんな紅茶が飲めるわけないでしょ!」
そう言ったレミリアがテーブルごとひっくり返した紅茶は床を汚す事も無く、いずこかへ消え失せた。
「お嬢様がどうしてもと言うなら温かいものにお取替えいたしますが?」
「当ったり前でしょ? すぐやって頂戴」
レミリアがそう言った次の瞬間には目の前に新しい紅茶が用意されており、カップからはホクホクと湯気が立っていた。
「ああ、この立ち上る香りと熱気のハーモニー……これぞ紅茶の醍醐味……フギャー!!」
レミリアは紅茶を一口含むと間髪入れずに噴き出した。
「レミィったら猫舌のくせに無理するから……」
「まぁ、お約束っていうか古典的だよねぇ……むしろ化石?」
掘らねば損である。
「ああもう! ああもう! ああ!! もう!!」
「お嬢様、落ち着いて下さい。紅茶代わりにマタタビをどうぞ」
「引っ張るな!」
植物であるということ意外の共通項のないマタタビが紅茶の代用品になるかどうかなど、パチュリーの知識を持ってさえ分からぬことであるが……そんなことは日陰の魔女にとっては探究心をそそられるような命題でも何でも無かったので結局のところ、どうでもいい事だった。
「いいことパチェ? さっさと元に戻る薬を作りなさい。もし今日という日が終わるまでに私の姿が戻らなければ――紅い悪魔と七曜の魔女の友情は劇的で感動的で破滅的な最期を迎えることになるわよ?」
威厳たっぷりの命令口調であるがマタタビに頬擦りしながら言ったのではカリスマなんぞ遥か緋想天の彼方である。
そのせいかはともかく、紫の魔女は友人の言葉を歯牙にもかけぬ様子で言う。
「私個人の意見を言えば、レミィはそのままでいいと思うわ」
「さんせ~い♪」
「待て、私の人権はどうなる」
「猫であろうとなかろうとお嬢様に人権など存在しないと存じ上げますが?」
「ひどっ! 咲夜ってばひどい! 事実だからってひどい! 人でなし!!」
「犬ですから」
「犬だものね」
「だもんねぇ♪」
「自分で自分のこと犬とか言わない! あと二人とも乗っからない!!」
何だってこんな時だけチームワーク抜群なんだと、紅い悪魔は心中で毒づいた。
「レミィ、さっきから落ち着かないみたいだけど、どうかした?」
広辞苑程度の厚さの本をサクサクと読み進めつつ、パチュリーが問いかける。
問われた吸血鬼は椅子の上でキツツキの如く体を前後させたり、椅子の座面に添えた両手を支えにして全身を上下させたりしている。
「う~、なんていうか、この姿だと椅子に座ってるのが辛いんだよ。尾骨が当たってさ」
「お嬢様、僭越ながら私めが人間椅子になるという選択肢のみがございます」
しれっと言ってのける咲夜は先程までと何も変わらぬ完全で瀟洒な微笑を浮かべている。流石である。
「咲夜は従者の鑑だねぇ」と、フランドール。
「タチが悪そうだけどね」と、魔女が評すれば。
「心外ですわ」と、従者は応える。
レミリアは椅子に腰かけた咲夜の膝の上にちょこなんと座り、足をプラプラ、尻尾は丁度、咲夜の大腿の溝に沿う形で落ち着いた。
「ああ、これは楽でいいね。と、それはさておき咲夜、何故に貴女は当然の如く耳の後ろをカリカリと掻いてくれちゃってるのかしら?」
「お気に障りましたのなら止めさせて頂きます」
「いや、別にいいんだけどね」
今現在、レミリアはいつも被っているモブキャップを脱いでいる。ピンと立った耳が邪魔なのだ。
「猫っぽいよねぇ……」
「猫っぽいのよねぇ……」
フランドールとパチュリーの意見は一致した。
「パヂェ~ ま~だ~?」
レミリアはいい加減に待ちくたびれていた。解呪の方法は一向に見つかる気配が無い。
外では日が傾いて来る頃合である。
「レミィ、知ってた? ニンニクってユリ科の植物らしいわよ?」
「アンタやる気あんの?」
訂正、紫の魔女には解呪法を見つけようとする気配が無い。
レミリアのイライラは我慢の限界を突破した。
「もういい、咲夜、日傘を用意して頂戴。気晴らしに神社に遊びに行ってくる」
「かしこまりました。が――その格好でよろしいので?」
主人が言い終えると同時に傘を用意していた咲夜の目には『そんな威厳も何も無い格好で外を出歩かれると唯でさえ枯渇しかけているなけなしのカリスマを根こそぎ失う事になりますよ?』的なニュアンスが含まれていた訳だが、レミリアの方は気にした様子はない。というか知ったこっちゃない。
「だってホラ、なんだかんだでこの姿の方がウケがよさそうじゃない?」
そう言ってレミリアは立ち上がり、傘を受け取ると、図書館の出入り口へと向かう。
フランドールは読み続けていた本を脇に置くと、羽、耳、尻尾を揃ってピコピコさせながら図書館を後にする姉の姿を見送った。
パチュリーもまたその姿を見て、解呪の薬はしばらく必要ないか……などと考えていた。
「猫だよねぇ……少なくとも……アレに関しては。」
「猫なのよねぇ……何故か……アレに関すると。」
「むしろ猫被りたいんじゃないですか? アレの前では。」
「「咲夜 上手いこと言った!!」」
<QED?>
「誰に言ってるか知らないけど、8秒で分かる状況説明をどうもありがとう。フランドール」
某月某日、紅魔館大図書館。
頬杖を突き、木製の机でガリガリと爪を研ぎながら妹にお礼を述べるレミリア・スカーレットの声は不機嫌さを露にしたものであった。
ある朝目覚めると、レミリアは猫になっていた。
正確にはフランドールが述べるとおり、猫が猫たる特徴的な部分のみが中途半端に猫と化している。
「まったく、こんなナリじゃどこぞの半獣を馬鹿にすることも出来やしないね」
ぶちぶちと愚痴を吐き出し続けるレミリアに応対する者はいない。
ここは図書館、読書をする場所であり、知識への探求心を充足する場所であり、静謐こそが相応しい。
パチュリーもフランドールもその事を心得ているためレミリアの事は基本、無視する。
もっとも、レミリアとて嫌がらせで管を巻いている訳ではない。彼女が図書館にいるのはそれ相応の理由がある。
誰も相手をしてくれない為、レミリアの機嫌は更に悪くなり、かび臭い図書館には木製の机が削れる音だけが響き渡る。ガリガリ。
「レミィ、それ止めたら? 替えの机を用意するのは咲夜なのよ? ただでさえ多忙なメイド長の仕事を増やしちゃ可哀想よ?」
耳障りな騒音が響いているのが気に食わないという事もあり、パチュリーがレミリアを窘める。
「指が勝手に動くんだから仕方ない……っていうかパチェ、誰のせいでこんな事になったと思っているのかしら?」
「いや、多分お姉様が『ネコもいいねぇ』なんて言ってたからじゃない? ホラ、これあげるから静かにしててよ?」
レミリアの問いにぶっきらぼうに答えるのは問われたパチュリーではなく、彼女と並びソファに腰掛けるフランドールであった。
その視線はレミリアではなく、片手で支えた一冊の本へ注がれており、その内容を追っては右へ左へ行ったり来たりを繰り返している。
「そりゃ確かにそう言ったけどね……」
レミリアはフランドールが何処からともなく取り出し、投げ渡したゴム鞠を転がしつつも、こめかみには青筋を浮かべ、眉をヒクつかせている。つられて尻尾の先もピクピクしていたりする。
レミリアはここ数日、’猫’というものに興味津々であった。
理由は至って簡単。ここのところ博麗神社に遊びに行くと、決まって一匹の猫又――どこぞの隙間妖怪の式の式とは違い、全身過不足無く猫々しい黒と赤の混じった毛並みの綺麗な奴だ――がおり、その猫又はこれまた決まって霊夢の膝の上で昼寝していたりするのだ。
霊夢の方もまんざらではないらしく、気持ちよさげに寝ているそいつの喉をカリカリするなどして可愛がっていた。
故に、である。
レミリアはその事を友人の魔女にボヤいた。『ネコもいいよねぇ』と――
その結果――
「だから猫になれる薬を作ってあげたんじゃない?」
こともなげに言い放つ七曜の魔女。
彼女が実験的に――適当な材料を適当な分量で調合して作製した魔法薬。
それを昨晩の夕食に盛られたせいで今、レミリアは半猫と化している。
ちなみにそれをレミリアの夕食に盛った直接の犯人は完全で瀟洒な誰かさんな訳だが……
親友の横柄な態度を前にしてレミリアの堪忍袋の緒が切れた。
「私は自分が猫になりたいなんてひとっことも言ってない! それともなに? 百年も生きた魔女様の耳は歳相応に人の言葉を読み取れなかったりするのかしら!?」
エキサイトして暴言を吐き散らすレミリアをパチュリーはいつもどおりの不機嫌そうな目で見つめている。
「レミィったら失礼ね、私がそんな浅はかな間違いを犯す訳ないでしょ?」
「だったらこれはどういうつもりさ!!」
両手で机を叩くレミリアであったが、肉球のせいで彼女が期待するようなバンバンという音が机から発することはなく、どちらかと言うとみょんみょんといった感じの篭った音が生まれては静寂の図書館に溶け入るだけだった。
そんなレミリアの様子を見たパチュリーは笑って――彼女と親しい間柄である者だけが、かろうじて分かる程度に笑って言った。
「私が貴女を猫にしたかったの」
「開き直った!?」
「一応責任は取るつもりよ? だからこうして解呪の方法を探してあげてるじゃない」
レミリアが読書もせずに図書館に居座っているのも、パチュリーが黙々と本を読み漁っているのも全て、その為である。その筈である。
「でもまぁ、パチュリーの気持ちも分かるよ。お姉様って猫っぽいもんね♪」
「どこが!?」
カラカラと笑うフランドールにレミリアは非難の声を上げる。
尻尾の毛の逆立ち具合を見るに、そろそろグングニルが飛んでくる頃合と考えるのが妥当だ。
フランドールは爆発寸前なレミリアに一切臆する事無く、懐から取り出したソレを放り投げつつ言った。
「ドコでもイイじゃん、可愛いし。ホラ、ねこじゃらし」
「ぅぐ……」
無邪気な笑顔の妹にそう言われるとレミリアの方も悪い気はしないのか、素直に放り投げられたねこじゃらしを受け取り、片手で弄ぶ。
「そうですわね……どちらかというと猫っぽいというより猫にしたい要素が多いと――お二人はそう仰りたいんじゃないですか?」
「咲夜、唐突に現れて盗聴でもしてたかのように会話に混じってくるのは止めて頂戴。あと手に持った’それ’は一体どういうつもりかしら?」
前触れ無く主人の前に現れたメイド長の手には何処から調達したのか――恐らくは香霖堂か天狗に頼んだのだろう――『ぽらろいど』とかいう写真機が握られている。
「はい、私はパチュリー様とは違い魔法薬のことなど分かりません故――主人の身に起こった変事の経緯をつぶさに記録することが従者としての義務であると存じます」
その変事を引き起こした実行犯が自分であることなどおくびにも出さず、いけしゃあしゃあと言ってのける。
口を動かす間にもその身体は休むことなく移動し、前から後ろから、さまざまな角度でレミリアの写真を撮り続けている。
記録された数々の写真は撮影者の手によって他の、誰の目にも触れない場所に厳重に保管されることは想像に難くない。
その様子を見ていたパチュリーは相変わらずの不機嫌そうな目を咲夜に向ける。
「咲夜、ここでの撮影を許可した覚えは無いわよ?」
「申し訳ありませんパチュリー様、禁止された覚えもございません故」
一切悪びれる様子なく、主人の親友に対して切り返す従者からは不退転の意志が感じられる。
直後、咲夜がおもむろに懐に入れ、取り出した手には何故か、それが握られていた。
「はい、お嬢様。ねこじゃらしでございます」
「もう持ってるよ。お前の目には光の三妖精でも棲んでるのか」
フランドールに貰ったねこじゃらしを片手でわしゃわしゃとやりつつ、レミリアは苛立たしげな口調で言った。
「まぁそうね、犬か猫かといえば……確かに猫よね。常に気品と誇りを身に纏い、その立ち振る舞いは毅然悠然とし、優美にして典雅。知力、体力、時の運。どれ一つとっても超一級。凡百の妖怪どもじゃ百回逆立ちしてもひっくり返せない天性のカリスマ。正に妖怪界のF1。何より孤高にして至高。
血に呪われたその心は救われず、救いを必要とすらしない。その身体はしなやか且つ強靭で非の打ち所も無い。猫ね。猫だわ。犬のように群れる必要性なんか皆無だものね?」
相変わらず黙々と読書を続ける親友と妹に向かって 自分のカリスマ溢れる姿を嬉々として語るレミリアであるが、両手で猫じゃらしをふちゃふちゃといじくり回しながらではカリスマなんぞ夜雀の泪ほども感じられない。
両手は世話しなく動かしているものの、退屈そうなレミリアの眼前にメイド長が現れる。
「お嬢様、紅茶をお持ちいたしましたわ」
ふと、レミリアが時計に目をやれば時刻は三時を回っていた。紅い悪魔は気の利く従者にささやかな感謝を述べた。そんでもってすぐさま撤回したくなった。
「ああ、ありがと咲夜――って、何これ? すんごいぬるくて乳臭くておまけに変な植物が付いて来てるんだけど?」
レミリアは目の前に置かれたティーカップに舌打ちし、従者に対し訝しげな視線を向ける。
「今のお嬢様にはこちらの方がよろしいかと思いまして……人肌の温もりミルクティーのマタタビ添えでございます」
「冗談じゃないわ! こんな紅茶が飲めるわけないでしょ!」
そう言ったレミリアがテーブルごとひっくり返した紅茶は床を汚す事も無く、いずこかへ消え失せた。
「お嬢様がどうしてもと言うなら温かいものにお取替えいたしますが?」
「当ったり前でしょ? すぐやって頂戴」
レミリアがそう言った次の瞬間には目の前に新しい紅茶が用意されており、カップからはホクホクと湯気が立っていた。
「ああ、この立ち上る香りと熱気のハーモニー……これぞ紅茶の醍醐味……フギャー!!」
レミリアは紅茶を一口含むと間髪入れずに噴き出した。
「レミィったら猫舌のくせに無理するから……」
「まぁ、お約束っていうか古典的だよねぇ……むしろ化石?」
掘らねば損である。
「ああもう! ああもう! ああ!! もう!!」
「お嬢様、落ち着いて下さい。紅茶代わりにマタタビをどうぞ」
「引っ張るな!」
植物であるということ意外の共通項のないマタタビが紅茶の代用品になるかどうかなど、パチュリーの知識を持ってさえ分からぬことであるが……そんなことは日陰の魔女にとっては探究心をそそられるような命題でも何でも無かったので結局のところ、どうでもいい事だった。
「いいことパチェ? さっさと元に戻る薬を作りなさい。もし今日という日が終わるまでに私の姿が戻らなければ――紅い悪魔と七曜の魔女の友情は劇的で感動的で破滅的な最期を迎えることになるわよ?」
威厳たっぷりの命令口調であるがマタタビに頬擦りしながら言ったのではカリスマなんぞ遥か緋想天の彼方である。
そのせいかはともかく、紫の魔女は友人の言葉を歯牙にもかけぬ様子で言う。
「私個人の意見を言えば、レミィはそのままでいいと思うわ」
「さんせ~い♪」
「待て、私の人権はどうなる」
「猫であろうとなかろうとお嬢様に人権など存在しないと存じ上げますが?」
「ひどっ! 咲夜ってばひどい! 事実だからってひどい! 人でなし!!」
「犬ですから」
「犬だものね」
「だもんねぇ♪」
「自分で自分のこと犬とか言わない! あと二人とも乗っからない!!」
何だってこんな時だけチームワーク抜群なんだと、紅い悪魔は心中で毒づいた。
「レミィ、さっきから落ち着かないみたいだけど、どうかした?」
広辞苑程度の厚さの本をサクサクと読み進めつつ、パチュリーが問いかける。
問われた吸血鬼は椅子の上でキツツキの如く体を前後させたり、椅子の座面に添えた両手を支えにして全身を上下させたりしている。
「う~、なんていうか、この姿だと椅子に座ってるのが辛いんだよ。尾骨が当たってさ」
「お嬢様、僭越ながら私めが人間椅子になるという選択肢のみがございます」
しれっと言ってのける咲夜は先程までと何も変わらぬ完全で瀟洒な微笑を浮かべている。流石である。
「咲夜は従者の鑑だねぇ」と、フランドール。
「タチが悪そうだけどね」と、魔女が評すれば。
「心外ですわ」と、従者は応える。
レミリアは椅子に腰かけた咲夜の膝の上にちょこなんと座り、足をプラプラ、尻尾は丁度、咲夜の大腿の溝に沿う形で落ち着いた。
「ああ、これは楽でいいね。と、それはさておき咲夜、何故に貴女は当然の如く耳の後ろをカリカリと掻いてくれちゃってるのかしら?」
「お気に障りましたのなら止めさせて頂きます」
「いや、別にいいんだけどね」
今現在、レミリアはいつも被っているモブキャップを脱いでいる。ピンと立った耳が邪魔なのだ。
「猫っぽいよねぇ……」
「猫っぽいのよねぇ……」
フランドールとパチュリーの意見は一致した。
「パヂェ~ ま~だ~?」
レミリアはいい加減に待ちくたびれていた。解呪の方法は一向に見つかる気配が無い。
外では日が傾いて来る頃合である。
「レミィ、知ってた? ニンニクってユリ科の植物らしいわよ?」
「アンタやる気あんの?」
訂正、紫の魔女には解呪法を見つけようとする気配が無い。
レミリアのイライラは我慢の限界を突破した。
「もういい、咲夜、日傘を用意して頂戴。気晴らしに神社に遊びに行ってくる」
「かしこまりました。が――その格好でよろしいので?」
主人が言い終えると同時に傘を用意していた咲夜の目には『そんな威厳も何も無い格好で外を出歩かれると唯でさえ枯渇しかけているなけなしのカリスマを根こそぎ失う事になりますよ?』的なニュアンスが含まれていた訳だが、レミリアの方は気にした様子はない。というか知ったこっちゃない。
「だってホラ、なんだかんだでこの姿の方がウケがよさそうじゃない?」
そう言ってレミリアは立ち上がり、傘を受け取ると、図書館の出入り口へと向かう。
フランドールは読み続けていた本を脇に置くと、羽、耳、尻尾を揃ってピコピコさせながら図書館を後にする姉の姿を見送った。
パチュリーもまたその姿を見て、解呪の薬はしばらく必要ないか……などと考えていた。
「猫だよねぇ……少なくとも……アレに関しては。」
「猫なのよねぇ……何故か……アレに関すると。」
「むしろ猫被りたいんじゃないですか? アレの前では。」
「「咲夜 上手いこと言った!!」」
<QED?>
それにしてもおぜうさまカワイソス
でも猫っぽいよね。かわいさとかカリスマとか。
お姿を想像すると鼻から紅茶出る。
からかいすぎてキレたおぜうさまが肉球でうまく持てないグングニルと一所懸命に格闘してる様を想像すると更に和む。