ある日の守矢神社。
神奈子が手ずから神事の開催を提案し、東風谷早苗は朝早くから準備に追われていた。
山で萱(かや)を刈り集め、神社で干すこと数時間。
日が傾き始めた頃、乾いた萱を寄り合わせ、巨大な蛇を形作っていく。
俗に言う、「蛇寄り神事」である。
夜になれば完成した萱蛇の前にて火を焚き、青龍の方角より訪れる蛇達を迎え入れる。
それらはただの蛇ではなく、神格を持った小さき神々の顕現であった。当然、無碍には扱えない。
早苗は蛇達一匹一匹に頭を下げ、彼らの為に舞を踊るのだった。
また、宴の中心では神奈子が、御柱を地面に突き立てて謳っていた。中央神話の勝利と、その後の繁栄を約束する詩だった。
蛇達は詩に合わせて身体をくねらせる。神事は最高潮に達しようとしていた。
奇跡が起こる。
雲一つ無い空から、雨が降って来た。
よく見るとそれは水ではない。米粒の雨だ。
五穀豊穣を司る八坂神奈子の起こした奇跡は、妖怪の山に実りをもたらした。
──そんな時にふと、早苗は気づいた。
先程から、諏訪子の姿が見えないことに。
◇◆◇◆◇
「諏訪子様」
早苗が声をかけると、洩矢諏訪子は湖面より顔を上げた。
守矢神社の裏手にある湖には蛇達の姿は無く、神社の喧騒が嘘のように静寂に包まれていた。
「ああ何だ早苗。馬鹿騒ぎはもう終わったの?」
「いえ、諏訪子様のお姿が見えなかったので、私だけ抜けて来ました。風祝として、神事は全うしなければなりませんが……神奈子様と諏訪子様、お二人が揃ってこそのお祭だと思うのです」
「ああ、それは済まなかったね。どうもあの神事は苦手でね」
そう応えてから、「あ、蛇が嫌いな訳じゃないよ?」と諏訪子は付け加えた。
「昔のことを思い出すんだ。洩矢の王国は現在は影も形も残ってはいないけど、私や神奈子の記憶の中では今も存在し続けているからね。
それでまあその、懐かしいというか侘しいというかね。神奈子は違うだろうけど、私はしみったれた気分になってどうも、ね」
どこか寂しげな口調で、諏訪子はそんなことを言った。
早苗がこっそり社から持ち出して来た萱饅頭を差し出すと、笑って更に付け加える。
「何だか悔しいから、今度は『蛙寄り神事』でも執り行おうかねぇ? ……余計に蛇が集まりそうだけど」
「あはは。案外、神奈子様も賛同なさるかも知れませんね」
「ふん。神奈子も蛇に似て貪欲だからね。己の利得になりそうなものはどんどん取り入れようとする」
「あ、いえ、それもあるかも知れませんが。
神奈子様、きっと諏訪子様と仲良く遊びたいはずですよ」
何気なく早苗がそう言うと。
諏訪子は一瞬顔を強張らせた後、饅頭を一口齧った。
「どうだかね。神奈子は私のことを友人だと言うけど、それだって私の力を利用する為の方便かも知れない。
……それに私だって、神奈子の行動力に頼りきっている部分がある。あいつが居なきゃ、今頃私は消滅していたかも知れない」
「それも一つの友情の形、だと思いますよ?」
「友情ねぇ。まあ、腐れ縁があるのは間違い無い。思えば長い付き合いだ。それこそ、神話を形作るに十分なだけの時間が流れた」
そう言って、帽子を目深に被る諏訪子。
照れているのかも知れないと早苗は思い、微笑みを浮かべた。
彼女は神様達の、こういう人間臭い部分が好きだった。
親近感を──或いは、畏れ多くも肉親の情に近い感情を覚えるからだろうか。
「ねえ、早苗」
「はい」
「私達は最早、幻想郷の外の世界では存在できない。
あまりにも、信仰を失い過ぎた」
「……はい」
「私達には後が無い。だからこそ私達は、幻想郷で信仰を確立しなければならないんだ。
私が坤、神奈子が乾を創造し──けど、それだけじゃ駄目。
早苗。あんたが神話を創造するんだ」
「…………」
神話。
神様の物語は、それを語る人間の存在があって初めて成り立つ。
守矢神社の未来は、風祝である早苗の手に委ねられていた。
「──って、結局辛気臭い話になっちまった。
そろそろ馬鹿騒ぎも終わる頃合いだろう。神社に戻ろうか」
「……あの。諏訪子様」
「ん? 何だい?」
「私、頑張りますから。きっと幻想郷を信仰で満たしてみせますから。だから」
だから、いつまでも私をお傍に居させて下さい。
言いかけた言葉を呑み込み、早苗は神社に向かって歩き始めた諏訪子の後に続いた。
「大丈夫」
背中を向けたまま、諏訪子はそれだけを告げて来る。
夜風が身に染みたのか。
早苗の身体が、僅かに震えた。
いつか、宴は終わる。
お祭の後には静寂が残り、切ない気持ちに囚われそうになる。
そんな時に頭に浮かぶのは、決まって楽しかった頃の思い出だった。
……大丈夫。
思い出がある限り、きっと自分はやっていける。
新しい時代に、新しい神話を築くんだ。
早苗さん、諏訪子様、神奈子様には何時までも幸せにいて欲しい。
ごちそうさまでした。おこめおこめ
守矢の信仰は宇宙一ィー!!
早苗健気だよ早苗