紅い悪魔が束ねる館、その地下にある大図書館で、今日も今日とて魔女は囁き、悪魔は笑う。
――ダンっ!!
閉館の声を図書館に響かせて、一瞬後、小悪魔は己が主の書斎に飛んだ。
常日頃において本を持つその両手は、突きだされ、防御陣を練りだしている。
自身にではない。左右に所狭しと並ぶ書物を傷つけまいと考えていた。
そのような配慮が必要なほど、小悪魔の飛行速度は尋常ではなかった。
無論、幻想郷の誇るスピードスター、鴉天狗や白黒魔法使いには劣る。
しかし、彼女達が比較対象として持ち出される程度には、速い。
小悪魔は今、己が限界を超えていた。
「パチュリー様っ!」
淀んだ空気を一掃し、硬い床へと着地する。
小気味よい音と共に幾つかの木片が散った。
修理するのは自分だと後悔もする事なく、たたらを踏み、書斎のノブに手をかける。
ノブから、強い抵抗が返ってきた。
「っのぉ!」
更に強く押す。
拮抗する力と力。
勝ったのは、力に上乗せするものがあった者。
小悪魔の意思は、ノブに使われている鉄よりも固かった。
荒い息を吐きながら、叫ぶ。
「パチュリー様! 小悪魔、どうしてもお伝えしたい事が!」
「それは、ドアノブを壊して尚、聞かせたい事なのかしら」
「いざくとりぃ!」
何時まで経っても戻らない小悪魔の発音に、彼女の主、パチュリー・ノーレッジは額を押さえた。
「私は先程、大発見を致しました! どうしても、どうしてもパチュリー様にいち早くお伝えしたいと!」
童じゃあるまいし――思うパチュリーであったが、さほど悪い気はしない。
鷹揚に頷き、両拳を握り上下に振る小悪魔に続きを話すよう促す。
我が意を得たりと、小悪魔は唾さえも飛ばし大きく口を開いた。
「『ドロチラは世界を救う』――ノーベル平和賞級の事実を発見致しました!」
小悪魔の瞳は、大真面目であったと言う。
「私は最後の来館者様と言い争いをしていました。
『全裸と半裸はどちらがよりクるか』! それはもう、魂を削る熱いディベート!
互いにヒートアップし、議論がただの罵詈雑言に変わる寸前、それは起こったのですっ。
一陣の風が吹き、来館者様の連れ添いのスカートがめくれました……。
しかも、しかもです! あのリグルさんのスカートですよ!」
両手を組み、至福の表情で語る小悪魔。
パチュリーはごそごそと道具置き場を漁る。
「……えっと。図書館に風は吹かないと思う」
「細けぇこたぁいいんですよ!」
「そうかもね」
取り出したるは、通称『フィーア』。
四機目のそれはオリジナルに近い形状をしている。
つまりは単なる杭打ち機で、性能だけが高められていた。
小悪魔の腹へとあてがい、パチュリーが叫ぶ。
「是から吹き飛ぶ貴女には、きっとそう、細かい事――パイルゥゥゥ、バンカァァァァァ!」
五色の力が弾となり放たれる。
そう、込められたのは‘賢者の石‘。
術者たるパチュリーさえも浮かび上がるその威力。
比例して、球はその大きさも、ヒトガタ大であった。
「え……嘘!?」
しかし、小悪魔は吹き飛ばない。
それどころか、球を両手で掴む。
喉から迸るのは声、否、咆哮。
「うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉ、小悪魔100パーセント中の100パーセントぉぉぉぉぉ!!」
――ぱぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!!
巨大な魔弾は、霧散した。
呆然とするパチュリーが、絞り出すように呟く。
「100パーセントでも小悪魔なのね……」
「そこですか!?」
「えっとじゃあ、……ダメージも全然ないの?」
「既に私の精神は肉体を凌駕したのです!」
「ある事にはあるのね。と言うか、ネタは絞りなさいよ」
わかるかな。
「んぅ、ともかく」
空咳を打ち、パチュリーは冷たく言い放つ。
「はしたないから、服を着替えてきなさい」
「スカートは破れないんですよね。残念です」
「いいから行く! 土水符‘ノエキアンデリュージュ‘!!」
――どうと言う事もなく、小悪魔は押し流された。
暫くして。
額に鉢巻き、隙間には釘。
そしてトンカチを握り、小悪魔が戻ってきた。
「……まぁ漸く悪魔らしいと言えなくも、うぅん、でも」
「いえあの、ドアを直しに」
「あぁそう」
律儀さに、パチュリーは少し泣きたくなった。
「とんてんかんとんとんてんかん、私の仕事は日曜大工~」
歌い出す小悪魔。
何故か割と楽しそうだ。
その様に、パチュリーは自身の眉間を摘む。
「何時かは建てるぞ立派な我が家、壁は白塗り中には暖炉~」
「幸せそうな家庭しか想像できないんだけど……」
「燃える暖炉の中身は――、あぁ、私だ!」
「ものすごい急転直下ね」
「悲しい事件でした」
何故過去形か。
「パチュリー様、鼻歌に文句多いです」
振る腕を止め、小悪魔が苦笑いを浮かべる。
そもそも歌うなと思うパチュリーだったが、先に言わなければならない事があった。
「小悪魔」
「はいな?」
「貴女は悪魔」
「存在の確認ですか!?」
「煩い。――したくもなるわよ」
テーブルに頬杖をつくパチュリーは、ぴんと指を伸ばし、小悪魔に向けた。
「パチュリー様。ヒトを指で示しちゃいけません」
「人間の作法なんて知ったこっちゃないわ」
「郷に入れば郷に従えですよぅ」
「吸血鬼の館だっての。そも、貴女は人じゃない」
「『めっ』したらお嬢様にもご理解を頂けました。ぶい」
向けた指を額に移す。頭が痛い。
「何よその愛ある構図」
「らぶあんどぴぃす! いぇい!」
「あぁそれよそれ」
「妙さんです。確か十八巻」
「聞いてない」
視線を戻し、パチュリーは嗜めるような口調で、言った。
「さっきのもだけど。悪魔が平和を謳わないでよ」
目をぱちくりとさせる小悪魔。
「……何よその反応。不満でも?」
「いえ、不満と言いますか」
「うん?」
頬を掻く小悪魔は、何処か気まずそうな表情をしている。
浮かぶ色には覚えがあった――パチュリーは思いだす。
そう、ドアノブを直しに来たと言われた時。
つまり、間違いを指摘するつもりなのだ。
「悪魔、平和を祈りますよ?」
返答に、今度はパチュリーが目をぱちくりとさせた。
「……はぁ!?」
出てきた声は言葉にすらならなかった。
理解できない――ありありとその様を露呈させるパチュリーに、小悪魔がそのままの動作で、続ける。
「全員が、と言うと誇張がありますね。
……でも、大半は平和主義者ですよ。
勿論、私もそのヒトリです」
嘘をついているとは思えない。
だけれど、真実とも認めがたい。
動揺を隠す為、パチュリーは視線を逸らす。
「話半分に聞いてあげるわ」
持ち上げ開いた本の文字は、無論、彼女の頭の中に入ってこなかった。
「私も作業中ですし、その方が気楽です」
釘にトンカチを打ちつけながら、小悪魔。
「えぇと、まず、‘大半‘から説明しますね。
含まれるのは、私の様な所謂‘悪魔‘です。
含まれないのは、‘大罪‘の七悪魔やソロモンの七十二柱の方々です。
違いは? ――知名度、そして、‘力‘です。
知名度があるから力があるのか、はたまたその逆なのか。
我々も妖怪の方々と一緒ですからね。
人様の恐怖や畏怖で強くなる。
――さて、パチュリー様、我々悪魔の総数をご存知でしょうか?」
確か……――呟き、応える。
「諸説あるけど……。
七百四十万強が一般的かしら。
中には兆を数える例もあるんだっけ」
他に、六を重ねた数字で約十八億というものもある。
「一家に一匹小悪魔をって感じですね」
「喜ぶ輩が多い気がする……」
「光栄な事です」
「……で?」
「はい、私もよく知りません」
「あのね」
「だって、私たちも増えますし」
「あー、貴女にはご家族もいるんですものね」
「はいな。なので、要はたくさんいる、とお思いください」
頷くパチュリー。
「では、そのたくさんいる‘大半‘に‘力‘はあるでしょうか。
答えは、否。
お考えください。
パチュリー様ほどの魔女でも常時支配下に置いているのは私一匹です。
その私の‘力‘は、まぁ言うに及びませんが、然程強くないですよね?」
向けられる称賛と下された判断に、パチュリーは一瞬、首を横に振りかけた。
おおよそ百年と言う時間は、魔女としてそう誇れる程長いものではない。
また、小悪魔にしても特定の方面で見れば、十分に‘力‘を有している。
「あ、卑下ばかりしているのも何なのでアピールしておきますと、小悪魔、肉体には自信があります!
そう言うと皆さま胸やお尻に目を奪われますが、ふふ、甘い、甘いですわ。
ずばり、腿! 引き締まっていますが意外とぷりっぷりなんですよ~。
……って、聞いていますでしょうか、パチュリー様?」
けれど、結局首はそのままに、口を開く。
「純粋な魔女である私が使役する貴女の‘力‘は、例えば、人間である魔理沙や霊夢に及ばない――そう言う事でいいかしら」
「あー、ご理解とご弁明、ありがとうございます」
「いいから。続けなさい」
スディ、と返された。
「ちょっと待って。それ、何語?」
「メルニクス語です」
「……?」
ちょっと記憶にない。
了承と言う意味だと付け加えられる。
エスペラント語よりは簡単でしたよ、とも。ワイール!
「ともかく。
悪魔はたくさんいる。
その大半に、然程の力はない。
ここまではよろしいですね?
も一つ基本的な事ですが、おさらいしておきましょう。
魔界でお気楽に過ごしている我々が現世に出てくるのは何故か。
お呼び頂く方の職業は様々ですが、要は‘召喚と契約‘に依ります」
気楽かどうかを知る術はないが、パチュリーもその程度の事は認識している。
そもそも、小悪魔からしてその様式――‘召喚と契約‘で呼び出していた。六百六十六文字の契約。
職業云々を口にしたのは、魔女である彼女のみならず、例えば、先にも出たソロモン王など多様に呼ばれ先があるからだ。
「近頃は学童にも呼ばれるようになりまして。我は汝、汝は我……は、また別の話ですね。んぅ!
本題に戻りましょう――‘悪魔は何故平和を祈るのか‘。
仮にですよ、パチュリー様。
仮に、この世界が争いで満ちていたとしましょう。
人妖の心が荒み、悪意や害意を常に持ち、互いに傷つけあい、悪逆非道がまかり通る、そんな時代になったと――」
言葉が、不意に途切れる。
小悪魔が囁くように語るその光景に、パチュリーは顔を微かにしかめていた。
そんな自身に対する配慮で口を閉じたのか。
小癪な、とパチュリーは思う。
続きを促そうと横目でちらりと小悪魔を見ると――より、しかめっ面を浮かべていた。
「自分で言ってて気分が悪く……」
「あのねぇ……」
「いやはや」
困ったものですねぇ、と頭を掻く小悪魔。
ほんとにね、とパチュリーは頷いた。
「仕切り直して――では!
そんな世界で召喚者様が望む事はなんでしょう?
護身でしょうか。
覇道でしょうか。
救世、或いは滅亡でしょうか。
お考えください。
お考えください、パチュリー様。
たくさんの、それこそ私のような悪魔が、その望みに対してどう応えるか、どう臨むか」
口が閉じられる。
繰り返されたように、考えろと言う事だろう。
けれど、その必要がないほど、応えは明白だった。
故に、パチュリーはすかさず言葉を返した。
「何もできないんじゃない?」
一択だったと言う。
タイムラグのない返答に、小悪魔が微笑を浮かべる。
その表情は爽やかにすら見受けられた。
何と言うか、悟りの領域。
流石にどうかと思ったパチュリーは、取り繕うように続けた。
「ま、まぁ、魔理沙や霊夢相手じゃね。でも、そう、例えば一般人相手なら」
「以前に里のバーゲンに参加した際、普通の娘さんに押し負けました」
「ごめんなさい。ちょっとかける言葉が見つからないわ……」
そも参加するなと言う非難が浮かんだが、涙とともに飲み込んだ。
因みに、バーゲンセールの内容は下着の類であったそうな。
加えて、その少女は騒霊の長女に似ていたらしい。
そして、黒髪だった。
「あの瞳には、近々打って出ようとする決意が込められていました」
「聞いてない。……打って出るって、何によ」
「純潔を捧げる一勝負ぅっきゃー!?」
つまりは‘花屋の娘さん‘である――相手が悪かった。
閑話休題。
弾幕が直撃した額を片手で撫でつつ、そう言う訳で、と小悪魔が人差し指を上向ける。
「折角お呼び頂いても、世界が乱れていては私を含めた大抵の悪魔にはどうにもできないのです。
上の方々がどう思われるかはわかりませんが、そんなの知ったこっちゃありません。
契約取れてなんぼですからね。
ですので――悪魔は平和を祈るのです」
にこりと笑って淀みなく、言いきった。
「……納得できたようなできないような、うぅん、でも」
「で、与太話は以上です。修理終わりましたー」
「あぁそう」
何時の間に――思いつつも律儀さに、パチュリーは再び少し泣きたくなった。
手を打ち木屑を払う小悪魔。
‘与太話‘を打ち切るための嘘ではなく、真実、修理を終えたのだろう。
見慣れた銀色のノブは錆が落とされ輝きを放ち、窓ガラスには座布団がくっつけられている。
大工もかくやと言う出来に、パチュリーは満足げに頷――けなかった。
「……ねぇ、あの、座布団はどうして?」
「衝撃を吸収するためですが……?」
「不思議そうな反応は何!?」
思わず立ち上がってまでの突込み。
けれど、小悪魔は強い子だった。
声色を一切変えず、応える。
「やだなぁ、パチュリー様。この頃よく私をスペカで押し流すじゃないですか。それ用の座布団ですよぅ」
「だって、最近‘月符‘でもぴんぴんして、と言うか自業自得でしょう!」
「あっはっは」
なんだその笑い。
強い筈の小悪魔は、しかし、眼力には屈したようだ。
珍しくも主から顔を背けている。
しかも、正坐。
ため息をつき、一歩近寄り、手を向ける。
「試す準備も万端なようね」
「えぇまぁ。ほどほどに」
「良い覚悟だわ、と?」
パチュリーが魔力を貯めだした矢先、閉じた扉の先、つまりは館内からの呼び声が届いた。
いや、正確には、呼ばれているとは言えない。
何故なら、声は、彼女が何処にいるかと問うているだけだからだ。
――おぅい、いないのかー? いないのなら、勝手にさっくり貰って行くぜー?
「皆様ご存じ白黒魔法使い、霧雨魔理沙さんのご登場です」
「誰よ皆様。じゃなくて、何落ち着いているの!」
「お止したい、お止したいのですが、あぁ!」
反響によりぼやけているが、確かに魔理沙の声だった――思い、パチュリーは扉に向かう。
その間にも小悪魔に冷たい視線を投げるのは忘れない。
だって万歳ポーズとっていやがるんですもの。
「非力なこの小悪魔めには何もできないのです!」
「そうね。知っているから咎めないわ」
「それはそれで悲しいものが!?」
どないせぇっちゅーねん。
言葉にはせず視線で叩き込み、パチュリーはノブを捻った。
駆けだすように書斎から出る。
筈だった。
「あぁそうだ。先ほどの」
「訂正は後に……え?」
「いえ、追加です」
ノブは回った。
手応えがあったのだ。
確かなその感触は、彼女にして勢いをつけさせるのに十分だった。
だと言うのに――
「え!?」
――も゛ふっ。
数分前ならばはめ込まれたガラスに突っ込んでいただろうパチュリーは、くっつけられた座布団に押し返される。
思いもよらぬ事態に勢いをつけた力の流れを変える事も出来ず、ただ、尻もちをつく。
硬い床が受け止める筈だった彼女の落下先は、けれど、柔らかかった。
「世界に争いが満ちていれば、こんな些細な悪戯も、笑って許していただけないでしょう?」
そう、つまりは小悪魔の膝の上だった。
「魔理沙の声は?」
「私が真似しました」
「それで、名前を呼ばなかったのね」
呆然と小悪魔を見上げ、パチュリーは頭に浮かんだ疑問を並べる。
「扉の修理は? 終わったと言っていた筈だけど」
「ええ。スライド式に変えさせて頂きました」
「……何故?」
「時々、妖精メイドの方々が、ノブに手が届かなくて立ち往生しているんですよ」
「放って……おくのはなんだけど、飛べるじゃないの、あの子たち。……何、その手があったかって顔しているのよ」
整然と返される応えが、次第に彼女の頭の回転を戻していく。
「どこからどこまでが、この悪戯の為の布石?」
「お考えください、パチュリー様」
「後回しにするわ」
「そんな!?」
「ともかく」
そう、ともかく。
頷いて、小悪魔が続ける。
浮かぶ表情は、正しく‘小悪魔な笑顔‘であった。
「だから――悪魔は平和を祈るのです」
――その後数秒、互いに無言。
先に崩れたのは、小悪魔だった。
「って、や、やややっぱり許していただけませんか!?
‘日符‘なら暖かくていい感じですが‘火水木金土符‘は痛いのでやらしくしてね! じゃない!
と言うかお仕置きなんて日常茶飯事な事でスペカなぞ使ってんじゃね、あ、ごめんなさい、まじごめんなさい!?」
意外と脆い。
見上げつつ、パチュリーは思う。
余りにも綺麗にはめられたので、怒るつもりはさらさらない。
ないのだが、狼狽する小悪魔が愉快だから、もう少しこのままにしておこう。
――そんな事を続けて思い、パチュリーは、彼女の従者自慢の腿を密かに楽しむのであった。
<了>
――ダンっ!!
閉館の声を図書館に響かせて、一瞬後、小悪魔は己が主の書斎に飛んだ。
常日頃において本を持つその両手は、突きだされ、防御陣を練りだしている。
自身にではない。左右に所狭しと並ぶ書物を傷つけまいと考えていた。
そのような配慮が必要なほど、小悪魔の飛行速度は尋常ではなかった。
無論、幻想郷の誇るスピードスター、鴉天狗や白黒魔法使いには劣る。
しかし、彼女達が比較対象として持ち出される程度には、速い。
小悪魔は今、己が限界を超えていた。
「パチュリー様っ!」
淀んだ空気を一掃し、硬い床へと着地する。
小気味よい音と共に幾つかの木片が散った。
修理するのは自分だと後悔もする事なく、たたらを踏み、書斎のノブに手をかける。
ノブから、強い抵抗が返ってきた。
「っのぉ!」
更に強く押す。
拮抗する力と力。
勝ったのは、力に上乗せするものがあった者。
小悪魔の意思は、ノブに使われている鉄よりも固かった。
荒い息を吐きながら、叫ぶ。
「パチュリー様! 小悪魔、どうしてもお伝えしたい事が!」
「それは、ドアノブを壊して尚、聞かせたい事なのかしら」
「いざくとりぃ!」
何時まで経っても戻らない小悪魔の発音に、彼女の主、パチュリー・ノーレッジは額を押さえた。
「私は先程、大発見を致しました! どうしても、どうしてもパチュリー様にいち早くお伝えしたいと!」
童じゃあるまいし――思うパチュリーであったが、さほど悪い気はしない。
鷹揚に頷き、両拳を握り上下に振る小悪魔に続きを話すよう促す。
我が意を得たりと、小悪魔は唾さえも飛ばし大きく口を開いた。
「『ドロチラは世界を救う』――ノーベル平和賞級の事実を発見致しました!」
小悪魔の瞳は、大真面目であったと言う。
「私は最後の来館者様と言い争いをしていました。
『全裸と半裸はどちらがよりクるか』! それはもう、魂を削る熱いディベート!
互いにヒートアップし、議論がただの罵詈雑言に変わる寸前、それは起こったのですっ。
一陣の風が吹き、来館者様の連れ添いのスカートがめくれました……。
しかも、しかもです! あのリグルさんのスカートですよ!」
両手を組み、至福の表情で語る小悪魔。
パチュリーはごそごそと道具置き場を漁る。
「……えっと。図書館に風は吹かないと思う」
「細けぇこたぁいいんですよ!」
「そうかもね」
取り出したるは、通称『フィーア』。
四機目のそれはオリジナルに近い形状をしている。
つまりは単なる杭打ち機で、性能だけが高められていた。
小悪魔の腹へとあてがい、パチュリーが叫ぶ。
「是から吹き飛ぶ貴女には、きっとそう、細かい事――パイルゥゥゥ、バンカァァァァァ!」
五色の力が弾となり放たれる。
そう、込められたのは‘賢者の石‘。
術者たるパチュリーさえも浮かび上がるその威力。
比例して、球はその大きさも、ヒトガタ大であった。
「え……嘘!?」
しかし、小悪魔は吹き飛ばない。
それどころか、球を両手で掴む。
喉から迸るのは声、否、咆哮。
「うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉ、小悪魔100パーセント中の100パーセントぉぉぉぉぉ!!」
――ぱぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!!
巨大な魔弾は、霧散した。
呆然とするパチュリーが、絞り出すように呟く。
「100パーセントでも小悪魔なのね……」
「そこですか!?」
「えっとじゃあ、……ダメージも全然ないの?」
「既に私の精神は肉体を凌駕したのです!」
「ある事にはあるのね。と言うか、ネタは絞りなさいよ」
わかるかな。
「んぅ、ともかく」
空咳を打ち、パチュリーは冷たく言い放つ。
「はしたないから、服を着替えてきなさい」
「スカートは破れないんですよね。残念です」
「いいから行く! 土水符‘ノエキアンデリュージュ‘!!」
――どうと言う事もなく、小悪魔は押し流された。
暫くして。
額に鉢巻き、隙間には釘。
そしてトンカチを握り、小悪魔が戻ってきた。
「……まぁ漸く悪魔らしいと言えなくも、うぅん、でも」
「いえあの、ドアを直しに」
「あぁそう」
律儀さに、パチュリーは少し泣きたくなった。
「とんてんかんとんとんてんかん、私の仕事は日曜大工~」
歌い出す小悪魔。
何故か割と楽しそうだ。
その様に、パチュリーは自身の眉間を摘む。
「何時かは建てるぞ立派な我が家、壁は白塗り中には暖炉~」
「幸せそうな家庭しか想像できないんだけど……」
「燃える暖炉の中身は――、あぁ、私だ!」
「ものすごい急転直下ね」
「悲しい事件でした」
何故過去形か。
「パチュリー様、鼻歌に文句多いです」
振る腕を止め、小悪魔が苦笑いを浮かべる。
そもそも歌うなと思うパチュリーだったが、先に言わなければならない事があった。
「小悪魔」
「はいな?」
「貴女は悪魔」
「存在の確認ですか!?」
「煩い。――したくもなるわよ」
テーブルに頬杖をつくパチュリーは、ぴんと指を伸ばし、小悪魔に向けた。
「パチュリー様。ヒトを指で示しちゃいけません」
「人間の作法なんて知ったこっちゃないわ」
「郷に入れば郷に従えですよぅ」
「吸血鬼の館だっての。そも、貴女は人じゃない」
「『めっ』したらお嬢様にもご理解を頂けました。ぶい」
向けた指を額に移す。頭が痛い。
「何よその愛ある構図」
「らぶあんどぴぃす! いぇい!」
「あぁそれよそれ」
「妙さんです。確か十八巻」
「聞いてない」
視線を戻し、パチュリーは嗜めるような口調で、言った。
「さっきのもだけど。悪魔が平和を謳わないでよ」
目をぱちくりとさせる小悪魔。
「……何よその反応。不満でも?」
「いえ、不満と言いますか」
「うん?」
頬を掻く小悪魔は、何処か気まずそうな表情をしている。
浮かぶ色には覚えがあった――パチュリーは思いだす。
そう、ドアノブを直しに来たと言われた時。
つまり、間違いを指摘するつもりなのだ。
「悪魔、平和を祈りますよ?」
返答に、今度はパチュリーが目をぱちくりとさせた。
「……はぁ!?」
出てきた声は言葉にすらならなかった。
理解できない――ありありとその様を露呈させるパチュリーに、小悪魔がそのままの動作で、続ける。
「全員が、と言うと誇張がありますね。
……でも、大半は平和主義者ですよ。
勿論、私もそのヒトリです」
嘘をついているとは思えない。
だけれど、真実とも認めがたい。
動揺を隠す為、パチュリーは視線を逸らす。
「話半分に聞いてあげるわ」
持ち上げ開いた本の文字は、無論、彼女の頭の中に入ってこなかった。
「私も作業中ですし、その方が気楽です」
釘にトンカチを打ちつけながら、小悪魔。
「えぇと、まず、‘大半‘から説明しますね。
含まれるのは、私の様な所謂‘悪魔‘です。
含まれないのは、‘大罪‘の七悪魔やソロモンの七十二柱の方々です。
違いは? ――知名度、そして、‘力‘です。
知名度があるから力があるのか、はたまたその逆なのか。
我々も妖怪の方々と一緒ですからね。
人様の恐怖や畏怖で強くなる。
――さて、パチュリー様、我々悪魔の総数をご存知でしょうか?」
確か……――呟き、応える。
「諸説あるけど……。
七百四十万強が一般的かしら。
中には兆を数える例もあるんだっけ」
他に、六を重ねた数字で約十八億というものもある。
「一家に一匹小悪魔をって感じですね」
「喜ぶ輩が多い気がする……」
「光栄な事です」
「……で?」
「はい、私もよく知りません」
「あのね」
「だって、私たちも増えますし」
「あー、貴女にはご家族もいるんですものね」
「はいな。なので、要はたくさんいる、とお思いください」
頷くパチュリー。
「では、そのたくさんいる‘大半‘に‘力‘はあるでしょうか。
答えは、否。
お考えください。
パチュリー様ほどの魔女でも常時支配下に置いているのは私一匹です。
その私の‘力‘は、まぁ言うに及びませんが、然程強くないですよね?」
向けられる称賛と下された判断に、パチュリーは一瞬、首を横に振りかけた。
おおよそ百年と言う時間は、魔女としてそう誇れる程長いものではない。
また、小悪魔にしても特定の方面で見れば、十分に‘力‘を有している。
「あ、卑下ばかりしているのも何なのでアピールしておきますと、小悪魔、肉体には自信があります!
そう言うと皆さま胸やお尻に目を奪われますが、ふふ、甘い、甘いですわ。
ずばり、腿! 引き締まっていますが意外とぷりっぷりなんですよ~。
……って、聞いていますでしょうか、パチュリー様?」
けれど、結局首はそのままに、口を開く。
「純粋な魔女である私が使役する貴女の‘力‘は、例えば、人間である魔理沙や霊夢に及ばない――そう言う事でいいかしら」
「あー、ご理解とご弁明、ありがとうございます」
「いいから。続けなさい」
スディ、と返された。
「ちょっと待って。それ、何語?」
「メルニクス語です」
「……?」
ちょっと記憶にない。
了承と言う意味だと付け加えられる。
エスペラント語よりは簡単でしたよ、とも。ワイール!
「ともかく。
悪魔はたくさんいる。
その大半に、然程の力はない。
ここまではよろしいですね?
も一つ基本的な事ですが、おさらいしておきましょう。
魔界でお気楽に過ごしている我々が現世に出てくるのは何故か。
お呼び頂く方の職業は様々ですが、要は‘召喚と契約‘に依ります」
気楽かどうかを知る術はないが、パチュリーもその程度の事は認識している。
そもそも、小悪魔からしてその様式――‘召喚と契約‘で呼び出していた。六百六十六文字の契約。
職業云々を口にしたのは、魔女である彼女のみならず、例えば、先にも出たソロモン王など多様に呼ばれ先があるからだ。
「近頃は学童にも呼ばれるようになりまして。我は汝、汝は我……は、また別の話ですね。んぅ!
本題に戻りましょう――‘悪魔は何故平和を祈るのか‘。
仮にですよ、パチュリー様。
仮に、この世界が争いで満ちていたとしましょう。
人妖の心が荒み、悪意や害意を常に持ち、互いに傷つけあい、悪逆非道がまかり通る、そんな時代になったと――」
言葉が、不意に途切れる。
小悪魔が囁くように語るその光景に、パチュリーは顔を微かにしかめていた。
そんな自身に対する配慮で口を閉じたのか。
小癪な、とパチュリーは思う。
続きを促そうと横目でちらりと小悪魔を見ると――より、しかめっ面を浮かべていた。
「自分で言ってて気分が悪く……」
「あのねぇ……」
「いやはや」
困ったものですねぇ、と頭を掻く小悪魔。
ほんとにね、とパチュリーは頷いた。
「仕切り直して――では!
そんな世界で召喚者様が望む事はなんでしょう?
護身でしょうか。
覇道でしょうか。
救世、或いは滅亡でしょうか。
お考えください。
お考えください、パチュリー様。
たくさんの、それこそ私のような悪魔が、その望みに対してどう応えるか、どう臨むか」
口が閉じられる。
繰り返されたように、考えろと言う事だろう。
けれど、その必要がないほど、応えは明白だった。
故に、パチュリーはすかさず言葉を返した。
「何もできないんじゃない?」
一択だったと言う。
タイムラグのない返答に、小悪魔が微笑を浮かべる。
その表情は爽やかにすら見受けられた。
何と言うか、悟りの領域。
流石にどうかと思ったパチュリーは、取り繕うように続けた。
「ま、まぁ、魔理沙や霊夢相手じゃね。でも、そう、例えば一般人相手なら」
「以前に里のバーゲンに参加した際、普通の娘さんに押し負けました」
「ごめんなさい。ちょっとかける言葉が見つからないわ……」
そも参加するなと言う非難が浮かんだが、涙とともに飲み込んだ。
因みに、バーゲンセールの内容は下着の類であったそうな。
加えて、その少女は騒霊の長女に似ていたらしい。
そして、黒髪だった。
「あの瞳には、近々打って出ようとする決意が込められていました」
「聞いてない。……打って出るって、何によ」
「純潔を捧げる一勝負ぅっきゃー!?」
つまりは‘花屋の娘さん‘である――相手が悪かった。
閑話休題。
弾幕が直撃した額を片手で撫でつつ、そう言う訳で、と小悪魔が人差し指を上向ける。
「折角お呼び頂いても、世界が乱れていては私を含めた大抵の悪魔にはどうにもできないのです。
上の方々がどう思われるかはわかりませんが、そんなの知ったこっちゃありません。
契約取れてなんぼですからね。
ですので――悪魔は平和を祈るのです」
にこりと笑って淀みなく、言いきった。
「……納得できたようなできないような、うぅん、でも」
「で、与太話は以上です。修理終わりましたー」
「あぁそう」
何時の間に――思いつつも律儀さに、パチュリーは再び少し泣きたくなった。
手を打ち木屑を払う小悪魔。
‘与太話‘を打ち切るための嘘ではなく、真実、修理を終えたのだろう。
見慣れた銀色のノブは錆が落とされ輝きを放ち、窓ガラスには座布団がくっつけられている。
大工もかくやと言う出来に、パチュリーは満足げに頷――けなかった。
「……ねぇ、あの、座布団はどうして?」
「衝撃を吸収するためですが……?」
「不思議そうな反応は何!?」
思わず立ち上がってまでの突込み。
けれど、小悪魔は強い子だった。
声色を一切変えず、応える。
「やだなぁ、パチュリー様。この頃よく私をスペカで押し流すじゃないですか。それ用の座布団ですよぅ」
「だって、最近‘月符‘でもぴんぴんして、と言うか自業自得でしょう!」
「あっはっは」
なんだその笑い。
強い筈の小悪魔は、しかし、眼力には屈したようだ。
珍しくも主から顔を背けている。
しかも、正坐。
ため息をつき、一歩近寄り、手を向ける。
「試す準備も万端なようね」
「えぇまぁ。ほどほどに」
「良い覚悟だわ、と?」
パチュリーが魔力を貯めだした矢先、閉じた扉の先、つまりは館内からの呼び声が届いた。
いや、正確には、呼ばれているとは言えない。
何故なら、声は、彼女が何処にいるかと問うているだけだからだ。
――おぅい、いないのかー? いないのなら、勝手にさっくり貰って行くぜー?
「皆様ご存じ白黒魔法使い、霧雨魔理沙さんのご登場です」
「誰よ皆様。じゃなくて、何落ち着いているの!」
「お止したい、お止したいのですが、あぁ!」
反響によりぼやけているが、確かに魔理沙の声だった――思い、パチュリーは扉に向かう。
その間にも小悪魔に冷たい視線を投げるのは忘れない。
だって万歳ポーズとっていやがるんですもの。
「非力なこの小悪魔めには何もできないのです!」
「そうね。知っているから咎めないわ」
「それはそれで悲しいものが!?」
どないせぇっちゅーねん。
言葉にはせず視線で叩き込み、パチュリーはノブを捻った。
駆けだすように書斎から出る。
筈だった。
「あぁそうだ。先ほどの」
「訂正は後に……え?」
「いえ、追加です」
ノブは回った。
手応えがあったのだ。
確かなその感触は、彼女にして勢いをつけさせるのに十分だった。
だと言うのに――
「え!?」
――も゛ふっ。
数分前ならばはめ込まれたガラスに突っ込んでいただろうパチュリーは、くっつけられた座布団に押し返される。
思いもよらぬ事態に勢いをつけた力の流れを変える事も出来ず、ただ、尻もちをつく。
硬い床が受け止める筈だった彼女の落下先は、けれど、柔らかかった。
「世界に争いが満ちていれば、こんな些細な悪戯も、笑って許していただけないでしょう?」
そう、つまりは小悪魔の膝の上だった。
「魔理沙の声は?」
「私が真似しました」
「それで、名前を呼ばなかったのね」
呆然と小悪魔を見上げ、パチュリーは頭に浮かんだ疑問を並べる。
「扉の修理は? 終わったと言っていた筈だけど」
「ええ。スライド式に変えさせて頂きました」
「……何故?」
「時々、妖精メイドの方々が、ノブに手が届かなくて立ち往生しているんですよ」
「放って……おくのはなんだけど、飛べるじゃないの、あの子たち。……何、その手があったかって顔しているのよ」
整然と返される応えが、次第に彼女の頭の回転を戻していく。
「どこからどこまでが、この悪戯の為の布石?」
「お考えください、パチュリー様」
「後回しにするわ」
「そんな!?」
「ともかく」
そう、ともかく。
頷いて、小悪魔が続ける。
浮かぶ表情は、正しく‘小悪魔な笑顔‘であった。
「だから――悪魔は平和を祈るのです」
――その後数秒、互いに無言。
先に崩れたのは、小悪魔だった。
「って、や、やややっぱり許していただけませんか!?
‘日符‘なら暖かくていい感じですが‘火水木金土符‘は痛いのでやらしくしてね! じゃない!
と言うかお仕置きなんて日常茶飯事な事でスペカなぞ使ってんじゃね、あ、ごめんなさい、まじごめんなさい!?」
意外と脆い。
見上げつつ、パチュリーは思う。
余りにも綺麗にはめられたので、怒るつもりはさらさらない。
ないのだが、狼狽する小悪魔が愉快だから、もう少しこのままにしておこう。
――そんな事を続けて思い、パチュリーは、彼女の従者自慢の腿を密かに楽しむのであった。
<了>
1杯じゃなくていっぱい。
中身のドロワーズよりもむしろ外側のスカートのほうがよっぽど貴重であろうが!!!!! このたわけ!!!!
リグルはドロちらどころか常にドロもろだろうが!!!!! あれはズボンではなく黒いドロワーズなのだぞ!!!!!
悪魔が平和を祈り願うのはー
非平和→さらなる非平和よりもー
平和→非平和の方がー
楽だからー