捏造です。
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昔々のそのまた昔のおはなし。
とある国に、一人のお姫様がいた。その子は稲穂のような金色の髪と、つよいつよい神通力をもっていて、人間なのに神さまみたいな子だった。その国は平和で豊かな国だったから、お姫様も毎日のんびり暮してた。
王様の一族…王族は、神官のような役目もあってね。そう、神主みたいなね。
一族の男の子が何年かに一度儀式を行うことで、国は神さまの恩恵を受けられた。だからお姫様は「巫女さま」って呼ばれてた。王子様なら「神官さま」ってね。
…儀式が何か?
うーんと……神さまに、身体を貸すの。神さまは人間の身体を借りて、みんなを助けてくれる。詳しいことは、もっと大きくなったら教えてあげるよ。
その子は十五で結婚した。昔はね、それぐらいで結婚する人が多かったんだ。
相手は許婚だった。親が決めた結婚相手。これもよくあることだったし、ふたりはちゃんと好き合っていたから、幸せだったんだよ。…とても、幸せだった。
でもその年、飢饉が起こった。食べるものが無くなっちゃったの。しかも病気まで流行り出して、たくさんの人が死んだ。悲惨な年だった。
その子の一族も、みんな死んでしまった。結婚したばかりのその子の夫も。その子を残していってしまった。
だけど、その子には悲しんでいる余裕がなかった。
たったひとり残った王族としてみんなをまとめる必要があったし、一族がいなくなって儀式ができなくなってしまったから。
困ったその子は、自分が儀式を行うことにした。儀式は男の子がやるものだったから、不安だったけどね。
神さまに会いに山に入ると、蛇の神さまが現れて、今年の災いからみんなを守るには、お前を食べなくちゃならない、って言ったの。
神さまも、いっぱい考えての決断だったんだよ。…ほんとうにひどい災いだった。いままでと同じ儀式では、神様は充分な力が使えなかった。その子にはつよい力があったから、食べたら神さまの力が強まる。そうすれば、神さまもみんなを助けられる、って思ったのね。
その子は、それでいいと思った。
生き残った国のみんなを守れて、自分も家族のもとにいける-って考えたの。
そして、神さまはみんなにたくさんの食べ物を与えて、病気を治してくれた。死んだ人は帰ってこないけど、前みたいに平和に暮らせるようになった。
生活が落ち着いてきたころ、神さまはひとりの赤ちゃんを人間たちに預けた。その子とその血族が健やかである限り、この地は守られる。そう言って…。
その子が誰のこどもなのか、知っている人はいなかった。
その子が笑うと決まって東風(かぜ)が吹いたから、みんなはその子を神さまの子だって、大事に大事に育てた。山の神さまは、それをずっとずっと見守った。
いなくなった王族に代わって、神さまが新しい王になった。
それからその国は、永く永く平和であった。
不思議なことに、神さまのもとへいったあの子のことを、だあれも憶えていなかった。
あの子のおかげで助かったことに、みんな気付かなかった。
…お姫様がかわいそう? そうだね、かわいそうかもしれないね。でも、早苗…。
「寝ちゃったか」
早苗が諏訪子を知覚するようになって数カ月、添い寝はもっぱら諏訪子の仕事であった。
神奈子もやりたがって何度か挑戦したが、どうにも向いていない。諏訪子にはやさしく子守唄を歌う神奈子も、読み聞かせをする神奈子も想像できなかったが、期待は裏切られなかった。
経験の差かもなあ、と思う。
早苗の扱いだけでない。神奈子はいまだ、『あの子』の感情を理解できないのだから。
「…その子は、いままでもこれからも、ずうっと幸せなんだよ。早苗が笑っていてくれるかぎり、ね」
幼い寝顔をそっと撫でて、諏訪子は眠った。
*
夢を見た。懐かしい夢。
私がまだ人であった頃の、最後の記憶。
*
蛇の神が語るには、人々が飢饉と病に苦しんだのは、山の神々、ミシャグジたちの間に入った亀裂が原因であったらしい。まだ若い神たちが古い神に取って代わろうと企て、ミシャグジたちの勢力は分裂、一触即発の状況にあるのだそうだ。
この蛇神-ミシャグジたちの現在のまとめ役だ-は、私をを喰らうことで力を得、再びミシャグジを統括しようとしている。そうなれば民は救われるのでしょうかと問えば、いかにも神らしく鷹揚にうなずいた。
私に拒む理由があるだろうか。あるはずもない-
*
「待たれよ」
それは、いままさに蛇神が巫女を飲み込まんとするところであった。
げこげこと低い蛙の鳴き声が響く。
暗く不気味なこの山にそぐわない、陽気な鳴き声だった。
「待たれよ、蛇神殿。巫女殿は子を宿しておる」
「蛙の」
見れば、いつの間にか巫女よりふた回りほど大きい蛙が岩の上で鳴いていた。辺りに小さな蛙たちを従えている。
「子…」
「そうだ。流石は巫女殿の子、なかなかの霊力を持っているようだ」
「私の、子」
まだ薄い腹に手をあてる。ここに、あの人が遺した子がいる。神の言うことに間違いがあるとは思えなかった。
巫女はすがるように蛇神を見た。
「…この子が生まれるまで、待ってはいただけないでしょうか」
「ならぬ。最早一刻の猶予もないのだ」
蛇神は顔を顰めた。
すでに蛇神たちの反対勢力が集結し始めている。一月もしないうちに争いが起こるだろうと、蛇神は焦っていた。
巫女はもう、何を言っていいのかわからなかった。蛇神も黙ってしまう。沈黙が訪れる。
「待つ必要も、子を諦める必要もないぞ」
その沈黙を破ったのは蛙の神の暢気な声だった。そのあっけらかんとした物言いに蛇神は苛立ちを隠さず反論した。
「何を言うか。子が生まれるころにはあやつらが攻めてくるぞ」
「待つ必要はないと言っておろう」
「もったいぶるな。何を考えている」
蛇神の睨みにも怯まず、げろげろとひとしきり笑った後、蛙神はこともなげに言った。
「巫女殿が神になれば良いのだよ。同時に祝としての役割を背負うことになるが」
しばしの沈黙ののち、かかか、と蛇神が嗤う。
「馬鹿なことを。人が神になれるものか」
「確かに、一からでは、難しいな。時間もかかる。しかし簡単な方法がある」
蛙神は巫女を一瞥し、蛇神へと視線を戻す。
「巫女殿にわしの神格を与えよう。聡明で、これほどの霊力をもつ巫女殿だ。たいそうな神になられるに違いない。我々も安泰ではないか」
一番驚いたのは巫女だった。えっ、と大きな声をあげてしまう。
「そんなことは、可能なのですか。人が神になるなど…」
「もともと、そなたには素質がある。問題あるまい。…それに」
蛙神は続ける。
「そなたは病に侵されておる。斯様な体で、元気な御子が産めるだろうか」
巫女は思わず胸を押さえる。やはり、不自然な動悸と痛みは流行り病のものだったのだ。
「しかし、そなたはどうなるのだ」
「なに、心配はいらん。巫女殿がしっかりと働いてくれる限り、消えはしない。ただ力を授けるだけだ。そろそろ隠居したいと思っていたのでな、丁度良い」
蛇神の言葉に、蛙神はまたもあっさりと答える。げこげこ、げこげこ。蛙神の雰囲気につられてか、周りの蛙たちまで楽しげに歌う。
巫女は呆気にとられていた。神が、隠居したいなどと言って簡単に位を与えて良いものなのか。同じように呆気にとられている蛇神を見ると、蛙神は相当な変り種のようだった。
呆然とする一人と一柱の前で、蛙神はさも簡単なことのように言う。
「わしは消えぬ。しかしその子は消える。ならば救おうではないか」
神の身となれば安産も約束されるぞ。
蛙神は愉快そうに喉を鳴らした。
「神ながら祝であるということは、実質我らの頭ということだろう。皆が納得するとは思えぬ」
蛇神が言った。
だがやはり蛙神は、
「なあに、若い衆は古臭いことが嫌だと、われわれ年寄りに反発しているのだから、文句は言えまいよ。頭が元人間…これ以上の斬新な変革はないだろう。年寄り連中の説得は済んでいるしな」
なんでもないことのように言った。
「もうひとつ、良いことがある。巫女殿が神となり、同時に永久に我らの祝となれば、我らが祝を贄として求める必要はなくなるのだ。年寄り連中はむしろこちらに食いついたが…。どうだ、なかなか名案であろう」
反論できず、蛇神は蛙神を睨みつける。贄を求めなければならない、というのは蛇神も気にしていた難儀な点のひとつだった。
蛇神は小さく、わかったと言った。
巫女はとにかく、ああ、我が子は生まれることができるのだ、と安堵した。それしか考えられなかった。
巫女は蛙神に恭しく一礼する。
「蛙神さま。ありがとうございます」
しかし蛙神はげこりと、先ほどまでとはうって変って苦しげに鳴いた。
巫女は不思議に思って、蛙神を見つめる。
「…ふむ。わしが言うのもなんだがな、礼を言うのはまだ早いぞ、巫女」
「それは、どういう意味でございますか」
「そなたは祟り神になるのだ。我々を束ねる、土着神の頂点になるのだ」
「はい」
「そなたは我らとともに祀られる。人ではなくなり、人であったそなたは人に忘れられるだろう。神隠しにあうようなものだ。二度と人の中には帰れぬ」
そして、
「その子は人だ。別れねばならぬ。その子はそなたを母と知ってはならぬ。人々のもとへ帰らねばならぬ」
「……」
「…そなたは逃げることができる。その子とともに、我らの手が届かぬ遠い地へ。人として胎の中のその子と、死ぬことができる」
蛙神の言葉が気に入らなかったのか、蛇神が唸った。口を開きかけたところに、蛙神が視線を送ると、蛇神はしぶしぶ引き下がる。
巫女が問うた。
「しかしそれでは、この地はどうなるのです」
「ミシャグジ同士の争いで荒廃するか、万に一つそれを免れたとしても、貧困と病はどうしようもない。人々はいままでのようには暮せまいな」
ミシャグジの恩恵が無くなるのだからな。
蛇神が言う。ひどく苦々しい表情だった。
蛙神も蛇神も、それから何も言わない。ただ巫女の答えを待っていた。
巫女は自らが生まれ、育ったこの地を愛していた。巫女の喜びも悲しみも、両親も夫も、すべてこの地に眠っている。
ここに来たのもこの地を守りたい一心からであった。血族の使命に従っただけではない。自らの意思でこの地のために果てることを選んだのだ。
それがどうしたことか。私が神となれば、私は在り続け、この地もこの子も守ることができるという。
しかし。
巫女は腹にあてていた手をきゅうと握り締める。
(この子は私を忘れてしまう)
巫女は夢想した。
人として生きて、この子とともに死んで、天にいるだろう家族の、夫のもとへいって-
山に入ったときは、望んでいたこと。
目を瞑る。このとき本当に思案していたのか、あるいはもう決断し、別れを惜しんでいたのかは、いまだはっきりとしない。
(やっぱり、私は)
目を開く。さっきまで暗くて不気味だとしか思わなかった山が、まるで輝いているように見えた。愛している景色だった。
「結論が出たようだな」
蛙神ははじめのように楽しげに笑う。
「選ぶが良い、洩矢諏訪子」
*
「諏訪子様!」
「…あう?」
自分を呼ぶ声で、意識が現在に戻される。目を開くと、眼前にあの子の顔が-
「ああ、××…」
「え、どなたですか、××って」
「……あれ、さなえ?」
「諏訪子様、寝ぼけてらっしゃいますね」
洩矢諏訪子という人間は人々の記憶から消え、代わりに現れたのは大昔からミシャグジを束ねてきた洩矢神。そしてそれに仕える大祝-神奈子に侵略されてから風祝に名を変えた、諏訪子の子孫たち。
蛙神の思惑はまったくうまくいき、諏訪の地は永らくの平和を得た。
その平和の中であの子が遺した子がまた子を遺し、そうしてついに生まれたのが、早苗。
自分が祖先にあたることを、早苗にはまだ話していない。早苗に一体どう接して良いものか、いまだ諏訪子は迷っていた。
早苗を見るたびあの子の顔が浮かぶ。のちに喰らわれぬ祝となり、人のなかで死んでいった我が子。最期まで自らの生まれを知ることなく。
「諏訪子様、本当にどうされたんですか? お体の具合がよろしくないのですか?」
「いや、ううん、大丈夫。ちょっとヘンな夢を見て、寝ぼけてただけ」
「そうですか」
うなずきつつも、早苗はまだ怪訝そうだ。普段あまり真面目じゃないと、心配されすぎてしまうのか。なんだかすこしおかしかった。
「ねえ、早苗」
「はい?」
「毎日、楽しい?」
やはり早苗は怪訝そうだったが、真面目で素直な子だ、笑顔で答えてくれた。
「はい、もちろん!」
自然と諏訪子も笑顔になる。
あいつには情けないにやけ顔だと言われるが、こればかりは仕方ない。それに、あいつも早苗の前では同じようであるのだから、とやかく言われる筋合いがあるだろうか。
「ご飯の支度ができましたから、早くいらしてくださいね」
「はーい」
『良かったな、諏訪子』
頭上から、暢気な声が聞こえた。
「…あんたのおかげだよ」
いま、こんなにも幸せだ。
もし俺が神奈子様信者のすわかな派でなければ、素直に絶賛してたでしょう!