「橙~。庭を掃除しておいてくれる?」
「にゃんっ!」
マヨイガの庭は少し広い。私が育てている園芸植物があるが、それでも一般的な家庭と比べれば広い方であろう。それでも、橙は快く引き受けてくれた。あぁ、いい娘だ……。私は縁側で橙が掃除をしているところを見物する。とある事情で、私は少し動くのが億劫なのだ。
「にゃんうにゃ~」
「ん? どうした橙?」
「んみゃ~」
ちぇんは可愛らしい小さな指で入り口を差して、私に示した。そこには、手荷物を携えた半人半霊の少女が立っていた。
「あぁ、妖夢か。こんにちわ。この頃少し寒くなってきたな。幽々子様からの差し入れだね。よかったら荷物を置くついでに、居間で待っているといい。今、熱いお茶を淹れてくるから」
「え? いやいや、藍さん?」
「ん、どうした?」
「いや、どうしたって……橙さんどうしたんですか?」
「どうしたって……」
私は箒を抱えるようにして持っている橙を見た。ちぇんは私が見ているのに気付き、「にゃんっ!」とにっこりと満面の笑みで私に返してくれた。うん、私は幸せ者だ!
「別に、変わった様子はないが?」
「いやいやいや。橙さん、さっきから人語を話していませんよ?」
「え? あぁ……」
なんだ、そういうことか。
「一体、どうしたんですか?」
「いや、なに。ちぇんは少し式が外れててな。それで外れた分だけ猫の部分が出てしまってるんだ」
「あぁ、そうなんですか、ってうえぇえ!?」
妖夢が大きな声をあげたので、掃除をしていた橙が驚いた。驚く仕草もまた可愛く、さっ、さっ、と掃除をしているモーションから妖夢の大きな声でビクッと体を震わせた感じだ。それで目を見開いて妖夢を見ている。あぁ、まるで猫だ! いや、猫なんだけども。
「大きな声を出すなよ。橙がびっくりして可愛くなってるだろうがぁ」
「藍さん、顔がにやけてます。じゃなくて! 式が外れるって大変なことじゃないですか!」
「ん? まぁ、そうだな。式が外れると、橙が橙じゃなくなるからな」
「それじゃあ何で治さないんですか? それとも、藍さんでも治すことが出来ないんです……か?」
妖夢は真剣な表情、真剣味を帯びた口調で聞いてくる。まるで何か深刻な病気を申告されそうな病人のようだ。億劫な体に鞭打って、自分のほんのりとピンク色に染まった布団を干しながら、妖夢の問いに答えた。
「ん、や。治せるよ?」
「そうですか……やっぱり治せなえぇええええええ!?」
「もう、妖夢はさっきから少し大きな声で叫びすぎているよ。おかげで橙が今びっくりして尻餅ついて涙目で可愛くなってるじゃないか。グッジョブ」
「いや何言ってるのかさっぱりですけど、えっと、治せるんですよね?」
「あぁ、治せるよ」
「じゃあ、何で治してあげないんですか? 何か……特別な事情でも?」
妖夢が先程と同じ、いやそれ以上に目を険しくして聞いてくる。
「……少し、な」
私はよっこらせ、と縁側にゆっくりと腰を据える。
「やはり……。藍さん、隠してるつもりでしょうけども、怪我、してますよね?」
「おっと、気付いてしまったか……」
私は少し見えてしまった包帯を隠すため、道士服を捲くった。
「藍さん……」
妖夢は歯を少し食いしばって俯いた。その後は少し静かだった。橙が箒を一生懸命に掃く音しかマヨイガには響かない。しかし、しばらくすると、妖夢は何かを決心したようで、私の顔を面と見て静かにしかし、力強く言った。
「藍さん……よかったら、事情を話していただけませんか?」
「えっ?」
「力になれないかも知れないのは分かってます。それでも、私は協力したいんです。よければ、話していただけませんか?」
「妖夢……」
仮に、ここで嘘を付いたとしても、まるで意味はないであろう。妖夢の目にはある種の覚悟が宿っており、私はその覚悟に敬意を表して、真実を、有りのままのことを話すことにした。
「……ちぇんの式が外れかかってたことが分かったその日、私は紫様と相談した上で、橙に改めて式を憑けなおすことにしたんだ。しかし、私は橙に改めて憑けることが出来なくなってしまったんだ。橙に憑けなおすと決めたその翌朝、つまり今朝のことだ……」
*
私はいつものふかふかの白い布団に仰向けで身を沈めていた。今朝は殊更寒く、完全に冬の妖怪の術中に嵌ってしまった。おかげで、起きるのは億劫になり、あろうことかそのまま二度寝をしてしまおうとしてしまう。しかし、その時そこに橙が現れた。
橙は襖を開けて、私の許まで近づいて、私にこう言った。
「にゃんうにゃ~。にゃうにゃうにゃ~」
橙は昨夜から猫語しか喋れないのをその時思い出す。私は最初、橙が何と言っているのか分からなかったが、イントネーションで考えてみるとすぐに分かった。つまり橙は
「藍様~。起きて下さい~」
と言ったのだ。そうと分かれば橙の言葉を理解するのは簡単だった。
「にゃんうにゃ~。にゃんんにゃ、にゃうにゃうにゃ~。うにゃにゃうにゃ、うにゃにゃにゃんにゃにゃにゃ~(藍様~。いい加減、起きてくださいよ~。紫様が、起きてらっしゃいますよ~)」
何? 紫様が? ったく、寒い今朝に限ってこういう早起きをするんだよな。そういう生き方がもうババァ臭いと言うか。まぁ、本人の前でそんなことを口走ろうもんなら即刻スキマツアーに出立だけど。
そんなことを考えながら、私は布団から全く出ようとしなかった。珍しく体が布団を恋しがっているらしく、私もついつい布団に甘えてしまう。おかげで、橙を無視してしまう形になってしまった。橙は私が未だに起きないと思っているらしく、む~……と腕を組んで考えている。
そして、橙は私の顔に自分の顔を近づかせ、そして――
すりすりすり
頬ずりを、してきた。どうやら、式が外れて猫に近づいているため、思考もより猫っぽくなっているらしい。そのまますりすりと橙の心地よい頬ずりが続く。私は起きてもよかったが、あえてそのまま寝た振りを決行することに決めた。だって、そのほうが橙が何をするのか楽しみだったから。
橙はしばらく頬ずりを続けていたが、やがて、これでは意味が無いと気づいたらしく、再び腕を組んで熟考する。
眉間に皺を寄せ、一生懸命に私の起こし方を考える橙は中々萌えた。しばらくそうして考え込む橙を見て、心行くまで満足した私は、いい加減に起きようと心に決め、それから行動に移そうとした時だった。
橙が再び私の顔に自分の顔を近づける。そして――
ぺろぺろぺろ
舐めて、きた。しかも、私の唇に。ぺろぺろぺろと私の唇を橙のざらりとした舌が撫でていく。私はそれで一気に限界突破した。ボーダーを突き抜けた。具体的に言えば、鼻血がサスペンスよろしくの出血量で白い布団をワインレッドに染めたのだった。
「ちぇーーーーーーん! だーいすきだーーーーーーーー!」
「にゃうぅ!?」
私は返り血を浴びた橙を抱きしめて、思う存分に頬ずりをし、そのまま染まった布団にインする。
「にゃんうにゃ! にゃんうにゃ!(藍様! 藍様!)」
「おぉ、橙。そうか、私と一緒にいるのがそんなに嬉しいのか!」
「にゃんうにゃ! うにゃにゃ! うにゃにゃ!(藍様! 後ろ! 後ろ!)」
「うん? 後ろ?」
橙に言われて、私は首だけ後ろに回した。視界に転がり込んできたのは、不機嫌に笑ってらっしゃる紫様。
「藍? 主である私を差し置いて、自分の式と戯れるなんて、いいご身分の式神ね?」
「あ、その、紫様……?」
紫様はにっこりと太陽の畑にいらっしゃるメルヘン花妖怪様に匹敵する微笑みをお浮かべになる。
私がその笑みに慄いてると、橙が「にゃ?」と呆けた声を出した思ったら、そのまま隙間を通して紫様の腕の中に納まっていた。
「橙。私はちょっと藍と話があるから。あなたは朝御飯の準備をしてくれるかしら? あ、その前にお風呂に入って、その欲望色の液体を流してきなさい。いいわね?」
「……にゃん! うにゃにゃうにゃ!(はい! 紫様!)」
橙はにっこりと誰か様とは比べ物にならない眩しい笑顔を浮かべて、台所へと向かってしまった。
その場に残ったのは、微笑みを湛えた紫様と赤い海に沈む私。
「さて……躾の準備は整ってるわよね?」
紫様が出した隙間からゆっくりと手が――わらわらと湧いてくる。
あぁ、これは、あれだ。
「禁符『スキマツアー』」
「あーーーーーーーー!」
私は隙間に引きずり込まれて、口にも言えないおぞましいフルコースを喰らったのだった。
*
居間で正座をしている妖夢が先程から干してある私のピンクに染まった布団をジッと見つめている。
「どうした?」
「え? いや……それで話はお仕舞いですか?」
「あぁ。これ以上に話すことはないな」
私はすでに温くなった茶を啜り、膝元でお昼寝をしている橙の頭を撫でる。橙は「んにゃんにゃ……」と幸せそうな寝顔を浮かべていて、ますます私の人生に彩りを与えてくれている。
ふと妖夢を見ると、明らかに怪訝な顔をしていた。
「藍さん。一体、今の話にどこに橙さんの式を治せない事情があるのでしょうか?」
「あったじゃないか」
「どこにですか?」
私はやれやれとため息を吐いて、妖夢に力強く指摘した。
「半猫化した橙が可愛すぎて治せないんだ! 今の話で橙がどれだけ可愛いか分かぐぷぇえ!」
妖夢が鞘に納まった楼観剣で私を思いっきり切り払った。私はくるくると錐揉み回転で壁に突っ込む。結構大きな音がはずだが、橙は妖夢の背中ですやすやと眠っていた。まぁ、たくましい娘。
とか言ってる場合じゃないな。かなり痛かった。そして、若干気持ちよかった。
「よ、妖夢? 何で?」
「藍さん。治せますよね?」
妖夢が目を鋭く光らせながら、質問に質問で返すという日本語としては如何なものかという返し方をしてきた。
「藍さん。治せますよね?」
「え? いや、だって橙が――」
「治せますよね?」
「……はい」
結局、弱った体に鞭打って、私は橙を普通の橙に戻したのだった。あぁ……半猫橙~。
私はせめてもと思って、最後に頭の中で半猫橙の声を再生したのだった。
『にゃんにゃん!(バイバイ!)』
「にゃんっ!」
マヨイガの庭は少し広い。私が育てている園芸植物があるが、それでも一般的な家庭と比べれば広い方であろう。それでも、橙は快く引き受けてくれた。あぁ、いい娘だ……。私は縁側で橙が掃除をしているところを見物する。とある事情で、私は少し動くのが億劫なのだ。
「にゃんうにゃ~」
「ん? どうした橙?」
「んみゃ~」
ちぇんは可愛らしい小さな指で入り口を差して、私に示した。そこには、手荷物を携えた半人半霊の少女が立っていた。
「あぁ、妖夢か。こんにちわ。この頃少し寒くなってきたな。幽々子様からの差し入れだね。よかったら荷物を置くついでに、居間で待っているといい。今、熱いお茶を淹れてくるから」
「え? いやいや、藍さん?」
「ん、どうした?」
「いや、どうしたって……橙さんどうしたんですか?」
「どうしたって……」
私は箒を抱えるようにして持っている橙を見た。ちぇんは私が見ているのに気付き、「にゃんっ!」とにっこりと満面の笑みで私に返してくれた。うん、私は幸せ者だ!
「別に、変わった様子はないが?」
「いやいやいや。橙さん、さっきから人語を話していませんよ?」
「え? あぁ……」
なんだ、そういうことか。
「一体、どうしたんですか?」
「いや、なに。ちぇんは少し式が外れててな。それで外れた分だけ猫の部分が出てしまってるんだ」
「あぁ、そうなんですか、ってうえぇえ!?」
妖夢が大きな声をあげたので、掃除をしていた橙が驚いた。驚く仕草もまた可愛く、さっ、さっ、と掃除をしているモーションから妖夢の大きな声でビクッと体を震わせた感じだ。それで目を見開いて妖夢を見ている。あぁ、まるで猫だ! いや、猫なんだけども。
「大きな声を出すなよ。橙がびっくりして可愛くなってるだろうがぁ」
「藍さん、顔がにやけてます。じゃなくて! 式が外れるって大変なことじゃないですか!」
「ん? まぁ、そうだな。式が外れると、橙が橙じゃなくなるからな」
「それじゃあ何で治さないんですか? それとも、藍さんでも治すことが出来ないんです……か?」
妖夢は真剣な表情、真剣味を帯びた口調で聞いてくる。まるで何か深刻な病気を申告されそうな病人のようだ。億劫な体に鞭打って、自分のほんのりとピンク色に染まった布団を干しながら、妖夢の問いに答えた。
「ん、や。治せるよ?」
「そうですか……やっぱり治せなえぇええええええ!?」
「もう、妖夢はさっきから少し大きな声で叫びすぎているよ。おかげで橙が今びっくりして尻餅ついて涙目で可愛くなってるじゃないか。グッジョブ」
「いや何言ってるのかさっぱりですけど、えっと、治せるんですよね?」
「あぁ、治せるよ」
「じゃあ、何で治してあげないんですか? 何か……特別な事情でも?」
妖夢が先程と同じ、いやそれ以上に目を険しくして聞いてくる。
「……少し、な」
私はよっこらせ、と縁側にゆっくりと腰を据える。
「やはり……。藍さん、隠してるつもりでしょうけども、怪我、してますよね?」
「おっと、気付いてしまったか……」
私は少し見えてしまった包帯を隠すため、道士服を捲くった。
「藍さん……」
妖夢は歯を少し食いしばって俯いた。その後は少し静かだった。橙が箒を一生懸命に掃く音しかマヨイガには響かない。しかし、しばらくすると、妖夢は何かを決心したようで、私の顔を面と見て静かにしかし、力強く言った。
「藍さん……よかったら、事情を話していただけませんか?」
「えっ?」
「力になれないかも知れないのは分かってます。それでも、私は協力したいんです。よければ、話していただけませんか?」
「妖夢……」
仮に、ここで嘘を付いたとしても、まるで意味はないであろう。妖夢の目にはある種の覚悟が宿っており、私はその覚悟に敬意を表して、真実を、有りのままのことを話すことにした。
「……ちぇんの式が外れかかってたことが分かったその日、私は紫様と相談した上で、橙に改めて式を憑けなおすことにしたんだ。しかし、私は橙に改めて憑けることが出来なくなってしまったんだ。橙に憑けなおすと決めたその翌朝、つまり今朝のことだ……」
*
私はいつものふかふかの白い布団に仰向けで身を沈めていた。今朝は殊更寒く、完全に冬の妖怪の術中に嵌ってしまった。おかげで、起きるのは億劫になり、あろうことかそのまま二度寝をしてしまおうとしてしまう。しかし、その時そこに橙が現れた。
橙は襖を開けて、私の許まで近づいて、私にこう言った。
「にゃんうにゃ~。にゃうにゃうにゃ~」
橙は昨夜から猫語しか喋れないのをその時思い出す。私は最初、橙が何と言っているのか分からなかったが、イントネーションで考えてみるとすぐに分かった。つまり橙は
「藍様~。起きて下さい~」
と言ったのだ。そうと分かれば橙の言葉を理解するのは簡単だった。
「にゃんうにゃ~。にゃんんにゃ、にゃうにゃうにゃ~。うにゃにゃうにゃ、うにゃにゃにゃんにゃにゃにゃ~(藍様~。いい加減、起きてくださいよ~。紫様が、起きてらっしゃいますよ~)」
何? 紫様が? ったく、寒い今朝に限ってこういう早起きをするんだよな。そういう生き方がもうババァ臭いと言うか。まぁ、本人の前でそんなことを口走ろうもんなら即刻スキマツアーに出立だけど。
そんなことを考えながら、私は布団から全く出ようとしなかった。珍しく体が布団を恋しがっているらしく、私もついつい布団に甘えてしまう。おかげで、橙を無視してしまう形になってしまった。橙は私が未だに起きないと思っているらしく、む~……と腕を組んで考えている。
そして、橙は私の顔に自分の顔を近づかせ、そして――
すりすりすり
頬ずりを、してきた。どうやら、式が外れて猫に近づいているため、思考もより猫っぽくなっているらしい。そのまますりすりと橙の心地よい頬ずりが続く。私は起きてもよかったが、あえてそのまま寝た振りを決行することに決めた。だって、そのほうが橙が何をするのか楽しみだったから。
橙はしばらく頬ずりを続けていたが、やがて、これでは意味が無いと気づいたらしく、再び腕を組んで熟考する。
眉間に皺を寄せ、一生懸命に私の起こし方を考える橙は中々萌えた。しばらくそうして考え込む橙を見て、心行くまで満足した私は、いい加減に起きようと心に決め、それから行動に移そうとした時だった。
橙が再び私の顔に自分の顔を近づける。そして――
ぺろぺろぺろ
舐めて、きた。しかも、私の唇に。ぺろぺろぺろと私の唇を橙のざらりとした舌が撫でていく。私はそれで一気に限界突破した。ボーダーを突き抜けた。具体的に言えば、鼻血がサスペンスよろしくの出血量で白い布団をワインレッドに染めたのだった。
「ちぇーーーーーーん! だーいすきだーーーーーーーー!」
「にゃうぅ!?」
私は返り血を浴びた橙を抱きしめて、思う存分に頬ずりをし、そのまま染まった布団にインする。
「にゃんうにゃ! にゃんうにゃ!(藍様! 藍様!)」
「おぉ、橙。そうか、私と一緒にいるのがそんなに嬉しいのか!」
「にゃんうにゃ! うにゃにゃ! うにゃにゃ!(藍様! 後ろ! 後ろ!)」
「うん? 後ろ?」
橙に言われて、私は首だけ後ろに回した。視界に転がり込んできたのは、不機嫌に笑ってらっしゃる紫様。
「藍? 主である私を差し置いて、自分の式と戯れるなんて、いいご身分の式神ね?」
「あ、その、紫様……?」
紫様はにっこりと太陽の畑にいらっしゃるメルヘン花妖怪様に匹敵する微笑みをお浮かべになる。
私がその笑みに慄いてると、橙が「にゃ?」と呆けた声を出した思ったら、そのまま隙間を通して紫様の腕の中に納まっていた。
「橙。私はちょっと藍と話があるから。あなたは朝御飯の準備をしてくれるかしら? あ、その前にお風呂に入って、その欲望色の液体を流してきなさい。いいわね?」
「……にゃん! うにゃにゃうにゃ!(はい! 紫様!)」
橙はにっこりと誰か様とは比べ物にならない眩しい笑顔を浮かべて、台所へと向かってしまった。
その場に残ったのは、微笑みを湛えた紫様と赤い海に沈む私。
「さて……躾の準備は整ってるわよね?」
紫様が出した隙間からゆっくりと手が――わらわらと湧いてくる。
あぁ、これは、あれだ。
「禁符『スキマツアー』」
「あーーーーーーーー!」
私は隙間に引きずり込まれて、口にも言えないおぞましいフルコースを喰らったのだった。
*
居間で正座をしている妖夢が先程から干してある私のピンクに染まった布団をジッと見つめている。
「どうした?」
「え? いや……それで話はお仕舞いですか?」
「あぁ。これ以上に話すことはないな」
私はすでに温くなった茶を啜り、膝元でお昼寝をしている橙の頭を撫でる。橙は「んにゃんにゃ……」と幸せそうな寝顔を浮かべていて、ますます私の人生に彩りを与えてくれている。
ふと妖夢を見ると、明らかに怪訝な顔をしていた。
「藍さん。一体、今の話にどこに橙さんの式を治せない事情があるのでしょうか?」
「あったじゃないか」
「どこにですか?」
私はやれやれとため息を吐いて、妖夢に力強く指摘した。
「半猫化した橙が可愛すぎて治せないんだ! 今の話で橙がどれだけ可愛いか分かぐぷぇえ!」
妖夢が鞘に納まった楼観剣で私を思いっきり切り払った。私はくるくると錐揉み回転で壁に突っ込む。結構大きな音がはずだが、橙は妖夢の背中ですやすやと眠っていた。まぁ、たくましい娘。
とか言ってる場合じゃないな。かなり痛かった。そして、若干気持ちよかった。
「よ、妖夢? 何で?」
「藍さん。治せますよね?」
妖夢が目を鋭く光らせながら、質問に質問で返すという日本語としては如何なものかという返し方をしてきた。
「藍さん。治せますよね?」
「え? いや、だって橙が――」
「治せますよね?」
「……はい」
結局、弱った体に鞭打って、私は橙を普通の橙に戻したのだった。あぁ……半猫橙~。
私はせめてもと思って、最後に頭の中で半猫橙の声を再生したのだった。
『にゃんにゃん!(バイバイ!)』