目が覚めると、そこは自分の家の寝室だった。
それはいい。
しかし、自身の腹具合が今の時刻を朝だと告げているのにも関わらず、部屋全体を占める薄暗さに霧雨 魔理沙は首を傾げた。
窓から差し込むのは、やたらと人工的な匂いを感じさせる光。
ゆるやかに覚醒していく頭で、魔理沙は考える。
昨日は、夜半過ぎまで魔力伝達の効率化に関する研究していた。よって、酒を一滴も口にしていない。
古典的な考え方だが、夢を見ている可能性も視野に入れて少しばかり強めに頬をつねってみる。
痛い。
その行為で完全覚醒した頭脳が、現状を正しく把握する。
「……なんだってんだ」
半ば呆れたような口調で魔理沙が呟く。
窓から見える『外』は、見慣れた光景では無かった。いや、ある意味ここ最近で見慣れてきた光景ではあった。
赤い絨毯。立ち並ぶ木製の重厚な本棚。魔法による照明。
魔理沙の家が紅魔館の図書館内部に『建っていた』
※
※
※
「これで、よしっと」
身支度を済ませ、ドアの側に立てかけておいた愛用の箒を手に取る。臨戦態勢は完了した。
自分が眠りに落ちてからここまで、特に危害を加えられた様子も無い為、過度な警戒は不必要かとも思われたが、あの七曜の魔女相手ではそうも言っていられない。
いくら疲れていたとはいえ、内部の人間に気づかせず霧雨邸を丸ごと転移させるような存在だ。
その目的もはっきりとしていない今、いつでも戦えるように準備をするのは魔理沙にとって当然のことであった。
キィィ
玄関のドアを開ける。外開きのそれは、毛足の長い絨毯に邪魔されてひどく開けにくかったがかまわない。
「あら、起きたのね。おはよう」
直後、おそらく元凶であろう魔女から、声が掛けられる。
距離にして10mほど、読んでいる本から視線を逸らさずに。
いつものテーブルセットに腰掛け、普段と変わらない様子のパチュリーがいた。
「ああ、起きたぜ。おはようだ」
内心の動揺を悟られまいと、箒を握る手に力を込めながら魔理沙が応える。
出来る限り堂々と。気は抜かず、周囲に神経を張り巡らせる。
そんな魔理沙の虚勢と努力を知ってか知らずか、至極のんびりとした様子でパチュリーが目線を上げる。
そして、傍らの従者に。
「すぐに準備をしてちょうだい」
と命じる。
かしこまりました~。と語尾を歌うように伸ばしながら、赤髪の悪魔が駆け出し、奥の扉へと消えていく。
それを見届けた後、パチュリーは魔理沙へと振り返り、こともなげに。
「とりあえず、座ったら?」
と、言うのであった。
※
※
※
「で、なんだってこんな真似をしたんだ?」
小悪魔の持ってきた朝食を胃袋に放り込み、紅茶を一息に飲み干して、さっそく魔理沙が質問する。小悪魔の「もっと味わって食べて下さいよぅ」という声は無視する。
朝食を取らずに周囲の確認をすることまで予測されていたのは業腹だが、いきり立っていた腹の虫は和食派の魔理沙をも納得させるクオリティの食事によって二重の意味で黙らされた。
「一番効率的な手段を採ったまでよ」
「なんだそりゃ」
パチュリーの返答は要領を得ない。仮にも家ひとつを転移させるのに必要な魔力など、今の魔理沙には見当もつかない。それが一番効率的だと?
それとも、目の前の魔女には片手間で出来てしまうことなのだろうか。
意味が解らない。
「だって、いつまで経っても貴女が本を返さないんだもの」
ごく微量の不愉快を表情に混ぜ、訴えるように呟くパチュリー。
「……あー、何となく読めてきたぜ」
つまり、こういうことだ。
毎度毎度『死んだら返す』と嘯きながら本を持って行く魔理沙に業を煮やした彼女は、こう考えたのだ。
返ってこないのなら、自力で回収すればいい、と。
やり方こそ強引だが、一応理屈は通っている。
魔理沙が今までに持ち出した本の数を考えれば、普通に回収するだけで相当の人手を掛けなければならないだろうし、返却を求められて素直に応じる魔理沙ではない。
人ひとり攫えば誘拐だが、家ごと運んでしまえば本の回収は容易になる。喘息持ちのパチュリーにとっては確かに効率的、なのかもしれない。
とても常人に理解できる考え方ではないが。
「という訳で、本は返してもらうわ」
「断る」
にべもない。流石にこれだけのことをしてなお断られるとは思っていなかったのか、パチュリーは浮かぶ呆れと語気を強めて言う。
「断ってもダメ。この件において貴女に拒否権は無いわ」
「拒否権が無いことを拒否するぜ。なんならこの場で白黒付けてもいい」
魔理沙も負けてはいない、懐からスペルカードを覗かせて威嚇する。
もめ事は弾幕ごっこで解決する。幻想郷の約束事を示されては、いかに魔女といえども乗らざるを得ないだろう。
寝起きだが、気力体力ともに充実している魔理沙には少なからず勝算があった。
「…………」
しかし、パチュリーは魔理沙の恫喝にも貼り付けた呆れを外さない。それどころか、視線に明らかな哀れみを込め始める。
そして、わざとらしい動きで机にもたれ掛かる。
「どうした、戦う前に降参するのか?」
パチュリーの細かい演技を演技と気づくこともなく、魔理沙が挑発する。
戦わずに勝ちを拾えれば一番だが、目の前で弱った様子の相手に対して押し切ってやろうという考えのようだ。
「そうね、そうした方がいいのかもしれないわ」
パチュリーは演技を続ける。少し離れた場所で小悪魔が「ノリノリですね、パチュリー様!」とサムズアップしている。
ちらりと魔理沙の家へ視線を運び。
「こんなに大きなものを転移させた直後だもの。もし、弾幕ごっこなんてしようものなら……」
小悪魔が、魔理沙から見えない本棚の陰で笑い転げている。
一拍の時を置いて、パチュリーが言葉の魔弾を発射する。
「貴女の家に当ててしまうかもしれないわ」
静寂。
「は? ………………はああああぁぁぁぁ???!!!」
は、魔理沙の叫びによって打ち破られた。
パチュリーは堪えきれなくなった笑いを顔に乗せ、ことさら弱々しい様子の演技で言葉を続ける。
「いえ、きっと当ててしまうわね。でも安心して。例え『間違えて』貴女の家を燃やしてしまっても、私の水符ですぐに消し止めてあげるわ」
事態を飲み込み始め、段々と顔色を変えていく魔理沙。そこにダメ押し。
「ただし、威力の調整を誤ってそのまま倒壊させてしまうかもしれないけれど、ね」
箒に寄りかかるようにして立つ魔理沙に、魔女はその名にふさわしい満面の笑みを向けるのであった。
※
※
※
ほどなくしてやってきた咲夜と妖精メイド達に、なんとか笑い死にを回避した小悪魔が目録を片手に指示を出す。
それを呆然と見つめながら、魔理沙は椅子に浅く腰掛けうなだれている。
「ひどいぜ」
「貴女ほどじゃないわよ」
魔女の憎まれ口に、やり返すだけの元気が残っているはずもなく。
「そうかもな」
力なく答えるに留まった。
「それはそうと」
沈みかけた魔理沙の心情を思い計ったかのように、パチュリーが呟く。
「貴女に、良い知らせと悪い知らせがあるのだけれど、どちらから言ったものかしらね?」
「おいおい、私は家ごと拉致された挙句に集めた本まで奪われてるんだぞ。これ以上、悪い知らせなんてあるわけないだろ」
「言う必要も無いことだけど、元々私の蔵書だからね」
顔を見合わせて、どちらともなく笑い出す。
「まぁ、いいわ。善し悪しはそっちで判断してちょうだい」
表情に笑いを残したまま、微妙に無責任な発言をするパチュリー。魔理沙の返答を待つことなく言葉を続ける。
「ひとつは、貴女の家のこと。こちらに転移させるのにも数ヶ月単位で準備してたから」
準備したのは私ですけどね、とぼやく小悪魔は背景のままパチュリーの弾幕で焼かれていた。
「……元の位置に戻すのにも、それなりの時間が掛かるのよ」
言ってからパチュリーは、ちらり、と魔理沙を窺う。先ほどの勝利の余韻をまったく感じさせない、そんな顔。
「んー、どれくらい掛かるんだ?」
魔理沙にとまどいは無い。二度と戻れぬ訳で無し、と若干の達観すら滲ませていた。
「そうね、半年はかからないと思うけど」
「そっか」
「いいの?」
「まぁ、原因の一端は私にあると言えないことも無いからな。半年くらいなら、別荘暮らしだとでも考えるさ」
ここでも、研究はできるしな。と、短く付け加える。
「そう。わかって貰えてよかったわ。代わりと言ってはなんだけど、食事の世話はこちらでさせてもらうから。館内に煙が充満されるのは困るもの」
「わかった、ありがとな。んで、もう一つは?」
「え?」
パチュリーが聞き返す。
「だから、もう一つだよ。さっき言ってただろ、良い知らせと悪い知らせがあるって」
「あ、あぅ……。それは、その」
急にしどろもどろになった魔女を見て、魔理沙は首を傾げる。物静かだが、主張はハッキリさせるタイプのパチュリーにしては珍しい。
先ほど弾幕を受けてもんどり打っていた小悪魔も、痛みを忘れて『ファイトです、パチュリー様!』と声援を送っている。
「パ」
「パ?」
本を閉じ、しっかりと魔理沙に向き合って。
「パートナー、ほ、欲しくないかしら。もちろん貴女がここにいる間限定だけど」
もう一発の魔弾が、魔理沙に向かって飛ばされた。