「ねーパチュリー。だるいから魔界帰っていい?」
「うっさいしね」
そんなやり取りを繰り返すこと早一週間。
私は本気で後悔していた。
「だってだるいし眠いし空気が淀んでて気分悪いし。あー魔界が恋しいなー」
よくもまあ、これだけ減らず口が叩けるものだ。
私はピクピクと痙攣するこめかみを押さえながら溜め息を吐いた。
――遡ること一週間前。
私が紅魔館の図書館で暮らすようになってから(正確に言うと寝室は別だが)、早半年。
最初の頃は、頑張って一人で本の整理なり掃除なりをしていた私だが、流石に最近はそれもしんどくなってきた。
如何せん、この広さである。
本の整理であれ掃除であれ、一人でどうこうできるレベルじゃない。
ましてや私は喘息持ちなので、あまりに埃っぽいところでは作業ができない。
更に私は体力がないので、長時間働き続けることもできない。
かといって、微妙に頭が弱い妖精メイド達に任せることもできない。
うっかり魔力の強い本にでも触れて、じゅわっと蒸発されたら後味が悪いし。
そんな折、私は、魔界に「使い魔派遣会社」なる会社があることを知った。
顧客のニーズに応じて、様々な使い魔を派遣するサービスを営んでいる会社らしい。
私は早速、契約の申込をした。
司書をこなせる程度の能力を持った使い魔をよこしてほしい、との希望を添えて。
するとすぐに、ちょうど派遣待ちの悪魔がいるので、すぐにでも派遣致します、との返事を貰った。
こうして私は、「使い魔派遣会社」と「使い魔派遣契約」を締結した。
ちなみに、契約後の最初の二週間は「試用期間」とされており、この「試用期間」中に「こいつはダメだ」と判断した場合は、そこで契約を解約することができ、既に支払った契約料は返ってくる。
逆に、「試用期間」を過ぎれば、原則として、契約期間の満了までは解約できない、という仕組みだ。
そして今日は、契約の日からちょうど一週間の日。
つまりまだ、「試用期間」内。
で、肝心の、派遣されてきた「小悪魔」がどんなヤツなのかというと……。
「はー。大体さ、何で私がこんなとこにいなくちゃいけないの? もうさっさと解約しちゃっていいのに」
……一言で言うと、最悪なヤツだった。
まず、魔方陣を通じて私の前に現れたときの第一声が「だるい」だった。
更に、私が一応礼儀正しく挨拶をしても、返ってきたのは「ああ、よろしく」。
言うまでもなく、私は二秒後に派遣会社に解約の申入れをした。
だがどういうわけか、「すいません、せめて試用期間いっぱいまで待って下さい」と担当悪魔に泣きつかれてしまった。
詳しく事情を聞くと、なんとこの小悪魔、魔界でも屈指の名家の生まれらしく、いわゆる「お嬢様」であるとのこと。
しかしそれゆえに苦労の一つもしたことがなく、親のコネで入った大学を出てからは、家に引き篭もって暢気なニートライフを送る日々。
流石に世間体を気にした両親が、またもコネを利用して、無理矢理この派遣会社に就職させた。
しかし、こんな礼儀のれの字も知らないような小娘を使役しようなどという酔狂物がいるはずもなく、何度派遣しても、試用期間中にキャンセルされてしまうことの繰り返し。
そしてその度に、親から「なんとかこの子を働かせてやってくれ」との圧力が掛かるため、次の契約の申し込みがあると、誰よりも優先させて派遣させざるをえない。
何故そんな事態が生じるのかというと、どうやらその親というのが、この会社の大株主であるらしく、それゆえ、こんな無茶な要求でも受け入れざるをえないのだという。
その結果として、不運にもこのお嬢様悪魔の担当となってしまった件の悪魔は、彼女が派遣される度、なんとか解約されぬよう、必死に交渉している、とのことだ。
「この子がキャンセルされる度に、この子の父上から会社に苦情が来るのです。そして次に、それが上司からの圧力となって私にのしかかるのです。もうここ半年も、この繰り返しなんです。おかげで胃に穴が開きました」
涙声でこんな裏事情を暴露されては、さしもの私も、「それでもこんなアホの子いらん。引き取って」などと言うことはできず、結局、「じゃあ試用期間が満了するまでは様子を見させてもらうわ」と答えざるをえなかった。
――かくして私は、目下、この一文の得にもならないような契約関係に、不本意ながらも拘束されているのである。
そんな私の気苦労など露知らず、暢気なアホ悪魔が口を開いた。
「それにしても、なんでこんなに埃っぽいの? この部屋」
「しょうがないでしょ。掃除する人がいないんだから」
もうタメ口にツッコむ気すら起きない。
「なんで? あんたがすりゃいいじゃん」
「…………」
もういいや、無視しよう。
自分でするのが大変だからあんたを呼んだのよ、なんて言ってもこのアホには理解できないだろうし。
あの担当の悪魔には悪いけど、やっぱりこいつは解約しよう。
というか、何の仕事もしないんだから、それ以外の選択肢はない。
私にできるのは、せめてひとときの安らぎを彼に与えるべく、解約を試用期間満了日まで保留してやることくらいだ。
まあ確かにこのアホと空間を共有するのは苦痛だが、どうせそれもあと一週間だと思えば、どうということはない。
そんな時だった。
不意に、小さな魔方陣が私の眼前の空間で展開され、そこから、一つの封筒が出てきた。
「何かしら」
見ると、宛名が「※※※※※(注:魔界言語により翻訳不能)」となっていた。
私はすぐにピンと来た。
解読はできないが、何かしらの書物で見た覚えのある文字。
つまり、おそらくこれは魔界言語で、このアホの名前なのだろう、と。
今のこいつは一応私の使役下にいるので、魔界でこいつ宛に送られた書物は、此処に転送されるようになっているんだろう。
「ちょっと」
「? 何?」
「あんたに郵便」
「お、さんきゅ」
礼を言って受け取る小悪魔。
一応、礼くらいは言えたのね。
まあ、少なくとも使い魔が主に対して使うような言葉ではないけれど。
「どれどれ……って、ああ、そっか」
中身を取り出し、一人呟く小悪魔。
見ると、何やら紙幣のようなものが何枚か、その手に握られている。
「それ、お金?」
「うん。来週私の誕生日だから」
「誕生日?」
「そ。今からちょうど一週間後ね。家に居るときは手渡しだったんだけど」
「家……ってことは、それ、ご両親から?」
「? そうだよ」
キョトンとする小悪魔。
「じゃあ、つまりそれは、ご両親からあなたへの……」
「うん。誕生日プレゼント」
「…………」
「余裕を持って送ってくれたみたいだけど、かなり早く着いたんだね。まあお陰で早く遣えるけど」
「……いつも、お金で貰ってるの? プレゼント」
「? そうだけど」
「…………」
「だって、要らない物押し付けられるより、こっちの方が断然いいじゃん。自分で好きな物買えるし、欲しい物が無けりゃ貯金しときゃいいし」
平然と言う小悪魔。
しかし、その表情に寂寥を読み取ったのは、私の気のせいではないだろう。
「さーて、何買おっかなー」
お金をぴらぴらとめくりながら、小悪魔は言う。
「あ、そうだ。あれにしよう。今魔界で大流行の小悪魔ファンデーション。ふふ、楽しみだなあ」
言葉とは裏腹に、全然楽しそうには見えない小悪魔。
「ねー、契約時間外なら魔界に帰ってもいいんでしょ?」
「……ええ。好きにしたらいいわ」
「まあでも、どうせあと一週間で解約になるんだし、あんまり関係ないか」
「…………」
「しかしあんたもお人好しだねー。担当に泣きつかれて、ギリギリまで解約するの保留するなんて」
上述の私と担当悪魔とのやりとりは、こいつも知っている。
まあ、こいつのいるすぐ傍で通信したのだから、当たり前なのだが。
しかしこいつはまったく動じる風でもなく、平然とその様子を見ていた。
後で聞くと、父親から会社に圧力が掛けられていることも、その所為で担当悪魔が苦労していることも、全部知っているとのこと。
だったらなんでもっとやる気を出さないのかと聞くと、返ってきたのはたったの一言。
「めんどいから」
もう呆れて何も言えなかった。
所詮こいつはお嬢様で、苦労のくの字も知らないから、自分のために他人が苦労していても、なんとも思わないのだ。
まあ、その方が悪魔らしいのかもしれないが。
しかし、である。
なんというか、今、私の中に、新たな疑問が湧き上がりつつあった。
こいつは、このアホ悪魔は、苦労がどうとかいう前に、もっと根本的な、もっと大切なことも知らずに、今まで生きてきたのではあるまいか。
だとしたら、こいつをこのまま解約し、次の主に回したところで、結局同じことの繰り返しだ。
実の子供を他人に任せてあれこれ文句を付けるこいつの親はさておくとしても、哀れな担当悪魔の胃に開いた穴が塞がることはない。
それにどのみち、少なくとも後一週間は、こいつを此処に置く約束をしてしまった。
だったら。
そう、どうせなら――。
このとき、私の中で、ある決意が生じた。
そして、一週間後――。
言うまでもないことだが、この一週間も、小悪魔は何もしなかった。
ただぐうたらと、いたずらに日々を過ごしていただけ。
もう私も何も言わなかったし、小悪魔の方も、私がどうせ解約する腹でいると思っていたのだろう、最初の方ほど、不満を口に出すこともなくなっていた。
そして、試用期間の満了まで、あと一時間となったとき。
小悪魔が、おもむろに口を開いた。
「さて、そろそろだね」
「ええ、そうね」
私も、それに答える。
「私を試用期間ギリギリまで解約しなかったのは、あんたが初めてだったよ」
「そう」
「ま、色々と世話になったわ。あんがとね」
「あら。お礼を言うのはまだ早いんじゃないかしら」
「へ?」
「だって今から――あなたの誕生日パーティーをするんだから」
「……はあ?」
目を丸くする小悪魔。
そう。
今日は、使い魔派遣契約の試用期間最終日。
兼、こいつの誕生日。
「いやいやいや、何言ってんの?」
「聞えなかったの? あなたの誕生日パーティーをするのよ」
「ごめん意味分かんない。っていうかもうすぐ試用期間が……」
「いいから、とっととやるわよ。ほら」
そう言って、私はパチンと指を鳴らした。
その瞬間に、テーブルの上に数々の料理が並んだ。
まあ種明かしをすると、ただの転移魔法なんだけど。
「ちょ……何これ」
「私が作ったのよ」
「え?」
「味わって、食べなさい」
「……私のために、わざわざ……?」
「もちろん。手間暇掛けて、ね」
「…………!」
「ほら、早く食べなさい」
「う、うん……いただきます」
小悪魔は、一番近くにあったチキンの唐揚げを手に取ると、おずおずと口に運んだ。
あむ、あむと、噛み締めるように食べている。
「どう?」
「……美味しい」
小悪魔の顔が綻ぶ。
そして多分、私の顔も。
「それはよかったわ。それから――これも」
「?」
私は、懐に忍ばせておいた小さな袋を取り出し、小悪魔に手渡した。
「何……? これ」
「開けて御覧なさい」
ぴりりと、丁寧に袋を開ける小悪魔。
すると。
「わあ……」
出てきたのは、小悪魔のシルエットが印象されたペンダント。
それに紐が通されていて、首に掛けられるようになっている。
「すごい……」
「でしょ? 私の手作りよ」
もっとも、少しばかり魔法の力を借りたんだけど。
まあでも、手作りには違いないだろう。
「付けてあげるわ」
私はペンダントを手に取り、小悪魔の後ろに回った。
真っ赤な髪をかき上げて、ペンダントを掛けてやる。
「はい、できた」
「…………」
小悪魔はぼうっとした様子で、首に掛かったペンダントを手に取り、しげしげと眺めている。
そんな小悪魔に、私は尋ねた。
「……どう? “要らない物を押し付けられる” 気分は?」
皮肉を込めて言ってやると、小悪魔は暫く沈黙した後、やがて顔を上げ、言った。
「すっごく……嬉しい!」
初めて見る、小悪魔の満面の笑みだった。
――それからは、二人で料理を摘みながら、色んな話をした。
お互いのこと、幻想郷のこと、魔界のこと……。
この二週間、まるで会話らしい会話をしなかったのが、嘘のように。
そんな折、ふと会話が途切れ、場が沈黙に包まれた時だった。
「…………」
小悪魔は急に、神妙な面持ちになった。
「小悪魔?」
私が声を掛けると、小悪魔は真剣な眼差しで私を見据えた。
「パチュリー……様」
「!」
小悪魔が、初めて――私を敬称で、呼んだ。
「あの、えっと……私、今まで、散々失礼なことばっか言ってたけど……でも」
小悪魔の声は震えていた。
「こんな、こんな私でよかったら……」
ぎゅうっと、スカートの裾を握る小悪魔。
「どうか、これからも……お傍に……置いてくださいっ」
そして深く、頭を下げる。
おそらくは生まれて初めて取ったのであろう、その行動。
そんな彼女に対し、私が返す言葉は、一つしかなかった。
「……ええ。こちらこそよろしくね。……小悪魔」
その瞬間、小悪魔がばっと顔を上げた。
「……ほ、ほんとう……ですか?」
「魔女に二言は無いわ。それに……」
私はくいっと、壁に掛かった時計を指差す。
「あ…………」
そう。
いつの間にか、試用期間はとっくに終わっていた。
「どのみちもう……自由に解約できなくなっちゃったしね」
私が苦笑混じりに言うと、
「……パチュリー様!」
「わっ」
小悪魔が、いきなり私に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと……」
すりすりと、子供のように、私の胸に頬擦りをしてくる。
私はそんな彼女の頭を撫でながら、溜め息混じりに呟いた。
「もう……しょうがないわねぇ」
「えへへ……ごめんなさい」
ぺろっと舌を出して笑う彼女は、まさに――“小悪魔”だった。
――そして、現在――。
今年もまた、この日が巡ってきた。
それは、私達が初めて、“主従”となった日。
それは、彼女が初めて、“愛情”を知った日。
満面笑顔の小悪魔に、私は言った。
「――誕生日おめでとう。小悪魔」
了
パチュリーの優しさがよかったです。
最初が最初だけに、
最後の「おめでとう」がとても感動でした。
ちょっと俺も使い魔契約してくる
面白かったです
こういう新小悪魔、あちきは好きですよ。
・・・お嬢小悪魔を誰かイラストで描いてくれませんか?
こんなパチュリーも全然アリですよ。GJ