「パチュリー、いるかしら」
紅魔館地下図書館の入口は、仰々しい扉が付いている。
その扉は見た目に反して軽く、いつもならば少女の力でも容易に開けられる。
現在は侵入不可の魔法がかかっており、内部からでなければ開かないようになっている。
本の返却に来たアリス・マーガトロイドは、扉越しにもう何度目になるか分からない呼びかけを繰り返していた。
やがてきいという音とともに扉が開き、中から小悪魔が顔を出す。
「アリスさんじゃないですか。どうしました?」
「あら、小悪魔。丁度いいわ、パチュリーを呼んできてくれるかしら」
「それがですね、今は儀式の最中だから誰も入れないようにとのお達しでして」
「あなたは中にいていいの?」
「ええ。お手伝いです」
「生贄?」
「やめてください縁起でもない。体液抜かれましたけど」
「明らかに生贄じゃない、それ」
「そういえば結構詳しく調べられたかも……」
「生贄決定ね」
「そんなことありません。私はパチュリー様を信じています。酷くても精々モルモット程度です」
「十分酷いわ、それ」
「そんな可哀想な小悪魔を見るような目で私を見ないでください!」
「難しいわよね」
「要約すると可哀想な私を見ないでください」
「話すときには相手の目を見て」
「そうですけど、そうじゃありません」
「で、お手伝いの貴方がここにいてもいいの?」
「用は済んだって言われました」
「つまりもういらない子ね」
「しまっちゃうんですか!?」
「何のこと?」
「いらない子はしまっちゃうおじさんにしまわれるんですよ。パチュリー様が言ってました」
「誘拐よね、それ」
「あ、そうですね。ということはアリスさんが誘拐犯だったんですね!」
「何でそうなるのよ」
「私がいらない子になったら、アリスさんが現れました。ここから導き出される結論は一つ。あなたを、犯人です!」
「お部屋をお連れするのね。案内して頂戴」
「部屋が動くわけないじゃないですか。移動教室でもあるまいに」
「移動教室も動かないわ」
「そんなことより犯人です。逮捕しちゃうぞ! ゆーあーあんだーあれすと!」
「いや、まだ逮捕されてないし。そもそも犯人じゃないわ」
「どんな人も罪を犯す前は罪人ではないと言うのですか。そんなことはありません。人は原罪を背負っているのです」
「とあるユダヤ人がそれを代わりに背負ったみたいだけど? というかあなた一応悪魔でしょうに、聖書なんて読んでいいの?」
「The devil can cite Scripture for his purpose.という言葉もありますから。今時の悪魔なら聖書くらい諳んじられなければやってけません」
「悪魔も自身の目的の為なら聖書を引用する、ねぇ。エクソシストが泣くわね」
「彼らは悪霊が相手ですから。悪霊と悪魔を一緒にしてはいけません」
「悪魔には効かないのかしら」
「試しにレミリア様に聖歌を聴いて頂いたところ、それから時々口ずさむようになられました」
「現実は厳しいわね」
「アリスさんもどちらかといえばこちら側の存在では?」
「まあ、退治するかされるかならされる方ね」
「パペットマスターですもんね」
「それはきっとレオノフとかいう名前だと思うわ」
「お知り合いですか」
「いいえ、欠片も」
「友人が少ないと専らの噂ですものね」
「その数少ない友人に会いに来たのよ」
「ああ、そうでしたか。それで、御用件は」
「だから友人に会いに来たの」
「あれ、本が目的ではなく?」
「ついでに何冊か借りたいとは思うけれど、急ぎじゃないわね」
「そうですか。でもパチュリー様はアリスさんを友人だと思ってませんよ、きっと。近くで毎日見ている私が言うんですから間違いありません」
「そう。まあ、そうよね。私が勝手に……」
「嫁ですね」
「嫁!?」
「もしくは夫」
「いや、あのね」
「いやー、パチュリー様もレミリア様に囲われている立場なのに思い切ったことをしますね」
「囲われてるって、あなた」
「間男ですよ、アリスさん。間夫が無ければ女郎は闇とも言いますし」
「間男は嫌」
「でも間女って語呂が悪いじゃないですか。漢字で書くとまじょって読めなくもないですし。魔女はパチュリー様ですよ。あ、魔女の間女って面白いですね」
「あのねぇ。私とパチュリーはそういう関係じゃないの」
「そうですねぇ。別にパチュリー様も女郎じゃないですし」
「そういう問題じゃなくてね」
「レミリア様というものがありながらもアリスさんに心奪われ葛藤に苛まれるパチュリー様ハァハァ」
「あなたは随分パチュリーが好きなのね」
「当然じゃないですか。アリスさんは嫌いですか?」
「そんなことないけれど」
「けれど?」
「下手な事を言うとまた変に解釈されるから言わない」
「つまり本心を口にするのは恥ずかしい、と」
「どこをどう聞けばそういう解釈になるのかしら」
「小悪魔イヤーは地獄耳ですよ。その気になればその人の本音まで聞こえてくる気がします」
「それは普通妄想と言うのよ」
「ええ。そんな気がするだけですから」
「気のせいなのね」
「気のせいです。気を使うなら美鈴さんが得意ですが」
「きっとその気じゃない」
「気が多いのですよ、彼女」
「そうなの? 誰かしら」
「やけに食いつきますね。コイバナ好きですか。メモメモ」
「メモしない」
「相手として挙げられるのは魔理沙さんと咲夜さんと……」
「魔理沙が?」
「ええ。だって考えてもみてくださいな。魔理沙さんが紅魔館にきてまず出会うのは美鈴さんですよ」
「門番だものね。しかも手酷く当たってるみたいだけど」
「愛情の裏返しです。魔理沙さんってば好きな子に意地悪しちゃうお年頃なんです。そして美鈴さんも分かった上で受け止めてあげてるんですよ。懐が広いですね」
「それ、美鈴が魔理沙の事を好きな証拠にはならないと思うんだけど」
「じゃあなんで受け止めてあげるんでしょう。嫌いだったら無視するか、適当にあしらうだけでしょうし」
「そういう役目だからでしょ」
「それにしては美鈴さん不満が無さそうなんですよね。実は魔理沙さんが来るのを心待ちにしてたりして」
「要はあなたの妄想なのね」
「そうですね。でもそう考えた方が夢がひろがりんぐですよ」
「まあ、かもしれないけど」
「それに小悪魔アイは透視力です。きっと人の想いくらい見抜けるんじゃないでしょうか。あと小悪魔アイって名前みたいでかわいいですね。これからアイちゃんって呼んでください」
「丁重にお断りするわ。しかもなんで自分のことなのに自信無さげに言うのよ」
「割とあてにならないんですよ、この眼。見たところアリスさんはパチュリー様が好き好きーなのにそうじゃないって言いますし」
「そう言われたら普通はそう返すでしょ」
「ツンデレなんてもう古いですよ。これからの時代は素直系。自分の思いを素直に言うのが萌え要素です」
「萌え要素はいらないかなぁ」
「アリスさんが萌え要素のカタマリみたいなものですしね。甘く切ないカタマリですね」
「……?」
「無自覚天然系小悪魔ですか、新しいですね。私直々にアリスさんに小悪魔の称号を差し上げます」
「いや、一応本名あるから」
「それは真名を名乗れぬ私へのあてつけですかそうですかこんちくしょー。ああ、アリスさんはとってもいい人だと思ってたのに。頼めば二つ返事で連帯保証人になってくれるくらい。母さん、幻想郷はこわいところです」
「それはいい人じゃなくてお人よしもしくは単なるバカ」
「アリスさんは頭がいいですからね。弾幕はブレインですものね。パチュリー様も賢いですけど、凄絶に歯車のかみ合わせがずれてますものね」
「いや、まあパチュリーはあれでなかなかまともだけど。頭の回転も速いし」
「あらあらフォローしちゃいますか。いいですねいいですね初々しくて素敵ですよアリスさん。そうですよねアリスさんはパチュリー様のことが好き好き大好きですものね愛してるって言わなきゃコロスみたいな」
「アーティフル――」
「ああいやすみませんやめてくださいっていうか思いとどまってくださいお願いですから」
「やらないわよ。中でパチュリーが儀式の最中なんでしょ」
「その割には殺意が……。いえなんでもありませんもういいませんから人形に魔力を流し込むのはやめてくださいっていうかなんで私人形に取り囲まれてるんですか?」
「爆発による衝撃、振動が駄目なのなら相手を宙に浮かせてぐさっと」
「いやー」
「……緊張感の無い悲鳴ね」
「アリスさんはそんなことしないって信じてますから」
「あなたに言われても嬉しくないわ」
「誰に言われたら嬉しいんでしょうね?」
「……ニヤニヤしない」
「難しいですね」
「ニヤニヤしない小悪魔っていないのかしら」
「小悪魔なしのニヤニヤならありますよ?」
「それじゃ不思議の国のアリスじゃない」
「ええ。実は私チェシャ猫だったんです」
「ダウト」
「はい、ネコじゃなくてt――」
「そこまでよ!!」
「えー」
「全く、この図書館の関係者はろくな性格をしてないわね」
「アリスさんもほぼ関係者ですが」
「私以外は」
「いい性格してますね、本当」
「はぁ。もういいわ。パチュリーも忙しいみたいだし出直すわね。あ、一応この本は返しておこうかしら」
「はい、承り太郎です。毎度ご利用ありがとうございます。アリスさんほど丁寧な利用者を私は知りませんよ」
「そもそも私以外の利用者を知らないけれど」
「この館の人は利用されますよ。アリスさんもいかがですか?」
「だから住まないって」
「では、またのご利用をお待ち申し上げております」
「ええ。じゃあまた」
本を小悪魔に渡すと、アリスはそのまま帰って行った。
ぱたんと扉を閉めると、小悪魔は本を返却するためぱたぱたと飛び上がる。
そこに、パチュリーが通りかかった。
「あら、その本」
「ええ。先ほど美鈴さんに渡されました。アリスさんが見えたようです」
「珍しいわね。いつもは直接返しに来るのに」
「扉にかけた魔法を解除してなかったもので、入れなかったみたいです」
「自分でディスペルしておくって言ったじゃない」
「すみません」
「丁度新作魔法のタネを思いついたところだったの」
「近いうちにまたいらっしゃいますよ」
「そうね」
「そんなに気を落とさないでください」
「別に気にしてなんかいない」
「いや、声のトーンがですね」
「別に気にしてなんかいない」
「そうですね」
「別に気にしてなんかいない」
「えっと、そういえば私の健康診断は」
「ああ、正常よ正常。なんで急に健康診断してほしいなんて言い出したの?」
「いえ、実家の方で必要だから送ってよこせと言われまして」
「難儀ね。じゃあ、はいこれ。専門じゃないから詳しくは分からないけれど、数値に異常はないわ」
「ありがとうございます」
「まったく」
「今日はアリスさんがいらっしゃる日でしたから、昨日のうちに済ませたんですが」
「それでこれじゃあねぇ」
「すみませんでした」
「過ぎたことを悔やんでも仕方無いわ。これからは気をつけて」
「はい。じゃあ、これ早速送ってきますね」
「扉の魔法は解除するわよ」
「すみません。よろしくお願いします」
「まったく、良く分からないことでミスするんだから」
「えへへ」
パチュリーが二言三言呟くと、扉にかかっていた魔法はあっさりと解除される。
小悪魔は遠くからその様子を見届けると、手に持った健康診断書をくしゃりと丸めて屑かごに放り込んだ。
流れるような掛け合い、サラッと読めるのが良いです。
ニヤっとさせていただきました。
楽しく読ませていただきました。
やっぱり悪魔の子かなあ。
と思ってたら最後でゾクッとした
面白い、あぁ面白い。
間男と魔女のくだりで森博嗣を思い出した。