パチュリー様から腐ったしいたけのにおいがする。
小悪魔がメイドに口を滑らせたのが数日前、そこからウワサが紅魔館全体に広がる、と思いきや事態はそうはゆかず、まずメイドが買い物をした人里の八百屋に伝わり、隣の家のワルガキに伝わり、ガキがいつもいじめている野良犬に伝わり、野良犬と生ゴミ漁りでケンカするカラスに伝わり、お山に入って射命丸に伝わって新聞でばら撒かれるだろうという周囲の予想を裏切りそのカラスは腹をすかせたルーミアの餌食となり、その今際の際に細々と洩れた「パチュリーが腐ったしいたけ」という遺言はルーミアの胃袋に消え、しかしその日のルーミアの放ったムーンライトレイの軌道を解読すると「パチュリーが腐ったしいたけ」となることが数百年後の河童の科学によって解明されるのだがそれは未来の話で、そのルーミアと戦ったのはチルノであり、いかなる理論をも超えたマルキュー式直感によってそのムーンライトレイの伝える「パチュリーが腐ったしいたけ」という情報を正確に読み取り、次の日にスペカ戦勝利の余韻によって気持ちよく目覚めたチルノは紅魔館の前で太極拳をするマヌケな門番の姿をからかおうと罵倒の言葉を探し、まあつまるところ大声で「パチュリーは腐ったしいたけー!」と叫ぶのが紅魔館の住人全体の聞くところとなり、もちろんパチュリー本人の耳にも入ったのだった。運命の悪魔の住処たる紅魔館、ここでは風が吹けば桶屋が儲かりその影響でバベルが滅ぶ。そんな日常。
「どういうことかしら」
パチュリーは本から目を背けぬまま、ぼそぼそと呟いた。ちなみにぼそぼそというのは声の小ささを表すオノマトペではなく、干からびたマカロンをほおばる音である。
「腐ったミカンじゃないのね」
「そこですか」
パチュリーのこのズレた発言は、かえって小悪魔の諦観を刺激して気遣いや遠慮を去らしめた。コメカミについた蝙蝠の翼をぴくぴくさせて、小悪魔は毅然と言い放った。
「パチュリー様、最後にお風呂に入ったの、いつですか」
パチュリーは垢まみれの手についたマカロンのかすを舐めとる。「ふろ?」
「風呂です」
「ちょっとまって」パチュリーは机の上の本の山からやたら分厚い本を取り出して山に土砂崩れを起こさしめ、殴ればイノシシくらいなら失神させられそうなそれを開くとぺらぺらとめくり、何か納得したように頷いた。
「ああ、風呂」
風呂という言葉の意味を忘却する程度には昔だったらしい。
「この際だから言わせてもらいますけれど、臭いですパチュリー様。恥ずかしいのでお風呂に入って下さい」
「えー」
「えーじゃありません」
「だって、本読んでるし」
「いつも読んでるじゃないですか!」
「ちょっと手が放せないのよ」
「……そんなに大事な本を読んでるんですか……?」
小悪魔が顔をうつむけると、パチュリーはその本を寄越した。夢野久作の『ドグラ・マグラ』であった。
「この本の無限ループを脱出する方法をずっと考えてたの」
「そんなこと考えるくらいならキョン君がループを脱出する方法を教えてあげて下さい!」
唐突に、小悪魔に向かってパチュリーが猛然と飛びかかった。目にも留まらぬ速さであった。そうして、小悪魔の額には紅い文字で「警告」と書かれたシールが貼られた。紅魔館中において、不用意なメタ発言をした者に科される罰であった。
「めっ」
「……えーと、なんか、すみません」
小悪魔はひとつ咳払いをした。
「それはそれとして、お風呂には入ってもらいます」
「えー」
「えーじゃありません」
「だって、本読んでるし」
「この話もループさせる気ですか!」
無限ループって怖くね? という言葉の本当の意味を、小悪魔は思い知らされた気になる。とにかく強引にでも話を次のステップへ持ってゆかねば、パチュリーの脳内カオス的泥濘にまみれてもがき苦しむことになることは自明でありチャカポコチャカポコ。
「なに今の音」
「お嬢様が最近木魚にハマってるそうです」
「ナンタラ外道祭文ね」
「まだドグラ・マグラのネタ引っ張るんですか」
「あなたが私を抱えて引っ張り上げるのをやめるのならやめる」
パチュリーは椅子にかじりつき、『ドグラ・マグラ』を手放そうとしない。
「いーやーだー」
「いいえ絶対無理やりにでもお風呂に入ってもらいます!」
「嫌だ嫌だ絶対いやー!」
「なんでそんなにお風呂が嫌なんですか!」
「だって、本がふにゃふにゃになるじゃない!あんなの私許せないのよ!」
「本を持ち込むの前提ですか!?」
つまりこの本を手放させればパチュリーをバスタブに突っ込んで丸洗いすることが出来るのだ。小悪魔は無理やりひねり出した前向き思考によってなんとか自我を保ち、パチュリーを机から引きはがす前にその手に持つ『ドグラ・マグラ』を奪おうと試みた。
「ぎゃー!」
というのは小悪魔の悲鳴である。さっきパチュリーを引っ張っていたときから薄々感じていたのだが、パチュリーは椅子に接着剤で留められているかのごとく動かなかった。その理由が今判明した。パチュリーが粘液で椅子に縫いとめられている。そしてその粘着質の何かにはところどころ傘が開いており……つまり、菌糸、キノコであった。パチュリーが椅子に動かず座り続けた結果、椅子や机に密着して湿り気の強くなった部分には見るも見事なキノコたちが元気にその生を謳歌していたのだった。
「ぱっ、ぱっ、パチュリー様っ」
「あら、キノコ」
パチュリーは菌糸にまみれた腕を机からゆっくりと引きはがす。めりめりと嫌な音をさせながら持ち上がった手はおもむろにそのキノコの一つをむしりとり、口に運んだ。
「うまー」
小悪魔は泡を噴いて倒れそうになった。涙でにじむ視界の中必死で自我の糸を繋ぎとめようとして、下唇を噛んだ。そうして、その臭いをかいだ。そうして、全てを悟った。
「すみません、パチュリー様。パチュリー様が不潔みたいなことを言ってしまって、パチュリー様を愚弄してしまいました。臭かったのはパチュリー様の体臭じゃなかったんですね。そりゃあしいたけの臭いがしますよね。あはは。ご安心下さい。パチュリー様は私のパチュリー様です、不潔なところなどありません、アイドルはうんこしません。なので、お風呂などに入らずともパチュリー様は綺麗なパチュリー様です。でもまあそのキノコはどう見ても汚いんで、あとでちゃんとお風呂入って洗い流して下さいね」
一気にまくし立てた後、小悪魔はすがすがしい表情で気絶した。その床に倒れるさまをスローモーションで見たパチュリーは、視線を元に戻して『ドグラ・マグラ』を読み続けた。
パチュリーからは、腐ったしいたけのにおいがする。
小悪魔がみくるちゃんボイスで再生されましたww
新しいですねwww