一つ部屋の中。そこにあるのは静寂ばかり。 時折本のページを捲る音。また、軽く吐息の漏れる音がするのみである。
どちらも、この部屋の主である、パチュリー・ノーレッジから発されている。
パチュリーの目はページの端から端までをゆっくりと撫でていく。 端に到達すれば少し下を、端に戻り、また撫でていく。それの繰り返しである。
いつまでも続くようであった静寂はふいに、申し訳程度に扉をノックする音に破られる。
それはとても小さく、少しでも音が生まれたならかき消される程の大きさであった。
しかしそれでも、部屋に満ちていた静寂に比べたら随分と場違いの大きさ。
だけど、パチュリーはそれに答えることはしない。聞こえてないはずはない。 それは意識的の行為である。
今、パチュリーは本へと、否、本の中の知識へと関心を向けている。
その知識を漏らさず得る為に、パチュリーはゆっくりと、とてもゆっくりと、本の中の文字を読んでいく。 一つ一つの言い回し。一つ一つの単語。それら全てに注意を向け読み進めていく。
―――何故、こんな回りくどい説明を?
―――何故、あえてこの言葉を選んだ?
その一つ一つが何を表しているのか。その理由を理解し、そこに意味を持たせる。それは新たな知識をそこに見出す為。 そしてそれを吸収し、自らの中で昇華させ、自分の物にする為。
知識に対してどこまでも貪欲なのが魔法使いという種族である。
パチュリーが本から顔をあげる。
一行を読み終えたからだ。 句切りをしっかりと。 それもまたパチュリーの流儀である。
あげた顔を扉へと向ける。
「誰かしら?」
その口から発された言葉は質問ではなく確認を求めている。
「私です。 パチュリー様」
扉の向こうから響いてくるのは小悪魔の声。含むのは不安と躊躇い。
「そう。 何の用?」
去っているはずはないと分かってはいたが、それでも声が返ってきたことに安堵しつつパチュリーは質問という確認をする。
「部屋に……入ってよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
小悪魔の問いに嬉しさを感じている自分に苦笑しつつ、パチュリーは許可の言葉を投げかける。
ややあってから、失礼しますという言葉と共にドアノブが回され、淡いピンクを基調としたパジャマに身を包んだ小悪魔が部屋に入ってきた。
頭の一対の羽は何処か所在なさげにぴょこぴょこと動いている。
そっと後ろ手に扉を閉めた。
「それで、何の用かしら?」
分かっているのに質問する自分に内心呆れつつ、パチュリーは言葉を紡ぐ。
「え、あの……」
もじもじと服の裾をすり合わせ、少し朱を帯びた顔を俯かせつつ目だけはしっかりとパチュリーを捕らえながら小悪魔は言葉を発す。
「ぱ、パチュリー様の部屋で……眠ってもいいですか?」
「……ええ、いいわよ」
指で自らのベッドを指しながらパチュリーは言う。 そこには躊躇いなど無い。
当たり前だ。 小悪魔がこうしてパチュリーを尋ねてくるのは一度や二度、ましては初めてなんかじゃない。 頻繁とは言えずもある程度の頻度で来ているのだ。
「ありがとうございます」
ベッドの前でぺこりと一度お辞儀し、毛布の中に潜り込む小悪魔。
「私はまだ少しやりたいことがあるから、寝ないけど。 明かり点けてても構わないわね」
「あ、はい。大丈夫です。 ……やっぱりまだ寝ないのですか?」
「そうね。まだ中途半端だし」
自分の持っている本を目の端に残しながらパチュリーは答える。
「眩しいようならカーテンでも引くけど?」
「あっ、そんなことしなくていいです。 それに、それだとパチュリー様のお顔を見ながら寝れません。 って、ああっ違うんですっ。 今のは忘れてください!」
がばっ、と毛布を頭まで被り小悪魔は顔を隠す。 毛布を被る前の顔は確かに赤かった。これ以上とないくらいに赤かった。
そんな小悪魔の様子を見ながら「だ、大胆ね……」と呟くパチュリー。 小悪魔の様子から、心からの言葉と分かってしまっているので、その顔も確かに赤く染まっている。
「そ、それじゃあ、おやすみ」
「あ、おやすみなさい。 パチュリー様」
パチュリーはそのまま小悪魔から目を外し、机に向かって本を広げる。
そんなパチュリーを、小悪魔は毛布から目だけを出して見ている。 しかし、眠気に堪えられなくなったのか、小悪魔の瞼はしだいに落ちていき、最後には心地よい寝息が聞こえてきた。
しばらく経つと、パチュリーは本から顔を上げ、んー、と軽く背伸びをした。
ふと、その目の端に安らかな寝顔を捕らえる。 自然に目がそちらに向かっていることに気づくと、パチュリーは一つ苦笑を漏らした。
そのまま、今も寝ているその姿へと近づいていく。
目の前に立つと、目線を合わせるようにしゃがみその寝顔を目にしっかりと収める。
腕を伸ばし、一対の小さな羽根から始まり、その赤い髪を指に絡めるように撫でていく。起こさないように優しく、優しく撫でていく。
髪から手を放すと、今度はその白い頬をそっと撫でる。
時折、小さな吐息が小悪魔から漏れて、手の動きを止めることもしばしば。
「本当、気持ちよさそうに寝ているわね」
小悪魔の髪を指に絡ませたりさせながら、パチュリーは呟いた。
パチュリーの言う通り、小悪魔は気持ちよさそうな寝顔をしている。
小悪魔の心情はパチュリーからは分からない。だけど、寝顔から読み取ることができる、安らぎと喜び。
自分の下でそんな表情をしてくれることにパチュリーは嬉しく思い、自然と頬を緩ませ、同時に胸が温かくなるのを感じた。
ようやく、パチュリーは小悪魔から目を外し立ち上がる。
立ち去る前に、名残惜しそうに一度小悪魔を見て、その髪に軽く触れた。
パチュリーは点けっぱなしの光を消し、自分は小さな光を頼りに本を読む作業を続けていった。
「ん、うあ……」
日が昇り、朝を迎える頃、いつも通りに小悪魔は目を覚ました。
小悪魔が天井を見上げ違和感を感じる。
「あ、昨日はパチュリー様の部屋で寝たんだっけ。
もうちょっと寝たいけど起きなきゃ。 ……ってあれ?」
上体を起こそうとするが抵抗を感じる。 もしや金縛りっ!、などと考えてるうちに小悪魔は理由に至った。
パチュリーが小悪魔に抱きつくように寝ているのだ。 今の今まで気づかなかったのは寝ぼけていた為であろう。
「パチュリー様、気持ちよさそう」
その言葉の通り、パチュリーから整った息遣いが聞こえる。表情もとても柔らかく、見ている方まで気持ちよくなるような、そんな寝顔をしている。
小悪魔はしばらくその顔を見つめ、やがて顔を近づけていく。
「パチュリー様……」
そっと、小悪魔の唇がパチュリーの額に触れた。
顔を離し、小悪魔はパチュリーの顔を見つめ、滅多にしない二度寝をすることにした。
―――おやすみなさい。パチュリー様。 よく眠れそうです。
そう、心の中で呟き、静かに目を閉じた。
―――ありがとね、小悪魔。おやすみ。
そんな言葉が、確かに小悪魔の耳に届いた気がした。
どちらも、この部屋の主である、パチュリー・ノーレッジから発されている。
パチュリーの目はページの端から端までをゆっくりと撫でていく。 端に到達すれば少し下を、端に戻り、また撫でていく。それの繰り返しである。
いつまでも続くようであった静寂はふいに、申し訳程度に扉をノックする音に破られる。
それはとても小さく、少しでも音が生まれたならかき消される程の大きさであった。
しかしそれでも、部屋に満ちていた静寂に比べたら随分と場違いの大きさ。
だけど、パチュリーはそれに答えることはしない。聞こえてないはずはない。 それは意識的の行為である。
今、パチュリーは本へと、否、本の中の知識へと関心を向けている。
その知識を漏らさず得る為に、パチュリーはゆっくりと、とてもゆっくりと、本の中の文字を読んでいく。 一つ一つの言い回し。一つ一つの単語。それら全てに注意を向け読み進めていく。
―――何故、こんな回りくどい説明を?
―――何故、あえてこの言葉を選んだ?
その一つ一つが何を表しているのか。その理由を理解し、そこに意味を持たせる。それは新たな知識をそこに見出す為。 そしてそれを吸収し、自らの中で昇華させ、自分の物にする為。
知識に対してどこまでも貪欲なのが魔法使いという種族である。
パチュリーが本から顔をあげる。
一行を読み終えたからだ。 句切りをしっかりと。 それもまたパチュリーの流儀である。
あげた顔を扉へと向ける。
「誰かしら?」
その口から発された言葉は質問ではなく確認を求めている。
「私です。 パチュリー様」
扉の向こうから響いてくるのは小悪魔の声。含むのは不安と躊躇い。
「そう。 何の用?」
去っているはずはないと分かってはいたが、それでも声が返ってきたことに安堵しつつパチュリーは質問という確認をする。
「部屋に……入ってよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
小悪魔の問いに嬉しさを感じている自分に苦笑しつつ、パチュリーは許可の言葉を投げかける。
ややあってから、失礼しますという言葉と共にドアノブが回され、淡いピンクを基調としたパジャマに身を包んだ小悪魔が部屋に入ってきた。
頭の一対の羽は何処か所在なさげにぴょこぴょこと動いている。
そっと後ろ手に扉を閉めた。
「それで、何の用かしら?」
分かっているのに質問する自分に内心呆れつつ、パチュリーは言葉を紡ぐ。
「え、あの……」
もじもじと服の裾をすり合わせ、少し朱を帯びた顔を俯かせつつ目だけはしっかりとパチュリーを捕らえながら小悪魔は言葉を発す。
「ぱ、パチュリー様の部屋で……眠ってもいいですか?」
「……ええ、いいわよ」
指で自らのベッドを指しながらパチュリーは言う。 そこには躊躇いなど無い。
当たり前だ。 小悪魔がこうしてパチュリーを尋ねてくるのは一度や二度、ましては初めてなんかじゃない。 頻繁とは言えずもある程度の頻度で来ているのだ。
「ありがとうございます」
ベッドの前でぺこりと一度お辞儀し、毛布の中に潜り込む小悪魔。
「私はまだ少しやりたいことがあるから、寝ないけど。 明かり点けてても構わないわね」
「あ、はい。大丈夫です。 ……やっぱりまだ寝ないのですか?」
「そうね。まだ中途半端だし」
自分の持っている本を目の端に残しながらパチュリーは答える。
「眩しいようならカーテンでも引くけど?」
「あっ、そんなことしなくていいです。 それに、それだとパチュリー様のお顔を見ながら寝れません。 って、ああっ違うんですっ。 今のは忘れてください!」
がばっ、と毛布を頭まで被り小悪魔は顔を隠す。 毛布を被る前の顔は確かに赤かった。これ以上とないくらいに赤かった。
そんな小悪魔の様子を見ながら「だ、大胆ね……」と呟くパチュリー。 小悪魔の様子から、心からの言葉と分かってしまっているので、その顔も確かに赤く染まっている。
「そ、それじゃあ、おやすみ」
「あ、おやすみなさい。 パチュリー様」
パチュリーはそのまま小悪魔から目を外し、机に向かって本を広げる。
そんなパチュリーを、小悪魔は毛布から目だけを出して見ている。 しかし、眠気に堪えられなくなったのか、小悪魔の瞼はしだいに落ちていき、最後には心地よい寝息が聞こえてきた。
しばらく経つと、パチュリーは本から顔を上げ、んー、と軽く背伸びをした。
ふと、その目の端に安らかな寝顔を捕らえる。 自然に目がそちらに向かっていることに気づくと、パチュリーは一つ苦笑を漏らした。
そのまま、今も寝ているその姿へと近づいていく。
目の前に立つと、目線を合わせるようにしゃがみその寝顔を目にしっかりと収める。
腕を伸ばし、一対の小さな羽根から始まり、その赤い髪を指に絡めるように撫でていく。起こさないように優しく、優しく撫でていく。
髪から手を放すと、今度はその白い頬をそっと撫でる。
時折、小さな吐息が小悪魔から漏れて、手の動きを止めることもしばしば。
「本当、気持ちよさそうに寝ているわね」
小悪魔の髪を指に絡ませたりさせながら、パチュリーは呟いた。
パチュリーの言う通り、小悪魔は気持ちよさそうな寝顔をしている。
小悪魔の心情はパチュリーからは分からない。だけど、寝顔から読み取ることができる、安らぎと喜び。
自分の下でそんな表情をしてくれることにパチュリーは嬉しく思い、自然と頬を緩ませ、同時に胸が温かくなるのを感じた。
ようやく、パチュリーは小悪魔から目を外し立ち上がる。
立ち去る前に、名残惜しそうに一度小悪魔を見て、その髪に軽く触れた。
パチュリーは点けっぱなしの光を消し、自分は小さな光を頼りに本を読む作業を続けていった。
「ん、うあ……」
日が昇り、朝を迎える頃、いつも通りに小悪魔は目を覚ました。
小悪魔が天井を見上げ違和感を感じる。
「あ、昨日はパチュリー様の部屋で寝たんだっけ。
もうちょっと寝たいけど起きなきゃ。 ……ってあれ?」
上体を起こそうとするが抵抗を感じる。 もしや金縛りっ!、などと考えてるうちに小悪魔は理由に至った。
パチュリーが小悪魔に抱きつくように寝ているのだ。 今の今まで気づかなかったのは寝ぼけていた為であろう。
「パチュリー様、気持ちよさそう」
その言葉の通り、パチュリーから整った息遣いが聞こえる。表情もとても柔らかく、見ている方まで気持ちよくなるような、そんな寝顔をしている。
小悪魔はしばらくその顔を見つめ、やがて顔を近づけていく。
「パチュリー様……」
そっと、小悪魔の唇がパチュリーの額に触れた。
顔を離し、小悪魔はパチュリーの顔を見つめ、滅多にしない二度寝をすることにした。
―――おやすみなさい。パチュリー様。 よく眠れそうです。
そう、心の中で呟き、静かに目を閉じた。
―――ありがとね、小悪魔。おやすみ。
そんな言葉が、確かに小悪魔の耳に届いた気がした。