人間に、足が生えている理由を考えてみる。
きっと、空を飛べないからだ。
いつもの時間に起き出して、いつもの時間に朝食を済ませて間もなく、私は図書館を追い出された。
小悪魔を筆頭にした妖精メイドの一団が、一斉に図書館内部へと攻め入る。
すわ春闘か、クーデターかと驚いたものだが、蓋を開けてみればなんてことはない。単なる連絡ミスだった。
小悪魔が『一週間くらい前から言ってます、何度も』と嘆いていたが、私に伝わっていなければ意味がない。
……聞いていなかった訳じゃない、たぶん。
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
今日は四半期に一度行われる、図書館の大掃除と目録作りの日。
どうやったって風通しの悪い図書館は埃で満たされる事になるので、普段は前日までに読みたい本だけ確保して、自室に籠もっているのだが。
「しくじったわね」
連絡を受けなかったせいで本の確保もままならず、特に目的なく館の内部をうろつく羽目に陥っている。連絡を受けなかったせいで。
今からでも本を取りに戻ろうかしら、と考えたものの、図書館の入り口は『パチュリー様を喘息からお守りする会』のメンバーによって封鎖されていた。
おかげで、本当にやることが無くなってしまった。
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
先日、友人からプレゼントされたスリッパが軽快な音を鳴らす。
突然の贈り物に理由を尋ねると『なんか、パチェっぽかったから』とよく分からない答え。
それを気に入って履いている私も私か。
時間だけはたっぷりある。たまには本から離れてみるのも悪くない、かもしれないわね。
※
※
※
ぶらぶら歩いていると、向こうから長身で紅髪の女性が歩いてきた。
「おはよう、美鈴」
「おはようございます、パチュリー様。珍しいですね、こんな所にいるなんて」
「追い出されたのよ。今や図書館は小悪魔と妖精メイドに占拠されているわ」
冗談めかして言ってみる。
「なるほど。取り返すなら助太刀しますよ?」
空気を読んで乗ってくる。竜宮の使いの専売特許という訳でもないらしい。
「やめておくわ。貴女がいれば小悪魔達なんて問題ではないけれど、空気中のアレだけはどうしても、ね」
「あはは、それは確かにどうしようもないですねぇ。……ふあぁ~」
美鈴が大きなあくびをひとつ。言われてみれば、どこか疲れているようにも見える。
「大丈夫?」
「ええ、まぁ。最近なんだか、眠りが浅いんですよね」
それはきっと、昼寝のしすぎかもしれないわね。なんて、本人に告げたところで苦笑いされるだけなので言わないけれど。
私は、美鈴に気づかれないように口の中で呪文を唱える。
ごとん
大きな音を立てて美鈴が倒れた。唱えたのは睡眠の呪文、強制的に対象を眠りへと誘うもの。
近くを通った妖精メイドに、美鈴を彼女の部屋まで運ぶように指示する。
知らないうちにストレスを溜め込んでいる可能性もあるし、不完全な体調で門に立たれても心配だし。
咲夜には上手く伝えておくから、今日はゆっくり休みなさい。
いつもご苦労様。
※
※
※
紅魔館は広い。
咲夜が来る前から広かったけど、今はそれ以上に広い。
どれくらいかと聞かれれば、私が歩き疲れるくらいには。これだとあまり、広さが伝わらないかもしれないわね。別にいいけど。
私が歩き疲れたという事実だけ、伝わればそれでいい。疲れるくらい歩くなんて何年ぶりかしら。
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
手近な部屋に入り、窓辺に置かれたチェアーに腰を下ろす。ほう、とため息をついてすぐ、目の前に一式のティーセットが現れる。
現象だけを抜き出すと、まるで化け物屋敷ね。って、そのままか。私は振り返ることもなく礼を言う。
「ありがとう、咲夜。ちょうど喉が渇いていたの」
「お気になさらず。ご満足いただけるといいのですが」
私の斜め後ろで、ちょっぴり謙遜してみせるメイド長。咲夜が入れる紅茶で満足しない者など、紅魔館にいるはずがないのに。
もう一度、咲夜への感謝を心に浮かばせながら、注がれた紅茶で喉を潤す。
いつもよりほんの少しだけ強めな甘みが疲れた体に染みてゆく。こちらのコンディションまで考えて紅茶を煎れる、小悪魔には出来ない芸当ね。
あ、そういえば伝えることがあったわね。
「咲夜、美鈴のことなんだけど」
「存じております。此方でなにかしら対策を、と考えていた矢先の事でしたから、むしろ感謝しなければならないくらいです」
「何か、あったの?」
「とある事情で門番隊に欠員が相次ぎまして、その穴埋めを。……責任感が強すぎるのも問題ですね」
咲夜の顔は見えないが、美鈴を心配しているのがわかる。確かに、休めと言って素直に聞くなら苦労しないわね。
事情についても心当たりがある分、申し訳なくも思う。まったく、あの半人前の白黒は手加減を知らないから困る。
今度会ったら、少々お灸を据えてやらねばなるまい。そう決意して紅茶を飲み干す。
※
※
※
散歩を再開する。住処を追い出されての目的も無い散歩が、こんなに続いていることに驚きを隠せない。
これを機に習慣化してみよう、なんて気持ちは微塵もないのだけれど。
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
歩いていると、一際豪奢な扉に行き当たる。この紅魔館の当主にして私の親友、レミリア=スカーレットの部屋だ。
ドアノブにはデフォルメされた蝙蝠が描かれたプレートが掛けてあり、蝙蝠は『おやすみちゅう』と声を張り上げている。
……これはイタズラ心が芽生えても、しょうがないわよね。
誰にともなく言い訳をして、私はそっと扉を開ける。足音を立てると起こしてしまう可能性があるので、それと同時に空を飛ぶ。
薄暗い部屋の中、ゆっくりとベッドに近づいていく。大丈夫、まだ起きてない。
ある意味命がけの行為だった。
でも、眠っているレミィなんて滅多に見られるものではないし、自身の知識を渇望する性質も理解しているので欲求に逆らうような真似はしない。
変質者? 言いたければ言ってなさい。
この状況を前にして、部屋の前を通り過ぎることができるなんて人とは、きっと一生わかり合えないでしょうね。
ベッドにはふくらみが、ふたつ。
「すぅ……」
「くぅ……くぅ……」
反則ね、これは。
お互いを抱きしめるようにして眠る姉妹。それはまるで絵本のワンシーンを切り取ったかのように幻想的で。
汚してしまうことが、とてつもない大罪のように思われた。
私は、手にした油性マジックのキャップをゆっくりと閉めた。
※
※
※
空がうっすらと茜色に染まる頃、館全体を閃光と振動が襲った。
来たわね。
美鈴が抜けている今、門番隊の頑張りがあっても門は5分と持たないはず。それでも来訪者の目的地を考えれば、それほど急ぐ必要はない。
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
昼間の決意を覚悟に変えて、私は住処へ戻っていった。
「そこまでよ」
「おっ、パチュリー。図書館の外にいるなんて珍しいじゃないか」
図書館の入り口手前、『パチュリー様を喘息からお守りする会』のメンバーが侵入者と対峙していた。
侵入者──霧雨 魔理沙は、相変わらずまぶしいくらいの笑顔を向けてくる。私には出来ない顔だ、と憧憬にも似た感情を抱いたこともあった。
気が向けばお茶にも誘うし、勧めたい本があれば貸しもする。ちょっと困った友人、くらいの扱いだろうか。
もう少し、分別と配慮と慎ましさがあれば、理想の友人だったかもしれない。
ただし。
「貴女が動くと被害が出るの。少しは自重しなさい、このヒューマノイド=タイフーン!」
これ以上紅魔館の平穏を乱すなら、この瞬間から『敵』と見なすわ。
私はスペルカードを宣言した。
縛り上げた魔理沙を自分の合い向かいに座らせ、自分も腰掛ける。
負けたというのに少しも悔しそうではない魔理沙の口へ、手近にあったクッキーを詰め込み、ぞんざいに注いだ紅茶を流し込む。
咳き込む魔理沙を見て、ほんの少しだけ溜飲が下がる。
目の前の魔法使いには、足りない物が多すぎる。一番大きいものは『才能』だろう。
論理的思考よりも直感を優先させ、実践のみに頼った研究。それでこれだけの魔力を得てしまうのだから、努力するという方向性では比類無き才能の持ち主ではある。
それでも、魔法というジャンルに挑むにはあまりに遠回りをしすぎている。
この強制お茶会を開くたびに魔理沙へ告げている言葉の数々が、いつか彼女に届くことはあるのかしらね。
※
※
※
朝と比べ、ややすっきりとした空気になった図書館へ。
小悪魔が煎れてくれる紅茶は、咲夜のそれとはまた違った満足を私に与えてくれる。
こういうのを何て言うのだったかしら。……おふくろの味?
傍らに控える小悪魔が、今日の図書館清掃武勇談を身振り混じりに伝えてくる。それが可笑しくて知らず笑みが零れる。
そんな私を見た小悪魔は、ぷぅ、と不満げに頬を膨らませる。バカにされたと勘違いしたのかしら。
その仕草すら可愛らしくて、私の笑いが大きくなる。
「そんなに笑わないでくださいよ、大変だったんですから」
ごめんなさい、と軽く謝るだけで小悪魔は機嫌を直す。これは昔からのお約束。
「そういえばパチュリー様は今日、お散歩してたんですよね? どうでした、体を動かしてみた感想は」
想定していた訳じゃないけれど、なぜか自然と言葉がでてくる。とても私らしい言葉が。
「疲れたわ。散歩なんてするものじゃないわね」
テンション上昇中です。
良いですね、ああ実に良いです。ほんわかぬくぬくしました。
最後の台詞も実にぱっちぇさんらしいw
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
むきゅ、むきゅ
某ドラえもんみたいですね