□ □ □ 事情聴取2 門番
「――はい、幻月様に声をかけましたよ、幽香様」
夢幻館の庭には涼しい風が吹き、花壇の草花を揺らす。それを背に、草木の剪定にはいささか大きすぎる鎌を携えた少女――門番エリーは答えた。彼女は顔に柔和な笑みを携えているが、侵入者が現れた折にはその鎌や夢幻館の門のタイルを投げて戦う、正直なところそのタイルの改修費が馬鹿にならない雇い主としては面倒な戦闘スタイルを取っている護衛者だ。といっても夢幻館に侵入しようとする者はあまりいないので安心だ。
「庭を見ているようでしたから、テラスからの眺めはどうでしょう、と尋ねたんです」
エリーの口調は落ち着いていた。そこに違和感を感じることはなかった。私はエリーの話にあわせて頷く。エリーの優しい顔を見ていると、たかだかケーキが無くなったくらいで怒り狂っていた幻月などどうでもよく思えた。それよりも私は、手元の本、『紅魔館』の謎が気になって仕方なかった。
『紅魔館』――そこにはパチュリー・ノーレッジがケーキ消失事件に挑む物語が記されている。舞台の紅魔館の主人にして事件の被害者、レミリア・スカーレットの事情聴取と現場調査を終えた彼女は、次に館の門番のもとを訪れていた。そう、今の状況とそっくりなのである。
私が律儀にその物語と同じ行動を取っているのは、『紅魔館』はすでに過ぎた出来事までしか読むことができないからである。先の運命をさっさと見せてくれればいいものを、楽はさせてくれないようだった。そして、『紅魔館』のパチュリーと同じ行動を取らなければ、『紅魔館』の謎は解けないように思えた。解かなければ気が済まなかった。
そのような経緯があって私、幽香はケーキ消失事件に挑んでいるのである。
被害者幻月の話では、エリーと世間話にお熱だった短い間に、ケーキが盗られてしまったのだという。
「――幻月と話している間、テラスに誰か見なかったかしら?」
彼女なら犯人の姿を見ていると思ったのだが、
「幻月様しか見ませんでした。……例え誰かいたとしても、ここからは見えませんよ」
エリーは私の頭の上を指差した。振り向くと、テラスがあった。さっき幻月と話していたテラスはあそこか。確かに地上からは手すりが視界を遮っていた。
やっぱり――幻月が犯人じゃなかろうか。
私はエリーに問う。
「幻月に何か不審な様子はなかったかしら?」
私の言葉にエリーの顔は少し険しくなる。ビンゴか?
「いや――これは幽香様だからいうことですが、幻月様、何かを探している様子で、私もおかしいなと思ったんです」
内緒話でもするように声を小さくしているエリー。
――何かを探している、というのは、誰かが見ていないか窺っていたに違いない。
しかし、どうして幻月が他人の目を気にする必要があるのだろうか?
そもそも、お茶の用意をしていながら、ケーキを盗られたと主張することで彼女が利益を得るようなことがあるのだろうか?
幻月には不審な点がある。しかしそれに何の意味があるのか判らなかった。
「――読めないわね」
事の展開も、『紅魔館』の続きも読めない。そのふたつは等価だった。
それにしても。
「貴方――本人のいないところで悪口いうなんて最悪ね」
「幽香様が仰ったんじゃないですか!」
「え、何を?」
「くっ……!」
声が短く出る。このままでは話が続かないので、門番は話を変える。
□
「そんなことを調べて――お嬢様に何かあったんですか?」
紅魔館の門番美鈴の口調はさっきとは打って変わって真剣だ。この門番は真面目だな、とパチュリーは思う。
――真面目に心配するような「何か」は起こっていないのだが。
私はいう。
「ただ、レミリアのケーキが無くなったのよ」
今回のケーキ消失事件を語れば、ただ、それだけのことだ。
「それを、誰かが盗ったとか、レミリアがいい出しただけよ。自分で食べたのを忘れてるだけなんじゃないかしら?」
はは、と美鈴は微笑む。どことなく力が抜けて少し砕けた様子だ。紅魔館の門を預かる彼女は、それに誇りと責任を背負っていた。やはり門番は真面目だな、と私は思う。
気を楽にした彼女は話に乗ってくる。
「それでパチュリー様は探偵役、ということですか。――犯人は一体誰だと思っているんです?」
犯人は誰か。
それはまだ判らない。そもそもレミリア以外に犯人がいるのかさえも疑問だ。そこで、ふと思う。
――『夢幻館』は、被害者=犯人、という結末を迎えるのだろうか?
それは物語として有り得ない話ではない、と思う。私は『夢幻館』のページを捲る。目次の前には主な登場人物一覧が載っていた。そこには、
・探偵 幽香
・助手 くるみ
・被害者 幻月
・メイド 夢月
・門番 エリー
とある。一般的なミステリー小説なら、犯人はこの中の誰かだろう。一人称が描かれている探偵は犯人ではない、と考えるべきか。舞台の夢幻館が抱えている多くの従者のことが記されていないのは、犯人には含まれないからに違いない。そう考えると犯人になりえる登場人物は随分絞れる。
ここで現実のこと、紅魔館について考える。もしも現実に起こっているケーキ消失事件が『夢幻館』と同じ結末を辿ろうとしているのなら、犯人は主な登場人物の誰かになるのではないか。紅魔館と夢幻館の対応として妥当なものは、
・探偵 幽香 ―― パチュリー・ノーレッジ
・助手 くるみ ―― 小悪魔
・被害者 幻月 ―― レミリア・スカーレット
・メイド 夢月 ―― 十六夜咲夜
・門番 エリー ―― 紅美鈴
となる。つまり犯人は、
「小悪魔、レミリア、咲夜、美鈴のうちの誰かじゃないかしら?」
すると美鈴は肩を落とす。
「……一応私も含まれているんですか……」
まあね。
そして、この中から犯行不可能な登場人物を引いていけば、自ずと犯人は割れるだろう。なんだ。考えてみればそう難しい話じゃない。
「まあ、すぐに犯人を特定できるよ」
私は微笑む。そして事件を解決した後、『夢幻館』と現実の類似性について考えようじゃないか。
そこで美鈴は不思議そうな顔をする。何か違和感があるようだ。
「あの……フランドール様は? メイド妖精の誰かとかは?」
その対応は、『夢幻館』の登場人物一覧にはない。
「犯人じゃないわよ、きっと。例えば……外部犯ってことがあるかしら?」
美鈴は首を振る。
「それはないと思いますよ。私が門の前で見張ってましたし」
「今は非番でしょうに」
「その間も、花壇にいましたから、正面から入ってくる誰かがいれば判ります」
確かに美鈴のいうとおりだった。それに門番隊もいる。外部の犯人ということも、ミステリーであることを考えれば、その可能性は無視してよかった。
やはり犯人は小悪魔、レミリア、咲夜、美鈴の四人と考えていいか。考えが随分とまとまった。
「有り難う、美鈴。レミリアのケーキを盗った犯人にぐっと近づいたわ」
「それは良かったです」
私は踵を返す。歩みの中で聴取の内容を整理する。
レミリアの不審な行動、登場人物の中の犯人、――『夢幻館』と紅魔館の対応。意外と推理の材料が得られた。
とりあえず、図書館へ戻ることにする。
なんとはなく後ろを振り向く。そこには花壇の手入れに戻っている門番の姿がある。
――彼女は非番だというのに。
「状況的に見ても、性格を考えても、美鈴は犯人じゃないわね」
パチュリーはそう結論付けた。
□ □ □ 事情聴取3 助手
図書館に戻る。机の上は出てきたときのまま、散らかっていた。本があるものはだらりと天井に向かって口を開き、あるものは乱雑に放置されている。片隅に紅茶のカップが残されている。『夢幻館』を読みながら飲んでいた紅茶は、もうぬるくなっていた。
小悪魔は本の整理をしている最中だった。私に気付くと、彼女は頭を下げる。
「お帰りなさい、パチュリー様。ケーキを食べた犯人は判りましたか?」
さっきの『夢幻館』との対応を思い出す。やはり彼女は、私の助手だろうと確信する。そう考えると口の端に笑みがこぼれた。そして、門番の事情聴取を思い出して、ふざけていう。
「不審者レミリアを犯人にするには証拠がない」
「あれ、レミリア様は被害者じゃなかったんですか?」
きょとんとした彼女に、これまで判ったことを話す。事件のあらまし、被害者の事情聴取、門番の事情聴取から被害者レミリアの不審な行動……。彼女は折々で、はい、とか、へえ、とか返してくれたので、とても話し甲斐があった。もう小悪魔が事件を解いてくれればよかった。
そして『夢幻館』と紅魔館の対応の考察まで話し終え、一息吐く。近くにあったカップを取って、中身を口に含んだが、ぬるい紅茶だった。さっきの紅茶だった。まあいい。テーブルに置いておけば咲夜が新しく淹れてくれるだろう。それこそ時を止めて、我々が気付かぬうちに。
「――あの、ちょっといいですか?」
犯人が判ったのならいいのだが、そうではないらしい。小悪魔はわざとらしく首を傾げる。
「そもそも容疑者には誰が当てはまるんですか?」
「誰が? それは――」
『夢幻館』と紅魔館の対応、対比である。犯人は小悪魔、レミリア、咲夜、美鈴の四人――いや、美鈴は容疑者から外していいと考えている。だから、ケーキを盗って食べることが出来た容疑者は、
「咲夜かレミリアか、貴方くらいだと思うけど」
答えに、問うた彼女は首を振る。私の目を真っ直ぐに見詰め、諭すような口調でいう。
「いえ、もっと想像を広げてください。ここは推理小説の舞台じゃないんです。物語に一切姿を現さず犯行を行える者――仮に謎の人物・Yとしましょう。その謎の人物・Yの存在を否定できない限り、特定の誰かを犯人だと特定することはできないんじゃないですか」
「その謎の人物・Yが空間を飛び越える術を使ってまで一切れのケーキを奪ったと?」
馬鹿馬鹿しい話だ。それに。
「そういう奴らは、この『夢幻館』の登場人物一覧に名を連ねていない」
「本当に信用できるんですか、その説?」
「納得いかない風ね」
私は『夢幻館』のページを捲る。探偵幽香とその助手くるみの会話――さっき私と小悪魔が交わしたような――まで読めるようになっていた。私はその一節を読み上げる。それは幽香の台詞だ。
「『犯人はこの中にいるわ』」
「容疑者を集めてからいってくださいよ」
「続くくるみの台詞は、『流石です幽香様』よ。このくるみって子の方が純粋に物事を受け止めているわ」
「どういう意味ですか、それ」
さあ、と私は笑う。それを見て小悪魔はむくれる。
「何をいっているんですか、私の方が純粋ですよ。ピュアハートですよ?」
お前こそ何をいっているんだ。
小悪魔は自分が純粋だといった。彼女はさっき「想像を広げてください」ともいった。
視野が狭まっていることを示唆した。私は純粋な目で事件を見られなくなっているのだと。
ならば、そのピュアな小悪魔に問おう。
「――これから誰を調べる必要があるか、その純粋な視点から意見してもらいたいね」
それは……少し考えて、小悪魔はいう。
「では――この館の全員を、調べればいいんじゃないですか?」
「謎の人物・Yは?」
「その可能性は全員が白だと判った後で考えましょう」
謎の人物・Yは抜きにして考えるのだと。
「この事件は計画的な犯行とは思えません。おそらくレミリア様のケーキを羨ましがって衝動的に奪って食べてしまったのでしょう。容疑者がいるとすれば、やはりこの館の全員を調べるべきかと。それは私やパチュリー様も含まれるでしょう」
探偵役である私も含まれると。なるほど、自らの白黒を問うのも悪くない。
「レミリアがケーキを盗られた時間、私が何をしていたか――」
思い起こす。レミリアがいうには、事件発生は現場調査に遡って「ついさっきの出来事」だ。現場調査もパチュリーが事件を知ってすぐのことだ。ケーキが無くなったことに気づいてすぐ図書館を訪れたと考えるのが妥当だった。
その時間。
「この『夢幻館』を拾って、咲夜に紅茶を貰っていたわ」
咲夜――メイド十六夜咲夜だ。メイドは『夢幻館』の登場人物一覧に名前が連ねられている。彼女にも後で事情聴取する必要がありそうだった。
彼女なら私のアリバイを証明できるだろうか――そこで私は気付く。彼女は時間を操ることが出来る。どれほど長い距離も一瞬に縮めることが出来る。彼女は他人のアリバイを証明することが出来たとしても、彼女自身のアリバイを証明することなど不可能な話だ。咲夜ならミステリーを突破できる。しかし彼女がケーキを食べたというのも納得がいかなかった。結局、咲夜は容疑者から外すことができなかった。
それでは。
「小悪魔はその時間何をしていたのかしら?」
「私は本の整理をしていました。図書館は広いですから……アリバイを証明してくれる者はいないでしょう」
だろうな、と思う。では。
「どうやって己の潔白を証明するのかしら、小悪魔?」
「それは……」
いって、小悪魔は私に近づく。そして、肩を掴み、顔を突き出した。
「――キスをすれば私がケーキを食べてないか判ります」
「……はあ?」
私は疑問の声を上げたが、小悪魔の目は真剣そのものだ。
「キスをして甘かったら黒、甘くなかったら白です。――さあ、パチュリー様! 私の潔白をこのピュアな唇で確かめてください!」
そういって目を閉じ、唇を突き出した。
――突然何をいい出すのかこいつは。
私は困った。彼女の言葉にはわずかに説得力があるように思えたが、本当にキスするわけにもいかない。
しかしうら若き乙女が瞳を閉じて唇を震わせているというのはやはり心根に訴えるものがある
だから少し迷ったが――。
□
幽香は手元の本をくるみの顔に叩き込んだ。
□
小悪魔が呻き声を上げて床をのた打ち回っているが無視する。
自らの顔が紅潮しているのが判った。それを悟られないように顔を背け、誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「自業自得よ。……大体ねぇ、私がいない間に口をすすぐとか、紅茶を飲むだけでも口の中の証拠は消せるでしょ」
私の言葉に小悪魔は、はっとして顔を上げる。
「どうして私がパチュリー様の残していった紅茶を飲んだって知っているんですか!?」
□
幽香は再び手元の本をくるみの顔に叩き込んだ。
ちなみに距離があったので投げている。
□
小悪魔が床にうずくまって痛みを耐え忍ぼうとしているがやはり無視する。
「もういい。あんたは白」
「そ、そんなあっさりぃ……」
目に涙を溜めている小悪魔を尻目に、私は荒れた息を整える。
「小悪魔が――テラスからここに戻って来て、私と一緒にレミリアを出迎える。しかも短時間で。結構距離あるわよ、アリバイ工作ならメイドの誰かに姿を見られるだけでもいいのに。それは、現実的じゃないわね」
「それもそうですね――いたたっ……」
□
くるみは服についた埃を手で払いながら立ち上がる。そして、こちらに向かって笑顔を見せる。
私はその唇に朱の色を見つけた。
「って、唇切れてるじゃない」
おそらく自分の攻撃によるものだが、少し気が悪かった。私は指で傷口をなぞると、白い肌が鮮明な朱の色を持った。
するとくるみは手を取り、その指を咥えた。
舌の上で転がすようにして舐める。
そして、
「――っ」
くるみの顎に力がこめられ、指に痛みが走る。くるみの鋭い犬歯が刺さったのだ。
――ああ、そうか。曲がりなりにもくるみは吸血少女だったわね。
私は思い出す。その間にもくるみは私の指と流れる血を舐め続ける。
湿った音が、彼女の口腔から漏れる。それは淫靡な響きを持っていた。
「ん、ふぁ……ちゅぴ……」
指は冷たくなっていく。けれど伝わる感覚は熱があった。その矛盾が愉快だった。
頭が一瞬遠くなる。それはくるみも同じようで、彼女の目は蕩けていた。熱がこもった視線は、こちらを捉えているかどうかも定かではなかった。
「んふぅ……ゆうかさまの、ゆび、おいひぃ……」
□
「ほら、ほらここ! 流血プレイですよ!? 私達もそれに準じてゴーナウですよ!!」
「んなことできるかあああぁあっ!!」
□
幽香は空いた手でくるみの顎を掴み、腹部に膝蹴りを入れた。
特定の描写を、向こう側の描写として表現するのは非常に面白い
続きを期待