慧音から話を聞いたとき、早苗は思った。
とうとう、私の時代が来たと。
天下の往来でガッツポーズを決める早苗に、訝しげな表情の慧音。慌てて、早苗は佇まいを直した。こんなことで変人扱いされて、依頼を取り消されてはたまらない。
「話を続けてもいいか?」
「ええ、大丈夫です」
夕飯の買い物がてら、ちょっと里までやってきただけなのに。まさか、こんなところにスターダムへのし上がる為の階段が潜んでいようとは。早苗は感動で打ち震えていた。
これまでの話を総合するに、慧音は寺子屋で演劇をやりたいらしい。なんでも日頃から頑張っている生徒達の為に、ちょっとした息抜きがてらの会をするんだとか。そこで演劇をやろうとしているのだが、残念ながら慧音は演劇というものをしたことがなかった。
演技指導も出来ないし、脚本もかけない。
どうしたものかと困っているところで、偶然早苗を見かけたのだ。
早苗は幻想郷に来てからも幾つか小説を書いていたし、その噂を聞いていたのだろう。慧音は早苗に演劇の脚本を書いてくれないかと頼んできたのだ。
「既存のお伽噺を土台にするのも有りだが、出来ればオリジナルの話を見せてやりたいんだ。頼めるか?」
オリジナル。
これはもう、早苗の独壇場である。断る理由などどこにもない。
なんせ早苗は小学生の頃から、自らの腕をあげるべく、クラスメイトらとリレー小説を書いていたのだ。
いつのまにかリレー小説は途切れたが、早苗はその後も書き続け、したことはないが投稿すれば賞も取れると自負している。
「任せてください。必ず、子供達を満足させるような脚本を仕上げ、完璧な舞台を作り上げてみせます!」
「うん、頼んだぞ」
「はい!」
早苗は笑顔で、胸を張るのだった。
「というわけで、お芝居をやることになりました。八坂様も、諏訪子様も協力してくれますよね?」
突然の申し出だったが、二柱はこれを快く了承した。
せっかくの早苗の初舞台。出来ることなら、自分たちも手伝ってやりたい。そういう思いが二柱にはあったのだ。
「しかし、私らだけなのかい? 参加するのは?」
「いいえ、衣装はアリスさんに頼んでますし、小道具はにとりさんにお願いしています。あと、妹紅さんも芝居に参加してくれるそうです。これで演者は私を含めて四人ですね」
四人と聞くと少なく思えるが、なにせ芝居は十分程度の予定。世界にはもっと少人数で、もっと長い演劇も山ほどあるし、さほど問題にもならないだろう。
「それで、脚本はいつ出来上がる予定なんだい?」
「え?」
「いや、脚本」
「何言ってるんですか、当日まで秘密ですよ」
神奈子と諏訪子は顔を見合わせた。
今、この子は何と言ったのだろう。そういう顔だ。
「お二人とも疎いですね。今の世の中、迂闊に台本なんて作ったら、あっという間に盗作されちゃいますよ。だから、ストーリーから何まで当日まで秘密なんです。ふふふ、楽しみにしていてくださいね」
至極楽しそうに早苗は答えるが、二柱の顔色は優れない。
むしろ、不安そうである。
そもそも、誰が盗作などするのか。頼まれたのは早苗だけで、別に競争相手がいるわけではない。
そう指摘してもいいのだが、どうせ油断大敵の四文字で片づけられてしまうのだろう。
慣れたものだ。
神奈子と諏訪子は早苗を適当に励まし、昼間から酒を飲むことに決めた。
ちなみに早苗はその夜、天狗達との宴席で大いにはしゃいでいた。理由は当然、言わずもがなである。
しかも調子にのって、連載小説の話まで射命丸に持ちかけたとか。
「演劇が終わったら、いよいよ私も本格活動ですよ!」
ほんのり頬を染めながら、早苗は声高に言っていたという。
月日はハクタクの価格にして、雪買う人もまた旅人なり。
何かが盛大に間違っている気もするが、とにかく演劇の本番がやってきた。寺子屋の前に用意された特設舞台。河童達が製作してくれたもので、なかなかどうして簡易式のものにしては本格的である。おかげで、いよいよこれから芝居を始めるのだという緊張感が沸いてきた。
あれほど暢気にしていた神奈子や諏訪子も、少し固い表情であぐらをかいている。
「ううう……たかだか子供が見てるだけなのに、どうしてこんなに緊張してるのかねえ」
「あーうー。子供だからこそだと思うよ。ほら、子供の目は厳しいし遠慮ないじゃん。失敗したり噛んだりしたら、間違いなく笑われるよ」
ネガティブな発言ばかりだが、それも無理はない。本来、緊張というのは不安から来ている。その不安を払拭する為に、人は厳しい稽古を繰り返し繰り返し続けるのだ。勿論、それでも緊張はする。しかし、練習してきたという思いがあれば多少は和らぐのも事実だ。
だが、二柱はまったく練習をしていない。というか、脚本すら知らない。不安になるのは至極当然の話と言える。
ちなみに妹紅は地べたに座りながら、ずっと地面を凝視していた。彼女も彼女なりに、色々と不安になっているらしい。何度も、稽古をしなくてもいいのかと神社まで確認にきていた。
そんないるだけで緊張を覚えそうなプレッシャー空間の中へ、まったく緊張していない早苗が割って入ってくる。
「みなさん、もうすぐ本番ですよ」
暢気な早苗の声に、三人がおもむろに顔をあげた。
「ねえ、早苗。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの」
「そうそう。もう誰も盗ったりしないだろうからさ」
「…………帰りたい」
三者三様の反応を見せる。
早苗は少しだけ考えて、それもそうですね、と頷いた。
今から間に合うのかは甚だ疑問ではあるが、無いよりマシだ。神奈子と諏訪子は期待の籠もった瞳で早苗を見つめた。
妹紅は地面に慧音の画を描き始めていた。いよいよ現実とはおさらばし始めたらしい。
「それで、どんな話なんだい。早苗の考えた話ってのは?」
「ふふふ。聞いて驚かないでください」
自信満々に胸を張る早苗。それが逆に不安を煽っていると、どうして気付いてくれないのか。
神奈子達に若干の暗雲が立ちこめる中、早苗は堂々と言い放った。
「何も考えていません!」
誰しもが、動きを止めた。
「……えっと、早苗。どういうこと?」
神奈子の当然とも言える質問に、早苗は悪びれた風もなく答える。
「考えてみたら、この幻想郷には人の心が読める妖怪もいるんですよ。脚本を頭に仕舞っておいても、心を読まれたら盗られちゃうじゃないですか。だから、何も考えなかったんです!」
素晴らしい理論だ。素晴らしすぎて涙が出てくる。
現に諏訪子は少し泣いていた。
「ということは何かい。これから本番だと言うのに、脚本も何も無いってこと?」
「いえ、衣装は用意してあります。適当にアリスさんに注文しておきましたから。ですから脚本に関しては、ぶっつけ本番のアドリブ天国ということで」
本番を前にして、早苗のテンションも少しおかしい。
神奈子は逃げたい衝動に駆られた。どこの世界に、衣装と舞台だけ用意された芝居があるというのか。ある程度のアドリブなら要求されることがあっても、全てにおいてアドリブが要求されるだなんて。
「えっと早苗、早苗の時代はいつ始まるんだい」
「何を言ってるんですか、今からに決まっていますよ」
頭が痛くなってきた。
しかもその衣装にしたって、適当だという。それもそうだ。脚本が無いのだから、衣装のプランも無い。
始まる前にして崩壊を迎えた演劇ではあるが、心待ちにしてくれる子供達がいるのは確か。
とにかく始めなくてはいけないのだ。
「まぁ、いいさ。とりあえず、その衣装ってのを見せてくれよ」
「はい。えーと、八坂様はこれですね。悪のドラゴン」
「私がドラゴンねえ……いいけどさ」
複雑な気分だが我が侭は言ってられない。
手渡されたのは鱗のような模様の衣装。これを着るのかと思ったら、少し泣きたくなってきた。
「私はドラゴンに囚われるお姫様ですね」
きらびやかなドレスを取り出す早苗。なんというか、ドラゴンとあまりにも差がありすぎるのではないか。
さすがにドラゴンがきらびやかなドレスを着るわけにはいかないものの、どうにも腑に落ちない。
それにしても、ファンタジーとは想像していなかった。十分程度だから、てっきり日本昔話風の話になると思っていたのに。
「じゃあ諏訪子様はこれですね。はい、どうぞ」
「……何これ?」
手渡したのは、外の世界のOLが着るようなスーツ。ちゃんと諏訪子のサイズに合わせてある辺りは親切の一言だが、意図はまったく掴めない。
「八坂様は悪のドラゴン。そして私は囚われのお姫様。諏訪子様は主人公の不倫相手ですね」
いきなり世界観が昼ドラにシフトした。
「そして妹紅さんは……妹紅さんですね」
「どういうことよ」
「そのままのあなたでいてください」
時と場合によっては素敵な台詞だが、この場合においては放棄に近い。現に妹紅の分だけ衣装がなかった。
「まさか衣装にこんなにお金が掛かるとは思ってなかったんです」
「それで、私の分だけないの?」
「まぁ、妹紅さんは妹紅さん役ですから。衣装は替えなくていいと思いますよ」
こうして、悪のドラゴンとお姫様と不倫相手と妹紅が舞台裏に控えることとなった。
「そういえば、早苗。主人公は?」
不倫相手の諏訪子が尋ねる。早苗は困ったような顔をして、妹紅の肩を叩いた。
「妹紅さん兼、主人公ということでお願いします」
「……もう、どうでもいいよ」
全てを諦めたような言葉だった。
だが、残酷にも本番はまもなく。
期待に胸を膨らませた子供達が、今か今かと待っているのだ。
神奈子は祈った。せめて、子供達を失望させませんように。
しかしすぐに気がつく。
神が祈ったところで、どうしようもないのだと。
全てがアドリブということは、当然台詞もアドリブである。
本番の合図と共に躍り出た神奈子は、早速何を言ったものか困り初めていた。白紙の舞台だけに、最初の一言で方向性が決まる。
だが、悪のドラゴンの台詞なんてのはタカが知れているものだ。
「ふははは、子供達よ。この幻想郷は悪のドラゴンである私が乗っ取ったー!」
割とノリノリであった。
子供達もきゃーきゃー言いながら、盛り上がっている。とりあえず、つかみは成功だ。
「もはやこの幻想郷に、私の邪魔をするものなど一人もいないぞ!」
厳密に言えばドラゴンを倒せそうなものは山ほどいるのだが、お芝居なので言及はしない。
「ほら、こっちに来い!」
「きゃっ!」
舞台袖から早苗を引っ張り出す。
「誰かー助けてー!」
「ふふふ、無駄だ姫。泣いてもわめいても、誰も助けに来ないぞ!」
唐突に姫が現れたが、ドラゴンに姫とくれば大概の人は浚われたものととして処理してくれるだろう。
「そんなことありません。きっと、あの人が私を助けに来てくれるはずです!」
「無駄だ、無駄だ。私に戦いを挑むものなど、誰もおりはせんわー!」
高らかに宣言する。神奈子の予想では、ここらで妹紅がやってくるものだと思っていた。
「待て!」
安堵する。神奈子の意図をくみ取って、舞台袖から妹紅が姿を現した。
「私はこの幻想郷を守る光の騎士だ。姫を離さなければただちに退治してやる!」
鈍色に輝く剣を構える妹紅。いきなりクライマックスの展開に、子供たちは固唾を飲んで見守っていた。
「ククク、その程度のなまくら刀で私を倒せると思うか、ドラゴンの鱗は鋼鉄をも跳ね返すぞ」
「言ってろ、愛の力はどんな障害をも打ち砕くんだ。そうだろう慧音!」
突然の告白宣言に観客が沸いた。渦中の慧音はあたふたして顔を紅潮させている。
「さあ観念してもらおうか、大人しく姫を離せば怪我はしないですむぞ」
「姫が居る限り、お前から手出しはできまい。ジワジワと嬲り殺しにしてくれる」
台詞自体は単調なものでも、それが逆に子供たちには受けていた。
わかりやすい勧善懲悪もの、しかし、早苗を無視した劇展開が悲劇を生んだ。
「せいっ!」
「ぐぇっ!」
神奈子の意図せぬ方向から、ひじ鉄がやってくる。
早苗だった。
「油断しましたね、ドラゴン。今のご時世、女だからって馬鹿にしていると痛い目をみますよ!」
胸を抑えながら、うずくまる。
なんだこれ。
「おっと、妹紅さん。それ以上動かないでくださいね。もしも一歩でも動くようなことがあれば、ドラゴンの命はありませんよ!」
「ぐぅ……私には構わず、姫ごと倒せ!」
高難易度の注文に、妹紅のアドリブ能力も限界を迎えたらしい。
あからさまに狼狽えながら、とりあえずといった感じで叫ぶ。
「ひ、姫を離せ! さもなくば殺す!」
被害者に厳しい主人公の誕生だった。
しかし、ここからどうするのか。今や囚われのドラゴンとなった神奈子には、まったく想像もつかない。
膠着状態のまま、妹紅と早苗は少しずつ距離を詰める。
「……なかなかやりますね、妹紅さん」
「姫を離せ!」
妹紅は壊れた玩具のように同じ言葉を繰り返していた。
だが、いくら緊張のあまり壊れていようと身体能力で勝るのは妹紅。早苗が僅かに視線を逸らした隙に、神奈子と早苗を引き離した。
舞台に崩れ落ちる早苗。
「さ、さすがは妹紅さん。ですが忘れないでください、例え私を倒そうとも第二第三の姫があなたの命を……ぐうっ!」
それだけ言い残し、早苗はピクリとも動かなくなった。どういう姫だ。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……」
そして助け起こされるドラゴン役の神奈子。
いいのだろうか、主人公が悪のドラゴンを救出して。
そんな神奈子の思いが通じたのか、妹紅が思い出したように声をあげた。
「あっ、覚悟しろ悪のドラゴン!」
妹紅の右ストレートが神奈子を捉えた。
あっけなく吹っ飛んだ神奈子。卑怯な主人公もいたものである。
一人、舞台で立ちつくす妹紅は、とりあえず話を纏めようと必死だ。
「悪のドラゴンはやっつけたぞ!」
「この浮気者!」
高らかに右腕を掲げる妹紅に、突っ込んでいく諏訪子。
動揺したのか、妹紅は諏訪子を返り討ちにした。
「ぐっ、さすがだね妹紅。でも、忘れないで。例え私を倒したとしても、第二第三の不倫相手が……」
それはただの三股である。
諏訪子はそれだけ言い残し、早苗と同じく力尽きた。
そしてまた、一人取り残される妹紅。
困ったように狼狽え、とりあえず右腕を掲げた。
「不倫相手は倒したぞー!」
かつてない最低の宣言である。
だが、困ったことにそれがこの演劇の締めの言葉だったのだ。
カラカラと閉じられていく幕。
拍手しているものは誰もおらず、見学にきていた輝夜だけが大笑いしていた。
素で息が詰まりそうになったのって久しぶりでした
絶えられないwwwww
途中から笑いが止まらなかったよ
なぜか、もこたんがハマり役ですね、これw
「……なかなかやりますね」っていうのがwww
手伝いなのに話のメインって理不尽すぎるww
八重結界さんあなたが神かww
笑いすぎで苦しくなったww
かなり面白かったですw