紅色の茶の中で、光を発さぬ半月が揺らいでいる。
自らのカリスマが届かぬ場を偽りであっても手中に収め、レミリア・スカーレットは真っ赤な両目を細めて苦笑し、血の池に捕えた月をティースプーンでかき回した。
――形を失っていく空に浮かぶ大地。
あれが欲しい、これが欲しい、あれもこれも支配したい。夜の王としての本能が疼く。
吸血鬼という種はあらゆる能力が他の妖怪と比べて逸脱している、その理由。それこそが貪欲なまでの支配力なのだからこの疼きは仕方がない。
元来、吸血鬼も含めて妖怪とは肉体的なポテンシャルに頼らず、完全に存在が精神に依存しているのだが、その中でも吸血鬼は特殊な部類に入るもので――。生まれ持ったカリスマ性が高まれば高まるほど闘争能力が強くなる。
その柔軟性からカリスマ性、いや、支配力が弱ると環境に左右され易いという弱点もあるが……今の人間の従者が来るまで、自分の身の回りの世話をさせてやっていた紅髪の女怪いわく、畏怖する者や率いている者の数が増えるほど上限なく強くなっていくらしい。
『全盛期の先代を前にすれば、そこらの大妖怪は小便垂らしながら逃げますね』
『……お前でもか?』
『はい、私の場合は洩らしながら恐怖のあまり口説きました。あれが俗に言う吊橋効果というものでしょう、好き好き大好きあなおそろしや』
『ふむ、お前は偶に斜め上気味な奇跡を起こしているな。今日からミラクル美鈴を名乗る事を許してやろう』
『はい、お断りします!』
『いい返事過ぎて殴りたいんだが』
『殴られたくない!』
昔々にそんな会話をした事があるような気がしないでもない。
そして、昔々から吸血鬼のカリスマ性が効かない者は僅かにおり、その中でも自分よりも弱いのに“確固たる自分の世界”を持ち過ぎて、とても支配しがいのある者をレミリアは好んだ。
つまり目の前にいる魔女とかその筆頭である。
彼女とは……。
「――というわけで、ありとあらゆる事象が萌えと言う単語で説明がつくと思うのだけど……レミィはどう思う? 私と小悪魔が考えるに外の世界では新エネルギーとして注目されていてもおかしくはないと思うの」
「わからない、わからないわパチェ……」
「そう、残念ね」
実のところ、会話半分で意思の疎通を諦めたレミリアは鸚鵡返しに近い。
その思考回路はテラスから見える光景で埋め尽くされ、早口で喋る魔女の話をまともに聞いていなかった。
「咲夜、おかわり」
「はい」
茶を共にしている時も本から目を離さず、「……魔理沙萌えで魔力が迸るのよ」とブツクサ言っているパチュリー・ノーレッジ。本の虫たる彼女には彼女独自の世界があり、それらを支配してやろうと躍起になった時期もあった。だが、本を読む度にその領土を広げていく大図書館は夢幻のフロンティアであると数年前に気がついたのだ。
そんな者を如何にかする術は知らないし、従順に膝を折ってくるパチュリーというのは想像するだけで気持ちが悪い。
彼女は今のまま、自己の世界を広げ続けていって欲しいものだ。
そうでなければ友とも言えないから。
「空飛ぶドロワーズ理論から説明した方が良いのかしら?」
「ええ、お願いするわ。私は貴女の事はもっと知りたいから、そのか細い声をたくさん聞かせてちょうだい」
「そう、レミィも知ってのとおり、すでに幻想入りしている縞縞パンツはドロワーズに勝るとも劣らない下着と言っても過言ではないわ。でも、あれを穿いて空を飛ぶ者はいない。なぜかと言えば見方によれば卑猥だか――」
本は閉じられた。
意外と聡明なメイド長と小悪魔がその場に立ち尽くしながらも頷いているが、レミリアには友の言葉の一割も理解できない。
だからこそ、彼女とは親友となれる。
長命すぎる妖怪にとって理解し難いという特性は魅力的なものだ。
何時もは皮肉気に歪められているか、完全に無表情で固められているか、特に動く事のない唇から奏でられる言葉を聞きながらレミリアは満足げに頷いた。
「やはり、こういった時のパチェは色っぽいわね。独自性を帯びた自己を表現するとき、魔女である貴女からは艶事に通じる匂いを感じる」
「な、なにを言っているのよ」
「貴女が可愛いと言う事かしら?」
会話が一時中断されたので、レミリアは少しばかり騒がしい下方に視線を向ける。
テラスの下で門番が妹を追っかけていた。
嬉しげな妹とヘタレた門番。鬼のくせに鬼ごっこで追っかけられる側に回るとは、あの妹はやはり気が狂っている。
「ゴホンッ、えっと、レミィ、話を聞いていたのかしら? 匂いと触り心地は問題ではなく、三次元二次元問わず視覚的効果こそが萌えの真髄と言ってもいいのよ?」
「つまり、行動に意味はないと? 姿形も可愛いと思うわよパチェは」
「それは解った、解ったから、私が可愛いという話から離れなさい。そして、行動に意味がないというのは考え違いよ。例えば小便小僧の――」
口から出た言葉に意味はなかったが、パチュリーの説明からは熱を感じる。
本当に熱い。花々が散りゆく庭先では、攻守が交代したらしい二人が追いかけっこを継続させていた。
どうりで熱い。
破壊する事に特化した妹の魔力が大気を焦がし、門番を追い詰めつめていた。
熱衝撃波をパチュリーの結界越しにも感じるのだからたいしたものだ。
それでこそスカーレット。真なる赤というものであろう。
「――最終的に行き着く先は母性だと思うの。包み込むような感性こそが本来の萌えというものであり、自己の欲望に特化した瞬間に創造主ごと死に絶えるわ」
「たしかに、突き過ぎは良く無いわね。あらゆる策はシンプルこそがベストであり、王道以外が効くのは最初の一度だけというのは解るわ」
「ええ、移植の際のキャラクター増加等は鬼門でしかない……」
「しかし、十分な戦力がない場合は特定の分野に特化しなければ敵の首は取れないでしょうに……」
「いえ、それは違う! 間違っているわレミィ! 欲望に特化するというのは、キャラではなく属性ありきという状態に陥り、それは狙いすぎだろと言われる事!」
椅子から立ち上がり、パチュリーは格好の良いポーズを取った。
彼女の話す内容の半分ほどは意味が解らなかったが、まさか自分の五百年にも及ぶ闘争の歴史に間違いがあったのだろうか。レミリアは首をかしげる。
戦力がない時は自分と紅髪と常闇だけで戦い、ひたすらに敵の首だけを求めた。
正面から殺し合っても負ける事はないが、紅魔館が落とされては勝利そのものに意味がなくなる。只の一匹で陣を敷く味方を残し、夜闇に塗れて敵陣を食い破った事が何度あっただろう。支配する気も起こらない下衆どもの血を撒き散らし、悪意と恐怖をこの身に集めた歴史に違う道があったというのか。
「何を言うパチェ?」
「一つでも、一つでも光るものがあれば、王道への突破口は何れ開くわ。例えば、霊夢の腋、魔理沙の天然ジゴロ属性、見た者が自然と見つけてしまった可能性――そこより開く無限の萌えロードにはあらゆる不自然を包み隠す愛があるのよ!」
「…………なるほど、つまり我が家におけるフランの事ね」
「え、ええ、あなたの妹もある意味ではそうなのかしら。少しだけ思案する時間をちょうだい?」
「考える事は貴女に任せるわ」
パチュリーを中心に、メイドと小悪魔が集まる。
風を感じて十字路のある中庭を見れば、妹がクルクル回転して竜巻を起こしていた。
その渦の中心で門番が木の葉のように舞っていて、「あ~れぇ~」と古臭いリアクションを取っている。
「――レミィ、結論が出たわ……」
「そう、で?」
「母性を掻き出すスカーレット姉妹は幻想郷でも最高クラスの萌えキャラだと思う」
「貴方達は本当に可愛いわね」
荒れた庭では妹と門番がクッキーをハミュハミュと食べていた。
夜空を見上げれば雲の切れ目より半月の光が眼に届く。新月時には幼くなり、満月時にはテンションが上がるレミリア・スカーレット。半月の時はアンニュイなのだ。
本で顔を隠し始めた友人は、こういう時を狙って妙な事を吹き込もうとする。
彼女の使い魔である小悪魔は無表情でよからぬ事を考えている。
銀髪のメイド長の入れる紅茶には僅かな毒が入っている。
今日も紅魔館は通常運行だ。
そしてまったくもって如何でもいい事だが、やる気なく答えを返していたレミリアは昔々に聞いたお話の所為で返答に詰まると話し相手を口説く。
『それにしてもよく口説けたな。話す前に食い殺されるだろ、常識的に考えて』
『魔法の言葉はI Love Youです。相互理解が出来ないのなら玉砕覚悟で好意を押し付け、死ぬか生きるかは運次第でしょう』
『……そんな魔法の言葉が』
『因みに状況にあわせて三万種類は有ります』
『おお、まさにレッドマジックだな』
『ええ、ミラクル美鈴の三倍は良いネーミングだと思います』
『当然だ。さあもっと褒め称えるがいい! そしてその紅の名を冠する技能を私に伝授するがいい!』
『ハッハッハ、レミリア様が面倒くさい』
そんな会話が昔々に合ったとか。
お嬢様は面白くもカッコイイ二枚目半。
しかし冒頭からぶっ飛ばして下さる紅な美鈴が一番インパクト。
いや、これ笑うでしょ・・www
いい返事過ぎるwwww