パプル・アメジス Purple Amethyst
「ねえ、パチュリー」
「なに?」
「あなた、ポニーテールにしてみない?」
七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドがその言葉を発した瞬間、図書館の本棚が一斉にドミノ倒しを始めた。
パチュリーとアリスは悲鳴を上げ、なんとかしようと方策を検討したが属性魔法と小さな人形が発するレーザーだけではこの恐るべき物理現象を止められようはずもなく、後でメイド長に串刺しにされる運命を音速で予感した。それくらいならレミリアでなくても出来る。
かくして、魔理沙の家の中よりも酷い状態になった魔法図書館。何列あるのか見当もつかない本棚はすべて横倒しになり、対白黒魔法使い用防衛システムが勝手に発動し幾多の魔導書が青赤黄と様々な色の弾幕を展開していた。もう、ぐちゃぐちゃである。どうしようもない。パチュリーは久し振りに泣きたくなった。こんな気持ちになったのは魔理沙に大切なものを奪われた、あの日以来のことだった……
「……ゲホッゲホッ」
ガラリ、と本の山の一角が崩れ、赤髪に少しだけ埃被った小悪魔が顔をのぞかせた。
「ああっ、小悪魔っ」
パチュリーは悲鳴をあげた。
「う……パチュリー様、申し訳ありません……本棚に脚がはさまって……」
小悪魔が苦しそうな声を出した。
「アリス、手伝って!!」
「う、うん」
パチュリーとアリスは協力して、小悪魔の周りの本の山を崩し始めた。魔法を使ったら、蔵書にも小悪魔にも傷をつけてしまうので、素手でやるしかなかった。元より非力な二人のこと、人形たちにも手伝ってもらって、ようやく小悪魔を救出したころには、紅魔館の上の空間は弾幕で一杯、もはや天井すら見えないくらいだった。パチュリーは呪文を唱えて防衛システムを解除すると(最初からそうしてればよかった)、床に横たわり苦しそうに喘ぐ小悪魔の横にしゃがみこんだ。
「大丈夫!?」
「え、ええ。わたしはもう……」
パチュリーは小悪魔のブラウスの胸元をあけ、なるべく楽に息ができるようにした。アリスは崩れた本の中から勝手に本を取り出して、ぶつぶつ呟きながらそれを読みふけっている。上海と蓬莱が横をふよふよ漂っているのが可愛い。
「なにがあったって言うの?」
パチュリーは呆然と辺りを見回した。
「パチュリー様、これは……わたしの仕業なのです」
「え」
「実はさっきのアリスさんの一言に動転してしまい……あっ、そうだ!」
小悪魔は表情を変え、凄い勢いでガバリと起き上がってアリスの方を見た。
「アリスさん!」
「え、なに?」
アリスは本から顔をあげた。
「さっきのあれは、どういう事ですか?」
「さっきのあれって……なんだっけ」
きょとんとするアリス。
「あれです。パチュリー様をポニーテールにしよう、っていう」
「ああ、あれね。すっかり忘れていたわ」
アリスは微笑むと、本を置いて立ち上がり、自分の魔導書で服の埃をパンパンとはたいて落としてから、パチュリーの元へやってきた。
「ねえ、パチュリー、あなた、ポニーテールもなかなか似合うんじゃない?」
「へ?」
さっきからおいてけぼりのパチュリーである。
「いや、わたしも昨日不意に思いついたんだけどね、試しにあなたの人形をポニーテールにしてみたら、これがなかなか……ってことで、今日は是非に実物でも拝みたいと思って、ここに来たの」
今日突然訪ねてきたのはそんな理由ですか。え、ていうか、人形?
「そんなわけだから――」
「ダメです!!」
小悪魔の激しい叫びが、さっきとは打って変って静まり返った図書館に響き渡った。
パチュリーはびっくりして小悪魔を見た。普段温厚な小悪魔が、こんなにも感情をあらわにするのは珍しかった。なにか、許しがたいことでもあるのだろうか。パチュリーは心配して、小悪魔の赤い瞳をじっと見た。
「パチュリー様の髪型は、そのもったり感が命なのですっ!!」
パチュリーの中で確実になにかが破綻したが、それがなんなのかは彼女自身にもわからなかった。
「見て下さい!! このパチュリー様のおさげを!!」
小悪魔は両手を伸ばして、パチュリーの肩にかかったゆったりしたおさげを手のひらでたぷんたぷんと持ち上げた。
「どうですか、この至高の感触は。まるで澄んだ小川の緩やかな清流に両手をそっとひたすような、涼やかで、それでいて、包み込まれるような安堵感。この曲線は、神の与えたまふた唯一無二の美に相違ありません」
あなた一応悪魔でしょうが。
「そしてネグリジェの裾まで伸びた豊かな髪。花の色は移り行けども変わらぬ妖しきアメジスト。もったり、ああ、もったり。なんて、なんて……美しいのでしょうか」
小悪魔は自分の言葉に感動して、ぼろぼろと泣き始めてしまった。正直、もうついていけません。パチュリーは「待ちぼうけ~、待ちぼうけ~」と小さく口ずさんでいる自分に気がついて顔を赤らめた。
「……ふん。あなたの言いたいことはよくわかったわ」
アリスは魔女のように妖しく微笑んだ。いや、魔女か。
「でもね、わたしにも譲れないものがあるの。小悪魔さん、あなたはなにもわかっていない」
「……なんですって」
グジュ、と鼻をすすりながら、小悪魔はアリスを睨みつけた。
「涼やかな、という点で言えば、ポニーテールこそ至高よ。意外性という点において、パチュリーのポニーテールに勝るものはないわ。普段もったりしている彼女の髪型。それは、確かに捨てがたいものだわ。そこはわたしも認めざるを得ない。でもね、その彼女が、急に髪をあげて、清冽な首元をさらけ出したら、どうかしら……」
アリスは観客の注目を集める司会者のように、たっぷりと間を取った。
「そこにはね、悪魔すらも魅了する、魅惑的なうなじの白さが、神のお召しになる衣の色が存在するのよ」
小悪魔とアリスは対峙して、互いに睨みあい、火花を散らしていた。パチュリーはそれを見ながらこう考えた。今日は久々にレミリアと夕食を共にしようかしら。
「どうやら、あなたとは永遠に分かり合えないみたいですね」
小悪魔が目を閉じて、首を振り、溜息をついた。
「そのようね」
アリスは目を光らせると、隅っこのほうでブルブル震えていた上海と蓬莱を呼び戻した。
「ならば……わかってるわね」
「ええ、もちろんです」
「今夜の火力はちょっと凄いわよ」
「望むところですよ」
Judgement!!!!
目の前で、再び弾幕が展開し始めた。小悪魔は大玉とクナイを続けざまに打ち込み、アリスは人形を惜しげもなく爆発させて応戦している。二人の魔力が炸裂したあとには、焼け焦げた本しか残らなかった。
もう、なにがなんだかさっぱりだわ、とパチュリーは呟き、さっきのアリスのセリフはむしろ魔理沙のセリフじゃないか、そっちのほうがかっこいいのに、としょうもないことを考えた。
「おー、やってますねー」
「本当に、もう……誰が片づけると思ってるのかしらね」
「わっ」
声がしたので横を見ると、いつの間にか美鈴と咲夜が立っていた。
「どどどどうしてここに?」
パチュリーは、咲夜に怒られる、と怯えて身をすくませた。
「パチュリー様のポニーテール姿が見られると聞いて飛んできました。私はアリスさんを応援しますよ」
あっけらかんと美鈴が言った。
パチュリーが咲夜を見ると、彼女はやれやれと首を振った。
「私は片づけに来ただけですよ」
「またまた~、咲夜さんもパチュリー様のポニーテールって単語に興奮してたじゃないですか」
「貴女と一緒にしないで。私はむしろ、パチュリー様は三つ編みにするべきだと思いますわ」
「あ、それもいいですね。やっぱり文学少女と言ったらそれですよ」
「貴女とはいいワインが呑めそうね」
「ふふ、どうです今夜一緒に」
「望むところだわ」
パチュリーは世界がわからなくなった。
結局、弾幕ごっこはアリスの勝利だった。パチュリーは周りを咲夜とアリスと美鈴、そして勝手に地下室を抜け出してきたフランドールに囲まれて、髪は、じゃない、神はわたしを見捨てたまふた、エリ・エリ・レマ・サバクタニと小さく唱えた。
アリスは優しい手つきで、月のブローチのついたふわふわのナイトキャップを脱がせ、パチュリーの髪をまとめた。うなじに涼やかな風があたり、首を少し振ると、頭の後ろでポニーテールがゆるりとしなった。その場にいたパチュリー以外の全員が、ほう、と溜息をついた。
「ああ、やはり、素晴らしいわね。フランもそう思うでしょう?」アリスがうっとりした声で言った。
「パチュリー可愛い!!」フランドールが無邪気に手を叩いて喜んだ。
「もう未練はありませんわ」咲夜は殉教者のような声で言った。待て。さっき三つ編みのほうが良いとか言ってなかったか。
「いやあ、紅魔館に勤めててよかったと心から思います。ごちそうさま」美鈴がにこにこと言った。
パチュリーは、負けると同時にこの場から走り去ってしまった小悪魔のことを想った。
夜。図書館の修復も無事終了し、パチュリーはやれやれとテーブルに戻って本を読もうとしたが、まだ小悪魔が帰ってきていないことに気付いた。彼女がいないと、いちいち自分で文献を取りに行かねばならないので、研究のスピードがガタ落ちする。それに、長年一緒にいたせいもあって、彼女がそこらへんを歩きまわって本をバサバサ落としたり蹴躓いて転んで羽根をバサバサさせる音を聞かないと、なんとなく不安になるのだった。それでパチュリーは、小悪魔の魔力の痕跡をたどって連れ戻すことにした。
見つけるのは容易だった。小悪魔は紅魔館から少し離れた場所にある木立の陰で、草むらをベッドに、腕で脚を抱えて眠り込んでいた。月の青い光の下、彼女の赤い髪はうっすらと紫色になっていた。見ているだけで体の奥のほうが少し冷えるような、寒々しい、綺麗な色だった。
パチュリーは声をかけようとしたが、自分がまだポニーテールをしていたことに気がついて、慌てて元に戻した。うなじが髪に隠されて、暖かい安心感を覚えた。やはり、自分にはこの髪形のほうが合っている、とパチュリーはぼんやりと思った。
「小悪魔」と、パチュリーは呼びかけた。
小悪魔はうっすらと目を開くと、もごもごとなにか口ずさみ、また目を閉じた。
パチュリーは彼女の傍に座り込むと、もう一度、優しい声で呼びかけた。
小悪魔も今度は完全に目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。
「あ、パチュリー様……」
かすれた声で、小悪魔が呟く。
「髪、戻したんですね」
「うん」
「ああ、やっぱり、そちらのほうが……」
小悪魔はそう言ったが、すぐに目を伏せた。その顔に泣き跡がくっきりと残っているのを、パチュリーは見てとった。まだ少し湿っている。泣きながら眠ったのだろうか。
「そんなにポニーテールが嫌だったの?」
パチュリーはそう問いかけた。彼女自身は髪型にさほどのこだわりはなく、先ほどの騒動についても、正直勝手にしてというのが本音だった。けれども、そのまま放ってはおけない理由があった。その理由とは、小悪魔が泣いてしまったこと、それ以外にない。
「……はい」
小悪魔が小さく頷いた。小さいけれど、はっきりした肯定だった。
「ええと、なんて言ったっけ。もったり感? それがそんなに大事なの?」
「ええ、大事です。パチュリー様はそうでなくてはなりません。それがパチュリー様のアイデンティティですから」
小悪魔が、熱のこもった口調を取り戻した。
「アイデン……凄いこと言うわね。じゃあ、わたしがそのもったり感を失ってしまったら、もうわたしはわたしじゃなくなってしまうわけだ」パチュリーは笑いながら言った。
「あ、いえ、そういうわけでは」小悪魔が困った顔をした。「あの、ポニーテールも、その、似合っていたというか、パチュリー様ならなんでもありというか、でも、やっぱり……」
「このままじゃないといけないのね?」
「……ええ」
小悪魔が再び頷いた。
「まあ、それなら仕方ないわね。駄目なら、仕方ないわ」パチュリーはもう二度と髪型を変えまいと心に刻んで、立ち上がった。「さあ、戻りましょう。研究を続けないと」
「あの、今日は本当に、ご迷惑をおかけしました」
小悪魔がペコンと頭を下げた。
「もうこんなことはないようにしますので」
「気にしないで」
パチュリーは言った。それから、わざとおごそかな表情を作り出して、厳粛に告げた。
「あなたがいないと進まない。これからもまだまだ、わたしに仕えてもらうわよ。小悪魔さん」
「わかりました」
小悪魔はにやりと笑って、パチュリーの紫色の目と、髪を、妖しい目で見た。
「わたしの心は、パチュリー様のものですから」
(Purple Amethyst)
まともなのはレミリアだけか?
>sirokuma様
この話を一言で言うと、
「こあパチュは俺のファウスト」
……既出でしょうか。
>2様
な、なにをおっしゃいますか。もちろん私(作者)が一番まとmピチューン