それはある日の事。
外の世界から幻想郷に引っ越してきた為か、守矢神社の中は先の騒動を経ても未だに片付いていなかった。何せ守矢神社は博麗神社と違って、広い。
外の世界――つまり現代から来たとなれば電化製品もそれなりにある訳で、そういった物をどけて押入れに仕舞ったりしなければならない。その代わりに人里に下りてそれらの代わりとなる幻想郷の一般的な道具を購入して運ぶ必要がある訳だが……そういったものが片付かないままに霊夢が攻め込んできて、その応対に追われたのである。
そしてそれも過ぎ去ってから数日、漸く落ち着いた守矢神社では現在、大掃除の真っ最中。
……まぁ、実際動いてるのは早苗だけなのだが。
神様をこういった事で働かせる訳にはいかず、神奈子と諏訪子も正直やりたくない、という利害の一致の結果というのが経緯の背景である。
その大掃除、現在は押入れの整理の段階で、早苗はある懐かしい物を見つけていた。
「わ、これ、懐かしい……小学校の時のランドセル……」
出てきたのは使い古されて所々擦り切れたり皺が付いたりした、赤いランドセルである。
大きさは大体高学年が使う、それなりの大きさなのだが、流石に早苗程に成長してしまうと腕は通せない。
「おやおや。成長の痕ってやつかねぇ」
「早苗、神奈子、それ何?」
後ろから覗くのは、働く早苗を他所に戯れていた神様二人。実際は神奈子が諏訪子をからかっていたのだが、傍から見ると戯れている、という表現が一番しっくりくるのだとか。
神奈子は外の世界で神社から早苗を見てきたからか、ランドセルというものはちゃんと知っている。だが、ずっと封印状態で、目覚めたのが幻想郷だった諏訪子は当然知らない。
諏訪子は早苗の手にあるランドセルを興味深げに瞳を輝かせながら見つめている。
「これですか? これはランドセルって言って、え~……」
ランドセルの用途を説明する言葉を捜しているのか、早苗は顎に人差し指を当てて僅かに顎を上げ、思案顔。
諏訪子はそれをわくわくとしながら見つめ、神奈子はどう展開するかを期待してにやにや笑い。
やがて説明が纏まったのか、早苗は再び視線をランドセルに戻した。
「外の世界で義務として通う、小学校という勉学の為の施設があるんです。そこに通う際、勉強道具を入れるのがこのランドセル、という鞄なんですよ」
「ほぉ、へぇ~……」
などと、まるで子供のように感心する諏訪子。早苗が子孫だというのがおよそ信じられないぐらいの子供っぷりである。
「小学校を卒業した際に仕舞ったっきり、すっかり忘れてたんですが……こうして出てくると、何か感慨深いものがあります」
そう言って、早苗は天井を遠い目で見つめる。
神奈子はその視線の先を見つめ、表情をふっと柔らかい微笑みに変えた。
「早苗……幻想郷に来て、後悔してるかい? もう母校は一生見られないかもしれない。それが、寂しいと思う?」
「……いえ、大丈夫です。懐かしんでいるだけですから。幻想郷に来ないと信仰心は絶えていたのかもしれません。……幻想郷に来る、と決めた時に色々な覚悟は済ませました」
「……ん、そうかい。じゃあ余計なお世話だったかね」
「いえ、そんな事は……」
そうやってどうにも微妙な雰囲気を纏う巫女と神様。
「あーうー」
そしてそれを他所にランドセルに手を伸ばす神様も。
諏訪子は早苗の手からランドセルを持ち上げると、早苗と神奈子が反射的に目でランドセルの動きを追う。そして最終的に視線が止まった先は
「おー、ランドセルって背負いやすいね~」
諏訪子の背中だった。
ランドセルを背に、諏訪子はその場で楽しげにくるくると回りだす。
まるで背中のランドセルを追いかけているようである。
諏訪子はかなり小さく、背丈は140程度。
そんな小さな体にランドセルはあまりにも似合いすぎていて
結果――
「あの、神奈子様……」
「あぁ、早苗、分かるよ、言いたい事は」
「正直、この方が私のご先祖様だと思うと微妙な気分ですが、敢えて気持ちのまま行動しようと思います」
「私もこのちびっ子神がライバルだと思うとどうにも微妙な気分だけど、まぁ過去の事だからねぇ。今を謳歌する私としちゃ、自分に素直でいようと思うんだよ」
微妙な雰囲気が消し飛んでしまっていた。
そんな妙に達観しているのか悟っているのか分からないセリフを呟く二人は、ゆらりとおもむろに立ち上がった。
諏訪子はそれに気付き、上機嫌なままの笑顔を
凍らせた。
諏訪子の目の前にはとてもいい笑顔で鼻血をボタボタと垂らしながら立つ二人の姿。
戦慄せずにはいられない。
「あ、の……二人とも……?」
諏訪子は気付かない。
ランドセルを背負って笑顔のまま怯える姿が尚更に二人を煽っている事に。
「こ、怖いんだけど……」
「なぁに、怖くなんかないさ。なぁ、早苗?」
「そうですよ諏訪子様……ご自身の子孫が怖いわけないじゃないですか……あは、はははは……」
「いや怖いよ! 怖いって!!」
叫ぶ諏訪子に嗜虐心と背徳感を刺激されるのを感じ、二人はゆっくり、静かに諏訪子に手を伸ばす。
その姿はさながら○蟲の子供を奪う大人達のようである。
鼻血に笑顔、荒い息遣いで伸ばされる手。
諏訪子は恐怖に竦みそうになり、半ば反射的に、本能的に――
「う、うわああぁああぁあぁぁぁ――――――!!」
二人の間を小柄な体を利用してすり抜け、その場を逃げ出してしまった。
早苗と神奈子はほぼ同時に振り返り、諏訪子がランドセルを揺らして逃げる姿にまたも何か、得も言われぬ快感のような感覚を覚え、心の命じるままに、ほぼ同時に駆け出した。
形相はもはや表現するには言葉が足りない程に”異様”だった。
「なんで追いかけるのよーっ!!」
「あはああはああはははははいいわ逃げなさい諏訪子! その方が捕まえた時がより楽しみになるわひひひひひひひひひひひひ^――――」
「あぁダメです諏訪子様、そんな風に可愛らしいお姿を見せられては、早苗は……早苗はもうっ――――!! がふっ!」
リビドーが限界に達したらしく、早苗は鼻どころか口からも赤い鮮血を撒き散らし始めた。
赤というか赤黒いのが不気味である。
「ふわあぁああぁぁぁあぁぁんっ! 誰か、誰か助けてっー!!」
叫ぶものの、生憎と守矢神社には早苗と神奈子の他には誰も居ない。
妖怪の山の上にある神社には人間はそうそう近づけない故に、客なんて滅多に来ないのだ。
「ランドーセルー!」
「諏訪子ー様ーっ!」
半ば狂気に達した精神状態は単語しか作り出せないらしい。
もはや喋る意味は無かった。
そうして狂騒に彩られた追いかけっこは続き、やがて終焉を迎える事となる。
「あうっ!」
終幕は諏訪子のダイビングの如き豪快な転倒だった。
諏訪子はそのまま数メートル程板張りの床を滑り、止まる頃には埃を巻き上げてその場を真っ白に染め上げていた。
「あいたたた………………ひゃわっ!?」
「ふふふ、捕まえたよ、諏訪子」
「あぁ最後までやってくださいますね諏訪子様は……もう逃げられません。観念して下さいませ」
慌てて身を起こした諏訪子はもはや絶望する他は無かった。
目の前には瞳から光を失い、狂気を宿らせた巫女と神。
またも伸ばされた手は諏訪子の身体に蛇のように絡みつき、もう諏訪子は蛇に捕まった蛙でしかなかった。
「あ、あ、あ……」
「さぁ捕まえたよ諏訪子。もっと抵抗しなくていいのかい?」
「抵抗されないのでしたら、お泣きになっては如何ですか? 手が止まるかもしれませんよ?」
抑揚を失いつつある声色は諏訪子を竦みあがらせ、諏訪子は全身をカタカタと震わせて瞳から涙に涙を溜めて、いつ理性が飛んで泣き叫んでもおかしくない精神状態に陥っていた。
諏訪子は最後の抵抗とばかりにいやいやと首を振るが
「可愛い抵抗じゃないか……」
「もっといい顔なさって下さいな……」
やはり効果は煽るだけでしかなかった。
「さぁ諏訪子、可愛がってあげるよ……ふふふふふふふふ……」
「勿論、ランドセルは外しませんので、御安心下さい……」
迫る、如何ともし難い恐怖は諏訪子の全てを苛み、そうして――
「きゅぅ」
己の精神を守る為、過負荷を抑えるべく強制的に意識を落としてしまった。
突然、白目を剥いてぶくぶくと泡を吹き出す諏訪子に、早苗と神奈子は急速に熱が冷めていくのを感じた。
「うわ、やり過ぎたっ!?」
「あわわ……諏訪子様、諏訪子様っ!?」
瞳にも理性が戻り、精神も正常に戻っていき、二人は漸く事態を把握するに至った。
早苗はがくがくと諏訪子の華奢な体を揺するが、反応は皆無。
ただ上下運動に合わせて揺れるだけである。
「あ~……取り敢えず、運ぼうか、早苗。諏訪子も神だし、そうそう大事にはならないさ」
「そうだといいんですけど……」
心配げな早苗に苦笑いの神奈子。
早苗が諏訪子を背負い、二人は廊下を来た時とは対照的に、ゆっくりと歩く。
その道すがら、ランドセルは処分するべきかもしれないと思う二人であった。
―おまけ―
「ん、んん……」
「気付かれましたか……良かったぁ……」
「お、漸く復活かい。どう? 気分は」
「ん~……なんか悪い夢見てたような……」
「夢…………えと、神奈子様?」
「あ~……早苗、そういう事にしておこう」
「そういう事? 何? どしたの?」
「あぁいや、何でもないよ。それより、腹空いてるとかあるかい?」
「今なら何でも作って差し上げますよ?」
罪悪感からつい優しく接してしまう二人。
諏訪子は特に神奈子の態度に気味悪さを覚えたとか裏があるんじゃないかと疑ったとかどうとか。
守矢神社は今日も平和だった。
-FIN-
あと、一応風神録のネタばれを多分に含んでいることは言っておいたほうがいいのかもしれません
その辺の規約はどうなってましたっけ?
仕事早すぎですよw
しかしこの早苗さん(何故かさんづけになる)は咲夜さんの路線になりそうな気が・・・