『しまぱん屋』
そう書かれたのぼりを立てた屋台が、白玉楼の門前に停められている。
それを見た魂魄妖夢は、手にしていた竹箒を思わず取り落とした。
なんだよ、しまぱん屋って。いや、しまぱんを売ってるだろうということはわかる。問題はなんでそんな物がウチの前にあるかということだ。
目の錯覚に違いない、と妖夢は断定した。実は『ほぱん屋』とかそんなのだろう。ほぱんってのもなんなのかわかんないけど。
「しーまぱーん。しまぱん屋だよー」
売り口上はじまった! そしてやっぱりしまぱん屋だ!
屋台から響く口上を耳にして、妖夢は思わず頭を抱えた。
たしかに白玉楼の庭は一般公開されているし、門前に屋台を出すのも自由だ。しかしなんだってしまぱんだ。そんなもの路上で売るな。
「ほっかほかの、しまぱんだよー」
なんでだ!
妖夢は思わずうずくまった。
しまぱんがほかほかとはどういうことか。そこから推測されることは一つしかない。
むかしむかし、木下藤吉郎が織田信長の従者だったころ。彼は主君の腰を冷やしてはいけないと考え、懐でしまぱんを暖めたという。
「サル! 儂のことをそこまで……!」
「ああ……信長様。導いて二人の一夜城……」
って違う!
頭を激しく振って、美しい形に歪んだ妄想を打ち消す。
ともあれ、そんな破廉恥な商品を扱っている屋台を見過ごすわけにはいかない。いくら敷地外のこととはいえ、白玉楼の評判にもかかわる。
悪いけどどこか他所に行ってもらおう。そう考えて妖夢は門に向かって歩き始めた。
「ほかほかしまぱん、おいしいよー。おひとつ召し上がれ」
よし、斬ろう。
妖夢の中で目覚めた人斬りの本能がそう決定した。
どんなに命を哀れんでも、この世には斬らねばならぬ者もいる。それは下着を食らう者だ。
白楼剣の柄に手をかけ、一気に飛び出そうと身構える。
だがそのとき、背後からのん気そうな声がかけられた。
「あら。あらあらあら。美味しそうな物が売ってるじゃない」
現れたのは、白玉楼の主である西行寺幽々子だった。
まずい、と妖夢は焦る。彼女の主人はいろんなことで暴走しがちだが、食べ物となると特に興味が著しい。
だがここは体を張っても止めなくてはいけない。
「いけません幽々子様! しまぱんを食べるなど人のすることではありません。悪鬼の所業です!」
「妖夢、偏見はいけないわ。人の価値とは何を食べたかではなく、何を為したかによって決まるのよ」
「下着食べてる時点でもう後戻りできないこと為しちゃってますよ!」
「みょんみょんうるさいわね……えい! みょん返し!」
「へぶぁはっ!」
必死に止めようとする妖夢を、彼女の主人は奇妙な体術を使って吹き飛ばす。
そのまま幽々子は笑顔で屋台の暖簾をくぐる。地に伏した妖夢はそれを、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。
「おじさーん。しまぱんを両手一杯に頂戴な」
「お。幽々子様が自ら来られるとは……このしまぱん屋の格も上がったってもんよ! さあさあ、好きなだけ食べてくだせえ」
「それじゃ、いただきまーす」
終わった。妖夢はがっくりと膝をついた。
もはや彼女の主人は、下着食いに仲間入りだ。妖夢に与えられる二つ名も「下着食いに従う者」などになるだろう。なんか微妙に韻を踏んでるあたりがポイントだ。
うなだれた妖夢の鼻先に、小麦粉の香ばしい匂いが漂ってきた。
「はい、妖夢にもお一つどうぞ」
「え? これって……パン? パンツじゃなくてパン!? そういうオチ!?」
混乱しながらも妖夢は、柔らかな焼きたての香りがするパンを受け取る。見た目は普通のパンとさほど変わらない。
「でもこれ、縞模様じゃないですよ。……まさか中に!?」
「うん、妖夢の気持ちもわかるわー。私もうぐいすパンに肉の味がしないのを、ずっと不審に思ってたし」
「そんなのと一緒にしないでください!」
「なんでもこのパンを考案した人の名前らしいわよ。島……サコンだかコーサクだって」
あまりのバカバカしさに全身の力が抜ける。
わざとだ。絶対に勘違い客狙いのネーミングだ。なんてあこぎな商売だ。
憤慨をぶつけるかのように、妖夢は勢いよくしまぱんを齧った。
「あ……美味しい」
「でしょでしょ?」
「なんか悔しいですね。こんな変な名前なのに」
「パンの価値は名前じゃなくて味ね。うん。こんな美味しいもの見つけちゃったって、みんなに教えてあげないと」
「ふーん。…………って、ちょっと待ってください幽々子様。まさか『しまぱん食べた、美味しかった。妖夢も食べてた』とか言いふらすんじゃないですよね? それだと誤解されて、白玉楼が下着食楼って呼ばれ……もう居ないし! 幽々子様、話聞いてました!? ちょっと幽々子さまー!!」
それから少し経った永遠亭でのこと。
主である蓬莱山輝夜は厳かに言った。
「永琳。私もしまぱんというのが食べたいわ」
その言葉を聞いて、従者である永琳はなぜか感慨深い表情を浮かべてうなずいた。
「姫もとうとうその領域まで達しましたか……」
「どの領域か知らないけど、食べたいったら食べたいの」
「かしこまりました。ではすぐに用意します」
永琳はそう言ってから、鈴仙の元に向かった。
「そんなに急いでどうしたんですか師匠。え? ……なんで下着の色なんて聞いてくるんですか。セクハラですか。任務のためって言われても。……ええまあ、ストライプですけど、それがどうかしましたか。うわ師匠! なんで押さえつけてくるんですか! ちょ、どこ触ってるんですか! あ、いや、うわやめぎゃー!!」
鈴仙の絶叫は、永遠亭を囲む竹林の外まで響いたという。
止めろよ!w
師匠に恐れ入った。
いまやどんな領域にいるのやら。