Coolier - 新生・東方創想話

忘暇異変録 ~for the girls of leisure

2011/08/29 01:16:26
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[はじめに]
   ・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
   ・不定期更新予定。
   ・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
   ・基本的にはバトルモノです。

   以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。

    
    前回  S-2 S-3 S-4




















  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

















   【 T-2 】



「こんな所にいたのか」
「……むしろよく見つけたね」

 まいったね、と口にしながら、彼女は億劫そうに起き上がった。よほど長く横になっていたのだろう、彼女が寝そべっていたその場所の草は、彼女の形に頭を下げてしまっていた。
 とは言え、寝そべっていただけで、寝ていたわけではなさそうだった。彼女の意識ははっきりしているし、何より、こうして誰かに声をかけられることを待っていたかのような雰囲気が、彼女にはあった。
 そんな彼女のすぐ傍に、声をかけた彼女はいた。その口調とは裏腹に、彼女の視線には咎める様子がまったく見られない。ゆっくりと体を起こすその様子を、急かすでもなく眺めているだけだ。

「自由行動とは言われていたが、まさか三途に戻っているとはな」
「まぁね。ここはあたいのお気に入りの場所だから」

 んんっ、と背伸びをしながら、小野塚小町は答えた。
 何が可笑しいのか、上白沢慧音は、それを含みのある笑顔で見ているだけだった。

「ここなら三途も、その傍に咲く彼岸花も、一度に見れるからね。――昼間だと、日当たりもいいし」
「なるほどな。今回だけの秘密の隠れ家、ってわけじゃないのか」
「同僚の死神どころか、ここだけは上司にも見つかったことが無いんだけどなぁ」
「残念。私は“秘密基地”を探し慣れているんでね」
「悪ガキたちと一緒かい。一本取られたよ、センセイ」

 夜の風に髪を揺らしながら、小町は真っ直ぐ前に視線を向けたままにそう言った。鼻を鳴らして笑う声が響く。口許だけで笑みを作る彼女の横顔は、慧音の知る“悪ガキ”たちのリアクションと比べれば、やはり随分大人びていた。
「――なぁ、」
 彼女の横顔を見ながら、慧音は口を開く。
「小町はなんで、この騒ぎに参加したんだ?」
 その声を受けても、小町の表情は変わらず、薄く微笑んだままにその先の風景を眺めていた。
 そこは三途の川の近く。川辺というには少し距離がある、僅かに小高くなっているだけの場所。ほんの少しだけ見晴らしのいいその場所からは、確かに、三途の川とその畔を広く引いて眺めることができた。
 そこからの風景を、小町はぼんやりと眺めている。
 空に浮かぶ月と同じような、憂いを含んだその目が見ているものがなんなのか――慧音には解る気がしていた。

「私の見立てでは……さほど“暇”に喘いでいるようではなさそうに思えたんだ」
 小町からの答えを待たず、慧音は言葉を継ぎ足す。
 慧音の思う、小町の薄い微笑みの奥にあるであろう、核心へ。
 誰もいない三途の川べり、彼女しか知らない取っておきの秘密の場所で、彼女が考えていたであろうこと。この異変のこと。

 その問いを受けても、小町は慧音の方を向くことはなかったが、それでもゆっくりと彼女は口を開いた。
 それを言うこと自体を億劫そうに――どちらかと言えば、気乗りしないように。

「なに……仕事だからさ。上司の命令でね。私自体はこんな騒ぎに出る自主的に出る元気は無いさね」
 その問いかけに気を悪くする様子も無く、小町は変わらない表情のままで言った。
 サワサワという風の音が耳に心地よい。その音と同調するような小町の声は、いつもの彼女のものとは少し違っている。

「上司というと、閻魔様か」
「だね」
「なるほどな。縦社会は大変だな」
「だね」
「閻魔様、ね……確かに、自らが一枚噛んでいるとなると様子も気になるだろうな」
 その言葉に、さすがに小町は慧音の方に視線を向けた。僅かな驚きが見える。逆に言えば、彼女はその言葉にも、その程度しか驚きはしなかった。

「なかなか事情通じゃないかい。そこまでを把握してるとは思わなかったよ」
 この異変の黒幕は、あくまで八雲紫だ。その補佐をしている霊夢の存在さえも公に明かされてはいないし、さらにそのバックにいる四季映姫までを知っているのは、ごく一握りだけのはずである。

 僅かにだけ目を丸くして自分を見る小町の顔に、慧音はまた少し微笑んでから、なんとはなく小町の見ていた方向へと視線を逃がした。
 彼女が見ていた先には、ポツリポツリと彼岸花の咲く、三途の川べりが広がっていた。
 季節の関係無い三途の彼岸花。死者の魂の容れ物。
 紅い紅い花は、すぐ隣の暗い暗い川と、妙に調和しているように見えた。

「……この異変が始まる前に、紫から直々に説明を受けていたんだ。おそらく、私が歴史に介入することを止めるための牽制だろう。私には、これだけの面々の歴史を丸ごと三日分隠す程の力は無いんだがね」
 やや自嘲的な言葉で締めた。
 もっとも、それは謙遜であり、慧音が本気になればそれなりの妨害にはなってしまうだろうことを小町は解っていたが、あえてわざわざ、それを口にはしない。
「……なるほどねぇ」
 とだけ小さく漏らし、彼女もまた視線を戻す。


 つまり、紫のチームは、ほとんどがこの異変についてを正確に理解していた。

 参加者、傍観者、監視者――それぞれがそれぞれの思惑を持ちながらも、この異変に名を連ねていた。
 もちろん、その各々のスタンスも紫は把握し、その上でそれら全てを自分の許に置いた。
 そんな彼女の異変管理は徹底していたと言えるし、そんな彼女だからここまでのことができたとも言える。

「今思えば、満月を二日目に持ってきたのも、万が一の離反に備えてかもしれない。――まぁ、自惚れかもしれないけどな」
 慧音はふふっと鼻で笑ってみせた。
 彼女は結局、その身に宿る力を振るうことはしなかったし、これから振るうつもりもなかった。
 一応受けた紫の説明を理解し、その上でこの異変に参加している。あくまで彼女の立ち居地は、“ただの参加者”というところに落ち着いている。

 だが、“理解”している、ということと“支持”している、ということは、往々にして別の問題でもあった。


「――――なぁ、」
 彼女は堪らず、また口を開く。

「正直……私は落ち着かないんだ。この異変には顔見知りもずいぶん出ていてね。……今も止めどなく生傷を作ってると思うと、こうして黙って参加していても良かったものかと考えてしまうんだ」

 口数少なに座り込んでいる小町のそばで立ちすくみながら、慧音はただただ遠くを見つめながら言った。
 自分の口数が多いことを慧音もわかっていたし、そんな自分を引き受けてくれるために小町はほとんど口を開いていないということまで、彼女は頭の片隅で理解できていた。
 だが、それはやはりどこか遠くにある思考だ。自分の頭の中で下されている結論にもかかわらず、どうも他人が用意した言葉のようにしか思えない。
 慧音の視線は、三途の川の向こうまで届いている。
 それでも、その瞼の裏に浮かぶ誰かの影は、ここにはいない者ばかりだった。

「――友人思いなのは美徳だね。閻魔様も褒めてくれるよ」
 小町は静かに、呟くようにして返す。

「あんたみたいなのも、きっとどこかにいるだろうね。……そういうヤツが何を思って、何をしているかまでは、知らないけどね」

 さらさらと流れる風に乗るその声に、慧音は、「そうか」とだけ応えた。
 この異変では、知人・友人、それらを問わず、別々の組に分かれている。いや、厳密に言えば、そういった近しい人間ほど、別の組に飛ばされているのだ。意図的に。
 その先で起こる闘争の可能性は、紫の意図の一つだ。
 そこから流される血は、彼女の狙いの一つだ。
 それを理解しているからこそ、慧音は頭の片隅に浮かぶ、顔見知りたちのことがどうしても頭から離れなくなっていた。

 この異変も三日目――最終日。
 全てを清算するような、心の奥にあるわだかまりをぶつけるような戦いは、おそらくこの日にこそ集中する。

 誰かを想い、その誰かの血を流すような、酷薄な出来事が、どこかで必ず起きている。

 静かな、静かな夜。
 その裏側――いや、表側では、まだ“暇つぶし”は絶え間なく続いていた。





   ※





 七色の弾が炸裂した。
 まるで夜の空に輝く虹のように煌くその弾は、だがどちらかと言えば、雨と言った方が近い。
 小粒ながらキラキラと月光を反射し、それぞれの色を主張しあうようにして、カラフルな雨が暗い庭を明るく彩っていた。

 そこは、暗い庭。夜天の黒以外には、建物の紅しかない。

 ここは悪魔の屋敷。
 二百由旬なんて途方もない単位ではないが、紅魔館の庭は充分に広く、二人の戦いを受け入れていた。
 そこを飛び跳ねながら、美鈴は充分な空間を遺憾なく使い、弾を撒き散らしていた。
 色とりどりに精製された小さな弾たちは、雨粒のようにしてパラパラと正面の敵へと自由落下を進める。
“正面”へと“落下する”という言葉が、その弾の動きを一番的確に示していた。
 まるで規則性の無いその弾の動き。弾自体が小ぶりなこともあり、確かに雨のようである。

 だがその弾雨を、衣玖は器用にすり抜けていた。

 その動きは早いわけではなく、弾雨の発生源まで踏み込んでゆくこともできはしなかったが、そんなことは彼女にとっては瑣末な問題だ。わざわざ自分から近づくつもりなど、彼女には毛頭無い。
 弾の切れ目を見極め、僅かに時間を稼げる場所に飛び込む。
 そこで衣玖は、高らかに右腕を振り上げた。

 振り上げた右腕、さらにはそこから伸びる人差し指は天を突くように高らかに掲げられ、雲ひとつ無い空から雷を呼び出す。
 ピシャァンという短い音を置き去りに、青白い光が細く疾る。
「うわわっ!」
 美鈴はピンポイントに自分に落ちてくる雷光を紙一重で躱してみせる。
 容易くやってみせたが、光速を回避しているのだ、さすがにそのまま弾幕を維持することなどはできなかった。
 弾の雨に晴れ間ができる。
 衣玖は自分に迫る残った弾を避け切り、中空に佇んでいた。

「何度やっても無駄ですよ。――はっきり言って、あなたの拳は私には届きません」

 姿を現したときから変わらない、無機質な声。硬く尖った声音はそのまま、美鈴に突き刺すようでさえある。
 露骨に向けられる敵意にもなんとか怯まず、美鈴は体勢を整え直すとまた構えを取った。半身を下げ、拳を固める。

「らしくないですね、衣玖さん。この程度で見切りをつけるのは早計ってもんですよ」
 意識して鼻で笑い、のしをつけて言葉を返す。
 それでも、
「らしさを語られるほど、手の内を見せた覚えはありません」
 衣玖の声音は、かけらの変化も見せてはくれていなかった。

 衣玖はその言葉とともに、新たに弾幕を展開する。
 パリパリパリッ、と静電気が飛び散るような音が響く。彼女が胸の前で翳す両手に、雷が萃まってゆき、電磁力の塊が生成される。
 雷塊はみるみる内に大きく育ち、彼女の掌では収まりきらないほどのサイズとなっていた。

 呼び萃め、凝縮した雷玉が一定まで大きくなったのを確認すると、衣玖はそれを両の腕ごと突き出す。

 それは巨大なひとつの弾ではなく、あくまで“玉”だった。
 彼女の目の前に突き出されたその青白い玉からは、幾本の腕を伸ばすようにして雷の筋が疾り出してゆく。
 パリパリパリッという音をそれぞれに鳴らしながら、雷の塊から派生した雷が弾け飛ぶ。
 それぞれに、自然発生的な雷ほどの速度は無い。
 だがその弾には、速度の代わりに“意志”があるような動きを見せていた。青白い光は、雷鳴に似た響きを轟かせながら真っ直ぐに美鈴を狙ってゆく。

 これらはあくまで衣玖の魔力を媒体とした擬似的な雷に過ぎない。
 とは言え、魔力を込められた弾幕であることに変わりはない。
 飛び跳ねるようにして回避した美鈴のいた地面に当たり、炸裂する様子から察するに、たかを括って掴まると充分なダメージになりえるだろうことは想像に難くなかった。

 青白い光の筋は間断なく美鈴を狙い続ける。
 美鈴は動き回り続けそれらを回避し続ける。

 数発を避けた先で、美鈴も手なりに弾幕を放った。腕を勢いよく横薙ぎにし、魔力の残滓を弾と化す。
 七色に作られたそれらは、生まれたその時から衣玖に向けて動き出していた。

 だが、その程度の牽制では衣玖はおろか、衣玖の放った擬似雷弾ですら拮抗できなかった。
 パラパラと撒かれた弾幕を掻き消し、相変わらずに白光が迫る。
 美鈴はそれらを見、変わらず体を捌き続ける。足止めの弾幕を食い散らしながら進む雷に、彼女は内心で舌を巻いていた。

「私相手だと言ってこの程度を維持していては、あなたは痛い目を見ますよ?」
 衣玖は面白くもなさそうに言い捨てる。
「まぁそれで終わるようならそれまで。……結構なことですがね」
 響くその声音は変わらない。
 温度を感じさせない、迫る雷と同じような質の声。

 だが、美鈴はその声から、“冷たい”以外の感触をうっすらと感じていた。
 それはおそらく、衣玖自身にも感じることができなかったであろう違和感。
 はっきりと口にできることは美鈴としても何もなかったが、それでも――――


「――やっぱり……らしく無いですよ、衣玖さん。今夜はずいぶんと強い言葉を使います」

 彼女が絶えず足を止めないままに、ここまでずっと感じていた違和感をのみ言葉にする。
 まだ知り合って三日と経っていないが、彼女の知っている衣玖は、これほど好戦的な女性では無い。

「言葉が強く見えるのは、あなたが自分を弱く感じているからです。私はずっと……こうでしたよ」
 返す衣玖の表情が、一瞬歪んだ――ように見えたのは、美鈴だけかもしれない。
 彼女は変わらずに雷に命令を下し、目の前の敵を攻める。
 雷光は呼応し、その攻勢を増す。的を外れた雷が大地に刺さり、地面を捲り上げる。

「言ってくれますねぇ。これでも結構本気なんですけど」
 美鈴のスカートを、雷の一筋が掠める。
 ――これは危なかったなぁ。回転が上がってきてるや。


「あなたはこんなものじゃないでしょう?少なくとも、博麗の巫女と戦った時のあなたは、こんなものではなかったはずです」
「いや、だからアレはですね……」
「いえ、あぁなっていただく必要はありませんよ。私が一方的に攻めて――この茶番は幕ですから」

 衣玖の声に力が込もる。
 彼女の意志を汲むように、雷鳴の轟きもまた大きくなる。
 心なしか、彼女の放つ弾幕の速度が速くなる。雷の筋も巨大化している。
 美鈴はその攻勢に、衣玖の本気を感じ取った。

 ――衣玖さんは、言葉通りにこのまま押し切るつもりだ。

 どうにか迫る弾を飛び退ける。どうしても動きが大きくなってしまっていたが――これでも十分。
 彼女の許に次弾が届く前の隙を突き、彼女は返す刀でスペルカードを宣誓する。

「虹符『彩虹の風鈴』っ!!」

 美鈴の宣誓に呼応するように、弾が幕を張る。
 弾幕は彼女を中心としながら、渦を巻くようにして広がっていった。
 よく見ればそれぞれに色の違う七色の弾たちは、列を成し、規則正しく飛来している。

 規則性のある弾幕は、総じて回避は容易だ。その法則性を見極め、抜け道を探して飛び込めばいい。
 この弾幕にも抜け道は存在し、衣玖は目ざとくそれを感知すると、目の前の道に飛び込んだ。
 その際に、召喚していた雷の玉は破棄している。それまで呵成に攻め立てていた弾幕とは言え、彼女はその点にまったく躊躇をしなかった。あっても邪魔なだけである。

 弾幕によって整備された道の中で、迫る弾を右往左往と動いて躱す。
 そのこと自体にはほとんど危険は無かった。いくつかはぐれた弾が飛んでくるが、それをその都度回避することは難しくない。

 だから――その道の中を、弾幕の発生源の妖怪が飛んでくること自体も、それほど驚嘆には値しなかった。

 ――通路を限定しての接敵……想定の範囲内ですね。

 展開され続けている弾幕を利用して近づく彼女の影を視認し、衣玖は弾幕を避けつつも、再び右腕を高らかに突き上げた。
 退路が限定されているのは、弾幕をしかけた美鈴も同じだ。
 狭い通路の中では、解っていてもこのピンポイントの落雷は避けられないだろう――そう、思っていた。
 それは確かに、その通りではある。

 竜宮の使いに呼び出された雷が、雷鳴を置き去りに光の速さで落ちてくる。
 一直線に美鈴を狙って落下する青い光は――だが、美鈴のスペルによって作られたゆるやかな回廊を突破できなかった。
 渦を巻くその弾幕は、上下左右と数本の列を成している。その弾の境界線を何本か掻き消すことはできても、それを全て突き抜けて美鈴に届くことはできなかった。

 さすがに衣玖は僅かに息を呑んだ。辺りを覆う小弾に、それほどの力が込められているとは予想してはいなかった。
 そんな衣玖の表情を認め、美鈴は確かに手ごたえを感じ、

「これでっ!」

 狭められた空間で、正面から衣玖に飛びかかった。
 彼女の最も得意とする距離。疾風迅雷の拳を見舞うことのできる、必殺の間合い。
 だが――――


「――これで?」

 衣玖は空いた左腕を美鈴に向かって伸ばす。
 まるで彼女を掴もうとしているように伸びたその腕をシュルシュルと羽衣が周回し、伸ばした腕の意図を汲むように美鈴へと蠢いてゆく。
 まるで生き物のようなその純白の羽衣が、飛び掛る彼女の足に巻きついた。

「はいっ!?」

 固唾を呑むのは、今度は美鈴の番だった。
 ガッチリと巻きついた羽衣は、払ったくらいで離れる程度の力ではなく、彼女の足をしっかりと拘束している。
 そのことを美鈴が思考する暇など与えずに――衣玖は左腕を振り払った。
 そこから伸びる羽衣も、それが掴んでいる美鈴の足も、その足を生やしている美鈴自身も、全てがその腕の動きに連動して振り払われる。

 振り払われる反動で、足の拘束が解ける。
 彼女はまんまと拳が当たる距離から投げ出されてしまった。
 思いのほかその反動は大きく、足を掴まれていたこともあり、彼女は体制を崩したまま空に投げ出される。
 ほぼ無回転で、ふわりと空中に体を投げ出されるような感覚。
 いくら空を飛べるからと言って、そうやって自らの意志とは別に空に投げだされれば、そうすぐには立て直せない。
 ほんの僅かな時間ではあるが、彼女は無抵抗に宙に浮いているだけだった。
 そして、

 それを「まずい」と思った時――すでに、光は落ちていた。

 いつの間にか振り上げられていた衣玖の右腕。
 弾幕の回廊を突き破るさっきよりも、遥かに大きな雷電。

 ガシャァァァァァァァァン!!という、何かが壊れたような音がする。


「あああああああああああああああああ!!」

 美鈴の体を雷が貫く。
 縦に一直線に全てを薙ぎ払い、雷光は大地と美鈴を焼いていた。


「……あなたの“異変”は、これで幕です」

 ぼんやりとした衣玖の瞳は、暗く沈んでいる。
 その目に光は射していない。黒一色の空のようだった。そこに光る星も月も、彼女の目には宿っていない。

「もう寝ているといいですよ。起きるころには……もう全てが終わっているでしょうから」

 暗曇とする彼女の瞳の先には、黒く焦げ付いた美鈴の体があった。

 力無く地に倒れ、うつ伏せるその顔は、衣玖からはまったく見えない。――見ようとも、思っていはいなかったが。
 衣玖の言葉は、どこか哀願しているようにも聞こえた。
 何に対して祈っているのか、美鈴には解らなかった。







   【 T-3 】



『美鈴さん……さては、日頃よっぽど怒られてるんですね』
『怒ってなんかいませんよ。このケガだって私が未熟なせいですし。……さっきも言いましたけど、私が昨日のことを聞いたのは、あなたが気がかりだったからです』
『お祭り騒ぎだからって無茶ばかりじゃ体が持ちませんよ?ご自愛くださいな』

『衣玖さんて……いい人ですね』





   ※





 衣玖は独り、空を見上げていた。

 満天の星が輝き、おぼろげに浮かぶ月がそれらの真ん中にいる。
 空は晴れ渡り、風は無い。翳す雲の無い夜空は、夜というには明るすぎる気がする。
 視界を覆う星々の瞬きが、なぜか無性に気に入らなかった。

 詮無きことを、と静かに呟く。
 どうしようもない現状を突きつけられた、どうしようもない自分の選択――これしかない、と心に決めて動いたにもかかわらず、衣玖を後悔が苛んでいる。
 仮に自分が他の道を選んだとしても、どうせ後悔しただろう。理屈ではそう思えていたが、それでも心が楽になることは無かった。
 これが自分の望んだこと、そう思うことも、だが彼女を楽にはしてくれなかった。
 賑やかに彩られる、静かな空。
 その下の幻想郷は、どこもかしこも賑やかで――彼女が立っている紅魔館の庭は、静かだった。

 芝生の焼けた匂いが鼻をくすぐる。
 どこかで燻っているような煙が上がっていた。

 目の前に転がっている、美鈴の体。
 一緒に目に映る紅黒い屋敷の壁が、くすんだ血の色に見えた。

 衣玖の前に広がる世界は、どうしようもなく静かで、
 静かな世界は、どうしようもなく、寂しいものだった。


「ふぅ……」

 彼女は冷たい溜め息を吐き、踵を返す。
 どこに行くとも無いが、少なくとも――ここにはいられない。
 ここにいてはまた溜め息を吐きそうで、溜め息を吐き続けていれば今に、自分の溜め息で凍えそうだった。

 数歩と進み、そのまま浮かび上がろうとする。

 脳裏に彼女の笑顔が浮かんだ。頭の中の彼女は、楽しげに笑って、自分の名前を呼んでいた。


「――――――い――――――」

 衣玖は思わず足を止める。
 ――風の音?いや、風は出ていない。
 頭の中で問答する。
 静寂だけが広がる世界で、それを壊すように聞こえた声。その声が、幻聴で無いとするならば――――
 衣玖は振り返る。

 相変わらずに血痕のような色をした壁を背景に、ゆっくりと立ち上がる人影がある。


「――――っつぅ…………」

 その光景に、思わず、咄嗟には言葉が出なかった。


「やってくれますねぇ……あんなの人に浴びせちゃ、ダメですよ」

 あいったたたたた……、と体を押さえるようにして、美鈴が立ち上がっていた。
 体つきはまだフラフラ。見て取れるダメージも確実に残っている。
 だが、思いのほかに口調はしっかりとし、あまつさえ、その口許には笑みがあった。

「――分かっていたつもりでしたが……丈夫ですね。なかなか今のを受けて、立てるものじゃないと思いますが」
 なんとか、といった様子で衣玖が口を開く。自分でもその声が上ずってしまっているのがわかった。

「こう見えて、鍛えてますから」
 ほとんど満身創痍とも思える体で、美鈴は笑う。それが“結界”が強化されているためだとは、彼女はおろか、衣玖さえも知らないことだった。

 彼女を、衣玖はただひたすらに眺めていた。
 頭の中を様々な思いが渦巻く。
 区分をするならば、驚きが三割、呆れが三割――残りの四割は、衣玖本人にすら判別ができない。
 自身に整理がつかず、目の前の美鈴にどんな言葉を投げていいのか解らなかった。
 ほとんど放心状態に近い頭の判断など待たず、勝手に口が開く。

「……さすが荒事慣れした“紅魔館の門番”、ってことですかね」
 しまった、と思った時には、その言葉は全て口から出た後だった。思わず反射的に顔を背ける。
 ――違う、私が言いたいのは、こういうことじゃなくて――――


『それはあなたに普通の経験が無いだけ』

 頭の中で声がする。静かな、大きくはない声。
 だが、ハッキリと衣玖の脳内に刻み込まれるような、説得力に満ちた声だった気がした。


「…………衣玖さん?」
 美鈴が心配そうな顔で覗き込む。
 その顔で見られることが、今の彼女には耐えがたかった。

 再び静寂が戻る。
 どこかで炸裂音のような響きが聞こえる。強い力の破裂が屋敷の中で起こっていたのかもしれない。
 だがその外では風一つ無い。空は輝いている。
 満天の星々の輝きが、衣玖の琴線を刺激し続けている。


「……………………もう」
 不意に、衣玖の口から音が漏れた。
 今にも掻き消えそうなほどの、力の無い声だった。

「もう十分でしょう。これ以上傷を増やしてまで、戦う意味も無い。もう……止めなさい」
 どうにか視線を戻し、美鈴を見据えて言った。
 彼女の頭を支配する、三つの感情――それらがその瞳には込もっているような、不思議な色をしている。

 衣玖自身にも理解できなかった残りの四割は、美鈴にはなぜかちゃんと伝わってた。

 静かに瞳を閉じながら、美鈴が言葉を返す。
「――ありがとうございます」
 普通に考えて、礼を述べるような場面ではなかったが、それでも美鈴の口からは、なぜか自然と感謝の言葉が流れていた。
「でも、」
 そこで静かに、瞼を開く。

「止めなさい、ってその言葉は、お受けできませんね。――残念ですけど、私に命令できる人、っていうのは決まってるんですよ」

 それは衣玖さん、あなたじゃないんです。
 穏やかな口調で、そう告げた。
 薄く微笑まれた口許と力強い瞳で、衣玖へと向き合う。
 いつもの、少し困ったような笑顔の似合う彼女とは違う印象がある。
 まるで巫女を前にして、仲間を鼓舞したときの彼女のような――――。


「……あなたの怖い上司たちでも、きっと同じことを言うと思いますがね」
 美鈴の雰囲気に呑まれないように、衣玖も懸命に相手の目を見つめ返す。

「ははっ、あの人たちなら止めませんよ、絶対。間違いないです」
 何が面白かったのか衣玖には解らないままだったが、美鈴は確かに楽しげだった。
 脳裏に浮かんだ館の顔ぶれでも思い出しているのだろう。少しいつもの雰囲気が漏れる。
「それに……」
 まだ少し可笑しそうにしながら、再び衣玖を真っ直ぐに見据える。


「私に命令できるのは、あの方たちじゃありません。――私だけ、です」

 予期していなかった言葉に、衣玖は、思わず返す声が見つからなかった。


「私は私に、“あの人たちの言うことには忠実に生きろ”って命令してるんですよ。だから私は、お嬢様や咲夜さん、パチュリー様に妹様……彼女たちの言うことには絶対に背きません。私が、それを許さないから、です」
 返事の見つからない衣玖に、美鈴が一息に語る。
「こんなこと言ったの、衣玖さんが初めてですよ」
 そうして、静かに笑った。
 少し照れたような、はにかんだような笑顔を見せて。

 夢を語ったかのような少女の笑顔は、衣玖の網膜を抜けて、心まで届く。
 月光に照らされた彼女の笑顔は、それほどまでに美しかった。

 衣玖は自分の心にも火が灯るのを感じた。
 暖かな、じんわりと芯から燃やす、火。
 それを自分の心の中に感じながら、それを愛おしく思いながら――彼女の心は急速に温度を下げる。

 彼女の笑顔を心の奥へ奥へと落とし込み、再び暗く暗く、色を沈ませてゆく。
 急速に温度の下がった心が軋む。
 心から冷えた体を確認するかのように、溜め息を吐いた。
 冷たい溜め息が重ねて自分を冷やしてゆく。


「――――分かりました」
 再び硬質的な声を上げる。
 夜露の下に曝しておいた鉄のような、冷たい声。

「なら私は、あなたを屈服させる必要があるわけですね」
 衣玖の瞳が色調を落としてゆく。暗く、暗く、光を消す。

「単純な話です。あなたに命令できる“あなた”の心を折ればいいだけのこと――状況は、なんら変わらない」
 すぅっ、っと瞳を細める。
 無機質な視線が美鈴を射抜く。
 心に灯った火は、深くに落としすぎて、もう見つからない。


 そんな衣玖の様子を、美鈴も怯まずに見据えた。
「ご名答。さすが衣玖さん、話が早い」
 怜悧な視線を真っ直ぐに受けながら、おもむろに肩を大きく回す。
 それを止めると、拳を開き、閉じ、開き、握る。

「――でもきっと、それはもう無理ですよ」

 片足をゆっくりと前に上げ、そのままに大きく回す。
 地についた足だけで僅かに飛ぶ。
 上げていた足で着地する。
 そのまましゃがみ、しゃがんだ足を支点に大きく円を描く。
 ぐるんと回り、流れるような動きで元の体勢に戻る。

 各部の点検は、これで完璧に済んでいた。
 剄の循環に意識を運び、気の流れを確認し終えると、美鈴は軽く微笑み――――


「衣玖さんの攻撃はすでに見切りました。――もう、当たりません」


 その言葉に、思わず衣玖の瞳に火が灯る。
 心に灯ったような暖かな火ではなく、まるで怒りに近いような、大炎が燃える。

「あなたも……大概強い言葉を使う!ここまで手も足も出なかったあなたがその強気、恐れ入りますね!」

 無機質に、硬質的に、冷たく、重くなっていた衣玖の瞳に力がこもる。その声音に温度が入る。
 すでに臨戦態勢に入っていたその目が、キッ、と美鈴を睨みつけた。

「仕方ない……また始めましょう。あなたには早々に諦めてもらいたいものですがね!」
 彼女の周囲に雷が奔る。
 溢れる魔力が形を成し、当り散らすようにして放電される。
 触れれば熱く、見た目は冷たい雷の色は、彼女の心中とまったく一致していた。

「残念ですが、そのお願いは聞けませんね」
 美鈴も半身をずらし、構えを取る。踏み込んだ右足が大地を割る。


「なにせ“私”はまだ、ここで膝を折ることを許してませんから!」


 宣誓するようにして叫んだ言葉が、紅魔館の庭に響く。

 彼女たちの世界はまた、騒乱と燃ゆる。







   【 T-4 】



『衣玖さん!!』

 美鈴の声に一度歩みを止め――そしてまた歩き出す。
 自分の名前を呼ぶその声に、衣玖は振り返ることができなかった。――いや、しなかったのかもしれない。
 彼女のその声は、紛れも無く自分を心配してくれているものだ。
 そして直感的に思ったのだ。
 あぁ、自分には、彼女に心配をかけることしかできないのだ、と。
 自分が彼女を心配することが、できないのだ、と。

『それはただ、あなたに普通の経験が無いだけ』

 そんな自分では、彼女の力になれない――。

 この時、衣玖がこの異変の三日目にやりたいことが決まった。





   ※





 雷電の音がけたたましく響く。まるで雷雲の中にいるようですらあった。
 戦火の傷には慣れた紅魔館の庭ではあるが、雷が乱れ飛ぶというのは初めての経験であろう。
 白い光を引く雷の中心には、リュウグウノツカイの彼女がいる。
 そしてその周囲を、まるで蝶のように舞う少女が――――

「そ……んな…………」

 衣玖は目の前の状況に、歯噛むことすら忘れそうだった。

 両腕を突き出した先では、雷玉が唸りを上げて放電を続けている。
 バチバチッという音が絶え間なく鳴り、生み出された雷は止まることなく方々へと落ちてゆく。
 先ほどまでなら、一本二本の雷が目で追える速度で発生しているに過ぎなかったが――今は違う。
 同時に十ほどの雷が生まれ、それらが全て雷光の速度で地面へと落ちているのだ。
 すでに精密な狙いは定まってはいない。だがそれゆえに、すでに雷は弾幕としての力を発揮している。

 ほぼランダムに落ちる落雷弾。
 衣玖の周囲で安全な場所というのは、もう存在しない。
 だと言うのに――――

 風を切る、彼女の橙色の髪がなびく。
 白く太い雷が落ちても、その長い髪だけは見失わない。
 髪の毛の先まで意識が届いているかのように、その毛先を燃やすことすらできない。

 美鈴は、飛来する雷のことごとくを避けてみせていた。
 一筋二筋程度ならすでにやってみせていたため、驚くには値しないのだが――すでに状況は最初とは違う。

 彼女はもちろん、術者である衣玖にすら今の雷電の軌道は予想できない。それほどまでに一心不乱に撃ち広げているのだ。
 だが、それでも美鈴は、自らに落ちる雷弾だけではなく、それを避けた先に落ちる、おそらく予期していなかったであろう白光すら躱してみせている。

 地を蹴り、空を蹴り、右に左にと体を捌く。
 まるで彼女を狙っているのではなく、彼女のいた場所を狙っているのかと思わせるほど、完璧に身を翻している。

「どれほど撃ったとしても、当たりはしませんよ」

 美鈴の声が聞こえた。
 すでに目で追うのも忙しないような速度で動く彼女だったが、衣玖には笑顔でいるように見えた。オレンジの髪が、喜んでいるように跳ねている。

「そんな……馬鹿なことがっ!」
 思わず叫び、そして片手にスペルカードをセットする。

「龍魚!『竜宮の使い遊泳弾』!」

 スペルの宣誓とともに、彼女の腕に絡みついていた羽衣が動き出す。
 意志を持つかのように動いた羽衣は、その両端を衣玖の頭上へと伸ばしていた。
 そして、激しい光が生まれる。

 目の前に作り出した雷玉よりも、さらにひと回り大きい雷の塊を生成する。白い光の集合体は、そこから弾を吐き出していった。
 落雷などとは違い、普通の弾幕に衣玖の魔力で擬似電気のコーティングをしたもの。それらは円周状に周回しながら飛び、瞬く間に彼女の周りを弾で埋めてゆく。

 相当の力を込めて発動させる、衣玖の取っておきクラスの大技。
 だが、彼女はそれを呼び出しただけでは飽き足らず、未だに目の前に残した雷玉からも弾を吐かせ続けていた。

 頭上に光る『竜宮の使い遊泳弾』が相手の動く余地を削ってゆく。
 眼前で瞬く『龍神の稲光り』は絶えず美鈴を狙い続ける。

 衣玖の魔力的には、かなりハードワークな同時展開だが、大技のスペルはあくまで“牽制”。
 彼女の持ちうるスペルカードの中で、空間を埋めるものがそう多くない以上、魔力効率を気にしている場合ではない。
 目の前を飛ぶ彼女を捕まえるためには、これくらいの無茶をしなければならなかった。
 だが、それでも――――

「数を増やしたところで、変わりません」

 美鈴の動きを止めることはできない。
 ほんの数秒前よりも、目に見えて確実に弾数の上がった戦場で、彼女は変わらず軽やかに乾坤を駆けた。

 美鈴の速度が上がったわけではない。降りしきる弾雨は激しさを増し、立錐の余地さえほとんどない。
 だが、彼女は全ての弾の動きを見極め、そして体を捌く。
 目の前に広がる、電“気”の流れを、美鈴は正確に捉えていた。

 踊るように回転しながら、美鈴は地に降り立つ。
 弾幕と弾幕の切れ間。雨の隙間を縫うような過密さの中、わずかに足を止められる空間を見つけ出し、彼女はスタンスを広く取る。
「華符――――」
 そして不意に、彼女はスペルを宣誓する。
 その動きは、なぜかとてもゆっくりと見えた。

「『破山砲』っ!!」

 踏み込む右足が大地を割る。
 同時に突き出した右腕が高らかに空へと突き出される。
 渾身の剄を込めた一撃が、遠距離で炸裂した。

 彼女が練り込んだ気が、右腕から発射される。
 まるでミサイルのように、彼女の拳から放たれた大口径の一発の銃弾は、目にも止まらぬ速さで空間を飛ぶ。
 衣玖にはその弾丸を目で追うことができなかった。
 それほどの瞬発力をもってして、美鈴の弾は駆け――衣玖の頭上にある雷塊を撃ち抜く。
 打ち出された剄が巨大な雷玉を貫通し、パァンッ、と小気味良い音を立てる。
 それを聞いて、直感的にそれが弾けたことを知り、それと同時に彼女の拳が放たれた先を理解したほどである。

 それでも、にわかには信じ難かった。
 いくら二足の草鞋で発動させていたとは言え、彼女の虎の子のスペルのひとつが、こうも簡単に霧散してしまうとは――どれほどの錬気がされているのか、想像もつかない。

 だが、そんなことを頭で考えている余裕など無い。

 牽制として機能していた大技が破られたことで、美鈴の動きはさらに加速する。
 未だ放たれる雷の光を躱しながら、彼女は衣玖へと駆けていた。大地を疾駆するその姿こそ、まるで雷のように。

 衣玖の弾幕が地面を焼く。そこにすでに美鈴はいない。
 衣玖の弾幕が美鈴を掠める。彼女はすでに一歩先へと進んでいる。

 最初のような、防壁の弾幕を展開するでもなく、彼女は真っ直ぐに衣玖目指して駆け抜ける。
 美鈴が大きく一歩を踏み出す。踏み込んだ大地が割れるほど、その一足には気持ちが込められている。
 その一歩で――彼女は衣玖の懐にまで飛び込んでいた。

 衣玖は咄嗟に羽衣に力を込めた。命を吹き込まれた羽衣が、美鈴へと伸びる。
 クロスレンジで翻るそれは、解っていても回避できる速度ではない。さらには伸ばした腕の分のリーチもある。自らの距離を守って戦うのに、優秀な武装。

「――――は?」
 だからこそ、彼女は思わず呟いた。

 羽衣を伸ばした先に、すでに美鈴はいない。

 誰もいない空間に、真っ直ぐに伸びた羽衣。
 衣玖の瞳では、美鈴の残像を残すに留まっていた。彼女の動いた先すら、その眼では追えていない。

 雷すらも避ける、高速の体術――それは近接距離でこそ、その真の力を見せ付けていた。
 その身をこそ雷光のように、彼女の体は風を切る。

「そんな気持ちの込もっていない攻撃じゃ――」
 美鈴の声がする。横――――。

「何度やっても無駄です!」

 衣玖の瞳が揺れる。
 体を捻り、半身をずらし、その勢いで振る腕も――彼女の動きには間に合わない。

「ふっ!!」

 ズドンッ、と鈍い音がした。
 それが自分の中で鳴っていると、衣玖が気づけたのは少し遅れてだった。

「かっ…………はっ」

 ミシリッと拳が喰い込むのを感じる。なぜかそこも、とてもゆっくりと目にできた。
 足が浮く。体が真横に飛ぶ。なぜかそれらも、ゆっくりと感じた。

 美鈴の放った“気”が星屑のような残滓を散らし、その中を、衣玖の体が吹き飛んでゆく。

 体の真芯を捉えたその拳により、衣玖はそのまま衝撃に押し出されるようにして飛び上がっていた。
 体の回転もなく、数メートルを飛ぶ。自分の体がわずかな放物線を描き、地面へと足が着くところまで来てから、彼女はどうにか無意識に体を立て直した。
 なんとか着地に成功するも、衝撃までもを全て殺すことはできずに、ズザァァァッ、という音を立てながら地面を滑る。
 震える膝が体を支えきれず、そのままヘタリとしゃがみ込んでしまう。
 地面に手をついて体を支えているところに、紅い液体が滴った。
 口許から流れるその液体は、紅魔館の壁の色とよく似ている。

「ふぅぅぅぅぅ…………」
 美鈴は追撃をかけず、残心を取っていた。
 衣玖の生み出した雷は、魔力の供給を止められ、静かに消滅していた。

「八方極遠まで達し、敵門尽く破る……いやぁ、やっぱり八極拳は気持ちいいですね」
 うん、と一人で納得しながら、パシンッと掌に拳を当てる。
 満足気に拳打の確認をしているところを見ると、彼女にとっても会心の一撃だったのだろう。

 それは、衣玖が一番よくわかっていた。

 内臓が熱をもったような痛みを訴えている。
 体内から揺らすような鈍い衝撃が足まで痺れさせていた。
 彼女ほどの武術の達人の“気”のこもった一撃を受けて、まだこの程度で済んでいるという方が幸いだったのかもしれない。
 それは美鈴の八極拳が未熟なものだったのではなく――おそらく、この“異変”の仕様であろう。衣玖はそれを直感的に確信した。

 それを思うと、なぜか笑えた。

 自分のような半端な闘争能力の妖怪には、まったく、うってつけの異変じゃないか。
 湧き上がる滑稽さに、思わず小さく笑い声が漏れる。
 あれほど忌避していたこの異変というシステムに、結局は自分は守られることになっている。
 どうしようもなく泣き出したい気持ちは、なぜか自嘲的な笑みを引き起こしていた。

「……衣玖さん」
「はい……美鈴さん……」
 衣玖はまだ顔を下げたままに、静かに返事をする。

「聞いてもいいでしょうか?――どうしてこんなことを?」

 どうして……、と衣玖は頭の中で反芻する。
 その理由は、探すまでもなくすぐそこにあった。
 昼間に紫からこの異変の説明を受けて、真っ先に思ったこと。いや、その前から思っていた。
 二日目……もしかしたら、初めて彼女と並び、戦ったその時から。

 自分を呼ぶ、彼女の声が聞こえる。
 その人は、どんなときも明るく笑っていて――。
 ――なんとしても、自分では力及ばないと解っていても、それでも……私は……。

「らしく、ないですね……美鈴さん」
 まだふらつく足に力を込めて、衣玖はよろよろと立ち上がる。
 膝が笑う。
 すぐには回復しないダメージであるのは、もう解った。
 だが、そんなことは今だけはどうでもよかった。
 彼女がこの日に叶えようとした願いのため。彼女はここで立ち上がらないといけない。
 口許に流れる血を湛えながら、衣玖は顔を上げ、美鈴を真っ直ぐに見据える。

「こういうものは、キチンと決着がついてから語るものです。――そうでしょう?」

 静かに笑う。
 ここまでの後ろ暗い笑みではなく、まるで憑き物が落ちたような、力強い笑顔。
 何かを覚悟した笑顔。
 もういっそ、開き直ったような笑顔。

「……よく解ってるじゃないですか、衣玖さん!」

 美鈴も笑ってみせる。
 二人は距離をおき、笑いあう。

「では」
「えぇ」

 美鈴は静かに構える。
 半身を前に、重心を低く、拳に力を込める。
 気を集中させた拳が、七色に光る。

 衣玖はゆっくり腕を上げる。
 羽衣を操り、腕に巻きつけ、回転させる。
 魔力を込められた羽衣はドリル状に渦を巻き、溢れた雷を撒き散らす。


『ちゃんと楽しめよ。それがヒントだ』


 美鈴の頭の中に、不意に魔理沙の言葉が浮かんだ。
 結局、何が言いたかったのかは彼女には解りかねたが――その時の彼女の顔を思い出し、美鈴はニッ、と笑ってみせる。

 互いに渾身の力を注ぐ。
 二つの魔力の塊が光を帯び、紅魔館の庭を照らす。
 彼女たちは、燦然と輝く星々のひとつのように輝き、

 そして瞬間的に、爆ぜた。

 地を蹴ったのは同時。互いが互いを目指して踏み込み、瞬くほどの速度で交差し、遠ざかる。
 二つの光、二人のスペルは刹那交わり、そして激しい光の煌きを起こし――今は静寂。
 邂逅した彼女たちは、弾けるように近づき、爆ぜるように交錯していた。
 二人は背中を向け合い、距離を空けている。
 虫の鳴き声すらしない静かな庭に、二人。
 夜空に浮かぶ星と月だけが観客となり、固唾を呑んで行方を見守る。

「華符――――」

 衣玖の体が光る。まるでオーロラのように、七色に――――。

「『彩光……蓮華掌』」

 呟くようにして鳴る美鈴の声。
 静かにその掌が閉じられると同時に、衣玖の体から激しい光が溢れ出した。

「いい戦いでしたよ……衣玖さん」

 物言わず、ゆっくりと倒れ込む衣玖へと、背中のままで語りかける。
 誰も確認はできなかったが――その時、衣玖は笑っているようだった。
 穏やかに、満足そうに。

 ようやく、彼女の望んだ“終わり”が訪れたのだから。





   ※





「んっ…………」

 頭がぼぅっとする。
 頭痛、というほどではないが、気だるい感じがある。全身に力が入らない。前日の疲れを引きずったまま朝を迎える感じと、よく似ていた。

「あっ!目が覚めましたね!」

 そう言って覗き込む少女の名前は、考える前に口から出ていた。

「美鈴さん……つっ――――!」
「あ、っと。無理しないで下さい」

 目を覚ました衣玖の頭が美鈴を確認し、瞳からの情報を一通り脳へと伝えると、時間差をつけて痛みが走った。

 脇腹に残る鈍い痛みと、胸部に走る重い痛み。
 魔力が切れていることを知らせる体全体の倦怠感。
 集中力が切れて動きの悪い頭。
 視界に映る暗い庭。
 明るい空。
 心配そうな赤毛の少女。
 それら全てが、衣玖に教えてくれていた。

 ――あぁ、そうだ。私の戦いは…………

 それを悟った瞬間、彼女は本当に目が覚めた。

「大丈夫です。……ありがとう」
 おそらく紅魔館の壁を背にして座っているのだろう。背中からの感覚でそう推測する。
 どれくらいこうしていたのか、月の傾きを見て確認しようと思ったが、そもそも戦い始めたときに月がどこにいたのか確認していなかったことに気づいた。
 自分のことながら、なんだかそれが無性に可笑しかった。

「あんまり傷は多くないですが、ダメージ自体は残ってるはずです。今は安静にしていて下さい」
 心配そうな顔で美鈴が説明してくれていた。
 そういう彼女もボロボロで、人の心配をしてくれている場合じゃないようにも見えた。
 だがそれを、傷つけた本人が言うのも……そう逡巡する。
 だが、衣玖の視線を受けた美鈴は、何かに気づいたように目を丸くしながら、
「あ!自分で殴っておいて、それはないですよね!……いや、申し訳ないです……」
 肩をすぼめて謝っていた。
 まさか自分から言おうかという言葉をそのまま取られるとは思わず、衣玖も焦ってしまう。

「い、いや!違うんです!それを言ったら私の方から仕掛けたことですし、頭を下げなければなのは、むしろ私の方で……」
 まだ上手く回らない口で、上ずりながらも答える。

 そんな衣玖の方を、当の美鈴はキョトンした顔で眺めると――不意に笑った。
 ニカッ、という表現の相応しい、満面の笑みで。

「――どうかしましたか?」
「いいえ!なんだか私の知ってる衣玖さんとお話をしてるっぽくて、嬉しいだけです!」
 嬉しさを全面に押し出したような大輪の笑顔。
 相手の心に火を灯す、暖かい笑顔。 

「そ、その節は、というか、今の話と一緒なんですが、その、ご迷惑を、ですね……」
 真っ直ぐに向けられたその顔を前に、思わずしどろもどろに返事を返す。
 その暖かさに触れていたかったが、どうしても面と向かい続けるのは気恥ずかしかった。
 顔を赤らめてモゴモゴと話す衣玖を、美鈴は愛おしそうに眺め、微笑むと、
「さてっ」
 不意に立ち上がった。
 衣玖の前を数歩と歩き、振り返りながらに尋ねる。

「じゃあ聞かせてください、衣玖さん。――どうして私と戦おうと思ったのか、その理由を」

 長い髪を翻し、曇りの無い瞳で問う。
 相手の全てを信じる瞳。
 どんな答えでも全てを受け入れるつもりのその目に、衣玖は思わず視線を地面に逃がす。

「そう……ですね」
 彼女の脳裏に、様々な言葉が浮かぶ。


『これは“異変”』
『個人の許容定数以上の瑕疵を……』
『幻想郷の維持のため』
『力ある妖怪たちに、その発散を』

『――そのための、死の無い、殺し合い』


 眉をひそめているのが、自分でもわかった。
 それらの言葉は、衣玖にはどうしようもなくただひたすらに、恐ろしかった。

 だがそれらは全て、今尋ねられている問いの“答え”には成り得ない。

 彼女が、彼女と、どうしても今夜戦おうと思った理由。
 それは明確に、衣玖の心の深いところに存在する。

 そして、その答えを照らすための火も、すでに灯っていた。

「――この異変は……やっぱり私には恐ろしいものに思えます。誰も彼もが、喜々として殺し合いの中に身を投じてゆく――それが本能であると言わんばかりに」
 ポツポツと、静かに衣玖は語り始める。

「そしてあなたも……美鈴さんも、おそらく今日もどこかへ行き、誰かと拳を交えたでしょう。命を投げ打つような、身を焦がすような、心を擦り合わせるような、激しい戦いをしたかもしれない」
 美鈴は口を挟まずに、黙って耳を傾ける。
 ずっと向けられたままだった彼女の瞳を、衣玖は拾い、見つめ返した。

「そんな殺し合いの場に行かせるくらいなら……私が相手をしてでも、引き止めたかったんですよ」

 そして、その役割を担うのは、どうしても自分でありたかった。
 その一節がちゃんと言葉になっているのか、なぜかそこだけ、衣玖にもわかっていなかった。
 思っていただけで口には出せていないのかもしれない。
 こうして開き直ってきている彼女でも、その言葉を口にすることはどうしても躊躇われたのだ。

 この戦いを始める前。
 衣玖にはこの動機の根本的な部分を自分ではこう解釈していた。
『これはきっと、コンプレックスだ』と。

 初日、そして二日目。
 彼女は命を削るような出来事を目にしてきていた。
 特に強く意識したのが二日目の吸血鬼の戦いであったというだけだ。初日の霊夢との戦いも、彼女の心の中には大きな“しこり”を残すものだった。

『――あなたはこんなにも、美しい弾幕を張れるのに…………』

 そう思ってしまうのも、自分に『普通の経験が無いだけ』ということがわかっていた。
 要するに自分は、この楽園の妖怪たちよりも劣っているのだ。
 同じ世界の住人だとしても、本質的な差ができてしまっているのだ。
 そう感じることが――彼女が美鈴と戦うことの決意に繋がっていることを、衣玖はここに至ってもまだ、口にするほど受け入れられてはいなかった。

 もっとも、口にする必要はないようにも思っていた。
 彼女の中には確かに、それよりも強い気持ちがあったのだから。

 自分がどうしても、美鈴と戦おうと思った理由。
 戦ったとして、勝てないことは明白。
 それでも、誰かにこの役割を譲りたくはなかった理由。
 自分に足りていないもの、その全てを持っている彼女を前にしてでも、引けない理由。


 でも、それでも、

 ――だって、


「だって……あなたは、私の、大事な友人ですから」


 なぜか衣玖は薄く笑っていた。泣き出しそうな顔でもあった。

 誰に何を言われてもいい、後ろ指を差されても、軽蔑されても構わない。
 自分でも無茶苦茶なことを言っているのは解っている。
 その結果自分は酷い目にあった、と罵られることも覚悟している。
 ただ、彼女は、この恐ろしい騒動の最中に出会った、大切な友人を――――私は――――

「衣玖さん…………」

 美鈴は呟き、静かに衣玖の方へと歩みを進める。
 静かな、しっかりとした足音に、思わず衣玖は目を背けてしまっていた。
 後悔と満足と恐怖と不安がごちゃごちゃに頭を巡る。

 足音が止まる。

「よっ、と」

 そして、衣玖の肩にわずかな重さがかかった。

 振り返ると、すぐ隣には彼女が座り込んでいた。
 壁を背に、隣り合わせ。
 肩が触れあい、呼吸が伝わる。

「衣玖さん。今日は夜が明けるまで、こうしてお話をしましょう」
 夜空を見上げながら、美鈴は言う。


「私も、あなたの――友達のことがもっと知りたいですからね」


 そう言って衣玖の方へと視線を向けると、ニコッと笑った。
 彼女は変わらぬ声で衣玖を呼ぶ。
 彼女は変わらぬ笑顔で、明るく笑っていて、心に優しく明かりを灯してくれる。
 満天の星空にも負けないほど、彼女の笑顔は美しいものに思えた。

 もう月と星とに、彼女は心を乱されるようなことはなかった。










the last day's card is present.

     S.-M.



  next person of leisure... ... S.-M. 【 U 】


「だから――ちょっとした夢だったんですよ。私のこの力を思う存分に振るう、っていうのが」

「夢なら寝て見るといいぜ」

「起きてても夢が見れるっていうのも素敵じゃないですか」

「……そりゃ違いない」


  to be next resource ...
どうにか宣言通り?一日ズレで更新でした。なんか妙に早く感じます。

衣玖×美鈴でした。
なんかテンション上がってフワフワしながら書いてました。もっと思いっきり膨らませちゃえば良かったかもです。
めいりんかわいいよめいりん。

次は早苗さん。予定もついにこれでラスかー。どうにか来ましたね。
あと3,4回ってトコなんで、よろしければお付き合いください。

あ、来週の更新はちょっと無理っぽいので、申し訳ありませんが、再来週にお会いいたしましょう。……たぶん。
かしこ。
ケンロク
[email protected]
http://gurasan.kurofuku.com/
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コメント



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8.100愚迂多良童子削除
美鈴がイケメンすぎる!やっぱ美鈴は恰好良くないと。
衣玖さん完璧にヤンデレフラグじゃないすか・・・美鈴×病衣玖ってのもアリ!

>>私自体はこんな騒ぎに出る自主的に出る元気は無いさね
「騒ぎに」のあとの「出る」が余計です。
9.100稲荷寿司削除
このストレートな格好良さこそ美鈴!!頭の中では非想天則で二人が闘っているのを再生しながら読ませていただきました。
このシリーズは、最初から読ませて頂いてますが、残すところあと少しですね。頑張って下さい。楽しみに待ってます。
10.無評価ケンロク削除
>愚迂多良童子さん
美鈴ったらイケメン!メイイク流行らないかなー。
ご指摘ありがとうございます。最近多いのでもっと推敲してきますw


>稲荷寿司さん
ありがとうございます!美鈴ったらイケメン!天則にでる二人だったから、書いてる側としてもイメージは天則でしたw
もうちょっとです!絶対終わらせますよー!頑張ります!