[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 P-2 P-3 P-4
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【 R-2 】
後に“忘暇異変”と呼ばれる異変――今夜はその三日目。
ここ冥界、白玉楼敷地内の片隅には、真っ暗な闇と風があった。
冥界に吹く風は、もちろん死んだ風。顕界よりも温度の低い空気を、冷たい風が冷たく流す。
夜の闇も殊更に暗く、生気をまったく感じさせない。浮かぶ星々がクリアに広がっているのに、闇の冥さが不思議と強く感じられる。
無機物さえも“死んでいる”この世界。
だがそこには――ちゃんと生きているつむじ風と、ちゃんと生きている暗闇がいた。
「ふむふむ……ルーミアさん、もう少し近づきましょう。シャッターチャンスを逃しちゃコトです」
「あんまり近くに行っても怒られるだけだと思うなー。覗き見だし」
そう言いながらも、ルーミアはもぞもぞと文の後をついていく。
枝に髪をひっかけて「あいたっ」と声を上げるのを、文が振り向いて「しぃ~!」と指を立てる。
そんなこと程度では気づかれない場所にいるにもかかわらず、彼女は妙に敏感だった。
文たちがいるのは、西行妖からほど近い桜の木の枝葉の中。
冥界にある“死んだ”桜の樹とは言え、白玉楼にある桜たちはそれぞれ、なぜかちゃんと夏の枝振りで植わっていた。
枝を大きく広げ、そこに一杯の葉を茂らせている。言われなければ、その桜の樹が死んでいるとは誰も気づけないほどだ。
彼女たちはどうにかガサガサという音を最小限に潜めながら、枝が細くなる先の方までにじり寄る。
まともに乗っかると折れてしまうだろうという配慮から、彼女たちはほとんど浮いていた。もちろんそれは桜の樹の心配ではなく、ここにいるのがバレないようにの配慮である。
彼女たちがいるその桜の樹は、西行妖から近い、と言っても随分距離は離れており、少しの音などでは気づかれそうにはなかったが。
その桜の樹だけではない。
他の木々も、ある一本の桜の樹からは離れている。
文とルーミアの視線の先にある妖樹は、辺りに何も侍らせずに、一本だけぽっかりとその場所にあった。
すでに妖怪となっているその桜の樹は、周囲にあるもの全てを“死”に導く。
それが冥界にある、“生きた”死んだ桜の樹であっても、例外は無い。それを証明するかのように、その巨大な老木の付近には、草木一本生えてはいなかった。
枯れ木のようになりながらもどっしりと鎮座する桜は、どこか惹き寄せられるようで、それと同時に、見るものに潜在的な畏怖を与え続けている。
だが、この冥界で確かに生きている彼女たちの――いや、彼女の目的は西行妖ではない。
その桜の下にいる二つの影をカメラのフレームに収めながら、文は期待に目を輝かせていた。
「ここならどうにか撮れるかしら……お、いいわいいわー。やっぱりこんな夜は飛び回るに限るわね。特ダネクラスがそこら中に落ちてる!」
うふふふふ、と垂涎しながらも、しきりにシャッターを切る。カシッ、カシッという僅かな機械音だけが静かに響く。
どういう原理になっているのか、彼女のカメラは夜の闇の中でもフラッシュを焚かずにいたし、かなりの距離が離れているにもかかわらず、どう見ても通常装備のハンド カメラだった。持ち主が何ひとつ疑わずにシャッターを切っているのだから、おそらくそれでも撮れているのだろう。
「わざわざ冥界まで来た甲斐があったねー」
文に追従しながら、ルーミアも楽しそうな声を上げていた。文の肩ごしに木々の隙間から西行妖の方へと目を向けている。
なんとなく誘われるままに紅魔館を出ただけのルーミアだったが、これはなかなか、彼女としても面白かった。
覗き見という行為も普段するものでないだけに面白いし、それを一緒に行っている相方がこれほど楽しそうなら、隣にいる彼女もつられて楽しくなっていた。
「いやいや、まったくもってその通り。ルーミアさんといれば闇に紛れられるし、今後とも夜の取材はご協力願いたいですね」
カメラから視界を眺めながら、文は隣のルーミアに返す。
今言ったままの打算を、ほんの少しだけアテにして誘ってみたのだが、概ね、それは成功していた。
闇を纏うとこっちも完全に何にも見えなくなるため、迂闊に使うと樹にぶつかって結局バレる、や、真っ暗闇過ぎて夜の星の下で使うと意外と目立ったりする、などの改善点はあるが――要は使いどころだ。
能力自体は文の求めるピーピングワークにはうってつけである。あとは暗闇でも障害物を避けられるような人材を味方に入れれば完璧。――いや、闇の半径を極小サイズまで縮めて、そこから望遠のレンズだけ突き出した方がバレないかしら?
後ろ暗い打算にゆるむ口許が止まらない。
「いやしかし、これはなかなかいい場面に立ち会えました。運がいいですよ」
頭の隅で考えていたことを押しのけながら、文はシャッターにかける指を動かし、思考とは別のことを口にした。無駄な器用さである。
「ふむふむ、主従対決、っと……春闘ですかね。あぁ、直接取材に行きたいわ!」
彼女は葉の生い茂る中でカメラから目を離し、愛用の文花帖を広げてメモを取った。
彼女自身夜目が利くわけではなかったが、適当に空いているっぽいページにせっせとメモを書き留める。
“白玉楼は労働条件劣悪!?”、“ついに庭師がスト!!”、“あの世に蔓延るブラック企業!”など、ゴシップ記事の見出し予定単語が手帖で踊っている。
「夏も終わるのに春なのかー」
隣のルーミアも笑顔で適当な相槌を打つ。
そんなルーミアの声も聞かず、文は再びカメラに目を通した。
備え付け程度の望遠機能をフルに使い、二つの人影の画を一人に絞る。
片膝をつく庭師の背中をフレームから外し、西行妖を背にする亡霊の姫へと焦点を合わせる。
かなり距離はあったが、古道具屋出自・河童整備の優秀な望遠レンズは、ピントを合わせた先の表情まで見せてくれた。
フレームの中の彼女は、特に感情の読み取れない顔で目の前でしゃがみ込む従者を眺めている。
ほとんど無機質に近いように見える亡姫の表情は、逆に、憂いを帯びているようにも思えた。そのことに根拠は無かったが、レンズ越しに物を見た際の直感的な感想も彼女の取材の財産である。
浮かんだ感想を大切に胸にしまい、文はシャッターボタンを押す。
カシャッという音が静かに響き、一瞬だけ閉じるシャッターに目の前が暗くなり――――
それが開いたあと、亡霊が、こちらを見ていた。
文は思わずビクンと体を跳ねさせた。心臓を鷲掴みにされたような感覚が背筋を走る。確実に目が合っている。その視線に射抜かれる。
――いや、この距離ですよ!?しかもこっちは樹の中で…………。
だがそんな彼女の中の問いを無視するかのように、その瞳は確かに、カメラのレンズの中に収まっていた。
そしてあろうことか――その眼は、静かに笑ってみせていた。
※
「ふふ、夏の夜は烏も元気ね。あれがきっと、闇夜の烏ってヤツね」
そう呟きながら幽々子は静かに顔を背け、背後を振り返る。亡霊に一瞥された闇夜の烏たちが樹から飛び立ったことまで、彼女は解っているようだった。
彼女はそのことに興味を示さずに、黙って背を向け、目の前に泰然と聳える妖怪桜を見上げた。
巨大な老木。
同じ姓を持ち、同じ能力を持つ、他人とは思えない、愛おしい桜。
それをてっぺんまで眺めると、また静かに口を開く。
「でも、もう夏も終わりね……。こうしてまた、ひとつの季節が終わる。ひとつが、ひとつが、またひとつが終わる。ひとつがよっつで、ひととせ」
彼女はまるで歌でも詠むかのように言葉を繋ぐ。
「あぁ、なんてことかしら。今私が口にしただけで一年経ってしまったわ。やっぱり光陰は、矢なんかよりずぅっと速いわね」
幽々子は自分の言葉に満足したようにくすくすと笑い、不意にまた振り返る。
その先には、肩で息をしながら片膝をつく、よく見た剣士がいた。
剣士で庭師、幽霊で人間な、半分半分で、半人前の従者。
「――ねぇ妖夢。時間は飛矢の速さを超えたわ。あなたもそうやって避けてばっかりいるだけじゃあ、夜なんてあっという間に明けちゃうわよ」
荒い呼吸を繰り返す少女に語りかける。その体に大きな傷は無い。しかし小さな傷はチラホラと。
しかしそれよりも、彼女の消耗の大きさが際立っていた。フヨフヨと浮かぶ魂魄でさえ、疲労の色を湛えている。
そんな従者の様子とは裏腹に、幽々子は息ひとつ乱さずにそこに立っていた。
主人の声を受け、妖夢はどうにか返事をするだけの呼吸を整える。
無呼吸運動を繰り返した心臓がまだ必死に酸素を送っているが、それを急かすように自分の胸をぎゅっと握る。
「わ………………私は…………それでも…………」
たまらずに口で空気を取り込んでいるため、どうにか返せた返事も絶え絶えだ。
言葉の足りない口だけには任せておけず、彼女はその瞳にも気持ちを乗せ、自らの主人に必死に訴える。
――私は、それでも私は、あなたに刃を向けることなど出来ません。……したくありません。
妖夢にはさほど目立って傷があるわけではなかった。
なぜなら、彼女はただひたすらに送り込まれる弾幕を避け続けていたのだから。
弾を避け、避け、回避が不可能な時は、斬って開く。
その刃が一度として攻勢に転じることは無かった。ただ一心不乱に、迫る弾をのみ錆にした。
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。
短い間に繰り返したそれらを経て、妖夢も、すでに悟ってはいた。
このまま一晩中こうしているというのは、不可能だということを。
自分の実力、あいての実力、時間、互いの魔力量――なにをどう考えても、一晩中どころか、そう長く維持をしてもいられないだろう。
だから彼女は只々訴えるしかなかった。結局なぜ始まったのか解らない、この無益な戦いの終結を。
自分の気持ちを、行動に込め、声に乗せ、瞳に一際含んでみせる。
妖夢には、これしか思いつかなかった。
どうにか――この戦いだけは、どうしても止めたかった。
「……頑固ね。可愛いわ、妖夢」
それでも――くすりとも笑わずに、幽々子は薄めた瞳を妖夢に向けているだけだった。
彼女の背後に佇む妖樹も、彼女と同じ表情をして妖夢を見ているような気がした。
返される言葉に温度が感じられない。まさに亡霊の温度が妖夢の肌に刺さる。外気までをごっそり下げ、背筋を凍らせる。
ひとたび触れようものなら、こちらがその冷たさに火傷を負うほどの冷酷さが、妖夢ひとりだけに向けられていた。
幽々子の言葉に、妖夢はくしゃりと顔を歪ませる。
冷たさが彼女の心臓を鷲掴んだかのように、彼女は胸を握る手にさらに力を込めていた。彼女の緑色のベストに細かい皺が刻まれる。だがそんなことなど、彼女は構わない。
血が出るのではないかというほど、強く、強く握る。だがそんなことなど、彼女は構わない。
それよりも何よりも、どうしても視界に映り込む西行妖から、目を逸らしたくて堪らなかった。
――どうにも、ならないのかな………………。
そんな諦観が妖夢の頭に浮かんだのは、暫時。
「……いや」
僅かな時間だけを置き、彼女は鬱血するほど力を込めた左手を、不意に解いた。
歪めた瞳を一度閉じ、再び開く。
その瞳に力を込める。
どうにしようもない現実に、どうしようもないなりの、彼女の決意を乗せて。
妖夢は静かに立ち上がる。右手に携える楼観剣が、カシャッという音を立てた。
「やっとやる気になってくれたのかしら、妖夢?」
ぼんやりと、だが確かに力をもって立ち上がる妖夢を眺めながら、幽々子は問いかける。
もちろん、その問いに対する妖夢の答えは決まっていた。
「――いいえ。私はなんとしてでも、幽々子様には刃を向けません。あなたが私を撃ち落とすというのであれば、私はその弾を全力で斬ります。――幽々子様が、諦めるまで」
何も変わらない、何も変えていない答え。
彼女は彼女の信念を、ただひたすらに貫き通すことを選んだ。
“選んだ”というよりは“心に決めた”と捉えるべきかもしれない。しかし、それらは同じことである。
選択とは、常に決意と同義だ。
妖夢は、ここにひとつの決意を示す。
「…………そう」
その妖夢の姿に、幽々子は相変わらずの表情で短く応える。
そしてそれに応えるということは、行動を起こすこととやはり同義であった。
彼女の背後が薄ボンヤリと光る。桜の花を想起させる、薄い桃色。静かにスペルを起動してゆく。
幽々子は無造作に両手を大きく広げ、ふわりとそのまま浮かび上がった。背後に佇む裸の妖樹に、花が咲いたようにも見えた。
「あなたは未熟ね、妖夢。口にするのは、不可能なことばかり」
冷たい声音が響く。それこそが宣誓の合図となる。
「死符『ギャストリドリーム』」
幽々子を中心に花が広がる。
桜色を帯びた、無数の蝶が乱舞する。
円環状に広がってゆく弾幕は夜の黒にも溶けることなく、むしろ主張するかのようにまばゆく煌いていた。
弾幕の美しさでは、幻想郷で一、二を争う彼女の弾幕。
霊妙な弾幕の光は、そのままに生者を死へと引き込むようですらあった。
絢爛に広がる蝶たちは、妖夢の下へと殺到してゆく。
それぞれが幽々子の魔力でぼんやりと輝き、夜の黒を切り、まるで誘蛾灯へと萃まるように、半生の彼女の命を目指す。
妖夢は片手に握る刀を再び強く握り締め、向かってくる弾幕を凝視した。
もうすでに決意は済ませた。
それを主人へと伝えることも終わっている。
あとは、自らの言を遂行できるということを、彼女に見せつけるだけだ。
――やるしか……無い!
第一波が妖夢へと到達する。
彼女は地面から足を離さずに、飛来する弾たちを右へ左へと回避する。
空を飛べないことは無いが、彼女はこうして地に足を着けて戦う方が好きだった。地に足が着かないという言葉の通り、大地を踏みしめていないと力が入らない気がした。
そうしてどうにか迫る弾幕を避け続ける。
これを続けるのは正直厳しい……が、これならば、あとは根気で――――
「重ねて――――」
幽々子の声が響く。まるで神託を宣べているようにも聞こえる。
「華霊『バタフライディルージョン』」
彼女の懐から、白い何かが飛び出してきた。
妖夢は回避行動を続けながら、目の端に移ったそれを確認し、不意に昨日のことを思い出す。
『いつものスペルカードルールじゃないのよ?二重詠唱くらい可能性として考慮しないと』
薄ぼんやりとしか覚えていない、昨日の戦いの結末。
だが、その言葉は確かに彼女の心の中に留まっていた。
『明日のために負けたと思って、よく考えなさい。――自分の立場と、取るべき選択を』
輝夜がこの状況を見通していたのかは、妖夢にはわからない。
だが、結局のところこうして主人と向かい合っているのが現実である。
――自分の立場は、従者。故に取るべき選択は……これで間違い無い!
幽々子の元から飛び出した白い光は、統率された動きで一直線に妖夢の元へと飛び込んでくる。
その亡霊の色をした光が自分のところに着弾するタイミングを見て、妖夢は展開中の弾幕の中を飛びずさった。
白い光が妖夢のいた場所に集うように収束し、破裂する。
小さな蝶たちの群れが、爆裂するようにして広がっていた。
ピンポイントで相手を狙い、そのすぐ懐にて炸裂する、誘導魔力。
自らの主人の弾幕だ、タネは知っている。
そしてスペルの二重詠唱――それも昨夜に経験済み。
白い光が、桜色の弾幕の中で終息する。
またも光の筋へと形を変え、再びそのままに妖夢の今いる場所へと向かってくるのがわかった。
それを目にし――彼女は柄に力を込め、叫ぶ。
「断命剣!『迷津慈航斬』!」
スペルを宣誓する。
右手に持つ楼観剣が、それに応えるようにして輝き出す。
さらに刀身へと魔力を込める。
迸り、溢れ出しそうな力は研ぎ澄まされ――巨大な刃を成した。
同じ魔力剣でも、フランのものとは違う。原始的な魔力の塊ではなく、精錬された刀。
弾の海の中、濃縮された魔力の刃を両手で高々と突き立てる。
幽々子のスワローテイルが、真っ直ぐに妖夢へと向かってゆく。
上から降り注ぐ蝶たちも無差別に彼女を追い立てる。
その全てを――彼女の一閃が薙ぎ払った。
大地への踏み込みと、振り下ろされる刀は同時だった。
縦に美しい半円を描いたその巨大な刃は、目の前の白光と蝶の群れを切り裂いてみせる。
魔力同士がぶつかる破裂音が一瞬だけ響き、『バタフライディルージョン』は完全に消え失せた。
それでもまだ『ギャストリドリーム』自体は生きている。
スペルの詠唱が止んでいない以上、術者から吐き出される弾幕は途切れない、が、一度に切り裂かれた弾幕は妖夢の周囲からだけは消えている。
彼女は目の前で消し飛ばしたスペルのひとつを確認し、再び飛来する桜色の弾幕を回避するために幽々子へと視線を戻す。
一瞬の安寧への慢心は無かった。
無かったのだが。
やはり彼女は、どうしても甘かったようだった。
「――――重ねて」
三重詠唱――――――
「『死蝶浮月』」
一瞬の光輝の後、両手を開いた彼女から、夥しい量の弾が発射される。
大小問わない、文字通りの弾幕群。
まだ展開され続けている最初の弾幕と重なり、空が埋まる。
妖夢は目を見開いていた。だがそれもわずかな時間だけ。
すぐに弾は、彼女の眼前まで迫る。
彼女は再び地面を駆けた。
右に、左に、時には屈み、飛んだ。
弾幕というには過言な数の弾たちを避けてゆく。時には回避が不可能な弾の袋小路に潜りこんでしまっても、目の前の弾をのみ斬って開いた。
さきほどのように大出力のスペルを使う暇は無い。わずかに魔力を込めた楼観剣で眼前だけを広げるので手一杯だった。
目の前の弾を斬り、視界が広がるところにレーザー光がよぎる。それは妖夢をのみ狙ったものではなく、片っ端から撃ち抜くつもりの全方位射撃であるようだった。
なんとか視界に収めたそれを、間一髪のところで横に躱す。
ジッ、と肌をわずかに焼かれたような痛みが走ったが、それに怯んでいる余裕さえ無い。
「重ねて、よ。妖夢。私は重ねて宣誓したの」
その声は、本当に彼女が発したものなのか、ただ頭の中で鳴っているだけの声なのか、わからなかった。
いくつ避けたかわからない弾をまたひとつ避け、彼女はそこで目の端に映る白い光に気づいた。
さっき切り伏せた華霊が、なぜか再び彼女を狙って飛んでいた。
まだ、スペルは消えていなかった。
それに気づくと同時に回避行動に移ろうとし、目の前を埋める弾の壁に一瞬の躊躇をする。
もうその時点で――蝶たちの炸裂は始まっていた。
幽々子の元に音が届く。一度、二度……数度。
彼女の視界は自らの弾で埋められていたが、それでも、幽々子はひとつ確信していた。
静かに弾幕を解く。ひとつずつ。展開した順から逆に。
大小の弾雨が消える。レーザー光が周囲を焼くのが止まった。
踊り跳ねていた白い光の筋がふっと音も無く消える。
桜色の蝶たちが静かに舞う。これ以上の射出を止め、残った蝶が舞い、地に降る。
フワフワと優雅に散る蝶は――地面に伏せて倒れている半人半霊の少女の横に優しく着地し、死んだ大地へと溶けていった。
幽々子は静かに両手を下ろし、浮かび上がったそのままに、ゆっくりと口を開く。
「改めて言うわ。――あなたは未熟よ、妖夢」
花は散り、再び枯れ木となった西行妖が、幽玄とそこに立っていた。
【 R-3 】
冥界の大地に、刀が突き立つ。ザクンッという音が、冷たい空気を介して伝わり、余韻も残さず消えてゆく。
それをただ、幽々子は黙って見ているだけだ。風が啼く音さえしない。だからあとそこには、楼観剣を突き立て、短い呼吸を繰り返す彼女の吐息しか響いていない。
死んでいる大地に剣を突き立て、それを支えに、なんとか妖夢は立ち上がっていた。
日本刀というものは、細く、切れ味を追求した武器であるため、こうして体の支えにするべきではない。
また、“剣の道”という精神的な面においても、剣士の魂と呼べる刀をこういった形に使うことはもっての他。
だがどちらにせよ、今の彼女にそんなことを考えている余裕は無い。
剣術家としての規範よりも、立ち上がるための三本目の足がどうしても必要だった。
震える二本の足に力を込め、立ち上がる。ガクガクと膝が笑った。三つ目の足を支える腕からも力が抜けていきそうになる。
体のダメージもそれなりだったが、妖夢自身の感触としては、それはなんとかなりそうだった。
体をフラつかせる要因としては、疲労度の方が濃い。それは自分でもわかっていた。
絶え間なく動き続けていたため、体の疲れはピークに達していたし、その相手が幽々子だということ自体が、精神的疲労に輪をかける。
それでも、彼女は立ち上がり、地面から刀を抜く。
そうして、すぐ目の前に降り立っている彼女へと、口を開く。
「まだ……まだ、大丈夫です…………」
言ってから、軽口の言えない自分の性格を恨んだ。
これではどう聞いても大丈夫そうには聞こえない。とっさに虚勢を張れる達者な口が、今だけ欲しかった。
――知ってる中なら、魔理沙みたいな軽口が言えたら良かったかな……いや、普段なら必要無いから、やっぱりいいか。
なぜか頭の中は、妙にクリアだった。
「ふぅ……まだ立つのね、妖夢。まだ立つのなら、つまりまだ終わりにはできないのだけども」
「えぇ……大丈夫、ですから……」
不思議と明瞭な頭は、口を上手く動かしてはくれなかった。自分でももどかしいほどに、何も考えていないような返事を繰り返すことしかできていない。
彼女のすぐそばに立つ幽々子は、どこか呆れたように息を吐いた。
「――あなたはいつまで、そうしているつもりなのかしら?」
いつのもののんびりとした口調は無い。かと言ってハキハキとしているわけでもない。
抑揚の無い声質は、ひたすらに無機質だった。
妖夢は、幽々子からの問いかけを頭の中で反芻する。
どうにも彼女の言葉の意味を正確に拾い上げられなかった。
“いつまで”刃を向けないままに戦うつもり?
“いつまで”そうやってダラダラと立っているつもり?
そもそも、“いつまで”戦っているつもり?
――いや、最後のは私も知りませんて。
一人で考え、一人で頭を振っていた。
普段よりも無駄に働く頭は、動きたくても動けない体の反動かもしれなかった。
ひとまずに思考にケリをつけ、浮かんだ答えを返す。
真っ直ぐに目の前の幽々子を見据え、
「無論……初志を貫きます。――幽々子様が考えを改めてくれるまで……です」
この戦いにおける、彼女の行動原理を再び口にした。
『私はなんとしてでも、幽々子様には刃を向けません。あなたが私を撃ち落とすというのであれば、私はその弾を全力で斬ります。――幽々子様が、諦めるまで』
この状況に呑みこまれた彼女の、誓いを言葉にする。
「それまでずっと、私に白刃を向けずに、弾をのみこそ斬り続けると?」
「幽々子様が、この戯れに飽くまで」
その答に、幽々子はわずかに返事を遅らせた。
顔色を変える、まではしなかったが、それでもここまでのやり取りよりは気配を帯びている。
彼女は、ふむ、とひとつ零し、
「戯れ、ね…………悪くはない解釈だわ」
何かが感じ入ったようで、そう言って妖夢を見ていた。
妖夢には、その解釈とやらがなんだったのかもわからない。
何か意図があって言った言葉ではないだけに、彼女は幽々子の視線に疑問符を浮かべた顔を返すことしかできなかった。
「でも、惜しいわ。“そう”だけど“そうじゃない”のよ。私の目線はそこを見ているわけではないの。――妖夢。解るかしら?」
視線は逸らさず、吟ずるかのようにサラサラと言葉を紡ぐ。そうして聞こえる言葉さえ、妖夢には意味を伝えてはくれない。
普段からこういう言い回しをする幽々子の言葉を、普段から妖夢は全て理解しているわけではなかった。言っていることのほとんどが理解できていない時もある。
だが彼女は、なんだかわからないままに傍に侍り、共に歩み、隣を飛び、後ろを守った。
それで問題は無かった。しかし――今はそうも言っていられない。
結局妖夢は返事に窮し、濁す声さえ上げられずに、黙っていることしかできない。
「妖夢、あなたはやっぱり、まだまだ未熟ね。この槍衾に、意義を見出せないだなんて」
その幽々子の声だけが、西行妖の前で響いた。
それが彼女のスイッチの真ん中を、強く押し込んでいた。
「――っ!私は……幽々子様じゃありません!言葉にしてくれないと……伝わりませんよ!」
思わず、叫ぶように言ってしまっていた。
自分でも予期せず口から溢れ出したその言葉は、なぜか、まるで泣きそうな声になってしまっている。
だが――そんな彼女と、そんな彼女の言葉を前にしても、幽々子は何も変わらない。
相変わらずに、表情の無い顔を張り付けながら、抑揚の無い声を上げるばかりである。
「言葉は時に冗長よ。無味乾燥に続き、必要の無いことまでも伝えてしまう。……あなたも剣士の端くれだと自負しているのならば、その二刀に想いを乗せて伝えてみなさいな」
妖夢はほとんど泣き出す手前のような顔をしながら、その言葉に導かれるように、自分の愛刀たちへと意識を向けた。
右手に握っている、楼観剣。
身の振りの長い、大刀。その長い刀身に美しい直刃紋が流れている。
その一刀だけで、幽霊十匹分の殺傷力を秘めた刀。
腰に下げている、白楼剣。
細身で反りの低い、脇差。鞘に収まるその身は、燃えるような乱れ刃紋を刻んでいる。
その一刀は、斬ったモノの迷いを断つ。幽霊すら斬れる刀。
共に、幽霊の鍛えた霊刀。剣士たる妖夢の魂のひとつ。
実体と霊体、二つで一つ、そんな彼女の体を現すかのように、彼女はその二本の刀を下げ、その二本の刀を振るってきていた。
だがしかし――彼女は今夜、楼観剣のみを手に、主へと向かっている。
二刀使いである彼女は、今夜は一振りだけを伴に地を走っていた。
それは、彼女の誓いとも繋がる。
妖夢は空いた左手を、そっと白楼剣へと伸ばす。
それを幽々子は黙って見ている。
柄に手が触れ――ずに、彼女は左手を前に戻し、楼観剣を両手で握る。
白楼剣は、幽霊を斬ることができる。――できてしまう。
この刀を、幽々子に向けることだけは、他の何をさしおいても、彼女の心が許さなかった。
「……私に剣先を当てられるつもりでいるだけ、褒めてあげたいくらいよ。妖夢」
幽々子は詰まらなそうに、溜め息を吐く。彼女はそのまま後ろを向き、歩き、距離を取った。
数歩、気づけばそのまま、空を階段のように歩いている。
その後ろ姿を眺め、妖夢は静かに口を開く。
「幽々子様……あなたの考えていることが、私にはわかりません……」
ここまでのやりとりで、わずかに足に力が戻ってきていた。
体の疲れも気持ち程度は回復した。
心はまだ疲れているままだったが、それでも無視して幽々子を見る。
「それでも、ひとつだけ、私にも真実を見抜く方法があります」
楼観剣を握る手に、力を込める。刃こぼれ一つ無い刀身が月の光を美しく反射する。
幽々子は歩みを止め、振り返る。再び宙に陣を取り、地に足つく妖夢へと顔を下げる。
二人の視線が交わる。
緑の瞳と、桜色の瞳。
「真実は、眼では見えない、耳では聞こえない。真実は、斬って知るもの」
「妖忌の言ね。あなたにその意味が正しく伝わってるとは思えないけど」
「すべては斬らなければ始まりません。――斬らなければ、終わることもないのかもしれない」
「的は外したけど、いい答えではあるわ」
「斬って斬って斬った先、剣が真実へと導いてくれるはず……私は、それを信じてみたいと思います」
「……頑固なとこだけは健在ね。妖夢」
妖夢は両手で持った楼観剣を、すぅっと持ち上げ、正眼に構える。
切っ先は真っ直ぐ幽々子へと。
そしてそのまま、深く息を吸い――吐く。
流れるように半身を下げ、構えを変える。
切っ先を下げ、脇に構え、下げた右足が僅かに砂埃を上げる。
「改めまして――――魂魄妖夢、参ります!」
幽々子はまた弾幕を展開させる。
桜色の弾幕。妖樹に再び、弾の花が咲く。
妖夢はそれを見据え、迷い無く、地を蹴った。
【 R-4 】
ドシャッ、と、崩れる音がする。
「大見得切ってから、これで五回目。大言壮語を口にしたのだから、私に辿り着くくらいしてみせなさいな、妖夢」
幽々子は桜の樹を前に、眼下の妖夢へと声を落とす。
弱った草食動物のように這いつくばった彼女は、四肢でどうにか体を起こしていた。
手には楼観剣をしっかりと握っている。まだ意識はしっかりしているようだった。
「えぇ……まだです…………すぐに行きます…………」
体は傷だらけ。痣になっているようなものから、切り傷まで、様々が彼女の肌の見えるところに刻まれている。見えないところにも打撲に擦過傷、おそらく彼女の体は、想像以上に傷だらけだった。
だが、ここまで共に戦ってきた楼観剣に曇りは無い。
霊刀が月光を返して光り――そして、反射光を受けるように彼女の瞳もまだ光っている。
地面を押し返すようにしてフラフラと立ち上がり、妖夢はまた構えを取る。
スタンスを広く。刀身を脇に。
真っ直ぐに、幽々子へと顔を向けて。
空に浮かぶ幽々子は、その光景に、もはや溜め息を漏らすことさえしなかった。
「……死符『酔人の生、死の夢幻』」
妖夢の視線を受け、彼女はためらうことなくスペルカードを宣誓した。
ここまでほとんど間断無く術を行使し続けていたが、亡霊の姫に疲労の色は見えない。
青い弾が広がる。
弾幕らしい弾幕が全方位へと射出され、妖夢の場所を問わず、辺りを縦横無尽に埋めてゆく。
弾速自体は速いものではなかったが、それでも単純な物量がそれだけで脅威であった。
妖夢は、それを真っ直ぐに見据え、大きく息を吸い――そして吐く。
握る楼観剣を、さらに強く。
弾幕が彼女へと届いた。
弾の海に呑まれ、妖夢はその中を疾る。
右に左に、時には屈み、飛んだ。
ボロボロの体に鞭を打ち、足の裏に伝わる大地の存在に気を張り、目の前の弾を掻き分ける。
完全に回避するのは厳しく、彼女の服の端をしたたかに吹き飛ばし、肌を擦ってゆく。
すでにここまで何度も味わった感覚、熱いような痛いような刺激が奔る。
――まだ…………もう少し…………
「重ねて――――」
絶えない弾音の中に、響く霊の声。
「亡郷『亡我郷 -自尽-』」
スペルカードの二重詠唱。すでに展開されている弾幕に、別の弾が重なる。
幽々子は宣誓とともに、扇子を持った手を突き出す。
それに呼応するかのように、彼女の右からは弾が列を作って飛び、彼女の左からは光がレーザーのようになり、正面へと薙いでゆく。
回避を選ぶのならば、弾幕群へと向かわなければならない。
レーザー光は間断無く、行けば躱すことはできない。
だが――すでに宣誓され、展開されている弾幕が、それを許さなかった。
濃密な弾幕の中を避けていると、次第に左に誘導されていた。わずかな隙間が、意図的にそちらにだけ空けられていたのだ。
正面に据えていたはずの幽々子が、ずいぶんと右にいる。
上空に浮かぶ彼女が動いたのではなく、自分が寄せられていたことに気づいた時には――すでにレーザーはそこまで迫っていた。
――まだ…………いや…………
一瞬、逡巡する。
左から襲うレーザー。目の前を飛ぶ青い弾。右から流れる弾の列。
それらを全て視界に収め、迷う。
「――迷いは足を止める」
その時、不意に――――
「足が止まれば眼が止まる。眼が止まれば剣が止まる」
なぜか頭の中に、幽々子の声が響いた。
「剣が止まれば、物は斬れない。真実へは辿り着けない」
それは本当に彼女が発した声なのか、ただ頭の中で鳴っているだけなのか、妖夢にはわからない。
だが――――
「迷っちゃだめよ……妖夢」
――――っ!ここだっ!!
右目の端に、答えを見出す。
ほとんど一瞬の間に、彼女は選択を下す。
選択とは、常に決意と同義だ。彼女はここに、決意を賭ける――。
ズジャッ、と足元の砂が鳴る。
大地を踏みしめる。
わずかな隙間に、わずかな呼吸を合わせる。
そして駆け――叫んだ。
「人符っ!『現世斬』っ!!」
声が聞こえた時、すでに彼女は駆け抜けた後。
それまでいた場所から、ひと息に右に駆け抜ける。
幽々子の視点からすれば、ほとんど一瞬のうちに妖夢が一文字を描き、移動していた。
弾幕を、悉く掻い潜って。
幽々子の弾の、弾と弾と弾の間の僅かな隙間に身を滑らせ、彼女は一閃を払っていた。
真横に一直線にできた弾の道を、彼女は駆けたのだ。
ほとんど奇跡的なタイミングを見極め、地を走り、移動した間にあった弾たちを、みな斬り払った。
レーザーから身を離し、青い弾を斬り、列をなす弾たちを吹き飛ばす。
だがまだ、妖夢を狙う弾幕は終わっていない。
地面に近い弾たちのみを斬ったにすぎず、彼女のいる安全地帯は、すぐにまた弾の海に呑まれるだろう。
そして状況はまた変わらず、窮地はまた訪れる。
それは、妖夢にも解っていた。
「重ねて――――」
一瞬の静寂の中に響く、半分霊の声。残りの半分は人間の、彼女の声。
残心をとりながら、剣閃残る彼女の背後に言葉を送る。
「餓王剣……『餓鬼十王の報い』!」
剣閃を払い、彼女が疾った跡――切り開かれた空間、楼観剣の通った跡をなぞるように、そこからは弾が溢れ出していた。
剣戟の跡から地に咲くように吹き出す弾たちは、落下する幽々子の弾と相対し、それぞれに打ち消し、打ち消されてゆく。
弾幕同士が宙で弾ける音が響く。
消え、消され、爆ぜ、爆ぜられる。
地に足着く妖夢に、空に浮き眺む幽々子に、弾はまったく届いていない。
妖夢が次の動作を取る前に、幽々子が口を開く。
「蝶符『鳳蝶紋の死槍』」
自身の左右に魔力を充填し、一息に放つ。
蝶のように羽撃き、燐粉を散らすように弾を生み、弾丸のような速度で二筋の光の塊が妖夢へと飛来する。
弾幕同士が弾ける中を、二本の死槍が突っ切る。
妖夢へとピンポイントに、互いに角度をつけながら挟み込むようにして飛ぶ。
そして――剣閃が煌いた。
「幽霊の鍛えたこの楼観剣に……斬れないものなど、無いっ!」
二つのレーザー光を一刀にて両断する。
魔力の塊だろうと、光の筋だろうと、白刃が届けば、それは全てを斬り裂く。
一瞬、空気そのものまで切り裂いたかのように、わずかに時間がスローになる感覚が奔る。
その刹那に、妖夢の声が飛び込んでいた。
「獄神剣っ!『業風神閃斬』っ!」
二つに斬り分けた幽々子の魔力弾が、わずかに蠢く。
宙で止まり、二つ――そしていくつかのただの魔力の塊に分かれる。
それは、すでに妖夢のものだった。
斬り伏せた弾を隷属させ、彼女の弾幕とする。
それらは大雑把な弾のカタチをとり、踵を返して幽々子の元へと返ってゆく。
幽々子は顔色も変えず、その弾たちを展開したままの『鳳蝶紋の死槍』で貫き、迎撃した。
だが、大事なことは彼女の顔色ではなく、ある一つの事実。
ついに――こうして彼女の懐に、弾が届いていたのだ。
妖夢は変わらず、地に足を着けている。
脇構えに携えていた楼観剣を、眼前に掲げる。
そしてそのまま、自分の半身に意識を送る。自分自身であり、もう一人の自分である半霊が、頷いたような気がした。
「行こう――魂魄……『幽明求聞持聡明の法』」
声をかけ、スペルを呼ぶ。半霊が飛ぶ。回り――着地した。
自分の半身が、今の自分とまったく同じ姿を作り出していた。
手に掲げる楼観剣も、その瞳も、髪も、傷ついた体も、寸分違わず同じもの。
模しただけのその姿は、少し透けている。
その姿を、幽々子も見ていた。妖夢が時間稼ぎに使っていた弾幕は、全て停止している。
幽々子もこれまでの弾幕を全て止める。魔力供給を断ち、弾が薄くなってゆく。
そうして新しい弾を生む姿勢に入る。
幽々子は両手を上げる。
背後には西行妖。実も葉もつけぬ枯れた妖樹が、ぼんやりと光る。
その光が、同じ名を持つ彼女から放たれていることを、妖夢は解っていた。
「『西行寺……無余涅槃』」
まずは光が溢れるように、レーザーが飛ぶ。どこを狙っているわけでもない、全方位へと射撃。
そして弾が放たれる。紅、白、青、桜、見目麗しやかな弾が、凛然と舞う。
その弾幕は、ただただ、美しかった。
弾が舞い、逸れた弾が土を弾く。
妖夢の目の前を飛び、風を切る音が耳に響く。弾が肌を擦り、熱い痛みが奔る。
妖夢と、妖夢の姿をした半霊は、同時に左右へと飛んだ。
少しの距離を二人で取り、ともに幽々子を見据え、刀を納める。
腰に下げる黒い鞘に、静かに剣を収める。カチン、という音が二つ。
刀を体で隠すほどに身を捩り、両足に力を溜める。
意識を集中する。
頭の中をクリアに――白刃へと気を通わす。
幽々子の弾幕は、未だ烈火のように飛んでいる。
だが今の妖夢には、全てがスローだった。
「人鬼――――」
静かに、同時に、口を開く。半霊は口を開いただけで喋らない。
顔を上げる。
スペルを宣誓し、地を蹴る。
天狗の目すら置き去りにする、神速の居合いで空へと駆ける――。
「『未来永劫斬』っ!!」
宣誓した声も置き去りに、彼女たちは地を蹴り、弾へと飛び込んだ。
弾がよぎる。
剣閃にて、眼前の全てを薙ぎ払う。遅れて響く斬撃音がこだまし、未だ残る弾幕を斬る。
彼女が斬ったのは、弾ではなく“弾幕”。
その事象自体を二つに裂くかのように、幽々子の弾幕は大きく四つに裁断されていた。
弾幕を斬り、斬撃を残し、そして――瞬く間。
妖夢は、彼女の傍に辿り着いていた。
空中でクロスするようにして、妖夢と半霊は幽々子の傍まで駆け抜けている。
共に彼女のすぐ近く。残心を取り僅かな間。主を中心に線対称。
眼下の中空では、今だ弾幕が展開されている。
剣閃鋭く、斬り裂かれたことに未だに気づかないかのように、弾幕はわずかに止まっている。
そして、それが動き出すまでの一瞬。
それだけの間に、全ての決着が着く。
妖夢は、一瞬止まった体を再び動かす。
瞳の光が、銀の髪が、緑の服が、揺れる。
弾に隔てられていた彼女の顔をすぐ近くに、妖夢は体を翻し、剣を向ける。
キィン――と、楼観剣が哭いた。
自分とまったく同じ動きをトレースしていた半霊も同じように、幽々子へと剣を向けていた。
幽々子を中心に線対称。今幽々子には、二本の楼観剣が突きつけられていた。
だが、すぐに半霊は元の姿を取り戻す。
ボゥン、と音を立てて変化を解き、霊体の体に還ると、フヨフヨと妖夢の隣へと戻ってゆく。
妖夢の右手に持つ楼観剣は、幽々子の顔のすぐ横に据えられていた。
桜の花びらが舞った。
季節はずれの冥界に、あるはずのない桜の花びらは、確かに彼女たちの傍を飛んでいた。
眼下の弾幕たちは、いつの間にか、かけらも残ってはいなかった。
「……その右手に持つのが白楼なら――いや、それでも意味はないわね」
自らを真っ直ぐに見る妖夢へと、幽々子は静かに口を開く。
「鞘中にありては、名刀も鈍。それじゃあ何も斬れないわよ、妖夢」
眼の端に浮かぶ霊刀を、見るでもなく眺める。
その白刃は、黒漆の鞘に収められたままだった。
艶よく輝くその黒い鞘が、月の光を受けて鈍く照っている。
「この刀は、やはり名刀ですよ。弾を斬り、未熟な私をあなたへと導いてくれました」
剣を下げることもせず、幽々子へと返す。
「言葉を返すようですが――幽々子様はなぜその手を止めたのですか?」
じっ、と見据える。
その胸元に、彼女の扇子が突きつけられていた。
「まるでやられたいような言い草ね」
「そんなことはありませんが、幽々子様がそう望むのならば、受けましょう」
静かに決意を口にする。
彼女が選び、決断した、彼女なりの決意のカタチ。
「ここであなたに墜とされたとして、私は必ず立ち上がって、またこの状況を目指すだけです。――あなたが、それを辞めるまで、永劫でも続けましょう」
人知れず、楼観剣を握る手に力が込もった。
『言葉は、時に冗長よ』
『その二刀に、想いを乗せて伝えてみなさいな』
幽々子の言葉を思い出す。
自分の言葉に力が無いのは、ここまでで充分に悟らされた。
あとはその刀に想いを乗せるしか方法が無いとするならば――鞘に収まったままのこの楼観剣の姿が、彼女の答えだった。
斬って斬って斬った先、剣が真実へと導いてくれることを信じ、彼女は変わらぬ決意を示す。
そうして暫時――沈黙が流れる。
あれほど広がっていた弾幕も、全てが消え、残滓のひとつも舞ってはいない。
巨大な妖樹が視界に映る。全てを死に誘う桜。西行妖。
妖夢の視界の端を、また桜の花びらが舞った気がした。
「…………まさか根負けするとはねぇ。あなたのその頑固さは妖忌譲りかしら」
幽々子が、静かに腕を下ろした。
突きつけられた扇子が胸先から離れ、そのまま幽々子の口許へと向かう。
「ゆゆ……こ……様…………」
半ば茫然自失としながら、妖夢はその様子を眺めていた。口から出る、自らの主の名前だけが、今の彼女の真実だった。
その視線の先、亡霊の姫は、くすりと鼻だけで笑ってみせていた。
「これ以上やっても、繰り返しになっちゃうわ。ここは私の負け。ひとまず……お疲れ様」
扇子を口許で広げる。
顔の半分は隠されていたが、それでも、妖夢には解っていた。
自分の口から出る名前だけが真実だった彼女が、妖夢の目の前に姿を成している。
今夜を通して、その姿を見たのは初めての気さえする。
だが、それこそが、妖夢が求めていたもの。
彼女が、最も愛しているもの。
ここまで必死になって追い求めていた、いつもの幽々子の笑顔が、そこに――――
剣を持つ手から力が抜けていくのがわかる。
険しくしていた顔にも、もう力が入れられない。
声を張る余力も無い。
毅然とした態度を取っていたいが、それももう無理だ。
「ゆ、ゆゆこさまぁ~…………」
ぐしゃぐしゃに顔を歪ませて、思わず涙を流しているのが、自分でもわかった。
そんなみっともない自分の顔を見て、目の前の幽々子がふんわりと笑ってくれていた。
そこまでを感じているうちに、不意に、意識が体から離れていくのを感じた。
※
目が覚めたとき、体が悲鳴を上げていた。
ほとんどやせ我慢で動かしていた体は、中に溜めていたものを全て吐き出してしまったように動かない。
立ち上がろうにも起き上がろうにも、億劫さが全身から湧き上がってくる。ぼんやりと働かせる頭でさえ、かつてのクリアさは感じられない。今はひたすら倦怠感があるばかりである。
ぼんやりと見上げた先の視界には、一面の夜空。月。そして枯れ木の枝。
背中に感じる冷たい土の感触からも、彼女が西行妖の下で仰向けになっていることがわかった。
だがわからないのが、そんな自分の頭だけは、妙に柔らかいものの上に寝ている。
それがなんなのか……考えてはみたが、頭がどうもしゃっきりと働きださない。スイッチが入っていない感じなのだ。
結局ぼんやりと視線の先を眺め、そして、地面よりも温かみを感じるそれの正体に自力で気づく前に、頭の上から声が降ってきていた。
「やっと起きたわねぇ。ウチの庭師は寝惚助でいけないわ」
覗き込む、上下逆さまの顔。
桜色の髪が揺れ、桜色の瞳が、まるで桜の花のように笑っている。
それだけで、彼女の中で半端に押し込まれていただけのスイッチは、きっちりオンになった。
「ゆ、幽々子さまっ!?」
「あ、ちょっと~暴れちゃダメよ。膝が痛いわ」
「って、わわわ!い、いいですって、申し訳ないです!」
自分が寝ているのが、幽々子の膝枕の上だということに気づき、妖夢は思わず起き上がろうとし――力の入らない体と、頭の上の幽々子の手で押し留められてしまった。
「どうせ起き上がれないでしょうに。とりあえず寝てなさい」
「…………はい……」
顔を紅くし、不承不承に返事をする。彼女なりに、一生の不覚だった。
「ねぇ、妖夢」
「はい……」
「あなたって、やっぱり未熟よね」
「う……面目次第もございません…………」
――そりゃそうだ。戦いに疲れて、こうして主の膝枕に甘んじているんだもの…………うぅ。
赤面しながら、思わず泣きそうに答えた。
だが――それも妖夢の望んでいたものだった。
冷たく、無機質な主の声は、やはりどうしても彼女には恐ろしかった。
自分の知らない幽々子の顔が、どうしようもなく寂しかった。
そう考えると、今自分の頭の上で意地悪に微笑んでいる彼女は――弾を斬り求めた、妖夢の真実そのものだった。
「あの…………幽々子様。なんでこんなことをしたんですか?」
思わずに尋ねる。
「そりゃもちろん。未熟なあなたを見かねて、よ。私の従者だけ、いっつも“未熟だ~、未熟だ~”って言われちゃうんだもの。……まぁその通りなんだけどねぇ~」
――聞かなきゃよかった。泣きたい。
「で、ちょうどいい機会だからね。私が直々に鍛えてあげようと思ったのよう。できるだけ本気で、殺すくらいの方が効果があると思ってねぇ」
――いや、本当に死ぬかと思いましたけどね。
「これは紫の“暇つぶし”。あなたは私の傍にいるばかりであんまり戦ってないし。戯れは、そこに混ざってこそ楽しいのに」
――いや、何を言ってるのか、ちょっと私には…………。
そこまでを一息に語り、幽々子は次の言葉まで、一拍間を置いた。
「……ねぇ、妖夢」
目を細め、膝の上にある従者へと、視線を落とす。
その顔は、まるで――。
「私は友人の物欲しげな目を無視してまであなたの相手をしたのよ。……どう?楽しかった?」
そう言って、幽々子はにこやかに笑っていた。
結局妖夢には、言っていることのほとんどはわからないままだったが――それでも良かった。
なぜなら、彼女にはひとつ、確信があったのだ。
今自分に向けられているその笑顔、それと同じくらい幸せそうな顔を、自分も返せているはずだった。
――言葉は冗長、ね。
頭に浮かぶ彼女の言葉。
自分の主人は、やっぱり間違ったことは言わないのだと、つくづくに思う。
目の前の桜のような笑顔だけで、言葉は必要無かったのだから。
「…………はい」
妖夢は瞳を閉じ、満足そうにそう返した。
頭に当たる柔らかさを、一心に感じながら。
「楽しかったのなら良かったわ~。じゃあ休憩したらまた始めましょう」
「はい…………って、いや…………え?」
「まだ時間はあるわ。でもそれは矢よりも速い。明ける前にまだまだ修行が必要よ」
「えぇぇぇぇぇっ!?ま、またさっきまでみたいなことをするんですか!?」
「当然ね。だって――――」
ふふっ、と零す声がする。
「あなたは、まだ未熟だからね。妖夢」
そう言って、彼女は笑っていた。
the last day's card is present.
Y.-A.P. M.-I. S.-M.
next person of leisure... ... Y.-A.P. 【 S 】
「あなたたちは私のことを嫌ってくれているみたいだけど、私はあなたたちのことを気に入ってるのよ?」
「アリス。手っ取り早くまた紫に辿り着きたいと思わない?」
「たまには私が前線で、っていうのもアリかもね」
to be next resource ...
神霊廟の体験版をやる前にこの作品を読んでたなら違和感はなかったでしょうが、神霊廟一面で普通にみょんはゆゆ様躊躇い無くバトってましたし、ね。
何はともあれ、これからも頑張って下さい。期待して待ってます。
でもまあ、妖夢の剣で斬ったら幽々子死んじゃうかなあ。流石に謀反どころの騒ぎじゃなくなってしまう。
個人的には美鈴と衣玖の対決が気になるところ。
あとコメレスになってしまいますが、
>> 4
シリーズ二作目の後書きに書いてありますが、この作品は緋想天と地霊殿の間の出来事なので、地霊殿以降の設定は反映されていませんよ。
っていうかそもそも緋想天でバトっちゃってるから、確かに刃向かうのを戸惑うのはおかしかったかもしれんですね……。
コメレスもありがとうございます!覚えてくれている人がいただけで濡れますわぁ。
ゆゆ様に成仏されても困っちゃうので、灰色決着でした。
早くヤンデレ衣玖さんまで行きたいなー