[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 Q-2 Q-3 Q-4
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【 P-2 】
「藍さまー。えっくす2458、わい7965、ぜっと1678、おっけーですー」
「ありがとう橙。これで一通りは周り終わったところかな」
暗い夜、明るい星の下、二人の式神は雲より高いその場所に立っていた。
二人で足して十一本にもなる尻尾たちが、高高空の夜空の中で揺れている。眼下に望む妖怪の山さえも、すでに小さな黒い塊にしか見えないほどの高さのそこからは、幻想郷が一望できた。
吹く風は高度のせいで、夏とは思えないくらいに冷たかった。
「夕方から動きずくめとは言え、終わりましたねー」
「幻想郷を、ほとんど全部回ったようなものだったからね。でも、これを紫様や博麗の巫女は一人で全部やってたんだよ」
「うひゃあ……」
橙は驚いているとも呆れているともとれる声を上げ、肩を下げていた。一緒に二本に分かれた尻尾も下がる。その様子は、どちらかと言えば呆れているに分類されるだろうが、藍はそのことで橙を咎めたりはしなかった。
紫の式である藍としては、そこは驚くでも呆れるでもなく、感嘆の声を上げてもらいたかったところではあるが、この作業の途方の無さを考えれば、橙のこのリアクションもあながち間違ってはいないということもよくわかっていた。
彼女たちが今メンテナンスをしている“結界”のポイントは四ヶ所。紅魔館、妖怪の山、白玉楼、永遠亭、である。
しかし、そのどれも基点から広範囲に渡って展開しているものだ。妖怪の山、なんて地理的なものは当然、紅魔館、永遠亭、といった建造物も、そこを中心として広くに渡ってこの“結界”は敷かれている。
半径数キロという広い範囲に渡って……そう、事前の説明では公表しているが、実際は違う。
半径数十キロ、という一つ上の桁の範囲で、この結界は敷かれていた。
公示した数値が小さいのは意図的なものだ。元から大きめに公表しておくと、誰がどこで何を始めるかわかったものではない。
“戦闘地点の限定”という意味がこの結界にある以上、数十キロという広範囲では、ほとんど意味が無くなってしまう。
それでもどこかでルール無視のままに戦闘を始める者が出てくるであろうことも、想定の範囲内だ。
特にこの三日目。すでにイベントが終わりの段階に入っている以上、もう何をしても関係無いと考える者が出てくるであろうタイミングである。
そういう無作法者が、勝手に暴れ、勝手に死なないように、紫はこうして広範囲に渡る“安全圏”を形成したのである。
――しかしなぁ。
さすがの藍も、その広範囲の結界を修繕して回る作業には、そろそろ疲れてきていた。もちろん、弱音を吐くほどではないが、頭が痛くなるのは事実である。
なにせ夕方から始めて、やっと一回り。これを一晩中続け、適宜ほつれのある箇所のメンテナンスを行わなければならない。
藍自身が結界術を扱うことができるわけではない。もちろん、橙も。そのためもあり、二人で回ったとしても一ヶ所にかかる手間は大きい。紫からの指示を受けているとはいえ、そればかりはどうしようもない。
彼女は知らない。
今自分たちが行っている作業というのは、紫や霊夢が行っていた、補修・調整、というだけでなく、その効果を“強化”する意味を含んでいるということに。
渡された符による施術式にそういった力があることに、結界術について明るくない藍は気づかない――気づいたとしても、それに対して異議を唱える術を知らない。
彼女はただ、言われた通りを間違いなく遂行しているだけなのだから。
不意に、隣にいる橙が疲れた顔をしているのがわかった。
藍は、おもむろに、頭一つ小さい彼女の帽子の上に、そっと手を置く。
「お疲れさま、橙。私一人じゃいつまで経っても終わらないところだったよ」
そう言いながら、帽子越しに頭を撫でる。橙はそれを上目遣いで見上げ、心地良さそうに耳を動かす。
「にゃー……」という気の抜けた声が漏れる。
垂れ下がっていた二本の尻尾も、いつの間にかフヨフヨと揺れていた。
「さ、また一仕事だ。手伝ってくれるね?」
「はいっ!やりますよっ!」
しっかりと元気になってくれた自分の式神を愛おしそうに眺め、藍は満足そうに頷いた。
藍はふと、眼下にある妖怪の山を見下ろした。
黒く、暗い、妖怪の山は、そこにあると意識していないと見落とすほど、大地の暗さに溶け込んでいる。
ぽつねんとするその黒山の中に、今も戦っている者たちがいる……藍たちのいる、雲より高いその場所まで、炸裂音が響くようなことはない。
しかし、それでも。
間違いなく、そこでは誰かが戦っているのだろう。
そして藍は顔を上げ、橙を連れて次の地点へと向かい出した。
眼下で戦う彼女たち――それは、すでに彼女の頭には無い。
主からの命令を遂行するため、彼女はこうして、夜の幻想郷を巡る――――。
※
石つぶてが飛び散る。
水飛沫のように、その粒を宙に舞わせている。
その中に立つ彼女は、まるで踊るかのような姿でそこにいた。
飛沫すらもその身に触れさせないような排他的なまでの優雅さで、風見幽香は、迫る危機を全身で享受していた。
「行っ……けぇぇっ!」
天子が右手を振り上げる。
それに応じるかのように、彼女のすぐそばの地面がゴッソリ抉れ、一塊の岩が四つ、彼女の傍に浮き上がった。
それは浮遊すると同時に、高速で回転を始める。
回転に研磨されるように、みるみる内にドリルのように形成されてゆく岩塊は、荒削りな造型そのままに、天子の下を飛び出してゆく。
先端を鋭く尖らせた重厚なミサイルは、敵を貫くことを待ちわびていたかのように勢いよく襲い掛かる。
ドリル状になっていることなどオマケに過ぎない。回転し、高速で飛来するこの質量の物体それ自体がすでに、威力としては充分過ぎるだろう。
しかも魔力で硬質化させてあるこの岩は、すでに石つぶてなんて可愛らしいものには分類できなくなっている。
四つの岩塊が幽香を狙う。
微妙に角度をつけ、時間差をつけ、それぞれに殺到する岩は、全てを一度に避けることも難しい。
そんな大質量の弾のプレッシャーなど微塵も感じていないかのように、幽香はあくまで、平然とした表情のままだった。
チラリという程度の目線の動きだけをその岩塊たちに送り、彼女はおもむろに、その先頭を走る弾を躱した。
それはまさに“フワリ”という擬音が相応しい身のこなしであり、彼女のその動きだけを切り取ることができるなら、それは間違いなく、こうした鉄火場にはそぐわない優雅さを帯びていた。
翻るスカートにすら触れることもできずに、先駆けた弾が虚空を切る。
そしてほとんど時間差無く、幽香が避けた先に岩が飛来していた。
彼女はそれを目にし、頭に描いていた通り、左手に持つ傘をおもむろに振り下ろし、叩き壊した。
ゴガッ、という鈍い音は当然、砕かれた岩から鳴るものだった。
魔力で補強をしてあるその傘は、レミリアの爪を受け止めるほどの代物である。回転を加えた岩塊と、粘土で作られた泥玉との区別などない。
その一息で破壊した岩は、二つ。最初に岩を砕いた流れそのままに、ついでにもう一発が砂に還っている。残ったもう一つは避けるまでもなく勝手にどこかへ飛んでいってしまった。
幽香の動きは決して早くない。しかし、緩やかに流れるようなその動きは、弾幕の要諦を鋭く見抜く“目”が無いとなしえない。
必要最低限のモーションを無意識に処理する頭脳、潰されればただでは済まない岩塊を前に怯まない度胸――彼女は、おおよそ戦闘に必要な全てを持っていた。
だが、そんな彼女でも、迫る岩とは別に飛んでくる黄色い“何か”に気づくのは、少し遅れた。
真正面から飛来した岩塊たちとは違う方向、幽香の右側から飛び掛ってくるその棒状の何かは、横薙ぎに回転しながら、まるでブーメランのような動きで彼女へと向かってくる。
時折どこかからの光を反射しているかのように、紅い光を鈍く滲ませていた。
視界の端から飛んでくるその物体、それが先ほどまで天人が持っていたあの剣だということに、幽香は咄嗟に思い至る。――ならあの天人は?
だが、そんな疑問を解決する前に、ヒュンヒュンと風を切る緋想の剣はもう彼女に手が届くところまで来ていた。
幽香はひとまずの疑問を後回しに、迫る物体への対処を瞬間的に判断すると、体を大きく後退させ、回避を選択した。
傘を持つ側とは反対から飛んでくる剣を弾くよりは、避ける方が早く、確実だ。
「まだまだぁ!!」
横回転のまま飛んでくる緋想の剣が幽香の前を通り過ぎるのとほぼ同時、その剣の持ち主である、天子の声が響く。
その方向は――真上。幽香は思わず声の方へと視線を上げる。
上も下も無く、宙にうつ伏せになるように浮かび、幽香へと体を向ける天子の胸の前には、人の頭ほどの岩が浮かんでいた。
粗雑に使い捨てにされたさっきまでの岩塊と違い、なぜかそれには、ぐるりと一周、注連縄が巻かれている。
それだけを瞬時に確認するころには、その岩が紅く発光を始めていた。
気質の色、それを萃めるかのように輝き――放出する。
まるでレーザー光のように形を成し、紅い光線が数本降り注ぐ。すぐ頭の上、目と鼻の先程度しか距離の空いていない場所、それは射撃武器からすれば、ゼロ距離と同じことだった。
そんなゼロ距離射撃を前に、幽香の脳裏に様々な言葉が浮かぶ。
速度差無く飛んでくる魔力光。破壊はできない。貫通力は高そう。速度も充分。黙って喰らえば、それなりの被害が出る。
そして、浮かぶ言葉たちよりも早く、彼女は決断を下していた。
幽香はその場から飛び出すようにして、大きく後方へと下がる。足首の返しだけで軽やかに元いた場所から後退する。
その咄嗟の判断により、すんでのところでレーザーの直撃も避けることに成功していた。高い判断能力と、それに身を任せることができる彼女でなければ、こうはいかない。
だがそれでも、レーザーが抉る地面が炸裂するのまでは避け切れなかった。
着弾し、その威力に押されるようにして弾ける石つぶてや砂塵が、盛大に彼女へと飛び掛る。
大地の爆発圏外まで身を引けなかった幽香は、土煙の中で小石たちの襲撃をその身にまばらに受けていた。
もちろんそれら単体などさしたる痛みはなかったが、それが却って彼女には腹立たしかった。
「鬱陶しいわね……」
彼女は飛び退きながらも砂煙の中へと目をやる。
景気よく振りまかれているおかげで遠くまでは見通せないが、その中にどうにか青い髪の少女の姿を認めた。
後退する動きの中で幽香はそれを確認すると、着地し、その足で前へと飛び出した。
砂煙の中で相手を見失っている、愚かな天人に一撃を見舞おうと。
天子は追撃を送ろうと思ったのか、幽香のいた辺りに僅かに浮いているだけだった。空を蹴って離脱する様子もない。それどころか、幽香の場所を把握できているか怪しいほどだった。
幽香はその人影を目がけ、大地を奔り、砂塵を切り開き、一息に天子の目の前へと躍り出る。
目晦ましになっていた砂煙も薄く、すでにそこは射程圏内。
天子の表情まで見える距離――そこで幽香は気づいた。
今や窮地にいるはずの天子が、薄く笑みを湛えていることに。
「飛び込んできてくれてありがとう!」
その声が聞こえるのとほぼ同時に、幽香の耳にはもうひとつの音が届いた。
ヒュンヒュンと風を切る音――本当についさっき、どこかで聞いた音。
天子の真横、つまり幽香から見てもほぼ真横。
風を切り、煙を斬り、横回転を続ける緋想の剣が乱入してくる。
思わず幽香は目を見張った。
ブーメランのような動きをしているだけで、本当にブーメランのように返ってくるなどとは、まさか予期していなかった。
幽香は表情には出さず、内心だけで少し後悔した。
――さすがに、ちょっと迂闊だったか。
おかえり、と小さく囁き、天子は自らの許へと忠実に帰ってくる緋想の剣を片手で受け止める。パシンッと気持ちの良い音を響かせ、彼女の手元に収まっている。
そのまま、ニッ、と口許を歪めると、手にした剣を器用に逆手に持ち替えた。
そして――手元に帰ってきたばかりの緋想の剣を地面に投げつける。
帰ってきてすぐに投擲されることに文句も言わず、緋想の剣は地面に刺さり、それと同時に、彼女は彼女の力を高らかに宣誓する。
「地符!『不譲土壌の剣』!!」
刺さった剣を中心にし、大地が隆起した。
まるで波打つようにして岩肌がめくりあがってゆく。
そのたびに岩と岩が擦れ合う、ガガッガガッ!という鈍い音が響く。
天子の目前まで来ていた幽香は、その岩波をもろに一枚目から受けていた。
もちろん、咄嗟のガードは間に合っていた。だがそれでも、彼女がその身に攻撃を受けていることに変わりはない。
彼女は波に呑まれるように、隆起し続ける岩を体に受け止め、そして波にさらわれるようにその場から押し下げられてゆく。
数枚目の波が立ち、そこで大地の隆起が止まり、幽香は大きく弾き出された。
勢いよく宙に放り出され、数メートルほど吹き飛ぶと、どうにか地面に足をつけることができた。そこでやっと、彼女に自由が帰ってくる。
その代償に、服はボロボロになってしまっていた。
中身のダメージは、ぱっと見ではわからない。
距離が広がったことを確認し、天子は地面に足を着けると、真っ直ぐに大地へと突き刺さっている緋想の剣を回収した。
刺さったままに、ぼんやりと光っている。
彼女たちが戦っている空の下は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。
今が昼ならば、そこには透き通るような“蒼天”が広がっていただろう――――。
「ふぅ……こんなもんかしら?」
地面に刺さる剣を片手で引っこ抜きながら、天子は幽香の方を流し見た。
幽香はしっかりと地に足を着き、両腕でのガードをすでに解いていた。片手には傘、そして空いた片手でせっせとスカートの砂を払っている。
「やってくれるじゃない。お洋服がボロボロになっちゃったわ」
溜め息混じりに眉根を寄せる彼女は、一見してはそう大きなダメージを負ってはいないようだった。だが、そのことに天子は落胆の色はない。
――なんにせよ、押してるのは私だしね。
「服だけで済んで良かったじゃない。時間ならあげるから、立ってることに喜んでもらってもいいわよ」
ふふっ、と小さく笑みを零し、天子は満足そうに言った。
確かに、あの“風見幽香”を前にして、これほどの優位を保っていられている者は稀有だろう。
幽香の風評についても事前知識として知っていた天子が、自らの力に自信を持つのもわからないではない。
「あらあら、随分調子に乗せちゃったかしらね。なんだか申し訳ないわ」
「言ってなさい。言ってる間くらいは黙って聞いてあげるから」
幽香の声にも怯まず、天子は意気軒昂に剣をひと薙ぎした。
そもそもが誰と相対してもそうだが、彼女は常に負けることなど微塵も考えてはいない顔で、戦場に立っていた。
傲慢と自信、そしてこの異変の初日に知った敗北と無力感。
それらを踏まえた上で、彼女は変わらずに、傲岸不遜な顔でいた。
「あら、お優しいことで。――ふふ、あなたがそんな調子なら、私も楽しくなってくるわ」
強気に滾る天子を眺めて、幽香はつられるようにして微笑む。
「でも、私が思ってたよりは時間が潰せそうでよかったわ。もう最後でしょうし、ゆっくりと楽しませてもらおうかしら」
「妖怪風情に時間はかからないわ。でも……そうね、お望みとあらばゆっくり戦ってあげないこともないわよ?」
「ふふ……いいわ、その天狗になっている感じ。これからちゃあんと泣かしてあげるまで、あなたはずっと強気でいてね」
幽香が弾幕を展開させる。
ひと間のやり取りを挟み、彼女たちの戦いはまだ続く。
【 P-3 】
黒い空に浮かぶ白い月。
それを背景に、天子は妖怪の山、瓦礫の上に立つ。
思い返してみれば――こうして下界から月を眺めるのは、とても久しぶりのことだった。それこそ、何百年と昔の記憶。
だがその当時の彼女は箱入り娘だ。こうして夜の山の中から月を見上げるなんて経験は、当然初めてであった。
さらに言えば、三日間の無断外泊も初めての体験である。こちらは完全に、まったくやったことがない。不良天人、などと言われながらも、彼女の育ちはそれなりに良いのだ。
――これはさすがに…………帰ったら怒られるかも。……衣玖連れてってなんとかしてもらおう。
突き出した岩山の一番上で、ぼんやりと月を眺める。
改めて地上から眺める月は、天上から見るものと同じようで、どこか違う気もした。
「変な子ね。そんなにお月様が珍しいかしら」
不意に眼下から声がした。
声と一緒に、ガラガラン、と小石が転がり落ちる音もする。
視線を下げたその先、大きな岩を足蹴にしながら、幽香が見上げていた。
「まぁね。それなりに珍しいわ。あんまり夜遊びってしたことないのよ」
足元にいる妖怪は、忌々しそうにスカートの土埃を払っているところだった。一見して体へのダメージらしいものはどこにもない。
もう数合――かなりの数を繰り返しているが、依然として天子の目の前にいる彼女はケロリとした顔のままだった。
カラン、とどこかでまた小石が転がる音がする。
天子が無作為に突き上げさせた大地は、隆起し、崩れ、突き出し、壊され、を繰り返していたせいで、元の地面よりもはるかに足場を悪くしていた。
元々、昨晩に吸血鬼の少女が暴れ回った場所である。今夜の分が始まる前からすでに荒涼とはしていた。
さらにそこに、まるで渓流沿いのように大きな岩がゴロゴロと転がり、それらが積み重なった一番上に、天子が陣取っている。そこは小高い岩山のようにも見えた。
「あら、夜遊びは健康に良くないわ。女の子なら太陽の光を浴びましょう」
「今まで太陽を近くで見すぎてきたからお腹一杯よ。今は夜遊びが面白いお年頃なの」
岩に突き立てている緋想の剣も、同じことを思っているはずだ。
――まだまだ、夜はこれから、ってね。
「不良娘ねぇ。親御さんの顔が見てみたいわ」
「う゛っ…………」
呆れたような幽香の声に、思わず言葉に詰まってしまう。
不意に思い出した父親の顔が頭をよぎった。よぎるとともに、場面が思い浮かぶ。
家に帰った自分。顔を真っ赤にし、青筋奔らせる父。正座して怒られるところまでが簡単に想像できた。
緋想の剣の無断拝借に、三日間の無断外泊。
不良天人の肩書きに、“不良娘”が追加され、きっとそのことでも大いに怒られるだろう。
「んっ!ごほんっ!」
仰々しく咳払いをし、話題を変えた。
「……ところで、お願いがあるんだけど」
「あら、なにかしら」
その心中を察しているかのように、幽香は微笑み、天子を見上げている。
ここまで戦って数合、彼女はずっと笑顔のままだった。
どれほどの攻勢をかけられようと、どれほどの力を見せられようと。
剣が目の前を掠めようと、地が怒涛に隆起しようと。
彼女はそれらを捌き、いなし、躱し、壊し、時にはその身に浴びることもあった。
ゆっくりと、その全てを味わうかのように。
幽香を見下ろし、天子は突きつけるようにして言う。
「いい加減、本気で戦ってくれないかしら」
“お願いがある”と切り出した言葉ではあったが、彼女の態度に、お願いしようという様子はまったく無い。
横柄に、傲慢に、眼下の岩の上にいる妖怪へと上から目線で言い放つ。
「――ふふっ、何を改まって言うのかと思ったら」
見下ろす天子の態度に文句も言わず、幽香は笑って答えた。
「私はいつでも本気よ?恥ずかしい話、力の加減ってあんまり上手くないの。あ、言いふらしちゃダメよ?」
クスクスと笑いながら、天子を見上げる。
視線の先、一番高い岩山の上、少ない足場にふんぞり返るような天人は、その偉そうな態度がなかなかに堂に入っていた。月を背景に見下ろす姿も似合っている。
それでこそ、と、幽香は内心で笑みを零していた。
「……馬鹿にしてるんでも、軽く見られてるんでも、なんでもいいわ。……どっちにしろ許せないけど」
「じゃあよくないんじゃない」
天子は地に杖ついていた緋想の剣を握り直す。
黄色い刀身が、ぼんやりと紅い光を滲ませる。
「あれが全力で、私を泣かそうって言うんなら――そっちの方が許せないわね!」
叫ぶようにしながら、一息に地面を蹴った。
空へと飛び出し、そして自由落下の速度で幽香へと襲い掛かる。
幽香もそれを見、それまでいた足場から別の岩の上へと飛び移った。
彼女がいたその場所へと天子は落下してゆき、突き立てた緋想の剣が大きな岩を砕く。
足場をひとつ破砕し、天子はまたすぐに幽香へと向きなおすと、そのまま彼女へと飛び出してゆく。
その突進をまたも幽香が躱し、そしてまたひとつ岩が砕ける。
「あらあら、短気ねぇ」
岩が崩れる音が間断なく響く中、彼女は変わらず呑気に声を上げていた。
弾丸のようになりながら自身へと突撃してくる天子を眺め、
「うーん。まだ早い気もするんだけど、ご所望とあるなら……」
また別の岩へと飛び移りながら、そう呟いた。
さっきまでいた場所も、天子が破壊していた。
「やっぱりまだ全力じゃなかったっ!」
幽香へと切り返しながら叫ぶ。
怒っているような、喜んでいるような声。そのどちらも本音で、二つの本音が混ざった声が、岩塊が崩れる音の中に響いている。
「集中力の違い、ってヤツよ。不良のお嬢さん。意識の変化でも、スイッチの入れ替えでもなんでもいいわ。さっきまでのはさっきまでのなりに本気で戦ってたんだから、嘘は吐いてないわよ?」
着地していた場所からもすぐに足を離す。
“スイッチの入れ替え”
――なんか似たような言葉を…………あぁ。
幽香へと飛びかかりながら、不意に記憶が蘇った。
目の前で笑っている彼女の顔が、一昨日見た“彼女”の顔で上書きされる。
「ただ、あんまり望んでいるみたいだから」
――そう言えば、こいつの気質って見てないなぁ。
そんなことを考える余裕は、すぐに消える。
「少しばかり気合を入れましょうかね、って話よ」
幽香は別の岩の上へと飛び――そしてすぐにそれを蹴る。
また別の足場への跳躍ではなく、そのまま真っ直ぐに天子へと飛びかかった。
追い、追われる二人の距離が、瞬く間にゼロになる。
一瞬で間合いとなり、天子は緋想の剣を振る。
それを幽香の傘が真っ向から受け止め、弾く。ガキィンッという硬質な音が響いた。
攻撃を逸らされるのではなく、思った以上の力で押し返されることで、予想外に天子が体勢を崩す。
彼女がなんとか体を持ち直したのと、幽香の傘の先が眼前に突きつけられたのは、ほとんど同タイミングだった。
「ちょっ……っと!」
適当に声を口にし、大きく体を反らす。
突きつけられた傘の先が光る。
ほとんど仰け反るようになりながら、傘の先から放たれた魔力弾を間一髪に躱した。
そのまま彼女の後ろへと飛んでいった弾が、どこか遠くで炸裂した音が聞こえる。
避けられなかった時のことが脳裏に浮かび、冷や汗が流れた。
天子は体勢を崩されたままに、幽香を睨み、剣を振った。
腰を入れられていない剣閃は、威嚇程度にしかならなかったが、それなりに速度がある。
それを幽香は紙一重で躱す。
すぐに体を立て直し、次の一撃を振るが、それも当たらない。
剣戟の全てを見通しているような幽香の瞳は、さきほどまでと確かに雰囲気が違っている。
彼女の顔は、相変わらずに笑顔のまま――――。
天子は剣を振るうのを止め、そのまま自分の前にかざした。
萃めた気質の紅を帯びている剣が、ひときわ強く輝き、その刀身から気質を飛ばす。
紅く、針のようになっている気質の弾は、ささやかな弾幕として飛ぶ。
量自体は大したことは無いが、直接攻撃の間合いからの射撃である。
本来なら完全に回避することの難しいそれさえも、幽香は要諦を見通し、針と針の隙間に体を滑りこませる。
集中力を増した――スイッチを僅かに入れた彼女の瞳は、さきほどまでよりも多くの情報を取り入れ、処理している。
だから、いつの間にか彼女を左右から挟もうと配置されていた二つの岩石にも、幽香は気づいていた。
「これでっ!」
天子は叫び、左右の岩に命令を下す。
周囲に散在する岩石のうちの二つが、ゴゴゴッ、と身震いし、急に動き出した。
その質量からは想像もできないような速度で飛び――その質量から想像しうる音を上げ、それらは盛大にぶつかり合った。
両脇から幽香を押し潰すようにして飛来した二つの岩が、間に彼女を挟むことなく、ぶつかり、砕ける。
いくつかの岩になり、多数の石になり、無数の砂になり、中空を舞う。
瞬間的に後退していた幽香と、岩を呼んだ天子の間で砕け、二人を分かつ。
互いの姿が、岩と石と砂塵で見えない。
それでも――天子の思惑通り。
彼女はかざしていた緋想の剣を、幽香がいるであろう方向へと突き立てる。
緋想の剣が、再び紅く染まる。
「気符!『天啓気象の剣』!」
宣誓し、剣を振り抜いた。
紅く、刀身を覆っていた気質がその形のままに、弾丸のような勢いで射出される。
紅い剣閃は弾となり、そのまま真っ直ぐと飛び、岩を砕き、石を弾き、砂塵を吹き飛ばす。
そのまま、そこにいるはずの幽香を突き刺すために。
パラパラと、砂煙が落ちてゆく。視界が晴れる。
半身をずらしている幽香と、彼女の微笑んだ顔が、目に飛び込んでいた。
「――――幻想」
カラカラと、空にあった石たちが地面に落ちる音がする。
大きくもない声が、妙にはっきりと聞こえる。
「『花鳥風月、囁風弄月』」
スペルを宣誓する声が透る。
瞬間――天子の視界が、光に覆われる。
光る弾。弾幕。埋まる視界。砂塵が一掃される。
浮かぶ月。光る弾。弾幕。
体に奔る痛み。鈍痛と激痛。
やはり、彼女は笑っていた。
弾幕が晴れる――――
一瞬で現れ、一瞬で姿を消すその様子は、ほとんど災害のようだった。
幽香は中空に佇んでいる。
すでにさきほどまでの砂塵は、一切そこには無い。
カラン――と、どこかで石が転がる音がした。
彼女の足元の大地は、辺り構わずに隆起し、瓦礫の山のようになっている。
そこの大きな岩の上から、石が一つ転がり落ちた。
力無く倒れる天子の姿が、そこにある。
ダランと垂れる四肢。
乱れる艶やかな髪。
黄色い刀身の剣が、すぐ傍に落ちている。
「ほぅら……やっぱり早かったじゃない」
その様子を眺めながら、幽香はクスクスと零していた。
【 P-4 】
山の風は、他のどこよりも寂しげに吹いている。
「さ……て、どうしましょうかね」
その風に髪を揺らす彼女の声も、どこか所在無さげに聞こえた。
彼女の視界にあるのは、剥き身の岩だらけの地面。
遠く辺りを囲む森。満天の星空。十六夜の月。
そして足元に転がる、物言わぬ天子の姿だけだった。
幽香は手持ち無沙汰そうに傘を振り、ふわりと岩の上に降り立つ。
「あんまり急かされるから乗っかっちゃったけど、やっぱり急いじゃダメね。……なんだかとっても消化不良」
はぁ……と溜め息を零しながら、すぐ傍に転がる天人を見下ろす。
視線を下ろした先、そこには少し前まで元気に自分を見下ろしていた彼女が、今では力無く足元に転がっているばかりである。
――やっぱり加減は難しいわ。もっとじっくり虐めてあげたかったんだけど。
彼女は不意に、天子のすぐ傍に黄色い剣が落ちているのを見つけた。岩肌の上に、刺さるでもなく転がっている。チラチラと目にした紅い光は、今はまとってはいない。
幽香はおもむろに緋想の剣を拾い上げ、目の前で寝ている天子の傍に突き立てた。
岩肌に直接打ちつけたのだが、それでもまるで地面に突き刺すかのように、すんなりと刺さる。刃が鈍いようにも見えて、実はそれなりのようだ。
「ねぇ、ホントにもう立てない?」
突き立てた剣の隣にある頭へと問いかける。
戯れに尋ねてはみたが、正直、幽香は答えが返ってくることに期待はしていなかった。
だが――――
「――げほっ!うっ…………つっぅ…………」
「あら予想外」
彼女の予想に反し、天子はすぐに意識を取り戻した。
節々の痛みに耐えるように、僅かに、ゆっくりとではあるが、どうにか体を起き上がらせてゆく。
「誰が……立てないって?」
天子はゆっくりと口を開く。意識もはっきりとしているようだ。
顔を上げてはいないが、おそらくその瞳もまだあの不遜な色を湛えていることだろう。
予期せぬ出来事に、思わず幽香は笑みを零す。
「偉い偉い。なんだかやられ慣れてるみたいで嬉しいわ」
短い呼吸を繰り返す天子を眺めながら、本心から嬉しそうに言った。
「まぁ……ね。つい一昨日にも、こうやって焚きつけて、そんでボコボコにされたばっかりなのよ」
「経験豊富で何よりね。そこから何ひとつ学んでいない、ってのはどうかと思うけど」
「余計なお世話よ」
言い切るうちに天子は立ち上がり、幽香と向かい合った。
体中が切り傷と打ち身だらけであり、それを裏付けるようにして纏っている服もボロボロ。
しかしそれでも、幽香が思っていたよりもはるかに、その足には力が入っていた。瞳に灯った色も、案の定、変わってはいない。
――ふむ……結界が強まってる?最終日なのに?……最終日だから?
彼女はその様子を眺め、一考する。
もちろんその時、雲より高い空の上で行われていることに関しては、彼女はまったく知らない。
そうして僅かにだけ考え、
――まぁ、なんでもいいわね。
と、頭に浮かんだ疑問をあっさりと無視した。元々、彼女はこの異変自体にさほど興味は無かった。
改めて誰かに“暇”かと問われれば、そうでもあったし、そうでもなかった。それでも参加した以上は、きっと自分も“暇”だったのね、と思う程度である。
――この子みたいなわかりやすいの、紫は好きそうね。
内心で微笑んだ。
二人がすでに知り合いで、犬猿の仲だとは、彼女は知らない。
「っていうか……何?さっき言ってたアレは、スペル名?」
幽香の内心を知ってか知らずか、彼女の思案に天子は口を挟んだ。
立ち上がるもふらつく足どりを、どうにか目の前に突き刺さっている緋想の剣を杖にすることで支えていた。
そうして目の前の緋想の剣にもたれるようにしながら、彼女はその緋色の瞳を絶えず幽香へと向けている。
「ん――あぁ、アレ」
はいはい、と相槌を打ち、
「そうよ。私のスペルの名前。スペルカードルールってあんまりやらないんだけど……こんな幻想郷だしね。流行りの遊びくらい嗜んでおかなきゃ」
彼女は笑って返した。
幻想郷のスタンダードな決闘方法である“スペルカードルール”。
幽香は基本的にはあまり異変に顔を出す方ではなく、できなくても問題は無かったが、それでも彼女の言う通り、嗜む程度にだけはスペルを用意していた。
「妖怪のくせに、無駄に典雅なお名前なことで……」
「あら、お褒めいただきありがとう」
傷だらけの体で皮肉を述べる彼女にも動じず、笑顔で礼を返す。
思っていたリアクションが返ってこなかったことに、天子がつまらなそうに顔を背けていると、
「――“ただあるがまま”よ」
「んあ?」
幽香の声に、背けていた顔を向きなおす。
そうして目に映った風見幽香の顔は、やはり、楽しそうに微笑んでいた。
「さっきのスペルの意味。“ただあるがまま”――良い言葉だと思わない?」
うっとりと目を細める彼女は、まるでその言葉の意味を自慢するかのように、キラキラとした笑顔でいた。
ここまでの笑顔と同じもののようでも、違うもののようにも見える。
「無為自然に百花斉放。ただあるがままに花は咲き、ただあるがままに――――」
目を細め、口の端を持ち上げるようにして出来るその笑み。
どこか薄ら寒くさえ感じる、妖艶な美しさを湛える笑み。
天子が地上から月を眺めた感想と――それは一緒だった。
「ただあるがままに、私は、最強の妖怪なのよ」
臆面も無く、彼女はそう言い放っていた。
最強の妖怪――最強の幻想。
様々な幻想たちが跳梁跋扈するこの楽園の地で、“最強”を自負できる者は少ない。
強力な妖怪を一蹴できる妖怪も、その妖怪を容易く捻る化物も、その化物を凌駕する怪物も、幻想郷には掃いて捨てるほどに存在する。
そんな中で“自分が最も強い”ということを口に出す者は、その縮図を把握できていない者か――“化物”クラスを超越できる者だけである。
吸血鬼を――文字通り最強クラスの幻想を前にしても、そう言い放っていた彼女は、“ただありのまま”の自信に満ちていた。
『いざ戦えば、誰一人私の前には立たせない』
そういう種の圧倒的な自負が、今、空気を伝って振り撒かれる。
そんな彼女の言葉に、天子は思わず目を見開いていた。
幽香の台詞を黙って頭の中で咀嚼する。
そうして頭の中を渦巻く言葉たちを差し置いて、彼女の口から出てきたのは――――
「はっ、はははっ!あはははははははははははっ!」
なぜか、呵呵大笑だった。
「あらら、頭の方が耐えられてなかったのかしら。やっぱり加減っていうのは難しいわ」
笑うようなことを言った覚えの無い幽香は、目の前で急に吹き出した彼女を見て溜め息混じりに言った。
失礼な物言いではあったが、彼女は割と本気でそう思っていた。そうでなければ理由がわからない。
ほとほと不思議そうな顔のままの幽香を無視して、天子はひたすらに笑い、満足したように顔を上げた。
「あー可笑しい。価値観の違い、ってヤツね。地上にもそんなこと言うヤツはいるとは、恐れ入るわ」
体の傷を忘れているかのように笑いきり、彼女は幽香を見る。
「ただあるがまま…………」
笑顔が余韻を引き、薄く笑ったままの顔で、言い放つ。
「――くっだらないわね!」
彼女は、全力でその言葉を否定した。
まるで――彼女自身の存在を賭けるかのように。
「ただあるがまま、そこに在るものを、そのままに受け入れて暮らすなんて……そんなの真っ平御免だわ!」
彼女が心に留めたのは、“最強”という単語では無く、“ただあるがまま”。
自分を差し置いて最強を語ることも許せないではあったが、それよりも“あるがまま”を是とする考えこそ、彼女は許せなかった。
「他の天人たちみたいな言葉……聞き飽きたよ!そんなのじゃ私は満足できない!私は私の――楽しいことを探して歩く!そっちの方が、よっぽど刺激的よ!」
彼女の敵意は、すでに幽香に向いていないようでもあった。彼女の言葉をトリガーに、脳裏に浮かぶ天人たちへと、その矛先は向けられている。
武陵桃源にて山中暦日に過ごし、年年歳歳と時間を潰す――そんな日々を、彼女は壊したかった。
そうしてどこか遠い目をしながら息巻く彼女を、幽香は思わず不思議そうな目で見てしまっていた。
急に笑い出し、ここまでを吼えた理由が、彼女には正確に伝わっていない。
二人は初対面である。互いのバックグラウンドを知らずに、彼女の言葉の意味などはわからない。
そうして、暫時呆気に取られる。
だが、自分を見、筋違いの主張を通さんとする彼女を見て――――
「…………ふ、ふふふ」
幽香も、思わず小さく零していた。
「あなたの言う通りね。価値観の違いっていうのは、とても面白いものだわ」
目の前で懸命に叫びを上げる少女を見ると、彼女は、どうにも――――
「“違い”を眺めるのは、私も好きよ。同じ花でも、違う形の花が咲く。十人十色で、鮮やかに」
くすっ、と鼻を鳴らす。
顔にはあの笑顔が浮かんでいる。
「でも……私は四季のフラワーマスター。違った色の花を私好みの色にするくらい……訳ないわ」
――どうにもこういう子は、からかってみたくなるわ。
幽香はクスクスと小さく笑い声を漏らす。
さきほどまでの笑顔――とは色の違う、後ろ暗い笑顔。
薄ら寒くなる妖艶な笑顔はそのままに、僅かに色調を落としたかのように、嗜虐の色が強く滲んでいる。
ニヤリ、と持ち上がる口角が、それを見る者の背筋を冷たく震わせる。
そんな彼女の笑みを受けて、天子は強く唇を結んだ。幽香からの圧を跳ね返さんと、瞳に強く力を込める。
杖にしていた緋想の剣を握り、地に刺さっていた切っ先を力いっぱいに抜く。
一足飛びに幽香を飛び越え――再び、瓦礫の山の一番上、月の光を背にするその場所へと飛び乗る。
ザンッ、という音を上げ、自らの正面に剣を打ち立て――――
「やってみなさいよ!私は……私の全ては、誰にも変えさせない!」
ゆっくりと振り返る幽香へと、吼える。
緋の瞳に力を萃め、手にする剣を緋色に染める。
「威勢が良くって結構。どうせすぐに大人しくなるわ」
月を背景にした天子へと、告げる。
嗜虐の瞳をわずかに歪ませ、目にした彼女に笑顔を向ける。
そして――再び口火を切ったのは、天子だった。
つい先ほどまでの攻勢とまったく同じく、彼女は緋想の剣を引き抜くと、地を蹴り、幽香へと飛んだ。
重力を味方につけ、自由落下の速度を利用して、彼女へと真っ直ぐに襲い掛かる。
ただ違っていたのは、
「気符!――『無念無想の境地』っ!」
天子がスペルカードを宣誓したことと、
幽香が別の足場へと回避することなく、彼女を正面から迎え撃ったことだけである。
幽香は、落ちてくる彼女へと向けて、傘の先を突き出す。先端にはすでに魔力が込められ、白く光を萃めていた。
やにわに力を込め――放つ。
白い魔力弾が同時に三発、全てが天子へと殺到する。
そのまま全弾が彼女へと命中し、弾が弾ける。
正面からそれを受けた彼女は――怯むことも、止まることもしなかった。
「うあああああああああっ!!」
叫び、そのまま幽香へと剣を振り抜いた。
放った弾が効いていないことを視認し、彼女も咄嗟に傘で受ける。
傘と剣とにもかかわらず、ガキィンンッという音が響く。
すぐ近くで見た天子の体は、ぼんやりと紅く光を滲ませていた。
剣戟に落下速度をプラスしたその衝撃は、片手ではさすがに押し返し切ず、拮抗する。幽香が足を着く岩盤が、ピキィと高い音を立ててヒビを走らせる。
そうして僅かな間の鍔迫り合い――天子が先に体を引き、辺りの適当な岩に着陸すると、そのまま再び幽香へと突進した。
幽香はその一瞬に小考し、もう一度弾を精製し、放つ。
さっき撃ったものよりも、明らかに力を込めて。
再び三発の弾。
込められた力に比例するように速度を増していた弾丸は、回避する間も与えないうちに天子へと届く。
そうして彼女の体へと到達した弾たちが、天子の体に当たり、炸裂した。
「――――っつぅ!」
僅かに顔を苦痛で歪ませるも、彼女はやはり止まらない。
ぼぅ、っと光る体で、痛みに涙を湛えながらに突っ込んでくる。
これで、幽香は確信した。
「猪突猛進はいいけど、そのまま死んじゃうわよ?」
臆することなく、愚直なまでに正面から飛び込んでくる天子へと、声をかける。
――あのスペルは、弾幕系のものじゃない。肉体強化……それも結構お粗末な。
それを確信したからこそ、半ば呆れたような口調でそう告げた。
だが、それでも目の前の天人の勢いは止まらない。
「これくらいじゃ……私は殺せないわね!」
天子は吼え、幽香へと剣閃を振るう。二度、三度、数度。
そのたびに、躱され、いなされ、時には反撃を受けた。魔力強化された傘は、ほとんど鈍器と一緒だ。重い衝撃が体を奔る。
だが、彼女は止まらない。
その時まで。
地に足を着けたままに戦う、二人。
硬い音と鈍い音が繰り返される肉弾戦。
天子の体には目に見えて傷が増えていく一方である。
そうして時を待つ彼女に――“それ”は、すぐに兆候を示した。
ゴゴゴッ、と僅かに地が揺れる。
「――――っ!きたきたきたきたっ!」
足元の異変に、幽香がわずかに顔をしかめる。
そして――――
ズガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
という激しい鳴動音を鳴らし、大地が、大きく身を揺する。
超局地的、直下型の大地震。立っていることさえ困難なほどの、大災害レベルの地震が、妖怪の山を襲っていた。
「これ…………は!」
如何に風見幽香と言えど、足場となる大地そのものの激しい揺れには早急には対処できない。
元より足場の悪い岩の上、彼女はたたらを踏みながらそこに留まることで精一杯だった。
飛び上がり、空に逃げようにも足が取られていて思うようにはいかない。
「時間差発動の地震――『先憂後楽の剣』。もう少し遅かったら、危なかったわね!」
天子の声が、頭の上から聞こえた。
この地震を人為的に引き起こした彼女は、余震を察知した段階で、迷うことなく空へと逃げていた。
彼女は宙に浮き、手をかざす。
その前には緋想の剣。
紅く――紅く。気質を萃め、紅を溜めている。
――スペル……いつ…………?
足元の不安定さと格闘しながら、地震を呼び寄せていたタイミングのことを考え、そしてすぐに止めた。
それよりも、今頭上で紅く力を溜める彼女が――――
「これっ……でっ!」
かざした掌に力を込める。
気質の塊となった紅い魔力が、一瞬、強く輝き――――
「『全人類の……緋想天』!!」
幽香の視界が、紅に染まる。
ゴガァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!
という盛大な音を上げ、魔力の光が奔る。
大地はまだ激しく揺れている。
月までが、紅く見える。
――間に合……………………
彼女の姿も傘も、思考さえも含めて、その全てを、緋想天が食らい尽くす。
乱雑に積み上げられていた岩山も、夥しい魔力によって瓦解する。ガラガラという崩落音でさえ、魔光の音に呑み込まれる。
直撃を受けたその場所は、気質の連続性によるこの弾幕によって、岩の塊が石つぶてにまで破砕されていた。そして石さえも砂粒にまで砕かれてゆく。
「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
彼女は残っている全魔力を投入し、叫び、放つ。
気質に呑まれた幽香の姿は、すでにまったく見えなくなっていた。
それでも、力の丈を、全てを、咆哮とともに絞り出す。
そして――――
最初に、超直下型の地震が止まる。
次に、『全人類の緋想天』が、みるみると細くなってゆく。
天子にとっては、超大型のスペル二つ。さらに間にもう一つ『無念無想の境地』という肉体強化系スペルを挟んでいる。
おかげで攻撃時間自体は、そう長くは維持できなかった――が、高威力攻撃の波状は、それだけで景色を変えてしまった。
岩山のようになっていたその場所は、すでに少し前の半分程度しか積み上げられていない。半分は消し飛んだか、崩れ落ちたか、どちらかである。
元より荒涼としていた大地は、今はすでにほとんど更地だ。薙ぎ倒された木々も何もかも、すでに破砕されていて、長い期間空き地であったようでさえある。
紅い光が、か細くなり、消えてゆく。
魔力の残滓が、光の粒となり、舞う。
砂煙の中をキラキラと――――
そこに立つ、幽香の前にも降り注いでいた。
彼女は手にしていた傘を開き、まるで雨から身を守るよう天子との間に差していた。
雨と言っても、それはほとんど土石流と同じだ。滝のようでも、鉄砲水のようでもある。いかに魔力強化済の傘とは言え、その衝撃を正面から受け止めきるのは不可能だった。
開いた傘は穴だらけ。
彼女の右手側は焼け落ちるように傘の骨が折れている。
防御の間に合わなかった幽香の右側の服は破れ、吹き飛び、その体を紅く擦過傷のように傷つけている。
それでも――つまり彼女は、まだ無事でいた。
開いた傘の先、その先端を銃口とし、魔力を込める。
キィィィィィィッ、と音を立て、萃まる魔力を、天子は黙って見ていた。
もうすでに、彼女にできることは一つも無かった。
――ちぇっ、またダメだったかぁ………………。
それだけ考えるころには、幽香の準備は済んでいた。
彼女の、魔砲の名を呼ぶ。
「『マスタースパーク』」
極大の白い光が夜空へと伸びる。
一直線に駆け上がり、月を貫かんと魔砲が奔る。
一瞬だけの僅かな照射時間。
すぐに光は尾を引き、消える。
カシャン、という音がする。先に剣が地面に落ちている。
それを追うように、空に浮かんでいた天子が、そのまま地面に落ちてくる。
「お疲れ様」
なぜか微笑んでいる幽香の声が、白い光の粒子とともに、天子へと降っていた。
※
「……昨日と今日と、服がボロボロね。また何着か用意しなきゃかしら」
吹き飛んだ右袖を眺めながら、幽香は溜め息混じりに言った。
露わになった白い二の腕が紅く傷つき、痛みを放つ。
だがそのことに感想を述べるよりも、彼女はただただ服のことを心配していた。
「傘もこれだし…………これお気に入りだったんだけどねぇ」
広げた穴だらけの傘は、一見してもう使い物にならなかった。
五分の一程は骨から丸ごと吹き飛ばされていて、すでにほとんど傘とは呼べなくなっている。
彼女はやはり溜め息を吐くと、それを広げたままに肩に乗せた。
――ま、いいわ。帰ったら考えましょう。
肩に乗せたまま柄をクルクルと回す。連動して、欠けた部分がクルクルと上機嫌に回る。
服も傘もボロボロになった彼女は、それでも随分と愉しげだった。
「……………………また負けた」
不意に、どこかから声がする。
足元に転がる天人が、いつのまにか仰向けに寝転がっていた。
「あら、早起きさん。負け慣れてる子はやっぱりタフね」
「うっさーい…………」
寝転がっているままに力無く反論した。一見してボロボロなのは、むしろ彼女の方だ。
ごろん、と転がったまま、大の字になって夜空を見上げている。
「なんか、月が妙に高いわね」
満天の星空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「それだけ地面に近ければ、そうでしょうね」
彼女の呟きを、幽香が拾う。
――…………そりゃそうか。
なんだか、無性に可笑しかった。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
可笑しさついでに、思いっきり叫んでみる。
寝転がったままに、力いっぱい。
目に映る月まで、届かんばかりに。
「あー……ははっ!地上は強いヤツばっかりねっ!やんなっちゃうわっ!!」
結局この三日間、天子が戦ったのは二回。
その二回とも、完膚無きまでに負けてしまった。
そう思うと、どうにも口惜しくて仕方ないが――それでも、今彼女はひたすら笑いたい気分だった。
もういっそ清々しくすら思えている。
――ま、いいわ。これからの目標が二つできたと思えば、悪くないでしょ。
見上げた月は相変わらず、どこか薄ら寒くなるような、妖艶な美しさで輝いている。
そんな月の光が、彼女には刺激的で――とても好きになれそうな気がした。
「ふふふっ、面白い子」
そんな天子を眺めていた幽香が、思わず笑い声を漏らしていた。
そのまま寝転がる彼女の傍まで行き、覗き込むようにして身を乗り出す。
「今日の分は預けておいてもいいわよ。私も勝てた気がしないしね」
クスクスと微笑んだまま、天子へと言葉を落とす。
「ここまでしといてよく言うよ」
はっ、と鼻で笑いながら返す。
負け惜しみのようでみっともなくも思えたが、それも今はどうでも良かった。
「まぁね。――でも私は、“あなたを泣かせる”つもりだったんだから。それだけやられても笑ってる子相手じゃ、それも難しそうだけど」
「ちぇっ……言ってくれるわ」
幽香は変わらない笑顔を天子へと向けている。
月に被さるようにして映る彼女の顔は、天子の思った通り、月光のようで――――
――あ。
と、不意に思い出した。
一瞬ハッ、とし、睨むようにして幽香を見返す。
「でも私は、“あるがまま”なんて考えには絶対ならないわ!」
強く瞳に力を込めて、目の前の笑顔を睨みつける。
身体には力が入らず、寝転がったままの体勢になってしまっていたが、彼女は、彼女の意志を強くその瞳に込めた。
のだが――――
「ん?どうしたの急に」
「は?」
返ってきた返事は、予想もしていないくらいに呑気なものだった。
思わず目を丸くして、素で声を上げてしまう。
二人とも疑問符を灯したままの、微妙な空気が流れる。
そこで、
「――あぁ、なるほどね」
幽香は気づき、思わず吹き出してしまった。
天子の懸念のタネとなっている、自分の言葉を思い出したのだ。
『でも……私は四季のフラワーマスター。違った色の花を私好みの色にするくらい、訳ないわ』
からかい半分で言った言葉だとは、今さら言えない。
「別にあなたの思想までを従属させる気は無いわよ。言ったでしょう?私は違いを眺めるのも好きなのよ」
どうにか笑いをこらえながら、そう説明する。
こらえきれずに声が笑ってしまっていることには、幽香自身も気づいていた。
「……負けたら洗脳でもされるかと思ってた」
「あらあらー。それは怖いわねー」
「う、うううううるさいなっ」
思わず発したからかう声に、天子は顔を紅くして目を背けてしまっていた。
――つくづくイジメ甲斐のありそうな子。
彼女の溢れる嗜虐心に火が点きそうになるが、どうにか自制する。
そして楽しさを噛み殺しながら、できるだけ真面目な声音を作ってみせた。
「私は四季のフラワーマスター。花の色は変えられるけど、あなたの色は変えられないわ。――好きに生きてちょうだい」
そう言って笑顔で覗き込む。
天子はまだ寝転がったままに顔を背けている。
「それに――違う色の花が、私の気分を変えることもあるわ」
幽香は言いながら、顔を覗きこむのを止める。
目の端でそれを眺めていた天子が、顔を上げると――すぐ隣に、人が座り込む気配がした。
天子は思わず、力の抜けた体を起こし、気配の方へと視線を向ける。
そこには、結局終始そのままだった彼女の笑った顔があり、
「もう時間も随分半端。それなりに満足もしたわ。――残った時間、お話でもしましょう。あなたの話が聞いてみたいわ」
穴だらけの傘を肩に担ぎ、柄をクルクルと回している。
連動して、欠けた部分が上機嫌に回る。
楽しそうに、楽しそうに、クルクルと。
「……ちぇっ、仕方ないなー。確かにもう私も今日は動けないし、いいわ」
天子は思わずに吹き出し、再び大の字に寝転がった。
見上げた遠い夜空には、満天の星。
そこは、静かないい夜だった。
「こういう終わりも、アリかもね」
すぐ傍にある緋想の剣が、ひとりでに光っていた。
空は、雲ひとつない“晴天”だった。
the last day's card is present.
Y.-Y. Y.-A.P. M.-I. S.-M.
next person of leisure... ... Y.-Y. 【 R 】
「あなたは未熟ね、妖夢。口にするのは、不可能なことばかり」
「――っ!私は……幽々子様じゃありません!言葉にしてくれないと……伝わりませんよ!」
「言葉は時に冗長よ。無味乾燥に続き、必要の無いことまでも伝えてしまう。……あなたも剣士の端くれだと自負しているのならば、その二刀に想いを乗せて伝えてみなさいな」
to be next resource ...
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 Q-2 Q-3 Q-4
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 P-2 】
「藍さまー。えっくす2458、わい7965、ぜっと1678、おっけーですー」
「ありがとう橙。これで一通りは周り終わったところかな」
暗い夜、明るい星の下、二人の式神は雲より高いその場所に立っていた。
二人で足して十一本にもなる尻尾たちが、高高空の夜空の中で揺れている。眼下に望む妖怪の山さえも、すでに小さな黒い塊にしか見えないほどの高さのそこからは、幻想郷が一望できた。
吹く風は高度のせいで、夏とは思えないくらいに冷たかった。
「夕方から動きずくめとは言え、終わりましたねー」
「幻想郷を、ほとんど全部回ったようなものだったからね。でも、これを紫様や博麗の巫女は一人で全部やってたんだよ」
「うひゃあ……」
橙は驚いているとも呆れているともとれる声を上げ、肩を下げていた。一緒に二本に分かれた尻尾も下がる。その様子は、どちらかと言えば呆れているに分類されるだろうが、藍はそのことで橙を咎めたりはしなかった。
紫の式である藍としては、そこは驚くでも呆れるでもなく、感嘆の声を上げてもらいたかったところではあるが、この作業の途方の無さを考えれば、橙のこのリアクションもあながち間違ってはいないということもよくわかっていた。
彼女たちが今メンテナンスをしている“結界”のポイントは四ヶ所。紅魔館、妖怪の山、白玉楼、永遠亭、である。
しかし、そのどれも基点から広範囲に渡って展開しているものだ。妖怪の山、なんて地理的なものは当然、紅魔館、永遠亭、といった建造物も、そこを中心として広くに渡ってこの“結界”は敷かれている。
半径数キロという広い範囲に渡って……そう、事前の説明では公表しているが、実際は違う。
半径数十キロ、という一つ上の桁の範囲で、この結界は敷かれていた。
公示した数値が小さいのは意図的なものだ。元から大きめに公表しておくと、誰がどこで何を始めるかわかったものではない。
“戦闘地点の限定”という意味がこの結界にある以上、数十キロという広範囲では、ほとんど意味が無くなってしまう。
それでもどこかでルール無視のままに戦闘を始める者が出てくるであろうことも、想定の範囲内だ。
特にこの三日目。すでにイベントが終わりの段階に入っている以上、もう何をしても関係無いと考える者が出てくるであろうタイミングである。
そういう無作法者が、勝手に暴れ、勝手に死なないように、紫はこうして広範囲に渡る“安全圏”を形成したのである。
――しかしなぁ。
さすがの藍も、その広範囲の結界を修繕して回る作業には、そろそろ疲れてきていた。もちろん、弱音を吐くほどではないが、頭が痛くなるのは事実である。
なにせ夕方から始めて、やっと一回り。これを一晩中続け、適宜ほつれのある箇所のメンテナンスを行わなければならない。
藍自身が結界術を扱うことができるわけではない。もちろん、橙も。そのためもあり、二人で回ったとしても一ヶ所にかかる手間は大きい。紫からの指示を受けているとはいえ、そればかりはどうしようもない。
彼女は知らない。
今自分たちが行っている作業というのは、紫や霊夢が行っていた、補修・調整、というだけでなく、その効果を“強化”する意味を含んでいるということに。
渡された符による施術式にそういった力があることに、結界術について明るくない藍は気づかない――気づいたとしても、それに対して異議を唱える術を知らない。
彼女はただ、言われた通りを間違いなく遂行しているだけなのだから。
不意に、隣にいる橙が疲れた顔をしているのがわかった。
藍は、おもむろに、頭一つ小さい彼女の帽子の上に、そっと手を置く。
「お疲れさま、橙。私一人じゃいつまで経っても終わらないところだったよ」
そう言いながら、帽子越しに頭を撫でる。橙はそれを上目遣いで見上げ、心地良さそうに耳を動かす。
「にゃー……」という気の抜けた声が漏れる。
垂れ下がっていた二本の尻尾も、いつの間にかフヨフヨと揺れていた。
「さ、また一仕事だ。手伝ってくれるね?」
「はいっ!やりますよっ!」
しっかりと元気になってくれた自分の式神を愛おしそうに眺め、藍は満足そうに頷いた。
藍はふと、眼下にある妖怪の山を見下ろした。
黒く、暗い、妖怪の山は、そこにあると意識していないと見落とすほど、大地の暗さに溶け込んでいる。
ぽつねんとするその黒山の中に、今も戦っている者たちがいる……藍たちのいる、雲より高いその場所まで、炸裂音が響くようなことはない。
しかし、それでも。
間違いなく、そこでは誰かが戦っているのだろう。
そして藍は顔を上げ、橙を連れて次の地点へと向かい出した。
眼下で戦う彼女たち――それは、すでに彼女の頭には無い。
主からの命令を遂行するため、彼女はこうして、夜の幻想郷を巡る――――。
※
石つぶてが飛び散る。
水飛沫のように、その粒を宙に舞わせている。
その中に立つ彼女は、まるで踊るかのような姿でそこにいた。
飛沫すらもその身に触れさせないような排他的なまでの優雅さで、風見幽香は、迫る危機を全身で享受していた。
「行っ……けぇぇっ!」
天子が右手を振り上げる。
それに応じるかのように、彼女のすぐそばの地面がゴッソリ抉れ、一塊の岩が四つ、彼女の傍に浮き上がった。
それは浮遊すると同時に、高速で回転を始める。
回転に研磨されるように、みるみる内にドリルのように形成されてゆく岩塊は、荒削りな造型そのままに、天子の下を飛び出してゆく。
先端を鋭く尖らせた重厚なミサイルは、敵を貫くことを待ちわびていたかのように勢いよく襲い掛かる。
ドリル状になっていることなどオマケに過ぎない。回転し、高速で飛来するこの質量の物体それ自体がすでに、威力としては充分過ぎるだろう。
しかも魔力で硬質化させてあるこの岩は、すでに石つぶてなんて可愛らしいものには分類できなくなっている。
四つの岩塊が幽香を狙う。
微妙に角度をつけ、時間差をつけ、それぞれに殺到する岩は、全てを一度に避けることも難しい。
そんな大質量の弾のプレッシャーなど微塵も感じていないかのように、幽香はあくまで、平然とした表情のままだった。
チラリという程度の目線の動きだけをその岩塊たちに送り、彼女はおもむろに、その先頭を走る弾を躱した。
それはまさに“フワリ”という擬音が相応しい身のこなしであり、彼女のその動きだけを切り取ることができるなら、それは間違いなく、こうした鉄火場にはそぐわない優雅さを帯びていた。
翻るスカートにすら触れることもできずに、先駆けた弾が虚空を切る。
そしてほとんど時間差無く、幽香が避けた先に岩が飛来していた。
彼女はそれを目にし、頭に描いていた通り、左手に持つ傘をおもむろに振り下ろし、叩き壊した。
ゴガッ、という鈍い音は当然、砕かれた岩から鳴るものだった。
魔力で補強をしてあるその傘は、レミリアの爪を受け止めるほどの代物である。回転を加えた岩塊と、粘土で作られた泥玉との区別などない。
その一息で破壊した岩は、二つ。最初に岩を砕いた流れそのままに、ついでにもう一発が砂に還っている。残ったもう一つは避けるまでもなく勝手にどこかへ飛んでいってしまった。
幽香の動きは決して早くない。しかし、緩やかに流れるようなその動きは、弾幕の要諦を鋭く見抜く“目”が無いとなしえない。
必要最低限のモーションを無意識に処理する頭脳、潰されればただでは済まない岩塊を前に怯まない度胸――彼女は、おおよそ戦闘に必要な全てを持っていた。
だが、そんな彼女でも、迫る岩とは別に飛んでくる黄色い“何か”に気づくのは、少し遅れた。
真正面から飛来した岩塊たちとは違う方向、幽香の右側から飛び掛ってくるその棒状の何かは、横薙ぎに回転しながら、まるでブーメランのような動きで彼女へと向かってくる。
時折どこかからの光を反射しているかのように、紅い光を鈍く滲ませていた。
視界の端から飛んでくるその物体、それが先ほどまで天人が持っていたあの剣だということに、幽香は咄嗟に思い至る。――ならあの天人は?
だが、そんな疑問を解決する前に、ヒュンヒュンと風を切る緋想の剣はもう彼女に手が届くところまで来ていた。
幽香はひとまずの疑問を後回しに、迫る物体への対処を瞬間的に判断すると、体を大きく後退させ、回避を選択した。
傘を持つ側とは反対から飛んでくる剣を弾くよりは、避ける方が早く、確実だ。
「まだまだぁ!!」
横回転のまま飛んでくる緋想の剣が幽香の前を通り過ぎるのとほぼ同時、その剣の持ち主である、天子の声が響く。
その方向は――真上。幽香は思わず声の方へと視線を上げる。
上も下も無く、宙にうつ伏せになるように浮かび、幽香へと体を向ける天子の胸の前には、人の頭ほどの岩が浮かんでいた。
粗雑に使い捨てにされたさっきまでの岩塊と違い、なぜかそれには、ぐるりと一周、注連縄が巻かれている。
それだけを瞬時に確認するころには、その岩が紅く発光を始めていた。
気質の色、それを萃めるかのように輝き――放出する。
まるでレーザー光のように形を成し、紅い光線が数本降り注ぐ。すぐ頭の上、目と鼻の先程度しか距離の空いていない場所、それは射撃武器からすれば、ゼロ距離と同じことだった。
そんなゼロ距離射撃を前に、幽香の脳裏に様々な言葉が浮かぶ。
速度差無く飛んでくる魔力光。破壊はできない。貫通力は高そう。速度も充分。黙って喰らえば、それなりの被害が出る。
そして、浮かぶ言葉たちよりも早く、彼女は決断を下していた。
幽香はその場から飛び出すようにして、大きく後方へと下がる。足首の返しだけで軽やかに元いた場所から後退する。
その咄嗟の判断により、すんでのところでレーザーの直撃も避けることに成功していた。高い判断能力と、それに身を任せることができる彼女でなければ、こうはいかない。
だがそれでも、レーザーが抉る地面が炸裂するのまでは避け切れなかった。
着弾し、その威力に押されるようにして弾ける石つぶてや砂塵が、盛大に彼女へと飛び掛る。
大地の爆発圏外まで身を引けなかった幽香は、土煙の中で小石たちの襲撃をその身にまばらに受けていた。
もちろんそれら単体などさしたる痛みはなかったが、それが却って彼女には腹立たしかった。
「鬱陶しいわね……」
彼女は飛び退きながらも砂煙の中へと目をやる。
景気よく振りまかれているおかげで遠くまでは見通せないが、その中にどうにか青い髪の少女の姿を認めた。
後退する動きの中で幽香はそれを確認すると、着地し、その足で前へと飛び出した。
砂煙の中で相手を見失っている、愚かな天人に一撃を見舞おうと。
天子は追撃を送ろうと思ったのか、幽香のいた辺りに僅かに浮いているだけだった。空を蹴って離脱する様子もない。それどころか、幽香の場所を把握できているか怪しいほどだった。
幽香はその人影を目がけ、大地を奔り、砂塵を切り開き、一息に天子の目の前へと躍り出る。
目晦ましになっていた砂煙も薄く、すでにそこは射程圏内。
天子の表情まで見える距離――そこで幽香は気づいた。
今や窮地にいるはずの天子が、薄く笑みを湛えていることに。
「飛び込んできてくれてありがとう!」
その声が聞こえるのとほぼ同時に、幽香の耳にはもうひとつの音が届いた。
ヒュンヒュンと風を切る音――本当についさっき、どこかで聞いた音。
天子の真横、つまり幽香から見てもほぼ真横。
風を切り、煙を斬り、横回転を続ける緋想の剣が乱入してくる。
思わず幽香は目を見張った。
ブーメランのような動きをしているだけで、本当にブーメランのように返ってくるなどとは、まさか予期していなかった。
幽香は表情には出さず、内心だけで少し後悔した。
――さすがに、ちょっと迂闊だったか。
おかえり、と小さく囁き、天子は自らの許へと忠実に帰ってくる緋想の剣を片手で受け止める。パシンッと気持ちの良い音を響かせ、彼女の手元に収まっている。
そのまま、ニッ、と口許を歪めると、手にした剣を器用に逆手に持ち替えた。
そして――手元に帰ってきたばかりの緋想の剣を地面に投げつける。
帰ってきてすぐに投擲されることに文句も言わず、緋想の剣は地面に刺さり、それと同時に、彼女は彼女の力を高らかに宣誓する。
「地符!『不譲土壌の剣』!!」
刺さった剣を中心にし、大地が隆起した。
まるで波打つようにして岩肌がめくりあがってゆく。
そのたびに岩と岩が擦れ合う、ガガッガガッ!という鈍い音が響く。
天子の目前まで来ていた幽香は、その岩波をもろに一枚目から受けていた。
もちろん、咄嗟のガードは間に合っていた。だがそれでも、彼女がその身に攻撃を受けていることに変わりはない。
彼女は波に呑まれるように、隆起し続ける岩を体に受け止め、そして波にさらわれるようにその場から押し下げられてゆく。
数枚目の波が立ち、そこで大地の隆起が止まり、幽香は大きく弾き出された。
勢いよく宙に放り出され、数メートルほど吹き飛ぶと、どうにか地面に足をつけることができた。そこでやっと、彼女に自由が帰ってくる。
その代償に、服はボロボロになってしまっていた。
中身のダメージは、ぱっと見ではわからない。
距離が広がったことを確認し、天子は地面に足を着けると、真っ直ぐに大地へと突き刺さっている緋想の剣を回収した。
刺さったままに、ぼんやりと光っている。
彼女たちが戦っている空の下は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。
今が昼ならば、そこには透き通るような“蒼天”が広がっていただろう――――。
「ふぅ……こんなもんかしら?」
地面に刺さる剣を片手で引っこ抜きながら、天子は幽香の方を流し見た。
幽香はしっかりと地に足を着き、両腕でのガードをすでに解いていた。片手には傘、そして空いた片手でせっせとスカートの砂を払っている。
「やってくれるじゃない。お洋服がボロボロになっちゃったわ」
溜め息混じりに眉根を寄せる彼女は、一見してはそう大きなダメージを負ってはいないようだった。だが、そのことに天子は落胆の色はない。
――なんにせよ、押してるのは私だしね。
「服だけで済んで良かったじゃない。時間ならあげるから、立ってることに喜んでもらってもいいわよ」
ふふっ、と小さく笑みを零し、天子は満足そうに言った。
確かに、あの“風見幽香”を前にして、これほどの優位を保っていられている者は稀有だろう。
幽香の風評についても事前知識として知っていた天子が、自らの力に自信を持つのもわからないではない。
「あらあら、随分調子に乗せちゃったかしらね。なんだか申し訳ないわ」
「言ってなさい。言ってる間くらいは黙って聞いてあげるから」
幽香の声にも怯まず、天子は意気軒昂に剣をひと薙ぎした。
そもそもが誰と相対してもそうだが、彼女は常に負けることなど微塵も考えてはいない顔で、戦場に立っていた。
傲慢と自信、そしてこの異変の初日に知った敗北と無力感。
それらを踏まえた上で、彼女は変わらずに、傲岸不遜な顔でいた。
「あら、お優しいことで。――ふふ、あなたがそんな調子なら、私も楽しくなってくるわ」
強気に滾る天子を眺めて、幽香はつられるようにして微笑む。
「でも、私が思ってたよりは時間が潰せそうでよかったわ。もう最後でしょうし、ゆっくりと楽しませてもらおうかしら」
「妖怪風情に時間はかからないわ。でも……そうね、お望みとあらばゆっくり戦ってあげないこともないわよ?」
「ふふ……いいわ、その天狗になっている感じ。これからちゃあんと泣かしてあげるまで、あなたはずっと強気でいてね」
幽香が弾幕を展開させる。
ひと間のやり取りを挟み、彼女たちの戦いはまだ続く。
【 P-3 】
黒い空に浮かぶ白い月。
それを背景に、天子は妖怪の山、瓦礫の上に立つ。
思い返してみれば――こうして下界から月を眺めるのは、とても久しぶりのことだった。それこそ、何百年と昔の記憶。
だがその当時の彼女は箱入り娘だ。こうして夜の山の中から月を見上げるなんて経験は、当然初めてであった。
さらに言えば、三日間の無断外泊も初めての体験である。こちらは完全に、まったくやったことがない。不良天人、などと言われながらも、彼女の育ちはそれなりに良いのだ。
――これはさすがに…………帰ったら怒られるかも。……衣玖連れてってなんとかしてもらおう。
突き出した岩山の一番上で、ぼんやりと月を眺める。
改めて地上から眺める月は、天上から見るものと同じようで、どこか違う気もした。
「変な子ね。そんなにお月様が珍しいかしら」
不意に眼下から声がした。
声と一緒に、ガラガラン、と小石が転がり落ちる音もする。
視線を下げたその先、大きな岩を足蹴にしながら、幽香が見上げていた。
「まぁね。それなりに珍しいわ。あんまり夜遊びってしたことないのよ」
足元にいる妖怪は、忌々しそうにスカートの土埃を払っているところだった。一見して体へのダメージらしいものはどこにもない。
もう数合――かなりの数を繰り返しているが、依然として天子の目の前にいる彼女はケロリとした顔のままだった。
カラン、とどこかでまた小石が転がる音がする。
天子が無作為に突き上げさせた大地は、隆起し、崩れ、突き出し、壊され、を繰り返していたせいで、元の地面よりもはるかに足場を悪くしていた。
元々、昨晩に吸血鬼の少女が暴れ回った場所である。今夜の分が始まる前からすでに荒涼とはしていた。
さらにそこに、まるで渓流沿いのように大きな岩がゴロゴロと転がり、それらが積み重なった一番上に、天子が陣取っている。そこは小高い岩山のようにも見えた。
「あら、夜遊びは健康に良くないわ。女の子なら太陽の光を浴びましょう」
「今まで太陽を近くで見すぎてきたからお腹一杯よ。今は夜遊びが面白いお年頃なの」
岩に突き立てている緋想の剣も、同じことを思っているはずだ。
――まだまだ、夜はこれから、ってね。
「不良娘ねぇ。親御さんの顔が見てみたいわ」
「う゛っ…………」
呆れたような幽香の声に、思わず言葉に詰まってしまう。
不意に思い出した父親の顔が頭をよぎった。よぎるとともに、場面が思い浮かぶ。
家に帰った自分。顔を真っ赤にし、青筋奔らせる父。正座して怒られるところまでが簡単に想像できた。
緋想の剣の無断拝借に、三日間の無断外泊。
不良天人の肩書きに、“不良娘”が追加され、きっとそのことでも大いに怒られるだろう。
「んっ!ごほんっ!」
仰々しく咳払いをし、話題を変えた。
「……ところで、お願いがあるんだけど」
「あら、なにかしら」
その心中を察しているかのように、幽香は微笑み、天子を見上げている。
ここまで戦って数合、彼女はずっと笑顔のままだった。
どれほどの攻勢をかけられようと、どれほどの力を見せられようと。
剣が目の前を掠めようと、地が怒涛に隆起しようと。
彼女はそれらを捌き、いなし、躱し、壊し、時にはその身に浴びることもあった。
ゆっくりと、その全てを味わうかのように。
幽香を見下ろし、天子は突きつけるようにして言う。
「いい加減、本気で戦ってくれないかしら」
“お願いがある”と切り出した言葉ではあったが、彼女の態度に、お願いしようという様子はまったく無い。
横柄に、傲慢に、眼下の岩の上にいる妖怪へと上から目線で言い放つ。
「――ふふっ、何を改まって言うのかと思ったら」
見下ろす天子の態度に文句も言わず、幽香は笑って答えた。
「私はいつでも本気よ?恥ずかしい話、力の加減ってあんまり上手くないの。あ、言いふらしちゃダメよ?」
クスクスと笑いながら、天子を見上げる。
視線の先、一番高い岩山の上、少ない足場にふんぞり返るような天人は、その偉そうな態度がなかなかに堂に入っていた。月を背景に見下ろす姿も似合っている。
それでこそ、と、幽香は内心で笑みを零していた。
「……馬鹿にしてるんでも、軽く見られてるんでも、なんでもいいわ。……どっちにしろ許せないけど」
「じゃあよくないんじゃない」
天子は地に杖ついていた緋想の剣を握り直す。
黄色い刀身が、ぼんやりと紅い光を滲ませる。
「あれが全力で、私を泣かそうって言うんなら――そっちの方が許せないわね!」
叫ぶようにしながら、一息に地面を蹴った。
空へと飛び出し、そして自由落下の速度で幽香へと襲い掛かる。
幽香もそれを見、それまでいた足場から別の岩の上へと飛び移った。
彼女がいたその場所へと天子は落下してゆき、突き立てた緋想の剣が大きな岩を砕く。
足場をひとつ破砕し、天子はまたすぐに幽香へと向きなおすと、そのまま彼女へと飛び出してゆく。
その突進をまたも幽香が躱し、そしてまたひとつ岩が砕ける。
「あらあら、短気ねぇ」
岩が崩れる音が間断なく響く中、彼女は変わらず呑気に声を上げていた。
弾丸のようになりながら自身へと突撃してくる天子を眺め、
「うーん。まだ早い気もするんだけど、ご所望とあるなら……」
また別の岩へと飛び移りながら、そう呟いた。
さっきまでいた場所も、天子が破壊していた。
「やっぱりまだ全力じゃなかったっ!」
幽香へと切り返しながら叫ぶ。
怒っているような、喜んでいるような声。そのどちらも本音で、二つの本音が混ざった声が、岩塊が崩れる音の中に響いている。
「集中力の違い、ってヤツよ。不良のお嬢さん。意識の変化でも、スイッチの入れ替えでもなんでもいいわ。さっきまでのはさっきまでのなりに本気で戦ってたんだから、嘘は吐いてないわよ?」
着地していた場所からもすぐに足を離す。
“スイッチの入れ替え”
――なんか似たような言葉を…………あぁ。
幽香へと飛びかかりながら、不意に記憶が蘇った。
目の前で笑っている彼女の顔が、一昨日見た“彼女”の顔で上書きされる。
「ただ、あんまり望んでいるみたいだから」
――そう言えば、こいつの気質って見てないなぁ。
そんなことを考える余裕は、すぐに消える。
「少しばかり気合を入れましょうかね、って話よ」
幽香は別の岩の上へと飛び――そしてすぐにそれを蹴る。
また別の足場への跳躍ではなく、そのまま真っ直ぐに天子へと飛びかかった。
追い、追われる二人の距離が、瞬く間にゼロになる。
一瞬で間合いとなり、天子は緋想の剣を振る。
それを幽香の傘が真っ向から受け止め、弾く。ガキィンッという硬質な音が響いた。
攻撃を逸らされるのではなく、思った以上の力で押し返されることで、予想外に天子が体勢を崩す。
彼女がなんとか体を持ち直したのと、幽香の傘の先が眼前に突きつけられたのは、ほとんど同タイミングだった。
「ちょっ……っと!」
適当に声を口にし、大きく体を反らす。
突きつけられた傘の先が光る。
ほとんど仰け反るようになりながら、傘の先から放たれた魔力弾を間一髪に躱した。
そのまま彼女の後ろへと飛んでいった弾が、どこか遠くで炸裂した音が聞こえる。
避けられなかった時のことが脳裏に浮かび、冷や汗が流れた。
天子は体勢を崩されたままに、幽香を睨み、剣を振った。
腰を入れられていない剣閃は、威嚇程度にしかならなかったが、それなりに速度がある。
それを幽香は紙一重で躱す。
すぐに体を立て直し、次の一撃を振るが、それも当たらない。
剣戟の全てを見通しているような幽香の瞳は、さきほどまでと確かに雰囲気が違っている。
彼女の顔は、相変わらずに笑顔のまま――――。
天子は剣を振るうのを止め、そのまま自分の前にかざした。
萃めた気質の紅を帯びている剣が、ひときわ強く輝き、その刀身から気質を飛ばす。
紅く、針のようになっている気質の弾は、ささやかな弾幕として飛ぶ。
量自体は大したことは無いが、直接攻撃の間合いからの射撃である。
本来なら完全に回避することの難しいそれさえも、幽香は要諦を見通し、針と針の隙間に体を滑りこませる。
集中力を増した――スイッチを僅かに入れた彼女の瞳は、さきほどまでよりも多くの情報を取り入れ、処理している。
だから、いつの間にか彼女を左右から挟もうと配置されていた二つの岩石にも、幽香は気づいていた。
「これでっ!」
天子は叫び、左右の岩に命令を下す。
周囲に散在する岩石のうちの二つが、ゴゴゴッ、と身震いし、急に動き出した。
その質量からは想像もできないような速度で飛び――その質量から想像しうる音を上げ、それらは盛大にぶつかり合った。
両脇から幽香を押し潰すようにして飛来した二つの岩が、間に彼女を挟むことなく、ぶつかり、砕ける。
いくつかの岩になり、多数の石になり、無数の砂になり、中空を舞う。
瞬間的に後退していた幽香と、岩を呼んだ天子の間で砕け、二人を分かつ。
互いの姿が、岩と石と砂塵で見えない。
それでも――天子の思惑通り。
彼女はかざしていた緋想の剣を、幽香がいるであろう方向へと突き立てる。
緋想の剣が、再び紅く染まる。
「気符!『天啓気象の剣』!」
宣誓し、剣を振り抜いた。
紅く、刀身を覆っていた気質がその形のままに、弾丸のような勢いで射出される。
紅い剣閃は弾となり、そのまま真っ直ぐと飛び、岩を砕き、石を弾き、砂塵を吹き飛ばす。
そのまま、そこにいるはずの幽香を突き刺すために。
パラパラと、砂煙が落ちてゆく。視界が晴れる。
半身をずらしている幽香と、彼女の微笑んだ顔が、目に飛び込んでいた。
「――――幻想」
カラカラと、空にあった石たちが地面に落ちる音がする。
大きくもない声が、妙にはっきりと聞こえる。
「『花鳥風月、囁風弄月』」
スペルを宣誓する声が透る。
瞬間――天子の視界が、光に覆われる。
光る弾。弾幕。埋まる視界。砂塵が一掃される。
浮かぶ月。光る弾。弾幕。
体に奔る痛み。鈍痛と激痛。
やはり、彼女は笑っていた。
弾幕が晴れる――――
一瞬で現れ、一瞬で姿を消すその様子は、ほとんど災害のようだった。
幽香は中空に佇んでいる。
すでにさきほどまでの砂塵は、一切そこには無い。
カラン――と、どこかで石が転がる音がした。
彼女の足元の大地は、辺り構わずに隆起し、瓦礫の山のようになっている。
そこの大きな岩の上から、石が一つ転がり落ちた。
力無く倒れる天子の姿が、そこにある。
ダランと垂れる四肢。
乱れる艶やかな髪。
黄色い刀身の剣が、すぐ傍に落ちている。
「ほぅら……やっぱり早かったじゃない」
その様子を眺めながら、幽香はクスクスと零していた。
【 P-4 】
山の風は、他のどこよりも寂しげに吹いている。
「さ……て、どうしましょうかね」
その風に髪を揺らす彼女の声も、どこか所在無さげに聞こえた。
彼女の視界にあるのは、剥き身の岩だらけの地面。
遠く辺りを囲む森。満天の星空。十六夜の月。
そして足元に転がる、物言わぬ天子の姿だけだった。
幽香は手持ち無沙汰そうに傘を振り、ふわりと岩の上に降り立つ。
「あんまり急かされるから乗っかっちゃったけど、やっぱり急いじゃダメね。……なんだかとっても消化不良」
はぁ……と溜め息を零しながら、すぐ傍に転がる天人を見下ろす。
視線を下ろした先、そこには少し前まで元気に自分を見下ろしていた彼女が、今では力無く足元に転がっているばかりである。
――やっぱり加減は難しいわ。もっとじっくり虐めてあげたかったんだけど。
彼女は不意に、天子のすぐ傍に黄色い剣が落ちているのを見つけた。岩肌の上に、刺さるでもなく転がっている。チラチラと目にした紅い光は、今はまとってはいない。
幽香はおもむろに緋想の剣を拾い上げ、目の前で寝ている天子の傍に突き立てた。
岩肌に直接打ちつけたのだが、それでもまるで地面に突き刺すかのように、すんなりと刺さる。刃が鈍いようにも見えて、実はそれなりのようだ。
「ねぇ、ホントにもう立てない?」
突き立てた剣の隣にある頭へと問いかける。
戯れに尋ねてはみたが、正直、幽香は答えが返ってくることに期待はしていなかった。
だが――――
「――げほっ!うっ…………つっぅ…………」
「あら予想外」
彼女の予想に反し、天子はすぐに意識を取り戻した。
節々の痛みに耐えるように、僅かに、ゆっくりとではあるが、どうにか体を起き上がらせてゆく。
「誰が……立てないって?」
天子はゆっくりと口を開く。意識もはっきりとしているようだ。
顔を上げてはいないが、おそらくその瞳もまだあの不遜な色を湛えていることだろう。
予期せぬ出来事に、思わず幽香は笑みを零す。
「偉い偉い。なんだかやられ慣れてるみたいで嬉しいわ」
短い呼吸を繰り返す天子を眺めながら、本心から嬉しそうに言った。
「まぁ……ね。つい一昨日にも、こうやって焚きつけて、そんでボコボコにされたばっかりなのよ」
「経験豊富で何よりね。そこから何ひとつ学んでいない、ってのはどうかと思うけど」
「余計なお世話よ」
言い切るうちに天子は立ち上がり、幽香と向かい合った。
体中が切り傷と打ち身だらけであり、それを裏付けるようにして纏っている服もボロボロ。
しかしそれでも、幽香が思っていたよりもはるかに、その足には力が入っていた。瞳に灯った色も、案の定、変わってはいない。
――ふむ……結界が強まってる?最終日なのに?……最終日だから?
彼女はその様子を眺め、一考する。
もちろんその時、雲より高い空の上で行われていることに関しては、彼女はまったく知らない。
そうして僅かにだけ考え、
――まぁ、なんでもいいわね。
と、頭に浮かんだ疑問をあっさりと無視した。元々、彼女はこの異変自体にさほど興味は無かった。
改めて誰かに“暇”かと問われれば、そうでもあったし、そうでもなかった。それでも参加した以上は、きっと自分も“暇”だったのね、と思う程度である。
――この子みたいなわかりやすいの、紫は好きそうね。
内心で微笑んだ。
二人がすでに知り合いで、犬猿の仲だとは、彼女は知らない。
「っていうか……何?さっき言ってたアレは、スペル名?」
幽香の内心を知ってか知らずか、彼女の思案に天子は口を挟んだ。
立ち上がるもふらつく足どりを、どうにか目の前に突き刺さっている緋想の剣を杖にすることで支えていた。
そうして目の前の緋想の剣にもたれるようにしながら、彼女はその緋色の瞳を絶えず幽香へと向けている。
「ん――あぁ、アレ」
はいはい、と相槌を打ち、
「そうよ。私のスペルの名前。スペルカードルールってあんまりやらないんだけど……こんな幻想郷だしね。流行りの遊びくらい嗜んでおかなきゃ」
彼女は笑って返した。
幻想郷のスタンダードな決闘方法である“スペルカードルール”。
幽香は基本的にはあまり異変に顔を出す方ではなく、できなくても問題は無かったが、それでも彼女の言う通り、嗜む程度にだけはスペルを用意していた。
「妖怪のくせに、無駄に典雅なお名前なことで……」
「あら、お褒めいただきありがとう」
傷だらけの体で皮肉を述べる彼女にも動じず、笑顔で礼を返す。
思っていたリアクションが返ってこなかったことに、天子がつまらなそうに顔を背けていると、
「――“ただあるがまま”よ」
「んあ?」
幽香の声に、背けていた顔を向きなおす。
そうして目に映った風見幽香の顔は、やはり、楽しそうに微笑んでいた。
「さっきのスペルの意味。“ただあるがまま”――良い言葉だと思わない?」
うっとりと目を細める彼女は、まるでその言葉の意味を自慢するかのように、キラキラとした笑顔でいた。
ここまでの笑顔と同じもののようでも、違うもののようにも見える。
「無為自然に百花斉放。ただあるがままに花は咲き、ただあるがままに――――」
目を細め、口の端を持ち上げるようにして出来るその笑み。
どこか薄ら寒くさえ感じる、妖艶な美しさを湛える笑み。
天子が地上から月を眺めた感想と――それは一緒だった。
「ただあるがままに、私は、最強の妖怪なのよ」
臆面も無く、彼女はそう言い放っていた。
最強の妖怪――最強の幻想。
様々な幻想たちが跳梁跋扈するこの楽園の地で、“最強”を自負できる者は少ない。
強力な妖怪を一蹴できる妖怪も、その妖怪を容易く捻る化物も、その化物を凌駕する怪物も、幻想郷には掃いて捨てるほどに存在する。
そんな中で“自分が最も強い”ということを口に出す者は、その縮図を把握できていない者か――“化物”クラスを超越できる者だけである。
吸血鬼を――文字通り最強クラスの幻想を前にしても、そう言い放っていた彼女は、“ただありのまま”の自信に満ちていた。
『いざ戦えば、誰一人私の前には立たせない』
そういう種の圧倒的な自負が、今、空気を伝って振り撒かれる。
そんな彼女の言葉に、天子は思わず目を見開いていた。
幽香の台詞を黙って頭の中で咀嚼する。
そうして頭の中を渦巻く言葉たちを差し置いて、彼女の口から出てきたのは――――
「はっ、はははっ!あはははははははははははっ!」
なぜか、呵呵大笑だった。
「あらら、頭の方が耐えられてなかったのかしら。やっぱり加減っていうのは難しいわ」
笑うようなことを言った覚えの無い幽香は、目の前で急に吹き出した彼女を見て溜め息混じりに言った。
失礼な物言いではあったが、彼女は割と本気でそう思っていた。そうでなければ理由がわからない。
ほとほと不思議そうな顔のままの幽香を無視して、天子はひたすらに笑い、満足したように顔を上げた。
「あー可笑しい。価値観の違い、ってヤツね。地上にもそんなこと言うヤツはいるとは、恐れ入るわ」
体の傷を忘れているかのように笑いきり、彼女は幽香を見る。
「ただあるがまま…………」
笑顔が余韻を引き、薄く笑ったままの顔で、言い放つ。
「――くっだらないわね!」
彼女は、全力でその言葉を否定した。
まるで――彼女自身の存在を賭けるかのように。
「ただあるがまま、そこに在るものを、そのままに受け入れて暮らすなんて……そんなの真っ平御免だわ!」
彼女が心に留めたのは、“最強”という単語では無く、“ただあるがまま”。
自分を差し置いて最強を語ることも許せないではあったが、それよりも“あるがまま”を是とする考えこそ、彼女は許せなかった。
「他の天人たちみたいな言葉……聞き飽きたよ!そんなのじゃ私は満足できない!私は私の――楽しいことを探して歩く!そっちの方が、よっぽど刺激的よ!」
彼女の敵意は、すでに幽香に向いていないようでもあった。彼女の言葉をトリガーに、脳裏に浮かぶ天人たちへと、その矛先は向けられている。
武陵桃源にて山中暦日に過ごし、年年歳歳と時間を潰す――そんな日々を、彼女は壊したかった。
そうしてどこか遠い目をしながら息巻く彼女を、幽香は思わず不思議そうな目で見てしまっていた。
急に笑い出し、ここまでを吼えた理由が、彼女には正確に伝わっていない。
二人は初対面である。互いのバックグラウンドを知らずに、彼女の言葉の意味などはわからない。
そうして、暫時呆気に取られる。
だが、自分を見、筋違いの主張を通さんとする彼女を見て――――
「…………ふ、ふふふ」
幽香も、思わず小さく零していた。
「あなたの言う通りね。価値観の違いっていうのは、とても面白いものだわ」
目の前で懸命に叫びを上げる少女を見ると、彼女は、どうにも――――
「“違い”を眺めるのは、私も好きよ。同じ花でも、違う形の花が咲く。十人十色で、鮮やかに」
くすっ、と鼻を鳴らす。
顔にはあの笑顔が浮かんでいる。
「でも……私は四季のフラワーマスター。違った色の花を私好みの色にするくらい……訳ないわ」
――どうにもこういう子は、からかってみたくなるわ。
幽香はクスクスと小さく笑い声を漏らす。
さきほどまでの笑顔――とは色の違う、後ろ暗い笑顔。
薄ら寒くなる妖艶な笑顔はそのままに、僅かに色調を落としたかのように、嗜虐の色が強く滲んでいる。
ニヤリ、と持ち上がる口角が、それを見る者の背筋を冷たく震わせる。
そんな彼女の笑みを受けて、天子は強く唇を結んだ。幽香からの圧を跳ね返さんと、瞳に強く力を込める。
杖にしていた緋想の剣を握り、地に刺さっていた切っ先を力いっぱいに抜く。
一足飛びに幽香を飛び越え――再び、瓦礫の山の一番上、月の光を背にするその場所へと飛び乗る。
ザンッ、という音を上げ、自らの正面に剣を打ち立て――――
「やってみなさいよ!私は……私の全ては、誰にも変えさせない!」
ゆっくりと振り返る幽香へと、吼える。
緋の瞳に力を萃め、手にする剣を緋色に染める。
「威勢が良くって結構。どうせすぐに大人しくなるわ」
月を背景にした天子へと、告げる。
嗜虐の瞳をわずかに歪ませ、目にした彼女に笑顔を向ける。
そして――再び口火を切ったのは、天子だった。
つい先ほどまでの攻勢とまったく同じく、彼女は緋想の剣を引き抜くと、地を蹴り、幽香へと飛んだ。
重力を味方につけ、自由落下の速度を利用して、彼女へと真っ直ぐに襲い掛かる。
ただ違っていたのは、
「気符!――『無念無想の境地』っ!」
天子がスペルカードを宣誓したことと、
幽香が別の足場へと回避することなく、彼女を正面から迎え撃ったことだけである。
幽香は、落ちてくる彼女へと向けて、傘の先を突き出す。先端にはすでに魔力が込められ、白く光を萃めていた。
やにわに力を込め――放つ。
白い魔力弾が同時に三発、全てが天子へと殺到する。
そのまま全弾が彼女へと命中し、弾が弾ける。
正面からそれを受けた彼女は――怯むことも、止まることもしなかった。
「うあああああああああっ!!」
叫び、そのまま幽香へと剣を振り抜いた。
放った弾が効いていないことを視認し、彼女も咄嗟に傘で受ける。
傘と剣とにもかかわらず、ガキィンンッという音が響く。
すぐ近くで見た天子の体は、ぼんやりと紅く光を滲ませていた。
剣戟に落下速度をプラスしたその衝撃は、片手ではさすがに押し返し切ず、拮抗する。幽香が足を着く岩盤が、ピキィと高い音を立ててヒビを走らせる。
そうして僅かな間の鍔迫り合い――天子が先に体を引き、辺りの適当な岩に着陸すると、そのまま再び幽香へと突進した。
幽香はその一瞬に小考し、もう一度弾を精製し、放つ。
さっき撃ったものよりも、明らかに力を込めて。
再び三発の弾。
込められた力に比例するように速度を増していた弾丸は、回避する間も与えないうちに天子へと届く。
そうして彼女の体へと到達した弾たちが、天子の体に当たり、炸裂した。
「――――っつぅ!」
僅かに顔を苦痛で歪ませるも、彼女はやはり止まらない。
ぼぅ、っと光る体で、痛みに涙を湛えながらに突っ込んでくる。
これで、幽香は確信した。
「猪突猛進はいいけど、そのまま死んじゃうわよ?」
臆することなく、愚直なまでに正面から飛び込んでくる天子へと、声をかける。
――あのスペルは、弾幕系のものじゃない。肉体強化……それも結構お粗末な。
それを確信したからこそ、半ば呆れたような口調でそう告げた。
だが、それでも目の前の天人の勢いは止まらない。
「これくらいじゃ……私は殺せないわね!」
天子は吼え、幽香へと剣閃を振るう。二度、三度、数度。
そのたびに、躱され、いなされ、時には反撃を受けた。魔力強化された傘は、ほとんど鈍器と一緒だ。重い衝撃が体を奔る。
だが、彼女は止まらない。
その時まで。
地に足を着けたままに戦う、二人。
硬い音と鈍い音が繰り返される肉弾戦。
天子の体には目に見えて傷が増えていく一方である。
そうして時を待つ彼女に――“それ”は、すぐに兆候を示した。
ゴゴゴッ、と僅かに地が揺れる。
「――――っ!きたきたきたきたっ!」
足元の異変に、幽香がわずかに顔をしかめる。
そして――――
ズガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
という激しい鳴動音を鳴らし、大地が、大きく身を揺する。
超局地的、直下型の大地震。立っていることさえ困難なほどの、大災害レベルの地震が、妖怪の山を襲っていた。
「これ…………は!」
如何に風見幽香と言えど、足場となる大地そのものの激しい揺れには早急には対処できない。
元より足場の悪い岩の上、彼女はたたらを踏みながらそこに留まることで精一杯だった。
飛び上がり、空に逃げようにも足が取られていて思うようにはいかない。
「時間差発動の地震――『先憂後楽の剣』。もう少し遅かったら、危なかったわね!」
天子の声が、頭の上から聞こえた。
この地震を人為的に引き起こした彼女は、余震を察知した段階で、迷うことなく空へと逃げていた。
彼女は宙に浮き、手をかざす。
その前には緋想の剣。
紅く――紅く。気質を萃め、紅を溜めている。
――スペル……いつ…………?
足元の不安定さと格闘しながら、地震を呼び寄せていたタイミングのことを考え、そしてすぐに止めた。
それよりも、今頭上で紅く力を溜める彼女が――――
「これっ……でっ!」
かざした掌に力を込める。
気質の塊となった紅い魔力が、一瞬、強く輝き――――
「『全人類の……緋想天』!!」
幽香の視界が、紅に染まる。
ゴガァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!
という盛大な音を上げ、魔力の光が奔る。
大地はまだ激しく揺れている。
月までが、紅く見える。
――間に合……………………
彼女の姿も傘も、思考さえも含めて、その全てを、緋想天が食らい尽くす。
乱雑に積み上げられていた岩山も、夥しい魔力によって瓦解する。ガラガラという崩落音でさえ、魔光の音に呑み込まれる。
直撃を受けたその場所は、気質の連続性によるこの弾幕によって、岩の塊が石つぶてにまで破砕されていた。そして石さえも砂粒にまで砕かれてゆく。
「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
彼女は残っている全魔力を投入し、叫び、放つ。
気質に呑まれた幽香の姿は、すでにまったく見えなくなっていた。
それでも、力の丈を、全てを、咆哮とともに絞り出す。
そして――――
最初に、超直下型の地震が止まる。
次に、『全人類の緋想天』が、みるみると細くなってゆく。
天子にとっては、超大型のスペル二つ。さらに間にもう一つ『無念無想の境地』という肉体強化系スペルを挟んでいる。
おかげで攻撃時間自体は、そう長くは維持できなかった――が、高威力攻撃の波状は、それだけで景色を変えてしまった。
岩山のようになっていたその場所は、すでに少し前の半分程度しか積み上げられていない。半分は消し飛んだか、崩れ落ちたか、どちらかである。
元より荒涼としていた大地は、今はすでにほとんど更地だ。薙ぎ倒された木々も何もかも、すでに破砕されていて、長い期間空き地であったようでさえある。
紅い光が、か細くなり、消えてゆく。
魔力の残滓が、光の粒となり、舞う。
砂煙の中をキラキラと――――
そこに立つ、幽香の前にも降り注いでいた。
彼女は手にしていた傘を開き、まるで雨から身を守るよう天子との間に差していた。
雨と言っても、それはほとんど土石流と同じだ。滝のようでも、鉄砲水のようでもある。いかに魔力強化済の傘とは言え、その衝撃を正面から受け止めきるのは不可能だった。
開いた傘は穴だらけ。
彼女の右手側は焼け落ちるように傘の骨が折れている。
防御の間に合わなかった幽香の右側の服は破れ、吹き飛び、その体を紅く擦過傷のように傷つけている。
それでも――つまり彼女は、まだ無事でいた。
開いた傘の先、その先端を銃口とし、魔力を込める。
キィィィィィィッ、と音を立て、萃まる魔力を、天子は黙って見ていた。
もうすでに、彼女にできることは一つも無かった。
――ちぇっ、またダメだったかぁ………………。
それだけ考えるころには、幽香の準備は済んでいた。
彼女の、魔砲の名を呼ぶ。
「『マスタースパーク』」
極大の白い光が夜空へと伸びる。
一直線に駆け上がり、月を貫かんと魔砲が奔る。
一瞬だけの僅かな照射時間。
すぐに光は尾を引き、消える。
カシャン、という音がする。先に剣が地面に落ちている。
それを追うように、空に浮かんでいた天子が、そのまま地面に落ちてくる。
「お疲れ様」
なぜか微笑んでいる幽香の声が、白い光の粒子とともに、天子へと降っていた。
※
「……昨日と今日と、服がボロボロね。また何着か用意しなきゃかしら」
吹き飛んだ右袖を眺めながら、幽香は溜め息混じりに言った。
露わになった白い二の腕が紅く傷つき、痛みを放つ。
だがそのことに感想を述べるよりも、彼女はただただ服のことを心配していた。
「傘もこれだし…………これお気に入りだったんだけどねぇ」
広げた穴だらけの傘は、一見してもう使い物にならなかった。
五分の一程は骨から丸ごと吹き飛ばされていて、すでにほとんど傘とは呼べなくなっている。
彼女はやはり溜め息を吐くと、それを広げたままに肩に乗せた。
――ま、いいわ。帰ったら考えましょう。
肩に乗せたまま柄をクルクルと回す。連動して、欠けた部分がクルクルと上機嫌に回る。
服も傘もボロボロになった彼女は、それでも随分と愉しげだった。
「……………………また負けた」
不意に、どこかから声がする。
足元に転がる天人が、いつのまにか仰向けに寝転がっていた。
「あら、早起きさん。負け慣れてる子はやっぱりタフね」
「うっさーい…………」
寝転がっているままに力無く反論した。一見してボロボロなのは、むしろ彼女の方だ。
ごろん、と転がったまま、大の字になって夜空を見上げている。
「なんか、月が妙に高いわね」
満天の星空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「それだけ地面に近ければ、そうでしょうね」
彼女の呟きを、幽香が拾う。
――…………そりゃそうか。
なんだか、無性に可笑しかった。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
可笑しさついでに、思いっきり叫んでみる。
寝転がったままに、力いっぱい。
目に映る月まで、届かんばかりに。
「あー……ははっ!地上は強いヤツばっかりねっ!やんなっちゃうわっ!!」
結局この三日間、天子が戦ったのは二回。
その二回とも、完膚無きまでに負けてしまった。
そう思うと、どうにも口惜しくて仕方ないが――それでも、今彼女はひたすら笑いたい気分だった。
もういっそ清々しくすら思えている。
――ま、いいわ。これからの目標が二つできたと思えば、悪くないでしょ。
見上げた月は相変わらず、どこか薄ら寒くなるような、妖艶な美しさで輝いている。
そんな月の光が、彼女には刺激的で――とても好きになれそうな気がした。
「ふふふっ、面白い子」
そんな天子を眺めていた幽香が、思わず笑い声を漏らしていた。
そのまま寝転がる彼女の傍まで行き、覗き込むようにして身を乗り出す。
「今日の分は預けておいてもいいわよ。私も勝てた気がしないしね」
クスクスと微笑んだまま、天子へと言葉を落とす。
「ここまでしといてよく言うよ」
はっ、と鼻で笑いながら返す。
負け惜しみのようでみっともなくも思えたが、それも今はどうでも良かった。
「まぁね。――でも私は、“あなたを泣かせる”つもりだったんだから。それだけやられても笑ってる子相手じゃ、それも難しそうだけど」
「ちぇっ……言ってくれるわ」
幽香は変わらない笑顔を天子へと向けている。
月に被さるようにして映る彼女の顔は、天子の思った通り、月光のようで――――
――あ。
と、不意に思い出した。
一瞬ハッ、とし、睨むようにして幽香を見返す。
「でも私は、“あるがまま”なんて考えには絶対ならないわ!」
強く瞳に力を込めて、目の前の笑顔を睨みつける。
身体には力が入らず、寝転がったままの体勢になってしまっていたが、彼女は、彼女の意志を強くその瞳に込めた。
のだが――――
「ん?どうしたの急に」
「は?」
返ってきた返事は、予想もしていないくらいに呑気なものだった。
思わず目を丸くして、素で声を上げてしまう。
二人とも疑問符を灯したままの、微妙な空気が流れる。
そこで、
「――あぁ、なるほどね」
幽香は気づき、思わず吹き出してしまった。
天子の懸念のタネとなっている、自分の言葉を思い出したのだ。
『でも……私は四季のフラワーマスター。違った色の花を私好みの色にするくらい、訳ないわ』
からかい半分で言った言葉だとは、今さら言えない。
「別にあなたの思想までを従属させる気は無いわよ。言ったでしょう?私は違いを眺めるのも好きなのよ」
どうにか笑いをこらえながら、そう説明する。
こらえきれずに声が笑ってしまっていることには、幽香自身も気づいていた。
「……負けたら洗脳でもされるかと思ってた」
「あらあらー。それは怖いわねー」
「う、うううううるさいなっ」
思わず発したからかう声に、天子は顔を紅くして目を背けてしまっていた。
――つくづくイジメ甲斐のありそうな子。
彼女の溢れる嗜虐心に火が点きそうになるが、どうにか自制する。
そして楽しさを噛み殺しながら、できるだけ真面目な声音を作ってみせた。
「私は四季のフラワーマスター。花の色は変えられるけど、あなたの色は変えられないわ。――好きに生きてちょうだい」
そう言って笑顔で覗き込む。
天子はまだ寝転がったままに顔を背けている。
「それに――違う色の花が、私の気分を変えることもあるわ」
幽香は言いながら、顔を覗きこむのを止める。
目の端でそれを眺めていた天子が、顔を上げると――すぐ隣に、人が座り込む気配がした。
天子は思わず、力の抜けた体を起こし、気配の方へと視線を向ける。
そこには、結局終始そのままだった彼女の笑った顔があり、
「もう時間も随分半端。それなりに満足もしたわ。――残った時間、お話でもしましょう。あなたの話が聞いてみたいわ」
穴だらけの傘を肩に担ぎ、柄をクルクルと回している。
連動して、欠けた部分が上機嫌に回る。
楽しそうに、楽しそうに、クルクルと。
「……ちぇっ、仕方ないなー。確かにもう私も今日は動けないし、いいわ」
天子は思わずに吹き出し、再び大の字に寝転がった。
見上げた遠い夜空には、満天の星。
そこは、静かないい夜だった。
「こういう終わりも、アリかもね」
すぐ傍にある緋想の剣が、ひとりでに光っていた。
空は、雲ひとつない“晴天”だった。
the last day's card is present.
Y.-Y. Y.-A.P. M.-I. S.-M.
next person of leisure... ... Y.-Y. 【 R 】
「あなたは未熟ね、妖夢。口にするのは、不可能なことばかり」
「――っ!私は……幽々子様じゃありません!言葉にしてくれないと……伝わりませんよ!」
「言葉は時に冗長よ。無味乾燥に続き、必要の無いことまでも伝えてしまう。……あなたも剣士の端くれだと自負しているのならば、その二刀に想いを乗せて伝えてみなさいな」
to be next resource ...
単に腕っ節の強さを競うなら勇儀を引き合いに出さないわけには行かないし、能力の相性みたいなのもあるでしょうし。
色々とすくみがあって、それら全てで一番のキャラって、多分いないでしょうね。
紫はチートっぽいし、あれを強さと称するのは些か抵抗がある。MUGENで言うF1キーとかみたいな。
そして、やっぱ負けたか、天子。結界の効力である程度は戦力差が縮まっているから、それを生かして大番狂わせとかないかなー、とか思いつつ次号に期待。
ついでに言わせてもらいますと、この話では二人が親睦を深めているようですし、全体で見ても、今まで会ったことのない者同士が遭遇したり共闘したりしているから、そこらへんのキャラの交流模様を後日談で一作書いて欲しい。是非に。
ワガママちゃんだけど、ちゃんと負けてくれるあたりが個人的に好きです。
あと後日談。これは確約します。絶対やります。
いや……まぁ一作っていうかこの作品の最後に、って話ですけどね。
よろしければお付き合いください。