[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 L-5 G-5
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【 I-4 】
フランドール・スカーレットは、少し狂っている。
このことは、幻想郷に住まう多くが知っていた。紅い館の地下には、狂った吸血鬼がいるのだ、と。
当の彼女は噂の通り。紅魔館からは出てこないため、その実像を知っているのはごく僅かではあるが、それでもこの狂気の吸血鬼は、紅魔館を語る上では欠かすことのできない重要なファクターだ。
地の底に封印されたモンスターよりも現実的な、塔の上で幽閉されたお姫様よりも幻想的な、吸血鬼の少女の噂。
紅い館の地下には、狂った吸血鬼がいる。
「あははははははっ!いいよ!楽しい!こんなに楽しいのはいつ以来だろ!」
“狂っている”と言っても、普段の彼女はそこまでおかしな子でもない。
多少落ち着きはなく、変わっているかもしれないが、元々変わり者ばかりの幻想郷である。ある意味頭がおかしい者なんて、掃いて捨てるほどいた。
だが、そんな幻想郷において、この悪魔の妹は“狂っている”というレッテルを貼られている。――なぜか?
「こんなに壊れないのって久しぶり!面白ーい!みぃんな動かなくなっちゃうのに、あなたは丈夫なのね!いいわ!もっと!もっとヤろうっ!」
その要因となるものは――
彼女の持つ、無邪気な戦闘欲。そして、人智を超えた破壊の力。
相手のことを新しいオモチャくらいにしか思えていない幼い思考とは裏腹に、彼女には他の吸血鬼からも隔絶された圧倒的な“力”がある。
そのアンバランスさは、得体の知れないものへの恐怖を駆り立て、幻想郷の中ですら、“狂気”と評されている。
そんな彼女の風評からわかること――それはつまり、こうして戦闘になったときが、一番“ヤバイ”のだ。
しかも、今はスペルカードルールという優秀なリミッターも解除されてしまっている。
限りなく生に近い“狂気の吸血鬼”の破壊力――それがどれほど危険なものか、最もよく理解していたのはもちろん、ミスティアたちだろう。
彼女たちを難なく屠った、黒い魔杖が振るわれる。
無造作に纏われた魔力で紅く煌き、燃えるように猛りながら、その杖は空気を捩じ切り進む。
空気抵抗が咆哮のように音を上げ、杖は振るわれた先の敵を打ち破らんと襲い掛かる。
速度も申し分ない。
威力に至っては言わずもがな。
こんなものをまともに食らえばひとたまりもないことは、もちろん明白。
だが――――
「い、よいっしょぉぉぉぉぉぉぉ―――――っ!!」
迎え撃つ少女は、こともあろうに、その力の塊を拳で殴りつけた。
防壁などは無し。拳の強化も施されてはいない。
純粋に、ただの生身の拳が、圧倒的な殲滅力と拮抗していた。
バチィィィィッ、という破裂音に似た音が響き、行き場を無くした衝撃が大地を迸る。
空気が鳴動し、その衝撃波は薙ぎ倒された木切れを撒き散らせた。
砂塵は堪らず舞い上がり――砂煙が落ち着く前には、二人は爆ぜるようにしてまた距離をとっていた。
「ふぅぅぅぅぅぅ~……」
長く息を吐き、地に立つ少女――伊吹萃香は、満月の吸血鬼の一撃を相殺したことを誇るでも驕るでもなく、凛然とフランを見据えていた。
彼女からすればこの程度の単純な力など、目新しいものではない。
彼女は、“鬼”。
東洋最強の幻想。力比べで一歩引くような彼女ではない。
「ふふ……生きてる!生きてるね!幻想郷って強い人たくさんいるけど、こんなに真っ直ぐぶつかるのって初めて!」
西洋の誇る鬼は、空に浮かびながら楽しそうにはしゃいでいる。
ここまで圧倒的な力が、こうもダメージを与えられていないことを、彼女は悲観するでもなく、むしろ喜々として受け入れていた。
「鬼をナメちゃいけないなぁ。“力”だけなら私が敵わないのだっているんだから」
「そうなの!?スゴイスゴイっ!ねぇ、その人も今度連れてきてよ!」
「って言ってもどこにいるやらねぇ。他の鬼と一緒なら、まだ旧地獄?」
「――?変なのー。おんなじ鬼なのに一緒にいないなんて」
フランの不思議そうな声に、萃香は思わず苦笑いしてしまう。
「いやはや、耳の痛い話だねぇ。まぁ私がこうして出てきたからこのお祭りに参加できてるわけだし、後悔はないんだけどねー」
ははは、と笑い、頭をかく。腕を動かす度に手首から下がる鎖がジャラジャラと音を鳴らしていた。
「そう!お祭りよ!こんな騒がしい夜は大好き!ねぇ、もっと遊ぼう!――お月様が、沈むまで!」
萃香の言葉の深くまで、フランが知ることは無い。彼女は今のセリフの中で、“お祭り”という単語だけを拾い上げ、キャイキャイと歓声を上げていた。
満月の夜、吸血鬼は明らかにハイになっていた。
ここまで遺憾なく力を振るえる相手を前に、フランの眼は、こうして話をしている間も終始戦闘色に染まりっぱなしだ。
無邪気に顔を崩す彼女を単純に可愛らしいと言い切れないのは、その瞳の奥にチラリと狂気が光るのが伝わるからかもしれない。
双眸炯炯、闇夜に染まらず。月の光を背に、爛々と瞳が輝く。誰もが一瞬ゾクリとする魔性の紅。
だがそんな眼光を真っ直ぐにぶつけられている萃香に、気圧されるような様子はない。
高く鳴る少女の笑い声。思わず耳を閉じたくなる、狂気の声。
それらを全て受け止める小さな鬼は、腕を組み、自信ありげに眉を吊り上げる。
そして――――
「残念だけど、私は帰るっ!!」
きっぱりと、そう言い切った。
ふふん、と鼻を鳴らす萃香。思わず目を剥くフラン。
そこにはそれしか無い。
さっきまでとは別の意味で、空気が張り詰めていた。
「まぁ、朝まで吸血鬼とガチンコっていうのもオツなんだけどねぇ~。とりあえず今はチーム行動に徹してやるつもりでいるのさ。だからチルノたちを逃がしたのが、今夜の私の仕事。結構時間も経っちゃったし、そろそろ輝夜も撤退を始める頃だと思うから、私も一緒にお暇するよ」
いやぁごめんねぇ、と萃香は心底気軽に返していた。
そんな彼女の言葉を受けて、それでもフランは目を丸くしたままだった。そのままにしばらく何も答えられずにいる。
見開かれた瞳は焦点が合っているのかいないのか、ただただ呆然と萃香の方へと向けられているだけだ。
そんなしばしの沈黙が流れ――おもむろに、フランが口を開く。
「………………………………もう、帰っちゃうの?」
萃香は何も答えない。
だが、何も言わないという彼女の態度が、それだけで答えを返しているようなものだった。
「……なんでっ!?せっかく楽しくなってきたのにっ!!こんなに楽しいのは久しぶりなのにっ!!もうお終いなんてヤだっ!!ねぇ、他のヤツらなんてどうでもいいじゃない。もっと私と遊びましょうよ?」
そんな彼女の必死の叫びを受けても、まだ、
「悪いねぇ。個人的にはやりたいのは山々なんだけど、今夜はもう時間切れさ」
萃香は頑なに自分の発言を曲げることはしなかった。
彼女は自分の選択にひたすら真っ直ぐだった。
そうと決め、それを口に出した時から、彼女はなにがあってもその道を進むのだろう。それは、剛直な気質の鬼らしい、一本気な彼女の性格を表していた。
だがそんな彼女の気質は、フランを不機嫌にする要因でしかない。
フランの顔色がみるみる変わってゆく。
驚きから悲しみ、そして へと。
感情が切り替わるたびに、それと素直に連動して表情が変わってゆく。
驚きと悲しみに見開かれた瞳は、虚ろに瞳孔が開き、暗い穴を落とす。何も感じていないかのように表情は消え、体の力も抜けてゆく。だらりと宙に浮かぶ彼女からは、生気さえも薄れているようだった。
「………………も………………………い………………………」
ボソボソと何かを呟く。あの楽しそうな声は見る影もなく、低く掠れている。
「………………もう……………………いい……………………」
もう一度呟く。今度はさっきよりもはっきりと。
「……遊んでくれないなら………………壊れちゃえ」
フランが顔を上げる。
その紅い瞳は黒く濁り、ドロドロと渦巻いているのが遠目にもわかる。そのくせ相変わらずに虚ろで、それは底知れぬ恐怖を呼び起こす。
虚のような瞳。
深く深く、暗く冥い、先の見えない穴に突き落とされるような、原初の恐怖を想起させる。
フランはおもむろに、空いた左手を萃香へと突き出す。
手のひらを開き、相手を視界から隠すかのように。
はっきりと開いた掌に、本人しかわからない程度に力を込める――それだけで、予備動作は完了した。
すでに萃香の命は、文字通り、彼女が握っていた。
なんとはなしに、フランは開いた拳を一息に握り締める。
パァンッ!と、何かが弾ける音が響き――ほんの今までそこに立っていたはずの伊吹萃香は、跡形も無く消し飛んでいた。
まるで最初っからそこにはいなかったかのように、あっさりと、ぽっかりと。
これが、フランドール・スカーレットをして、狂気の吸血鬼という徒名までついた由縁のひとつ。
彼女の持つ能力。
“ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”
対象として指定した物体の破壊点――“目”と呼ばれるものを自身の掌へと移動させ、それを握りつぶすことで、どんなものでも破壊することができる、という能力。
防御は不可能。壊せないものも存在しない。無敵の破壊能力。
相手が人間でも妖怪でも吸血鬼でも亡霊でも神様でも。目に見える限り全てを、彼女はその気になれば“破壊”することができる。
それは、不尽の力を持つ鬼という種族でさえ、一方的に殺せてしまうということ。
現にその場から萃香は完全に形を無くしていた。
誰もいなくなった空に、彼女は一人立ち尽くす。
そうして一人になった彼女は、満月を背負い、変わらぬ虚ろな目つきでいる。
それは好敵手を失った悲哀に満ちているようでもあり、殺した相手への憤怒に滾るようでもあった。
風に揺れる木々のざわめきが、戦いの終わりを聞きつけたかのように戻ってくる。
雲ひとつなく輝く満月は全てを照らし、彼女のいる荒地を昼間のように明るくしている。
夜だというのに、なぜかそこは薄く霧がかっていた。
「あぶないあぶない。ホントに殺されるかと思ったよ」
フランしかいないはずのその空間に声が響く。
その声は、さっきまでフランと会話していたはずの彼女の――――
「やっぱり生きてるんだ。……変なの」
「まぁねー。タイミング的にはギリギリになっちゃったけど」
フランは辺りに萃香の声が響くことに、別段驚きをもっているわけではなかった。
彼女はわかっていたのだ。
掌に作った“目”を潰した感触が、あまりに不自然だったことを。
「その能力。対一じゃ最強だろうね。なんせ無抵抗に相手を殺せちゃうんだもん」
正体を失ってはいるが、萃香の声は楽しそうだった。
「でも、その能力が強いのは相手が一人の時だけだね。対象一つしか破壊できないから。例えば――こうやって霧になられちゃ、さすがに手が出せないでしょ?」
辺りを漂う霧から声がする。
萃香は確かに跡形も無くなっていた。ただし、それは自らの意思で。
フランの能力に爆散させられたのではなく、自身を霧状に姿を変えることでこれを回避していた。
確かに、霧の粒子ひとつひとつをいちいち“破壊”していくのではキリが無い。萃香の体積分それを繰り返すことは、理論上可能でも事実上不可能だ。
萃香の言葉通り、破壊できるのは一度に一つだけ。
圧倒的な能力ではあるが、欠点が無いわけではない。
「――そっか、あいつとおんなじようなことができるのね。蝙蝠になるのも、霧になるのも……きらい」
フランは、ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らすだけだった。声の出所を探して、辺りの霧を見渡すこともしない。
「ついでだし、このまま風に乗って退散するとするさ。楽しかったよ、フラン」
「私は最後の最後で最悪だった」
「まぁまぁ、そんなにむくれないでよ。相手ならまたしてやるさね。いつでも来るといいよ~。それじゃ、またね~」
そんな陽気な声を残し、辺りから霧が薄れてゆく。
不自然にかかった霧が引いていくごとに、確かに、萃香の気配が薄れていっているようでもあった。
少し待った後――今度こそ完全に、フランは一人になっていた。
鳥の声も、虫の音も、無い。木々のざわめきでさえ遠い。
彼女の周りは、彼女が薙ぎ払ってしまったから。
ぽかんと広がる荒野に、フランはそうして一人で浮かんでいた。
彼女は黙って、掌を開き、閉じる。
遠く、正面に立っていた木が一本、激しい音を立てて散る。
それだけ。
あとは、傾きかけた銀色の月があるだけだった。
【 J-4 】
「諏訪子様、そろそろ時間ですよ」
「ありゃ、ホント?時が経つのは早いねぇ」
二人は飛び交う弾幕を躱し、そして自身も弾幕を展開しつつ、そんな会話をしていた。
小さな湖の畔に飛び交う四人のうちの二人、永遠亭チームの咲夜と諏訪子は、眼前を飛び交う弾たちに怯む様子も見せず、あくまで呑気な調子だった。
「ここに到着してからかれこれ結構経ちました。ずっとこのメンツで戦ってるのにも、些か飽きましたわ」
「ん~私は全然楽しいけどなぁ~。タッグでやるなんて珍しいんでしょ?」
「私は前に経験がありますね。……そういえば、その時も相手はこの宇宙人だったわ」
「へぇ、結構あることなのかな。しかしその時の相手が一緒なんじゃ、咲夜は飽きちゃうかもねぇ」
「まったくですわ」
二人とも口を動かしながらも、動きを止めることは一度もなかった。相手から目を離すことも断じてしない。
思考よりも深い無意識の領域で、目の前の弾を処理し、自身も反撃の手を動かす。
彼女たちは二人とも、こういった乱戦でさえ経験済みであるかのように、どこかこ慣れた動きをしていた。
「無駄話してるとか、いい度胸ね!」
そんな二人を睨み、鈴仙がスペルをセットする。
「喪心『喪心創痍(ディスカーダー)』!」
高らかに叫び、放つ。すでに右手は銃を模していて、その人差し指の銃口からは一発の弾丸が飛び出してゆく。
一際力の込もった、紅い弾が唸りを上げて咲夜へと突き進み――――
それは呆気なく躱される。
「そりゃまた不用意ね」
当たれば相手の魔力を奪う、という特殊弾丸は、だが、一度に一発のみしか放てない。
弾幕でもなんでもない一撃重視の弾を牽制も無く放つなど、確かに咲夜の言う通り不用意だったとしか言いようが無い。
だが、そのことを後悔するにも、すでに手遅れだった。
「速符『ルミネスリコシェ』」
右手にスペルカード、そして左手でナイフを持ち――スペルの宣誓とともに、咲夜がそれを投擲する。
放たれたナイフは一本。だがそれはおおよそ人が投げるナイフの速度を、大幅に超えていた。スペルカードの体を取り、魔力で強化された投擲は、人の身から弾丸を飛ばすかのようでさえある。
ナイフが白銀の煌きを引き、鈴仙へと一直線に伸びてゆく。
鈴仙はその速力にギクリと体を硬直させた。急いた仕掛けに体勢も整っていない。焦って大技を見舞いにいったのが、完全に裏目に出ていた。
反撃のナイフが空を裂く。
自らに向かってくる一本の銀に対して、彼女は何もできずにいた。
「操神――『オモイカネディバイス』」
彼女にナイフが刺さる一手前、スペルを宣誓する声が鳴る。
鈴仙の正面、眼球を象った使い魔が飛び込んできた。どこからともなく現れ、彼女のナイフの間に浮かんでいる。
そして――その目玉に、深々とナイフが突き刺さった。
ズクンッ、というどこか生生しい音を上げて、銀の刀身を沈ませる。
鈴仙の身代わりになり、ちょうど瞳孔へとナイフを刺したそれは、そのまま力無く落下してゆく。
そしてそれがただの魔力へと霧散する末期、まるで散弾のようにして、弾を吐き出した。
大小様々、前面にのみ広がる弾は、ナイフの投擲主たる咲夜めがけて散り飛んでゆく。
だがそんな予想外の反撃を受けても、咲夜は顔色を変えることはしない。彼女は目の前の弾幕を視界に収め、そして、一息に距離を詰めた。
――ここで退いては、弾の波に呑まれる。
相手の弾幕の性質が散弾だと見るや、それが散り広がる前を狙って回避行動に移す。
前進後退の判断を一瞬で見極め、その決断に迷うことなく身を任せることのできる彼女は、やはり戦い慣れしていた。
だが、
そんな彼女の動きを計算に入れていたかのように、咲夜の眼前には術者、八意永琳が回り込んでいた。
その手には、すでに弓が引き絞られている。
弓の欠点であるリロードの遅さなど気にさせない速射が飛ぶ。
一息に放たれた矢は五本。
超至近距離で放たれた矢を避けることは、人の反射神経では不可能である。
だというのに――永琳の放った矢は、咲夜を貫くことはなかった。
鏃が彼女の肌に触れる前に、彼女は、彼女の世界へと逃げこんでゆく。
誰にも侵されることのない、『咲夜の世界』。
時が止まる。
その間に矢の当たらない永琳の側面へと移動する。
その時ついでに、諏訪子の位置取りと体勢が目に入った。
彼女はそれを目にし、「ふむ……」と呟き、小さく笑う。誰もいない世界で、彼女の鼻が小さく鳴る。
そのまま空に浮かぶ永琳の側面、斜め下気味のところまで移動し、彼女は再び時を動かした。
永琳の意識では一瞬。
彼女が仕留めたと思っていたメイドはそこにはおらず、代わりに、両脇から人の気配を感じた。
「土着神『手長足長さま』!!」
いつの間にか永琳の右側にいた諏訪子が宣誓する。
「幻幽『ジャック・ザ・ルドビレ』!!」
いつの間にか永琳の左下にいた咲夜が宣誓する。
二つのスペルが同時に永琳を狙う。
放たれた光弾と、大量のナイフが、一度に彼女へと殺到する。
「師匠―――――っ!!」
鈴仙の悲痛な叫びに呼応するかのように、二つのスペルの着弾が激しい音と爆煙を起こした。
二つとも爆発するようなスペルではないが、二つの別の魔力がぶつかったせいであろう。永琳の安否は、煙に呑まれた。
挟撃の位置取りをしていた咲夜と諏訪子は、着弾の確認の前にその場を移動し、敵二人を視界に納められる場所に移っていた。
すとん、と軽い足取りで着地する。
弾が当たったからといって、同じ場所に居続けてはいけない。相手が煙幕に視界を塞がれていても、同じ場所に立っていたのでは反撃を食らう恐れがある。 どちらが口にしたわけでもなく同じことを考え、同じ動きを取っていた。
互いの経験値の高さが、互いに急造のパートナーとして心地よかった。
二人は黙って煙が晴れるのを待つ。
打ち合わせ無しで決まったこの挟撃を喜ぶ素振りすら見せないで、ただじぃっと永琳の方を注視していた。
もうもうと立つ煙が、ゆっくりと薄くなってゆく。
そこから姿を現した彼女は――右側を焼け焦がし、左側には無数の切り傷がある、陰惨な状態だった。
火傷のようになっている右腕は紅く煤け、切創を刻む左腕からは紅い血が指先まで流れている。
だがそんな満身創痍にもかかわらず、彼女は慌てるでもなく、ナナメになっていた看護帽を一度脱ぎ、パンパンと軽くはたいて再び頭に乗せていた。
そうこうしているうちに、みるみると傷は塞がっていく。
目に見える速度で切り裂かれた皮膚がくっつき、火傷したように黒ずんでいた肌は元の美しさに戻ってゆく。
蓬莱の薬が彼女をいつもの状態へと引き戻してゆく。
ものの数秒で、彼女はまた無傷の状態へと復活していた。
故に、彼女は永遠なのだ。
「――ね?楽しいでしょ。このお医者さんには“医者の不養生”って言葉は通じないよねぇ」
「養生してる医者ってワケでもないですけどね。ただの面倒臭い生き物ですよ」
「まったく、ヒドい言われようねぇ。回復するっていっても痛いんだから、もう少し労わってもらいたいものだわ」
ふぅ、と一息吐き、髪を払う。長くおさげにした髪が月の光を浴びて艶やかに揺れた。
「し、師匠っ!!大丈夫ですか!?」
そんな彼女の許へと、鈴仙が駆け寄っていった。彼女だけは、無傷な永琳に心配そうな声をかけていた。
永琳の“永遠”を知らないわけでもないが、それでも、彼女は泣き出しそうな顔をしていた。
「おかげさまでね。あなたも無傷みたいで良かったじゃない」
妙に他人事のように応える。
その言葉に、鈴仙は咄嗟に顔を俯けてしまった。
泣き出しそうだった顔をさらに歪める。自分が今そういう顔をしていることは、鈴仙自身、よくわかっていた。
永琳が――師匠がこういう人だということを、彼女は知っている。
自らがどれほど素晴らしいことをしたとしても、その功績を自分で誇るようなことは、絶対しない。
“誰かに誇るためにしたわけじゃないわ”などと言いながら、彼女は自分の勲功をはぐらかすのだ。
傷だらけになってもまだ誰かからの感謝を拒む彼女を、鈴仙は真っ直ぐ見ることができないでいる。
彼女には、そんな永琳に感謝の言葉を述べることさえできないのだ。
足を引っ張って迷惑をかけている意識のある彼女は、自分が礼を言うことのおこがましさに口を開けずにいた。
――さっきだって……私を助けようとしなければ……私が助けてもらうような状況になってさえいなければ……!
そんな自分の非力さに、涙が出そうになる。
――助けてもらったどころか、“ありがとう”の言葉もかけられないだなんて……!
口惜しさに任せて握る拳が、充血するほど赤くなっていた。
「下を向いてる暇はないわよ。どうやら時間も押してきてしまってるみたいだしね」
いつものトーンで声がかかる。
何も気づいていないようで、彼女には鈴仙の葛藤はお見通しなのだろう。その声には、うっすらと励ますような気持ちが込もっている気がした。
「残念。時間がおしてるんじゃなくて、もう時間切れなんだけどね」
「そろそろ帰らないと、永遠亭着くころには太陽も昇りきっちゃうよ」
さすがに眠くってねぇ、なんていいながら諏訪子は伸びをする。相も変わらず緊張感の無い神様だった。
「あら、ツレないわね。せっかくなんだからもう少しゆっくりしていきなさいな」
「ここが本拠地でもないヤツがよく言うわね」
咲夜がふふ、と零して突っ込みをいれる。“そういやそうだね”と諏訪子も笑う。もう二人ともすっかりそのことを忘れていた。
結局、永琳がなぜ山にいて戦っているのか、その理由を誰も知らないままだった。
「ま、いいや。ここらで帰るね~」
ぱん、と手を叩いて諏訪子が声を上げた。それを引き金としたように、声が弾けた。
「ま、まだですっ!」
諏訪子の声に反応し、誰の声よりも大きく、悲鳴に近い声が響いた。
夜の静けさに、その声は山中全てに聞こえそうなほどだった。
「お、おぉぉぉぅ……おっどろいた~。どうしたのさ、ウサギさん」
「まだ……私はなにも出来てません!このまま一矢も報いないまま終わりには……させませんっ!」
俯き黙っていた鈴仙が、いつの間にか顔を上げている。
きゅっと結んだ口許と、力の篭った紅い瞳で諏訪子と咲夜を見据えている。
その姿に、永琳は何も言わない。
「って言ってもねぇ~…………」
諏訪子はチラリと咲夜を盗み見る。
咲夜は何も言わずに、しばらくきょとんとしていた――が、すぐに何かを思いついたようで、諏訪子の方を見てニコッと微笑んだ。
その笑顔で、急造のパートナーが何を伝えようとしていたか、諏訪子にはちゃんと伝わっていた。
諏訪子は大きく溜め息を吐く。
「楽しかっただけに、もっとちゃんと終わりにしたかったんだけど…………」
言いながら両手を胸の前で合わせる。
肘を開くようにして力強く結び、申し訳なさそうに、
「埋め合わせはまたいつかするから。今日はこれでゴメンネ」
そう、言った。
ふぅ、と小さく呟き、それと同じくらいの声でスペルを宣誓する。
その囁きに呼応するように、諏訪子と咲夜の周囲に弾が現れた。
バチバチバチッ!と怒涛の勢いで魔力の炸裂音を響かせ、術者を取り巻くように展開してゆく。
彼女たちを中心にして渦を巻くようにして広がる弾幕に、鈴仙と永琳は諏訪子たちと切り離される。
「ま、待って!」
弾の壁に遮られ、諏訪子たちの姿を一瞬見失いそうになる。
鈴仙は叫びながら弾の壁を力ずくで通り抜けようと、わずかな隙間を見つけて突っ込んでゆく。
が――――
彼女が抜け道の入り口にさしかかろうという刹那、渦巻くように広がった弾の川は、その一粒一粒を破裂させた。
パンッという破裂音が幾重にも重なり、パパパパパパパンと爆竹のような音を響かせながら、光を放って散ってゆく。
鈴仙は間一髪、散弾のようになった弾幕から身を引いた。
諏訪子たちがいた地点から広がった弾幕は、同じく彼女たちのいた場所から破裂してゆく。鈴仙が抜けようとした弾幕の隙間も、あっという間に炸裂弾に埋められてしまった。
「――――――――――っ!!」
弾幕はすぐに全て破裂し――その音が引いた後、もうそこには二人はいなかった。
「逃げ……られちゃった…………」
「逃げられちゃったわねぇ」
鈴仙は茫然と誰もいなくなった空を見ていた。
――結局、今夜の戦いでは何もできなかった…………。
そんな無力感が、ひたすら彼女を襲った。身体から力が抜け、働くことを止めたような頭は、なんの感情も浮かばせなかった。
「気にすることないわ。あなたはあなたなりに頑張ったわよ。きっと。たぶん」
「そんな適当な……――――?」
いつもの力の抜けた永琳の声。
いつもの彼女が言いそうな言葉に振り返り、いつものようにつっこみを入れた――が、そこにある顔は、いつもの表情を湛えてはいなかった。
彼女は、誰もいなくなった空を見つめている。
その瞳は、どこか――哀しい?寂しい?そんな風に、鈴仙には見えた。
だが、それが自分の師匠の感情を正確に表しているものなのか、長年一緒に暮らしてきた彼女にさえ、解りかねた。
永琳は何も言わない。
永琳の考えていることがわからない鈴仙も、何も言えない。
そんな不思議な間が開いた。
「……今日はここまでかしらね」
瞳の色を変えないまま永琳が呟く。
もしかしたら、自分がそんな顔をしているとは思っていないのかもしれない。
鈴仙はふとそう思った。
「さて、帰りましょうか。私たちも。――――――――って、あ」
「え、ど、どうかしました?」
「そういえば、私とあなたとは今は敵チームだったっけね。……私もすっかり忘れてたわ」
ここでやっと、永琳は少し微笑んだ。
【 K-4 】
「それじゃ、私もお暇しましょうかね」
輝夜は不意にそう言うと、お猪口をそこに置き、ひょい、と縁側を飛び降りた。それはお姫様というには、些かお転婆な様子である。
「あれ、もう帰るのかい?――ってそうか、永遠亭ってここから結構あるんだったね」
いかんせんまだ地理には疎くてねぇ、と神奈子は笑った。
「今度ウチにもいらっしゃいな。信心深いのなんかいやしないけど」
「そもそもウサギしかいないじゃない」
「あなたのトコは幽霊しかいないじゃないの」
幽々子の茶々を輝夜は柔らかに躱す。言い返されたことにも興が乗っているようで、幽々子も楽しげだ。
なんとはなしに開かれた、ほぼ首脳会談に近いこの会合は、こうして微笑ましく幕を閉じようとしていた。
誰一人として戦う意思を見せることはなく、三人はほろ酔いでいるだけだった。
「今さら聞くけど――どうして今夜はここに?この異変の答えを得るためなら、正解は八雲のトコだろう?」
神奈子は問いかける。
輝夜がなんと答えるか、彼女には聞く前からわかっていたが。
「ホント今さら。それで私たちが来なければ、山の他の子たちはさぞ暇だったでしょうね」
輝夜はふふっ、と笑う。
「まぁ私にとってはこの異変の真意なんてどうでもいいの。張られている仕掛けの見当も、ここに来る前からついてたし。それでもここに来たのは――――」
僅かに言葉を切り、改めて神奈子の方へと視線を向ける。
「実際に、神様っていう存在を、この目で見てお話してみたかったからよ」
そう語る彼女の顔は、笑っていて、それと――――。
「……それは光栄だね。どうだい、生で見る神様は?」
「ずいぶん普通で安心したわ。もっと意味のわからないことばかり言ってくるかと思ってたからね」
「神様と言えどコミュニケーションは大事さ」
「こんなにくだけた神様だとも思わなかったでしょう~?きっと神性が砕けちゃったのね。バリバリ」
「もっとこう……パラパラ?」
「幽霊とも宇宙人とも分け隔てなく会話ができる、懐の広さを感じて欲しいもんだね」
神奈子はふん、と鼻を鳴らした。
神罰を下されてもおかしくないような発言も笑って流すあたりは、想像上の神様よりよっぽど懐が広いような気がした。
輝夜もこのやり取りを笑いながら、数歩歩みだし――その先で、不意に振り向いた。
「――ねぇ」
振り向いたその顔は、笑っていた。
笑ってはいたが――ただ楽しんでいるだけ、のようには思えなかった。笑顔の奥のその瞳が、どこか複雑な色を持っているように見える。
「神様。あなたは本当に……カミサマ?」
発した言葉も今まで通りのテンション。
だが、微かに――本当に微かに――その瞳と同じような色が、その言葉に混ざっていた。
それは言われてもわからないほど僅かに。でも確かに。一緒に住んでいる鈴仙あたりが見ても気づかなかったかもしれない。
だが、なぜかその変化を、神奈子と幽々子は敏感に感じ取っていた。
「あぁ神様、あなたはどうして神様なの?ってかい?これは微妙に違うか」
「あら、東洋の神様の割には西洋の戯曲にも通じてるのね。博識でいらっしゃることで」
「正真正銘、紛うことなく、純血の神様だからね私は。一般常識程度は学んでるのさ」
ふふん、と鼻でだけ軽く笑い、もっていた酌で唇を濡らす。
「そう……なら――――いや、」
輝夜は口を開き、
「……ううん。やっぱりいいわ。また次に会ったときにでも聞くとする」
少し困ったような笑顔で微笑み、言葉の続きを飲み込んだ。
「そうかい。いつでもどーぞ」
神奈子も深く問うことはしない。それがこの神様のスタンスだった。
「ありがと。――さて、ホントにそろそろ帰るわ。一緒に来た子たちを拾っていかなきゃいけないし。長々とお邪魔したわね」
戻った話と同じように、輝夜の笑顔もいつものものに戻っていた。
もうどこにも、なにか引っかかる気配は感じられない。
「気にしないでいいよ。むしろ引止めたのは私さ。時間を取らせたね」
「ううん。楽しかったわ。また一献やりましょう」
「その時は私もご一緒させてもらうわね~」
「ええ、もちろん。楽しみにしてるわ。――それじゃ、おやすみなさい。よい夢を」
「あぁ、お疲れさん」
「おやすみ~」
元来た道へと振り返り、輝夜は鳥居の方へと去っていった。
神奈子と幽々子からは、傾きの小さくなった月を目指して歩いているようにも見えた。
ゆっくりと歩いてゆく後姿を、黙って見守る。
その姿が鳥居を潜り、石段を降りて消えてゆくまで、二人は何も言わずに彼女の後姿を眺めていた。
不意に吹く、夏の夜の風は生温く、優しかった。
サァッと耳障りの良い音を立てて、消えてゆく。
「行っちゃったわね~」
「だねぇ。……う、うぅぅ――――――ん、っと。さて、今日ももうお開きだね」
「そうね。あと残すは明日だけね。どうでもいい会だったけど、終わるとなると感慨が沸くわね~」
「まぁ、そういうもんさね。最終日はどうしよっかなぁ」
「あ、私はちょっと出てくるわね。せっかくだし」
「ん?――あぁ、“せっかく”だしね」
「そう。“せっかく”だしね」
「明日はきっと、そんなんばっかなんだろうねぇ」
ふわぁぁ、と大きなあくびをしながら、神奈子は思いっきり伸びをした。
いくら神様でももう眠い。
もう朝は、一日の終わりを示す一日の始まりは、すぐそこまで来ていた。
to be next resource ...
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 L-5 G-5
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 I-4 】
フランドール・スカーレットは、少し狂っている。
このことは、幻想郷に住まう多くが知っていた。紅い館の地下には、狂った吸血鬼がいるのだ、と。
当の彼女は噂の通り。紅魔館からは出てこないため、その実像を知っているのはごく僅かではあるが、それでもこの狂気の吸血鬼は、紅魔館を語る上では欠かすことのできない重要なファクターだ。
地の底に封印されたモンスターよりも現実的な、塔の上で幽閉されたお姫様よりも幻想的な、吸血鬼の少女の噂。
紅い館の地下には、狂った吸血鬼がいる。
「あははははははっ!いいよ!楽しい!こんなに楽しいのはいつ以来だろ!」
“狂っている”と言っても、普段の彼女はそこまでおかしな子でもない。
多少落ち着きはなく、変わっているかもしれないが、元々変わり者ばかりの幻想郷である。ある意味頭がおかしい者なんて、掃いて捨てるほどいた。
だが、そんな幻想郷において、この悪魔の妹は“狂っている”というレッテルを貼られている。――なぜか?
「こんなに壊れないのって久しぶり!面白ーい!みぃんな動かなくなっちゃうのに、あなたは丈夫なのね!いいわ!もっと!もっとヤろうっ!」
その要因となるものは――
彼女の持つ、無邪気な戦闘欲。そして、人智を超えた破壊の力。
相手のことを新しいオモチャくらいにしか思えていない幼い思考とは裏腹に、彼女には他の吸血鬼からも隔絶された圧倒的な“力”がある。
そのアンバランスさは、得体の知れないものへの恐怖を駆り立て、幻想郷の中ですら、“狂気”と評されている。
そんな彼女の風評からわかること――それはつまり、こうして戦闘になったときが、一番“ヤバイ”のだ。
しかも、今はスペルカードルールという優秀なリミッターも解除されてしまっている。
限りなく生に近い“狂気の吸血鬼”の破壊力――それがどれほど危険なものか、最もよく理解していたのはもちろん、ミスティアたちだろう。
彼女たちを難なく屠った、黒い魔杖が振るわれる。
無造作に纏われた魔力で紅く煌き、燃えるように猛りながら、その杖は空気を捩じ切り進む。
空気抵抗が咆哮のように音を上げ、杖は振るわれた先の敵を打ち破らんと襲い掛かる。
速度も申し分ない。
威力に至っては言わずもがな。
こんなものをまともに食らえばひとたまりもないことは、もちろん明白。
だが――――
「い、よいっしょぉぉぉぉぉぉぉ―――――っ!!」
迎え撃つ少女は、こともあろうに、その力の塊を拳で殴りつけた。
防壁などは無し。拳の強化も施されてはいない。
純粋に、ただの生身の拳が、圧倒的な殲滅力と拮抗していた。
バチィィィィッ、という破裂音に似た音が響き、行き場を無くした衝撃が大地を迸る。
空気が鳴動し、その衝撃波は薙ぎ倒された木切れを撒き散らせた。
砂塵は堪らず舞い上がり――砂煙が落ち着く前には、二人は爆ぜるようにしてまた距離をとっていた。
「ふぅぅぅぅぅぅ~……」
長く息を吐き、地に立つ少女――伊吹萃香は、満月の吸血鬼の一撃を相殺したことを誇るでも驕るでもなく、凛然とフランを見据えていた。
彼女からすればこの程度の単純な力など、目新しいものではない。
彼女は、“鬼”。
東洋最強の幻想。力比べで一歩引くような彼女ではない。
「ふふ……生きてる!生きてるね!幻想郷って強い人たくさんいるけど、こんなに真っ直ぐぶつかるのって初めて!」
西洋の誇る鬼は、空に浮かびながら楽しそうにはしゃいでいる。
ここまで圧倒的な力が、こうもダメージを与えられていないことを、彼女は悲観するでもなく、むしろ喜々として受け入れていた。
「鬼をナメちゃいけないなぁ。“力”だけなら私が敵わないのだっているんだから」
「そうなの!?スゴイスゴイっ!ねぇ、その人も今度連れてきてよ!」
「って言ってもどこにいるやらねぇ。他の鬼と一緒なら、まだ旧地獄?」
「――?変なのー。おんなじ鬼なのに一緒にいないなんて」
フランの不思議そうな声に、萃香は思わず苦笑いしてしまう。
「いやはや、耳の痛い話だねぇ。まぁ私がこうして出てきたからこのお祭りに参加できてるわけだし、後悔はないんだけどねー」
ははは、と笑い、頭をかく。腕を動かす度に手首から下がる鎖がジャラジャラと音を鳴らしていた。
「そう!お祭りよ!こんな騒がしい夜は大好き!ねぇ、もっと遊ぼう!――お月様が、沈むまで!」
萃香の言葉の深くまで、フランが知ることは無い。彼女は今のセリフの中で、“お祭り”という単語だけを拾い上げ、キャイキャイと歓声を上げていた。
満月の夜、吸血鬼は明らかにハイになっていた。
ここまで遺憾なく力を振るえる相手を前に、フランの眼は、こうして話をしている間も終始戦闘色に染まりっぱなしだ。
無邪気に顔を崩す彼女を単純に可愛らしいと言い切れないのは、その瞳の奥にチラリと狂気が光るのが伝わるからかもしれない。
双眸炯炯、闇夜に染まらず。月の光を背に、爛々と瞳が輝く。誰もが一瞬ゾクリとする魔性の紅。
だがそんな眼光を真っ直ぐにぶつけられている萃香に、気圧されるような様子はない。
高く鳴る少女の笑い声。思わず耳を閉じたくなる、狂気の声。
それらを全て受け止める小さな鬼は、腕を組み、自信ありげに眉を吊り上げる。
そして――――
「残念だけど、私は帰るっ!!」
きっぱりと、そう言い切った。
ふふん、と鼻を鳴らす萃香。思わず目を剥くフラン。
そこにはそれしか無い。
さっきまでとは別の意味で、空気が張り詰めていた。
「まぁ、朝まで吸血鬼とガチンコっていうのもオツなんだけどねぇ~。とりあえず今はチーム行動に徹してやるつもりでいるのさ。だからチルノたちを逃がしたのが、今夜の私の仕事。結構時間も経っちゃったし、そろそろ輝夜も撤退を始める頃だと思うから、私も一緒にお暇するよ」
いやぁごめんねぇ、と萃香は心底気軽に返していた。
そんな彼女の言葉を受けて、それでもフランは目を丸くしたままだった。そのままにしばらく何も答えられずにいる。
見開かれた瞳は焦点が合っているのかいないのか、ただただ呆然と萃香の方へと向けられているだけだ。
そんなしばしの沈黙が流れ――おもむろに、フランが口を開く。
「………………………………もう、帰っちゃうの?」
萃香は何も答えない。
だが、何も言わないという彼女の態度が、それだけで答えを返しているようなものだった。
「……なんでっ!?せっかく楽しくなってきたのにっ!!こんなに楽しいのは久しぶりなのにっ!!もうお終いなんてヤだっ!!ねぇ、他のヤツらなんてどうでもいいじゃない。もっと私と遊びましょうよ?」
そんな彼女の必死の叫びを受けても、まだ、
「悪いねぇ。個人的にはやりたいのは山々なんだけど、今夜はもう時間切れさ」
萃香は頑なに自分の発言を曲げることはしなかった。
彼女は自分の選択にひたすら真っ直ぐだった。
そうと決め、それを口に出した時から、彼女はなにがあってもその道を進むのだろう。それは、剛直な気質の鬼らしい、一本気な彼女の性格を表していた。
だがそんな彼女の気質は、フランを不機嫌にする要因でしかない。
フランの顔色がみるみる変わってゆく。
驚きから悲しみ、そして へと。
感情が切り替わるたびに、それと素直に連動して表情が変わってゆく。
驚きと悲しみに見開かれた瞳は、虚ろに瞳孔が開き、暗い穴を落とす。何も感じていないかのように表情は消え、体の力も抜けてゆく。だらりと宙に浮かぶ彼女からは、生気さえも薄れているようだった。
「………………も………………………い………………………」
ボソボソと何かを呟く。あの楽しそうな声は見る影もなく、低く掠れている。
「………………もう……………………いい……………………」
もう一度呟く。今度はさっきよりもはっきりと。
「……遊んでくれないなら………………壊れちゃえ」
フランが顔を上げる。
その紅い瞳は黒く濁り、ドロドロと渦巻いているのが遠目にもわかる。そのくせ相変わらずに虚ろで、それは底知れぬ恐怖を呼び起こす。
虚のような瞳。
深く深く、暗く冥い、先の見えない穴に突き落とされるような、原初の恐怖を想起させる。
フランはおもむろに、空いた左手を萃香へと突き出す。
手のひらを開き、相手を視界から隠すかのように。
はっきりと開いた掌に、本人しかわからない程度に力を込める――それだけで、予備動作は完了した。
すでに萃香の命は、文字通り、彼女が握っていた。
なんとはなしに、フランは開いた拳を一息に握り締める。
パァンッ!と、何かが弾ける音が響き――ほんの今までそこに立っていたはずの伊吹萃香は、跡形も無く消し飛んでいた。
まるで最初っからそこにはいなかったかのように、あっさりと、ぽっかりと。
これが、フランドール・スカーレットをして、狂気の吸血鬼という徒名までついた由縁のひとつ。
彼女の持つ能力。
“ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”
対象として指定した物体の破壊点――“目”と呼ばれるものを自身の掌へと移動させ、それを握りつぶすことで、どんなものでも破壊することができる、という能力。
防御は不可能。壊せないものも存在しない。無敵の破壊能力。
相手が人間でも妖怪でも吸血鬼でも亡霊でも神様でも。目に見える限り全てを、彼女はその気になれば“破壊”することができる。
それは、不尽の力を持つ鬼という種族でさえ、一方的に殺せてしまうということ。
現にその場から萃香は完全に形を無くしていた。
誰もいなくなった空に、彼女は一人立ち尽くす。
そうして一人になった彼女は、満月を背負い、変わらぬ虚ろな目つきでいる。
それは好敵手を失った悲哀に満ちているようでもあり、殺した相手への憤怒に滾るようでもあった。
風に揺れる木々のざわめきが、戦いの終わりを聞きつけたかのように戻ってくる。
雲ひとつなく輝く満月は全てを照らし、彼女のいる荒地を昼間のように明るくしている。
夜だというのに、なぜかそこは薄く霧がかっていた。
「あぶないあぶない。ホントに殺されるかと思ったよ」
フランしかいないはずのその空間に声が響く。
その声は、さっきまでフランと会話していたはずの彼女の――――
「やっぱり生きてるんだ。……変なの」
「まぁねー。タイミング的にはギリギリになっちゃったけど」
フランは辺りに萃香の声が響くことに、別段驚きをもっているわけではなかった。
彼女はわかっていたのだ。
掌に作った“目”を潰した感触が、あまりに不自然だったことを。
「その能力。対一じゃ最強だろうね。なんせ無抵抗に相手を殺せちゃうんだもん」
正体を失ってはいるが、萃香の声は楽しそうだった。
「でも、その能力が強いのは相手が一人の時だけだね。対象一つしか破壊できないから。例えば――こうやって霧になられちゃ、さすがに手が出せないでしょ?」
辺りを漂う霧から声がする。
萃香は確かに跡形も無くなっていた。ただし、それは自らの意思で。
フランの能力に爆散させられたのではなく、自身を霧状に姿を変えることでこれを回避していた。
確かに、霧の粒子ひとつひとつをいちいち“破壊”していくのではキリが無い。萃香の体積分それを繰り返すことは、理論上可能でも事実上不可能だ。
萃香の言葉通り、破壊できるのは一度に一つだけ。
圧倒的な能力ではあるが、欠点が無いわけではない。
「――そっか、あいつとおんなじようなことができるのね。蝙蝠になるのも、霧になるのも……きらい」
フランは、ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らすだけだった。声の出所を探して、辺りの霧を見渡すこともしない。
「ついでだし、このまま風に乗って退散するとするさ。楽しかったよ、フラン」
「私は最後の最後で最悪だった」
「まぁまぁ、そんなにむくれないでよ。相手ならまたしてやるさね。いつでも来るといいよ~。それじゃ、またね~」
そんな陽気な声を残し、辺りから霧が薄れてゆく。
不自然にかかった霧が引いていくごとに、確かに、萃香の気配が薄れていっているようでもあった。
少し待った後――今度こそ完全に、フランは一人になっていた。
鳥の声も、虫の音も、無い。木々のざわめきでさえ遠い。
彼女の周りは、彼女が薙ぎ払ってしまったから。
ぽかんと広がる荒野に、フランはそうして一人で浮かんでいた。
彼女は黙って、掌を開き、閉じる。
遠く、正面に立っていた木が一本、激しい音を立てて散る。
それだけ。
あとは、傾きかけた銀色の月があるだけだった。
【 J-4 】
「諏訪子様、そろそろ時間ですよ」
「ありゃ、ホント?時が経つのは早いねぇ」
二人は飛び交う弾幕を躱し、そして自身も弾幕を展開しつつ、そんな会話をしていた。
小さな湖の畔に飛び交う四人のうちの二人、永遠亭チームの咲夜と諏訪子は、眼前を飛び交う弾たちに怯む様子も見せず、あくまで呑気な調子だった。
「ここに到着してからかれこれ結構経ちました。ずっとこのメンツで戦ってるのにも、些か飽きましたわ」
「ん~私は全然楽しいけどなぁ~。タッグでやるなんて珍しいんでしょ?」
「私は前に経験がありますね。……そういえば、その時も相手はこの宇宙人だったわ」
「へぇ、結構あることなのかな。しかしその時の相手が一緒なんじゃ、咲夜は飽きちゃうかもねぇ」
「まったくですわ」
二人とも口を動かしながらも、動きを止めることは一度もなかった。相手から目を離すことも断じてしない。
思考よりも深い無意識の領域で、目の前の弾を処理し、自身も反撃の手を動かす。
彼女たちは二人とも、こういった乱戦でさえ経験済みであるかのように、どこかこ慣れた動きをしていた。
「無駄話してるとか、いい度胸ね!」
そんな二人を睨み、鈴仙がスペルをセットする。
「喪心『喪心創痍(ディスカーダー)』!」
高らかに叫び、放つ。すでに右手は銃を模していて、その人差し指の銃口からは一発の弾丸が飛び出してゆく。
一際力の込もった、紅い弾が唸りを上げて咲夜へと突き進み――――
それは呆気なく躱される。
「そりゃまた不用意ね」
当たれば相手の魔力を奪う、という特殊弾丸は、だが、一度に一発のみしか放てない。
弾幕でもなんでもない一撃重視の弾を牽制も無く放つなど、確かに咲夜の言う通り不用意だったとしか言いようが無い。
だが、そのことを後悔するにも、すでに手遅れだった。
「速符『ルミネスリコシェ』」
右手にスペルカード、そして左手でナイフを持ち――スペルの宣誓とともに、咲夜がそれを投擲する。
放たれたナイフは一本。だがそれはおおよそ人が投げるナイフの速度を、大幅に超えていた。スペルカードの体を取り、魔力で強化された投擲は、人の身から弾丸を飛ばすかのようでさえある。
ナイフが白銀の煌きを引き、鈴仙へと一直線に伸びてゆく。
鈴仙はその速力にギクリと体を硬直させた。急いた仕掛けに体勢も整っていない。焦って大技を見舞いにいったのが、完全に裏目に出ていた。
反撃のナイフが空を裂く。
自らに向かってくる一本の銀に対して、彼女は何もできずにいた。
「操神――『オモイカネディバイス』」
彼女にナイフが刺さる一手前、スペルを宣誓する声が鳴る。
鈴仙の正面、眼球を象った使い魔が飛び込んできた。どこからともなく現れ、彼女のナイフの間に浮かんでいる。
そして――その目玉に、深々とナイフが突き刺さった。
ズクンッ、というどこか生生しい音を上げて、銀の刀身を沈ませる。
鈴仙の身代わりになり、ちょうど瞳孔へとナイフを刺したそれは、そのまま力無く落下してゆく。
そしてそれがただの魔力へと霧散する末期、まるで散弾のようにして、弾を吐き出した。
大小様々、前面にのみ広がる弾は、ナイフの投擲主たる咲夜めがけて散り飛んでゆく。
だがそんな予想外の反撃を受けても、咲夜は顔色を変えることはしない。彼女は目の前の弾幕を視界に収め、そして、一息に距離を詰めた。
――ここで退いては、弾の波に呑まれる。
相手の弾幕の性質が散弾だと見るや、それが散り広がる前を狙って回避行動に移す。
前進後退の判断を一瞬で見極め、その決断に迷うことなく身を任せることのできる彼女は、やはり戦い慣れしていた。
だが、
そんな彼女の動きを計算に入れていたかのように、咲夜の眼前には術者、八意永琳が回り込んでいた。
その手には、すでに弓が引き絞られている。
弓の欠点であるリロードの遅さなど気にさせない速射が飛ぶ。
一息に放たれた矢は五本。
超至近距離で放たれた矢を避けることは、人の反射神経では不可能である。
だというのに――永琳の放った矢は、咲夜を貫くことはなかった。
鏃が彼女の肌に触れる前に、彼女は、彼女の世界へと逃げこんでゆく。
誰にも侵されることのない、『咲夜の世界』。
時が止まる。
その間に矢の当たらない永琳の側面へと移動する。
その時ついでに、諏訪子の位置取りと体勢が目に入った。
彼女はそれを目にし、「ふむ……」と呟き、小さく笑う。誰もいない世界で、彼女の鼻が小さく鳴る。
そのまま空に浮かぶ永琳の側面、斜め下気味のところまで移動し、彼女は再び時を動かした。
永琳の意識では一瞬。
彼女が仕留めたと思っていたメイドはそこにはおらず、代わりに、両脇から人の気配を感じた。
「土着神『手長足長さま』!!」
いつの間にか永琳の右側にいた諏訪子が宣誓する。
「幻幽『ジャック・ザ・ルドビレ』!!」
いつの間にか永琳の左下にいた咲夜が宣誓する。
二つのスペルが同時に永琳を狙う。
放たれた光弾と、大量のナイフが、一度に彼女へと殺到する。
「師匠―――――っ!!」
鈴仙の悲痛な叫びに呼応するかのように、二つのスペルの着弾が激しい音と爆煙を起こした。
二つとも爆発するようなスペルではないが、二つの別の魔力がぶつかったせいであろう。永琳の安否は、煙に呑まれた。
挟撃の位置取りをしていた咲夜と諏訪子は、着弾の確認の前にその場を移動し、敵二人を視界に納められる場所に移っていた。
すとん、と軽い足取りで着地する。
弾が当たったからといって、同じ場所に居続けてはいけない。相手が煙幕に視界を塞がれていても、同じ場所に立っていたのでは反撃を食らう恐れがある。 どちらが口にしたわけでもなく同じことを考え、同じ動きを取っていた。
互いの経験値の高さが、互いに急造のパートナーとして心地よかった。
二人は黙って煙が晴れるのを待つ。
打ち合わせ無しで決まったこの挟撃を喜ぶ素振りすら見せないで、ただじぃっと永琳の方を注視していた。
もうもうと立つ煙が、ゆっくりと薄くなってゆく。
そこから姿を現した彼女は――右側を焼け焦がし、左側には無数の切り傷がある、陰惨な状態だった。
火傷のようになっている右腕は紅く煤け、切創を刻む左腕からは紅い血が指先まで流れている。
だがそんな満身創痍にもかかわらず、彼女は慌てるでもなく、ナナメになっていた看護帽を一度脱ぎ、パンパンと軽くはたいて再び頭に乗せていた。
そうこうしているうちに、みるみると傷は塞がっていく。
目に見える速度で切り裂かれた皮膚がくっつき、火傷したように黒ずんでいた肌は元の美しさに戻ってゆく。
蓬莱の薬が彼女をいつもの状態へと引き戻してゆく。
ものの数秒で、彼女はまた無傷の状態へと復活していた。
故に、彼女は永遠なのだ。
「――ね?楽しいでしょ。このお医者さんには“医者の不養生”って言葉は通じないよねぇ」
「養生してる医者ってワケでもないですけどね。ただの面倒臭い生き物ですよ」
「まったく、ヒドい言われようねぇ。回復するっていっても痛いんだから、もう少し労わってもらいたいものだわ」
ふぅ、と一息吐き、髪を払う。長くおさげにした髪が月の光を浴びて艶やかに揺れた。
「し、師匠っ!!大丈夫ですか!?」
そんな彼女の許へと、鈴仙が駆け寄っていった。彼女だけは、無傷な永琳に心配そうな声をかけていた。
永琳の“永遠”を知らないわけでもないが、それでも、彼女は泣き出しそうな顔をしていた。
「おかげさまでね。あなたも無傷みたいで良かったじゃない」
妙に他人事のように応える。
その言葉に、鈴仙は咄嗟に顔を俯けてしまった。
泣き出しそうだった顔をさらに歪める。自分が今そういう顔をしていることは、鈴仙自身、よくわかっていた。
永琳が――師匠がこういう人だということを、彼女は知っている。
自らがどれほど素晴らしいことをしたとしても、その功績を自分で誇るようなことは、絶対しない。
“誰かに誇るためにしたわけじゃないわ”などと言いながら、彼女は自分の勲功をはぐらかすのだ。
傷だらけになってもまだ誰かからの感謝を拒む彼女を、鈴仙は真っ直ぐ見ることができないでいる。
彼女には、そんな永琳に感謝の言葉を述べることさえできないのだ。
足を引っ張って迷惑をかけている意識のある彼女は、自分が礼を言うことのおこがましさに口を開けずにいた。
――さっきだって……私を助けようとしなければ……私が助けてもらうような状況になってさえいなければ……!
そんな自分の非力さに、涙が出そうになる。
――助けてもらったどころか、“ありがとう”の言葉もかけられないだなんて……!
口惜しさに任せて握る拳が、充血するほど赤くなっていた。
「下を向いてる暇はないわよ。どうやら時間も押してきてしまってるみたいだしね」
いつものトーンで声がかかる。
何も気づいていないようで、彼女には鈴仙の葛藤はお見通しなのだろう。その声には、うっすらと励ますような気持ちが込もっている気がした。
「残念。時間がおしてるんじゃなくて、もう時間切れなんだけどね」
「そろそろ帰らないと、永遠亭着くころには太陽も昇りきっちゃうよ」
さすがに眠くってねぇ、なんていいながら諏訪子は伸びをする。相も変わらず緊張感の無い神様だった。
「あら、ツレないわね。せっかくなんだからもう少しゆっくりしていきなさいな」
「ここが本拠地でもないヤツがよく言うわね」
咲夜がふふ、と零して突っ込みをいれる。“そういやそうだね”と諏訪子も笑う。もう二人ともすっかりそのことを忘れていた。
結局、永琳がなぜ山にいて戦っているのか、その理由を誰も知らないままだった。
「ま、いいや。ここらで帰るね~」
ぱん、と手を叩いて諏訪子が声を上げた。それを引き金としたように、声が弾けた。
「ま、まだですっ!」
諏訪子の声に反応し、誰の声よりも大きく、悲鳴に近い声が響いた。
夜の静けさに、その声は山中全てに聞こえそうなほどだった。
「お、おぉぉぉぅ……おっどろいた~。どうしたのさ、ウサギさん」
「まだ……私はなにも出来てません!このまま一矢も報いないまま終わりには……させませんっ!」
俯き黙っていた鈴仙が、いつの間にか顔を上げている。
きゅっと結んだ口許と、力の篭った紅い瞳で諏訪子と咲夜を見据えている。
その姿に、永琳は何も言わない。
「って言ってもねぇ~…………」
諏訪子はチラリと咲夜を盗み見る。
咲夜は何も言わずに、しばらくきょとんとしていた――が、すぐに何かを思いついたようで、諏訪子の方を見てニコッと微笑んだ。
その笑顔で、急造のパートナーが何を伝えようとしていたか、諏訪子にはちゃんと伝わっていた。
諏訪子は大きく溜め息を吐く。
「楽しかっただけに、もっとちゃんと終わりにしたかったんだけど…………」
言いながら両手を胸の前で合わせる。
肘を開くようにして力強く結び、申し訳なさそうに、
「埋め合わせはまたいつかするから。今日はこれでゴメンネ」
そう、言った。
ふぅ、と小さく呟き、それと同じくらいの声でスペルを宣誓する。
その囁きに呼応するように、諏訪子と咲夜の周囲に弾が現れた。
バチバチバチッ!と怒涛の勢いで魔力の炸裂音を響かせ、術者を取り巻くように展開してゆく。
彼女たちを中心にして渦を巻くようにして広がる弾幕に、鈴仙と永琳は諏訪子たちと切り離される。
「ま、待って!」
弾の壁に遮られ、諏訪子たちの姿を一瞬見失いそうになる。
鈴仙は叫びながら弾の壁を力ずくで通り抜けようと、わずかな隙間を見つけて突っ込んでゆく。
が――――
彼女が抜け道の入り口にさしかかろうという刹那、渦巻くように広がった弾の川は、その一粒一粒を破裂させた。
パンッという破裂音が幾重にも重なり、パパパパパパパンと爆竹のような音を響かせながら、光を放って散ってゆく。
鈴仙は間一髪、散弾のようになった弾幕から身を引いた。
諏訪子たちがいた地点から広がった弾幕は、同じく彼女たちのいた場所から破裂してゆく。鈴仙が抜けようとした弾幕の隙間も、あっという間に炸裂弾に埋められてしまった。
「――――――――――っ!!」
弾幕はすぐに全て破裂し――その音が引いた後、もうそこには二人はいなかった。
「逃げ……られちゃった…………」
「逃げられちゃったわねぇ」
鈴仙は茫然と誰もいなくなった空を見ていた。
――結局、今夜の戦いでは何もできなかった…………。
そんな無力感が、ひたすら彼女を襲った。身体から力が抜け、働くことを止めたような頭は、なんの感情も浮かばせなかった。
「気にすることないわ。あなたはあなたなりに頑張ったわよ。きっと。たぶん」
「そんな適当な……――――?」
いつもの力の抜けた永琳の声。
いつもの彼女が言いそうな言葉に振り返り、いつものようにつっこみを入れた――が、そこにある顔は、いつもの表情を湛えてはいなかった。
彼女は、誰もいなくなった空を見つめている。
その瞳は、どこか――哀しい?寂しい?そんな風に、鈴仙には見えた。
だが、それが自分の師匠の感情を正確に表しているものなのか、長年一緒に暮らしてきた彼女にさえ、解りかねた。
永琳は何も言わない。
永琳の考えていることがわからない鈴仙も、何も言えない。
そんな不思議な間が開いた。
「……今日はここまでかしらね」
瞳の色を変えないまま永琳が呟く。
もしかしたら、自分がそんな顔をしているとは思っていないのかもしれない。
鈴仙はふとそう思った。
「さて、帰りましょうか。私たちも。――――――――って、あ」
「え、ど、どうかしました?」
「そういえば、私とあなたとは今は敵チームだったっけね。……私もすっかり忘れてたわ」
ここでやっと、永琳は少し微笑んだ。
【 K-4 】
「それじゃ、私もお暇しましょうかね」
輝夜は不意にそう言うと、お猪口をそこに置き、ひょい、と縁側を飛び降りた。それはお姫様というには、些かお転婆な様子である。
「あれ、もう帰るのかい?――ってそうか、永遠亭ってここから結構あるんだったね」
いかんせんまだ地理には疎くてねぇ、と神奈子は笑った。
「今度ウチにもいらっしゃいな。信心深いのなんかいやしないけど」
「そもそもウサギしかいないじゃない」
「あなたのトコは幽霊しかいないじゃないの」
幽々子の茶々を輝夜は柔らかに躱す。言い返されたことにも興が乗っているようで、幽々子も楽しげだ。
なんとはなしに開かれた、ほぼ首脳会談に近いこの会合は、こうして微笑ましく幕を閉じようとしていた。
誰一人として戦う意思を見せることはなく、三人はほろ酔いでいるだけだった。
「今さら聞くけど――どうして今夜はここに?この異変の答えを得るためなら、正解は八雲のトコだろう?」
神奈子は問いかける。
輝夜がなんと答えるか、彼女には聞く前からわかっていたが。
「ホント今さら。それで私たちが来なければ、山の他の子たちはさぞ暇だったでしょうね」
輝夜はふふっ、と笑う。
「まぁ私にとってはこの異変の真意なんてどうでもいいの。張られている仕掛けの見当も、ここに来る前からついてたし。それでもここに来たのは――――」
僅かに言葉を切り、改めて神奈子の方へと視線を向ける。
「実際に、神様っていう存在を、この目で見てお話してみたかったからよ」
そう語る彼女の顔は、笑っていて、それと――――。
「……それは光栄だね。どうだい、生で見る神様は?」
「ずいぶん普通で安心したわ。もっと意味のわからないことばかり言ってくるかと思ってたからね」
「神様と言えどコミュニケーションは大事さ」
「こんなにくだけた神様だとも思わなかったでしょう~?きっと神性が砕けちゃったのね。バリバリ」
「もっとこう……パラパラ?」
「幽霊とも宇宙人とも分け隔てなく会話ができる、懐の広さを感じて欲しいもんだね」
神奈子はふん、と鼻を鳴らした。
神罰を下されてもおかしくないような発言も笑って流すあたりは、想像上の神様よりよっぽど懐が広いような気がした。
輝夜もこのやり取りを笑いながら、数歩歩みだし――その先で、不意に振り向いた。
「――ねぇ」
振り向いたその顔は、笑っていた。
笑ってはいたが――ただ楽しんでいるだけ、のようには思えなかった。笑顔の奥のその瞳が、どこか複雑な色を持っているように見える。
「神様。あなたは本当に……カミサマ?」
発した言葉も今まで通りのテンション。
だが、微かに――本当に微かに――その瞳と同じような色が、その言葉に混ざっていた。
それは言われてもわからないほど僅かに。でも確かに。一緒に住んでいる鈴仙あたりが見ても気づかなかったかもしれない。
だが、なぜかその変化を、神奈子と幽々子は敏感に感じ取っていた。
「あぁ神様、あなたはどうして神様なの?ってかい?これは微妙に違うか」
「あら、東洋の神様の割には西洋の戯曲にも通じてるのね。博識でいらっしゃることで」
「正真正銘、紛うことなく、純血の神様だからね私は。一般常識程度は学んでるのさ」
ふふん、と鼻でだけ軽く笑い、もっていた酌で唇を濡らす。
「そう……なら――――いや、」
輝夜は口を開き、
「……ううん。やっぱりいいわ。また次に会ったときにでも聞くとする」
少し困ったような笑顔で微笑み、言葉の続きを飲み込んだ。
「そうかい。いつでもどーぞ」
神奈子も深く問うことはしない。それがこの神様のスタンスだった。
「ありがと。――さて、ホントにそろそろ帰るわ。一緒に来た子たちを拾っていかなきゃいけないし。長々とお邪魔したわね」
戻った話と同じように、輝夜の笑顔もいつものものに戻っていた。
もうどこにも、なにか引っかかる気配は感じられない。
「気にしないでいいよ。むしろ引止めたのは私さ。時間を取らせたね」
「ううん。楽しかったわ。また一献やりましょう」
「その時は私もご一緒させてもらうわね~」
「ええ、もちろん。楽しみにしてるわ。――それじゃ、おやすみなさい。よい夢を」
「あぁ、お疲れさん」
「おやすみ~」
元来た道へと振り返り、輝夜は鳥居の方へと去っていった。
神奈子と幽々子からは、傾きの小さくなった月を目指して歩いているようにも見えた。
ゆっくりと歩いてゆく後姿を、黙って見守る。
その姿が鳥居を潜り、石段を降りて消えてゆくまで、二人は何も言わずに彼女の後姿を眺めていた。
不意に吹く、夏の夜の風は生温く、優しかった。
サァッと耳障りの良い音を立てて、消えてゆく。
「行っちゃったわね~」
「だねぇ。……う、うぅぅ――――――ん、っと。さて、今日ももうお開きだね」
「そうね。あと残すは明日だけね。どうでもいい会だったけど、終わるとなると感慨が沸くわね~」
「まぁ、そういうもんさね。最終日はどうしよっかなぁ」
「あ、私はちょっと出てくるわね。せっかくだし」
「ん?――あぁ、“せっかく”だしね」
「そう。“せっかく”だしね」
「明日はきっと、そんなんばっかなんだろうねぇ」
ふわぁぁ、と大きなあくびをしながら、神奈子は思いっきり伸びをした。
いくら神様でももう眠い。
もう朝は、一日の終わりを示す一日の始まりは、すぐそこまで来ていた。
to be next resource ...
この二人がちょい印象的。
ありがとうございます!その言葉でまだ戦える!
不死人二人はちょっと含みを持たせてみました。
その印象だけお持ち頂ければ幸い!