[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 E-2 F-2
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【 A-4 】
――さて……ここからどうしましょうか…………。
どこからともなく浮上してきた霊夢と空中での睨み合い状態に入り、衣玖は心底困っていた。
おそらく――いや、ほぼ間違いなく、霊夢を相手にさっきと同じ奇襲は効かないだろう。
この巫女からすれば、自らの命を脅かすほどの危険も、遊びに過ぎない弾幕ごっこも一緒のものなのだ。
要はパターンの構築。それさえ済んでしまえば、彼女は目の前の全てを避けてみせるだろう。
パターンがバレている攻撃を繰り返したらどうなるか?想像するまでも無い。
あっさりと捌かれ、苦も労もなく迎撃されるだけのことである。最悪のエンディングでお終い、だ。
当の霊夢は目前。文字通り目の前にいた。
後方支援に回っていた橙は別として、美鈴と衣玖は一足飛びに相手の懐に入れる距離にいる。そして、それは当然、霊夢から見ても同じことが言えるわけである。
ここで動くとなると、大切なのは瞬発力と発想である。
単純能力で勝っているのならば、瞬発力に任せて一気に押すなり引くなりしてしまえばいいだけの話である。だがこれはもちろん、今回は無理だ。
長距離の競い合いならまだしも、瞬間的に出せる速度は霊夢の方が断然速いだろう。特に衣玖は手数で圧倒するタイプではない。近距離の方が多少の心得があるとはいえ、他の素早い妖怪たちと比べてもスピードで優れているとは言い難い。
それに引き換え霊夢は、妖怪相手にインファイトをしても相手を圧倒することができる。そういう化け物みたいな人間なのだ。実にデタラメである。本当に人間なのだろうか、という疑問すら湧いてきていた。
ともあれ、力押しで押し切ることが無理なら、残された方法は発想勝負しかない。
如何に相手の虚を突き、反応できない一瞬を作り出せるか、ということが重要になってくるのだ。
言ってしまえば、今衣玖が悩んでいるのはココである。
手持ちの札を使ってこの状況をどうにかして変える、その方法を必死に考えていた。
それは大局的に見れば一瞬の出来事である。どこからともなく浮上してきた霊夢と二、三言交わし、その後できた数秒の間の話に過ぎない。
しかし、この時、衣玖はフル回転で思考を巡らせていた。
足元の木々がさわさわと揺れる音がする。それ以外に、誰も一言も発しなかった。
小望月の輝く夜空は、ひたすら静かだった。
衣玖は膠着中も毅然とした表情のまま霊夢を見据えている。戦闘時に胸中の焦りを悟らせない姿勢は天子同様、戦闘経験の浅い衣玖からすればささやかなファインプレイだった。
しかし、そのポーカーフェイスもあっけなく崩されてしまう事態が起こる。
それは――他ならぬ、今回のパートナーによって。
「衣玖さん」
「はい…………」
美鈴が静かに切り出す。何かの策の提案かと思い、衣玖も声を低くして応える。
だが――――
「行ってきます」
「え?」
彼女はそれだけを残し、突如として動き出す。
風を纏い、空を蹴り、真正面から霊夢へと突撃してゆく。
「ちょっ…………美鈴さん!!」
それは確かに意外な策と言えるだろう。霊夢もおそらくバカ正直に真正面から仕掛けるとは思っていなかったはずである。
しかし――名案であるとは言い難い。
美鈴は一息に間合いを詰め、衣玖の声が届く頃には、すでに霊夢の懐の中にいた。
そこから放つ正拳突きが綺麗に肩口から伸び、最短距離を通って真っ直ぐに相手へと伸びる。
だが、霊夢は難なくこれを見切り、半身をずらして回避する。
それを承知していたかのように、流れるコンビネーションで美鈴の蹴りが鋭く続く。
空気を斬るかのように鋭い蹴りも、あと半歩届かないという距離へと逃げられてしまう。
空いた間合いを詰める。
連撃が飛ぶ。
全て見極められ、避けられてゆくが、彼女は止まらない。
美鈴の接近戦は、なるほど、さすがに功夫の使い手だけあって近接時の技の引き出しが多彩だ。体の捌きからも熟達を感じる。呼吸をするように手足が動く様は、美しく模範的な演舞を見ているようですらある。
衣玖は思わず言葉を失っていた。
残念ながら、良い意味では無い。
――なんて暴挙……作戦も何もあったものじゃない…………
何かあっての近接戦かと思いきや、放たれるのは普通の打撃技ばかり。
あの拳の威力がかなりのものだというのは、わかる。武術は素人の衣玖だが、美鈴の体捌きの美しさを見れば、それが一朝一夕で身につくものでないことも窺える。
日々の鍛錬から生み出されたモノ……だからこそ、打つ手が無くなったとき、頼れるのもそれなのかもしれない。
だが、なんの策も持たずに突撃してゆく様は、まるで何かに駆り立てられているかのようで――――
「――ッ!!橙さん!」
「は、はいっ!」
「援護お願いします!私も近づきます!!」
美鈴は依然として拳を放っている。
霊夢は依然として放たれる拳を避け続けている。
衣玖は橙の放つ援護の赤鬼青鬼とタイミングを合わせ、霊夢を左右から挟むようにして近接距離へと飛び込んだ。大弾と、衣玖と、美鈴、三方向からの同時攻撃ということになる。
霊夢は美鈴を正面に向かい合っている。衣玖と橙は、その彼女の斜め後ろ気味な位置から仕掛ける。
ほとんど無我夢中で飛び込んだに近かったが、予期せず死角から仕掛けられたことに、衣玖は内心で手応えを感じていた。
この配置なら誰か一人に反応したとしても、残り二人は死角から攻撃できる。
数の利を使った同時攻撃は、攻め方としては些か品に欠けていたが、今の彼女には美徳を優先する余裕は無い。
霊夢はまだ美鈴を正面に向いている。衣玖が近づいていることに気づいている様子も無い。
――それならそれで構わない……この一撃で終わらせる。
衣玖は自ら纏っていた羽衣を解く。
ゆるやかに腕にかかっていただけの羽衣だったが、彼女の意思を汲むかのようにシュルシュルと踊りだす。うねり、渦を巻きながら、衣玖の右腕を中心に回転を始める。
その様は、まさに腕に巨大なドリルを装備しているようだった。
巻きついた羽衣はその形に固定されるでもなく、シュィィィィィィッ、と高速の衣擦音を鳴かせながら渦巻く。
集約され、流動するその武器に、魔力の上乗せも済ませてある。
青光る雷の光が羽衣を包み、電気を空気中に散らす。
「これで――――――っ!」
右腕に込めたスペルカードを、そのままに霊夢へと突き立てんとする。
僅かに引き、そして、振り抜いた。
衣擦れが空気を巻き込む音、雷電が大気に弾ける音、そして衣玖の声が重なって霊夢へと向かい――――
そのままに『龍魚ドリル』は何もいない、空を切った。
完全に捉えた、と力を込めた刹那、衣玖の目の前にいたはずの巫女は忽然と姿を消していた。
まるで最初っからその場に巫女などいなかったかのように。意識の外へと逃げ去ったように。
橙の弾も虚空を突き進んでゆく。衣玖は誰もいない空間を眺めている。
あまりにも突然過ぎて、衣玖の頭も体も、その現象に対応することはできなかった。
文字通り虚を突かれ、一瞬、だが、完全な静止状態になっていた。
そこに、背後から鈍い衝撃が襲う。
衣玖の眼前から消えた霊夢は、瞬時にして相手の背後に回り、そのままの勢いで衣玖を蹴り飛ばした。
霊夢をやや上から狙っていたために屈み気味になっていた衣玖は、背後からの衝撃を受け、そのまま自由落下の速度を超え、地面へと向かって堕ちていく。
きっと彼女自身、自らが落下していく理由が理解できてはいないだろう。それだけ霊夢の攻撃は全てが一瞬だった。
叩き落された衣玖が地面まで届き、木々を押しのける轟音が響く。
だが、その一瞬に反応していた者もいた。
霊夢を正面に見据えていた美鈴には、当然、衣玖と橙の攻撃が視界に入っていた。
チームメイトが叩き落される様を目視しながらも、彼女のとった行動は“攻撃”だった。
悲鳴も怒号も上げず、瞳だけを攻撃色に浸し、猛然と霊夢へと飛び掛る。
美鈴は衣玖を迎撃した霊夢の攻撃後の隙を狙い、先ほどまでと同じ、いや、踏み込みだけならそれ以上の速度で懐に潜り込まんとしていた。
普通の相手なら、打ち終わりを狙ってのこの攻撃に反応することなど、まず不可能だろう。
だが霊夢は、この攻勢すらも読み切っていた。
いや、“読みきっていた”、というのは語弊がある。“そう感じ取っていた”というのが正しいのだろう。
すでに予知の域に近い彼女の第六感――“巫女の勘”は、美鈴の動きを捉えている。
霊夢の手には、すでに退魔の札ではなく、スペルカードが構えられていることに――――美鈴は、気づかない。
鋭い踏み込みで襲い掛かる妖怪を前に、霊夢は微塵も臆することなく小さく口を開く。
「宝具――『陰陽鬼神玉』」
短く、祝詞のように宣誓される言霊。
そして宣言される頃には、霊夢の頭上に、巨大な陰陽玉が浮かんでいた。
その大きさ、込められた魔力の量に、一見して普段の彼女の武装の比ではない威力の想像がつく。
まるで惑星が現れたように錯覚するほどの力の塊は、霊夢の腕が振り下ろされるのを合図にするかのように、その落下を始める。
動き自体は、遠目から見れば緩慢なものに見えた――が、霊夢へと踏み込んでいた美鈴からすれば、息つく暇も無い。
眼前を埋め尽くすように迫る陰陽玉を避ける術は無く、美鈴はその力に呑まれながら――押し潰されるようにして落下していった。
霊夢はその様子をつまらなそうに一瞥した後、背を向け、残りのひとりへと向き直る。
「――さぁ、橙」
名前を呼ばれて橙は体をビクンと震わせる。
美鈴を飲み込んだ陰陽玉がそのまま地面に落下し、ズズゥゥゥゥン、という重い衝撃音と地響きが、夜の山に響いていた。
「これであとはあんた一人よ」
ルーミアから始まり、衣玖も美鈴もやられてしまった――しかも一人の、人間に。
夜雀の歌を止め、騒霊の演奏を妨害し、秋姉妹の奇襲も撃退した仲間の妖怪たちは、悉く、夜の暗い森の中へと叩き落されてしまった。
それを実行したのは、目の前の巫女。
薄暗闇になびく黒髪が美しい。同じ色の瞳が真っ直ぐに向けられている。
その先に映るのは、今や橙だけとなってしまっていた。
橙はカタカタと震える掌を強く握り締めた。
――行かなきゃ……戦わなきゃ……今ここで“参りました”なんてこと言えない……わ、私も!……でも………………
橙の体は、思考の決断を受け付けていないかのように動かない。
もっとも、すでにパニック状態の思考力では、彼女の指先ひとつを動かす程度の決断もできはしないだろう。
自分のものとは思えない体の反応を、だが橙は頭の隅では受け入れていた。
――どうやっても私じゃ……勝てないよ…………――
本人も気づかぬ内に、橙の大きな瞳には涙が滲んでいた。
向かい合う霊夢は、その涙を前にしてもつまらなそうな顔のままでいた。
「っていうか……あんたがそんなに頑張る必要はあるの?――あんたの役割って、それじゃないと思ってたんだけど?」
霊夢から聞こえる言葉も、すでに呪文のようにしか耳に入らない。意味を汲み取る機能が無くなってしまったような感覚だ。
彼女が何を言っているのか、橙には理解できてはいない。
「――ま、いいわ。そんなの私の知ったことじゃないしね。とりあえず――降参しないなら堕とすだけ」
霊夢はできるだけ感情を込めずに、できるだけ冷淡に、できるだけ圧倒的に、そう言い放つ。
それが、今回彼女に課せられた役割の中で見せられる、最大限の優しさだった。
橙は何も言い返さない。
と言うより、震えていて上手く言葉が繋げていない。それは霊夢にも分かっている。
だが、霊夢はもうひとつ気づいていた。
橙の涙ぐむ瞳には、まだ力がある。
体は恐怖に震え、頭の隅でその恐怖を受容している今も、見つめ返す眼光だけが抵抗の意志を示している。
それが、チームとしての責任感なのか、仲間たちとの連帯感なのか……もっと“個人的な願望”なのか、そこまでは霊夢もわかりかねた。
だが、その原動力がなんにしても――――
「――――――はぁ…………」
霊夢は深い溜息を漏らさずにはいられなかった。
どう贔屓目に見ても、自分の勝利は揺らがないだろう。それはほぼ間違いなく、この子猫にも伝わっているはずだった。
だが、それが明らかになっている上でなお、霊夢には、挑まれる戦いを拒否することはできないのだ。
それが今回の彼女の――幻想郷を守る“博麗の巫女”の役目だから。
「…………残念ね。じゃあ、これでお終いよ」
そう言って霊夢は空の上、最後の敵へと向かい歩を進める。橙は硬く震える体に力を込める。もう全ては秒読みに入っている。
その時だった。
「――余所見は困りますね」
その声に、ここまで顔色を変えなかった霊夢の顔にも表情が浮かぶ。
宙を進む足を止め、背後からの声に、ゆっくりと振り向く。
「そうですよ。橙さんに手を出す前に、こっちを片づけてもらわないと」
二人分の声音が夜の闇に響く。
さっきまで聞いていた、もうダメだと諦めていた――二人の妖怪の声。
それに気づいた橙の顔が、パァッと明るくなる。
「……思ったより、お早いお帰りで」
霊夢が振り返ったその先にいた者――それは紛れも無く、先程撃墜された美鈴と衣玖だった。
美鈴が苦笑いを返す。
「馬鹿言わないで下さいよ。あんな思いっきり叩き落されたんですから、もっと驚いてもらってもいいくらいです」
ささやかに笑って言った。
その口調はしっかりしていたが、彼女たちは二人とも、一見してわかるほどに満身創痍である。
二人とも服は所々破れ、紅い血を滴らせた肌を覗かせている。よりダメージがありそうな美鈴に至っては、頭部を切っているのか、鮮血が顔を伝っていた。
「橙さん、心配かけてすみません。もう安心ですよ」
衣玖は優しく微笑んだ。
傷だらけの体を淑やかにそこに立っている彼女たちを目にして――橙の最後の堤防が決壊した。
瞳に溜め込んでいた涙が止めどなく流れる。また言葉が上手く繋がらない。
その理由は、霊夢とひとり向かい合っていた時とは、確かに違っていた。
浮上してきた二人の傷は半端なものではない。パッと見た限りでは、立っているのもやっとなようにも見える。
だがしかし、両者とも瞳の奥の光に力が感じられた。それは先程橙が見せた、精一杯の輝きと同じもの。
霊夢はその瞳に見据えられながら、内心だけで奥歯を強く噛み締めた。
――あぁ、どうしてこう……どいつもこいつも………………
思いっきりその場で吐き散らしてやりたい想いが、彼女の中で渦巻く。
苦虫を噛み潰したような表情を思わずに浮かべ、口から出てゆきそうになる言葉たちをどうにか押しとどめる。
そうして奥歯を噛みしめ、感情が漏れ出すのをどうにか止めていて、気づいた。
空が――白んできていた。
「やっと今日も終わりね」
霊夢は自分でも気がつかないうちに、そう呟いていた。
「……時間切れよ。わざわざ上がってきてもらってなんだけど、私はもう退散するわ」
そのあまりに突飛すぎる言葉に、三人は同時に呆然となってしまった。
美鈴に至っては「…………は?」と声にまで出している。
「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ。ここまで暴れておいて逃げるんですか?まさか臆病風に吹かれた、ってことはないですよね?」
思わず挑発的な言葉まで使い、食い下がってみる。
隣に立つ衣玖も同意見なようで、鋭い目つきで霊夢を睨みつけていた。
だが、そんな二人の顔などお構いないかのように、霊夢の表情は変わらない。
「まぁどう取ってもらってもいいんだけどね。あんたらも傷だらけだし、丁度いいじゃない」
「あなたがつけた傷なんですけど……」
「あー……まぁそりゃ悪かった、としか言えないんだけどねぇ。リベンジはいつでも受けつけるわ。――それよりいいの?朝日に弱いリーダー様を迎えに行かないと、溶けちゃうわよ」
そう言われたところで、やっと美鈴たちも日の出が近づいていることに気づいた。
空の端が明度を上げている。晩夏の季節、太陽が顔を覗かせるのなんて、もうすぐだ。
「そりゃ……まぁ、そうですけど……」
「でしょ?――ということで、私も今日の寝床に帰るわ」
片手を上げて“じゃっ”と軽い挨拶を送ると、彼女はそそくさと動き出した。
方角は守矢の神社。
その背中には、すでにさきほどまでの鬼気迫る迫力など微塵も感じられない。どうやら本気で戦闘はお終いにするつもりのようだった。
その話の突飛さと、一転した変わり身の早さに、美鈴たちは呆気に取られ、ただ霊夢の後ろ姿を見つめるだけしかできずにいた。台風の後の晴れ間を眺める気持ちと、よく似ている気がした。
「あ、そうだ――せっかくだから一言だけ言っておくわ」
ふと、霊夢は途中で止まり、振り返って切り出した。
「あんたたち……あんまりハシャいで無理はしないことね」
そう語る霊夢の顔は、いつにもなく神妙なものだった。
基本的には緊張感の無い彼女のそんな顔を見るのは、思えば美鈴たちは初めてだったかもしれなかった。
「はい?それって…………」
美鈴が言いかけた時には、すでに霊夢はこちらを向いておらず、フヨフヨと飛んでいってしまっていた。
ゆるやかな速度で、空を散歩するように飛行する彼女は、まるでいつもの暇そうな巫女の姿そのままだった。
「――最後のは、なんだったんでしょうね…………」
「さぁ……?――まぁ考えても仕方ないですし、なんとか生きて帰れることに感謝しておきましょうか」
小さくなってゆく霊夢の後ろ姿を眺めたままに、二人はそう言って大きく息を吐いた。
正直に言って、あのまま戦闘を再開させてもどうにもならなかっただろうということは衣玖にも美鈴にもわかっていた。彼我能力の差を測れないほど無力でもないし、自分の状態が把握できていないほど馬鹿でもない。
「……とにかく、霊夢さんの言うことにも一理ありますしね。このまま朝になったらお嬢様に障りますし。ルーミアさんを拾って、私たちも神社へ向かいましょう」
美鈴は切り替えるつもりで、大きく伸びをしながら二人へと声をかけた。
「わかりました。他の方々と合流しましょう。――橙さん、ルーミアさんが落とされた場所は……って橙さん!?どうかしましたか?」
衣玖が橙の方へと振り向いてみると、橙は空の上にへたり込んでいた。
まだ涙ぐむ眼のままで、照れるように苦笑いしながら、
「にゃはははは……緊張が解けて、腰……抜けちゃって……」
橙は恥ずかしそうに顔を赤らめながら頬を掻いていた。
その様子はあまりにも平和で、衣玖も美鈴も、本人には悪いと思いながら、思わず大笑いしてしまった。
少女たちの楽しげな声が、暁の近づく空に響き渡ってゆく。
勝利か敗北かはうやむやだったが、ひとつの戦いの終わりを、彼女たちはそうして噛みしめていた。
【 B-3 】
夏も終わろうかというこの季節――夜は冷えるということはまだないが、夏の盛りに比べれば幾分気温は下がっていた。
ましてや夜も明け方近い今の時間は、吹く風が若干の肌寒さを感じさせる。
しかし、そんな季節感も時間帯も無視するかのように、妖怪の山の一部では、有り得ないほどの熱風が吹き荒れている。
空気の温度をそのまま上げるほどの熱量。
それがつまり、妖怪の山には“いた”。
体から漏れ出す熱気を残像として引き、妹紅は夜の山を駆ける。
その辺りだけは妙に広々としていた。なぜなら、彼女が周囲の木々を薙ぎ倒していたから。
その辺りだけは妙に明るい。なぜなら、彼女が倒れた木々を辺り構わず燃やしていたから。
ごうごうと煙が昇る。生木を燃やした、黒い煙。
それを裂くようにして――天子は、紅に光る剣を振り下ろした。
剣閃が煌き、一直線に、目標への最短距離を疾る。
黒煙に覆われた視界を切り拓く緋想の剣は、しかし、妹紅へと届くことはなかった。
視界が覆われているのは彼女とて同じことだったが、それでも妹紅は自らに向けられる殺気を敏感に感じとり、紙一重で身を捩ると、一息に大きく離れる。
天子は思わず舌打ちを零す。
攻撃が当たらないことは、妹紅が本気を出す前にも確かにあった。元より荒い太刀筋であるということは天子自身がわかっている。
避けられることは仕方ない。
だが、それでも、これほどまでに――――
「これでもっ!」
天子は空いた左手を空にかざす。
突如として、妹紅の周囲には石塊が浮かび上がった。大地を操り、周辺の小石や砂塵を一瞬で寄せ固め、巨大な岩を形成している。
その数は八。妹紅を中心にして列石のように並んで浮かび、彼女を取り囲む。
天子がかざした手を振り払う。
それを合図とするように、岩の塊たちはゴゴゴゴゴッ、っと体を震わせる音を響かせ――敵を圧殺せんと、襲い掛かる。
八方向、ほぼ全方位から飛来する岩石。
人ひとりを押し潰すには、充分過ぎるその質量。まともに喰らえば、踏み潰されたヒキガエルよりも惨たらしいことになるのは想像に難くない。
だが、それらを前にしても、妹紅の顔色が変わることは無かった。
感情を感じさせない、冷たい瞳で石塊を一瞥し、ぼそりと小さく呟く。
「不死……『火の鳥―鳳凰天翔―』」
彼女の呼びかけに応えるように、妹紅の纏う熱がまた一つ温度を上げる。彼女から燃え上がるように炎が生まれ、それはまるで生き物のように激しく蠢く。
彼女の魔力を喰らい、伝説上の炎の怪鳥の姿が浮かび上がる。
宣誓されたスペルの名前に恥じない――それはまさに、鳳凰だった。
火の鳥はもちろん鳴き声を上げるようなことはなかったが、代わりにその体が轟々と燃え盛る音を立てている。
妹紅から生まれた不死鳥は、その身を震わせながら、彼女の周りを大きく周回するようにして舞い飛ぶ。
迫る石塊など物ともしない。その身じろぎ一つで彼女を囲う全てを一瞬にして再び砂塵へと返す。
羽ばたきひとつで周囲を燃やし尽くす火の鳥は、そのまま立ち上るようにして夜の空の中へと消えていった。
石つぶてはその姿を失くし、地面へと還る。パラパラという音だけしか残らない。
だが、そんなことは天子には瑣末なことだった。最早これしきのことで驚く彼女ではなくなっている。
天子は距離を置き、妹紅の真横に立つ。すでに体の前には石で陣を敷いていた。
彼女が放った石塊の破片がまだ地に着く前――彼女は目の前の要石を起動させる。
それが紅く光ったことを知覚する頃には、要石からは何本ものレーザーが飛び出していた。
厳密に言えばレーザーではなく、気質を針のように尖らせ、それを断続照射したものである。その貫通力は非常に高い。
ほとんど光の速さで飛来する弾を目の端で捕らえた妹紅は、天子へと体を向き直す。
彼女をもってしても、それは回避できるかどうか微妙なタイミング。それは天子からしてみれば、絶妙のタイミング。
自らの攻勢に手ごたえを感じて――その満足感は一瞬で吹き飛んだ。
妹紅が大地を蹴る。
彼女はレーザーを避けることをせず、むしろその中へと駆け抜けた。
襲い来る紅をその身に浴びながらも、天子目がけて突進してゆく。
気質の針が容赦なく彼女を貫き、レーザー光に負けない色の紅を散らす。
体中のそこかしこを貫通し、左腕などはすでに削ぎ落とされそうにまでなっていた。
だが、彼女は止まらない。
そのことに目を見張る隙すら与えない。
すでに意味を成さなかったレーザー光を慌てて止めるも、天子はその場から離れる体勢に入ることさえ、許されなかった。
すでに目の前まで辿り着いていた妹紅は、燃え盛る魔力を十二分に込めた右腕を振りぬく。たった今体を傷だらけにした人間が出すとは思えない拳速が疾る。
「くっ――――!」
どうにかのところで、天子のガードが間に合った。ストレートに飛んでくる右を、間一髪の所で緋想の剣で受ける。
だが、勢いは殺せていない。衝撃がそのままダイレクトに彼女へと伝わる。
奥歯を噛みしめ、どうにか踏ん張るが、それにほとんど意味は無かった。ガードされたことなどお構い無しに、力任せに拳が振り抜かれる。
振り抜いた拳に押し出され、まるで空気抵抗という現象が消えてしまったかのように、天子の体は思わぬ速度で吹き飛ばされた。
魔力でブーストされているとは言え、人ひとりを吹き飛ばす拳力は、人のそれを超越していた。
そのまま背後にある大木へと、真っ直ぐに飛ばされる。
鈍い衝撃音、そしてメキメキという嫌な音が盛大に響く。
天子を受け止めた大木はまだ折れることなく鎮座していたが、その衝撃に身を揺らし、枝葉をわずかに散らす。
「――う…………っ」
背中を強打した天子は、そのまま大樹に背を預け、ずずずっと崩れ落ちた。
「――もう終わりかな?非想非非想天のお嬢様」
体から白い煙を上げ、妹紅は視線の先で崩れる天子を見下ろして言った。
すでに千切れそうな左腕など存在しない。
ほぼ完全に破壊されていた人体は急激な回復力をもってして、彼女の姿をまた元の美しさまで引き戻していた。
物腰柔らかな台詞とは裏腹に、放たれた声からは感情が読み取れず、
周囲に振りまく熱とは裏腹に、その視線は冷ややかだった。
途切れそうな意識を繋ぎとめながら、天子は事此処に至って、やっと目の前の蓬莱人を理解し始めていた。
千年を生き、妖怪退治を繰り返してきた貴族の娘。実質能力は衣玖からの報告で聞いていたものと大差無いとタカをくくっていたが――とんでもない。
目標を駆逐することを躊躇わない攻撃性、
それを完遂するためだけに辺り構わず付近を焼き払う凶暴性、
そして自身の体を顧みない狂気――どれも伝え聞いてはいなかった。
それも当然だ。おそらく彼女のこの顔を知っている者はひとりしかいないだろう。
彼女の中のスイッチが入る、ただ一人の相手。
そしてそのひとりもきっと、同じくらいの“狂気”に満ちている。
「ゲホッ…………まったく……さっきも言ったじゃない……あなたは話を進めるのが早過ぎるのよ……」
天子は傷ついた体に少ない体力を総動員してフラフラと立ち上がる。
彼女の体についた傷は、今のものだけではない。
妹紅が本気になってここまで、今のように、ほとんど一方的にダメージを受け続けていたのだ。
相手は傷の残らない蓬莱人。それを差し引いても、ここまで天子は圧倒され続けていた。
幸いにも、一撃で立てなくなるような攻撃はまともに受けてはいない――が、それでも天子の体は限界を迎えつつあった。
積み重なっていく痛みが体を動かなくさせるのはもうすぐだ。
緋想の剣を杖代わりに立ち上がる。剣を携える右手だけは、まだ力が残っているようにも見える。
この剣を離した時――つまりはそれが、彼女が力尽きた時だろう。
ヨロヨロと立ち上がる天子を、妹紅は黙って眺めていた。死を前にした仔犬のようにすら思えた。
――生まれたての仔犬とも言えるかな。あれも戦っているのは自分の死とだ。意味としては変わらない。
そんなことをボンヤリと思い浮かべながら、
「……まだやるの?自分で言っといてなんだけど、それ以上やると死んじゃうと思うよ」
その彼女の言葉に、天子は目を見開く。
そして僅かに間を空けて、
「ふ―――ははっ!あはははははははははははっ!!」
彼女は盛大に笑い出した。
「――なにかおかしい?」
急に笑い出す天子に、妹紅の目には微かに怒気が篭る。
「ふふ……また、ね。それもダメよ」
「――――?」
天子の言わんとしていることが妹紅には掴めない。本気であたり過ぎて少し狂ったかとすら思えた。
「いやね、私の気質を見る目も曇ったかなー、と思ったわけよ」
ふふふ、っと漏れ出す笑い声を上げながら、天子は喋りだした。
妹紅は何も応えないが、それこそ天子は聞いてはいなかった。
「あなたには二面性がある、って言ったわよね?戦いに至った際の敵味方の区別と対応――それがあなたの二面性の正体だった。それは当たっていたわ。事実、私を敵扱いしてくれてからのあなたは、それはもうヒドいもんだったわよ」
天子は依然としてフラついたまま、顔だけは笑っていた。
「感情まで死んじゃったみたいに、無機質に私を殺そうとするあなたは素敵だったわ。私がこれだけボコボコにされる、ってのも初めてだし、楽しくて仕方ない」
体はフラフラと揺れているものの、彼女の口調ははっきりしている。
「それなのに……あんな狂気に塗れた戦いをしてくれた人がここにきて忠告だなんて……思ったより半端な人だったなぁ、って。――そう思ったら可笑しくって」
妹紅はその言葉に、黙って耳を傾けていた。天子は俯き、笑っているようである。
木々が燃える、パチパチという音が響く。月まで向けて、煙が昇る。
天子が勢いよく顔を上げる。
「――天人を舐めないで、“人間”!私はまだ立っていて!口が利けて!戦えるの!私の心を折らない内に、勝手に勝った気でいるのは許さないわ!」
真っ直ぐ妹紅を見つめる瞳に、彼女に負けないほどの熱を込めて、叫ぶ。
思わず緋想の剣に力が篭る。
杖代わりに大地に刺さっていたその剣は、主の意志を代弁するかのように、大地を短く鳴動させた。川に刻まれる波紋、小石が転がり、木々が体を揺らす。
僅かにだけ揺れた大地が、すぐに尾を引いて落ち着いてゆく。
二つの足で地面に立つ妹紅は、その余震までを体で感じた後、静かに口を開いた。
「――死にたいの?」
「まさか……。私を舐めないで、って言ったじゃない。あなたが本気出したくらいで、私は死なないわ」
「馬鹿は死ななきゃ直らない、か……」
そこで大きく息を吐き出す。
「――まぁ、確かに決着を前に気を緩めたのはこちらの無礼だ。そこは素直に詫びるよ。……さっきも言った言い訳をさせてもらうとね、輝夜以外とこうして戦うのは久々なの。だから色々と加減がわからなくてさ」
ゆっくりとそう応え、その間に妹紅は意識的に気持ちを入れ替える。
いつもは無意識に行っていたその作業を、自発的に行うのは初めてだったが――簡単に成功した。
声音が、表情が、硬く冷たくなってゆくのが彼女自身でもわかった。
気持ちを切り替える――――心に雨を降らす。
「――でも、あなた相手ならアレコレ考える必要は無い、と……これでいいのかな?」
一通り話し終えるころには妹紅の声音は先程までの冷たく、抑揚のないものへと変わっていった。
彼女の中身が冷えてゆくのと反比例するように、彼女の纏う熱はその火力を上げる。空気ごとチリチリと焼けるような匂いが、辺りに漂っていた。
「そう……それよ、それでいいわ。まだこっちにも切り札があるんだから……もう少し付き合ってもらうわよ」
「見せてみなよ。それを正面からブチ破ってこそ、あなたの知りたがっていた“私”を教えてあげられる」
天子が相変わらずの笑顔で“ははっ”と笑った。
妹紅が鋭い目つきのまま“くすっ”と微笑んだ。
そうして両者の視線と共に互いの思考が交錯する――それを合図に二人は弾けるように地を蹴り、相手との距離を大きく開けた。
天子は天に、妹紅は地に、二人は同時にスペルカードをセットする。
牽制弾など必要ない。ここで切り札の一撃を放ち、終わらせる。
言葉による打ち合わせはない。
だがしかし、互いにそうであることは誰よりも本人たちが確信していた。
どう転んだとしても、これがお互いのラストワードとなる。
天子は緋想の剣を構え、叫ぶ――――「集え!!『全人類の緋想天』!!」
妹紅は周囲に撒き散らしていた炎を収束させ、吼える――――「蓬莱『凱風快晴 ―フジヤマヴォルケイノ―』!!」
互いの持つ、掛け値なしに最強クラスの手札が迸り、火を噴き、そしてぶつかりあう。
奇しくも両者とも紅色の弾幕を放ちあう。
共に美しい弾幕であるが、その美しさを感じ取れたのはわずかに一瞬だった。
瞬いた目を開くころには、二つの強力な力が炸裂することで生まれた、激しい光が視界を覆う。
轟音は空を裂き、衝撃は大地を捲る。
燃えて倒れていた木々や枝葉は吹き飛ばされ、燃えていた炎も掻き消える。
二つの弾幕の交差点付近にある周囲の木々が根こそぎ倒れてゆく。天子を支えてくれた大木も、さすがにすぐ近くで起きたこの激突には耐えることができなかった。
辺りの全てを巻き込み、妖怪の山を揺らす。
だが――この拮抗も、長くは続きそうにはなかった。
――まぁ……そりゃそうよね…………。
紅の光線の威力が少しずつだが弱まってゆく。
これもさきほどのレーザーと同じ原理。連続性のある気質弾を超速で弾き出す、弾の波――それが徐々に勢いを失ってきている。
弾速のおかげで最初こそ押していたが、今では相手の放つ炎弾の群れを押しとどめるので精一杯だった。形勢が悪くなっているのが、見て取れるようであった。
――ちょっとやられ過ぎたわね……緋想天に回す力が……もう残ってないや…………
無限に傷を癒す蓬莱人相手に、ここまでずっとフルパワーで戦い続けていた天子の体力は、限界を迎えていた。いや、限界を超えてすらいた。
だが、天子自身そのことはわかっていた。
“まだ切り札がある”と息巻いてはみたが、その切り札を十全な威力で発揮できないことも、発動する前から知っている。
それでも――彼女は最後の力を使い切るまで戦いたかった。
途中で止めるだなんて選択肢は、彼女の頭には欠片も存在してはいない。
それは何百年と思い続けていた彼女の願いだから。
今回のような地上の異変に参加して、目一杯戦う――ささやかで、壮大な夢。
その夢を叶えようと異変を自ら起こしてみたこともあった。
――あれはあれで面白かったけど……やっぱりちょっと違ったわ。
目の前の紅い輝きをぼんやりと眺めながら、不意に、
――そうか。
天子は気づいた。
――私は……地上のお祭り騒ぎに混ざりたかったんだ。いつも天上から見下ろして眺めるだけだった、あの楽しげな声のする所へ――――
『全人類の緋想天』がか細く消えてゆく。
もう迫る弾幕をとどめる力は無い。
最後の弾が出切るまで、彼女は照射を止めようとはしなかったが、その最後のひと絞りすらも、すぐに彼女の体から出て行った。
あとは結果として痛みを味わうだけ、それが現実として目の前まで来ている。
あれだけの力を込められた弾だ。今の体力で食らうと危険だろう――が、それすらも満足の内であるかのように、彼女は四肢の力を抜いた。
紅弾は遮るものが無くなったことで、怒涛の如く標的へと向かってゆく。
轟々と燃えるような音を立て、その牙を打ち立てんと迫る。
天子は被弾を覚悟し、静かに目を閉じる。
その口許だけは笑ったまま――――
妹紅が突き出していた掌に力を込め、握り締める。
パァンッ、という高い音が響いた。
妹紅の口許は――小さく笑っていた。
「―――――――――――?」
しばらく瞼を閉じていた天子だが、自分の体に痛みが奔らないことに気づき、目を開ける。
紅色の弾幕が、消えていた。
迫り来るあのプレッシャーが、跡形も無くなっている。轟音も熱風も衝撃も、何も無い。
そこはまた暗い森の中。
木々は倒され、森と呼べなくなっているが、おかげで月明かりが全てを照らしている。
燃えていた木々も、もうまったく無い。星が目映い。まるで全てが夢だったかのように現実味が無い。クリアになった視界に、ボヤけた思考が追いつかない。
目の前の無音が、“術者が弾幕を解除した”ため、だということに思い至るまで、多少の時間を要した。
妹紅は何も言わずに腕を下ろす。
そこでやっと、この状況が他ならぬ目の前の人間によるものだということに思い至った。
ギリッ、と音が鳴るほどに、奥歯を噛みしめる。
「――ッ!!なんのつもり!!言ったわよね!?勝手に手を抜いたら許さない、って!!私を馬鹿にしてるの!?」
そう一気呵成に吐き出した。
その顔には先程までの無邪気な笑顔は無く、それまで見せなかった鋭い目つきがあった。
いや、歯軋りしながら妹紅を睨みつける様は、むしろ――――
妹紅はその様子を黙って見、そしておもむろに口を開く。
「――ははっ、怒ってるんだか、泣き出しそうなんだか。どっちかひとつにしときなよ」
そう言って、穏やかに笑っていた。
彼女の顔と声にはまったく棘が無く、柔和な雰囲気を纏っている。
それはどう見ても、ついさっきまで殺し合いに近い戦いをしていた者の表情ではない。
体を覆っていた熱気も、全て嘘のように大人しくなっている。
そこに立っているのは“蓬莱人”ではなく、紛れも無い“ただの人間”だった。
燃え散った木々も、さきほどの衝撃で全て吹き飛ばされてしまっている。
辺りは妙に静かで、不意に流れた風が、夏の終わりらしい心地よさを運んできた。
妹紅のその顔を見た天子は、一瞬唖然としたが――すぐに悟った。
――そうだ、目の前の蓬莱人の気質は“驟雨”……いわゆる通り雨。
『ひとたび敵を認識して戦闘になれば、苛烈に、無慈悲に、強烈に攻める。そして、オンオフが明確につけられるから終わったら余韻に浸ることもなく温和なあなたに戻れる』
――つまり……どうやら雨は止んじゃったみたい。
「そう……なんだ。……負けちゃったのね……私」
天子は諦めるように、するすると空を下りてきた。大地に足を着き、まっすぐ妹紅と向き合う。
目の前の蓬莱人はすでに戦いのスイッチを切ってしまっていた。
今度は、完全に。
さっきのように戦いあぐねての中途半端な切り方ではなく、完璧に。バッサリと。
つまり、彼女の中では“戦い”と呼べるものは“終わった”と認識されているのだろう。妹紅もそう言わんばかりに、穏やかに笑っているだけだった。
「まぁ緋想天も返されちゃったし……仕方ないっちゃ仕方ないかな……」
言ってしまえば、この戦いの終わりの線を引いたのは妹紅の独断だ。まだ天子が戦闘不能状態になっていないことを考えて、ここから大逆転、という可能性もゼロではない。
が、天子はそのことについて反論しなかった。
理由はいくつかある。
切り札の緋想天が打ち返されてしまっていること。
正直言ってスイッチを切った妹紅にもう一度スイッチを入れさせるほどの力は残っていないということ。
そして――月光に照らされるように浮かぶ妹紅の笑顔が、予想以上に美しかったこと。
目の前の、さっきまで戦っていた自分の命を慈しむように、優しい目をしていた。
――不死人のくせに、自らの命なんて軽視している人種のくせに、私が生きていることを喜んでくれているかのような顔して…………。
「つくづく思ったことが顔に出る子だね。――そんなに悔しい?」
妹紅はくすくすと笑いながら天子に尋ねた。
その声に弱々しく笑みを浮かべる天子は、確かに、分かりやすいほどに悔しそうだった。
「そりゃ……ね。なんせこれだけ全力でかかって完敗したなんて相当久しぶりのことだしね」
できるだけ大きく笑おうとしながら、天子は応えた。
「でも……まぁ楽しかった。やって良かったとまで思えるわ」
その答えに満足だったようで、妹紅は目を細めて微笑み、不意に空を見上げた。
「――空が白んできた。……私はもう行くよ。他の連中の様子も見に行かなきゃ」
「そう……あなたひとりで山の地理は分かるの?」
「いやぁ、全然。ここがどこだかもわかんない。――とりあえず、神社があるんだって?そこが本拠地で神様がいるっていうのを聞いたよ」
「一人じゃ帰れないから道案内できるヤツを探しに行く、って正直に言いなさいな」
「うるさいな。焼き天人にして肝を頂いてあげようか?」
「それは勘弁ねぇ」
天子は思わず小さく噴き出してしまっていた。
妹紅は、ふん、と小さく鼻を鳴らしている。このやり取りを愉快そうに、口許だけ小さく笑っていた。
妹紅はふわりと空へと浮かび上がる。
「――じゃあね、天子。再戦はいつでも受け付けるよ。それが何百年、何千年先でも」
見上げる天子の名を呼び、簡単に片手だけ上げて挨拶を送る。
「そんなに待たせないわ。すぐにギャフンと言わせに行くわよ」
「そりゃ楽しみだ」
ふふっという笑い声だけをその場に残し、妹紅は木々の高さを超える。そのまま神社の方向へと飛んでゆく姿が見える。
気持ちのいいことに、振り返ることはしなかった。
それを黙って見送りながら、天子は口の中だけで小さく呟く。
「…………またね、妹紅」
妹紅の姿が完全に見えなくなるのを確認し、彼女は大の字になってその場で倒れ込んだ。
「あぁぁ――――――――――っ!!疲れたぁぁ―――――――っ!!」
そう叫び、不意に目を閉じる。
右手にずっと握り締めていた緋想の剣が、カランと音を立てて地面に転がった。
to be next resource ...
しかしそれらに目を瞑れば、ここでもっとも冷遇されているといっても過言ではないバトルものとしては、充分読めるレベルです。
惜しむらくは、熱さが足りない! といった所でしょうか。
でも、もこてんはよかったです。
三点リーダとダッシュは改善させていただきます。
改行は、しないとひたすら横長になっちゃうかなぁって思ったんですが……どうにか上手くやってみます。
熱さは大事ですよね!どうにか燃やしていきたい!
ご指摘ありがとうございます!また読んでもらえたら嬉しいです!
改行が多いと感じることはありません。このぐらい改行してくれた方が読みやすくて良いと思います。ただ、ダッシュの方は、もう少し抑えた方が宜しいかと。
まあ、個人的な意見ですので、参考程度に。
霊夢撤退の謎とリリカと、前作3人で誰がやられるのかが今後の楽しみなところですね。
霊夢無双は後述するかもです。しないかも……。
vs神奈子様はちょっと遠くなっちゃう予定です(たぶん二つか三つ挟みます)。もうしばらくお付き合い下さい。
ご指摘ありがとうございました!次回もぜひお願いします!
ところで、A-4,E-1,F-1が二つあるようだけど?
素でミスってました……ご指摘ありがとうございます。即刻修正いたしました。