「お姉ちゃんは恋を知らないわ!」
屋敷の中に、唐突に響き渡る声。
いつものように私に指を突き付けて、どこか勝ち誇った笑みを浮かべたその子は、やはりいつものように大声でそんなことを宣言した。
今度は一体何を思い付いたのやら。私は溜め息混じりに手元の本を閉じ、顔を上げて我が妹の目をしっかりと見据えた。
「今日は何かと思えば……恋、ですって? ふふん、見くびらないで貰いたいわね。そんなもの、とっくの昔に酸いも甘いも味わい尽くしてしまったわ!」
「な、なんですってー!!」
ズガガーン、という擬音と共に、こいしのバックに電流が走る。タイミングはバッチリね。練習したかいがあったというものだわ。
二人には後でモンプチとゆで卵をご褒美に与えるとしましょう。
そんな背後の些事はまるで気にも留めず、こいしはでも、と続ける。
「お姉ちゃん……確かもうずっと外出てなかったんじゃなかったっけ? ほんとに知ってるの? 本で読んだだけじゃない?」
「こいし。書物を軽んじてはいけないわ。書とは先人が自らが後世に遺すべきだと判断した全ての知を記したものなのよ。あらゆる物事の真理がそこにはあると言っても過言ではないわ」
「あーあーはいはい。つまり生身では経験してないってことね。よく分かったわ」
こいしは頭を振って肩を竦める。ちょっとからかい過ぎたかしら。
まぁそれはともかく……恋、ねぇ。確かにこうして改めて思い返してみれば、そう呼べるものはないかもしれない。それに私は嫌われ者の覚り。どこぞの嫉妬の鬼ならともかく、私には一方的な好意すら許されていないのだから尚更だ。
でもそれはこいしだって同じの筈で……はて、それならどうしてあんなに自信に満ちているのだろう。あの言い方だと自分は知っているけれど、のニュアンスを含んでいるように聞こえるし。はて……?
「そこまで言うなら……当然、貴方は知っているんでしょうね? その、恋とやらを」
まさかと思いつつ、若干震えた声で問う。するとこいしはうん、と元気良く頷いた。
そして少し照れたように、恥ずかしそうに身をもじもじとさせて言う。
「あのね……好きな人が、いるんだ」
目の前が真っ暗になった。
頬に冷たい物が、何度もぺちぺちと当たる感触。
「ちょっ……こら! おくう! 何やってんのさ!」
「え? こうした方が楽しくない?」
「別に楽しくなくて良いんだよ! 全く……もういい、私が看るからおくうはってだから叩くなぁぁぁ!!」
ぺちりぺちり。
再開される攻撃。この感触は恐らくタオルか。気持ち良いことには変わりないのだが、如何せん水をたっぷりと含んでいるので痛い。痛い方が気持ち良いとまでは流石に思えないので、さっさと起きることにした。
身を起こす。少し痛む頭を押さえ、ゆっくりとまぶたを開けると、予想通りの二人の顔が見えた。
「うにゅ! お早うございます、さとり様!」
「ささささとり様ぁっ!? も、申し訳ありません! ほら、おくうも謝りな!」
「痛い痛い! ちょっと、止めてよお燐!」
燐は空の頭を押さえ付け、無理やり謝らせようとしている。私が怒っているとでも思っているのだろうか。そんな心配、杞憂だと言うのに。
ああ、二人の甲高い声が頭に響く。手当てしてくれたのはありがたいが、あまりぎゃあぎゃあ騒がないでほしい。
「……あー、大丈夫です。怒っていませんよ。それより、少し頭が痛いのであまりうるさくしないでほしいのですが……」
「あ……す、すいません!」
私の言葉で二人はぴたりと押し黙る。空の方は燐に口を塞がれているので、無理やり、と言った方が正しいかもしれないが。
それにしても、やること為すことどうしてここまでオーバーなのだろう。燐に至っては、私のことを怖がっているが故のリアクションみたいだし……うーん。
こいしだけじゃなく、この子たちにも同じように、もっと親密に接してあげるべきなのかもしれないわね。
と……そういえば。
「こいしはどこにいるのかしら? さっきから姿が見えないようだけれど……貴女たち知ってる?」
「こいし様ですか? 出掛けるからさとり様を宜しく、ってどこか行っちゃいましたけど。何か御用でもありましたか?」
「いえ、そういうわけではないけれど……そう、出掛けたのね」
目の前で倒れた姉を、ペットたちに押し付けて。
確か、気絶する前に……そうそう、“好きな人がいる”、だっけ。わざわざそんなことを切り出すくらいだから、余程好いているのでしょう。それこそ、姉を放っておいて会いに出掛けてしまうくらいには。
しっかりとした証拠はないけれど、まぁ十中八九はそうよね。最近はよく頻繁に遊びに出掛けてるし、誰か新しい友達でもできたのかしらとは思っていたけれど……こうして思い返してみれば、あれも自分の想い人に会いに行くためだったのかもしれない。そうよね、毎日毎日よくも疲れないものだと思っていたけれど……それも愛する人のためなら、なんて。如何にもありそうな話じゃない。
それとも、もう私が倒れてしまうことには慣れっこだからだろうか。妖怪は精神的に弱い。殊私に至ってはそれが顕著なのだ。例えば焚き火をした時、火が跳ねたのに驚いて卒倒してしまうくらい。それでも数時間後にはけろっとした顔で目覚めるのだから、いちいち付き合っている方が身が持たないのかもしれないわね。
まぁいずれにしても、そんなことは些細なことでしかない。本当に問題なのは――こいしにはボーイフレンドらしき者がいる、ということだ。
いや、別にいることが問題なのではない。そりゃ少し早過ぎる気がしないでもないが、今の子供は早熟だとも聞く。向こうもこいしのことを気に入ってくれたからこそ付き合ってくれている筈なのだし、二人がお互いを認め合い納得してそういう関係になったのなら私は何も言う気はない。
ただ。
ただ、姉として、妹に先を越されるのはどうかと。
そこなのだ。私はいつでもいつまでも尊敬される姉の姿を演じてきた。いわゆる模範的な姉だと自負している。誰に見せても、どこに出しても恥ずかしくないくらい、そんな立派な姉になれるよう常に心がけてきた。
それというのも、姉は妹に先行するという不文律が世の中にはあるからだ。妹に負けて何となる。姉たらんとするには、妹にとって自慢できる姉でなければならない。それが私の座右の銘だった。
しかし、その生真面目さが災いしてか、男性と付き合ったことなど……いや、父以外の男の人と会話した覚えすら殆どない。こいしのように放浪癖があったり無垢であったりするならば、幾らかその機会もあったのだろうが……生憎と私はそんなことができるような性格ではなかった。
覚りだから、という逃げの姿勢もあった。自分が嫌われていることを理解していたから、自分がこれ以上傷つくのも避けていたこともある。更に言うなら白馬の王子様なんてこれっぽっちも信じちゃいないが、それでもいつか運命の人と必ず出会える時が来ると思っていたのも確かだ。
環境、性格、容姿。いずれも私にとって誇れるものではなかった。対してこいしは……どう思っているかは知らないが、まぁ少なくとも私よりは自信を持っているだろう。要するにそこの差だ。積極と消極。同じ覚りという種族であっても、決定的な違いができてしまった理由はそこなのだ。
それが故に、先を越された。
…………。
……何と言うか、納得いかないわね。
「……あのー、さとり様? どうしたんですか、急に黙って」
「えっ? ……あ、あぁ、いえ、何でもないわよ。ちょっと考え事を、ね」
燐の声で強制的に現実に引き戻される。
我に返って初めて、目の前の二人が私のことを心配そうな目で見ていることに気付く。あまりに深く思考していたせいで、突然押し黙った形になっていたようだ。倒れた後でいきなり黙ってしまっていては、そりゃあ驚くに決まっている。こういう時はあまり深く考えない方が良いのかもしれない。
まぁそれはいい。そんなことはどうでもいいのだ。今の私には、やらなければいけないことがあるから。
私は立ち上がり、ぱんぱんと手で服に付いた埃を払う。急に動いたせいで立ち眩みしてしまい少しよろけたが、すぐにくらくらした気分も戻った。
その場を少しだけ歩き回り、体に何か支障がないかを確認する。少し関節がきしむくらいで後は何も異常ないことをはっきりさせてから、私は呆気に取られている二人に向かって言った。
「さて、私も出掛けてくるとしましょう。燐、空、お留守番お願いね」
「へ? ……は、はぁ……分かりましたけど……大丈夫ですか? 今日は休んでいた方が宜しいんじゃないかと」
「大丈夫よ。自分の限界は自分が一番よく知っているし。それに他にも目的があるんだから」
「目的? ……ははぁ、あれですか。またこいし様ですか」
にやにやと笑みを浮かべ、燐は意を得たといった風に頷く。
というのも、燐は私がこいしに甘いことを知っているからだ。今ではたった一人になってしまった肉親。勿論ペットたちだって家族ではあるが、血の繋がりがある分こいしの方がずっと近しく感じてしまう。妹も妹で拒絶するようなことはせず、寧ろ大抵は喜んでくれるのだから尚更増長してしまうのだ。
途中で私が思い留まっていなかったら、今頃いったいどうなっていただろうか――想像するだけでぞっとする。いやはや、未遂で良かったものだ。溺愛するのも程々に、何でも節度が大切なのだと心に刻んだとても貴重な体験だった。
また、というのはそのことを指しているのだろう。あの時の私はこいしに関することではまるで周りが見えていなくなっていた。今回も倒れたにもかかわらず「また」、こいしのことが何か気に掛かっているのか、と燐はそう問うているのだ。
勿論実際は違う。首を横に振り、違うと口にし掛けたところで、突然はたと気付いた。
違うと答えれば当然理由を尋ねられるだろう。しかしわざわざ自分から口に出したいものでもない。できることならこのまま隠して、誰にも知られずに事を済ませておきたいのは言うまでもないだろう。
まぁ、否定する必要もないか。そう私は断じ、首を縦に振った。
「まぁ、そういうわけで。それじゃあ行って来ます」
「了解しました。行ってらっしゃい、さとり様」
ぺこりと頭を下げた二人に見送られながら、私は玄関へと向かう。
さて、いったいどれくらい振りかしら。もう暫く地上には出ていなかったし。外は何か変わっているのでしょうかね。
さぁ、久し振りの外出よ。
「……そう、恋とは大まかに分けても幾つかの芽生え方がある。代表的なのを挙げるとすると……一つは一目惚れか。相手を初めて見た時に、初めて出会った時にこう、ビビッとクるあれだな。これにゃさしたる理由なんざない。第一印象のみで決まる、まぁ極めてスタンダードな一例だ」
「えぇ、それは既に知っています。小説とかでもよく使われるので」
「そりゃあれだな、特に理由もなく好意を持たせることができるからだな。しかしただの便利な道具と思うなかれ、こいつはスタンダードなだけに、現実にも最も起こり得る恋の形なんだよ。第一印象は重要だぜ? 外見は恋の構成要素で一番大きな比重を占めているからな。見た目が自分の好みとかっちり合えば、そりゃあ惚れもするってもんよ」
「ふむふむ……勉強になります」
とは言っても、少し単純過ぎる気がしないでもないが。
いや、しかし全くの嘘でもないだろう。確かに清潔そうな人と不潔そうな人、どちらの方に好意を抱くかと言えば……言わずとも明らかだ。愚問に過ぎる。
まぁ、現実なんてそんなもんか。
――と、こんな感じで、私は恋の魔砲使いこと霧雨魔理沙に恋のいろはを教えて頂いているのであった。
ここは魔法の森の中にある、万屋霧雨魔法店。薄暗い部屋の中、師走の肌寒い空気の中で、私は彼女の八卦炉とやらの出す火で暖を取りつつ講義を聞いていた。
彼女は我が妹の親友であり、また私の友人でもある。第一印象はただの盗賊としか思えなかったが、存外そうでもなかったらしい。楽しそうに一日の出来事を話す妹を見ていると、それがよく分かった。
こいしの良い遊び相手になってくれるのであれば――こいしの友人だというのであれば、私だってそう邪険には扱わない。時折家に遊びに来る時は、快く出迎えるくらいには親交を深めていた。
他者との繋がりを持たない私にとって、魔理沙は数少ない知己の一人だ。その上こいし曰く、自らのスペルカードに“恋の魔法”とやらを組み込んでいるそうである。まさに現状にぴったりの人物、彼女に頼らずして一体誰に頼ると言うのか。
そういうわけで、私は地上に出て真っ先にここを訪ねたのであった。
「続けて二つ目。友人として接している内に、って奴だ。これは外見より性格重視だな。勿論同じ性格なら見た目の良い方がいいが……そうだな。美形だけど暴力的な奴と、不細工だがこれ以上ないくらい優しい奴。お前ならどちらを選ぶ?」
「へ? ……そうですね……やはり性格の良い方、と言いたいところですが……不細工の度合いにもよりますね。見るに堪えないような造形なら、私はイケメンを選びます。それにちょっと乱暴な方が興奮しますし」
「お前の性癖なんざ聞いてねぇよ! ……ま、今の例えでもはっきりしたろ。見た目と性格はある程度釣り合いが取れるんだ。性格の方を重視する奴も珍しくない。結婚する時はある程度の期間を設け、それで相手の性格を見極めるって技もあるくらいだ」
「結婚ですか……確かに生涯の伴侶を選ぶのに、性格というのはとても重要なファクターになりますしね。幾ら格好良くっても頭おかしい人とは付き合いたくありませんし」
「ははっ、そいつは極端な話だな。だが間違ってもいない。見た目は重要だが、パートナーとしてはそれ以上に心の問題が大きくなってくる。不器用な優しい人に恋をする、なんて、如何にもロマンチックだとは思わないか?」
私はこくりと頷く。そんなシチュエーションは私のストライクド真ん中だ。憧れてさえいる。願わくば、私の初恋はそんな人との出会いが良いと、そのくらいには。
となると、やはり私はこの二番目のタイプということか。まぁ美形であるに越したことはないけど、暴力を振るうような男はちょっと、ね。さっきは冗談でああ言ったけど、痛いのはあんまり好きじゃないし。
恋人同士というのは、一緒にいて心休まる相手なのだと魔理沙は初めに言っていた。ならば性格の一致不一致はかなり大きな問題だろう。嫌な奴と付き合っていたところで、心が休まるとは決して思えない。
……あぁ、だから結婚という一つの恋の終着点には長い準備期間が要るのか。今まで恋愛小説はどうしてこうも冗長なのかと思っていたが……その心の機微を描写するためだからか。ようやく合点がいった。
一つ謎が解決したところで、魔理沙に先を促す。彼女は頷いて、再び口を開き話し始めた。
「んで、三つ目……こいつが最後だが、これが中々即物的でな。いわゆる相手の財産狙いだ。相手の金やら、地位やら、その他諸々何でもいい。とにかく自分の欲望に直結するもんを相手が持ってりゃ成立する。即物的とは言ったが、一番現実的でもあるんだぜ? なんだかんだ言って貧乏に勝る苦はなかなかないからな」
「はぁ……よくある話ですよね。遺産相続とか言いましたっけ。そこまでお金に執着するのが、いまいち理解できませんけど」
「……そういやお前んち豪邸だったっけな。もう持ってるもんに惹かれる筈ないか。
まぁそういうのもあるってことぐらいに考えておいてくれ。財産だって魅力の一つだ。そこに惚れたって何にもおかしくはないってことだよ」
「はい。分かりました」
財産も魅力の一つ……ね。
その発想はなかったけれど、うん、確かにそうかもしれない。先立つものは何とやら、とも言うし。私は今のところお金に関して困ったことはないけれど、それはやはり私が特例であるだけなのだろう。運が良かっただけだ。お金がなければそれを求めようとするのも、そうおかしいことではない。
ただ、それを恋と呼ぶのか、と考えれば、即答まではできないけれど。
……とにかく、これで基本は揃ったわけだ。
恋の萌芽、三カ条。
一つは一目惚れ。
一つは人柄。
一つは財産。
一目惚れは外見、人柄は性格とすればより分かりやすいだろう。これらのいずれか、もしくは複数の要素を持っている相手に人は恋をするのだ。それが世の常、理なのだ。
勿論、この三つに限った話ではないのだろうが……今の私にはそこまで細かい話をされても、多分理解できないだろう。これくらい単純なお話の方が、すんなり受け入れられやすい、と。合理的な考えではあるわね。
……でも、なぁ。
「うーん……どうもしっくりきませんね。理解はできますが、理屈ばかりが先行しているようでなんとも……」
「そりゃそうだろ。本来感覚的なもんを説明してるんだからな。分かりにくいことこの上ないぜ」
呆れた、と言わんばかりに魔理沙は顔をしかめる。まぁ、頼んだのは私自身だから文句を言うのも筋違いなんだろうけど。
しかし、感覚となると……どうすれば良いんでしょうね。まさか実際に誰かに惚れてみるなんて、そんな器用な真似はできないし……。
どうにもこうにも進まない。早くも進退窮まった私は、頭を抱えてひたすら考え込む。魔理沙も唸りながら、腕を組み首を傾げてしまった。
「ふむ……もしかしたら私の教え方が悪いのかもしれないな。ただでさえ難しい話だってのに、いろはのいの字も知らない奴に教えようってんだから……土台無理な話だったのかもしれん。まさかこんなとこでつまづくとも思ってなかったからなぁ」
「そんな……なら、私はどうすればいいのですか? 頼りにしていた貴女にまで見捨てられたら、もう他に打つ手が……」
「おっと、そう悲観的になるな。何も考えていないわけじゃないんだぜ」
「……?」
すっかり困り果て俯いていた私に、笑い飛ばすかのように魔理沙は言う。不思議に思った私が顔を上げると、彼女は右手の人差し指をぴんと立てて続けた。
「私の教え方が悪いなら、今度は教えることに長けている奴に回せば良い。都合の良いことに、私はその教えることの専門家を知っているんだ。どうせだったらそいつに任せてみるのも面白くないか?」
そう、とても意地の悪い笑みを浮かべて。
「先生さよならー」
「さよならー」
木造の小屋の中から、幾人もの人間の子供たちが元気良く飛び出してくる。
皆が半袖半ズボンととても寒そうな格好をしているが、誰一人として空気の冷たさに身を凍えさせている者はいない。子供は風の子だなんて、よく言ったものね。
それとは対照的に、私たちは防寒着を着込んでいた。マフラー、耳当て、手袋、外套、およそ一般的な防寒具と思われるもの全て。確かに寒くはないが、少し歩き辛いのが難点か。
当然のことながら、全て魔理沙から借りた物だ。外に出て身をがくがくと震わせている私を見かねて貸してくれた。持つべきものは友である。
彼女は割と服装には拘る方のようで、私に合う物を数点選んで着せてくれた。肌が白いから云々、全体的に暗く見えるから云々。そちらの方の理論はよく分からないが、私から見ても可愛いと思える物ばかりだ。言葉遣いは乱暴だが、中身はしっかり少女のそれだったらしい。
まぁ、たまにはお洒落も良いだろう。少し気恥ずかしいが、似合っていると言われてそう悪い気はしない。そんなこんなで少しばかり気分を良くしながら、私たちは遠路遥々ここ人里までやってきたのだった。
「それで……ここ、ですか? 貴女の言っていた“先生”とやらがいるのは」
「そうだぜ。……ん? もしかしてあれか? 何も捻りがないとか思ってるのか?」
「いえ、そういうわけではないですが……」
でも、寺子屋、ねぇ。
先生だけに、寺子屋。
そりゃあ、教えることは得意でしょうよ。
「ま、冗談でも何でもなくマジなんだけどな。こいつは里でも結構な知識人として名が知られているんだ。私でも思いつかなかったようなアイデアを何か出してくれるかもしれん」
そう言って魔理沙はがらっと勢いよく戸を開く。そして「お邪魔するぜー」と暢気に大きな声で挨拶しながら、のっしのっしと大股で中へ入って行ってしまった。
外に一人取り残された私。周囲を見回しても、見知った者など誰もいない。結局私も慌てて、魔理沙の後を追うのだった。
ゆっくりと戸を閉め、中に入る。空気は思いの外暖かい。恐らく子供たちが先程までいたからだろう。
さて、魔理沙はどこだろうか。きょろきょろ辺りを見回しながら靴を脱ぎ、教室内に入ろうとする。探すまでもなく、すぐに彼女の姿は視界に入った。
但し、彼女の正面には見知らぬ女性も一人いたが。
長くさらさらとした銀色の髪を持つ、長身の女性。服装は青と白を基調にして、落ち着いた雰囲気を身に纏っている。頭には……お弁当箱? のような物が乗っかっていた。
しかしそんなことは問題ではない。私が思わず教室内に入るのを躊躇ったのは、その女性があまりにも苦々しげな顔をしていたからだ。
教壇に立ったその女性は眉をひそめ、とても嫌そうな表情を作っている。対して教卓を挟んだ反対側にいる魔理沙は、頬杖をついていつものようなすかした顔をしていた。
何やら穏やかではない空気に、私はなかなか一歩踏み出すことができない。どうしようか、このまま見ていた方が良いんじゃないのか。そんな風に尻ごみしている内に、ふと横を向いた魔理沙に見つかりこっちへ来い、と手招きされる羽目になってしまった。
見つかってしまった以上、もうどうしようもない。私はすごすごと中に入り、ぺこりと頭を下げる。すると向こう側に立つ女性もあっ、と驚いたような顔をして、慌てた様子で会釈を返してくれた。
「あぁ、済みません。入り辛かったですよね。いきなりこいつが来たものだから、また何か企んでいるのかと……」
「ほれ、ちゃんといるだろ? 勝手に勘違いしてるのはお前の方だぜ」
「うるさい! お前が関わると碌なことにならないだろうが。誰だって警戒もするだろうよ。……それで? そこのお嬢さんが、一体何の用だって?」
「おいおい、それを私に聞くのかよ。どうせ本人がいるんだ、直接聞いてみたらどうだ?」
魔理沙は私の方に顎をしゃくってみせる。話の流れはよく掴めないが、どうやらこの人に経緯を詳しく話せ、と言うことらしい。
誰だか素性が分からない相手に、それも初対面の相手にこんなことを話すのは少し気が引けたが、流れからしてこの人がその“先生”なのだろう。そう思って見てみれば成程、どこかしらそんな感じの雰囲気を漂わせているように見える。魔理沙の心を読んでも、私を騙そうとしているような意図は見受けられなかった。
私は意を決して、これまでのことを全て赤裸々に、且つ簡潔に話す。全てを話し終えると、“先生”はやや神妙な面持ちになって何度も深く頷いてから言った。
「それはそれは……大変でしたね。魔理沙なんかに相談しても、何も進展しなかったでしょうに」
「おい」
「分かりました。不肖この上白沢、全力を持って貴女の力になりましょう。ご安心下さい。恋とは何なのか、教師の名に掛けて十に至るまでつまびらかに叩き込んでみせます!」
「は、はぁ……そ、それでは、宜しくお願いします……」
あまりにも凄まじい勢いに、気圧されてしまう私。これがいわゆる熱血教師というものだろうか。何だかいきなり夕日に向かって走ろうとかなんとか言いそうな感じだ。
でも、面白い。
思えば、私の周囲には感情を露わにする、というタイプはいない。私が心を勝手に読んでしまうので、わざわざそうする必要がなくなってしまうからである。私自身がどちらかと言えば静かな方であり、外向的な性格でないということも影響しているだろう。付け加えておくと、地霊殿の中で一番騒がしいのは燐と空のコンビである。逆に言えば、あれ以上に感情的な者はいないということでもあるのだった。
そういう意味では、そういう意味でも魔理沙は新しかった。何しろうるさい。物静かだった地霊殿が、一転してにぎやかな場所になってしまったのだ。その分楽しくもあるから、文句なんて言えないが。
この“先生”もそのくらい騒がしく感情的なのかは分からないけれど、少なくとも地霊殿のペットたちよりは感情の揺れ幅が大きいだろう。私の解釈が正しければ、恋とは感情の揺らぎの筈だ。その幅が大きければ大きい程、恋を深く知っていることになる。
魔理沙は教え方を知らなかった。でも、“先生”と呼ばれるこの人なら、あるいは。そんな期待が、私の全身を満たして行く。
ちょっとくらいなら、信じてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、“先生”はあぁ、そうだった、と突然素っ頓狂な声を上げた。そして私の方に静かに歩み寄り、深々と礼をしてから再度口を開く。
「いや、失礼。自己紹介をまだしていなかったことを思い出しまして。順序が逆になってしまいましたが……ご寛恕下さい。
それでは遅ればせながら。私は上白沢慧音。この寺子屋で教師をやらせて頂いています。どうぞ気軽に“慧音”とお呼び下さい」
「では、続けて私も。古明地さとり、と申します。呼び方はどうとでも、お好きなように」
「なら、さとりと呼ばせて貰うことにしよう。宜しく」
「えぇ。宜しくお願いします」
そう言って、私たちはかたく握手を交わす。
慧音と名乗った彼女の手は、とても温かかったような気がした。
「百聞は一見に如かず、という故事がある。これは百の講釈を聞こうが、一度実際に見ることには決して及ぶことはない、という意味だ。そこで私は提案したい。この故事にならい、試しに実際体験してみるというのはどうだろうか?」
「…………」
「…………」
予想の斜め上だった。
自信たっぷりに放たれた言葉。そのあまりの突飛さに私たちは言葉を失い、ただただ呆然とするばかりだった。
そんな私たちの様子に不信感を抱いたのか、慧音は首を傾げながら私たちに問う。
「ん? どうしたんだ? 二人とも黙って」
「……あのー、すいませんが……それはつまり、実際に誰かに惚れてみろ、ということですか?」
「おいおい、それができてたら苦労しないだろ。何言ってんだお前は? 私たちが何に苦心してるのかちゃんと理解してるのか?」
魔理沙は苦笑しながら毒づく。口には出さないが、私も実は同じ気持ちだった。実際にそれができるのであれば、何もわざわざ人に相談することなく意を得ている筈なのだ。何がどうまかり間違ってそういう結論に達したのか、到底理解し難い思考だった。
しかし慧音は一層きょとんと狐につままれたような、私たちの困惑に対しての戸惑いの表情を浮かべながら続けた。
「うん? そういう意味じゃないよ。要するに……実際にそのシチュエーションを再現してみよう、という話だ」
「……シチュエーション、ですか?」
「そう。先程のさとりの話では、魔理沙は恋の初期段階、芽生え方を三種類に大別したそうじゃないか。その三つをその通りに再現する“場面”を用意すれば、あるいはどうして恋が芽生えるのか、果てには恋とは何なのか、を直観的に理解することができるやもしれない。
……要するに実地訓練、という奴だ。何事も体験してみなければ分からない。ぐだぐだとここで講釈を垂れていたところで、気付くことのできるきっかけが見つかるとも思えない。やってみる価値は大いにあると思うが」
成程。そういうことか。
確かに理に適っている。実地訓練などと仰々しい言い回しをしているが、何のことはない、ただの疑似体験学習というわけだ。そういう観点から見れば、やはり彼女が教師であることからの発想なのだろう。非常に自然な流れである。
でも。
でも、それって、つまり。
「具体的には……魔理沙の挙げた例に沿ったシチュエーションを、お前たちに演じて貰うことになるわけだな。どうだ?」
「……やっぱり、そう来ましたか」
「っておい。お前“たち”? それって私も入ってるのか?」
「? 当然だろう。生徒は生徒と組むのが常識だぞ。勿論、全体の数が奇数であってやむを得ない場合には私と組んで貰うこともあるが」
ロールプレイング、というわけだ。それも、常識的に考えれば、背筋がぞっとするような恥ずかしい役割を演じることが確定している。
慧音もすっかりその気になってるみたいだし……生徒とか言ってるあたり、もうすっかり先生になってしまっているようだ。下手に口答えなんかすれば、チョークが飛んでくる可能性だってある。
そんな冗談を抜きにしても、元々私のために知恵を貸してくれている話なのだ。そう易々と断ることもできない。これで魔理沙も反対してくれれば、幾らかは断りやすくなるというものだが――そんな淡い期待を抱いて、私は魔理沙の方を見た。
にやにやしていた。
だめだ。
「というわけで、早速始めたいんだが……どうしてもと言うのなら、別に強制はしないが」
「私は乗るぜ。最初こそ驚いたが、よく考えてみれば結構面白い話じゃないか。お前の初心な姿が見られるんだろう? こりゃやらない手はないぜ」
「だそうだ。後はさとり、お前の決断次第だぞ」
「……私からお願いしたのです。断れる筈もないでしょう」
私は深く溜息を吐きながら、仕方なくそう答えた。
「……それじゃあ、魔理沙。思う存分自慢してくれ」
「おう。私は凄いぜ。なんてったって金がある。ちゃんと一軒家も建てた。仕事は順調、評判も良い。努力を怠ることなく、成功に慢心せず、失敗は糧として次の機会に活用する。認め合ったライバルもいて、互いに切磋琢磨し日々自らを高めようと研鑽している。ここまでの人間は、まぁ他にはいないだろうな。どうだ? 私と一緒になってみる気はないか?」
「お断りします」
「だろうな」
魔理沙は苦笑する。
だめだめであった。
「……ふむ。どうやらさとりは金などに心を奪われることがない、というわけだな。まぁ、誰だって始めはそうだろう。そんな物質的な関係より、もっと心が通じ合っているとか、そんな不確かな物を追い求めたりするからな。特に若者にはそれが顕著だ」
「と、言いますか、あの……今の内容で、どこに惚れ込む要素があったというのですか?」
「うん? ……金?」
「わお」
即物的だった。
まぁ、今更そんな物には興味がないことは確かだ。金なんかより、家なんかより、もっともっと大切な物がこの世にはたくさんある。恋もその一つなのかどうなのかは知らないが、ペットたちとの繋がりはそうだと自信を持ってそう言える。そういう物を既に見つけてしまった私には、そんな物質的な価値のある物は瑣末な物でしかないのかもしれない。
そんな物に、私の心はなびかない。当然の帰結だった。
それに、魔理沙の言うことなんか百の内幾つ信じられることか。今のだっておおよそ嘘八百だろう。心を読まずとも分かる。そんな小奇麗な話は、彼女には決して似合わないから。
……仮に、もしその美談が本当だとしたら、少しは見直すこともあるかもしれないが。
まぁ、ないわよね。
「……三つ目の要素の財産、×、と……それじゃあ次。魔理沙、宜しく」
「任せとけ。……なぁさとり、お前、もしかして髪切ったか?」
「えっ? ……え、えぇ、数日前に、前髪を少しだけ。鬱陶しかったものでしたから」
「ふーん。前のも似合ってると思ってたが……今の方が断然いいな。お前、髪上げてた方が良いぜ。そんなに可愛い顔を隠すだなんて、そんな勿体ない話はない」
「ぶふっ!」
思わず吹き出してしまった。
だめだ、笑いが堪え切れない。一所懸命我慢しようとしていたが、くくっ、だめだ。これ以上は耐えられない。
「可愛い、なんて、そんな、歯の浮くような台詞、真面目な顔で……あっははははは! もうダメ! 死ぬ! 笑い死ぬ!」
「おいおい。こっちは一応真面目にやってるんだぜー? 協力してやってるんだから、少しは誠意見せろよな」
「だって、貴女、もし私が同じこと言ったとしたら、ぷくっ、笑わないでいられる?」
「無理だな」
「でしょう!」
一応は友人なのだ。出会って間もない頃ならまだ我慢できたかもしれないが、すっかり気の知れた今となってはそんな台詞を言うような性格でないことは充分に理解してしまっている。そんな相手にこんな台詞を言わせるのは、最早暴挙としか言いようがなかった。
というか、言っていて自分でおかしくはならないのだろうか。私なら無理だ。自爆する。全くもって強靭な精神力である。
そのまま暫く笑い続けていたが、やがてそれも収まった。魔理沙の顔を見るとまた笑いが再発しそうなので、なるべく見ないようにする。そうして向けた視線の先には、渋い表情の慧音が腕組みをして立っていた。
「やれやれ……さとり、笑っていてはいけないじゃないか。日頃一緒にふざけていた相手が、日常の中でふと見せる細やかな心遣い……これこそ恋に落ちる要素そのものだぞ。それをなんだ、笑うとは」
「そうは、言いますが……慧音、貴女ならどうです? 魔理沙に同じことを言われて、笑わないでいられる自信が?」
「私が?」
そう言って慧音は魔理沙の方を見る。
しかしすぐにまた顔を戻し、何度か首を横に振り目を瞑って言った。
「……無理だな」
「おい」
「というわけで二つ目の要素、性格も×、と……それじゃあ次に行くか」
ペンで額をとんとんと叩き、手元の紙に目を落としながら慧音は小さく呟いた。
その呟きに魔理沙は敏感に反応し、ちょっと待った、とブレーキを掛ける。慧音が顔を上げきょとんとした表情を見せると、魔理沙はすかさずこう続けた。
「次って何やるんだ? さっきから私が恥ずかしい役ばっかりやらされてるから、そろそろ楽しむ側に回りたいんだが」
「うん? なんだ、嫌だったんなら早く言ってくれればよかったのに。筋書きも幾つか用意してあるんだからな」
「いや、別に嫌ってわけじゃないけどさ……つーか何個もあんのかよ。考える時間なかっただろ。お前の頭の回転どうなってんだ」
魔理沙の冷静な突っ込みを、慧音はハハハと笑い飛ばす。
……笑い飛ばせるようなことなのか、それは。
地上の人間は恐ろしいわね。
「まぁ、安心するといい。今度はみんな等しく楽しめるような物にしたつもりだからな。乞うご期待!」
「だから期待とかじゃなくてだな……内容を言えっつってんだよ。ほれ、早く」
「やれやれ……せっかちな奴め。まぁいい、どうせだから教えてやろう」
やけに得意気に、両手を腰の後ろに回して大きく胸を張った慧音が言う。
とても嫌な予感がした。
「至ってオーソドックスな奴だよ。女生徒役がさとり、転校生役がお前でな。主人公さとりが朝、学校に遅行しそうになり食パンを口にくわえながら全速力で走っている。学校までの道のり、その途中、曲がり角を曲がろうとすると――」
「ああ、もういい。よく分かった」
もううんざりといった口調で魔理沙は慧音の話を中断する。慧音は不満そうに唇を尖らせながらも、それより先を続けることはなかった。
……いや、ちょっと待て。なんだその設定。どっかで聞いたことあるような気がして、やっぱり聞いた気がするとてもありふれた設定――ってそんなのやらせるつもりだったのか! 何の拷問だ!
どうせその後は正面衝突して、謝らずに去って行った相手に怒りを露わにしながら学校に向かい、遅刻して教室の中に入ると転校生が来ると評判になっていて、期待に胸を躍らせていたらその転校生が朝ぶつかったあいつだったっていう展開なんだろう! 長えよ!
「むぅ……何かいけなかったか? 私としてはなかなかにこう、胸キュンな感じだと思うんだが」
「胸キュンってお前……ま、まぁ悪いとは言わないが、その……なぁ?」
「私に振るんですか……うーん、そうですね。そもそも、そんな出会い方をしてどうして相手のことを好きになれるのか、という部分が疑問ですが」
「えー……そこ真面目に聞いちゃうんだ……」
じゃあどうしろと言うのだ。
でも、流石にこれを演じるというのは少し頂けない。等しくは等しくでも皆等しく苦しむタイプの筋書きじゃないか。痛み分けなんてもんじゃない。最早だいばくはつである。
せめて、他の類の筋書きであれば、まだ我慢はできるかもしれないけれど。
なんにせよ、なんとかして断りたいところだが……うーん、私のことを考えてくれていることを加味すると、やっぱり言い出し辛いわねえ。
どうしよ。
そんな風に悩んでいると、離れた位置にいた筈の魔理沙がいつの間にか自分の横に立っていたことにふと気が付いた。音もなくこちらにすり寄って来ていたらしい。しかし私が驚く間もなく、魔理沙は慧音に聞こえない程度の、掠れた小さな声で私の耳元にこっそりと囁いた。
「なぁ、さとり。あいつは本気だぜ。誰か止めなきゃこのまま突っ走る。それだけは何としても避けたい。言ってやれよ、『やりたくないです』ってさ」
「嫌ですよ……どうして私が言わなきゃならないんです? 貴女の方が深い仲のようですし、自分で言って下さいよ」
「ばーか。お前のためにやってるんだぜ? 外野が何を騒ごうが、慧音の芯はそれ一本だ。だがお前が拒否すれば、慧音だって無理やりやらせようとはしないだろう。この理屈、分かるだろ?」
「……分からないでもないですが……はぁ」
私は溜め息を吐く。確かに、魔理沙が言うよりは私がそう言った方が筋が通っているだろう。
しかし、しかしである。今日が初対面の相手にそれだけ踏み込んだ発言ができるのは余程神経が図太い人とか、言いたいことははっきり言うタイプの人とかだけじゃないのだろうか。無論私はそのいずれにも入らない。というか、普通は言える人の方が珍しいと思う。
ましてや、心を読めば真剣にやっていることがはっきりと分かるのだから。
……でも、誰かが言わなきゃならないのよねぇ。
えぇい。やってやろう。やってやろうじゃないの。
「そうだな……そこまでは考えていなかったな。ふむ、どうしたものか……」
「あ、あのっ!」
「うん? なんだ?」
慧音はぱっと顔を上げ、私の方ににっこりと笑い掛ける。
その笑顔はあまりにも眩し過ぎて私の心を苦しめるものだったが、しかしこんなところでへこたれていてはどうにもならない。必死に歯をくいしばって、ぎりぎりのラインで踏み止まり私は続きを口にする。
「その……非常に言いにくいのですが、そのシナリオ、何と言うか……ちょっと、演じてみるには恥ずかし過ぎるかなぁ、と……」
「むぅ……そうか、気に入らないか。なら他のにするか? まだ三つくらい用意してあるが」
「い、いえ、お気持ちは大変嬉しいのですが、やっぱり他人を頼っていても仕方がないと思ったのです。心は自分だけの物。恋心を理解するのには、他人の助けなど必要ない。一人で恋い煩い、思い悩んでいる時にこそ、初めて心の底から理解できる……そういう物ではないのでしょうか?」
よし上手いこと言った。上手いこと言ったぞ私。出任せの割にはよくやった。うん。
そんな心中など露知らず、慧音は私の言葉に何度も深くうんうんと頷いていた。何か共感できるところでもあったらしい。
「そうだな。うん、さとりの言う通りだ。私たちは飽くまで手助けをするだけで、本当の恋を見つけることができるのは己のみ。よくそのことに気付けたな。いや、素晴らしいよ」
「そんな……こうして気付けたのも、やはり皆さんのご協力があってこそだと思います。お二人の手助けがなければ、一体いつそのことに気付けたか……感謝してもし切れません」
いや、何も気付いちゃいないが。
うう……どうしてこのような嘘を吐かねばならないのだろう。心が苦しいにも程がある。こんな善良な人間を騙そうだなんて、一体どんな極悪人の企みなのだ。
私だ。
最低じゃないか。
自己嫌悪し、項垂れる私。しかしそんなことには構わず、魔理沙は私の肩に手をぽんと置いて元気よく言った。
「まぁ! そういうわけで、今日はこのくらいでお開きにしようじゃないか。慧音、お前だって疲れただろう? いきなり押し掛けてきて悪かったな」
「いや、構わないよ。人に物を教えるのが私の仕事だしな。こんなに良い生徒なら、いつまでだって教えていられそうだ」
「ははっ。生徒、か。そりゃあお似合いだな。どうせだから実際に教えて貰ったらどうだ? もっと人間の輪を広げた方が、お前にとってもいいと思うぜ」
「そんな……生徒だなんて、私にはとてもとても」
「ふむ……そうだな。それは良い考えだ。うん、そうだ、さとり。寺子屋に通ってみる気はないか? 私も歓迎するし、皆も喜ぶと思うんだが」
「えっ?」
寺子屋。
それは、思ってもみない申し出だった。
……そうか。彼女には、私が何という種族なのかを言っていなかったんだっけ。妖怪であることは流石に分かっているだろうが、覚りだということまでは知られていない筈だ。それでも人間の子供たちに混じって一緒に勉強するなんてことは、予想の範囲外だったけれど……あぁ、最近は妖怪も受け入れられるようになっていたんだった。うーん、いまいちこれまでの常識から脱却できていないなぁ。
実際に知られたら、どうせまた遠ざけられるのでしょうけど。
……いや、そうやって自分から避けるのがいけないのか。だから私はこいしに馬鹿にされ、今この時点になっても恋の何たるかを知らずにいる。人との関わりを避けていれば、理解することなどできる筈もない、か……。
この年になって寺子屋、というのもどうかとは思うけれど……社会に出るという意味では、積極的に参加するべきなのかもしれない。少しの間であれば、閻魔様も許してくれるかもしれないし。
それに、慧音の授業の内容にも、ちょっと興味がある。
「……そうですね。少し、考えさせて下さい。そう言われるとは思っていなかったものですから、まだ心の準備が……」
「ああ。今急に決める必要もないしな。好きな時に来てくれれば、私たちは歓迎するよ」
そう言って、慧音はにこりと笑う。
とてもとても、魅力的な笑顔だった。
寺子屋を出て、二人並んで。
魔理沙は気だるそうな声で、呟くように私に言った。
「――さて、どうすっかね。お前、本当は何も分かっちゃないだろ? 慧音にはああ言っちまったし、どうするつもりなんだ?」
「…………」
そう。
そこなのだ。
魔理沙がダメで、その魔理沙がアテにしていたのが慧音。その慧音もダメになってしまったのなら、一体次は誰に頼れば良いと言うのか。
今の私たちは、完全に行き先を見失っている形になっていた。
「まぁ、お前一人でできるってんなら話は早いんだが……さっき言ったこと、あながち間違ってもないんだぜ? 理解できるかどうかはお前に掛かってるんだしな。そもそも、恋なんざ教えて貰うもんじゃないってのは確かだし」
「でもっ……ど、どうしろと言うんですか? あの状況では断るしかなかったでしょう! 貴女だってそれを望んでいた筈です!」
「お前がどうしてもやりたいって言うのなら、仕方ない、付き合ってやったよ。それが友達って奴だろう? でも、お前も嫌そうだったし……嫌なら無理にやる必要はないんだからな。それも慧音は言ってただろう」
「くっ……」
卑怯だ。
卑怯だが、事実でもある。
何だかんだ言って最終的な決定は私に委ねられていたのだ。最初から最後まで、徹頭徹尾私の都合である。それなのに責任を他の所に求めようだなんて、虫の良い話じゃないだろうか。
反省。
「むぅ……それなら仕方ありませんね。先程言ったように、頭を冷やす意味でも一度一人で……」
「お前は思い切りが良いのか不貞腐れてるのかよく分からんな……あぁもう。分かった、分かったよ。安心しろ、まだアテはある」
「え? 本当ですか?」
「本当だよ。少し困らせようと思って、ちょっと意地悪したらこれだもんな……それで教える私も人が良いぜ」
唇を尖らせて、不満そうにぶつぶつと呟く。
そんなに人が良いとも思えないけれども。
「まぁ、それは置いておいて。ささ、その心当たりのある人を紹介して下さいよ。早く」
「お前な……まぁいいや。
そいつはな、最近里に移ってきたんだ。何でも高名な僧らしいが……よくは知らないな。それでほれ、あそこに寺があるだろ? そこに住んでるんだそうな」
そう言って魔理沙は、左手を伸ばし指を差す。その先には彼女の言った通り、やけにしっかりとした造りの古そうな寺があった。
……あれ、あんなところにお寺なんかあったかしら。
前に里に出て来たのは一年も前だし、よく覚えてないなぁ。
「それで……その僧、でしたっけ? その方が一体どうしたと言うのです?」
「まぁ待てよ。あの寺は本来命蓮寺というそうなんだが……里人からは妖怪寺とも呼ばれている。どうしてだか分かるか?」
「どうしてって……はて、どうしてでしょう。お寺と妖怪って、相容れるようなものでもないような気が……」
「だから妖怪寺なんだよ。住職である聖白蓮、そいつの信条は“妖怪と人間の平等社会”……妖怪は退治するものではない、同じ対等な存在で愛を持って接してやらねばならない。そう説いているんだ」
「……成程。住職がそのような考えであるなら、自然と妖怪も集まってくるでしょうし……だから妖怪寺、ですか」
「そう。だがそこは問題じゃない。ここで考えるべきは“妖怪への愛”という部分だ」
「愛……ですか? 愛……愛……まさかとは思いますが、恋と無理やり繋げようとしてません? 確かに似ていますが、それは似て非なるものだと思いますよ」
「まぁ同じようなもんだろ。そう大した違いはないって。気にすんな」
とんでもない暴論だ。
……あぁ、でももう他に頼れる人がいないのか。それ以上に候補を見つけ出せないくらい、適した人物を見つけられないのか。だからそんな、牽強付会とまで言えるような範囲の者を引っ張り出してきたのか。
何と言うか、無理難題を言っているのは確かに私なんだけど、すっごく納得いかない。
からからと笑っている魔理沙が、今は悪魔のように見えた。
いや、元々か。
「で、どうするんだ? 言っておくが、他にはもう知らないぜ。こいつが最後だ。これでだめならもうお手上げだな」
「……分かりました。やります。やりますよ。今更選り好みなんてしていられません」
「ひっひっひ。まぁ、精々頑張ってくれよ。私も応援してるからさ」
笑う笑う。何が面白いのか、見ているこっちが笑いそうになるくらい魔理沙はひたすら笑い続ける。
あれか。箸が転んでもおかしい年頃という奴か。
……あったかなぁ。私にも、そんな時期が。
思い出せない。
思い出せないということが、私が未だに恋を知らない理由そのものなのかもしれない。
外に出ると、もう夕日が沈みかけていた。
全く、とんでもない人を紹介してくれたものだ。あの悪友め。次に会った時にはどうしてくれようかしら。
――命蓮寺前に立ち、さて、中に入ろうかとなった途端、魔理沙は「おお、すっかり忘れてたぜ。今日は霊夢と遊ぶ約束があるんだった。あぁ、いっけねーなー。何時間待たせたかも分からんからなー。すぐ謝りに行かんとなー」などと言ってこちらにちらちらと視線を送ってきたのだった。
無論嘘だろう。棒読みだし。
だがしかし、魔理沙には既に長い間付き合って貰っている。それも事前の約束もなしに、だ。それを考えに入れると、帰りたがっている彼女をこのまま引き留めておくのは良心が咎めた。
そんな罪悪感は、私に仕方がないと思わせるには十分足るものだった。
……それがいけなかった。いや、何故彼女が帰ろうとしたかを考えなかったことがいけなかった、か。今なら分かる。あいつは分かっていて、私にここの存在を教えたのだということを。
妖怪寺の命蓮寺。そこの住職白蓮は、私の予想以上に強引で、優しくて、どこまでも妖怪のことを愛していた。
最初に顔を会わせた時は、普通の人間に見えた。長くウェーブの掛かった髪。ゴシック調の服は危険さを僅かに漂わせていたが、目は細く垂れており、優しそうな微笑みを絶えず浮かべている。慈愛に満ちたその顔は、まるで聖母様のようだった……いや、そう形容するのも不適切か。まぁ、とにかく優しそうなお姉さんに見えた、ということだ。ともすれば、「あらあらうふふ」などと口にしそうなくらいに。
実際優しかった。用意された座布団に座ることを勧められ、素直に言葉に従うとすかさずお茶菓子と程良い熱さの抹茶が出された。用意したのは寺に住んでいるという妖怪。白蓮の教えに感動し、生活を共にしているそうだ。この時点ではまだ魔理沙の言うことを疑っていたが、どうやら事実だったらしい。
まぁそれはいい。
問題はその後だ。
その後も続く至れり尽くせりの豪華なもてなし。本題に入る頃には私はすっかり気を良くしていた。そのせいだろうか、気付けば私は饒舌になりここまでの経緯を全て包み隠さず話してしまったのである。
本来ならば、語る意味のない物――語る筈のない部分まで。友達がいないだとか、自分のコミュニケーション能力が低いだとか、なんかペットに嫌われてるみたいだとか、こいしが可愛過ぎて生きてるのが辛いとか、もう全般の悩み全て。お前それ例え親友相手でも言わねえよって範囲の愚痴に至るまで、私は積年の思いを全て吐き出してしまったのだ。
それでも白蓮は、最後までおざなりにすることなく真剣に聞いてくれた。私の話に時に同調し、同情し、泣き、怒り、あらゆる感情を震わせた。それは私の求めていた、まさしく自分に都合の良い「相談相手」だったのである。
さて、ここで私が忘れていたことがある。そう――白蓮の信念が、“妖怪と人間の平等”であることを。
私は遠い昔に人に疎まれ迫害され、最終的に地底に封印された。今更それをどうこう言う気はない。自分の能力が原因なのだし、また人間が私を疎む気持ちも理解できたから。
でも、白蓮は違った。私が迫害されたことを、「妖怪の権利侵害だ!」と激怒したのである。
考えてみれば当然のことだった。彼女は妖怪の視点からその信念を唱えているのである。人間より先に妖怪を持ってきていることからもそれは明白だ。彼女は飽くまで妖怪側の、妖怪の妖怪による妖怪のための社会を目指す、変わり者の僧侶だったのである。
この時、私は妖怪寺の意味を初めて理解した。
その後の流れは言うまでもない。私のおかれた環境を憐れんだ白蓮は、「権利を侵害された妖怪の保護」という名目で私を監禁しようとしたのである。何とか命からがら逃げ出せたからいいものの……あのまま捕まっていたらどうなっていたことか。ぞっとしない想像である。
とにもかくにも、もうあそこには近付かないようにしないといけないと、まだばくばくと激しく鳴っている心臓を押さえ心に固く誓うのだった。
――以上が、ついさっきまでの私の体験である。
全くもって稀有な経験だった。きっとこれから先、これに準ずる危険に接することはないと思わせるくらいに。というかなくていい。もうこれ以上いじめないで。お願いだから。
でもまぁ、やっと落ち着いてきた今考えてみると、あれも一種の愛なのだということは理解できる。いわゆる「慈愛」だ。私の欲しているのとは幾分違うものだけれど、それでも全くかけ離れているというわけでもない辺り魔理沙の遊び心が窺える。
そういう遊び心はいらないから、せめてもうちょっと相手の迷惑を考えてほしいものだけれど。
さて……どうしましょうか。もう頼れる糸は全て途切れてしまったし……こうなったら本当に自分一人で模索するしかないのでしょうね。魔理沙も慧音も、それが一番手っ取り早いと言っていたのだし。
結局、私は回り道をしたってことか。
突然肩が重くなり、体全身を倦怠感が覆う。どうやら今日一日の疲れが、今急に吹き出てきたらしい。
まぁ、今日はこのくらいにしておいて帰るとしましょう。悩むのは明日から。一日経てば、また良い考えも浮かぶかもしれないし。何より眠い。
帰ったらすぐにお風呂に入って寝てしまおう――そう決めて、地底へ帰ろうとそちらに足を向けた瞬間、後ろから素っ頓狂な声が聞こえた。
「……あれ? こんなところで何してるの、お姉ちゃん」
耳慣れた響き。振り返ればやはりそこには、私の妹が立っていた。
両手には花束。見れば色鮮やかな赤いカーネーションだ。
きっと恋人に贈るものなのだろう。丁寧に包装されており、こいしが特別にそうするよう注文したのが窺えた。
「あら、こいし。こんなところで会うとは奇遇ね」
「それはこっちの台詞。お姉ちゃんがあそこから出てくるなんて珍しい。何年ぶりだっけ?」
「そんなことはどうでもいいでしょう。それより貴女は? てっきり用事を済ませて、もう帰っているものだと思っていたけど」
「あぁ、うん。ちょっとお花を選ぶのに手間取っちゃってね。お花の大好きな、緑のお姉さんに手伝って貰ってたの」
「そう。それは良かったわね」
うん、と頷くこいし。緑のお姉さんなんて初耳だ。また新しく友達を作ったのだろうか。
やはり外向的だ。私なんかより、ずっとずっと元気な子。私の大事な、自慢の妹。
でも、それでも巣立ってしまう。
こいしは私の知らない内に成長して、私の元から去ってしまう。それは当然のことだけれど、でも、やっぱり現状のままを期待してしまう自分がいる。
この子はとっくに姉離れできているというのに、私は未だに妹から離れることができないのか。
そこが、決定的な違いなのかもしれないわね。
「……お姉ちゃん? どうしたの?」
「……えっ? あ、あぁ、いえ、何でもないわよ。それより、もう夕方でしょう? 自分の用は早く済ませなさい。その花束、プレゼント用なんでしょう?」
「あ。やっぱりバレてた?」
「当然。姉ですもの」
というか、分からない方がおかしい。
もしかしたら隠せているかもしれない、という期待を持つこの子も、まだまだ考えが甘いわね。
こいしは頬をほんのりと赤く染めてはにかんでいる。やはりそういうことを話すのはまだ恥ずかしいのだろうか。その割には、恋がどうたらとか偉そうに言ってたけど。
これが子供と大人が同居してる、って状態なのかしらね。
そしてこいしは、じゃあ、はい、とその花束を差し出してきた。
私に。
……私に?
「……はて。それは恥ずかしいから代わりに私に渡して来てくれという意味なのかしら? 私が言うのもなんだけどこいし、それはちょっと横着が過ぎると思うんだけど」
「はい? 何言ってんのお姉ちゃん。お姉ちゃんのためのプレゼントよ、これ」
「…………?」
はて。
はてはてはてはて。
どういう意味だそれは。
「あれー? てっきりもう分かってるかと思ってたんだけど……何かと勘違いしてたみたいね。じゃあいいわ。ヒント。今日は何日?」
「今日はって……そりゃ十二月六日……ああ!」
「やっと思い出した? 全く、お姉ちゃんが教えてくれたって言うのに自分が忘れるなんて」
十二月六日。
姉の日。
成程、ああ、そういうことか!
以前私はこいしに教えたことがある。十二月六日、その日が姉の日であるということを。
殆どの人が知らないようなドマイナーな記念日なのだが、たまたま読んでいた本に載っていたのだ。その時は冗談まじりに「その日になったら何かプレゼントを頂戴ね」とか言った記憶があるけど……まさかそのことを覚えているだなんて。
ああ、なんか、あれ、なんだろうこの気持ち。嬉しいんだけど、嬉しいんだけど。涙が溢れて止まらない。
「やだ! 何、お姉ちゃん泣いてるの? あれ、私何か悪いことした?」
「ううん……そうじゃない、これは……そう、嬉しいのよ。嬉しくて、嬉しいから泣いてるの」
そう。これは、嬉しいから泣いているのだ。
こいしは変なの、と笑う。でも、私の涙は止まらない。こんなに嬉しいことがあっただろうか。こいしが、まさか私のことを考えてくれていただなんて、そんな嬉しいことが。
……あれ、でも。
「それなら、朝のあれは何? 好きな人って、貴女の恋人のことなんじゃないの?」
「恋人? まっさかー。そんなのいないよ」
「え? だって、恋がどうたらって……」
え? え? 私の頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。どういう意味なのだ。恋人がいない? だって、それなら、誰に恋しているというのだ――
――そしてこいしは、今までの疑問を全て引っ繰り返す言葉を放った。
「だからそれはお姉ちゃんのこと。お姉ちゃんラブ! って意味よ。なんだ、折角前振りで言ってたのに……それにもお姉ちゃんは気付いていなかったのね」
「……あ、あぁ、そ、そういう、こと」
英語のラブは、幾つかの意味を持っている。
一つは恋。
一つは愛。
つまりは、そういうこと。
全ての謎は、そこで紐解けた。
さっきまでは嬉しくて泣いていたが、今は何故だか安心して、そしてもっと嬉しくて、尚更涙が止まらなくなる。
こいしは困ったような顔でおろおろとしている。ああ、そんな貴女も愛らしい。貴女の全てが愛らしい。
だって。
だって、私も。
「――私も、こいしラブ、だって。そんなの、分かり切ったことじゃない」
私はそっと妹を抱き締める。
こいしは突然の私の行動に少しどきまぎしていたようだが、無理やり離れようとはせず、ただただ私に身を任せていた。
やや時間が経って、落ち着いてから体を離す。
里の往来でそんなことをやっていたものだから、人間のじろじろとこちらを見る視線を全身に感じていたが……まぁ、そんなのはさしたる問題ではないだろう。
今は、この子以上に大切な問題はないのだから。
……訂正。今も。これからも。
「ってそういえば……その花、カーネーションよね?」
「うん。そうだよ?」
純真なままの無垢な瞳で、こいしは私の顔を覗き込む。
……花を贈ってくれるのは嬉しいんだけど……カーネーションって、それ、母の日に贈る花じゃなかったっけ。
いや、確かに地霊殿のお母さん役かもしれないけれど。
……まぁ、いっか。
私はこいしから花束を受け取り、右手で優しく抱きかかえた。
「他に用はあるの? こいし」
「ううん。もうないよ」
「そう。それじゃあ、帰りましょうか」
私は左手を差し出す。
こいしは一瞬戸惑ったようだったが、恥ずかしがりつつもしっかりと、私の手を握ってくれた。
「――うん!」
元気良く、いつものように天真爛漫そのものの笑顔で私の言葉に応える。
私も笑いながら頷いて、ゆっくりと二人一緒に歩きだした。
――こんな風に一緒に手を繋いで歩くのは、いつの日以来だったろうか。
思い出せない。
思い出せないけれど、大丈夫。
これからは、何度も手を繋ぐのだから。
個人的に魔理沙がさとりと仲いいのも素敵
そして白蓮さん自重www慈愛はいいが溺愛すぎるwww