紅い悪魔が束ねる館、その地下にある大図書館で、今日も今日とて魔女は囁き、悪魔は笑う。
「『Diplomacy』と……『Jikininki』は何処にあったかしら……」
大図書館の責任者であり蔵書の所有者、パチュリー・ノーレッジは走らせていた筆を止め、小さく呟く。
彼女は今、ライフワークに勤しんでいる。
有り体に言うと、己の蔵書の目録作りを行っていた。
唐突に出てきた話のタイトルは、今のところ、その仕事には一切関係ない。
「『ちょいとお前様方、何方かガマの油、いやいや、どのような傷薬でも構いませぬがお持ちしてはおられんか』。
――って、貴方が薬売りでしょうに、あっはっは!」
魔女の対面で、腹を抱え己が人生を素敵に過ごしているのは、使い魔である小悪魔。
その声に反応し注がれる非難の視線には、未だ気付いていない素振り。
納まらない笑いを引きずりながら次のページを捲る。
――前に、空咳が打たれた。
「お、次は『饅頭怖い』。定番ですねぇ」
けれど、小悪魔は強い子だった。
「貴女ね……」
「私ならばさしずめ、『パチュリー様怖い』と言ったところですか」
口に手を当て笑む小悪魔に、パチュリーはまた、呟く。
「怖いの? 私が」
「それはもう、食べてしまいたい位に」
「……やっぱり聞こえていたのね、小悪魔」
即座の返答に半眼で睨むパチュリー。
小悪魔は笑顔のままで顔を向ける。
頬に流れる一筋の汗は不可抗力。
「……ふと思ったんですが、不可抗力って悪魔の私にも適用されるんでしょうか」
「自身の力で対応しえない事を指すんだから、されるんじゃないかしら。
……余裕あるじゃないの」
「いや、まぁ、あはは。パチュリー様も、同じ穴の狢予定かなぁなんて」
パチュリーの口が詰まる。しかし、それは一瞬。淡々とまた、返す。
「私は貴女と違って、黙々と手を動かしているのだけれど?」
「パチュリー様が手掛けているのは、魔術書の類ですよね?
ですが、先ほど呟かれていたのは小説のタイトルです」
「端から聞こえていたんじゃないの……」
わざとらしく声を張り上げながら、小悪魔は続ける。
「前者は知りませんが、後者は『怪談』の一話かと。ソレが気になると言う事は、つまり、試験前に掃除が進むのと同意!」
「試験なんて受けた事ないけど。……言われてみれば、確かそんなタイトルだったわね。著者は――」
「ラフカディオ・はぁ……ん」
待ってましたとばかりに身を震わせた。
「――小泉八雲。思い出したけど、前者も同タイトルに収められている筈よ。『かけひき』だったかしら」
なんてことはなく流されて、小悪魔は沈む。
「知らない?」
「頭が飛んでいきます。ハニワ幻人、全滅だぁ~」
「……知らない」
しくしくしく、めそめそめそ。
「素直に、『んぐ』をつけるべきだったんでしょうか」
「どちらにせよ、わからないわ。――小悪魔、こっちの続き、お願いね」
「あ、やっぱり、一つ穴の狐。あわわ、もとい、同じ穴ののっぺらぼう」
小癪に口を回す使い魔を一睨みし、魔女は静かに席を立った。
お仕置きをしなかったのは、自身にも後ろめたい事があるから。
要は、小悪魔の言うとおり、パチュリーも狢となろうとしていたのだ。
目的の小説を見つけ、パチュリーは元いた司書室へと戻ってきた。
集中力が切れたのだから仕方ない――そんな言い訳を己にしつつ、席につく。
彼女の右手には数冊の小説が、左手には幾冊かの随筆が持たれていた。もはや同じ穴の大狢。
静かに頁を捲る。
「パチュリー様、是ってどう訳しましょう?」
数分しないうちに、向かいの小悪魔より古めかしい魔導書が向けられる。
タイトルは『Compensation for perjury』。
魔女は少し考え、返した。
「『偽証の補償』……違うわね、内容を考えれば『偽称の代償』の方が適しているかしら」
パチュリーは図書館内にある蔵書を大まかではあったが把握している。
魔導書ともなれば、ほぼ全てに目を通しているとさえ思っていた。
今、向けられているものも以前に読んだ事があったのだ。
小悪魔の礼に短く相槌を打ち、再び読み進める。
暫くすると、小さな囁きが聞こえてきた。
呪文だろうか。文章を頭に入れつつ、他方でそんな事を考える。
けれど――(彼女が防御陣を唱えるほど、厄介なものがあったかしら)。
魔女は蔵書と同じ程度、或いはそれ以上に使い魔を理解している。
普段はおくびにも出さないが、彼女の能力、とりわけ、防御や魔法への耐性はかなり高いと評価していた。
故にお仕置きの威力が増しているのか増しているから耐性がついたのかは、魔女にとっても『鶏と卵』であったが。
事の成り行きを探るため、パチュリーは顔をあげる。
視線がぶつかった。
「――何?」
ぶっきら棒に訊ねる。小悪魔は、頬を掻きつつ応えた。
「いえ、是なんですけどね。『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』。どうやって英訳しようかなぁと」
「……あぁ。陰陽師の著書だっけ。略称をローマ字表記でいいわよ」
「と、言われている本ですね。あいあいさー」
書名を聞き、先程の呪文に納得した。
件の略称は『金烏玉兎集』。陰陽を司ったとされる安倍晴明が編纂したと伝えられる占い書だ。
ご苦労な事に、書の序文には神聖性を高める為の伝承が載せられている。
それを読んだ小悪魔が、用心の為に簡易の防御陣を組んだ――パチュリーは、視線を本へと戻し、そう考えた。
一瞬後までは。
「えーと……けー、あい、えぬ、てぃー、じぃ、……なんだっけ」
何がだろう。
何を悩んでいるんだろう。
恐る恐る、小悪魔をちらりと見上げる。流れる汗は不可抗力。
小悪魔は、また、囁く。
「えーびーしーでぃーいーえふじぃ」
否。歌っている。
「Hあいじぇいけーえぬえむおー……おー?」
しかも、詰まった。間違えてもいた。
「PQRST、U! じゃない! 小悪魔!」
「ジャニーさんの真似ですか?」
「誰よ!?」
叫びつつ、パチュリーは両手で机を叩き、立ち上がる。
「貴女、英語を忘れてしまったの!?」
怒るべきか憂うべきか哀れむべきか、悩みつつの嘆き。
対する小悪魔は、けれど、笑っていた。
「や、やだなぁ、パチュリー様。冗談ですよ冗談」
「ほんとに? ほんとのほんとに?」
「はいな。つーるおぶつーる!」
もう駄目だ……!
頭を抱え、魔女は沈む。
発音はまだともかく、単語まで忘れてやがる……!
「あ、あれ? パチュリー様?」
「小悪魔! 知っている英単語をあげなさい!」
「はい? えっと、ノーレッジ、リトル、デビル、キス、ヒップ、バスト、ボイン」
「思春期の童と同程度じゃないの!? あと、最後のは英語じゃない!」
「先日知ったんですが、オーラルって卑猥な単語じゃないらしいんですよ」
「謝れ! 歯や口に関係する全ての存在に謝りなさい!」
商店や薬屋での口腔関係商品は、主にオーラルと括られる。豆知識。
魔女と使い魔は机を挟んで対峙し、その僅かな距離には類稀なる緊張感が生じていた。
先に目を逸らしたのは、使い魔。ついでに口も開く。
「……パチュリー様。今まで黙っていた事をお許しください」
殊勝な謝罪に、主の頑なな心と拳が緩む。
「実は私、原産地フランスなんです」
緩んだ拳は再び握られた。強く、強く。
「や、や、ほんとですって! その証拠に、この小悪魔、敏感なれど」
「フランス語の『H』、『アシュ』は無声音の事よ」
「そもそもおぼこでした!」
――何をどう突っ込もう。
「あぁちゃいました! ドイツです、ドイツ! バームクーヘンが大好物で!」
「『バウムクーヘン』。……好物の名前を間違えるの?」
「こ、金平糖の方がもっと好きです!」
――あぁ、そうだ、この拳を突っ込もう。
「る、ルーマニア! や、あっはっは、此処の言葉はややっこしいのでパチュリー様も」
「場所と、何時の時代でもいいから著名人をあげなさい」
「欧州の真ん中辺りで、む、著名人……むぅ?」
――まずはレミィの分、次は妹様の分、最後は私の分だ。
「あぁぁぁぁ、そう、そうです、私、ジャパニーズなんです! 将来の夢は光源氏!」
「……なんかもう、色々な意味で、一番今のが納得できるわ」
「よ・う・こ・そーここへーあそぼぉうよ、パラダイス!」
――放たれた一撃で、小悪魔は夢の島へと飛べそうだった。
飛べなかったのは、パチュリーが非力だったからである。
赤くなった拳を払い、額を撫でる小悪魔の元に行く。
胸に一つの決心を固めて。
両肩を強く掴む。
小悪魔が何時もの軽口を叩きかけ、黙る。
主は笑みを浮かべていると言うのに、一欠片も笑っていると思えなかったからだ。
使い魔の従順な態度にパチュリーは満足し、それでも、笑顔のままで、言った。
「ABCから始めましょう」
【――と言う事があったのが、三日前】
机の向かいに座る者達に事のあらましを語り終え、パチュリーは口を紅茶で湿らせる。
【わかったけど、なっがい前振りねぇ……】
【なるほど。それが理由で、図書館内では英語のみとなった訳なんですね】
パチュリーの眼前のフタリは、一方が呆れ、もう一方は頷いた。
【そ。……尤も、『なった』んじゃなくて『した』だけどね】
【言語を強制できるような魔法なんてないでしょうに。それとも、あんた、できるの?】
【……言い間違えただけです。仕方ないでしょう。私は貴女達に比べて、得意ではないのですから】
顔を赤くして繰られる弁明。
普段の言いざまとの違いに耐えきれず、パチュリーと前者――アリス・マーガトロイドは吹いた。
後者――霧雨魔理沙は、更に顔を赤くして、まくしたてる。
【そんなに笑う事はないじゃないですか! 私は生まれも育ちも幻想郷なんですよ!?】
腹まで抱えた。
【ま、魔理沙が、角ばった話し方するなんて……!】
【ぱ、パチュリー、笑っちゃ、駄目よ、ぷっ】
【……もう何も話しません】
屈辱に震え、魔理沙は口を閉ざした。
白黒魔法使いをにやけた顔で慰めつつ、人形遣いは再度魔女へと話を振る。
【何時まで続けるつもりなの?】
魔女は口を開きかけ、閉じる。
そして、横に視線を投げかけた。
傍に控える使い魔が、代わって口を開く。
【二十七日後。試験。その日まで】
とてもたどたどしかった。
パチュリーは澄まして、紅茶を飲む。
アリスは微苦笑し、意味を整える。
魔理沙は駆けよるのを止められた。
【あんたは節操なしに抱きつきすぎる】
【私は貴女と違って一人上手ではないのです】
【一人遊び!? 笑顔! 一人遊び! 笑顔! 貴女は幸せだっきゃー!?】
耳を塞がれていた魔理沙は、軽い爆発音と唐突に舞った小悪魔に目を白黒させた。
黒い夢、もとい悪い幻を打ち砕いたパチュリーは、咳払いを一つ打ち、小悪魔の説明を正す。
【約一ヶ月後に試験をしようと思っているの。だから、その日までは英語のみよ】
【パチュリー様、鬼、合格、いいえ、私の大人の魂、原点、大人の本、ほこり、言った】
【『受からなければ、私が初めて出会った成人指定の本を捨てると言いました』――言わせないでよ!】
律儀に訳し直すパチュリーもどうだろう。
アリスは魔理沙から離れ、少し思案した後、小悪魔にカップを向ける。
【お代わり、いいかしら?】
【はい? あ、いいえ、私、B少し上。パチュリー様、大きい】
【『私のカップはCに少し足りないBです。主より大きいです』――誰も貴女のサイズなんて聞いてない!】
息まくパチュリーを抑えるアリスからそそくさと空のカップを受け取り、小悪魔は比較的早めに姿を消した。
小悪魔の妖力が遠ざかっていくことを確認し、アリスが口を開く。
【別に、小悪魔が英語をできなくても問題ないんじゃないかしら?】
【大ありよ。あの子、このままじゃ可笑しな単語ばっかり――】
【……パチュリー】
はぐらかし方が使い魔に似てきたな――思いつつ、人形遣いは魔女の名を呼び、その瞳に向き合う。
真正面からの問いかけに、魔女は目を逸らし、一瞬後、また戻す。返す瞳は、半眼になっていた。
【解っている上で聞いてくる。嫌なヒト】
【思いなんて言葉にしないと伝わらないものよ。それに、半信半疑だし】
【ほんとに、もぅ……。
日常生活じゃ困らないでしょうね。でも、あの子は司書でもあるの。この図書館の目録は、英語位できないと作れないわ】
向ける表情は、パチュリーなりの照れ隠し。
応えは返ってきた。けれど、アリスは何も言わぬまま、見つめ続ける。
半眼だった瞳は、攣り上がる。勿論、この表情もまた、照れ隠し。
【嫌いになりそう……。――此処の蔵書は厄介な物も多いわ。注意書きが読めないと危険なの】
無論、そもそも注意書きなど載せていない本も少なくない。
だが、危険度で言えば、ある物の方が圧倒的に高いのだ。
記した文章は、そのまま威力につながる。
険しい顔のパチュリーとは反対に、アリスの表情は柔らかくなる。
【そんなところよね。……まぁ、それでも、館内英語以外禁止は厳しい気がするけど】
【問題ないわ。意思疎通もある程度はできているもの】
【や、それは貴女位じゃ……】
微苦笑を向けてくるアリスに、パチュリーは応えずカップを持ち上げる。
傾け、飲み干そうとした直前、視線を感じた。
その主は、魔法使い。
何時も通りの悪戯っぽい笑みに、パチュリーはやはり又、眦をあげて返す。
【……あの子は、私の使い魔なの。力仕事や鼠退治ならともかく、知識の吸収に限れば、幻想郷でも平均点以上よ】
言葉には、確固たる自信が感じられた。
故に、人形遣いは微笑み、自身より一つ上手だった魔法使いに小さくウィンク。
魔法使いは変わらない笑みを浮かべ、胸を張り、軽口で応える。
勿論、英語で返した。
【アリスさん、だから、貴女は一人上手だと言ったのです。
まぁ、確かに素直じゃなさすぎだとは思いますけれど、パチュリーさん】
無論、フタリは耐えきれなかった。
【あ、アリス、わ、私、もう、もう……っ】
【ひ、ヒトリでなんて、いかせないわ、パ、チェ……っ!】
そして、館内に響く、フタリにしては珍しい大爆笑。
【か、帰ります! もう本当に帰りますっ!】
魔理沙は席を立ち、扉の方へと歩いていく。
眼尻には、大きな大きな涙がたまっている。流れ落ちそうだ。
押しとどめようと腰を掴み、結果、引きずられるフタリの目にも同様に溜まっていた。
当然、流す理由は違っているのだが。
【……紅茶、持ってきた。誰、いない。
…………恋、小悪魔、発情、パチュリー様、想う、一人遊びしちゃうの】
自然な流れではないだろうか。
――そう突っ込まれることを期待した小悪魔であったが、ただ、寂しさが増しただけだった――。
一週間が経った。
館の廊下を歩いてきたパチュリーは、図書館の扉前にいる紅白と青白の衣装を着た少女二人を発見する。
速度を変えぬまま、魔女は巫女と風祝に近づき、声をかけた。
博麗霊夢は手をあげ、東風谷早苗は小さく頭を下げる。
二人の手には、可愛らしいプリントが縫い込まれた手提げがかけられていた。
「本を返しに来たんでしょう? 入りなさいよ」
「言われなくても、そのつもり」
「おさらいをしていたんです」
手提げを後ろ手に隠す霊夢に内心苦笑しつつ、パチュリーは早苗の言葉に首を捻る。
「『おさらい』?」
「はい。アリスさん達に聞いたんですが、暫く図書館では英語のみだとか」
「小悪魔はね。……そう言えば、外では英語も習うんだっけ。あら、霊夢は……?」
巫女は空いている肩手を振り、返す。
「単語ならともかく、会話なんてできないわよ。でも、早苗と一緒ならなんとかなるっぽい」
「ぱぅわぁおぶらぶ!」
笑顔で控えめにVサインを作り、早苗が追随して口を開く。
言葉に、霊夢だけでなく、パチュリーも小首を傾げる。
単語としても文章としても聞きとれなかった。
けれど、早苗の性格及び態度から嘘は言っていまいと考え、パチュリーは疑問を疑問のままで残し、扉を開く。
――猫耳メイドが其処に居た。
【ようこそ、えんふぅっきゃー!?】
六芒星を即座に描き、魔女は司書を吹き飛ばす。
【うぅ、サービスが足りないと、私なりに考えた結果なのに……】
もう帰ってきた。
【誰に対するサービスよ、誰に!?】
【勿論、お客様に。この頃、来館数が――】
【サービスになってない! 見なさい、二人ともどん引きじゃないの!?】
扉の前で呆然としている二人に手を向ける。
――否。
呆れているのは霊夢一人。
パチュリーと小悪魔の耳に、断固とした口調の早苗の言葉が届く。
「あいきゃんのっとすぴーくいんぐりっしゅ!」
袖を引かれた霊夢が続く。
【私もよ!】
――発音は、後者の方がはるかに優れていた。
胸を張る二人に、パチュリーも小悪魔も一瞬、口を詰まらせる。
一拍後、フタリは呟いた。
【外の勉学はどうなっているのかしら……】
【あれでいいんだ。いいなぁ……】
【良くない。役に立たないでしょう】
霊夢と早苗から数冊の本を受け取り、小悪魔に渡しながら、パチュリーが一睨み。
返却処理をしてきますー、と使い魔は目を逸らして駆けていく。
流暢になってきた減らず口に、魔女は顔を顰めさせた。
視線を二人に戻す――と、陰陽玉が周囲に浮いていた。
【何事!?】
問うパチュリーに、霊夢は応える。
【私は、博麗の……の……あー】
「しゅいらひめいでん?」
【……巫女?】
早苗の方が理解は早く、遅れてパチュリーが発音を正して続ける。
【ええ。私は、博麗の巫女】
受けて、霊夢は咳払いを一つ打ち、真剣な表情で、言った。
「――全ての存在から浮くもの。遍く制約から解き放たれる存在」
「つまり、英語で話す必要がないと」
「うん」
半眼混じりの突っ込みに、顔を背けてこくりと頷かれた。
途端、早苗から罵声が飛ぶ。
【くそ! 犯す! 地獄で会おうぜ、お嬢ちゃん!】
「……なんか、凄く酷い事言われたような気がする」
「知っている言葉からそれっぽいのを引っ張ってきたんでしょう。
……何故スペイン語が混じっているのかは解らないけど」
風祝とは言え早苗も元現代っ子。往年の映画位観ていよう。
落ち込む巫女と頷きつつも言葉なく慰める風祝に、魔女は切り出す。
「……そもそも、ねぇ、二人とも。
魔理沙やアリスもだけど、貴女達が禁に付き合う必要はないのよ?」
それは、パチュリーにとってずっと疑問であった。
『小悪魔は英語の復習中です。英語しか話しません。あしからず』。
扉の前に張っている紙には、そうとしか書かれていない。
だと言うのに、来る者来る者誰もが英語を話すか、単語を投げかけるか、無言を通していた。
不可解でならない――首を捻るパチュリーに応えたのは、制約から外れていた霊夢。
「じゃあ、なんであんたも付き合っているの?」
「その方が思い出すのも早いから……って、まさか」
呆然と呟くパチュリーに、早苗は頷いた。
「みぃとぅ」
額に手を当てる。
魔女の友人が是か。
悪魔の知人がこの有様か。
半眼の魔女と同じよな目をし、咳払いをしてから、巫女は言った。
「――あんたや早苗はそうでしょうね。私は気が向いただけ」
肩を竦めて続ける。
「私が、そんな事、気にすると――」
【お待たせしましたー】
【――思わないわ】
ぴたりと閉じられた言葉の先を補足して、パチュリーは苦笑した。
処理を終え戻ってきた小悪魔は、小首を傾げる。
霊夢は首を横に振ったまま。
ただ、早苗だけが楽しげに微笑を浮かべていた。
風祝の笑みの理由がわからず、主従は顔を見合わせる。
巫女は忌々しげな視線を送った。
言葉は、ない。
早苗は笑顔のまま、主従に視線を送り、霊夢の胸に触れる。
ふにゅ。
「~~~!?」
言葉はなかった。霊夢は、悲鳴に当たる英語を知らない。
【『貴女の本心は解っています』……と言うところかしら】
【よ、よく読み解けましたね、パチュリー様】
【数日前に美鈴が咲夜に同じ事していたの】
その手があったか!
顔を輝かせる小悪魔に、パチュリーはとてもいい笑顔をただ向けた。
開かれた悪魔の両手は、空しく、それでも名残惜しそうに、閉じられる。
笑顔から何時もの表情に戻ったパチュリーに、少し離れた位置から一つの声と一つの視線がかけられる。
声は、小脇で暴れる霊夢をしっかりとロックした早苗からの、別れの挨拶。
「あいるびぃばっく!」
一緒に聞いていた小悪魔には、ハーレーに乗ったライダースーツの早苗が幻視された。無論、下は素肌。
【たまりませんなぁ。あぁいやいや。是から、地霊殿にでも行くんですかねぇ】
小悪魔は主からの突っ込みを待ったが、何時まで経ってもこなかった。
気にかかり、身を少し屈め、パチュリーを覗き込む。
即座に振り向かれ、その表情は見れなかった。
引きずられ去りゆく巫女の視線は、魔女の瞳を、目を捉えていた――。
【二週間ほど経って、どうなんです、小悪魔さん?】
【先程挨拶をした時は丁寧に対応して頂きましたけど】
【発音はまだ不十分だけど、会話はできるレベルね。
……私は、貴女達が流暢に話している方が不思議よ】
対面に座るフタリに、パチュリーは不可思議だと首を捻る。
フタリは顔を見合わせ、胸を張って応えた。
【幻想郷が担当だとは言え、時々は他の国の方も裁きますから】
【怨霊になるのは、幻想郷、そして、この国の人々だけではありませんから】
前者は四季映姫・ヤマザナドゥ、後者は古明地さとり。
彼女達は各々の連れと来訪し、こうしてパチュリーと向かい合っている。
連れは今、小悪魔と共に図書館を散策していた。
猫と死神。
【そ。……で、わざわざフタリ揃ってやってきて、何用?】
【単刀直入に。余り、ご無理をなさらないよう】
【言い訳は無用ですよ。言わずもがなでしょうけど】
映姫の言葉に眦を吊り上げ、さとりの追随に顔を背ける。
一拍後に戻ってきた顔は、眉間に皺が寄せられ、頬に朱が引かれていた。
【……その通りです。早苗さんと一緒に来られたんですよ】
【私はさとりさんに誘われただけですけどね。丁度、返却期間も迫ってきていたので】
地獄の主と裁判長がお暇な事で――照れ隠しにそう返そうとしたが、そもそも、既に露見しているので押し留める。
けれど、前者には届いてしまっていた。
【どうせ、どうせ、誰も来ませんよ、暇ですよ!】
【そんな事を考えていたんですか! えぇえぇ、暇ですとも、暇で悪かったですね!】
パチュリーは額を押さえた。
魔女の彼女でも、フタリ同時に嘆かれると対処に困る。
如何に地獄の主や裁判長と言えど、目に涙をためる様は幼女にしか見えなかった。
【誰が幼女ですか!?】
【――さっきの話だけどね】
映姫がさとりに同調する前に、口を開く。ヒトリの嘆きなら耐えられた。
目論見通り、フタリは口を詰まらせ見つめてくる。
嘘は意味があるまい――魔女は素直に語った。
【あと、試験まで二週間ほどだもの。どうとでもするわ】
【小悪魔さん、もう十分に話せていると思いますけど】
【例えば、そう、試験日程を早めてはどうですか?】
さとりの言葉に曖昧な微笑を浮かべ、映姫の提案に苦笑で返す。
【閻魔が嘘を薦めてどうするのよ。……考えておくわ】
魔女の呟きに心を見透かすものは、嘘つき、と呟いた。
館内より声が聞こえてくる。
歌声が、聞こえてくる。
彼女達は立ち上がった。
【ABCD、いぃバストー】
【ふにゃんっ】
【HIJK、メガバストー】
【きゃんっ】
彼女達は、各々の力を滾らせて、立ち上がった。
地獄の裁判長と主が呟く。
【……貴女ねぇ】
彼女達の連れが顔を引きつらせながら、返す。
【あ、あたいは被害者です!】
死神も猫も、意外と流暢だった。
瞳と瞳を交差させ、四名二組は笑みを交わす。
【……小町】
【や、やだな、四季様も同じアルファベット、しまったぁぁぁ!?】
【『むにゅう』ですね。わかります――審判‘浄頗梨審判 -小野塚小町-‘!!】
【……お燐】
【考えていません、何も考えていませんっ!】
【『さとり様はあたいの次かなぁ』。どう考えても『フラット』です。本当に――想起‘浄頗梨審判 -火焔猫燐-‘!!】
【……小悪魔?】
【パチュリー様はPです】
【あら、どうしてかしら?】
小悪魔は覚悟を決めた表情で、応えた。
【おフタリと違って無乳でも絶壁でもございませんし。そしてそう、桃色の先っぽが!】
その腹部には既に、司書室の備品である俗称『杭打ち機』があてがわれていた。
【パイル――】
道具の重さに微かによろめく魔女の肩を、地獄の裁判長と主が片手を出し合い支える。
もう片方の手は、力が集められている手は、道具に触れていた。
魔力が、神力が、妖力が、放たれる。
【――バンカァァァァァ!!】
【ヒゲダンディィィィィ!?】
水平に吹き飛びながら、その威力に、小悪魔は一つの決心を固めた――。
翌日の夕方過ぎ。
館内に、小悪魔が発した閉館の言葉が響いた。
自室にいたパチュリーは走らせていた筆を止める。
首を小さく回し、コリが溜まった肩に手を置く。
――直前、別人の手が魔女の肩を叩く。
暫く一定のリズムで続けられ、パチュリーは心地よく感じた。
何時まで続くだろう、思った矢先、内心苦笑した。
きっと、止めない限り何時までも続けられる。
だから、パチュリーは手を重ね、止めた。
【もういいわ、小悪魔】
【はい、パチュリー様】
するりと離れていき、なんとなくパチュリーは視線で追う。
手は組まれ、頭を垂れる使い魔が視界に入る。
【何のつもり?】
【お願いがあります】
【……何かしら?】
問うと、真っ直ぐな視線が返ってきた。
【試験を本日、行ってください。問題が出来ていなければ、明日にでも】
強い口調に、無表情で再び問う。
【何故? 言っておくけど、一夜漬けでどうにかなる試験じゃないわよ】
魔女は使い魔を見た。
その目元には、隈が作られている。
昨日にはなかった筈のそれは、彼女が一睡もしていない証。
【確かに昨日今日は殊更頑張りましたけどね。この頃のパチュリー様ほどではないです】
使い魔は魔女を見た。
――パチュリーは、舌を打ち顔を背ける。
小悪魔は苦笑しながら、続けた。
【遅いですって。お仕事を押しつけて、申し訳ありませんでした】
【……何の話よ。期間中も、ずっと貴女が司書をしていたじゃない】
【えぇ、司書はしていました。ですが、目録作りは休ませて頂いておりました】
【そうよ。私が初日にそう命じたんだもの。謝られる理由はないわ】
【端から気付くべきだったんです。パチュリー様が私の分もするつもりだったんだと】
攣り上がった隈のある眦は、笑顔に受け止められる。
【でも、褒めてください。隠していたのを、博麗の巫女よりも早く気づけたんですから】
だから、三日目から七日目の間で呆れるほど流暢になっていたのか。
今更ながらの推測に、パチュリーは再度舌を打った。
後手後手に回らされている自身に腹が立つ。
構わず、小悪魔は口を回す。
【それから一週間程の猶予がありましたから、十二分に勉強できました。
……いいえ、本当ならもっと早く申し出るべきだったんです。
パチュリー様の疲れが顕著になられる前に】
決めつけの言葉に、堪らずパチュリーは立ち上がり、声を荒げる。
【使い魔の貴女に、私の力が計れるとでも!?】
けれど、両肩を優しく掴まれ、椅子にそっと戻された。
【ただの使い魔ならば無理でしょう。
ですが、私はパチュリー様の使い魔なのです。貴女の小悪魔なのです。
――あはは、とは言え、昨日の一撃が決定的だったんですけどね。アレで確信しました】
どこかで聞いた言い回しに額を押さえるパチュリーだったが、覚えのない決定打に首を捻る。
【昨日の……? パイルバンカー?】
【お忘れですか。アレの出力は魔力なんですよ】
【……つまり、以前に感じた威力と昨日の威力を比べて、と言う事かしら】
ついでに言うと、映姫とさとりの『力』には、まったく意味がなかった。
頷かれ、パチュリーは重い溜息を吐く。もはや言い逃れはできまい。
【貴女、ほんとに悪魔なの?】
【心の隙を穿つのが悪魔ですよ?】
【説得力がない。呼び出す時にはそれ相応の存在だったのに】
今度は小悪魔が視線を逸らした。
【いやまぁ、それだけじゃないですよ? 来館数が減っているのも気がかりですし】
【そう言えば、サービス云々言っていたわね。どのみち、悪魔の心配する事じゃ】
【あぁぁ、そう、エロス本! 私の原点! 早く返して頂かないと!】
童か。
肩の力を抜き、パチュリーは心底可笑しそうに、笑った。
【と、言う訳でですね! 今すぐ、試験を始めてください!】
【問題が出来ていなければ明日でもいいと言わなかった?】
【一夜漬けでどうにかなる試験ではないんでしょう?】
パチュリーの言葉は、つまり、問題は既に作られている事を示していた。
あくまでも小癪な返しをする使い魔を睨み、魔女は机の引き出しから問題用紙を出した。
びっしりと文字で埋められたそれは、確かに一夜漬けでは解けないであろう。
いや、読めさえもしない。問題文さえも英語で書かれているのだから。
ごくりと唾が飲み込まれる音を聞き、作成者は愉快そうに笑む。
【言っておくけれど、かなり難しいわよ】
【そうだ、合格点は何点なんです?】
【自分から退路を塞ぐのね】
目と口が開かれた。其処まで考えてはいなかったようだ。
【少し、安心したわ。――そうね……一問一点で満点が六百六十六点だから】
【何ですかその数、落とす気満々じゃないですか!?】
【作り直す時間を潰したのは貴女よ?】
突っ込みは、囁きにかき消される。
【神様仏様ランディ様! どうか哀れな小悪魔を生暖かく見守って下さい!】
【悪魔が神を……誰よ、ランディ様。後、実質、頼ってないじゃない】
【勿論です。これ以上、何方かの力を借りるのはヤですから。そだ、パチュリー様】
【いや、だから、ランディ様って誰よ。……何?】
【バット捌きが凄い暴れん坊です。えとですね、もし、全問正解したらご褒美欲しいなぁって】
小悪魔の言葉に、パチュリーの口が止まる。
恐る恐る見上げてくる使い魔に、魔女は暫く反応しなかった。
暖炉も付けられていないと言うのに、彼女の頬は見る見るうちに赤くなる。
視線を横にずらし、小声でパチュリーは問う。
【……む、昔の、その、主人とか……?】
怪訝な顔は一瞬、小悪魔は喜色満面で囀る。
【ぅっわ、パチュリー様、やぁらしぃ~】
【煩い! 褒美、そう、褒美ね、なんでもいいわよ!】
やけっぱちで返した言葉。
けれど、言葉は言葉だった。
魔女はその重みを当然、理解している。
しかし、返答に目を白黒させた。
【ではですね、暁にはですね。熱いチッスをですね。こう、おでこにですね】
いちいち区切りをつけるのに意味はあるんだろうか。
【何ですか、そのお顔は】
【……何かの隠喩? ごめんなさい、わからないわ】
【違います。
独力ならばパチュリー様をお頼みしていましたよ。
けれど、パチュリー様にはお仕事の肩代わりをして頂きました。そして、来館された皆さまにも助けられました】
だから――開きかけた口を、人差し指を押し当て、閉ざす。
これ以上聞いていると、この少女が悪魔だと言う事を忘れてしまいそうだったから。
魔女が使い魔を否定してどうする、と内心苦笑し、首を小さく振り、雑念も払った。
指が舐められていた。
【おいし……】
【小悪魔ーっ!】
【本分! 悪魔の本分!】
両手を突き出し頭を振る小悪魔に、問題用紙を投げつける。
太い輪ゴムで纏められている用紙は受け止められた。
その厚さに顔が引きつっている。
【あ、結局、合格点はお幾らで?】
パチュリーは、唸るように宣言した。
【制限時間は十二時間! 合格点は四百四十四点! 褒美は全問正解で!】
【わぁ、寝てないってのに半日も集中できるかなぁ】
【――始めっ!!】
胸元からペンを取り出す小悪魔は、言葉とは裏腹に、楽しそうだった――。
【パチュリー様、名前は真名で書いた方がいいですか?】
【そんな大事なの、筆記しないでよ……】
【では、通称の方にしておきますね】
【パチュリー様、マークシート制はどうかと思います】
【答え合わせが楽なのよ。勘で合格点取れたら、それはそれで許してあげる】
【白い学ランで花札を武器にしましょうか。……あぁ、またそんな怪訝な顔をする!?】
【パチュリー様、難易度にばらつきがあるような】
【作成時のテンションね。低い時も高い時もあるわ】
【だからって、『知識』を和訳しろって、なんか泣きそうなんですが】
【パチュリー様、舟をこぐ位なら部屋に戻ってお眠り下さい】
【嫌よ……と言いたい所だけど、無理そうなら此処で寝させてもらうわ】
【……あの、自分で言っといて何ですが、私がカンニングする可能性とか】
【あぁ。そんなのもあったわね。……言ってて空しくない?】
【更に空しさが増しました……うぅ】
【パチュリー様、……パチュリー様?】
既にまどろんでいる魔女の頭に、柔らかい呼び声が響く。
その後、手が打ちあわされる音、気合を入れる声。
パチュリーは、意識を落とした――。
揺らされる。
微かに、揺らされる。
暫くして、肩に触れられていた手は、膝に移動した。
「こあ……くま?」
パチュリーは未だ醒めきらない頭で、眼をこすりながら呟く。
一瞬後、自身の言葉により覚醒。
口を押さえ、見上げる。
微笑みに受けいれられ、手は優しく外された。
「いっつえんでぃ……終わりました。やぁ、久しぶりだと率直な言い方になってしまいますねぇ。
寝室に運ぼうかと思ったんですが、お目覚めみたいで。ち。
あぁいやそんな、抱き心地を楽しもうなんて邪心は!?」
変わらないじゃないの――ぶっきらぼうに返す直前、首を傾げる。
「如何致しました?」
「終わった? 何が?」
「試験ですが。あ、合格を頂くまで駄目でした?」
慌てる小悪魔は捨て置き、パチュリーは解答用紙を手に取る。
確かに、白かった紙は黒点に埋め尽くされていた。
反射的に視線を上に向ける。
つい先日備品として用意された真新しい掛け時計の長針と短針は、彼女と同じように上を向いていた。
「……昼?」
「私、二日続けて徹夜なんてできません」
「出来なさいよ。――じゃあ、六時間で全部問いたの……?」
そうなりますかね――返す小悪魔は既に離れ、暖炉をつけようとマッチを躍起になって擦っていた。
季節が春に移ったとは言え、確かに今は肌寒く感じる。
と言う事は、やはり、夜なのだ。
漸く火がついたマッチを放り、小悪魔が火の揺らめきを確認している。
「不思議ですねぇ」
「一問約三十秒……貴女がしたんじゃないの」
「この暖炉、煙突は何処から出ているんでしょうか」
喧しい。半眼で告げる魔女に、使い魔は顔を横に背けた。
「思考を英語に切り替えれば、それほど問題を理解するのも時間がかかりませんし」
「……あら、まるで原産地が英語圏の様な言いざま」
「パチュリー様が虐めるぅ」
ぱちりと、小さな音をたて、暖炉の火が爆ぜた。
けれど、まだ部屋は暖かくならない。
寝起きには寒かろう。
小悪魔は燃やせる物を探しながら、口を開く。
「……明日、いえ、暫くの間、パチュリー様は目録の編纂をお休みください」
背面の主から返答はない。構わず、続ける。
「そうですね、ざっと十五日ほど。その間は、私、真面目に頑張りますので。
貴女様の使い魔、この小悪魔、三面六臂の働きを誓いましょう。
あ、だからと言って、バスターは打てませんよぅ?」
けらけらと笑いながら、数瞬、突っ込みを待つ。
返事はない。主は未だ、解答用紙に釘付け。
寒い空気が小悪魔を覆う。
「こ、小悪魔は寂しいと発情しちゃう――」
【……が呼び声に、応えよ】
「――んですよ!? って、え、あれ?」
叫びと共に振り向くと、主が眼前にいた。
手を伸ばせば抱きしめられる。そんな距離。
小悪魔は首を捻った――私は暖炉のそばにいた筈では?
眦を吊り上げ、パチュリーは椅子から立つ。
解答用紙を持っている手は微かに震えていた。
寒さからか、怒りからか、呆れからか――否。
「……私が『呼んだ』のよ」
驚きと喜びによる震え。
それを自覚していたから、魔女の目は釣り上がっている。
数日前に言われたように、自身は少し素直じゃなさすぎるのかもしれないと、心で思う。
使い魔の前に立つ。口を開けば息が届く距離。
「気付いていないのね。……まぁ、その位で丁度いいわ」
「へ? えと、……何時の間にか、超度7になっていたんでしょうか。眼鏡を!」
「このマークシートはね、貴女を呼ぶための呪文なの。六百六十六文字、一字一句間違えてはいけないの」
淡々と語る主。
じくじくといじける使い魔。
「うぅ、強い欲情のはてにスーパー小悪魔になってしまいそう……」
その肩を掴み、パチュリーは爪先立ちとなった。
主は使い魔よりも、少し背が低かったから。
続けられる予定だった言葉を閉ざす。
閉ざしたのは、言葉。
「褒美を取らせるわ、小悪魔――…………――是で、落ち着いた?」
そして、額に触れた、暖かく柔らかい唇。
小悪魔は急激に足の力が抜けるを感じた。
腰が落ち、尻もちをつく――と。
受け止められたのは、固い床ではなく、柔らかい座布団。
彼女愛用の椅子が、既に其処に引かれていた。
思考が纏まらず、口を開いては閉じる。
その速度は、意志とは裏腹に段々と遅くなってきた。
纏まらない思考は、頭を追う靄の所為だろうか。
肩から手を外し、主は言った。
「疲労と、私の魔法よ。……三面六臂は明日から、ね」
告げられる言葉に、小悪魔はどうにか口を開く。
「はい……誓いましたの、で。かなら、ず……パチュリー、さま、ありが――」
「貴女が暴れないようにかけたのよ。礼を言われる云われはないわ」
「ご褒美、ありがとう、ござい、ます……えへへ」
にやけた表情で応える。
主は、顰め面をした。
一瞬後、笑み。
魔女は、愉快そうに微笑んだ。
「あやふやなものだったけど、誓いは誓い。守らないとね」
解答用紙を押し付けてから、一歩、また一歩、離れゆく。
小悪魔は、足音を聞きながら目を閉じた。
心の中でもう一度、礼を述べながら。
(ありがとうございます、パチュ……はれ?)
足音は、止まった。
扉の前ではない。開く音もしない。
何処で?――疑問に思いながら、重い首を向ける。
彼女の主は、微笑みを浮かべたまま、暖炉のそばにいた。
「そう。守らないといけないの。勿論、もう一つの誓いもよ」
その手には――。
「『べっぴん』!? 私の『べっぴん』!? 何故!?」
「そういう誓いだったじゃない。あぁ、心苦しいわ!」
「や、だって、全問せいか、嘘つけー!?」
パチュリー・ノーレッジは、嗤いながら、暖炉へと――。
「そう、全問正解。だけど、合格点には届かなかった。と言うか」
投じた――「零点よ、『リトル』」。
眠りに落ちる寸前に、灰になりゆく魂の原点を見ながら、灰になったモノは、ハイなテンションで、叫んだ。
「そんな滅多に使わない愛称を、あぁぁぁぁぁっ!?」
――解答用紙の最初に記されている単語は、つまり、『rittre』。
<了>
『だけど』の誤字かと
666問正解できるのに、『little』を間違えるのか。
燐と小町が笑えますw
な…何をされたのか(ry
純粋に面白かったです、リトルかーいーなー
イギリス。ちょっと。運転してください。おもしろい。考え。
(この感想は翻訳→再翻訳で書かれております)
うん、英会話ではない違うABCだと始めに思ったのは私だけではないはず。
魔理沙も可愛いですが、誠実に向けられる想いに顔を赤らめる小悪魔も可愛すぎる。
なんて不吉な問題数なんだ!
でも面白かったです。りとるかぁーいーなー(パクリ
>審判‘浄頗梨審判 -火焔猫燐-‘
細かいとこだけど、ここはさとりが使ってるわけだから、審判じゃなくて想起じゃないかな。勘違いならスマソ。