黒や灰色の景色しか映さない窓のついた箱、内部に文字の描かれた色とりどりの四角い二枚貝、小さな気泡を立てる瓶詰めの黒い液体――
そんな得体の知れない奇妙な物が所狭しとその建物の内側を覆いつくしていた。
森に程近く、周囲を木々に囲まれていることに加えて、内部がその有様であるために薄暗くかび臭い。
香霖堂。
主に幻想郷の外の世界から流れ着く道具を取り扱う古道具屋、それがこの倉庫のような建物の正体である。
一応商店の体を取ってはいるものの、店主がおよそ商売人向きの気質ではないため、店を訪れる客は少なくいつも閑散としている。
そんな店の中に珍しく店主以外の人物が、陳列棚で隠されていない希少な窓の一角を陣取っていた。
その人物は被ってきた黒いとんがり帽子を傍らの丸机に置き、立っていればふわりと広がるスカートを腰とともに椅子に収めていた。
両手は外の世界のものと思しき雑誌を支え、逆に両足は床から浮かせてふらふらと揺らしている。
そして両目と意識は、誌面の大半を占めている数々の写真に奪われているようだった。
写っているのは満天の星空、渦巻く銀河、夜空に無数の輝線を引く流星群――全て、星に関するものばかりである。
「随分とご執心だな、魔理沙。そんなに興味を惹かれるものがあるのかい?」
その最中に、店の奥から声がかかってきた。店の外からではないことから、店主のものと予想される。
魔理沙と呼ばれた少女はわずかに顔を上げ、視線を店の奥に向ける。
薄暗いその場所から、ほのかに輝く銀髪を揺らして眼鏡をかけた青年が近付いてくる。
「ん、まあな。宇宙や星空の写真は確かに見ていて飽きない。でもな、それだけに意識を向けていたわけじゃないんだ……」
魔理沙はそう言い置いて一度口を雑誌とともに閉じた。そして店主の方をしっかりと見上げる。
「なぁ香霖。お前確か写真機を持っていたよな。あれはまだ手元にあるのか?」
店の名前で呼ばれた店主・森近霖之助は魔理沙の傍に立っている陳列棚の方を指差した。
「ああ、そこにあるよ。最近無縁塚で大量に手に入ってね。棚の半分以上を占めるくらいになったんだ」
「あん? こいつら、全部写真機だったのか。……天狗が持っているものと随分形が違うな」
魔理沙は椅子から立ち上がると、自分の目と同じ高さのところにあった写真機を一つ手に取った。
丁度両手に収まるくらいの大きさのそれを、色々角度を変えて観察する。
すると霖之助も、魔理沙の背よりも高い位置にあった写真機を掴み取る。
「これは正式にはデジタルカメラといってね。外の世界から流れてきたものだから、当然天狗達の写真機よりも高性能だ。
ちなみに、天狗が使っているような古いタイプの物も捨ててはいないよ」
「でもどうせ、どれも使い方は分からないんだろ? 宝の持ち腐れだぜ」
「いや、そうでもない。使い方のヒントくらいは掴んでいるよ。このデジタルカメラは式神、つまりコンピュータと密接な関係にあるらしいんだ」
そう言って霖之助は、片手にデジタルカメラを持つ一方、空いている方の手を傍にあった窓付きの箱・コンピュータの上に置く。
「僕の能力が言うには、どうもこの二つの道具は主従関係にあるようなんだ。デジタルカメラは写真、それから活動写真を記録する。
それをコンピュータが受け取って、より様々な加工を施すことができるらしい。
一方、コンピュータは情報を即座に集めるのが主な仕事だ。
だとするとデジタルカメラはおそらく、コンピュータから命令を受けて希望する写真を即座に撮影してくる、式神の式神だろうと考えられる」
「式神にも主従なんてあるのかよ……いや、あったな、確かに」
魔理沙も霖之助の傍にあるコンピュータに近寄り、どういう意図かデジタルカメラを両手でくるくる回転させながら着地させた。
コンピュータの後ろから伸びている、数本のコードの上に。
「すると天狗よりも良い写真が撮りたいんなら、コンピュータの動かし方を理解した方がいいってことなのか?
でもなぁ、コンピュータだって使い方が分からないんだろ? それに実際に動いているところを見た事がない。
写真機は実際に使ってる奴に訊けるが、コンピュータは誰に動かし方を訊けばいいんだよ」
「やれやれ、誰かに尋ねてばっかりだな。魔理沙、そういう考え方ではいずれ誰も頼れなくなったときに困ると思うよ。
それからコンピュータを実際に使っている人物については君もよく知っている筈だが」
「あー? ……コンピュータは、式神……紫のことを言っているのか? アレとコレとは、形が違いすぎてちょっと結びつかなかったぜ。
あいつに訊くのもどうもな……。それにだ、私は式神に写真を撮ってきてもらいたいんじゃなくて、自分で撮りたいんだよ」
そう言って魔理沙は改めてデジタルカメラを拾い上げ、天狗がしているように構えてみせた。
霖之助はそんな魔理沙に数秒、それから椅子の上に置かれた雑誌にも同じだけ視線を注いだ。
「なるほど、そういうことか。何かに憧れて真似をしたがるのは君の昔からの癖だったな。
一応忠告しておくけど、流れ星の写真に願いをかけてもそれが叶うとは限らないよ?」
「いやいやそうじゃないぜ。天然の流星群の写真も魅力的だが、生憎と私が撮りたいのはそれじゃあないんだ。
魔力・霊力・妖力・科学力・神徳――そういったもんが作り出す満天の星空を写真に収めたいんだよ」
「……ひょっとして、君達がいつもやっている弾幕決闘のことを言っているのか?」
不可解な表現を受けて霖之助はしばし黙考し、自分なりの推論を考え出してから魔理沙に確認をとった。
「ああその通りだ」
「ふむ、弾幕か。僕はあまり見た事がないんだけど、さぞかし美しいんだろうな。何しろそれが重要視されているんだろう?
君が写真機の話を持ち出してきたのは、その美しい光景を写真に収めてゆっくりと眺めてみたかったからなのかい?」
「ま、そんなところだ。ほれ、お前も前に言っていたな、『当たり前の景色を多面的に見たい』って。それを実行してみようと思ったわけだ」
魔理沙は構えていたデジタルカメラを霖之助の方に向け、上に取り付けられたボタンを押し込んだ。
しかし、小さな音がしただけで裏にある黒い小窓に何かが写ることはなかった。その結果を前に、魔理沙は深く溜息を吐く。
「とはいえ、写真機の使い方が相変わらず分からないんじゃどうしようもないな。駄目元で天狗にでも訊いてみるか。
少なくとも香霖と一緒にここで考え込んでいるよりもよっぽど建設的だろうな。限りある時間は大切にしないと」
「……失礼な奴だな、君は」
霖之助は毒づいた。しかし魔理沙の言葉に何か思うところがあったのか、それ以上言い返すことはしなかった。
(天狗……そう、きっかけはあいつの手帖だったな)
香霖堂を飛び立ち妖怪の山に向かっていく途中で、魔理沙は過去を振り返っていた。
気まぐれに拾い、そしていつの間にか手元から消えてしまった謎の手帖――
(弾幕の写真と、その傍に添えられたメモ。『これはネタになる』『この程度では使えない』だの、全く大妖怪様は気楽なもんだと思ったぜ)
のちにその持ち主が称して曰く、文花帖。
その中身を思い出しつつ、魔理沙はポケットから魔導書……と自称する自前のメモ帳を取り出す。
そこには今まで魔理沙が目撃してきた弾幕の内容が、詳細な文字による記述と簡素なスケッチとで表現されている。
弾の種類やその描く軌道、撃ち出されるタイミング、攻撃パターンの流れとその繰返し周期――そういったものが事細かに調べられていた。
それだけではなく、色の調和や弾の描く模様など、見た目の派手さ美しさに対する魔理沙自身の感想も添えられている。
(こっちは弾幕の美しさを余裕を持って味わうために色々と苦労しているってのに、ったく)
心中で溜息を吐くと同時に、魔理沙はメモ帳をポケットに戻した。そして気分を変えるかのように口の端を持ち上げる。
(だがその苦労も悪くないと思ってはいる。乱れ飛ぶ流星群の中を駆け抜けたときの爽快感といったら、筆舌に尽くしがたいもんがあるからな)
それから魔理沙は空を仰いだ。今の時間は正午を少し過ぎたあたり。当然のことながら星はまだ見えない。
(弾幕を写真に収めていつでも見られるように出来れば、もう少し対処法を練りやすくなるんかな?)
一瞬、夜の星空を頭に描いてから、魔理沙は再び視線を前に戻す。
向かう先にある妖怪の山は、先程よりも随分と大きくなっていた。
山の麓近くにある樹海の上空に差し掛かったあたりで、魔理沙の背中を突風が叩いた。
急激な気流の乱れにバランスを崩した魔理沙は、慌てて跨っていた箒を操り体勢を立て直す。
そして確認と抗議のために後ろを振り返ろうとしたところで、それよりも一瞬早く何者かの手が肩にかけられた。
その手を支点にして背後の何者かは一回転と一ひねり、身体を宙で踊らせてから箒の先端にふわりと着地した。
丁寧なことに、目線を魔理沙と合わせるためか一本足を軸にして、胡坐をかくような姿勢でしゃがみ込む。
「あやや、これはちょうどいいところに泥棒さん。どうも、毎度お馴染み射命丸です。今日はこれからお仕事ですか? ネタになりますか?」
「何だ、お前か。危ないことをするなぁ。ブン屋が取材対象を危険な目に合わせていいのかよ?」
抗議の方向を強引に変えたその人物は、鴉天狗にして新聞記者の射命丸文。そして……文花帖の持ち主。
「まぁこの近くまで来ると、私もただのブン屋ではいられなくなるのです。それとこれはお願いですが、この先でのお仕事はやめて下さいね?
そんなことをするつもりなら、私は天狗として本気で貴女を叩きのめさなきゃならなくなりますから」
人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて物騒極まりない台詞を吐く文に、しかし魔理沙も笑顔を見せて応じる。
「そうか。それはそれで楽しそうだな。ただ今日はな、実はお前に用があって山に向かっていたんだ」
「へぇ? 貴女が私に用? それはまた珍しいこともあるものね」
唐突に文は口調を仕事用の丁寧なものから素の蓮っ葉なものに切り替えた。
その急変ぶりに、思わず魔理沙は苦笑する。
「まぁ待てよ。まだ口調を変えるのは早いぜ。これはお前の仕事にも関わる話だと思うんでな」
「ほうほう。一体なんなのでしょうか? そちらから密着取材の申し入れでしょうか?」
「うにゃ、違う。だがお前にとっても効率的に仕事が進められる、悪くない話だと思うぜ。
知ってるか、外の世界では雑誌や新聞の誌面を楽して埋める為に、読者から投稿写真を提供してもらっているらしいぜ。
いいアイデアだよな。投稿者は自分の撮った写真を読者全体に披露できる、ブン屋は楽して新聞のネタを手に入れられる。
そうやって互いの利益を尊重しながら信頼関係を築き上げていけば、その新聞は長く好評を得ることになるだろうな」
文はそれを聞いて笑顔のまま唇を軽く開き、しかし口は挟まなかった。構わず魔理沙は続ける。
「他にもあるぜ。
外の世界じゃコンピュータとかいう式神と、そのまた更に式神のデジタルカメラという最新の写真機を使えば勝手に写真を集めてくれるらしいんだ。
つまり最先端のやり方は、自分で撮らず他人に撮らせる、ということだな」
「むぅ、興味深い話ですね」
「だろう? そこで提案があるんだ。私に写真機の使い方を教えてくれないか?
そうしてくれれば、しばらくはお前の希望する写真を撮影して持ってきてやるぜ。
妖怪最速のお前と人間最速の私が組めば、誰よりも素早く大量に写真を集めてくることが出来るはずだ」
「……素晴らしい!」
箒から手を離して身振りを混ぜつつ解説していた魔理沙の手を、文は目を輝かせて握り締めた。
して得たり、とばかりに魔理沙は笑い、文の手を強く握り返す。
「決まりだな。じゃあ早速しゃsh」
「ええ! 早速その件についてお酒でも飲みながら突き詰めていきましょう。ああ、こうしちゃいられないわ。
急いで夜雀さんのお店に予約を入れないと。誰かに聞かれちゃマズいから、何なら貸し切りにしようかしら。
女将は確実に残るけど、鳥頭だし歌がちょうどいい隠れ蓑になるから問題ないでしょ」
「ちょっ、おいちょっと待て!」
握り締めていた手をそのまま強引に引いて箒を蹴り、文が魔理沙を妖怪獣道の方へ連れて行こうとしたところで、魔理沙は慌てて抵抗した。
「なんで居酒屋で酔っ払いながら相談する必要があるんだよ? 素面でいいじゃないか」
「何を仰いますか! これから始まる素敵な記者人生の幕開けを祝して、またその景気付けに今日は酔い潰れるまで飲もうと言っているのですよ。
さぁさぁ今宵は私の奢りです、心ゆくまで杯を傾け、写真機の使い方と私達のネタ集め計画について夜通し語り合おうではありませんか!」
興奮した様子で一方的に言葉をまくし立てる文。そんな態度を見て、魔理沙はようやく不審に思う。
「なんだよ、結局写真機の使い方を教えるつもりはないってことか?」
「……あやや、バレちゃいましたか」
唐突に、興奮を冷まして悪戯っぽい笑顔になる文。ついでに失敗したと言わんばかりに後頭部を掻く。
そして文は、据わった目で睨んでくる魔理沙をなだめるような言葉を紡いだ。
「まぁ正直、私も優秀な助手を持ちたいかなーと考えたことは何度もあります。ですがそれは同族に限った話でして。
山の外の者に技術を教えてまで、とは考えていないんですよ。たとえどれだけ優秀だとしても」
「くそっ、どうしてそこまで頑なに隠そうとするんだよ?」
「それが組織の方針だからです。個人の裁量で好き勝手に情報を流出させることは許されていません。
一応、教える条件としては『呑み比べで勝利した場合に限る』ということになっていますがね。
まぁ、到底不可能な難題を持ちかけてくるところから教える気はないと察しろ、という意味なんですが。
いわゆる『かぐや姫の婉曲』ですね。今、勝手に名付けましたが」
あまりに理不尽な話に、しばし二の句が継げなくなる魔理沙。
目の前の文を始めとして、天狗達がとてつもない酒豪であるということを魔理沙は良く知っている。
実際にその様をまざまざと見せ付けられたのは、清明の日に行われた天狗達との宴会の席でだった。
怪力を生かして巨大な一石樽を片手で持ち上げ、一気に飲み干したのを見たときなどは、実に見事な飲みっぷりだと持てはやしたものだった。
だが今回は、それが超えがたい壁となって立ちはだかることになる。
いつしか魔理沙は文の姿を見ていながら、高々と積み上げられた空の一石樽の塔を幻視していた。
その生まれた沈黙の間に割って入るように、一羽の鴉が飛んできて文の肩に降り立った。
文はそちらに顔を向けて目を細め、鴉の頭を軽くなでる。
「ああ、ようやく追いつきましたか。すいません、魔理沙さんを止めるために急いだものですから、置いていってしまいましたよ」
機嫌を直してもらうように、文は軽く詫び、ポケットから餌を取り出して鴉に与える。
ペットとその飼い主の睦まじい光景を眺めていた魔理沙は、しばらく間を置いてから静かに口を開いた。
「ちなみに、その条件で挑んできた奴はいままでどのくらいいたんだ?」
「そうですねぇ……写真撮影に興味を持った人間や山以外の妖怪はそんなに多くはいませんでしたが……私の知る限り、全員負けていました。
『酒に弱かったから山を追われた』などという話が出来るくらい、妖怪の中でも差があるのです。ましてや人間では、とてもとても」
「勝負にすらならない、か」
文の台詞を引き継いだところで、魔理沙は再び黙り込んだ。
その様子から諦念を感じ取った文は、頃合かと思い話を切り上げようとする。
「私に用事というのはそれだけですか? ではそろそろ失礼しますね。最近、新聞のネタが少なくて急いで集めないt」
「もう一個、聞かせてくれ。その勝負で代理を立てることは可能か?」
突然、黙り込んでいた魔理沙が放った提案に出足を止められた。
思ってもみなかった言葉を、文は鸚鵡返しに呟く。
「代理、ですか?」
「そうだ。普通に私がお前とやり合ったんじゃ勝負にならない。だが、私には酒に強い知り合いに心当たりがある。
私に代わってそいつと呑み比べ、ってのはどうだ?」
「酒に強い知り合い、ねぇ……うふふ、誰のことを言っているのかしら?」
文は意地の悪い笑みを浮かべると、改めて魔理沙の方に向き直る。
「ま、いいでしょう。勝負が一方的すぎるのも考え物。ここは一丁貴女の人脈と交渉能力を試すとしますか。
ただしこちらも条件を一つ。貴女に知り合いがいるとは思えませんが、代理に選ぶのは山の妖怪以外でお願いします」
「おお? いいのか、その条件で。私は鬼を連れてくるかもしれないんだぜ」
「ええ、構いませんよ。貴女が鬼を動かすことができるのなら、それはそれでネタになるほど面白そうですしね」
鬼もまた一流の呑ん兵衛であり、天狗にも匹敵するほどである。
そして鬼は昔はともかく、今は山の妖怪ではない。加えて魔理沙とも浅からぬ縁がある。
酒と宴をこよなく愛する鬼は常に飲む機会に飢えており、よく人妖を集めての宴会を企画していた。
そしてその幹事役に魔理沙はしばしば抜擢されることがあった。それゆえ、魔理沙と鬼との間にはある程度の信頼関係が結ばれている。
そういうカードを切れる魔理沙を前にして、自信満々に言い放つ文を魔理沙は訝しく思う。
「……どういう意味だ?」
「貴女は知らないでしょうが、鬼は妖怪の山とは極力関わりを持たないことを約束してくれています、特に争い事にはね。
それに真っ向から一対一の勝負を好む鬼が、代理を立てるなどというやり方を是とするとは考えられません」
「あ、ああそうかい。だがそれもやってみなくちゃわからん、だろう?」
「ええ、そうですね。だからこそ興味深い。貴女が鬼の協力を取り付けた際には、是非とも詳しい話を聞きたいところです」
自信を削ぐ言葉を淀みなく連ねる文を前に、舌の回りを鈍らせてしまう魔理沙。心なしか、声が上ずる。
そんな魔理沙をよそに、文は手帖とペンを取り出し、何かを書きながら口を動かした。
「では、呑み比べの日時は……まぁ三日後といったところでしょうか。場所は妖怪の山の中腹辺りに席を設けます。
それまでに魔理沙さんは準備を整えておいて下さい。それでは、楽しみにしています、よっ!」
そして文は筆記用具をしまうと、現われたときと同様、突風をその場に残して飛び去っていった。
吹き荒れる風に弾き飛ばされまいと、魔理沙は箒と帽子をしっかりと保持する。
その、手で押さえられた帽子の下には、会心の笑みが隠されていた。
「おう、魔理沙じゃん! あんたはいっつも神社に顔出すねぇ。暇なんだねぇ」
「そういうお前こそ、まるで神社が住処みたいに入り浸っているよな。まぁ居所が分かりやすくってありがたいんだが。
今日はお前に頼みたいことがあって来たんだ」
「へぇ、なにかな? 次の宴会は3日連続でやろうとか?」
「いやいやそうじゃない、実はな――」
「あぁなんだ、そんなことか。お安いご用だよ」
妖怪の山。
麓付近や渓谷あたりには緑生い茂る豊かな自然を抱えているが、ここ五合目あたりからは地衣の類しか見当たらない、殺風景な岩山となっている。
そのむき出しの岩棚の上に、かつて裾野付近に根を張っていたものの成れの果てが、整然と山のように積み上げられている。
それは中に日本酒をつめた、木製の一斗樽。そしてその重すぎる積み木を軽々と行っているのは、雪のように白い髪の、小柄な少女。
「よいしょっと。ふぅ……文さーん! こんな感じでいいですかぁ?」
山なりに積んでいた樽の頂上に更に樽を積み上げ、少女は下方に声をかける。そこには満足そうな面持ちで樽の山を見上げている文の姿があった。
一つ大仰に頷くと、文は地面を蹴って飛び立ち、樽の山の頂上まであっという間に翔け上がった。
「ええ、これで充分。助かったわ。急に変なことを頼んで悪かったわね、手間をとらせちゃったかしら?」
「いえいえ、ちょうど良い時間つぶしになりましたよ。それじゃ、私は渓谷でにとりと一指ししてきますね。これらの処理は、それが終わった後で」
「お願いするわ」
白い髪の少女は一礼すると、山を下る方向へ飛び去っていった。
その後姿をしばし眺めた後で、文は樽の山から飛び降り、一本足で着地した。
すぐさまその支柱を折り曲げて腰を落とし、胡坐をかくようにもう片方の足も折り曲げて持ち上げ、片肘をつくための台とする。
そして前方に睥睨をくれてやる。
やがて、この一連の動作が終わるのを計っていたかのように、文の視界に一つの黒い点が映った。
点はみるみる大きくなり、人の形をした影となる。
そこまで確認し終えるやいなや、文は少し目を見開き、それから落胆を混ぜた溜息を吐いた。
「……やはり、無理だったようね。ひと安心といえばそうなんだけど……はぁ、つまらない時間つぶしになりそうだわ。ネタにもなりゃしない」
溜息と同時に伏せていた目線を再度持ち上げても、近付いてくるのは何度眼を凝らせど魔理沙一人の姿のみ。
億劫そうに文は腰を上げ、後ろの樽の山を振り返る。
自前で用意したこの「見せ樽」も、どうやら名前どおりの役だけで終わりそう……と心中で独りごちた。
やがて頬の傍を乱れた気流が吹き抜け、文が首を戻すとそこには箒から降りて歩いてくる魔理沙の姿があった。
文とは対照的に、どこまでも朗らかな笑みを浮かべながら魔理沙は口を開く。
「よう、待たせたな。どうした? しけたツラして」
「あれーそう見えますかー? こちらとしては鬼がいないことで楽勝できると大喜びなんですがー」
台詞自体とは裏腹に、口を尖らせ気の抜けた口調で喋る態度は実に不満そうなものである。
鬼、という単語を聞いた魔理沙も、笑顔を収めて眉を潜めた。
「ああ、そのことか。私も色々と手を尽くして呑み比べに出てもらうよう頼んでみたんだが、相手にもされなかったな。
まったく薄情な奴だったぜ。血も涙もない、とはよく言ったもんだ」
相手の事情も汲まず悪態を吐く魔理沙に、文は呆れかえった。
こんな奴の人脈と交渉能力にわずかでも期待をかけた自分を情けないとすら思う。
などと文の感情が揺れ動いているのをよそに、魔理沙はしかめ面を一転、元の朗らかな笑顔に変えた。
「でもまぁ、伊吹瓢を貸してくれと頼んだら快諾してくれたからな。さっきはああ言ったが、意外と人情味のある奴なのかもしれん」
「はい? 伊吹瓢? なんだってそんなものを……」
話が明後日の方向に逸れてしまったことに、文は思わず素っ頓狂な声を上げた。
伊吹瓢とは無限に酒が湧いてくる瓢箪のことで、鬼の所持品である。しかしその機能が呑み比べにおいて魔理沙に利するとは到底考えられない。
一体なんのために借りたのか、そして今更気付いたが何故そんなにも余裕のある態度なのか……筋道の通らない状況に文は混乱する。
埒が開かないと思い、文はまず確かめるべき事柄を尋ねる。
「それで、鬼の協力を得られなかった貴女自身が私の相手をするというのですか?」
「うにゃ、代理ならいるぜ」
そう言って魔理沙は帽子に手をかける。そして口元を不敵に歪ませ、一度帽子のつばを深く下げた。
「レッドスネーク、カモン!」
興行師が観衆に演目を告げるように、魔理沙は高々と宣言する。
それからゆっくりと帽子を引き上げつつ、妙に威厳のある渋い声色で続く台詞を喋る。
「こちらスネーク、帽子の中への潜入に成功した」
引き上げられた帽子の下、魔理沙の金髪の頭頂に鎮座していたのは――
「ヘビ? でも……あ、れ? その形、まさかっ!」
文の目が驚愕で見開かれていく。そこに現われたものには見覚えがあった。
チロチロと赤い舌を伸ばすその様はまさに蛇そのもの、だが一点、胴体部分が異様に膨れ上がっているところが他の蛇と大きく異なっている。
表面の色は、魔理沙の主張とは大きく異なる茶色。背には横一文字のすじ上の模様がいくつか描かれている。
文も一度新聞の記事にしたことがある、その異様な蛇の名は――
「槌の子(ツチノコ)!?」
「なんだ、知っていたのか。一応紹介しておくぜ。こいつは草の神様・野槌の使いのツチノコだ。って霊夢が言ってた。
今は私のかわいいペットにして頼もしい相棒さ。今日は私に代わってこいつがお前の相手だ」
堂々と宣言し、魔理沙はツチノコを頭から下ろして両手で抱きかかえる。そのまま文の脇を通り過ぎ、手近な樽の近くまで歩いていった。
それを目で追っていた文はすれ違いざまに、独り言のように疑問を呟く。
「どうやって、あの幻のツチノコを、よりにもよってペットに……」
「ああ、最近光の三妖精から仕事の依頼があってな。そのときにこいつを捕まえたんだ。
……ところで、これが呑み比べに使う酒なんだよな。いっちょ空けさせてもらうぜ」
答えつつ、魔理沙は一斗樽の封を取り払う。そして露わになった酒の液面にツチノコの頭を静かに近づけた。
みるみるうちに、水位と、ツチノコを抱える魔理沙の上半身が下がっていく。
唖然としてそれを見つめていた文が我に返る頃には、魔理沙は樽の底から上半身を持ち上げ、ツチノコの頭を優しくなでていた。
一方ツチノコの方も、酒にか魔理沙の手つきにか、丸い目を細くして満足そうに舌を走らせる。
「まずは一つ目、ってところか。いや~お前は本当に凄い奴だなぁ。伊吹瓢を試飲させてくれた萃香も感心しきりだったもんな」
「……! さ、最初からそいつを代理に据える予定だったのですか!?」
鬼の助力を得られなかったのに全く落胆していない、伊吹瓢を借りた理由はツチノコの実力を計るため……
これまで不可解だった魔理沙の態度と行動が一つの結論を導き出し、文に叫び声を上げさせた。
「ああそうさ。お前のお蔭で思いつく事ができたんだ、感謝してるぜ。さて、こいつなら相手にとって不足はないよな? 次はお前の番だぜ」
ツチノコを地面に下ろすと、魔理沙は樽の傍らに置いてあった杯を先程から微動だにしない文に差し出す。
しばらくそれを見つめていた文だが、杯を受け取ることはなく、手近にあった樽の蓋を豪快に破る。
それを片手で持ち上げ一気に呷った。喉を数度鳴らし、ついには空になったその樽を乱暴に背後に落とす。
その珍しく粗野な振る舞いに、魔理沙は杯を差し出したまま身を固くする。
大きく一息を吐き、素手で口元を拭うさまは、いつもの礼儀正しい仮面が剥がれかけているようだった。
「……うふふ、全く、貴女という人間はいつも想像の斜め上を行ってくれる。いいでしょう、少しは歯ごたえのある勝負になりそうですね。
そして天狗のメンツと幻のツチノコの情報、どちらも手元に収めてみせましょう!」
獰猛な相貌を携え、しかし口調は丁寧に、文は魔理沙に向けて啖呵を切った。
やや気圧されつつも、魔理沙は帽子を正して文に応じる。
「流石、一筋縄ではいかないな。だがここからは杯を使わないか。樽のままだとこいつにとって底の方が飲みにくかったんでな」
「ええ、いいですよ」
文は頷き、先程後ろに放った空樽の上に勢いよく腰を落とした。
それを見とどけた魔理沙は新たな樽の封を外し、柄杓を使って二つの杯に酒を満たす。
その一方をツチノコの前に置き、もう一方を文に手渡した。
そして魔理沙は、樽に座って相手を見下ろす文と、地に横たわって相手には目もくれず杯を見つめるツチノコ、そんな対照的な両者の間に立った。
「さて、僭越ながら私がお酌を務めさせて頂くぜ。それじゃ、双方とも始めてくれ」
「ふん、せいぜい不正などせずにちゃんと杯数を数えておいて下さいよ」
こうして、山の酒豪と麓のウワバミによる対決が火蓋を切った。
鴉が飛び急いで巣へ帰る、夕暮れ時。その黒い影に混じって、白い髪の少女も山を翔け上がっていく。
そして山の五合目までたどり着いたところで、少女は目を丸くした。
かつて自分が整然と積み上げていた酒樽の山は、しかし今はその大半が中身を空けてそこら中に散乱していた。
そして少女は、二つ並べられている赤い杯と、その下に敷かれている書置きを見つけた。近寄って拾い上げる。
そこに書かれていたのは文の意外と可愛らしい文字ではなく、見慣れない筆跡の文章だった。曰く、
「天狗の身柄は預かった。心配するな、こんな奴、用事が済んだらとっとと返してやるぜ」
低い唸り声が物であふれかえる室内に響き渡る。
それは覚醒しつつあった文の頭に直接伝わってきた。
たたき起こされた形になった文は、たまらず両手で耳を塞ぐ。
「っ、あー、何なのよこの唸り声は……あぃたたた、頭が……」
「おお? やっとお目覚めか」
すぐ近くで違う声がしたが、それが誰のものなのか判別できない。文は何とか、軋む頭を抱えながら上半身をゆっくりと起き上がらせる。
するとその拍子に白い何かが視界をよぎり、すぐに下に落ちていった。その後に視界に飛び込んできたのは最後に顔を合わせた人物――
「魔理沙? ここは……私は、一体……」
文は弱弱しく呟き、周りの様子に目を向ける。
ランプに煌々と照らし出されるその室内は、大量の本やわけの分からない小物で満ちていた。
自分の傍に視線を向けると、ベッドに横たわる自身の身体がある。そして、腹の上には白い小さなタオル。
先程視界をよぎったのはこれか、と文は確信する。
そこでおおよその事態を把握した文は、魔理沙に確認を取る。
「ここは貴女の家なのね。私は呑み比べで意識を失って……いつつ」
「おお、理解が早くて助かるぜ。水、飲むか?」
「それよりも、この変な唸り声を何とかして欲しいわね。頭に響くったらありゃしないわ」
コップを受け取りつつ、文は魔理沙にそう要求する。
それを受けて魔理沙は椅子から立ち上がり、テーブルの上に置いてあった鳥籠に近付いていった。
その中には、目を閉じてゆっくりと身体を振動させるツチノコの姿があった。
その身体の動きに合わせて、唸り声が部屋中に響き渡る。どうやら、ツチノコのいびきが先程から鳴っているようだった。
魔理沙はそんな大いびきを平然と聞き流し、いとおしげな眼差しをツチノコに向けてから鳥籠に厚い布を覆い被せた。
くぐもった響きが布の中からまだ聞こえてくるが、どうにか文の頭をかき乱すものではなくなった。
水と合わせて幾分調子が良くなったところで、文は魔理沙に一番聞きたかった質問をする。
「それで、勝敗はどうなったの?」
「ああ。僅差でお前の負けだ。呑んだ杯数は同じ、だがあいつよりも先にお前の方が気絶していたな」
「……」
何となく予感はしていたが、それでも改めて告げられた結果を文はなかなか受け入れられないでいた。
図らずも魔理沙の方をまじまじと見つめてしまう。
その態度に居心地の悪さを感じたのか、魔理沙は口を尖らせる。
「なんだよ、疑うのか? それだったら見届け人を用意しておけばよかったんじゃないか。それを余裕ぶって一人で待っていて。
敵しか周りにいない状況だってのに、先に意識を手放してしまった時点でお前の負けだったんだよ」
「別に疑ってなんかいなかったのに、唐突に怪しくなってきたわね……」
まだ何か反論をしようとする魔理沙を据わった目で軽く睨みつけ、その気勢を削いでやる。
だが文は自分の敗北をもう疑ってはいなかった。
意識を失う直前に目に焼きついたもの――酒のせいで顔が赤く染まったツチノコのつぶらな瞳、それがやけに大きかったことを思い出した。
樽に腰掛けていた自分がそんな光景を最後に見ていた以上、自分の方が先に倒れてしまったのだと想像する。
そんなことよりも、文は自分の置かれている状況を改めて整理しようとする。
「ところで魔理沙、私が意識を失ってからどれくらい時間が経ったの?」
「そうだな、ざっと一日ってところだ。なかなか起きなかったからな、あいつの鳥籠を傍に置いてみたんだが……効果てきめんだったな」
「なんてことしてくれてんのよ、もう」
文句を言いつつ、文は更に頭を巡らせる。
現状、自分が呑み比べで敗北したことはすでに天狗社会に知れ渡っていると考えられる。
妖怪の山でおおっぴらに長々と競ったのだから、物見高い天狗達の目には確実に触れられているだろう。
しばらくはそれをネタにからかわれることになりそうだ、と文が二日酔いとは別種の頭痛を覚えかけたところで、魔理沙が追い討ちをかけてきた。
「さて、目覚めてすぐのところで悪いんだが、さっそく写真機の使い方について教えて欲しい」
椅子に座り直し口元に嬉しそうな笑みを浮かべて、報酬の話を切り出してくる。
そんな魔理沙の笑顔に文はうんざりしたような顔を作り、しかし最終的には渋々といった声色で答えた。
「……分かりました。ただ、この期に及んで往生際が悪いかもしれませんが、まずはこちらの話を聞いてくれませんか?
最初にはっきりさせておきますが、貴女に教えるのは撮影技術のみで、その後の写真現像のやり方は教えられません。
そもそも私は現像設備の使い方は知っていても、設備の作り方は知らないですから、まともな現像環境を提供することは不可能なのです」
「あん? っていうか、現像って何だ?」
「写真はカメラで撮影すれば出来る、というものではないのです。現像という作業を経て初めて、カメラに収めた画像は写真となるのです」
「あー? 何だよそれ! じゃあ写真機の使い方が分かっただけじゃ写真は手に入らないってのか!?」
盛大な肩透かしを喰らわされたためか、魔理沙は大声を上げて椅子から立ち上がり、文に詰め寄る。
間近で発せられた大声に揺さぶられたため、文は頭を抱えて軽く身を伏せた。
しかしすぐさま、魔理沙の両手が伸びてくる前に話の続きを口にする。
「あたたっ、そんな傍で大声を出さないで下さい。本題はここからです、だから落ち着いて!
そんな事情では貴女も納得できないでしょう。諦めきれずに現像技術を『借りに』行くことも考えるかもしれないし……。
そうなっては面倒なので、いくつか条件を飲んでくれれば、貴女が撮影したものは全て私が現像してあげようと思うのですが」
「条件、だって?」
そこで魔理沙は動きを止める。
「何、それほど難しいことではありませんよ。これから教える写真機の使い方、それから現像技術のことを他の誰にも口外しないこと。
そして、写真撮影自体も出来るだけ他人に知られないように行って下さい。それこそ、太陽の下で人知れずこっそりと行う日光写真の如く」
「……要するにアレか? 情報が漏洩するのは私までで止めておきたいってことか」
「そういうことです。私も山の社会の中であまり立場を悪くしたくはないですからね。
もしも山を追い出されることになったら、その時は誰が写真を現像するのやら……よよよ」
「仕方がないな、その条件でいいぜ」
目元を押さえて猿芝居を演じる文を冷めた目で見つめつつ、魔理沙は溜息混じりに答えた。
色々と気を払わなければならないことが多そうだが、自分の目的にはそれほど差し支えはないだろうと判断する。
何しろあれだけ派手に大量に、光り輝く弾幕を撃ち合うのだから、それに紛れて撮影を行えば見つかることはあるまい。
万一撮影のフラッシュを見咎められたとしても、新種のレーザーとでも言えば誤魔化せる――
などと魔理沙が腕組みして思案顔になっていると、ご機嫌取りをするかのように文が朗らかな声で話を継ぎ足してきた。
「まぁこうなってしまった以上、互いに利益があるように折り合いをつけていこうじゃないですか。
今回の件で改めて思いましたが、貴女という人間は実に斬新なネタを提供してくれる。
ですから貴女の集めてくる写真も、きっと記事に出来るようなものが多く含まれていると期待しています」
「なんだ、最初に私が持ちかけたような話か? 他人の撮ってきた写真で楽して新聞を作るっていう」
「そんなところです。頼りにしていますよ、人間最速の相棒」
「……ったく、やれやれだぜ」
いつの間にか人当たりの良い笑顔になった文が差し出してきた手を、魔理沙は苦笑しながら握りしめた。
しばらく握り合っていたその手を離すと、心情的に納得できない部分でもあったのか、魔理沙は口を尖らせてこぼす。
「それにしてもズルいよな。組織ぐるみで技術を独占するは隠し持つは、やりたい放題じゃないか」
「それが衆を頼むというやり方ですからね。勿論メリットばかりを受けられるわけではありません。
今回私が個として勝手な振る舞いをしたために、そのことを皆に揶揄されてしまうように」
「……そいつはなんとも世知辛いな」
「まったく」
再び苦笑する魔理沙に、文も自嘲気味に笑った。
後日、文が持ってきた最新式の写真機を手に、魔理沙は自宅の玄関の外に立っていた。
文の説明によると、この写真機は画像の記録媒体であるフィルムを巻く手間がほとんどなく、連続して写真を撮影することができるらしい。
またそのフィルムも文が無償で提供してくれることになっている。
これは魔理沙にとって思わぬ余禄だった。この性能なら盗撮ははるかにやりやすくなる。
場合によっては、ファインダーを覗かず適当に撮影を繰り返すだけで良い写真が撮れることもあるかもしれない。
写真機の使い方とフィルム提供に関する説明を終えた文は、今は魔理沙の眼前でツチノコの入っている鳥籠を携えていた。
「じゃあ、早速写真機を試しに行ってくるが、私の留守中そいつのことは頼んだぜ。くれぐれも丁重に扱ってくれよ」
「ご安心を。責任をもってお世話させて頂きます。取材対象には常に敬意をもって接するのが私のモットーですから」
少し不安そうな声色の魔理沙の要求に、文は胸を張って応じる。
写真機の使い方を教え終わったあと、ツチノコにいたく興味を持ったためか、文は魔理沙に密着取材の申し入れをしてきた。
天狗が呑み比べで鬼以外に初敗北したというスクープは、自分がその敗者である以上使いにくいものがある。
ならばその予想外の勝者について徹底的に調べた記事を書こう、という目論見であるらしい。
どこまでも抜け目のない奴、と思いつつ、魔理沙はそこで反対はしなかった。
とりあえず文のツチノコへの接し方を見てから、ツチノコ自身に判断させよう、と魔理沙は心の中で決めていた。
「ふん、どうだか怪しいもんだぜ。
じゃあ、行ってくるぜ。天狗が何か粗相をしたら、後で私に教えてくれよ。すぐに叩き出してやるからな」
文には鼻で笑う仕草を、そしてツチノコには暖かな笑みを、それぞれ向けて魔理沙は箒に跨り、一気に森の上空まで飛び上がった。
森の入り口に香霖堂を見つけたところで、何か思うところがあったのか魔理沙は箒をそちらに向ける。
雑多な物で溢れかえっている店の前に降り立つと、魔理沙は写真機を構えた。そして撮影のためのボタンを深く押し込む。
一瞬、まばゆい閃光が店全体を包み込み、すぐにその光はかき消えた。
そして魔理沙はフィルムを巻きつつ、誰に聞かせるでもなく独り言を呟く。
「他人に頼りまくったせいなのか少々変な形になってしまったが、何とか写真機の使い方を知ることが出来たぜ。
そいつを自慢できないのは残念だが、一つ騒がせてやるか、試し撮りも兼ねて。
香霖、後で写真をこっそり送りつけてやるぜ。『当たり前の景色を多面的に見たい』ってやつの参考にでもしてくれ。
……といっても、店の汚さしか私には見つからないんだがな」
意地悪く口の端を持ち上げてから魔理沙は写真機をしまい、代わりに魔導書を取り出してページをめくる。
そしてあるページに差し掛かったところで、めくる手を止めた。
「さて、やはりまずは馴染み深い場所から始めるべきかな。紅い屋敷の連中と……その途中にいる奴ら。
そいつらの弾幕から順に写真に収めていくとするか。決定的瞬間もメモしてあるし、そう時間はかからんだろう」
止めたところから更に2、3ページほど、内容を暗記するかのように見つめてから、魔理沙は魔導書を閉じた。
そして箒に乗って再び空へ飛び立つ。向かう先は霧の湖、そして紅魔館。
昔のことを思い出しつつ、魔理沙は異変の出ていない青空を、かつての異変の時と同様に駆け抜けてゆく。
帰る頃には綺麗な星空が拝めそうだ、と魔理沙は未来に思いを馳せていた。
しかし自分の体より酒の量のほうが多いんじゃ…
どこに入るんだろ…
あのツチノコは漫画版でも物理法則無視して食べてたりと、妙な説得力がありますね。