・ ・ ・
「永琳ー、麦茶持ってきてー」
初夏、そろそろ蝉の声がやかましくなってきた今日この頃、縁側で涼をとっていた蓬莱山輝夜は照りつける日差しを疎ましく思いながら寝言のようにぼそぼそと言った。
同じく横で屋敷を通り抜ける風に髪をなびかせながら涼んでいた八意永琳はそんなだらけきった輝夜を一瞥するとあえて聞こえないふりをしてそのまま座っていた。
ねえ聞いてるの、と不満げな様子の輝夜に半ば呆れながら渋々立ち上がる。
その顔は自分で行ったらどうです、というような表情を隠しきれない。
そんな彼女の様子をお構いなしとばかりに当の本人は桶にためた水の上でバシャバシャと足をせわしなく動かし飛沫をあげるばかりである。
「しかし暑いわね……、これだけ暑いと外に出たくもなくなるわ」
「姫は暑かろうが寒かろうが年がら年中外に出ないじゃないの、気温はまったく関係ないわ」
いつの間にか麦茶の入ったやかんと透明なグラスを持って戻ってきていた永琳はそんな輝夜の独り言を聞くと溜息を1つつき反論の声を上げた。
「うるさいわね、そもそも外に出る用事もないんだから、当然出る必要もないでしょう?」
「健康のためには少し運動もしないと、引きこもってばかりいると体に毒ですよ、それに用事がなくてもこの素晴らしい自然と親しんだりとやることはいくらでもあります」
「はぁ、こんなくそ暑い中に外に出るほうがよっぽど体に毒よ、それに自然なら竹林で十分」
「まったく、筋金入りですね」
「そりゃあどうも、それより麦茶」
「はいはい、今入れますよ」
透き通ったグラスに小気味いい音を立てて麦茶が注がれていく。
輝夜はそんな様子を見つめながら額に浮かぶ汗を拭うといっそう高く上っていく太陽を横目で恨めしげに見ていた。
そうして麦茶で満たされたグラスを永琳から受け取ると勢いよく傾けその全てをあっという間に飲み干した。
冷たい液体がすっと体に馴染んでいくような感覚がなんとも心地よい、そんな輝夜を眺めながら永琳は終始笑顔を崩さないでいる。
「もう一杯どうですか?」
「もらうわ」
そう短く言ってグラスを差し出す。
再びやかんの口がグラスにかたむけられる、中の氷が動いて音を鳴らした。
金属とぶつかり合って奏でられる音色は不思議なことに聞く者の体温を奪っていく。
それに呼応するかのように吊るされた風鈴が風を受けなんとも快い音を発した。
これもまた音による涼、吹く風も含めるとその相乗効果は素晴らしいの一言に尽きる。
両者共にしばらく聞き入ってしまうほどだ。
「珍しいわね、氷があるの?」
「ええ、ついこの間頂いたところよ、あまり日持ちしないから使えるときに使ってしまおうと思って、やっぱり麦茶も冷えているほうがいいでしょう?」
「そうね、暑くて暑くて枯れそうなほどに喉が渇いているときに飲んだ水が生ぬるかったら嫌だもの、夏場は冷えている飲み物に限るわ」
そう言って2杯目も一気に飲み干すと身体の中から熱を追い払うように1つ大きな溜息をついた。
雲ひとつなく見上げているのに落ちていくような、そして吸い込まれそうなほどに青い空を眺める。
相も変わらず太陽は輝き続けている、手をかざしていても眩しくなってすぐに止めた。
「姫、そこは日差しが強いですよ、もう少しこちらに移られては?」
「遠慮しておくわ、なんだかんだでこれが気持ちいいから」
輝夜は自分の素足をつけている水の溜まった桶を指差すとその中で足を強く蹴り上げ水を跳ね飛ばしてみせた。
宙に舞った飛沫は一瞬だけ太陽の光を受け七色に輝くと、からからに乾いている地面に落下し黒いしみをいくつも作った。
着物の裾が濡れやしないかと心配する永琳だったが、楽しそうに足を動かしている輝夜を見るとあまり強くは言えないようだ。
それはさながら川遊びを楽しむ無邪気な子供のようである。
しかしこれはあくまで比喩である、なぜなら本人はそんなアウトドアとは天と地ほどかけ離れた生活をしているのだから。
その事に関しては永琳も危惧していた、もう隠れて生活する必要などないのだからもっと外に出たほうがいいと。
一応これを機に言ってみるのもありか、ともはや駄目元で言ってみることにした、神妙な面持ちで話を切り出す。
「ひ、姫、1ついいですか?」
「ん? 何よ」
「今度どこかへ出かけませんか? たまには外にも出ないと」
えー、と輝夜が明らかに怪訝な顔をした。
いや、この場合の怪訝の意味は間違っているかもしれない。
もはや理由を聞くまでもなく明確な拒否、拒絶の意味も持っているからだ。
やっぱりそうくるか、と予想していたにもかかわらずこの筋金入りの引きこもりを何とかしなければという思いが永琳の中で沸々と大きくなっていく。
「ですが……、先ほども言ったとおり少しは外に……」
「うーん……」
本人はあまり乗り気でない模様、駄目で元々という本来の目標を忘れかけていることに気づいた永琳は今回はこれでおとなしく引き下がることにした、のだが――
「まあたまにはそういうのもいいかもしれないわね」
なんていうものだから彼女は酷く驚いた。
あの輝夜が外に出かけることを承認したのだから当然といえば当然であるのだが。
それはそれで本人に対しかなり失礼であるため慌てて話を元に戻す。
「そろそろ博麗神社でお祭りをやる時期なのでまずそれにでも」
「お祭りって言ったってみんなで歌って踊って食べて呑むだけでしょう? ただの宴会と変わらないじゃない」
「いいえ、確かに踊ったり呑んだりはしますが少し違うんです、各員が自由に屋台を出してそこで何かを買って食べたり遊んだりするんです、縁日っていうみたいですね」
「へぇ、ちょっと興味はあるかも」
思いの他輝夜の食いつきがいい、永琳はこのまま押し切ってみることにした。
「どうです? 一緒に行きませんか?」
輝夜はしばらく唸ってみたり腕を組んだりと考えている。
「うぅ……、分かった、そこまで言うなら仕方ないわ、行くわよ、行けばいいんでしょう?」
渋々といった様子で了承したようだ。
しかし永琳はこの時壮大な達成感を噛み締めていた。
これをきっかけに外の世界の楽しさを知ってもらい自分から出かけるようになるまでになってほしい。
そこまでは無理にしろ、これで外出嫌いが少しでも直ってくれればいいと思っていた。
いかにあらゆる薬を作ることができる彼女といえど馬鹿と引きこもりに効く薬など作れやしないのだ。
「では姫、約束ですよ?」
「分かったわ、はぁ、めんどくさい……」
「まぁまぁそういわずに、あ、そういえばあなたに渡すものがあったわ」
「渡すもの? 私に?」
意味深長だけどどこか面白がっているような、そんな複雑な顔をして永琳は立ち上がり屋敷の中へ消えていった、なにやら企んでいるのは明らかだ。
訳の分からぬままそこにぽつんと1人取り残された輝夜は遠くに蝉の声を聞きながらそっと目を閉じた。
視覚による感覚がカットされたため、聴力や触覚などの受容器が鋭敏になる。
それによっていつもよりも風を体中に感じることができる、風の流れる音も聞こえてくるようだ。
頬をなでる風が心地よく感じる、ゆれた風鈴が甲高い声を上げた。
「外出……か、そういえば本当に久しぶりな気がするわ」
最後に外に出たのはいつだろうと考えていると、夜を止め偽者の月を浮かべたときを思い出していた。
あれが博麗霊夢ら人間と妖怪によって解決された後に神社へ招かれたっきりである、あんなに沢山の人達とお酒を飲んだのもは初めてかもしれないぐらいだ。
それ以降ほとんど外に出ていないなど不健康甚だしい、永琳に口を酸っぱくして言われるまでもなく自分自身が一番よく分かっていた。
なのだが外に出ない、それには2つほど理由がある。
1つは外に出る理由がない、彼女には外に出て遊ぶ友人も足繁く通う場所もないからだ。
そしてもう1つは外に出る必要がない、3度の飯はただ黙って座っていれば出てくる、自ら買出しに行き、自ら作るというような工程を踏まずとも食に関して困ることはない。
さらに当然の如く汗水垂らして働く必要もない訳で、お金に困ることも決してない。
そのような凡人真っ青な恵まれた環境が彼女に引きこもり街道を歩ませてしまったのだ。
「少しは変わらなきゃいけない、いけないんだけどねぇ……」
しばらく炎天下に放置されてた所為か内と外の温度差で大量の汗をかいているやかんから氷の動く音がする、静まり返った縁側に涼やかな音が響き渡った。
そんな音の主の銀色に光るやかんに目をやると中の麦茶が恋しくなる。
いつもは永琳に入れてもらっているがその肝心の彼女がいない。
仕方ない、自分で入れるかと取っ手に手を伸ばし持ち上げる。
「うぇ……、重……」
たかが麦茶の入ったやかん1つで腕が震えてしまっている、もしかすると自分で飲み物を注ぐこと自体初めてなのかもしれない。
プルプルと腕を震わせながら何とかやかんの口をグラスに近づけるとやっとのことで麦茶を注いだ。
「まったく……、麦茶を入れるのも一苦労だわ……」
やかんを脇に置き苦労して入れた麦茶を誇らしげに眺める、飲み物1つで誇らしげになるのもどうかと思うのだが本人にとっては偉業なのだろう。
そして輝夜はいい事を思いついたとばかりにやかんの蓋を開け中から氷を一粒取り出すと麦茶の入ったグラスに落とした。
カラン、とこれまたいい音をたてた。
「不思議ね、見るだけでも涼しくなってくるようだわ」
そうして麦茶を半分ほど飲むと今度は氷を口に流し込む、ひんやりとした感覚が口いっぱいに広がった。
それと同時に冷たいものを一度に大量に摂ると頭がキーンと痛くなる現象に襲われ輝夜は思わず頭を抱えた。
しばらくすると痛みも治まっていく、気づけばその頃には口の中の氷もだいぶ溶けて小さくなってしまっている。
奥歯で噛み砕くと案外もろく簡単に砕けて水となった。
なんとも言いがたい歯ざわりのよさにしばらく夢中になっていたが再び頭が痛くなりあっという間に現実に引き戻された。
「くぅ~っ!! 効く~っ!!」
などと痛みに耐えかね口をついてしまうほどだ、なぜだかあれはなんとも耐え難い痛みである。
そして輝夜は人生に絶望した寸劇の登場人物のようにこめかみを押さえ背中を大きくのけぞらせていた。
おぉ神よ……!! などと言えば完璧かもしれない。
「何をやっているんですかあなたは……」
と永琳が臙脂色の風呂敷を手に戻ってくるなり不気味な体勢をとっている輝夜に非難の声をあげた。
そんな彼女に対しそのままのノリでこう言い放った。
「分からぬか? ふふっ、無粋なことよ」
「巫山戯てないで、これを」
そういってそっと風呂敷の口を解き、中から淡い水色の浴衣と黄色い帯を取り出し輝夜に手渡した。
「なにこれ、着物?」
「いえ、浴衣というらしいです、すごく楽に動けて涼しいもので夏の祭りというのはこれで行くのが仕来りだとか」
「その言い回しだと、どこで買ってきたか大方予想がつくわね」
「香霖堂です」
「やっぱり」
永琳曰く以前訪れたときに一目惚れして買い込んだという。
確かに色も鮮やかで美しく質感もとてもよく出ている、彼女が気に入るのも納得がいくものだが一体いくらで買ったのか甚だ疑問である。
きっと永琳のことだから目の回る数字が出てきそうな勢いだったので輝夜は慌てて口をつぐんだ。
そんな彼女の変化に気がついたのか永琳は両手を上げ首を左右に振った。
「別にそんなに値段はしませんよ、女物なので店主には無用の代物だったそうなので安く売ってもらいました」
「ちなみに……、どれくらい?」
「これぐらい」
指で示された数字はまあ順当なものだったが、この時輝夜は自らが想像する数字の桁が違っていることに気づいてはいなった。
「そんなに気に入ったのなら自分で着ればいいじゃない、たまにはそのへんてこりんな服じゃなくてもっとおしゃれしてもいいんじゃない?」
「これは元々姫様に似合うと思って買ってきたものです、それに姫様に言われるまでもなく自分のも買っています」
一体いくら使ったのだろうかと自分の浴衣の値段の2倍の数字を計算してみたが相も変わらず桁が合っていないのは言うまでもない。
「袖を通してみます?」
肩口を指でつまみ広げてみせた。
全体を見てみると裾のほうに赤い金魚が描かれている、その鮮やかな朱色とベースの淡い水色とのコントラストが優美で美しい。
輝夜は着てみたいという興奮を抑え静かに言った。
「いいわ、当日の楽しみに取っておこうと思う」
「そうですか、ではしまっておきますね」
「永琳のはどんなの?」
「うふふ、当日のお楽しみということで」
永琳は悪戯な笑みを浮かべ浴衣をしまいに屋敷の中へと戻っていった。
手元にあった麦茶の残りを流し込むとそのまま横になる。
さすがに足元の水もぬるくなってきている、後で取り替えなくてはと思いつつも立ち上がるのも面倒なのでそのままにしておく。
「お祭りか……、気にならないではないけど外に出るのはやっぱり面倒だわ」
風が出てきたのか、風鈴が勢いよく揺れ音を発する。
床に投げ出されていた輝夜の黒髪が風に煽られふわりと舞った。
そんな感覚もどこか気持ちよくて次第にまどろみ始める、瞼を持ち上げようとしても眠気には勝てるはずもなく鉛のように重たく感じる。
「ふあぁ、ねむ……」
腕や身体を伸ばしながら1つ大欠伸をする、ここで眠るのは心地いいけど日陰に入らないとな、などと思いつつ無理やり身体を起こそうとする。
しかし抵抗しても面倒なのでそのまま寝てしまおうと思考を放棄する、そしてそのまま風鈴の音を子守唄にしながら意識までも放棄した。
・ ・ ・
輝夜が目を覚ましたのはもう日も傾きだし空も赤く燃え始めた頃であった。
板の間で寝ていた所為か床と接していた部位がやや痛む、首やら腕やら捻ると関節が悲鳴を上げた。
「痛たた……、やっぱりあの時畳の部屋に行くべきだったわ……」
体中の痛みだけでなく長時間日向で寝ていた為寝汗で着物がひどい事になっている。
湿気のせいで肌にベタベタ張り付く不快感は今すぐ全て脱ぎ捨て水風呂か何かにダイビングしたい程だ。
麦茶とグラスはいつの間にか無くなっていた、どうやら永琳が戻ってきて片付けたのだろう。
それならば起こしてくれてもよかったのにと不満に思いながらもまだ覚醒しきっていない気だるい身体を引きずりながら縁側を後にした。
廊下を歩きながらでも分かる、なにやらいい匂いがする。
その匂いに釣られるように台所へと自然と足が向いていた。
「あら姫、起きたんですか」
「ええ、あんなところで寝てたからね、おかげで汗びっしょりだわ、麦茶回収しに来たのなら起こしてくれてもよかったのに」
そう永琳に非難の声を浴びせつつ襟元に手をやりパタパタと仰ぎ身体に風を通す、そうでもしないと不快なことこの上ないのだ。
「それは涎垂らしながらあれだけ気持ちよさそうにすやすやと眠っていては起こしたほうが姫に怒られそうな気がしたので」
「怒らないわよもう、あー気持ち悪い……」
「それなら先にお風呂に入ってきたらどうです? もう沸いていますよ?」
そんな輝夜を見て名案とばかりに風呂場の方向を指差した。
「本当? じゃあそうさせてもらうわ、あ、喉渇いちゃったから麦茶用意しておいてね」
「はいはい」
苦笑いを浮かべる永琳にそう言い残し風呂場へと向かう、このまま夕食を食べようにも気持ちが悪いので仕方がないので丁度いい。
脱衣所には見慣れた服が2着きちんと丁寧にたたまれて置いてある、どうやら先客がいるようだ。
輝夜は大して気にすることもなく服を脱ぎ始める、しかし汗で引っ付いてこれがなかなか脱ぎにくい。
無理やりに引き剥がし風呂場へ入ると案の定2匹の兎がなんとも幸せそうな顔でくつろいでいた。
「あ、これは姫様、姫様もお風呂ですか~?」
と垂れた耳の因幡てゐが輝夜の姿を見るやいなや両手を大きく振った。
「姫様、言ってくれればお背中流しますので」
こちらは長い髪を団子状に纏めた鈴仙・優曇華院・イナバ、いかにも美少女というような言葉が似合う端正な顔立ちの少女である。
「ありがとうイナバ」
そう言って手近にある桶を手に取ると湯船から湯をすくい自らの身体にかけ汗を流す。
それから髪を簡単に纏め上げる、いつもは永琳にやってもらってはいるが決して自分でできないわけではない、だって女の子だし。
当然ながらこれらが温泉に入るときのマナーである、この湯船の湯が温泉かどうかは謎だが。
カコン、とどこかにあるししおどしがいい音を鳴らした、永遠亭の露天風呂はししおどしもついているのである、なんとも贅沢だ。
竹林に囲まれている為かしきりまで竹でできている、いくら覗きをする者がいないからとはいえその辺はけじめのようなものなのか。
しかし最近はそうでもない、あらぬところから鴉天狗のファインダーが狙っているかもしれないので要注意である。
「ふぅ、いいお湯ね」
「ええ、本当ですね」
ゆっくりと腰を下ろし肩までつかると条件反射のように溜息が出る。
しばらく目を閉じていたがそれだとそのまま眠ってしまうかもしれないので慌てて目を開く。
しかしそれでも睡魔が襲ってくる、風呂とは恐ろしいものだ。
「ふふ、姫様眠いんですか?」
「お風呂って結構眠くなるものよね、まあ寝たら手足ふやけて大変なことになるけど」
「ああそうですね、てゐなんてこの前寝ちゃったらしくてプカプカ浮いてたんですから」
「もう鈴仙!! その話は無しって言ったじゃない!!」
「あら? そうだったかしら? 覚えてないわねー」
「死んだフリの練習してただけよ!! 死んだフリの」
「そうなの? 私が助けたとき思いっきり寝てたような気がしたんだけど」
「むー!!」
のぼせた為か羞恥の為か、てゐが顔を真っ赤に染めて鈴仙に飛び掛った。
「あ、もうこらてゐったら!! ひゃん!? ど、どこ触ってるのよぉ!?」
目の前で水しぶきを上げながらお決まりな光景が繰り広げられている中輝夜はしばし笑顔で眺めていた。
しかしなぜだか少々イライラしてくる、お決まり過ぎる光景の所為なのか、それもあるが否、断じて否。
てゐに飛びつかれ揺れに揺れる2つの大きな胸の所為だと気がつくのにたいした時間はかからなかった。
下を向き自らの胸を確認する、それはもう比べるも悲しき断崖絶壁である。
ああ、人の身体とは残酷だ、どんなに長く生きようとも大きくならない部位は決して大きくならない、ましてや蓬莱の薬の効果で成長もしない。
そう、ずっとこのままである、それを考えるとなんとも憎たらしいこの白兎。
皮引ん剥いて今夜のおかずに一品追加してやろうかしら、少しでも私の胸の糧になるがいいわ。
などと考えてしまうほどだ、もちろん作るのは永琳任せなのだが。
「ちょっと、ゆっくりお風呂にもつかれないじゃない、暴れないでよね」
「あ、すみません姫様……」
「ま、別にいいけどね、身体洗ってくるわ」
と浴槽から立ち上がるとへばりついているてゐを払い落とし鈴仙が声をかけてきた。
「それなら私がお手伝いします」
「お願いするわ」
鈴仙は石鹸を手に取るとスポンジで泡立てる。
それを輝夜の背中に優しく当てると上下にまるで宝石でも磨くように丁寧にこすり始めた。
輝夜の陶磁のような白い肌がすぐに泡だらけになる。
それから首、肩、腕と順に優しくこすっていく、やがて鈴仙の手が前に回る。
「や、イナバ、ちょっと待ちなさい、前は自分でやるわ!!」
「いまさらなに恥ずかしがってるんですか姫様、私なら大丈夫ですから」
「あんたが大丈夫でも私は大丈夫じゃないの!! いいからやめなさい!!」
今ここで前を触られると、なんだか小さいと馬鹿にされているような気分になるかもしれない。
あんなに大きくてどうしようというのだ、邪魔なだけだと思いつつも羨ましい、そして妬ましい。
そして意識してか無意識のうちか背中に押し当てられるあの二つの憎き胸、それが自分は小さいと強制的に自覚させられるようで酷く不愉快だ。
いや小さいのは事実なのだが。
「もう、恥ずかしがりやさんですね」
「うるさいわ、半分はあんたのせいよ」
輝夜はスポンジをひったくると残りを手早くこする、その間鈴仙には髪を洗うことを命じた。
髪は女の命、と言われるほど大切なものだ、だから髪の艶なら負けないぞという虚勢をはってみることにした。
しかしそれはそれ、これはこれ、そんな敗北感を消すことなどできるはずもなく輝夜は無残に打ちひしがれるだけだった。
・ ・ ・
「永琳……、麦茶……」
風呂から上がり台所に重い足取りで戻ると永琳が不思議そうな顔で様子を見ている。
「どうかしました?」
ああ、ここにも敵がいやがったとばかりに力なく睨み付ける。
そんな輝夜を見ながらもはや訳も分からず永琳は麦茶の入ったグラスを手渡した。
なんだか機嫌が悪いのはなんとなく分かるのだが肝心の内容が分からないのだから仕方ない、永琳は特に突っ込まず平静を装うことにした。
「はぁ、大きければいいってものじゃないわ」
輝夜が唐突に口を開き吐き捨てるように言う。
「な、何の話です?」
「胸の話よ!!」
バンッ!! とグラスが小さなテーブルに叩きつけられ中の麦茶が少しこぼれた。
永琳はこの子はいきなり何を言い出すんだと呆れ果て投げやりに驚いてみせた。
「今度はどうしたんですか?」
「恵まれているあんた達はいいでしょうね、はんっ」
「達? ああ、優曇華ね、あの子に何か言われたの?」
「別に」
「……あの、……もう夕食作り再開していいですか……?」
「……いいわ、早く作りなさい、お腹減った」
そういって輝夜はすたすたと歩いていった。
嵐が過ぎ去ったように静寂だけが残された台所、そこにポツンと残された永琳は苦笑いを浮かべそこに佇むしかできなかった。
「いただきます」
楽しい夕食の時間!! の筈なのだが……
約一名、仏頂面を崩さずただ黙々と食べ進めるお姫様が1人。
そんなただならぬ雰囲気はもはや食事所の騒ぎではない、全員完全に顔を引きつらせ箸を持ったまま固まるしかなかった。
「ごちそうさま」
勢いよく箸が置かれ食器類がはねる、そしてイスから立ち上がると直ぐにその場を後にした。
「はぁ~」
一同の気が一気に抜け皆一様崩れ落ち、そして一斉に溜息をついた。
「姫様一体どうしちゃったんですか?」
「なんだか胸の大きさがどうとか言ってたわ……、でも大丈夫よ、明日になったら忘れてるから」
「そ、そうですか……」
「さ、さあ皆食べましょう!! ね!!」
とやっとここにきて食事が再開された、しかし一同その間終始顔が引きつりっぱなしだったのは言うまでもない。
ここまで殺伐とした食卓は幻想郷広しといえどもここしかないだろう。
・ ・ ・
「おーい霊夢、今日はどんだけ屋台出るんだ?」
祭りの準備が始まっているにぎやかな博麗神社、魔理沙はちらほらと屋台の組み立てを始めている連中を見回すと霊夢に問うた。
「さぁ、毎回気まぐれだからね、あんたも出したきゃ出せば? ま、あんたといえど儲けの数割は神社に寄付してもらうけど」
「相変わらず狡いやつだぜ」
「何とでも言いなさい」
今日は祭りの当日、まだ始まっていないが活気はそこそこである、こんな幻想郷の端っこまできてよくやるものだ。
しかしそれだけこの博麗神社が行事の中心にあるといえばいくらか聞こえはいい。
そこまで広くない神社だがバカ騒ぎする分にはもってこいである、が、魔除け等を行う筈の神社にここまで妖怪が集まるのも問題だが当の本人はまるで気にしていないようである。
「まあこれだけいれば問題はないでしょう、店もこれぐらいがちょうどいいわ」
「一体どれだけの人が来るかにもよるぜ? 多すぎやしないか?」
「大丈夫よ、文が例の新聞で所構わずばら撒いてくれてるから」
「そうか、なら大丈夫だな」
だいぶ日も暮れいよいよ人の数が増えてきた、あちこちの屋台が準備を始め辺りからいい匂いが漂ってくる。
「さ、もう一仕事よ、この提灯ぶら下げてきて」
「えー、何で私が」
「文句言わない、私だってめんどくさいんだから、ほらいく!!」
魔理沙はぶつくさ文句を言いながら箒にまたがると既に木と木の間などに張られた紐に等間隔にぶら下げていく。
あっという間にオレンジ色の光が会場を満たした、これぞお祭り、というような雰囲気だ。
「ほう、いいじゃないか」
「でしょう? さ、お疲れ様、ほら」
そういって霊夢はカップに入った酒と焼き鳥を魔理沙に手渡した。
どうやら戻ってくるときに屋台で購入したようだ。
「なんだこりゃ、安っぽい酒だな、こんなんで金取んのか?」
「文句言わないの」
神社の縁側に座って二人で焼き鳥をかじる。
「おかしいな、美味いぜ」
「お祭りの魔力よね、どんなに安い酒でも、どんなに安い肴でも美味しく感じる、この雰囲気が味付けしてるのかもね」
「ちょっと悔しいぜ、ん? 見ろよ霊夢、ありゃあ薬屋じゃねぇか?」
と魔理沙の指差す方向には間違いなく永琳の姿が、紺色の上品そうな浴衣を着ている、しかしなにやらきょろきょろと辺りを見回し様子が落ち着かない。
おーい、と手を振るとこちらに気づいたのか駆け寄ってくる。
「珍しいわね、あんたがこんな行事に来るなんて」
「それはどういう意味? ってちがう、それより姫を見ませんでしたか?」
「姫? 輝夜のこと?」
「ええ、途中ではぐれてしまって……」
「もっと珍しいぜ……、あの引きこもりが外に出るなんて……」
魔理沙が怪訝な顔で答える。
「放送かけてあげようか?」
「放送?」
「ええ、河童が……、にとりが作ったやつ、早苗が言うには外の世界の祭りに必要だからって言って今年から導入したのよ」
「そう……、それで姫は見つかるの?」
「本人が聞いていればね、ちょっと待ってなさい」
そういって霊夢は社へと姿を消した、そしてすぐに会場に霊夢の声が響き渡った。
「えー、迷子のお呼び出しです、永遠亭からお越しの蓬莱山輝夜ちゃん、蓬莱山輝夜ちゃん、博麗神社本殿にて保護者の方がお待ちです
おりましたら至急本殿へとお越しください、繰り返します――
「だーっはっはっはっは!! なんだそりゃ!! 蓬莱山輝夜ちゃんって、ひーっ、腹痛ぇぇ!!」
霊夢が戻ってくるなり魔理沙が腹を抱えて大爆笑している。
本人の霊夢もしてやったりというような顔でにやけている。
永琳だけが羞恥に顔を真っ赤に染めてうつむいている。
人々を見てもさすがに一般化していない為かクスクスと忍び笑いをしている人が目立つ。
「もっと言い方ってものがあったんじゃないの?」
「いや、聞いた話だとこんな感じだったわ」
非難の声を上げた永琳もあっさりと流した。
すると人の波を掻き分けこちらに歩いてくる人影が1人。
真っ赤な顔をして歩いてくる時点で思い当たる人物はたった1人、蓬莱山輝夜その人だ。
「もう姫、どこにいってたんですか……」
「それはこっちの台詞よ!! もう、あんな変な呼び出しまでして!!」
まだ縁側の木の板をバシバシとたたきながら大笑いしている魔理沙を恨めしげに睨むとぷりぷり怒りながらいった。
「ごめんなさい、でも勝手に歩いていったらだめですよ?」
「分かったわよ……、ああ、やっぱり外なんて出なきゃよかったわ……」
「はは、ごめんごめん、そのかわりにお祭り楽しませてあげるから、どうせあんた達初めてで何にも分からないでしょう?」
「あら、どうします?」
「そうね……、せっかくだし、それにそれぐらいしてもらわないと許せないわ」
「さ、いきましょう!!」
ガシッと霊夢は輝夜の手をつかむとそのまま人混みの中へ突っ込んだ。
せっかく見つけたのにまたはぐれてどうする、というような表情を隠しきれない永琳と魔理沙。
渋々重い腰を上げついていく。
と、霊夢と輝夜はなにやら1つの屋台の前で膝を折って座っている。
見れば“金魚すくい”と書いてある。
「これは何?」
「金魚すくいって言ってね、この紙で金魚をすくってこのお椀に入れるのよ、すくった金魚はもらえるって訳、やってみたら?」
そういって店の人からポイを受け取る霊夢、それを1つ輝夜に手渡す。
「こうやるのよ」
霊夢はポイを構えると壁際に追い込んだ一匹を器用にすくってみせた。
おお、と歓声をあげる一同。
霊夢は次はあんたの番よ、と輝夜を促す。
「よ、よーし!!」
と意気込むもあえなく紙は簡単に破れてしまった。
金魚すくいとはできる人のすくう様を見ていると簡単に見えてしまうもの、しかしこれがまた難しい。
濡れた紙ほど破れやすいものはない、さらにすくわれた金魚は当然の如くじっとしているわけなどなくその紙を破って逃げていってしまう。
「ちょっと、どうして紙なのよ、すぐ破れちゃうに決まってるじゃない!!」
「それをどうにかしてすくう遊びでしょう? ほら、もう一回やってみなさい」
「うん」
今度はポイに乗っけることはできたがそこで紙が破れてしまった。
すくったからといってもたもたしているとこうなってしまう、弾幕を避けるのと同じだ、慎重にやらなければいけないけれどその前提としてスピードを要求される。
いまや金魚すくいの大会なんていうものがあるぐらいだ。
輝夜は破れたポイを見つめ口を尖らせて言った。
「うぅ、おもしろくない……」
「一瞬すくえたじゃない、はあ、ダメね、次行こうか」
おもしろくもないものをやらせても意味がない、
「……お腹すいたから何か食べたいわ」
「そうねぇ、焼きそばなんてどうかしら」
そういって焼きそばの屋台を指差す、すると見知った人影がなにやら作業しているのが伺える。
鉄板の上の麺をヘラですくいあげ混ぜ込みそのままソースをぶっ掛ける、ソースが鉄板で焼けて焦げる匂いがなんとも食欲をそそる。
そこに目玉焼きを乗っけて脇に紅生姜を添えれば縁日流ソース焼きそばの完成。
見事な手つきだが、よくみれば白がかった髪に赤いリボン、お分かりであろう、そうそれは輝夜の永遠の宿敵――
「妹紅!?」
「げぇっ、輝夜!!」
思いがけず犬猿の仲の者同士が出会ってしまった。
意図せずもはや本能的に睨みあっている2人にすぐさま霊夢が仲裁に入った。
「ちょっとあんた達、お祭りまで来てなにやろうってのよ」
「止めないで、あの馬鹿鉄板に押し付けて文字通り焼き鳥にして売ってやるんだから」
「いい度胸だな輝夜、お前こそバラバラにして焼きそばに混ぜて売りさばいてやるよ」
「正直どっちも食べる気失せるわ……、じゃなくて!! 何もこんなところで喧嘩しなくたっていいでしょう?」
ふんっ、とどちらからともなくそっぽを向く。
見るに見かねた霊夢は妹紅に歩み寄ると呆れ果てた様子で言う。
「とりあえず焼きそば4つもらえる?」
「……毎度」
代金を払いパックを4つ受け取ると後ろにいる面々に配っていく。
そんな焼きそばを手渡された輝夜が不機嫌そうな顔で言った。
「妹紅の作った焼きそばなんて食べられるわけないじゃない」
「なんだとっ!?」
「なによこれ、ただ焼いた麺にソースぶっ掛けただけじゃない、これのどこが焼きそばなのよ」
「姫……、焼きそばとはそういうものですが……」
「うるさいわね、何度言おうが無駄よ、私は今お腹いっぱ――
グゥ~、と輝夜の腹の虫が盛大に唸りをあげた、笑いこける一同、そして赤くなり固まる本人。
「ぷっ、なによ、やっぱりお腹減ってたんじゃない!!」
「うぐくくぅ~、不覚……、一生の恥……、忌まわしい妹紅の前でこんな痴態を晒してしまうなんて……」
「はっはっはっ、食えよ輝夜、別に毒もったり針が入ってるなんて事ないからよ」
きっと彼女なりに安心させようとしているのだろう、しかしここまで明確に言うと本当は何かしらのものが入っていると言っているようなものだ。
輝夜は多少警戒しながらもパックをあける、ふわっと湯気が立ち上りソースのいい香りが漂う。
端を恐る恐る近づけ麺を少量つまむとそのまま口に運んだ。
「美味しい……、はっ!? ような……、美味しくないような……」
「なんだよ、正直に言えよ」
「う、うるさいわね、ふ、ふん、私だってこれぐらい、それに私のが美味しいに決まっているわ」
「素直じゃないわね……」
永琳がやれやれといった様子で首を振った。
しかし輝夜は言葉とは裏腹にすぐに全てたいらげてしまった、よほどお腹がすいていたのだろう。
「ふん、ま、空腹を満たすぐらいにはなったわ」
「ああ、そうかい、それはよかったな」
「妹紅」
「ん?」
輝夜はなにやらもじもじと身体を擦り合わせ落ち着かない、霊夢たちはもうとっくに歩き出していたが輝夜だけがそこに残っている。
そうして身じろぎしながらも意を決したように顔を上げるとぼそぼそと聞こえるか聞こえないかの瀬戸際のような声で言った。
「……美味しかったわ、……ごちそうさま」
妹紅が度肝を抜かれ驚きに目を丸くしている間に輝夜は霊夢たちを追いかけ走り去った。
祭りの喧騒の中、あの宿敵輝夜の些細な一言がどうにも嬉しくてたまらなかった。
その間にもどんどんと客は押し寄せる、ふたたび鉄板の上に麺がのせられるとその音や匂いに釣られるようにさらに人も増えてくる。
店主の気分がよくなり気前もよくなったのだろう、以降妹紅の焼きそば屋は美味い、安い、そしてさらに超大盛りと評判になり大繁盛したそうな。
・ ・ ・
「なにか気になるお店とかあった?」
「うーん、あの白くてふわふわしたやつは何なの?」
輝夜が足を止めて綿飴屋を指差した。
ちょうど店の人が作っている最中らしく割り箸で次々にあふれ出してくる綿をくるくると割り箸で巻き取っていく。
するとその塊はどんどんどんどんと大きくなり、やがては人の顔ほどの大きさになるまでになった。
「うわ……、不思議……」
「食べてみる?」
「え!? 食べ物なの!?」
驚いている輝夜をよそについさっき作っていた出来立ての綿飴を霊夢が買ってきた。
そこから一摘みちぎると自らの口に放った。
なんとも意地汚い。
「おい霊夢、そんなに買って金はいいのかよ、貧乏巫女が後先考えずに調子に乗ると破産するぜ?」
「うるさいわね、どうせこの儲け分は私のところに入ってくるんだから関係ないわ、それに私はこれでも主催者よ? 皆快く品物を提供してくれるわ」
「どうせよこさなきゃ追い出すとでも脅しを入れたんだろうよ……」
「なんかいった?」
「いや、なんでもないぜ、なんせこの騒ぎだからな、もしかしたら今の台詞をこいつが言ったかもしれないじゃないか」
と永琳を指差しいやらしそうにニヤリと笑った。
しかし当の本人はまったく耳に入れる様子もなく涼やかに笑っているだけである、祭りの独特の雰囲気を楽しんでいるのか。
あちらこちらをきょろきょろと見回したり、かき氷やりんご飴をもって楽しげに走る子供達を笑みを浮かべながら眺めていた。
現在進行形でギャーギャー騒いでいる霊夢たちとは比べ物にならないほど大人な立ち振る舞いだ。
輝夜も輝夜で目の前の大きな白い綿菓子に興味津々のようだ、おっかなびっくりといった様子で舌を出して端のほうを少しだけ舐めた。
「本当だ、甘いわ」
口に広がる甘さに顔を綻ばせると今度は口を大きく開けて綿に顔を埋めんかの勢いでかぶりついた。
しかしそこは縁日イージーシューター、見た目とは裏腹にすごくベタベタすることを知らないようで慌て顔をて引き剥がす。
出来立てとあらばそのベタベタは凄まじいものだろう。
「うあ……、なんなのよこれぇ……」
「あはは、そりゃそうよ、材料は砂糖だもの」
「え!? 砂糖ってあの白い粉の砂糖?」
「それ以外の甘い砂糖ってものがあるなら見てみたいわ」
「ふふ、あらあら」
永琳は浴衣の袖で顔を拭おうとした輝夜を制しハンカチを取り出すと代わりにそれで拭った。
甘んじている輝夜もどこか子ども扱いされていると羞恥に顔をほんのりと染めていた。
「い、いいわよ、自分でやるから!!」
「そんなこといって、ハンカチ持ってきてるんですか?」
そんなの持ってるわけないじゃない、とさも当然のような顔で返事をするのだからどうにも腹立たしい。
しかしそんな輝夜の悪態にも決して怒りを表さない永琳も凄いものである、長年の付き合いだからということでもあるのだろう。
「こりゃあ相当甘やかされて育ってるな」
横で霊夢と魔理沙が呆れた顔で眺めていた。
そんな彼女達の非好意的な視線に気がついたのか、輝夜は「なによ」と小さく睨んだ。
・ ・ ・
「さぁて、一通り回ったわね、どう? 楽しかったでしょう?」
「ま、まぁまぁね、いい暇つぶしにはなったわ」
相変わらず素直じゃないな、と魔理沙は両手を上げると小さく嘆息した。
「姫、そんなこといってさっき射的で熱くなってたじゃない」
「うるさいわねぇ、一度狙った獲物を逃すのは私のプライドが許さないのよ」
そう恥ずかしそうに怒鳴る輝夜の手には真っ白なウサギのぬいぐるみが抱かれていた。
これは数刻ほど前輝夜が狙い、何十という弾を放つもことごとく台に立ち続けた歴戦の英雄だ、しかしその何十という弾がほとんど当たっていなかったというのが事実である。
そして戦意を喪失した輝夜に代わり永琳が余り弾一発で落としたというのもまた事実である。
輝夜曰く私が反面教師になってあげたおかげね、だそうだ。
「そろそろ人も減ってきたし、今日はこの辺ね」
「霊夢」
ふいに永琳が霊夢の名を呼んだ。
「今日は一日姫の事ありがとう、とても楽しかったわ、ね、姫」
「ええ、楽しくなかったといえば嘘になるわね」
「ま、まぁとにかく、私達はこれで失礼させてもらうわね、さ、帰りましょう?」
「う……、うん」
なにやら輝夜の表情に不意に影が差した。
「どうしたんですか?」
「う、うーん……、あのね……」
つないでいた手を離すとその場に立ち止まりおちつかなげに身じろぎしながらうつむいた。
永琳はそんな彼女を心配そうに見つめ声をかけた。
「どこか具合でも悪いんですか?」
「違うの……、あの……、き、金魚……」
「金魚?」
「金魚すくい、もう一度だけやってみたいの」
輝夜は決心したように顔を上げると永琳の瞳をまっすぐに見つめて言った。
永琳は驚いたように目を丸くしたのも一瞬、ふっといつもの笑顔に戻り再び輝夜の手をとり博麗神社へと足を戻すのであった。
「え、永琳?」
「いきましょう? お店しまっちゃう前にね」
輝夜はうん、と笑顔でうなずくと握られたその手を強く握り返し駆け出した。
神社からはどんどんと人があふれてくる、小規模ながらあり得ない人の数だ。
その流れに逆らうように金魚すくいの屋台を目指す。
すると幸運なことに、まだ遊戯の途中の客がいたらしく店は健在だ。
「よかったわね姫、いってらっしゃい」
「うん、ちゃんと見ててね」
「はいはい」
輝夜はポイを受け取ると浴衣の袖をまくり上げしゃがみ込み水槽を覗いた。
「姫」
「え?」
「がんばってください」
微笑む永琳に輝夜は親指を立てて見せた。
「任せて!」
そう言うと再び水槽に目を戻す、すくわれまいと逃げ惑う金魚が赤い波のようだ。
「ようし……」
勢いよく逃げ回る金魚の中に一匹、我関せずといった様子で一人のんびりと泳いでいる金魚がいる。
輝夜はそれを見逃さなかった。
ポイを水面に差込み下からすくいあげると上手いことポイの周りのプラスチックの部分に支えられるように乗っかっている。
「や、やった!」
初めて救えた金魚に歓声をあげる輝夜、しかしその一瞬が命取りだった。
いくらのろまな金魚といえどすくわれてしまえば必死にもがくものだ。
張った紙は見事に破れそこから吸い込まれるように落下しポチャン、という空しい音が響いた。
「……また、またダメだったわ……」
「ふふ、いいえ、下を見て御覧なさい」
「え……?」
永琳のどこか優しい声に促されるように下を見る。
なんと、彼女が差し出したお椀の中に金魚が一匹泳いでいるのだ。
「おめでとうございます、姫」
にっこりと微笑む永琳に輝夜はまだ状況を理解し切れていないのか、瞬きを繰り返している。
そう、ポイを破り輝夜が取りこぼした金魚を寸でのところで永琳がお椀で受け止めていたのだ。
「おめでとうお嬢ちゃん、よかったな!!」
店のおじさんがすくった金魚と水槽の水を透明の袋につめて輝夜に手渡した。
受け取った輝夜は袋の中で泳ぎまわる金魚を見つめるとぼそぼそとつぶやくように言った。
「私、できたの?」
「ええ、お見事でしたよ」
「……ふふ、やった」
そういうと輝夜は満面の笑みを浮かべた。
そんな彼女を隣から永琳が優しく微笑みながら手を差し出した。
輝夜はその手を笑みで答えながらしっかりとつかんで歩き出す。
神社から人はほとんど消えていた、ついさっきまでの喧騒が嘘だったかのようだ。
見渡してみれば店をしまっているところもちらほらと見てとれる。
「ねえ永琳」
「なんですか?」
「たまには外出も悪くないって思ったわ」
「そうですか」
「たまによ、たまに」
「ふふ、はいはい」
静かになった神社の石段に笑いがこぼれた。
「ありがとう」
「いいえ」
煌々と輝く大きな満月に照らされ、二つの影が寄り添い家路を歩いていた。
こんな光景がこれから少しずつでも増えていくのだろうと思うと、なんだか嬉しくてくすぐったいような気分の永琳だった。