キスメが行方不明になった。
「キスメぇぇぇ、帰ってきてくれ、キスメぇぇぇ!」
「私と勇儀が悪かった! だから、帰ってきて頂戴よぅ、キスメぇぇぇ」
紅い館の麓にて行われている、何時も通りの大宴会。
何時もと違ったのは、星熊勇儀と伊吹萃香が空の桶を前にしてプラトーンばりの嘆きをあげている事であった。
つまり、両膝を地面につき諸手を挙げている。
どう贔屓目に見ても不審者だ。
「監督不行届きってヤツ? パルパル、私たちは気をつけようねぇ」
「子どもなんて妬ましい存在、私が目を離すと――って、言い方可笑しくない!?」
「可笑しくない可笑しくない。でもさ、キスメが桶から離れるなんて珍しいよね。どうかしたんかな」
因みにパルパルと呼ばれた少女は子持ちではない。念のため。
近くで飲んでいた黒谷ヤマメと水橋パルスィが、鬼の叫び声を聞きつけて傍までやってきた。
未だ声を上げ続ける鬼の肩越しに、件の桶を眺める。
言葉の通り、其処にキスメはいなかった。
鬼の嘆きは続く。
「ちょっと、ちょっとかわいこちゃんたちと弾遊びに夢中になっていただけなのに……!」
「あぁ畜生! 酒が、おねーちゃんに注がれる酒が旨いのがいけないんだっ!」
前者は勇儀。後者は萃香。
「屑だね」
「屑ね」
背後からの叱責の言葉と視線に、屑もとい鬼は手さえも地面についた。
滅多に見ない――初めてかもしれない――震える肩に、流石にどうかと思ったパルスィが空咳を打つ。
どんよりとした虚ろな双眸が向けられ多少気後れするも、どうにか口を開いた。
「叫んでたってキスメは戻ってこないみたいだし、少しは建設的に行動しなさいよ」
提案に、鬼がゆらりと立ち上がる。
今しがたまで沈んでいた面影は既にない。
並び立つ姿は雄々しく、故にパルスィは慣れ親しんだ感情で彼女達を見る。
肉眼でさえ視える『力』は、実に妬ましかった。
「くくく……私たちからキスメを攫うヤツ……いい覚悟をしている」
「ふふふ……久しぶりに全力でもみじおろしの刑だ」
でも、要らない。
「ち、ちょっと待ちなさいよ! 人……じゃないけど、攫われたって決まった訳じゃないでしょう!?」
悲鳴にも似た絶叫をあげるパルスィ。
鬼の瞳は昏く、ふしゅるふしゅると荒い息が零れている。
溢れ出る妖気は地底に住む彼女にさえ鳥肌を立たせる程、禍々しいものであった。
こいつら絶対有無を言わさず体に聞いてくる……!
ぐるん――と、首が向けられた。
「おめぇがぁ!」
「鬼舐めてっといてまうぞぉ!」
「ひぃ、い、いやぁぁぁ!?」
迫りくる勇儀と萃香の形相に、パルスィは弾幕を張る事も忘れ後退する。
萃香の手は届かない。けれど、勇儀の手は届いた。
体格の差である。
――が、絡め捕られたのは、当の勇儀と萃香。
「感情に狂ったヤツを手玉に取るのはお手の物」
絡め捕ったのは、蜘蛛の糸。
「や、ヤマメ……その、ありがとう。少しだけ、格好良かったわ」
伏し目がちに告げられる礼に、ヤマメはにこりと笑う。
視線をパルスィから鬼に向け直し、人差し指を天に向ける。
蜘蛛は諭すように、ゆっくりと鬼へと告げた。
「要約すると、ヒトの女に手を出すな」
「前言撤回、誰があんたの所有物かー!」
「だってさっきのパルパルの事はがぁ!?」
覆う雲のように、蜘蛛が空を漂った。
「キスメぇぇぇ、何処に行ったんだ、何処に行ってしまったんだぁぁぁ」
「うぅ、うぅぅ、涙で桶が一杯になってしまいそうだよぅ、キスメぇぇぇ」
Take2。
ヤマメの糸から逃れた鬼は再び空の桶に向かい絶叫をあげた。
ループしているのは、齢千年を越える彼女達でさえ経験のない事であったから。
……或いは、酔っぱらい特有の行動かもしれないが。
パルスィが声をかけようとして、ヤマメに止められる。二の舞が目に見えていた。
大地を揺るがすような二つの嘆きが続けられる。
――今、この時までは。
「話は聞かせてもらったわ!」
鬼達の後方、乱立する木々からすぅと現れる影三つ。
鬼は振り向き、蜘蛛は目を見張り、橋姫は小首を傾げた。
「……えーと、誰だっけ?」
「パルパル、知らないの!? あの方たちこそ――」
進み出てきた彼女たちを、月の光が柔らかく演出する。
「乳は硬いが、乳は出た」
「女手一つで世界を育てたわ」
「あぁいけないわ、私には幼い妖夢がいますのよ」
順に、土着神・洩矢諏訪子、魔界神・神綺、亡霊嬢・西行寺幽々子。
誰が呼んだか、呼び始めたか。
彼女たちこそは――。
「幻想郷お母さん‘s!」
勇儀と萃香は、その滲み出るような母性に救いを見た気がした――。
「……知らないわよ。それに、西行寺は違わない?」
「いやいや。あの項は未亡人の項だからね」
「え、参加理由それだけ!?」
それだけ。
幽々子と神綺が萃香と勇儀の手を取り、立ち上がらせる。
諏訪子が各々の背を優しく撫でた。
微笑む三名に鬼は頷く。
あれほどまでに喚いていた鬼を静かにさせる彼女たちの技に、パルスィとヤマメは拍手を送った。
「キスメがちぃとばかし目を離している隙にいなくなった……と」
「勇儀も萃香も騒ぎ過ぎよ。こう言う時に慌てては駄目」
「深呼吸して頂戴。……ほら、落ち着いたでしょう?」
既に匠の域である。
「小さい子がてってこてってこ歩いていくなんてよくある話よ」
「アリスちゃんも何時の間にか独り立ちして、アリスちゃーん!」
「神綺! あんたが泣いてどうするの! ひっひっふー、ひっひっふー!」
ひっひっふー、ひっひっふー。
「あ、また産んじゃいそう……」
アリスをか。
世界をか。
いやいや。
「――はい、冗談は置いておくとして!」
お母さん`s最年長の諏訪子が手を打ち、周囲の視線を集める。呼吸法を口にしたのも彼女だが。
「落ち着いたら、次は行動。勇儀、キスメの行動範囲はどれくらい?」
「へ? えっと、広くはないね。そんなに遠くには――」
「甘い! 甘いよ、勇儀!」
腰に両手をあて、諏訪子が勇儀を窘める。
かなりの体格差がある筈なのだが、何故だか勇儀には諏訪子が自身よりも大きく感じた。
母の愛は偉大なり――そう言ったところであろうかと、素直に言葉を待つ。
「いいかい、子どもって言うのは知らない内にどんどん遠くに行っちまうんだよ。なぁ、幽々子」
「そうね、諏訪子。ウチの妖夢も何時の間にか永遠亭を始めとして……永遠亭を始めとして……?」
「早苗もさ! 紅魔館に行ったり魔法の森に出かけたり神社に泊ったり、幻想郷を飛び回っている!」
両手を広げ親指を畳んだきり、壊れたテープレコーダーの様になる幽々子。
断わっておくが、妖夢の行動範囲が狭い訳ではない。
瑣末な事と報告をしていないだけである。
幽々子を放置し、諏訪子は続ける。母の愛は時に厳しい。
「勇儀、萃香。視線をもっと広くするんだ」
諏訪子は両手を広げながら語る。細い腕は、けれど、逞しく思える。
「でないと、子どもは捉えきれないよ」
そして、浮かぶ笑みは優しい。
鬼は顔を見合わせ、こくりこくりと頷き合う。
「礼を言うぞ、諏訪子」
「私たちはあの子を甘く見ていた」
「我が力を用い」
「我を幻想郷の全てに飛ばし」
「――私たちはキスメを探し出して見せる!」
拳を打ちつけ合う彼女たちに、諏訪子は一層柔らかい微笑を浮かべた。
彼女の後ろに、神綺と幽々子が穏やかに並ぶ。
カリスマが迸っていた。
「うふふ、冥界は受け持ってあげるわ」
「私は魔界を当たってみるわね」
「山は、任せな」
「すまんな。この恩は必ず」
「鬼の約束だ。決して違えぬ誓いをたてよう」
言葉を受け取り微笑みで返し、三名は黒い空へと飛んでいった――。
「よし、萃香、私たちも急ごう」
「あぁ、勇儀、とりあえずは地底だ!」
愛し子を探す為、鬼たちもまた、飛び立つ。
直前、足を掴まれ地に落ちる。
へぶら。
「な、何しやがる、パルスィ、ヤマメ!」
「鬼舐めてっといてまうぞぉ!?」
「それはもういい」
すぅはぁすぅはぁ、はーひふーへほー。
「はい、落ち着いた」
「ヤマメ、最後の、何?」
「パルパル、話を進めたいから後でね」
素直に従い口を閉じるパルスィ。このままでは勇儀に引きずられるのが目に見えている。
「えっとね、おフタリさん。目ぇ広げるのはいいけど、まずは近くを探そうじゃないか」
提案に、鬼の動きが止まる。
広げられた目から鱗が落ちた。
彼女たちは騒いでいただけで周囲すら探していない。
苦笑しながらヤマメは続ける。
「パルパル、キスメの『力』、探せない?」
「やってはいるんだけど……駄目ね。此処は妖気が多すぎるわ」
「そっか。仕方ない、私たちは南半分回るから、あんたたちは北――紅魔館や廃洋館の方ね、頼むよ」
建設的な意見。
だったが、鬼は首を横に振った。
意見にではなく、言葉に、である。
萃香はミニ萃香を渡しながら、勇儀は頭を下げながら、言う。
「頼むのは私たちの方さ」
「巻き込んじまって、悪いね」
「いやいや。キスメは友達だからねぇ」
「今、あの子に向けられる感情が妬ましいだけよ」
既に歩き出していたフタリは振り向き、ヤマメは笑い、パルスィは肩を竦めて返した――。
フタリと別れてから、数分。
「キスメぇぇぇ、きぃすぅぅめぇぇぇ!!」
Take3。
情報の一つもつかめない事もあって、再び勇儀は声を張り上げていた。
嘆く姿に普段の威厳やらカリスマやらは見受けられない。
瞳には涙さえ浮かべそうだった。
その勇儀の袖を引き、萃香が語りかける。
「なぁ、勇儀。キスメは、もしかしたら、私たちに呆れたんじゃないかな」
「な……!? どういう意味だ、萃香っ!」
「いや、そのまんま」
指を折り曲げて伝える萃香。
弾遊び。酒。女。
呆れる要素は揃っている。
「……女ばっかりだけどなぁ」
「まぁ、其処は省くとしても」
「いやさ、萃香。とは言え、今するべきは反省じゃないだろう」
雄叫びをあげるのもだろうだろうと思いつつ、萃香は勇儀の瞳を真正面に捉える。
「呆れて、姿をくらませた。だとすれば――」
勇儀は視た。
萃香の双眸を。
込められた覚悟を。
腰から愛用の瓢箪を掴みあげ、萃香は吐きだす。その手は、微かに震えていた。
「――私が、酒を」
「萃香ぁっ!!」
怒号。
大気は震え、木々は揺れ、空は雨を零した。
勇儀の声は、或いは先程からの嘆きよりも大きかったかもしれない。
萃香の胸倉を荒々しく掴み、眦を吊り上げながら続ける。
「いいか! 私たちは鬼だ! 言葉を口に出したが最後、それは守らなければいけない!」
萃香は視た。
勇儀の双眸を。
頬へと流れる水滴を。
勇儀の手も、萃香と同じく震えていた。
「わかっているよ」
「わかっちゃいない!」
「わかっているんだ……」
手が、両肩に移される。
勇儀は縋るように萃香を押さえた。
『力の勇儀』と呼ばれる面影は、ない。
「だけど、それでも、キスメが戻ってきてくれるなら――」
だから、萃香は労わる様に包み込む。
「――私は、酒を一日、断つ」
「ばか……やろう……!」
「誰が野郎だぃ」
彼女達の頬を伝う水滴は、とても、とても暖かった――。
「なんであんたたちはそう、大げさなのよ」
「ヒトの事は言えないような……」
的確な突っ込みが横合いから飛んでくる。だが、勇儀と萃香は口々に反論した。
「んだと! じゃあ、あんたたちは毎日の緑茶を止められるのか!」
「その腋だしスタイルと同じく、萃香にとって酒はアイデンティティなんだぞ!?」
針と札が取り出され、けれど、瞬時に抑えつけられる。
「アイデンティティの定義を述べてみろー!?」
「私たちも解らないと思いますが」
「うがー!?」
木々の間から現れたるは、腋巫女と腋祝。訂正。腋巫女と風祝。
「あぁぁぁ、なんかムカツク!?」
「霊夢さん、ヒッヒッフーヒッヒッフー」
「それはもう、あぁうん、守矢の深呼吸は全部そうなんだ……」
鬼が突っ込みに回った。
「ふー……。ん、よし。で、あんたたちは何を騒いでるのよ」
与太話を切り上げ、霊夢が問う。早苗も追随して頷いた。
勇儀と萃香は経緯を細大漏らさず伝える。
自身の非さえも包み隠さず明確に口にした。
愛し子が見つかるのならば、叱責される事も厭わない。
全てを聞き終え、早苗は鬼の手を取る。
「微力ながら、ご協力いたします」
「微力なもんか。有難い」
「霊夢さんも――?」
振り向いた早苗が見た霊夢は、難しい顔をしていた。口をへの字に曲げ、眉間に皺ができている。
問いかけようとする早苗の肩を、萃香と勇儀が押し留めた。
「霊夢は博麗の巫女。妖怪退治が仕事さ」
「特例でもない限り、妖怪の手伝いなんて出来んよ」
優しい口調は、霊夢に非の思いを抱かせない為。
解っているから、早苗は拳を固く握った。
肩にかかる手を払い、強い語勢で返す。
「私の――」
「や、そういうんじゃなくてさ。腑に落ちないのよ」
口をパクパクさせている早苗を不思議に思いつつ、霊夢は萃香と勇儀に向かって、言う。
「なんで、あんたたちがキスメの保護者になってんの?」
大気は歪み、木々は捻じれ、天が雷鳴を放った。
「霊夢さんは、そんな方ではありません!」
「早苗。童ヒトリの為に、博麗の掟を曲げさせるつもりかい?」
「そんなつもりは……! けれど、あぁ、私の言葉は霊夢さんを傷つけているだけ……!?」
顔を覆い崩れる早苗の肩を、萃香と勇儀が優しく抱きこむ。
霊夢、蚊帳の外。
「ちょっとこら、よっぽど今の方が傷ついてるわよ!?」
「ほら、霊夢もあぁ言っている。そんなにあいつは弱くないさ」
「霊夢さん……! 私、私、貴女に見合う強さを手に入れます……!」
誓いが立てられた。違える事はないだろうと鬼が微笑む。
繰り返す。霊夢、蚊帳の外。
「いい加減、泣くわよっ」
「是非っ!!」
「早苗!?」
鬼が空咳を打ち、早苗も続く。
「キスメは萃香の娘だ」
「キスメは勇儀の娘でもある」
「故に、キスメさんはおフタリの娘さんです」
言いきった。
「あ……そぅ」
完璧な証明式に、巫女も口を噤んだ。
鬼と風祝はその様に満足している。
もういいや。
「――解っているのは、キスメさんが桶を残して消えてしまった事だけなんですね」
「あぁ、そうだ。今、山と冥界と魔界も探して貰っている」
「ん――地底と竹林の方も行ってくれているみたい」
瞳を閉じながら、萃香。方々に放っている自身により情報が流れ込む。
「追加。里とあぁ、幽香も手伝ってくれてるのか。丘と畑も大丈夫だね」
――捜索範囲無駄に広すぎない?
――地底はさとり、里は慧音として、竹林は誰よ。
――……あぁ、輝夜と永琳か。あいつらも子、と言うか兎煩悩だったわね。
霊夢は絶えず浮かぶ心の声を押し留めた。またハブられるのは勘弁願いたい。
「北方面はお二方に任せるとして……、私たちは魔法の森の方に向かいましょうか」
「や、森は大丈夫でしょ。キスメ、毒性にはある程度強いだろうし。それに――」
「アリスさんや魔理沙さんも、今日は帰られていましたね」
「……ん。だから、北の方は私たちが行きましょ」
「わかりました」
トントン拍子に決められる捜索範囲に、傍らの萃香と勇儀が首を捻る。
顔を見合わせ、一拍後、問うた。
「なぁ、霊夢。結局、あんたも手伝ってくれるのかい?」
「それに、さっき早苗が言ったとおり、北は私と萃香で回るぞ」
小雨になっていた空に浮かび上がりながら、霊夢と早苗は応える。
前者は面倒そうなそぶりを見せた。
後者はくすくすと笑った。
「酒を飲まないあんたたちとか、不気味すぎ。
それと、私の勘じゃ、やっぱりこの辺りが怪しいのよね」
「ですが一応、北の可能性も当たってみないと。
それに、キスメさんが迷子になられているなら、早く会いたいのはお二方でしょうし」
二人と別れてから数分。
「キスメキスメキスメキスメキスメキスメキスメキスメキスめきスメきすメキすめきスめきすめぇぇぇっ」
Take4。
ゲシュタルト崩壊を起こしそうなその連呼は、しかし、しっかりと探しビトを呼んでいた。
だが、幾ら小石をひっくり返した所でキスメは出て来やしない。
それでも、勇儀は叫び続けた。
そんな鬼の肩を、木の洞を覗いていたもう片方の鬼が掴み振り向かせる。無論、洞の中にもキスメはいなかった。
くちゅ、と音がする。
「キス、め……」
頬を染める勇儀。
「――って、小芝居してる場合じゃないだろぉぉぉ!」
「勇儀! そっちの岩陰にいるかもしれないよ!?」
「キスメェェェっ!」
咆哮が迸り、繰り出される拳により岩が粉砕される。裏に回るのも煩わしい。
キスメはいない。
焦燥感が走る。
恐怖心が芽生える。
絶望が、振りかかる。
「是だけ探しているのに何処にもいないなんて……!」
「畜生、こんな時にキスメがいれば釣瓶落としの『力』でキスメを探せるのにっ」
崩れ落ちそうな感情を抑え込むため、萃香は奥歯を噛みしめ、勇儀は木を殴りつけた。自然破壊も甚だしい。
「事情は知らないけれど、随分と落ち着きがないわねぇ」
――ゆらりと空間が捻じれ、其処から現れるモノがいた。
「紫!?」
「はぁい、こんばんは。何事?」
「あぁ、普段ならいざ知らず、今はあんたの手も借りたい!」
酷い言いざまだ。
苦笑いを浮かべる結界の大妖に、萃香と勇儀は事のあらましを告げた。
聞き終えた妖怪の賢者は、顎に手を当て、少し険しい表情を浮かべる。
ついぞ覚えのない顔立ちに、鬼は不安を駆りたてられた。
もしかしたら、と前置きをし、紫が口を開く。
「攫われた可能性も考慮に入れておいた方がいいかもしれないわ」
地雷。
――とはならなかった。
「馬鹿を言うな、紫! 鬼から童を攫う奴が何処にいる!?」
「そもそも、キスメが貴女たちの童って前提が可笑し――」
「それに、此処は幻想郷だぞ!」
紫の導き出した可能性は、彼女たちにとって魅力的ではあった。
いくら探しても見つからない現状、何者かの介入があると思えれば楽になれるだろう。
けれど、勇儀と萃香は口早に否定した。
理由は、萃香の叫びの通りだ。
「この『楽園』に、そんな事をする奴ぁいないっ!」
鬼全否定。
世界に向けられる絶対的な信頼に微苦笑しつつ、紫はそれでも言葉を続ける。
何故なら、彼女にとって彼女たちは友人であったから。
何故なら、彼女にとって彼女も愛し子であったから。
「感情のままに可能性を捨てるのは賢い選択ではないわね。
闇雲に探し回るよりは、少しでも芽があることを考えた方が賢明よ。
……まぁ、確かに、童とは言え妖怪を攫えるような存在なんて、そうはいないけれど」
連ねられる言葉と小さく肩を叩かれた事によって、鬼に少しばかりの落ち着きが生まれる。
萃香が腕を組み、勇儀は唸った。
「鬼さえも怖れない……むぅ」
「妖怪ですら攫う存在……はて」
もう大丈夫だろうか。
紫は思い、自身も捜索の為、空間を開く。
童の事は童に聞くのが一番だろうと、彼女は式の式の元に行こうかと考えていた。
隙間に消えゆく紫――だったが、肩を掴まれ、振り向かされる。
「何? 礼は要らないわよ?」
視界に入るのは、ハイライトが消えた二つの双眸。
「紫……」
「まさか……」
「あれ、私、容疑者?」
条件は当てはまる。
「お、落ち着いて、萃香、勇儀!? 冷静になりましょう!」
「クールになれクールになれクールになれ……」
「それじゃ駄目よぉぉぉ!?」
叫びながら後退しようとする紫。
だが、肩は先程のままであり、つまり、掴まれていた。
掴んでいるのは、数多いる幻想郷の妖怪の中でも間違いなくトップクラスの腕力の保持者。
抜け出せない。
「そもそも、私にどんな謂れがあって――」
「……『神隠しの主犯』」
「否定できないー!?」
もう駄目だ。
鬼が力を溜め始めた。
濡れ衣だと思いつつもそれで納まるのならばと、紫は友人たちの怒りを受け入れようと覚悟を決めた。
「ねぇ、萃香、勇儀。一つだけ、言わせて」
毅然とした眼差しを崩さず、口を開く。
「私は、攫うより、覗いて楽しむタイプよ」
「胸張って言ってんじゃなぁぁぁい!」
「のぞきはろまーんっ!」
萃香の右を勇儀の左を腹に打ち込まれ、紫は北の方へと水平に飛んでった。
「くそっ、紫でもないなら、やっぱり攫われたって線はないか……!?」
左手に右拳を突き立てながら、勇儀。
パンチングコミュニケーション。
殴れば解る。そんな感じ。
勇儀と同じく、萃香もまた、苛立ちを募らせていた。
――今、この時までは。
体が震える。
がくがくと震える。
寒さからか。否。怒りからか。否。
「萃香!? 酒が切れたかっ!」
「いや、ま、まだ大丈夫だよ……っ」
「良かった……幻想郷崩壊の危機は免れた」
断酒による禁断症状でも、ない。
勝手に鳴ろうとする奥歯をどうにか抑え込み、萃香は勇儀の袖を引いた。
「良くない……いや、良いのか……? 私には、私にはわからないよ、勇儀!」
「どうしたんだ、萃香! ――! まさか、キスメの身に何か……!?」
「見つかったんだよ、見つかったんだ……」
萃香の表情には、普段の彼女らしさが見当たらない。
にやにやとした酒飲み独特の笑みが浮かんでいない。
勇儀の知る萃香の表情では、なかった。
告げると言うよりは零れる。
「ヤマメが見つけてくれた……。キスメの、服だけを……」
一瞬、勇儀にはその意味が解らなかった。
「え……?」
「だから、キスメは今……っ」
「え、あ……すい、か……? つ、まり――」
萃香と勇儀の声が、震えながら、重なる。
「すぅっぽんぽぉぉぉんっ!?」
ええ声であった。若干、悦びの感情が混じっている。萃香が震えていたのもソレ。
「攫われたんじゃないなら、ふ、不純異性交遊中!?」
「や、女しかいないし! 不純同姓交友じゃないカナっ!」
「なんでお前は嬉しそうなんだよぉ!? おぉぉお母さんは許しませんよ!」
「嬉しくはない! キスメの初めてはママが欲しかったんだから!」
「ど、やかましぃぃぃ!?」
勇儀、フルスイング。
萃香、ダッキング。
両雌、睨み合い。
ひっひっふー、ひっひっふー。
「まだ、まだ間に合うかもしれない!」
「ちょっとだけなら再せへぶら!?」
「ヤバい事口走るなぁっ!」
萃香、ダックキング。頭の上にひよこが回った。
勇儀がヤマメのいる方向――南へと、一直線に走りだす。
乱立する障害物は易々と薙ぎ払われた。
『力の勇儀』は今、全力全開だ。
「キスメキスメキィスゥメェェェッッッ!!」
「あががががががががっ!?」
萃香も同じく、全力全壊だった。
「あ、勇儀、と萃香だったモノ。此処で見つけ――」
「あぁ!? 確かにこのブラウスはキスメの!」
「因みに、ドロワはなかったよ」
「そ、そう。最悪の事態は免れたか……?」
「いやぁ、どうだろう。足首に残すのは基本――」
「――貴女も、ヤマメだったモノになる?」
「パルパルにヤられるなら喜んでイっちゃうけど。どうだった?」
微妙な発音に拳で応え、パルスィは勇儀に、苦笑を浮かべながら告げる。
キスメの居場所を。
「あっちの方。
遊んでたんじゃないかしら。
今は、可愛らしくて妬ましい子たちと、み――」
言い終わる前、既に鬼はいなかった。
はたして、其処に勇儀と萃香が求めるモノがいた。
雨が止み、降り注ぐ星々の煌めきが彼女の髪を美しく彩る。
鬼は濡れる事も気にせず、駆け寄った。
感極まり、彼女たちは強く抱きしめる。
頬には、弾いた水滴と同じような、けれど、少し塩辛いモノが伝っていた。
「キスメ、会いたかった、会いたかった……!」
「ごめんね、ごめんね、キスメ。寂しかったよね。もう離さないよ!」
「……はは、違うよ、萃香。パルスィが言っていたじゃないか。『遊んでいた』と」
「そうか、そうだったね。内気で人見知りなキスメが……ふふ、諏訪子たちの言う通りだ」
「あぁ、身も心も、何時の間にか大きくなる」
鬼には、心だけではなく、抱きしめている体まで大きくなっているように感じられる。
「だけど、なぁ、キスメ。だけどな」
「今日は、今日だけは、私たちと一緒に帰っておくれ」
「お前の桶を、そう、空の桶の儘、一緒に帰っておくれ」
勇儀と萃香は、心から、伝える。
「このまま、愛するお前を、抱きしめながら帰らせておくれ」
――周りの者たちに手を振り、三名は其処を後にした。
彼女たちの望みどおり、キスメの桶は空桶の儘だった――。
「紫。いきなり奇声をあげながら吹っ飛んできた紫」
「ふ、ふふ……結界で止めてくれて、ありがとう、霊夢」
「ミニ萃香さんから事情は聞いています。――ですが、紫さんに悪いニュースが……」
「良いわ、言ってみなさい、早苗」
「キスメさんは、単に遊んでいただけだったようで、だから、その……」
「あー、つまり、あんたは殴られ損だったって訳ね」
「そう。いいニュースじゃない」
「……え?」
「攫われた子なんていなかった。今日一番のニュースだわ」
「ゆ、紫さぁーん!」
「ふふ、早苗、抱きつかないのぉぉぉぉぉ!?」
「真面目に痛そうなのに言いきれるのは、ちょっと格好いいと思わないでもないかしら……」
二名が暴風のように現れ、三名が疾風のように消えた後。
「……えっと。何だったのかな」
黒に近い緑色の髪をした少女――リグル・ナイトバグが呆然と呟く。
「言葉から推測するに、キスメを探してたんじゃない?」
「でも、私たち、ちゃんと離れる前に声をかけたわ」
「ふに……聞こえてなかったのかも」
順に、ミスティア・ローレライ、ルーミア、橙。
ミスティアとルーミアの髪色は濃くなっていたが、橙は変わっていない。
難しい事ではない。単に、橙は化け猫故水が苦手であり、其処に入っていなかったからだ。
ざぱぁと音をたて、ソコに潜っていた少女――チルノがきょろきょろと辺りを見回す。
「なになに、何かあったの?」
「うん。キスメが萃香と勇儀と帰っちゃった」
「え……何時の間に!?」
「だから、チルノが潜水勝負をしている間にだって」
チルノの質問に、ルーミアと橙が応える。
やり取りに苦笑と笑みを浮かべながら、ミスティアとリグルは語り合う。
「凄い形相だったねぇ」
「もう、そんな言い方しないの」
「じゃあ、鬼の目にも涙?」
「雨……は止んじゃってるから、飛沫だよ」
「そー言う事にしときましょ」
こら、と向けられる拳を喜んで受けた後、ミスティアはぽつりと呟いた。
「愛されてるねぇ、キスメ」
「……うん」
なんぞ声がした。
「え?」
「あれ?」
「なんで?」
ミスティアとリグル、橙が疑問符を張り付けた顔で止まる。
「そーなのかー?」
だから、小首を傾げて問うルーミアに応えたのは――。
「……そう、なの。勇儀様も萃香様も、一杯、愛してくれる」
「むむ! あたいだって、一杯アイされてるもんね!」
「ふふ。ちょっと、おっちょこちょいだけど、ね」
――『湖』に浸かっていた事により、髪の色が深緑より濃くなっていた、桶娘・キスメ。
「ね、お姉ちゃん! ……あれ、お姉ちゃんは?」
「えええええええええええええええええええ!?」
チルノの質問に応えるべき少女は、
キスメよりも少し大きい背をした少女は、
そして、普段は薄い緑色の髪が深緑になっていた少女は、いなかった。
【少女――中】
数時間後。
がくがくと震えながら戻ってきた勇儀と萃香は、キスメを見るなり只管頭を下げた。
桶娘はくすくす笑いながら双方に飛び付き、挟まるような形で頬を寄せる。
温かい体温を感じ鬼の表情に生気が戻り、笑みが浮かべられた。
結局。彼女たちは彼女たちの望みどおり、桶を空にして、空桶の儘、帰って行ったのであった――。
<了>
しかし…凄いテンションですねあの二人は。
キスメへの愛情というのもあるのでしょうけどねぇ…。
他の人達も良い感じに弾けてて面白かったですよ。
萃香だったものとか、キスメの能力で探そうとしたりとかw
しかし、ここは新たな夢子さん(メイド)をば!!
が
> 「キメェェェ、帰ってくれ、キメェェェ!」
に見えて噴いてしまったw
しかし何と言う親馬鹿