Coolier - 新生・東方創想話

待ち合わせの時間、夜明けの時間

2009/06/26 21:49:16
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 夢にまで割り込んでくる気だるさを感じて、妹紅は目を覚ました。ぼんやりと、穴が開いた家の天井が映る。
 最初はぱちりと目を開いただけ。
 まだ眠いのか、閉じた。また目を開ける。しばらく経っても目は閉じられない。やっと、目を覚ましたみたいだ。いや、目だけが覚めたみたいだ。

 声を漏らす。水の中で聞く音のように、自分の声が頼りない。

 頭がまだ起きていない。まだ起きる時間じゃない、寝たいんだと言っている。
 もう一度目を閉じようと思った。
 どうも気が進まない。

 だるい日はとことんだるい。のんびり寝ていたいのだ。でも、そんな日はもう何十年と続いている。
 続いているのだから、もう一度目を閉じたって眠れないことを知っている。熟睡なんて自分にはありえないのだ。

 あの日から、ずっと。ずっと、妹紅は真夜中の時間を生きている。
 朝が来ても終わらない、永遠の真夜中の時間を。


 【待ち合わせの時間、夜明けの時間】


 古びた機械の悲鳴にも似た、骨と筋肉が働く音。二つの音よりもすこし遅れた妹紅のうめき声。
 三つの音は混ざり合い、目覚ましとなる。妹紅の頭をはっきりと目覚めさせるための、だ。

 自分の声で起きるという妙な経験も、もう慣れてしまった。
 一度慧音の授業を受けたとき、同じような経験をした覚えがある。
 ちゃんと眠れていないとこういう経験をする。気づいたのは一体いつのことだったか。

 十分に眠れていない、か。
 別にたいしたことじゃない。食べる必要も、トイレに行く必要も、寝る必要もない体をしているのだから。

 空腹はあの日から感じていないから気にならない。
 トイレなんてもっとどうでもいい。気づいたらもらしていた、なんてこともないからどうでもいい。どうせ体がどうにかしたんだろう。

 寝る必要――やっぱり必要ない。だけどおとなしくしていたら自然と寝ている。何もしなくてもできることなのだから、これだけは欠かしたことがない。

 ずっと眠っていられば、どれほどたのしいだろうか。目を覚ますことなく、ずっと、ずっと。
 よければ私に、眠りの魔法をかけてくれないかな。王子様のキスなんていらないから、死体のように放っておいてほしい。

 願っても時間は許してくれない。毎日決まった時間だけ私を眠らし、決まった時間になったら味のない日常に放り出す。

『生きてるってすばらしい!』

 昔、大声で宣言してるやつがいた。
 そう、じゃあ代わってよ。何日か私と状況を交換しただけで、生きることの味気なさがわかるはずだよ。

 家の外で、鳥がたのしそうに鳴いている。もううっすらとしか覚えていないほど昔、鳥の声の美しさを歌にしたことがある。貴族をやめてからやらなくなった。
 かわりに、歌声に耳を澄ませては鼻歌を重ね、鳥たちとの合唱をたのしんだものだ。

 ところが、あの日――。あの日から、私は持っていたすべての風流心を失ってしまった。
 鳥の声なんて雑音でしかない。夜に聞こえる虫の声だって、もう子守唄じゃなかった。

「ああ、うるさいなあ……」

 むしろ、鬱な私に対する嫌味にも感じるくらいだ。
 気にしてしまうと余計に気になって、もはや無視できない。うっとうしくてうっとうしくて、妹紅は扉を蹴破るように開いた。灰色の曇り空が映る。

「うるさい!」

 扉の音と入れ替わりに翼の音が耳に刺さり、やがて聞こえなくなった。なぜか、すこし物足りない気持ちになった。
 だけれど、またすぐに不機嫌になる。

 ――ぴー、ぴー。

「はあ……」

 かなり遠いところにいるのに、ふしぎと耳に届く。
 すうっと息を吸い込む。久しぶりに森の空気が肺の中を満たした。そしてもうひとつ、人里から流れてきたと思われる昼食のにおいが。

「焼き鳥にするぞッ!」

 自然の音とはほど遠い声。鳥はまだ鳴く。まるで妹紅をバカにするかのように。
 もう一声叫ぼうとする妹紅。
 ところが、『焼き鳥』という自分自身の声がいけなかった。しばらく眠っていたお腹が、ぴくりと反応する。

 うつらうつらしていたお腹は、人里からのにおいで飛び起きたのだった。

 ――くう……。

 居眠りしたぶんを取り戻すかのように、訳のわからないまま鳴り続けるお腹。「黙れ」と言ってお腹を押さえる。抵抗するかのように、余計にうるさくなった。
 物足りないような、吐き気のような――。不快にしか思えない何かがせりあがってきた。

 家に戻って食べ物を漁りはじめる。
 しかし食べ物はどこにもなく、食べ物あふれる自然に飛び出す勇気もなかった。

 消去法で森や川が消えた今、人里しか残っていない。
 どこでもいいから食べ物屋に寄って、さっさと帰ろう。

 何年――もしかすると何十年――ぶりに、妹紅は人里へと歩き出した。

 まだ慧音とよく行った、あの蕎麦屋は残っているだろうか。


 ◇


「私はな、教育がとても大事だと思うんだよ。だけど誰も集まらないんだ。
 いつかきっと、里に住む――いや、幻想郷に住む人妖すべてに教育を受けさせたいんだが」
「言葉とか理解できないやつはどうするの? いきなり食われるかもしれないよ?」
「それはだな――!
 ……それは、えーっと……」

「とにかく!」と慧音はコップをたたきつけ、

「教育は大事なんだ!」

 と怒鳴り散らした。口からお酒が飛び、妹紅は降水確率が低いところに移動する。

「まあまあ。里の人たちに理解されないのはわかるけど、ちょっと落ち着きなよ。
 生徒たちがこんな先生の姿、見たらどう思う?」
「む……」

 慧音はもういっぱい頼もうとしたお酒をキャンセル。代わりに水を注文した。
 不完全燃焼の慧音は、すこし機嫌が悪かった。


 ◆


「お姉ちゃんお姉ちゃん」
「ん、何?」

 急に話しかけてきた子どもたち。珍しいこともあるものだ。

「これなんて読むのー?」

 子どもたちは妹紅を囲み、持っていた本の一ページ目を開いた。

「今は昔、竹取の翁というものありけり」
「じゃあつぎは、つぎは?」

 妹紅は見つめていた文章から目を離し、本全体を眺めた。行間の詰まった文字が、狭そうに這いずりまわっている。

「……もしかして、全部読ませようとしてる?」
「うん!」

 子どもたちは悪気はないのだろう。しかし、これはやりすぎだ。

「あー……あのね、ここからまっすぐ行ってあの家を右に曲がったところ。あそこに髪の毛の白いお姉さんの家があるでしょ?
 あの人に教えてもらいな、私よりずっと詳しいから。きっと読み書きができるようになるよ」
「僕たちでもできるの?」

 子どもは聞く。疑っているのか、純粋に疑問なのか。
 どちらにしろ、妹紅には「うん」と答えるしかない。

「まちがいない。一日だけでもいいから、行ってごらん」
「うん、ありがとうお姉ちゃん!」

 子どもたちは、妹紅の言うとおり、まっすぐ行って右に――曲がらなかった。

「おーい、そっちは左だ! 右は反対!」

 子どもたちは群れをなして、右へと回っていった。
 集団が去ってから、妹紅は小さくため息をつく。

「うまくやってよ、慧音」

 あの子たち、きっと手ごわいからね。


 ◆


「なあ妹紅、最近寺子屋に結構子どもたちが集まるんだ。
 すばらしいことだとは思わないか?」
「あ、うん、そうだね」

 ずるずると蕎麦をすすりながらの一言。慧音は何か注意をしようとしたように見える。だけど口を閉じて、表情をほころばせた。

「あのな妹紅、子どもたちが言ってたんだ。
 寺子屋を教えてくれたのは――」
「私は子どもに物語してやるのが面倒だった。だから慧音に押し付けただけだ。
 何か文句ある?」

 慧音にはしゃべらせない。しゃべらせると、真っ赤になってしまうから。

「む……そうか。
 今日は、私のおごりだからな」

 相手が拒むことを、無理してやる必要はない。むしろ失礼になるかも。
 だから慧音は言いかけたことを、蕎麦といっしょに飲み込んだ。

 お礼はけっきょく、おごりという形で消化された。


 ◇


「ごちそうさま」

 まさか言葉が重なるとは思わなかった。
 妹紅は「えっ?」と横を向く。同じように妹紅を見る女性がいた。
 同じタイミングで「ごちそうさま」といった二人の女性は、しばらくお互いを見つめていた。
 女性がどういうつもりだったのか、わからない。だけど妹紅には、女性を見つめる確かな理由がある。

「……慧音?」

 長い白髪。雪の大地に走る川のような青い髪。
 意味不明なことを妹紅が言ったときのような、ぽかんとした表情。
 何十年前かの慧音そのものだ。
 相手に失礼だとか、もう考えられなかった。

「あの?」

 女性が、「宿題を忘れた」と言われた慧音のような顔になった。幻の時間が終わる。妹紅は慌てて渇いた口を動かした。

「あ、ご、ごめん。何でもない」

 女性は妹紅に「そうですか」と言って、くすりと笑った。この笑顔は、二人でいっしょに蕎麦を食べたときの笑顔そのもの。

 だけど声がちがう。雰囲気がすこしだけちがう。
 この二つだけで、慧音じゃないということがわかる。

 やっぱり、いないんだな。

『お前が人間と仲良くしてくれる限り、ずっと私は一緒にいるからな』

 無理してウソつくなって。
 私はもう、大丈夫だから。

 でももうすこしだけ、慧音が愛した里を見て回りたい。
 寺子屋はまだ残ってるかな。生徒たちがよく遊んでいた公園は?

 お金を払い、妹紅は蕎麦屋を出て行った。

 慧音の家をまわって、公園へ行こう。


 ◇


 横になって布団をかぶる慧音に、妹紅は水を手渡した。慧音はお礼を言って受け取り、一杯飲んだ。

「惜しいな、あと少しで100回生だったんだが」
「そんなこと言うなって、ちゃんと100回生まで教えてあげなよ」

「な?」と言って慧音の肩をたたく妹紅。慧音は力なく微笑む。
 いつもは続く会話なのに、なぜか今日だけは凍った川のように動かない。
 動かす唇すら、凍りついてしまうような寒さが続く。
 重く寒い時間の流れ。凍っているのに流れている、ふしぎな時間。
 時間を先にとかせたのは、慧音のほうだった。

「なあ妹紅、寺子屋の――」
「先生にはならない。めんどくさい」

 慧音にとっては、臨終間際に伸ばした手にも等しい。だというのに、妹紅はその手を払った。

「ちゃんと、お前が教えてやれ。寺子屋も教鞭も頭突きも、慧音だけのものだ。他のやつが持っていいわけない」
「頭突きはもう止めたって言ったじゃないか……」

 慧音が苦笑い。もうすぐいなくなるなんて信じられない。

「残りが二つになっても、その二つは慧音だけのもの。たとえお前が拒否しても私が認めない」

 慧音は今度こそあきらめたようだ。何も言わず、ただ力を抜いた微笑みを浮かべている。

「妹紅、ちゃんと里の人と仲良くしてやってくれよ?」
「慧音がいる限りね」

 意地悪を言ってみる。いつもは黙る慧音だけど、今日だけはなぜか口が達者だ。寺子屋の件の復習だろうか。

「お前が人間と仲良くしてくれる限り、ずっと私は一緒にいるからな」

 どっちかが破ると壊れてしまう。ただし、どちらかが守り続ける限り生きる。
 不安定だけど、あたたかみのある連鎖的な約束。

「妹紅、必ず帰ってくるからな」
「いいって、私は大丈夫。暇つぶしに輝夜だっているし、人里でも結構知られてるから」

 慧音はまた笑う。

「……さてと、悪いけどそろそろ帰ってもらえるか? 私も眠いからな」
「泊まっちゃダメかな。ダメっつったら殺すけど」
「なるほど、選択肢はないわけだな。いいぞ、押入れの中に布団はいってるから」

 本当にダメなら、こんなにあっさり引き下がらない。もしかすると慧音も、妹紅が一晩いっしょにいることを望んだのかもしれない。

 きっと、そうだよね。

 確かめるまでもない質問を、空中の中に浮かべてみた。


 ◆


「……妹紅」

 小さな声だったのに、すべての音が慧音の声を優先する。妹紅の耳には、慧音の声しか聞こえなかった。

「どうした」
「えっとな、迎えの時間が来たかもしれない」
「そういうことってさ、泣きそうな顔で言うもんじゃない?」

 何で本人がこんなに緊張感ないのさ。
 何笑ってるんだよ。泣いてよ。泣いて別れを惜しみなよ。それがふつうだろ?

「じっとしてて、今水持ってくるから」
「待っててくれ。私は必ず、戻ってくるから」

 妹紅は抜け出そうとした布団に戻り、慧音のほうを向く。
 暗いけど慧音の顔がうっすらと見える。もうすこし経つと、はっきりするだろう。

 うっすらと見える表情は、力強くはない。だけど頼りがいのある笑顔。この顔でウソをついた慧音は今まで誰も見たことがない。
 妹紅はちゃんと知っている。慧音がこの顔を見せるときは、揺れることのない未来を見ているときだと。

 こんなときにまで、無理しなくてもいいのに。

「無理するなって、言ってるだろッ!」

 ついつい乱暴な声が出てしまう。本心とは反対だからか、のどに引っかかって涙声になった。

「無理なんかしてないよ。帰ってくるなって言うほうが無理だ」
「うるさいな、はやく寝ろよ!」

 子どもが、わがままを言うときの声に似た声だった。
 もうすぐ会話ができなくなる。なのに二人の間をつなぐのは、ふしぎと弛んだ糸だった。ぴんと張り詰めると、すぐに切れてしまうからかもしれない。

「必ず、帰ってくるからな。結構待たせるかもしれないが、先行くなよ?」
「……遅刻は頭突きだからな」
「私の寺子屋の罰を使うのか。先生はやらないんだろう?」

 慧音が弱々しく、なのに勝ち誇ったように笑う。

「いいところだけは使うんだよ」
「だが妹紅の頭じゃ、私に勝てないんじゃないか?」

 さっきよりももっと、勝ち誇ったように笑う慧音。いや、本当に勝ち誇っているのか。

「……ゆっくり休んで来い。私は、それからでいいから」
「ん、わかった」

 慧音は「おやすみ」と一言。妹紅も同じ言葉を返す。

 妹紅の長い、長い夜。
 今、はじまった。


 ◇


 慧音の家からすぐ近く。里の真ん中よりちょっと東のところに、小さな公園がある。
 あったと言わないといけないかと思っていた。だけど、小さいくせにふしぎと残っていた。昔はよく寺子屋の子どもたちと、ここで遊んだものだ。
 なつかしい公園をしっかりと眺める。

 公園っていうのはふしぎだ。時代が変わっても、遊ぶ子どもたちは絶えることがない。いつの時代に覗いても、交代でつぎの子どもたちが遊ぶ。決して途切れずに巡っていく。まるで、運命みたいだ。

 今の時代も、やっぱり遊ぶ子どもはいる。
 今公園にいるのは、小さい子どもが五人ほど。あと一人、たぶん他の子より年上と思われる少女がいる。

「……あれ?」

 少女がまたしても誰かとかぶって、妹紅は一歩近寄る。
 少女は何やら本を持っている。加えて、口をパクパクさせている。少女を囲む子どもたち。

 読み聞かせしてるのかな?
 妹紅はまた一歩近寄った。そろそろ不審者の範囲かもしれない。
 風に流れて、少女の声が聞こえてくる。
 リズムのよい文章が心にしみる。物語を読んでいるみたいだ。

 少女の声に飾られた物語が耳を通る。物語は少女の声だけを落とし、反対の耳から抜けていった。
 残った音が、形を持つ。人の形になり、見覚えのある顔を作り出した。

「慧……音?」

 なぜこのタイミングで慧音が現れるのだろう。
 物語と、何の接点があるわけでもないのに。

 また一歩、砂を踏みしめる。やわらかい砂なのに、妹紅をしっかりと受け止めた。まるで、砂もまた先に進むことを応援するかのように。

 少女が顔を上げた。妹紅の目をじっと見つめている。フラッシュバックのように慧音のいくつもの顔が現れ、重なっていった。

「あ、ほら、えっと……」

 言葉が結びつかない。文章にならない。でも、かまわないような気がした。

「どうかしましたか?」

 うしろからの声におどろき、妹紅は振り返る。さっき蕎麦屋で会った女性だった。

「私の娘に、何かご用でしょうか?」
『私に何かご用ですか?』

 女性の声と、かつての慧音の声が重なった。心の深いところに流れていき、しびれるような感覚に包まれる。

「あー……ははは」

 空を見上げる。雲は別れて、太陽の光が差してきた。夜明けの時間は、とっくにすぎていた。

 ああ、しまったなあ……。
 妹紅は軽い失敗をしたときのように、自分を責める。

 慧音がウソをつくはずがないんだ。何で疑ってしまったんだろう。
 最初からこうなることなんてわかっていた。なのに、勝手にカン違いした。ありえない、と勝手に割り切った。
 奇跡は、たしかに存在したのに。

 あーあ、遅刻は頭突きだったかな。まあ、しかたないか。
 待たせすぎたんだから。

 でもその前に。頭を差し出す前に、やることがある。
 ちゃんと、言うべきことはあるだろう。

 ほら、言わないと。二人が、怒り出す前に。待ち合わせの時間は、とっくに過ぎているんだから。
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コメント



0.630簡易評価
5.80丸ひ削除
妹紅!
良いですね。感情が良く伝わってきました。
13.80名前が無い程度の能力削除
しんみりしちゃうけど、こういう話好きだ
16.70名前が無い程度の能力削除
輪廻か…