「秋さーん。秋静葉さーん」
「ほら、お姉ちゃん」
「ゴホッ、ゴホッ……うん」
長い耳を持つ兎に名前を呼ばれ、私は重たい体をゆっくり立ち上げた。
ここは竹林の奥深くに存在する永遠亭。なぜ山の神である私がここまで来たかというと、原因は咳、高熱、鼻水など――つまりただの風邪だった。
これくらいで病院に行く必要はないと思っていたのだが、一度診てもらうべきという穣子に押し切られ渋々やってきたのだった。
それに、私も少し不安だったのかもしれない。症状はただの風邪だが、いつもより酷く長引いている。
「秋静葉さんですね。中の診察室でお待ちください」
そうして私達は、兎に示された診察室に入った。
「うわぁ。病院なんて初めて来たけど、機械がたくさんあるのね。河童が作ったのかな」
診察室に入り穣子は驚きの声を上げた。
確かに見たことのない道具や、知らない言葉で書かれたラベルが貼ってあるビンがたくさんある。
体調が良ければそれなりに面白い光景かもしれない。
だが今の私にはそんな余裕はなかった。こうして診察室に来てみると気分が悪くなってくる。楽しそうな穣子が恨めしかった。
「そちらの機械には触らないで。高いわよ」
「す、すみません」
医者は機械を興味深そうに見つめる穣子に、無愛想な表情で釘を刺した。
「今日はどうしたのかしら?」
見ればわかるだろう。事務的な口調の医者に、そう言ってやりたかったが、あいにく口を開いても出てくるのは咳だけだった。
そんな私に代わって、穣子が答えてくれる。
「一週間ほど前からこの調子で、咳が酷くて熱もすごくあるみたいなんです」
医者は一瞬思案したが、すぐに手のひらに収まるくらいの細い棒状の道具を差し出してきた。
「とりあえず検温してみましょうか。はい、これを腋に挟んで」
言われた通りに挟むと、火照った身体に先端の金属があたりひんやりした。
「ええと、診察の前にあなた達に、聞かせてほしいことがあるの。プライベートなことも聞くけどよいかしら」
「はい。お姉ちゃんのためですから」
「ではまず最近のあなた達の人気を教えて」
「なっ! あなた、私達を馬鹿に……っゲホッゲホッ」
「お姉ちゃん! 大丈夫!?」
「ごめんなさい。でも幻想郷には様々な種族がいるの。同じ症状に見えても、原因が異なれば対処は変わるのよ。だからまず、あなた達の事を知りたいの」
医者はまっすぐにこちらを見据えていた。先程までの事務的な態度と違い、診察が始まるとその表情は真剣だった。
「確かに神は、信仰がなくなれば力も落ちます。でもそれで病気になることはありません。それに最近は少し人気も出てきたんです」
「ふむ」
それからいくつか質問を続けた医者は、穣子の言葉を真剣に聞き丁寧にメモを取っていた。
本当に他意はなかったようで、邪推してしまった自分が恥ずかしくなる。
「秋が終わって冬を迎えるけど、それは関係あるかしら」
「季節の変わり目で体調を崩したことはありますけど、ここまで酷いのは初めてです」
「あまり人間と変わらないのかしら」
「そうですね。私達は人間に近い神ですし」
「それならこちらも調べたほうがいいわね」
医者は、綿棒を取り出して、怖いくらいに爽やかな笑顔で言った。
「痛かったら言ってね。止めないけど」
そして、そのまま綿棒を私の鼻の中に突き刺した。
「ふがっ! 痛ッ! 痛いです!」
「痛いっていうのは生きてる証拠よ。よし、採取できたわ」
医者は私の鼻水がたっぷりついた綿棒を満足そうに見つめたあと、ビンの中に入れた。
「くしゅんっ……。今の綿棒どうするんですか」
「ちょっとした検査をするのよ」
一体何の検査をするのか。この医者は妖しい実験をしているという噂もあるので、背筋が寒くなった。
そのときピピピ、という電子音が聞こえた。
「計り終わったみたいね。見せてくれる?」
私はすっかり体温と同化した体温計を返した。
「40.5……。思いの外、酷いわね」
その数字を聞き、穣子が心配そうに私を見つめている。
「鈴仙、ちょっと来て」
「はーい」
「レントゲンの準備をお願い」
「れんとげん……?」
聞き慣れない単語を聞いて穣子は明らかに動揺した。もちろん不安なのは私も同じだった。
「そんなに酷いのでしょうか?」
「まだ、なんとも言えないわ。ちなみにレントゲンは身体の中を撮影する写真機よ。それをみればはっきりするわ」
「師匠~。準備できました~」
準備はすぐ終わったようで、私達は兎に連れられ隣の部屋に入った。
「すごい機械……」
目の前には人間一人がすっぽり入る、巨大な箱が鎮座していた。
その見た目に違わず、中に人をいれるための装置らしい。鈴仙と呼ばれた助手がドアを開けていた。
「撮影した写真はパソコンに送られるんですよ」
「ぱそこん?」
「外の世界の道具で、いろんな情報を集めたり解析できるんです。月の技術もすごいですけど、外の技術とはちょっと方向性が違うみたいですね」
「よくわからないけど、すごそうですね」
「そんなことないですよ。うちでちゃんと使いこなしているのは姫様くらいですから。これの準備をしたのも姫様ですし」
永遠亭の姫は引きこもりで、仕事をしていないと聞いていたが、どうやら家の中では頑張っているようだ。
「じゃあ静葉さんは上着を脱いで個室に入ってください。穣子さんはこちらで待っていてくださいね」
中は思ったより狭かった。しかし不安に思う間もなく、鈴仙の声が聞こえた。
「はーい。息を大きく吸ってください」
言われるままに息を吸う。咳が出そうで苦しくなるが何とか我慢した。
「そこで止めて……。はいおしまいです」
「はあぁぁ……けほっけほっ……」
「お疲れ、お姉ちゃん」
「結果が出ていると思うので診察室に戻ってくださいね」
これで原因もはっきりする。あの医者に治せない病気はないと聞いていたので一安心だろう。
しかし、診察室で私を待ち受けていたのは信じられない光景だった。
永琳がパソコンを前で、頭を抱えて唸っていた。
「あの結果はどうだったのでしょうか。お姉ちゃん、大丈夫ですよね?」
穣子が心配そうに聞く。
しかし永琳は答えない。厳しい表情のままモニターを見つめている。
「あの……結果は……」
沈黙に耐えきれず、穣子がもう一度問いかけると、永琳は頭を左右に振ってから口を開いた。
「難しいわ……」
「え?」
何かの聞き間違いだと思った。
八意永琳は幻想郷……いや宇宙一と言ってもいいくらいの名医という話だった。
その彼女が難しい?
それは死の宣告に等しかった。
さあっと血の気が引くのが感じられた。
「そ、そんな……。あなたにできないことはないって聞いて来たんですよ!」
「私にだって、わからないことくらいあるわ」
「で、でも何か方法が――」
「無理よ。私にはどうすることもできない……。悔しいけどね」
自身の無力さに打ちひしがれ、医者も辛そうだ。
皆が一様にうなだれ、気まずい沈黙が続く。
このまま私がここにいてはいけない。そう感じ、立ち上がった。
「お姉ちゃん?」
「ありがとうございました!」
そう言って私は、雪が降りしきる永遠亭の外へ飛び出していった。
私は直に死ぬ。
あの医者――八意永琳の判断だ。間違いないだろう。もっとも私は神だから、死ぬのではなく消えるのかもしれない。
どちらにせよ、この世界からいなくなる。
不思議と寂しくはなかった。いっそ清々しい気分でもある。
幻想郷で最も信仰が薄い神と呼ばれたこともあったが、それでも最近は少し有名になった。
秋の収穫祭では人間にいっぱい感謝された。
悔いがないと言ったら嘘になる。だが終わりの時が近づく今、私は自分の人生が悪くないと思えるようになっていた。
行くあてもなく駆け出していたはずだったが、気が付いたら妖怪の山の中腹に辿り着いていた。無意識に慣れ親しんだ場所へ向かっていたようだ。
辺りを見回すと、ほとんどの木々が、突き刺すような寒さで葉を落としてしまっている。
その中で一本だけ、僅かだか鮮やかな葉を残している木を見つけ、私の足は自然にそちらに向かっていた。
「最後の秋か……」
私はその木の根本に腰を下ろした。
心残りは穣子の事だ。
あの子一人でやっていけるだろうか。一瞬、心配になったがすぐに杞憂だと気付く。
穣子は私なんかより、ずっとしっかりしている。
一人でもやっていける、むしろ私がいないほうが、信仰を一身に集められるかもしれない。
そう、私はいないほうがいい。
そう思うと、自分が更に希薄になっていくのを感じた。
見上げると、朱に染まった鮮やかな葉が、私に向かってはらはらと降り注いでいた。
「終わりね……」
そう呟き私は目を閉じた。
「お姉ちゃん!」
薄れゆく意識を、現実に引き戻したのは、最愛の妹の声だった。
「穣子……どうしてここに」
「お姉ちゃんが心配だからに決まってるでしょ!」
穣子。最後に会えて本当に嬉しかった。でもそれ以上近づけるわけにはいかない。私がいまどんな状態か、自分自身が一番よくわかっていた。
「帰りなさい。あなたがいたってどうにもならないでしょ」
「そんなことない。お姉ちゃんを支えたいの」
そんな目で私を見ないで!
決心が鈍るじゃない。私は言わなければいけない。私の末路に穣子を巻き込んではいけない。
「穣子は昔からそうだったわ。善人面して……あなたのそういうところが嫌いなのよ!」
穣子に放った言葉が、私の心を容赦なく抉る。
辛い。苦しい。私のことをそんなに心配しないで!
「私……そんなつもりじゃ……」
「目障りだって言ってるのよ! もう穣子の顔なんて見たくないわ!」
さすがに応えたのか、穣子は下を向いてしまった。
一気にまくし立てたものだから、頭がクラクラする。
穣子は項垂れたまま動かない。
これでいい。
消えてしまう私の事を、いつまでも覚えていても辛いだけだ。
それにこの病気は移るかもしれない。早く穣子にここを立ち去ってもらわないといけなかった。
穣子はまだ動かない。もう一度突き放す言葉を放とうとしたときだった、穣子が顔を上げたのは。
涙で濡れた瞳でまっすぐに私を見据え、そして次の瞬間、右頬に鋭い痛みが走った。
「ばかぁっ!」
「み、穣子……」
「お姉ちゃんが私の事を想って言ってるなんてすぐわかるよ」
「……」
「でも、これが最後みたいに言わないでよ! お姉ちゃんは絶対に消えたりしない……だって私はお姉ちゃんの事……信じてるから」
穣子……。言う通りだ。私は馬鹿だ。穣子に酷い事を言ってしまい今更後悔している。
本当は不安で、怖くて堪らなかった。
穣子に側にいて欲しかった。
「ごめん、穣子」
「これからもずっと一緒だよ……お姉ちゃん」
穣子の身体が覆い被さってくる。
暖かい。私は自分の身体が冷えきっていたことに、ようやく気付いた。
すっかり葉が落ちた木々の間から人間の里が見えていた。
落ちかけた陽が、一面の銀世界を黄昏色に煌めかせている。
その光景に私は嘆息を漏らした。
「冬もよく見れば綺麗じゃない……」
これからどうなるかはわからない。
でも私には穣子が、穣子には私がいる。一緒に生きていく限り私たちは消えない。
そう信じることにした。
~診療時間後 永遠亭~
「あら、いつの間にか患者さん帰ってしまったのね」
「何言ってるんですか師匠。もう大分前ですよ」
「残念だわ。座薬型タミフルの実験台にしようと思ったのに。鈴仙、試してみる?」
「わわわ、わたしは感染してないですからね!」
「体調が悪くなったらすぐ言うのよ」
この人、絶対私を心配して言ってるわけじゃないよ……。
「ところで鈴仙。撮影した写真ってどうやって見るの?」
「ええ!? 私に聞かないでくださいよ」
「あなたは月で何の訓練していたのよ」
「あはは……。私は機械はからっきしで。それで実戦部隊にいたくらいですから。師匠こそ月の頭脳がパソコンくらい使えなくてどうするんですか」
「だって、私のほうが計算早いもの」
さも当然と言わんばかりの永琳の言葉に、鈴仙は大きく溜め息をついた。
「これだから天才は……」
「何か言ったかしら?」
「な、何も言ってません!」
「はぁ……。難しいわねえ、パソコン。全然わからないわ……」
おしまい
その心は
八意だけに、そうは「思いかね」る
お後がよろしいようで。
これ秋姉妹、どうなんのwww?
私が信仰するから生きてくれーっ!
ほんとに秋姉妹どーなっちまうんだかもう心配で心配で
山田く~ん。座布団2枚持ってきてっ。
>>7
その後、秋姉妹宅には新型タミフルを持った鈴仙が訪れました。
なんと薬はタダで置いていってくれるようです。よかったねっ。
>>9
みなさんの信仰を受けて、元気になってくれると思いますっ。
今頃は元気に焼き芋を焼いていることでしょう。
インフル早くも幻想入り?
なーんだ、じゃあもう予防注射いらねーじゃん、はっはっはっ!
あなたは予防注射を打っておかないと!
カニインフルエンザとか流行ったらどうするんですか!
秋姉妹の投げっぱなしっぷりも、ある意味で“らしい”かなと思いました。
個人的感想ですが、秋姉妹で、もう一度オチをつけてくれたら、完璧でした。