Coolier - 新生・東方創想話

アンタッチド コンサート

2009/07/11 00:28:19
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永遠亭。
繁茂する緑の竹林の奥に潜む、閑静な佇まいを備えた古い屋敷。
月に一度のある夜を除いて、この場所から外に漏れるほどの音が響いてくることは滅多にない。
騒がしい住人が棲んでいないわけではないが、そういった者達は大抵、屋敷の外でしか賑やかにならなかった。
以上から、この屋敷はまるで時間が止まっているかのように、常に静寂に支配されていた。



その、常の静寂を破るように、屋敷の内側から一つの産声が上がる。



力強くもしなやかに走る打鍵の音とともに踊る、ピアノの打弦の音。
数小節のちに加えられる、品の良いゆるやかな擦弦の調べ。
それらの作り上げる土台を発条にして一息に飛び上がる、金管の咆哮。

あたかも一つの生き物のような音楽を演奏しているのは、それぞれ異なる色で塗り分けられた三人の少女楽士と、彼女達の持つ三様の楽器。
中心の白い少女はトランペット、その右後方の黒い少女はヴァイオリン、左後方の赤い少女はキーボードを、まるで手足の延長であるかのように自在に操っている。
月明かりに照らし出される庭に用意された簡素なステージの上で、少女楽団は思うに任せるまま、躍動感溢れる音曲を奏で続けていた。



楽団を取り囲む聴衆は、その多くが空を向く長い耳を持つ兎の妖怪。半数以上が本来の獣の姿をなし、残りは頭部に耳を飾ったまま人の形をとっている。
妖怪兎達は目の前で音楽が変化するたび、その長い耳をゆらして旋律を身体全体に染み込ませようとしていた。
それら異形の中心、楽団の真正面に、普通の人間と変わりのない姿の人影が二つ。一人は竹で組まれた縁台に腰掛け、一人はその傍らに侍っている。
座する黒髪の童女は目を丸く見開いて口元をほころばせる一方、直立する銀の髪の女性は目を細めて口元を控えめに緩めていた。



それら聴衆の傾聴が集まる中、楽団の演奏している音楽が突飛な変調を始める。
兆しは、ヴァイオリニストの一瞬のウィンク。
直後、弓と弦の擦れる音が、どういう理屈か弦を爪弾く琴のような音に変化した。

これらの合図に真っ先に反応したのはキーボーディスト。
目を細めて悪戯っぽく笑うや徐々に打鍵のリズムを激しくしていった。
しかし楽器から鳴り響くのは、常識では考えられない、小太鼓大太鼓のビートとシンバルの手拍子。

わずか遅れてトランペッターも非常識な現象を誘発させる。
見た目には一つの金管を吹いているにも関わらず、トランペットの主旋律をホルン、チューバ、果てはフルート、サックスが飾り立て始めた。
突如始まった管楽器のアンサンブルに合わせるように、先の二人は仮初のハープとドラムを調和させていく。

これら見た目にはありえない不可思議な変調を、しかし聴衆達は不快に思うことなく素直に驚き、そしてより身を乗り出して聴き入る。
予期せぬサプライズはその程度をわきまえている限り、むしろ歓迎されるべきものである――その好例であるかのような事態だった。
やがて演奏はフィナーレを迎え、楽士達も再び見た目どおりの楽器の音に切り替える。
そして、始まったときとは逆順に曲から外れていく――キーボードが疾駆を止め、ヴァイオリンが幕を引き、最後にトランペットが高らかに終止符を打った。






一拍、完全なる沈黙が場を支配するも、たちまちそれは聴衆によって破られる。
人の姿をしているものは万雷の拍手を鳴り響かせ、獣達は身体を跳ね回らせて感嘆を表現した。
その割れんばかりの声なき歓声の中を、縁台に座っていた黒髪の童女が腰を上げて、ゆっくりとステージに向けて歩いていく。

同時に銀の髪の女性が、その後ろにいた細く鋭角的な耳を持つ妖怪兎に合図を送った。
紫がかった毛並みを備えた人型の妖怪兎は、慌ててその特徴的な耳をかすかに動かし、この場に溢れているあらゆる音に干渉した。
知れず背後でやり取りが進んでいる間に、童女は楽士達の前に至ると打っていた手を止めて袖の中にしまい、その両袖を胸の前で合わせて軽く頭を垂れた。

「お疲れ様でした。今宵は私の招致に応じていただき、まことにありがとうございました。
 貴女達の奏でる妙なる音の調べと、それらを一つの命として演出する技の冴え、存分に堪能させていただきましたわ。
 おかげで、いつもは重々しい沈黙に押さえつけられているこの永遠亭にも、一時とはいえ血湧き肉躍る昂揚がもたらされました。
 当主として、皆に代わって心よりお礼申し上げます」

幼い外見のわりには丁重な話し振りで、永遠亭の当主たる童女は楽士達に向けて謝辞を述べる。
場を埋め尽くす歓喜の音に比べると遥かに小さなそれは、しかし楽士達どころか聴衆全員にまで確実に届いていた。
ここでようやく当主に配慮したのか妖怪兎達は音をひそめ始める。それを確認して、音を調律していた妖怪兎はひとつ溜息を吐いた。
たしなめられた音の中、童女は個別に感想を送ろうと、まずは黒服のヴァイオリニストに微笑みかけた。

「貴女には、いかなる美酒でも誘われぬような酔いしれた感覚を味わわせていただけました。身にも心にも染み渡るような音でしたわ、ルナサ=プリズムリバー」
「お褒めいただき、ありがとうございます」

胸の前に片手を添えてお辞儀するルナサを認めつつ、次いで童女は白服のトランペッターに向き直る。

「爽快にして痛快な開放感をありがとうございました、メルラン=プリズムリバー。なんだか身体中が一気に目を覚ましたかのように感じられましたわ。
 時間が時間ではありますけれど、眠れない夜というのもまた一興ですわね」
「あら~、でも夜はちゃんと寝た方が健康にはいいですよぉ? 次は朝にでもお聴かせしましょうか」

ひらひらと手を振るメルランに目を細めて返答し、最後に赤服のキーボーディストに言葉を送る。

「絶えぬ清流のように軽やかで耳障りの良いメロディでしたわ、リリカ=プリズムリバー。貴女の奏でる音曲は他に類を見ない。
 そのためか、色々と想いを馳せたくなるような、不思議で興味深いという印象を覚えさせられます」
「えへへ~、そう言ってもらえるとわざわざ創った甲斐があるなぁ。あ、ちなみにさっきの曲も私が作ったんだよ」

目を閉じた猫のような顔で笑い、気安い口調で応じるリリカに童女は一つ頷いてみせる。

そのリリカの隣を、歩み出したルナサが通り抜け、帽子を取った。それを見てメルラン、リリカも脱帽する。
少女楽士達は帽子を胸の前にあてると、聴衆にむけて揃って軽く頭を下げた。

「当主・蓬莱山輝夜様をはじめとする永遠亭の皆様。
 本日は私達プリズムリバー楽団の演奏をお楽しみいただけたようで、まことに喜ばしい限りでございます」
「私達としましてもこの永遠亭でライブを行ったことはこれまでに一度もなく、大変貴重な経験をさせていただいたと思っています。
 ここは竹林に囲まれているためか、他には無い静謐な空気を醸し出しているように感じられました」
「またの機会には是非にお声を。私達三姉妹、お呼びとあらば直ちに馳せ参じ、皆様に素敵な幻想郷ライブをお届けしましょう」

姉妹楽士達はそれぞれ口上を分かち合って、永遠亭の住人達に別れを告げようとした。



しかし、楽団が踵を返そうとする動きに先んじて、当主・輝夜が言葉を挟む。

「もし、お待ちを。そういうことでしたらこちらにしばし留まってみてはいかがでしょうか? 今宵限りの縁というのも名残惜しいもの。
 それにこの閉ざされた場所には、置き去りにされたままの昔時の音も眠っているやもしれません。
 好奇の心の赴くままに、この屋敷を隅から隅までおとなうのもまた一興かと。よろしければご一考を」

そう言って輝夜は合わせた両袖を目の高さまで掲げ、そのまま腰を軽く折った。
すると当主の言葉に大いに賛同するところがあったのか、周囲の妖怪兎達も期待に満ちた目で三姉妹を見つめる。
しまいには「おねがいー」「もっとききたい!」「あんこーる」などのざわめきも起こりだす。そんな兎達を、調律師の妖怪兎が慌てて諌めていった。

丁重に、それから甘えるように請われる状況の中、三姉妹はお互いに顔を見合わせる。
即断を迷う状況下で、まずはリリカが口火を切った。

「……だってさ、どうしようか、姉さん達」
「私は別に構わないわよ。たしか、この後しばらくはライブの予定はないんだったよね、姉さん?」
「ああ……ないわね。いや、今ちょうど依頼が入ったところと言うべきかしら。いささか変則的ではあるけれど、たまにはこういう形も面白そうね」
「んーじゃ、決まりだね!」

意見をやや強引にまとめたのもまたリリカだった。間髪入れず、ルナサよりも前に出て輝夜に快諾の意志を伝える。

「いいよー。ちょうど私達もライブの予定がなくてヒマしてたところだしさ。バカンスのつもりでくつろがせてもらってもいいかな?」
「まあ嬉しい。ええ、折角のたまのお客様ですもの。丁重におもてなし致しますわ。
 静けさばかりが取り柄の屋敷ではありますが、どうぞごゆるりとおくつろぎ下さいませ」

笑顔で頷きあうリリカと輝夜を見て、周囲の兎達も隣と顔を見合わせてはしゃぎ出す。
そんな容易に収まりそうもない騒ぎを見て、調律師はさじを投げた。何やら銀髪の女性に肩をぽんぽんと叩かれてもいる。
それらをよそに、ルナサとメルランは密かに囁きあう。

「なんだ、やけに乗り気だったのね。一体どうしたのかしら?」
「ほら、アレじゃない? 『置き去りにされたままのセキジの音』っていうのに釣られたのよ、きっと」

そんな姉二人のやり取りを知らないリリカの傍で、輝夜は手を数拍打って自分の後ろに呼びかけた。

「イナバ、イナバ! さっきから色々と苦労をかけているようだけれど、もうひとつお願いできるかしら?
 プリズムリバー楽団の皆様をお部屋まで案内してさしあげてちょうだい」

当主の召喚を耳に捉えるや、紫だちたる髪をたなびかせて、調律師の妖怪兎・鈴仙=優曇華院=イナバが駆け足でステージに向かう。
輝夜の傍に至ると鈴仙は両手をスカートの前で合わせ、細かい指示を伺った。

「姫、それでどちらの間にお通しすればよいでしょうか?」
「そうねぇ……やはり洋間がいいかしら? なら、渾天の間ね。あそこなら彼女達も気に入ると思うわ」
「かしこまりました。それでは皆様、お部屋の方に案内させていただきますので、どうぞこちらへ」

輝夜に恭しく一礼すると、鈴仙は三姉妹の先導に取り掛かった。
感謝、期待、憧憬……様々な視線の交錯する聴衆達の中を、三姉妹は導かれながら首尾よく抜けていく。
その様子を満足そうに眺めつつ輝夜は小さく呟いた。

「ふふっ。これからしばらく、この永遠亭にも歴史に刻まれるような素敵なハレの日々が訪れそうね」






三姉妹の先頭に立って歩き出した鈴仙に、ちょうど一番近い位置にいたリリカが気安い言葉を放つ。

「や、いつぞやのシンセ兎。案内ご苦労さん」

この二人はかつて幻想郷が花で覆い尽くされた異変の時に直接の面識があった。
その折、鈴仙の特徴をシンセサイザーのようだと思い、リリカは一つのあだ名を勝手につけていた。
自分は妙なあだ名で呼ばれる星の下にあるのだろうか、と鈴仙は心の中で嘆きつつ、リリカに答える。

「はぁ、相も変わらずあんたはフランクね。私にはともかく、依頼主である姫には敬意を払った方が、興行師としては適切なんじゃないの?」
「えーいいじゃん別に。あんたのところのお姫様はその程度で機嫌を悪くするような器の小さい人じゃなかったしー」

リリカの突きつけた事実に鈴仙は言葉を詰まらせる。
と、そんな鈴仙に思わぬ援軍が現われた。
背後からリリカの帽子を押さえつけながら、メルランがやや困ったような笑顔を鈴仙に示す。

「ごめんなさいねぇ、私達の教育が行き届いてなくって。この子ったら、いつまでたっても目上の人への敬い方を覚えてくれないのよ」

続いてルナサも溜息を混ぜつつ同感の意を示した。

「そうね、いつも手を焼いているわ。閻魔様にまでお説教されたというのに困ったものね」
「ちょっとちょっと、二人とも何よー!」
「あら、私達はリリカのためを思って言っているのよ。今回は輝夜さんが寛容な人だったから良かったけど、いつもそうとは限らないじゃない?
 ライブの間の口上だけじゃなく、ちゃんとその前後でも言葉遣いには気を払わないと駄目よぉ」
「うぇー、面倒くさいなぁ、もう」

姉二人にやり込められてしまうリリカ。そんな様子を見て、しかし鈴仙は姉妹間の仲の良さを充分に感じ取ることが出来た。
ふと我が身を省みると、こちらに敬意を払ってくれない部下……達の姿が頭に浮かんできた。
どこにでも似たような悩みはあるものかと苦笑しつつ、鈴仙は目的の場所に目をやる。

その場所は永遠亭の母屋とは回廊で繋がっているものの、少し離れて建設されていた。
母屋の外壁がほぼ障子戸で構成されているのとは対照的に、その八角柱状の建物は正面の扉を除く側面が全て壁だった。
渾天の間、住人達にそう呼ばれている部屋の扉を鈴仙はゆっくりと開いた。



「さ、どうぞ入って」

鈴仙に促されるままに、三姉妹は部屋の中へ進んでいく。
そこは、半球ドーム状の天井を備えた、広々とした洋室だった。その天井の中心には球形の照明が取り付けられていて、部屋中を隅々まで照らし出している。
床の方には部屋の中心からベッドが三つ、放射状に置かれていた。

「ほぅ……こんな部屋もあるのね。完全な日本家屋だと思っていたのに」
「ま、景観を損なわない程度には洋間もいくつか用意してはいるのよ」

中を見回しながら感心したように呟くルナサに鈴仙が答える。そんな長姉とは異なり、妹二人は真っ先にベッドに向かっていった。

「この大きなベッドは私がもらった!」
「あ、ずるーい」

形はどうであれ客人達の満足を得られたと感じた鈴仙は、笑みを含めた声で姉妹に言い置く。

「じゃ、何かあったら適当に呼んでくれればいいわ。私達は耳がいいから、別に大きな声で呼びかける必要もないしね。
 それでは皆様、しばしのご滞在をどうぞお楽しみ下さい」
「ありがとう」

ルナサの返礼を受け取りながら、丁寧に会釈を返して鈴仙はゆっくりと部屋の扉を閉めた。



「あはは、凄いわっ。ベッドに寝転ぶと窓から外の星空を見られるようになってるのね……あっ、お月様発見~」
「ええ!? 私のベッドからだと永遠亭の屋根しか見えないんだけど。うー、これは誰の罠よー?」

帽子を脱いで早くも羽を伸ばし始めている妹達をたしなめるように、ルナサは溜息を吐きつつ手を二、三度叩いた。

「まるで雀のお宿に出てくる大小のつづらみたいね……それよりも、二人とも寝る前に私の話を聞きなさい」

その言葉を受けて、メルランとリリカは同時に寝返ってうつ伏せの姿勢になり、頬杖をついてただ一人立っているルナサを見上げた。
妹二人のそんなやる気のない様子に呆れつつも、ルナサは語気を強くして言葉を続けた。

「いい? リリカはバカンスとか言っていたけど、あまりどっぷり浸かりすぎては駄目よ。
 永遠亭の姫君が私達を引き留めたのは、近日中に再びライブを開催するのを期待してのことだと思うわ。
 だから、その計画はしっかりと頭に入れておくこと。分かった?」
「分かってるってー。あのお姫様、なーんか裏で考えていそうだったしね。ま、ここの雰囲気は結構気に入ったから、一つ曲でも考えとこうか」
「流石リリカね。誰かのお腹の動きには敏感なんだから。自分もよくお腹を動かしているからかしら?」

茶々を聞きつけて据わった目を向けてくるリリカを無視して、メルランは再び寝返りをうった。

「まぁその話は明日にしよ? 今日はもう早く眠りたぃふわぁ」

言葉の途中で混ざったメルランの大あくびに毒気を抜かれたのか、リリカも追求を止めてベッドに仰向けになる。

「そうだね。私ももうくたくた~。あ、ルナサ姉さん、明かり消してね。なんか扉の傍のツマミをいじればいいらしいよ」
「それくらい自分でやりなさい」
「あーキーボードの演奏って操作がすっごく複雑で集中力がいるのよねー。もーしばらくは機械仕掛けのものは見たくないなー」
「……わかったよ」

帽子を取りながらルナサは、しかし扉から離れてベッドに横たわった。その状態で首だけを動かして扉の方をじっと見つめる。
壁に何かツマミのようなものを見つけると同時に、それがひとりでに動いた。
小さな音がして、すぐに部屋は暗闇に包まれる。

「わぉ」
「へぇ」
「ほぅ」

部屋の中心に頭部を集めた状態で、三者同時に感嘆の声を洩らす。
見上げているドーム状の天井は、消灯したにも関わらず淡い光を放つ丸い照明と、同じように淡く輝く小さな無数の光点で飾り立てられていた。
まるで昼の光の中に隠れていた蛍のようなそれらは、天井を透き通らせて外の夜空を映し出したかのような光景を作っている。
日、月、星……三精を一つ所に集めたこの部屋の演出に感じ入りながら、三姉妹は知れず同時に目を閉じた。






D.上つ弓張の日



プリズムリバー三姉妹が永遠亭で生活を始めてから二日――

「はぁー、暇だねぇ」

盛大な溜息とともに、リリカが気だるそうに言葉を吐き捨てた。

ちょうど南中を過ぎた木漏れ日がわずかに差してくる母屋の縁側に、三姉妹はそろって腰掛けていた。
傍らには妖怪兎が持ってきた、三つの湯飲みとみたらし団子を載せた皿が置かれている。
その妖怪兎はつい先刻、ルナサのサインを記した色紙を持って嬉しそうに駆け去っていった。

「そう、ね。おかしいな……そろそろ次のライブを要求される頃合だと思っていたのだけれど」

湯飲みを持ち上げつつ、ルナサは眉根を寄せながらこれまでのことを回想する。
ライブを行った翌日から次のライブの骨子を組み立ててはいたものの、特に輝夜や他の住人から本格的に依頼されるような気配はなかった。
むしろ、ソロでのちょっとした演奏を頼まれたり、先程のようにサインをねだられたりと、そういう小規模な出来事ばかりが頻発していた。

「別にいいじゃない。もしかしたら本当にくつろいで欲しいだけかもしれないでしょ? ならのんびりしましょうよ。
 こんな機会、滅多にないんだからぁ」

そう言ってメルランは、庭に集まって遊んでいる妖怪兎の集団に目を向けた。

視線の先には、妖怪兎――特に人型をとっている者達が輪になって、蹴鞠だか排球(バレー)だかを組み合わせたような遊びを楽しんでいた。
その鞠役に目を向けると、それは獣型の妖怪兎だった。その一匹を、人型の妖怪兎は両手で宙に押し上げたり、蹴り上げたりしている。
跳ね飛ばされている兎はしかし、特に痛がる様子もなく、むしろ空を飛んでいることを楽しんでいるようだった。
と、誰かが鞠役の兎を高く上げすぎたようで、向かい側にいた兎のはるか後方にまで飛ばしてしまった。
飛ばされた兎は地面に落着すると、大きくバウンドしながら母屋の方まで跳ねていく。

「あら」

地面を跳ねながらこちらに近付いてくる兎を見て、メルランは立ち上がってそれを受け止める。
実質、鞠のように丸々とした兎は、メルランの腹部辺りにちょうど収まるように抱えられた。

「やー悪い悪い! ちょっと大きく飛ばしすぎたねぇ」

それを追ってきたのか、一匹の人型の妖怪兎がばつの悪そうな声を上げながら駆け寄ってくる。
艶めく黒髪に純白の毛で覆われた耳が映えるその妖怪兎は、向かう先に三姉妹がいるのを見ると、立ち止まって親しげに挨拶してきた。

「あら、お客様方はそろって日向ぼっこ? それはそれでなんだか年寄り臭いねぇ」
「そういうあんたは歳のわりには子供っぽく遊んでるんだねぇ、因幡てゐ」

さりげなく酷い内容の言葉をかけられたため、据わった目で睨みながらやり返すリリカ。
リリカは、この妖怪兎・てゐとも花の異変において直接の面識があった。
そんなリリカの言葉にも特に気にする様子もなく、てゐはメルランから兎を返してもらう。

「別にいいじゃない。こんなところで暇そうにぐったりしているよりはよっぽど健康的だと思うけど? ……ああ、ありがとさん」
「見た目以上にふわふわもこもこで、しかも結構ぷにぷにしてるわねぇ。こんなだから、さっきみたいに地面を跳ね回ることも出来るのかしら」

てゐの両腕に収まった兎をつつきながら、メルランは兎を受け止めた感想を述べた。
するとてゐは頬を掻きながら苦笑混じりに事情を説明する。

「まぁその、お師匠様のヘンな薬のせい……でね。ここにいる妖怪兎達の筋肉から脂肪、骨、皮膚はものすごく特殊になってねぇ。
 頑丈で、弾力性に富むように進化しちゃったのさ。耐久力だけなら他のどこの組織にも負けんよ。伊達に鉄壁の警備隊を名乗っちゃいない。
 かく言う私もこいつらを弾幕ごっこに使ったりもするんだけど」
「……『兎玉』とか『飛び跳ねる兎の大群』って、本当に文字通りだったんだ……」

それを聞いて、かつててゐと一勝負交えたことのあるリリカは驚き呆れた。同時に、それらが高速で衝突してきた時の威力も思い出し、げんなりする。

「それにしてもさ、そんなにやることがないんだったら一緒に混ざらない? 一応姫様にも『お客様は丁重にもてなすように』って言われてるしね」

ダムダムと、兎を鞠のように地面にバウンドさせながら、てゐは三姉妹に提案する。
ルナサもリリカも乗り気でない顔をする中、一も二もなく飛びついたのはメルランだった。

「あら、いいのかしら? うふふ、ありがとう。さっきから貴女達の立てるハッピーサウンドを聴いていて、うずうずしていたのよね~」
「そうそう、私達と一緒に遊べばもっともっと幸せになれるよ~」
「あ、ちょっとメルラン!?」

てゐに手を引かれて誘われるまま、メルランは妖怪兎達の輪の中に溶け込んでしまった。
後に残ったルナサとリリカは、無言でお互い顔を見合わせる。
しばらくそうしていたが、やがてリリカは一つ溜息をつくと、どうでもいいことを呟いた。

「兎の足は幸運のお守りだけど、兎の足音は果たしてハッピーサウンドになりうるのかなぁ?」
「さあ、ね」

ルナサもまた、投げやりに返答してから湯飲みの残りを一気に飲み干した。
隣で見ていたリリカは勢いをつけて縁側から立ち上がると、ルナサの前に立って両手を広げる。

「もういいじゃん。私達も好きなように過ごそうよ。ライブの準備は一応出来上がりはしたんだし。突然依頼されても大丈夫なんだから」
「……そうね。なすべき備えが整ったのなら、気を楽にして構えていた方が健全か」

結局、ルナサとリリカも少し遅れて、てゐ率いる妖怪兎達の輪の中に加わっていった。






その晩、ルナサは一つの目的を持って、とある部屋を訪れていた。

完全な円形をした窓から顔を覗かせている半月に一瞬目をやり、それから改めて自分が今いる部屋を見回す。
永遠亭のほとんどを占めている、畳と襖で構成された和室とは違い、この部屋は漆喰で塗られた壁と板張りの床で出来ている。
中を埋めているのは小さな引き出しが多数備えられた薬箪笥と、木製の事務机、作業机、珍しい合成樹脂と金属の回転椅子――
そしてそれに腰掛けている銀の髪をした女性。その女性が柔らかく話しかけてきた。

「どうかしら、永遠亭の暮らしは? ここを訪れてきたってことは、ひょっとして肌に合わなくて身体でも壊しちゃった?」
「そんなことはないわ。良くしてもらっていると思っている」

ルナサの前にいる女性は、八意永琳――永遠亭の薬師。
先程の問いは自分の役職を踏まえてのことだろうとルナサは思う。しかし実際、この場所での生活に不自由を感じたことはない。
中が全体的に薄暗い点を除けば、自分達が通された部屋の内容にも、和食だけの食事にも、世話をしてくれる妖怪兎達にも何も不満はなかった。
しばらく黙っていると、永琳がこちらの顔を覗きこむように見上げてくる。

「じゃあ、一体何の用かしら? 見ての通り、私の部屋には薬か書物か、いずれにしても面白い音を出すものはないと思うわよ」

永琳は椅子の背もたれに寄りかかり、肩をすくめて両手を広げてみせた。
用件が薬事でないと理解するや、永琳はルナサの訪問理由を音関係と推測して言葉を組み立てた。
その推測には輝夜が自分達を引き止める際に使った言葉が前提になっているのだろう、そして彼女の考えは正鵠を射ている、そうルナサは思った。
だが、ルナサは首を横に振りながら返答する。

「確かに音集めに来たというのは正解。でも、この部屋に面白い音がないというのは間違い。
 私には分かるわ、この場所にある……貴女の姫君が言っていた通りの置き捨てられている音が」
「あら、それは一体何なのかしら?」

興味深そうに見つめてくる永琳の疑問に直接答えることはせず、ルナサはその背後の天井に近い壁に目をやる。
そこには弦を張られていない弓が飾られてあった。ルナサは遠すぎて届かない位置にあるそれに手を伸ばして、眉根を寄せる。

するとどういう理屈か弓が壁から外れ、そのまま宙を飛んでいき、最終的にルナサの開かれていた手に収まった。
ただ見ていることしかしていなかった永琳は呆気に取られて目を瞬かせる。
それをよそにルナサはポケットから一本の弦を取り出すと、弓に絡みつかせていく。

「貴女が弦の無い弓を持っているという話は色々なところから聞いていたわ。どういう事情でそんなことをしているのかは知らないし、興味も無い。
 ただ、その話を聞いたときから聴いてみたいと思っていたのよ。貴女の響かせる、鳴弦を。
 まさか、弓を持っていながら一度も弦を動かしたことがない、とは言わないでしょう?」

語りながら慣れた手つきで弦を弓に張り終えると、ルナサは永琳に向かって差し出した。

「さ、聴かせてほしい。鳴弦の儀――この幻想郷を抱える、日本独自の和弓を使った弦楽法。
 私の生まれた地方ではこういうものはなかったから、どんな音なのか興味があるわ」

しばらくルナサの好奇心に満ちた瞳を見つめていた永琳だが、寸毫目を閉じると、差し出された弓を受け取り椅子から立ち上がった。
そして薬箪笥とは別の、服を納めるための箪笥に向かっていく。戸を開き、胸当てを取り出す間、永琳は振り向かずにルナサに話しかける。

「流石、弦楽器に造詣が深いだけのことはあるわ、目の付け所が違うわね。それとさっき弓を取り寄せてみせたのが、騒霊の能力、念動力ね。
 ……いえ、この場合念動力は貴女達の本質そのものと言うべきかしら、ポルターガイストさん?」
「ええそうよ。この力を使えばたとえ弦の張られていない楽器であっても曲を弾くことが出来る。適切な力で空気を震わせてやればいいのだから」

永琳の背中を見つめながらルナサは両手を広げ、見えない楽器を構えるような形に整えると、片方の手の指を上下させる。
すると何も無いはずの空間からギターの弦を弾いているような音が響き渡った。
その音を聴いて永琳はかすかに視線を背後に向ける。
これが念動力による音の出るエア・ギターか、と頭の中で思いながら、永琳は話を繋いだ。

「なるほどね。そういえばライブでもヴァイオリンを弓引く格好だけをして、ハープをかき鳴らしていたわね。
 あれは一種のイタズラみたいなもの?」
「そう。私達がちゃんとした演奏の体をとっているのは、見た目の違和感を覚えさせないため……たまにはそれを崩すけど」

などと雑談を交わしているうちに、永琳は胸当てを装着し終わり、手袋をはめて弓を構えた。そして矢をつがえることなく弦を大きく引っ張る。
軋む音を立てて弓を充分にしならせた体勢で、永琳は懐かしそうに呟いた。

「……いつ以来のことになるのかしら。あれは……カグヤが生まれたときが最後だったかしら。あれからもう随分と経つのね」

小さく頷くと、張り詰めていた弦を一気に解放した。



――夜のしじまの中へ、艶のある玄妙な音が染み込んでいく。



その余韻が完全に止む頃になってようやく、ルナサが口を挟んだ。

「あのお姫様の生まれた時? 鳴弦の儀には何かそういう特別な意味があるの?」
「ええ。貴人の誕生の際に、魔を払うために行う儀式。もっとも月には穢れなんて存在しないから、全くの形だけなんだけどね。
 そういえば、豊姫や依姫が生まれたときも私がやったんだっけ」

答えつつ、永琳は弓を窓の外に向ける。それから続けざまに二度、弦を弾いた。
空気をかき乱しながら中に溶け込んでいく音を、目を閉じて充分に堪能しつつ、ルナサは呟くように言葉を零した。

「そう……少し、羨ましいな。私達三姉妹は見かけの歳はばらばらだけど、生まれた時期は同じだったから。
 だから、妹達に何かをしてあげることはできなかった」
「あら、何を言っているのよ。普段から妹さん達のために色々としてあげているんでしょう?
 私なんて、鳴弦を聴かせてあげたのは生まれた時の一度くらいだもの。しかも何のご利益もないタイミングだったわけだし。
 今ではかg……んんっ、姫様も私がなんで使えない弓を持っているのかなんて、知らないでしょうねぇ、きっと」

年長者としての共感が働いたためか、途中で何故か咳払いを混ぜながらも永琳はルナサを励ますような言葉をかけた。
それから弦を軽く爪弾いて、音を愉しむ。

「流石、いい弦を持っているのね。頑丈で、しなやか、だからこそなのか綺麗な音を立てる。
 弾幕遊びでは弓を使わないけど、こういう使い方ならしてみてもいいかも。
 さて、そんなわけでしばらく私は続けようと思うのだけれど、聴いていく?」
「Encore」
「ではお応えして、頑張って弦打ちを演奏するわ。懐かしいものに気付かせてくれたお礼も兼ねて」



風を切り、空気を震わせて、いつもは静かなはずの薬師の部屋に鳴弦の音が響き渡る。
薬師の奏でる昔時の音を、地上に降りた赤い三日月と、夜空を照らす弓張の月が耳を澄ませて聴き入っていた。






О.待宵の日



「あれ、おっかしいな~。ここ、さっき通った場所じゃん。どうなってるの?」

まだ日も昇らない時間、リリカは永遠亭の母屋の内部――襖で仕切られた薄暗い廊下を彷徨っていた。
この廊下はどこまでいっても似たような風景しか見えてこないため、自分が今どこにいるのかが非常に分かりにくいものになっていた。
試しに傍の襖を開けてみても、やはり同じような和室ばかりが目に入ってくる。
ずっと同じ場所を歩かされているのではないだろうか、そんな錯覚を抱かせる造りだった。

「どうしたの? こんなところに一人で……迷子にでもなっちゃったのかしら?」
「うん? 誰?」

リリカが途方に暮れかけていたところに、背後から声がかけられた。
振り向くと、仄かな明かりを携えて輝夜が立っている。
穏やかな笑みを浮かべながら、ライブの時とはうって変わってくだけた口調で話しかけてくる様子を見て、リリカは密かに安堵する。
その心の動きを隠して、こちらも気安い声で話しかけた。

「何だ、お姫様か……って、随分と朝早いんだねー」
「貴女こそ、いつもこんなに早起きなのかしら?」
「いやー、今朝はなんだか目が冴えちゃってねー。まだ誰も起きてない時間だろうから、暇つぶしに屋敷の中を散歩でもしようと思ってさ。
 お姫様の言ってた昔時の音ってやつが見つかればとも思ってたし」

そう言ってリリカは周りを見回す。
とはいえ、一応だいたいの部屋を調べたものの今のところ面白そうな物は見つからなかった、そうこうしているうちに道に迷ってしまった――
と、これまでのあらましをリリカは打ち明ける。
すると輝夜は袖で口元を覆いながら答えた。

「そうだったの。でもここは外部の者に立ち入られたくない場所なのよ。だからイナバの能力で惑わせているの。
 催眠廊下、私達はこの場所をそう呼んでいるわ。ここに入り込んだら最後、術者の能力が途切れるまで永久に抜け出せないようになっているのよ。
 勿論物理的に破壊するのも駄目。私の永遠の魔法がかかっているからいかなる攻撃でもビクともしないわ」
「うぇっ、マジで!? そういうことは早く言ってよね。自由に探検していいって言ったくせに~」
「あら、ごめんなさいね。でもそれなら一声かけてくれないと。この永遠亭を何の案内もなしに歩き回るのは骨が折れるわよ」
「って言ったって、誰かを起こすのも悪いし……まあいいや。こうしてお姫様が出てきたってことは、私を助けに来てくれたんでしょ?
 ついでに面白そうな音のところへ案内してよ。例えば……『ぎゃふん』って音出す人間とかいない?」

期待に満ちた眼差しを向け、リリカは輝夜の方に近付いていった。しかし輝夜は笑顔のまま首を横に振る。

「そうねぇ。でも、そろそろ朝餉の時間なのよ。それが終わった後でよろしければ案内しますけど?」
「あれ? もうそんな時間なんだ。うわー、そんなに長いこと迷ってたんだなぁ……その割には、あんまりお腹すいたような気がしないんだけど」
「ふふっ、それも永遠の魔法の効果なのよ。この廊下に迂闊に入り込んだが最後、滅びることなく未来永劫彷徨い続けることになるわ。
 さ、こんな物騒なところなんて早く出てしまいましょう。はぐれないように私についてきてね」
「……」

軽く怖気を覚え、自らの身体を抱きしめながら、リリカはゆっくりと歩き出した輝夜の後についていった。
廊下のことから気を紛らわすように輝夜の様子をじっと目で追う。
そこでふと気になる点を見つけたため、その疑問を口にした。

「ところでさぁ、さっきは気にしてる暇がなかったんだけど……その行灯、もしかしてお姫様が操ってるの?」

指差した先には、輝夜とともに現われた明かりの元――行灯が、その歩みに合わせるように宙を漂っていた。
リリカの言葉が是であると証明するように、行灯は輝夜の手元までひとりでに移動し、そして輝夜の両手がそれを抱えた。

「ええそうよ。貴女達と同じ、念動力でね。
 弾のお客様が来たときに、一度に五つの難題をもって迎えたり、大きな一枚天井を披露したりするために身に付けたのよ。
 それから……」

言葉を途中で切って、輝夜は片手を高く上げた。
すると周囲の襖がひとりでに開いていき、中から物が飛び出してくる。
輝夜の元に集まってきたのは――黄、紫の護符・黄、緑の星型の手裏剣・緑、紫の蝶型の飾り・そして金属製の柄から伸びる、青や緑のビームサーベル。
それらは輝夜の周囲を旋回したあと、散開して再び元の位置へ戻っていく。同時に、襖も閉じていった。

「『永夜返し -朝靄-』……なんてね。とまぁこんな風に、物を出したり収めたりするのにも便利ですから」
「へぇ、すごいじゃん! 一度にあれだけたくさんの物を、あそこまで自在に動かしてみせるなんてさ。
 いやー、まさか私達騒霊以外にも念動力を使える奴がいるなんてねぇ。アレかな、楽器演奏とか試してみた?」

賞賛するリリカを前にして、輝夜は誇るでも謙遜するでもなく、神妙な顔つきになった。つられて、リリカも怪訝な表情を浮かべる。
そして輝夜はその表情のまま、お決まりとなった両袖を前で合わせる姿勢をとる。

「実は、まさにそれをお願いしようと思っていたのよ。
 貴女達ポルターガイストが念動力そのものであり、その力で音曲を奏でるという話を聞いてからというもの、私もやってみたくなってね。
 どうか私に念動力による楽器演奏の術を授けてはもらえないでしょうか? 是非ともお願いいたしますわ」
「……成る程ね、そういう腹だったわけか~」

突然の改まった輝夜の態度、楽団をこの屋敷に引き留めた輝夜の意図、全てに納得するリリカ。
しばし輝夜の真摯な眼差しを受けて、熟考するような態度を示した後に導き出した返答は、目を細めた猫のような笑顔と、弾むような声音。

「面白そうじゃん! いいよ、姉さん達にも相談してみるね。
 ……ただし、こっちにも個人的なお願いが一つあるんだ。それと交換ってのはどう?」
「まあ、何かしら? 聞き入れていただいたお礼に、出来るだけのことはいたしますわよ」
「あのさ……」

永遠亭が開かれるまで誰も訪れることのなかった廊下で、リリカは殊更秘密めいた含みを持たせるように輝夜に近寄る。
こうして、二人は互いの目的のためにこっそりと密約を交わした。






待宵月の煌々と照る刻限。
水と緑で飾られた庭に面している縁側を、鈴仙はゆっくりと歩いていた。
他の妖怪兎を介して告げられた輝夜の命令に従って、指定された先へ向かう。
具体的な用件は分かっていない。しかし、おそらく遊び相手か話し相手であろうと見当をつけていた。
そうして頭の中では物思う一方、耳では流れる水の音と響き渡るししおどしの声を捉えつつ、鈴仙は目的の障子戸の前に至り、両膝をついた。

「姫、参りました、鈴仙です」
「入りなさい」

主の許しを得て、鈴仙はゆっくりと障子戸を引いていった。
月明かりが部屋を覆っていた闇色の薄絹を少しずつ払っていく。
この部屋は竹林の密度が薄いところにしつらえられているため、最も月光を集めやすいものになっていた。

鈴仙が障子戸から奥を垣間見ると、正面には輝夜が鎮座していた。
そして意外なことに、その傍には先客がいた。翼のついたキーボードを携えた楽士――リリカだった。
何故主のところに来ているのかを疑問に思いながらも、鈴仙はまず輝夜に挨拶する。

「今宵もご機嫌麗しく、姫。それで、一体何の用でしょうか?」
「ええとね、イナバ。これから面白いことを始めようと思うの。んー……永琳はこれをなんて呼んでいたかしら……コラボレーション?
 まぁ詳しい説明はこちらのリリカがやってくれるわ。じゃ、お願いね」

輝夜の言葉を受けて一つ頷くと、リリカは座布団に座ったままキーボードと身体を鈴仙の方に向けた。そして珍しく丁寧な調子で口上を述べ始める。

「さてさて、お集まりの皆様。幺楽、という言葉に何か聞き覚えはありますでしょうか?」

言い置いて、リリカは鈴仙と輝夜、双方にゆっくりと視線を向ける。
全く記憶に無い言葉だ、と鈴仙が沈黙しているところへ、リリカはどこかから拝借してきたような言葉を続ける。

「『幺楽とは、今にも消え入りそうな音楽、ここではFM音源を指す。その昔、幻想郷には幺楽団と呼ばれるFM音源をこよなく愛した楽団がいた。
 この幺楽団が残した曲の歴史を、録音し、幻想郷縁起に残す。九代目阿礼乙女 阿求』
 かつて私めはかの稗田の屋敷にて、幺楽団の歴史を記したレコードをこの耳でしかと味わったことがあるのです。
 これよりお送りしますのは、遠い歴史の狭間に埋もれた、幺楽団の幽かなる、しかし不思議で愛らしい曲……」

知っている名と知らない単語が並べて語られたことに、鈴仙は軽く驚く。
九代目阿礼乙女――稗田阿求については鈴仙も良く知っている。定期的に師・永琳の薬を届けに行っている相手だった。
この少女が幻想郷縁起という、妖怪について調べ上げた書物を書いていることは幻想郷中で有名である。
しかし幺楽団の歴史というものまで残している話は聞いたことがなかった。
初めて知る事実に、疑問とほんの少しの期待で鈴仙の胸は膨らんでいく。



「といっても、頼りはあんたの能力なんだけどねー」

突然、リリカが丁寧な口ぶりを崩した。
あまりの変転ぶりに、それまでに生まれた前のめりな気持ちに押されて鈴仙はつんのめった。
思わず、物言いも口をついて出る。

「ちょっ、何よそれ! どういうことなの? 何で私が」
「慌てない慌てない。ちゃんと一から説明するから、まぁ聞いてよ」
「そうよイナバ。話はまだ始まったばかりじゃない。それに言い忘れてたけど、コラボレーションというのは共同作業という意味。
 イナバ、改めて命じます。彼女に協力してあげて」

リリカはなだめるように手をひらひらと振り、鈴仙の勢いを削ぐ。鈴仙にとっては不思議なことに、輝夜までもがリリカの味方になっていた。
この二人の間に何かあったのだろうか、と少し疑問に思いながらも、主の命令に真っ向から逆らうわけにもいかず、鈴仙は口を閉じる。
それを確認するとリリカは経緯について話し始めた。

「そもそも私が幺楽団のレコードを聴けたのは、ツテのツテのそのまたツテ、スキマ妖怪さんに口添えしてもらったからなのよね~。
 んでその後幺楽の元、FM音源について色々と質問したわけよ、私もあの音を出してみたい、ってさ。
 まー懇切丁寧に原理について教えてくれたよ、何言ってるのかはさっぱり分からなかったけどね。
 そしたらさ、『理論より実践の方が良いかしら? なら、永遠亭にいる月の兎の能力を頼りなさい』なんて言い出したの」
「私の能力? 狂気……波長を操る程度の能力をどう活用するっていうのよ」
「ん、これから私が単調でつまんない音を出すから、それを揺らして欲しいんだ。ビブラートって言う、歌声の高さを揺らすやり方みたいに。
 『川の流れのよーにぃ~~』とか、『ワ~レ~ワ~レ~ハ~ウ~チュ~ジンダ~』って感じで」

横隔膜を震わせながら、あるいは胸をトントンと叩きながら、その振動を声に混ぜて演歌を歌ったり喋ったりした後で、リリカはキーボードから音を流し始めた。
聞こえてきたのは「ポー」という、なんとも気の抜ける小さな音だった。
輝夜はそれを聴いて曰く言いがたい顔つきになった後、何かに気付いたように声を上げる。

「これは……あれね。永琳が持っている、聴力を測るときの機械がそんな音を出していたわ」
「あ、そういえばそうですね」
「ま、こんな地味な音でも揺らしていくとFM音源特有の甲高い金属音に変わっていくんだってさ。私も半信半疑だけどね。
 じゃ、早速やってみてよ」

流れ続けている「ポー」という音に白けながらも、鈴仙は胸に手を当て、振動を生み出すのに最も適した器官・声帯を露わにするために口を開く。
そしてまずは緩やかな、不可聴の振動を生み出し、キーボードの鳴らす音にぶつけた。
結果生まれたのは、「ポ~ゥォ~ゥォ~」という、変なうなりが加えられただけのものだった。
一人聴くことだけに集中していた輝夜は、やはり白けた表情で呟く。

「……あまり良い音ではないわねぇ。なんだかふにゃふにゃ揺れているだけで、気持ちが悪いわ」
「うーん、あの人は『高速でビブラートを加えること』って言ってたっけなぁ。もっと速く振動させてみてよ」

要求を受けて、鈴仙は声帯の震えを加速させていく。すると、ある時点から音が変化していく様子に全員が気付いた。
不快なうなりが感じ取れなくなり、元の「ポー」という音が、何かの楽器を鳴らした時に出るような音に変化した。
純粋な聴き手である輝夜は、目を閉じてしばらく変化した音を吟味した後、顎に手を当てて呟く。

「! これは……オルガン、の低音階に似ているかしら? 本当に変わったわね、さっきまでの音とは似ても似つかないくらい」
「うん……確かにそれっぽいねぇ。じゃ、これから音階を上げていくから、それに合わせて振動をゆっくりと速くしていってよ」

言うや、リリカは鍵盤上に指を歩かせ音階をゆっくりと昇らせた。
リリカに言われるままに、鈴仙はその指の動きに合わせて発する波動の振動を等間隔で加速していく。
それを受けた偽のオルガンの音階も徐々に変化していった。
最後まで音を確認したところでリリカは鍵盤から手を離した。音が止んだため鈴仙も口を閉じる。
一つ溜息をつき、それからリリカは満面の笑みを顔に貼り付け、興奮した様子で叫んだ。

「これだ! これが幺楽の音、FM音源の音なんだ」
「そう……なの? 聴いたことがないから分からないけど、でもさっきあんたが甲高い金属音って言ってたわりには……」
「んー、確かに今のはあんまり金属音っぽくはなかったねぇ。えーっと、元の音の三倍くらいの振動数を持つ波で揺らせば鈴が鳴るって言ってたっけ。
 ならば……」

鈴仙と輝夜が見つめる中、リリカは何かを思い出そうとするように目を閉じ、それからゆっくりと鍵盤を叩き始めた。
最初に響いてきたのは変化する前のあの単調な音、それが音階を上下する状態が繰り返される。

その最中、リリカは眉間に皺を寄せた。
万物の波長を感じ取れる鈴仙は、リリカが激しく振動する波を生み出したことに気付く。
そして万人に明確に伝わる変化が現われた。キーボードから出ていた単調な音が一気に変化し、ベルが鳴るような耳障りの良い金属音の上下になった。
一通り演奏を終えると、他の二人が目を丸くしている中、リリカはまたも勝ち誇ったような叫び声を上げた。

「よし覚えたぞ! 音を激しく揺らすコツを。実体のないもののビブラートは、音を伝える空気そのものを二重に振動させればよかったんだねぇ」
「え、今の音は……? 私、何もしてなかったんだけど」
「ああ、あんたがやったような音の高速攪拌を、私は念動力を使ってさっきよりも速く揺らしただけだよ。
 スキマ妖怪さんに教えてもらったとおり、あんた風に言うと音の波長を短くしていけばしていくほど、甲高い音が出来るんだねぇ」
「そ、そうなんだ。さっきの波はそういう……」

先程の現象の意味をおぼろげながら理解する鈴仙。と、突然、胸に当てられたままの鈴仙の手をリリカが両手で掴んだ。

「いやー助かった! やっぱ理論よりも実践だね。幺楽の音を聴いただけとか、スキマ妖怪さんの説明だけじゃあ全然再現できなかったんだよ。
 あんたが実際に音を作ってくれる場に立ち会わなきゃ、まず無理だったかもしれないんだから。ありがと、恩に着るよ!」
「え、ええと、うん……」

掴んだ鈴仙の手を大きく上下させることでリリカは喜色と感謝の念を表す。
呆気にとられる鈴仙をよそに、リリカは輝夜の方にも密かに顔を向け、軽くウィンクしてみせた。輝夜も悪戯っぽい笑みで応える。
その笑顔のまま、輝夜は両手を合わせてリリカに提案した。

「さぁ、せっかくだから何か一曲、貴女の知る幺楽団の歴史というものを聴かせてくれないかしら? 覚えたての音でも構いませんから」
「いいよ~。……そうだなぁ、んじゃ、アルバム『阿求's Untouched Score Vol.4』より、『Maple Dream』」



題名を告げ、目を閉じてからリリカはキーボードに指を走らせ、同時に眉間に皺を寄せた。
鳴り響いてくるのは歯切れがよくて音程のはっきりした、リリカ曰くFM音源の甲高い音。
何かの楽器を奏でる音に似て、しかしそれでいて如何なる楽器でも真似できないような旋律――

しかし、やはり覚えたばかりの音を自在に扱うには無理があったのか、ところどころで外れた音が鳴ってしまう時があった。
その度ごとにリリカは思わず片目を開いて渋面を作る。
だが、本来の幺楽団の演奏を知らない二人の聴衆は、そんな些細な違いなど気にも留めないと言う顔つきで、ただただ曲に耳を傾けていた。
おかげでリリカも特に焦燥を覚えることなく、次第にミスをすることも少なくなっていった。

しばらくその不思議な演奏を聴いていた輝夜だったが、ふと何かを思いついたように鈴仙の方を見る。

「なんだか懐かしい気分になる音楽なのね、幺楽団の演奏というものは……イナバ、よく聴いておいてね。この音の作り方を。
 いずれまた聴きたくなった時、貴女に手伝ってもらいたいから」
「え、私達だけでこの不思議な音を再現するのですか? 一体どうやって……」
「私はね、彼女達に念動力による楽器演奏の方法を教えてもらう約束をしたのよ。貴女にリリカの手伝いをさせる報酬としてね。
 私がそれを使い、貴女がその音を揺らせばFM音源とやらを私達でも再現できるじゃないの」
「そういう事情があったんですか……はぁ、分かりましたよ。努力はします」

最初に覚えた二人の妙な連帯感にようやく得心がいった鈴仙は、自分が交渉のダシに使われたことに溜息を吐きつつも、自分も輝夜と約束を交わす。
それから気を取り直して耳を澄ませ、輝夜の言葉どおり懐古の念を抱かせる幺楽団の演奏、その再現に聴き入った。






○.望月の日



朝餉の時間が過ぎ、永遠亭の一日が本格的に始まろうとしている時間――

とある一室に、輝夜と、リリカ、メルラン、ルナサ達プリズムリバー三姉妹の四者が集っていた。
障子戸、襖、畳で囲まれた完全なる和室で、横並びに座る三姉妹に相対するように、輝夜だけが立っている。
その周囲には尺八と三味線が宙を漂っていた。輝夜はそれらのうち尺八を手元に引き寄せて掴み、口元に運ぶ。
そして演奏を始める前に、三姉妹に向けて曲の題名を宣言した。

「それではこれより演奏いたしますのは、アルバム『卯酉東海道』より、『竹取飛翔』……その冒頭部。
 みなさま、その耳かっぽじってよく聴きやがれ\ポー/やろう!」

どういうわけが言葉遣いを今までにないくらいに穢くした輝夜の口上に、リリカは咄嗟にキーボードを鳴らした。
このリリカの行動には特に気を払わず、輝夜は口に尺八を当てがい、ゆっくりと息を吹き込んでいった。

くぐもった響きをこもらせて、尺八から低くもの寂しい唄声が発せられる。
途切れなく流れるそれは徐々に調子を上げていき、頂上で長い、長い咆哮を轟かせた。
呼吸の限界まで吹ききった後、尺八はそれっきり口を閉ざす――

すぐさま輝夜は尺八から手を離し、三味線に持ち替えた。

「続いてアルバム『蓬莱人形』より、『蓬莱伝説』……の一節。超すげー演奏に畏れおののき逃げ惑うがいい!」

再び崩れに崩れた口調で題名を告げると三味線を両手で構え、ばちを持って弦をかき鳴らし始めた。

乾いた、鋭い音が小気味良く鳴り響く。しかし奏でる旋律自体はゆるやかで、控えめな曲調――
ほどなくその演奏は終わりを迎えた。



演奏自体は実に巧みではあったものの、口上の妙なノリについていけなかった三姉妹は、ぱらぱらとまばらな拍手を送る。
そんな中メルランだけが素直な賞賛の声をかけた。

「あら、上手じゃないの。箱入りのお姫様だから、もっと何も出来ないものだと思っていたわ~」
「うふふ、むしろ箱入りだったからこそ、このように様々な芸能の修練を積むことが出来たのよ。
 いくつかの楽器の演奏方法を習得したり念動力を身につけたりとね」

両脇に漂う尺八と三味線を身の回りでくるくると旋回させて、胸を張る輝夜。
念動力による楽器演奏の方法を享受してもらうにあたって、輝夜はまず普通に楽器を演奏できることを示してみせようと考えた。
そうすれば本題においても事がスムーズに運ぶであろうという、輝夜なりの配慮だった。

「それらの術を組み合わせて、新たな芸能を作り出すというのも面白そうね。もっとも、これに関しては貴女達に先を越されちゃってはいるけど。
 さぁ先達のお歴々。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」

そう言って輝夜は畳の上に膝をたたみ腰を下ろし、三姉妹の前に正座して三つ指をついた。
それを見て、三姉妹もそれぞれ自分達の楽器を傍に漂わせる。そして手もつけずにそれぞれの楽器を静かに鳴らし始めた。
しばらく演奏を続けたところで、リリカが口を開く。

「ええ~っと、そうだねぇ。昨日は理論よりも実践あるのみ、って言っちゃったけど、人にもよるからなぁ。
 まずは私達騒霊が念動力で音を出す仕組みについて一応説明しとくよ。
 というのも、私達が演奏で使う念動力と、物を動かすときに使う念動力とは実は別物だからね」

前置いて、リリカは両手を広げて姉達を含む楽団に注目するよう、輝夜に示した。その間にもリリカのキーボードは絶えず小さな音楽を流し続けている。

「ご覧の通り、私達は実際に楽器に触れてもいないのに音を出すことができる。でもこれは別に楽器を念動力で操作しているわけじゃあないの。
 はっきり言って楽器はなくてもいいんだよねぇ。それでも私達が楽器を漂わせているのは、そこに様々な音の幽霊を宿らせて傍に保存しておくためなんだ。
 幽霊は気質の具現。気分や想いの塊のようなものでさ。陽気な幽霊は振幅が大きく振動も激しい気質を持ち、逆に陰気な幽霊は緩やかで控えめ……
 シンセ兎さんの言葉を借りるなら、そういう波長の気質の持ち主なの。
 私達はこれら音の幽霊の気質を利用することを念動力と名付けて、音楽を生み出しているのよ」

言葉を途中で切り、リリカはルナサやメルランに目を向けた。
妹の意図を察して、姉達はそれぞれ自分の音について説明する。

「私は停滞する気質――憂鬱な気分、大事を成し遂げるときの苦難――それらの『念』を元に『動力』を生み出し、空気を震わせる」
「私は開放の気質――楽しい気持ち、困難を乗り越えて達成したときの喜び――そういった『念』を『動力』に変えて、空気を騒がせる」
「姉さん達が気質の起伏を表現するならば、私は残った想いそのもの、純粋な『念』を使って『動力』として表し、空気に伝える。
 その結果出てきた音が、それぞれ弦楽器、管楽器……私の場合は色々な楽器だけど、とにかくそういうのに似ているの」

三姉妹の説明を聞き終えて、輝夜は目を丸くする。そして少し不安そうな声音で質問を口にした。

「貴女達の奏でる音楽は幽霊の音楽……? ということは、音の幽霊を扱う術を知らないと、貴女達のような演奏は出来ないということ?」
「うん、まぁ……そういうことかな。お姫様も使うような、物に働きかけるだけの念動力では無理なんだ。
 私達がやっていることは空気と耳を媒質として、音の幽霊を聴いている者にとり憑かせているようなものでね。
 だから聴いている者の精神に強く影響し、行動までも変えてしまうのよ」
「そう……」

決定的なリリカの言葉を聞いて、輝夜は軽く肩と顔を落とした。切り揃えられた前髪で目元が隠される。
その期待はずれの様子を見て、リリカは慰めの言葉を続ける。

「あれ? ごめん。ちょっと変な方に期待を持たせちゃってたのかな?
 でもさ、お姫様がやりたいのって、念動力で複数の楽器を自在に演奏してみたいってことだよね?
 それだったらお姫様のでも充分可能だと思うよ。あとはその演奏にしっかりと魂を込めれば、人の心を打つ曲なんていくらでもできるんだから。
 ……って言うか、正直姉さん達のソロ演奏は心に響かせすぎていると思うしね」
「演奏に……魂を?」
「そうね、それこそが音を奏でる者にとって一番大事なこと……ちょっと貸していただけるかしら?」

リリカの言葉の後でルナサが横から口を挟み、三味線を指差して要求した。
言われるままに輝夜は三味線の支配権を手放し、ルナサに譲渡する。
ルナサは三味線を手繰り寄せると、しかし手は触れずにばちを操って弦を弾き始めた。同時に、弾いた弦を不可視の力で適切に押さえてやる。

「……このように、念動力で三味線を弾く方法なら私でも教えることは出来るわ」
「そうそう。それから私も~」

続いてメルランが尺八をやんわりと拝借した。
その尺八に対し、メルランは不可視の力で穴を塞ぎつつ、吹き口周りの空気を動かすことで音を鳴らしてやった。

「こんな感じでよければ、教えてあげる」
「でも、こういう操作を同時に複数の楽器に対して行い、それで一つの曲を作り上げるのは非常に困難なことだと思う。
 それでも貴女がやり通す意志を示すというのなら、お付き合いしましょう、依頼主・蓬莱山輝夜様」

薄く笑むルナサ、満面の笑顔で見つめてくるメルラン……それら視線の集まる中、輝夜は口元をほころばせることで答えた。

「ええ、是非ともお願いしますわ」

そんな中、一人取り残されたような形になったリリカは心中でこっそりと呟く。

(……おや? なんだか楽が出来そうだね~。姉さん達にも声をかけておいて正解だったな)



昼を過ぎた頃、一通りの操作方法を覚えた輝夜は、あとは反復練習あるのみということで、三姉妹を解放した。
「では、頑張って」というルナサの言葉を残して、障子戸がゆっくりと閉じられる。
一人残った輝夜は練習再開前に腹ごしらえと思い、手を叩いて小間使いの妖怪兎を呼びつけようとする。
その前に、先程三姉妹が出て行った障子戸が開いた。

「あ、姫様いた! あのさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」
「あら因幡。何、どうしたのかしら?」

障子戸から入ってきて気安い声をかけてきたのはてゐだった。
仕えるべき姫君を前にして、しかしてゐの態度には全く畏まったところがない。
もっとも輝夜の方もそんなことは気にしていない。ただ、てゐの用件のみに意識を傾ける。

「昼ごはん食べているときに気付いたんだけど、どうも朝から一匹、妖怪兎が足りないんだよね~。
 姫様、な~んか知らないかなーって思ってさ。ほら、よく湯たんぽ代わりにして寝てるから、姫様のところかな~って思ったんだけど」
「さあ? 私は知らないわ。というか湯たんぽが必要な季節じゃないしね、今は。もっと他を当たってみたらどう?」
「ふぅん。ま、そうするよ」

納得したのかしていないのか、表情にも声にも出さずにてゐは踵を返す。
その背中に輝夜は一つ要求を渡した。

「そうそう、誰か小間使いの子を呼んでちょうだい。昼餉をこの部屋に持ってくるようにってね。
 それと……私は昼餉を済ませてからは須臾の時間の中で過ごすから、例月祭のことは永琳と相談するように」

てゐは振り向かず、了承の意を示すようにひらひらと手を振ると、障子戸を閉めて出て行った。



その後、永琳の部屋の前を訪れたてゐは、しばし途方に暮れることとなる――






「このトランペットはねぇ、何人もの人間の生き血をすすってきた、いわくつきの恐ろしい楽器なのよぉ!
 その阿鼻叫喚のメロディを聴いて、無事だった食料はいないわー!」
「うさにく、うさにく~……って、メルラン姉さん、そろそろやめてあげようよ。この子ら、本気で怖がってるからさ」

午後になってから暇を得たメルランとリリカは、縁側で妖怪兎達と戯れていた。
今のように兎を追いかけ回したり、一緒になって蹴鞠に興じたりと、いつものように軽く汗を流す。

しばらくすると、遊び疲れたのかリリカが兎達の輪から外れて永遠亭の母屋へと向かっていく。そこには、縁側に腰掛けているルナサがいた。
目を細めて妹達が兎達と遊んでいるのを眺めていたルナサは、穏やかな調子でリリカに話しかける。

「お疲れ様」
「いやもうホントに。メルラン姉さんのバイタリティには敵わないよ~。アレかな、ハッピーサウンドを聴き続けている限り限界が来ないとか。
 それにしてもさ……結局ライブの話は全くなかったことになったよねぇ。まぁその代わりに演奏指導のようなイベントがあったけど」
「ええ。私はこういうのも面白いと思ったけど、リリカはどうだった?」
「そりゃ、興味が湧かなきゃお姫様のお願い事は断ってたよ。
 最初は面白そうなセキジの音ってのを期待してたけど、今の永遠亭にも色々と面白い音があったねぇ。
 そういうのを見つけられただけでも、ここでの滞在は満足かな!」
「ん、私もそう思う。
 ……ほら、冷たいお茶。さっき兎に頼んでおいた」
「おお、気が利くじゃん! さっすがルナサ姉さん」

ルナサの隣、縁側に上半身を転ばせたリリカが跳ねるように起き上がり、コップを拝むように受け取った。



リリカが抜けた後も、メルランは相変わらず人型、獣型を問わず妖怪兎達を追いかけていた。
悲鳴のような嬌声のような騒ぎの中を、しかしメルランの耳は兎達の足音が立てるリズムに重きを置いて捉えている。
この足音のリズムが本当に万人の心に響くハッピーサウンドかどうかは、実のところメルランにも分かっていない。
だが少なくとも自分にとってはそうであるため、メルランは自らのためにそのリズムを耳から全身にまで満喫させていた。

と、兎の足音に慣れた耳が、不幸せそうな足音の混入を聴き分けた。
見ると、いつもは快活なはずのてゐが眉根を寄せながら腕を組んで近付いてくる。周りが目に入らない様子で、挨拶をしようとする素振りさえ見せない。
気になったメルランは、てゐの前に駆け寄っていった。

「どうしたの? いつも元気な貴女が珍しいじゃない」
「……ん? ああ、あんたか、盟友」

他者に幸福を、という共通事項で意気投合した二人は周りには内緒のうちに友誼を結んでいた。
その盟友の不調を少しでも解きほぐそうと、メルランは腰を落として目線をてゐと合わせる。

「悩み事、かな? なんだか難しそうな顔してるわよ。私でよければ相談に乗るけど?」
「まぁそんなところ。でもこれは部外者に言っても仕方がないこと……って、ああ!」
「?」

向き合うなり、元気のない調子で言葉を零していたてゐだったが、突然何かを閃いたかのように目を見開き大声を上げた。
そのままメルランから目を反らし、鋭い目つきで独り言を呟きながら考え込んでしまう。

「……でも……いや、うん……こうすれば……」
「もしも~し? 聞こえてます~? ……あ、耳やわらかーい」

一向に反応のないてゐの耳を掴んで、メルランは呼びかけを続ける。声だけでは駄目なのかと掴んだ耳を上下左右に引っ張ってもみる。
「ぐるぐる~」と、しばらくその耳を回転させていたメルランの片手が、突然伸びてきたてゐの両手に捕らえられた。
そのまま、握り締められたメルランの手はてゐの胸の前辺りに運ばれていく。
ようやく気付いてくれたと思っててゐの顔を見ると、妙に潤んだ両の瞳がメルランを見返していた。

「お願い盟友、私を助けて! 貴女の力がどうしても必要なの! じゃないと私、わたし……」
「……え~っと、まずは事情を説明して欲しいかな~」

とりあえずてゐをなだめようと、メルランは空いている方の手でてゐの頭を撫でてやった。
それでもなお、てゐは興奮しきった調子で言葉をまくしたててくる。

「あのね、永遠亭では満月の日の夜に例月祭という行事を執り行っているの。
 そのお祭りでは私達妖怪兎が犯罪者二人のために健気にも頑張って、お餅を搗いて月に捧げているのよ。
 でね、このお祭りを盛り上げないとお師匠様や姫様に身を裂かれるように酷いお仕置きをされちゃうの!
 私は兎達のリーダーだから、責任も重大。もしも盛り上げられなかったら私、鍋で煮られて食べられちゃうかもしれない……」

喋り方が変わっていることを不審に思いつつも、顔には出さないでメルランは相槌を打つ。

「そっかぁ、それは大変ねぇ」
「嗚呼、盟友! そんなかわいそうな私を助けると思って、貴女の力を貸してくれないかしら」
「んー、何をすればいいのかしら……って、何となく予想はついたけど」
「助けてくれるの!? くれるのね! ありがとう盟友! ええ、貴女にやってもらいたいことはとっても簡単。
 例月祭の時に、ソロでトランペット演奏を皆に聴かせてくれればそれでいいわ。そうすれば祭りも充分に盛り上がるでしょう。
 ああでも、あまりやりすぎて兎達を外に出すほど興奮させないでね」
「分かったわ。いつもは墓地でやっているソロライブを、この永遠亭でもお届けすればいいのね」
「よろしく頼むよ! じゃ、今夜、庭に来てね!」

最後は微妙にいつも通りの口調に戻りながら、てゐは駆け去っていった。
後に残されたメルランは、しばらくぶりに本格的に依頼されたソロライブに向けて、心を弾ませながら計画を練っていた。
その頭の中からはてゐの態度に対して覚えた違和感など、すっかりと拭い去られていた。
向こうの思惑がどうであれ、自分が思いっきり演奏できればそれでいい――それが、大らかな気質を持つメルランの思惑だった。






日が沈み、茜色の空が完全に濃い紫に塗り替えられてしまった頃合。

例月祭に向けての準備を進めている妖怪兎達が行き交う庭――それに面している縁側を、鈴仙は熱せられた石の器を盆に載せて歩いていた。
器の中身は石焼ビビンバ、輝夜の好むメニューの一つである。この夕食を届けるために、鈴仙は輝夜の元へ足を運んでいく。
その口は、笛でも吹くかのようにすぼめられていた。しかし、実際に空気に乗せられる音は口笛のそれとはかなり異なる、甲高い金属音。
それは昨晩リリカに教えられたFM音源の音だった。

「え、あの『ポー』っていう音はどうやって出すのかって? いや、あんたなら能力使えば別にどんな音でもいけると思うけどね。
 あえて似たものを挙げるとすれば、口笛の音かな。それを高速で揺らせばいいんじゃない」

昨晩、幺楽団の演奏を終えたリリカにFM音源の練習法を訊いたところ、このような答えが返ってきたため、鈴仙はその言に従って励んでいるところだった。
しばらくは色々と波長を変えて音を振動させていた鈴仙だったが、輝夜のいる部屋に近付いたところで口笛を止めた。
すると障子戸の向こうから何やら音が聴こえてくる。それは、録音した音が早送りで流されているような、妙に甲高く耳障りな音だった。
胸騒ぎを覚えた鈴仙は断りもいれずに障子戸を開く。

「姫、何事ですか!? ……って、あれ?」

部屋の奥で、輝夜が尺八と三味線を伴って直立している様子だけが目に入ってきた。
不快な耳鳴りはその二つの楽器から響いている。しかしその一番近くにいる輝夜は静かに目を閉じていて、何か集中している様子だった。
と、鈴仙の来訪に気付いたように目を開き、同時に口も丸く開く。ついでに不快な音も止まった。

「あら、イナバ。何しに……ああ、夕餉ね。私の外はそんな時間にしかなっていなかったのね」
「外がそんな時間って……もしかして、須臾の術ですか?」
「ええそうよ。ちょっと急いで演奏方法を習得しないといけなくなったからね」

須臾――それは人間には感知できないほど短い時間。輝夜はこの瞬きの間を普通の人間と同じように活動することができた。
この能力により、人間にとっての一秒を一時間の密度で過ごすことが可能となる。それは人間からすれば、異なる経歴を複数重ねることに等しかった。
輝夜はこの須臾の術を使って、短期間の内に念動力による楽器演奏を身につけてしまおうと画策していた。

鈴仙が部屋に据え置いてある懸盤に石焼ビビンバの器を置いていると、突然輝夜が膝をついた。慌てて、鈴仙は駆け寄って肩を貸す。

「姫!」
「正直、甘く見ていたわ。念動力を二つの楽器に作用させて、しかも一つの曲としてまとめることがこれほど難しいことだったとはね。
 それに見切り発車もよくなかったわ。明日までには習得しないと間に合わないなんて……」
「? 何のことかは分かりませんけど、あまり無理をなさらないで下さい。いくら死ぬことのない身とはいえ、もう何日分も休んでいないのでしょう?」

時間の流れを圧倒的に早められた状況では、体力の消耗もそれに引きずられることになる。
それでも輝夜が存続を維持できているのは、永遠に死ぬことがない身であるからだった。
否、すでに常人と同じように何度も過労死を迎えていた。その度ごとにリザレクションを繰り返してきたのである。
心配そうな目で見つめてくる鈴仙に笑顔を返し、輝夜は懸盤の前に座り込む。

「そうね……妥協するのは悔しいけど、片方だけを念動力で操り、もう片方と合わせることだけに集中しましょうか。
 私の魂にとって時間は無限、だけど肉体と精神はそれについて来てくれない――それが今回の苦い教訓だったと肝に銘じましょう。
 考えてみれば今まで急いで何かを成し遂げようとしたことなんて、なかったわね、一度も……」

深い溜息をつく輝夜。そして息を吸い込んだとき、温かい匂いが鼻腔をくすぐってきた。

「ありがとうイナバ。夕餉、わざわざ届けてくれたのね」
「いえ、その、てゐがひょっこり現われて、『姫様に精のつく晩ごはん作ってあげてね。わたしゃ例月祭の準備で忙しいから』って言ってきたんですよ」
「そう……じゃあ因幡にも後でお礼を言っておくわ」

従者達の気遣いに染み入りながら、輝夜は湯気を立てるビビンバを匙ですくい、口に運んでいった。



ちょうどその時、庭の方から和太鼓の音が響き渡ってきた。



夕餉を頬張りながら輝夜は夜空に目を向けた。そこには真円を描く金色の月が煌々と輝いていた。

「始まったわね、今月の例月祭が。イナバ、永琳は何か言っていたかしら?」
「それが……お部屋に伺ったのですが、『急患でもない限り、私を呼んではいけない』という貼り紙がありまして。
 というか、ここしばらくは師匠の姿を見ていないのです。私も、てゐも、他の兎達も」
「ふうん、言われてみれば最近私も会っていないわ。じゃあ、ずっと部屋に篭もりきりなのね。
 ……大丈夫かしら、例月祭。ちゃんと盛り上がってくれれば良いのだけど」

鈴仙の報告を聞いて、輝夜は一つの懸念を胸に抱いた。
例月祭で兎達が搗く餅には永琳の作った興奮剤が混ぜてある。それを兎がつまみ食いすることを見越して、祭りが盛り上がるように仕組んでいた。
しかし今日はその永琳が不在であったという。そうなると祭りの勢いがいつもよりも不足してしまうことになる。

だが、そんな輝夜の懸念を吹き飛ばすかのように、爽快なトランペットの音が満月の夜空に鳴り響いた。






重い低音が響く。歯切れの良い木の音が鳴る。柔らかい音が弾ける。賑やかな歌声が唱和する――

それらの音を煽り立てるように、高らかな金管のアンサンブルが夜空を突き抜けていった。
開放の気質が庭の空気をかき乱し、その場にいる妖怪兎達の精神を否応なく昂揚させていく。
人型の兎は、ある者は杵をもって餅を叩き、ある者は和太鼓の胴をばちで叩く。
獣型の兎は和太鼓の皮の上で大きく飛び跳ねて音を打ち鳴らし、たまに傍にいる人型妖怪兎の頭の上で休む。
そして、声を揃えて歌を歌っていた。

メルランの奏でる金管は祭りの騒動を極限まで高め、しかしその足並みを崩すことなく一つの音曲としてまとめあげてみせる。
そうしてメルラン自身は、歌い踊りながら合奏を演じる兎達のハッピーサウンドを全身に浴びていた。



そのいつにもまして賑やかな光景を、てゐは遠く母屋の縁側からご満悦の顔つきで眺めていた。

「おお~、聞きしに勝る効能だねぇ。見事見事。いやー、こりゃお師匠様の薬以上かもしれん。
 最初お師匠様に面会できないと知ったときはどうしようかと思ったけど、上手い具合に代えが利いたもんだ。
 盟友もなんだか幸せそうだし、善き哉善き哉」

感嘆の声をあげてから杯を一献傾ける。酒が回っているためか、てゐはいつもよりも饒舌になっていた。

「……ゐ」
「しかしまぁ、盟友の奏でる躁の音ってのはすごいもんだね、聴いている者の気分を盛り立て、騒がずにはいられなくする、か。
 これほど分かりやすい幸福感の作り方、わたしゃ知らなかったねぇ。長生きはするもんだ、面白い縁を築けたんだか」
「てゐ!」
「らぁ!?」

突然、背後から何者かに両肩を掴まれた。慌てて振り返ると、そこにはいつの間に近付いていたのか、鈴仙が膝をついていた。

「なな、なんだ、鈴仙か。何か用?」
「何をそんなに慌てているのよ。それにどうして返事しなかったの? 私、結構遠くから貴女を呼んでいたんだけど」
「えー……っと? ごめん、もっとゆっくり喋ってよ」
「?」

その言葉に、鈴仙は不思議そうな顔つきになる。実際そこまで速く喋っているつもりはなかった。
さらに、てゐは何故か鈴仙と目線を合わせようとはせず、どちらかというと口元に注目している様子だった。
違和感を拭い去りきれない状況の中、それでも鈴仙はてゐに褒め言葉を伝える。

「……まぁそれはともかく、例月祭に騒霊のトランペッターに協力してもらったのは貴女の手腕よね? 姫が感心していたわよ」
「あー……うん。ども」

いまいち反応の鈍いてゐが、鈴仙はいよいよ怪しく思えてきた。それと同時にてゐがどうして一人例月祭に参加していないのかも疑問に思う。
そしてその疑問は、何故てゐだけがメルランの演奏の中で正気を保てているのか、というものに変化した。
ここに至って、鈴仙は先程からのてゐの態度の中に一つの答えを見出す。
口元に集中しているてゐの目線を掻い潜って、鈴仙はてゐの両耳に両手を近付け、その外耳道に素早く手を挿し入れた。

「ああ!」
「……やっぱりね。耳栓で音が聴こえないようにしていたわけか。だから私の唇の動きを読むことに集中していたのね」
「うぁ~かえして鈴仙。あ、か、身体が勝手に踊りだすぅ~」

耳栓を外されたことでメルランの音楽が耳に流れ込み、てゐは躁の気質にとり憑かれてしまう。
そのてゐに呆れたような一瞥を送りつつ、鈴仙は立ち上がって突き放した。

「駄目よ、祭りの盛り上げをお客様だけに任せて自分はサボろうだなんて。ちゃんと皆と一緒にお餅を搗きなさい」
「そうそう。酷いわよぉ盟友。私にソロライブを頼んでおいて、貴女だけ聴いてくれないなんて」
「うわぁっ!?」

物陰からひょっこりと、ソロライブを行っているはずのメルランが顔を出した。そして素早くてゐの左腕をしっかりと絡め取る。
それから鈴仙も、メルランの登場にわずか驚きつつもてゐの右腕をがっちりと固めた。そうして二人、てゐを庭まで引きずっていく。

「さあさあ、このテンションで兎のダンス、張り切っていきましょう! たらったらったらった~」
「あーれぇー……って、鈴仙はなんで平気なのさ!?」
「狂気を司る私がこの程度で正気を失っては格好がつかないでしょう?」

てゐとメルランに向けてさらりと嘯く鈴仙。
実のところ、鈴仙はメルランの奏でる音の波長を半分ずらした波動を生み出して、その演奏だけを選択的に打ち消していた。
そうすることで兎達の陽気な合奏やてゐの言葉だけに耳を傾けていたのである。

空中でトランペットが鳴り続けている庭の中心まで至ると、鈴仙とメルランはてゐを解放し、その手に杵を持たせた。
それを確認すると、メルランは楽しげに兎達に呼びかける。

「みんな、リーダーが来たわよっ! さあもっともっと盛り上がっていきましょー!」
「いやこれ以じょ\おーっ!/勘べ\いぇー!/て\キャーメルラーン/っ!」

てゐの悲鳴は、他の妖怪兎達の賛同によって脆くもかき消されてしまった。
それを満足そうに眺めつつ、鈴仙は今までにないほどの盛り上がりを見せる例月祭を傍で満喫することにした。






Ο.十六夜の日



「イナバ、永遠亭の総員に向けて全通話チャンネルを開きなさい!」
「かしこまりました」
「ただし、渾天の間には絶対に音を洩らさないよう、細心の注意を払ってね」

朝から輝夜に呼びつけられた鈴仙は、命じられるままに耳を動かしてその声の波長を巧みに操作する。
まずは輝夜の声が遠くまで及ぶように、その波長が消えてしまわないように保つ。
そして全ての住人の耳元においてその振幅を増し、輝夜の言葉を届けていった。
一方、渾天の間の付近では逆に声の振幅を減らし、そこにいるであろう三姉妹には聞こえないように調節する。
さらに、鈴仙は他の住人達の声にも同じ操作を施し、皆の声を輝夜に伝えていった。

「みんな、演奏会をしましょう! 滞在しているプリズムリバー楽団の方々を今度は私達が楽しませてあげるのよ」
「あら、面白そうじゃない。いいわよ輝夜」
「う~ん、私は面倒くさいんだけど、他の皆がなんだかやる気だからねぇ。しょうがない、乗ったよ、姫様」
「がんばりまーす」
「ところで永琳。真っ先に賛同してくれたけど、貴女の演奏できる楽器はあるのかしら?」
「大丈夫。こういうこともあろうかと最近ハープを練習していたのよ」
「……お師匠様、昨日までの引き篭もりの理由ってそういう……というかハープなんて持ってたんだ」
「ええ。つい最近までは壊れていたようなものだったのだけど、修理と改造を施して、ね」
「じゃあ因幡達は? って、愚問だったわね。何せ、つい昨晩に貴女達の演奏会を聴いたのだから」
「ぺったんぺったん~」
「うぅ、筋肉痛が……盟友め、無茶させやがって……」
「ところで指揮はどうするの? 聞くところによると、輝夜、貴女は楽器の演奏だけで手一杯だっていうじゃない」
「そうねぇ……イナバにお願いしようと思っているわ」
「ええっ、私ですか!」
「適任だと思ったのよ。貴女の音楽はその自慢の喉を震わせることなんだから手は空いているでしょ?
 それに、貴女なら私達の演奏の足並みを確実に揃えてくれるからね。期待しているわよ、永遠亭の調律師さん」
「ふむ、いい采配ね。ウドンゲ、始めに言っておくけど、姫が貴女に指揮権を渡した以上その役割はしっかりと全うしなさい。
 私達の立場に遠慮なんかしたら承知しないわよ」
「な、成る程……わかりました、精一杯のことはします」
「うどんげまえすてらー」
「なんだか、語感が悪くてかっこ悪いねぇ」
「うるさいよ」
「でね、演奏する曲なんだけど、昨日からずっと私が練習していたものに合わせてもらうわ。
 曲は蓄音機で流すから、イナバ、しばらく皆に聴かせてあげてね。題名は……」

プリズムリバー楽団のあずかり知らぬところにて、密やかにされど賑やかに、一つの企てが計られる――






生い茂る緑が籠を織り成す、迷いの竹林。
めったに人の訪れることがないこの林の中に、一つの小さな庵があった。
人が住んでいるのかどうかも分からないくらいに荒れ果てたその中で、一人の少女が壁に背をもたれさせてじっとしている。
少女は深い眠りについているようで、寝息を立てるたびに雪のように真っ白な頭がゆっくりと上下する。
そのあどけなさの残る寝顔に、庵の隙間から差し込んできた茜色の日差しが手を差し伸べ、頬をゆっくりと撫でていった。

「……んん」

目蓋の裏側に感じた明るさと暖かさに起こされ、少女はゆっくりと目を開く。同時に、手で目元を軽くこすった。
まだ覚醒しきっていない頭のまま光源を目で追い、そしてすぐに手で目元を覆った。
茜色の残光に目をくらませながら少女は気だるげに呟く。

「うっ、まぶし……なに、もうこんな時間だったの? 黄昏時まで寝ていたなんて……不摂生のし過ぎだなぁ。
 あ~、頭が重い~」

少女は寝すぎた頭を撫でつけるために手を頭上へ運ぼうとする。

「……お?」

その手が自分の髪とは異なる感触を捉えた。何やらもこもこと柔らかく毛羽立っていて、しかもその生えている元は触るとぷにぷにした弾力感に満ちていた。

「って何よこれは!?」

明らかに自分の頭とは異なる感触に、少女は目を一気に開いた。そして、何かが頭の上に乗っていて、自分はそれに触っているのだと気付く。
慌てて両手を頭上に回し、乗っている柔らかな塊を掴み上げた。そのまま目の前まで降ろしていく。
見ると、それは獣型の妖怪兎だった。その兎はつぶらな瞳で少女を見返している。

「お前……アイツんとこの兎か? なんだってこんなところに……」
「まよったー。かえれなーい」
「はぁ? ……はぁ」

少女の疑問に片言を返す兎に、呆れ声と溜息で応じる。

「なんだ……お前等永遠亭の兎の間じゃ、私は迷子の子兎ちゃんを送り届けてあげる親切なおまわりさん、ってことにでもなっているのか?」
「ごえーいらーい。ほおびもあるよ?」
「いや、褒美って言われてもね」

起き抜けに突然舞い込んできた仕事の依頼に、少女は渋面を作る。
確かに、少女はこの迷いの竹林で迷い人を助けたり、依頼を受けて永遠亭まで道案内することを生業としていた。
その事情はどうやら永遠亭の兎達にとっても常識となっているらしいことが窺える。

「はっ、アイツめ、余計な手間をかけさせてくれる。飼っているんだから、ちゃんと管理ぐらいしろというのに。
 ……着いたら散々苦情でも並べ立ててやろうかしら。ペットの飼育放棄は重大な問題だって」

何かを吹っ切るように息を短く吐くと、少女は立ち上がり土間まで歩いていく。
それを見て手の中の兎が嬉しそうにはしゃいだ。

「れっつごーえいえんてーい!」
「はいはい、いいから大人しくしてて」

少女の要求を聞くや、兎はぴたっと動きを止めた。その変わり身の速さに苦笑しつつ、少女は庵を出て竹林の中へ歩いていった。






奇しくも、昨晩の例月祭の始まる時刻と同じ頃合。
永遠亭の庭にいつかの騒霊ライブのときのような簡素なステージが設置されていた。ただし楽団と聴衆がその時とはすっかり入れ替わってしまっている。
聴衆はわずか三名・プリズムリバー三姉妹。
対して楽団は、人間が二人・輝夜と永琳、てゐを含む人型の妖怪兎が多数、そしてその一部が頭の上に獣型の妖怪兎を乗せていた。
その中間、楽団を指揮する位置に鈴仙が立ち、各演者に向けて音合わせの指示を出している。

「永琳、それが今朝言っていたハープ? ……まさか、弓の弦を増やしただけのものとは思わなかったわ」
「あら、これでもちゃんとした楽器になってるのよ。そもそもハープの原型は弓なわけだしね。
 そしてこの弦はすべてヴァイオリニストのお墨付きの品、決して普通のハープに引けはとらないわ」
「そう、でも私達の楽器は音が響き渡りにくいかもしれないわね。だからね、これを使おうと思っているの」
「それは……『エイジャの赤石』ね。効能はたしか、波……の増幅、でよかったのかしら? いずれにしても、少々強引なアンプねぇ」
(アンプ? ……音符の親戚か何かかしら。永琳ったら、また妙な横文字を唐突に言い出すんだから)

縁台に腰掛けて三味線を構え、傍に尺八を漂わせている輝夜と、弓に弦を多数張った即席のハープを携える永琳が談笑している。

「てゐ、例の部分では兎達の杵搗きのタイミングをしっかりと統制しなさいよ」
「そっちこそ、指揮に手一杯になってて波長操作を忘れないでよー」

手前に木臼を並べ、杵を構えて隊伍を組む妖怪兎達に向けて鈴仙の念押しが入り、てゐがそれにやり返す。

「いつもどおりでいいよね」
「うんたん、うさたん、うんたん、うんざん」

和太鼓のばちを構える人型の妖怪兎が、頭上に鎮座する獣型の妖怪兎と仲良く確認を取り合う。



それら急ごしらえの楽団の様を、ルナサは客席――長い縁台に緋毛氈を敷いたもの――から少し心配そうに見つめる。

「……まさか自分達がライブを演じるのではなく、永遠亭の方々にライブを演じさせる方向に進めていたとは思ってもいなかったわ。
 それにしても一回の通し演奏もなしというのは……大丈夫かしら?」

しかしそんなルナサの懸念を、気楽そうなリリカの声が打ち払う。

「大丈夫、あのシンセ兎さんがコンダクターをやるんでしょ。なら問題ないよ。波長のスペシャリストだからね~。
 音の振幅の大小から演奏の位相の関係まで全て読み取って、しかも適切な指示を言葉で伝えることができるんだからさ」
「そうそう。それに盟友から聞いたんだけど、妖怪兎さん達は以心伝心に優れていて、リズムを合わせるのが上手なんですって。
 だから、後は輝夜さんと永琳さんの二人を皆と調和させればいいのよ。
 ……あ、二人とも、そろそろ始まりそうよ」

さらにメルランも横から口を挟んだ。そしてルナサとリリカに向けて、ステージへの注視を促す。
見ると、鈴仙を始めとする永遠亭の住人達が客席に視線を集めていた。
そんな中、縁台に座っていた輝夜が立ち上がり、胸の前で両袖を合わせて会釈をした。

「遠いところより失礼します。今宵は我々の急な申し出にお付き合いいただき、真にありがとうございます。
 プリズムリバー楽団の皆様の素晴らしい演奏を堪能してからというもの、音楽を演奏することの楽しさを自分達でも味わいたいと思うようになりまして……。
 私自身熟練が足りず、結局尺八だけを教えられたとおりに演奏することしか出来ませんでしたわ。また、皆の連携も不充分かと少々心もとないところも残りました。
 ですが、それでも恥ずかしくない程度の合奏を演じてみせようと意気込んでおりますの。
 どうぞ心ゆくまでご鑑賞下さい。曲目は、『月まで届け、不尽の煙』」

頭を垂れ、輝夜は縁台に腰を下ろすと同時に三味線を構えなおした。
それを合図に鈴仙のみが踵を返し、両手を宙に掲げ、一拍の間を置いてから力強く振るった。






開幕を告げるのは永琳のハープ。ゆっくりと愛撫される弦は艶やかに震え、澄んだ音色を夜空に溶け込ませていく。
リフレーンの原型となるフレーズの演奏が、和太鼓の胴を歯切れ良く叩く音で区切りを打たれた。

鈴仙が輝夜に向けて合図を送る。
それを受けて、輝夜は三味線のばちを激しく上下させた。
時を須臾に刻む程に速く、細やかな三味線の打弦が走り出す。その三味線の疾走を、妖怪兎達による和太鼓の足踏みと胴を叩く木の音の二足とが伴走する。

それらの足並みを揃えつつ、曲を邪魔せぬよう鈴仙は休んでいる永琳にのみ遠距離交信を送り、先程の演奏の評価を伝える。

「師匠、音が少し弱かったように思います。師匠らしいですけど、もうちょっと力強く爪弾いて下さい」
「ふむ、力をセーブしすぎたかしら? わかったわ、気をつけましょう」

永琳はハープを構えなおし、三味線で主旋律を奏でている輝夜からバトンを受け取った。
再びハープがかき鳴らされる。今度の旋律は艶があるだけでなく、どことなく力強い響きをも生み出していた。
音の変化を確認して、鈴仙は永琳に向けて小さくウィンクを送った。永琳も目礼と微笑で返す。
しばらく後に、輝夜が三味線をリズミカルにかき鳴らして、主旋律に彩りを添える。

この演奏は次のフレーズのための助走でもあった。永琳がハープを爪弾くのを止めると同時に、再び三味線と和太鼓による疾走が始まる。
しかし先程とは違い、途中から妖怪兎の飛び跳ねる高さが低くなり、太鼓と胴を交互に打つ間隔が短くなっていく。
それと同時に輝夜は念動力を尺八に働きかけ、何かに駆り立てられているように疾走する音曲を物悲しい旋律で飾り立てた。

和太鼓の胴を打つ乾いた響きが、区切りをつける。
それを耳に入れつつ、鈴仙はてゐ達に向けて腕を振るい、同時に口を開いて声帯を激しく震わせた。
指揮者の合図に応じててゐ達は一人ずつ順番に杵を振り下ろしていき、わずかにタイミングをずらしながら杵が木臼に叩きつけられる。
産声を上げた音はしかし、木の音とは大きくかけ離れた、余韻を残す甲高い金属音――鈴仙による波長操作を受けて変調された、作り物の鉄琴の響きだった。
隊伍を組んだてゐ達は一人が一音階を担当して打つことで、一つの鉄琴の連弾を演奏していた。
妖怪兎達の息の合った連携が作り出す耳障りの良い音階の上下が、和太鼓のビートと軽く爪弾かれるハープによって装飾される。

その間に鈴仙は演奏を止めた輝夜に激励を送った。

「姫、全体的に遅れ気味ですね。複数の楽器演奏は大変でしょうが、もう一息のご健闘を」
「大丈夫よ、ありがとう。まだまだ余裕はあるからもう少し速く弾くことにしましょうか」

演奏は再びハープを主旋律としたものになり、鉄琴のウェーブは止まっていた。そのてゐ達にも鈴仙は素早く指示を飛ばす。

「てゐ、貴女達自身のタイミングは完璧だったけどちょっと先走りすぎよ。もう少し皆の演奏に合わせて」
「あいあいよ~……そらもう一丁!」

永琳のハープに伴って、再びてゐ達は鉄琴のウェーブを打ち鳴らし始める。鈴仙は声帯を震わせながら、調和の取れた演奏に満足そうに目を細めた。

和太鼓の胴を打つ乾いた響きが、区切りをつける。いよいよ演奏はここからが最高潮だった。
鈴仙は要となる輝夜に向けて合図を送る。それを受けて、輝夜はいつもよりも強い念を込めて動力を生み出し、尺八の演奏に全力を注いだ。

長い、叙情的な尺八の音が夜空に高々と響き渡る。
深い慟哭のようなその旋律を、永琳のハープは負けじと強く、てゐ達の鉄琴、妖怪兎の鳴らす木の音は控えめに飾り立てた。
このフレーズは何度も繰り返され、徐々にその音の規模を募らせていく。それこそ月まで届けと言わんばかりに。

しかし、この宿願は決して叶うことはなかった。合奏は俄かに消え去り、再び開幕のハープの独奏に戻る。
澄んだ旋律が静かに奏でられて途中で止まり、一拍置いて尺八が緩やかに引き継ぎ、曲に物寂しく終止符を打った。






尺八の音が完全に夜空に溶け込んでいった後、静寂が庭に満ちた。合奏を終えて心地よい倦怠の中にある永遠亭の演奏家達。
そこに向けて――

「Bravo!」

ルナサが今までにないくらい大きな声で楽団を称える。その顔には、これまた普段は見せないような朗らかな笑みが貼り付けられていた。
さらに、感極まったのか立ち上がって手を大きく鳴らし始める。そしてメルラン、リリカもルナサに倣って拍手を始めた。

「わぉ! ルナサ姉さんの破顔一笑が見られたわ。久しぶりね~」
「いやいや、たいしたもんだと思うよ。……ああもう、三人じゃ割れんばかりの拍手には程遠いなぁ。ならば――」

リリカは目を細めて念動力を発動させる。
すると辺りの空気が一斉に震え、そこに万雷の拍手が生まれる。
次いで、メルランも念動力を使った。
拍手の音に混じって、調子の良い口笛の音がいくつか加えられた。

しばらく後、ルナサが拍手のリズムを変えつつ、一つの要求を叫ぶ。

「Encore!」

メルラン、リリカも一瞬顔を見合わせて、それから姉と同じ要求を切り出した。

「アンコール!」「あんこーる~」



三姉妹のアンコールを受けて、しかし輝夜は思案顔を作る。何かをためらっている様子だった。
そんな輝夜に向けて鈴仙は小さく笑い、二人だけに通じる遠距離交信を行った。

「姫、ご安心を。今朝方教えられた件ですが、既に彼女は到着しています。
 母屋の陰に隠れてはいますが、この激しい波長と小さな波長、間違いなく藤原妹紅とうちの兎のものでしょう」
「あら、そうだったの。それにしても……何をしているのかしらね、アイツは。こそこそと、らしくない。
 正確な位置はどこ?」

しばらく鈴仙と言葉を交わしていた輝夜だったが、立ち上がって三姉妹に応えるための言葉を紡ぐ。

「お客様方、しばしお待ちを……」

三姉妹に断ってから、輝夜は上空に向けて飛翔した。そして十六夜月を背にして永遠亭の母屋を見下ろす。
すると鈴仙の言葉どおり、母屋の陰に白髪の少女が座り込んでいるのを見つけた。
少女・妹紅は頭の上に一匹の妖怪兎を乗せ、そして聞き耳を立てているかのように片手を耳に添えていた。
その普段は決して見られない滑稽な様子に輝夜は呆れ、それから悪戯っぽく笑むと手で何かを掴む仕草を見せた。

「! ちょ、何!?」

地上で、妹紅の叫び声が上がった。
その後ろ襟が不可視の力に持ち上げられ、ゆっくりと宙へ運ばれていく。向かった先は三姉妹のいる客席。
そこで唐突に襟に働いている力が解除された。そのまま妹紅は地面に尻餅を搗く。

「いたっ!」

衝撃で両目を閉じる妹紅。その頭の上から何かが飛び降りて、前方へ飛び跳ねていった。
目を開けた妹紅が見たのは、ステージに降り立っていた輝夜と、それに抱きかかえられている一匹の兎だった。
「大役ご苦労様」と、輝夜は兎をねぎらいながら一撫ですると、妹紅に向けて優雅に微笑んでみせた。

「わざわざご苦労様でした、竹林の警備員さん。私達の大切な兎を連れてきて下さったこと、心より感謝申し上げます。
 お礼といってはなんですが、今宵はちょうど演奏会の折。我等の音曲を堪能していただければ、この上なく幸いなことと存じます。
 どうぞ、ゆるりとご鑑賞あれ」

座して輝夜の口上を聞いていた妹紅だが、ようやく文句を返す糸口が見つかったとばかりに叫ぼうとする。

「だ、誰がお前等なんかの――」
「お待たせしました、プリズムリバー楽団の皆様。先程の我等の拙い演奏にも賛辞を下さり、また再演奏を望まれたこと、光栄にして恐縮ですわ。
 ではお客様のご希望通り、もう一度精魂込めて演奏したいと思います。夜はまだまだ幕を開けたばかり。心ゆくまで、我等の音をお楽しみ下さいませ」

妹紅の叫びに水を注す形で輝夜は口上を告げると、間を置かずに鈴仙に指示を送った。
すぐさま鈴仙は腕を振るい、楽団の指揮を執る。



演奏が再び夜空に響き渡った。
立ち上がって踏み出そうとした妹紅の足がその旋律に押されて止まる。この時確実に、妹紅は輝夜たちの演奏にとり憑かれてしまった。
足も手も口も炎すらも出せない状況で、妹紅はどういう顔をしていいか分からず、ただその場に立ち尽くす。
そんな妹紅の後ろから、リリカとメルランが声をかけた。

「まま、座りなよ。この毛氈、柔らかくて肌触りがいいんだから」
「そうそう。ほらほら、美味しいお酒もありますよぉ?」
「え……いや、私は……」

妹紅の戸惑いなど考慮せず、一方的に客席に導くメルランとリリカ。妹紅もただ流されるままに足を動かす。
向かう客席ではルナサが微笑みながら隣を叩いて妹紅を誘った。

「さあ、冷静になって……そう、例えば目を閉じてみるのも一つの手段。
 誰が音楽を奏でているかを分からなくしてしまえば、貴女の耳は自然とそちらへ傾くでしょう」
「……」

言われるままに妹紅は腰を下ろし、目を閉じてみた。
不思議なもので、さっきまでは色々なしがらみのために素直に聴くことのできなかった音楽が、するりと心に受け入れられていく。
こわばっていた顔の筋肉が緩んでいくのを感じた頃、妹紅は静かに目を開けた。
視界に入り込んできたのは、賑やかに演奏を続ける永遠亭の住人達。しかしもう、妹紅はそれを見て苛立ちを募らせることはなかった。
ただ、綺麗な音曲だとは思いつつ、どこか寂しいという思いを密かに抱く。
そんな折になってようやく、妹紅はこの永遠亭では普段見ない顔がそろっていたことに疑問を抱いた。

「あんたら、確か……プリズムリバー楽団だったっけ? 人里で噂くらいは聞いたことがあるよ。そうか、こんなところにも仕事で来ていたのね。
 ただライブをやるだけじゃなくて、音楽指導もやっているのかい?」

ルナサはそれに、首を横に振って答えた。

「いいえ、この結果は私達にとっても全くのサプライズ。
 ですが一度依頼を耳に挟めば、たとえどれほど閑静な場所へでも、聴者しかいなかったとしても、直ちに参上して音の楽しみを伝えましょう」
「ハッピーな気分に胸躍らせたい時、アンニュイな気分に浸りたい時、ミステリアスな音楽に想いを馳せたい時には是非にお声をおかけ下さい!」
「私達プリズムリバー三姉妹、これからも貴女と良き縁が築ければ、これに勝る幸いはありません」

三姉妹はセールストークを分かち合い、妹紅に伝える。その見事な連携の様に、ようやく妹紅は口元を緩めた。

「そう……考えとくよ」

そっけない言葉ながらも、浮かべる表情を見て色よい返事だと解釈し、三姉妹は満足そうに頷く。
以降は四者揃って口を閉ざし、十六夜月に露わにされた永遠亭の秘蔵の音を心ゆくまで楽しむことにした。






永遠亭。
繁茂する緑の竹林の奥に潜む、閑静な佇まいを備えた古い屋敷。
騒霊楽団が去りし後、月に一度の例月祭の夜以外にも、この場所は外に洩れるほど賑わう時がしばしばあった。
それは騒がしい住人が叩く和太鼓の音であったり、高貴な住人がかき鳴らす弦の音であったり、はたまた竹筒を空気が通り抜ける音であったり――
いずれにせよ、常に静寂に押し潰されているという印象はすっかりと拭い去られていた。

今日もまた、住人達の楽しげな音が屋敷の奥から響き渡ってくる。
 
 
 
 
 
 
●あとがき(「月のイナバと地上の因幡」にプリズムリバー出ないかなぁ)

・立ち絵で、人形侍らすマガトロメディスン、魂魄浮かばす妖・幽・燐――
 それらとは異なり、物体(?)を漂わせている本作のうちの四名が、ほぼ同じ原理で物を操っているのではと拡大解釈しました。
 それを発端に集団間交流やら音源の理屈やらを継ぎ足していったら、いつもよりも随分と長くなってしまいました。
 読んで下さった方、お疲れ様でした。

・書籍文花帖、月都万象展の記事の「蓬莱山輝夜氏は語る」の部分、文字が小さすぎてよく見えないので適当に誤魔化しました。

・FM(フリケンシー・モジュレーション)音源理論、騒霊の音楽演奏方法、須臾の能力の解釈、幻想郷入りしたエイジャの赤石の効能――
 これらは間違いを含んでいる可能性が大いにあります。
山野枯木
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コメント



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12.100名前が無い程度の能力削除
いやはや、日本語の操り方がすごい上手い。感服。
話の内容も文句なしに満点で。
13.100名前が無い程度の能力削除
読み応えもあったし、面白かったよ。
あと永遠亭の兎部隊こええw
20.100名前が無い程度の能力削除
綺麗な文章だと思います。
情景描写が素晴らしいです。
21.90名前が無い程度の能力削除
すっげえ綺麗だった。冒頭の音楽の部分に引き込まれたから、長さも全く気にならずに読み切れました。
一つ気になったのが、タグなのですが。imvisibleじゃなくてinvisibleじゃないかなぁ……
30.100名前が無い程度の能力削除
なんとも朗らかで心地良い物語でした。
34.100名前が無い程度の能力削除
GJ