[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 M-1 N-1 O-1 P-1
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【 Q-1 】
「ふんふっふ、ふんふっふ、ふーふふー♪」
もうめっきりと日も暮れた頃、薄暗い永遠亭の倉庫では、人知れず鼻歌が響いていた。
「ふふふ……いやぁ~たまらんねぇ~」
にとりは上機嫌に顔を綻ばせながら、ガチャガチャと音を立てて倉庫内を物色していた。
この大きな屋敷の持ち主を筆頭に、他の面々は思い思いに出かけていってしまっているので、今邸内に残っているのは、奥で寝ている二人と、ここで倉庫を漁っている彼女だけだ。
これほどの屋敷に、三人っきり。
彼女が立てる音以外に物音ひとつしないこの空間は、どうしようもなく寂しげだった。
窓の無い倉庫を照らすための小さな照明器具の光さえも、頼りになるというよりはむしろ侘しさを引き立たせているように感じられる。
耳鳴りのするほどの静寂と、目がくらむほどの薄暗闇が、辺り一面を包んでいた。
だが、そんなことは今の彼女には関係無いようである。
顔を緩ませながら鼻歌混じりに倉庫を物色するにとりには、仮にここがいつも以上に騒々しかったとしても、そんなことは耳に入らないだろう。
山積みにされている珍しい道具を前に、彼女は今、好奇心だけで動いていた。
他の感覚はどこか隅の方にどけられてしまっていて役に立ちそうも無い。
「うふふ、ここは本当に宝の山だねぇ~。最低限の工具だけでも持ってきといて正解だったよ。おっ!コイツなんか面白そうじゃないか!――フムフム?ラジコン人形?なんだそりゃ。――これで動かせるってことかな?いや、ここをこうして…………」
手に少し収まりきらない程度の人形を片手に、一人であぁだこうだと呟く。
ひっくり返してみたり、動かせるところを動かしてみたりしながらブツブツと呟く様は傍目に見れば普通に不審者である。
だから、
「こらぁ!ドロボー!!」
こんな声がかかることも、確かに不思議ではなかった。
「うぉわっ!!」
あまりに突然のその声に、にとりは思わずビクンッと肩を跳ね上げた。
短い悲鳴まで上げて、見つかった時の泥棒そのままのリアクションになってしまっていたが、それも仕方の無い話ではある。誰だって、誰もいないと思っていた背後から急に声がかかればこういう反応になるものだ。
「び、びっくりさすない!人が楽しく道具をイジってる時に、後ろからとは卑怯だぞ!」
「い、いや……卑怯ってあんた…………」
心底驚かされたにとりは、冷や汗半分、涙目半分で背後を鋭く振り返った。
いつからいたのだろう、その人影は腰に手を当てて、なんだか少し困ったような顔をしながらにとりを眺めていた。
その特徴的な長い耳は、どう見てもここ三日間を共にしたチームメイトたちとは違ったものだった。
「ってなんだ、兎か」
「なんだとは何よ。あんたは河童じゃない」
いつの間にか目の前にいたのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。月の兎だった。
物音ひとつも無く、この静寂を掻い潜って、相手の背後を取る――その隙に手を出さなかったのは、油断か、自信か……。
「っていうか、夢中になってて気づかなかったの?普通に声かけて入って来たんだけど」
「あー……全然聞こえなかったねぇ。ほら、この家大きいしさ」
やれやれ、と呆れ顔で、鈴仙は溜め息を吐いた。
妙に人の気配のしない永遠亭からガサガサと聞こえる物音に恐々としたのは彼女の方だったので、むしろ怒り出したい気持ちもあったが。
しかしそれを口にしたところで、目の前の河童の耳に念仏、効果は得られないだろうことは明白。そんなことさえもすぐに確信できてしまった。
彼女は仕方なく肩を落とし、河童の少女をしげしげと眺めておいた。
自称・泥棒ではない彼女――その片手には倉庫にあった品。片手にはドライバー。すぐ傍には申し訳程度の灯り。
何度見ても、どこからどう見ても、それは河童の姿をした泥棒にしか映らなかった。
「――で、何してるの?火事場泥棒?もうすでに似たような黒いのを一人知ってるから、間に合ってるんだけど」
「んなっ!一緒にすんない!私だって貸したまま返ってこないもんばっかだよ!」
手にしていたドライバーを振り回して抗議する。河童からも被害者の声が上がるとなると、いっそあの魔法使いの行動力には賛辞を送れるほどだろう。
「私はここのチームのモンだし、ちゃんと屋敷の主にも許可は取ったよ!」
「――そうなの?」
どうだ、と言わんばかりに鼻を鳴らしているにとりをしげしげと眺めながら、鈴仙は内心で首を傾げた。
――そういや、姫のチームにいたような……いないような…………。
鈴仙はおぼろげな記憶をどうにか掘り返し、輝夜のチームの構成員の名前をぼんやりと思い出そうとしていた。
今回参加の身内の面々は全員違う組に飛ばされてしまったので、はっきりと全てを思い出すのはさすがに厳しい。
正直に言えば、“河城にとり”の名前が輝夜のチームにあったかどうか、そこが実は彼女的にはまだしっくり来てはいなかった。
仕方なく、確認の意味も込めつつ質問を投げかけてみた。
「――で、姫は今どこにいるのかしら?妙に人の気配がしないんだけど」
もちろん、彼女なりに真意を顔に出さないように努めながら。
もっとも、にとりはそんなことなど気にしていないかのように、あぁ、と短く感嘆符を上げ、
「みんな出かけちゃったよ。どこに行ったのかまでは知らんねぇ。私はここの珍しい道具を見せてもらうんで残ったんだよ」
これこれ、と言わんばかりに両手を挙げた。
操縦式人形とドライバー。
ほぼ無人の屋敷の中でひとりそんな装備でいること自体が不審者っぽいということは、やはりわかっていないようだった。
「あんたは出かけないのね」
「いや、だから言ったじゃないか。私ゃそっちには興味無いよ。こうして機械イジってた方がよっぽど楽しいじゃないか」
「そういうもんかしらねぇ」
「そういうもんさね」
言いながらにとりはまた背を向け、手元のアイテムへと好奇心を向けた。
もう早く作業に戻りたいんだけど、とその背中がアピールしているようだった。
そんな彼女を物珍しげに眺めて――なぜ“物珍しく”思っているのか、不意に鈴仙は疑問に感じた。
これはチーム戦なのに、協調性がまったく無い彼女を見てそう思ったのか。
――いや、でも、それを言ったら今日の私だって…………
「で、結局お前さんのご用件はなんだい?戦いに来たんならハズレだよ。ここにはケガ人と私しかいないからねぇ」
目の前の背中から飛んできた質問に、彼女は一瞬の疑問を中断した。
「あ、私は――――」
思考をどうにか一息で切り替え、投げかけられた質問に答えるよりも先に――――
「そこの河童さんの言う通りみたいね。奥に怪我人が寝てる以外、人っ子一人いなかったわ」
不意に現れた別の声がそれを遮るようにして飛んできた。
その声が誰の物か、鈴仙は聞いた瞬間に分かっていた。
振り返るよりも先に声が出る。
「あ、師匠」
そうして声に僅かに遅れて振り向いた先、そこには彼女の思った通り、八意永琳がいた。
腕を組んだまま、静かに彼女たちの方へと歩み寄る。
「ありゃ、もうひとり。こっちは兎じゃないやね」
いつの間にやらにとりもまたこっちを振り返っている。
ご苦労だねぇ、と呟く彼女は、振り向いたはいいが、さほど興味は無さそうだった。
「あの……師匠。結局何しにわざわざ永遠亭まで来たんですか?」
自分の前まで近寄ってきた永琳に、鈴仙は尋ねた。質問の内容は、にとりからの問いかけそのまま。
彼女もまた、自身がここに来た理由を知らないままだったのだ。
「あら、私はわざわざあなたを呼びに山に寄ったのよ。その後わざわざ永遠亭まで来たんだから、私のほうが一回分“わざわざ”が多いわ」
「なんの話ですかソレ……」
さも意味ありげに意味の無いことを答える永琳に、鈴仙は肩を落としてみせる。
――相変わらずこの人は妙なトコが妙な人だなぁ……。
などと思っても、怒られるから口には出さない。
永琳は鈴仙のリアクションには何も言い返さず、おもむろに、
「あなたも解ってるんでしょ?」
と言葉を繋ぐ。
テンションはさっきとまったく一緒に見えたが――鈴仙は直感的に思った。こっちはちゃんとさっきの答えに行き着く方だ、と。
この区別の付けかたは、もう慣れとしか言いようが無いほど直感的なものに過ぎなかったが、それでもほぼ間違い無いと確信を持っていた。
「――また戦うんですね。でも、ここには誰もいませんよ?」
彼女は自分の直感を信じて、声のトーンをひとつ落として喋った。真面目な話題のための真面目な声音。
「おいおい、私がいるじゃないか。無視は良くないなぁ」
だが、それもすぐにとりの茶々でぶち壊され、
「……自分は数に入れるなって顔してたんだから、文句言わないでよ」
結局それにも突っ込みを入れたため、もう完全に空気はグダグダである。
永琳は、そんな二人と、それを包む空気をそのまま微笑ましそうに眺め、クスクスと微笑んでいた。
「いいのよ、誰もいなくて。むしろ邪魔が入らなくて都合がいいくらいよ」
微笑みながら放たれるその言葉を受けても、鈴仙には何を言いたいのか理解することはできなかった。結局仕方無しに、「はぁ……」と曖昧な相槌を打つだけが精一杯だった。
そんな彼女に、永琳からの具体的な補足は無い。
今の説明だけでは、結局目の前の弟子には何も伝わってないことなど分かっている、そう言わんばかりの顔で微笑んでいるだけだ。
「それじゃ、始めましょうか」
そんな顔をしたまま、彼女は言葉を続ける。
「だから結局誰となんですか?」
「だから、私とあなたが、よ」
「あー、はいはい。まぁ他に誰もいませ………………はいっ!?」
あまりに何気なく宣告されすぎた対戦相手は、彼女の理解力を遅らせるほどの衝撃を持っていた。
耳を疑う、とはまさにこのことだった。
鈴仙はまず自分の感覚を疑い、頭の中でその言葉を反芻してみる。
『私とあなたが、よ』
――うん、確かに言った。
次に目の前の永琳の顔を見る。
さも当然と言わんばかりの顔で自分を見ていた。
“え?そりゃそうでしょ?”という顔。
――うん、これは間違いなさそうだ。
ここまでを確認し、改めて今の言葉に反応する。
「い、いやいやいやいや!無理ですっ!無理無理無理無理っ!私の身がいくつあっても足りませんって!」
身振り手振りまで交えて、本気で応えていた。目一杯の“無理”を必死にアピールする。
だが、それを受ける永琳は、
「大丈夫よ。あなたの身ひとつで足りる程度には手加減するから」
などと軽い言葉で返していた。
顔は相変わらず笑っている。眼はなぜか笑っていない。あくまで本気で言っていた。
そんな永琳を見て、鈴仙はひたすら混乱した。
――なんで?私?確かにここには誰もいないけど。私?八意永琳と私?綿月様たちの師匠と戦う?無理。っていうか私の師匠だし。あれ?じゃあ綿月様たちって私の姉弟子?妹君もいらっしゃたけど、あの方も姉弟子?妹なのに姉弟子……じゃなくて!
右往左往する思考。まとめる力を欠如させられた脳が結論を迷子にさせる。
「おおう、楽しげだねぇ」
思考力の低下した頭に、背後からの能天気な声が響く。
――あぁ、もう!収拾つかないのに!
「他人事だと思って!!」
どうにか脊髄反射的に返事をする。本当に他人事だったらどれほど気楽なことか。
「他人事だもーん」などという無責任なにとりの言葉が、どうしようもなく羨ましかった。
まだ頭の中がぐちゃぐちゃな彼女のことなどお構いなしに、永琳はすでに臨戦態勢に入っている。
「さ、戦りましょうか。あなたの薬学の師匠として、しっかりと鍛えてあげるわ」
まだ結局何も答えが出せていない鈴仙は、また反射的に声を上げるので精一杯だった。
「薬学まったく関係ないじゃないですかー!!」
――そんなこと言ってる場合じゃないでしょ私。
「どうでもいいけど、ここで戦うのはヤメないかい?ほら、月の道具とやらも被害を受けちゃうよ?」
「あら、そうね。それは困るわ。別に惜しくはないものばかりだけど」
「昨日吸血鬼が戦ってた部屋でやりなよ。広いし、もう壊れてるし」
「広間かしらね。もう壊れてるってのもあれだけど、まぁ広い方がやりやすいわよね」
「だろう?」
「ですって、ウドンゲ。場所を移しましょうか」
なぜか当事者の彼女を置いてけぼりにして、話はトントン拍子で進んでいた。
永琳に至ってはもうすでに部屋を出ようとしているところだ。
結局考えのまとまらないままの頭だったが、それでも理解できたことが一つあった。
それは、仮に自分の思考が冷静だったとしても、こう言い出した師匠を止めることなんてきっとできなかっただろう、ということだった。
どうにか答えとして出たひとつの結論に身を任せ、彼女も難しい顔のまま、永琳の後について部屋を出る。
「頑張ってきな~」
にとりの相変わらずに気楽な声だけが、彼女の背中を送り出していた。
【 R-1 】
※
「あ、妖夢はちょっと待っててね。すぐ行っていいから」
「――?はい、わかりました」
そうして出てゆく者たちを各々見送り、紫は残った面々を見渡した。
「さて――残ったのはこの四人だけど…………」
一瞬考えを巡らすような素振りを挟んだ――が、おそらく、ここまでを含めて、彼女の頭の中では全て決まっていたことだろう。
「リグルと雛、そして慧音と小町でペアになって頂戴。その二組を白玉楼の両側に配置します。そこで二人で衛兵をやってもらいますわ。いいかしら?」
「別にいいよー」
軽い調子でリグル。
「わかりました」
変わらず淑やかな様子で雛。
「異論は無いな」
腕を組んだままで頷く慧音。
「へいへいー」
やる気無さそうに気だるく小町。
四者四様に返事が返ってくる。
それぞれに程度は違うが、やる気が無さそうなのが共通の特徴だった。
「もっと馬車馬のように働かされるかと思ったけど、楽でいいね」
「まったくね」
リグルと雛の漏らした声が、その証拠だった。
「あぁ、そうそう。衛兵って言っても、死守はしなくて結構よ。あなたたちの暇が潰せる程度に遊んでもらって、満足したら通してもらって構わないわ」
「そんな手抜きな門番でいいのか?」
「より楽そうでいいじゃないかい」
それなりの慧音の疑問も、隣で楽観的に笑い飛ばす小町に打ち消される。
これからペアとなる相方に、呆れたのか諦めたのか、慧音は無言のまま紫の方へと目を向けた。自分の疑問詞の続きを答えさせるために。
「――このイベントというのは、主役はあなたたち参加者よ。私はリーダー役の前に、企画者だからね。プレゼンターとしては、参加者主体で考えてる訳。だからあなたたちが暇つぶしが出来る程度に遊んでもらうことを優先してくれて構わないわ。侵入者と朝まで戯れるも良し。適当に撫でてこっちに回すも良し、よ。こっちに来たお客は、私が対応させてもらうから」
慧音なら、筋道立てた説明の方が合点がいくと考えたのだろう。紫はそれらしい理由を取ってつけたかのように、ペラペラと並べ立てた。
どれも嘘ではない。だが――どれも真実には足りない。
慧音は、その紫の言葉を咀嚼するかのように間を取り、
「まぁ、リーダー殿がそう言うなら、とりあえず良しとしようか」
ひとまずの受諾の意思を見せた。
その言葉は文字通り暫定のものだったようだが――何にせよ、事は着実に紫の思う通り運んでいた。
「ご理解頂けたようで嬉しいわ。――それじゃ質問が以上なら、あなたたちにも早速仕事にかかってもらおうかしら」
よろしく、と言葉を締め、笑顔を見せる。
四人はそれに従うように、ぞろぞろと部屋から姿を消していった。それを送り出す紫は終始微笑み顔のまま。
結局一人残された妖夢は、どこか少し、何かが喉の奥に引っかかるような気持ちでいた。
その正体を理解する前に、その部屋からは他の者がいなくなり、ここに残るように命じた者から声がかかった。
「さて、時に妖夢?あなたにはお願いがあるの」
「――はい。なんでしょうか?」
自分が一人残された理由に、馳せる考えをシフトする。
そっちも確かに未解決なままだが、それはこれからすぐに分かる。彼女はゴクリと唾を飲み下した。
「お願いというのは、他でもないわ――悪いけど、足跡を全て消してもらえるかしら?」
最初、その言葉の意味を深く考え過ぎて、何を指しているのか解らなかった。
誰かがここに来た痕跡を消せ、ということかとも思ったが――はっ、としてすぐに気づく。
そこには確かに点々と、人数分の足跡が――――
「ゴメンなさいね。靴履いてることすっかり忘れてて、真っ直ぐ部屋に送っちゃったわ。幽々子に怒られる前に無かったことにしてくれる?」
ここまでのリーダー然とした態度とは裏腹に、悪戯を隠そうとしているような微笑ましい指示だった。
身構えていた妖夢は、思わずその脱力感に小さく笑みを零し、
「幽々子様にバレない内に、は賛成です」
肩を竦めてみせた。
自分の主人と長い友人だというこの人は、やっぱり自分の主人と同じ――全てが見えているようで、どこか可愛い所がある、そう思った妖夢はここに来て初めて少し安心し、
「すぐにかかりますね」
くすくすと笑った顔のまま、部屋を後にした。
彼女を送り出す紫の気配を背中で感じると、彼女は何も言わず、こっそりと靴を脱いでいるようだった。
※
冥界、白玉楼にも、変わらず夜は来ていた。
あの世といっても、結界の外とは空続きにある。
夜空は他と変わらないし、やや欠けた月がいつの間にか浮かんでいることも変わりはない。
そんな夜に身を浸すかのように、八雲紫は、一人縁側に座っていた。
瞑想に耽るかのように眼をつむり、日の暮れた冥界の空気を小さく吸っては吐いている。
彼女の周りには、誰もいなかった。
同じチームに属させた他の面々には、今日になるとともに、暇を出すかの如く自由行動を言いつけてある。
それぞれ思い思いにここを出て、どこかで何かをやっているのだろう。
すでにこの異変は成熟しきっていた。紫が手を出さずとも、あとは勝手に廻ってゆくだろう。
元々そのための下準備は抜かりなくやってきたし、始まってからもここまで調整に余念は無かった。計画通りに安定してくれなければ、むしろ困るくらいだ。
ここまで来た以上、彼女の仕事のほぼ九割は終わっている。
あとは最終日――この日に残る一割と少しを消化し、この異変の完結までを見届けることで、彼女の計画は晴れて“ひとまずの”決着を迎える。
すぅっと、ゆっくり瞼を持ち上げる。
音も無く近寄る気配に、彼女は待っていたかのように声をかけた。
「――いらっしゃい。やっぱり来たわね」
気配が消えたまま近づく彼女は、柔らかに微笑んで挨拶を返す。
「お邪魔するわね」
この屋敷の本当の主、西行寺幽々子が、そこには立っていた。
「お邪魔しますって、ここはあなたのお屋敷じゃない」
「今だけ違うわ。どこかの悪い妖怪の巣にされちゃったみたいなのよ」
「あらあら、悪いヤツもいたもんね」
「まったくよ。友人には欲しくないタイプねぇ」
自分に向けられている毒も、紫はくすくすと笑って聞いている。
幽々子の方も“やれやれ”なんて笑って零しているだけだ。
他愛無い談笑、繰り返しながら幽々子は紫の方へと歩みを進め、静かに彼女の隣に腰を下ろした。
「自分でリーダーなんて役をやるんだったら、自分の家でやればいいのよ~。それがダメならマヨヒガとか」
「だってここ広いじゃない」
「私の懐が広いからかしらねぇ」
「マヨヒガを私の懐にしたら、来る者に幸せを振りまいちゃうわ」
「ふふ、什器を勝手に持ち帰らせる気なんて無い癖に」
くすくすと零し、幽々子は淑やかに微笑んでいた。
隣に座っている紫も、ふふっと息を吐き、口の端を持ち上げて笑っている。
互いに、互いのいるこの空気の緩やかさを心地よく感じていた。
春の不意に見せる陽だまりのような、ぬるく、体をじんわりと芯から暖めるような空気。
もう千年近くも知己としているからこうなのか、こうだから千年来の友として隣にいられるのか――――
「ひとまずは、お疲れ様。かしらね」
「そうね。ひとまずは、だけどね」
「結局、私にも何にも教えてくれなかったわねぇ~」
「あら、幽々子なら私の考えなんてわかってるとばっかり思ってたわ」
「無茶言うわねぇ。だったらもう少しわかりやすくしてもらいたいものだわ~」
「これが素よ。長い付き合いじゃない」
「長い付き合い、胸中がわからないくらいが丁度いいわ」
「ごもっとも」
そう言って、二人は笑う。
夜の冥界。並んで座る二人。月の光と、冷たい空気。
まるで一枚の絵画のように、全てがそのまま止まっているようで――――
不意に、言葉が途切れる。
沈黙すらも、彼女たちを柔らかに包んでいる。
それはどうしようもなく、これから戦いに赴く者の持つ空気ではなく、
それはどうしようもなく、これからの戦いに向けての、最後の談笑のようだった。
サワサワと、冥界の死んだ風が流れるのを合図にするように、幽々子が不意に言葉を漏らす。
「さて……と」
漏れた言葉に、紫は視線を向けない。
それが、自分の望む方向を向いていないであろうことが、なぜか彼女にはわかってしまっていたから。
「さっさとお暇させていただくわね」
やはり彼女の視線は、変わらずに前を向いているだけだった。
「……そう。今来たところなのに、慌ただしいわね」
「まぁね。紫が残ってるだろうと思って、挨拶に寄っただけだったし」
「冥界に来た理由はそれだけじゃないでしょう?――西行妖の所ね」
「……正直、迷ってはいたのよ。でも……そうね。ここまで来たんだし、やっぱりそうするわ。これも、きっと丁度いいのかもしれないしね」
どこか遠くを見つめるようにして、そう呟く。
まるで散り際の桜の花を見るように。
まるで散り際の桜の花、そのもののように。
「いいんじゃない?シチュエーションは大切よ」
そんな幽々子を横目で流し見て、紫は何気ない調子で応える。
「あら、ムードならあるわよ~。冥界だもの。いつお化けが出てもおかしくはないわ」
「それは怖いわね。本物を見たら、きっと驚いちゃうわ」
ふふ、っとまたお互いに笑い声を零しあう――そんな些細なことも名残惜しげに、幽々子は腰を上げた。
「じゃあね。あなたも楽しむといいわ」
「じゃあね。これでも主催者だし、そうさせてもらうわ」
短い挨拶の言葉を交わし、幽々子は静かにその場を離れてゆく。
来た時と同じ、物音ひとつなく、ふわふわとした佇まいで。
紫はただ黙って、小さくなってゆく彼女の後ろ姿を、その影が見えなくなるまで眺めていた。
結局最後まで振り向くことのなかった彼女が、今どんな顔をしているのか、紫にはなんとなく判っていた。
そうして再び誰もいなくなった、白玉楼の縁側。
帰ってきた静寂は、なぜか無性に、一人であるということを押しつけがましく教えてきている気がした。
紫は、まっすぐに正面を眺める。
彼女のいなくなった、彼女の通った道を眺める。
「――私の暇潰しの相手はあなただと思っていたのだけど……フラれちゃったわね」
呟いた言葉は、夜の帳が静かに吸い取ってくれた。
※
大樹がそこにはあった。
大きな大きな桜の樹。
夏も終わりなこの時期に、葉をひとつも侍らすこともなく、まるで枯れ木のようになりながらも、悠然とそこに鎮座ましましている。
春の桜も、夏の緑も、秋の紅も無く、まるで死んだように、だが確かに胎動しているようでもある。
妖樹――――西行妖。
その樹の下に、同じ“西行”の名を持つ彼女はいた。
大樹の足元で、身の丈よりも遥かに大きいそれを見上げている。
枯れた枝に、桜の花を見るように。
「夏が終わり、秋を超え、冬に至り……そしてまた春が来る。どれほどの輪転を重ねようと、この桜が咲くことはない」
まるで歌でも詠むかのように、彼女はポツリポツリと言葉を紡いでゆく。
幽玄な雰囲気に、響くような、染みるような、彼女の声が静かに鳴る。
「そうでしょ?」
幽々子は、幽かな声で――――
「ねぇ、妖夢」
そう、彼女の名前を、呼んだ。
「…………気づいていたんですか」
呼ばれた自分の名に、魂魄妖夢は、他の桜の樹の陰から、静かに姿を現した。
十間ほど離れた距離に立ち、主の背中を見ている。
「最初っからね。あなたは一日目から私の傍にいてくれたから」
「それもお気づきに……修行が足りませんね」
妖夢は少し恥じるようにして目を逸らした。
だが、それもすぐに表情を変え、主人の背に向けて言葉を紡ぐ。
「一日目……吸血鬼との戦いに助太刀できず、申し訳ありませんでした。一応、私と幽々子様は違う組ですので、あまり大っぴらに手を出すのもどうかと思いまして…………」
幽々子は振り返らない。
「しかし、私の主は幽々子様ただ一人です。如何に別の組に所属させられたとしても、私は幽々子様の身を守りに馳せ参じます」
幽々子は振り返らない。
だがその言葉を受け、静かに口を開く。
「なるほど……それで蓬莱の姫を闇討ち、ね。それで負けてるんだから、今の言葉はあなたの口から出るには大き過ぎるんじゃないかしら?」
真っ直ぐ相手にだけ届く妖夢の言葉とは対照的に――静かに響く幽々子の言葉は、そのまま全てを飲み込むかのように辺りを包む空気さえも追従させる。
隷属を強いられた空気は緊張感を生み、そのまま妖夢を包み込んで二の句を奪う。
「妖夢、あなたはやっぱりまだまだ未熟なのね」
「……面目次第もございません…………」
自らを包む圧にどうにか反抗し、声を絞り出す。
「待ち伏せたことを言ってるんでも、ましてや負けたことを言ってるんでもないけどね。――ま、いいわ」
なんとか返したその言葉さえつまらなそうに、幽々子は溜め息混じりに呟き、
「ねぇ妖夢」
不意に声をかけ、振り返った。
その眼は妖夢一人を見ているようで――その実、全てを見ている中に妖夢がいるだけのようでもある。
妖夢は自分に向けられた、彼女の顔を正面から受ける。
従者として、見慣れた主の顔。
三分咲きの桜のように、慎ましさと優しさに満ちている美しい顔。
だが今だけは、どうしても西行妖が目について仕方なかった。
実も葉もつけず、寄りつく全てを死に誘う、妖樹。
死の象徴のような、重く、暗い、桜の樹。
「二刀を抜きなさい。私と戦いましょう」
変わらない声のトーンで響く言葉。
それは、妖夢の顔色を変えるのに、必要以上に十分だった。
「そ、それは……!……できません……。不肖の身ですが、私も剣士。自らの主に刃を向けるなんて…………」
出来うる限りの明確な反対の意志を示したつもりだったが、どうしても口が篭もってしまう。
強く主張しなければと思っても、どうしても瞳を逸らしてしまいたくなる。
それほどまでに、今の幽々子は――――
「あら、つれないわね。……私は、こんなにやる気なのに」
たまらず目を逸らしていた妖夢の視界の端に、桜色の光が輝く。
それを知覚できたのは、ほんの一瞬だけだった。夜の闇に浮かぶ光の尾だけが、チラリと見え、遅れるようにして腕に痛みが走る。
自らの左腕に目をやると、小さな擦過傷。
じんわりと滲む紅い血が、それが気のせいでないことを物語っていた。
目の前の幽々子に視線を戻す。いつの間にか、彼女は右腕を肩の高さにかざしていた。
その右腕から放たれた『鳳蝶紋の槍』が、十間もの距離を瞬く間にゼロにして、そのままどこかへと消え去っていった。
「ゆ、幽々子様…………」
左腕を押さえ、弱々しく搾り出した声はどうやら――幽々子には、届くことはなかった。
「さ、やりましょう。妖夢。――生きてる半身まで、まだ幽霊にはしたくないでしょう?」
西行妖は、ただ侘しくも、悠然とそこに佇んでいるだけだった。
三分咲きの桜は、今はどこにも無い。
【 S-1 】
アリス・マーガトロイドは一人、割と明るい夜の空を飛んでいた。
今日は月の綺麗な晴れた夜。
満月のなり損ないのような微妙に真ん丸でない月が、役目を終えた太陽の光を反射している。
空には雲一つない。星の瞬きもチラホラ顔を出している。空気も澄んでいる。
人の気配は、まるで無い。
どこか物悲しげな夜空――でもここは、いつもと変わらない夜空。
目的の場所が視界に大きく写ってきたことを確認し、アリスは飛翔速度を緩やかに落とす。
それと同時に、懐から一体の人形を取り出した。
セミ・オートマトン、“上海人形”
人形師としての彼女の最高傑作であり、必携のマジックアイテムであり、無二のパートナーである。
アリスは小さく手を動かし、術者すらも気を張らないと見えないほどの、細い細い糸を伝わらせ、上海人形に魔力を込める。
指先の動きひとつで吹き込まれた命に身震いするように、“彼女”はくるくるっと踊り飛び、アリスに追従するようにして夜の空に浮かんだ。
上海人形とともに、目の前の大きな屋敷の傍らを目指して降下してゆく。
目的地を前に――いや、そもそも相手ともまだ顔を合わせていないというのに、上海人形を出す――それはもちろん、警戒心からというのが理由の一つ。
だが主な理由はそれではない。
一日目は、戦闘が主目的ではなかったから出さなかった。
二日目も、そのつもりで出たわけじゃなかったため、出すのが遅れた。
三日目の今日は、目的の相手に辿り着く前に出した。
本人も気づいてはいないだろう――それは彼女なりの決意のようなものの表れでもあった。
心なら固めていた。
妖怪の山を出る時から――いや、昨日の晩から――あるいは、もっと前から。
正直言って虫の好かない、彼女とこうして見える日を。
庭に面した所に人影があるのが見えた。
しかも一人。
――これはビンゴかな?
その小さな思惑通りを胸に秘めつつ、アリスはその人影へと空から近づき、声をかけた。
「ご機嫌いかが?」
「あら――またお客さん。今日はどうしたのかしら?お茶でも飲みに?」
不意に聞こえた空からの声に小さく驚いたようにして首をもたげ彼女は、どことなく気も漫ろな返事を寄越した。
アリスは返ってきたその声に僅かな違和感を感じ、思わず彼女を――八雲紫を眺めた。
自分が近寄ってきたことに、まるで本気で気づいていなかったかのような様子。
――紫のくせに?まさか。
「……昨日の今日で、あんたと茶飲み話なんて御免よ。身が保たないわ」
感じた小さな疑問は頭の隅に一時どかしておき、何気ない言葉を返しておいた。
言いながらアリスは、ふわりと地に足をつける。上海人形は肩の高さで浮いている。
二人揃って並び、紫を正面から見据えた。
「失礼ねぇ。それじゃあ、ご用向きは何かしら?思い当たる節が無いわ」
わざとらしく肩を竦めて見せる紫は、すでに憎たらしいほど、いつもの彼女だった。
やっと見せた普段の顔に、アリスは頭の隅に一時避難させていた懸念を完全に消去した。
――別にこいつが何を考えてようが、知ったことじゃないわ。これで気兼ねが無いだけの話。
「よく言う。わかってるんでしょう?――あなたと交わす言葉は無くても、交わす弾はあるのよ」
語調を強く持つ。
それはさながら、手袋を投げつけるかのような勇ましさで。
「あら、物騒なお客様でいらっしゃったの」
そうしてストレートに吐き出した言葉を突きつけられてもまだ、紫は飄々とした顔でそれを聞いているだけだった。
アリスの提案に対して、是とも非とも答えてはいない。
ただ、それを答える前に、何かに気づいたかのように遠くを見やり、呼びかけるように声を上げた。
「そちらも同じかしら?」
「え…………?」
自分を越えてゆくその視線と声につられるようにして、アリスは振り向く。
その先にいるものが何だかを判断する前に、いつの間にかそこにいた、彼女の声が返ってくる。
「ご名答」
眠そうに重い瞼。興味の無さそうな気怠い声。
「でも褒められたものじゃないわ。胸に手を当てるだけで解る答えだから」
フワフワのローブ。
魔導書。
紫色の髪。
「って……パチュリー!?いつの間にそこにいたの?」
「今も今。私は今この瞬間を生きてるの」
「いや、そんな意味の無いセリフは聞いてないわよ……」
「まぁそうでしょうね」
自分で言った言葉にもかかわらず、彼女はひたすら興味のなさそうな、抑揚の少ない声を上げているだけだった。
目の前で気を削がれて崩れそうになっているアリスが、その半分閉じた瞳に映っているかすら疑問なほどである。
パチュリーは表情を変えず、ぼぅっとした顔のまま、
「――きっと目的はあなたと同じじゃない?知らないけど」
不意に飛び出す核心に、アリスは再び背筋を伸ばす。
声音も何も、さっきまでと何も変わらないので聞き逃すところだった。
そして、それを聞き逃さなかったのは、彼女の眼差しの先にいる今回の異変の黒幕も同じだった。
「あらあら……嫌われたものねぇ。身に覚えが無いのが残念なくらい」
仰々しく身振りまで付けて返事をする。薄く微笑むような、不敵な顔。
「まぁそうでしょうね。個人的に何かされたってワケじゃないし」
紫のリアクションも気に留めず、パリュリーは声を返す。
「あら、じゃあ私が悪いわけじゃないのね。良かったわ」
紫は、ふふっ、と小さく笑ってみせる。
「いや、理由自体はあなたが悪いわね」
そんな紫に返事をするのは、次はアリスの番だった。
紫の方へ向き直り、アリスとパチュリーは、まっすぐに彼女へと視線をぶつける。
「その理由とやらを、ぜひ聞かせていただけるかしら?」
自分を見る二人の瞳を視界に収め、紫は問いかける。
もっとも、彼女にはもうアタリはついていたが。
もし、その通りになったら。そう考えると思わず笑いが零れそうになる。
ゆっくりと口が開かれる。
紫の問いに答える声を上げたのは、ほとんど二人同時――――
「単純に、あなたが気に入らないだけね」
「単純に、あんたが気に入らないだけよ」
真っ直ぐ見つめる瞳。
真っ直ぐ飛んでくる言葉。
想像の範疇を超えなかった、真っ直ぐな返事。
今度こそ、紫は楽しくなる気持ちを抑えられなかった。
「ふふ、あはは。……いいわね、それ。魔女二人にそう言って頂けるのだから、光栄よ」
ゆらりと歪ませた瞳を返し、紫は静かに縁側から立ち上がった。
――あぁ……私の暇潰しはこれで足りそう。これでこの異変の九割は完全に完遂。あとは――――
「いいわ、やりましょう。二人とも揃ってボロボロにしてあげたら――きっともっと、嫌ってもらえるわね」
彼女は、自ら起こしたこの異変を楽しめそうな初めての予感に、妖怪らしい妖艶な微笑みを零す。
彼女の引き起こした、騒がしい夜。
その騒ぎに、自らも身を浸さんとする彼女もまた、他の参加者と同じく――――
【 T-1 】
外はもうすっかり夜の闇に覆われていた。
太陽の代わりに浮かぶ月が優しく照らす世界は、停滞と安寧にその身を浸している。
もうすっかり日の長いものだと思い込んでいた彼女たちは、不意に夏の終わりを感じていた。
そう、もう夏も終わり。
騒がしく、活気に満ちていた季節の終わりは、もうそこまで来ていた。
「なんだか……みんなバラバラになっちゃいましたね…………」
紅魔館の庭内に佇む魔理沙・早苗・妹紅・美鈴の四人は、各々、思い思いの方向を向いていた。
そんな中で、誰に呟くでもなく、早苗が最初に声を上げる。
そう言う彼女も、ぼんやりとした視線を宙に放っているばかりだった。
「まぁこんなもんだろ。あのメンツにしちゃ、よく保った方だぜ」
早苗の声に、魔理沙が返事を返す。両手を頭の後ろで組みながら、笑顔で吐き捨てる。
「もちろん、“あのメンツ”には魔理沙さんも入ってるんですよね?」
半ば呆れるように指摘する美鈴の声が響き、
「美鈴も入ってるんじゃない?」
茶化すようにして妹紅も口を開く。
そんな二人をジロリと流し見て、
「おまえらも両方入ってるぜ。安心しな」
魔理沙はカラカラと笑っていた。
「幻想郷は自由ですね……」
不意に笑い声を零す三人を眺めながら、早苗はしげしげとそんな感想を口にしていた。
結界で隔てられた、幻想郷と外の世界。その違いを、丁寧に咀嚼するように。
彼女は空を見上げる。
夜の闇の中に、鈍く輝く月が光っていた。しばらくもすれば星も瞬きだす。まだ夏の風の匂いがする。
自然の溢れる幻想郷の夜は、ただひたすらに静かだった。
だが、その静寂も時間の問題。扉を挟んで、館の中には爆弾が控えているのだから。
レミリアと咲夜――二人の散らす火花が、すぐに引火して大爆発を起こすのだろう。そして生じる爆音など、容易に想像できる。
それを聞くためだけに、いつまでもここでこうしているわけにもいかないことも、彼女たちはわかっていた。
誰ともなく、言葉は尽き、
誰ともなく、それぞれに空を見上げ、
そして「ふぅ」っと、切り替えるためだけの溜め息が聞こえた。
「さ、――ってと。それじゃ私も出よっかな」
そう言って最初に声を上げたのは、妹紅だった。
「……妹紅さんは今日の予定が決まってるんですか?」
目の前で揺れる銀の髪を眺めながら、早苗は尋ねた。
つやつやと煌くその長髪は、細くしなやかで、夜の黒にも溶け込まない。
そんな銀髪を揺らしながら、妹紅は早苗の方へと振り向いた。
「うん。――ぶっちゃけ、レミリアがどこに行くって言ってても、私は今夜行きたい所はもう決まってたんだ。だから正直、自由行動で安心したよ」
屈託の無い笑顔で、彼女はそう言った。
「そう……ですか……」
それ以上の言葉が見つからずに、視線を逸らしてしまう。
他の二人も同じようなもの。
なぜだかはわからないが、誰一人として、“どこに行くんだ?”とは聞かなかった。
誰も口を開かない。開けない。
その代わりのように、妹紅が何気なく、目の前の少女へと詰め寄った。
「――早苗も、やりたいことがあるんでしょう?」
不意に呼ばれた自分の名前に、早苗は目を丸くして顔を上げた。
目を向けた先で、妹紅と視線が交差する。
彼女の瞳は綺麗な紅色。
燃えるような真っ赤な瞳は、まるで、どこか、慈しむように細められていて――――
「こうして三日も一緒に過ごせば、なんとなくわかるよ。――やりたいことがあるなら、遠慮せずにやるといいんじゃないかな。誰も文句を言わない、いい夜なんだから」
竹林に一人住まう、変な少女。
――だけどこの人は、誰かから忌み嫌われて一人暮らしているんじゃないはずだ。生い立ちも経緯も全然知らないけど、きっとそうだ。
「でしょ?」と笑う彼女の笑顔を見て、なぜか早苗は急にそんなことを思った。
なぜか無性に、顔を伏せたくなってしまっていた。
「まっ!年長者からのアドバイスだと思って、ぼんやりと覚えておいて。私はちょっくら行ってくるよ」
早苗の返事も聞かず、もんぺのポケットに両手を突っ込んだまま、彼女はフワリと空に浮かび上がった。
「行ってらっしゃい。頑張ってくださいねー」
「死ぬなよー」
夜の空に一人旅立たんとする妹紅に、魔理沙と美鈴は声をかけて送り出す。
殺伐とした夜の、気軽な挨拶。
それは、気の置けない友人に送る言葉のように――ひたすらに楽しげだった。
「おうよー。二人もこの騒がしい夜を楽しむといいよ」
妹紅からも気の抜けた返事が返る。
変わらぬ笑顔のまま。
整った顔立ちを、端整に歪めて。
妹紅はゆっくりと月の光の中へと消えてゆく。
それを――――
「あ、あの!」
早苗の言葉が、呼び止めた。
思わず声を上げてしまっていたが、彼女にはまだ準備ができていなかった。返す言葉も、かける言葉も、何も用意していない。
空で立ち止まったままの妹紅は、黙って早苗へと視線を下ろしている。
口をぱくぱくと開きながら、早苗は言葉を見繕い――――
「あ……ありがとうございます!頑張って下さい!」
そうとだけ、大きな声で送った。
顔を紅くしながら、声を張り上げるその様子を、妹紅は一瞬目を丸くして見ていたが、すぐに、
「……ぷっ、くくっ」
どうにも笑いを堪えきれず、思わず吹き出してしまった。
――いやはやどうして。面白い子。
そんな妹紅の胸中など、当然早苗はわからない。
「わ、笑わないでくださいよっ」
「いやいや、失敬。――どういたしまして」
それだけを言って、彼女は再び踵を返すと、月光煌く夜の闇の中へと消えていった。
夜空を散歩するように。
足どり軽く、跳ねるように。
闇に染まらない銀の長髪が見えなくなるまで、なぜか誰も声を上げずにその後姿を見送った。
「――行っちゃいましたね」
「――だな。相手は輝夜、って訳じゃなさそうだな」
「ですね……。方角が永遠亭ではありませんし」
三人はポツポツとそんなことを言った。
結局、誰も妹紅がどこへ行ったかはわからないままだったが、それ以上の詮索はしようとしなかった。
彼女は彼女の思うまま、この騒ぎを楽しみに行ったのだろう。それだけで充分だった。
『楽しんでくるといいわ』
レミリアは笑って送り出していた。
『二人もこの騒がしい夜を楽しむといいよ』
妹紅は笑って旅立っていった。
『誰かに言ったところで、もうこの異変は止まらないわ。なぜなら――この異変の参加者が、それぞれこのチャンスを楽しんでいるのだから』
紫は、笑っていた。
魔理沙と早苗の心では、紫の声が特に強く響いている。
頭に確かに残り、心に深く染みこみ、今でもその言葉が鼓膜を揺らしている気がする。
紫の言う通り――結局こうして誰も彼もが喜々として、この殺伐とした夜に旅立ってゆく。
日々の生活では振るえない力を振るいに。
普段の暮らしでは為せないことを為しに。
日常で抑圧された、その全てを解放しに。
きっと、そう。
もうこの騒ぎは朝が来るまで止まらない。
『なんせ彼女たちは、そしてあなたたちは、“暇人”ですもの。せっかく舞い込んだ暇つぶしの機会をみすみす逃すことはしないわ』
そして、自分も“暇人”なのだ。そう、彼女は再認識した。
彼女は一人静かに、誰にも悟られないように、心を決める。
いや、決めていた心を、改めて強く結んだ。
そして彼女が声を上げようとした刹那――――
「……で、結局こうして、八雲紫の想定通りに事が運んでゆくのですね。――馬鹿げていると思いませんか?」
どこからともなく、苦々しく吐き捨てるような声が響いた。
それは、腹の底にある怨嗟を吐き出すかのような、低く重い声。
呟くようなその小さな声は、だが、不思議とよく響き、魔理沙たちの耳にも届いた。
彼女たちは、はっとした表情でその声の方を見る。
なぜなら、その声は聞き覚えのある声――――
「い、衣玖さん!!今までどうしたんですか!!心配したんですよ!」
昨日の夜、永遠亭で別れてからここまで姿を見せなかった衣玖を見て、美鈴はほとんど叫ぶようにしていた。
昨日その場にいなかった魔理沙と早苗も心配顔でいたが、美鈴のそれは比べ物にならないだろう。それだけ彼女のことを気に病んでいたのだから。
だが、そんな美鈴とは対照的に、衣玖の表情は――――
「そう騒ぐほどのことじゃありませんよ」
ふふっと笑う顔は、どこか後ろ暗く、どこか悲痛であるかのようだった。
瞳は暗く沈んだまま、口許だけを歪めるようにして笑みを作っているその顔は、一瞥して彼女が、“美鈴の知っている衣玖”ではないようだった。
一日目の夜、美鈴と橙と一緒に霊夢と立ち向かった時の彼女は、今そこにはいない。
「……それより衣玖さん。ひとつ伺っていいですか……?」
恐る恐るという風に早苗が口を開いた。
彼女の問いに視線を向ける衣玖の目は相変わらず虚ろで、思わず早苗は少し怯んでしまう。
「さ、さっきあなたは言いましたよね?“八雲紫の想定通りに”って。それって……あなたが昼間いなかったのって、もしかして…………」
その早苗の言葉を聞き、「あぁそのこと」と呟くと、衣玖はまた笑う。
そんな彼女の笑顔に、また早苗は怯んでしまう。
最初の自嘲的な笑いよりも、また深く、暗い色が染み出しているようだった。
「ご明察です。私は八雲紫の所へと赴き、全てを知ったのですよ。――この馬鹿々々しい騒ぎの顛末の全てを、です」
魔理沙と早苗は何も言わない。――何も言えないのだから。
彼女たちもこの異変の裏側までを聞かされている。その荒唐無稽さもわかる。紫の話を聞いた上で、二人とも考える所もあった。
だが、それまでだった。
彼女たちは、衣玖のようにはならなかったのだ。
彼女が紫の話を聞き、何を思ったのかは解からない。
だからどうして彼女がそんな顔をしているのか解らない。
それを解らない彼女たちには、結局だから、何も言うことは出来ない。
衣玖が“馬鹿々々しい”と吐き捨てる中には、そんな自分たちの存在も含まれているのだから。
「まったく馬鹿々々しいですよ。“強力な妖怪たちのための力の発散の場”、とのことですからね。それがこの騒ぎの正体。そのためだけに、誰も彼も死地に飛び込んで行くんですよ――笑いながら。これこそ馬鹿騒ぎってヤツでしょうね。……皮肉なものです」
思いの丈を吐き散らすかのように、衣玖は一息にそう断じた。
強い語気にもかかわらず、彼女の声にはまったく熱が篭っていない。あくまで冷淡な声で呟くだけだ。
衣玖の言わんとすることをわかっている魔理沙と早苗の二人とは別に、美鈴だけはまだ彼女の言葉が上手く掴めずにいた。
魔理沙たちからは詳しい話は聞いていない。その場で彼女だけは、何も知らないのだ。
相変わらずに、もっとも純粋な参加者の一人として、そこにいた。
彼女がなんの疑問も無くここでこうして立っているということ――それ自体が衣玖をより歯噛みさせている、ということなど、もちろん当人は知る由も無い。
「衣玖さん…………」
心配そうに自分を見る美鈴の顔を、冷たく一瞥しながら、衣玖は口を開いた。
「美鈴さん。あなたは今日も戦いに行くつもりだったんですか?」
彼女の質問の意図もわからないまま、美鈴は頷く。静かに、深く確かに。
その様子を見て、
――あぁ…………どうしてこう…………
衣玖の表情は苦虫を噛み潰したかのように、
――この人は…………
忌々しげに曇った。
――それなら…………私は…………
「……わかりました。えぇ、そうです。そうですね。あなたはそうでしょうとも。――それなら、戦う相手を用意してあげます」
彼女は変わらぬ声でそう吐き捨て――――
「私とやりましょう、美鈴さん」
そう言って、美鈴を見据えた。
衣玖はいつものように礼儀正しく立っている。淑やかに前で合わせられた手、背筋の伸びた綺麗な姿勢。
だが――その顔だけは暗いまま。
「――な、何言ってるんですかっ。衣玖さんと戦うだなんて……そ、それに衣玖さんと私は同じチームじゃないですか?それはいくらなんでも……」
「問題無いでしょう。同じチームの構成員同士での戦闘を禁じる条文は、今回のルールブックにはありません。禁止されているとしても、もう最終日……どうなってもいいじゃないですか」
おそらく禁止などされていない、ということを衣玖も魔理沙も早苗もわかっていた。
これは所詮“暇つぶし”。
戦いを起こし、各々の“暇”が無くなるのならば、同じチームだろうと何だろうと構わないのだから。
それをわかっている上で、早苗は声を上げようとした。
なにより、衣玖の姿があまりに痛々しくて、声をかけずにはいられなかった。
だが――そうして一歩を踏み出そうとした早苗の肩を、魔理沙が掴んで止めた。
思わず振り返る早苗の眼に映る魔理沙は、彼女に似合わないような真面目な顔で、
「私らに止める権利は無いぜ。――これはもうこいつらの戦いだ」
言い聞かせるように、魔理沙はそう言った。その言葉が本当は誰に向けられているものなのか、わからないが。
その言葉に応えるように、
パシンッ!
という澄んだ音が響く。
「……わかりました。私と戦いましょう、衣玖さん」
美鈴は自らの拳を胸の前で受け止めながら、衣玖の方を真っ直ぐに見据えていた。
その瞳は、掌に包まれた拳が上げた音のように、澄んだ輝きを帯びている。
衣玖の沈痛な顔も声も態度も、全て受け止め、彼女はいつもの真っ直ぐさで衣玖へと向かい合う。
そんな彼女の顔を見て、衣玖は何も言わなかった。
何も言わない以上、何を考えているかは、誰もわからない。
「――行くぜ、早苗。私らがここにいてもお邪魔なだけみたいだ」
「で、でも――――」
早苗の言葉など聞かずに、魔理沙はすでに二人から背を向けて、一人箒に跨っていた。
そのまま立ち止まることもなく、フワリと夜の闇に浮かび上がる。
「あ、そうだ。じゃあ衣玖に一言だけ」
何かを思い立ったように、魔理沙は呟き、衣玖へと顔だけ振り向かせた。
「――精々、楽しむんだな」
ニッと笑いながらそう言葉を送る。
紫の話を聞いている彼女には、その言葉の意味はちゃんと伝わっているようで――――
「…………今、一番聞きたくない言葉ですね」
忌々しげに眉根を寄せて返事をした。
そんな衣玖の表情などお構い無いかのように、魔理沙は鼻で笑うだけだった。
「あっそ。じゃあ美鈴、ちゃんと楽しめよ。それがきっと最短距離だ」
そう言いながら、彼女たちへと背中を向ける。
「はぁ……。よくわかりませんが……まぁ魔理沙さんも楽しんできてください。――どこに行くのか知りませんが、ご武運を」
魔理沙の背中に返事を返す。
黒い空に浮かぶ黒い後姿は、そのまま手を振って返事を受け取っていた。
「あ、魔理沙さん!待って下さいよ!――じゃ、じゃあ美鈴さんも衣玖さんも!え、えー……っと……が、頑張って下さいね!」
一人飛び立ってしまった魔理沙を追うように、早苗もフワリ宙に浮かぶ。
この場に相応しい言葉を選ぼうとしたが、結局、とっさに考えつく限りの激励の言葉を送りながら。
「ははっ、早苗さんもいってらっしゃいー」
いつもの慌ただしい巫女さんを微笑ましく思いながら、手を振って送り出す。
そこまでの一連の流れを、衣玖は黙って眺めていただけだった。
ここまで同じチームだった二人を、どこか他人事のように。冷たく。
そうして人間たちは全て退場し、紅魔館の庭に残されたのは、美鈴と衣玖と、夜の暗闇だけ。
二人とも、言葉も無く佇んでいる。
風のざわめきだけが無為に流れる。
不意に、館の中から大きな音が響いた。
火花は散ったようだ。
それを合図にしたかのように、美鈴と衣玖が爆ぜるようにして動き出す。
紅魔館の中にあった巨大な爆弾は、庭内で生まれた新しい爆弾にも誘爆し、その敷地の全てで、炸裂音を響かせてゆく。
【 U-1 】
「湖の上は冷えますね」
「今日はマシな方だぜ。普段は夏でも騒がしい氷精がいるし、下手すると昼でも夜でもなぜか霧がかってるし……珍しくいい感じの夜の湖だな」
二人は、夜の空を並んで飛んでいた。
足元に広がる霧の湖、頭の上に広がる星空、二つの暗闇に挟まれ、二人はフワフワと漂うような速度で浮いている。
前も後ろも何も無く、上にも下にも星が煌いている。その様子は、まるで二人して宇宙空間を漂っているようですらあった。
そんな即席宇宙の真ん中で、二人きり。
一緒にいるはずのチームメイトたちは、もう各々に今夜のダンスの相手を決めている。
彼女たちは残された二人きり。
飛び出した紅魔館から、何の気無しにここまで飛んできただけ。
不意に、空と湖の真ん中、魔理沙がその箒を止めた。
「さ、――私ももう行くか。おまえも好きに相手を探しに行くといいぜ」
箒に横のりになりながら、器用にその穂先を方向転換させ、早苗の方へと向き合った。
湖上を吹く風に揺れる金の髪は、こんな夜でも楽しげに、そのくせっ毛を元気に躍らせていた。
「魔理沙さんは……これからどこへ?」
幼さの残るその瞳を覗き込むようにして、早苗は尋ねた。
魔理沙はその言葉を受けると、少し考えるように視線を上げ、淑やかに微笑んでみせる。
「ん――……秘密。カヨワイ乙女には、秘密は付き物ですわ」
わざわざ小首まで傾げて、空いている右手は帽子を押さえて。
だが、それを受ける早苗のリアクションといえば、
「えっと……それは幻想郷ジョークとかですかね?笑うところ?」
きょとんと目を丸くして、不思議そうな顔で尋ねる、という散々なものだった。
これを狙ってやられたのなら魔理沙は怒っても良かったのだが、残念ながら、早苗は素だ。本気で今の面白いところがどこなのか聞いてくるという始末。
もうこのリアクションを返されたら、魔理沙に言えることなど何も無い。
「……もうびっくりするほど感じ悪いヤツだな……くそぅ」
おどけてみせた顔に鏡を突きつけられたような恥ずかしさに、彼女は耳まで赤くして、そう吐き捨てた。
――これだからこの手の天然なヤツって嫌いだぜ…………。
だがそんな感想を口に出しても、彼女の負け戦は変わらない。それを魔理沙もわかっているから、あえてそれを口にはしなかった。
「あぁもう!私は行くぜ?夜は短いんだ」
ナチュラルに崩されたテンポを取り返そうと、早口に声を張る。
紅潮した顔を背けて――思わず、目指す方角を見据えてしまっていた。
その様子を眺める早苗は、変わらずの不思議そうな顔でいるまま、おもむろに口を開く。
「……やっぱり、あの人の所ですか?」
その言葉に、魔理沙は無意識にその動きを止めてしまっていた。
早苗の言う“あの人”は、ほぼ間違いなく魔理沙の心象を当てているのだろう。
誰に言うでもなかった、今夜目指す場所。
それを言い当てられたようで、魔理沙は驚きを思わず顔に出しそうになったほどだ。
――なんで、そういうところにばっかり気がつくのか、そっちの方が不思議だぜ。
早苗の妙な機微に内心で溜め息を吐く。
「……誰のことを言ってるんだろうな。私にゃ、ちょっとわかりかねるぜ」
一応口だけの誤魔化しをしておく。無駄な気もしたが、ここで素直に認めるような彼女ではなかった。
口を尖らせて目を背ける彼女をまじまじと見つめ――早苗はポツリと呟く。
「行っても、魔理沙さんじゃ勝てませんよ」
さすがにその言葉は、魔理沙を振り向かせるに足るものだった。
「――ッ!乙女の秘密にダメ出しとは、ふてぇ野郎だ。喧嘩を売ってるのかな?」
そんな若干の怒気をはらんだ魔理沙の声にも動じることなく、
「喧嘩を売る……それもアリですね。もっとスマートな方が好みなんですけど」
早苗は一人で何かを納得したようにまた呟く。
腕を組み、顎に手を添えて思案顔でいるその様子を見て、魔理沙は直感的に、早苗が何を考えているのか理解した。
なぜその考えに至ったのか、まではわからなかったが。
早苗は不意に顔を上げ、彼女の方を真っ直ぐに見据えると――魔理沙の予想通りの言葉を吐き出す。
「私が喧嘩を売ったら、買ってくれますか?」
まるで体ごとぶつかるかのような、真っ直ぐな言葉。
その緑色の瞳が、静かに揺れていた。
「……私ゃ正直遠慮したいんだけどな。行きたい所があるんだって」
「“喧嘩なら値段も見ずに買う魔理沙さん”じゃないんですか?」
――いらんことばっかり覚えてやがって。丸三日間一緒だったツケかな、こりゃ。
「喧嘩の押し売りとは……ひどい巫女もいたもんだぜ。巫女って生き物はみんなこうなのか?」
「誰のことを言ってるんでしょうね。私は風祝なのでわかりかねますけど」
早苗はそ知らぬ顔でそう答える。
狙いすましたような言葉の返しも、彼女はおそらく何も考えずに行っているのだろう。
こうなると、ある意味幻想郷で一番やっかいな交渉である。この手の手合いは、あの紫ですら避けそうだ。
――やっかいなのに捕まったな…………。
魔理沙は溜め息を漏らした。今度は心中だけではなく、実際に。
「……どうしてもやる気なのか?」
一応の確認を取る。
もっとも、この問いに意味など無いことなど、彼女はわかっていた。
「これが私の“やりたいこと”ですからね」
案の定が、即答で返ってくる。
「さっきの妹紅の入れ知恵か……いらんことを」
――焚きつけるなら、火の始末までしてからいなくなれ。
魔理沙の難しい顔など、見えていないかのように、早苗は口を開く。
「――これは私の悲願に近い望みです。今夜ばかりは逃がしませんよ。さぁ、いつかのあの日の続きをしようじゃないですか!」
目と鼻の先で、緑色の少女は息巻いていた。
いつの間にやら、すでに臨戦態勢。目の色が変わっているとはこのことだろう。
黒い空に仁王立ちで、黒染めの少女に向き合っている。
彼女の言う、いつかのあの日――おそらく、魔理沙が妖怪の山に新しい神様を見物に行った日。
あの時とは、まったくと言っていいほどシチュエーションが違う。
続きになんかならないだろうに……。そんな魔理沙の感想は、目の前の巫女には、どうでもいいことのようだった。
魔理沙は、
「はぁ~~…………」
と分かりやすいほどの溜め息を吐き、当り散らすように頭をワシャワシャとかき上げた。
吐き出した息を吸い込み、気持ちをフラットに戻してゆく。
吸い込んだ息を、今度は吐き出し、吸い、吐く。
金の瞳に力を込め――眼前の“敵”を見据える。
「メンドくさいことこの上ないが……火の粉を払わなきゃ進めないなら仕方ないな!何度やっても私の勝ちだぜ!?」
意識を戦闘用に切り替える。
――これが障害だと言うなら……叩き壊して進むまでだぜ!
そんな魔理沙の反応に、早苗の自信に満ちた笑みがこぼれる。
喜びを湛えるような笑顔。
それは紛れも無く、彼女がこの異変の参加者であることを、改めて示しているかのようだった。
「それでこそです!現人神の、風祝の、私の……奇跡の力!五体全てで味わって下さい!」
フワリと浮かび上がるように距離を取る。
月の光の中、踊りだすようにして飛ぶ早苗は、どうしようもなく、やはり、“暇人たち”の一人のようだった。
the last day's card is present.
R.-S. F.-S. K.S.-M.K. T.-Y. E.-I. Y.-Y. Y.-A.P. M.-I. S.-M.
next person of leisure... ... R.-S. 【 M 】
「さ、始めましょうか……吸血鬼。私のナイフで、塵に返してあげる」
「銀のナイフなのに錆びるのね。どこかの誰かみたいじゃない」
「行くわ……吸血鬼!」
「おいで……人間!」
to be next resource ...
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 M-1 N-1 O-1 P-1
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 Q-1 】
「ふんふっふ、ふんふっふ、ふーふふー♪」
もうめっきりと日も暮れた頃、薄暗い永遠亭の倉庫では、人知れず鼻歌が響いていた。
「ふふふ……いやぁ~たまらんねぇ~」
にとりは上機嫌に顔を綻ばせながら、ガチャガチャと音を立てて倉庫内を物色していた。
この大きな屋敷の持ち主を筆頭に、他の面々は思い思いに出かけていってしまっているので、今邸内に残っているのは、奥で寝ている二人と、ここで倉庫を漁っている彼女だけだ。
これほどの屋敷に、三人っきり。
彼女が立てる音以外に物音ひとつしないこの空間は、どうしようもなく寂しげだった。
窓の無い倉庫を照らすための小さな照明器具の光さえも、頼りになるというよりはむしろ侘しさを引き立たせているように感じられる。
耳鳴りのするほどの静寂と、目がくらむほどの薄暗闇が、辺り一面を包んでいた。
だが、そんなことは今の彼女には関係無いようである。
顔を緩ませながら鼻歌混じりに倉庫を物色するにとりには、仮にここがいつも以上に騒々しかったとしても、そんなことは耳に入らないだろう。
山積みにされている珍しい道具を前に、彼女は今、好奇心だけで動いていた。
他の感覚はどこか隅の方にどけられてしまっていて役に立ちそうも無い。
「うふふ、ここは本当に宝の山だねぇ~。最低限の工具だけでも持ってきといて正解だったよ。おっ!コイツなんか面白そうじゃないか!――フムフム?ラジコン人形?なんだそりゃ。――これで動かせるってことかな?いや、ここをこうして…………」
手に少し収まりきらない程度の人形を片手に、一人であぁだこうだと呟く。
ひっくり返してみたり、動かせるところを動かしてみたりしながらブツブツと呟く様は傍目に見れば普通に不審者である。
だから、
「こらぁ!ドロボー!!」
こんな声がかかることも、確かに不思議ではなかった。
「うぉわっ!!」
あまりに突然のその声に、にとりは思わずビクンッと肩を跳ね上げた。
短い悲鳴まで上げて、見つかった時の泥棒そのままのリアクションになってしまっていたが、それも仕方の無い話ではある。誰だって、誰もいないと思っていた背後から急に声がかかればこういう反応になるものだ。
「び、びっくりさすない!人が楽しく道具をイジってる時に、後ろからとは卑怯だぞ!」
「い、いや……卑怯ってあんた…………」
心底驚かされたにとりは、冷や汗半分、涙目半分で背後を鋭く振り返った。
いつからいたのだろう、その人影は腰に手を当てて、なんだか少し困ったような顔をしながらにとりを眺めていた。
その特徴的な長い耳は、どう見てもここ三日間を共にしたチームメイトたちとは違ったものだった。
「ってなんだ、兎か」
「なんだとは何よ。あんたは河童じゃない」
いつの間にか目の前にいたのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。月の兎だった。
物音ひとつも無く、この静寂を掻い潜って、相手の背後を取る――その隙に手を出さなかったのは、油断か、自信か……。
「っていうか、夢中になってて気づかなかったの?普通に声かけて入って来たんだけど」
「あー……全然聞こえなかったねぇ。ほら、この家大きいしさ」
やれやれ、と呆れ顔で、鈴仙は溜め息を吐いた。
妙に人の気配のしない永遠亭からガサガサと聞こえる物音に恐々としたのは彼女の方だったので、むしろ怒り出したい気持ちもあったが。
しかしそれを口にしたところで、目の前の河童の耳に念仏、効果は得られないだろうことは明白。そんなことさえもすぐに確信できてしまった。
彼女は仕方なく肩を落とし、河童の少女をしげしげと眺めておいた。
自称・泥棒ではない彼女――その片手には倉庫にあった品。片手にはドライバー。すぐ傍には申し訳程度の灯り。
何度見ても、どこからどう見ても、それは河童の姿をした泥棒にしか映らなかった。
「――で、何してるの?火事場泥棒?もうすでに似たような黒いのを一人知ってるから、間に合ってるんだけど」
「んなっ!一緒にすんない!私だって貸したまま返ってこないもんばっかだよ!」
手にしていたドライバーを振り回して抗議する。河童からも被害者の声が上がるとなると、いっそあの魔法使いの行動力には賛辞を送れるほどだろう。
「私はここのチームのモンだし、ちゃんと屋敷の主にも許可は取ったよ!」
「――そうなの?」
どうだ、と言わんばかりに鼻を鳴らしているにとりをしげしげと眺めながら、鈴仙は内心で首を傾げた。
――そういや、姫のチームにいたような……いないような…………。
鈴仙はおぼろげな記憶をどうにか掘り返し、輝夜のチームの構成員の名前をぼんやりと思い出そうとしていた。
今回参加の身内の面々は全員違う組に飛ばされてしまったので、はっきりと全てを思い出すのはさすがに厳しい。
正直に言えば、“河城にとり”の名前が輝夜のチームにあったかどうか、そこが実は彼女的にはまだしっくり来てはいなかった。
仕方なく、確認の意味も込めつつ質問を投げかけてみた。
「――で、姫は今どこにいるのかしら?妙に人の気配がしないんだけど」
もちろん、彼女なりに真意を顔に出さないように努めながら。
もっとも、にとりはそんなことなど気にしていないかのように、あぁ、と短く感嘆符を上げ、
「みんな出かけちゃったよ。どこに行ったのかまでは知らんねぇ。私はここの珍しい道具を見せてもらうんで残ったんだよ」
これこれ、と言わんばかりに両手を挙げた。
操縦式人形とドライバー。
ほぼ無人の屋敷の中でひとりそんな装備でいること自体が不審者っぽいということは、やはりわかっていないようだった。
「あんたは出かけないのね」
「いや、だから言ったじゃないか。私ゃそっちには興味無いよ。こうして機械イジってた方がよっぽど楽しいじゃないか」
「そういうもんかしらねぇ」
「そういうもんさね」
言いながらにとりはまた背を向け、手元のアイテムへと好奇心を向けた。
もう早く作業に戻りたいんだけど、とその背中がアピールしているようだった。
そんな彼女を物珍しげに眺めて――なぜ“物珍しく”思っているのか、不意に鈴仙は疑問に感じた。
これはチーム戦なのに、協調性がまったく無い彼女を見てそう思ったのか。
――いや、でも、それを言ったら今日の私だって…………
「で、結局お前さんのご用件はなんだい?戦いに来たんならハズレだよ。ここにはケガ人と私しかいないからねぇ」
目の前の背中から飛んできた質問に、彼女は一瞬の疑問を中断した。
「あ、私は――――」
思考をどうにか一息で切り替え、投げかけられた質問に答えるよりも先に――――
「そこの河童さんの言う通りみたいね。奥に怪我人が寝てる以外、人っ子一人いなかったわ」
不意に現れた別の声がそれを遮るようにして飛んできた。
その声が誰の物か、鈴仙は聞いた瞬間に分かっていた。
振り返るよりも先に声が出る。
「あ、師匠」
そうして声に僅かに遅れて振り向いた先、そこには彼女の思った通り、八意永琳がいた。
腕を組んだまま、静かに彼女たちの方へと歩み寄る。
「ありゃ、もうひとり。こっちは兎じゃないやね」
いつの間にやらにとりもまたこっちを振り返っている。
ご苦労だねぇ、と呟く彼女は、振り向いたはいいが、さほど興味は無さそうだった。
「あの……師匠。結局何しにわざわざ永遠亭まで来たんですか?」
自分の前まで近寄ってきた永琳に、鈴仙は尋ねた。質問の内容は、にとりからの問いかけそのまま。
彼女もまた、自身がここに来た理由を知らないままだったのだ。
「あら、私はわざわざあなたを呼びに山に寄ったのよ。その後わざわざ永遠亭まで来たんだから、私のほうが一回分“わざわざ”が多いわ」
「なんの話ですかソレ……」
さも意味ありげに意味の無いことを答える永琳に、鈴仙は肩を落としてみせる。
――相変わらずこの人は妙なトコが妙な人だなぁ……。
などと思っても、怒られるから口には出さない。
永琳は鈴仙のリアクションには何も言い返さず、おもむろに、
「あなたも解ってるんでしょ?」
と言葉を繋ぐ。
テンションはさっきとまったく一緒に見えたが――鈴仙は直感的に思った。こっちはちゃんとさっきの答えに行き着く方だ、と。
この区別の付けかたは、もう慣れとしか言いようが無いほど直感的なものに過ぎなかったが、それでもほぼ間違い無いと確信を持っていた。
「――また戦うんですね。でも、ここには誰もいませんよ?」
彼女は自分の直感を信じて、声のトーンをひとつ落として喋った。真面目な話題のための真面目な声音。
「おいおい、私がいるじゃないか。無視は良くないなぁ」
だが、それもすぐにとりの茶々でぶち壊され、
「……自分は数に入れるなって顔してたんだから、文句言わないでよ」
結局それにも突っ込みを入れたため、もう完全に空気はグダグダである。
永琳は、そんな二人と、それを包む空気をそのまま微笑ましそうに眺め、クスクスと微笑んでいた。
「いいのよ、誰もいなくて。むしろ邪魔が入らなくて都合がいいくらいよ」
微笑みながら放たれるその言葉を受けても、鈴仙には何を言いたいのか理解することはできなかった。結局仕方無しに、「はぁ……」と曖昧な相槌を打つだけが精一杯だった。
そんな彼女に、永琳からの具体的な補足は無い。
今の説明だけでは、結局目の前の弟子には何も伝わってないことなど分かっている、そう言わんばかりの顔で微笑んでいるだけだ。
「それじゃ、始めましょうか」
そんな顔をしたまま、彼女は言葉を続ける。
「だから結局誰となんですか?」
「だから、私とあなたが、よ」
「あー、はいはい。まぁ他に誰もいませ………………はいっ!?」
あまりに何気なく宣告されすぎた対戦相手は、彼女の理解力を遅らせるほどの衝撃を持っていた。
耳を疑う、とはまさにこのことだった。
鈴仙はまず自分の感覚を疑い、頭の中でその言葉を反芻してみる。
『私とあなたが、よ』
――うん、確かに言った。
次に目の前の永琳の顔を見る。
さも当然と言わんばかりの顔で自分を見ていた。
“え?そりゃそうでしょ?”という顔。
――うん、これは間違いなさそうだ。
ここまでを確認し、改めて今の言葉に反応する。
「い、いやいやいやいや!無理ですっ!無理無理無理無理っ!私の身がいくつあっても足りませんって!」
身振り手振りまで交えて、本気で応えていた。目一杯の“無理”を必死にアピールする。
だが、それを受ける永琳は、
「大丈夫よ。あなたの身ひとつで足りる程度には手加減するから」
などと軽い言葉で返していた。
顔は相変わらず笑っている。眼はなぜか笑っていない。あくまで本気で言っていた。
そんな永琳を見て、鈴仙はひたすら混乱した。
――なんで?私?確かにここには誰もいないけど。私?八意永琳と私?綿月様たちの師匠と戦う?無理。っていうか私の師匠だし。あれ?じゃあ綿月様たちって私の姉弟子?妹君もいらっしゃたけど、あの方も姉弟子?妹なのに姉弟子……じゃなくて!
右往左往する思考。まとめる力を欠如させられた脳が結論を迷子にさせる。
「おおう、楽しげだねぇ」
思考力の低下した頭に、背後からの能天気な声が響く。
――あぁ、もう!収拾つかないのに!
「他人事だと思って!!」
どうにか脊髄反射的に返事をする。本当に他人事だったらどれほど気楽なことか。
「他人事だもーん」などという無責任なにとりの言葉が、どうしようもなく羨ましかった。
まだ頭の中がぐちゃぐちゃな彼女のことなどお構いなしに、永琳はすでに臨戦態勢に入っている。
「さ、戦りましょうか。あなたの薬学の師匠として、しっかりと鍛えてあげるわ」
まだ結局何も答えが出せていない鈴仙は、また反射的に声を上げるので精一杯だった。
「薬学まったく関係ないじゃないですかー!!」
――そんなこと言ってる場合じゃないでしょ私。
「どうでもいいけど、ここで戦うのはヤメないかい?ほら、月の道具とやらも被害を受けちゃうよ?」
「あら、そうね。それは困るわ。別に惜しくはないものばかりだけど」
「昨日吸血鬼が戦ってた部屋でやりなよ。広いし、もう壊れてるし」
「広間かしらね。もう壊れてるってのもあれだけど、まぁ広い方がやりやすいわよね」
「だろう?」
「ですって、ウドンゲ。場所を移しましょうか」
なぜか当事者の彼女を置いてけぼりにして、話はトントン拍子で進んでいた。
永琳に至ってはもうすでに部屋を出ようとしているところだ。
結局考えのまとまらないままの頭だったが、それでも理解できたことが一つあった。
それは、仮に自分の思考が冷静だったとしても、こう言い出した師匠を止めることなんてきっとできなかっただろう、ということだった。
どうにか答えとして出たひとつの結論に身を任せ、彼女も難しい顔のまま、永琳の後について部屋を出る。
「頑張ってきな~」
にとりの相変わらずに気楽な声だけが、彼女の背中を送り出していた。
【 R-1 】
※
「あ、妖夢はちょっと待っててね。すぐ行っていいから」
「――?はい、わかりました」
そうして出てゆく者たちを各々見送り、紫は残った面々を見渡した。
「さて――残ったのはこの四人だけど…………」
一瞬考えを巡らすような素振りを挟んだ――が、おそらく、ここまでを含めて、彼女の頭の中では全て決まっていたことだろう。
「リグルと雛、そして慧音と小町でペアになって頂戴。その二組を白玉楼の両側に配置します。そこで二人で衛兵をやってもらいますわ。いいかしら?」
「別にいいよー」
軽い調子でリグル。
「わかりました」
変わらず淑やかな様子で雛。
「異論は無いな」
腕を組んだままで頷く慧音。
「へいへいー」
やる気無さそうに気だるく小町。
四者四様に返事が返ってくる。
それぞれに程度は違うが、やる気が無さそうなのが共通の特徴だった。
「もっと馬車馬のように働かされるかと思ったけど、楽でいいね」
「まったくね」
リグルと雛の漏らした声が、その証拠だった。
「あぁ、そうそう。衛兵って言っても、死守はしなくて結構よ。あなたたちの暇が潰せる程度に遊んでもらって、満足したら通してもらって構わないわ」
「そんな手抜きな門番でいいのか?」
「より楽そうでいいじゃないかい」
それなりの慧音の疑問も、隣で楽観的に笑い飛ばす小町に打ち消される。
これからペアとなる相方に、呆れたのか諦めたのか、慧音は無言のまま紫の方へと目を向けた。自分の疑問詞の続きを答えさせるために。
「――このイベントというのは、主役はあなたたち参加者よ。私はリーダー役の前に、企画者だからね。プレゼンターとしては、参加者主体で考えてる訳。だからあなたたちが暇つぶしが出来る程度に遊んでもらうことを優先してくれて構わないわ。侵入者と朝まで戯れるも良し。適当に撫でてこっちに回すも良し、よ。こっちに来たお客は、私が対応させてもらうから」
慧音なら、筋道立てた説明の方が合点がいくと考えたのだろう。紫はそれらしい理由を取ってつけたかのように、ペラペラと並べ立てた。
どれも嘘ではない。だが――どれも真実には足りない。
慧音は、その紫の言葉を咀嚼するかのように間を取り、
「まぁ、リーダー殿がそう言うなら、とりあえず良しとしようか」
ひとまずの受諾の意思を見せた。
その言葉は文字通り暫定のものだったようだが――何にせよ、事は着実に紫の思う通り運んでいた。
「ご理解頂けたようで嬉しいわ。――それじゃ質問が以上なら、あなたたちにも早速仕事にかかってもらおうかしら」
よろしく、と言葉を締め、笑顔を見せる。
四人はそれに従うように、ぞろぞろと部屋から姿を消していった。それを送り出す紫は終始微笑み顔のまま。
結局一人残された妖夢は、どこか少し、何かが喉の奥に引っかかるような気持ちでいた。
その正体を理解する前に、その部屋からは他の者がいなくなり、ここに残るように命じた者から声がかかった。
「さて、時に妖夢?あなたにはお願いがあるの」
「――はい。なんでしょうか?」
自分が一人残された理由に、馳せる考えをシフトする。
そっちも確かに未解決なままだが、それはこれからすぐに分かる。彼女はゴクリと唾を飲み下した。
「お願いというのは、他でもないわ――悪いけど、足跡を全て消してもらえるかしら?」
最初、その言葉の意味を深く考え過ぎて、何を指しているのか解らなかった。
誰かがここに来た痕跡を消せ、ということかとも思ったが――はっ、としてすぐに気づく。
そこには確かに点々と、人数分の足跡が――――
「ゴメンなさいね。靴履いてることすっかり忘れてて、真っ直ぐ部屋に送っちゃったわ。幽々子に怒られる前に無かったことにしてくれる?」
ここまでのリーダー然とした態度とは裏腹に、悪戯を隠そうとしているような微笑ましい指示だった。
身構えていた妖夢は、思わずその脱力感に小さく笑みを零し、
「幽々子様にバレない内に、は賛成です」
肩を竦めてみせた。
自分の主人と長い友人だというこの人は、やっぱり自分の主人と同じ――全てが見えているようで、どこか可愛い所がある、そう思った妖夢はここに来て初めて少し安心し、
「すぐにかかりますね」
くすくすと笑った顔のまま、部屋を後にした。
彼女を送り出す紫の気配を背中で感じると、彼女は何も言わず、こっそりと靴を脱いでいるようだった。
※
冥界、白玉楼にも、変わらず夜は来ていた。
あの世といっても、結界の外とは空続きにある。
夜空は他と変わらないし、やや欠けた月がいつの間にか浮かんでいることも変わりはない。
そんな夜に身を浸すかのように、八雲紫は、一人縁側に座っていた。
瞑想に耽るかのように眼をつむり、日の暮れた冥界の空気を小さく吸っては吐いている。
彼女の周りには、誰もいなかった。
同じチームに属させた他の面々には、今日になるとともに、暇を出すかの如く自由行動を言いつけてある。
それぞれ思い思いにここを出て、どこかで何かをやっているのだろう。
すでにこの異変は成熟しきっていた。紫が手を出さずとも、あとは勝手に廻ってゆくだろう。
元々そのための下準備は抜かりなくやってきたし、始まってからもここまで調整に余念は無かった。計画通りに安定してくれなければ、むしろ困るくらいだ。
ここまで来た以上、彼女の仕事のほぼ九割は終わっている。
あとは最終日――この日に残る一割と少しを消化し、この異変の完結までを見届けることで、彼女の計画は晴れて“ひとまずの”決着を迎える。
すぅっと、ゆっくり瞼を持ち上げる。
音も無く近寄る気配に、彼女は待っていたかのように声をかけた。
「――いらっしゃい。やっぱり来たわね」
気配が消えたまま近づく彼女は、柔らかに微笑んで挨拶を返す。
「お邪魔するわね」
この屋敷の本当の主、西行寺幽々子が、そこには立っていた。
「お邪魔しますって、ここはあなたのお屋敷じゃない」
「今だけ違うわ。どこかの悪い妖怪の巣にされちゃったみたいなのよ」
「あらあら、悪いヤツもいたもんね」
「まったくよ。友人には欲しくないタイプねぇ」
自分に向けられている毒も、紫はくすくすと笑って聞いている。
幽々子の方も“やれやれ”なんて笑って零しているだけだ。
他愛無い談笑、繰り返しながら幽々子は紫の方へと歩みを進め、静かに彼女の隣に腰を下ろした。
「自分でリーダーなんて役をやるんだったら、自分の家でやればいいのよ~。それがダメならマヨヒガとか」
「だってここ広いじゃない」
「私の懐が広いからかしらねぇ」
「マヨヒガを私の懐にしたら、来る者に幸せを振りまいちゃうわ」
「ふふ、什器を勝手に持ち帰らせる気なんて無い癖に」
くすくすと零し、幽々子は淑やかに微笑んでいた。
隣に座っている紫も、ふふっと息を吐き、口の端を持ち上げて笑っている。
互いに、互いのいるこの空気の緩やかさを心地よく感じていた。
春の不意に見せる陽だまりのような、ぬるく、体をじんわりと芯から暖めるような空気。
もう千年近くも知己としているからこうなのか、こうだから千年来の友として隣にいられるのか――――
「ひとまずは、お疲れ様。かしらね」
「そうね。ひとまずは、だけどね」
「結局、私にも何にも教えてくれなかったわねぇ~」
「あら、幽々子なら私の考えなんてわかってるとばっかり思ってたわ」
「無茶言うわねぇ。だったらもう少しわかりやすくしてもらいたいものだわ~」
「これが素よ。長い付き合いじゃない」
「長い付き合い、胸中がわからないくらいが丁度いいわ」
「ごもっとも」
そう言って、二人は笑う。
夜の冥界。並んで座る二人。月の光と、冷たい空気。
まるで一枚の絵画のように、全てがそのまま止まっているようで――――
不意に、言葉が途切れる。
沈黙すらも、彼女たちを柔らかに包んでいる。
それはどうしようもなく、これから戦いに赴く者の持つ空気ではなく、
それはどうしようもなく、これからの戦いに向けての、最後の談笑のようだった。
サワサワと、冥界の死んだ風が流れるのを合図にするように、幽々子が不意に言葉を漏らす。
「さて……と」
漏れた言葉に、紫は視線を向けない。
それが、自分の望む方向を向いていないであろうことが、なぜか彼女にはわかってしまっていたから。
「さっさとお暇させていただくわね」
やはり彼女の視線は、変わらずに前を向いているだけだった。
「……そう。今来たところなのに、慌ただしいわね」
「まぁね。紫が残ってるだろうと思って、挨拶に寄っただけだったし」
「冥界に来た理由はそれだけじゃないでしょう?――西行妖の所ね」
「……正直、迷ってはいたのよ。でも……そうね。ここまで来たんだし、やっぱりそうするわ。これも、きっと丁度いいのかもしれないしね」
どこか遠くを見つめるようにして、そう呟く。
まるで散り際の桜の花を見るように。
まるで散り際の桜の花、そのもののように。
「いいんじゃない?シチュエーションは大切よ」
そんな幽々子を横目で流し見て、紫は何気ない調子で応える。
「あら、ムードならあるわよ~。冥界だもの。いつお化けが出てもおかしくはないわ」
「それは怖いわね。本物を見たら、きっと驚いちゃうわ」
ふふ、っとまたお互いに笑い声を零しあう――そんな些細なことも名残惜しげに、幽々子は腰を上げた。
「じゃあね。あなたも楽しむといいわ」
「じゃあね。これでも主催者だし、そうさせてもらうわ」
短い挨拶の言葉を交わし、幽々子は静かにその場を離れてゆく。
来た時と同じ、物音ひとつなく、ふわふわとした佇まいで。
紫はただ黙って、小さくなってゆく彼女の後ろ姿を、その影が見えなくなるまで眺めていた。
結局最後まで振り向くことのなかった彼女が、今どんな顔をしているのか、紫にはなんとなく判っていた。
そうして再び誰もいなくなった、白玉楼の縁側。
帰ってきた静寂は、なぜか無性に、一人であるということを押しつけがましく教えてきている気がした。
紫は、まっすぐに正面を眺める。
彼女のいなくなった、彼女の通った道を眺める。
「――私の暇潰しの相手はあなただと思っていたのだけど……フラれちゃったわね」
呟いた言葉は、夜の帳が静かに吸い取ってくれた。
※
大樹がそこにはあった。
大きな大きな桜の樹。
夏も終わりなこの時期に、葉をひとつも侍らすこともなく、まるで枯れ木のようになりながらも、悠然とそこに鎮座ましましている。
春の桜も、夏の緑も、秋の紅も無く、まるで死んだように、だが確かに胎動しているようでもある。
妖樹――――西行妖。
その樹の下に、同じ“西行”の名を持つ彼女はいた。
大樹の足元で、身の丈よりも遥かに大きいそれを見上げている。
枯れた枝に、桜の花を見るように。
「夏が終わり、秋を超え、冬に至り……そしてまた春が来る。どれほどの輪転を重ねようと、この桜が咲くことはない」
まるで歌でも詠むかのように、彼女はポツリポツリと言葉を紡いでゆく。
幽玄な雰囲気に、響くような、染みるような、彼女の声が静かに鳴る。
「そうでしょ?」
幽々子は、幽かな声で――――
「ねぇ、妖夢」
そう、彼女の名前を、呼んだ。
「…………気づいていたんですか」
呼ばれた自分の名に、魂魄妖夢は、他の桜の樹の陰から、静かに姿を現した。
十間ほど離れた距離に立ち、主の背中を見ている。
「最初っからね。あなたは一日目から私の傍にいてくれたから」
「それもお気づきに……修行が足りませんね」
妖夢は少し恥じるようにして目を逸らした。
だが、それもすぐに表情を変え、主人の背に向けて言葉を紡ぐ。
「一日目……吸血鬼との戦いに助太刀できず、申し訳ありませんでした。一応、私と幽々子様は違う組ですので、あまり大っぴらに手を出すのもどうかと思いまして…………」
幽々子は振り返らない。
「しかし、私の主は幽々子様ただ一人です。如何に別の組に所属させられたとしても、私は幽々子様の身を守りに馳せ参じます」
幽々子は振り返らない。
だがその言葉を受け、静かに口を開く。
「なるほど……それで蓬莱の姫を闇討ち、ね。それで負けてるんだから、今の言葉はあなたの口から出るには大き過ぎるんじゃないかしら?」
真っ直ぐ相手にだけ届く妖夢の言葉とは対照的に――静かに響く幽々子の言葉は、そのまま全てを飲み込むかのように辺りを包む空気さえも追従させる。
隷属を強いられた空気は緊張感を生み、そのまま妖夢を包み込んで二の句を奪う。
「妖夢、あなたはやっぱりまだまだ未熟なのね」
「……面目次第もございません…………」
自らを包む圧にどうにか反抗し、声を絞り出す。
「待ち伏せたことを言ってるんでも、ましてや負けたことを言ってるんでもないけどね。――ま、いいわ」
なんとか返したその言葉さえつまらなそうに、幽々子は溜め息混じりに呟き、
「ねぇ妖夢」
不意に声をかけ、振り返った。
その眼は妖夢一人を見ているようで――その実、全てを見ている中に妖夢がいるだけのようでもある。
妖夢は自分に向けられた、彼女の顔を正面から受ける。
従者として、見慣れた主の顔。
三分咲きの桜のように、慎ましさと優しさに満ちている美しい顔。
だが今だけは、どうしても西行妖が目について仕方なかった。
実も葉もつけず、寄りつく全てを死に誘う、妖樹。
死の象徴のような、重く、暗い、桜の樹。
「二刀を抜きなさい。私と戦いましょう」
変わらない声のトーンで響く言葉。
それは、妖夢の顔色を変えるのに、必要以上に十分だった。
「そ、それは……!……できません……。不肖の身ですが、私も剣士。自らの主に刃を向けるなんて…………」
出来うる限りの明確な反対の意志を示したつもりだったが、どうしても口が篭もってしまう。
強く主張しなければと思っても、どうしても瞳を逸らしてしまいたくなる。
それほどまでに、今の幽々子は――――
「あら、つれないわね。……私は、こんなにやる気なのに」
たまらず目を逸らしていた妖夢の視界の端に、桜色の光が輝く。
それを知覚できたのは、ほんの一瞬だけだった。夜の闇に浮かぶ光の尾だけが、チラリと見え、遅れるようにして腕に痛みが走る。
自らの左腕に目をやると、小さな擦過傷。
じんわりと滲む紅い血が、それが気のせいでないことを物語っていた。
目の前の幽々子に視線を戻す。いつの間にか、彼女は右腕を肩の高さにかざしていた。
その右腕から放たれた『鳳蝶紋の槍』が、十間もの距離を瞬く間にゼロにして、そのままどこかへと消え去っていった。
「ゆ、幽々子様…………」
左腕を押さえ、弱々しく搾り出した声はどうやら――幽々子には、届くことはなかった。
「さ、やりましょう。妖夢。――生きてる半身まで、まだ幽霊にはしたくないでしょう?」
西行妖は、ただ侘しくも、悠然とそこに佇んでいるだけだった。
三分咲きの桜は、今はどこにも無い。
【 S-1 】
アリス・マーガトロイドは一人、割と明るい夜の空を飛んでいた。
今日は月の綺麗な晴れた夜。
満月のなり損ないのような微妙に真ん丸でない月が、役目を終えた太陽の光を反射している。
空には雲一つない。星の瞬きもチラホラ顔を出している。空気も澄んでいる。
人の気配は、まるで無い。
どこか物悲しげな夜空――でもここは、いつもと変わらない夜空。
目的の場所が視界に大きく写ってきたことを確認し、アリスは飛翔速度を緩やかに落とす。
それと同時に、懐から一体の人形を取り出した。
セミ・オートマトン、“上海人形”
人形師としての彼女の最高傑作であり、必携のマジックアイテムであり、無二のパートナーである。
アリスは小さく手を動かし、術者すらも気を張らないと見えないほどの、細い細い糸を伝わらせ、上海人形に魔力を込める。
指先の動きひとつで吹き込まれた命に身震いするように、“彼女”はくるくるっと踊り飛び、アリスに追従するようにして夜の空に浮かんだ。
上海人形とともに、目の前の大きな屋敷の傍らを目指して降下してゆく。
目的地を前に――いや、そもそも相手ともまだ顔を合わせていないというのに、上海人形を出す――それはもちろん、警戒心からというのが理由の一つ。
だが主な理由はそれではない。
一日目は、戦闘が主目的ではなかったから出さなかった。
二日目も、そのつもりで出たわけじゃなかったため、出すのが遅れた。
三日目の今日は、目的の相手に辿り着く前に出した。
本人も気づいてはいないだろう――それは彼女なりの決意のようなものの表れでもあった。
心なら固めていた。
妖怪の山を出る時から――いや、昨日の晩から――あるいは、もっと前から。
正直言って虫の好かない、彼女とこうして見える日を。
庭に面した所に人影があるのが見えた。
しかも一人。
――これはビンゴかな?
その小さな思惑通りを胸に秘めつつ、アリスはその人影へと空から近づき、声をかけた。
「ご機嫌いかが?」
「あら――またお客さん。今日はどうしたのかしら?お茶でも飲みに?」
不意に聞こえた空からの声に小さく驚いたようにして首をもたげ彼女は、どことなく気も漫ろな返事を寄越した。
アリスは返ってきたその声に僅かな違和感を感じ、思わず彼女を――八雲紫を眺めた。
自分が近寄ってきたことに、まるで本気で気づいていなかったかのような様子。
――紫のくせに?まさか。
「……昨日の今日で、あんたと茶飲み話なんて御免よ。身が保たないわ」
感じた小さな疑問は頭の隅に一時どかしておき、何気ない言葉を返しておいた。
言いながらアリスは、ふわりと地に足をつける。上海人形は肩の高さで浮いている。
二人揃って並び、紫を正面から見据えた。
「失礼ねぇ。それじゃあ、ご用向きは何かしら?思い当たる節が無いわ」
わざとらしく肩を竦めて見せる紫は、すでに憎たらしいほど、いつもの彼女だった。
やっと見せた普段の顔に、アリスは頭の隅に一時避難させていた懸念を完全に消去した。
――別にこいつが何を考えてようが、知ったことじゃないわ。これで気兼ねが無いだけの話。
「よく言う。わかってるんでしょう?――あなたと交わす言葉は無くても、交わす弾はあるのよ」
語調を強く持つ。
それはさながら、手袋を投げつけるかのような勇ましさで。
「あら、物騒なお客様でいらっしゃったの」
そうしてストレートに吐き出した言葉を突きつけられてもまだ、紫は飄々とした顔でそれを聞いているだけだった。
アリスの提案に対して、是とも非とも答えてはいない。
ただ、それを答える前に、何かに気づいたかのように遠くを見やり、呼びかけるように声を上げた。
「そちらも同じかしら?」
「え…………?」
自分を越えてゆくその視線と声につられるようにして、アリスは振り向く。
その先にいるものが何だかを判断する前に、いつの間にかそこにいた、彼女の声が返ってくる。
「ご名答」
眠そうに重い瞼。興味の無さそうな気怠い声。
「でも褒められたものじゃないわ。胸に手を当てるだけで解る答えだから」
フワフワのローブ。
魔導書。
紫色の髪。
「って……パチュリー!?いつの間にそこにいたの?」
「今も今。私は今この瞬間を生きてるの」
「いや、そんな意味の無いセリフは聞いてないわよ……」
「まぁそうでしょうね」
自分で言った言葉にもかかわらず、彼女はひたすら興味のなさそうな、抑揚の少ない声を上げているだけだった。
目の前で気を削がれて崩れそうになっているアリスが、その半分閉じた瞳に映っているかすら疑問なほどである。
パチュリーは表情を変えず、ぼぅっとした顔のまま、
「――きっと目的はあなたと同じじゃない?知らないけど」
不意に飛び出す核心に、アリスは再び背筋を伸ばす。
声音も何も、さっきまでと何も変わらないので聞き逃すところだった。
そして、それを聞き逃さなかったのは、彼女の眼差しの先にいる今回の異変の黒幕も同じだった。
「あらあら……嫌われたものねぇ。身に覚えが無いのが残念なくらい」
仰々しく身振りまで付けて返事をする。薄く微笑むような、不敵な顔。
「まぁそうでしょうね。個人的に何かされたってワケじゃないし」
紫のリアクションも気に留めず、パリュリーは声を返す。
「あら、じゃあ私が悪いわけじゃないのね。良かったわ」
紫は、ふふっ、と小さく笑ってみせる。
「いや、理由自体はあなたが悪いわね」
そんな紫に返事をするのは、次はアリスの番だった。
紫の方へ向き直り、アリスとパチュリーは、まっすぐに彼女へと視線をぶつける。
「その理由とやらを、ぜひ聞かせていただけるかしら?」
自分を見る二人の瞳を視界に収め、紫は問いかける。
もっとも、彼女にはもうアタリはついていたが。
もし、その通りになったら。そう考えると思わず笑いが零れそうになる。
ゆっくりと口が開かれる。
紫の問いに答える声を上げたのは、ほとんど二人同時――――
「単純に、あなたが気に入らないだけね」
「単純に、あんたが気に入らないだけよ」
真っ直ぐ見つめる瞳。
真っ直ぐ飛んでくる言葉。
想像の範疇を超えなかった、真っ直ぐな返事。
今度こそ、紫は楽しくなる気持ちを抑えられなかった。
「ふふ、あはは。……いいわね、それ。魔女二人にそう言って頂けるのだから、光栄よ」
ゆらりと歪ませた瞳を返し、紫は静かに縁側から立ち上がった。
――あぁ……私の暇潰しはこれで足りそう。これでこの異変の九割は完全に完遂。あとは――――
「いいわ、やりましょう。二人とも揃ってボロボロにしてあげたら――きっともっと、嫌ってもらえるわね」
彼女は、自ら起こしたこの異変を楽しめそうな初めての予感に、妖怪らしい妖艶な微笑みを零す。
彼女の引き起こした、騒がしい夜。
その騒ぎに、自らも身を浸さんとする彼女もまた、他の参加者と同じく――――
【 T-1 】
外はもうすっかり夜の闇に覆われていた。
太陽の代わりに浮かぶ月が優しく照らす世界は、停滞と安寧にその身を浸している。
もうすっかり日の長いものだと思い込んでいた彼女たちは、不意に夏の終わりを感じていた。
そう、もう夏も終わり。
騒がしく、活気に満ちていた季節の終わりは、もうそこまで来ていた。
「なんだか……みんなバラバラになっちゃいましたね…………」
紅魔館の庭内に佇む魔理沙・早苗・妹紅・美鈴の四人は、各々、思い思いの方向を向いていた。
そんな中で、誰に呟くでもなく、早苗が最初に声を上げる。
そう言う彼女も、ぼんやりとした視線を宙に放っているばかりだった。
「まぁこんなもんだろ。あのメンツにしちゃ、よく保った方だぜ」
早苗の声に、魔理沙が返事を返す。両手を頭の後ろで組みながら、笑顔で吐き捨てる。
「もちろん、“あのメンツ”には魔理沙さんも入ってるんですよね?」
半ば呆れるように指摘する美鈴の声が響き、
「美鈴も入ってるんじゃない?」
茶化すようにして妹紅も口を開く。
そんな二人をジロリと流し見て、
「おまえらも両方入ってるぜ。安心しな」
魔理沙はカラカラと笑っていた。
「幻想郷は自由ですね……」
不意に笑い声を零す三人を眺めながら、早苗はしげしげとそんな感想を口にしていた。
結界で隔てられた、幻想郷と外の世界。その違いを、丁寧に咀嚼するように。
彼女は空を見上げる。
夜の闇の中に、鈍く輝く月が光っていた。しばらくもすれば星も瞬きだす。まだ夏の風の匂いがする。
自然の溢れる幻想郷の夜は、ただひたすらに静かだった。
だが、その静寂も時間の問題。扉を挟んで、館の中には爆弾が控えているのだから。
レミリアと咲夜――二人の散らす火花が、すぐに引火して大爆発を起こすのだろう。そして生じる爆音など、容易に想像できる。
それを聞くためだけに、いつまでもここでこうしているわけにもいかないことも、彼女たちはわかっていた。
誰ともなく、言葉は尽き、
誰ともなく、それぞれに空を見上げ、
そして「ふぅ」っと、切り替えるためだけの溜め息が聞こえた。
「さ、――ってと。それじゃ私も出よっかな」
そう言って最初に声を上げたのは、妹紅だった。
「……妹紅さんは今日の予定が決まってるんですか?」
目の前で揺れる銀の髪を眺めながら、早苗は尋ねた。
つやつやと煌くその長髪は、細くしなやかで、夜の黒にも溶け込まない。
そんな銀髪を揺らしながら、妹紅は早苗の方へと振り向いた。
「うん。――ぶっちゃけ、レミリアがどこに行くって言ってても、私は今夜行きたい所はもう決まってたんだ。だから正直、自由行動で安心したよ」
屈託の無い笑顔で、彼女はそう言った。
「そう……ですか……」
それ以上の言葉が見つからずに、視線を逸らしてしまう。
他の二人も同じようなもの。
なぜだかはわからないが、誰一人として、“どこに行くんだ?”とは聞かなかった。
誰も口を開かない。開けない。
その代わりのように、妹紅が何気なく、目の前の少女へと詰め寄った。
「――早苗も、やりたいことがあるんでしょう?」
不意に呼ばれた自分の名前に、早苗は目を丸くして顔を上げた。
目を向けた先で、妹紅と視線が交差する。
彼女の瞳は綺麗な紅色。
燃えるような真っ赤な瞳は、まるで、どこか、慈しむように細められていて――――
「こうして三日も一緒に過ごせば、なんとなくわかるよ。――やりたいことがあるなら、遠慮せずにやるといいんじゃないかな。誰も文句を言わない、いい夜なんだから」
竹林に一人住まう、変な少女。
――だけどこの人は、誰かから忌み嫌われて一人暮らしているんじゃないはずだ。生い立ちも経緯も全然知らないけど、きっとそうだ。
「でしょ?」と笑う彼女の笑顔を見て、なぜか早苗は急にそんなことを思った。
なぜか無性に、顔を伏せたくなってしまっていた。
「まっ!年長者からのアドバイスだと思って、ぼんやりと覚えておいて。私はちょっくら行ってくるよ」
早苗の返事も聞かず、もんぺのポケットに両手を突っ込んだまま、彼女はフワリと空に浮かび上がった。
「行ってらっしゃい。頑張ってくださいねー」
「死ぬなよー」
夜の空に一人旅立たんとする妹紅に、魔理沙と美鈴は声をかけて送り出す。
殺伐とした夜の、気軽な挨拶。
それは、気の置けない友人に送る言葉のように――ひたすらに楽しげだった。
「おうよー。二人もこの騒がしい夜を楽しむといいよ」
妹紅からも気の抜けた返事が返る。
変わらぬ笑顔のまま。
整った顔立ちを、端整に歪めて。
妹紅はゆっくりと月の光の中へと消えてゆく。
それを――――
「あ、あの!」
早苗の言葉が、呼び止めた。
思わず声を上げてしまっていたが、彼女にはまだ準備ができていなかった。返す言葉も、かける言葉も、何も用意していない。
空で立ち止まったままの妹紅は、黙って早苗へと視線を下ろしている。
口をぱくぱくと開きながら、早苗は言葉を見繕い――――
「あ……ありがとうございます!頑張って下さい!」
そうとだけ、大きな声で送った。
顔を紅くしながら、声を張り上げるその様子を、妹紅は一瞬目を丸くして見ていたが、すぐに、
「……ぷっ、くくっ」
どうにも笑いを堪えきれず、思わず吹き出してしまった。
――いやはやどうして。面白い子。
そんな妹紅の胸中など、当然早苗はわからない。
「わ、笑わないでくださいよっ」
「いやいや、失敬。――どういたしまして」
それだけを言って、彼女は再び踵を返すと、月光煌く夜の闇の中へと消えていった。
夜空を散歩するように。
足どり軽く、跳ねるように。
闇に染まらない銀の長髪が見えなくなるまで、なぜか誰も声を上げずにその後姿を見送った。
「――行っちゃいましたね」
「――だな。相手は輝夜、って訳じゃなさそうだな」
「ですね……。方角が永遠亭ではありませんし」
三人はポツポツとそんなことを言った。
結局、誰も妹紅がどこへ行ったかはわからないままだったが、それ以上の詮索はしようとしなかった。
彼女は彼女の思うまま、この騒ぎを楽しみに行ったのだろう。それだけで充分だった。
『楽しんでくるといいわ』
レミリアは笑って送り出していた。
『二人もこの騒がしい夜を楽しむといいよ』
妹紅は笑って旅立っていった。
『誰かに言ったところで、もうこの異変は止まらないわ。なぜなら――この異変の参加者が、それぞれこのチャンスを楽しんでいるのだから』
紫は、笑っていた。
魔理沙と早苗の心では、紫の声が特に強く響いている。
頭に確かに残り、心に深く染みこみ、今でもその言葉が鼓膜を揺らしている気がする。
紫の言う通り――結局こうして誰も彼もが喜々として、この殺伐とした夜に旅立ってゆく。
日々の生活では振るえない力を振るいに。
普段の暮らしでは為せないことを為しに。
日常で抑圧された、その全てを解放しに。
きっと、そう。
もうこの騒ぎは朝が来るまで止まらない。
『なんせ彼女たちは、そしてあなたたちは、“暇人”ですもの。せっかく舞い込んだ暇つぶしの機会をみすみす逃すことはしないわ』
そして、自分も“暇人”なのだ。そう、彼女は再認識した。
彼女は一人静かに、誰にも悟られないように、心を決める。
いや、決めていた心を、改めて強く結んだ。
そして彼女が声を上げようとした刹那――――
「……で、結局こうして、八雲紫の想定通りに事が運んでゆくのですね。――馬鹿げていると思いませんか?」
どこからともなく、苦々しく吐き捨てるような声が響いた。
それは、腹の底にある怨嗟を吐き出すかのような、低く重い声。
呟くようなその小さな声は、だが、不思議とよく響き、魔理沙たちの耳にも届いた。
彼女たちは、はっとした表情でその声の方を見る。
なぜなら、その声は聞き覚えのある声――――
「い、衣玖さん!!今までどうしたんですか!!心配したんですよ!」
昨日の夜、永遠亭で別れてからここまで姿を見せなかった衣玖を見て、美鈴はほとんど叫ぶようにしていた。
昨日その場にいなかった魔理沙と早苗も心配顔でいたが、美鈴のそれは比べ物にならないだろう。それだけ彼女のことを気に病んでいたのだから。
だが、そんな美鈴とは対照的に、衣玖の表情は――――
「そう騒ぐほどのことじゃありませんよ」
ふふっと笑う顔は、どこか後ろ暗く、どこか悲痛であるかのようだった。
瞳は暗く沈んだまま、口許だけを歪めるようにして笑みを作っているその顔は、一瞥して彼女が、“美鈴の知っている衣玖”ではないようだった。
一日目の夜、美鈴と橙と一緒に霊夢と立ち向かった時の彼女は、今そこにはいない。
「……それより衣玖さん。ひとつ伺っていいですか……?」
恐る恐るという風に早苗が口を開いた。
彼女の問いに視線を向ける衣玖の目は相変わらず虚ろで、思わず早苗は少し怯んでしまう。
「さ、さっきあなたは言いましたよね?“八雲紫の想定通りに”って。それって……あなたが昼間いなかったのって、もしかして…………」
その早苗の言葉を聞き、「あぁそのこと」と呟くと、衣玖はまた笑う。
そんな彼女の笑顔に、また早苗は怯んでしまう。
最初の自嘲的な笑いよりも、また深く、暗い色が染み出しているようだった。
「ご明察です。私は八雲紫の所へと赴き、全てを知ったのですよ。――この馬鹿々々しい騒ぎの顛末の全てを、です」
魔理沙と早苗は何も言わない。――何も言えないのだから。
彼女たちもこの異変の裏側までを聞かされている。その荒唐無稽さもわかる。紫の話を聞いた上で、二人とも考える所もあった。
だが、それまでだった。
彼女たちは、衣玖のようにはならなかったのだ。
彼女が紫の話を聞き、何を思ったのかは解からない。
だからどうして彼女がそんな顔をしているのか解らない。
それを解らない彼女たちには、結局だから、何も言うことは出来ない。
衣玖が“馬鹿々々しい”と吐き捨てる中には、そんな自分たちの存在も含まれているのだから。
「まったく馬鹿々々しいですよ。“強力な妖怪たちのための力の発散の場”、とのことですからね。それがこの騒ぎの正体。そのためだけに、誰も彼も死地に飛び込んで行くんですよ――笑いながら。これこそ馬鹿騒ぎってヤツでしょうね。……皮肉なものです」
思いの丈を吐き散らすかのように、衣玖は一息にそう断じた。
強い語気にもかかわらず、彼女の声にはまったく熱が篭っていない。あくまで冷淡な声で呟くだけだ。
衣玖の言わんとすることをわかっている魔理沙と早苗の二人とは別に、美鈴だけはまだ彼女の言葉が上手く掴めずにいた。
魔理沙たちからは詳しい話は聞いていない。その場で彼女だけは、何も知らないのだ。
相変わらずに、もっとも純粋な参加者の一人として、そこにいた。
彼女がなんの疑問も無くここでこうして立っているということ――それ自体が衣玖をより歯噛みさせている、ということなど、もちろん当人は知る由も無い。
「衣玖さん…………」
心配そうに自分を見る美鈴の顔を、冷たく一瞥しながら、衣玖は口を開いた。
「美鈴さん。あなたは今日も戦いに行くつもりだったんですか?」
彼女の質問の意図もわからないまま、美鈴は頷く。静かに、深く確かに。
その様子を見て、
――あぁ…………どうしてこう…………
衣玖の表情は苦虫を噛み潰したかのように、
――この人は…………
忌々しげに曇った。
――それなら…………私は…………
「……わかりました。えぇ、そうです。そうですね。あなたはそうでしょうとも。――それなら、戦う相手を用意してあげます」
彼女は変わらぬ声でそう吐き捨て――――
「私とやりましょう、美鈴さん」
そう言って、美鈴を見据えた。
衣玖はいつものように礼儀正しく立っている。淑やかに前で合わせられた手、背筋の伸びた綺麗な姿勢。
だが――その顔だけは暗いまま。
「――な、何言ってるんですかっ。衣玖さんと戦うだなんて……そ、それに衣玖さんと私は同じチームじゃないですか?それはいくらなんでも……」
「問題無いでしょう。同じチームの構成員同士での戦闘を禁じる条文は、今回のルールブックにはありません。禁止されているとしても、もう最終日……どうなってもいいじゃないですか」
おそらく禁止などされていない、ということを衣玖も魔理沙も早苗もわかっていた。
これは所詮“暇つぶし”。
戦いを起こし、各々の“暇”が無くなるのならば、同じチームだろうと何だろうと構わないのだから。
それをわかっている上で、早苗は声を上げようとした。
なにより、衣玖の姿があまりに痛々しくて、声をかけずにはいられなかった。
だが――そうして一歩を踏み出そうとした早苗の肩を、魔理沙が掴んで止めた。
思わず振り返る早苗の眼に映る魔理沙は、彼女に似合わないような真面目な顔で、
「私らに止める権利は無いぜ。――これはもうこいつらの戦いだ」
言い聞かせるように、魔理沙はそう言った。その言葉が本当は誰に向けられているものなのか、わからないが。
その言葉に応えるように、
パシンッ!
という澄んだ音が響く。
「……わかりました。私と戦いましょう、衣玖さん」
美鈴は自らの拳を胸の前で受け止めながら、衣玖の方を真っ直ぐに見据えていた。
その瞳は、掌に包まれた拳が上げた音のように、澄んだ輝きを帯びている。
衣玖の沈痛な顔も声も態度も、全て受け止め、彼女はいつもの真っ直ぐさで衣玖へと向かい合う。
そんな彼女の顔を見て、衣玖は何も言わなかった。
何も言わない以上、何を考えているかは、誰もわからない。
「――行くぜ、早苗。私らがここにいてもお邪魔なだけみたいだ」
「で、でも――――」
早苗の言葉など聞かずに、魔理沙はすでに二人から背を向けて、一人箒に跨っていた。
そのまま立ち止まることもなく、フワリと夜の闇に浮かび上がる。
「あ、そうだ。じゃあ衣玖に一言だけ」
何かを思い立ったように、魔理沙は呟き、衣玖へと顔だけ振り向かせた。
「――精々、楽しむんだな」
ニッと笑いながらそう言葉を送る。
紫の話を聞いている彼女には、その言葉の意味はちゃんと伝わっているようで――――
「…………今、一番聞きたくない言葉ですね」
忌々しげに眉根を寄せて返事をした。
そんな衣玖の表情などお構い無いかのように、魔理沙は鼻で笑うだけだった。
「あっそ。じゃあ美鈴、ちゃんと楽しめよ。それがきっと最短距離だ」
そう言いながら、彼女たちへと背中を向ける。
「はぁ……。よくわかりませんが……まぁ魔理沙さんも楽しんできてください。――どこに行くのか知りませんが、ご武運を」
魔理沙の背中に返事を返す。
黒い空に浮かぶ黒い後姿は、そのまま手を振って返事を受け取っていた。
「あ、魔理沙さん!待って下さいよ!――じゃ、じゃあ美鈴さんも衣玖さんも!え、えー……っと……が、頑張って下さいね!」
一人飛び立ってしまった魔理沙を追うように、早苗もフワリ宙に浮かぶ。
この場に相応しい言葉を選ぼうとしたが、結局、とっさに考えつく限りの激励の言葉を送りながら。
「ははっ、早苗さんもいってらっしゃいー」
いつもの慌ただしい巫女さんを微笑ましく思いながら、手を振って送り出す。
そこまでの一連の流れを、衣玖は黙って眺めていただけだった。
ここまで同じチームだった二人を、どこか他人事のように。冷たく。
そうして人間たちは全て退場し、紅魔館の庭に残されたのは、美鈴と衣玖と、夜の暗闇だけ。
二人とも、言葉も無く佇んでいる。
風のざわめきだけが無為に流れる。
不意に、館の中から大きな音が響いた。
火花は散ったようだ。
それを合図にしたかのように、美鈴と衣玖が爆ぜるようにして動き出す。
紅魔館の中にあった巨大な爆弾は、庭内で生まれた新しい爆弾にも誘爆し、その敷地の全てで、炸裂音を響かせてゆく。
【 U-1 】
「湖の上は冷えますね」
「今日はマシな方だぜ。普段は夏でも騒がしい氷精がいるし、下手すると昼でも夜でもなぜか霧がかってるし……珍しくいい感じの夜の湖だな」
二人は、夜の空を並んで飛んでいた。
足元に広がる霧の湖、頭の上に広がる星空、二つの暗闇に挟まれ、二人はフワフワと漂うような速度で浮いている。
前も後ろも何も無く、上にも下にも星が煌いている。その様子は、まるで二人して宇宙空間を漂っているようですらあった。
そんな即席宇宙の真ん中で、二人きり。
一緒にいるはずのチームメイトたちは、もう各々に今夜のダンスの相手を決めている。
彼女たちは残された二人きり。
飛び出した紅魔館から、何の気無しにここまで飛んできただけ。
不意に、空と湖の真ん中、魔理沙がその箒を止めた。
「さ、――私ももう行くか。おまえも好きに相手を探しに行くといいぜ」
箒に横のりになりながら、器用にその穂先を方向転換させ、早苗の方へと向き合った。
湖上を吹く風に揺れる金の髪は、こんな夜でも楽しげに、そのくせっ毛を元気に躍らせていた。
「魔理沙さんは……これからどこへ?」
幼さの残るその瞳を覗き込むようにして、早苗は尋ねた。
魔理沙はその言葉を受けると、少し考えるように視線を上げ、淑やかに微笑んでみせる。
「ん――……秘密。カヨワイ乙女には、秘密は付き物ですわ」
わざわざ小首まで傾げて、空いている右手は帽子を押さえて。
だが、それを受ける早苗のリアクションといえば、
「えっと……それは幻想郷ジョークとかですかね?笑うところ?」
きょとんと目を丸くして、不思議そうな顔で尋ねる、という散々なものだった。
これを狙ってやられたのなら魔理沙は怒っても良かったのだが、残念ながら、早苗は素だ。本気で今の面白いところがどこなのか聞いてくるという始末。
もうこのリアクションを返されたら、魔理沙に言えることなど何も無い。
「……もうびっくりするほど感じ悪いヤツだな……くそぅ」
おどけてみせた顔に鏡を突きつけられたような恥ずかしさに、彼女は耳まで赤くして、そう吐き捨てた。
――これだからこの手の天然なヤツって嫌いだぜ…………。
だがそんな感想を口に出しても、彼女の負け戦は変わらない。それを魔理沙もわかっているから、あえてそれを口にはしなかった。
「あぁもう!私は行くぜ?夜は短いんだ」
ナチュラルに崩されたテンポを取り返そうと、早口に声を張る。
紅潮した顔を背けて――思わず、目指す方角を見据えてしまっていた。
その様子を眺める早苗は、変わらずの不思議そうな顔でいるまま、おもむろに口を開く。
「……やっぱり、あの人の所ですか?」
その言葉に、魔理沙は無意識にその動きを止めてしまっていた。
早苗の言う“あの人”は、ほぼ間違いなく魔理沙の心象を当てているのだろう。
誰に言うでもなかった、今夜目指す場所。
それを言い当てられたようで、魔理沙は驚きを思わず顔に出しそうになったほどだ。
――なんで、そういうところにばっかり気がつくのか、そっちの方が不思議だぜ。
早苗の妙な機微に内心で溜め息を吐く。
「……誰のことを言ってるんだろうな。私にゃ、ちょっとわかりかねるぜ」
一応口だけの誤魔化しをしておく。無駄な気もしたが、ここで素直に認めるような彼女ではなかった。
口を尖らせて目を背ける彼女をまじまじと見つめ――早苗はポツリと呟く。
「行っても、魔理沙さんじゃ勝てませんよ」
さすがにその言葉は、魔理沙を振り向かせるに足るものだった。
「――ッ!乙女の秘密にダメ出しとは、ふてぇ野郎だ。喧嘩を売ってるのかな?」
そんな若干の怒気をはらんだ魔理沙の声にも動じることなく、
「喧嘩を売る……それもアリですね。もっとスマートな方が好みなんですけど」
早苗は一人で何かを納得したようにまた呟く。
腕を組み、顎に手を添えて思案顔でいるその様子を見て、魔理沙は直感的に、早苗が何を考えているのか理解した。
なぜその考えに至ったのか、まではわからなかったが。
早苗は不意に顔を上げ、彼女の方を真っ直ぐに見据えると――魔理沙の予想通りの言葉を吐き出す。
「私が喧嘩を売ったら、買ってくれますか?」
まるで体ごとぶつかるかのような、真っ直ぐな言葉。
その緑色の瞳が、静かに揺れていた。
「……私ゃ正直遠慮したいんだけどな。行きたい所があるんだって」
「“喧嘩なら値段も見ずに買う魔理沙さん”じゃないんですか?」
――いらんことばっかり覚えてやがって。丸三日間一緒だったツケかな、こりゃ。
「喧嘩の押し売りとは……ひどい巫女もいたもんだぜ。巫女って生き物はみんなこうなのか?」
「誰のことを言ってるんでしょうね。私は風祝なのでわかりかねますけど」
早苗はそ知らぬ顔でそう答える。
狙いすましたような言葉の返しも、彼女はおそらく何も考えずに行っているのだろう。
こうなると、ある意味幻想郷で一番やっかいな交渉である。この手の手合いは、あの紫ですら避けそうだ。
――やっかいなのに捕まったな…………。
魔理沙は溜め息を漏らした。今度は心中だけではなく、実際に。
「……どうしてもやる気なのか?」
一応の確認を取る。
もっとも、この問いに意味など無いことなど、彼女はわかっていた。
「これが私の“やりたいこと”ですからね」
案の定が、即答で返ってくる。
「さっきの妹紅の入れ知恵か……いらんことを」
――焚きつけるなら、火の始末までしてからいなくなれ。
魔理沙の難しい顔など、見えていないかのように、早苗は口を開く。
「――これは私の悲願に近い望みです。今夜ばかりは逃がしませんよ。さぁ、いつかのあの日の続きをしようじゃないですか!」
目と鼻の先で、緑色の少女は息巻いていた。
いつの間にやら、すでに臨戦態勢。目の色が変わっているとはこのことだろう。
黒い空に仁王立ちで、黒染めの少女に向き合っている。
彼女の言う、いつかのあの日――おそらく、魔理沙が妖怪の山に新しい神様を見物に行った日。
あの時とは、まったくと言っていいほどシチュエーションが違う。
続きになんかならないだろうに……。そんな魔理沙の感想は、目の前の巫女には、どうでもいいことのようだった。
魔理沙は、
「はぁ~~…………」
と分かりやすいほどの溜め息を吐き、当り散らすように頭をワシャワシャとかき上げた。
吐き出した息を吸い込み、気持ちをフラットに戻してゆく。
吸い込んだ息を、今度は吐き出し、吸い、吐く。
金の瞳に力を込め――眼前の“敵”を見据える。
「メンドくさいことこの上ないが……火の粉を払わなきゃ進めないなら仕方ないな!何度やっても私の勝ちだぜ!?」
意識を戦闘用に切り替える。
――これが障害だと言うなら……叩き壊して進むまでだぜ!
そんな魔理沙の反応に、早苗の自信に満ちた笑みがこぼれる。
喜びを湛えるような笑顔。
それは紛れも無く、彼女がこの異変の参加者であることを、改めて示しているかのようだった。
「それでこそです!現人神の、風祝の、私の……奇跡の力!五体全てで味わって下さい!」
フワリと浮かび上がるように距離を取る。
月の光の中、踊りだすようにして飛ぶ早苗は、どうしようもなく、やはり、“暇人たち”の一人のようだった。
the last day's card is present.
R.-S. F.-S. K.S.-M.K. T.-Y. E.-I. Y.-Y. Y.-A.P. M.-I. S.-M.
next person of leisure... ... R.-S. 【 M 】
「さ、始めましょうか……吸血鬼。私のナイフで、塵に返してあげる」
「銀のナイフなのに錆びるのね。どこかの誰かみたいじゃない」
「行くわ……吸血鬼!」
「おいで……人間!」
to be next resource ...
衣玖さんちょっとヤンデレ化してないだろうか。そこが心配。
なんだかんだ、皆当てられてますね。
衣玖さんはもうヤンデレですねアレ。デレてくれるのだろうか……
次回も楽しみにしています。
ロマンですよねぇ。どうにか「これがやりたかったんだ!」って言えるようなものが出来たらいいなと思っております。
一応、V,W,X,Y,Zであと5試合はできるけど。
アルファベットの余りは、正直、通し番号としてつけただけなんで余っててもいいんですけど……でも使い切った方がキレイですよねぇ。
三日目に入ってまったく顔を出してないキャラもいますが、それはいろんな形で拾っていきます!