[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 三日目幕間
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夕暮れ時。
役目を終えた太陽が空から退場してゆく。
名残り惜しそうに残る太陽の光が夜の闇と混ざり合う、微妙な時間。
家路を急ぐような鳥の声。
温度を下げた風。
オレンジと灰色の雲。
気の早い星。
空。
醒魔刻。
彼女たちは、動き出す。
【 M-1 】
かくして、日は暮れた。
夏の残り香のような強い陽射しの余韻で、空気はまだ暖かい。だが直射日光が無くなったことで、ひとまずは過ごしやすい気温だ。
出番を終えた太陽と入れ替わりで浮かぶ月が暗い空を明るく照らしていた。
既望の月は白い光を湛え、夜の世界を美しく眺める。
まだまばらに輝くに過ぎない星々を差し置いて燦然と輝きを放つ月は、一人今夜を待ちきれないかのようだった。
夜の黒に染められ、月の白い光を浴びる、紅い館。
そこの正面入り口――踊り場となっているエントランスロビーには、今夜の月と同じく、すでに夜の準備の済んだ少女たちが萃まっていた。
「今夜もまた微妙に人が少ないですね……」
美鈴は揃った顔を一回り見渡し、そう言った。
「昨日もこんなもんだったし、別にいいんじゃない?」
んー、と大きく背筋を伸ばしながら妹紅が事も無げに答える。
「まったく、協調性というものがなってないぜ」
「あんたに言われたらお終いねぇ」
「おまえに言われてもお終いだろうぜ」
そうやってロビーの真ん中で睨みあう魔理沙とレミリアを華麗に放置しつつ、
「でも昼間から姿が見えない方もいますし……っていうかルーミアさんと文さんもいつの間にかいませんね」
早苗は心配そうな声を上げている。
レミリアの号令で萃まったのは、五人。
昨日の戦いで怪我人は出ていないと聞いていたので、今ここにいない四人の所在を、早苗はまったく知らないままだった。
「ま、気にしててもしょうがないんじゃない?それぞれなんか理由でもあるんでしょ」
「そういうもんですかね……」
あくび混じりの妹紅へと、困ったように早苗が返す。
そんな彼女の声を聞いてもなお、妹紅の表情はまったく変わらない。言うことだけは個人の理由を尊重しているように聞こえるが、どうもただ無頓着なだけのようでもあった。
自分を眺める妹紅の視線があることに、早苗は気づいていない。
「おいおい、独断先行か~?リーダー様のご威光が足りないんじゃないのか~?」
「ホンットいい度胸ね?私にそんな口利く人間も久々よ?あんたの血を吸い尽くしてからお出かけと洒落込もうかしら~?」
早苗の声音など気にせず、無駄にヒートアップしてゆく二人。
そしてそれを止めるようにして、美鈴が声を張り上げていた。
「い、いや、お二人とも落ち着きましょうよ?ね?――あ!そうそう!お嬢様!今夜はどこに行きましょうか!?ね!?」
美鈴は二人をなんとか引き離しながら、話題を変えるためにレミリアに質問した。
結局今日一日姿を見れなかった衣玖と橙も気がかりだったが、それよりもまずは目の前の騒ぎを収束させる方を優先しなければならなかった。このままではいつまで経っても動き出せない。
彼女の頑張りがどうにか天にも吸血鬼の少女にも届いたようで、幸い、レミリアはすぐにこの話に気を向けてくれた。
「ん?あーそうねぇ……決めてないわ」
「あらら、じゃあとりあえず先にそれを決めましょうか。ね?」
どうにか軌道修正に成功。彼女は内心で安堵の溜め息を零した。
今いる面々だと、美鈴の心労は絶えなそうである。
あと頼りになりそうなのは早苗くらいだが、なぜか今夜の彼女は、たまにぼぅっとしたような顔をしていたりするのでそれはそれで不安だ。
食事の時は明るい彼女だったように思えただけに不思議だったが、美鈴としてもそう全員の気持ちが読めているわけではもちろんない。
わからないだけに、ひとまずは放っておくことしかできなかった。
――ここに衣玖さんがいれば……。
美鈴は改めて、今ここにいない衣玖が恋しかった。
自分ひとりでこの自由人たちを気にして回るのかと思うと、今から心が折れそうになる。
「って言ってもねぇ。山は一昨日行ったし、永遠亭も昨日行った。あとは冥界なんだけど……それもこの鼠と早苗が行っちゃったしね」
「誰が鼠だよ誰が」
「あんただよあんた。白黒のあんた。足して二で割れば鼠色だし、ちょうどいいじゃない」
「脳無しの蝙蝠にしては面白いことを言うぜ」
「あんた程度ならネコイラズいらずだってわからせてあげようか?」
「ほ、ほら!行き先決めましょうお嬢様!魔理沙さんも混ぜっ返さないで下さいよぅ!」
そんな魔理沙とレミリアの睨み合いなど気にせず、早苗はまたぼぅっとした顔に入っていたし、妹紅は妹紅であくびなどしながら眺めているだけだ。
焚きつけないだけ助かるが、助っ人に入ってくれればもっと助かる。
――あーもう……誰か助けに来て下さいよ~……。
美鈴は内心でこっそりと悲鳴を上げていた。
もう衣玖さんが、などとも言っていられない。
こうなれば、このメンツをどうにかしてくれるなら、もはや誰でもいい。
無神論者の彼女だったが神にも祈りたい気分だった。
――神様仏様、パチュリー様に咲夜さーん…………
「呼んだ?」
「はい?」
その声に一同は勢いよく振り返る。
そこにいる誰のものでも無い声。
さらに言えば、今は紅魔館にいるはずのない人物の声――それはさっきまで誰もいなかったはずの正面玄関から。
そこには確かに、人影が一つ。
背筋を伸ばして凛と立ち、腕を組みながらに美鈴たちを見る、メイド服の彼女――――
「って、えぇぇぇぇぇぇぇ!?さ、咲夜さん!?」
「呼んでないぜ」
「確かにあんたには呼ばれてないわね」
十六夜咲夜は、真顔でそう答えていた。
魔理沙の茶々にも動じない彼女は、確かにこの状況を変えるのに最も適した人材ではある。
「助かりました……じゃなくて!どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたも、暇つぶしに来たのよ。今日はそういう日でしょう」
一笑も付さず、事も無げに言い放つ。
「あー……そういやそうだね。なんか攻め込まれるのって初めてで、実感湧かなかったよ」
「っていうとアレですか?同じチームの方々もいらっしゃるんですか?」
レミリアと魔理沙のグダグダ騒ぎにも耳を貸さなかった早苗と妹紅も、突然のメイド長の訪問には興味を示していた。
だが、言っても興味を示している程度であり、敵チームの訪れに慌てる様子などはまったく無い。
「いや、今夜のウチのチームは自由行動なのよ。ここに来てるのはたぶん私だけね。たぶん」
咲夜が簡単に返す。どうにも曖昧な発言だったが、確かに他に誰かいる気配は無い。
時を止めて急に現れる輩など彼女の他にはいないし、おそらく咲夜の言う通り、ここには彼女だけのようだった。
まだ不思議そうな顔をしている美鈴や、きょとんとしながら咲夜を眺める他の面々をさておき、彼女は視線を一点に向ける。
「こんばんは、お嬢様。お元気なようで何よりですわ」
二日振りに顔を合わす主人に挨拶を送る。
もっとも、言うほど心配はしていなかったが。
「こんばんは、咲夜。あなたも変わらずみたいで何よりね」
二日振りに顔を見る従者へと挨拶を返す。
もっとも、言うほど心配はしていなかったが。
この異変で分かたれた二人は、何事もないかの様子で挨拶を交わす。
今この時――咲夜には他の面々の顔など目に入ってはいない。
「で、あなたがここに来た用件をお伺いしましょうか?」
レミリアは腕を組みながら不遜な態度で問いかけた。求める前に飛び込んできてくれた刺激に、彼女はどこからどう見てもご機嫌な様子だ。
そんな主人の様子に安堵したのか、咲夜も微笑みを漏らして答える。
「あら、決まってますわ。一応ここは敵陣ですしね。戦いに来たのですよ」
「そりゃそうでしょうね。私が聞きたいのは、誰がお目当てか、って話よ」
「それも決まってますわ」
軽く言葉を切る。
そして――――
「私は、お嬢様と踊りに来たのですから」
瀟洒な従者の完璧な笑顔が、そこにはあった。
彼女の発言に驚きの反応を返すのは、美鈴始め、他の面々だけ――というか、純粋に驚いたような顔をしていたのは美鈴だけだった。
他は“おぉ~”などという声を上げるだけで、完全に野次馬気分なだけである。
当のレミリアでさえも、
「そりゃそうでしょうね!」
当然、という顔をして笑っているだけだった。
絶対の腹心が自らに向ける牙を、まるで心待ちにしていたかのように。
「って、ちょ、ちょっと!咲夜さんがお嬢様と、ですか!?」
「何も問題は無いでしょう?今は私とお嬢様は敵同士なんだから」
「い、いやまぁそうですけどね……」
「さすが咲夜ね。目が高いわ。ま、このボンクラ共の中なら他に選びようがないけどね」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
唯一戸惑いの声を上げる美鈴をよそに、レミリアと咲夜はすでに二人の世界を作っていた。もうそこに踏み込める者は、誰もいない。
が、そこに声を挟める人間もいる。
「おーい、じゃあ私らはどうするんだよ?」
間延びした魔理沙の声がロビーに響く。
ある意味、こういう時には彼女の鋼の心臓は貴重である。貴重ではあるが求められているものでは無い、ということを本人が把握していないことがやはり問題ではあったが。
「ん?まだいたの?」
「ずっといるぜ」
「私の今夜の相手は決まったわ。あとはあなたたち。それぞれ好きに探しに行きなさいな」
「うちも同じく自由行動、ってか。気楽で助かるな」
そう言いながら、魔理沙は一人、咲夜のいる正面玄関へと歩き出した。
箒を片手に横柄に玄関を目指し、咲夜の隣を通り過ぎる。
すれ違い際に、
「精々あのワガママお嬢様を泣かしてやってくれ」
「あんたに言われる筋合いはないけどね。……まぁ応援だと思って、受け取っておくわ」
咲夜と会釈を交わし、彼女はドアノブへと手をかける。
キィィ、と僅かに軋む音を上げて扉が開き――――
「あ、魔理沙」
不意にレミリアが、彼女を呼び止めた。
「ん?まだなんかあるのか?」
その声に振り向く。
振り向いたその先――小さな吸血鬼の少女が、楽しげに瞳を歪めていた。
「ま……精々気張りなさいな」
紅い瞳が魔理沙へと向けられている。
愉悦に歪んだ鋭い視線は――だが、どこか優しげに。
運命を見通す彼女の瞳は、全てを解っているようだった。
「……はっ!ご期待に添えるように頑張るぜ」
レミリアの言葉の意味は、他の誰にもわからなかった――が、魔理沙にだけは、確かに伝わっている。
誰にも言っていない、彼女の内面を射すような言葉。
――相変わらず、この吸血鬼は人のこういうところにだけは目端が利くな。
頭の中で吐き捨て、口の端を持ち上げていた。
ぶっきらぼうに片手を挙げ、それをレミリアへの返事としながら、彼女は紅い瞳に背を向けて、大きな扉を開けた。
「あ!ちょっと魔理沙さん!――じゃ、私たちも行ってきますね!ご健闘を!」
「はいはい、行ってらっしゃい。楽しんでくるといいわ」
「じゃ、そっちも頑張ってね」
「どこ行くか知らないけどあんたもね」
早苗と妹紅も、簡単な挨拶とともに外へと出る。
そうしてそこには、タイミングを逃した美鈴が一人、残されているだけだった。
彼女はまだ戸惑ったような表情を見せていたが――それも僅かな時間だけ。
すぐに口許をきゅっと結び、心の中で自分の頬を叩いて気合を入れる。
美鈴は出て行った三人の後を追うようにして、玄関の扉へと駆け出してゆく。
その扉を開く時、彼女は笑いながら、残された二人の方を見た。
「あ、あの!咲夜さんも頑張って下さいね!お嬢様も!」
「あら、ありがと」
「……私の方がついでっておかしくないかしら」
失礼します!と大きな声を上げ、美鈴はドアの向こうへと旅立っていった。
キィィッ、っと蝶番が軋む音を立て、パタンというドアの閉じる音が聞こえるのを最後に、慌ただしかったロビーには束の間、静寂が訪れた。
騒がしかった音の名残が、尾を引くようにして消えてゆく。
まだ扉の前、玄関先に彼女たちがいるのだろうが、それでもこの静けさは、世界中から人が消えてしまったかのようだった。
その余韻に浸るように、レミリアはしばらく口も開かず、その静けさを楽しむ。
「――なかなか楽しそうで何よりですわね」
誰もいなくなった静かなロビー。そこは二人では広すぎる。
咲夜の鈴の音のような綺麗な声が、静かなエントランスに響いた。
「騒がしくて困りものよ。ま、それも今日までだと思うと清々するわ」
ふふ、っと鼻で笑い、レミリアは静かに目を閉じていた。
そんな主人の様子を愛しむように眺めながら、咲夜もつられて少し笑った。
「あら、私が言ったのはお嬢様のことですわ。――楽しんで頂けたようで幸いです」
「……まぁそれなりに楽しかったわ。きっと」
「きっと?」
ゆっくりと、咀嚼するようにして問い返す。
何が言いたいのか、咲夜には解っていた。
何せ目の前の彼女の主は、どうしようも無く、楽しそうだったのだから。
「そう、きっと……。気を張りなさい、咲夜。最後の日の相手の出来次第じゃ――台無しになってしまうからね!」
レミリアは羽を広げ、それを羽撃めかせる。
フワリと浮き上がったそのままに、高く高く、空に立つ。
「さ、やるわよ、咲夜!この馬鹿騒ぎの最後の日!私を目一杯楽しませなさいな!」
見下ろすレミリアの紅く煌く瞳を見つめ返すと、咲夜は恭しく頭を下げ、スカートの端を軽く持ち上げてみせる。
「――かしこまりました。お嬢様」
メイドらしく傅き、顔を上げる。
レミリアへと向ける彼女の瞳もまた、深く沈みそうなほどの、紅だった。
【 N-1 】
サーッと静かな音を立てて、障子が敷居の溝を滑ってゆく。
「――ん。みんな準備は出来てるみたいね」
感心感心、と微笑みながら、蓬莱山輝夜は庭に並ぶ少女たちを見渡した。
もう三日も続けて見た、馴染みの顔ばかり。
ひとつ屋根の下で寝泊りし、同じ釜の飯を食い、一緒になって酒盛りをし、一緒になって騒がしい夜に飛び出していった彼女たちを見やる。
短い間ではあったが、そう思い返してみると、なかなか感慨深いものがあった。
「やっと来たー。待ちくたびれちゃいそうだったよー」
庭石に座り込んでいた諏訪子が口を尖らせながらそこから飛び降りる。ぴょん、という音が聞こえてきそうなほど軽やかだ。
「一人重役出勤とは、お姫サマは違うねぇ~」
諏訪子の傍で座り込んでいた萃香もからかうような声を上げた。ご他聞に漏れず、彼女はまた酒を飲んでいるようである。
「私も遅れて来たつもりはなかったんだけどねぇ。むしろ結構おおらかな集合時間にしたのに、ちゃんと集まってるあなたたちが頑張りすぎなのよ」
二人の声に反論する輝夜だったが、
「“日が暮れたら庭に来い”だっけ。おおらかっていうよりは大雑把じゃないかなぁ」
「しかも今の発言からすると、ちゃんと萃める気はさらさら無かったようだけど、そこのトコどうなのかしら」
続くにとりとパチュリーからも追求を受けていた。彼女たちの言う通り、あらゆる面で適当だった輝夜にこれ以上の反論はできなかった。
「あらら、これは私に勝ち目は無さそうね」
笑って肩を竦めてみせる。
別段謝るようなことはしなかったが、誰もそれを追及はしない。みんなでつられるようにして呆れるような笑いを零すだけだ。
彼女たちは全員、この三日間で輝夜の人となりがなんとなくわかっていたのだろう、誰も彼女の適当さに腹を立ててなどいなかった。
輝夜の持って生まれた人柄か、だいぶ大雑把なことを言っても誰しもがなんとなく容認してしまう。ある意味それが、彼女の最も“お姫様らしい”部分といえるのかもしれない。
「さ、これで今日出れそうな者は全員萃まったわけですが、今夜はどちらへ?」
仕切りなおしの声を上げたのは、唯一立って待っていた咲夜だった。
「これで全員?三人ばかり足りないけど」
にとりが周囲を見回しながら怪訝そうに尋ねる。
「えぇ、チルノはまだ目を覚まさないし、レティも今夜は付き添っているから参加しないらしいわ。あとは藍だけど、結局ここまで姿を見なかったからね。昼のうちからどっかに出てるんでしょう」
特に何も言伝を残さずに消えた藍についても、輝夜は別段気にしていないようだった。
彼女がどこにいて、何をしているのか、輝夜にはなんとなくのアタリがついていたので、もうすでに頭数には入れていなかった。
「ま、どこに行っててもいいわ。……今夜はそういうつもりだしね」
「――と言うと?」
事も無げに言った輝夜の言葉に、真っ先に返したのは諏訪子。だが、その疑問は全員共通のものだったらしく、そこにいる面々は悉く輝夜へと同じ視線を送っていた。
それぞれの色を帯びた五人分の瞳を受け、輝夜は変わらぬ表情のままに、やはり力を込めるでもなく、切り出す。
「言葉の通りよ。――今夜はみんな自由行動。チームで動く必要は無いわ。各々行きたいトコに行って、やりたい相手と戦るといいわ」
そう告げる声に、一瞬戸惑いの空気が流れた。
これは一応チーム戦。そういう体だ。
チームの敗北条件は“リーダーがやられること”。
このルールに則るのならば、リーダーである彼女を離れて全員がバラバラになることは好ましくない。
だが、それはもう今さらでしかない戸惑いである。現にここまでで――と、言ってもこのチームとしては昨日のみだが――チームリーダーが単独行動に出る状況が実行されているのだ。
今回の提案を止めるのなら、その時点からやりなおさなければならない。
輝夜の提案は、そんな“今さら”を、今さらながらに彼女たちに思い出させるものだった。
「……もういいのかな?」
言葉に含みを持たせながら、萃香は尋ねた。
その言葉に込められている全てを理解した上で、輝夜は微笑む。
「いいんじゃない?最終日だし、好きにやった方がむしろいいわよ、きっと。これでも実は結構協力的なつもりなんだから」
紫の目的は、ルールの通りにチーム戦をやらせることではなく、むしろ各人の戦闘機会にこそ重きを置いている。チーム戦という形式は、そのチャンスを増やすための措置に過ぎない。
敗北条件でさえ――もし在りえた場合に、だが――遵守されたかどうか定かではない。
そこまでを考慮した上で輝夜が出した答えは、八雲紫のこの算段に乗ることだった。
「一日目を飲み会で費やした癖に、協力的たぁ、よく言うよ」
「あなただって楽しんだんだから、言いっこ無しじゃないの」
違いない、と萃香は笑って応えた。
彼女もこの異変の求める所を、直感で理解している者のひとりであり――そういう手合いは、実は意外といたりする。
「ま、そういうコトで。心配しないでも、私も今夜一杯くらいはやられないでいるから、みんな楽しむといいわ」
輝夜は自信ありげに笑顔を振りまいた。
確かに、彼女を今夜一晩で負かせられる者などほとんど――いや、ひとりとして存在しない。
なぜなら、これは弾幕ごっこではないから。
手札を全て切ったとしても、彼女が認めない限り、敗北ではないのだ。
時間制限も、カードによる縛りもない。ルール付けされていない戦闘を行った場合、あとは彼女の体力と気分次第。
それが、彼女“たち”に許された特権であり、苦痛でもある。
彼女は蓬莱人――紫の“結界”の庇護など必要とせずとも、死から最も遠い存在。
幻想郷で三人っきりの、永遠。
もちろん、それを差し引いても、戦闘能力はそこそこ高いし、頭も切れる。
彼女のチームメイトたちも、誰ひとりとして心配はしていなかった。
「――そういうことなら、」
輝夜の提案を受け、それを誰よりも真っ先に受け入れる声があがる。
その声の主の方へと、輝夜含め、全員の視線が集中する。
彼女は薄くだけ微笑みながら、
「お言葉に甘えさせていただきますわ」
そう言っていた。
「えぇ、どうぞどうぞ。その様子じゃ――咲夜、あなたはどこに行くのかのお目当てがあるみたいね」
輝夜の視線の先、十六夜咲夜は、静かに頷いた。
「はい。この提案を聞いて、最初に浮かんだ顔の方に会いに行きますわ」
彼女は瀟洒な笑みを浮かべて返す。満面というわけでもなく、薄く彩る程度の微笑み。
咲夜はメイドらしくスカートの端を摘まんで持ち上げ、恭しく頭を下げる。
「では――お先に失礼しますわね。皆様方、ご健闘を」
咲夜に向けられた十の瞳――その全てから一瞬にして、彼女の影は消え去った。
口許の微笑みと、労いの言葉を残して。
「消えたり現れたりと、忙しいメイドさんね。もうあれ癖になってるのかしら」
さして驚く様子も見せず、輝夜は誰もいなくなった空間から顔を上げる。彼女が通ったであろう、薄暗い空を見上げた。
薄暗い空に、月はまだ出ていない。
満月の次の月、十六夜の月が姿を現せば、夜は始まる。
「どこに行ったのかねぇ。――主人の吸血鬼の所に一票」
「あ、それ面白い!下克上はワクワクするもんねぇ。私もそれで!」
「家臣の反逆は上に立つ者の華よね。私も一口」
「人間は争いが好きだねぇ。困ったもんだ。でも私もその展開に期待かね」
「で、同門のパチュリーはどう見る?」
「さぁ?知ったこっちゃないわ。……でもそうね、願わくば――あのワガママな友人をちょっとヘコませに行って欲しいものね」
「わははははっ!ひどい友人だなぁ!」
いなくなったのをいいことに、残った面々は好き放題に言っている。
彼女たちの無責任な笑い声は風に乗って、今頃咲夜にくしゃみをさせていることだろう。
「あ、どこで何しててもいいんでしょ?なら私もここに残しておくれよ。ちょこ~~っと月の道具なんか、見せてもらいたいんだけどなぁ~」
輝夜の提案に、続いて声を上げたのは、河童の少女だった。
彼女はそれらしく手を合わせながら、一応お願いらしい対面を整えて輝夜を見ていた。
必要とあらば目を潤ませることさえするだろう。もっとも、今の彼女の瞳はワクワクと輝いていて、ここで泣き出しても説得力が無いが。
「……いいけど、壊さないでよ?もう手に入らないってトコだけは正真正銘貴重品なんだから」
「だ~いじょ~ぶっ!河童の手先をナメちゃあいけないよ~」
一応の許可が下りたと判断したにとりは、跳ねるようにして庭を後にし、勝手口へと向かっていった。
駆けながらに「ありがとね~!」と叫んではいたが、すでに心ここにあらず。彼女の意識はすでに輝夜には向けられていなかった。
「不安ねぇ。万象展に出す予定のものも結構あるんだけどなぁ」
その様子を眺め、やれやれ、と肩を竦めながら、月の姫は呟いていた。
「まぁ河童はあぁいう生き物だからねぇ。確かに手先の器用さだけは保障するよ」
「パチュリーはついてかないんだねー。好きそうじゃん、そういうの」
「まぁ中々興味深いわね。――でも今夜は喘息の調子もいいし、たまには外に出ようかしらね」
残された面々から思い思いの反応が返る。
我先にと団体行動から外れてゆく者たちを目にしながらも、誰一人として異議は唱えず、残った彼女たちもそれぞれに今夜の目的地に思いを馳せていた。
この順応性の早さを見るに、そもそも彼女たちの多くはこうして自由に動き回ることをこそ欲していたようでもあった。
打算的な団体行動に身を寄せながらも、やはり本能的な部分では縛られることを嫌っているのかもしれない。
自由な空気が満ちる幻想郷の少女たちは、それを吸っているからか、ひたすら“自由”だった。
「それじゃ、私たちもそろそろ出ましょうか――――――っと?」
いち早く動き出した咲夜たちに遅れて、彼女たちも動き出そうとした矢先、輝夜が何かに気づいた。
薄暗闇に浮かぶ誰かの影。
彼女たち四人を眺めるようにして何も言わずに佇んでいる。
いつからそこにいたのかは解らない。
急に攻撃してくる様子も無く、ただ黙してそこにいる、紅い洋服の女の子。
他の三人もそれに気づき、竹林の上に浮かぶ彼女を見た。
上空を流れる風に揺れる金の髪が静かになびき、洋服よりも紅く、暗い瞳が爛々と夜空に輝く。
少女の放つ“狂気”が、地上の彼女たちにも届くかのようだった。
「あら、妹様」
緊張感無くパチュリーが呟いていた。
「あぁ、あれがやっぱり吸血鬼の妹さんなんだね。初めて見たよー」
「みたいね。フランドール・スカーレット。なんのご用事かしらね?」
「あぁ~~……あれかな?もしかして…………」
苦笑いを零しながら頭を掻く萃香に、その訳を尋ねる前に、
「……そこの鬼に用があるの」
フランが呟く。
空に浮かぶ彼女と、地に立つ彼女たちの距離は遠く、フランのその声も囁く程度の小さな声。
だが、それはちゃんと輝夜たちにも届いていた。
予感の当たった萃香が、困ったように笑っていた。
「心配しなくても、あっちにもちゃんと聞こえてたみたいねぇ」
「そんなとこ誰も心配してなかったけどね」
「萃香をご指名みたいだよー?」
「うーん……昨日の今日でこれかぁー……」
やれやれ、と頬を掻き、フランを見上げてみる。
無表情なままの顔つき。
紅い瞳も完全に据わっている。
陽気な時分の彼女はおらず、完全にスイッチが入っている。彼女はすでに、臨戦態勢の状態で永遠亭を訪れていた。
胡乱な瞳は、まさに昨日の夜のままだった。
「なんか心当たりがあるのかしら?」
「あぁ、昨日ちょっとね――――」
「……昨日言ったわよね?“相手ならしてやるから、また来い”って。だから、ウチのリーダーの人に聞いて、ここに来たの」
フランはそう言いながら、ゆっくりと彼女たちの方へと降下してきた。
「ねぇ、昨日の続き。また私と遊びましょう?今夜はまだまだ長いわ」
フワリと下り立った時の彼女は、もう無表情ではなく、薄っすらと笑っていた。
まだ瞳は、据わったままだった。
「……そりゃご丁寧に。……紫め、余計なことを……。私もいろいろ見たかったのに」
「まぁあなたが蒔いた種なら仕方ないわねぇ」
「妹様もよっぽど気に入ったのね。まぁ頑張って遊んであげなさいな」
「せっかくここまで来てくれたんだから、袖にしちゃあ可哀相だよー?」
輝夜以下三人は、すでに他人事の様相だった。
そんな彼女たちを見るでもなく眺めながら、フランは黙って萃香の出す答えを待っている。
感情の読めない眼で、萃香を真っ直ぐに見据える。
最後の諏訪子の言葉だけに、一瞬感情の起伏があったことには、本人含めて誰も気づいてはいなかった。
「そうだねぇー…………」
首を傾げて腕を組み、萃香は唸ったような声を上げた。
が――――
「ま、私は一向に構わないけどね。――じゃ、また今夜もお相手願おうか、フラン」
悩んでいるように見えたのは僅かな時間だけだった。
おそらくそれもポーズだけ。きっとフランが現れた時点で、萃香の出す答えはもう決まっていたのだろう。
彼女は腕組みをしたままで、目の前の少女を見る。同じ高さに立つその紅い少女は、萃香と同じくらいの体格。まっすぐ向けた顔がまっすぐに交わり、萃香は、笑ってみせた。
おぉー、という野次の声が上がっていた。
「……そう」
周りの声にも、萃香本人の声にも感嘆は無く、フランは抑揚の無い声でそう返しただけである。
「なんだよー、もう少しやる気だしなよー。せっかくこっちが返事したのにー」
「……………………」
「え?無視?」
完全に一方通行な会話のキャッチボールに、「まぁまぁ」と輝夜が割り込むようにして声を上げる。
「萃香、あなたがあの子と戦うにあたって、私からひとつ助言があるわ。チームを率いる、リーダー役としてね」
「おん?」
真面目な顔をして言う輝夜の顔を、つられるようにして神妙な顔で見る。
輝夜はゆっくりと瞳を閉じ――ゆっくりと開き、笑った。
「やるならここじゃなくて竹林でやるといいわよ?吸血鬼と鬼とで戦ったら、無事には済まないだろうからね。……永遠亭が」
「……ぷっ、それ、リーダー関係ないじゃん。そういえば初日も咲夜にそんなこと言ってたね。そん時も関係無かったなぁー」
「だって私の家がこれ以上壊れるの嫌じゃない」
「正直者は嫌いじゃないよ」
あははっ、と笑って応えた。
「そんじゃ、フラン。お姫様がワガママ言うからね。ちょっと移動しようか」
「まぁ、心外」
そんな二人のやり取りを前にしても、フランはあくまで黙っている。一応視線は彼女たちへと向けられていたようだったが、それが目に入っているのかもわからない。
反論が無い以上、おそらく肯定の意だろうと勝手に解釈し、萃香はフワリと空に飛び上がった。
「じゃあ行ってくるよ。輝夜たちも頑張ってねー」
無邪気に笑いながら、見上げる輝夜たちに手を振る。
「まぁ頑張るのはむしろあなただけどね」
パチュリーが笑うでもなくそう返し、
「楽しんでおいでねー」
諏訪子が同じく無邪気に手を振り返し、
「いってらっしゃい。よい夜を」
輝夜がにこやかに送り出す。
「はいはい、行ってきますよー」
いつの間にか萃香と同じ高さまで浮かび上がっていたフランと共に、彼女たちは、迷いの竹林の上空へと飛んでいった。
気づけば、空はずいぶん暗くなっていた。
太陽が沈み始めてから、夜になるまでは早い。
もうしばらくもすれば、空には星が顔を出すようになるだろう。
騒がしい、静かな夜は、もうそこにいるようだった。
「――私たちも行きましょうか」
萃香を見送り、誰もいなくなった薄闇を見上げながら輝夜は言った。
「そうだねー。もう夜になるし」
その諏訪子の呟きを聞き、輝夜はもたげた首を不意に戻し、諏訪子の方を見ると尋ねた。
「あなたはどこに行くのかしら?」
「ん?私?――あぁ~……そうだねぇ……一回神社に戻ってみようかな」
「その心は?」
「別に。なんとなく。面白いことあるかなー、って気がするだけ。輝夜は?」
尋ね返された輝夜は、少し考えるようにまた空を見上げる。
「そうねぇ。なら私はちょっと紅魔館に行くわ。こんな夜にうってつけのヤツがいるのよ」
遠くを見るような眼をして、輝夜は答えた。
彼女の脳裏に浮かぶ少女は、こんな夜にも溶け込まないような銀の髪と、燃えるような紅をしているのだろう。
今夜に限らず――永遠に。
「ふぅん……――で、パチュリーは?」
他人事のように輝夜と諏訪子を見て立っているだけの彼女へと話題を振る。
声をかけられ、視線を返した彼女は、いつも通りに重そうな瞼を半分閉じていた。
「……そうね。――――秘密」
「ぷっ。ははっ、なにそれ」
ぶっきら棒に答えたその様子が面白かったのか、諏訪子は笑って流し、それ以上の追求をしなかった。
別に根掘り葉掘り聞くことでもないかな、という気もしていた。
「とりあえず各々目的も出来てるみたいだし、出かけましょっか。このままじゃ夜が明けちゃうわ」
輝夜が冗談めかして笑い、話をまとめる。
二人もそれを受けて頷き、動き出す。
三人は音も無く空へと浮かび、
「それじゃ」
「またねー」
「またってあるのかしら」
各々に別れの言葉――らしきもの――を送り、三人はそれぞれの持つ目的に向かって進路をとった。
奇しくも、三人ともバラバラの方向へと飛んでゆく。
少女たちの喧騒が消えた永遠亭は、旅立った彼女たちを見送り、静寂に佇んでいた。
永遠の名を持つこの屋敷に訪れた、灯が消えたような静けさは、束の間のみのものだったが。
【 O-1 】
そのころの霊山は、もうすっかり夜だった。
やや満月には足りない既望の月もすっかり我が物顔で現れ、付き従うように輝く星たちがちらほらと姿を見せだす。
もう少しも待てば、満点の星空となり、星辰が所狭しと夜空を飾り付けるだろう。
空が賑やかになっていくにつれて、地上は眠りにつく。
生を謳歌せんとけたたましく鳴き声をあげる生き物はいない。みんな静かに、密やかに、謹んで、この静けさを享受している。
たまに響く風の音、枝葉の擦れる音、早出の鈴虫の羽の音……みな一様に慎ましい。
気持ちのいい夜。
こんな夜になって騒ぎ出すのは、妖怪と、そうでない者、だけなのだ。
「んん~……いい風。こういう気持ちのいい夜は、神代の時から変わらないねぇ」
「だねぇー。蛙の声が少なくなってきちゃったのは寂しいけどねぇ」
「そう?私にゃ十分だと思うけど」
「まったく、隣人に興味を示さないのは悪徳だよ?」
「ん?それ違…………まぁいっか」
肌に感じる温い風を感じながら、人の姿をした二人の神は、境内を眺めていた。
神話の時代からの山は、幻想の一部となり、そこに吹く風は神々のショートの髪を柔らかく揺らす。
「――誰も来ないねぇ」
「あんた以外ね」
片膝を立て、ぼぅっとした眼で境内の広い空間を眺める八坂神奈子は、隣で冷茶を啜る洩矢諏訪子の方を見ずに言った。
彼女の指摘など聞く耳持たないかのように、諏訪子は湯飲みに口をつけている。
勝手知ったる自分の神社。これは彼女がここに来てすぐに自分で淹れたもので、だから神奈子の分はもちろん無い。
「っていうか私が来た時にはすでにだぁ~れもいなかったんだけど……なにコレ?愛想尽かされたの?」
こくっ、とひとつ喉を鳴らし、口に含んだお茶を飲み下す。
彼女も別段神奈子の方を見るでもなく、何気なく境内を眺めているだけだった。
「違うよ、失敬な。他はみーんな出払ってるの。まぁ社務所の方で休んでるのもいるけど……あの子たちは今日はお休み。元気なのはバタバタとみんなどっかに出てったよ」
「ふーん、どこも似たような感じなんだねぇー。最後だからって張り切ってるのかなぁ」
「“せっかく”を楽しんでるんでしょうよ」
「なにソレ……神奈子は出ないの?」
「神様が神社を離れるわけにもいかないじゃない。誰かが参拝に来たら困るでしょう?」
自分で自分の言葉を茶化すように、神奈子はくすくすと笑っている。
「こんな夜に、来るかなぁ……」
「こんな夜だから、来るんじゃないかな」
「こんな夜に神頼みに来るヤツなんて、ロクなもんじゃないけどねぇ」
「じゃああんたもアウトだ」
その声にむっとしたように、諏訪子が口を尖らせた。
「別に。私は神奈子に頼むことがあって来たわけじゃないしぃ~」
「ここに来た時の第一声が、“面白いことがありそうなんで来た”ってヤツがよく言うよ。頼ってないなら自分で探しに行きなさい」
「あ、私の直感バカにしたな。ココに来たらなんか起こりそうな気がしたんだってー。私の神懸かり的な第六感がそう言ったの」
「神様でしょうに。そりゃ神懸かるわ。そんなの私にもあるよきっと」
実のない、他愛無い会話が続いた。
そんな何気ない会話も丸二日ぶり。神奈子の突っ込みに口を尖らせながらも、やっぱりどこか安心感を感じていた。
自分の神社を侵略した相手だが、もはやすでに家族のような親近感がある。神奈子も同じように感じていることだろう。
いつもの神社にいつもの神。これにあとはいつもの巫女がいれば――――
「――ん、そうだ。早苗は元気かなぁ。私全っ然姿見てないや」
不意に欠けた最後のピースを思い出した。
もちろん忘れていたわけではないが、ふっと今思い浮かんだ。諏訪子も、早苗のことが折りにつけては気になっていた。
「私と神奈子と別組になっちゃったけど、大丈夫かなぁ?幻想郷に来てまだ日が浅いし、これを機に友達増やしてきたらいいんだけど……」
そんな諏訪子の言葉に、思わず神奈子は噴き出してしまう。
「……それ、早苗に言ったら怒られるよー」
笑いを噛み殺そうとしている神奈子を、諏訪子はきょとんとしながら眺めている。
今こうやって他人の口から聞いてみて、神奈子はしみじみと思った。
――やっぱり過保護かなぁ。
なぜかそう思うと笑いが止まらない。
――魔理沙に母親か、って言われたのも、まぁ言い得て妙なのかもねぇ。
「……何がそんなに面白いのさ?」
「ん。ごめんごめん。こっちの話。――早苗とは初日の夜に会ったよ。会ったっていうか、戦った」
どうにか笑いをこらえ、何気ない風に言った。
「神奈子と?早苗が?いやいや!大事件じゃん!へぇ~早苗がねぇ~。早苗も大きくなったんだねぇ」
ひとしきり驚いた後、腕を組んで思案顔を作ってそれらしく頷いている諏訪子を見てまたも噴き出しそうになる。
「おんなじこと思った。……なかなか刺激を受けてくれてるようで良かったよ」
二人とも、自分の所の巫女がよっぽど可愛いのだろう。
うんうん、と頷きあいながらそれとなく満足気な様子だった。
これだけ神様の寵愛を受けてる人間も――それは彼女たちの直系の現人神だから、というのもあるが――幸せだろう。
きっと逆に早苗の方も、この二人の神を愛しているに違いない。
だが全ての人間が、神を愛し、愛されている訳でなど――当然無い。
「――ん、誰か来たみたい。……ってホントに来たよ」
気づいたのは二人ほぼ同時だったが、先に声を上げたのは諏訪子だった。
組んでいた腕をおもむろに解いて、境内を真っ直ぐこちらへと歩いてくる人影を注視した。
――誰だっけ、この人。見たことあるんだけどなー。
「ほら、私の言った通りでしょ?神社離れてたら悪いことする所だったじゃない」
神奈子も言いながらその人影を眺める。
ご丁寧に階段を上り、そのまま鳥居をくぐって境内を歩いてくる彼女は、その歩みから強い意志を感じさせるように、完全に一定のペースで近づいてきていた。
夜の参拝者は何も言わずに二人の前まで歩み寄ってきた。
面と向かい合って互いの顔までわかる距離――そこで彼女はおもむろに足を止める。
「こんばんは」
丁寧な物腰で挨拶の言葉を発した。二人もつられるようにして挨拶を返す。
「お初に御目にかかります。あなた方ご両柱が御祭神様でよろしいでしょうか?」
「もっと軽くていいよ。私ら二人とも神だけど、そう構えないで楽にして」
本人も慣れていないような恭しさで対する少女に、神奈子は笑いかけながら応えた。
その様子に安心したのか、その少女もくすりと小さく零し、
「それじゃ失礼して。目上を奉じる作法なんてあんまり覚えてなかったんで助かるよ。生まれはそれなりだったけど、育ちが悪いもんで」
微笑む彼女は見た目通りの年頃の笑顔をしてはいたが――それはどことなく陰を帯びた、心からの笑顔とは言い切れないものだった。
「あぁ、自己紹介が遅れたわ」
彼女はそんな顔をしたまま、思いついたようにしてそう言った。
その瞳は燃えるように紅く二人を見つめ、長くなびく髪は――燃え尽きたように美しく白かった。
「藤原妹紅といいます。この騒ぎに参加させてもらってる者の一人で、今は吸血鬼の屋敷に世話になってる、って言うのかな」
はにかみながら自分の名前を述べる妹紅は、いつもの彼女からすれば幾分腰が低いような雰囲気があった。口調は崩しつつも、態度は平身低頭としている。
特別宗教に関心があるわけではない彼女だったが、古代日本の文化の中で生を受けたこともあり、“神”というものに対しての態度というものを意識しているようだった。
「あー道理で見たことあるわけだ。見たところ人間なのに、よくやるねぇ」
「――今は故あって、人間って言い切れるほど純粋な生き物じゃないけどね」
彼女の笑顔が帯びる影が、またわずかに濃くなったような気がした。
「で、夜の参拝の目的は……って聞くまでもないか。他のメンツはどうしたの?」
「ウチのお嬢ちゃんのさじ加減で、今夜のチームは自由行動でね。ここに来てるのは、たぶん私一人」
「やっぱり、どこもやってることは一緒なんだねぇ」
諏訪子は本殿の入り口に座り込みながら腕を組んでしみじみと頷いている。
境内に立つ妹紅は、そんな神様と、隣に座っている神様とを視界に収め、続ける。
「目的ももうわかってる通り。この騒ぎの参加者で、自由行動を許されて、私一人でここまで来たんだから」
妹紅は微笑み顔を消し、また真面目な顔をすると――二人の神の目を射抜くようにして口を開く。
「こうして私の目に見える形で神様がここにいる――それならば、手合わせを願わないわけにはいかないでしょう?」
燃えるような瞳が、またその色を深くしていった。
彼女の言葉とともに周囲の空気もキリキリと音をたてて緊張していくのがわかるかのようである。
境内の気温が、少し上がった気がした。
「――やっぱりそれ、か……」
「バチアタリな人間だねぇー」
「いや、幻想郷の人間なら、こういう方が“らしい”みたいよ」
弓が引かれてゆくように徐々に緊張感を高めている妹紅を、二人は呆れ半分、面白半分といった様子で見ていた。
二人は思う。
――人間っていうのはまったく愚かで……やっぱり、面白い生き物だね!
気持ちが半々だったのはほんのわずかな時間だけで、いつの間にか二人とも後者の気持ちの方が明らかに強くなっていた。
特に諏訪子はもう瞳をキラキラと輝かせている。
「面白いじゃん!いいよ、やろう!いやぁ~こんなことなら一日目から遊びに行ってればよかったかな~」
「あんただって昨日ここで暴れてたじゃない」
「ありゃ、バレてたか。ま、そんなことはどうでもいーの。ね、ね、どっちも神様だけどどっちとやりたい?選んでいいよー」
諏訪子は眼を輝かせながら尋ねた。もうすぐにでも飛び出していきそうな勢いだ。
隣に佇む神奈子の方も、落ち着いた物腰ながら、すでに気持ちの上では準備ができている態勢でいる。やるとなれば即戦えるという雰囲気を纏っていた。
妹紅は二人の神を交互に見返し、一考した。
彼女の目的は“神と戦う”そのことだけだった。そういう意味ではどっちとやっても大差は無い。
――別にどっちとやってもいいし、この際だから――――
「どっちも一緒でいいわよ」
そう一緒でも別に――と自分の心中を代弁したその声が、彼女の口とは別の所から降ってきた。
妹紅はその声のする方へと勢いよく振り返る。もっとも、振り返る必要など無かったのだが。
後ろから聞こえる声――自分と同じく鳥居をちゃんと潜ってこちらに歩いてくる彼女の声なら、間違いなく一発でわかった。
そして反射的に振り向いた先で眼に飛び込んできた影は、やっぱり案の定の彼女で、
「げ」
妹紅は思わず短く悲鳴を上げてしまっていた。
いつの間にか妹紅の近くまで歩み寄っていたその人影に見覚えのあったのは、妹紅だけではなかった。
神奈子も諏訪子も、この黒髪の小柄な少女に見覚えがある。
思わず諏訪子が彼女の名前を呼んだ。
「あれ、輝夜じゃん」
暗い境内を静かに歩む彼女――蓬莱山輝夜は、自らの名前を呼ばれて、いつもの柔らかな微笑みをたたえていた。
「こんばんは。諏訪子はさっきぶり。神奈子は昨日ぶり。妹紅は……まだ死んでなかったようで何よりじゃない」
「おまえも相変わらずで安心した――早く死んでくれてかまわないよ」
二人は顔を合わせて早々に、互いに毒を吐きあう。
さっきまでの下手な物腰などは跡形も無く、妹紅は輝夜をジロリと睨みつけ、輝夜はどこか後ろ暗い微笑でそれに応戦している。
幻想郷屈指の犬猿の仲が、なぜかここ妖怪の山で顔を合わせていた。
「どしたの?紅魔館に行くって言ってなかったっけ?」
二人の様子を眺めながら、諏訪子は輝夜に尋ねる。
「ん?行ったわよ。このもんぺ小僧を探しに、ね」
妹紅から眼を逸らし、諏訪子の方を見て答えた。
答えながらも歩を進めていた彼女は、おもむろに妹紅の隣で立ち止まった。その間ずっと睨みつけている妹紅の視線は、完全に無視されている。
「こんな夜にまで私と殺ろうってか?」
なぜかわざわざ隣に立つ輝夜に食ってかかる。
「まさか。そんないつでもできることをやっても仕方ないじゃない」
だがそれを物ともせず、輝夜はその言葉を鼻で笑い飛ばした。
――コイツ、本当に殺してやろうか。それは私のセリフだよ。
こ馬鹿にしたような輝夜の声に、妹紅は顔を引きつらせながら、額には青筋を奔らせていた。
もちろん輝夜はそ知らぬ顔のままでいる。
「私はあなたを誘いに行ってあげたのよ。“神様がいるから戦いに行かないか”って。――ま、さ、か、先に来てるとは思わなかったわ」
ふふ、っとなぜか得意げに、輝夜は妹紅の方を流し見る。
袖の端を掴んで口許を隠して笑う優雅な佇まいは、完全に妹紅を口惜しがらせるためだけに行われているものだったし、それはやっぱり成功していた。
それを聞いた妹紅は眩暈でも起こしたかのように頭を抱え、輝夜の期待通り、がっくりと肩をうなだらせた。
「……最悪だ。まさかコイツと同じ発想に行き着くとは…………」
その様子がよっぽど満足のいくものだったようで、輝夜は勝ち誇ったようにして笑っていた。
「まぁ、存在自体が背神的な私たちなら、ほっといてもこうなるような気はしたけどね」
よほど痛快だったのか、輝夜は満面の笑みを見せる。
微笑むような笑顔はよく見られるが、こうして大笑している顔は珍しい。
「それなら最初っから永遠亭で言ってくれれば良かったのにー」
陰陽分かれる二人のリアクションはさて置いて、諏訪子から声が上がった。
輝夜は“あぁ”、と何気ない様子で神様二人の方に目を向けると、
「そっちの方が驚くかと思って」
悪びれるでもなく、屈託の無い笑顔を向けていた。
どこまでが彼女の想定の範囲内なのか、それを解る者はいなかった。
ただ、解っていることは――――
「で、結局あなたたち二人と私たち二人でやろう、ってことかい?」
神奈子が尋ねた。
その言葉に、輝夜も妹紅も黙って神様二人を見据える。
その瞳を逸らすことなく、真っ直ぐに。
それが答えであると、言わんばかりに。
――まぁこういうことだろうね、正直予想はついてたけど。
無言は肯定となり、神奈子と諏訪子にも確実に伝わる。
神奈子はまた呆れるようにして目を細めて笑い、堪らず諏訪子が大きな声を上げた。
「あはははっ!やっぱり!――ほら見なよ神奈子!私の言った通り、最っ高に面白いことになったじゃない!」
無言を貫く輝夜と妹紅だったが、静かに、だが確かに、その瞳が力を持ってゆく。
もう言葉による返事など必要なかった。
徐々に光を帯びるその四つの瞳に感化されるように、二人の神もその面差しが変わってゆく。
風の神社に、二人の神と、二人の不死人が向かい合う。
早出の鈴虫の羽音は、もうしなかった。
【 P-1 】
――時を遡る。
月の太陽の巡りの二度ずつ巻き戻し……そこはこの異変の初夜。亡霊と桜の並ぶ地。
冥界の管理人の邸宅に通された八人の少女たちは、スキマから直接運ばれた先、屋敷の中の広い一室に萃められ、そこで思い思いに話していた。
「ここが白玉楼かー。冥界なんて来たことなかったよ」
妖蟲、リグル・ナイトバグは興味津々といった風に辺りを見渡していた。
どれほど見渡しても、部屋の中はあくまで普通のお屋敷の一室である。だが普段冥界、ましてや白玉楼に来る用事のない彼女からすれば、そこはなかなかに珍しい風景ではあった。
「まぁ生きてる内に来るトコじゃないさね。冥界とか、三途の川とか」
ふわぁ~、と大きなあくびをしながら、小野塚小町が応えていた。
彼女は人並みに夜は眠いようである。もっとも、人並み以上に昼も眠いのだろうが。
それを咎める上司がいないのをいいことに、誰にはばかるでもなく気怠るい息を吐く。
「死神が言うと説得力があるわ」
くすくすと微笑みながら、八意永琳は言った。
小町はその顔を、少し困ったような表情で流し見て、
――そりゃ、あんたには一生縁が無いだろうさ。
口には出さずにつっこんでおいた。
「ふむ――しかし、このチームのリーダーが見当たらないな。連れてくるだけ連れて来ておいて放置か」
「まぁ紫ならやりかねないわねぇ。あいつ適当ですもの」
口をへの字に曲げて、やれやれと鼻を鳴らす上白沢慧音に、風見幽香がさもありなんといった風に返事をしている。
「あ、そうそう。そこの剣士さんはここのお屋敷の人なんでしょ?傍に幽霊が浮いてるし」
「え?えぇ、まぁ。普段はここで庭師をしています」
淑やかに前で手を合わせて立っている鍵山雛が、なぜか自宅にもかかわらず所在無さげに佇んでいる魂魄妖夢に声をかけた。
普段からこの屋敷を見ているだけに、ここにこれほどのメンツが揃っていることの不調和が気になるのだろう。
冥界で見るとか以前に、そもそもあまり顔を合わせないような者も多いのだ。
雛はそんな妖夢に薄く微笑みながら、
「それはそれは。なら、ちょっと尋ねたいことがあるのだけど?」
「あ、はい。なんなりとどうぞ」
「私たちさっきまで洋館にいたじゃない?」
「そうですね」
「そこから直接ここに送られてきたじゃない?」
「――?そうですね」
「だから私たちみんな土足なの。気にしないで畳の上にいていいものかしらね」
「え……ってうわぁぁ!本当だっ!私も普通に立ってたし!み、みなさん!クツ脱いで下さい!」
今さらの事実に気づいて、妖夢は慌ててそこにいる面々に呼びかけた。
誰も彼も気にせず土足で上がりこんでいるが、妖夢には何も文句は言えない。自分も言われるまで気づかなかったのだから。
頭の隅で浮かんだことは二つで、ひとつは幽々子様に怒られる、もうひとつは紫様ももう少し気を遣って下さい、だった。
わたわたと慌てふためく妖夢に、頭の上から声が降ってくる。
「あ、そうだっ!浮いてればいいんじゃない!?ね、ほら足はついてないよ?」
フランドール・スカーレットは無邪気な声を上げて、空中で横になっていた。
和式建築のそう高くない天井の中だと、浮かんでいると言っても少女たちの頭の上くらいまでが限界だったが、確かに土足にはならない。
「なるほど、――ってダメ!下着丸見えですって!女の子なんだから!ほら!足閉じましょ!」
「あははー、別にいいじゃない。ドロワーズを履いてるし。そんなこと言ったらお空が飛べないわ」
「つ、慎みの話ですっ!ほら!クツ脱いで――――」
自分の目の前を浮かぶフランの靴を脱がそうと、顔を赤らめながら彼女に迫ったが、フランは面白がって空中で身をよじってそれを躱す。
そのたびにフワフワとめくれるスカートを気にして妖夢はまたひとり赤面して……といった様子でドタバタと騒がしくなりだした。
ちょうどそんな時。
不意に部屋の真ん中に、人ひとり分ほどの大きさのスキマが、ぽっかりと口を開けた。
「あら、仲良くしてるみたいで良いことだわ」
姿よりも先に声が現れる。
その声の主は紛れも無く、そのスキマの主で、この騒ぎの提案者で、今はそこにいる彼女たちのチームのリーダーだった。
ぬぅっとその姿を見せたのは、間違いなく彼女――八雲紫その人だった。
「お待たせしましたわ。長々とした説明とか、待ち時間とか、エトセトラ、お疲れ様」
作ったような笑顔でそこにいる面々を見渡し、定型通りの労いの言葉を送る。
あくまで真意を覗かせない彼女のスタンスが、それだけで窺えるような気がした。
「ホントよー。もう待ちくたびれて仕方なかったわ」
フランが宙に浮かんだままの姿勢で愚痴るようにして笑っていた。
どうみても退屈してる様子ではないが、わざわざそれを誰も指摘はしない。
「あらあら、それはゴメンなさいね。でももう大丈夫よ。これからは好きに動いてもらっていいから」
「好きに?」
「え……っと、どういうことですか?これがチーム戦だっていうなら、なんらかの形で団体行動なのだと思ってたんですが…………」
その言葉に首を傾げて疑問符を浮かべているフランの代わりに、その隣にいた妖夢が質問を返す。
紅魔館で聞いた話を理解した上での、もっともな疑問だった。
紫はその素直な質問を愛おしがるように耳を傾けている。
「そうね、その通り。――だからこれは作戦なの」
もっともらしく響く声に、妖夢は思わずオウム返しにその言葉を反芻した。
「そう、作戦。まず、このチームの私以外を半分に分けるの。半分は遊撃。半分は守衛。で、私はここにいる。――どう?」
ニヤリと意味深に微笑み、妖夢へと答えを返す。
その提案の意味を、妖夢は計りかねたが――――
「――まぁ……紫様ならそう滅多な相手でも負けることは無いでしょうし……リーダー役はあなたです。策があるなら私は従います」
もとより彼女は今の自分の主――そして普段の自分の主の友人――の案に従う腹積もりでいた。彼女は頷きを返して同意を示す。
「あ、それなら私は攻撃側がいいなー。それってお外で自由に遊んでていいんでしょ?」
「私もそっちに志願するわ。あの世で留守番なんて真っ平だしね」
紫の言葉で真っ先に攻め手に立候補する二人――フランと幽香は、すでに出る気満々といった様子で息巻いていた。
そんな二人を楽しげに眺め、
「それは重畳。こちらから頼む手間が省けてよかったわ。――あとは……妖夢、それに永琳。お願いできるかしら?」
名前を呼びながら、二人を交互に見て言った。
「わ、私ですか?は、はい。ご用命とあらば」
「ま、私が冥界常駐なんてシニカルなことするわけにもいかないでしょうしね」
思わず呼ばれた自分の名前にわたわたする妖夢と、自分の独り言に満足するように微笑む永琳も、紫の提案に異論は無いようだった。
「ね、ね、“ゆうげき”がなんなのかよく分からないけど、要するにどこに行っててもいいんでしょ?」
フランはフワフワと漂いながら、頭だけ紫の方へと向けてキャイキャイとはしゃぐようにして尋ねる。
「――その通り。あなたたち遊撃は、どこに行ってもいいし、誰と戦ってもいいわ。ここを出てからの行動の自由は、ルールに反しない程度なら、このチームのリーダー役の権限で全て認めましょう。何の束縛も無しに、そこら辺で暇そうにしてるヤツを――片っ端から叩き潰してくるといいわ」
その言葉に、フランのテンションがみるみる内に上がってゆく。
「ステキな話!気に入ったわ!」
傍目にもわかるほどに瞳を輝かせ、食い入るようにして紫の声を聞いていた。尻尾でもあれば、思うさまに振り続けていただろう。
「お気に召したようで嬉しいわ」
浮かび上がったままに満面の笑みを見せるフランに、紫も楽しそうに笑いかけた。
「あ、そうそう。遊撃組には一つだけお願い。行く場所は問わないけど、タイミングだけ指定させてちょうだい」
「あら、ここに来てメンドくさそうなお話ね」
幽香が後ろ手に組みながら口を挟む。
「そんな面倒な話はしませんわ。あなたたちはどこに行ってもいいけど――そうね、月が出てからないと戦闘を始めちゃダメ……ってことにしておくわ」
「なんですか、それ?」
「まぁ……あんまり深い意味は無いわ。完全に私の与り知らぬように動かれても困っちゃうから、少しだけ縛りを入れさせてね、って程度よ」
妖夢からの問いにも簡単に答える。
「まぁ夜になる前に出ててもいいけど……できれば日中はここにいてくれると助かるわね。助かる、程度だから無理にいろとまでは言わないけど、日中の戦闘は禁止します。私としては、一番盛り上げるであろう夜を――騒がしくしたいのよ」
ふふっ、と一笑を付し、彼女はそこにいる四人を見渡す。
「なるほどなるほど」幽香はクスクスと笑いながら応えている。
「……私たちだけ妙に縛りが多いけど、それが自由の代償、かしらね」永琳がつまらなそうに呟いている。
「はぁ……」妖夢はその場の空気に馴染めていないように、戸惑ったままの瞳を泳がせている。
「わっかんないけど、わかったわ」結局分かったのか分からないが判らないままに、フランは勢いだけで頷いていた。
「じゃあ、私もう行くね!こんなに自由にお外出られるなんて初めてだもん!夜は短いわ!」
話が終わったことを感じたのか、水を得た魚のように喜びに揺れる羽をはためかせ、フランは飛び跳ねるようにしてそのまま外へと飛び出してゆく。
「説明が以上なら、私も行くわ。あんまり夜には出歩かないんだけど、たまの機会だし……興も乗ってきたわ」
失礼、と一言残し、幽香が上品な足取りで部屋を後にし、
「任命された以上、私もさっさと出るのが筋かしらね。さて、暇人の多そうなのはどこかしらねぇ」
永琳が呟くようにして言い残し、同じくその場から静かに抜けていった。
こうして野に放たれた彼女たちは、思い思いに夜を飛び跳ねる。
それはもちろん、彼女たちの“暇つぶし”のため。
だが、それは――――
紫チームの遊撃の尖兵――このイベントにおいては、あぶれた“暇人”を狩り出す、出現予測不可能なジョーカー。
この仕組まれたチーム分けで、意図的に萃められた、選りすぐりの“遊撃軍”だった。
※
夜の森の中は、一足早く、深く深く、闇を湛えていた。
鬱蒼と生い茂る背の高い木々が月の光を遮り、夜の暗さをより一層高めている。
そんな妖怪の山の陰鬱とした森の中を、落ち葉を踏みしめて歩く。
まだ落ち葉の季節には早く、その証拠に、異様に散らされた落ち葉はまだ充分に水気を含んだままだ。
地面を覆い隠すかのように不自然に落ちている緑の葉は、明らかに人為的な理由があるようだった。
それを不思議そうに眺めながら、彼女――風見幽香は、木々をすり抜けて歩いていた。
そうして歩を進めるうちに、彼女の視界が不意に広がった。立ち並んでいた木々が急に消え、そこだけぽっかりと空いている。
いや、木々が急に消えた、というのは語弊があった。
正確には、立っている木がそこにはひとつも無かった、と言うべきだろう。
おそらくつい最近まで根を張っていたと思われる木々が、その空間だけ根こそぎ薙ぎ倒されていた。
力ずくでへし折られたかのようにぼっきりと割れているモノ。
熱で焼ききられたかのように焦げ痕を残して無残に横たわるモノ。
極低温で壊死させられたかのように不自然にバラバラになっているモノ。
ぱっと見ただけで三種類。
それらが瓦礫の山のように累々と広がっていた。
遮るものが無くなった月の光が、それら全てを薄ぼんやりと照らしている。
「……非道いことするわぁ。誰がやったか知らないけど、暴れるならもっと広い所でやればいいのにねぇ」
幽香は呟きながら、辺りをぐるりと見渡した。
さっきの不自然な落ち葉も、おそらくここで繰り広げられた戦闘の余波で揺り落とされたのだろう。
折れて朽ちようとしている木々を踏みしめながら、広場の真ん中付近まで歩いていった。
まだ緑の葉をつなげたままの枝が、踏むたびにパキパキと音を立てる。
「こんな物騒な山で夜歩きとは感心しないわね。危ないわよー?」
これは幽香の声ではない。
不意に背後の森の中から、誰かの声が響いたのだ。
後ろからの声にもさほど驚くこともなく、幽香は歩みを止める。
「確かに危ないわね。早速不審者に会っちゃったわ」
彼女は振り向くこともせず、背中だけで応えた。
「それだけ気配を主張しながら歩いといてよく言うわね」
その声の主が楽しげな顔をしているであろうことが背中に届く声で解る。
能天気な、無邪気な、無遠慮な感じの声。
「だって誰かに会いに来たんだもの。一人はつまらないからね」
幽香は溜め息混じりに返した。
「でしょう?だから、まんまと会いに来てあげたわよ」
どうだ、と言わんばかりの声。
相変わらずの能天気さに満ちているその声に、幽香はまた大きく息を吐いた。
正直、こういう何も考えてなさそうな手合いは、彼女の求めるところではなかった。
「でも場所選びを間違えたかしら。みんな出払ってるのか、碌なのがいやしない」
「だから私がいるじゃないの」
「だからあなたが碌なのじゃ無さそうなのよ」
こんな程度のやりとりすら通じないことに、幽香はまた肩を落とす。
こんな頭の軽そうな輩の相手で費やすにはもったいない夜なのに、と内心で吐き捨てる。
――そう、あの胡散臭い妖怪の企んだ、どうしようもない連中ばかりの、素敵な夜――私好みの夜。
不躾な声を背にしたまま、彼女は自らの望む戦いの形を思い浮かべる。
目の前が真っ赤に燃えるような、それでいて頭の奥が氷のように冷えつくような、無上の戦闘……それはまさに、昨日の夜、満月の夜に繰り広げたレミリアとの戦い、そのものであった。
幽香はあの緊張感を再び求め、こうして夜の幻想郷を徘徊していた。
夜は短い。こんなことで時間を使ってもいられない。
背中の声に魅力を感じなかった幽香は、また溜め息を零し、その場を離れようと足を踏み出そうとした。
だが――彼女の意思がその右足を動かすよりも速く、彼女の両耳に音が届く。
ザクッという、何かを地面に突き立てるような音。
音速で届いたその信号をキャッチした彼女は、本能的にその動きを止め――――
ゴ、ゴガガガガガガガガガガッ!!
大地が鳴動するかのような轟音を響かせ、幽香の四方の地面がせり上がった。
地面を覆っていた朽木がバラバラに弾け、藻屑となって飛び散る。
それはもはや、せり上がったなんて緩やかさではなく、人ひとり分ほどの石柱が地面から突き上がった、という方が近い。
無造作に、無秩序に、真っ直ぐだったり、斜めだったりしながら生え上がるその石の柱は、幽香を囲むようにして立ちふさがり、一瞬にして彼女の自由を奪っていた。
彼女は瞬く間に生まれたその石柱に、一瞬だけ目を見開く。
突き出した大地は、彼女を囲うようにして位置取ると、そのまま固まり、動かなくなった。もうあの地響きのような音もしない。
ふぅん、と小さく嘆息を漏らし、幽香はまじまじと目の前の石柱を眺める。
すでに彼女の顔には驚きもなく、また、背後の声の主に対する落胆も減っていた。
――今の一瞬だけで生み出された石柱……硬度も十分そう。これほどのことが出来るなら――――
そう思い、幽香は自分一人分のスペースしか残されていない中でくるりと振り返ると、声の主の方に目を向けた。
「……じゃあ、自称・碌なヤツのお名前を伺っておこうかしら」
ご丁寧に背後も突き出した石柱が視界を塞いでいて、その姿は目に入らない。
だが、声の主が「ふん」と鼻を鳴らす音は聞こえた。
視線の先にいるであろう彼女が、自信満々そうに笑っているだろうことも、なんとなく声の感じで伝わってくる。「よーく聞きなさいな!」
「私は、比那名居天子!天人よ!今のところ、私に大きな口を叩いていいのは、死なない人間くらいなんだから!」
腕を組み、控えめな胸を張り、天子は吼えるようにそう告げる。
彼女の前には鈍く黄色く輝く緋想の剣。
月の光を受け、輝きを放つその剣は、すでに気質を帯びていて紅を纏っている。
名乗りを上げる天子の声は、石柱に囲まれる幽香にも届いていた。
天子の顔はまだ見ていない――が、おそらく不遜な顔をしているであろうことは容易く想像がつく。
これほどの力を持っているのだ、確かに誇ってもいい。
おそらくまだ敗北なんてほとんど感じたことが無いのだろう。
過ぎた力を持ち、それを好き放題振るってきたワガママお嬢様――そんなところだろうか。
まだ顔を合わせたことのない天子の人物像を思い描く。面識はもちろん無かったが、それでも自分の予想が外れていないであろう確信を持っていた。
――私の想像通りなら…………
幽香は誰にも見せない所で静かに、小さく微笑む。
――こういう手合いを無残に負かすのは……あぁ……それはそれは、楽しいでしょうね…………。
「それで?あなたの名前はなんていうのかしら?私だけ答えて自分は名無しじゃあつまんないじゃない」
天子は地面の塊に問いかける。
思わず力を込めすぎて間断無く生やしてしまったために、もう遠目にはただの土の塊にしか見えない。
昨日を丸一日回復に費やした彼女は、明らかに力が余っていた。
そのことに自分でふふ、っと笑っていると――――
カッ――――――――――!!
無数に突き出していた石柱の隙間から激しい光が溢れ、光に遅れるようにしてガラガラガラッ、という音が響く。
閃光のように煌く魔力光、それとともに、石壁の一面が砕かれたかのようにして瓦解した。
土煙を上げて、石柱はただの土、もとい、砂にまで戻ってゆく。
開かれた石壁から、格子柄の紅い服を着た少女が姿を現す。
その顔は、何気ない微笑みで飾られていて――――
「それは失礼したわ。私は風見幽香。あなたに大口を叩いてもいい妖怪――ってところかしらね」
砂埃が晴れる。ここに来て、両者は互いの姿を完全に目視した。
石柱をあっけなく壊されたことにも動じず、あくまで自信満々な顔の天子。
「私に大口を叩いていい妖怪ね……素敵なこと言うわ!相手を考えないと恥をかくって教えてあげる!」
そして、目の前に現れた天人を敵と認識し、自らの嗜虐心に浸るように微笑む幽香。
「繰り返さなくていいわ。あなたをボコボコにした後、私からもう一度言ってあげる」
一瞬の静寂。そして、弾けるように飛び出す天子。
妖怪の山では、三日目の戦火が上がる。
to be next resource ...
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 三日目幕間
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夕暮れ時。
役目を終えた太陽が空から退場してゆく。
名残り惜しそうに残る太陽の光が夜の闇と混ざり合う、微妙な時間。
家路を急ぐような鳥の声。
温度を下げた風。
オレンジと灰色の雲。
気の早い星。
空。
醒魔刻。
彼女たちは、動き出す。
【 M-1 】
かくして、日は暮れた。
夏の残り香のような強い陽射しの余韻で、空気はまだ暖かい。だが直射日光が無くなったことで、ひとまずは過ごしやすい気温だ。
出番を終えた太陽と入れ替わりで浮かぶ月が暗い空を明るく照らしていた。
既望の月は白い光を湛え、夜の世界を美しく眺める。
まだまばらに輝くに過ぎない星々を差し置いて燦然と輝きを放つ月は、一人今夜を待ちきれないかのようだった。
夜の黒に染められ、月の白い光を浴びる、紅い館。
そこの正面入り口――踊り場となっているエントランスロビーには、今夜の月と同じく、すでに夜の準備の済んだ少女たちが萃まっていた。
「今夜もまた微妙に人が少ないですね……」
美鈴は揃った顔を一回り見渡し、そう言った。
「昨日もこんなもんだったし、別にいいんじゃない?」
んー、と大きく背筋を伸ばしながら妹紅が事も無げに答える。
「まったく、協調性というものがなってないぜ」
「あんたに言われたらお終いねぇ」
「おまえに言われてもお終いだろうぜ」
そうやってロビーの真ん中で睨みあう魔理沙とレミリアを華麗に放置しつつ、
「でも昼間から姿が見えない方もいますし……っていうかルーミアさんと文さんもいつの間にかいませんね」
早苗は心配そうな声を上げている。
レミリアの号令で萃まったのは、五人。
昨日の戦いで怪我人は出ていないと聞いていたので、今ここにいない四人の所在を、早苗はまったく知らないままだった。
「ま、気にしててもしょうがないんじゃない?それぞれなんか理由でもあるんでしょ」
「そういうもんですかね……」
あくび混じりの妹紅へと、困ったように早苗が返す。
そんな彼女の声を聞いてもなお、妹紅の表情はまったく変わらない。言うことだけは個人の理由を尊重しているように聞こえるが、どうもただ無頓着なだけのようでもあった。
自分を眺める妹紅の視線があることに、早苗は気づいていない。
「おいおい、独断先行か~?リーダー様のご威光が足りないんじゃないのか~?」
「ホンットいい度胸ね?私にそんな口利く人間も久々よ?あんたの血を吸い尽くしてからお出かけと洒落込もうかしら~?」
早苗の声音など気にせず、無駄にヒートアップしてゆく二人。
そしてそれを止めるようにして、美鈴が声を張り上げていた。
「い、いや、お二人とも落ち着きましょうよ?ね?――あ!そうそう!お嬢様!今夜はどこに行きましょうか!?ね!?」
美鈴は二人をなんとか引き離しながら、話題を変えるためにレミリアに質問した。
結局今日一日姿を見れなかった衣玖と橙も気がかりだったが、それよりもまずは目の前の騒ぎを収束させる方を優先しなければならなかった。このままではいつまで経っても動き出せない。
彼女の頑張りがどうにか天にも吸血鬼の少女にも届いたようで、幸い、レミリアはすぐにこの話に気を向けてくれた。
「ん?あーそうねぇ……決めてないわ」
「あらら、じゃあとりあえず先にそれを決めましょうか。ね?」
どうにか軌道修正に成功。彼女は内心で安堵の溜め息を零した。
今いる面々だと、美鈴の心労は絶えなそうである。
あと頼りになりそうなのは早苗くらいだが、なぜか今夜の彼女は、たまにぼぅっとしたような顔をしていたりするのでそれはそれで不安だ。
食事の時は明るい彼女だったように思えただけに不思議だったが、美鈴としてもそう全員の気持ちが読めているわけではもちろんない。
わからないだけに、ひとまずは放っておくことしかできなかった。
――ここに衣玖さんがいれば……。
美鈴は改めて、今ここにいない衣玖が恋しかった。
自分ひとりでこの自由人たちを気にして回るのかと思うと、今から心が折れそうになる。
「って言ってもねぇ。山は一昨日行ったし、永遠亭も昨日行った。あとは冥界なんだけど……それもこの鼠と早苗が行っちゃったしね」
「誰が鼠だよ誰が」
「あんただよあんた。白黒のあんた。足して二で割れば鼠色だし、ちょうどいいじゃない」
「脳無しの蝙蝠にしては面白いことを言うぜ」
「あんた程度ならネコイラズいらずだってわからせてあげようか?」
「ほ、ほら!行き先決めましょうお嬢様!魔理沙さんも混ぜっ返さないで下さいよぅ!」
そんな魔理沙とレミリアの睨み合いなど気にせず、早苗はまたぼぅっとした顔に入っていたし、妹紅は妹紅であくびなどしながら眺めているだけだ。
焚きつけないだけ助かるが、助っ人に入ってくれればもっと助かる。
――あーもう……誰か助けに来て下さいよ~……。
美鈴は内心でこっそりと悲鳴を上げていた。
もう衣玖さんが、などとも言っていられない。
こうなれば、このメンツをどうにかしてくれるなら、もはや誰でもいい。
無神論者の彼女だったが神にも祈りたい気分だった。
――神様仏様、パチュリー様に咲夜さーん…………
「呼んだ?」
「はい?」
その声に一同は勢いよく振り返る。
そこにいる誰のものでも無い声。
さらに言えば、今は紅魔館にいるはずのない人物の声――それはさっきまで誰もいなかったはずの正面玄関から。
そこには確かに、人影が一つ。
背筋を伸ばして凛と立ち、腕を組みながらに美鈴たちを見る、メイド服の彼女――――
「って、えぇぇぇぇぇぇぇ!?さ、咲夜さん!?」
「呼んでないぜ」
「確かにあんたには呼ばれてないわね」
十六夜咲夜は、真顔でそう答えていた。
魔理沙の茶々にも動じない彼女は、確かにこの状況を変えるのに最も適した人材ではある。
「助かりました……じゃなくて!どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたも、暇つぶしに来たのよ。今日はそういう日でしょう」
一笑も付さず、事も無げに言い放つ。
「あー……そういやそうだね。なんか攻め込まれるのって初めてで、実感湧かなかったよ」
「っていうとアレですか?同じチームの方々もいらっしゃるんですか?」
レミリアと魔理沙のグダグダ騒ぎにも耳を貸さなかった早苗と妹紅も、突然のメイド長の訪問には興味を示していた。
だが、言っても興味を示している程度であり、敵チームの訪れに慌てる様子などはまったく無い。
「いや、今夜のウチのチームは自由行動なのよ。ここに来てるのはたぶん私だけね。たぶん」
咲夜が簡単に返す。どうにも曖昧な発言だったが、確かに他に誰かいる気配は無い。
時を止めて急に現れる輩など彼女の他にはいないし、おそらく咲夜の言う通り、ここには彼女だけのようだった。
まだ不思議そうな顔をしている美鈴や、きょとんとしながら咲夜を眺める他の面々をさておき、彼女は視線を一点に向ける。
「こんばんは、お嬢様。お元気なようで何よりですわ」
二日振りに顔を合わす主人に挨拶を送る。
もっとも、言うほど心配はしていなかったが。
「こんばんは、咲夜。あなたも変わらずみたいで何よりね」
二日振りに顔を見る従者へと挨拶を返す。
もっとも、言うほど心配はしていなかったが。
この異変で分かたれた二人は、何事もないかの様子で挨拶を交わす。
今この時――咲夜には他の面々の顔など目に入ってはいない。
「で、あなたがここに来た用件をお伺いしましょうか?」
レミリアは腕を組みながら不遜な態度で問いかけた。求める前に飛び込んできてくれた刺激に、彼女はどこからどう見てもご機嫌な様子だ。
そんな主人の様子に安堵したのか、咲夜も微笑みを漏らして答える。
「あら、決まってますわ。一応ここは敵陣ですしね。戦いに来たのですよ」
「そりゃそうでしょうね。私が聞きたいのは、誰がお目当てか、って話よ」
「それも決まってますわ」
軽く言葉を切る。
そして――――
「私は、お嬢様と踊りに来たのですから」
瀟洒な従者の完璧な笑顔が、そこにはあった。
彼女の発言に驚きの反応を返すのは、美鈴始め、他の面々だけ――というか、純粋に驚いたような顔をしていたのは美鈴だけだった。
他は“おぉ~”などという声を上げるだけで、完全に野次馬気分なだけである。
当のレミリアでさえも、
「そりゃそうでしょうね!」
当然、という顔をして笑っているだけだった。
絶対の腹心が自らに向ける牙を、まるで心待ちにしていたかのように。
「って、ちょ、ちょっと!咲夜さんがお嬢様と、ですか!?」
「何も問題は無いでしょう?今は私とお嬢様は敵同士なんだから」
「い、いやまぁそうですけどね……」
「さすが咲夜ね。目が高いわ。ま、このボンクラ共の中なら他に選びようがないけどね」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
唯一戸惑いの声を上げる美鈴をよそに、レミリアと咲夜はすでに二人の世界を作っていた。もうそこに踏み込める者は、誰もいない。
が、そこに声を挟める人間もいる。
「おーい、じゃあ私らはどうするんだよ?」
間延びした魔理沙の声がロビーに響く。
ある意味、こういう時には彼女の鋼の心臓は貴重である。貴重ではあるが求められているものでは無い、ということを本人が把握していないことがやはり問題ではあったが。
「ん?まだいたの?」
「ずっといるぜ」
「私の今夜の相手は決まったわ。あとはあなたたち。それぞれ好きに探しに行きなさいな」
「うちも同じく自由行動、ってか。気楽で助かるな」
そう言いながら、魔理沙は一人、咲夜のいる正面玄関へと歩き出した。
箒を片手に横柄に玄関を目指し、咲夜の隣を通り過ぎる。
すれ違い際に、
「精々あのワガママお嬢様を泣かしてやってくれ」
「あんたに言われる筋合いはないけどね。……まぁ応援だと思って、受け取っておくわ」
咲夜と会釈を交わし、彼女はドアノブへと手をかける。
キィィ、と僅かに軋む音を上げて扉が開き――――
「あ、魔理沙」
不意にレミリアが、彼女を呼び止めた。
「ん?まだなんかあるのか?」
その声に振り向く。
振り向いたその先――小さな吸血鬼の少女が、楽しげに瞳を歪めていた。
「ま……精々気張りなさいな」
紅い瞳が魔理沙へと向けられている。
愉悦に歪んだ鋭い視線は――だが、どこか優しげに。
運命を見通す彼女の瞳は、全てを解っているようだった。
「……はっ!ご期待に添えるように頑張るぜ」
レミリアの言葉の意味は、他の誰にもわからなかった――が、魔理沙にだけは、確かに伝わっている。
誰にも言っていない、彼女の内面を射すような言葉。
――相変わらず、この吸血鬼は人のこういうところにだけは目端が利くな。
頭の中で吐き捨て、口の端を持ち上げていた。
ぶっきらぼうに片手を挙げ、それをレミリアへの返事としながら、彼女は紅い瞳に背を向けて、大きな扉を開けた。
「あ!ちょっと魔理沙さん!――じゃ、私たちも行ってきますね!ご健闘を!」
「はいはい、行ってらっしゃい。楽しんでくるといいわ」
「じゃ、そっちも頑張ってね」
「どこ行くか知らないけどあんたもね」
早苗と妹紅も、簡単な挨拶とともに外へと出る。
そうしてそこには、タイミングを逃した美鈴が一人、残されているだけだった。
彼女はまだ戸惑ったような表情を見せていたが――それも僅かな時間だけ。
すぐに口許をきゅっと結び、心の中で自分の頬を叩いて気合を入れる。
美鈴は出て行った三人の後を追うようにして、玄関の扉へと駆け出してゆく。
その扉を開く時、彼女は笑いながら、残された二人の方を見た。
「あ、あの!咲夜さんも頑張って下さいね!お嬢様も!」
「あら、ありがと」
「……私の方がついでっておかしくないかしら」
失礼します!と大きな声を上げ、美鈴はドアの向こうへと旅立っていった。
キィィッ、っと蝶番が軋む音を立て、パタンというドアの閉じる音が聞こえるのを最後に、慌ただしかったロビーには束の間、静寂が訪れた。
騒がしかった音の名残が、尾を引くようにして消えてゆく。
まだ扉の前、玄関先に彼女たちがいるのだろうが、それでもこの静けさは、世界中から人が消えてしまったかのようだった。
その余韻に浸るように、レミリアはしばらく口も開かず、その静けさを楽しむ。
「――なかなか楽しそうで何よりですわね」
誰もいなくなった静かなロビー。そこは二人では広すぎる。
咲夜の鈴の音のような綺麗な声が、静かなエントランスに響いた。
「騒がしくて困りものよ。ま、それも今日までだと思うと清々するわ」
ふふ、っと鼻で笑い、レミリアは静かに目を閉じていた。
そんな主人の様子を愛しむように眺めながら、咲夜もつられて少し笑った。
「あら、私が言ったのはお嬢様のことですわ。――楽しんで頂けたようで幸いです」
「……まぁそれなりに楽しかったわ。きっと」
「きっと?」
ゆっくりと、咀嚼するようにして問い返す。
何が言いたいのか、咲夜には解っていた。
何せ目の前の彼女の主は、どうしようも無く、楽しそうだったのだから。
「そう、きっと……。気を張りなさい、咲夜。最後の日の相手の出来次第じゃ――台無しになってしまうからね!」
レミリアは羽を広げ、それを羽撃めかせる。
フワリと浮き上がったそのままに、高く高く、空に立つ。
「さ、やるわよ、咲夜!この馬鹿騒ぎの最後の日!私を目一杯楽しませなさいな!」
見下ろすレミリアの紅く煌く瞳を見つめ返すと、咲夜は恭しく頭を下げ、スカートの端を軽く持ち上げてみせる。
「――かしこまりました。お嬢様」
メイドらしく傅き、顔を上げる。
レミリアへと向ける彼女の瞳もまた、深く沈みそうなほどの、紅だった。
【 N-1 】
サーッと静かな音を立てて、障子が敷居の溝を滑ってゆく。
「――ん。みんな準備は出来てるみたいね」
感心感心、と微笑みながら、蓬莱山輝夜は庭に並ぶ少女たちを見渡した。
もう三日も続けて見た、馴染みの顔ばかり。
ひとつ屋根の下で寝泊りし、同じ釜の飯を食い、一緒になって酒盛りをし、一緒になって騒がしい夜に飛び出していった彼女たちを見やる。
短い間ではあったが、そう思い返してみると、なかなか感慨深いものがあった。
「やっと来たー。待ちくたびれちゃいそうだったよー」
庭石に座り込んでいた諏訪子が口を尖らせながらそこから飛び降りる。ぴょん、という音が聞こえてきそうなほど軽やかだ。
「一人重役出勤とは、お姫サマは違うねぇ~」
諏訪子の傍で座り込んでいた萃香もからかうような声を上げた。ご他聞に漏れず、彼女はまた酒を飲んでいるようである。
「私も遅れて来たつもりはなかったんだけどねぇ。むしろ結構おおらかな集合時間にしたのに、ちゃんと集まってるあなたたちが頑張りすぎなのよ」
二人の声に反論する輝夜だったが、
「“日が暮れたら庭に来い”だっけ。おおらかっていうよりは大雑把じゃないかなぁ」
「しかも今の発言からすると、ちゃんと萃める気はさらさら無かったようだけど、そこのトコどうなのかしら」
続くにとりとパチュリーからも追求を受けていた。彼女たちの言う通り、あらゆる面で適当だった輝夜にこれ以上の反論はできなかった。
「あらら、これは私に勝ち目は無さそうね」
笑って肩を竦めてみせる。
別段謝るようなことはしなかったが、誰もそれを追及はしない。みんなでつられるようにして呆れるような笑いを零すだけだ。
彼女たちは全員、この三日間で輝夜の人となりがなんとなくわかっていたのだろう、誰も彼女の適当さに腹を立ててなどいなかった。
輝夜の持って生まれた人柄か、だいぶ大雑把なことを言っても誰しもがなんとなく容認してしまう。ある意味それが、彼女の最も“お姫様らしい”部分といえるのかもしれない。
「さ、これで今日出れそうな者は全員萃まったわけですが、今夜はどちらへ?」
仕切りなおしの声を上げたのは、唯一立って待っていた咲夜だった。
「これで全員?三人ばかり足りないけど」
にとりが周囲を見回しながら怪訝そうに尋ねる。
「えぇ、チルノはまだ目を覚まさないし、レティも今夜は付き添っているから参加しないらしいわ。あとは藍だけど、結局ここまで姿を見なかったからね。昼のうちからどっかに出てるんでしょう」
特に何も言伝を残さずに消えた藍についても、輝夜は別段気にしていないようだった。
彼女がどこにいて、何をしているのか、輝夜にはなんとなくのアタリがついていたので、もうすでに頭数には入れていなかった。
「ま、どこに行っててもいいわ。……今夜はそういうつもりだしね」
「――と言うと?」
事も無げに言った輝夜の言葉に、真っ先に返したのは諏訪子。だが、その疑問は全員共通のものだったらしく、そこにいる面々は悉く輝夜へと同じ視線を送っていた。
それぞれの色を帯びた五人分の瞳を受け、輝夜は変わらぬ表情のままに、やはり力を込めるでもなく、切り出す。
「言葉の通りよ。――今夜はみんな自由行動。チームで動く必要は無いわ。各々行きたいトコに行って、やりたい相手と戦るといいわ」
そう告げる声に、一瞬戸惑いの空気が流れた。
これは一応チーム戦。そういう体だ。
チームの敗北条件は“リーダーがやられること”。
このルールに則るのならば、リーダーである彼女を離れて全員がバラバラになることは好ましくない。
だが、それはもう今さらでしかない戸惑いである。現にここまでで――と、言ってもこのチームとしては昨日のみだが――チームリーダーが単独行動に出る状況が実行されているのだ。
今回の提案を止めるのなら、その時点からやりなおさなければならない。
輝夜の提案は、そんな“今さら”を、今さらながらに彼女たちに思い出させるものだった。
「……もういいのかな?」
言葉に含みを持たせながら、萃香は尋ねた。
その言葉に込められている全てを理解した上で、輝夜は微笑む。
「いいんじゃない?最終日だし、好きにやった方がむしろいいわよ、きっと。これでも実は結構協力的なつもりなんだから」
紫の目的は、ルールの通りにチーム戦をやらせることではなく、むしろ各人の戦闘機会にこそ重きを置いている。チーム戦という形式は、そのチャンスを増やすための措置に過ぎない。
敗北条件でさえ――もし在りえた場合に、だが――遵守されたかどうか定かではない。
そこまでを考慮した上で輝夜が出した答えは、八雲紫のこの算段に乗ることだった。
「一日目を飲み会で費やした癖に、協力的たぁ、よく言うよ」
「あなただって楽しんだんだから、言いっこ無しじゃないの」
違いない、と萃香は笑って応えた。
彼女もこの異変の求める所を、直感で理解している者のひとりであり――そういう手合いは、実は意外といたりする。
「ま、そういうコトで。心配しないでも、私も今夜一杯くらいはやられないでいるから、みんな楽しむといいわ」
輝夜は自信ありげに笑顔を振りまいた。
確かに、彼女を今夜一晩で負かせられる者などほとんど――いや、ひとりとして存在しない。
なぜなら、これは弾幕ごっこではないから。
手札を全て切ったとしても、彼女が認めない限り、敗北ではないのだ。
時間制限も、カードによる縛りもない。ルール付けされていない戦闘を行った場合、あとは彼女の体力と気分次第。
それが、彼女“たち”に許された特権であり、苦痛でもある。
彼女は蓬莱人――紫の“結界”の庇護など必要とせずとも、死から最も遠い存在。
幻想郷で三人っきりの、永遠。
もちろん、それを差し引いても、戦闘能力はそこそこ高いし、頭も切れる。
彼女のチームメイトたちも、誰ひとりとして心配はしていなかった。
「――そういうことなら、」
輝夜の提案を受け、それを誰よりも真っ先に受け入れる声があがる。
その声の主の方へと、輝夜含め、全員の視線が集中する。
彼女は薄くだけ微笑みながら、
「お言葉に甘えさせていただきますわ」
そう言っていた。
「えぇ、どうぞどうぞ。その様子じゃ――咲夜、あなたはどこに行くのかのお目当てがあるみたいね」
輝夜の視線の先、十六夜咲夜は、静かに頷いた。
「はい。この提案を聞いて、最初に浮かんだ顔の方に会いに行きますわ」
彼女は瀟洒な笑みを浮かべて返す。満面というわけでもなく、薄く彩る程度の微笑み。
咲夜はメイドらしくスカートの端を摘まんで持ち上げ、恭しく頭を下げる。
「では――お先に失礼しますわね。皆様方、ご健闘を」
咲夜に向けられた十の瞳――その全てから一瞬にして、彼女の影は消え去った。
口許の微笑みと、労いの言葉を残して。
「消えたり現れたりと、忙しいメイドさんね。もうあれ癖になってるのかしら」
さして驚く様子も見せず、輝夜は誰もいなくなった空間から顔を上げる。彼女が通ったであろう、薄暗い空を見上げた。
薄暗い空に、月はまだ出ていない。
満月の次の月、十六夜の月が姿を現せば、夜は始まる。
「どこに行ったのかねぇ。――主人の吸血鬼の所に一票」
「あ、それ面白い!下克上はワクワクするもんねぇ。私もそれで!」
「家臣の反逆は上に立つ者の華よね。私も一口」
「人間は争いが好きだねぇ。困ったもんだ。でも私もその展開に期待かね」
「で、同門のパチュリーはどう見る?」
「さぁ?知ったこっちゃないわ。……でもそうね、願わくば――あのワガママな友人をちょっとヘコませに行って欲しいものね」
「わははははっ!ひどい友人だなぁ!」
いなくなったのをいいことに、残った面々は好き放題に言っている。
彼女たちの無責任な笑い声は風に乗って、今頃咲夜にくしゃみをさせていることだろう。
「あ、どこで何しててもいいんでしょ?なら私もここに残しておくれよ。ちょこ~~っと月の道具なんか、見せてもらいたいんだけどなぁ~」
輝夜の提案に、続いて声を上げたのは、河童の少女だった。
彼女はそれらしく手を合わせながら、一応お願いらしい対面を整えて輝夜を見ていた。
必要とあらば目を潤ませることさえするだろう。もっとも、今の彼女の瞳はワクワクと輝いていて、ここで泣き出しても説得力が無いが。
「……いいけど、壊さないでよ?もう手に入らないってトコだけは正真正銘貴重品なんだから」
「だ~いじょ~ぶっ!河童の手先をナメちゃあいけないよ~」
一応の許可が下りたと判断したにとりは、跳ねるようにして庭を後にし、勝手口へと向かっていった。
駆けながらに「ありがとね~!」と叫んではいたが、すでに心ここにあらず。彼女の意識はすでに輝夜には向けられていなかった。
「不安ねぇ。万象展に出す予定のものも結構あるんだけどなぁ」
その様子を眺め、やれやれ、と肩を竦めながら、月の姫は呟いていた。
「まぁ河童はあぁいう生き物だからねぇ。確かに手先の器用さだけは保障するよ」
「パチュリーはついてかないんだねー。好きそうじゃん、そういうの」
「まぁ中々興味深いわね。――でも今夜は喘息の調子もいいし、たまには外に出ようかしらね」
残された面々から思い思いの反応が返る。
我先にと団体行動から外れてゆく者たちを目にしながらも、誰一人として異議は唱えず、残った彼女たちもそれぞれに今夜の目的地に思いを馳せていた。
この順応性の早さを見るに、そもそも彼女たちの多くはこうして自由に動き回ることをこそ欲していたようでもあった。
打算的な団体行動に身を寄せながらも、やはり本能的な部分では縛られることを嫌っているのかもしれない。
自由な空気が満ちる幻想郷の少女たちは、それを吸っているからか、ひたすら“自由”だった。
「それじゃ、私たちもそろそろ出ましょうか――――――っと?」
いち早く動き出した咲夜たちに遅れて、彼女たちも動き出そうとした矢先、輝夜が何かに気づいた。
薄暗闇に浮かぶ誰かの影。
彼女たち四人を眺めるようにして何も言わずに佇んでいる。
いつからそこにいたのかは解らない。
急に攻撃してくる様子も無く、ただ黙してそこにいる、紅い洋服の女の子。
他の三人もそれに気づき、竹林の上に浮かぶ彼女を見た。
上空を流れる風に揺れる金の髪が静かになびき、洋服よりも紅く、暗い瞳が爛々と夜空に輝く。
少女の放つ“狂気”が、地上の彼女たちにも届くかのようだった。
「あら、妹様」
緊張感無くパチュリーが呟いていた。
「あぁ、あれがやっぱり吸血鬼の妹さんなんだね。初めて見たよー」
「みたいね。フランドール・スカーレット。なんのご用事かしらね?」
「あぁ~~……あれかな?もしかして…………」
苦笑いを零しながら頭を掻く萃香に、その訳を尋ねる前に、
「……そこの鬼に用があるの」
フランが呟く。
空に浮かぶ彼女と、地に立つ彼女たちの距離は遠く、フランのその声も囁く程度の小さな声。
だが、それはちゃんと輝夜たちにも届いていた。
予感の当たった萃香が、困ったように笑っていた。
「心配しなくても、あっちにもちゃんと聞こえてたみたいねぇ」
「そんなとこ誰も心配してなかったけどね」
「萃香をご指名みたいだよー?」
「うーん……昨日の今日でこれかぁー……」
やれやれ、と頬を掻き、フランを見上げてみる。
無表情なままの顔つき。
紅い瞳も完全に据わっている。
陽気な時分の彼女はおらず、完全にスイッチが入っている。彼女はすでに、臨戦態勢の状態で永遠亭を訪れていた。
胡乱な瞳は、まさに昨日の夜のままだった。
「なんか心当たりがあるのかしら?」
「あぁ、昨日ちょっとね――――」
「……昨日言ったわよね?“相手ならしてやるから、また来い”って。だから、ウチのリーダーの人に聞いて、ここに来たの」
フランはそう言いながら、ゆっくりと彼女たちの方へと降下してきた。
「ねぇ、昨日の続き。また私と遊びましょう?今夜はまだまだ長いわ」
フワリと下り立った時の彼女は、もう無表情ではなく、薄っすらと笑っていた。
まだ瞳は、据わったままだった。
「……そりゃご丁寧に。……紫め、余計なことを……。私もいろいろ見たかったのに」
「まぁあなたが蒔いた種なら仕方ないわねぇ」
「妹様もよっぽど気に入ったのね。まぁ頑張って遊んであげなさいな」
「せっかくここまで来てくれたんだから、袖にしちゃあ可哀相だよー?」
輝夜以下三人は、すでに他人事の様相だった。
そんな彼女たちを見るでもなく眺めながら、フランは黙って萃香の出す答えを待っている。
感情の読めない眼で、萃香を真っ直ぐに見据える。
最後の諏訪子の言葉だけに、一瞬感情の起伏があったことには、本人含めて誰も気づいてはいなかった。
「そうだねぇー…………」
首を傾げて腕を組み、萃香は唸ったような声を上げた。
が――――
「ま、私は一向に構わないけどね。――じゃ、また今夜もお相手願おうか、フラン」
悩んでいるように見えたのは僅かな時間だけだった。
おそらくそれもポーズだけ。きっとフランが現れた時点で、萃香の出す答えはもう決まっていたのだろう。
彼女は腕組みをしたままで、目の前の少女を見る。同じ高さに立つその紅い少女は、萃香と同じくらいの体格。まっすぐ向けた顔がまっすぐに交わり、萃香は、笑ってみせた。
おぉー、という野次の声が上がっていた。
「……そう」
周りの声にも、萃香本人の声にも感嘆は無く、フランは抑揚の無い声でそう返しただけである。
「なんだよー、もう少しやる気だしなよー。せっかくこっちが返事したのにー」
「……………………」
「え?無視?」
完全に一方通行な会話のキャッチボールに、「まぁまぁ」と輝夜が割り込むようにして声を上げる。
「萃香、あなたがあの子と戦うにあたって、私からひとつ助言があるわ。チームを率いる、リーダー役としてね」
「おん?」
真面目な顔をして言う輝夜の顔を、つられるようにして神妙な顔で見る。
輝夜はゆっくりと瞳を閉じ――ゆっくりと開き、笑った。
「やるならここじゃなくて竹林でやるといいわよ?吸血鬼と鬼とで戦ったら、無事には済まないだろうからね。……永遠亭が」
「……ぷっ、それ、リーダー関係ないじゃん。そういえば初日も咲夜にそんなこと言ってたね。そん時も関係無かったなぁー」
「だって私の家がこれ以上壊れるの嫌じゃない」
「正直者は嫌いじゃないよ」
あははっ、と笑って応えた。
「そんじゃ、フラン。お姫様がワガママ言うからね。ちょっと移動しようか」
「まぁ、心外」
そんな二人のやり取りを前にしても、フランはあくまで黙っている。一応視線は彼女たちへと向けられていたようだったが、それが目に入っているのかもわからない。
反論が無い以上、おそらく肯定の意だろうと勝手に解釈し、萃香はフワリと空に飛び上がった。
「じゃあ行ってくるよ。輝夜たちも頑張ってねー」
無邪気に笑いながら、見上げる輝夜たちに手を振る。
「まぁ頑張るのはむしろあなただけどね」
パチュリーが笑うでもなくそう返し、
「楽しんでおいでねー」
諏訪子が同じく無邪気に手を振り返し、
「いってらっしゃい。よい夜を」
輝夜がにこやかに送り出す。
「はいはい、行ってきますよー」
いつの間にか萃香と同じ高さまで浮かび上がっていたフランと共に、彼女たちは、迷いの竹林の上空へと飛んでいった。
気づけば、空はずいぶん暗くなっていた。
太陽が沈み始めてから、夜になるまでは早い。
もうしばらくもすれば、空には星が顔を出すようになるだろう。
騒がしい、静かな夜は、もうそこにいるようだった。
「――私たちも行きましょうか」
萃香を見送り、誰もいなくなった薄闇を見上げながら輝夜は言った。
「そうだねー。もう夜になるし」
その諏訪子の呟きを聞き、輝夜はもたげた首を不意に戻し、諏訪子の方を見ると尋ねた。
「あなたはどこに行くのかしら?」
「ん?私?――あぁ~……そうだねぇ……一回神社に戻ってみようかな」
「その心は?」
「別に。なんとなく。面白いことあるかなー、って気がするだけ。輝夜は?」
尋ね返された輝夜は、少し考えるようにまた空を見上げる。
「そうねぇ。なら私はちょっと紅魔館に行くわ。こんな夜にうってつけのヤツがいるのよ」
遠くを見るような眼をして、輝夜は答えた。
彼女の脳裏に浮かぶ少女は、こんな夜にも溶け込まないような銀の髪と、燃えるような紅をしているのだろう。
今夜に限らず――永遠に。
「ふぅん……――で、パチュリーは?」
他人事のように輝夜と諏訪子を見て立っているだけの彼女へと話題を振る。
声をかけられ、視線を返した彼女は、いつも通りに重そうな瞼を半分閉じていた。
「……そうね。――――秘密」
「ぷっ。ははっ、なにそれ」
ぶっきら棒に答えたその様子が面白かったのか、諏訪子は笑って流し、それ以上の追求をしなかった。
別に根掘り葉掘り聞くことでもないかな、という気もしていた。
「とりあえず各々目的も出来てるみたいだし、出かけましょっか。このままじゃ夜が明けちゃうわ」
輝夜が冗談めかして笑い、話をまとめる。
二人もそれを受けて頷き、動き出す。
三人は音も無く空へと浮かび、
「それじゃ」
「またねー」
「またってあるのかしら」
各々に別れの言葉――らしきもの――を送り、三人はそれぞれの持つ目的に向かって進路をとった。
奇しくも、三人ともバラバラの方向へと飛んでゆく。
少女たちの喧騒が消えた永遠亭は、旅立った彼女たちを見送り、静寂に佇んでいた。
永遠の名を持つこの屋敷に訪れた、灯が消えたような静けさは、束の間のみのものだったが。
【 O-1 】
そのころの霊山は、もうすっかり夜だった。
やや満月には足りない既望の月もすっかり我が物顔で現れ、付き従うように輝く星たちがちらほらと姿を見せだす。
もう少しも待てば、満点の星空となり、星辰が所狭しと夜空を飾り付けるだろう。
空が賑やかになっていくにつれて、地上は眠りにつく。
生を謳歌せんとけたたましく鳴き声をあげる生き物はいない。みんな静かに、密やかに、謹んで、この静けさを享受している。
たまに響く風の音、枝葉の擦れる音、早出の鈴虫の羽の音……みな一様に慎ましい。
気持ちのいい夜。
こんな夜になって騒ぎ出すのは、妖怪と、そうでない者、だけなのだ。
「んん~……いい風。こういう気持ちのいい夜は、神代の時から変わらないねぇ」
「だねぇー。蛙の声が少なくなってきちゃったのは寂しいけどねぇ」
「そう?私にゃ十分だと思うけど」
「まったく、隣人に興味を示さないのは悪徳だよ?」
「ん?それ違…………まぁいっか」
肌に感じる温い風を感じながら、人の姿をした二人の神は、境内を眺めていた。
神話の時代からの山は、幻想の一部となり、そこに吹く風は神々のショートの髪を柔らかく揺らす。
「――誰も来ないねぇ」
「あんた以外ね」
片膝を立て、ぼぅっとした眼で境内の広い空間を眺める八坂神奈子は、隣で冷茶を啜る洩矢諏訪子の方を見ずに言った。
彼女の指摘など聞く耳持たないかのように、諏訪子は湯飲みに口をつけている。
勝手知ったる自分の神社。これは彼女がここに来てすぐに自分で淹れたもので、だから神奈子の分はもちろん無い。
「っていうか私が来た時にはすでにだぁ~れもいなかったんだけど……なにコレ?愛想尽かされたの?」
こくっ、とひとつ喉を鳴らし、口に含んだお茶を飲み下す。
彼女も別段神奈子の方を見るでもなく、何気なく境内を眺めているだけだった。
「違うよ、失敬な。他はみーんな出払ってるの。まぁ社務所の方で休んでるのもいるけど……あの子たちは今日はお休み。元気なのはバタバタとみんなどっかに出てったよ」
「ふーん、どこも似たような感じなんだねぇー。最後だからって張り切ってるのかなぁ」
「“せっかく”を楽しんでるんでしょうよ」
「なにソレ……神奈子は出ないの?」
「神様が神社を離れるわけにもいかないじゃない。誰かが参拝に来たら困るでしょう?」
自分で自分の言葉を茶化すように、神奈子はくすくすと笑っている。
「こんな夜に、来るかなぁ……」
「こんな夜だから、来るんじゃないかな」
「こんな夜に神頼みに来るヤツなんて、ロクなもんじゃないけどねぇ」
「じゃああんたもアウトだ」
その声にむっとしたように、諏訪子が口を尖らせた。
「別に。私は神奈子に頼むことがあって来たわけじゃないしぃ~」
「ここに来た時の第一声が、“面白いことがありそうなんで来た”ってヤツがよく言うよ。頼ってないなら自分で探しに行きなさい」
「あ、私の直感バカにしたな。ココに来たらなんか起こりそうな気がしたんだってー。私の神懸かり的な第六感がそう言ったの」
「神様でしょうに。そりゃ神懸かるわ。そんなの私にもあるよきっと」
実のない、他愛無い会話が続いた。
そんな何気ない会話も丸二日ぶり。神奈子の突っ込みに口を尖らせながらも、やっぱりどこか安心感を感じていた。
自分の神社を侵略した相手だが、もはやすでに家族のような親近感がある。神奈子も同じように感じていることだろう。
いつもの神社にいつもの神。これにあとはいつもの巫女がいれば――――
「――ん、そうだ。早苗は元気かなぁ。私全っ然姿見てないや」
不意に欠けた最後のピースを思い出した。
もちろん忘れていたわけではないが、ふっと今思い浮かんだ。諏訪子も、早苗のことが折りにつけては気になっていた。
「私と神奈子と別組になっちゃったけど、大丈夫かなぁ?幻想郷に来てまだ日が浅いし、これを機に友達増やしてきたらいいんだけど……」
そんな諏訪子の言葉に、思わず神奈子は噴き出してしまう。
「……それ、早苗に言ったら怒られるよー」
笑いを噛み殺そうとしている神奈子を、諏訪子はきょとんとしながら眺めている。
今こうやって他人の口から聞いてみて、神奈子はしみじみと思った。
――やっぱり過保護かなぁ。
なぜかそう思うと笑いが止まらない。
――魔理沙に母親か、って言われたのも、まぁ言い得て妙なのかもねぇ。
「……何がそんなに面白いのさ?」
「ん。ごめんごめん。こっちの話。――早苗とは初日の夜に会ったよ。会ったっていうか、戦った」
どうにか笑いをこらえ、何気ない風に言った。
「神奈子と?早苗が?いやいや!大事件じゃん!へぇ~早苗がねぇ~。早苗も大きくなったんだねぇ」
ひとしきり驚いた後、腕を組んで思案顔を作ってそれらしく頷いている諏訪子を見てまたも噴き出しそうになる。
「おんなじこと思った。……なかなか刺激を受けてくれてるようで良かったよ」
二人とも、自分の所の巫女がよっぽど可愛いのだろう。
うんうん、と頷きあいながらそれとなく満足気な様子だった。
これだけ神様の寵愛を受けてる人間も――それは彼女たちの直系の現人神だから、というのもあるが――幸せだろう。
きっと逆に早苗の方も、この二人の神を愛しているに違いない。
だが全ての人間が、神を愛し、愛されている訳でなど――当然無い。
「――ん、誰か来たみたい。……ってホントに来たよ」
気づいたのは二人ほぼ同時だったが、先に声を上げたのは諏訪子だった。
組んでいた腕をおもむろに解いて、境内を真っ直ぐこちらへと歩いてくる人影を注視した。
――誰だっけ、この人。見たことあるんだけどなー。
「ほら、私の言った通りでしょ?神社離れてたら悪いことする所だったじゃない」
神奈子も言いながらその人影を眺める。
ご丁寧に階段を上り、そのまま鳥居をくぐって境内を歩いてくる彼女は、その歩みから強い意志を感じさせるように、完全に一定のペースで近づいてきていた。
夜の参拝者は何も言わずに二人の前まで歩み寄ってきた。
面と向かい合って互いの顔までわかる距離――そこで彼女はおもむろに足を止める。
「こんばんは」
丁寧な物腰で挨拶の言葉を発した。二人もつられるようにして挨拶を返す。
「お初に御目にかかります。あなた方ご両柱が御祭神様でよろしいでしょうか?」
「もっと軽くていいよ。私ら二人とも神だけど、そう構えないで楽にして」
本人も慣れていないような恭しさで対する少女に、神奈子は笑いかけながら応えた。
その様子に安心したのか、その少女もくすりと小さく零し、
「それじゃ失礼して。目上を奉じる作法なんてあんまり覚えてなかったんで助かるよ。生まれはそれなりだったけど、育ちが悪いもんで」
微笑む彼女は見た目通りの年頃の笑顔をしてはいたが――それはどことなく陰を帯びた、心からの笑顔とは言い切れないものだった。
「あぁ、自己紹介が遅れたわ」
彼女はそんな顔をしたまま、思いついたようにしてそう言った。
その瞳は燃えるように紅く二人を見つめ、長くなびく髪は――燃え尽きたように美しく白かった。
「藤原妹紅といいます。この騒ぎに参加させてもらってる者の一人で、今は吸血鬼の屋敷に世話になってる、って言うのかな」
はにかみながら自分の名前を述べる妹紅は、いつもの彼女からすれば幾分腰が低いような雰囲気があった。口調は崩しつつも、態度は平身低頭としている。
特別宗教に関心があるわけではない彼女だったが、古代日本の文化の中で生を受けたこともあり、“神”というものに対しての態度というものを意識しているようだった。
「あー道理で見たことあるわけだ。見たところ人間なのに、よくやるねぇ」
「――今は故あって、人間って言い切れるほど純粋な生き物じゃないけどね」
彼女の笑顔が帯びる影が、またわずかに濃くなったような気がした。
「で、夜の参拝の目的は……って聞くまでもないか。他のメンツはどうしたの?」
「ウチのお嬢ちゃんのさじ加減で、今夜のチームは自由行動でね。ここに来てるのは、たぶん私一人」
「やっぱり、どこもやってることは一緒なんだねぇ」
諏訪子は本殿の入り口に座り込みながら腕を組んでしみじみと頷いている。
境内に立つ妹紅は、そんな神様と、隣に座っている神様とを視界に収め、続ける。
「目的ももうわかってる通り。この騒ぎの参加者で、自由行動を許されて、私一人でここまで来たんだから」
妹紅は微笑み顔を消し、また真面目な顔をすると――二人の神の目を射抜くようにして口を開く。
「こうして私の目に見える形で神様がここにいる――それならば、手合わせを願わないわけにはいかないでしょう?」
燃えるような瞳が、またその色を深くしていった。
彼女の言葉とともに周囲の空気もキリキリと音をたてて緊張していくのがわかるかのようである。
境内の気温が、少し上がった気がした。
「――やっぱりそれ、か……」
「バチアタリな人間だねぇー」
「いや、幻想郷の人間なら、こういう方が“らしい”みたいよ」
弓が引かれてゆくように徐々に緊張感を高めている妹紅を、二人は呆れ半分、面白半分といった様子で見ていた。
二人は思う。
――人間っていうのはまったく愚かで……やっぱり、面白い生き物だね!
気持ちが半々だったのはほんのわずかな時間だけで、いつの間にか二人とも後者の気持ちの方が明らかに強くなっていた。
特に諏訪子はもう瞳をキラキラと輝かせている。
「面白いじゃん!いいよ、やろう!いやぁ~こんなことなら一日目から遊びに行ってればよかったかな~」
「あんただって昨日ここで暴れてたじゃない」
「ありゃ、バレてたか。ま、そんなことはどうでもいーの。ね、ね、どっちも神様だけどどっちとやりたい?選んでいいよー」
諏訪子は眼を輝かせながら尋ねた。もうすぐにでも飛び出していきそうな勢いだ。
隣に佇む神奈子の方も、落ち着いた物腰ながら、すでに気持ちの上では準備ができている態勢でいる。やるとなれば即戦えるという雰囲気を纏っていた。
妹紅は二人の神を交互に見返し、一考した。
彼女の目的は“神と戦う”そのことだけだった。そういう意味ではどっちとやっても大差は無い。
――別にどっちとやってもいいし、この際だから――――
「どっちも一緒でいいわよ」
そう一緒でも別に――と自分の心中を代弁したその声が、彼女の口とは別の所から降ってきた。
妹紅はその声のする方へと勢いよく振り返る。もっとも、振り返る必要など無かったのだが。
後ろから聞こえる声――自分と同じく鳥居をちゃんと潜ってこちらに歩いてくる彼女の声なら、間違いなく一発でわかった。
そして反射的に振り向いた先で眼に飛び込んできた影は、やっぱり案の定の彼女で、
「げ」
妹紅は思わず短く悲鳴を上げてしまっていた。
いつの間にか妹紅の近くまで歩み寄っていたその人影に見覚えのあったのは、妹紅だけではなかった。
神奈子も諏訪子も、この黒髪の小柄な少女に見覚えがある。
思わず諏訪子が彼女の名前を呼んだ。
「あれ、輝夜じゃん」
暗い境内を静かに歩む彼女――蓬莱山輝夜は、自らの名前を呼ばれて、いつもの柔らかな微笑みをたたえていた。
「こんばんは。諏訪子はさっきぶり。神奈子は昨日ぶり。妹紅は……まだ死んでなかったようで何よりじゃない」
「おまえも相変わらずで安心した――早く死んでくれてかまわないよ」
二人は顔を合わせて早々に、互いに毒を吐きあう。
さっきまでの下手な物腰などは跡形も無く、妹紅は輝夜をジロリと睨みつけ、輝夜はどこか後ろ暗い微笑でそれに応戦している。
幻想郷屈指の犬猿の仲が、なぜかここ妖怪の山で顔を合わせていた。
「どしたの?紅魔館に行くって言ってなかったっけ?」
二人の様子を眺めながら、諏訪子は輝夜に尋ねる。
「ん?行ったわよ。このもんぺ小僧を探しに、ね」
妹紅から眼を逸らし、諏訪子の方を見て答えた。
答えながらも歩を進めていた彼女は、おもむろに妹紅の隣で立ち止まった。その間ずっと睨みつけている妹紅の視線は、完全に無視されている。
「こんな夜にまで私と殺ろうってか?」
なぜかわざわざ隣に立つ輝夜に食ってかかる。
「まさか。そんないつでもできることをやっても仕方ないじゃない」
だがそれを物ともせず、輝夜はその言葉を鼻で笑い飛ばした。
――コイツ、本当に殺してやろうか。それは私のセリフだよ。
こ馬鹿にしたような輝夜の声に、妹紅は顔を引きつらせながら、額には青筋を奔らせていた。
もちろん輝夜はそ知らぬ顔のままでいる。
「私はあなたを誘いに行ってあげたのよ。“神様がいるから戦いに行かないか”って。――ま、さ、か、先に来てるとは思わなかったわ」
ふふ、っとなぜか得意げに、輝夜は妹紅の方を流し見る。
袖の端を掴んで口許を隠して笑う優雅な佇まいは、完全に妹紅を口惜しがらせるためだけに行われているものだったし、それはやっぱり成功していた。
それを聞いた妹紅は眩暈でも起こしたかのように頭を抱え、輝夜の期待通り、がっくりと肩をうなだらせた。
「……最悪だ。まさかコイツと同じ発想に行き着くとは…………」
その様子がよっぽど満足のいくものだったようで、輝夜は勝ち誇ったようにして笑っていた。
「まぁ、存在自体が背神的な私たちなら、ほっといてもこうなるような気はしたけどね」
よほど痛快だったのか、輝夜は満面の笑みを見せる。
微笑むような笑顔はよく見られるが、こうして大笑している顔は珍しい。
「それなら最初っから永遠亭で言ってくれれば良かったのにー」
陰陽分かれる二人のリアクションはさて置いて、諏訪子から声が上がった。
輝夜は“あぁ”、と何気ない様子で神様二人の方に目を向けると、
「そっちの方が驚くかと思って」
悪びれるでもなく、屈託の無い笑顔を向けていた。
どこまでが彼女の想定の範囲内なのか、それを解る者はいなかった。
ただ、解っていることは――――
「で、結局あなたたち二人と私たち二人でやろう、ってことかい?」
神奈子が尋ねた。
その言葉に、輝夜も妹紅も黙って神様二人を見据える。
その瞳を逸らすことなく、真っ直ぐに。
それが答えであると、言わんばかりに。
――まぁこういうことだろうね、正直予想はついてたけど。
無言は肯定となり、神奈子と諏訪子にも確実に伝わる。
神奈子はまた呆れるようにして目を細めて笑い、堪らず諏訪子が大きな声を上げた。
「あはははっ!やっぱり!――ほら見なよ神奈子!私の言った通り、最っ高に面白いことになったじゃない!」
無言を貫く輝夜と妹紅だったが、静かに、だが確かに、その瞳が力を持ってゆく。
もう言葉による返事など必要なかった。
徐々に光を帯びるその四つの瞳に感化されるように、二人の神もその面差しが変わってゆく。
風の神社に、二人の神と、二人の不死人が向かい合う。
早出の鈴虫の羽音は、もうしなかった。
【 P-1 】
――時を遡る。
月の太陽の巡りの二度ずつ巻き戻し……そこはこの異変の初夜。亡霊と桜の並ぶ地。
冥界の管理人の邸宅に通された八人の少女たちは、スキマから直接運ばれた先、屋敷の中の広い一室に萃められ、そこで思い思いに話していた。
「ここが白玉楼かー。冥界なんて来たことなかったよ」
妖蟲、リグル・ナイトバグは興味津々といった風に辺りを見渡していた。
どれほど見渡しても、部屋の中はあくまで普通のお屋敷の一室である。だが普段冥界、ましてや白玉楼に来る用事のない彼女からすれば、そこはなかなかに珍しい風景ではあった。
「まぁ生きてる内に来るトコじゃないさね。冥界とか、三途の川とか」
ふわぁ~、と大きなあくびをしながら、小野塚小町が応えていた。
彼女は人並みに夜は眠いようである。もっとも、人並み以上に昼も眠いのだろうが。
それを咎める上司がいないのをいいことに、誰にはばかるでもなく気怠るい息を吐く。
「死神が言うと説得力があるわ」
くすくすと微笑みながら、八意永琳は言った。
小町はその顔を、少し困ったような表情で流し見て、
――そりゃ、あんたには一生縁が無いだろうさ。
口には出さずにつっこんでおいた。
「ふむ――しかし、このチームのリーダーが見当たらないな。連れてくるだけ連れて来ておいて放置か」
「まぁ紫ならやりかねないわねぇ。あいつ適当ですもの」
口をへの字に曲げて、やれやれと鼻を鳴らす上白沢慧音に、風見幽香がさもありなんといった風に返事をしている。
「あ、そうそう。そこの剣士さんはここのお屋敷の人なんでしょ?傍に幽霊が浮いてるし」
「え?えぇ、まぁ。普段はここで庭師をしています」
淑やかに前で手を合わせて立っている鍵山雛が、なぜか自宅にもかかわらず所在無さげに佇んでいる魂魄妖夢に声をかけた。
普段からこの屋敷を見ているだけに、ここにこれほどのメンツが揃っていることの不調和が気になるのだろう。
冥界で見るとか以前に、そもそもあまり顔を合わせないような者も多いのだ。
雛はそんな妖夢に薄く微笑みながら、
「それはそれは。なら、ちょっと尋ねたいことがあるのだけど?」
「あ、はい。なんなりとどうぞ」
「私たちさっきまで洋館にいたじゃない?」
「そうですね」
「そこから直接ここに送られてきたじゃない?」
「――?そうですね」
「だから私たちみんな土足なの。気にしないで畳の上にいていいものかしらね」
「え……ってうわぁぁ!本当だっ!私も普通に立ってたし!み、みなさん!クツ脱いで下さい!」
今さらの事実に気づいて、妖夢は慌ててそこにいる面々に呼びかけた。
誰も彼も気にせず土足で上がりこんでいるが、妖夢には何も文句は言えない。自分も言われるまで気づかなかったのだから。
頭の隅で浮かんだことは二つで、ひとつは幽々子様に怒られる、もうひとつは紫様ももう少し気を遣って下さい、だった。
わたわたと慌てふためく妖夢に、頭の上から声が降ってくる。
「あ、そうだっ!浮いてればいいんじゃない!?ね、ほら足はついてないよ?」
フランドール・スカーレットは無邪気な声を上げて、空中で横になっていた。
和式建築のそう高くない天井の中だと、浮かんでいると言っても少女たちの頭の上くらいまでが限界だったが、確かに土足にはならない。
「なるほど、――ってダメ!下着丸見えですって!女の子なんだから!ほら!足閉じましょ!」
「あははー、別にいいじゃない。ドロワーズを履いてるし。そんなこと言ったらお空が飛べないわ」
「つ、慎みの話ですっ!ほら!クツ脱いで――――」
自分の目の前を浮かぶフランの靴を脱がそうと、顔を赤らめながら彼女に迫ったが、フランは面白がって空中で身をよじってそれを躱す。
そのたびにフワフワとめくれるスカートを気にして妖夢はまたひとり赤面して……といった様子でドタバタと騒がしくなりだした。
ちょうどそんな時。
不意に部屋の真ん中に、人ひとり分ほどの大きさのスキマが、ぽっかりと口を開けた。
「あら、仲良くしてるみたいで良いことだわ」
姿よりも先に声が現れる。
その声の主は紛れも無く、そのスキマの主で、この騒ぎの提案者で、今はそこにいる彼女たちのチームのリーダーだった。
ぬぅっとその姿を見せたのは、間違いなく彼女――八雲紫その人だった。
「お待たせしましたわ。長々とした説明とか、待ち時間とか、エトセトラ、お疲れ様」
作ったような笑顔でそこにいる面々を見渡し、定型通りの労いの言葉を送る。
あくまで真意を覗かせない彼女のスタンスが、それだけで窺えるような気がした。
「ホントよー。もう待ちくたびれて仕方なかったわ」
フランが宙に浮かんだままの姿勢で愚痴るようにして笑っていた。
どうみても退屈してる様子ではないが、わざわざそれを誰も指摘はしない。
「あらあら、それはゴメンなさいね。でももう大丈夫よ。これからは好きに動いてもらっていいから」
「好きに?」
「え……っと、どういうことですか?これがチーム戦だっていうなら、なんらかの形で団体行動なのだと思ってたんですが…………」
その言葉に首を傾げて疑問符を浮かべているフランの代わりに、その隣にいた妖夢が質問を返す。
紅魔館で聞いた話を理解した上での、もっともな疑問だった。
紫はその素直な質問を愛おしがるように耳を傾けている。
「そうね、その通り。――だからこれは作戦なの」
もっともらしく響く声に、妖夢は思わずオウム返しにその言葉を反芻した。
「そう、作戦。まず、このチームの私以外を半分に分けるの。半分は遊撃。半分は守衛。で、私はここにいる。――どう?」
ニヤリと意味深に微笑み、妖夢へと答えを返す。
その提案の意味を、妖夢は計りかねたが――――
「――まぁ……紫様ならそう滅多な相手でも負けることは無いでしょうし……リーダー役はあなたです。策があるなら私は従います」
もとより彼女は今の自分の主――そして普段の自分の主の友人――の案に従う腹積もりでいた。彼女は頷きを返して同意を示す。
「あ、それなら私は攻撃側がいいなー。それってお外で自由に遊んでていいんでしょ?」
「私もそっちに志願するわ。あの世で留守番なんて真っ平だしね」
紫の言葉で真っ先に攻め手に立候補する二人――フランと幽香は、すでに出る気満々といった様子で息巻いていた。
そんな二人を楽しげに眺め、
「それは重畳。こちらから頼む手間が省けてよかったわ。――あとは……妖夢、それに永琳。お願いできるかしら?」
名前を呼びながら、二人を交互に見て言った。
「わ、私ですか?は、はい。ご用命とあらば」
「ま、私が冥界常駐なんてシニカルなことするわけにもいかないでしょうしね」
思わず呼ばれた自分の名前にわたわたする妖夢と、自分の独り言に満足するように微笑む永琳も、紫の提案に異論は無いようだった。
「ね、ね、“ゆうげき”がなんなのかよく分からないけど、要するにどこに行っててもいいんでしょ?」
フランはフワフワと漂いながら、頭だけ紫の方へと向けてキャイキャイとはしゃぐようにして尋ねる。
「――その通り。あなたたち遊撃は、どこに行ってもいいし、誰と戦ってもいいわ。ここを出てからの行動の自由は、ルールに反しない程度なら、このチームのリーダー役の権限で全て認めましょう。何の束縛も無しに、そこら辺で暇そうにしてるヤツを――片っ端から叩き潰してくるといいわ」
その言葉に、フランのテンションがみるみる内に上がってゆく。
「ステキな話!気に入ったわ!」
傍目にもわかるほどに瞳を輝かせ、食い入るようにして紫の声を聞いていた。尻尾でもあれば、思うさまに振り続けていただろう。
「お気に召したようで嬉しいわ」
浮かび上がったままに満面の笑みを見せるフランに、紫も楽しそうに笑いかけた。
「あ、そうそう。遊撃組には一つだけお願い。行く場所は問わないけど、タイミングだけ指定させてちょうだい」
「あら、ここに来てメンドくさそうなお話ね」
幽香が後ろ手に組みながら口を挟む。
「そんな面倒な話はしませんわ。あなたたちはどこに行ってもいいけど――そうね、月が出てからないと戦闘を始めちゃダメ……ってことにしておくわ」
「なんですか、それ?」
「まぁ……あんまり深い意味は無いわ。完全に私の与り知らぬように動かれても困っちゃうから、少しだけ縛りを入れさせてね、って程度よ」
妖夢からの問いにも簡単に答える。
「まぁ夜になる前に出ててもいいけど……できれば日中はここにいてくれると助かるわね。助かる、程度だから無理にいろとまでは言わないけど、日中の戦闘は禁止します。私としては、一番盛り上げるであろう夜を――騒がしくしたいのよ」
ふふっ、と一笑を付し、彼女はそこにいる四人を見渡す。
「なるほどなるほど」幽香はクスクスと笑いながら応えている。
「……私たちだけ妙に縛りが多いけど、それが自由の代償、かしらね」永琳がつまらなそうに呟いている。
「はぁ……」妖夢はその場の空気に馴染めていないように、戸惑ったままの瞳を泳がせている。
「わっかんないけど、わかったわ」結局分かったのか分からないが判らないままに、フランは勢いだけで頷いていた。
「じゃあ、私もう行くね!こんなに自由にお外出られるなんて初めてだもん!夜は短いわ!」
話が終わったことを感じたのか、水を得た魚のように喜びに揺れる羽をはためかせ、フランは飛び跳ねるようにしてそのまま外へと飛び出してゆく。
「説明が以上なら、私も行くわ。あんまり夜には出歩かないんだけど、たまの機会だし……興も乗ってきたわ」
失礼、と一言残し、幽香が上品な足取りで部屋を後にし、
「任命された以上、私もさっさと出るのが筋かしらね。さて、暇人の多そうなのはどこかしらねぇ」
永琳が呟くようにして言い残し、同じくその場から静かに抜けていった。
こうして野に放たれた彼女たちは、思い思いに夜を飛び跳ねる。
それはもちろん、彼女たちの“暇つぶし”のため。
だが、それは――――
紫チームの遊撃の尖兵――このイベントにおいては、あぶれた“暇人”を狩り出す、出現予測不可能なジョーカー。
この仕組まれたチーム分けで、意図的に萃められた、選りすぐりの“遊撃軍”だった。
※
夜の森の中は、一足早く、深く深く、闇を湛えていた。
鬱蒼と生い茂る背の高い木々が月の光を遮り、夜の暗さをより一層高めている。
そんな妖怪の山の陰鬱とした森の中を、落ち葉を踏みしめて歩く。
まだ落ち葉の季節には早く、その証拠に、異様に散らされた落ち葉はまだ充分に水気を含んだままだ。
地面を覆い隠すかのように不自然に落ちている緑の葉は、明らかに人為的な理由があるようだった。
それを不思議そうに眺めながら、彼女――風見幽香は、木々をすり抜けて歩いていた。
そうして歩を進めるうちに、彼女の視界が不意に広がった。立ち並んでいた木々が急に消え、そこだけぽっかりと空いている。
いや、木々が急に消えた、というのは語弊があった。
正確には、立っている木がそこにはひとつも無かった、と言うべきだろう。
おそらくつい最近まで根を張っていたと思われる木々が、その空間だけ根こそぎ薙ぎ倒されていた。
力ずくでへし折られたかのようにぼっきりと割れているモノ。
熱で焼ききられたかのように焦げ痕を残して無残に横たわるモノ。
極低温で壊死させられたかのように不自然にバラバラになっているモノ。
ぱっと見ただけで三種類。
それらが瓦礫の山のように累々と広がっていた。
遮るものが無くなった月の光が、それら全てを薄ぼんやりと照らしている。
「……非道いことするわぁ。誰がやったか知らないけど、暴れるならもっと広い所でやればいいのにねぇ」
幽香は呟きながら、辺りをぐるりと見渡した。
さっきの不自然な落ち葉も、おそらくここで繰り広げられた戦闘の余波で揺り落とされたのだろう。
折れて朽ちようとしている木々を踏みしめながら、広場の真ん中付近まで歩いていった。
まだ緑の葉をつなげたままの枝が、踏むたびにパキパキと音を立てる。
「こんな物騒な山で夜歩きとは感心しないわね。危ないわよー?」
これは幽香の声ではない。
不意に背後の森の中から、誰かの声が響いたのだ。
後ろからの声にもさほど驚くこともなく、幽香は歩みを止める。
「確かに危ないわね。早速不審者に会っちゃったわ」
彼女は振り向くこともせず、背中だけで応えた。
「それだけ気配を主張しながら歩いといてよく言うわね」
その声の主が楽しげな顔をしているであろうことが背中に届く声で解る。
能天気な、無邪気な、無遠慮な感じの声。
「だって誰かに会いに来たんだもの。一人はつまらないからね」
幽香は溜め息混じりに返した。
「でしょう?だから、まんまと会いに来てあげたわよ」
どうだ、と言わんばかりの声。
相変わらずの能天気さに満ちているその声に、幽香はまた大きく息を吐いた。
正直、こういう何も考えてなさそうな手合いは、彼女の求めるところではなかった。
「でも場所選びを間違えたかしら。みんな出払ってるのか、碌なのがいやしない」
「だから私がいるじゃないの」
「だからあなたが碌なのじゃ無さそうなのよ」
こんな程度のやりとりすら通じないことに、幽香はまた肩を落とす。
こんな頭の軽そうな輩の相手で費やすにはもったいない夜なのに、と内心で吐き捨てる。
――そう、あの胡散臭い妖怪の企んだ、どうしようもない連中ばかりの、素敵な夜――私好みの夜。
不躾な声を背にしたまま、彼女は自らの望む戦いの形を思い浮かべる。
目の前が真っ赤に燃えるような、それでいて頭の奥が氷のように冷えつくような、無上の戦闘……それはまさに、昨日の夜、満月の夜に繰り広げたレミリアとの戦い、そのものであった。
幽香はあの緊張感を再び求め、こうして夜の幻想郷を徘徊していた。
夜は短い。こんなことで時間を使ってもいられない。
背中の声に魅力を感じなかった幽香は、また溜め息を零し、その場を離れようと足を踏み出そうとした。
だが――彼女の意思がその右足を動かすよりも速く、彼女の両耳に音が届く。
ザクッという、何かを地面に突き立てるような音。
音速で届いたその信号をキャッチした彼女は、本能的にその動きを止め――――
ゴ、ゴガガガガガガガガガガッ!!
大地が鳴動するかのような轟音を響かせ、幽香の四方の地面がせり上がった。
地面を覆っていた朽木がバラバラに弾け、藻屑となって飛び散る。
それはもはや、せり上がったなんて緩やかさではなく、人ひとり分ほどの石柱が地面から突き上がった、という方が近い。
無造作に、無秩序に、真っ直ぐだったり、斜めだったりしながら生え上がるその石の柱は、幽香を囲むようにして立ちふさがり、一瞬にして彼女の自由を奪っていた。
彼女は瞬く間に生まれたその石柱に、一瞬だけ目を見開く。
突き出した大地は、彼女を囲うようにして位置取ると、そのまま固まり、動かなくなった。もうあの地響きのような音もしない。
ふぅん、と小さく嘆息を漏らし、幽香はまじまじと目の前の石柱を眺める。
すでに彼女の顔には驚きもなく、また、背後の声の主に対する落胆も減っていた。
――今の一瞬だけで生み出された石柱……硬度も十分そう。これほどのことが出来るなら――――
そう思い、幽香は自分一人分のスペースしか残されていない中でくるりと振り返ると、声の主の方に目を向けた。
「……じゃあ、自称・碌なヤツのお名前を伺っておこうかしら」
ご丁寧に背後も突き出した石柱が視界を塞いでいて、その姿は目に入らない。
だが、声の主が「ふん」と鼻を鳴らす音は聞こえた。
視線の先にいるであろう彼女が、自信満々そうに笑っているだろうことも、なんとなく声の感じで伝わってくる。「よーく聞きなさいな!」
「私は、比那名居天子!天人よ!今のところ、私に大きな口を叩いていいのは、死なない人間くらいなんだから!」
腕を組み、控えめな胸を張り、天子は吼えるようにそう告げる。
彼女の前には鈍く黄色く輝く緋想の剣。
月の光を受け、輝きを放つその剣は、すでに気質を帯びていて紅を纏っている。
名乗りを上げる天子の声は、石柱に囲まれる幽香にも届いていた。
天子の顔はまだ見ていない――が、おそらく不遜な顔をしているであろうことは容易く想像がつく。
これほどの力を持っているのだ、確かに誇ってもいい。
おそらくまだ敗北なんてほとんど感じたことが無いのだろう。
過ぎた力を持ち、それを好き放題振るってきたワガママお嬢様――そんなところだろうか。
まだ顔を合わせたことのない天子の人物像を思い描く。面識はもちろん無かったが、それでも自分の予想が外れていないであろう確信を持っていた。
――私の想像通りなら…………
幽香は誰にも見せない所で静かに、小さく微笑む。
――こういう手合いを無残に負かすのは……あぁ……それはそれは、楽しいでしょうね…………。
「それで?あなたの名前はなんていうのかしら?私だけ答えて自分は名無しじゃあつまんないじゃない」
天子は地面の塊に問いかける。
思わず力を込めすぎて間断無く生やしてしまったために、もう遠目にはただの土の塊にしか見えない。
昨日を丸一日回復に費やした彼女は、明らかに力が余っていた。
そのことに自分でふふ、っと笑っていると――――
カッ――――――――――!!
無数に突き出していた石柱の隙間から激しい光が溢れ、光に遅れるようにしてガラガラガラッ、という音が響く。
閃光のように煌く魔力光、それとともに、石壁の一面が砕かれたかのようにして瓦解した。
土煙を上げて、石柱はただの土、もとい、砂にまで戻ってゆく。
開かれた石壁から、格子柄の紅い服を着た少女が姿を現す。
その顔は、何気ない微笑みで飾られていて――――
「それは失礼したわ。私は風見幽香。あなたに大口を叩いてもいい妖怪――ってところかしらね」
砂埃が晴れる。ここに来て、両者は互いの姿を完全に目視した。
石柱をあっけなく壊されたことにも動じず、あくまで自信満々な顔の天子。
「私に大口を叩いていい妖怪ね……素敵なこと言うわ!相手を考えないと恥をかくって教えてあげる!」
そして、目の前に現れた天人を敵と認識し、自らの嗜虐心に浸るように微笑む幽香。
「繰り返さなくていいわ。あなたをボコボコにした後、私からもう一度言ってあげる」
一瞬の静寂。そして、弾けるように飛び出す天子。
妖怪の山では、三日目の戦火が上がる。
to be next resource ...
まさか最後の最後にSとMをぶつけるとはw
正真正銘ラストですし、期待しちゃって構いませんね?
>>こ馬鹿
小馬鹿 変換し忘れと思しき。
過度な期待は禁物。でも最後の日だから盛り上げようとはしてます!
お楽しみに(セルフハードル上げ)
誤字指摘ありがとうございます。あとで直しておきます。