Coolier - 新生・東方創想話

寺子屋先生の説話かたり

2010/11/16 19:20:53
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 私は魔理沙だが、私を魔理沙と呼んでくれるヤツはすくない。

 もちろん、ちゃんと名前を呼んでくれる人はいくらかいるわけだが、慧音はそれにあたった。理由はかんたんだ、私が慧音の生徒だからだ。

 だが読み書きそろばんなんてまどろっこしいことはしない。

 ついては、ちょっとした知識の吸収のために慧音から昔話を聞かせてもらっている。

 生徒のこどもたちは夕方、山へ帰っていく夕日のようにそれぞれの家へ帰る。私はそのころに寺子屋の前に降り立つ。

 するとこどもたちは私のことを好き勝手に呼ぶわけだ。

 私は黒白であり。魔女であり。お姉ちゃんであるらしい。

 寺子屋のなかへ入ると慧音がいる。

 いまさっきまでつかっていた教材をしまいこんでいる最中だったが、私がやってきたのには敏感だった。

「ちょっと待っていろ。もうすぐかたづけるからな」

 私は言われたとおりに待つことにしたが、このとき机にお尻をのせたりなんてしたら、たちまち慧音は噴火してしまう。

 だから立ったまま、この狭い教室でじっとする。

 慧音がちいさな箱へ白墨をしまう。

 塗板を黄色や赤で鮮やかに汚れた雑巾でぬぐい、きれいにしていく。

 何冊かの本と箱をかかえて、いったん奥の部屋へいきまたもどってきた。

「魔理沙、おまえ何をかしこまって立っているんだ」

 こう言われるのは何度目か。そしてこれが片付けを終えた合図だった。

 私は慧音が用意してくれた椅子にすわって、教室の真ん中に陣取った。

 生徒の椅子は小さすぎるからな。

 今日はどんな話をしてくれるのか。それは私にとってどんな栄養になってくれるのか。慧音のやさしくわかりやすい語りは気持ちがいい。

 こどもたちにだって評判だろうことは想像にかたくない。

「きょうも古い話をしてやろう。そして幻想郷にいる妖怪たちの話でもある」

 教卓の前をゆったり歩きながら、いつものように慧音が話しはじめる。

 私は心をしずめて、聞き入る準備にはいった。





   猫のまえは





 いまはむかし。

 三方を山にかこまれ一方に湖がひかる、人間がすむ里があった。

 老若男女、ゆかいにくらしていたが、そのなかにせいの低い少女がいた。

 あるひ少女は家の裏にある井戸でみずをくんでいた。

 そのとき目の前の林ががさがさいい、少女がすくんでいると、女がぬっとからだをだした。

「びっくりした。あんたどっから出てきてんのや」

 女はこたえない。

 とおく唐の国とおぼしきしろい着物をきて、帽子をかぶっているのは、絵から飛びでてきたようだった。

 あげくれんか

 あげくれんか

「あげって何や。何をくれっちゅうんや」

 髪はそうながくなかったが帽子はいやにふくらんでいた。

 着物も、腰から下は花のつぼみのようにまるかった。

 あげくれんか

 あげくれんか

「あ、油揚げのことやな。そうやろ」

 あげくれんか

 あげくれんか

「ちょっと待ちいな。今もってくるから」

 少女はみずのはいった桶をその場におくと、家のほうへはしりだした。

 台所へいって、棚をさがすと、笹の葉の包んだものがあって、なかに油揚げが何枚もあった。

 少女はいちまいだけつまむと、井戸のところまでもどった。

 しずかに立っている女へ、自分よりせいのたかい女へ油揚げをさしだした。

「これでええか」

 青白い顔をした女はそれまでぼんやりしていたが、油揚げをみるとにわかに笑顔をした。

 油揚げをとるとまるまる口にほうりこんだ。

 口がひらいたとき、ちらと見えたとがった歯に少女はまたすくんだ。

 女は満足したように林へきえていった。

「そっちは何もないんとちゃうの。いっておもろいか」

 女はこたえない。

 そして翌日のことだった。

 少女は山菜をとりに山へふみこんでいた。

 てごろなものをみつけてはつんだり、土をほって根からとりあげるなどしていた。

 すると奥の木のうらから女があらわれた。

 あんまりとつぜんだったので少女はおどろいた。

「なんやお前。ええ、きのうの奴か」

 女はゆっくりと少女のそばにちかづいてきた。

 今日も帽子がもりあがっていたが、そのはじから髪とはちがう何かがのぞいていた。

 きいろい毛玉のようにみえた。

「かみのけだんごにしてんのか」

 あげくれんか

 あげくれんか

「こんなとこで何言うとんのや。おかしなやつやなあ」

 あげくれんか

 あげくれんか

「うるさいなあ。ほんならついてこい。家にもどれば油揚げあるから」

 ちょっと眉をまげた少女が歩いていくと、女はしずかについていった。

 草をわけて少女と女は山をくだっていった。

 そのとちゅう、なんどか少女はふりかえって女をみつめた。

 着物の裾からふたつの足首がみえるが、それいがいにも草穂のようなきいろくてふとい何かがみえていた。

 里にもどり家にもどった少女は、またきのうのように棚から油揚げをもちだした。

 女は油揚げを目にしたとたん頬をあからめて、一口にたいらげた。

 犬に生えているものと同じとがった歯がひかったので、女が油揚げをほおばっているとき少女はうつむいた。

 たべおえた女が林をがさがさいわせた。

「また山んなかへいくんか。おもろいもんでもあるんか」

 女はこたえない。

 以来、このようなことがなんどもあった。

 少女が井戸でみずをくんでいるとき、山へあそびにいっているとき、家でごろんとしているときもふとすると庭先に唐風の女がいた。

 いつもきまってあげくれんかと言った。

 少女はかならず油揚げをよこした。

 油揚げがなくなったときにはわずかな駄賃をもとに買いにはしった。

 女はおっかなかったが悪さはしないのでかまわなかった。

 ただ頭のきいろい毛玉と、足元のきいろい草穂はいつもきになっていた。

 あるひのこと。

 少女はいつものように井戸でみずをくんでいた。

「そろそろ油揚げの女がくるころやな」

 そうつぶやいた少女はおもたくなっていた桶をおろして林のほうをながめた。

 しかし女はこなかった。

 少女はもう少しまっていたが、影もみえないようだったので、あきらめて桶に手をかけた。

 ふりかえると庭先に女が立っていたので、まるでうれしくなった。

 ところが、よくみると、たしかに唐風の着物をきているし帽子もかぶっていたが、いつもの女ではなかった。

 油揚げの女よりからだがちいさく、着物は上等なようだった。

 その女はわらっている。

 少女は不安になって、顔をくもらせながら女にちかづいた。

「あんた誰や」

「うちの人が毎日お世話になっています。けれどあまり仲良くなるのはいけないわ。油揚げでは足りなくなってしまう」

「なんでそんなこと言われなあかんのん」

「いい子だから、あんまり仲良くなってはいけないわ。油揚げだけにしておかないと」

 この女が油揚げの女をどうして知っているのか。

 少女は気味がわるくなって、これっきり口をつぐんだ。

 桶を持ち上げると女の横を通りすぎていったが、決してそのほうへ首をまげなかった。

「仲良くなるのはいけない」

 女の声が背中にぶつかったので、少女はむっとしてふりむいた。

 女はもういなかった。

 次の日になるとまた油揚げの女がくるようになった。

 あげくれんか

 あげくれんか

「そういえばあんたとおんなじ格好したひとがきたけど、アレだれなん」

 ……

 あげくれんか

 あげくれんか

 それから何日か経った。

 少女は母親にたのまれて、おつかいに出かけていた。

 道すがら、柳の木にちかづいたところで、その下に油揚げの女がいた。

 少女はちょうどおつかいの最中だったこともあり、いっしょに油揚げをかいにいこうと思いついた。

 すると女は手招きをした。

 手招きをしたあとにてんで関係のない道へあるきだした。

 少女はあっと思うとついていった。

「どこいくん」

 女はこたえない。

「そっちは山やで」

 女はこたえない。

 少女は、女の家が山にあるのだろうかと思い、ひそかに胸がおどった。

 道をいくと里をでて、山のほうへ歩いていった。

 しだいに落ち葉がつもりはじめて、木が増えてくると、日がかげったようだった。

 少女が山菜をとりにくる場所よりもうんと奥へもぐっていった。

 すっかりおじけた少女は引き返そうとしたが、ここまで着いてきて帰るのはもったいなかった。

 女はうしろから見ると、帽子のうしろはぴくぴくうごいているし、腰まわりが異様にふくらんでいるし、いまさら、人間ではないような気がしてきた。

 そうとうな山奥までやってきたところで、ようやく女はたちどまった。

「ここどこなん」

 女はこたえない。

「あんたの家があんのか」

 女はこたえない。

 恐ろしくてたまらなくなった少女は女のもとへ走り寄ろうとした。
 
 そのときからだが自由をうしない、目線がまたたく間にかたむいて、腐葉土にとびこんだ。

 地面にたおれるとにぶい痛みが少女をつつんだ。

 少女はかろうじて上をむいた。

 そこには金色の毛並みが波うち細い体躯をふるわせる狐がいた。

 ほそいがとても大きく、大人もかるがる越えてしまいそうなものだった。

 牙がするどく、さんかくの耳がのび、豊満でぜいたくな尻尾は九つもゆれていた。

 ああ、狐やったんか

 どうりで油揚げがすきなわけや

 少女はそんなことを考えながら目には涙をためて、もうそれがぽろぽろとこぼれていた。

 狐はうごけない少女へちかづくと鼻をならし、仰向けにさすと腹へ食いついた。

 それはもうむさぼった。

 少女はいたいのだが声も出せなかったのでつらいことしか頭になかった。

 そのうちすっかり息絶えてしまった。

 少女の生暖かい血肉にくちもとをぬらす狐は、しばらくはらわたに舌鼓をうちつづけた。

 とうとう背中までいくと、次は腕や足をひきちぎりはじめた。

 狐が夢中になっていると、いつのまにか後ろに女が立っていた。

 いつか、一度だけ少女と話した女だ。

 狐は女に気づくと、ぎょっとしたように飛びのいてぶるぶる震えだした。

「またやったわね。人間なら私があげるから我慢しろといっていたのに」

「すみません。貪欲でした。すみません」

「そうよ、油揚げをもらっているだけならまだしも、この子まで食べてしまうなんて。恩を仇で返すろくでなし」

「すみません。貪欲でした。すみません」

「やはり九尾といえども所詮は獣ね。己の抑制もできないなんて。あなたもういいわ。唐に帰りなさい」

「どうかご勘弁を。後生です。うんと働きます。どうか後生です」

「ずうずうしいやつ。私がきづいていたのを知っていたんでしょう。知っていたのにやめなかったのね」

「どうかご勘弁を。後生です。うんと働きます。どうか後生です」

「そこまで言うのなら、いいわ。何百年後かに猫を従えなさい。黒い猫よ」

 狐は女へ何度も頭をさげた。

 女はちょっと笑うと、霞のように消えてしまった。

 そうして何百年か経った。

 狐はこの間、女からの言いつけを決して忘れず、ことあれば猫をみつめた。

 それまでにも黒猫は何匹もいた。

 しかし、ついに狐は目の覚めるような黒猫とでくわした。

「ああこの黒猫は小さくてなんて無垢だろう。妖怪の質がある。なによりもあの少女のようではないか。あの方がいっておられた何百年とは、私が食らった少女が転生して現世にもどってくる期間だったのだな」

 その黒猫も言葉をはっしたが、少女のように訛ってはいなかった。

 これは女がいうには、転生前の記憶を呼び起こさないようにするために、転生前とは違う喋り方を仏様があたえたのだそうだ。





「その狐はもしかして、八雲籃のことか」

「うん、そうだったかな」

 慧音は曖昧にこたえて、奥の部屋へいってしまった。

 私は知っている。慧音はこのときお茶をあじわっている。

 語りでかわいた喉をいたわっているのだ。

 しばらくすると、慧音は一つの湯のみをもってきてくれた。私にもお茶をくれた。

 ありがたいことだが、私がここのお茶をぬるいと感じてしまうのは、きっと霊夢の淹れるお茶に慣れきってしまったせいだろう。

「女の子がしゃべっている方言は、どこのやつなんだ」

「西のほうの言葉だが、すまない、書物に書かれている言葉を言っただけだから正しく発音できていないんだ」

 その正しい発音が私には分からないので気にならなかったが、慧音がちょっとぎこちなくて試行錯誤しているふうにしゃべっていたのはたしかだった。

 狐が八雲籃だったというのなら、もう一人登場した女性は八雲紫になるのかな。

 ということは、女の子が生まれ変わった黒猫は、橙かもしれない。ぐるぐると、元気に飛び回っているあの化猫の雰囲気を、物語中の女の子から感じ取ることは、私にはできなかった。

 慧音は窓のそとを見ながら言った。

「あげといえば、籃は毎日、ひっそりと里に足をはこんでは、お店の店主にかしこまって油揚げをもらっているなあ。朝方よく見かけるよ」

「じゃあ店の店主は食べられちゃうかもな」

 それは困るなあと慧音は笑った。彼女は店をよく利用しているらしい。

「ほかにも話してくれよ。まだこれじゃあ足りないぜ」

「もちろん話すつもりだが、どうせ魔理沙は二三こ聞けば飽きてしまうだろう」

 今日はそのつもりではない、なんなら五六も聞きたい気分だし、そのせいで帰路がたいへん暗くなってしまっても構わない。

 慧音は教卓にひじをつきながら、私にむかって次の話をしてくれた。





   三歩もあるけぬ





 いまはむかし。

 都より北にいったところに川が流れていた。

 そこには立派な橋がもうけてあった。

 この橋、都から北へいくためには必ず通らなければならないが、そこに近頃みょうな噂がたっていた。

 橋をわたっていると、中央にきたところで、鬼が待ち構えているというのだ。

 鬼はやってきた旅人へ相撲をとろうと言う。

 相撲をとって勝てばそのまま通れるが、負けると鬼に食われてしまう。

 断ってしまうと問答無用で腹のなかだ。

 旅人らは恐々としたが、どうしても通らないわけにはいかなかった。

 そこへあるひ一人の侍が橋をわたろうとした。

 よい天気に心もういていた侍は、鼻をならしていた。

「この日和だ。よほど旅路にも期待がもてよう」

 そうやって男は橋をわたっていった。

 ところが、橋の真ん中へちかづいてくると、にわかに空はくらくなりはじめ、風もびゅうびゅうふきだした。

「やれ、天気のうつろいやすいものだ」

 男はそこで立ち止まった。

 目の前になにやら薄着の女が、いつのまにか立っていたからだ。

 赤毛で、ひたいから雄々しい朱色の角が生えており、腰にとっくりと盃をさげる、せいのたかい女だった。

 男はこれをみると噂を思い出した。

 ははあこれが相撲をとりたがる鬼か

 しかしどうだろうな、女ではないか

「やあそこをいくお侍殿。ひとつ相撲をとろう。勝てば通すが負ければ酒の肴だ」

「いたしかたない」

 侍はつかつか鬼へ歩み寄っていった。

 いやなに鬼とはいえ女には違いない

 負けるほうがおかしな話だ

 男がたいそう得意げに腰をおとすと、鬼はかんらかんらと笑った。

「ハハハハ、やる気は結構。そうら相撲だ。酒の肴だ」

 ひといきに投げ倒してやろうといきごんだ男は先手をうってとびこんだ。

 腰をつかまえてぐっと力をこめた。

 するとどうだろう。男が歯をくいしばったところで鬼は微塵もうごかない。

「ハハハハ、威勢は結構。けれど力はどうかな」

 男は後ろへつきとばされた。

 どうにか踏ん張ったところで、もいちどつきとばされた。

 何度もつきとばされると、とうとう尻餅をついてしまった。

「あっけないな。ではお侍殿には酒の肴となってもらうよ」

「いたしかたない」

 男は頭からむしゃぶりつかれた。

 男の残骸ばかりが橋にちらばり、鬼は満足げにとっくりを盃にかたむけた。

「筋ばっていてまずいわね。侍はこれだからいけない。けれど酒はうまい」

 またあるひのこと。

 橋に鬼ありとの噂を聞きつけた若侍が、腕をためしてやろうとそこへむかった。

 それは月も冴えるここちのよい夜だった。

「鬼やでてこい。鬼やでてこい」

 若侍はそう歌いながら橋をわたっていった。

 橋もそろそろ半分となったとき、月が黒雲にさえぎられて、そこいらはたちまち暗くなってしまった。

「や、でたな悪鬼よ。さあこい俺がなぎたおしてやろうぞ」

 若侍の煽り言葉につられたかどうか、ともかく鬼は立ちふさがっていた。

「やあそこいくお侍殿。言われたとおりなぎ倒されに現れたぞ。勝てば通すが負ければ酒の肴だ」

「肴など、鬼はそこいらの草をはんでおればいいのだ」

 喧嘩ごしの若侍がそでをまくって胸をはると、鬼はさも愉快そうに笑った。

「ハハハハ、やる気はよろしい。そうら相撲だ。酒の肴だ」

 若侍はその場でじっと構え、みずから挑もうとはしなかった。

 鬼がうって出たところで隙をついて逆さまにしてやろうと決めていた。

 鬼は、若侍からは来ないとみるや雷のようにちかづき腰をとろうしてきた。

「えいっ、ここだっ」

 鬼の腕をよけた若侍はうしろから掴みかかり、足を払おうとした。

「ハハハハ、策はよろしい。けれど力は勝るかな」

 鬼がすさまじい勢いでからだをふった。

 ちょうど腰につかまっていた若侍はとっくりと盃といっしょに振り回されて、耐えきれず手をはなしてしまった。

 地面にどっさりとたおれこんだ。

「あっけないな。ではお侍殿は酒の肴になってもらうよ」

「おのれ、口惜しや」

 若侍は腹をまっぷたつにひらかれた。

 血溜まりばかりが橋の木板にすわれているところで、鬼は気持ちのよさそうに血と酒のまじる盃をぷっくりふくらんだ唇へつけた。

「若者はひきしまっていて臭みもすくない。たいへんうまい。酒もうまいねえ」

 このような悲惨が、橋を渡るもの区別なくおそった。

 これにたいへん心をいためたのは都に住まう婦人だった。

 婦人は鬼をとりはらわずして平安なしとし、ある男へ声をかけた。

 その男、からだはきわめて屈強で夜叉のような面構えから、仁王のようだと言われており、実際力では何者もかなわなかった。

 あるとき噂に興味して挑んできた侍がいたのだが、男はまるで小石をなげるかのように侍を投げ飛ばしたという。

 さらに怒った侍が五、六人の手勢をひきつれて再びやってきたときも、一人残らずうらがえしたというのだからとんでもない。

 そんな男だから鬼と相撲をとっても打ち負かしてくれるに違いない。

 婦人はそう踏んで男へたのんだわけだ。

 男は頼みを引き入れた。

 だが男はそれから頭をかかえた。

「しまったな。いくら俺が仁王のようだと言われたところで、鬼に敵う道理はない。だがここで引き下がっては名に傷がつくどころでない。参ったぞ」

 男はひどくふらふらしながらも都を出て橋へむかった。

 今宵は剣のごとくするどい月が、男の首をかききるように光っていた。

 風は肌をたたかんばかりだった。

 男はいよいよ冷や汗をかいた。

「ああ、なんて夜だ。俺は陽をおがめないとみえる」

 すっかり生きた心地のなくなっていた男は、とうとう橋の真ん中までついてしまった。

 そこには仁王立ちする鬼がいた。

 赤毛の髪が風にゆれ、角は月のひかりが飾りすばらしいものだった。

 一目のだけで、こんなものには到底かなうはずがないと、男は青ざめた。

「やあそこいく旦那。ひとつ相撲をとろう。勝てば通すが負ければ酒の肴だ」

「う、うむ」

 男はこわごわ鬼へちかづいていった。

 そのとき鬼の腰にぶらさがっていたとっくりと盃をみてあることを思いついた。

「俺はこんないかついナリをしているが力はなくてな。手加減をしてくれはしないだろうか」

「手加減だと。できるかねえ」

「もっとも手頃な手段があるぞ。それはまず酒を盃になみなみ注ぐのだ。それから酒のたっぷりはいった盃を手にもつのだ。あとはそのまま相撲する」

 鬼はひじょうにすきとおった笑い声をはなった。

「ハハハハ、造作もないことだ」

「ただし酒は一滴たりとも地にしみこましちゃならない。どうだ」

「なんだそのくらいか。いいねえ、お前の提案はいいねえ」

 鬼は言われたとおりにとっくりから盃へ酒をついだ。

 月の浮かんだ盃を右手にもった。

「ハハハハ、趣向は結構。そうら相撲だ。酒の肴だ」

「う、うむ」

 男は腹を決めていっきに鬼へと組みついた。

 さすがは仁王と呼ばれる男なだけはあり、鬼と押し合いへし合い、ともに一歩もひかぬ大接戦をやった。

 鬼が男を振り回そうが、男は根の生えたようにぐっと堪えて、今度は男が鬼をひっくりかえそうとするも、鬼はよろけるくらいだった。

「アハハハ、趣向はよろしい。力もよろしい。これはよい戦いだよ」

 だが、体力だけは負けていたらしい。

 男はしだいに息も荒くへばってきた。

 だめか

 そう男が覚悟したまもなく、男の視界はぐるりと一周した。

「なさけないな。では旦那は酒の肴になっていただこう」

「あっ、ちょっと待て」

 男は鬼を制しながらそこいらを見回した。

 橋に木板には、いたるところにシミができており、酒のにおいもたちのぼっていた。

 これはもうたくさんこぼした証拠である。

「よくご覧になれ。お前は酒をこれでもかとこぼしている。これではお前の勝ちはみとめられないぞ」

 鬼はそこではじめて驚いた表情をし、男のようにあたり見回すと眉をまげた。

「いや、これは汗だろう」

「鬼ともあろうモノが嘘をつくとはどういうことだ。鼻をかいでみろ、酒のにおいがする」

「嘘はつかない。ああ、たしかにこれは酒だ」

 鬼はまったく弱りきってこう答えた。

「では約束どおり通らせてもらうぞ」

 男は命拾いしたとは決して口には漏らさなかった。

 だが橋をわたりきってからしばらくは嬉しくてたまらないといった様子だった。

 そんな男の背中をむなしくみおくった鬼は愚痴た。

「はて、私はこんなに盃をもつ手がわるかったかねえ」

 それからまた何日か経った。

 その日も橋に旅人がやってきて、鬼とむきあうことになった。

 鬼はいつもの文句をのべていざ相撲をやろうとしたが、そこで旅人がこう言ってきた。

「待ってください。私は見た目のとおりたいへん力不足でございます。ですから手加減をしてもらいたいのですが」

「手加減だと。できるかねえ」

「手頃な方法があります。それはまず酒を盃になみなみ注ぎます。それから酒のたっぷりはいった盃を手にもちます。あとはそのまま相撲をするだけです」

 はて、どこかで聞いた言葉だな

 鬼はそう思いながらもうなづいた。

「造作もないことだ」

「ただし酒は一滴たりとも地にしみこましちゃなりませんよ。これは絶対です」

「うむ、そうしよう」

 そして酒の注がれた盃をもったまま鬼はなよなよしい旅人と相撲をとった。

 旅人はあっけなく投げられたが、鬼は酒をぼとぼとこぼしてしまった。

「では私はこれで。約束どおりに通らせていただきます」

 鬼は納得がまるでできないまま、旅人のうしろすがたを睨んでいた。

 また数日すると、旅人がやってきた。

 鬼は今日こそはと立ちはだかり口上をたれた。

 すると旅人は何事もなさそうにこう言ってきた。

「待ってくれ。俺はこのように喧嘩に不向きなからだつきでな。手加減のひとつもしてくれんことには対等とはいかん」

 鬼は眉をひそめた。

「ならどうすればいい」

「簡単だ。酒を盃に注ぐ。その盃を手にもつ。あとはそれを一滴もこぼさぬように相撲するだけだ」

「貴様もかっ」

 鬼はまなじりを見開き、口の端を切れさせて吠えた。

 旅人は身をすくませたが、まだ言った。

「お前にはこんなことは造作もないと聞いている。もしやそれは嘘をついていたのか」

「嘘などつかん。ええいやろうぞっ」

 鬼と旅人はひと相撲とりあい、枯れ草のように旅人はたおされたが、鬼は憤慨していたこともあって盃をほとんど空にしていた。

 鬼はそのまま旅人へくらいつこうと腕をのばした。

「あっ、こらやめろ。お前は勝てば通すとはじめに申しただろう。嘘だったのか」

「嘘ではないっ、嘘ではないっ。くそ、さっさと失せろっ」
 
 旅人はおっかなびっくり走り去っていった。

 その後、さまざまな旅人がこの橋を通り、そのたびに鬼は相撲を挑んだ。

 しかし必ず手加減をしてくれといわれ、まず酒をこぼしてしまった鬼は人間にとんとありつけなくなった。

「ここでは肴はもう手にはいらない」

 そう言い残した鬼は、すっかり橋から消えてしまった。

 実は、仁王の男は橋を渡ったあと、みんなへ自分が生き残った術を伝えて回ったのだ。

 だからみながまったく同じことを鬼へいい、まったく同じ手加減のしかたをやらせたのだ。

 鬼がいずこへ行ったかは誰も分からない。

 だがある噂によると、盃をもったまま戦っても勝てるよう、山で修行をおこなったそうだ。

 おかげで酒のなみなみ注がれた盃をもったまま、走れるくらいになったというから恐ろしい。

 彼女が修行をするためにおもむいた山は、大江山であるというが、誰も分からない。





「あっ、わかった。その鬼っていうのは星熊勇儀だな」

 慧音はうなづいた。

 私はひどく感心していた。まさか勇儀が自分にかしているあのとりとめもないルールには、こんな事情があったとは知らなかった。

 こんど勇儀にあったときにからかいのタネにしてやろう。

 夕日からそそいでくる光線が、窓をぬけて教室をいっぱいに焼いていた。私と慧音、机や椅子からは影がぐんとのびて窓と反対側の壁にかかり、私たちより大きくうつった。

 私はそれを眺めているとぞっとした。

「とするとだ、勇儀は今までに何人も人間を殺してきたのか」

「妖怪はみんなそうだろう」

「や、でもなあ」

 勇儀はいつも豪快でいるし、慧音がしてくれた話のなかでもそうだった。

 あんな粋のいいやつが人を殺して歩いていたんだもの、納得ができない私に賛成してくれる人は、いくらかいるはずだ。

「魔理沙、今日はもう帰ったらどうだ」

 慧音は目をしかめることもなく夕日をみやりながらそういった。なぜ、と私が聞き返す前に次の言葉がやってきた。

「魔理沙も食べられる前に帰ったらどうだ」

 もちろん冗談のつもりだろう。

 私はそう受け取ろうとしたけれど、慧音の、夕日のなかでもハッキリと光ってみえる赤い瞳が震えをさそった。

 帰るべきなのかもしれない。

 私はおどおどした気持ちで立ちあがり、何度も慧音を見返しながら寺子屋のでいり口まで歩いていった。慧音は私から決して目を離そうとしなかった。

 私は最後にふっと思いついたので、たずねた。

「今日、慧音がしてくれた話って、出典はあるのか」

「あるには、ある」

「どうしてそんなに、いいかげんに答えるんだぜ」

 慧音は、慈しみのこもった母親のような笑みをうかべた。

「そりゃあもちろん、ぜんぶわたしの作り話だから」
こういう感じの話が作ってみたかったんです。
作中作といえば言いのでしょうか。
今野
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コメント



0.710簡易評価
11.100名前が無い程度の能力削除
あげよりゆかえーきのはなしくれんか
12.100名前が無い程度の能力削除
こういう説話風の好きだ
14.100名前が無い程度の能力削除
ちょっと待った、"作り"話ってことはまさか…。
15.100名前が無い程度の能力削除
こういうの私大好きです!
子供の頃には説話をよく幼稚園の先生から聞かされたりしたなぁ……
16.100名前が無い程度の能力削除
語り口がとてもよかった。
「あげくれんか」のリフレインが読んだ後も残りますw
18.100名前が無い程度の能力削除
先にpdfで配布されたものを読んでいたのですが、こういう形で補完されるとまた印象も違ってきますね。
面白いです。
21.100名前が無い程度の能力削除
本人に聞かれたら怒られそうな話ばかりだなあw
22.100名前が無い程度の能力削除
大好きです。