Coolier - 新生・東方創想話

かくて龍は幻想に居定めし

2020/11/04 21:52:02
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 青い海の上、同じく青いが、海とは確固たる境界線を引いている空の中で、それは駆ける。長大なる体は進む度蛇の様にうねり、鹿の様な角が生え、しかしその姿の印象は蛇の様な意地悪さを持たず、鹿の様な生き残る為の必死さも持ち合わせず、背を覆う八十一の鱗は清浄で、一点の濁りすら無い瞳はどこまでも神々しく澄む。

 数千米の重厚なる積乱雲に身を潜め、荒れ狂う風を纏い、鳴り響く雷を携え、並ぶ者無き速度で移動する者は、龍であった。
 
 時に陽の化身とされ、時に瑞兆とされ、時に恐るべき力を持つ神の使いともされ、時に莫大なる恵みを齎し、時に怒りのままに全てを蹂躙し、時に神として祀られ、時に悪の化身として調伏され、時にヴィシュヌと共に在り、時に天之御中主神の使いにして力の象徴とされ、時に大日如来の化身たる十一面観音とも結びつけられ、時には悠久の時を生き、宇宙を支え、大地の攪拌により生命を創り出したとさえ言われる、規格外の巨大さと強大さを持つ幻想。

 見定める様に鋭くなった眼光の先に在るは、約三十八万平方粁の面積を持つ、極東の島国。烈しき大嵐を率いて迫る様は、あたかも龍がこの島国を滅ぼさんとしている様にも見えるが、龍にその様な意思は無い。龍の目的は、その大いなる力を放つ事で、そこが居を構えるに相応しい地であるかを見定める為である。
 この間違いなく枕崎も伊勢湾をも凌駕し、観測史上最大級であろうこの大嵐ですら、龍の力の一端に過ぎないのだ。

 人々はこの大災害を恐れた。だがそこに龍に、神に、自然に対する畏怖は無かった。恐怖の対象は飽くまでホモ・ルーデンス的社会の一構造に向けられたものであり、自然に対する畏れや敬いなどは微塵も向けられる事は無かった。アニミズム的思想は完全に抜ける事は無けれども、この世界のこの時代においては殆ど鳴りを潜めてしまった様である。

 龍はこの様子を観察し、此処は己が居るべき場所では無いと悟り、身を翻して天に昇り去って行った。大嵐は今までの猛威が嘘の様に雲散霧消し、島国は龍の鋭き五本の爪より逃れた。




 境界を見る事の出来るマエリベリー・ハーン、愛称メリーは、宇佐見蓮子と共に台風からの避難の準備をしている時に、台風を見やれば、その中心に境界が見えた。それはかなりの距離を隔てて尚はっきりと知覚出来る程の存在感を放ち、そこから発せられる莫大な気配に、メリーは思わず足を止めた。
 蓮子がハーンの肩を掴んで引っ張り、早く避難しようとするも、メリーの意識はあまりに異質な台風へ固定されて動かない。境界が見えない蓮子が台風を見つめ動かないハーンを見て不信がるのは当然であろう。しかしやがてその台風の異質さは蓮子も知る所となった。

 目視でも動きが確認出来る程に暴威を振るわんと轟き蠢いていた台風が突如として消滅したのだ。蓮子は驚嘆したが、それが怪異だと言う事を即座に解し、ハーンが何故台風に意識を釘付けにしていたのかも納得した。

 最早避難の必要も無く、目の前に発現した、或いは消滅したと言った方が相応しいか、どちらにしても探し求める怪異が尻尾を出したのだ。それを追わずして、暴かずして、何が秘封倶楽部か。

 蓮子とメリーはこの巨大な怪異に近付く一歩目を踏み出した。例えその道が茨で覆われて居ようと、千里の距離が有ろうと、二人は怪異を目の当たりにするまで止まる事は無い。




 時も空間も、等しく龍の前では無意味である。天界にも冥界にも地獄にも魔界にも、又同様に過去も未来にでも、龍は何処へでも身体を移動させる事が出来るのだ。
 次に向かうは地獄、又その隣の畜生界であった。更にこの時代はもうどこに行っても神への信仰など失われてしまったのだと感じた龍は、過去へも移動した。赫々と燃え盛る業火は罪人を焼き、存在する住民は絶えず争い、そこで生き残った者がのし上がる、強さこそが偉さの世界である。
 実は龍自身も地獄の隣の畜生界との縁は無いでも無い。龍王は、畜生大衆の長であるのだ。

 そこでも龍は嵐を生み出した。忽ちの内に風が吹き、雷が鳴り、雨が降り、龍は自然そのものの威を翳した。
実力では敵わないと見るや、遜る者も居れば、龍を新たな敵と見て攻撃する者も居た。だがそこに共通して在ったのは、神に対する"畏れ"では無く、ただの暴力に対する"恐れ"でしか無かった。所詮は龍も"実力者"でしか無く、此処では"神"である事など望むべくも無かった。此処に居る者は、"力"のみによって押さえつけられた状態であり、それが龍である必要など何処にも無く、龍はその状態を望む事は無い。

 龍は己が住処とすべき場所は此処でも無いと悟り、地獄の底の底へ潜って行き、去って行った。

 龍が居ても居なくなっても、変わらず畜生達は無秩序に争っていた。





 吉弔八千慧はその眼で確かに見た。暴風が吹き荒び、雷霆が次々と落ちる天蓋を覆い尽くす暗雲の切れ目に覗く、白鱗に覆われた長大な身体と、その終点、闘争耐えぬ地獄、及び畜生界において不釣り合いな、穏やかな表情を浮かべてさえいる様に見えた貌の上部の角を。
 枝分かれした、鹿の様な角。見紛う筈も無い。あれは自分を始めとした吉弔と対となって生まれる、龍だ。

 その姿を見た時、彼女は心の中の古傷を深く抉られた様に感じた。八千慧の種族、吉弔は龍の副産物の様な扱いを受けている。そのコンプレックスは深く、龍に対して歪んだ感情を抱くのも自然である。

 龍はその感情を知ってか知らずか、畜生界を後にした。それは殆どの畜生にとっては邪魔者が居なくなった事実以上のものでは無かったが、龍と言う存在と密接な関係があり、畜生霊の中でも幾分か頭の回転の速い八千慧は、龍が何故この畜生界に大嵐を引き起こしておいて何もせずに去って行ったのかの疑問が湧き上がった。
 
 その疑問は、未だに解けない。




 
 龍が次に向かった先は、雲の上の天界であった。龍は天をも司る。雲はその最も顕著な例であった。

 龍の姿を見た天人は、皆恐れ慄き、風が吹く度に叫び、雷が落ちる度に腰を抜かし、雨が降れば逃げ惑った。僕と言う名の生贄として妖怪が捧げられ、一瞬にして天界はパニックを引き起こした。
 恐怖の視線を向けられた龍は、天人を怖がらせる意思など微塵も無く、龍は捧げられた妖怪を連れて、更に天上へと昇って行った。
 龍が去った後、天人は安堵の息をついた。



 非想非非想天の天人、比那名居天子は、この地に龍が来た時の話を竜宮の使い、永江衣玖から聞き、思いを巡らした。天界は退屈である。食物は桃しか無い。娯楽は確かに幾つか有る事には有るが、その何れもこの異端の天人の興味からは外れていた。そしてそれがほぼ無限に近い時間続く。最早それは天子にとっては地獄より非道い仕打ちなのではないかと思わずには居られなかった。

 そんな退屈極まりない天界に迫る、波乱を作り出す龍神。想像してみるだけでもふつふつと心の中から興奮が湧き上がって来るのを感じる。暴れ狂う龍、逃げ惑うは普段澄ました顔をしている天人、降りしきる雨の中、生贄を捧げるその様子は天子の脳裏に一大スペクタクルとして描かれ、またそこにもし自分が居たらと言う想像も巡らせた。
 仮に自分が居たとしたら、逃げる群衆に逆行して龍の元に向かうだろう。そして、祟りを下す天の龍に戦いを挑むだろう。脳裏に映し出された映像は、この上なく劇的で、ありきたりで、そして英雄のアーキタイプを飾りながらなぞる、もう世界中で何百何千何万と綴られた物語そのものであった。だがその妄想は娯楽に飢えた天子を興奮させるに充分だった。

 先ず戦いと言う次元に立てる存在では無い、と衣玖は言うが、そんなものは関係ない。強大極まる存在の象徴たる龍に立ち向かい、死闘を繰り広げ、打ち倒す。それはこの上ない劇的な英雄譚であり、世界中の龍退治伝説もそれを承知の上で綴られたのだろう、と思った。





 龍は更に過去へ移動し、空へ昇っていった。青い空は日の光によって照らされぬ黒に代わり、大気も無くなった。だが龍は更に昇って行く。

 やがて龍は月に到着した。そこで龍は竜宮を作り、竜宮の使いとなった妖怪達に身の回りを任せて暮らし始めた。竜宮には俗世の全てを引き換えにしてもまだ不足と思えるような宝が溢れ、華美そのものであったが、龍はそれでも満足する事は無かった。
 じきに月には兎と月人が現れた。月人は竜宮にも住んだ。龍はそれを拒む事は無かった。

 だが、月人と暮らしている内、龍は段々と窮屈になっていった。物理的にでは無く、月人との認識の齟齬の為である。
 龍はウロボロスの図に表される様に、流転し、循環を重んじていた。それは生命や輪廻転生においても同じであり、端的に言えば龍は自らの死をも完全に受け入れていた。しかし飽くまで寿命こそ正規の生命のアポトーシスであると考え、ネクロ―シス、つまり受動的な死を自らに与える事はしないが。だが月人は、その循環を極端に恐れていた。死と生の清濁を併せ呑み循環をも司っていた龍が一度死の側面を発揮すれば、月人はそれを穢れだと恐れ、近付かず、あまつさえ排斥さえしようとした。

 龍は去った。住処として作った竜宮は、最早竜の名を冠すに値せぬものとなった。龍は居らず、龍を象徴していた魂の流転は穢れとされて祓われ、山とあった宝は、宝物を象徴していた龍が居なくなった事により、ただの道具に成り下がった。

 月人は偉大なる生命の輪廻に見放され、今でも永久の時を過ごしている。




 龍は再び地球へ帰って来た。竜宮の使いは月面の竜宮に置いてきたが、龍に付いてきた。これにより、竜宮の使いは月と地球を行き来する事が出来るようになった。
 着いた地球には、恐竜が跋扈していた。龍は、己に近い生物が支配する様子を好まず、隠居に近い生活を送る事にした。

 龍は何も居ない山奥を選び、その中の洞窟を自らの終生の庵とした。龍は洞窟の奥深くで、深い、深い眠りに就いた。





 龍は起きた。何かがこの地に細工をしたことを感知したのだ。龍は怒った。眠りを阻害され、更にあまつさえ己の見つけた安息の地を勝手に改変しようとすらされたのだ。龍は激流の如く洞窟の外に出で、周囲の空をまるで終末の様に荒れさせた。

 嵐を携え、雲を纏い、雷を落としながら現れた龍を待ち受けていたのは、果たして莫大な畏れと信仰であった。雷の一筋の光を、全てを押し流す程の豪雨を、そしてその中央に鎮座する龍そのものに対しての畏れ。雨に濡れながらも此方を見、許しを請い、誓いを立てるその様子は、正しく龍が求めた信仰そのもの。郷を作らんとした神や妖怪が抱く自然に対する畏れは、龍が怒りを解くには充分であった。

 龍は此処に幻想の住まう園を創ることを快く承諾したが、一つだけ、条件を付け加えた。それは、永遠の平穏である。目の前の妖怪も同じ事を誓っているので、一見無意味にも見えたが、それは龍の意思が明確に平穏を望んでいる事を示した。勿論、永遠など有る筈も無い。全ては移り変わり行く為である。だが、龍にとってはそれで十分だった。この篤い信仰が続く限りは、この地は龍が探し求めた理想の地だった。龍は怒りを引いて姿を消した。途端に嵐は消え失せ、雨は引き、龍神の退いた後の空には、大きな虹が掛かっていた。



 かくして龍は信仰を得て神と成りて、更にその終生を過ごす地を見つける事が出来た。

 しかし安住の地こそ見つけた龍神であったが、その後、再びその強大にして清廉なる姿を神妖達の前に顕した事は、今に至るまで一度も無かった。だが、それでこそ龍神を含めた郷、幻想郷の総意なのだ。
 龍神が姿を顕すという事は、即ち幻想郷から龍神に対する信仰が失われたか、或いは幻想郷の安穏が乱されたか、いずれにしても龍神の、そして幻想郷に住まう者の望まぬ出来事が起きた事を示す為である。

 龍神は、姿こそ顕す事は無く、誰も、それでも確かに幻想郷の何処かにおわし、今も龍神を信仰する民を見守っているのである。





龍神が書きたい、でもオリキャラにはしたくない…となってこの様な小説になりました。

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コメント



0.50簡易評価
1.100南条削除
面白かったです
悠々と空を仰ぐ龍の姿がかっこよかったです
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです