「あんたさー、暇ならうちの境内の掃除、代わりにやっといてくんない?」
「そこで『手伝って』じゃない辺りが霊夢だな」
神社の社殿の一角、そこにぼけーっと座っているだけの彼女――霧雨魔理沙に、箒の柄を向けながら言う彼女、博麗霊夢は「当然でしょーが」と返した。
すかさず、魔理沙はポケットから硬貨を一枚取り出し、それを賽銭箱の中に投げ込む。
ちゃりーん、という音と共に、「お客様にそういうことさせるのは失礼よね♪」と霊夢は態度を豹変させた。
「……お前さ、疲れない?」
「別に?」
「いや、もういいわ」
「魔理沙。プライドで腹は膨れないのよ」
人間、生きていくのに先立つものは必要である。
それを体現する巫女のセリフは、何だかんだで強烈であったという。
「しっかし、この頃、あっついなー」
「あっついわねぇ」
みーんみんみんじーわじーわしゃわしゃわしゃわ。
神社の境内にいると、色んな虫の声が聞こえてくる。たまに『春かむばーっく!』とかいう声が聞こえるのは、多分、気のせいだろう。
「でさ。何しにきたわけ?
単に参拝しにきただけとか?」
「ここに参拝に来るくらいなら早苗か白蓮のところに行くな」
「うっさいな」
「だってさー、お前、博麗神社のご利益って何だよ?」
「え、えーっと……。
……家内安全?」
「首かしげながら言うなよ」
神仏のご加護色々あれど、博麗神社のご加護は間違いなく、『妖怪寄せ付けません。物理的に』だろうな、と魔理沙は思った。
ちなみに神社の主は、それ以外にも『五穀豊穣』だの『安全祈願』だの『病魔退散』なんかを挙げていたが、どれもこれも根拠は全くなかった。
「……で、何しに来たのよ。用事がないなら追い出すわよ。暑いんだし」
「暑いと追い出される神社とかひどいな、おい」
「じゃ、涼しくしてよ」
「チルノでも捕まえてこいよ」
「最近じゃ、チルノも『暑いから』って外に出てこないのよ」
ということは、捕獲を試みたことがあるということになる。
大体、そのたびに、目当ての氷精の側にいるお姉さん役の妖精に追い返されたりしているらしいのだが、霊夢は全く懲りていないのだ。
なお、そのお姉さん役の妖精が、どうやって霊夢を追い返しているのかは謎である。
「んで、あんたは何しに来たの」
「何だよ。用事がないと来ちゃダメなのか? 冷たいなぁ、友達なのに」
「あんたの場合は『悪友』だけどね」
「それだって友達と変わらないさ」
けっけっけ、と笑う彼女。
すかさず、霊夢は足下の小石を拾い、魔理沙に向かって投擲する。それを魔理沙は『はっ!』という短い呼気と共に鋭く体を回転させて回避すると同時、左手で石を受け止め、霊夢めがけて投げ返した。
「……腕を上げたわね」
「ふっふっふ。人間、修練がものを言うんだぜ?」
自分に向かって返ってきた石を箒で弾く霊夢は、不敵な笑みを浮かべる魔理沙を見据えて、なぜか構えを取った。
「というか、何かりかりしてんだよ。月一か?」
「違うわよ!
早苗が『遊びに行く』って言ってたのに、急な神事が入ったからってドタキャンされただけ!」
「あー、はいはい」
女は恋をすれば変わるというが、ある意味、霊夢は全く変わらないものである。
ともあれ、
「いやな、つい一昨日のことなんだが」
「うん」
「アリスが風邪を引いたらしい」
「へぇ、珍しい。あんたが風邪引いて、アリスに担がれてる姿はよく見るけどね」
「ほっとけぃ」
季節の変わり目になると体調を崩す魔法使いは、ほっぺた少し赤くして声を上げた。
「で、まぁ、いつもの借りがあるから見舞いに行ってやろうと思ったんだ」
「あんたにしては殊勝な心がけね」
「ところが、だ。
それをどっから聞きつけたのか知らんけど、あいつのおっかさんと家族が大挙して押しかけてきててさ。
入るに入れないんだ」
――と、魔理沙が語るところによると、以下のような事態らしい。
「アリスちゃん、アリスちゃん! 大丈夫!? 苦しくない!? ママがついてるからね! 大丈夫だからね!」
「お母様、少し落ち着いてください! アリス、もう大丈夫よ! お姉ちゃんが来たからね! 何も心配しなくていいからね!」
「いや夢子、あんたも落ち着け」
「……ルイズさん、この人たち何とかして」
「……悪い、アリス。あたしにゃ、『アリス病感染者』をどうにかすることは出来ない」
「……またとんでもないことになってそうね」
「ありゃ、看病される側がたまったもんじゃないぜ」
逆に言えば、それだけ、アリスは家族から愛されていると言うことになるのだが。
しかし、それにしたってあんまりだ、と魔理沙。
風邪を引いた時の特効薬は、栄養のあるご飯とたっぷりの水、そして睡眠なのだが、前者二つはともかくとして睡眠だけはどうにもならないだろうと、魔理沙は言う。
「枕元で延々、騒ぎたてられてりゃなぁ」
「あそこの家族は、ほんと、過保護よね」
「全くだ。霊夢のところなんて放任もいいところだよな」
だからこんな巫女になったんだ、と魔理沙は余計なことを言って、霊夢の奥義『夢想封印―箒―』を食らって博麗神社の空を舞った。
「気にしないで、お見舞いでも何でもいけばいいじゃない。
ケーキ……は、ちょっとあれだけど、クッキーとか持ってさ。んで、『元気になったじゃないか、ばーかばーか』ってやって帰ってくれば?」
あんたらの日常でしょ、と霊夢。
魔理沙はしばらくの間、地面の上に突っ伏したまま動かなかったが、ややしばらくしてから起き上がると、『それが出来たら苦労せんわ』と返した。
「部外者完全立ち入り禁止の隔離病棟になってんだぜ」
じゃあ、どうやってその有様を確認したんだ、という霊夢の問いに対して、「外にいたらルイズだったか、あいつの二番目の姐さんに教えてもらったんだよ」と魔理沙。
「何だ、行ってきたの」
「正攻法じゃどうにもならなそうだからな。それで困ってる」
「治った時に行けばいいんじゃないの?」
「いや、それが実は、ちょっと気になっててな。
ほら、魔法使いに限らず、妖怪って奴は人間より体が頑強だろう? そういうのが病気になるってことは、実はそこそこやばいんじゃないか、と思ってさ」
「あー。
永琳も『風邪と言うのは、風邪と言う病気があるわけではなく、風邪の症状を発する病状を総合して言う』とか言ってたわね」
「んで、まぁ、風邪と言われたはいいものの、ほんとに大丈夫なのかと思ってさ」
心配性ねぇ、と霊夢。
「元気そうなんでしょ?」
「トイレ以外でベッドから出させてもらえないらしいけどな」
それはそれで問題あるんじゃないだろうかと霊夢は思ったが、とりあえず、疑問は飲み込んでおく。
ふぅん、と一応、納得してから、
「まぁ、ドア越しとか色々あるだろうし」
「回りがうるさいと大変だね」
「そうよね」
「そういえば、お前は、昔は病気になったらどうしてたんだ?」
「寝てて、目が覚めたら枕元に薬が置いてあったり、最近でもないけど、紫が『普段からたるんだ生活をしているから病気になるんです。全くあなたはこれだから』って説教しながら看病してくれたりとか」
「……お前も、大概、愛されてるよな」
「ほっとけ!」
それは看病してくれている相手が子離れできていないのか、それとも霊夢が親離れできていないのかわからないが。
とりあえず魔理沙は、『こいつもアリスと同じじゃないか』と思ったと言う。
そういうわけで、『さてどうしたもんか』と困っている魔理沙である。
とりあえず、『お見舞い』と言うことで購入した、定番の果物セットは家の氷室の中に入れてある。二、三日は余裕でもつだろう。
問題は、どうやって相手に渡すかだ。
「何かいい手段はないか?」
「それで、どうしてうちに訪ねて来るの」
「いや、咲夜はアリスと仲がいいだろう」
今度、魔理沙がやってきたのは紅魔館である。
入り口の門番に、これこれこういう理由で咲夜に会いたいんだ、と伝えると、待ち時間なしであっさりと入場することが出来ている。
そうして、目当ての人物を見つけて開口一番、事情説明。
「親御さんが来ているのなら、悪いことは言わないから、外部の人間はあまり口を……というのもおかしいけれど、口を出さない方がいいわ。
治ってからにしなさい」
「う~ん……」
なぜかお姉さん口調の咲夜である。
紅魔館の一室、応接室にて、テーブルを挟んでソファに対面同士で座り込み、ちょっとした話し合い。
「気になるの?」
「気になるな。
いや、気にならないか? 妖怪が病気になるのって」
「あなた、うちにはお嬢様がいるのだけど」
「すまん。そうだな。悪かった。日常だな」
吸血鬼と言う、妖怪全体で見てもトップクラスに上級な生き物であるくせに風邪引いたり虫歯になったりぽんぽん痛いになったりと忙しい、館の主の世話をしているのが、この十六夜咲夜であった。
「単に、あなた、あそこのご家族があんまり騒ぎ立てるから、それが心配なだけなんじゃないの? 気疲れしてないか、って」
「まぁ、それもあるな。間違いなく」
「……その気持ちはわかるわ」
あそこの家族は、色んな意味で、末娘のことになると目の色変わるから、と咲夜。
「こっそり行ってきたら? あなた、そういうの得意でしょう」
「なるほど。正面からわざわざ突撃する理由はないな」
「迎撃には注意しなさいよ。
あそこのご家族は、一人でも大した相手でしょう」
「ぶっちゃけ、アリス絡みで目の色変えてる状態だと勝ち目ないな」
親は強い、と魔理沙。
それには全く同意なのか、咲夜は首を縦に振るだけである。
「だけど、いきなり行くと驚くかもしれないわね。また何しに来たの、って」
「言われそうだ」
「あなた、普段の自分を見直したら?」
「めんどいからやだ」
全くもう、と腰に手を当てるものの、特にそれ以上の追求はしない咲夜が、「どなたがいらしているの?」と魔理沙に尋ねる。
「あいつのおっかさんと、一番上の姉さん、それから二番目の姉さんだな」
「じゃあ、一番上のお姉さま……夢子さんだったかしら? 彼女に話を通しておいたらどう?」
「いや、無理だ。あいつもかなりやばい。相当取り乱してる」
「えっ、嘘」
「ほんと」
以前、逢った時はまともだったのに、と咲夜は小さな声でつぶやく。もちろん、魔理沙はそれを聞き逃さなかった。
驚きを隠せないでいる咲夜に、「アリスが絡むとやばいんだ」と本人の名誉のため(というか追撃)に、一応のフォローは入れておくことにする。
「じゃあ、その……二番目のお姉さまは?」
「ルイズだったか。あいつはまともだな。というか、あいつがいないと、アリスがキレて二人を追い出しそうな勢いだぞ」
「じゃあ、ルイズさんがいいわね。彼女に手紙を出すなりなんなりして、話を通しておきなさい。
そうしたら、きっとスムーズに進むわ」
「わかった。じゃ、そうしてみる」
「あら、素直ね」
「たまにゃ素直になるさ」
出されたケーキと紅茶を平らげると、魔理沙は、『それじゃ、邪魔したな』とドアを開けて去っていく。普段なら、がらっと窓を開けて、そこから飛び出していくのにだ。
「彼女も、普段から、あんな風に素直だったらかわいいんだけどね」
その後ろ姿を見送る咲夜は、微笑ましい光景を見つめる『お姉さん』な顔で、そんなことをつぶやいたのだった。
――さて。
「あ~……疲れた……」
「まぁ、あの二人はあたしが抑えておくから。しっかりお休み。大体治ったんだから、あとは寝てりゃ大丈夫よ」
「ありがとう、ルイズさん。
と言うか、ルイズさんが来てくれて、ほんっと、よかった……」
「悪く言わないでおいてあげなよ。
お母さんも夢子も、あんたのこと、ほんとに心配してるだけなんだからさ」
それじゃ、お休み、と。
静かな音と共にドアが閉められる。
しんと静まり返る室内。つい先ほどまで、母親と姉がどたんばたんと大騒動していた空間と同じ空間とは思えないほどだ。
その空間の持ち主――アリス・マーガトロイドは、はぁ、とため息一つ。
「ほんと、うちの家族は……」
『だけど、マスター。ご家族から愛されるのは素敵なことです』
「ありがとう、仏蘭西。あなたはフォローが上手ね」
実際、アリスの病気は軽いものであった。
ちょっと発熱、ちょっと咳。その程度のものだ。
にも拘わらず、本当に、一体どこから聞きつけてきたのか、やってきた家族の看病の手厚いこと手厚いこと。
永遠亭からもらってきた薬の効果が優れていたと言うのもあるだろうが、『最低三日間は安静にしていてください』という医者の言葉よりも早く、アリスの体調は快癒していたりする。
「困ったものだわ」
そう言いつつも、アリスの口許には笑みが浮かんでいる。
何だかんだで、家族に看病してもらえたのが嬉しいのだろう。
さて、と窓際のベッドに腰掛け、外を眺めることしばし。
――こんこん、と窓をノックする音がする。
「ようこそ」
「おお、悪いな」
夜空に浮かぶ黒い影。言うまでもなく、霧雨魔理沙。
彼女は手に、「ほれ、土産だ」とアリスに手渡す果物の入ったバスケットを提げている。
「いきなり、ルイズさんから手紙を手渡されて驚いたわ。
今夜、見舞いに行くから寝ずに待ってろだなんて」
「いやいや、一度、お前が風邪引いたって聞いた時に来たんだぜ?
けど、お前のおっかさんや姉さんが大騒ぎしてたからな。さすがに入れなかったんだ」
「へぇ、そうなの。
私はまた、てっきり、私が病気で動けないでいる間に、うちからめぼしいものをかっぱらっていくつもりで来たんだと思ってたんだけど」
「そいつもあるな」
アリスの冗談に笑顔を返して、よいせ、と部屋の中へ。
そして、彼女のベッドの脇で、人形たちが用意した椅子の上に腰掛ける。
「元気そうじゃないか」
「おかげさまで」
「熱もないみたいだしな」
「最初の一日だけよ」
アリスの体温は、少し低い。
だから魔理沙は、よくアリスに、『お前に抱きつくと、夏場の冷房いらないな』と冗談を言う。
今日もいつも通り、少しひんやりした彼女のおでこだった。
「お前も風邪なんて引くんだねぇ。
知ってるかい。夏の風邪は馬鹿しか引かないんだぜ」
「あら、魔理沙。その言葉の本当の意味、知ってる?
馬鹿は病気になったことにも気付かないから、治療が遅れて、結果的に風邪を引く、っていうこと」
「おお、知ってるさ。私は馬鹿じゃないから、この季節は風邪を引いたりしないもんね」
「どうだか」
相変わらずの悪態をついてから、魔理沙はバスケットの中から桃を取り出した。
それを、片手に持った果物ナイフでさっとむいて、皿の上に置く。ちなみに、皿は人形たちが持ってきていた。
「ほれ、うまいぞ」
「晩御飯、食べたばっかりでお腹一杯なんだけどね」
「まぁ、そう言うな。魔理沙さんの目利きは大したもんなんだぜ?」
「はいはい」
渡されるお皿。それについているフォークで、桃を一口。
「美味しい。こんなに美味しい桃、初めてだわ。
どこから盗んできたの?」
「馬鹿言うない。ちゃんと買ったんだよ。
ほら、一つ山を越えたところに小さな集落があるだろう? あそこの果樹園農家が、いい果物作ってるんだ」
「へぇ。あなたにそんな人脈があったのね」
「そっから買って来た。問屋を通さないから安上がりだ」
いいこと聞いたわ、とアリス。
「じゃ、今度、幽香のお店で使う果物、そこから仕入れてみるわね」
「おいおい、こんな時まで店の経営か? 優秀な経営者さまは違うねぇ」
「……あんたさ、一ヶ月、幽香に店の経理を任せていた時の帳簿、見てみたい?」
「やめとく。」
見なくても中身が想像できるとはまさにこのことである。
アリスの言葉と視線には、色んな意味で切実なものが混じっていた。
「おっかさんとかはどうだい」
「いつも通り。ほんと、大騒ぎだったわ。
私が小さい時からいっつもそう。そのたびに、ルイズさんとかサラさんにたしなめられるの」
「そういうのは一番上の姉さんがやってそうだと思ってたけど」
「夢子さんは、こういう時は、いっつもお母さんと一緒になって騒いでいたわ。
しまいには、『私がアリスの看病するからお母さんは出てって!』って大騒ぎ」
笑いながら言うアリスに、『大変だねぇ』と魔理沙。
彼女も笑いながら椅子の背もたれに寄りかかると、
「治るもんも治らないな」
「ほんとよね」
と、冗談を言って、やっぱり二人、笑いあう。
「ま、だけど、元気そうで何よりだ。心配したんだぜ? 『ああ、アリス。このまま治らなかったら、あなたは死んでしまうのねっ、よよよ……』なんて」
「はいはい。
だけど、この桃、本当に美味しいわね。ありがとう」
「だろ? どれ、私も一口食べたいな。あ~ん」
「子供じゃないんだから」
くすくす笑いつつも、アリスはフォークに桃を一切れ刺して、魔理沙の口の中に入れてやる。
もぐもぐ、口を動かして、『おっ、確かにうまい』と魔理沙。
「あなた、味見しなかったの?」
「したさ。その場でかじらせてもらったぜ。
そしたら、果樹園のおやじがさ、『いい食いっぷりだ! 気に入った! こんだけ持ってけ! わっはっは!』って」
「あとでお礼の手紙、書きなさいよ」
「めんどい。お前に任せる」
「ったく」
それに、アリスは少しだけ怒ったような表情を見せる。
しかし、魔理沙は『何ふくれっつらしてんだよ』とそれを笑い飛ばし、ぽんとアリスの肩を叩く。
「――さってと」
「帰るの?」
「ああ。
病人は、黙って寝てるのが一番だしな」
「そうね」
「そろそろ完全回復か? なら、よかったよかった」
窓からひょいと身を躍らせる。
後ろから、魔理沙、と声がかかる。
「ありがと」
「ほいさ」
肩越しに軽く笑みを見せてから、魔理沙は夜空へと向かって飛び上がる。
さて、家に帰るかね。そんなことを考えて。
――と、
「おーい」
足下から声がした。
少し行ってから急ブレーキ。振り返ると、彼女を追いかけてきたのか、一人の女の姿。
確か、名前はルイズといったか。
「もうお帰り? ちびっこ魔法使い」
「誰がちびっこだ。私はちびじゃないぞ」
「おー、よく言うよく言う。あたしの胸元までしか身長ないくせに」
「むーっ! はなひぇーっ!」
むぎゅっとルイズに抱きしめられて、その豊かな谷間で暴れる魔理沙。
ルイズはけらけら笑いながら魔理沙を放すと、「ありがとね」という。
「あんたから手紙が来た時は、ちょっと驚いた」
「私ゃ、アドバイスに従っただけだ」
「そうだろうね。あんたに、あんな気の利いたことは出来ない」
「うっさいな」
「アリス、喜んでたでしょ?」
「さあな」
あいつはいつも通りだった、と魔理沙は返した。
その『いつも通り』こそが大事なのよ、とルイズは仕返しする。
「お見舞い、ありがとう」
「別に、あんたのために見舞いに行ったわけじゃないんだけどね」
「また減らず口を利く」
「むぎーっ」
ほっぺたつねられ、じたばたする魔理沙。
ルイズは、魔理沙のほっぺたつねっていた手を離して、彼女の頭をぽんと叩く。
「あんたが来てくれて、アリスはきっと、嬉しかったと思うよ。
謙遜しない」
「へいへい、そうですか、っと」
「あんた、どう? うちの子になる? あたしがかわいがってあげるよ」
「冗談よしてくれ。
私は、のんびり気ままに霧雨さんをやっていくのさ」
「あはは、そうだそうだ。確かにそうだ。
んじゃ、あたしは勝手に、あんたをうちの家族で一番下の妹に認定しとくわ。
おい、妹。夏だからって、お腹出して寝てると風邪引くぞ」
「んなこと誰がするか! 大きなお世話だい!」
舌を出して、魔理沙はその場を後にする。
彼女の後ろ姿を、手を振って見送っていたルイズは小さく肩をすくめる。
「ありがとね、ちびっこ魔法使いさん」
ゆっくりとその場を振り返り、彼女が残した言葉は、夜風に解けて消えていった。
「あ~つ~い~……」
「霊夢。暑いからってだらけてるわね」
「うっさいわねー」
それから少しして。
すっかり風邪を治して元気一杯のアリスが博麗神社を訪れていた。
その神社の主は、あまりの暑さにグロッキーモード。居間の畳の上を、少しでも冷たいところを求めてごろごろ這い回ると言う状態である。
「はい、おみやげ」
「何よ。暑くて食欲もないんだけど」
「あ、そう? なら、この冷たいアイスクリーム、持って帰ろうかな~」
「……うぐぐ」
むくっと起き上がった霊夢は、アイスの誘惑には勝てず、アリスが差し出したおみやげを受け取ってしまう。
早速、蓋を開けて、中に入っていたバニラアイスを一口。
口の中に広がるアイスの甘さと冷たさに、溶けていた顔がほんのちょっとだけ、元の造形を取り戻す。
「あんたも風邪を引くことなんてあったのね」
「そりゃ、私も完璧じゃないもの。それくらいあるわ」
おかげで家は大変だったのよ、とアリス。
もう治ったから大丈夫と言い張っても、母親と姉が『まだ安静にしてなさい!』と居座ろうとして大変だったのだ、と彼女は笑いながら言う。
「幸い、ルイズさんが連れ帰ってくれたけどね。
ほんと、参っちゃうわよ」
「あんたの家族は幸せね」
「まぁね」
小さく、ひょいと肩をすくめると、彼女は踵を返す。
「じゃ、私は忙しいから」
「魔理沙んところ? 何ならアイスのお礼に、紫呼びつけてスキマワープさせてあげるけど」
「別にいいわよ」
「しっかし、今度はあいつが風邪引くなんてね」
霊夢の言葉どおり、アリスの家にお見舞いに行った翌日。
今度は、そのお見舞いに行った人物が熱を出してダウンしていたりする。
病名はもちろん、風邪である。
永遠亭の医者曰く、『アリスさんから移ったのね』とのこと。
「病人の触れた食器には触れないほうがいいわね」
「そりゃ当然でしょ」
「責任感じちゃうわ」
アリスはふわりと空に舞い上がる。
振り返り、霊夢に「アイスの食べすぎはお腹壊すからねー」と言って。
彼女は空の彼方に去っていく。
「ほんと、あいつら、仲いいわ」
それを見送る霊夢は、アリスの後ろ姿に、そんな評価を下す。
それが聞こえたのかなんなのか。
振り返るアリスはにこっと笑って、
「だから、今度は、私が看病してあげないとね!」
そう、にこやかな笑顔で言ったのだった。
「そこで『手伝って』じゃない辺りが霊夢だな」
神社の社殿の一角、そこにぼけーっと座っているだけの彼女――霧雨魔理沙に、箒の柄を向けながら言う彼女、博麗霊夢は「当然でしょーが」と返した。
すかさず、魔理沙はポケットから硬貨を一枚取り出し、それを賽銭箱の中に投げ込む。
ちゃりーん、という音と共に、「お客様にそういうことさせるのは失礼よね♪」と霊夢は態度を豹変させた。
「……お前さ、疲れない?」
「別に?」
「いや、もういいわ」
「魔理沙。プライドで腹は膨れないのよ」
人間、生きていくのに先立つものは必要である。
それを体現する巫女のセリフは、何だかんだで強烈であったという。
「しっかし、この頃、あっついなー」
「あっついわねぇ」
みーんみんみんじーわじーわしゃわしゃわしゃわ。
神社の境内にいると、色んな虫の声が聞こえてくる。たまに『春かむばーっく!』とかいう声が聞こえるのは、多分、気のせいだろう。
「でさ。何しにきたわけ?
単に参拝しにきただけとか?」
「ここに参拝に来るくらいなら早苗か白蓮のところに行くな」
「うっさいな」
「だってさー、お前、博麗神社のご利益って何だよ?」
「え、えーっと……。
……家内安全?」
「首かしげながら言うなよ」
神仏のご加護色々あれど、博麗神社のご加護は間違いなく、『妖怪寄せ付けません。物理的に』だろうな、と魔理沙は思った。
ちなみに神社の主は、それ以外にも『五穀豊穣』だの『安全祈願』だの『病魔退散』なんかを挙げていたが、どれもこれも根拠は全くなかった。
「……で、何しに来たのよ。用事がないなら追い出すわよ。暑いんだし」
「暑いと追い出される神社とかひどいな、おい」
「じゃ、涼しくしてよ」
「チルノでも捕まえてこいよ」
「最近じゃ、チルノも『暑いから』って外に出てこないのよ」
ということは、捕獲を試みたことがあるということになる。
大体、そのたびに、目当ての氷精の側にいるお姉さん役の妖精に追い返されたりしているらしいのだが、霊夢は全く懲りていないのだ。
なお、そのお姉さん役の妖精が、どうやって霊夢を追い返しているのかは謎である。
「んで、あんたは何しに来たの」
「何だよ。用事がないと来ちゃダメなのか? 冷たいなぁ、友達なのに」
「あんたの場合は『悪友』だけどね」
「それだって友達と変わらないさ」
けっけっけ、と笑う彼女。
すかさず、霊夢は足下の小石を拾い、魔理沙に向かって投擲する。それを魔理沙は『はっ!』という短い呼気と共に鋭く体を回転させて回避すると同時、左手で石を受け止め、霊夢めがけて投げ返した。
「……腕を上げたわね」
「ふっふっふ。人間、修練がものを言うんだぜ?」
自分に向かって返ってきた石を箒で弾く霊夢は、不敵な笑みを浮かべる魔理沙を見据えて、なぜか構えを取った。
「というか、何かりかりしてんだよ。月一か?」
「違うわよ!
早苗が『遊びに行く』って言ってたのに、急な神事が入ったからってドタキャンされただけ!」
「あー、はいはい」
女は恋をすれば変わるというが、ある意味、霊夢は全く変わらないものである。
ともあれ、
「いやな、つい一昨日のことなんだが」
「うん」
「アリスが風邪を引いたらしい」
「へぇ、珍しい。あんたが風邪引いて、アリスに担がれてる姿はよく見るけどね」
「ほっとけぃ」
季節の変わり目になると体調を崩す魔法使いは、ほっぺた少し赤くして声を上げた。
「で、まぁ、いつもの借りがあるから見舞いに行ってやろうと思ったんだ」
「あんたにしては殊勝な心がけね」
「ところが、だ。
それをどっから聞きつけたのか知らんけど、あいつのおっかさんと家族が大挙して押しかけてきててさ。
入るに入れないんだ」
――と、魔理沙が語るところによると、以下のような事態らしい。
「アリスちゃん、アリスちゃん! 大丈夫!? 苦しくない!? ママがついてるからね! 大丈夫だからね!」
「お母様、少し落ち着いてください! アリス、もう大丈夫よ! お姉ちゃんが来たからね! 何も心配しなくていいからね!」
「いや夢子、あんたも落ち着け」
「……ルイズさん、この人たち何とかして」
「……悪い、アリス。あたしにゃ、『アリス病感染者』をどうにかすることは出来ない」
「……またとんでもないことになってそうね」
「ありゃ、看病される側がたまったもんじゃないぜ」
逆に言えば、それだけ、アリスは家族から愛されていると言うことになるのだが。
しかし、それにしたってあんまりだ、と魔理沙。
風邪を引いた時の特効薬は、栄養のあるご飯とたっぷりの水、そして睡眠なのだが、前者二つはともかくとして睡眠だけはどうにもならないだろうと、魔理沙は言う。
「枕元で延々、騒ぎたてられてりゃなぁ」
「あそこの家族は、ほんと、過保護よね」
「全くだ。霊夢のところなんて放任もいいところだよな」
だからこんな巫女になったんだ、と魔理沙は余計なことを言って、霊夢の奥義『夢想封印―箒―』を食らって博麗神社の空を舞った。
「気にしないで、お見舞いでも何でもいけばいいじゃない。
ケーキ……は、ちょっとあれだけど、クッキーとか持ってさ。んで、『元気になったじゃないか、ばーかばーか』ってやって帰ってくれば?」
あんたらの日常でしょ、と霊夢。
魔理沙はしばらくの間、地面の上に突っ伏したまま動かなかったが、ややしばらくしてから起き上がると、『それが出来たら苦労せんわ』と返した。
「部外者完全立ち入り禁止の隔離病棟になってんだぜ」
じゃあ、どうやってその有様を確認したんだ、という霊夢の問いに対して、「外にいたらルイズだったか、あいつの二番目の姐さんに教えてもらったんだよ」と魔理沙。
「何だ、行ってきたの」
「正攻法じゃどうにもならなそうだからな。それで困ってる」
「治った時に行けばいいんじゃないの?」
「いや、それが実は、ちょっと気になっててな。
ほら、魔法使いに限らず、妖怪って奴は人間より体が頑強だろう? そういうのが病気になるってことは、実はそこそこやばいんじゃないか、と思ってさ」
「あー。
永琳も『風邪と言うのは、風邪と言う病気があるわけではなく、風邪の症状を発する病状を総合して言う』とか言ってたわね」
「んで、まぁ、風邪と言われたはいいものの、ほんとに大丈夫なのかと思ってさ」
心配性ねぇ、と霊夢。
「元気そうなんでしょ?」
「トイレ以外でベッドから出させてもらえないらしいけどな」
それはそれで問題あるんじゃないだろうかと霊夢は思ったが、とりあえず、疑問は飲み込んでおく。
ふぅん、と一応、納得してから、
「まぁ、ドア越しとか色々あるだろうし」
「回りがうるさいと大変だね」
「そうよね」
「そういえば、お前は、昔は病気になったらどうしてたんだ?」
「寝てて、目が覚めたら枕元に薬が置いてあったり、最近でもないけど、紫が『普段からたるんだ生活をしているから病気になるんです。全くあなたはこれだから』って説教しながら看病してくれたりとか」
「……お前も、大概、愛されてるよな」
「ほっとけ!」
それは看病してくれている相手が子離れできていないのか、それとも霊夢が親離れできていないのかわからないが。
とりあえず魔理沙は、『こいつもアリスと同じじゃないか』と思ったと言う。
そういうわけで、『さてどうしたもんか』と困っている魔理沙である。
とりあえず、『お見舞い』と言うことで購入した、定番の果物セットは家の氷室の中に入れてある。二、三日は余裕でもつだろう。
問題は、どうやって相手に渡すかだ。
「何かいい手段はないか?」
「それで、どうしてうちに訪ねて来るの」
「いや、咲夜はアリスと仲がいいだろう」
今度、魔理沙がやってきたのは紅魔館である。
入り口の門番に、これこれこういう理由で咲夜に会いたいんだ、と伝えると、待ち時間なしであっさりと入場することが出来ている。
そうして、目当ての人物を見つけて開口一番、事情説明。
「親御さんが来ているのなら、悪いことは言わないから、外部の人間はあまり口を……というのもおかしいけれど、口を出さない方がいいわ。
治ってからにしなさい」
「う~ん……」
なぜかお姉さん口調の咲夜である。
紅魔館の一室、応接室にて、テーブルを挟んでソファに対面同士で座り込み、ちょっとした話し合い。
「気になるの?」
「気になるな。
いや、気にならないか? 妖怪が病気になるのって」
「あなた、うちにはお嬢様がいるのだけど」
「すまん。そうだな。悪かった。日常だな」
吸血鬼と言う、妖怪全体で見てもトップクラスに上級な生き物であるくせに風邪引いたり虫歯になったりぽんぽん痛いになったりと忙しい、館の主の世話をしているのが、この十六夜咲夜であった。
「単に、あなた、あそこのご家族があんまり騒ぎ立てるから、それが心配なだけなんじゃないの? 気疲れしてないか、って」
「まぁ、それもあるな。間違いなく」
「……その気持ちはわかるわ」
あそこの家族は、色んな意味で、末娘のことになると目の色変わるから、と咲夜。
「こっそり行ってきたら? あなた、そういうの得意でしょう」
「なるほど。正面からわざわざ突撃する理由はないな」
「迎撃には注意しなさいよ。
あそこのご家族は、一人でも大した相手でしょう」
「ぶっちゃけ、アリス絡みで目の色変えてる状態だと勝ち目ないな」
親は強い、と魔理沙。
それには全く同意なのか、咲夜は首を縦に振るだけである。
「だけど、いきなり行くと驚くかもしれないわね。また何しに来たの、って」
「言われそうだ」
「あなた、普段の自分を見直したら?」
「めんどいからやだ」
全くもう、と腰に手を当てるものの、特にそれ以上の追求はしない咲夜が、「どなたがいらしているの?」と魔理沙に尋ねる。
「あいつのおっかさんと、一番上の姉さん、それから二番目の姉さんだな」
「じゃあ、一番上のお姉さま……夢子さんだったかしら? 彼女に話を通しておいたらどう?」
「いや、無理だ。あいつもかなりやばい。相当取り乱してる」
「えっ、嘘」
「ほんと」
以前、逢った時はまともだったのに、と咲夜は小さな声でつぶやく。もちろん、魔理沙はそれを聞き逃さなかった。
驚きを隠せないでいる咲夜に、「アリスが絡むとやばいんだ」と本人の名誉のため(というか追撃)に、一応のフォローは入れておくことにする。
「じゃあ、その……二番目のお姉さまは?」
「ルイズだったか。あいつはまともだな。というか、あいつがいないと、アリスがキレて二人を追い出しそうな勢いだぞ」
「じゃあ、ルイズさんがいいわね。彼女に手紙を出すなりなんなりして、話を通しておきなさい。
そうしたら、きっとスムーズに進むわ」
「わかった。じゃ、そうしてみる」
「あら、素直ね」
「たまにゃ素直になるさ」
出されたケーキと紅茶を平らげると、魔理沙は、『それじゃ、邪魔したな』とドアを開けて去っていく。普段なら、がらっと窓を開けて、そこから飛び出していくのにだ。
「彼女も、普段から、あんな風に素直だったらかわいいんだけどね」
その後ろ姿を見送る咲夜は、微笑ましい光景を見つめる『お姉さん』な顔で、そんなことをつぶやいたのだった。
――さて。
「あ~……疲れた……」
「まぁ、あの二人はあたしが抑えておくから。しっかりお休み。大体治ったんだから、あとは寝てりゃ大丈夫よ」
「ありがとう、ルイズさん。
と言うか、ルイズさんが来てくれて、ほんっと、よかった……」
「悪く言わないでおいてあげなよ。
お母さんも夢子も、あんたのこと、ほんとに心配してるだけなんだからさ」
それじゃ、お休み、と。
静かな音と共にドアが閉められる。
しんと静まり返る室内。つい先ほどまで、母親と姉がどたんばたんと大騒動していた空間と同じ空間とは思えないほどだ。
その空間の持ち主――アリス・マーガトロイドは、はぁ、とため息一つ。
「ほんと、うちの家族は……」
『だけど、マスター。ご家族から愛されるのは素敵なことです』
「ありがとう、仏蘭西。あなたはフォローが上手ね」
実際、アリスの病気は軽いものであった。
ちょっと発熱、ちょっと咳。その程度のものだ。
にも拘わらず、本当に、一体どこから聞きつけてきたのか、やってきた家族の看病の手厚いこと手厚いこと。
永遠亭からもらってきた薬の効果が優れていたと言うのもあるだろうが、『最低三日間は安静にしていてください』という医者の言葉よりも早く、アリスの体調は快癒していたりする。
「困ったものだわ」
そう言いつつも、アリスの口許には笑みが浮かんでいる。
何だかんだで、家族に看病してもらえたのが嬉しいのだろう。
さて、と窓際のベッドに腰掛け、外を眺めることしばし。
――こんこん、と窓をノックする音がする。
「ようこそ」
「おお、悪いな」
夜空に浮かぶ黒い影。言うまでもなく、霧雨魔理沙。
彼女は手に、「ほれ、土産だ」とアリスに手渡す果物の入ったバスケットを提げている。
「いきなり、ルイズさんから手紙を手渡されて驚いたわ。
今夜、見舞いに行くから寝ずに待ってろだなんて」
「いやいや、一度、お前が風邪引いたって聞いた時に来たんだぜ?
けど、お前のおっかさんや姉さんが大騒ぎしてたからな。さすがに入れなかったんだ」
「へぇ、そうなの。
私はまた、てっきり、私が病気で動けないでいる間に、うちからめぼしいものをかっぱらっていくつもりで来たんだと思ってたんだけど」
「そいつもあるな」
アリスの冗談に笑顔を返して、よいせ、と部屋の中へ。
そして、彼女のベッドの脇で、人形たちが用意した椅子の上に腰掛ける。
「元気そうじゃないか」
「おかげさまで」
「熱もないみたいだしな」
「最初の一日だけよ」
アリスの体温は、少し低い。
だから魔理沙は、よくアリスに、『お前に抱きつくと、夏場の冷房いらないな』と冗談を言う。
今日もいつも通り、少しひんやりした彼女のおでこだった。
「お前も風邪なんて引くんだねぇ。
知ってるかい。夏の風邪は馬鹿しか引かないんだぜ」
「あら、魔理沙。その言葉の本当の意味、知ってる?
馬鹿は病気になったことにも気付かないから、治療が遅れて、結果的に風邪を引く、っていうこと」
「おお、知ってるさ。私は馬鹿じゃないから、この季節は風邪を引いたりしないもんね」
「どうだか」
相変わらずの悪態をついてから、魔理沙はバスケットの中から桃を取り出した。
それを、片手に持った果物ナイフでさっとむいて、皿の上に置く。ちなみに、皿は人形たちが持ってきていた。
「ほれ、うまいぞ」
「晩御飯、食べたばっかりでお腹一杯なんだけどね」
「まぁ、そう言うな。魔理沙さんの目利きは大したもんなんだぜ?」
「はいはい」
渡されるお皿。それについているフォークで、桃を一口。
「美味しい。こんなに美味しい桃、初めてだわ。
どこから盗んできたの?」
「馬鹿言うない。ちゃんと買ったんだよ。
ほら、一つ山を越えたところに小さな集落があるだろう? あそこの果樹園農家が、いい果物作ってるんだ」
「へぇ。あなたにそんな人脈があったのね」
「そっから買って来た。問屋を通さないから安上がりだ」
いいこと聞いたわ、とアリス。
「じゃ、今度、幽香のお店で使う果物、そこから仕入れてみるわね」
「おいおい、こんな時まで店の経営か? 優秀な経営者さまは違うねぇ」
「……あんたさ、一ヶ月、幽香に店の経理を任せていた時の帳簿、見てみたい?」
「やめとく。」
見なくても中身が想像できるとはまさにこのことである。
アリスの言葉と視線には、色んな意味で切実なものが混じっていた。
「おっかさんとかはどうだい」
「いつも通り。ほんと、大騒ぎだったわ。
私が小さい時からいっつもそう。そのたびに、ルイズさんとかサラさんにたしなめられるの」
「そういうのは一番上の姉さんがやってそうだと思ってたけど」
「夢子さんは、こういう時は、いっつもお母さんと一緒になって騒いでいたわ。
しまいには、『私がアリスの看病するからお母さんは出てって!』って大騒ぎ」
笑いながら言うアリスに、『大変だねぇ』と魔理沙。
彼女も笑いながら椅子の背もたれに寄りかかると、
「治るもんも治らないな」
「ほんとよね」
と、冗談を言って、やっぱり二人、笑いあう。
「ま、だけど、元気そうで何よりだ。心配したんだぜ? 『ああ、アリス。このまま治らなかったら、あなたは死んでしまうのねっ、よよよ……』なんて」
「はいはい。
だけど、この桃、本当に美味しいわね。ありがとう」
「だろ? どれ、私も一口食べたいな。あ~ん」
「子供じゃないんだから」
くすくす笑いつつも、アリスはフォークに桃を一切れ刺して、魔理沙の口の中に入れてやる。
もぐもぐ、口を動かして、『おっ、確かにうまい』と魔理沙。
「あなた、味見しなかったの?」
「したさ。その場でかじらせてもらったぜ。
そしたら、果樹園のおやじがさ、『いい食いっぷりだ! 気に入った! こんだけ持ってけ! わっはっは!』って」
「あとでお礼の手紙、書きなさいよ」
「めんどい。お前に任せる」
「ったく」
それに、アリスは少しだけ怒ったような表情を見せる。
しかし、魔理沙は『何ふくれっつらしてんだよ』とそれを笑い飛ばし、ぽんとアリスの肩を叩く。
「――さってと」
「帰るの?」
「ああ。
病人は、黙って寝てるのが一番だしな」
「そうね」
「そろそろ完全回復か? なら、よかったよかった」
窓からひょいと身を躍らせる。
後ろから、魔理沙、と声がかかる。
「ありがと」
「ほいさ」
肩越しに軽く笑みを見せてから、魔理沙は夜空へと向かって飛び上がる。
さて、家に帰るかね。そんなことを考えて。
――と、
「おーい」
足下から声がした。
少し行ってから急ブレーキ。振り返ると、彼女を追いかけてきたのか、一人の女の姿。
確か、名前はルイズといったか。
「もうお帰り? ちびっこ魔法使い」
「誰がちびっこだ。私はちびじゃないぞ」
「おー、よく言うよく言う。あたしの胸元までしか身長ないくせに」
「むーっ! はなひぇーっ!」
むぎゅっとルイズに抱きしめられて、その豊かな谷間で暴れる魔理沙。
ルイズはけらけら笑いながら魔理沙を放すと、「ありがとね」という。
「あんたから手紙が来た時は、ちょっと驚いた」
「私ゃ、アドバイスに従っただけだ」
「そうだろうね。あんたに、あんな気の利いたことは出来ない」
「うっさいな」
「アリス、喜んでたでしょ?」
「さあな」
あいつはいつも通りだった、と魔理沙は返した。
その『いつも通り』こそが大事なのよ、とルイズは仕返しする。
「お見舞い、ありがとう」
「別に、あんたのために見舞いに行ったわけじゃないんだけどね」
「また減らず口を利く」
「むぎーっ」
ほっぺたつねられ、じたばたする魔理沙。
ルイズは、魔理沙のほっぺたつねっていた手を離して、彼女の頭をぽんと叩く。
「あんたが来てくれて、アリスはきっと、嬉しかったと思うよ。
謙遜しない」
「へいへい、そうですか、っと」
「あんた、どう? うちの子になる? あたしがかわいがってあげるよ」
「冗談よしてくれ。
私は、のんびり気ままに霧雨さんをやっていくのさ」
「あはは、そうだそうだ。確かにそうだ。
んじゃ、あたしは勝手に、あんたをうちの家族で一番下の妹に認定しとくわ。
おい、妹。夏だからって、お腹出して寝てると風邪引くぞ」
「んなこと誰がするか! 大きなお世話だい!」
舌を出して、魔理沙はその場を後にする。
彼女の後ろ姿を、手を振って見送っていたルイズは小さく肩をすくめる。
「ありがとね、ちびっこ魔法使いさん」
ゆっくりとその場を振り返り、彼女が残した言葉は、夜風に解けて消えていった。
「あ~つ~い~……」
「霊夢。暑いからってだらけてるわね」
「うっさいわねー」
それから少しして。
すっかり風邪を治して元気一杯のアリスが博麗神社を訪れていた。
その神社の主は、あまりの暑さにグロッキーモード。居間の畳の上を、少しでも冷たいところを求めてごろごろ這い回ると言う状態である。
「はい、おみやげ」
「何よ。暑くて食欲もないんだけど」
「あ、そう? なら、この冷たいアイスクリーム、持って帰ろうかな~」
「……うぐぐ」
むくっと起き上がった霊夢は、アイスの誘惑には勝てず、アリスが差し出したおみやげを受け取ってしまう。
早速、蓋を開けて、中に入っていたバニラアイスを一口。
口の中に広がるアイスの甘さと冷たさに、溶けていた顔がほんのちょっとだけ、元の造形を取り戻す。
「あんたも風邪を引くことなんてあったのね」
「そりゃ、私も完璧じゃないもの。それくらいあるわ」
おかげで家は大変だったのよ、とアリス。
もう治ったから大丈夫と言い張っても、母親と姉が『まだ安静にしてなさい!』と居座ろうとして大変だったのだ、と彼女は笑いながら言う。
「幸い、ルイズさんが連れ帰ってくれたけどね。
ほんと、参っちゃうわよ」
「あんたの家族は幸せね」
「まぁね」
小さく、ひょいと肩をすくめると、彼女は踵を返す。
「じゃ、私は忙しいから」
「魔理沙んところ? 何ならアイスのお礼に、紫呼びつけてスキマワープさせてあげるけど」
「別にいいわよ」
「しっかし、今度はあいつが風邪引くなんてね」
霊夢の言葉どおり、アリスの家にお見舞いに行った翌日。
今度は、そのお見舞いに行った人物が熱を出してダウンしていたりする。
病名はもちろん、風邪である。
永遠亭の医者曰く、『アリスさんから移ったのね』とのこと。
「病人の触れた食器には触れないほうがいいわね」
「そりゃ当然でしょ」
「責任感じちゃうわ」
アリスはふわりと空に舞い上がる。
振り返り、霊夢に「アイスの食べすぎはお腹壊すからねー」と言って。
彼女は空の彼方に去っていく。
「ほんと、あいつら、仲いいわ」
それを見送る霊夢は、アリスの後ろ姿に、そんな評価を下す。
それが聞こえたのかなんなのか。
振り返るアリスはにこっと笑って、
「だから、今度は、私が看病してあげないとね!」
そう、にこやかな笑顔で言ったのだった。
ところで早苗さんが風邪をひいていないようですが…(チラッ
私の中の魔理沙像は大体こんな感じです。
平和な幻想郷は読んでいてほっとします。