「なあ、半身。お前は世界を滅ぼしたいと思ったことはある?」
地獄の門の前で拍を踏む女は言う。
「なんだ、唐突に。何かをエリスにでも言われたか」
俺はたんたんと女と一緒に踏んでいた拍をやめる。
「んー、そうだね。言われたと言えばそうなのかもしれない。けど私はお前に聞いてみたかったから問うた」
ふむ。女はいつも意見はハッキリと言うが、何かを問うということはあまり俺にしてこなかったので少し驚く。
「俺は、世界を滅ぼしたいとは思わなかったぞ」
「そうか、お前は自分の世界を壊してから私に会ったんだったな。そうだったら壊したいとは思わないか……」
女は遠くの風景を見るかのような目線であった。
「俺は、あの世界を壊してから自由になれたし、むしろあの師匠には感謝してる……が。一度染み付いた人間の肉の感覚は消えないよ」
自分の手のひらをひらひらと眺める。
「当たり前よ? 私は人間を食べてきたけどあの食べる時の感覚は忘れられないもの。殺すのも変わらないよ」
ニコリと笑う女。お前はブレないな。そう思う。
***
俺はサリエル様に魔界の門の定期報告をしに行く。女は地獄の門の定期報告をコンガラ様にしに行っている。
諸々を終えてサリエル様のお部屋から出るとそこには悪魔のような笑みをしたエリスが待ち構えていた。
吸血鬼のような大きなコウモリの羽根。長い金の髪。頭の頭頂部に赤のリボン、前から見て左の前髪付近に赤の花飾りを付けている。目の色は深い紅である。
そして何より印象的なのは左目の下の紅い星のマーク。
エリスと言う女、いいや悪魔が俺の前に立っていた。
「なんだエリス。部屋の前で待ち構えて」
「いやあ? 女の方に最近聞いた事を話そうと思ったらお前だったから」
キキキ、と高い音で笑う。俺はそれを横目で見つつ歩き出す。
「やっぱり言ったのはエリスか。半身がいきなり世界を滅ぼすなんて言わないと思っていたんだ」
「いやあ、本当に面白いねえ。お前はどうなんだ、世界を滅ぼしたいのか」
笑いながら言うせいで少し不愉快だ。やけクソのように言う。
「俺は壊したいと思わん。そもそも自分の世界を滅ぼしているのにそんなこと思うかよ」
俺は歩き出してから答えた。
「自分の世界を滅ぼした? 何それ物凄く気になる」
後ろを着いてくるエリスは俺の周りをくるくると回って飛ぶ。鬱陶しい。
「悪魔のお前にとっては日常茶飯事のものだ。つまらんものだぞ」
「日常茶飯事だからこそ良いんじゃない。ほら教えなさいよ」
ニイッと笑いながらエリスはくるりと左側に立った。
「だからつまらんものだから教える必要もない」
「ほら、教えなさいよ?」
ねっとりと熱量を持った言い方をするかと思いきや左腕にエリスは絡まってきた。触れられるのが嫌なのですぐに振りほどいた。
「……教えてやるから、腕に絡むな」
ぞわりと身体中に鳥肌が立つ。こういう事をするからエリスは苦手なのだ。
「ああ、ごめんなさい。貴方にはお相手がいるものね」
くすくすと笑うエリスを俺は睨みつける。全くこいつは分かっているのに行動にするからタチが悪い。
「なぜお前はそんなに知りたがる……」
「やあね。貴方が元人間だとしても今、同僚の過去話が聞けるのが面白いのじゃない」
「……そうか」
これ以上は聞かぬことにする。ろくな目には合わないだろうから。
「ほらほら、楽しみにしてるのよ?」
エリスはニヤニヤと笑っている。
「分かったら近づくな……」
そさくさと俺は離れた。
~*~*~
そうだな。俺が生まれたのは何の変哲もない村だったよ。変哲もない村と言うと少し違うか。村全体が妖怪退治に躍起になる巫女や陰陽師の村だった。俺はその中の少しだけ地位の高い陰陽師の家系に生まれた。
幼少期から気がつけば修行、修行と言われ続けてそれをするがままの傀儡になっていた。幼子ながらにやればいいのだと思っていた。
言われるがままに青年になった時に俺に師匠が付けられた。この村一番の陰陽師と言われる人だった。両親は妖怪退治よりも高い地位に行くことの方が重要だったんだろう、だからこそ借金をするくらいまでのお金を積んで師匠を雇ったんだろう。
師匠は良い人だったよ。両親の地位より低い生まれなのに類まれなる才能で村一番まで上り詰めた人だった。
師匠の教えはとても良かった。傀儡のように俺を使う両親より素敵な人だった。近所の兄ような感覚だった。俺には兄はいなかったが。
あの日。澄み渡るような晴れた空の下で師匠は言ったのだ。
「■■■。お前は自分の親を殺せ。僕は村長を殺してくる」
逆光の影で師匠の顔は見えなかったのはよく覚えている。
「分かりました」
俺は師匠を信奉していた。後から考えて見ればそうなのだと理解できた。そもそも、俺は両親のことは既に赤の他人だと思っていた。どうでも良い人達。俺にとっては師匠の方が信頼に値する人だった。
その命令を俺はそのまま受け取って馬鹿正直に両親を殺しに行ったんだ。
家に入って、台所にいた母を手刀で胸を突き刺した。
悲鳴が、上がる。俺が息の根を止めようとすると聞きつけた父かやってきた。
「おい!何を……お前……!?」
言葉が出なかったようだ。俺は突き刺したままの手を振り払い、母を父へと投げ捨てた。
母を刺した時点で俺は何も感じなかった。ただの肉でしかないと、それしか思わなかったのだ。
息のある女は半狂乱となっていた。抱える男は怒鳴っていた。
──ああ、五月蝿いな。
そんなことを思いながら俺は手を振り下ろした。
***
村の広場に立っていた俺は民家の至るところから悲鳴の音楽を聞いていた。
淡々と村の人を殺していく師匠。その顔は笑顔であった。
子供を抱えて逃げる女。抗う男。それを情け容赦なく潰す師匠。
ここはまさに滅びを迎えようとしていた。
それを異世界の出来事のように俺は見続けた。
気がつけば日は傾いていた。あれほどの悲鳴は全て消えていた。あたりは赤、紅、あか。それをぼうっと眺めているだけだった。
あかにまみれた中から師匠は俺の元に歩いてきた。
「お疲れ■■■」
「……お疲れ様です」
「■■■、俺を殺せ。それでお前は自由になっていい」
「……あなたはどこまで知っていたんです。俺のこと」
「ふ、どこまでだろうな。お前には教えんさ」
師匠はそれだけを言うとどっしりと胡座をかいて首を差し出した。
「さようなら。師匠。またどこかでお会いしましょう」
手を振り下ろして得られたのは首の骨を折った感覚と、ドスンと転げ落ちる師匠の頭だけだった。
この村は滅びた。俺一人を除いて。
俺は服と携帯食料だけを村の外に持って行った。
歩き去る背中に熱を浴びる。明日にはこの村は滅びたと言われるだろう。
俺はもう死んだ。何者でもない。
少しだけ振り返った村は炎に包まれていた。
女と出会う前のただのくだらない俺の世界についての話だ……
~*~*~
「……とまあ、こんな話だ。つまらんだろう?」
はあ、とため息をついて話し終わる。
「何それ良いじゃない。貴方が人間だったら食べてた。美味しそうじゃない……」
エリスは嬉しそうと言っていいのかどうなのか俺には分からない表情をしていた。反応に困る。今は半身の女と一緒に妖怪もどきをしているが元は人間なのでその辺の感性は分からない。
「ふふ……だから貴方は何も壊さないのね……」
そう言いながらまた俺との距離を詰めてくる。
「おい、教えてやっただろう。近寄るな」
またくすくすと笑うエリス。
「私は腕を絡まないことを条件に教えてもらったのよ? 近寄るな、までは言ってないじゃない」
クソ、やられた。悪魔は契約だけは忠実なのだから!
じりじりと詰めてくる距離から少しずつ逃げていく。
「エリス? 何してるの!」
逃げるように少しずつ距離を開けていると、女がやってきた。……あれ、地獄にいたんじゃないのか。驚いて目を丸くしていると女は俺を見て答える。
「いつもよりコンガラ様と長く話していたの。お前はいつも私より帰って来るのが早いのにいなかったから迎えにきた。誰かと話しているとは思ったけれどエリスとだったんだ」
「お久しぶり。この人の過去話を聞いていたんですよ」
俺に向けていた笑顔と違うものを女に向けている。
「それ聞いてエリス、食べようとしたんでしょう? 半身を食べてもらったら困るわ」
よくもまあ、俺の過去話を聞いたという情報だけでそれがわかったのか。
「はいはい、貴女に言われれば食べませんよ。お邪魔ですね、それじゃね〜」
手をヒラヒラ振ってサリエル様のお部屋へと向かって行った。
「なんだったんだあいつは……」
過去の話をさせられたと思ったら食おうとされて。よくわからん。
「エリスのことは間に受けたら駄目よ。あの子って嘘つくの大好きだから」
「……本当にわからん。それと迎えに来てくれてありがとうな」
ポンポンと半身の頭を軽くたたく。そのまま離そうと思ったがさらさらの紅の髪を撫でているとそのまま触りたくなる。さらに撫でようとしたら半身に止められた。
「う、嬉しいけど、マガンが見てるからやめて……」
半身は後ろの方を指を差している。そちらの方向を見るとユウゲンマガンの大きな目が一つ、こちらを凝視していた。
ユウゲンマガンは大きな目が五つ持っている。その目は例えが悪いかもしれないが大きな眼球が飛んでいるようでその周りに目を覆うかのように規則正しい模様みたいなのがある。目を統括する本体があるらしいが俺は見たことがない。見たことがある半身曰く、とても可愛かったとのこと。
「どうしたユウゲンマガン? 何か用か?」
目だけが浮いているので話せない。マガンはぷいとそっぽ向くようにしてどこかに行ってしまった。
「マガン、人前で頭を撫でたりするな、だってさ」
半身の女には分かるらしく、そう言われてしまった。
「……俺がしたいからしてるのだが。それは駄目か」
「嬉しいけど恥ずかしいのよ。それと、ここの妖怪が言うなら少しは耐えてほしいな」
「まあ、やってみる」
そんなことを話しながら俺達は門へと戻って行った。
***
門に戻ると地獄の門に魅魔がもたれかかっていた。魔界の門を閉めると魅魔は女の前に来た。
「コンガラからの連絡だ。報告に矛盾があったからもう一度来い、と言っていたよ」
「ええ。また行かなきゃならないの……」
ガックリと項垂れる半身。
「魅魔、俺もついて行っていいか?」
「別にいいんじゃないか。私は伝えに行けと言われただけだからな。はー、現世に行ってくるか」
気だるそうに答える魅魔。
「弟子に会いに行くのか」
「あいつは弟子じゃなくてもう一人前の魔法使いだから覗きに行くだけよ。博麗の方も弄ってきてやるか」
ふわりと浮いた魅魔はそう言うとここから消えた。現世の方に移動したんだろう。
隣ではうんうんと頭を悩ませている女。
「半身、とりあえず行こう。終わらせればそれでいい」
話を聞かない女の手を引いて地獄の門を開けた。
***
さっさとコンガラ様の部屋へと向かう。
「失礼します」「しつれいします……」
女の声が弱々しい。ミスが余程ショックだったのか。
「やっと来たか。これを聞きたいのだが、門の出入りは誰もしていないな?」
コンガラ様は直球に話してくれるのでありがたい。
「それは現世からの事ですよね。それならば魅魔が二回ほど出入りしていますが」
「そうかありがとう。それなら良かった。次から気をつけてくれればいい。すまないなもう一度来てもらって」
「いえいえ俺は着いてきただけですので」
「コンガラ様すみません……」
「次気をつければよい。落ち込むなよ」
失礼します、と言って俺達はコンガラ様の部屋から出た。
部屋を出てからすぐに俺は女を抱えた。
「え、ちょっ、何!?」
「門まで早く帰るぞ。落ちるなよ」
いわゆるお姫様抱っこ、と言われている抱き方が嫌だったのか少し暴れる女。
「ちょっと、自分で飛ぶから! 降ろして!」
「なに、すぐに着く」
俺はその抗議は無視して自分の飛べる速さの限界で飛んで行った。
「降ろしてって言ったじゃない!」
二つの門がある所に着いて降ろした所、久々に半身に腹を殴られた。痛い。烏帽子が飛んでいった。
「ゴホッ、ガハッ……これで元気出たか……いっつ」
「あっ、ごめん。殴っちゃった」
出会った頃は殴られまくったのでまだ優しい方だ……しかし、強いな……いてて……
「大丈夫さ……」
「あー、えーっと」
わたわたとしていると思ったら半身はいきなり正座をした。
「寝転ぶ?」
申し訳なさそうな顔と動転したような顔が混ざっている。いきなり膝枕とはこちらも驚く。しかし断る理由もないので、ころんと寝転んだ。半身の顔と流れるような紅い髪が俺の顔に触れる。くしゃり、と半身は俺の髪を触っている。
「なんか膝枕って久しぶりな気がする。ふふ、やっぱり髪の毛硬いね」
わしゃわしゃと髪はかき回される。
「硬いと言われても俺はこの髪だからな……」
「なんか可愛い」
可愛い!? 前から少しは言われていたけれど! なんか違う!
「俺は可愛くはないぞ」
「えー。可愛いのに」
納得はいかないが半身がそう思うならいいんだろう。半ば諦めた。
俺は半身の顔を見ながら思いふける。
女に言われたことを。世界を滅ぼしたいのかを。
そもそも俺は滅ぼしたいと思ったことはない。
村を壊し、女と出会い。一緒に過ごして、一緒に死んだ。死してなお、女と俺はシンギョクとなり、役目はあるものの一緒に過ごしている。俺はそれだけでいいのだ。
世界を滅ぼしたいとは思わぬ。俺が世界を壊すなら、きっと。
もし、世界が破滅を迎えるとして。何者も抗えぬ破滅だとして。
俺の世界はもう、お前だけなのだ。それを口には出さないけれど。
滅びていく世界を見ながら、俺の世界となったお前と迎えたいのだ。
俺はもうそれだけで良いのだ……
地獄の門の前で拍を踏む女は言う。
「なんだ、唐突に。何かをエリスにでも言われたか」
俺はたんたんと女と一緒に踏んでいた拍をやめる。
「んー、そうだね。言われたと言えばそうなのかもしれない。けど私はお前に聞いてみたかったから問うた」
ふむ。女はいつも意見はハッキリと言うが、何かを問うということはあまり俺にしてこなかったので少し驚く。
「俺は、世界を滅ぼしたいとは思わなかったぞ」
「そうか、お前は自分の世界を壊してから私に会ったんだったな。そうだったら壊したいとは思わないか……」
女は遠くの風景を見るかのような目線であった。
「俺は、あの世界を壊してから自由になれたし、むしろあの師匠には感謝してる……が。一度染み付いた人間の肉の感覚は消えないよ」
自分の手のひらをひらひらと眺める。
「当たり前よ? 私は人間を食べてきたけどあの食べる時の感覚は忘れられないもの。殺すのも変わらないよ」
ニコリと笑う女。お前はブレないな。そう思う。
***
俺はサリエル様に魔界の門の定期報告をしに行く。女は地獄の門の定期報告をコンガラ様にしに行っている。
諸々を終えてサリエル様のお部屋から出るとそこには悪魔のような笑みをしたエリスが待ち構えていた。
吸血鬼のような大きなコウモリの羽根。長い金の髪。頭の頭頂部に赤のリボン、前から見て左の前髪付近に赤の花飾りを付けている。目の色は深い紅である。
そして何より印象的なのは左目の下の紅い星のマーク。
エリスと言う女、いいや悪魔が俺の前に立っていた。
「なんだエリス。部屋の前で待ち構えて」
「いやあ? 女の方に最近聞いた事を話そうと思ったらお前だったから」
キキキ、と高い音で笑う。俺はそれを横目で見つつ歩き出す。
「やっぱり言ったのはエリスか。半身がいきなり世界を滅ぼすなんて言わないと思っていたんだ」
「いやあ、本当に面白いねえ。お前はどうなんだ、世界を滅ぼしたいのか」
笑いながら言うせいで少し不愉快だ。やけクソのように言う。
「俺は壊したいと思わん。そもそも自分の世界を滅ぼしているのにそんなこと思うかよ」
俺は歩き出してから答えた。
「自分の世界を滅ぼした? 何それ物凄く気になる」
後ろを着いてくるエリスは俺の周りをくるくると回って飛ぶ。鬱陶しい。
「悪魔のお前にとっては日常茶飯事のものだ。つまらんものだぞ」
「日常茶飯事だからこそ良いんじゃない。ほら教えなさいよ」
ニイッと笑いながらエリスはくるりと左側に立った。
「だからつまらんものだから教える必要もない」
「ほら、教えなさいよ?」
ねっとりと熱量を持った言い方をするかと思いきや左腕にエリスは絡まってきた。触れられるのが嫌なのですぐに振りほどいた。
「……教えてやるから、腕に絡むな」
ぞわりと身体中に鳥肌が立つ。こういう事をするからエリスは苦手なのだ。
「ああ、ごめんなさい。貴方にはお相手がいるものね」
くすくすと笑うエリスを俺は睨みつける。全くこいつは分かっているのに行動にするからタチが悪い。
「なぜお前はそんなに知りたがる……」
「やあね。貴方が元人間だとしても今、同僚の過去話が聞けるのが面白いのじゃない」
「……そうか」
これ以上は聞かぬことにする。ろくな目には合わないだろうから。
「ほらほら、楽しみにしてるのよ?」
エリスはニヤニヤと笑っている。
「分かったら近づくな……」
そさくさと俺は離れた。
~*~*~
そうだな。俺が生まれたのは何の変哲もない村だったよ。変哲もない村と言うと少し違うか。村全体が妖怪退治に躍起になる巫女や陰陽師の村だった。俺はその中の少しだけ地位の高い陰陽師の家系に生まれた。
幼少期から気がつけば修行、修行と言われ続けてそれをするがままの傀儡になっていた。幼子ながらにやればいいのだと思っていた。
言われるがままに青年になった時に俺に師匠が付けられた。この村一番の陰陽師と言われる人だった。両親は妖怪退治よりも高い地位に行くことの方が重要だったんだろう、だからこそ借金をするくらいまでのお金を積んで師匠を雇ったんだろう。
師匠は良い人だったよ。両親の地位より低い生まれなのに類まれなる才能で村一番まで上り詰めた人だった。
師匠の教えはとても良かった。傀儡のように俺を使う両親より素敵な人だった。近所の兄ような感覚だった。俺には兄はいなかったが。
あの日。澄み渡るような晴れた空の下で師匠は言ったのだ。
「■■■。お前は自分の親を殺せ。僕は村長を殺してくる」
逆光の影で師匠の顔は見えなかったのはよく覚えている。
「分かりました」
俺は師匠を信奉していた。後から考えて見ればそうなのだと理解できた。そもそも、俺は両親のことは既に赤の他人だと思っていた。どうでも良い人達。俺にとっては師匠の方が信頼に値する人だった。
その命令を俺はそのまま受け取って馬鹿正直に両親を殺しに行ったんだ。
家に入って、台所にいた母を手刀で胸を突き刺した。
悲鳴が、上がる。俺が息の根を止めようとすると聞きつけた父かやってきた。
「おい!何を……お前……!?」
言葉が出なかったようだ。俺は突き刺したままの手を振り払い、母を父へと投げ捨てた。
母を刺した時点で俺は何も感じなかった。ただの肉でしかないと、それしか思わなかったのだ。
息のある女は半狂乱となっていた。抱える男は怒鳴っていた。
──ああ、五月蝿いな。
そんなことを思いながら俺は手を振り下ろした。
***
村の広場に立っていた俺は民家の至るところから悲鳴の音楽を聞いていた。
淡々と村の人を殺していく師匠。その顔は笑顔であった。
子供を抱えて逃げる女。抗う男。それを情け容赦なく潰す師匠。
ここはまさに滅びを迎えようとしていた。
それを異世界の出来事のように俺は見続けた。
気がつけば日は傾いていた。あれほどの悲鳴は全て消えていた。あたりは赤、紅、あか。それをぼうっと眺めているだけだった。
あかにまみれた中から師匠は俺の元に歩いてきた。
「お疲れ■■■」
「……お疲れ様です」
「■■■、俺を殺せ。それでお前は自由になっていい」
「……あなたはどこまで知っていたんです。俺のこと」
「ふ、どこまでだろうな。お前には教えんさ」
師匠はそれだけを言うとどっしりと胡座をかいて首を差し出した。
「さようなら。師匠。またどこかでお会いしましょう」
手を振り下ろして得られたのは首の骨を折った感覚と、ドスンと転げ落ちる師匠の頭だけだった。
この村は滅びた。俺一人を除いて。
俺は服と携帯食料だけを村の外に持って行った。
歩き去る背中に熱を浴びる。明日にはこの村は滅びたと言われるだろう。
俺はもう死んだ。何者でもない。
少しだけ振り返った村は炎に包まれていた。
女と出会う前のただのくだらない俺の世界についての話だ……
~*~*~
「……とまあ、こんな話だ。つまらんだろう?」
はあ、とため息をついて話し終わる。
「何それ良いじゃない。貴方が人間だったら食べてた。美味しそうじゃない……」
エリスは嬉しそうと言っていいのかどうなのか俺には分からない表情をしていた。反応に困る。今は半身の女と一緒に妖怪もどきをしているが元は人間なのでその辺の感性は分からない。
「ふふ……だから貴方は何も壊さないのね……」
そう言いながらまた俺との距離を詰めてくる。
「おい、教えてやっただろう。近寄るな」
またくすくすと笑うエリス。
「私は腕を絡まないことを条件に教えてもらったのよ? 近寄るな、までは言ってないじゃない」
クソ、やられた。悪魔は契約だけは忠実なのだから!
じりじりと詰めてくる距離から少しずつ逃げていく。
「エリス? 何してるの!」
逃げるように少しずつ距離を開けていると、女がやってきた。……あれ、地獄にいたんじゃないのか。驚いて目を丸くしていると女は俺を見て答える。
「いつもよりコンガラ様と長く話していたの。お前はいつも私より帰って来るのが早いのにいなかったから迎えにきた。誰かと話しているとは思ったけれどエリスとだったんだ」
「お久しぶり。この人の過去話を聞いていたんですよ」
俺に向けていた笑顔と違うものを女に向けている。
「それ聞いてエリス、食べようとしたんでしょう? 半身を食べてもらったら困るわ」
よくもまあ、俺の過去話を聞いたという情報だけでそれがわかったのか。
「はいはい、貴女に言われれば食べませんよ。お邪魔ですね、それじゃね〜」
手をヒラヒラ振ってサリエル様のお部屋へと向かって行った。
「なんだったんだあいつは……」
過去の話をさせられたと思ったら食おうとされて。よくわからん。
「エリスのことは間に受けたら駄目よ。あの子って嘘つくの大好きだから」
「……本当にわからん。それと迎えに来てくれてありがとうな」
ポンポンと半身の頭を軽くたたく。そのまま離そうと思ったがさらさらの紅の髪を撫でているとそのまま触りたくなる。さらに撫でようとしたら半身に止められた。
「う、嬉しいけど、マガンが見てるからやめて……」
半身は後ろの方を指を差している。そちらの方向を見るとユウゲンマガンの大きな目が一つ、こちらを凝視していた。
ユウゲンマガンは大きな目が五つ持っている。その目は例えが悪いかもしれないが大きな眼球が飛んでいるようでその周りに目を覆うかのように規則正しい模様みたいなのがある。目を統括する本体があるらしいが俺は見たことがない。見たことがある半身曰く、とても可愛かったとのこと。
「どうしたユウゲンマガン? 何か用か?」
目だけが浮いているので話せない。マガンはぷいとそっぽ向くようにしてどこかに行ってしまった。
「マガン、人前で頭を撫でたりするな、だってさ」
半身の女には分かるらしく、そう言われてしまった。
「……俺がしたいからしてるのだが。それは駄目か」
「嬉しいけど恥ずかしいのよ。それと、ここの妖怪が言うなら少しは耐えてほしいな」
「まあ、やってみる」
そんなことを話しながら俺達は門へと戻って行った。
***
門に戻ると地獄の門に魅魔がもたれかかっていた。魔界の門を閉めると魅魔は女の前に来た。
「コンガラからの連絡だ。報告に矛盾があったからもう一度来い、と言っていたよ」
「ええ。また行かなきゃならないの……」
ガックリと項垂れる半身。
「魅魔、俺もついて行っていいか?」
「別にいいんじゃないか。私は伝えに行けと言われただけだからな。はー、現世に行ってくるか」
気だるそうに答える魅魔。
「弟子に会いに行くのか」
「あいつは弟子じゃなくてもう一人前の魔法使いだから覗きに行くだけよ。博麗の方も弄ってきてやるか」
ふわりと浮いた魅魔はそう言うとここから消えた。現世の方に移動したんだろう。
隣ではうんうんと頭を悩ませている女。
「半身、とりあえず行こう。終わらせればそれでいい」
話を聞かない女の手を引いて地獄の門を開けた。
***
さっさとコンガラ様の部屋へと向かう。
「失礼します」「しつれいします……」
女の声が弱々しい。ミスが余程ショックだったのか。
「やっと来たか。これを聞きたいのだが、門の出入りは誰もしていないな?」
コンガラ様は直球に話してくれるのでありがたい。
「それは現世からの事ですよね。それならば魅魔が二回ほど出入りしていますが」
「そうかありがとう。それなら良かった。次から気をつけてくれればいい。すまないなもう一度来てもらって」
「いえいえ俺は着いてきただけですので」
「コンガラ様すみません……」
「次気をつければよい。落ち込むなよ」
失礼します、と言って俺達はコンガラ様の部屋から出た。
部屋を出てからすぐに俺は女を抱えた。
「え、ちょっ、何!?」
「門まで早く帰るぞ。落ちるなよ」
いわゆるお姫様抱っこ、と言われている抱き方が嫌だったのか少し暴れる女。
「ちょっと、自分で飛ぶから! 降ろして!」
「なに、すぐに着く」
俺はその抗議は無視して自分の飛べる速さの限界で飛んで行った。
「降ろしてって言ったじゃない!」
二つの門がある所に着いて降ろした所、久々に半身に腹を殴られた。痛い。烏帽子が飛んでいった。
「ゴホッ、ガハッ……これで元気出たか……いっつ」
「あっ、ごめん。殴っちゃった」
出会った頃は殴られまくったのでまだ優しい方だ……しかし、強いな……いてて……
「大丈夫さ……」
「あー、えーっと」
わたわたとしていると思ったら半身はいきなり正座をした。
「寝転ぶ?」
申し訳なさそうな顔と動転したような顔が混ざっている。いきなり膝枕とはこちらも驚く。しかし断る理由もないので、ころんと寝転んだ。半身の顔と流れるような紅い髪が俺の顔に触れる。くしゃり、と半身は俺の髪を触っている。
「なんか膝枕って久しぶりな気がする。ふふ、やっぱり髪の毛硬いね」
わしゃわしゃと髪はかき回される。
「硬いと言われても俺はこの髪だからな……」
「なんか可愛い」
可愛い!? 前から少しは言われていたけれど! なんか違う!
「俺は可愛くはないぞ」
「えー。可愛いのに」
納得はいかないが半身がそう思うならいいんだろう。半ば諦めた。
俺は半身の顔を見ながら思いふける。
女に言われたことを。世界を滅ぼしたいのかを。
そもそも俺は滅ぼしたいと思ったことはない。
村を壊し、女と出会い。一緒に過ごして、一緒に死んだ。死してなお、女と俺はシンギョクとなり、役目はあるものの一緒に過ごしている。俺はそれだけでいいのだ。
世界を滅ぼしたいとは思わぬ。俺が世界を壊すなら、きっと。
もし、世界が破滅を迎えるとして。何者も抗えぬ破滅だとして。
俺の世界はもう、お前だけなのだ。それを口には出さないけれど。
滅びていく世界を見ながら、俺の世界となったお前と迎えたいのだ。
俺はもうそれだけで良いのだ……
普通のカップリングにはない背徳感があって。
良かったです