桃の節句を迎え、ちらほらと春の香りが漂いだす季節。日の光に温かみを覚え、空から降る白い欠片が透明な雫へと変化する。薄い色彩の花が咲き始め、生き物達の目覚めが穏やかに始まる。
そんな穏やかな雰囲気の中、一人の神が空を見上げる。
「・・・」
その唇が紡いだ言葉は、果たしてなんであったのだろうか。
雛祭り、別名桃の節句。
和暦3月の節句に行われる祭事であり、女の子の日としても有名である。
川には多くの流し雛が流れ、家の中では雛人形が飾られる。少女達は自分の家の雛人形を自慢し、また他の家の雛人形を羨む。
「そもそも雛人形というのは、平安時代の遊びごとである雛遊びと流し雛が混ざったものという考え方が主流である。穢れをはらう節句の儀式としての人形に貴族としての見栄みたいなものが入り込み華美になったのだと考えられる。そもそも人形というのはヒトガタが元であり、その人の身代わりとなるものであったのだからその人形を華美にすることで自分達の繁栄を投影していたのかもしれない。まぁ身代わりとしての人形を華美にして、さらにそれを嫁入り道具として大切に使い続けるのには違和感が伴うけどね。そこらへんは人間特有の・・・」
「はいはいわかりました。で、雛人形はあるんですか?」
店主の冗長な言葉を遮り、咲夜は目を細めた。
「ふむ、雛人形か。生憎置いて無いね。そういうのは人里の方に言ったほうがいいと思うが?」
「人里にあるのは和人形ばかりでしょう?私が欲しいのは西洋人形で作られたのが欲しいのよ」
「それは既に雛人形とは言わない気がするが・・・」
「それはお嬢様に言ってくださいな」
「まぁ、それなら人形遣いに頼んでみたらどうだい?彼女なら作ってくれるかもしれないよ」
「う~ん、雛人形なんて作ってくれるかしら?」
「君の交渉しだいじゃないかな」
「それは責任重大ね。ま、頑張ってみますわ」
そう言って咲夜はきびすを返し、店から出て行った。それを見てから店主は机
の上においた本に手を出し読み始めた。そして、だれも訪れないまましばらく静寂の時が過ぎる。そして本が読み終わり次の本に手を伸ばそうとしたとき、店の戸が開いた。
「おや、珍しいお客ですね。香霖堂へようこそ、何かお探し物ですか?」
入ってきた客は商品には目もくれず、店主に話しかけた。
「製作物の依頼ですか。物は・・・紙の船?まぁいいでしょう」
客の奇妙な注文に店主は首をかしげたが、急いでいるということなのですぐに作業に取り掛かかることにした。
「で、私にお願いってわけ?」
「ええ、そういうことですわ」
人里のカフェに人形遣いとメイドが向かい合ってお茶を飲んでいた。
「確かに和人形も作れるけど、雛人形は作ったことないわ。まして西洋風なんて」
「そこをお願いできないかしら?」
「う~ん、できなくはないかもしれないけど流石に時間がないわ」
「あら、そうなの?」
咲夜の言葉にアリスは額に手を当ててため息をつく。
「あのねぇ、私はあなたみたいに時間を止めて作業できるわけじゃないのよ?いくらなんでも明日にまでに雛人形全部を作れるわけないじゃない!」
「あら、そうでしたわね」
今日は三月二日。雛祭りは明日。雛祭りに必要なお雛様、お内裏様、左大臣、右大臣、三人官女に五人囃子、仕丁の他諸々の小道具・・・いくらアリスといえどもその数を明日までに作ることなんで到底無理である。そんな当たり前のことをこの前にいるメイドは忘れるときがある。たまに見せる天然がこのパーフェクトメイドの欠点である。というか、欠点がある時点でパーフェクトではない気もするが、咲夜の場合それを狙ってやっている可能性もあるので侮れない。
「とにかく、無理なものは無理。せいぜい既存の人形に手を加えてそれっぽくする程度よ。それでも三段が限度だわ」
「そう・・・」
「あきらめて普通の雛人形を買ってみたら?それを洋風っぽくしてみたらいいじゃない。それぐらいならあなたでも出来るでしょうし」
「そうねぇ・・・そうしましょうか。アドバイスはしてくれるんでしょう?」
「まぁそれくらいならいいわ」
そうして二人して立ち上がる。アドバイス代がわりにと、伝票は咲夜が持った。そしてそのまま二人は連れ立って人形店へと歩いていく。
「いらっしゃいませ・・・ってアリスさん?珍しいですね、納品でも無いのにここにいらっしゃるなんて」
人形店で出迎えてくれた店員は、アリスの顔を見て意外といった顔をした。
「顔なじみなの?」
「まぁね、時々ここに人形や人形の洋服なんかを売っているのよ」
「アリスさんの作品は出来がいいので良く売れます」
「ま、人形芝居と一緒で貴重な収入源ね」
「もっと、沢山納品してくださるとありがたいのですが・・・」
「あくまで副業だからね、必要以上やるつもりは無いわ。本職の方の人形作りがおろそかになってしまうもの」
店員の言葉にアリスは手を振って答える。
「のわりには人形劇は結構やっているみたいだけど?」
「あっちは人形操作の練習を兼ねているからある程度の量はこなさないとね」
「そんなものかしら?」
「そんなものよ」
アリスは咲夜の言葉に肩をすくめて答える。
「それではどのようなご用件で?」
「ああ、そうそう。こっちの人が雛人形を欲しがっているのよ、見せてくれない?」
「あ、はい。ではどのような型で?」
「そうねぇ・・・衣裳着雛人形の古典下げ髪の型はある?値段は問わないわ」
「では、こちらへ」
店員が中を案内する。
「ねぇ衣裳着人形とか、古典下げ髪とかってどういう意味?」
歩きながら咲夜がアリスに聞いてきた。
「そうねぇ、まぁ見ながら教えるわ」
「古典下げ髪はここら辺になります」
「ありがとう。触ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
丁度案内が終わったので、アリスは人形を見せながら説明する。手袋をした華奢な手が人形を抱き上げる。
「まず衣裳着っていうのは人形に服を着せて作る人形のこと」
「それが普通じゃないの?」
「確かにこっちの方が主流だけど、雛人形にはもうひとつ木目込み人形っていうのがあってそっちは木で胴体を作って、そこに布地を埋め込んでつくるものもあるのよ」
「へぇ」
「あと、この衣裳着人形っていうのは顔と胴体で別々の職人が作ったりするから分離できるのよ。洋服を着せるならやはりこっちの方がやりやすいと思うわ」
「そうね。脱げないと駄目だものね」
「で、古典下げ髪っていうのはこういう風に髪を結わずに後ろに流す髪型のこと」
「そういえば、普通見るのはもっとこうお椀みたいな髪型ね」
「それは大垂髪っていう型ね。まぁ普通はそっちが一般的なんだけど、もし洋服にするならあの髪形は似合わないでしょう?」
「・・・確かに」
咲夜はあの髪型をした人形に洋服を着せたイメージを浮かべて納得した。
「でも、なんで古典なのかしら?」
「なんかこの人形をイメージしている時代っていうのはこの髪型のほうが主流だったみたいよ。確か大垂髪は雛人形が一般的になったときの髪型らしいわ」
「なるほどね」
「さて、肝心の人形の選び方だけどまずは顔ね。京顔とか種類もあるんだけど、どちらにしろこれが綺麗じゃないと始まらないわ」
「ふむふむ」
「顔もただ全体の作りじゃなくて瞼や耳、鼻や口の中とかいった細かいところまでしっかり作られているのが重要よ。次に見るのは手、そして足。こういう目にあまり触れないところまでしっかり造られている物はいいものよ」
「勉強になるわ」
「あとは生地の質ね。帯に使うような生地を使ったものが最高級だけど、着せ替えるならそこまで気にしなくていいかも。あと屏風とかの小物。実はこれが一番高かったりするから、今みたいに人形だけ欲しければ生地は地味なもの、小物は少ないものを選んだほうがいいわよ」
「・・・わかったわ。ありがとうアリス、あとは自分で選んでみるわ」
「そう、頑張ってね」
「ええ、出来たら是非見に来てね」
「楽しみにしているわ」
咲夜に人形の選び方をレクチャーしたアリスは、そのまま店の外に出ようとする。
「あ、アリスさん」
「ん?」
すると、先ほどの店員がアリスを呼び止めた。
「なにかしら?」
「あ、はい。実はお願いごとがありまして・・・」
「納品の増加は受け付けないわよ」
「いえ用があるのは私どもではなく、お得意様のほうでして」
「お得意様?」
店員の言葉にアリスは首を傾げる。
「はい、元々アリスさんを探していらっしゃったようで今日偶々見つけて、それでお会いしたいと」
「う~ん」
すこしだけ考える。人里でアリスに頼みごとといえば大抵は人形劇か人形制作の依頼である。別段このあと特に何か用事があるわけでもなく、暇を持て余している。
(まぁ別にいいか)
「いいわ、連れて行って」
「本当ですか、ありがとうございます!」
そうして店員に連れられてアリスは奥のほうに歩いていった。そうして着いた奥にある座敷には三十半ばぐらいの女性が待っていた。アリスを目にすると深々とお辞儀をして、
「急にお呼びたてて申し訳ございません。私は美河紗代といいます」
「アリス・マーガトロイドよ。で、用事って何かしら?」
「はい、魔術と人形についての専門家としてお願いしたいことがあります」
アリスは女性――紗代の言葉に肩眉を上げる。人形の専門家としてのお願いなら普通である。しかし今回は『魔術』もついてきた。アリスは少しだけ警戒をしながら話を促す。
「実は私達の家に最近怪異がおきるのですが、それを解決していただきたいのです」
「・・・そういうのは巫女とかに頼めばいいんじゃない?そっちの方が専門家よ」
「いえ、私も最初は博霊の巫女様に頼んだのですが解決しなくて、そしたら巫女様が『これはアリスの方が適任な感じがするわ』とおっしゃられて」
(霊夢が?)
霊夢が解決できなかったことも驚きだが、アリスが適任と感じたことも驚きであった。彼女が自分を名指しで指名する理由としては一つしかない。
「・・・もしかしてその怪異、人形が関係するのかしら?」
アリスの問いに紗代は頷き、
「はい。巫女様も人形が関係しているのは間違いないと・・・」
「なるほどね」
「引き受けていただけないでしょうか?」
「そうねぇ・・・」
アリスは真剣に考える。霊夢も放棄したものとなるとかなり厄介なのは確実である。だが、その霊夢が人形が原因だと確信し、尚且つ自分を指名した事を考えると特殊な人形が関わっている可能性が非常に高い。霊夢すら解決できない怪異を起こす人形、興味が無いわけではない。
「・・・報酬は?」
「これくらいで・・・」
紗代が示した金額は十分すぎるほどの量であった。人形という物品の購入が必須な物を扱うアリスにとって、蓄えはあるに越したことは無い。
「いいわ。受けてあげる」
「あ、ありがとうございます。では、いつごろから?」
「今からでいいわ。特に必要なものっていうのは無いし」
アリス早速彼女の屋敷に向かうことにした。幸いなことに咲夜と会うということから弾幕ごっこの準備はしてきてある。戦闘になったらそれをそのまま使えばいい。
「では、こちらへ」
紗代に連れられてアリスは人里を歩いていく。春が近づき徐々に暖かくなってきたこの時分、通りも活気が上がってきた感じを受ける。そんな中、アリスは見知った顔を見つけた。
「あれ、ミスティア?」
「ん?あ~森の人形遣い~」
通りをうろうろしていたミスティアを見つけてアリスは話しかける。
「なんでこんな昼間から人里に?普段はこの時間寝ていなかったかしら」
「あ~、ちょっとね~」
アリスの問いにミスティアはなんともいえない表情で頬を掻く。
「実はお客さんが暴れて屋台が壊れちゃってね~、その修理のための材料とか買いに来ているんだ~」
「それは災難ね」
「ホントだよ~!幸いなことに修理代は払ってくれたけどさ~」
ミスティアがむくれながらそう喋った。
「でも、よくあなたは平気だったわね」
「まぁこれでも危険を感じる力はあるからねぇ~」
そういえば小鳥なんかはそういった能力が高そうに見える。そしてふとアリスは良い考えを思いついた。
「ねぇ、あなた一人で屋台を直すのは大変でしょう?私と人形でやってあげるから、代わりにこっちを手伝ってくれない?」
アリスは警報機代わりにミスティアを使おうと考えた。さらに言えば何かあったときに戦える手数が欲しいというのもある。ミスティアなら最低限の戦力にはなる。
そう考えたアリスはミスティアに助手を要請した。
「え、う~ん。確かに私一人で修理するのは大変出しなぁ~」
ミスティアはしばらく考えて、そして頷いた。
「うん、わかった。手伝うよ~。でも約束は守ってね?」
「大丈夫、魔法使いにとって契約は絶対よ」
「あの、よろしいですか?」
「ええ、あとこの子も連れてっていいですか?」
「あ、はい。構いませんけど」
「そう、じゃあいくわよ」
「はいは~い♪」
「ここ?」
「ええ」
つれてこられたのは綺麗にはされているが相当古い家屋で、かなりの年月を感じさせた。
「ふ~ん、見た感じ妖気とかは感じないわね」
「うん、むしろ守られている感じがして私は入りにくいなぁ~」
「確かに弱い結界みたいなものが感じられるわね」
アリスの見立てでは屋敷全体が薄い力場に覆われており、それが妖怪であるミスティアには不快感として感じられるようだ。こんな状態ではむしろ他の場所よりも安全に思える。
「本当に怪異なんて起きるの?」
「はい、実際に何人か被害に遭われています。夫の姉夫婦や弟夫婦、一部の使用人などが襲われているんです。つい先日は甥が骨を折るなどの大怪我をしまして」
「結構な人数だねぇ~」
「というか、そんなにここにいるの?」
「あ、はい。もともとは私と娘、使用人、それと亡くなった夫とで住んでいたのですが、少し前から親戚が泊まりに来ているんです」
「そう聞くと親戚が怪しく感じるけどね」
「でも、この怪異はここ最近から始まっているんです。親戚たちが泊まりに来ているのはもう一月以上も前からなのに・・・」
紗代はそういって困惑した顔をした。
「ねぇ、とにかく中にはいらない~?これじゃあ外から見てもわかんないよ~」
「それもそうね」
「では、こちらへ」
アリスとミスティアは女性に促され屋敷の中へと入っていった。屋敷の中に入るとよりいっそう守護の気が強くなる。
(古い家によくいる守り神の類がいるのでしょうね)
その守護の気が屋敷の空気に混じりこみ、隣を歩いているミスティアの妖気がぼやかされる。そのミスティアは居心地が悪そうにきょろきょろしていた。
紗代に通された居間でアリスは女性から詳しい内容を聞くことにした。
「で、怪異っていったいどんなことがおきるのかしら?」
「はい、まず誰もいないはずの部屋から話し声が聞こえたのが始まりだそうです。その後いきなり物が倒れたり、部屋がぐらぐらと揺れたりといったことが起きているそうです」
(ふむ、ほとんどポルターガイストと一緒ね)
「そしてつい先日甥が襲われて・・・甥が言うには白い紙の人形みたいなものが現れて襲い掛かって来たそうなんです」
(う~ん、白い紙の人形ねぇ・・・人形の呪物としてはメジャーな感じね)
「なんか全部聞いた話って感じだけど、そっちは遭遇していないの~?」
いままで大人しくしていたミスティアが口を開く。その言葉に紗代はうなずいて答えた。
「ええ、私は一度も遭遇したことないんです。他にもそういう人が何人かいます」
「なるほどねぇ、全員って訳じゃないんだ」
「はい」
その言葉にアリスはさらに考える。
(無差別じゃなくて選択している?となると、家に怪異を起こすという以外の目的があるってことかしら・・・)
「この家に若い女性はいる?」
とりあえずアリスは人形のことは置いておいて、まず種としての騒霊としてではなく思春期の女性によるポルターガイストの線を考えることにした。それによるポルターガイストならば妖気は存在しないのも頷ける。
「ええ、十五になる娘が一人」
「ちょっと連れてきてもらえる?」
「あ、はい」
紗代が近くのものに声を掛けると、しばらくして若い娘が現れた。
「この子が娘の美沙です」
「はじめまして」
アリスは美沙がお辞儀をするのを注意深く観察する。
「どうかしましたか?」
「いえ、こういった怪異の原因は若い女性だったしすることがあるから・・・」
「それで・・・?」
紗代の問いにアリスは首を振った。
「そんな様子はないわね」
「そうですか・・・そういえば巫女様もこの家にいる人全員と会っていかれましたが、特に女性をしっかり見ていたような気がしたのはそういった訳ですか」
「霊夢が・・・?」
「はい」
(そりゃあ腐っても博麗の巫女だものね、それぐらいはしっかり調べているか・・・)
あの感が鋭すぎる巫女が見ても判らなかったのだから、住人が原因である可能性は低いだろう。そう考えて、アリスは悩む。
「・・・とりあえず家の中を回ってもいいかしら?」
「どうぞどうぞ、お一人で大丈夫ですか?」
「そうねぇ・・・案内を娘さんに頼んでもいいかしら?もしかしたら場所によって何かあるかもしれないし」
「判りました。じゃあ、マーガトロイドさんをよろしくね」
「はい」
「ミスティアも行くわよ」
「え~、私も~?」
「当たり前じゃない。何のために連れてきたのよ?」
「はいは~い」
ミスティアがしぶしぶ立ち上がり、うーんっと伸びをする。その際背中の翼がパタパタと軽く羽ばたいた。そののんびりとした様子を見ている限り、彼女は守護の気が気にならなくなってきたようである。おそらくミスティアがこの家に害をなす存在ではないと認識されたからであろう。
「じゃあ行きましょうか」
「ええ、よろしく」
そうしてアリスとミスティアは美沙の後に続いて屋敷内を探索することとなった。そして居間、台所、応接間、寝室、倉庫、物置、風呂場、果てはトイレまで見て回ったが特に異常は見当たらなかった。
「ぜんぜんないね~」
「う~ん、見落としているっていう可能性もあるけど・・・」
「えっと、ここが最後の部屋になります」
そういって開けられた襖の先にあるものを見て、二人は目を見開いた。
「へぇ・・・」
「うわ~」
真っ赤なもうせんに金色の屏風、華美に装飾された雪洞やお道具、滑らかな光沢を放つ着物に、美しい顔をした人形達。そこには既に芸術品と呼ばれるような豪華な雛壇が鎮座していた。
「すごいわね」
「ほんとね~」
「ありがとうございます。これは相当昔から家に代々伝わるもので、当時の職人が丹精こめてつくった傑作だそうです。我が家の自慢の一つですね」
そういう美沙の顔は少し誇らしそうであった。
「近づいても?」
「ええどうぞ。ただあまり触らないでくださいね」
「わかっているわ」
アリスは雛壇に近づいてよく見てみる。
(所々修復された跡があるわね。それでも顔、着物、小道具、どれをとっても一級品
だわ)
同じ人形を作る者としてアリスはこの雛壇の出来ばえに素直に感心する。いつのまにか近寄ってきていたミスティアも覗き込むが、ふと何かに気づく。
「あれ、これって・・・」
「そうね」
そう、この雛壇から守護の気が溢れているのだった。恐らく、長く大切に扱わられてきたのだろう。流石に妖怪を締め出すほどの力は無いが、普通の妖怪なら嫌がってこの家には近づかないだろう。
(妖怪の可能性が低いとなると余計にわからないわね・・・よほどこの家に恨みがあるか、それとも人為的なものかしら?)
アリスは人形以外の原因を考える。しかし霊夢がこれはアリスが適任といったからには高確率で人形が関係しているのだろう。あの巫女の感はもはや高度な未来予知レベルに達している。
(この人形の気は屋敷全体を覆っている・・・この人形から情報を得られれば一番手っ取り早いんだけど)
「あの・・・」
「なにかしら?」
「お連れ様はもう行ってしましましたけど、良いんですか?」
「えっ!?」
ふと我に返って周りを見ると、既にミスティアの姿は無くなっていた。
「~~~っ!どこ行ったかわかる?」
「いえ、屋敷内をふらふらしているからと」
「はぁ~、仕方ないわ。私も一人で動くから案内はもういいわ。ありがとう」
「あ、はい。では何かありましたら屋敷の者に伝えてください」
「ええ」
「美沙」
アリスが出て行こうとすると、四十位の男性が廊下から現れた。
「紗代さんはどこにいるかわかるかい?」
「母でしたら、さっき土間の方にいましたけど、何か?」
「いや、帳簿におかしなところがあったからそれについて聞きにな」
「そうですか」
「じゃあ、邪魔したね」
「いえ」
そうして男性は廊下を進んでいった。
「今のは?」
「伯父の雅史さんです。父の姉の夫なので直接の血のつながりは無いんですが、父が亡くなってから家業の手伝いをしてくれているんです。仕事がしやすいからと最近こっちに引っ越してきたんです。おかげでいろいろ助かっていると母が言ってました」
「ふぅん」
「そういえば、伯父も怪異にあったことがあるみたいです」
「そう。まぁいいわ、とりあえず私は行くわね」
「あ、はい」
そう美沙に言って、アリスは雛壇の飾られた部屋を後にした。
「~~~♪~~~♪」
その少し前ミスティアは鼻歌を歌いながら屋敷内を闊歩していた。あのままアリスについていっても対して役に立ちそうに無いし、いろいろ考えるのも自分の性に合わないからだ。
(まぁ気になる点はあったけど一応手は打っといたし、まぁ明日になればどうにかなるでしょう~♪)
先ほど言伝を頼んでおいた小鳥を思い出し、ミスティアはやれる事はやったと考える。そしてそのまま夕食までの暇つぶしを考え始めた。
(さてさて、ちょっと台所でも見学しようかな~?なにか面白い料理とかあるかもしれないし)
「って、わ!?」
「おお!?」
いきなり横の障子が開き、出てきた男性とぶつかった。
「っとっと、ごめんね~」
「いやいやこちらこそ、ってお主は妖怪!?」
出てきた男性――雅史はミスティアの容姿を見て警戒を露にする。
(あ~、そういえば今この屋敷ってへんなことが起きているから敏感になっているんだね~)
ミスティアのその様子を見て気分を害す訳でもなく、すぐさまそう結論した。もともと人を襲っていた彼女にとって、こういった感情は別に珍しくもなんとも無いのであった。
「あ~、私はここの人に頼まれて調査に来ているだけだよ~」
「何、紗代さんに頼まれて?」
「そうそう」
「ならさっさと解決してくれ。こっちはおちおち寝ることも出来ん」
「はいは~い」
「ふぅ、全くなんで妖怪なんかに・・・」
ミスティアが気楽に返事をすると、雅史は軽くため息をついてからミスティアが来た方に歩いていった。
(あ~あ仕方ないとは思うけど、あんまりぎすぎすしているような所に長く居たく無いなぁ)
ミスティアは心の中でぼやくと、台所の方へ歩いて行く。
(ま、それでもどうせあの人は『明日までにはもう顔を合わせなくなる』だろうしね)
「あ、いたいた」
「あれ、アリス。もう雛人形はいいの~?」
台所へ歩く途中でアリスと会ったミスティアは、首をかしげて尋ねた。
「いいの~って、あのね~勝手にいなくなったら困るでしょう?」
「だって、邪魔しちゃ悪いと思ったし~、それにあそこにそのままいても私は役に立たないよ?それならいなくたっていいじゃない」
「いや、でもね」
「で、なんかわかったの~?」
「~~~っ!」
アリスは少しだけ口の端をを引きつらせる。屋台で人の話を聞かないマイペースな妖怪だとはわかっていたが、わかっていても気にさわるのが彼女の性格である。それでも冷静であろうとする信条はそれを米神だけに押し込める。
「・・・いまのところは伸展なし。取りあえずは夕食まで適当に探索かな」
「そう。私は台所で料理を身に行くつもり~」
「はぁ・・・あ、そういえばさっきどうせならこのままここに泊まらないかって言われたんだけど、あなたはどうする?」
「ん?泊まりか~」
ミスティアは少し考える。現在屋台は修理のために営業はしていないし、魚類も飼ってはいないからいちいちねぐらに帰る必要も無い。さらに言えばこの様子だと明日もここに来なくてはいけないから帰るのは面倒でもある。
「そうだね~、私も泊まろうかしら~♪」
「わかったわ。じゃあまた後でね」
「は~い♪」
(さ~て、今日は久しぶりに人間の料理でも見てみようかな~。どうせ『明日で全て終わる』だろうし)
アリスと別れたミスティアはそのまま当初の目的である台所に向かっていった。
「全く、妖怪に妖怪の調査を頼むなんてどうかしてる」
先ほど紗代と話し合ってきた雅史が、ぶつぶつと言いながら自分の部屋で帳簿をつけていた。
「全くねぇ、これ以上おかしなことが起きたらどうするつもりなのかしら?」
そのよこで、妻らしき女性が呆れた顔で相槌を打つ。
「うむ、やはりそんなこともわからないような奴にこの家を任せることは出来ない。そう思うだろう絵美?」
「でも、どうします?婿に出すといっても私達には弟のように丁度いい年齢の息子はいませんよ?」
「だが、その甥は怪異のせいで骨折して入院している。どうもあいつは娘を手篭めにしてやろうと考えていたらしいから丁度良い。流石に折れた足では夜這いになど行けんからな」
「あら、そうでしたの?」
絵美の言葉に雅史は頷き、金を払って使用人から聞いた話を思い出す。
「ああ、どうも使用人に金を渡して手引きを頼んでいたらしい。そしてちょうどそれを行う日に襲われたわけだ」
「あらあら、それじゃあまるでその怪異が守っているみたいね」
「確かにな。しかし怪異か・・・」
「どうしました?」
雅史が考え込むのを見て、絵美が首を傾げる。
「そうか、怪異のせいにすればいいのか」
「どういうことです?」
「つまりだ、怪異にあの母娘と邪魔な者を消してもらえばいいんだ」
雅史の言葉に絵美は怪訝な顔をする。
「でも、そんな都合よくいなくなってくれるかしら?」
「いや、別に本当に怪異にやってもらう訳では無い。重要なのは今ここで何かが起きれば全て怪異のせいに出来るという点だ」
「・・・なるほど」
雅史が何を言いたいのかわかった絵美は妖しく微笑んだ。
「しかし、私から言っておいてなんだがお前は大丈夫か?血のつながりがあるのだろう」
「いえ、大きな事の前には犠牲が付き物ですわ。私が涙をこらえればいいことです」
「そうかそうか、お前は素晴らしい女だな」
「ふふふ」
「んふふ」
――ギシッ――
「!?」
雅史と絵美が静かに笑っていると、襖の先で何かが床を踏みしめる音が聞こえた。
「・・・」
「・・・」
二人は無言で視線を交わし、雅史が静かに立ち上がる。もしさっきの話を聞かれていたら非常に厄介なことになる。そんな気持ちが彼の手に硯を持たせる。
(まぁ、いざとなったらそいつも怪異のせいにしてしまおう)
そして雅史の手が襖にかかる。そして一気に襖を開け放った。
「?」
だが、その先には誰の姿も見えなかった。辺りを見回してみても人がいた様子はない。
「・・・気のせいか」
そして絵美の方になんでもないと伝えようとして振り返った。
「!?」
しかし振り返った先には絵美の姿は見当たらなかった。もちろん移動した様子も無い。先ほどまで妻が座っていた座布団がなければ、妻がいたということすら信じられないほど自然に跡形もなくいなくなっていた。
「どういう・・・?」
――パタンッ――
「っ!」
振り向くと開けたはずの襖が閉まっている。思わず襖に手をかけたが、膠で貼り付けたように動かない。思わず蹴ってみるが軽くしなるだけで襖が外れる様子も無い。
「くそっ!一体なんなんだ!?」
思わず毒づくが、ふと違和感を覚えて辺りを見回す。
壁、襖、畳、机、見た目にはどこも変化はない。でも何かが変化している、それだけはわかる。
――ぐにゃり――
空間が変質する幻聴を聞いた。
それを境に音が死に始める。何も動かない。誰も喋らない。どれも『生きてない』。しんっとした静寂だけが支配する。耳鳴りすら聞こえない。ぞっとするような死んだ音だけが耳に入る。
襖の向こうの世界が消える。天井の上の世界が溶ける、床の下の世界が死ぬ。この部屋の壁の表面、薄皮一枚先には何も無いと幻視する。自分ひとりだけがこの世界にいると錯覚する。徐々に空気が粘着性を帯びてくる。肌の上を空気が『ぬらり』と流れ落ちる感触を感じる。粘着性を増した空気が喉にこびりついて呼吸が苦しくなる
――はぁ、はぁ、――
どろりとした空気は肺の中に入り込み、血液に溶け込んで体中に回る。心臓が膨らむたびその中で糸を引く。血管の中で血球と混じりながらぞわりぞわりと流れていく。体中が空気に汚染されていく。ぐちゃり、ぬちゃりと侵していく。優しく静かに汚していく。
喉は既に声を上げる命令を受け付けない。ただ時折ひゅー、ひゅーという音だけを奏でていく。『助けてくれ!』『誰かいないか!?』思考はそのまま喉を通り過ぎて脳に帰ってくる。
――はぁ、はぁ、――
声が出ないから恐慌状態にすらならない。ただ、冷や汗だけが腐った水のような空気の中を流れ落ちる。動かない手足をあざ笑うように汗だけが畳に垂れ落ちる。力が入らないのに座り込むことも、手にした硯を落とすことも出来ない。まるで操り人形のように立ちすくむ。
唯一動く視線だけを動かして部屋をゆっくりと眺める。天井、欄間、障子、襖、机、畳、座布団と視線を動かす。
そしてふと気付く。絵美の座っていた座布団の下から白い何かがはみ出していた。それはとても薄っぺらく、紙のように見える。襖を開ける前と後で唯一の違いがそこにあった。小さいけれど決定的な違い。そして引き寄せられるように焦点がそれに合う。
――ススッ――
焦点が紙にあった途端、白い紙がゆっくりと動き出す。誰も触れていないのにゆっくりと座布団の下から這い出てくる。それは紙そのものが座布団という重石から抜け出そうとしているように見える。小さすぎて聞こえないはずの畳と紙が擦れる音がこだまする。
――ススッ――
白い紙が這い出るたびに空気が濃くなる。ねっとりとした空気は既に重量を感じさせ、まるで油の中に沈んでいるような錯覚を覚える。指や足の間をぬるりと空気が撫でる。その感触に何故か吐き気を覚えて胃が痙攣するが、重い空気が胃をふたして中身を外に出させまいとする。暴れる胃袋が痛いほどの不快感を訴える。
――ススッ――
紙が半分ほど外に出てきた。それは白い紙で作られた人形であった。
雅史は漠然と理解する。あれが出てきたらお終いだと。あれが出てくる前にどうにかしないといけないと。しかし身体はいっさい言う事を聞かない。先ほどまで動かしていた視線すら動かせない。ああ、また少し外に出た。だが、たとえ身体が動いたとしても何が出来るだろうか。この部屋からは出られない。だからといってあれを直接どうにかすることなんで出来ない。座布団をかけ直しせばいいというものでも無い。なによりあれには近づきたくない。さらに紙が出てきた。出来ればここから全力で逃げ出したい。だが逃げ出すことは出来ない。ならば身体が動いても動かなくても変らないのではないか。だがあれを見続けるなんて出来ない。でも視線を逸らすのも怖い。結局動いたところで何も意味は無い。もうあと少しで全て出てくる。
――ススッ――
とうとう人形が外に出てきた。出てきた人形はそのままゆっくりとこちらに近づいてくる。視線は勝手に人形に合わせて移動する。人形が近づくたびに空気が重くなる。徐々に近づいてくる終わりに狂うことすら許されず、ただただ立ちすくむ。
――スッ――
足元から一歩分前に来て止まった人形は、そのまま静かに身体を起こす。そして左腕にあたる部分を上げる。すると雅史の左腕も同じように勝手に上がる。そして今度は右腕を上げると、今度も同じように右腕が上がる。
――ゴトッ――
右手に持っていた硯が畳に落ち、鈍い音を立てて畳に凹みを作る。
人形が右腕を左腕の先に持っていく。雅史の腕も同じ行動をとる。彼の目はは恐怖に見開き、口は奥歯をかちかちと鳴らすことしか出来ない。
そして、人形が自らの手の先をちぎり取った。
――ぶちりっ――
雅史の左手首から先が右手にってもぎ取られた。
「・・・っああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
一瞬の後、雅史の喉から絶叫が迸る。
だが自由を取り戻したのは喉だけで、未だに他の身体は言う事を聞かない。人形は手にした自らの手を捨て、再び左腕に手を伸ばす。雅史の腕も同じように手首を捨てて再び血を撒き散らし、骨の見えている左腕に手を伸ばす。雅史は絶叫しながら全力で腕を止めようとするが、一切言う事を聞かない。そして人形が再び腕をちぎる。
――ぶちりっ――
今度は肘からもぎ取られ、さらなる絶叫が雅史の口から漏れる。痛みで気を失いそうになるが、痛みで気を失えないという拷問に彼の精神が破裂しそうになる。さらに人形は右腕を伸ばし、今度は肩から先をちぎり取った。それと同時に男性の肩から先がちぎれ、また雅史が声を上げる。
人形は今度は右腕を顔のところに近づけ噛み付くようなしぐさをする。すると雅史は涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになった顔に腕を近づけて、手の先に噛み付いた。そして人形が右腕を噛み千切ると、雅史も同じように右腕を噛み千切った。
「~~~~~~!!」
叫び声を上げたいが、右腕を咥えているためにそれすら出来ない。そうやって右腕をちぎり取ったら、今度は人形は足の間に頭を挟んだ。雅史も同じように足の間に頭を挟む。
「や、やめっ」
何をするか気付いた雅史が声を上げる。
――ぶちりっ――
人形が足の間で己の頭をちぎり取った。
「あら、伯父さんたちは?」
夕食時、いつもなら既にいるはずの人間がいないことに気付いて紗代が首をかしげた。
「珍しいね。姉さん達がまだ来ていないなんて」
「本当ね。まだ仕事しているのかしら?」
その後すぐに来た男性と女性が、そう声を上げる。
「誰かしら?」
アリスが隣の美沙に声をかける。
「父の弟の正治叔父さんとその奥さんの理恵さんです。雅史伯父さんと一緒に仕事を手伝ってもらっているんですよ」
「彼らも最近引っ越してきたの?」
「はい、正治叔父さんは私のことをとても気にかけてくれるいい人ですよ。あと叔父さんたちの息子に達也さんがいます。今は先日の怪異で骨折して入院していますけど」
「ふ~ん」
「仕方ないわね、だれか呼んできてもらえないかしら?」
「じゃあ私が呼んできますね」
美沙がそう答えて奥に行くのをアリスは少しの不安と共に見ていた。
(何も無ければいいけど・・・)
しかし、その思いとは裏腹に美沙は一向に戻ってこず、心配した紗代が思わず立ち上がりかけたときにやっと帰ってきた。
「遅かったわね。それで伯父さんたちは?」
「見当たらなかったわ。他の人にも聞いたんだけどどこにもいないみたい」
「外かしら?」
「ううん、外に出たのも見ていないって」
「そんな・・・」
その二人のやり取りを聞いて、アリスは立ち上がった。
「ねぇ、ちょっとその伯父たちの部屋に案内してくれないかしら?」
「え、あ、わかりました」
「ミスティアは?」
「私はここにいるよ~。多分見たって変んないから」
「あ、そう」
やる気のなさそうなミスティアをほっておいてアリスは美沙についていって伯父の部屋まで歩いていった。
「ここです」
「ふうん」
案内された部屋に着くと、アリスはすぐに周りを調べる。ぱっと見特に変ったところは無いが・・・。
(ん?)
魔力で部屋を走査してみると、若干の魔力の残滓を見つけた。
(これは・・・空間移動系かしら?あと、結界の跡みたいなものもあるわね)
アリスが考え込むと美沙が心配そうな顔をして、
「あの、なにかあったんですか?」
「え、ああ、うん。もしかしたらここにいた人達は怪異に巻き込まれたかもしれない」
「ええっ!?」
娘が驚いた顔をする。今まで最大の事件で言えば骨折だったのに、いきなり人が消えるとなればそれは驚く。アリスとて半信半疑だが、部屋に残った残滓がここで何か起きた事を裏付けている。
「念のために聞くけど、その伯父達は魔法やその類を使ったりしないわよね?」
「ええ、伯父さんたちがそういった事が出来るとは聞いたこともありません」
「となるとやっぱり・・・」
アリスは黙り込み、美沙は不安そうな顔をする。
「・・・とりあえず戻りましょう。この事を皆に伝えないと」
「え、ええ」
そうしてアリスと娘は戻り、そこにいた全員に起きたと思われる事を話した。
「つまり、何か起きるかも知れないから十分に注意しろってことだろう?」
そう締めくくったのは正治である。その顔は若干の緊張に包まれていた。
「まぁそういうことね。とりあえず今日は一日中起きて警戒はするつもりだけど」
「ええ!?大丈夫なんですか?」
美沙が驚いて聞いてくるが、アリスは苦笑して肩をすくめる。
「まあ私はもともと寝なくても平気だから大したことでは無いわ」
「ならいいんですけど」
「あ、ミスティアもやってもらうから」
「ええ~」
「それも仕事のうちよ」
「う~、やっぱり引き受けるんじゃなかったかな~」
「もう、遅い」
ミスティアがぼやくが、アリスはそれを一蹴した。
「と、そういうわけで十分気をつけてね。可能ならみんな一緒に寝れれば良いんだけど・・・」
「さすがに使用人含めて全員一緒に寝れる部屋は・・・」
「そうよねぇ・・・まぁなるだけ一緒の部屋で尚且つ部屋を固めてくれると助かるわ」
「分かりました」
そしてこれからの諸注意――何かあれば直ぐ声をあげる等をいってから夕食は解散となった。
(全く、どうしてこんなことに)
夜、布団の中で正治は心の中で毒付く。
(せっかく息子を焚き付けて娘を手篭めにしてこの家を手に入れようと思ったのに、達也は骨を折るし、姉達は行方不明になるし、自分達は怪異におびえて雑魚寝ときたもんだ)
正治が寝ながら周りを見渡すと、いくつかの布団が盛り上がっているのが見えた。耳を澄ませば複数の寝息も聞こえる。
(まぁ仕方ない。幸いなことに邪魔者はいなくなったし、息子が帰ってきたらまた焚き付けてやればいい。それまで邪魔な虫が近づかないようにしておかないとな)
そして男は目を閉じた。
――すぅ、すぅ――
寝息の音だけが静まった部屋に響く。
――すぅ、すぅ――
時刻は既に草木も眠る丑三つ時。流れる寝息すら寝ているような時に正治は再び目を覚ました。
(・・・)
正治はぼんやりとした眼で天井を見つめる。
(妙に目が冴えてしまった・・・)
再び目を閉じて眠ろうとするが眠れない。
(まさか怪異が怖くて緊張しているのか?)
思わず自問した内容に心の中で苦笑する。すると、その時不意に部屋の中を誰かが歩き回る気配がした。
(ん、いったい誰だ?)
正治は顔を上げて確認しようとする。
(!?)
その時になってようやく自分の身体が動かないことに気付いた。
(金縛りか?)
しかし身体が動かないといっても正治は慌てなかった。彼は今まで金縛りを何度か経験しており、大体は寝るかしばらくすれば動けるという事を知っていたからだ。歩いている人物は気になるが、そのまま大人しく横になっていることにした。
(どうせ厠か何かの行きか帰りだろう)
そしてそのまま目を閉じるが、気配は一向に布団に潜る様子も部屋から出て行く様子も無い。気になった正治は再び目を開ける。
(おかしい、一体何がしたいんだ?)
金縛りは一向に解けず、肌に感じる気配だけが部屋を歩き回る存在を知らせてくれる。身体が動かせない分他の感覚が鋭敏になっていく。そしてふと気付く、何故か先ほどまで聞こえてきた寝息の音が『全く聞こえなく』なっていた。
(まさか、既に・・・!?)
その想像をした途端、激しい動悸が正治を襲った。
――ひゅー、ひゅー――
か細い息が口から漏れる。
歩き回る気配はゆっくりとこちらに近づいてくる。見ることは出来ない。一切音を立てないので聞くことも出来ない。しかし近づいてくることだけはわかる。
――ひゅー、ひゅー――
心臓が拍動のし過ぎで痛くなる。口の中が乾いて舌が張り付く。視界が脈拍と共に揺れ眩暈のように歪む。動かない身体が冷たい汗を流す。肺が小さく早く収縮して、空気が取り込めなくなる。
――ひゅー、ひゅー――
気配はゆっくりと近づいてくる。畳の上とはいえ、まるで重さが無いように一切の物音を立てずに近づいてくる。
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
――ひゅー、ひゅー――
身体が動かない事をこれほど怖いと思ったことはなかった。声も上げられず、逃げることも出来ず、ただただ『あれ』がちかづて来るのを待つだけである。時間が狂う。一秒一秒が長く感じ、気配の一歩一歩が短く感じる。音無い完全な静寂の中、『あれ』の気配だけが鮮烈に感じられる。
――ひゅー、ひゅー――
気配が足元にたどり着く。見えてはいないが見下ろしていることだけはわかる。人型の何かが足元に立っている。もやもやとした人型のでも決して人ではない『何か』がすぐ側にいる。
視界には天井だけが映っている。ほんの少し下に視線を逸らせば『それ』が目に入る。だが『それ』を目にしてしまったらもう逃げられないと本能的に理解する。気配はただじっと見下ろしている。見たく無いという恐怖と見えないという恐怖がせめぎ合う。そして、とうとう見えないという恐怖が打ち勝ち、視線が徐々に下に下がる。
まず見えたのは白い頭だった。そして同じく白い身体。妙に薄っぺらいそれはまさに紙で出来た人形だった。その人形が自分を見下ろしていた。そして無いはずの目が合う。人形はゆっくり近づいてくる。
――ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー――
悲鳴の代わりに細い息が漏れる。人形はそのままどんどん近づいてくる。目を見開いた顔と人形が重なる。
「~~~~~~~!!」
鼻と口が紙で覆われる。乾いているはずの紙がまるで濡れたようにぴったりと張り付き、通すはずの空気を遮断する。何とか剥がそうとするが身体は未だ動かず、柔らかいはずの紙はなめし皮のように硬い。徐々に空気が足りなくなり、思考にもやがかかり始める。紙で白いはずの視界が暗くなってくる。身体が穴に落ちていくような感覚が襲い、視界が遠くなる。そしてそのまま暗闇へと落ちていった。
「暇~」
「うるさいわよ。我慢しなさい」
「え~」
ミスティアはアリスと共に屋敷の人が眠る部屋の前でじっと座っていた。昨日は満月だったので空には少しだけ欠けた月――十六夜月が浮かんでいる。空はよく晴れて、中天に浮かんだ月が眩いばかりの光を放っていた。時折浮かんでいる雲が青い陰影を映し出す以外は星すら見えない、何もない明るい夜であった。
(こんな日は歌うのに絶好の日和なんだけどなぁ)
でも流石にここで歌うのは気が引ける。というか、確実に怒られる。仕方ないので小声でハミングをすることにした。
「~~♪~~♪」
「ほんと、歌うのすきねぇ」
アリスが呆れたように言うのをミスティアは苦笑して言い返す。
「いや、だって『歌』が私の存在理由だもの」
「存在理由ねぇ」
「ないの?」
ミスティアの言葉にアリスは少し考えてから答える。
「私の場合は・・・強いて言うなら人形作りかな。そのために魔法使いになったんだし」
「へぇ、アリスは元人間なんだ」
「一応ね」
「だからかぁ」
「?何が」
ミスティアが納得したのを見てアリスは首を傾げる。
「ほら、私たち妖怪って生まれた時から存在理由があるから、あって当たり前なんだ。妖怪以外も神様とか妖精だって持ってるし、悪魔だって魂を集めるっていう理由があるみたいだしね。最初から持って無いのは人間と動物ぐらいじゃない?」
「ああ、それで・・・」
納得したアリスにミスティアが苦笑してさらに続ける。
「まぁ私の場合は『歌で人を惑わす』から『歌を歌うこと』に変質しちゃっているけどね」
「確かに」
ミスティアの言葉にアリスも苦笑する。
「でも、『歌』が存在理由なのは変わらないよ。私の場合、全ての行動が『歌』に繋がるから」
「・・・」
穏やかに、でも自信を持ってそう言ったミスティアをアリスは少しだけ目を細めて見つめた後、空に視線を戻した。
「・・・じゃあ、この怪異もその存在理由に関わっているのかしらね?」
「まぁそうなんじゃない?私はそれがなんなのかは全然わからないけどね~」
ミスティアは暢気に答え、そして再びハミングを始める。明るい夜に虫の音の変わりに響く音色。そんな穏やかな時間がそのまま静かに空が白むまで過ぎていった。
そしてとうとうなにも起きないまま朝を迎えた。後ろの部屋で人が動き出す音が聞こえる。しばらくして後ろの扉が開き、紗代が顔を出す。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよ~♪」
朝の挨拶を交わすが、若干不安気な顔をしていた。
「何かあったの?」
「あの、正治さん達を見ませんでしたか?既に布団にはいなくて」
「え?おかしいわね。私達は殆どここにいたから部屋を出ればわかるはず・・・ミスティアは見た?」
「ううん、見て無いよ~」
ミスティアがそう答えると、アリスは考え込む。
「まさか・・・」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「「!?」」
丁度その時井戸の方で悲鳴が聞こえた。アリスと美沙はすぐさま井戸の方に向かっていった。その跡を少し遅れてミスティアが続く。
(きっと見つかったんだろうな~)
そんな事を考えながらミスティアはちょっと気だるそうに向かっていった。
井戸に着いたアリスは、そこで女性が腰を抜かしているのを見つけた。
「どうしたの?」
「い、井戸の中に人が・・・」
アリスはすぐさま井戸を覗き込むと、確かに二人分の人影が浮かんでいるのが見えた。すぐさま人形を使って引き上げると、それはいなくなっていた正治と理恵であった。苦悶に固まった表情、冷たくなった身体、どれをとっても既に死んでいるのは明白だった。
「そんなっ!?」
「いったいいつの間に・・・」
「・・・正治さん達は井戸に落ちておぼれたんでしょうか?」
ショックを隠しきれない様子で紗代が聞いてくるがアリスは首を振る。
「わからないわ。でも傷とかも見当たらないし、溺死が一番可能性が高いと思うわ」
アリスが遺体の様子を見てそう考える。そこにミスティアがやってきた。
「ん、死体?ちょっと見せて~」
「え、ええ」
ミスティアがそう言ってきたのでアリスは遺体から離れる。そうしてミスティアは遺体に近づくと、いろいろ触ったり、持ち上げたりし始めた。
「何やっているの?」
「ちょっとね~」
一通り調べるとミスティアはアリスに向かって言った。
「この死体、窒息して死んでいるけど溺れたわけじゃないみたいね~」
「そうなの!?」
ミスティアの言葉にアリスは驚く。
「うん、水死なら肺に水が入っているんだけどこの死体には入ってないからね~」
「そうなんだ。というか良く知っているわねそんなこと」
「あのねぇ、これでも昔は人間を襲っていたんだよ?人間の死体なんて見慣れているに決まってるじゃない。それに私の能力だと足を滑らせて水に落ちたりする人間も多かったから水死体はよく見ていたよ」
ミスティアが呆れた顔でそう返してきた。よくよく考えれば当たり前のことである。
「でも、じゃあいったいどうやって・・・!?」
アリスは何かに気付いて遺体に近づく。そして念入りに魔力を使って走査し始めた。
(これは・・・もしかして!)
「行くわよ、ミスティア!!」
「え?」
「ほら!早くしないと手遅れになるかもしれない!!」
「え、あ!」
アリスはミスティアの返答を待たずに、すぐさま目的地へと走っていった。廊下を走りながら人形達に魔力を込め始める。そして問題の部屋についた。
「・・・」
その部屋の奥に見える元凶に向かって視線を投げる。部屋の中には他の場所より強い守護の気があふれている。
「まさかこれが元凶とはね。今まで大した怪異が起きなかったのはあなたの力は今日最大となるから、他の日だとほとんど力を使えなかったからね。まぁそのおかげであなたの残滓を辿ることが出来たんだけど」
元凶は何も言わずにただ静かに座している。部屋の中の守護の気がさらに強くなる。だが、その中に若干淀んだ気が混ざり始める。
「その邪気を守護の気に紛れさせていたのね。道理で気付かなかったわけだわ。でも見つけたからには破壊させてもらうわよ!」
奥に座する雛人形に向かって人形をかざす。
――呪詛『魔彩光の上海人形』――
かざした人形から一本のレーザーが放たれる。その瞬間、どこからともなく大量の紙人形が現れ、上海人形と雛人形の間に飛び込んだ。レーザーは紙人形達を貫き、焼くが全てを貫く前に拡散し、雛人形まで届かなかった。
「なっ!?」
アリスが驚いた一瞬の隙を突いて、紙人形たちが襲い掛かる。アリスはすぐさま人形達で迎撃するが、紙人形達の数が多すぎる。アリスは徐々に追い詰められていった。
(押される!?)
アリスがあせり始め、ほんの少しだけ動きが鈍ったその時一枚の紙人形が足元に張り付いた。
「っ!?」
張り付いた紙人形から淀んだ力が流れてくる。まるで風邪を引いたときみたいに身体がだるくなり、思考にもやがかかる。
(まずい・・!)
人形達の動きが鈍くなり、アリスにどんどん紙人形が張り付いてくる。
(そうか、これで窒息させたのね!!)
既に半分近くが紙人形に覆われ、身動きが取れなくなってくる。アリスは雛人形を強く睨みつけるが、雛人形の瞳は何の感情も映さずアリスを見つめる。
(こんなところでっ!!)
とうとう、アリスが紙人形に飲み込まれるその瞬間、
――悲運『大鐘婆の火』――
突然青い炎が現れ、雛人形を包んだ。
『―――――――――――――――――――――――――!!』
炎に包まれた雛人形は、越えなき絶叫を上げて燃え盛った。
――傷符『インスクライブレッドソウル』――
そして聞きなれた声と同時に無数の銀線が走り、アリスを覆っていた紙人形達が切り刻まれる。
「大丈夫かしら?」
「咲夜!?」
そこにはナイフを構えた咲夜が立っていた。そしてその後ろからミスティアが現れる。
「間に合ったみたいだね」
「間に合ったって・・・」
「うん?雛人形が怪しいのは見てわかったから助っ人を頼んだんだよ」
「ってミスティア、あなたあれが怪しいって知っていたの!?」
「うん、というかアリスは気付かなかったの?すごい微かだけど変な気が漏れていたじゃない。てっきり気付いていたからあんなに見ていたんだと思っていたよ~」
「~~っ!」
いろいろいいたいことはあるが、取りあえずは置いておいて重要な事を聞く。
「で、助っ人って誰?咲夜?」
「いえ、私はあなたを探している途中で会っただけです。本当の助っ人は彼女ですよ」
咲夜が示した方向には一人の女性が立っていた。それは身体全体に負の空気を漂わせた緑髪の人外であった。
「後は私に任せて」
そう言って女性は雛人形に近づく。雛人形は未だにもえ続け、一向に燃え尽きる気配がしない。そんな雛人形に女性は声をかける。
「迎えにきたわ。さぁ、いらっしゃい」
――マダ、イケナイ、ワタシハ、カノジョタチヲ、マモラナイト――
その時雛人形から聞き取りづらいが確かに声が聞こえた。
「もう十分よ。あなたはもう必要とされていない」
――・・・ワタシハ、ナニカガ、タリナカッタノカ?――
「いいえ違うわ、あなたは頑張りすぎただけ。いままでご苦労様、だからもう眠りなさい」
――ダガ・・・――
雛人形が何かを言おうとする前に女性は炎に入り込み、その男雛と女雛を抱きしめた。
「もう、いいの。このまま眠りなさい」
恐らく何かしらの防御膜を張っているのだろうが、それでも女性の服と髪の先が焼け始め、皮膚が赤くなる。
――ヒナサマ!?――
「さぁ、このまま眠りましょう」
その時、ミスティアが一歩前に出た。そして胸の前に手をあて、静かに声を紡ぐ。
――薄紅色に染まりし花弁、私の頬に静かに落ちる。あなたの好きな花びら見上げ、あなたのために歌いましょう。旅立つあなたが振り向かないように、旅立つあなたが悲しまないように。あなたの旅路の餞に、私の声を捧げましょう。一人先に行くあなたの供に、私の想いを沿わせましょう。薄紅色の花びらに涙一片言葉に変えて、あなたへの手紙といたしましょう――
それは今まで殆ど誰も聞いた事の無い、夜雀の鎮魂歌であった。
――アァ、アァ――
ミスティアが声を紡ぐたびに雛壇が少しずつ燃え尽きていく。屏風が、右大臣、左大臣が、五人囃子が、三人官女が燃え尽きていく。終には男雛と女雛だけが残り、そしてそれも燃え尽きていく。最後に女性の手に残ったのは男雛と女雛の中から現れた紙の人形であった。そしてそれもすぐに燃えてなくなり、その手に一握りの灰だけを残した。
「・・・お疲れ様」
最後にそう呟いて、女性は懐から取り出した紙の船にその灰を優しく入れた。
「彼らは元は流し雛だったの」
緑髪の女性――鍵山雛はあの人形達の事をそう言った。彼女は人形達の声を聞くことが出来るという。
「流し雛?」
「ええ。昔、それこそ百年ぐらい前のこの家の主人が病弱な娘を救うために、高名な術師に頼んで作らせた厄落としの人形が彼等」
「でも、流し雛なら流すんじゃないの?」
アリスの問いに雛頷く。
「本来ならそう。ただその術師がとても優秀だったみたいで、その人形は非常に多くの厄を吸い取ってくれたの。だから当時の主人が一回で流すのを躊躇ってしまったのね。その為、主人は当時の人形師に頼んでこの人形を埋め込んだ雛人形を作ったのよ。流し雛から雛飾りへとね」
「・・・馬鹿な事をしたものね。魔術的な道具を元の役目を歪めて使用するなんて、危険以外のなにものでもないのに」
「ええ、それでも彼らは厄を吸収し続けた。だけど流し雛というのは流して初めて厄を落とすから、そのままではずっと溜まり続ける」
「じゃあ、今回それが噴出したってわけ~?」
ミスティアの言葉に雛は首を振る。
「いいえ、少し違うわ。彼らはこの家で長い間大事に扱われてきた、それこそ自我が生まれ、この家の守護神のような存在になるほどに。だから彼らは頑張って厄を外に出さないようにしてきた」
「じゃあ何故?」
その言葉に雛は悲しそうな顔をする。
「彼らに言った通り頑張りすぎたのよ。溜め込みすぎた厄と形の変化が、流し雛の存在意義を変質させてしまった。彼らはこの家の母娘を守ることが目的となり、その厄と守護の力を使ってその二人に仇成すものを排除しようとし始めた。殺された人達はその母娘をどうにかしてこの家を乗っ取ろうとしていたらしいわ」
「そんなことが・・・」
「ごめんなさい。私がもっと早く着ていれば防げたかもしれないのだけど、これを作るのに時間がかかってしまって」
そう言って見せたのは人形達の灰を入れた紙の船だった。
「この船は私の力を込めた紙を使っているの。これに灰を入れて川に流せば集めていた厄ごと無くなる。だからこの家の人に流させて欲しいの、それで全てが終わるわ」
渡された紙の船を眺めて、アリスは軽く息を吐く。
「わかったわ」
「そう、お願いね。・・・じゃあ私は行くわ、私はあまり人里にいてはいけないから」
雛はそう言って屋敷を跡にしようとするが、ふと振り返ってミスティアに声をかける。
「そうそう、連絡ありがとう。道を違えた流し雛がいることは知っていたけど、あなたのおかげで特定できたわ」
「それはなにより~」
「それと、彼らのために歌ってくれてありがとう。きっと彼らも安らかに眠れるわ」
「いいって~、私が歌いたいから歌っただけだし~」
「そう。でも本当にありがとう」
その言葉を言い終えると、雛はすぐに屋敷から消えていった。
その後、現れた紗代と美沙に事の顛末を話し、紙の船を渡した。最初二人はその内容に驚き信じなかったが、雅史と正治の部屋を調べていろいろ画策していた証拠が見つかると最終的には納得した。また、見つからなかった雅史夫妻は雛壇の床下にばらばらになって埋められているのが見つかった。そしてその夕方、アリス達と紗代達は川に来ていた。その手には紙の船があり、美沙が静かにそれを持ったまま川岸に座り込む。
「今までありがとう」
そう呟いて船を静かに川に浮かべた。水面に浮いた船は、いくつかの波紋を生み出しながらゆっくりと川下に流れていった。
(・・・人形の船送りね)
それは船に遺体を乗せて流す風習を髣髴とさせる。
(神になった人形の葬式、か・・・)
どこか物悲しさを覚えるその光景を、アリスはいつまでも・・・いつまでも見つめていた。
そんな穏やかな雰囲気の中、一人の神が空を見上げる。
「・・・」
その唇が紡いだ言葉は、果たしてなんであったのだろうか。
雛祭り、別名桃の節句。
和暦3月の節句に行われる祭事であり、女の子の日としても有名である。
川には多くの流し雛が流れ、家の中では雛人形が飾られる。少女達は自分の家の雛人形を自慢し、また他の家の雛人形を羨む。
「そもそも雛人形というのは、平安時代の遊びごとである雛遊びと流し雛が混ざったものという考え方が主流である。穢れをはらう節句の儀式としての人形に貴族としての見栄みたいなものが入り込み華美になったのだと考えられる。そもそも人形というのはヒトガタが元であり、その人の身代わりとなるものであったのだからその人形を華美にすることで自分達の繁栄を投影していたのかもしれない。まぁ身代わりとしての人形を華美にして、さらにそれを嫁入り道具として大切に使い続けるのには違和感が伴うけどね。そこらへんは人間特有の・・・」
「はいはいわかりました。で、雛人形はあるんですか?」
店主の冗長な言葉を遮り、咲夜は目を細めた。
「ふむ、雛人形か。生憎置いて無いね。そういうのは人里の方に言ったほうがいいと思うが?」
「人里にあるのは和人形ばかりでしょう?私が欲しいのは西洋人形で作られたのが欲しいのよ」
「それは既に雛人形とは言わない気がするが・・・」
「それはお嬢様に言ってくださいな」
「まぁ、それなら人形遣いに頼んでみたらどうだい?彼女なら作ってくれるかもしれないよ」
「う~ん、雛人形なんて作ってくれるかしら?」
「君の交渉しだいじゃないかな」
「それは責任重大ね。ま、頑張ってみますわ」
そう言って咲夜はきびすを返し、店から出て行った。それを見てから店主は机
の上においた本に手を出し読み始めた。そして、だれも訪れないまましばらく静寂の時が過ぎる。そして本が読み終わり次の本に手を伸ばそうとしたとき、店の戸が開いた。
「おや、珍しいお客ですね。香霖堂へようこそ、何かお探し物ですか?」
入ってきた客は商品には目もくれず、店主に話しかけた。
「製作物の依頼ですか。物は・・・紙の船?まぁいいでしょう」
客の奇妙な注文に店主は首をかしげたが、急いでいるということなのですぐに作業に取り掛かかることにした。
「で、私にお願いってわけ?」
「ええ、そういうことですわ」
人里のカフェに人形遣いとメイドが向かい合ってお茶を飲んでいた。
「確かに和人形も作れるけど、雛人形は作ったことないわ。まして西洋風なんて」
「そこをお願いできないかしら?」
「う~ん、できなくはないかもしれないけど流石に時間がないわ」
「あら、そうなの?」
咲夜の言葉にアリスは額に手を当ててため息をつく。
「あのねぇ、私はあなたみたいに時間を止めて作業できるわけじゃないのよ?いくらなんでも明日にまでに雛人形全部を作れるわけないじゃない!」
「あら、そうでしたわね」
今日は三月二日。雛祭りは明日。雛祭りに必要なお雛様、お内裏様、左大臣、右大臣、三人官女に五人囃子、仕丁の他諸々の小道具・・・いくらアリスといえどもその数を明日までに作ることなんで到底無理である。そんな当たり前のことをこの前にいるメイドは忘れるときがある。たまに見せる天然がこのパーフェクトメイドの欠点である。というか、欠点がある時点でパーフェクトではない気もするが、咲夜の場合それを狙ってやっている可能性もあるので侮れない。
「とにかく、無理なものは無理。せいぜい既存の人形に手を加えてそれっぽくする程度よ。それでも三段が限度だわ」
「そう・・・」
「あきらめて普通の雛人形を買ってみたら?それを洋風っぽくしてみたらいいじゃない。それぐらいならあなたでも出来るでしょうし」
「そうねぇ・・・そうしましょうか。アドバイスはしてくれるんでしょう?」
「まぁそれくらいならいいわ」
そうして二人して立ち上がる。アドバイス代がわりにと、伝票は咲夜が持った。そしてそのまま二人は連れ立って人形店へと歩いていく。
「いらっしゃいませ・・・ってアリスさん?珍しいですね、納品でも無いのにここにいらっしゃるなんて」
人形店で出迎えてくれた店員は、アリスの顔を見て意外といった顔をした。
「顔なじみなの?」
「まぁね、時々ここに人形や人形の洋服なんかを売っているのよ」
「アリスさんの作品は出来がいいので良く売れます」
「ま、人形芝居と一緒で貴重な収入源ね」
「もっと、沢山納品してくださるとありがたいのですが・・・」
「あくまで副業だからね、必要以上やるつもりは無いわ。本職の方の人形作りがおろそかになってしまうもの」
店員の言葉にアリスは手を振って答える。
「のわりには人形劇は結構やっているみたいだけど?」
「あっちは人形操作の練習を兼ねているからある程度の量はこなさないとね」
「そんなものかしら?」
「そんなものよ」
アリスは咲夜の言葉に肩をすくめて答える。
「それではどのようなご用件で?」
「ああ、そうそう。こっちの人が雛人形を欲しがっているのよ、見せてくれない?」
「あ、はい。ではどのような型で?」
「そうねぇ・・・衣裳着雛人形の古典下げ髪の型はある?値段は問わないわ」
「では、こちらへ」
店員が中を案内する。
「ねぇ衣裳着人形とか、古典下げ髪とかってどういう意味?」
歩きながら咲夜がアリスに聞いてきた。
「そうねぇ、まぁ見ながら教えるわ」
「古典下げ髪はここら辺になります」
「ありがとう。触ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
丁度案内が終わったので、アリスは人形を見せながら説明する。手袋をした華奢な手が人形を抱き上げる。
「まず衣裳着っていうのは人形に服を着せて作る人形のこと」
「それが普通じゃないの?」
「確かにこっちの方が主流だけど、雛人形にはもうひとつ木目込み人形っていうのがあってそっちは木で胴体を作って、そこに布地を埋め込んでつくるものもあるのよ」
「へぇ」
「あと、この衣裳着人形っていうのは顔と胴体で別々の職人が作ったりするから分離できるのよ。洋服を着せるならやはりこっちの方がやりやすいと思うわ」
「そうね。脱げないと駄目だものね」
「で、古典下げ髪っていうのはこういう風に髪を結わずに後ろに流す髪型のこと」
「そういえば、普通見るのはもっとこうお椀みたいな髪型ね」
「それは大垂髪っていう型ね。まぁ普通はそっちが一般的なんだけど、もし洋服にするならあの髪形は似合わないでしょう?」
「・・・確かに」
咲夜はあの髪型をした人形に洋服を着せたイメージを浮かべて納得した。
「でも、なんで古典なのかしら?」
「なんかこの人形をイメージしている時代っていうのはこの髪型のほうが主流だったみたいよ。確か大垂髪は雛人形が一般的になったときの髪型らしいわ」
「なるほどね」
「さて、肝心の人形の選び方だけどまずは顔ね。京顔とか種類もあるんだけど、どちらにしろこれが綺麗じゃないと始まらないわ」
「ふむふむ」
「顔もただ全体の作りじゃなくて瞼や耳、鼻や口の中とかいった細かいところまでしっかり作られているのが重要よ。次に見るのは手、そして足。こういう目にあまり触れないところまでしっかり造られている物はいいものよ」
「勉強になるわ」
「あとは生地の質ね。帯に使うような生地を使ったものが最高級だけど、着せ替えるならそこまで気にしなくていいかも。あと屏風とかの小物。実はこれが一番高かったりするから、今みたいに人形だけ欲しければ生地は地味なもの、小物は少ないものを選んだほうがいいわよ」
「・・・わかったわ。ありがとうアリス、あとは自分で選んでみるわ」
「そう、頑張ってね」
「ええ、出来たら是非見に来てね」
「楽しみにしているわ」
咲夜に人形の選び方をレクチャーしたアリスは、そのまま店の外に出ようとする。
「あ、アリスさん」
「ん?」
すると、先ほどの店員がアリスを呼び止めた。
「なにかしら?」
「あ、はい。実はお願いごとがありまして・・・」
「納品の増加は受け付けないわよ」
「いえ用があるのは私どもではなく、お得意様のほうでして」
「お得意様?」
店員の言葉にアリスは首を傾げる。
「はい、元々アリスさんを探していらっしゃったようで今日偶々見つけて、それでお会いしたいと」
「う~ん」
すこしだけ考える。人里でアリスに頼みごとといえば大抵は人形劇か人形制作の依頼である。別段このあと特に何か用事があるわけでもなく、暇を持て余している。
(まぁ別にいいか)
「いいわ、連れて行って」
「本当ですか、ありがとうございます!」
そうして店員に連れられてアリスは奥のほうに歩いていった。そうして着いた奥にある座敷には三十半ばぐらいの女性が待っていた。アリスを目にすると深々とお辞儀をして、
「急にお呼びたてて申し訳ございません。私は美河紗代といいます」
「アリス・マーガトロイドよ。で、用事って何かしら?」
「はい、魔術と人形についての専門家としてお願いしたいことがあります」
アリスは女性――紗代の言葉に肩眉を上げる。人形の専門家としてのお願いなら普通である。しかし今回は『魔術』もついてきた。アリスは少しだけ警戒をしながら話を促す。
「実は私達の家に最近怪異がおきるのですが、それを解決していただきたいのです」
「・・・そういうのは巫女とかに頼めばいいんじゃない?そっちの方が専門家よ」
「いえ、私も最初は博霊の巫女様に頼んだのですが解決しなくて、そしたら巫女様が『これはアリスの方が適任な感じがするわ』とおっしゃられて」
(霊夢が?)
霊夢が解決できなかったことも驚きだが、アリスが適任と感じたことも驚きであった。彼女が自分を名指しで指名する理由としては一つしかない。
「・・・もしかしてその怪異、人形が関係するのかしら?」
アリスの問いに紗代は頷き、
「はい。巫女様も人形が関係しているのは間違いないと・・・」
「なるほどね」
「引き受けていただけないでしょうか?」
「そうねぇ・・・」
アリスは真剣に考える。霊夢も放棄したものとなるとかなり厄介なのは確実である。だが、その霊夢が人形が原因だと確信し、尚且つ自分を指名した事を考えると特殊な人形が関わっている可能性が非常に高い。霊夢すら解決できない怪異を起こす人形、興味が無いわけではない。
「・・・報酬は?」
「これくらいで・・・」
紗代が示した金額は十分すぎるほどの量であった。人形という物品の購入が必須な物を扱うアリスにとって、蓄えはあるに越したことは無い。
「いいわ。受けてあげる」
「あ、ありがとうございます。では、いつごろから?」
「今からでいいわ。特に必要なものっていうのは無いし」
アリス早速彼女の屋敷に向かうことにした。幸いなことに咲夜と会うということから弾幕ごっこの準備はしてきてある。戦闘になったらそれをそのまま使えばいい。
「では、こちらへ」
紗代に連れられてアリスは人里を歩いていく。春が近づき徐々に暖かくなってきたこの時分、通りも活気が上がってきた感じを受ける。そんな中、アリスは見知った顔を見つけた。
「あれ、ミスティア?」
「ん?あ~森の人形遣い~」
通りをうろうろしていたミスティアを見つけてアリスは話しかける。
「なんでこんな昼間から人里に?普段はこの時間寝ていなかったかしら」
「あ~、ちょっとね~」
アリスの問いにミスティアはなんともいえない表情で頬を掻く。
「実はお客さんが暴れて屋台が壊れちゃってね~、その修理のための材料とか買いに来ているんだ~」
「それは災難ね」
「ホントだよ~!幸いなことに修理代は払ってくれたけどさ~」
ミスティアがむくれながらそう喋った。
「でも、よくあなたは平気だったわね」
「まぁこれでも危険を感じる力はあるからねぇ~」
そういえば小鳥なんかはそういった能力が高そうに見える。そしてふとアリスは良い考えを思いついた。
「ねぇ、あなた一人で屋台を直すのは大変でしょう?私と人形でやってあげるから、代わりにこっちを手伝ってくれない?」
アリスは警報機代わりにミスティアを使おうと考えた。さらに言えば何かあったときに戦える手数が欲しいというのもある。ミスティアなら最低限の戦力にはなる。
そう考えたアリスはミスティアに助手を要請した。
「え、う~ん。確かに私一人で修理するのは大変出しなぁ~」
ミスティアはしばらく考えて、そして頷いた。
「うん、わかった。手伝うよ~。でも約束は守ってね?」
「大丈夫、魔法使いにとって契約は絶対よ」
「あの、よろしいですか?」
「ええ、あとこの子も連れてっていいですか?」
「あ、はい。構いませんけど」
「そう、じゃあいくわよ」
「はいは~い♪」
「ここ?」
「ええ」
つれてこられたのは綺麗にはされているが相当古い家屋で、かなりの年月を感じさせた。
「ふ~ん、見た感じ妖気とかは感じないわね」
「うん、むしろ守られている感じがして私は入りにくいなぁ~」
「確かに弱い結界みたいなものが感じられるわね」
アリスの見立てでは屋敷全体が薄い力場に覆われており、それが妖怪であるミスティアには不快感として感じられるようだ。こんな状態ではむしろ他の場所よりも安全に思える。
「本当に怪異なんて起きるの?」
「はい、実際に何人か被害に遭われています。夫の姉夫婦や弟夫婦、一部の使用人などが襲われているんです。つい先日は甥が骨を折るなどの大怪我をしまして」
「結構な人数だねぇ~」
「というか、そんなにここにいるの?」
「あ、はい。もともとは私と娘、使用人、それと亡くなった夫とで住んでいたのですが、少し前から親戚が泊まりに来ているんです」
「そう聞くと親戚が怪しく感じるけどね」
「でも、この怪異はここ最近から始まっているんです。親戚たちが泊まりに来ているのはもう一月以上も前からなのに・・・」
紗代はそういって困惑した顔をした。
「ねぇ、とにかく中にはいらない~?これじゃあ外から見てもわかんないよ~」
「それもそうね」
「では、こちらへ」
アリスとミスティアは女性に促され屋敷の中へと入っていった。屋敷の中に入るとよりいっそう守護の気が強くなる。
(古い家によくいる守り神の類がいるのでしょうね)
その守護の気が屋敷の空気に混じりこみ、隣を歩いているミスティアの妖気がぼやかされる。そのミスティアは居心地が悪そうにきょろきょろしていた。
紗代に通された居間でアリスは女性から詳しい内容を聞くことにした。
「で、怪異っていったいどんなことがおきるのかしら?」
「はい、まず誰もいないはずの部屋から話し声が聞こえたのが始まりだそうです。その後いきなり物が倒れたり、部屋がぐらぐらと揺れたりといったことが起きているそうです」
(ふむ、ほとんどポルターガイストと一緒ね)
「そしてつい先日甥が襲われて・・・甥が言うには白い紙の人形みたいなものが現れて襲い掛かって来たそうなんです」
(う~ん、白い紙の人形ねぇ・・・人形の呪物としてはメジャーな感じね)
「なんか全部聞いた話って感じだけど、そっちは遭遇していないの~?」
いままで大人しくしていたミスティアが口を開く。その言葉に紗代はうなずいて答えた。
「ええ、私は一度も遭遇したことないんです。他にもそういう人が何人かいます」
「なるほどねぇ、全員って訳じゃないんだ」
「はい」
その言葉にアリスはさらに考える。
(無差別じゃなくて選択している?となると、家に怪異を起こすという以外の目的があるってことかしら・・・)
「この家に若い女性はいる?」
とりあえずアリスは人形のことは置いておいて、まず種としての騒霊としてではなく思春期の女性によるポルターガイストの線を考えることにした。それによるポルターガイストならば妖気は存在しないのも頷ける。
「ええ、十五になる娘が一人」
「ちょっと連れてきてもらえる?」
「あ、はい」
紗代が近くのものに声を掛けると、しばらくして若い娘が現れた。
「この子が娘の美沙です」
「はじめまして」
アリスは美沙がお辞儀をするのを注意深く観察する。
「どうかしましたか?」
「いえ、こういった怪異の原因は若い女性だったしすることがあるから・・・」
「それで・・・?」
紗代の問いにアリスは首を振った。
「そんな様子はないわね」
「そうですか・・・そういえば巫女様もこの家にいる人全員と会っていかれましたが、特に女性をしっかり見ていたような気がしたのはそういった訳ですか」
「霊夢が・・・?」
「はい」
(そりゃあ腐っても博麗の巫女だものね、それぐらいはしっかり調べているか・・・)
あの感が鋭すぎる巫女が見ても判らなかったのだから、住人が原因である可能性は低いだろう。そう考えて、アリスは悩む。
「・・・とりあえず家の中を回ってもいいかしら?」
「どうぞどうぞ、お一人で大丈夫ですか?」
「そうねぇ・・・案内を娘さんに頼んでもいいかしら?もしかしたら場所によって何かあるかもしれないし」
「判りました。じゃあ、マーガトロイドさんをよろしくね」
「はい」
「ミスティアも行くわよ」
「え~、私も~?」
「当たり前じゃない。何のために連れてきたのよ?」
「はいは~い」
ミスティアがしぶしぶ立ち上がり、うーんっと伸びをする。その際背中の翼がパタパタと軽く羽ばたいた。そののんびりとした様子を見ている限り、彼女は守護の気が気にならなくなってきたようである。おそらくミスティアがこの家に害をなす存在ではないと認識されたからであろう。
「じゃあ行きましょうか」
「ええ、よろしく」
そうしてアリスとミスティアは美沙の後に続いて屋敷内を探索することとなった。そして居間、台所、応接間、寝室、倉庫、物置、風呂場、果てはトイレまで見て回ったが特に異常は見当たらなかった。
「ぜんぜんないね~」
「う~ん、見落としているっていう可能性もあるけど・・・」
「えっと、ここが最後の部屋になります」
そういって開けられた襖の先にあるものを見て、二人は目を見開いた。
「へぇ・・・」
「うわ~」
真っ赤なもうせんに金色の屏風、華美に装飾された雪洞やお道具、滑らかな光沢を放つ着物に、美しい顔をした人形達。そこには既に芸術品と呼ばれるような豪華な雛壇が鎮座していた。
「すごいわね」
「ほんとね~」
「ありがとうございます。これは相当昔から家に代々伝わるもので、当時の職人が丹精こめてつくった傑作だそうです。我が家の自慢の一つですね」
そういう美沙の顔は少し誇らしそうであった。
「近づいても?」
「ええどうぞ。ただあまり触らないでくださいね」
「わかっているわ」
アリスは雛壇に近づいてよく見てみる。
(所々修復された跡があるわね。それでも顔、着物、小道具、どれをとっても一級品
だわ)
同じ人形を作る者としてアリスはこの雛壇の出来ばえに素直に感心する。いつのまにか近寄ってきていたミスティアも覗き込むが、ふと何かに気づく。
「あれ、これって・・・」
「そうね」
そう、この雛壇から守護の気が溢れているのだった。恐らく、長く大切に扱わられてきたのだろう。流石に妖怪を締め出すほどの力は無いが、普通の妖怪なら嫌がってこの家には近づかないだろう。
(妖怪の可能性が低いとなると余計にわからないわね・・・よほどこの家に恨みがあるか、それとも人為的なものかしら?)
アリスは人形以外の原因を考える。しかし霊夢がこれはアリスが適任といったからには高確率で人形が関係しているのだろう。あの巫女の感はもはや高度な未来予知レベルに達している。
(この人形の気は屋敷全体を覆っている・・・この人形から情報を得られれば一番手っ取り早いんだけど)
「あの・・・」
「なにかしら?」
「お連れ様はもう行ってしましましたけど、良いんですか?」
「えっ!?」
ふと我に返って周りを見ると、既にミスティアの姿は無くなっていた。
「~~~っ!どこ行ったかわかる?」
「いえ、屋敷内をふらふらしているからと」
「はぁ~、仕方ないわ。私も一人で動くから案内はもういいわ。ありがとう」
「あ、はい。では何かありましたら屋敷の者に伝えてください」
「ええ」
「美沙」
アリスが出て行こうとすると、四十位の男性が廊下から現れた。
「紗代さんはどこにいるかわかるかい?」
「母でしたら、さっき土間の方にいましたけど、何か?」
「いや、帳簿におかしなところがあったからそれについて聞きにな」
「そうですか」
「じゃあ、邪魔したね」
「いえ」
そうして男性は廊下を進んでいった。
「今のは?」
「伯父の雅史さんです。父の姉の夫なので直接の血のつながりは無いんですが、父が亡くなってから家業の手伝いをしてくれているんです。仕事がしやすいからと最近こっちに引っ越してきたんです。おかげでいろいろ助かっていると母が言ってました」
「ふぅん」
「そういえば、伯父も怪異にあったことがあるみたいです」
「そう。まぁいいわ、とりあえず私は行くわね」
「あ、はい」
そう美沙に言って、アリスは雛壇の飾られた部屋を後にした。
「~~~♪~~~♪」
その少し前ミスティアは鼻歌を歌いながら屋敷内を闊歩していた。あのままアリスについていっても対して役に立ちそうに無いし、いろいろ考えるのも自分の性に合わないからだ。
(まぁ気になる点はあったけど一応手は打っといたし、まぁ明日になればどうにかなるでしょう~♪)
先ほど言伝を頼んでおいた小鳥を思い出し、ミスティアはやれる事はやったと考える。そしてそのまま夕食までの暇つぶしを考え始めた。
(さてさて、ちょっと台所でも見学しようかな~?なにか面白い料理とかあるかもしれないし)
「って、わ!?」
「おお!?」
いきなり横の障子が開き、出てきた男性とぶつかった。
「っとっと、ごめんね~」
「いやいやこちらこそ、ってお主は妖怪!?」
出てきた男性――雅史はミスティアの容姿を見て警戒を露にする。
(あ~、そういえば今この屋敷ってへんなことが起きているから敏感になっているんだね~)
ミスティアのその様子を見て気分を害す訳でもなく、すぐさまそう結論した。もともと人を襲っていた彼女にとって、こういった感情は別に珍しくもなんとも無いのであった。
「あ~、私はここの人に頼まれて調査に来ているだけだよ~」
「何、紗代さんに頼まれて?」
「そうそう」
「ならさっさと解決してくれ。こっちはおちおち寝ることも出来ん」
「はいは~い」
「ふぅ、全くなんで妖怪なんかに・・・」
ミスティアが気楽に返事をすると、雅史は軽くため息をついてからミスティアが来た方に歩いていった。
(あ~あ仕方ないとは思うけど、あんまりぎすぎすしているような所に長く居たく無いなぁ)
ミスティアは心の中でぼやくと、台所の方へ歩いて行く。
(ま、それでもどうせあの人は『明日までにはもう顔を合わせなくなる』だろうしね)
「あ、いたいた」
「あれ、アリス。もう雛人形はいいの~?」
台所へ歩く途中でアリスと会ったミスティアは、首をかしげて尋ねた。
「いいの~って、あのね~勝手にいなくなったら困るでしょう?」
「だって、邪魔しちゃ悪いと思ったし~、それにあそこにそのままいても私は役に立たないよ?それならいなくたっていいじゃない」
「いや、でもね」
「で、なんかわかったの~?」
「~~~っ!」
アリスは少しだけ口の端をを引きつらせる。屋台で人の話を聞かないマイペースな妖怪だとはわかっていたが、わかっていても気にさわるのが彼女の性格である。それでも冷静であろうとする信条はそれを米神だけに押し込める。
「・・・いまのところは伸展なし。取りあえずは夕食まで適当に探索かな」
「そう。私は台所で料理を身に行くつもり~」
「はぁ・・・あ、そういえばさっきどうせならこのままここに泊まらないかって言われたんだけど、あなたはどうする?」
「ん?泊まりか~」
ミスティアは少し考える。現在屋台は修理のために営業はしていないし、魚類も飼ってはいないからいちいちねぐらに帰る必要も無い。さらに言えばこの様子だと明日もここに来なくてはいけないから帰るのは面倒でもある。
「そうだね~、私も泊まろうかしら~♪」
「わかったわ。じゃあまた後でね」
「は~い♪」
(さ~て、今日は久しぶりに人間の料理でも見てみようかな~。どうせ『明日で全て終わる』だろうし)
アリスと別れたミスティアはそのまま当初の目的である台所に向かっていった。
「全く、妖怪に妖怪の調査を頼むなんてどうかしてる」
先ほど紗代と話し合ってきた雅史が、ぶつぶつと言いながら自分の部屋で帳簿をつけていた。
「全くねぇ、これ以上おかしなことが起きたらどうするつもりなのかしら?」
そのよこで、妻らしき女性が呆れた顔で相槌を打つ。
「うむ、やはりそんなこともわからないような奴にこの家を任せることは出来ない。そう思うだろう絵美?」
「でも、どうします?婿に出すといっても私達には弟のように丁度いい年齢の息子はいませんよ?」
「だが、その甥は怪異のせいで骨折して入院している。どうもあいつは娘を手篭めにしてやろうと考えていたらしいから丁度良い。流石に折れた足では夜這いになど行けんからな」
「あら、そうでしたの?」
絵美の言葉に雅史は頷き、金を払って使用人から聞いた話を思い出す。
「ああ、どうも使用人に金を渡して手引きを頼んでいたらしい。そしてちょうどそれを行う日に襲われたわけだ」
「あらあら、それじゃあまるでその怪異が守っているみたいね」
「確かにな。しかし怪異か・・・」
「どうしました?」
雅史が考え込むのを見て、絵美が首を傾げる。
「そうか、怪異のせいにすればいいのか」
「どういうことです?」
「つまりだ、怪異にあの母娘と邪魔な者を消してもらえばいいんだ」
雅史の言葉に絵美は怪訝な顔をする。
「でも、そんな都合よくいなくなってくれるかしら?」
「いや、別に本当に怪異にやってもらう訳では無い。重要なのは今ここで何かが起きれば全て怪異のせいに出来るという点だ」
「・・・なるほど」
雅史が何を言いたいのかわかった絵美は妖しく微笑んだ。
「しかし、私から言っておいてなんだがお前は大丈夫か?血のつながりがあるのだろう」
「いえ、大きな事の前には犠牲が付き物ですわ。私が涙をこらえればいいことです」
「そうかそうか、お前は素晴らしい女だな」
「ふふふ」
「んふふ」
――ギシッ――
「!?」
雅史と絵美が静かに笑っていると、襖の先で何かが床を踏みしめる音が聞こえた。
「・・・」
「・・・」
二人は無言で視線を交わし、雅史が静かに立ち上がる。もしさっきの話を聞かれていたら非常に厄介なことになる。そんな気持ちが彼の手に硯を持たせる。
(まぁ、いざとなったらそいつも怪異のせいにしてしまおう)
そして雅史の手が襖にかかる。そして一気に襖を開け放った。
「?」
だが、その先には誰の姿も見えなかった。辺りを見回してみても人がいた様子はない。
「・・・気のせいか」
そして絵美の方になんでもないと伝えようとして振り返った。
「!?」
しかし振り返った先には絵美の姿は見当たらなかった。もちろん移動した様子も無い。先ほどまで妻が座っていた座布団がなければ、妻がいたということすら信じられないほど自然に跡形もなくいなくなっていた。
「どういう・・・?」
――パタンッ――
「っ!」
振り向くと開けたはずの襖が閉まっている。思わず襖に手をかけたが、膠で貼り付けたように動かない。思わず蹴ってみるが軽くしなるだけで襖が外れる様子も無い。
「くそっ!一体なんなんだ!?」
思わず毒づくが、ふと違和感を覚えて辺りを見回す。
壁、襖、畳、机、見た目にはどこも変化はない。でも何かが変化している、それだけはわかる。
――ぐにゃり――
空間が変質する幻聴を聞いた。
それを境に音が死に始める。何も動かない。誰も喋らない。どれも『生きてない』。しんっとした静寂だけが支配する。耳鳴りすら聞こえない。ぞっとするような死んだ音だけが耳に入る。
襖の向こうの世界が消える。天井の上の世界が溶ける、床の下の世界が死ぬ。この部屋の壁の表面、薄皮一枚先には何も無いと幻視する。自分ひとりだけがこの世界にいると錯覚する。徐々に空気が粘着性を帯びてくる。肌の上を空気が『ぬらり』と流れ落ちる感触を感じる。粘着性を増した空気が喉にこびりついて呼吸が苦しくなる
――はぁ、はぁ、――
どろりとした空気は肺の中に入り込み、血液に溶け込んで体中に回る。心臓が膨らむたびその中で糸を引く。血管の中で血球と混じりながらぞわりぞわりと流れていく。体中が空気に汚染されていく。ぐちゃり、ぬちゃりと侵していく。優しく静かに汚していく。
喉は既に声を上げる命令を受け付けない。ただ時折ひゅー、ひゅーという音だけを奏でていく。『助けてくれ!』『誰かいないか!?』思考はそのまま喉を通り過ぎて脳に帰ってくる。
――はぁ、はぁ、――
声が出ないから恐慌状態にすらならない。ただ、冷や汗だけが腐った水のような空気の中を流れ落ちる。動かない手足をあざ笑うように汗だけが畳に垂れ落ちる。力が入らないのに座り込むことも、手にした硯を落とすことも出来ない。まるで操り人形のように立ちすくむ。
唯一動く視線だけを動かして部屋をゆっくりと眺める。天井、欄間、障子、襖、机、畳、座布団と視線を動かす。
そしてふと気付く。絵美の座っていた座布団の下から白い何かがはみ出していた。それはとても薄っぺらく、紙のように見える。襖を開ける前と後で唯一の違いがそこにあった。小さいけれど決定的な違い。そして引き寄せられるように焦点がそれに合う。
――ススッ――
焦点が紙にあった途端、白い紙がゆっくりと動き出す。誰も触れていないのにゆっくりと座布団の下から這い出てくる。それは紙そのものが座布団という重石から抜け出そうとしているように見える。小さすぎて聞こえないはずの畳と紙が擦れる音がこだまする。
――ススッ――
白い紙が這い出るたびに空気が濃くなる。ねっとりとした空気は既に重量を感じさせ、まるで油の中に沈んでいるような錯覚を覚える。指や足の間をぬるりと空気が撫でる。その感触に何故か吐き気を覚えて胃が痙攣するが、重い空気が胃をふたして中身を外に出させまいとする。暴れる胃袋が痛いほどの不快感を訴える。
――ススッ――
紙が半分ほど外に出てきた。それは白い紙で作られた人形であった。
雅史は漠然と理解する。あれが出てきたらお終いだと。あれが出てくる前にどうにかしないといけないと。しかし身体はいっさい言う事を聞かない。先ほどまで動かしていた視線すら動かせない。ああ、また少し外に出た。だが、たとえ身体が動いたとしても何が出来るだろうか。この部屋からは出られない。だからといってあれを直接どうにかすることなんで出来ない。座布団をかけ直しせばいいというものでも無い。なによりあれには近づきたくない。さらに紙が出てきた。出来ればここから全力で逃げ出したい。だが逃げ出すことは出来ない。ならば身体が動いても動かなくても変らないのではないか。だがあれを見続けるなんて出来ない。でも視線を逸らすのも怖い。結局動いたところで何も意味は無い。もうあと少しで全て出てくる。
――ススッ――
とうとう人形が外に出てきた。出てきた人形はそのままゆっくりとこちらに近づいてくる。視線は勝手に人形に合わせて移動する。人形が近づくたびに空気が重くなる。徐々に近づいてくる終わりに狂うことすら許されず、ただただ立ちすくむ。
――スッ――
足元から一歩分前に来て止まった人形は、そのまま静かに身体を起こす。そして左腕にあたる部分を上げる。すると雅史の左腕も同じように勝手に上がる。そして今度は右腕を上げると、今度も同じように右腕が上がる。
――ゴトッ――
右手に持っていた硯が畳に落ち、鈍い音を立てて畳に凹みを作る。
人形が右腕を左腕の先に持っていく。雅史の腕も同じ行動をとる。彼の目はは恐怖に見開き、口は奥歯をかちかちと鳴らすことしか出来ない。
そして、人形が自らの手の先をちぎり取った。
――ぶちりっ――
雅史の左手首から先が右手にってもぎ取られた。
「・・・っああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
一瞬の後、雅史の喉から絶叫が迸る。
だが自由を取り戻したのは喉だけで、未だに他の身体は言う事を聞かない。人形は手にした自らの手を捨て、再び左腕に手を伸ばす。雅史の腕も同じように手首を捨てて再び血を撒き散らし、骨の見えている左腕に手を伸ばす。雅史は絶叫しながら全力で腕を止めようとするが、一切言う事を聞かない。そして人形が再び腕をちぎる。
――ぶちりっ――
今度は肘からもぎ取られ、さらなる絶叫が雅史の口から漏れる。痛みで気を失いそうになるが、痛みで気を失えないという拷問に彼の精神が破裂しそうになる。さらに人形は右腕を伸ばし、今度は肩から先をちぎり取った。それと同時に男性の肩から先がちぎれ、また雅史が声を上げる。
人形は今度は右腕を顔のところに近づけ噛み付くようなしぐさをする。すると雅史は涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになった顔に腕を近づけて、手の先に噛み付いた。そして人形が右腕を噛み千切ると、雅史も同じように右腕を噛み千切った。
「~~~~~~!!」
叫び声を上げたいが、右腕を咥えているためにそれすら出来ない。そうやって右腕をちぎり取ったら、今度は人形は足の間に頭を挟んだ。雅史も同じように足の間に頭を挟む。
「や、やめっ」
何をするか気付いた雅史が声を上げる。
――ぶちりっ――
人形が足の間で己の頭をちぎり取った。
「あら、伯父さんたちは?」
夕食時、いつもなら既にいるはずの人間がいないことに気付いて紗代が首をかしげた。
「珍しいね。姉さん達がまだ来ていないなんて」
「本当ね。まだ仕事しているのかしら?」
その後すぐに来た男性と女性が、そう声を上げる。
「誰かしら?」
アリスが隣の美沙に声をかける。
「父の弟の正治叔父さんとその奥さんの理恵さんです。雅史伯父さんと一緒に仕事を手伝ってもらっているんですよ」
「彼らも最近引っ越してきたの?」
「はい、正治叔父さんは私のことをとても気にかけてくれるいい人ですよ。あと叔父さんたちの息子に達也さんがいます。今は先日の怪異で骨折して入院していますけど」
「ふ~ん」
「仕方ないわね、だれか呼んできてもらえないかしら?」
「じゃあ私が呼んできますね」
美沙がそう答えて奥に行くのをアリスは少しの不安と共に見ていた。
(何も無ければいいけど・・・)
しかし、その思いとは裏腹に美沙は一向に戻ってこず、心配した紗代が思わず立ち上がりかけたときにやっと帰ってきた。
「遅かったわね。それで伯父さんたちは?」
「見当たらなかったわ。他の人にも聞いたんだけどどこにもいないみたい」
「外かしら?」
「ううん、外に出たのも見ていないって」
「そんな・・・」
その二人のやり取りを聞いて、アリスは立ち上がった。
「ねぇ、ちょっとその伯父たちの部屋に案内してくれないかしら?」
「え、あ、わかりました」
「ミスティアは?」
「私はここにいるよ~。多分見たって変んないから」
「あ、そう」
やる気のなさそうなミスティアをほっておいてアリスは美沙についていって伯父の部屋まで歩いていった。
「ここです」
「ふうん」
案内された部屋に着くと、アリスはすぐに周りを調べる。ぱっと見特に変ったところは無いが・・・。
(ん?)
魔力で部屋を走査してみると、若干の魔力の残滓を見つけた。
(これは・・・空間移動系かしら?あと、結界の跡みたいなものもあるわね)
アリスが考え込むと美沙が心配そうな顔をして、
「あの、なにかあったんですか?」
「え、ああ、うん。もしかしたらここにいた人達は怪異に巻き込まれたかもしれない」
「ええっ!?」
娘が驚いた顔をする。今まで最大の事件で言えば骨折だったのに、いきなり人が消えるとなればそれは驚く。アリスとて半信半疑だが、部屋に残った残滓がここで何か起きた事を裏付けている。
「念のために聞くけど、その伯父達は魔法やその類を使ったりしないわよね?」
「ええ、伯父さんたちがそういった事が出来るとは聞いたこともありません」
「となるとやっぱり・・・」
アリスは黙り込み、美沙は不安そうな顔をする。
「・・・とりあえず戻りましょう。この事を皆に伝えないと」
「え、ええ」
そうしてアリスと娘は戻り、そこにいた全員に起きたと思われる事を話した。
「つまり、何か起きるかも知れないから十分に注意しろってことだろう?」
そう締めくくったのは正治である。その顔は若干の緊張に包まれていた。
「まぁそういうことね。とりあえず今日は一日中起きて警戒はするつもりだけど」
「ええ!?大丈夫なんですか?」
美沙が驚いて聞いてくるが、アリスは苦笑して肩をすくめる。
「まあ私はもともと寝なくても平気だから大したことでは無いわ」
「ならいいんですけど」
「あ、ミスティアもやってもらうから」
「ええ~」
「それも仕事のうちよ」
「う~、やっぱり引き受けるんじゃなかったかな~」
「もう、遅い」
ミスティアがぼやくが、アリスはそれを一蹴した。
「と、そういうわけで十分気をつけてね。可能ならみんな一緒に寝れれば良いんだけど・・・」
「さすがに使用人含めて全員一緒に寝れる部屋は・・・」
「そうよねぇ・・・まぁなるだけ一緒の部屋で尚且つ部屋を固めてくれると助かるわ」
「分かりました」
そしてこれからの諸注意――何かあれば直ぐ声をあげる等をいってから夕食は解散となった。
(全く、どうしてこんなことに)
夜、布団の中で正治は心の中で毒付く。
(せっかく息子を焚き付けて娘を手篭めにしてこの家を手に入れようと思ったのに、達也は骨を折るし、姉達は行方不明になるし、自分達は怪異におびえて雑魚寝ときたもんだ)
正治が寝ながら周りを見渡すと、いくつかの布団が盛り上がっているのが見えた。耳を澄ませば複数の寝息も聞こえる。
(まぁ仕方ない。幸いなことに邪魔者はいなくなったし、息子が帰ってきたらまた焚き付けてやればいい。それまで邪魔な虫が近づかないようにしておかないとな)
そして男は目を閉じた。
――すぅ、すぅ――
寝息の音だけが静まった部屋に響く。
――すぅ、すぅ――
時刻は既に草木も眠る丑三つ時。流れる寝息すら寝ているような時に正治は再び目を覚ました。
(・・・)
正治はぼんやりとした眼で天井を見つめる。
(妙に目が冴えてしまった・・・)
再び目を閉じて眠ろうとするが眠れない。
(まさか怪異が怖くて緊張しているのか?)
思わず自問した内容に心の中で苦笑する。すると、その時不意に部屋の中を誰かが歩き回る気配がした。
(ん、いったい誰だ?)
正治は顔を上げて確認しようとする。
(!?)
その時になってようやく自分の身体が動かないことに気付いた。
(金縛りか?)
しかし身体が動かないといっても正治は慌てなかった。彼は今まで金縛りを何度か経験しており、大体は寝るかしばらくすれば動けるという事を知っていたからだ。歩いている人物は気になるが、そのまま大人しく横になっていることにした。
(どうせ厠か何かの行きか帰りだろう)
そしてそのまま目を閉じるが、気配は一向に布団に潜る様子も部屋から出て行く様子も無い。気になった正治は再び目を開ける。
(おかしい、一体何がしたいんだ?)
金縛りは一向に解けず、肌に感じる気配だけが部屋を歩き回る存在を知らせてくれる。身体が動かせない分他の感覚が鋭敏になっていく。そしてふと気付く、何故か先ほどまで聞こえてきた寝息の音が『全く聞こえなく』なっていた。
(まさか、既に・・・!?)
その想像をした途端、激しい動悸が正治を襲った。
――ひゅー、ひゅー――
か細い息が口から漏れる。
歩き回る気配はゆっくりとこちらに近づいてくる。見ることは出来ない。一切音を立てないので聞くことも出来ない。しかし近づいてくることだけはわかる。
――ひゅー、ひゅー――
心臓が拍動のし過ぎで痛くなる。口の中が乾いて舌が張り付く。視界が脈拍と共に揺れ眩暈のように歪む。動かない身体が冷たい汗を流す。肺が小さく早く収縮して、空気が取り込めなくなる。
――ひゅー、ひゅー――
気配はゆっくりと近づいてくる。畳の上とはいえ、まるで重さが無いように一切の物音を立てずに近づいてくる。
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
ゆっくりと・・・
――ひゅー、ひゅー――
身体が動かない事をこれほど怖いと思ったことはなかった。声も上げられず、逃げることも出来ず、ただただ『あれ』がちかづて来るのを待つだけである。時間が狂う。一秒一秒が長く感じ、気配の一歩一歩が短く感じる。音無い完全な静寂の中、『あれ』の気配だけが鮮烈に感じられる。
――ひゅー、ひゅー――
気配が足元にたどり着く。見えてはいないが見下ろしていることだけはわかる。人型の何かが足元に立っている。もやもやとした人型のでも決して人ではない『何か』がすぐ側にいる。
視界には天井だけが映っている。ほんの少し下に視線を逸らせば『それ』が目に入る。だが『それ』を目にしてしまったらもう逃げられないと本能的に理解する。気配はただじっと見下ろしている。見たく無いという恐怖と見えないという恐怖がせめぎ合う。そして、とうとう見えないという恐怖が打ち勝ち、視線が徐々に下に下がる。
まず見えたのは白い頭だった。そして同じく白い身体。妙に薄っぺらいそれはまさに紙で出来た人形だった。その人形が自分を見下ろしていた。そして無いはずの目が合う。人形はゆっくり近づいてくる。
――ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー――
悲鳴の代わりに細い息が漏れる。人形はそのままどんどん近づいてくる。目を見開いた顔と人形が重なる。
「~~~~~~~!!」
鼻と口が紙で覆われる。乾いているはずの紙がまるで濡れたようにぴったりと張り付き、通すはずの空気を遮断する。何とか剥がそうとするが身体は未だ動かず、柔らかいはずの紙はなめし皮のように硬い。徐々に空気が足りなくなり、思考にもやがかかり始める。紙で白いはずの視界が暗くなってくる。身体が穴に落ちていくような感覚が襲い、視界が遠くなる。そしてそのまま暗闇へと落ちていった。
「暇~」
「うるさいわよ。我慢しなさい」
「え~」
ミスティアはアリスと共に屋敷の人が眠る部屋の前でじっと座っていた。昨日は満月だったので空には少しだけ欠けた月――十六夜月が浮かんでいる。空はよく晴れて、中天に浮かんだ月が眩いばかりの光を放っていた。時折浮かんでいる雲が青い陰影を映し出す以外は星すら見えない、何もない明るい夜であった。
(こんな日は歌うのに絶好の日和なんだけどなぁ)
でも流石にここで歌うのは気が引ける。というか、確実に怒られる。仕方ないので小声でハミングをすることにした。
「~~♪~~♪」
「ほんと、歌うのすきねぇ」
アリスが呆れたように言うのをミスティアは苦笑して言い返す。
「いや、だって『歌』が私の存在理由だもの」
「存在理由ねぇ」
「ないの?」
ミスティアの言葉にアリスは少し考えてから答える。
「私の場合は・・・強いて言うなら人形作りかな。そのために魔法使いになったんだし」
「へぇ、アリスは元人間なんだ」
「一応ね」
「だからかぁ」
「?何が」
ミスティアが納得したのを見てアリスは首を傾げる。
「ほら、私たち妖怪って生まれた時から存在理由があるから、あって当たり前なんだ。妖怪以外も神様とか妖精だって持ってるし、悪魔だって魂を集めるっていう理由があるみたいだしね。最初から持って無いのは人間と動物ぐらいじゃない?」
「ああ、それで・・・」
納得したアリスにミスティアが苦笑してさらに続ける。
「まぁ私の場合は『歌で人を惑わす』から『歌を歌うこと』に変質しちゃっているけどね」
「確かに」
ミスティアの言葉にアリスも苦笑する。
「でも、『歌』が存在理由なのは変わらないよ。私の場合、全ての行動が『歌』に繋がるから」
「・・・」
穏やかに、でも自信を持ってそう言ったミスティアをアリスは少しだけ目を細めて見つめた後、空に視線を戻した。
「・・・じゃあ、この怪異もその存在理由に関わっているのかしらね?」
「まぁそうなんじゃない?私はそれがなんなのかは全然わからないけどね~」
ミスティアは暢気に答え、そして再びハミングを始める。明るい夜に虫の音の変わりに響く音色。そんな穏やかな時間がそのまま静かに空が白むまで過ぎていった。
そしてとうとうなにも起きないまま朝を迎えた。後ろの部屋で人が動き出す音が聞こえる。しばらくして後ろの扉が開き、紗代が顔を出す。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよ~♪」
朝の挨拶を交わすが、若干不安気な顔をしていた。
「何かあったの?」
「あの、正治さん達を見ませんでしたか?既に布団にはいなくて」
「え?おかしいわね。私達は殆どここにいたから部屋を出ればわかるはず・・・ミスティアは見た?」
「ううん、見て無いよ~」
ミスティアがそう答えると、アリスは考え込む。
「まさか・・・」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「「!?」」
丁度その時井戸の方で悲鳴が聞こえた。アリスと美沙はすぐさま井戸の方に向かっていった。その跡を少し遅れてミスティアが続く。
(きっと見つかったんだろうな~)
そんな事を考えながらミスティアはちょっと気だるそうに向かっていった。
井戸に着いたアリスは、そこで女性が腰を抜かしているのを見つけた。
「どうしたの?」
「い、井戸の中に人が・・・」
アリスはすぐさま井戸を覗き込むと、確かに二人分の人影が浮かんでいるのが見えた。すぐさま人形を使って引き上げると、それはいなくなっていた正治と理恵であった。苦悶に固まった表情、冷たくなった身体、どれをとっても既に死んでいるのは明白だった。
「そんなっ!?」
「いったいいつの間に・・・」
「・・・正治さん達は井戸に落ちておぼれたんでしょうか?」
ショックを隠しきれない様子で紗代が聞いてくるがアリスは首を振る。
「わからないわ。でも傷とかも見当たらないし、溺死が一番可能性が高いと思うわ」
アリスが遺体の様子を見てそう考える。そこにミスティアがやってきた。
「ん、死体?ちょっと見せて~」
「え、ええ」
ミスティアがそう言ってきたのでアリスは遺体から離れる。そうしてミスティアは遺体に近づくと、いろいろ触ったり、持ち上げたりし始めた。
「何やっているの?」
「ちょっとね~」
一通り調べるとミスティアはアリスに向かって言った。
「この死体、窒息して死んでいるけど溺れたわけじゃないみたいね~」
「そうなの!?」
ミスティアの言葉にアリスは驚く。
「うん、水死なら肺に水が入っているんだけどこの死体には入ってないからね~」
「そうなんだ。というか良く知っているわねそんなこと」
「あのねぇ、これでも昔は人間を襲っていたんだよ?人間の死体なんて見慣れているに決まってるじゃない。それに私の能力だと足を滑らせて水に落ちたりする人間も多かったから水死体はよく見ていたよ」
ミスティアが呆れた顔でそう返してきた。よくよく考えれば当たり前のことである。
「でも、じゃあいったいどうやって・・・!?」
アリスは何かに気付いて遺体に近づく。そして念入りに魔力を使って走査し始めた。
(これは・・・もしかして!)
「行くわよ、ミスティア!!」
「え?」
「ほら!早くしないと手遅れになるかもしれない!!」
「え、あ!」
アリスはミスティアの返答を待たずに、すぐさま目的地へと走っていった。廊下を走りながら人形達に魔力を込め始める。そして問題の部屋についた。
「・・・」
その部屋の奥に見える元凶に向かって視線を投げる。部屋の中には他の場所より強い守護の気があふれている。
「まさかこれが元凶とはね。今まで大した怪異が起きなかったのはあなたの力は今日最大となるから、他の日だとほとんど力を使えなかったからね。まぁそのおかげであなたの残滓を辿ることが出来たんだけど」
元凶は何も言わずにただ静かに座している。部屋の中の守護の気がさらに強くなる。だが、その中に若干淀んだ気が混ざり始める。
「その邪気を守護の気に紛れさせていたのね。道理で気付かなかったわけだわ。でも見つけたからには破壊させてもらうわよ!」
奥に座する雛人形に向かって人形をかざす。
――呪詛『魔彩光の上海人形』――
かざした人形から一本のレーザーが放たれる。その瞬間、どこからともなく大量の紙人形が現れ、上海人形と雛人形の間に飛び込んだ。レーザーは紙人形達を貫き、焼くが全てを貫く前に拡散し、雛人形まで届かなかった。
「なっ!?」
アリスが驚いた一瞬の隙を突いて、紙人形たちが襲い掛かる。アリスはすぐさま人形達で迎撃するが、紙人形達の数が多すぎる。アリスは徐々に追い詰められていった。
(押される!?)
アリスがあせり始め、ほんの少しだけ動きが鈍ったその時一枚の紙人形が足元に張り付いた。
「っ!?」
張り付いた紙人形から淀んだ力が流れてくる。まるで風邪を引いたときみたいに身体がだるくなり、思考にもやがかかる。
(まずい・・!)
人形達の動きが鈍くなり、アリスにどんどん紙人形が張り付いてくる。
(そうか、これで窒息させたのね!!)
既に半分近くが紙人形に覆われ、身動きが取れなくなってくる。アリスは雛人形を強く睨みつけるが、雛人形の瞳は何の感情も映さずアリスを見つめる。
(こんなところでっ!!)
とうとう、アリスが紙人形に飲み込まれるその瞬間、
――悲運『大鐘婆の火』――
突然青い炎が現れ、雛人形を包んだ。
『―――――――――――――――――――――――――!!』
炎に包まれた雛人形は、越えなき絶叫を上げて燃え盛った。
――傷符『インスクライブレッドソウル』――
そして聞きなれた声と同時に無数の銀線が走り、アリスを覆っていた紙人形達が切り刻まれる。
「大丈夫かしら?」
「咲夜!?」
そこにはナイフを構えた咲夜が立っていた。そしてその後ろからミスティアが現れる。
「間に合ったみたいだね」
「間に合ったって・・・」
「うん?雛人形が怪しいのは見てわかったから助っ人を頼んだんだよ」
「ってミスティア、あなたあれが怪しいって知っていたの!?」
「うん、というかアリスは気付かなかったの?すごい微かだけど変な気が漏れていたじゃない。てっきり気付いていたからあんなに見ていたんだと思っていたよ~」
「~~っ!」
いろいろいいたいことはあるが、取りあえずは置いておいて重要な事を聞く。
「で、助っ人って誰?咲夜?」
「いえ、私はあなたを探している途中で会っただけです。本当の助っ人は彼女ですよ」
咲夜が示した方向には一人の女性が立っていた。それは身体全体に負の空気を漂わせた緑髪の人外であった。
「後は私に任せて」
そう言って女性は雛人形に近づく。雛人形は未だにもえ続け、一向に燃え尽きる気配がしない。そんな雛人形に女性は声をかける。
「迎えにきたわ。さぁ、いらっしゃい」
――マダ、イケナイ、ワタシハ、カノジョタチヲ、マモラナイト――
その時雛人形から聞き取りづらいが確かに声が聞こえた。
「もう十分よ。あなたはもう必要とされていない」
――・・・ワタシハ、ナニカガ、タリナカッタノカ?――
「いいえ違うわ、あなたは頑張りすぎただけ。いままでご苦労様、だからもう眠りなさい」
――ダガ・・・――
雛人形が何かを言おうとする前に女性は炎に入り込み、その男雛と女雛を抱きしめた。
「もう、いいの。このまま眠りなさい」
恐らく何かしらの防御膜を張っているのだろうが、それでも女性の服と髪の先が焼け始め、皮膚が赤くなる。
――ヒナサマ!?――
「さぁ、このまま眠りましょう」
その時、ミスティアが一歩前に出た。そして胸の前に手をあて、静かに声を紡ぐ。
――薄紅色に染まりし花弁、私の頬に静かに落ちる。あなたの好きな花びら見上げ、あなたのために歌いましょう。旅立つあなたが振り向かないように、旅立つあなたが悲しまないように。あなたの旅路の餞に、私の声を捧げましょう。一人先に行くあなたの供に、私の想いを沿わせましょう。薄紅色の花びらに涙一片言葉に変えて、あなたへの手紙といたしましょう――
それは今まで殆ど誰も聞いた事の無い、夜雀の鎮魂歌であった。
――アァ、アァ――
ミスティアが声を紡ぐたびに雛壇が少しずつ燃え尽きていく。屏風が、右大臣、左大臣が、五人囃子が、三人官女が燃え尽きていく。終には男雛と女雛だけが残り、そしてそれも燃え尽きていく。最後に女性の手に残ったのは男雛と女雛の中から現れた紙の人形であった。そしてそれもすぐに燃えてなくなり、その手に一握りの灰だけを残した。
「・・・お疲れ様」
最後にそう呟いて、女性は懐から取り出した紙の船にその灰を優しく入れた。
「彼らは元は流し雛だったの」
緑髪の女性――鍵山雛はあの人形達の事をそう言った。彼女は人形達の声を聞くことが出来るという。
「流し雛?」
「ええ。昔、それこそ百年ぐらい前のこの家の主人が病弱な娘を救うために、高名な術師に頼んで作らせた厄落としの人形が彼等」
「でも、流し雛なら流すんじゃないの?」
アリスの問いに雛頷く。
「本来ならそう。ただその術師がとても優秀だったみたいで、その人形は非常に多くの厄を吸い取ってくれたの。だから当時の主人が一回で流すのを躊躇ってしまったのね。その為、主人は当時の人形師に頼んでこの人形を埋め込んだ雛人形を作ったのよ。流し雛から雛飾りへとね」
「・・・馬鹿な事をしたものね。魔術的な道具を元の役目を歪めて使用するなんて、危険以外のなにものでもないのに」
「ええ、それでも彼らは厄を吸収し続けた。だけど流し雛というのは流して初めて厄を落とすから、そのままではずっと溜まり続ける」
「じゃあ、今回それが噴出したってわけ~?」
ミスティアの言葉に雛は首を振る。
「いいえ、少し違うわ。彼らはこの家で長い間大事に扱われてきた、それこそ自我が生まれ、この家の守護神のような存在になるほどに。だから彼らは頑張って厄を外に出さないようにしてきた」
「じゃあ何故?」
その言葉に雛は悲しそうな顔をする。
「彼らに言った通り頑張りすぎたのよ。溜め込みすぎた厄と形の変化が、流し雛の存在意義を変質させてしまった。彼らはこの家の母娘を守ることが目的となり、その厄と守護の力を使ってその二人に仇成すものを排除しようとし始めた。殺された人達はその母娘をどうにかしてこの家を乗っ取ろうとしていたらしいわ」
「そんなことが・・・」
「ごめんなさい。私がもっと早く着ていれば防げたかもしれないのだけど、これを作るのに時間がかかってしまって」
そう言って見せたのは人形達の灰を入れた紙の船だった。
「この船は私の力を込めた紙を使っているの。これに灰を入れて川に流せば集めていた厄ごと無くなる。だからこの家の人に流させて欲しいの、それで全てが終わるわ」
渡された紙の船を眺めて、アリスは軽く息を吐く。
「わかったわ」
「そう、お願いね。・・・じゃあ私は行くわ、私はあまり人里にいてはいけないから」
雛はそう言って屋敷を跡にしようとするが、ふと振り返ってミスティアに声をかける。
「そうそう、連絡ありがとう。道を違えた流し雛がいることは知っていたけど、あなたのおかげで特定できたわ」
「それはなにより~」
「それと、彼らのために歌ってくれてありがとう。きっと彼らも安らかに眠れるわ」
「いいって~、私が歌いたいから歌っただけだし~」
「そう。でも本当にありがとう」
その言葉を言い終えると、雛はすぐに屋敷から消えていった。
その後、現れた紗代と美沙に事の顛末を話し、紙の船を渡した。最初二人はその内容に驚き信じなかったが、雅史と正治の部屋を調べていろいろ画策していた証拠が見つかると最終的には納得した。また、見つからなかった雅史夫妻は雛壇の床下にばらばらになって埋められているのが見つかった。そしてその夕方、アリス達と紗代達は川に来ていた。その手には紙の船があり、美沙が静かにそれを持ったまま川岸に座り込む。
「今までありがとう」
そう呟いて船を静かに川に浮かべた。水面に浮いた船は、いくつかの波紋を生み出しながらゆっくりと川下に流れていった。
(・・・人形の船送りね)
それは船に遺体を乗せて流す風習を髣髴とさせる。
(神になった人形の葬式、か・・・)
どこか物悲しさを覚えるその光景を、アリスはいつまでも・・・いつまでも見つめていた。
それも致し方ないのかもしれませんね。ミスティアの意外な活躍、雛のワンポイントだけど厄神様らしい見せ場が印象に残りました。雛祭りにふさわしいお話だったと思います。
なにより人形遣いであるアリスがこの異変でここまで鈍くさくなっているのは違和感がありますね。
あと最後は特に展開に困って無理矢理終わらせた感がすごくします。次回に期待。
アリスとミスティアで異変を解決するとはなかなか。しかもミスティアの方がなんか優秀っぽいww
いやぁ、それにしても人形って怖いですね。俺、雛人形とかでも部屋に飾ってあったら夜眠れませんよ。